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人 権 と し て の 性 的 自 由 を め ぐ る 諸 問 題

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(1)

七 六 五 私通 はじめに ( F o r n i c a t i o n ) ( C o h a b i t a t i o n )

姦通

( A d u l t e r y ) (

同性愛

( H o m o s e x u a l i t y )

l l

9 ,

 

西

④イギリス︵以上本号︶

売春

( P r o s t i t u t i o n ) 性的いやがらせ

( S e x u a l H a r a s s m e n t )  

おわりに

人 権 と し て の 性 的 自 由 を め ぐ る 諸 問 題

9 9 9 9 9

9 9 9 9 9  

← 

説~

9 9 9 9 9  

] 論

9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 ,  

︵ 二

10‑1 ‑ 1 (香法'90)

(2)

た性行動であると考えている︒

しか

し︑

おく必要があろう︒ 同性愛に関する法学的研究は︑わが国においてはほとんど皆無に近い状態にある︒その最大の理由は︑

が同性愛を犯罪としてこなかったために︑実用的な関心を呼びおこす主題ではなかったということであろう︒この空

白を埋めるのに値する業績が︑最近︑松平光央教授によって発表された︒﹁西欧文明︑同性愛︑バーガー・コートーーー

アメリカ連邦最高裁判所の同性愛処罰法合憲判決を中心に│ー│﹂と題するこの論文は︑西欧文明に関する幅広いかつ

奥深い博識を駆使して考察を加えたもので︑わが国における同性愛に関する法学的研究としては︑

績であると評価することができよう︒本稿もこの論文から多くの教示を得ていることを︑

ところで︑現在の日本人の多くは︑同性愛︑

(1) 

とりわけ男の同性愛は︑気持ちが悪い︑

いつの時代でもどこの国でも︑同性愛は嫌悪すべきものとされ︑

罪とされてきたわけではない︒それについては︑すでに多くの研究者によって明らかにされていることである︒現在 の多くの日本人が素朴に信じこんでいるように︑異性愛は性愛の唯一のあり方ではない︒実際の性愛のあり方は︑そ れぞれの国のそれぞれの時代の文化によって異なり極めて多様であったことが解明されてきている︒したがって︑同

性愛に対して社会がどのような態度をとるかは︑その国の•その時代の文化によって異なってきたわけである。世界

四 同 性 愛 ( H o m o s e x u a l i t y )

日本の刑法

まさに先駆的な業

まず冒頭において言及して

正常でない︑あるいは逸脱し

さらには犯

10‑1 ‑ 2 (香法'90)

(3)

一九

0

年の第五版には︑﹁ホモ

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という言葉がある︒

ここ二十年の間に︑

ホモ

この単語は載っていない︒ の文化の流れの中で︑同性愛は︑時には︑奨励され︑儀式化され︑寛容な扱いをうけた︒現在でも︑割礼の時に司祭と崇拝者との間で口と性器を接触させるという風習が残っている地域が存在している︒また時には︑同性愛は無視され︑あるいはナチス時代のドイツのように︑収容所内においてピンクのバラのバッジをつけさせられたり︑現在のアメリカの多くの州のように︑犯罪とされている国もある︒

一九

0

年の研究社の﹃新英和大辞典﹄の第四版には︑ さらには

︹同性愛︺嫌悪﹂という訳語が載っている︒このことは︑直接的には︑

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という英単語が英語圏の国において使用されていることを示すものであるが︑逆説的には︑

が﹁市民権﹂を得たということを証明しているのではないであろうか︒別言すれば︑同性愛が異常であるのではなく︑

同性愛を自然に反する︑病的である︑あるいは嫌悪すべきものであると考えることの方が異常であるというように変

化してきていることを反映しているのではないであろうか︒現在までの研究によって解明されたところによれば︑同

性愛は数ある性愛の様式の中の一っであって︑

得された偏見﹂でしかないのである︒ それを異常視・異端視することは先天的なものではなく︑﹁社会的に体

このホモホビアは︑同性愛や同性愛者に対して︑使い古された神話や固定観念を抱いている︒同性愛者は性的にで

たらめで安定した愛情関係が維持できないとか︑同性愛は病気であるとか︑さらには同性愛は生物学的に不自然であ

これらはいずれも事実にもとづいて実証されていない︒ホモホビアが前述のよる等々の偏見を抱いている︒しかし︑

うに社会的に体得された偏見であるならば︑それにはしかるべき原因があるはずである︒それは︑結論を先取りして

いえば︑西欧文明の中に︑同性愛を不自然な逸脱した性行為であるとする見方が︑底流として存在してきたことに因

るものである︒

10-~- 1 ‑‑3 (香法'90)

(4)

は自然に反するということである︒

いわゆる少年愛︑

すなわち成人男性と少年の恋愛の文明が

﹃ニコマコス倫理学﹄や﹃政治学﹄に受け継がれた

その起源を探し求めると︑プラトンにたどりつく︒プラトン自身も同性愛者であったといわれているが︑彼が著書

﹃法律﹄の中で同性愛を非難したのは︑第一には男性の特徴である勇気と自制心が蝕ばまれるという理由である︒こ ういう考え方の中には︑同性愛は男を女の地位にまで堕落させるものであるという観念が内在しており︑それが男女 の性役割の固定観念から生じたものであることはいうまでもない︒この種の考え方においては︑男が受身の役割を果

つまり︑愛することあるいは男によって愛されることを許すことは女に固有の 役割であって︑男の役割ではないということである︒男の同性愛は男の伝統的な役割を侵害し︑男の支配と男らしさ の神話が徐々に害されていくから︑男の同性愛だけが問題とされ︑他面において︑女の同性愛は無視されるというこ 第二の理由は︑男の性は結婚して子どもをつくることに存在理由があるのであるから︑出産を目的としない同性愛

プラトンの同性愛に対する考えが︑

のである︒プラトンやアリストテレスが同性愛を非難したのは︑古代ギリシャやローマにおける性愛の様式が︑現在 の西欧におけるそれとは異なっていたという社会的な背景がある︒ミシェル・フーコーによれば︑当時は単性︵モノ セクシュアル︶社会であって︑ギリシャ人やローマ人にとって同性愛と異性愛という区分は適切ではなかったし︑

た彼らはそういう観念をもっていなかった︒したがって︑

存在していたのである︒男が少年に求愛することは︑特に奴隷の少年に対して求愛することは︑特にローマにおいて

は自然なことがらであったのである︒﹁奴隷にとって犯されるのは必然であり︑自由人にとっては恥辱であり︑解放奴

隷にとっては奉仕である﹂という俗諺は︑当時の性愛の状況を的確に表現しているといえよう︒ とになるのである︒ たすことが否定されているのである︒

その

後︑

アリストテレスの

10‑1‑4 (香法'90)

(5)

記に叙述されているように︑

にふれて町と住民のすべてが滅ぼされたとされている︒同性愛を意味する

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の語源がこの

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m にあること

は周知のことがらである︒

が投げかけられている︒

ソドム

( S

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) とゴモラ

( G

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の人々が同性愛にふけっており︑それが神の怒り

ところで右のような解釈|ーiこれもやはり通説と呼ぶのであろうか—ー—については、疑問

とい うの は︑

に行われていたことに対して︑

( 1 6 )  

のであると解する人もいる︒

﹃神の国﹄やトーマス・マキィナス ソドムにおけるロトの物語は︑たぶん町の そもそもこの創世記の当該部分の記述が簡略なために︑通説とは異なるいくつ

かの解釈が提唱されているのである︒最近の旧約聖書の解釈者によって︑

人々が同性愛にふけっていたことよりは︑むしろ町の人々のもてなしの悪かったことを非難する意図で書かれたもの

( 1 0 )  

であると指摘されている︒少なくとも初期キリスト教の時代には︑ソドムの破壊は︑宗教上の指導者たちによって同

性愛とは関係ないものと解されていた︒

旧約聖書のレビ記にも︑同性愛を非難しているかのように読みとれる記述がある︒しかしながら︑現在ではこの記

( N )  

述から同性愛禁止の意味を導き出すのは誤りであるとする見解も少なくない︒また新約聖書の中にも︑男の同性愛を

( 1 4 )  

非難していると解釈される箇所があるのも事実である︒同性愛の不道徳性を非難するためにしばしば引用されるこれ

らの節は︑聖書学者によれば︑聖書の観点からも単に疑問の余地があるばかりでなく誤解されており︑

訳されていることがありうると指摘されている︒ また誤って翻

聖書が同性愛を非難していると解釈されるようになったのは︑前述したように︑ギリシャやローマで同性愛が広汎

このような習慣のないイスラエル人を退廃的な文化から守るという動機から生じたも

いずれにしろ︑聖書が同性愛を禁じているとする解釈は︑ 同性愛を嫌悪し非難するもう︱つの西欧文明の起源は︑

アウグスティヌスの ユダヤ・キリスト教であるとされてきた︒旧約聖書の創世

10‑1 ‑ 5 (香法'90)

(6)

ルランドだけである︒ 一九六九年には西ドイツとカナダ︑

( 2 0 )  

においてそれぞれ非犯罪化された︒

ヨーロッパでは一部の共産圏を除けば︑同性愛行為を犯罪にしているのは北アイ

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一九

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年にはフィンランド︑一九七一年にはノルウェイとオーストリア 一九四五年にはデンマーク︑チェコスロバキア︑はスウェーデン︑一九六二年にはハンガリー︑一九六八年には東ド

イン

ポルトガルでも相次いで非犯罪化された︒一八六七年にはベルギー︑一八八六年にはオランダ︑

一九

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年に オランダ︑イ

( 1 9 )  

タリア︑ノルウェー︑一七歳以下はギリシャ︑十八歳以下は西ドイツ︑ニ︱歳以下はイングランドとウェールズである︒

の趨勢である︒一七九二年のフランスの法律によって同性愛行為が非犯罪化され︑

ス ペ

強制によらない︑

つまり同意にもとづく成人間の同性愛行為については︑刑罰規定を廃止し非犯罪化するのが世界

同性愛行為を禁止しているのは︑デンマーク︑

さて次に︑現代の世界の国々の同性愛に対する法の在り方について概観することにする︒

まず最初に︑青少年に対する同性愛行為を特別に処罰している国々が存在している︒十五歳以下の青少年に対する

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︑ ポーランド︑

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イギリスについては後述することにする︒

﹃神

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ろで

ヨーロッパにおいても国によって異なるので︑ において使用され︑教会の教義の中に定着していくことになる︒

ローマ法の上では︑少なくとも

A.D

三四二年までは男同士の結婚も可能であったし︑中世初期におい ても男同士の性行為は︑教会と国家によって公然と寛容な扱いをうけたといわれている︒

もっともテオドシウス法典︵四三八年︶

れることになってい︵誓

とユスティニアヌス法典の下では︑

近世から近代にかけては︑同性愛に対する刑事規制の在り方は︑

ソドミーは犯罪とされ︑死刑に処せら

スウェーデン︑十六歳以下は︑

その影響を受けてイタリア︑

II ‑

10‑‑‑1 ‑‑6 (香法'90)

(7)

右のように同性愛行為の非犯罪化への傾向に大きな拍車をかけたと考えられるのは︑

会の模範刑法典の作成︑一九五七年のイギリスにおけるウォルフェンデン委員会の報告書︑

刑法学会の決議であろう︒

一九五五年のアメリカ法律協

ハーグ国際刑法学会の決議は︑次のような状況の下における逸脱したかつ同性愛行為を刑

法は禁止すべきであるとしだ︒すなわち︑日力または暴力が逸脱したあるいは同性愛行為を強制するために用いられ

た場合︑口未成年者が成人によって同性党行為あるいは逸脱した行為に巻きこまれる場合︑口伯用と信頼を得るべき

立場にある人が自らの立場を濫用する場合︑及び被保護者もしくは世話を委託された人を逸脱した行為あるいは同性

愛行為に巻きこんだ場合︑四同性愛行為あるいは逸脱した行為が公然たる醜聞もしくは騒動を公然とひきおこす場合︑

国同性愛行為あるいは逸脱した行為が売春または商売化をもたらす場合︑である︒

同性愛の非犯罪化を招来した直接の契機は右の三つの出来事であるが︑より根本的な原因としては次のようなこと

がらを指摘することができよう︒

まず第一に︑医学の発展に起因するところが大である︒同性愛者

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という言葉は︑性生活

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医学の対象になりはじめた十九世紀の造語であって︑﹁人間の内在的かつ本質的な性質が︑自ら望んだ性行為の相手方

の性によって表されるという新しい考え﹂を意味するものとして作りだされたのであり︑現在では︑同性愛が人間の

性愛の正常な表現であるという考えは︑徐々に科学によって受け入れられてきていが︒そのことによって同性愛を犯

罪とすることを正当化してきた様々な偏見︑たとえば同性愛者は子どもを同性愛に転向させるとか︑子どもにいたず

らや虐待をする︑さらには同性愛者は精神病者である︑といった偏見には科学的な根拠がないことが実証されたので︑

( 2 3 )  

同性愛者を処罰する根拠がなくなったわけである︒人間の性愛の様式は︑異性愛のみから様々の度合の両性愛を通し

( 2 4 )  

て同性愛のみに至るまで相当なバラエティがある︒各人が自らの性愛の好みに応じてどのような性愛を行うかは︑個 一九六四年のハーグ国際

10‑1~7 (香法'90)

(8)

べきではない︒ 人の根源的な・基本的な自由に属することがらであり︑国家がある種の性愛の様式のみを犯罪とすることは許される

︵肛

門性

交︶

したがって︑単に同性愛にとどまらず︑異性間のアナル・セックス

リングス等を刑事規制することもその限界をこえ許されるべきではない︒

第二の原因としては︑同性愛禁止規定がその起源においても︑立法の目的においても︑また法律の執行の実態にお いても︑女性に対して差別的な内容をもっていたことを指摘することができよう︒女の同性愛︑いわゆるレスビアン は染色体の機能障害ないしは生理学的な原因によるものであると考えられたため︑それを規制するための法律の必要

性が余り認められなかった国もあるという︒

の性は受け身であるという信念は︑女が生物学的にも肉体的にも同性愛犯罪を犯すことができないという見解をもた

( 2 5 )  

らした︒また男の同性愛とは異なって女の同性愛については社会の関心がなく︑その結果︑﹁レスビアンは沈黙によっ

( 2 6 )  

て非難され﹂てきたのである︒

一九六七年の法改正以前のイギリスや一九六九年以前の西ドイツのように明文の規定によるものであっても︑ある

いはそうでなくとも︑

フェラチオ︑

しかしより根本的には︑女の性の促え方に原因があった︒すなわち︑女

とりわけ男の同性愛の方がより強く非難されてきたのは︑男と女の性的役割を二分し︑

もとづく家族をそれが脅かすという伝統的な観念にもとづいていた︒したがって︑歴史的には女性の平等な人格を否

( 2 7 )

2 8 )  

定する家父長制的な観念の下で男の同性愛に対する非難がなされてきたのである︒

同性愛禁止法の執行の実態についても︑女に対して執行されたことはまれであるといわれている︒

告によれば︑六人に一人の割合でアメリカ人女性は同性愛の経験があるにもかかわらず︑

カン

それに

かのキンゼイ報

一六九六年から一九五二年

( 2 9 )  

までの数百にのぼる判決の中で︑女が同性愛行為のために有罪とされたケースは一っもないとされている︒

右に述べた第一の原因が主となり︑第二の女性差別であるという理由が副次的な原動力となって︑同性愛禁止法が

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10‑・‑1~8 (香法'90)

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1026

力におけるホモホビアの起源について尋ねられたならば︑ほとんどのアメリカ人がキリスト教の同性愛に対する伝統的な反対を 指摘するであろうし︑最も博学な人は︑イギリス法を引用するかもしれないと述べている︒しかし︑彼はこれらの見解はいずれも

誤っていると反論している︒

﹃プラトン全集第卜三巻ミノス・法律﹄八一頁に︑﹁誘われる側の心のなかに勇敢な気質を育てるでしょうか︒あるいは誘う心のな

かに節度ある気質を育てるでしょうか︒それともそんなことを信じる者はひとりとしてなく︑むしろそれとは正反対に︑一方では︑

快楽に負けて︑抑制することのできない人間の弱さは︑万人がこれを非難し︑他方︑女の真似をする人間の女々しさは︑これを軽 蔑するのではないでしょうか︒﹂と述べられている︒ここには︑女々しい男︑男らしい女に対するプラトンの蔑視が如実に表明さ

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13 5.

ミシェル・フーコー著・増田一夫訳﹃同性愛と生存の芙学﹄

( 6 )  

( 4 )  

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( 2 )  

次に

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53 7 53 8.  

世界的に廃止される傾向を生みだしたといえよう︒

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各国別に同性愛禁止規定をめぐる法状況について検討を加えることとする︒

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( l ) 立石龍彦教授古稀記念論文集・法律論叢第六

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(~) Barnett, ibid., p. 1021. 

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Review, 1985, p. 716. 

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Mohr, ibid., p. 30ざ匡起閉記事かい9王パ→辟琴蓄芸'惹底芸凜迄心'"→0..,iJ'

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~,'~:.d 1"'地匂こ叫,if崇ヤ心゜社以や宝で心澁涵芸'Barnett. ibid., p. 1021頃恥゜

(;:::;) Kohler, ibid., p. 140, Goldstein, History and Homosexuality, and Political Values: Searching for the Hidden Determi‑

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心~;゜」心こ>(""..,:i.J8~0;'.c!

は)Ploscowe, Report to the Hague suggested Revisions of Penal Law Relating to Sex Crimes and Crimes against the Family, 

Cornell Law Quarterly, Vol. 50, 1965, p. 441. ~J (; 走餐芸,

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(斜)Goldstein, ibid., p. 1087‑1090. I兵判湛旦ド~="-R葉毎幽茫媒竺'匡起訳豆迂聡S玉掟さ恣囲や全心心~'ミヰ密如話庄心゜

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y という十九世紀の医学上のカテゴリーを用いること

は︑言葉の歴史的な意味を変えてしまうと批判している︒

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E者は︑同性愛が自らコントロールできない不変の性質であ

ること︑同性愛の習得はコントロールに服さないこと︑さらには同性愛の好み・方向づけは不変であると主張している︒

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2 0

0 . ~ の同祉止恙灸打為守てれ白口身

は非難されなかったが︑受身の役割は非難された︒というのは︑受身の役割は少年︑女および奴隷に固有なものとされていたから

である︒そして後者は政治過程から排除されていた︒

もっとも︑女の同性愛もオーストリア︑

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2 1 8 .

  シャー著・畠中宗一・郁子訳﹃被害者なき犯罪﹄一

0

五頁は次のように述べている︒﹃社会がレスビアンに対してより寛容である

ことを説明するのに︑考えられるかぎりの理由が引用されている︒興味をそそられる説明の一っとして﹁男性のエゴは︑女性が異

性との関係以外から︑性的満足を得ることを認めたがらない︒鑑定家が︑女性の同性愛を追求しようとしない傾向をもっているの

は︑おそらくその︵レスビアン︶存在を無意識のうちに拒否していることの表れであろう﹂という︑ある精神分析学者が示したも

が示している︒ N

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6 7 .  

p . 1 7

3 .   キンゼイによれば︑女性に対して同性愛禁止法が執行

されない理由は︑主として次の三つである︒第一に︑男の同性愛行為の方が与える影響の割合が大きい︑第二に︑男の方が青少年

とより大きな違反を行っていることが多いという事実︑第一二に︑男の同性党より非難されるべきであるとする世間一般の風潮゜

オーストリアも前述のように女の同性愛も禁じていたが︑執行の実態は女の同性愛に対してはより寛容であったことを次の数字

一九三一年から一九三六年までの間に有罪宜告を受けた人の数は︑男が六︑

0

八九︑女が一四二で︑一九四六年か

モロッコ︑アメリカの諸州においては禁止され

10‑1 ‑11 (香法'90)

(12)

その

後︑

ナニーによる性欲の満足︑ リナ法典は︑

一五三二年のいわゆるカロリナ法典は︑ 註釈書は追放刑をもって脅かした︒

その

まず初めに同性愛禁止法の沿革について述べる︒

この概念の特徴は︑自然に反す

たとえばオ ら一九五三年までの間は︑男が三︑五五

0

で︑女が一︱四であった︒

Si ms on an d  Ge er ds ,  S t r a f t a t e n   g

eg en d   i e   P er so n  un d  S i t t l i c h k e i t s d e l i k t e   i n   r ec nt sv er gl ei ch en de r  S i c h t ,   S .   4 81 . 

︱二

0

年頃のザクセン・シュピーゲルは同性による性交に関するどのような規定も含んでいなかったが︑最初の

︱二七五年頃のシュバーベン・シュピーゲルも同様の規定をおいていた︒

八年の農村・都市法典は︑男が同性ないしはユダヤ人と性交した場合には︑火刑に処すと規定していた︒

一六条において同性の性交を火刑による死刑で脅かした︒

いわゆるソドミーを次の三種類に分けていた︒第一の

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a p r o p r i a

は男性間の性交に類似した自然

に反する行為︑第二の

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はいわゆる獣姦︑第三の

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a は性交以外の方法︑

の三種である︒

ソドミーの構成要件が狭められていった︒啓蒙主義の影響の下で一七八七年のプロイセン一般ラント法が 制定されて︑性刑法も緩和されるという変化が生じた︒オナニーはもはやこの刑罰規定には該当しないようになった︒

そして自然に反する性的不道徳を一括してソドミー概念が用いられるようになった︒

る行為によって性交の満足を得ることにあるのではなく︑実行の形式にあった︒

概念に属さないとされた︒

s o

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a は肛門性交を意味した︒固有のソドミーに対しては火刑︑

② 西 ド イ ツ

このカロ

フェラチオという実行の形式はその

その他のソド

10‑‑‑1 ‑‑12 (香法'90)

(13)

ミーに対しては死刑を緩和した︒刀で執行するかもしくは任意の自由刑︑

(3 ) 

一 八

0

年のナポレオン刑法典は︑

侵害するものであり︑ ソドミー規定が自然に反する性的不道徳を犯罪とすることによって性的自由を

かつ性的作法に対する公然たる違反だと考えた︒単純な自然に反する性的不道徳については無

処罰とし︑但し十五歳以下の少年に対して行った場合や公然と暴力を用いた場合は別とした︒その影響を若干受けて︑

一八五一年のプロイセン刑法までは

ALR

が維持された︒死刑は廃止され︑同性の性行為は懲役刑

一八五一年にプロイセン刑法が制定される︒その一四三条において︑男と男の︑もしくは男と動物との自然に反す

る性的不道徳は︑六月から四年の禁錮刑に処すと規定された︒右の条文に関するプロイセン上級裁判所の判例は︑犯

罪の構成要件が不明確であることが起因して︑不安定であるという特色を示した︒すなわち︑自然に反する性的不道

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a を

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していなかったので︑聖書︑

とりわけモーセの律法に依存して制限を加えるという方法が採られた︒

上級審は固有のソドミーのみを処罰したが︑下級審はそれを拡大して相互のオナニーもそれに含めた︒上級審のよ

うな解釈︑すなわち自然に反する性的不道徳とは性交類似の行為

( b e i

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H a

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) であるとする解釈

は︑後者に限界がないために学説はたびたび解釈を変えた︒

プロイセン刑法の一四三条は一八七一年のドイツ帝国刑法の一七五条となり︑内容的には同一の構成要件のままで

あった︒なおこの一八七一年刑法によって女の同性愛は罰せられないようになった︒この一八七一年刑法の当該規定

の解釈の拡大によって︑徐々に処罰される行為の範囲が広がっていった︒ に

緩和 され た︒

プロイセンでは︑ 科せられるようになった︒ さらにはラントからの追放という軽い刑が

はじめは男色に制限されていたが︑

一八

10‑‑1‑‑13 (香法'90)

(14)

は区別して︑獣姦のみについて規定した︒ 三年十一月二八日のプロイセン上級裁判所の判決によって口の中への侵入

( i m m i s s i i n o   o s )

︑すなわち他の男の体内へ

の射精も自然に反する性的不道徳とみなされるようになった︒性交類似行為の概念も︑

イセン上級裁判所の判決によって︑進展していった︒すなわち︑刑法一七五条は︑

足と類似した方法で性欲を満足させる行為を禁止していると解釈したのである︒

ところで︑ラントによって刑罰に処せられる範囲が異なり︑緩いラントと厳しいラントがあったが︑

帝国最高裁判所

( R e i c h s g e r i c h t )

が創設され︑解釈が統一され︑プロイセン上級審にならって性交類似の行為に制限し

こ ︒

一八

0

年四月二三日の判決は文字通りその後の指導的な判決となった︒それによれば︑男色に限られない︑

り一七五条は他の男の体の一部の中への射精に制限されない︒性交類似という概念は︑むしろ

s o d o m i a s o d o m i a   i m p r o p r i a

とを区別するものである︒そして男色の概念は前者のみを含むものであると︒

一九三六年八月六日の帝国最高裁判所の判決は疑問視されている︒そこでは︑﹁他の男の肉体の中でのあるいは肉体へ

の性交類似の行為のみを︑男性間の自然に反する性的不道徳として処罰すべきである﹂と述べているが︑

誤りは

s o d o m i a p r o p r i

a と性交類似行為の概念を同一視したことにあるとされている︒

ナチス統治下の一九三五年六月十八日に刑法が次のように改正された︒

第一七五条

I I 行為の当時ニ一歳未満の関係者にあっては︑裁判所は︑特に軽い場合には︑刑を免除することができる︒

他の男子とワイセツ行為をなす男子︑又はワイセツ行為のために自己を他人の男子に悪用させる男子は︑軽懲役をもっ

男子間の重いワイセツ行為を禁じている一七五条

a

後述 する

︒ 一七五条

b

は男性間の自然に反する性的不道徳と この判決の

この点について︑

p r o p r i

a と 一八七九年に

異性間の自然な方法での性欲の満

一八七七年十月二四日のプロ

一 四

10‑‑1~14 (香法'90)

(15)

︵ 略

︵ 略

3

ニ一歳未満の男子を誘惑して︑自己とワイセツ行為をするように︑又はその者に自己をワイセツ行為に悪用させるようにするニ︱

歳以卜の男子

こより' ︵   嘆するばかりである︒ ではなく︑帝国最高裁判所の厳格な判例を維持し続けた︒

一 五

一九四五年以降の西ドイツの連邦最高裁判所の判決は︑一九三五年以来の拡大された一七五条解釈に依存しただけ が

せた

︒ この刑法改正の特色は︑禁止行為を性交類似の行為に制限することを断念し︑

とりわけナチスは同性愛に対して厳しかったが︑すなわち︑性交に至らない行為も処罰の対象とされた︒

(5 ) 

は舌によるキッスに対しても一七五条を適用させたし︑収容所では同性愛者に対してピンクのバラのバッヂを着けさ

一九三一年と一九三二年の両年に二︑三一九人が︑

一九三七年から一九ーニ九年にかけては二四︑

一九 五二 年に は一

五四年には一︑三

0

五人︑五五年には一︑

(7 ) 

六年には一︑二六二人︑六三年には二︑

0

一三人が有罪宣告を受けた︒これらの数字も︑ナチス時代の数字もただ驚

第二次世界大戦後も一九三五年に改正された刑法一七五条はそのまま維持されたが︑ボン基本法が制定されたこと

いくつか条項がそれに違反するのではないかとして問題とされた︒

最初に裁判の上で争われたのは︑重いワイセツ行為を禁止している一七五条

a

3

号で

ある

一七五条a

る ︒

四一

七人

一九三三年には八五一人が︑

(6 ) 

四四七人が有罪宣告を受けた︒

五三年には一︑三七八人︑ それとは逆に拡大したことである︒

ヒットラー

︱二

九人

︑ 五

次に記す者は十年以下の重懲役をもって罰し︑酌量減軽すべき事情が存するときは︑三カ月を下らない軽懲役をもって罰す

一九三六年には五︑三ニ︱人

10‑‑1 ‑‑‑15 (香法'90)

(16)

五条

a

3

号は

同性

一 七

︑︑

︑︑

︑ この規定が︑十六歳未満の少女を性交に誘惑する罪を規定してる一八二条と対比したとき︑男女平等の原則に違反

するのではないか︑

め︑二項で﹁男子と女子は同権である﹂と規定しているにもかかわらず︑刑法一七五条

a

3

号では︑男子が同性愛

に誘惑した場合に処罰される年齢は一︱︱歳であるのに対し︑一八二条では女子を性交に誘惑した場合に処罰されるの

は十六歳となっており︑この点が基本法に違反すると主張された︒またそれに加えて︑男子の同性愛だけを禁止する

のは恣意的であって︑これもまたボン基本法三条一項に違反すると批判された︒

連邦憲法裁判所は︑一九五三年十二月十八日の判決と一九五七年五月十日の判決によって︑刑法の当該規定は基本

法に違反しないとした︒

その理由として次のようなことがらを指摘した︒まず男の同性愛と女の同性愛の立法上の取扱いの差異については

男女同権の原則はいかなる基準も提供しない︒そして男女の生物学的な差異が異なる取扱いを正当化しうると述べた︒

言い換えれば︑この判決は性の機能や本質について二重の基準を採用し︑男の性的機能や本質と女のそれとは異なる という基本的な発想から出発する︒したがって︑判決によれば︑男女同権の原則が適用されるためには︑その前提と

して男と女のために比較しうる事実に対して本質的な要素が共通でなければならない︒

それに該当する︒

い︒強姦も売春のひもも同様である︒

女の生物学的特徴として︑受け入れるかつ献身の用意のある機能を︑

︵ 略

ということである︒すなわち︑ボン基本法三条一項は︑﹁すべて人は法律の前に平等である﹂と定

たとえば︑労働権や選挙権が

それとは反対に︑母性保護は女だけが母になるのであるから︑男女同権はいかなる役割も果たさな

つまり︑この判決は︑男の生物学的特徴として︑かりたてるかつ求める機能を︑

それぞれ指摘する︒このような観点から︑

一八二条は異性の犯罪を対象にしており︑構成要件が異なるから比較しえないとする︒また男

一 六

10‑‑1 ‑16 (香法'90)

(17)

る と

子の場合はニ︱歳︑女子の場合十六歳と年齢差を設けていることについては︑妊娠の危険性をもって根拠づけた︒

男の同性愛のみが犯罪とされていることについても︑前述のような生物学的な差異があるという視点に立って︑比

較しうる要素︑特別な性欲への異常な転換は問題にならないとした︒別言すれば︑男の同性愛と女の同性愛は︑青少

年を危険にさらすことに関して比較にならないとした︒すなわち︑刑法一七五条は青少年の保護が構成要件になって

いるが︑この場合には異なる構成要件が問題であるから︑男女同権の原則は適用されないとした︒

も存在しないと主張した︒ さらに加えて︑訴願者は男の同性愛だけを処罰するのは︑自己の人格を自由に発展させる権利を保障したボン基本

法二条一項に違反する︑すなわち︑この権利は自由な性活動を含むものであり︑また同性愛を罰する必要性も公益性

それに対して︑連邦憲法裁判所は次のような理由によって右の主張を却下した︒

立法者が右の権利を侵害することが認められるか否かは︑当該行為の社会的関連性が十二分に認められるか否かに

かかっている︒その際︑キイ・ポイントになるのは道徳律である︒というのは︑ボン基本法二条一項は︑﹁⁝⁝憲法的

秩序または道徳律に違反しない限りにおいて︑自己の人格を自由に発展させる権利﹂を保障しているので︑道徳律が

右の権利の正当な制限として認められている︒また︑憲法的秩序に対する関係において︑そのことは立法にとってニ

つのことを意味する︒一方において︑立法は道徳律と矛盾することはできない︒

憲法的秩序に属さないものであるから︒他方において︑道徳律は立法にとって規準として役立ちうるということであ

連邦憲法裁判所は︑右のように述べて憲法違反の主張を却下したわけであるが︑三十年以上前の判決であることを

割引

いて

も︑

その時代錯誤的な内容は目を覆いたくなるほどである︒

一 七

というのは︑不道徳な法律は決して

とりわけ︑男女の性の在り方に対する分業にも

とづく固定観念やそれに起因する同性愛に対する無知と偏見が︑判決の随所に見られ︑今日においては全く説得力を

10‑1 ‑17 (香法'90)

(18)

らに

所は

れた

l一八歳をこえる男子が︑ニ︱歳未満の男子に対してワイセツ行為をなし︑またはニ︱歳未満の男子に自己に対するワイセツ行為をな 一七五条一項次の者は︑五年以下の自由刑に処する︒ 一九六九年六月一一五日の刑法改正によって︑同性愛に関する規定が次のように大幅に改正された︒

さしめたとき︒

2勤務︑労働ないしは部下の関係にもとづく従属関係を悪用して︑他の男子に対してワイセツ行為をし︑またはその者に自己をワイセ ツ行為に悪用させるよう決意をさせる男f

3

職業的に︑男子にワイセツ行為をし︑または男

fに自己をワイセツ行為に悪用させ︑もしくはそのために自己を提供する男子

一七五条二項一項二号の場合に未遂は処罰される︒

一七五条三項行為のとき︑まだニ︱歳に達していない共犯者は︑裁判所が刑を免除することができる︒

右の改正に加えて︑男子間の重いワイセツ行為を規定していた一七五条

a

と獣姦を定めていた一七五条

b

が削除さ

右の改正された規定に対しても︑ボン基本法三条一項の平等原則に違反するとの訴えがなされたが︑連邦憲法裁判

一九七三年十月二日の判決によって︑前述した判決におけるのとほぼ同じような理由によって訴えを却下した︒

一九七三年十一月二三日の第四次刑法改正によって次のように改正された︒

一七五条一項十八歳をこえる男子が︑十八歳未満の男子に対して性的行為をなし︑または十八歳未満の男子に自己に対する性的行為を

なさしめたときは︑五年以下の自由刑または罰金刑に処する︒

一七五条二項裁判所は︑次の場合に︑これらの規定による刑罰を免除することができる︒

行為者が行為のときに一︱︱歳以下であった場合

行為が向けられた人の態度を考慮して︑行為の不正が軽い場合︒ もたない内容であると断言できよう︒

一八

10‑1 ‑18 (香法'90)

参照

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