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シュタイナー教育思想の認識論的基礎づけに関する研究

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学位請求論文

シュタイナー教育思想の認識論的基礎づけに関する研究

衞 藤 吉 則

広島大学大学院文学研究科 准教授

2016 年 9 月提出

(2)

【論文目次】

は じ め に

第 一章 シ ュタ イ ナ ー 教 育思 想 の 成立 背 景 と 実 践的 特 徴 第一 節 成立 の 背 景

第 二節 自 由へ の 教 育 ・ 教育 術 と して の シ ュ タ イナ ー 教 育 第二 章 教育 学 に お け るシ ュ タ イナ ー 教 育 思 想の 位 置

第 一 節 シ ュ タ イ ナ ー教 育 思 想理 解 の 視 座 と改 革 教 育的 要 素

第 二 節 精 神 科 学 的 教育 学 の 多様 な 射 程 と シュ タ イ ナー 教 育 思 想 の位 置 づ け 第 三章 シ ュタ イ ナ ー 教 育思 想 を めぐ る 科 学 性 論議

第 一 節 争 点 と し て の人 智 学 的認 識 論 第 二 節 ド イ ツ の お ける 科 学 性論 議

第 三 節 論 争 の 成 果 と人 智 学 的認 識 論 の 構 造解 明 に 向け た 視 点 第 四章 認 識論 的 取 り 組 みと そ の 原点

第 一 節 シ ュ タ イナ ー の 哲学 著 作

第 二節 可 視の 事 実 と 不 可視 な 本 質と の 総 合 -認 識 論 探究 の 原 点:カ ント 的 二 元論 の 克服 第 三節 総 合の 鍵 と し て の主 体 変 容( メ タ モ ル フォ ー ゼ )論 - ゲ ー テ 的自 然 認 識の 受 容と

克 服

第五 章 人智 学 的 認 識 論の 構 築 に向 け た 哲 学 的格 闘

第 一節 意 志と 表 象 の 総 合- ハ ルト マ ン,E.v.の超 越 論 的実 在 論 と の 対決 第 二節 自 我意 識 の 展 開- フ ィ ヒテ の 自 我論 の 受容 と 克 服

第 三節 精 神と 自 由 の 獲 得に 向 け た 具 体 的 普 遍 の構 図 -ヘ ー ゲ ル的 認 識論 の 受 容と 克 服 第 六章 人 智学 的 認 識 論 の 構 造 と 読み 解 き の パ ラダ イ ム

第一 節 シュ タ イ ナ ー 的 一 元 論 の構 造

第二 節 現代 的 意 義 と 読み 解 き のパ ラ ダ イ ム おわ り に

(3)

はじめに

シュ タ イ ナー(Rudolf Steiner:1861-1925)に よ る学 校 は 、ドイ ツ を 越 えて 広 が った 学 校 運 動 の 出 発点 と い われ 、ナチ ス によ る 閉 鎖期 間 を 除 い て世 界 的 な拡 張 を つ づ けて い る 。と り わけ 、1980 年 代以 降、シ ュ タイ ナ ー 学 校に よ る 積極 的 な 情 報 公開 に と もな い、「教 育 芸術(Erziehungskunst)」

と いう 独 自 な教 育 方 法 の 有効 性 や 学力 面 で の 高 い評 価 が 周知 さ れ 、 ド イツ に お いて は 倍 以上、

世 界的 に は 三倍 以 上 と い った よ う に爆 発 的 な 増 加を み せ てい る 1)。 し かも 、 そ の勢 い は (旧)

社 会主 義 諸 国に も 広 が り 、ま た ア メリ カ に お い ては 、 シ ュタ イ ナ ー 学 校は 荒 廃 する 学 校 を立て 直 す「救い 主 」と み ら れ 、 世界 の い くつ か の 自 治 体で は そ の公 立 化 が 実 現し て い る 2)。〝Waldorf Word List″(2015)によ れ ば、現 在 、シュ タ イ ナ ー 学校 は 世 界 60 カ 国 に 拡 大し 、総 学 校数 は 1063 校 を数 え る に至 る3)。今 日 、公立 学 校 の閉 塞 性 が指 摘 さ れる な か 、そ の学 校 は 、日 本 4)を 含 め、

オ ルタ ナ テ ィブ ス ク ー ル とし て 世 界的 な 注 目 を 集め る こ とと な る 。

しか し 、 こう し た シ ュ タイ ナ ー 教育 へ の 世 界 的な 関 心 の高 ま り と は 別に 、 国 内外 の 学 術界に お ける こ の 教育 へ の 理 論 的な 位 置 づけ は い ま だ 定ま っ て いな い 。 も っ ぱら 、 「 実 践 は 受 け入れ ら れ、 理 論 は敬 遠 さ れ る 」と い う のが こ の 教 育 をめ ぐ る 現状 と い え る 。

「 シュ タ イ ナー の 著 作 に はじ め て 触れ た も の の 多く が そ うで あ る よ う に、 そ の 用語 使 いが独 特 であ る だ けで な く 、 そ の用 語 の 意味 を そ の テ クス ト の 文脈 内 で 把 握 する こ と も、 あ る いは特 別 な訓 練 な しに 体 感 す る こと も 困 難な こ と も あ り、 シ ュ タイ ナ ー 学 校 の実 践 に は興 味 が あるが シ ュタ イ ナ ーの 思 想 は ど うも よ く 理解 で き な い 」 と 、 述 べる 矢 野 智 司 の言 葉 は 、ま さ に この教 育 にお け る 理論 ・ 実 践 を めぐ る 評 価の 分 裂 と シ ュタ イ ナ ー的 用 語 の 理 解困 難 性 を物 語 る 5)。 それ ゆ え 、理 論 理 解 へ の接 近 を はば む 特 殊 な 概念 で 構 成さ れ た シ ュ タイ ナ ー 教育 思 想 を、一 般 に解 釈 可 能な パ ラ ダ イ ムの も と に構 造 化 し 直 すこ と が 、今 日 、 シ ュ タイ ナ ー 教育 の 理 論・実 践 を含 め た 全体 理 解 や 学 理論 的 な 位置 づ け に と って 重 要 な課 題 と い え る。

本 論文 で は 、と り わ け 、 共通 理 解 6)に む け た シ ュタ イ ナ ー教 育 思 想 解 明の 切 り 口と し て 、そ の 思想 の 基 盤に 置 か れ 科 学論 争 の 的と さ れ る 、 かれ の 認 識論 に 焦 点 を 当て る 。 なぜ な ら ば、シ ュ タイ ナ ー 自身 、 当 時 の 危機 的 な 教育 ・ 文 化 状 況の 原 因 を欠 陥 の あ る 唯物 的 ・ 功利 的 な 認識の 在 り方 に 見 、精 神 を 含 め た深 い 人 間認 識 に 基 礎 を置 く 新 たな 認 識 論 ( 人智 学Anthroposophie7)) を 基礎 に 自 らの 教 育 理 論 を形 成 し たか ら で あ る 。

こ れら の こ とを ふ ま え 、 本論 文 で は、 人 智 学 的 認識 論 を 考察 の 軸 と し て、 シ ュ タイ ナ ー教育 思 想の 全 体 構造 と 学 理 論 的妥 当 性 を明 ら か に し てい く 。 具体 的 に は 、 まず 、 教 育実 践 の 根幹に 位 置づ く 認 識論 的 関 心 の 形式 を 浮 き彫 り に し ( 第一 章 ) 、つ づ い て 、 人智 学 的 認識 論 を 核に置 く シュ タ イ ナー 教 育 思 想 の教 育 学 上の 位 置 づ け につ い て 、シ ュ タ イ ナ ーの 理 論 ・実 践 と 、その 構 造上 の 類 似点 な ら び に 相違 点 が 指摘 さ れ る ド イツ 改 革 教育 運 動 ・ 精 神科 学 的 教育 学 と の関係 分 析を 通 し て解 明 す る ( 第二 章 ) 。さ ら に 、 シ ュタ イ ナ ー教 育 思 想 の 認否 を め ぐる 科 学 論争を 整 理す る な かで 争 点 と さ れる 人 智 学的 認 識 論 に つい て 、 構造 理 解 の 鍵 とな る 中 心概 念 や パラダ イ ムの 方 向 性を 示 唆 す る (第 三 章 )。 そ し て 、 これ ら の 教育 ・ 科 学 上 の論 点 を ふま え 、 人智学 的 認識 論 に つい て、そ の 形 成過 程 と 理論 構 造 を シ ュタ イ ナ ーに よ る 哲 学 的格 闘 の うち に 描 出 し、

最 後に そ の 構造 と 読 み 解 き の パ ラ ダイ ム を 提 示 する ( 第 四章 、 第 五 章 、第 六 章 ) 。

以 上の 考 察 を通 し て 、 シ ュタ イ ナ ー教 育 思 想 の 賛否 に つ なが る 人 智 学 的認 識 論 を中 心 に、こ の 思想 の 理 論的 妥 当 性 と 教育 上 の 意義 を 示 す 予 定で あ る ( お わ り に ) 。そ の 結 果、 シ ュ タイナ

(4)

ー 教育 ( 思 想) と の 理 論 的な 対 話 が可 能 と な り 、分 断 さ れた 理 論 と 実 践を 理 論 面か ら 架 橋する 糸 口が 示 さ れう る も の と 思わ れ る 。

(5)

第一章 シュタイナー教育思想の成立背景と 実践的特徴

第一節

成立の背 景

ここ で は 、第 二 章 以 下 で検 討 さ れる シ ュ タ イ ナー ( 教 育) 思 想 を め ぐる 「 教 育学 」 「 科学」

「 哲学 」 の 各議 論 に 先 立 ち、 シ ュ タイ ナ ー 教 育 思想 の 成 立と そ の 萌 芽 的原 理 に つい て 自 伝的経 緯 を含 め て 示し て お き た い1)

1 . 科 学 ・ 哲 学 そ し て 教 育 へ の 関 心 : 根 底 に あ る 「 可 視 の 事 実 と 不 可 視 な 本 質 と の 総 合 」 と い う 認 識 衝 動

シュ タ イ ナー は 、1861 年 に 、当時 ハ ン ガリ ー 領で あ っ たク ロ ア チ ア の 小 さ な 村ク ラ リ エ ヴェ ッ ク( 旧 ユー ゴ ス ラビ ア 領)に 鉄道 官 吏 の長 男 とし て 生 を受 け る。幼 いシ ュ タ イナ ー に と っ て、

父 親が 駅 長 を務 め る オ ー スト リ ア 南鉄 道 の ポ ッ トシ ャ ッ ハの 環 境 そ の もの が 学 びの 場 で あり、

か れは そ こ での 体 験 を 通 して 、 と りわ け メ カ ニ カル な シ ステ ム に 興 味 を抱 い た とさ れ る 。 さ らに 、シ ュ タ イナ ー が 8歳 の と き、一家 は ハ ン ガリ ー の ノイ デ ル フ ル 村に 移 る こと に な る。

か れは 当 地 で、 地 元 の 小 学校 の 補 助教 員 か ら ス ケッ チ や 音楽 を 通 し て 、芸 術 と して の 教 育の効 果 を学 ん だ り、 借 用 し た 幾何 学 の 本を 通 し て 、 ピタ ゴ ラ スの 定 理 を 初 めと す る 様々 な 幾 何学原 理 を自 ら 体 験し た り し て いる 。 と りわ け 、 幾 何 学と の 出 会い は 、 か れ の記 述 に よれ ば 、 それ以 前 に感 じ て いた 「 可視 の 事物(Dinge, die man sieht)」( 感 覚 世 界 die sinnliche Welt)と 「 不 可 視 の 本質(Wesenheiten, die man nicht sieht)」( 精 神 世界 die geittige Welt)」の 現 実性 や 関 係性 を 、 萌 芽的 で は ある が 内 的 に 感じ と る こと を 可 能 に した と さ れる 。

そ のと き の こと を 、 シ ュ タイ ナ ー は 自 伝 に お い て回 顧 的 に こ う 語 っ て いる 。 「 外的 感 覚の影 響 を受 け ず に、純粋 に 内 面 的に 直 観 され た 形 態 を 心の 中 で 形成 す る こ と がで き る とい う 実 感 は、

わ たし に 非 常な 満 足 を も たら し た 。 ‥ 幾 何 学 に 接す る こ とに よ っ て 初 めて 幸 福 とい う も のを知 っ た」2)「 感 官 の知 覚 す る 物体 や 事 象は 空 間 中 に 存在 し て いる 。しか し、‥ 同 様に 、人 間の 内 部 に も、 精 神 的な 存 在 や 精 神的 な 事 象の 舞 台 と な る一 種 の 心的 な 空 間 が 存在 す る ‥人 間 は 精神世 界 の知 識 も 幾何 学 と 同 様 に、自己 の 内 部に 所 有 して い る に違 い な い と 感じ て い た 」3)、と。こう し た見 方 に おい て 、 ま だ おぼ ろ げ であ る が 、 当 時、 シ ュ タイ ナ ー は 、 普遍 的 叡 智が 、 主 体の側 の 作為 的 な 思考 操 作 に よ って 形 成 ・獲 得 さ れ る ので は な く、 普 遍 と 特 殊の 即 応 関係 に お いて自 己 の内 部 に 立ち 現 れ る と 感じ と っ てい た こ と が 理解 さ れ る。

加 えて 、 こ の時 期 、 シ ュ タイ ナ ー は、 通 っ て い た村 の カ トリ ッ ク 教 会 の神 父 か ら、 コ ペルニ ク スの 宇 宙 論( 地 球の 公 転・自転 、地 軸の 傾 き )や 、日 食・月 食 等 の 現 象を 学 び、さ ら に教 会 の 礼 拝儀 式 を 通じ て 、感 覚 世界 と 超 感覚 世 界 を 仲 介す る「 深 遠な 体 験(tiefgehendes Erlebnis)」を し 、「 存 在 の神 秘 的 な 問 い(die Rätselfragen des Daseins)」 が 心に 喚 起 され た と いう 4 )

そ の後 、息子 が 鉄 道 技 師 とな る こ とを 願 う 父 の 勧め で 、1872年 に 、シ ュタ イ ナ ーは ウ ィーン

・ ノイ シ ュ タッ ト に あ る 実科 学 校 へ進 学 し た 。 当時 、 シ ュタ イ ナ ー は 、精 神 世 界が 直 観 のうち に 現前 す る とい う 体 験 を 自明 な も のと 実 感 し て おり 、 心 的作 用 ( と り わけ 思 考 ) が 自 然 現象の 本 質に 到 達 でき る よ う 形 成さ れ る なら ば 精 神 的 体 験 を 獲 得す る こ と が でき る と 考え て い た。そ れ ゆえ 、 か れは 、 ま ず は 深遠 な 自 然の 仕 組 み を 理解 す る ため 、 自 然 科 学・ 幾 何 学・ 物 理 学・化 学 等の 科 学 研究 に 向 か っ た。さ らに 、かれ は 、こ の時 期 、こ う し た科 学 的な ア プ ロー チ に 加 え、

自 身の 体 験 に起 因 す る 、 可視 の 事 実と 不 可 視 な 本質 と の 総合 と い う 認 識衝 動 を 満し て 解 説し得 る 哲学 モ デ ルを 求 め 始 め るこ と に なる 。 そ う し た哲 学 研 究 で の 最 初 の 対象 が 、 人間 理 性 の認識

(6)

上 の可 能 性 を追 求 し た カ ント(Kant, Immanuel)の哲 学 で あっ た 。シ ュ タイ ナ ー は、そ こ に おい て 、「 人 間 精神 は い か に して 認 識 活動 を 通 し て 超感 覚 的 なも の へ の 通 路を 見 い だし う る のか」

「 人間 の 思 考能 力 の 及 ぶ 範囲 は ど こま で か 」 と いう 問 い を考 究 し て い った 5)

以 上の 科 学 ・哲 学 へ の 強 い興 味 ゆ え、 シ ュ タ イ ナー は 、 結局 、 父 親 の 期待 に 反 して 就 職に 向 か うこ と な く、1879年 に、将 来 、実 科 学 校の 教 員に な る とい う 新 た な 目標 の も と 、ウ ィー ン 工 業 高等 専 門 学校 ( 現 ウ ィ ーン 工 科 大学 ) に 進 学 (数 学 ・ 自然 史・化 学 を 専攻 ) す るこ と に な る。

こ の工 科 大 学時 代 に お い て、 か れ は、 自 ら の 科 学的 ・ 認 識論 的 な 見 方 の形 成 に とっ て 、 ライト リ ンガ ー(Reitlinger, Edmund)に よる 物 理 学研 究 、ヘ ッ ケ ル(Haeckel, Ernst)の有 機 体 に関 す る 一 般形 態 学 研究 、総 合 幾 何学 、そ して 、と り わ け、シ ュ レー ア(Schröer, Karl Julius)によ る ゲー テ 的認 識 論 を通 し て 多 大 な影 響 を 受け た と さ れ る。 こ れ らは 、 す べ て 、か れ が 構想 す る 「可視 の 事実 と 不 可視 な 本 質 と の総 合」と い う認 識 衝 動 にね ざ し た学 的 探 究 の 一環 に 位 置づ け ら れ る。

シ ュタ イ ナ ーは 、 そ う し た取 り 組 みで 得 つ つ あ る認 識 実 感 に つ い て 、 この 時 期 、ひ と り の友人 に 宛て つ ぎ のよ う な 書 簡 を 送 っ て いる 。

1881年 1月 13日

「わ た し たち は み な 目 に見 え な い驚 く べ き 能 力を も ち あわ せ て い る 。そ れ は 、外 か ら 来るす べ てを 脱 ぎ 捨て た 内 奥 の 自我 へ 立 ち返 り 、不 変 さ(Unwandelbarkeit)の 形式 の も とに 内 な る 永 遠を 直 観 する 能 力 で あ る」 。 こ のシ ェ リ ン グ の言 葉 が 真実 を 物 語 っ てい る か 否か を 探究 す るこ と が 昨年 の わ た し の課 題 で あっ た 。 わ た しは 、 そ の心 の 奥 底 の 能力 を 自 分の な かに ま った く は っき り と 見 い だす こ と がで き た と 確 信し た し 、今 も 信 じ て いる 。 い や、 も っと ず っと 昔 か ら、 わ た し は その こ と を予 感 し て い た。 観 念 論哲 学 の 全 体 がい ま や 根本 的 に修 正 され た 形 でわ た し の 目 の前 に あ るの だ 6)

以上 の こ とか ら 分 か る よう に 、 シュ タ イ ナ ー は、 当 時 、可 視 の 事 実 と 不 可 視 の本 質 の 総合 と い う自 ら の 認識 ・科 学 衝 動 を満 た す べく 、ゲー テ(Goethe, Johann Wolfgang)の 認識 論 に 向か い 、 そ の後 、 哲 学上 の 考 察 を 通し て 新 たな 観 念 論 的 立場 を 見 いだ す に 至 る ので あ る 。そ の 観 念論的 考 察の 主 た る対 象 は 、 カ ント 的 認 識論 の 克 服 を はか る フ ィヒ テ(Fichte, Johann Gottlieb)、 ヘー ゲ ル(Hegel, Georg Wilhelm Friedrich)そし て ハ ル トマ ン,E.v.Hartmann, Karl Robert Eduard von) の 哲学 で あ った 。 理 論 の 詳細 な 検 討は 第 四 章 ・ 第五 章 に 譲る が 、 こ こ では シ ュ タイ ナ ー の教育 思 想の 形 成 にか か わ る 視 点を 中 心 に略 述 し て み たい 。

科 学論 や 認 識論 哲 学 の 構 築に 向 け たシ ュ タ イ ナ ーに よ る 探究 は 、 ま ず 、シ ュ レ ーア 教 授 によ る 導き の も とゲ ー テ の 自 然認 識 へ と向 か う 。 シ ュタ イ ナ ーは 、 ゲ ー テ 的認 識 と そこ で の 形態学 的 手法 を 、 有機 体 ( 無 機 物と 異 な り単 線 的 因 果 記述 へ と 還元 で き な い ) を 理 解 する 最 善 の見方 と とら え た 。そ の ゲ ー テ 的認 識 論 に特 有 な の は 、自 然 認 識に 際 し て 、 主観 的 な 感情 を 排 した上 で なさ れ る 徹底 し た 観 察 のも と 、 現象 を 、 生 成 過程 に 配 慮し つ つ 全 体 を全 体 と して 理 解 する こ と にあ る 。そ して 、そ う した 見 方 こそ が 、の ち に展 開 さ れる 思 考・感 情・意志・モ ラ ル の 総 合 的 変 容を 構 想 する シ ュ タ イ ナー 教 育 (思 想 ) を 支 える こ と にな る 。 ま た 、こ の 生 成と い う 視点を 介 した ホ リ ステ ィ ッ ク な 見方 は 、 シュ タ イ ナ ー が、 「 思 考・感情 ・意 志 とい っ た 人間 の 心 的活動 を 観察 す る こと に よ っ て、「精 神 的 人間(der geistige Mensch)」がわ た し にと っ て 具体 的 に 生き

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生 き と 観 照 で き る ま で に な っ た 。 ‥ 精 神 と し て の 人 間 が わ た し の 精 神 の 前 に 立 ち 現 れ る 」7)と 述 べる よ う に、 自 ら の 精 神科 学 的 認識 の 深 化 の うち に 獲 得し て い っ た こと が 判 明す る 。

つ ぎに 、 シ ュタ イ ナ ー と フィ ヒ テ 哲学 と の 出 会 いに つ い て ふ れ て お こ う。 シ ュ タイ ナ ーは、

実 科学 校 時 代に カ ン ト の 認識 論 に 出会 っ て 以 降 、観 念 論 哲学 の う ち に 、自 ら の 課題 で あ る「可 視 の事 実 と 不可 視 な 本 質 の総 合 」を 求 め てい く。そ し て、工 科 大学 入 学を 控 え た1879 年 の 夏 以 降、フ ィヒ テ の 知識 学 か ら 多く 学 ぶ こと に な る。フ ィヒ テ の 自我 論 に 注 目 した シ ュ タイ ナ ー は、

そ こに 、 自 己認 識 を 通 じ た精 神 の メタ モ ル フ ォ ーゼ の 構 想を 確 か な も のと し て いく 。 そ して、

そ の成 果 は、1891年 に 博 士論 文『 認 識 論の 根 本 問題 - 主に フ ィ ヒテ の 知識 学 を 顧慮 し て(Die Grundfrage der Erkenntnistheorie mit besonderer Rücksicht auf Fichtes Wissenschaftslehre)』( 翌 1892 年 に『真 理 と 科学(Wahrheit und Wissenschaft)』)と して 結 実 す る 。さ らに 、シ ュ タイ ナ ー は 、 ヘ ーゲ ル 哲 学に も 注 目 す る。 か れ は、 そ の 立 場 が、 思 考 を現 実 の 経 験 と分 断 せ ず、 生 き た具体 的 な経 験 と して 精 神 の 次 元ま で 歩 みゆ く 点 に 、 「思 考 の 現実 性 を 表 現 する 仕 方 は わ た し の立場 と 近い 」8 )と 共 感 を 示 す 。こ う し た 思 考を 軸 と する 自 己 認 識 や精 神 的 変容 を 説 く 視 点も ま た 、 の ちに シ ュ タイ ナ ー 教 育 論を 支 え る独 自 の 精 神 科学 に 組 み込 ま れ る こ とに な る (シ ュ タ イナー 教 育で は 教 育目 的 を 、 個 々人 に お ける 主 体 変 容 を通 し た 自由 な 精 神 の 実現 に 置 く) 。

他 に、 シ ュ タイ ナ ー に よ る認 識 論 哲学 の 構 築 に 際し て 重 要で あ っ た の は、 こ の ウィ ー ン滞在 期 後半(1884-1890)か ら ワイ マ ー ル滞 在 時 代(1890-1896)に か け て 交 流を も っ たハ ル ト マンで あ った 。 シ ュタ イ ナ ー は 、ハ ル ト マン の 哲 学 の うち に 、 人間 の 内 奥 に 位置 づ き 普遍 へ と つなが る 無意 識 や 意志 の 哲 学 的 意義 を 見 いだ す が 、 そ こで の 普 遍認 識 の 営 み が現 実 の 経験 か ら 切り離 さ れて い る 点に 疑 義 を 呈 する こ と にな る 9)。 シ ュタ イ ナ ーに と っ て 、 無意 識 の 深み に 位 置づく 不 可視 の 本 質を 意 識 化 す る体 験 的 プロ セ ス に こ そ、 自 由 や教 育 上 の 意 義が 見 い ださ れ た 。

つ づい て、シ ュ タイ ナ ー は ウィ ー ン 工業 高 等 専 門 学校 時 代(1879-1883)に、ヘ ルバ ル ト(Herbart, Johann Friedrich)、 シ ラ ー(Schiller, Johann Christoph Friedrich)、 ブ レ ン ター ノ(Brentano, Franz Clemens Honoratus Hermann)の 思 想と 格 闘 して い る。と りわ け 、かれ は、シ ラ ーに よ る『人 間 の 美 的教 育 に 関す る 書 簡(Briefen über die ästhetische Erziehung des Menschen)』に つ い て、 そ こで 描 かれ る 心 の内 的 な 作 用 と活 動 が かれ 自 身 の イ メー ジ と 共有 で き る 部 分が 多 い とし 、 強 い関心 を 寄せ て い る。 こ の 著 作 にお い て シラ ー は 、 人 間と 世 界 とが か か わ る 二種 類 の 意識 状 態 、つま り 、感 覚 ・ 衝動 が 生 を 外 から 規 定 する 「 自 然 の 強制(die Nötigung der Natur)」 と 呼 ばれ る 状態 と、理 性 の論 理 的 法則 に 服し て 生 きる「 精神 の 必然 性(eine geistigen Notwendigkeit)」と 称 さ れ る 状態 と を 区別 す る 10)。その 上 で シラ ー は 、人 間が 、そ れら の 外 か ら 規定 に 支 配さ れ ず 高 みに 至 る「 中 間 的な 意 識 の 状 態(ein mittlerer Bewußtseinszustand)」11)を 自 己の う ち に開 発 で き ると 考 えて い る。そ れ が、か れの 言 う「 美 的 気分(ästhetische Stimmung)」12)であ る 。しか も 、そ う し た 高 み と 重 な り を も つ 中 庸 的 な 意 識 状 態 と し て の 美 的 気 分 を 醸 成 す る た め に は 、 欲 求 ・衝 動 の 浄化 と「 思 考 その も の とし て 体 験 す る(als Gedanken selbst erleben)」13)こ と が 必要 と さ れ る 。 こ うし た 知 情意 の 純 化 体 験 を 経 た 美的 気 分 に お いて 、「 理 性は 感 性 と の 内的 な 結 合 に 到 達 する」

14)と 考 えら れ た。 し か も、 こ うし た 状 態に お い て、 本能 は 精 神性 を 帯 びて い る ため 、「 善 が本 能 とな る」15)と い う。 シ ラー は、 こ の 意識 状 態 を、「 人 間が 美 的 作 品 を体 験 し たり 生 み 出 した り する こ と ので き る 心 的 状態 」16)と 考 え 、シ ュ タイ ナ ー は 、そ の 美 的 な意 識 状 態を 、教 育 を通 し て開 発 す るこ と が、「 人 間の う ち に真 の 人 間 性 を蘇 生 さ せる 道 」17)で ある と 考 えた の で あ る。

そ して 、 こ のシ ラ ー 的 な 美的 体 験 の教 育 化 こ そ が、 シ ュ タイ ナ ー の 「 教育 術 」 とい え る 。

(8)

さ らに 、 以 上み て き た 工 科大 学 時 代に お け る シ ュタ イ ナ ーの 取 り 組 み のう ち 、 研究 活 動の面 で 特筆 し て おく べ き こ と があ る 。そ れ は、か れ の ゲー テ 自 然科 学 研 究 で あり 、この 研 究 は当 時、

学 術的 に 高 く評 価 さ れ る こと に な る。

シ ュタ イ ナ ーは 21歳 の と き(1883年) 、 キ ュ ル シュ ナ ー(Kürschner, Joseph)に よ って その 才 能を 見 い だ さ れ、 か れ の編 集 と な る 叢書 版 『 ドイ ツ 国 民 文 学(Deutscher Nationalliteratur)』 の 「ゲ ー テ 自然 科 学 論 文 集(Goethes naturwissenschaftliche Schriften)」 の 序文 執 筆 と著 作 の 校訂 を 依頼 さ れ た。さ ら に 、1890年 に は ワイ マ ー ル に移 り 、当地 に あ る ゲ ーテ ・シ ラ ー 文庫(Goethe- und Schiller- Archiv)に 勤 めつ つ 、ゾフ ィ ー 版『 ゲー テ 全 集(Goethes Werke)』の 編集 に あ た る。

こ うし た 15年 にわ た る 研 究 の 功 績 によ っ て シ ュ タイ ナ ー は、こ の時 期、ゲ ー テの 自 然 科学 や 認 識 論に 精 通 する 「 ゲ ー テ 研究 者 」 とし て の 地 位 を確 か な もの と し て い った 。 し かし 、 そ の一方 で 、こ の よ うな 科 学 ・ 認 識論 研 究 とは 別 に 、 ウ ィー ン 工 業高 等 専 門 学 校 入 学 時 に抱 い て いた 教 育 への 情 熱 は、 こ の 時 期 、対 外 的 に顕 著 な 事 績 とし て 形 を留 め る こ と なく 、 め ざし て い た教職 資 格も 取 得 され る こ と は なく 、 か れは1883 年 に 大学 を 去 って い る 。

他 に、この 工 科 大学 時 代 に、不 可視 な 本 質を 自 己 の うち で 確 かな も の と す るで き ご とと し て、

シ ュタ イ ナ ーが「 秘儀 精 通 者(Eingeweite)」と 呼 ぶ 薬草 売 り や、ふ たり に 連 れ立 つ「第 三 者(Dritter)」 と 称さ れ る 精神 界 に 通 じ た 人 物 と の出 会 い が あ げら れ る 18)。こ の よ う な他 者 と の精 神 体 験の共 有 は 、 ウ ィ ー ン 滞 在 期 後 半 に 、 マ リ ー ・ラ ン グ(Lang, Marie)が 主 催 す る サ ー ク ル で の 神 智 学

(Theosophie)メ ン バ ーと の出 会 い を通 し て 新 た に発 展 し てい く 。ま た 、こ の サ ーク ル に お いて シ ュタ イ ナ ーは 、 神 智 学 派と は 別 に、 ラ ン グ の 紹介 で 、 最大 の 内 的 共 感を 抱 い たと す る ローザ

・マ イ レ ーダ ー(Mayreder, Rosa)と知 り 合 い、彼 女の 作 品 に、「 個人 的 な生 の 発 展(individuelle Lebensentfaltung)」や「 客 観世 界 へ の 専 心 的( 無 私 )な 没 入(hingebende Vertiefung in die objective Welt)」と い う調 和 的 人 間 形成 の 形 とエ ッ セ ン ス をみ て と るこ と に な る( た だ し、認 識 射程 を、

科 学的 見 方 から 純 粋 な 精 神世 界 の 体験 に ま で 拡 張す る シ ュタ イ ナ ー の 主張 は 、 彼女 に は 受け入 れ がた い も のと さ れ た )19)

さ らに 、1896 年、 ワ イ マ ール で ゲ ーテ 全 集 の 編 纂 を 終 え たシ ュ タ イ ナ ーは 、 翌 1897 年にベ ル リン に 移 動し 、1900 年 まで 『 文 芸雑 誌(Magazin für Literatur)』 の 編 集に あ た る。 そ の 間 、

「 自由 文 芸 協会(Freie literarische Gesellschaft)」「 自由 演 劇 協会(Freie dramatische Gesellschaft)」

「 ジョ ル ダ ーノ・ブ ル ー ノ同 盟(Giordano Bruno-Bund)」等 の 文化 的 サ ー クル に か かわ る 一 方 、 1900年 に は 後に シ ュ タ イ ナー の 社 会運 動 を 支 え る団 体「 来 る べき 人 々(Die Kommenden)」とも 関 係を も つ よう に な る 。 さら に 、 この 時 期 に は 、 以 前 出 会っ た 神 智 学 派と 実 質 的な か か わりを も つに 至 り 、1902年 に は 神智 学 協 会(Theosophische Gesellschaft)の ド イ ツ支 部 事 務局 長 の 任 に 就 いた 。 こ の神 智 学 を 通 して 、 シ ュタ イ ナ ー は 自ら の 世 界観 を 、 古 代 から 連 綿 とつ づ く 神秘学 の 叡智 で 補 強し て い く こ とに な る 。た だ し 、 か れの 精 神 科学 は 、 形 而 上的 見 霊 的な 神 秘 主義と は 一線 を 画 す。 か れ の 立 場は 、 一 貫し て 、 「 現 代の 公 認 され た 科 学 か ら出 発 し て精 神 的 なもの の 体験 へ と 上昇 す る 方 法 」20)が支 持 さ れ 、理 論 はそ の 視 点か ら 構 成 さ れて い っ た(1913年 の神 智 学協 会 と の決 別 と 独 自 の人 智 学 協会 の 設 立 も また こ の 立場 の 徹 底 に 由来 す る )。

2 . 教 育 者 と し て の シ ュ タ イ ナ ー

以 上み て き た科 学 ・ 認 識 論哲 学 へ の強 い 興 味 に 加え 、 シ ュタ イ ナ ー は 早期 か ら 教育 へ の関心 を 抱き 、獲得 し た 自然・人 間認 識 を 基盤 に 、理 論 的実 践 的 なか か わ り を 深め て い くこ と に な る。

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と りわ け 、教 育 実 践の 営 みは 、かれ の 自 伝に よ れば 、実科 学 校 に通 っ てい た 15歳 の時 か ら 始 ま った と さ れる 。 シ ュ タ イナ ー は 、当 時 、 教 師 から の 依 頼を 受 け 、 学 業が 遅 れ てい る 同 学年や 年 下の 生 徒 のた め に 補 習 授業 の ア ルバ イ ト を お こな っ て いた 。 か れ は 、教 え る 立場 に 立 つこと で 、教 育 上 のあ る 理 解 に 達し た と いう 。 か れ は その 気 づ きを 、 「 教 材 に対 す る 目覚 め 」 と称し て いる21)。そ こで の 教 育 は、これ ま で 自分 が 受 けて き た 白昼 夢 的 で 味 気の な い 受動 的 な 授 業と 異 なり 、 知 識や 学 び 自 体 を、 自 己 の内 部 で 活 性 化さ せ 、 生気 の あ る 覚 醒し た 状 態へ と 転 換させ る 教育 的 営 為を 意 味 す る もの と さ れ た 。

さ らに 、 シ ュタ イ ナ ー は 、 ウ ィ ー ン工 業 高 等 専 門学 校 時 代に も 生 徒 た ちの 補 習 授業 を つづけ て いく 。 な かで も 、 か れ にと っ て 重要 で あ っ た のは 、 ギ ムナ ジ ウ ム ( 9年 制 の 普通 科 進 学コー ス)の 生 徒に 対 す る補 習 であ っ た とさ れ る。シ ュタ イ ナ ー自 身 は 父 親 の希 望 で、ア ビ トゥ ア( 大 学 入学 資 格 試験 ) 受 験 の ため の 幅 広い 教 養 を 身 につ け る こと が で き る ギム ナ ジ ウム に 進 むこと が かな わ ず 、就 職 後 の 出 世を 視 野 に実 科 学 校 へ の進 学 を 余儀 な く さ れ た。 そ れ ゆえ 、 ギ リシア 語 やラ テ ン 語を は じ め と する 教 養 科目 を 深 く 体 系的 に 学 ぶこ と が で き てい な か った 。 し たがっ て 、こ の 期 間に 自 身 が お こな っ た ギム ナ ジ ウ ム の生 徒 へ の個 人 授 業 は 、 か れ に とっ て 、 その全 課 程を 教 授 的な 側 面 か ら 追体 験 す るよ い 機 会 に なっ た と いう 。 し か も 、こ こ で の補 習 授 業もま た 、無 味 乾 燥な 事 実 の 説 明に 終 始 する も の で は なく 、 「 人間 の 思 考 の なか に 現 実に わ た したち が かか わ る 精神(realer Geist)が 働い て い ると い うこ と を 、ど の 程 度 ま で証 明 で きる か 」22)と い う 生き た 知.. . .

への 関 心 に 基 づ き 、 こ れま で の 科 学・哲 学研 究 を ふま え 綿 密 に構 想 さ れた 。

工 科大 を や めた 後 も 、 シ ュタ イ ナ ーは ひ き つ づ き ウ ィ ー ンに と ど ま り 、 ラ イ ト リン ガ ー教授 の 紹介 等 で 家庭 教 師 の 職 を得 て 個 人授 業 を つ づ けて い く 。

と りわ け 、 将来 、 教 育 思 想や 教 育 実践 を 展 開 す る シ ュ タ イナ ー に と っ て 重 要 な 体験 と なった の は、1884 年 か ら 1890 年 に か けて お こ なわ れ た ウ ィ ー ンの シ ュ ペ ヒ ト家 で の 家庭 教 師 の 仕事 で あっ た と され る 。 そ こ でシ ュ タ イナ ー は 、 四 人の 子 ど もた ち を 教 え るが 、 そ のう ち 年 長の三 人 につ い て は小 学 校 の 授 業の 予 習 や中 学 校 の 授 業の 補 習 をお こ な っ た が、四番 目 の 重い 障 害(水 頭 症) を 患 う子 ど も に 対 して は 、 一切 の 教 育 が シュ タ イ ナー に 任 さ れ るこ と に なる 。 な ぜなら ば 、か れ は 10 歳 前 後 で あっ た が 、疾 患 の た め わず か な 学業 の 負 荷 に も耐 え ら れず 、 学 校教育 で 、読 み・書 き・計 算 の 初 歩さ え 身 につ け る こ と がで き な かっ た か ら で ある ( 信 頼の も と シュタ イ ナー に 家 庭教 師 を 依 頼 した 両 親 では あ っ た が 、子 ど も のこ う し た 状 況か ら 、 当初 は 、 この子 へ の教 育 は 不可 能 で は な いか と さ え考 え て い た とい う ) 。

シ ュ タ イ ナ ー は 、 そ の 子 と の 初 見 で 、 か れ の 心 に 、 「 睡 眠 に も 似 た 状 態(ein schlafähnlicher Zustand)」23)を感 じ と っ てい る 。そこ で 、シ ュ タイ ナ ー は、少 年 の 心 身の 状 態 にふ さ わ し い教 育 を施 す に あた り 、か れ のう ち に 眠り ま ど ろ ん でい る 能 力を 覚 醒 さ せ る「特 別 の 方法(besondere Methoden)」24)を 見 い だ す こ と に 努 め て い く 。 そ れ は 、 精 神 的 身 体 的 な 力 の 緊 張 を 最 小 限 に 抑 え た上 で 最 大限 の 能 力 を 引き 出 す 教材 や 教 育 方 法の 開 発 、そ し て 時 間 割の 設 定 とし て 形 をなし て いく こ と にな る 。 シ ュ タイ ナ ー はこ う し た 心 身の 深 み を配 慮 し た 教 育実 践 の プロ セ ス を通じ て 、生 理 学 と心 理 学 の 知 見を 深 め 、こ の 時 期 、 人間 に お ける 精 神 的 心 的な も の と身 体 的 なもの と の関 連 に 開眼 し た と い う 25)。そし て 、この よ うな 深 い 洞察 に 基 づ く 継続 的 な 試み の 結 果 、シ ュ タイ ナ ー は、「 教 育 と 授業 は、現 実 の人 間 認 識に 基 礎 を置 く、ひ と つの 術(Kunst)とな ら ね ば な ら な い 」26)と い う 確 信 に 至 る こ と に な る 。 シ ュ タ イ ナ ー に よ っ て 教 育 さ れ た そ の 少 年 は 、

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シ ュタ イ ナ ーの 教 育 力 を 裏づ け る かの よ う に 、 その 後 、 ギム ナ ジ ウ ム への 進 学 を果 た し 、 自立 の めど が 立 つ第 八 学 年 ま での 教 育 サポ ー ト を 経 て、 卒 業 後医 学 部 に 進 学し 医 者 とな っ た 。

シ ュタ イ ナ ーは 、 こ の シ ュペ ヒ ト 家 と そ こ で の 生活 に つ いて 、 自 ら に とっ て 「 唯一 望 ましい 環 境. .

27)と 述 べ 、ここ で の愛 情 に 満ち た「 美 し い共 同 生 活(eine shöne Lebensgemeinschaft)」28) の 形成 が 、 自ら の 多 年 の 思想 形 成 を強 く 支 え 、 自身 の 理 念を 強 め 広 げ てく れ た と、 処 女 作『真 理 と科 学(Wahrheit und Wissenschaft)』の 序文(1891 年12月 初 旬)に おい て 感 謝の 念 で も っ て 強 調的 に 語 って い る 29)

シ ュタ イ ナ ーは 、 こ の 家 庭教 師 の 後、 ワ イ マ ー ルで の ゲ ーテ 全 集 の 仕 事 (1890 年 ~1897 年)

を はさ み 、 さら に 、 ベ ル リン に 移 って 、 ふ た た び教 育 の 仕事 に 携 わ る こと に な る 。 そ れ は、リ ー プク ネ ヒ ト(Liebknecht, Wilhelm)に よ って 創 設 され た 労 働者 教 養 学 校(Arbeiterbildungsschule) で の 教 育 の 仕 事 で あ っ た 。 シ ュ タ イ ナ ー は 、 こ の 学 校 の幹 部 に よ っ て 、 教 師 に な る こ とを 依 頼 さ れ、六 年間 、そ の 学 校 の 歴史・朗 唱 術(Redeübungen)の 講 座の 教 師 と して 労 働 者の 教 育 に あた っ た。 こ こ での 教 育 体 験 を通 し て 、シ ュ タ イ ナ ーは 、 プ ロレ タ リ ア ー トの 精 神 的欲 求 を 感じと り、そ れに よ っ てか れ の う ちで 教 育 と労 働 運 動 と がひ と つ の線 と し て 結 ばれ て い った と さ れ る。

加 えて 、こう し た 活動 と 並行 し て、シ ュ タイ ナ ーは 、この 時 期、ニ ー チェ(Nietzsche, Friedrich Wilhelm)や ヘ ッ ケ ル(Haeckel,Ernst Heinrich Philipp August)を は じ め 、 ブ レ ン タ ー ノ

(Brentano,Franz)、シ ェ ーラ ー(Scheler,Max)、カン デ ィ ンス キ ー(Kandinsky,Wassily)、シ ュ バ イツ ァ ー(Shweitzer, Albert)と の豊 か な 交流 関 係を も ち 、思 索 探 求 に も努 め て いく 。

3 . シ ュ タ イ ナ ー 教 育 思 想 の 表 明 と 社 会 三 層 化 運 動 の 展 開

こ こで は 、 シュ タ イ ナ ー が自 ら の 教育 思 想 を 表 明し 実 践 へと 踏 み 出 す 過程 と 、 それ を 後押し し た社 会 運 動に つ い て み てい き た い。

科 学・哲学 へ の 理論 的 関 心 や教 育 実 践を 経 て 、 シ ュタ イ ナ ーが 自 己 の 教 育思 想 に つい て 具 体 的 に言 及 を 始め る の は 、1906 年 に おこ な わ れ た ケル ン で の「 精 神 科 学 の観 点 か らみ た 子 ど も の 教育(Die Erziehug des Kindes vom Standpukt der Geisteswissenschaft)」 (1906.12.1)や ベ ル リ ン で の「 精 神 科学 の 観 点 か らみ た 学 校問 題(Schulfragen vom Standpunkt der Geistsewissenschaft)」

(1907.1.24 )等 の 公開 講 演か ら で ある 。 こ れ ら の速 記 録 は、 「 わ た し たち の 時 代に お け る 超 感 覚 的な も の の認 識(Die Erkenntnis des Übersinnlichen in unserer Zeit)」 と 題し て 他 の講 演 録 と い っ しょ に 『 ルド ル フ ・ シ ュタ イ ナ ー全 集(Rudolf Steiner Gesamtausgabe)』(Bibliographie-Nr.55) に 収め ら れ てお り 、 と り わけ 、 前 者の 講 演 録 は 現在 に お いて も シ ュ タ イナ ー に よる 最 初 の体系 的 な教 育 論 とし て の 位 置 づけ が な され て い る 。 この 「 精 神科 学 の 観 点 から み た 子ど も の 教育」

に 関し て は 、講 演 録 と は 別に 、 シ ュタ イ ナ ー 自 身が そ の 内容 を 加 筆 ・ 修正 し た 論文 が 雑 誌『ル シ ファ ー ・ グノ ー シ ス(Lucifer-Gnosis)』(1907)に 転載 さ れ てい る 。 さ らに 、 こ の雑 誌 に 書 き 下 ろし た 論 文版 は 、 神 智 学協 会 の 機関 誌 『 セ オ ソフ ィ ス ト(Theosophist)』 にも 掲 載 され 、1911 年 には 単 著 とし て 英 訳 版 が出 さ れ てい る 。

この よ う に、1900年 代 初頭 に か けて 表 明 さ れ たシ ュ タ イナ ー の 教 育 論は 、第一 次 世 界大 戦を 経 て、 か れ の壮 大 な 社 会 改革 理 念 のも と 具 体 化 して い く こと と な る 。 かれ は 、 当時 の ド イツ社 会 の疲 弊 や 混迷 の 原 因 を 、 こ の 時 代に 趨 勢 を 占 めて い た 唯物 論 的 ・ 功 利主 義 的 認識 や 問 題のあ る 社会 制 度 にみ て い た 。 その う ち 社会 シ ス テ ム につ い て 、か れ は 、 い びつ な 形 で干 渉 し 合って い た生 活 領 域と 原 理 に 問 題を 見 ( たと え ば 、 道 徳を 配 慮 しな い 経 済 の 競争 主 義 原理 が 法 ・政治

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領 域や 教 育 など の 精 神・文化 領 域 に干 渉 し て し まっ た こ と )、「 精 神 生活 に と って の 自 由(die Freiheit dem Geistesleben)」、「 法 生 活 にと っ て の平 等(die Gleichheit dem Rechtsleben)」、「 経 済 生活 に と って の 友 愛(die Brüderlichkeit dem Wirtschaftsleben)」 とい う 三原 則 の もと 有 機 的 に 再 構成 す る 「社 会 有 機 体 の三 層 化(Die Dreigliederung des sozialen Organismus)」 論 を1917 年 に 定 式化 す る こと で 、 新 た な理 想 の 範型 を 示 そ う と し た 。

こ うし た 社 会有 機 体 の 三 層化 に 関 する 見 方 は 、ハ イン ツ・ク ロ ス(Kloss Heinz)に よ れ ば 、シ ュ タイ ナ ー 以前 で は 、 国 家生 活 の 平等 原 理 や 精 神生 活 の 自由 原 理 ( 神 と人 を 結 びつ け る 創造的 自 由)を説 く デ ュー リ ン グ,E.(Dühring, Eügen)や サ ン ティ ー ブ・ダ ルヴ ェ ー ドル(d'Alveydre, St.Yves)30)、 社 会的 行 為 の三 部 門( 「 経済 ・ 支 配・ 教 育行 為 」) を 区 別し 、 とり わ け 教育 行 為 の 意義 に「他 律 か ら自 律 に導 く こ と」を みる ナ トル プ ,P .(Natorp, Paul Gerhard)31)、そ し て 、 自 然の 三 層 化 (下位 Niederes、同等 Gleiches、上位 Höheres)の も と に 国 家の 有 機 体的 結 合 を 説 く ロシ ア の 思想 家 ソ ロ ヴ ィヨ フ , W.(Solovyeff, Wladimir Sergeyevich)のう ち に みら れ る と さ れ る 32)。な かで も 、筆 者 の調 査 33)に よ れば 、ロ シア を 代 表す る 思 想 家 であ る と 同時 に 神智学徒 でもあったソ ロ ヴ ィ ヨ フ の 思 想 に 関 し て は 、 シ ュ タ イ ナ ー の 社 会 三 層 化 運 動 を 支 え 現 実 化 すべ く 創設 さ れ た経 済 事 業 体「 来 た る べき 日(der Kommende Tag AG.)」の 出版 活 動 と直 接 的 な 重な り をも ち 、 シュ タ イ ナ ー 派の 関 心 と受 容 が 確 認 され る 。 具体 的 に 、 そ の関 係 は 、『 善 の 基礎づ け(Die Rechtfertigung des Guten)』(Der Kommende Tag A.G Verlag, Stuttgart 1898)を は じめ と す る か れの 主 要 著作 へ の 注 目 やド イ ツ 語版 選集(1921 年 )の 出 版 として形をなし、それらはシュタ イナー派の哲 学・人 智 学 叢書 の う ちに 位 置 づ け られ て い る 。実際、シュタイナー自身、これらの 思想や社会理論に共鳴し、そのドイツ語版「ソロヴィヨフ選集」第 3巻『神人性についての 12講

Twölf Vorlesungen über das Gottmenschentun)』(Köhler(Hrsg): Wladimir Solovyeff Ausgewählte Werke / BandⅢ. Der Kommende Tag A.G Verlag, Stuttgart 1921)中に、編者のケーラーとならんで序文を寄 せている。ただし、そうしたソロヴィヨフ思想への接近にもかかわらず、ソロヴィヨフによる自 然の三区分(下位:地、同等:人、上位:天)や国民経済連合の構想とシ ュタ イ ナ ーの 区 分(精 神 文化 = 自 由、 法 政 治 = 平等 、 経 済= 友 愛 ) と の間 に 厳 密な 理 論 上 の 一致 を 見 いだ す こ とはむ つ かし く 、 社会 三 層 化 に 至る 具 体 的な 方 法 論 を 含め 、 シ ュタ イ ナ ー 独 自の 見 方 がそ こ に 表れて い るも の と 考え ら れ る( ソロ ヴ ィ ヨフ が 功 利 的 な物 質 信 仰を 否 定 し 、「 羞 恥 Schamの 感 情(欲 望・下 位) 」 に 基づ く 節 制 を道 徳 的 本務 と し て い る 点 は 理 論的 な 親 和 性 をも つ も のと い え る )。

さ らに 、 シ ュタ イ ナ ー に よる こ の 社会 三 層 化 構 想は 、1919 年 に 至 り 、 著書 『 現 在お よ び 将 来 の生 活 に とっ て 急 務 の 社会 問 題 の核 心(Die Kernpunkte der sozialen Frage in den

Lebensnotwendigkeiten der Gegenwart und Zukunf)』 (1919)の 公 刊、 フ ィ ヒ テの 「 ド イツ 国 民 に 告 ぐ(Reden an die Deutsche Nation)を 彷彿 さ せ る 「 ドイ ツ 国 民と 文 化 世 界 へ!(An das deutsche Volk und an die Kulturwelt!)」 と い うメ ッ セ ー ジ の発 信 、 社会 三 層 化 同 盟 の 設 立( 作 家 の ヘ ル マ ン ・ ヘ ッ セ [Hesse, Hermann] や ハ イ デ ル ベ ル ク 大 学 の ハ ン ス ・ ド リ ー シ ュ [Driesch, Hans: 吉 田 熊 次 の 思 想 に 影 響 ] ら の 支 援 )を経 て 、 本格 的 な 社会 三 層 化運 動 と し て 展開 さ れ てい く 34)

そ して 、 そ の運 動 の う ち 、精 神 生 活の 自 由 ( 教 育は こ の 精神 文 化 領 域 に含 ま れ る ) を 実現す る 一環 と し て、 そ の 年 の 4月 23日 に 、シ ュ タ イ ナー は 、 シュ ト ゥ ッ ト ガル ト に ある ヴ ァ ル ド ル フ・ ア ス トリ ア た ば こ 工場 の 労 働者 や 一 般 の 職員 の 前 で、 プ ロ レ タ リア ー ト へ の 教 育 の必要 性 を説 く こ とに な る 。 こ の工 場 の 経営 者 に し て 、シ ュ タ イナ ー 思 想 に 共鳴 す る 人智 学 徒 (元神 智 学徒 ) で 商業 顧 問 官(Kommerzienrat: 商 工 業 功労 者 に 与え ら れ た 称 号) で も ある エ ミ ー ル ・

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モ ルト(Molt,Emil)は 、 自社 の 労 働者 の た め に 混迷 す る 時代 を 乗 り 越 える ふ さ わし い 教 育 を 切 望 し、 そ れ をシ ュ タ イ ナ ーに 委 ね たの で あ る 。

早 速、 モ ル トの 意 向 を 受 け、 そ の プロ ジ ェ ク ト を実 現 す るた め 同 社 の 経営 協 議 委員 会 が開催 さ れた 。 し かし 、 委 員 会 が出 し た 方針 は 、 年 を とり す ぎ た労 働 者 た ち 自身 の 教 育よ り も 、将来 を 担う 自 分 たち の 子 ど も の教 育 を 期待 す る 、 と いっ た 子 弟教 育 の 実 現 を要 望 す るも の で あ っ た 。こ の 合 意を 受 け 、 4 月2 5 日 には 、 シ ュ タ イナ ー を 含め た 関 係 者 によ る 第 一回 の 話 し合い が 開か れ 、 労働 者 の 子 弟 のた め の 新た な 学 校 作 りが 着 手 され る こ と に なっ た 。 モル ト は 5月初 旬 に、 の 町 を見 下 ろ す ウ ーラ ン ト の丘 に あ る カ フェ ・ ウ ーラ ン ト ホ ー エを 買 い 取り 、 そ の地を 学 校建 設 予 定地 と し た 。 そし て 、5月 13日 に は 、ヘ イ マ ン文 部 大 臣 に よっ て 、 ヴュ ル テ ン ベ ル ク州 の 学 校法 に 基 づ き 、暫 定 的 では あ る が シ ュタ イ ナ ー学 校 ( ヴ ァ ルド ル フ スク ー ル ) は統 一 学校(Einheitsschule)と し て の設 立 を 認可 さ れた の で ある 。

シ ュタ イ ナ ーは 、 こ の 学 校の 実 際 の指 導 に 当 た る教 員 を 任命 し 、8 月21日か ら 9月5 日 ま で の二 週 間 、教 員 養 成 の ため の 集 中講 習 ( 午 前 「普 遍 人 間学 」 の 講 義 、午 後 「 教授 学 と 教 授 法 」の 講 義 、夜 間 「 演 習 とカ リ キ ュラ ム 論 」 に つい て ゼ ミナ ー ル 形 式 の実 践 的 演習 を 各 14回 分 )を お こ ない 、 実 戦 に 向け た 準 備を 整 え て い った 。 こ れら の 講 義 録 は、 そ れ ぞれ 、 『 教育の 基 礎と し て の普 遍 教 育 学(Allgemeine Menschenkunde als Grundlage der Pädgogik)』(1919

GA293)、 『教 育 術 -方 法 論 的 ・ 教 授法 的 観 点(Erziehungskunst, Methodisch-Didaktisches)』

(1919 GA294)、『 教 育 術- 演 習 協議 と カ リ キ ュラ ム 講 演(Erziehungskunst,

Seminarbesprechungen und Lehrplanvotrage)』 (1919 GA295)とし て 著 さ れ 、1917年 に自 己 の 人 間 学 を詳 説 し た『 心 の 謎 に つい て (Von Seelenrätseln)』と あ わ せて 、 シ ュ タイ ナ ー 教育 の 理 論 と 実 践を 基 礎 づけ る こ と に なる 。 さ らに 、 こ の 集 中講 習 で は、 人 間 学 や 教育 方 法 に加 え 、 シュタ イ ナー が 教 育に お い て も っと も 重 視す べ き と 考 えた 、 「 全人 格 を か け て教 育 へ 没入 す る 態度」

や 、「 教 育 を新 た な 視 点 で捉 え 直 す洞 察 力 」 、 つま り 「 子ど も の 生 と 学び と の 関係( た と え ば 、 休 む こ と 、 注 意 深 く な る こ と 、 努 力 す る こ と 、 忘 れ る こ と 、 思 い 出 す こ と 、 睡 眠 、 健 康 ・ 病 気 等 の 諸 側 面 と 学 習 と の 関 係 な ど )を見 る 目 」 の 獲得 な ど が教 師 教 育 の 核. . . . . .

と し て 伝授 さ れ た

35)

以 上の 準 備 期間 を 経 て 、 シュ タ イ ナー に よ る 社 会三 層 化 運動 の 一 環 と して 、 「 精神 生 活の自 由 」を 教 育 にお い て 実 現 す る 場 と して 、1919 年9月 に シ ュト ゥ ッ ト ガ ルト の 地 に最 初 の 「 自 由 ヴァ ル ド ルフ 学 校 ( シ ュタ イ ナ ーに よ る 学 校 は支 援 し たモ ル ト の 会 社名 に ち なん で ヴ ァルド ル フ学 校 と 呼ば れ る ) 」 が創 設 さ れた 。 幼 稚 園 も、 シ ュ タイ ナ ー の 生 前に グ ル ネリ ウ ス

(Grunelius, Elisabeth M.)に 託 さ れ、 シ ュ タイ ナ ーが 亡 く なっ た 翌 年 に 彼女 の 手 で正 式 に 実 践 が 開始 さ れ る 36)。 創立 当 初の 学 校 は、12人 の 教 師、8クラ ス256 人 の 生徒 で 構 成さ れ 、5年 後 の1924 年 に は 、23ク ラ ス、 教 師 47人、 生 徒 数 784 人 と 規模 を 拡 大 し てい っ た 。さ ら に 、 シ ュ タイ ナ ー によ っ て 蒔 か れた 教 育 の種 は 、 こ の 地を 越 え て広 が り を み せて い く 。 ス イ ス におい て はバ ー ゼ ルで の 長 期 講 座(1920 年代 以 降 開 催 )や ベ ル ンで の 公 立 学 校教 師 に よる 自 由 教 育 連 盟( シ ュ タイ ナ ー 学 校 を模 範 と する ) の 設 立 を通 し て 、イ ギ リ ス に おい て は オッ ク ス フォー ド の招 待 講 演「 教 育 に お ける 精 神 の価 値 」 (1922年 ~24年の 連 続 講 演 )で の 多 大な 反 響 を 受 け 、オ ラ ン ダの ハ ー グ で も「 自 由 学校 」 (1923年 ) と して の 支 持を 得 て、 そ れ ぞれ こ の 派 の 学 校が 開 設 され て い っ た 。ナ チ ス によ っ て 閉 鎖 に追 い 込 まれ る 1938年 の直 前 に はド イ ツ 国 内 外 を含 め 16校 にま で 、 そ の数 は 拡 張し て い た37)

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第二節 自 由への教 育 ・教育術と しての シ ュ タイナー教 育

1 . 自 由 へ の 教 育(die Erziehung zur Freiheit

シュ タ イ ナー は 、 創 設 した ヴ ァ ルド ル フ 学 校 の教 育 目 標を 「 精 神 の 自由 」 の 実現 に 置 き、 そ こ での 教 育 を「 自 由 へ の 教育 」 と 呼ん だ 。 本 節 では 、 そ うし た 「 自 由 への 教 育 」の 内 実 を、シ ュ タイ ナ ー が構 想 し た 人 間学 と の かか わ り に お いて 発 達 的視 点 か ら 描 出し て み たい 。

( 1 ) 心 身 の 理 解

シ ュタ イ ナ ーは 、人 間 の本 質 上 の 基 本 構 成 を 、「 物質 身 体(Physischer Leib)」「 心(Seele)」

「 精神(Geist)」と し 、そ れら の 有 機的 連 関 を 配 慮す る「 人 間有 機 体 の 三分 節 説 」を唱 え た 38)。 そ こに お い て心 的 作 用 は 、思 考 ・ 感情 ・ 意 志 の 三つ に 分 類さ れ 、 そ れ ぞれ 特 有 の身 体 的 連関を 有 する も の と考 え ら れ た 。と り わ け、 意 志 は 、 かれ の 生 理学 的 洞 察 に 基づ け ば 、 新 陳 代 謝組織

- 運動 系 ( 四肢 ) と 関 連 し、 行 為 に直 接 的 に か かわ る も のと さ れ た 。 感情 は 、 共振 す る 形であ ら ゆる リ ズ ム的 な も の に 結び き 、 呼吸 - 血 液 循 環組 織 ( 胸) を 介 し て 、意 志 ほ ど直 接 的 ではな い が行 為 に 影響 を 与 え る とい う 。 思考 は 、 シ ュ タイ ナ ー にと っ て 二 つ の方 向 性 をも つ も のとし て 語ら れ る。ひ と つは 、事 物 の 対象 化 を 可能 に する 抽 象 的で 操 作 的 な 表象 作 用 であ り 、そ れ は、

身 体的 に は 神経 感 覚 組 織 (頭 ) と かか わ り 、 感 覚に 制 約 され た 表 象 ( 似像 と し ての 世 界 内容)

を 手に 入 れ る一 方 、 付 随 する 神 経 への 過 剰 な 刺 激 に よ っ て目 に 見 え な い反 感 を 助長 す る ものと 考 えら れ た 。い ま ひ と つ は、 意 志 とイ マ ジ ネ ー ショ ン を 伴う 内 観 に ね ざし た 創 造的 共 感 的な思 考 であ る 。こ の 内 発的 な 共感 的 思 考に よ っ て 、わ た し たち は 意 志と 感 情を 伴 っ て事 物 に 沈 潜 し、

い きい き と した 個 別 具 体 的な 表 象 を描 く こ と が でき る と いう 。 そ し て 、こ の 内 発的 な 創 造的思 考 は、 徹 底 した 観 察 に 基 づく 客 観 的思 考 と の 総 合を は か るメ タ 認 知 的 な内 観 的 思考 を 通 して、

真 の原 像 と して の 世 界 内 容 に 近 づ きう る と さ れ る 。

し かし 、 現 代の 教 育 は 、 意志 や 感 情 を 介 さ な い 抽象 的 な 表象 活 動 を 配 慮な く 推 し進 め る傾向 が あり 、そう し た 学習 は、自 己 と世 界 と の生 き 生き と し た密 な る 結 び つき を 弱 め る こ と に な る、

と シュ タ イ ナー は 危 惧 す る。 し か も、 こ の 偏 っ た対 象 思 考を 通 し て 、 反感 は 増 長さ れ 、 学びの 動 機そ の も のが 低 下 し て いく 。 そ の 結 果 、 学 び の対 象 と して の 世 界 と 自己 自 身 との 密 接 な連関 が 失わ れ 、 利己 的 な エ ゴ が助 長 さ れ、 自 己 の 行 為に 対 す る誠 実 な 責 任 は顧 み ら れな く な るとい う 。そ れ ゆ え、 シ ュ タ イ ナー 教 育 では こ の よ う な弊 害 を 回避 す る た め 、ホ リ ス ティ ッ ク な心身 理 解の も と 、対 象 思 考 は 、自 我 の 発達 を 配 慮 し て、 し か も、 自 己 の 内 側か ら 発 せら れ る イマジ ネ ーシ ョ ン と情 意 を 伴 う( 芸 )術 的 営 為で も っ て 補わ れ 浸 され つ つ 発 展 させ ら れ るこ と に な る。

では 、 以 下、 各 心 的 作 用に 注 目 して 、 よ り 具 体的 に 、 シュ タ イ ナ ー 教育 が 描 く発 達 の 観点か ら 解説 し て みよ う39)

( 2 ) 思 考 の 発 達

シュ タ イ ナー に よ れ ば、思 考 は、対 象か ら 来 る 印象 を 意 識に の ぼ ら す こと で 表 象像 を 獲 得 し、

そ れら 刻 印 され た 諸 表 象 を過 去 の 記憶 表 象 も 含 めて 比 較 ・構 成 す る こ とで 概 念 が形 成 さ れると い う。具体 的 に は、こ の プロ セ ス は、表象(Vorstellung)→ 反 感(Antipathie)→ 記憶(Gedächtnis)

→ 概念(Begriff)と い う 経緯 を た どる と さ れ る 。この 過 程 に「 反感 」が かか わ る こと に つ い て、

か れは つ ぎ のよ う に 解 説 して い る 。

シュ タ イ ナー の 説 明 に よる と 、 まず 、 こ の プ ロセ ス の 最初 に 感 覚 を 通し て 無 自覚 的 な 印象像 と して の 表 象が 生 じ る と され る 。 つぎ に 、 対 象 を自 覚 す るこ と で 対 象 視的 な 思 考が 関 与 し始め る こと に な る。 そ の と き 、 「 反 感 」が 心 の 根 底 に生 じ る と い う 。 こ の 事態 は 、 たと え ば 、抽象

(14)

的 で分 析 的 な思 考 が わ た した ち に 与え る 影 響 を 考え て み るこ と で 理 解 でき る 。 疑わ し い ものを 排 除し 、 求 める も の を 選 り分 け る 懐疑 と 捨 象 の 営み.. . . . . ..

を 長 時間 つ づ け た 場合 、 ひ とは ひ ど く疲れ 消 耗す る こ とに な る 。 こ の現 象 は 、シ ュ タ イ ナ ーに よ れ ば、 抽 象 的 な 認知 活 動 がも つ 「 反感作 用 」と 「 神 経感 覚 組 織 」 との 連 動 に由 来 す る と され る 40)

さら に 、 感覚 ・ 神 経 を 通じ て そ うし た 反 感 の 力が 十 分 に強 く な る と 内面 化 し た 記 憶 像 がもた ら され る と いう 。 そ れ ら の像 な ら びに そ の 像 を 生ぜ し め る働 き が 一 般 に「 記 憶 」と い わ れる。

そ して 、 そ の蓄 積 さ れ た 諸記 憶 像 を、 悟 性 の 力 によ っ て 言葉 に 還 元 ・ 構成 し た もの が 「 概念」

と 呼ば れ る 。し か も 、 シ ュタ イ ナ ーに よ れ ば 、 この 記 憶 形成 プ ロ セ ス に伴 う 反 感こ そ が 、自我 意 識(Selbstbewußtsein)形 成の 表 徴 でも あ る さ れ る 。そ の こ とを 、か れ は 、「 わた し た ちが 意 識 下 に反 感 を もつ こ と に よ って 環 境 と自 分 を 区 別 する こ と がで き る と い う事 情 が 、自 己 が 他者と 区 別さ れ た 存在 で あ る と いう 個 的 人格 意 識(Personlichkeitsbewußtsein)を生 み 出 して い る」41)と 解 説す る 。 つま り 、 こ の 個我 の 意 識に 始 ま る 「 自覚 」 に 基づ く 対 象 ( 概念 ) 化 作用 を 通 じて物 理 的な 因 果 関係 が 解 き 明 かさ れ る だけ で な く 、 「わ た し 」と い う 個 的 な人 格 意 識も ま た 明瞭と な って い く と考 え ら れ た ので あ る

つ づい て 、 こう し た 対 象 化と 主 客 の分 化 を 特 徴 とす る 感 覚的 認 識 の 次 元は 、 よ り高 次 の内観 的 な純 粋 思 考体 験 ( 自 我 の純 化 と 拡張 ) を 経 て 、モ ラ ル 実現 に 不 可 欠 な主 客 合 一の 認 識 視点を 漸 次獲 得 し てい く こ と に なる 。 具 体的 に 、 そ の 思考 形 態 は、 シ ュ タ イ ナー が エ ーテ ル 体

(Ätherleib)と呼 ぶ 内 的 な 「生 命 形 成力 体 」 に か かわ る 創 造的 認 知 と し ての イ マ ギナ ツ ィ オ ン

(Imagination) に 始 ま り、 自己 省 察 を深 め る な か で肉 体 的 な制 約 か ら 次 第に 開 放 され る こ と で 、よ り 高 次の 内 的 直 観 であ る イ ンス ピ ラ ツ ィ オン(Inspiration) に 至 り 、 そ れを経 て 、 さ ら に 個 的自 我 と 宇宙 的 自 我 と の同 一 体 験を 可 能 と す る究 極 の 思考 様 態 で あ るイ ン ト ゥ イ ツ ィ オ ン

(Intuition)へと 達 す る と され る 。 そし て 、 こ の 「直 観 的 思考 体 験(intuitives Denkerlebnis)」 の もと で 実 現さ れ る 思 考 こそ が 「 精神 の 自 由 」 を真 に も たら す 、 「 感 覚か ら 自 由な 思 考

(sinnlichkeitsfreires Denken)」と 称さ れ る ので あ る (Intutionは 、 通 常 、 推論 を 越 えた 本 質 直 観 をさ す 「 直覚 」 と い う 訳語 が 用 いら れ る が 、 シュ タ イ ナー の 場 合 、 思考 の 連 続的 な 質 的深ま り の先 に 達 せら れ る 高 次 の内 観 作 用を 意 味 す る ので 、 こ こで は 「 直 観 」あ る い はそ の ま ま「イ ン トゥ イ ツ ィオ ン 」 と 訳 する こ と にす る ) 。 た だし 、 注 意す べ き 点 は 、そ の 直 観的 な 高 次の思 考 作用 は 単 独で そ の 自 由 を獲 得 す るの で は な く 、共 感 的 で内 発 的 ・ 創 造的 な 意 志の 作 用 や高次 の 感情 作 用 と融 合 し て は じめ て 自 由を 実 に し て いく と 考 えら れ て い る 。こ れ に つい て は 、 意志 と 感情 の 発 達の 項 で 確 認 した い 。

( 3 ) 意 志 の 発 達

思 考が 外 な る所 与 と か か わっ て 内 在す る 本 質 を 論理 的 あ るい は 創 造 的 に描 き 出 すの に 対し、

意 志は 内 な る衝 動 に 根 拠 をも つ 。 また 、 思 考 が その 高 次 化に 際 し 対 象 視的 な 分 析・ 抽 象 作用の 過 程で 神 経 組織 と か か わ り「 反 感 」を 伴 う の に 対し 、 意 志は 自 己 の 内 発的 な 志 向性 ・ 創 造性に ね ざし 四 肢 の活 動 を 含 め た行 為 へ とス ト レ ー ト にか か わ るた め「 共 感(Sympathie)」を本 質と す ると い う 。こ の こ と は 、わ た し たち が 生 き 生 きと 行 為 す る 状 況 を 想 像し て み るこ と で 理解さ れ る。 そ う した 状 況 で は わた し た ちの 内 に 興 味 ・関 心 に 貫か れ た 「 意 志」 が 働 いて い る ことが 分 かる 。 意 志は 自 己 の 内 的な 衝 動 ( 発 展 す る と 決意 に 至 る) に ね ざ す ため 、 そ れに 基 づ く行為 は 生き 生 き とし た も の と なっ て い く。反 対に 、意 志に 反 し て い や い や. . . .

お こな う こ とが つ づ く と、

力 動的 な 生 の力 ( 生 き る 力) は 確 実に 弱 ま っ て いく 。 早 期か ら 抽 象 的 な認 知 能 力だ け を 指標に

(15)

評 価さ れ つ づけ た 青 年 た ちが 無 気 力・ 無 関 心 ・ 無感 動 と なる ゆ え ん も ここ に あ る。

そ うし た 意 志に 付 随 す る 共感 的 な 心性 は 、 十 分 に強 ま る と創 造 的 想 像 力と し て の「 フ ァンタ ジ ー(Phantasie)」を 呼 び 起こ し 、そ れが 自 己 の 存在 全 体 に浸 透 し 、感 覚に 入 り 込む ま で 強 くな る と直 観 的 思考 と の 融 合 が始 ま り イマ ギ ナ ツ ィ オン が 生 まれ る と い う 。そ し て 、こ の 内 的な創 造 的認 知 を 通じ て 外 界 の 事象 を 知 覚・ 観 照 す る 程度 が 深 まる に つ れ て 、高 次 の 思想 作 用 である イ ンス ピ ラ ツィ オ ン 、 さ らに は イ ント ゥ イ ツ ィ オン が 働 き始 め る と さ れ る 。

し かも 、 シ ュタ イ ナ ー は 、こ の 意 志も 思 考 と 同 様に 、 各 人の 人 格 的 な 変容 に 伴 い変 化 してい く もの と 考 えて い る 。 物 質的 身 体 のな か で は 、 意志 は 「 本能(Instinkt)」 の 形 をと る 。 こ の 様 態 は存 在 に とっ て 外 ( 環 境や プ ロ グラ ム さ れ た 身体 機 能 )か ら 突 き 動 かさ れ る もの で あ ると い う 。そ こ で はあ る 種 の 志 向性 は 見 いだ さ れ る が 、依 然 と して 無 反 省 で 、外 な る 刺激 に 対 する直 線 的な 刺 激 -反 応 と し て 表出 さ れ る。 つ ぎ に 、 そう し た 原初 的 な 意 志 を内 側 か らエ ー テ ル 体

( 生命 形 成 力体 ) が と ら える と 、 「衝 動(Trieb)」 と 化 して い く と さ れる 。 こ れま で 生 の シ ス テム 維 持 とし て 機 能 し てき た 意 志に 、 生 き ん とす る た めの 内 発 的 な 諸衝 動 が 加わ っ て くる。

さ らに 、 シ ュタ イ ナ ー が 感覚 ・ 感 情を つ か さ ど ると 考 え る 感 覚 体 ( ア スト ラ ル 体 Astralleib) が その 衝 動 を浸 す と 、 「 欲望(Begierde)」 と な る。 た だ 、こ の 欲 望 段 階は 、 ま だ、 そ の 人 の 性 格・ 気 質 に色 づ け ら れ た意 志 と いう よ り も 、 動物 に 共 通す る 次 元 と され る 。 つづ い て 、意志 は 、個 人 の 気質 や 自 我(Ich)に 根 ざし 、 志 向 性 は意 識 の レベ ル を 上 げ るこ と に なる 。 そ う し た 意志 の 状 態を シ ュ タ イ ナー は 、 「動 機(Motiv)」 と 呼 ぶ。 た だ し 、 ここ で の 区分 は 、 現 実 に は入 り 組 んで お り 、 明 瞭に は 判 別し が た い と され る 。 さら に 、 そ う した 動 機 のう ち 、 「あな た がい ま お こな っ た こ と は実 は も っと よ り よ く. . . .

やれ た は ずだ 」 と い う 道徳 意 識 にね ざ す 意志が 発 動し 始 め る。 そ れ を 、 シュ タ イ ナー は 「 希 望 ・願 い(Wunsh)」 と 規定 し て いる 。 こ れ は 、 利 己心 に 起 因す る 後 悔 や 、欲 望 へ 移行 す る 野 心 や、 単 な る動 機 の 表 象 で は な い 、と さ れ る。こ の 「願 い 」 は、 モ ラ ル へ の志 向 性 が突 き 動 か す 「 か す か な響 き(leise Anklingende)」42)と して 内 奥に 表 出 する 意 志 作 用 と解 さ れ た。 こ の 「 願 い」 が も っと 具 体 的 な 像を 描 く よう に な ると、

「 決心(Vorsatz)」に 達 し、 そ の 向上 の 明 確 な 像を 自 ら に刻 む こ と に なる 。 そ して 、 最 後 に 、 心 的意 志 作 用が 自 我 の 純 化( 利 己 的 自 我 意 識 の 否定 ) を 通し て 身 体 的 束縛 か ら 解き 放 た れ ると き 、「 決 心 」は モ ラ ル の 浸透 し た 、よ り 強 固 な 使命 感 に ねざ す 「 決 意(Entschluß)」へ と 変 容 す ると い う 。こ こ に 「 肉 体か ら 自 由な 意 志 」 が 想定 さ れ る。

こ のよ う に 、シ ュ タ イ ナ ーの 描 く 「意 志 」 は 、 本能 (Instinkt) → 衝 動 (Trieb) →欲 望

(Begierde)→動 機(Motiv)→ 念 願 ・希 望(Wunsh)→ 意 図 ・決 心(Vorsatz)→ 決 意

(Entschluß)と いう 変 容 過程 を た どる も の と 考 えら れ た 43)。 そし て 、 そう し た プロ セ ス に お い て、 意 志 は高 次 の 思 考 作用 ( イ ンス ピ ラ ツ ィ オン 、 イ ント ゥ イ ツ ィ オン ) や モラ ル の 実現と 結 びつ い て いく 。 ひ と が 倫理 的 理 念や 存 在 の 本 質を 感 じ 始め た に も か かわ ら ず 、 対 象 視 や利己 心 にと ど ま って 事 象 を 見 る際 ( あ るい は そ れ を 脱す る 際 )、 反 感 や 不 安や 苦 悩 に襲 わ れ るのは こ の克 己 プ ロセ ス に 由 来 する も の と理 解 さ れ る 。

以 上の よ う に、 シ ュ タ イ ナー の 心 身・ 発 達 論 で は、 表 象 と意 志 の 道 徳 的結 合 が 現実 の 主体変 容 にお い て 構想 さ れ て い る と い え る。

( 4 ) 感 情 の 発 達

感情 は 、 シュ タ イ ナ ー の場 合 、 完全 に 認 識 に も意 志 に もな り き れ て いな い 、 抑圧 さ れ た 「低 次 の意 志 作 用・思 考 作 用 」とし て 思 考と 意 志 と の中 間 に 位置 づ け ら れ る 44)。それ ゆ え 、感 情は

参照

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