第五章 人智学的認識論の構築に向けた哲学的格闘
第一節 意 志と表象 の 総合 - ハルトマン, E.v.の超越論的実在 論 との対決
シ ュタ イ ナ ーの 認 識 論 研 究は 、 当 初か ら 、 カ ン ト的 な 二 元論 的 認 識 論 の克 服 に 向け ら れてい た 。具 体 的 には 、 そ の 克 服の 理 論 枠組 み は 、 前 章で 確 認 した よ う に 、 まず は 、 ゲー テ の 認識論 の うち に 期 待さ れ た 。 し かし 、 そ の認 識 論 は 、 シュ タ イ ナー が 自 ら の 理論 の 核 にな る べ きであ る と考 え た 「精 神 の メ タ モル フ ォ ーゼ 」 の 理 念 を哲 学 的 に解 説 す る に は至 ら な かっ た 。 精神の メ タモ ル フ ォー ゼ の 理 論 化に は 、 可視 の 事 実 領 域と 不 可 視の 本 質 領 域 とを 主 体 の側 で 架 橋して い く新 た な 哲学 的 見 方 を 手に 入 れ る必 要 が あ っ た。そ の手 が か りを 、シ ュ タ イナ ー は 、つ ぎ に、
ハ ル ト マ ン,E.v.の 認 識 論 哲 学 に み て い くこ と に な る 。 で は 、 なぜ 、 シ ュ タ イ ナ ー は 、カ ン ト 論 の 克服 と し てハ ル ト マ ン の認 識 論 に注 目 し た の だろ う か 。
それ は 、 ハル ト マ ン の 認識 論 が 、カ ン ト 的 な 認識 の 二 元論 を 克 服 す る批 判 理 論と し て 展開さ れ てい る と 理解 さ れ た か らで あ る 。シ ュ タ イ ナ ーは 、 カ ント が 、 実 在 への 信 頼 を前 提 に 、主観 的 な感 覚 ・ 知覚 を 通 し た 表象 内 容 を、 直 接 、 「 素朴 」 に 客観 概 念 へ と 結び つ け 、そ の 結 果、知 覚 の外 に 立 つと さ れ る 本 質世 界 を 現象 界 か ら 分 断し て し まっ た こ と に 批判 の 眼 差し を 向 けてい た 。そ し て 、そ う し た 「 素朴 さ 」 ゆえ に 、 カ ン トの 認 識 論は 、 物 自 体 とい う 架 空の 理 論 を作り 上 げ、 現 実 的な 洞 察 に よ って 理 念 世界 の 本 質 を 開示 す る こと を 断 念 し てし ま っ た、 と 解 され、
「 素朴 実 在 論(der naive Realismus)」1)に 位置 づ けら れ た ので あ る 。
で は、 以 下 に、 シ ュ タ イ ナー に よ って 、 カ ン ト 的な 「 素 朴さ 」 を 越 え 、認 識 の 二元 論 を克服 す るも の と して 期 待 さ れ るハ ル ト マン の 理 論 を シュ タ イ ナー の 理 解 に 添っ て 考 察し い き たい 。
1 . 批 判 的 観 念 論 な ら び に 超 越 論 的 実 在 論 と し て の ハ ル ト マ ン の 立 場
本 項で は 、 シュ タ イ ナ ー が、 最 初 の哲 学 的 著 作 『真 理 と 学問 - 自由 の 哲学 の 序 章(Wahrheit und Wissenschaft. Vorspiel einer “Philosophie der Freiheit”』(1892) に おい て 、「 尊 敬 の念 を 込 め て こ の本 を 捧 げる 」と 冒 頭 で名 前 を 明記 し 、つ づ く『自 由 の 哲学(Philosophie der Freiheit)』(1894) で は カ ン ト 的 認 識 論 の 克 服 を め ざ し た 人 物 と し て 、 ど の 哲 学 者 よ り も 多 く 引 用 し た ハ ル ト マ ン,E.v.2)の 認識 論 哲 学 に つい て 、 シュ タ イ ナ ー 論と の 関 連を ふ ま え つ つ考 察 を 進め た い 。 その ハ ル トマ ン は 、 シ ョー ペ ン ハウ ア ー が 提 唱し た 「 生へ の 意 志 」 を当 時 再 解釈 し た 哲学者 と して 知 ら れる 。かれ は、1867年 にロ ス ト ッ ク 大学 で 博 士号 を 取 得 す るも の の、大 学 職に 就 く こ とは な く 、市 井 の 研 究 者と し て 多く の 方 面 に 影響 を 与 えた 。 か れ は 、自 ら の 哲学 を 、 「無意 識 の哲 学(Philosophie des Unbewussten)」(1869)と 称し 、そ の 思想 の も とに ヘ ー ゲル の 形 而 上 学 的理 念 と ショ ー ペ ン ハ ウア ー の 盲目 的 意 志 と の総 合 ( 表象 と 意 志 の 止揚 さ れ た一 元 的 総合)
を めざ し て いた 。 シ ュ タ イナ ー が 献呈 し た 前 掲 の本 (1892 年) に 対 し て、 か れ は、 翌 1893 年 11 月 21 日 付 の書 簡 3)で 、シ ュ タ イナ ー の 論 説 上の 問 題 に答 え る た め には さ ら なる 議 論 が必要 で あり 、 そ こで の 指 摘 を 顧慮 す る かた ち で こ の 理論 は 改 訂 さ れ る べ き だろ う と 書簡 で 伝 えてい る。事 実 、シ ュ タ イナ ー は、の ちに ハ ル トマ ン から の 詳 細な 反 論 を 受 け、1918年に お こ な っ た
『 自由 の 哲 学』 の 改 訂 に 際し 、 あ いま い だ っ た 部分 を 修 正・ 加 筆 す る とと も に 、自 ら の 理論の 正 当性 を 示 すた め に 補 遺 をつ け て いる 。
で は、 以 下 、実 際 に 、 シ ュタ イ ナ ーの 著 述 に 添 って 、 ハ ルト マ ン の 認 識論 哲 学 に対 す る、か れ の認 識 論 的ス タ ン ス を 解説 し て いき た い 。
ま ず、 は じ めに 、 懸 案 と され た カ ント 的 認 識 論 の 「 素 朴 さ」 や そ の 二 元論 的 構 造を 、 ハルト マ ンが い か に克 服 し よ う とし た の かに つ い て み てい こ う 。
シュ タ イ ナー に よ れ ば 、ハ ル ト マン は 、 『 認 識論 の 根 本問 題(Das Grundproblem der
Erkenntnistheorie)』(1889)4)に おい て 、 カン ト が 認識 論 で 採用 し た 、 「 知覚 さ れ た世 界 は わ た し の表 象 で ある 」 「 わ た した ち の 知識 は み ず か らの 表 象 を超 え た い か なる も の をも 対 象 として い ない 」 と いう 、 知 覚 - 表象 - 知 識が 有 す る 認 識論 上 の 連関 を 学 問 的 に体 系 化 した 、 と さ れ る 。こ の な かで 、 ハ ル ト マン は 、 感覚 ・ 知 覚 を 無批 判 に 客観 的 な 概 念 と結 び つ ける カ ン ト的な
「 素朴 実 在 論」 を 超 え て いっ た と いう 。
ハル ト マ ンは 、 認 識 論 的考 察 に おい て 、 物 理 学が と る 唯物 論 的 な 見 方を 、 哲 学的 な 物 の見方 か ら厳 密 に 区別 し 、 哲 学 に特 有 な 現象 理 解 の 在 り方 を 模 索す べ き だ と 主張 す る 。シ ュ タ イナー は こう し た ハル ト マ ン の 認識 態 度 や意 志 ・ 無 意 識の 理 論 に惹 か れ て い った も の と思 わ れ る 。
ま ず、 ハ ル トマ ン は 、 哲 学的 認 識 の理 解 に 先 立 ち、 物 理 学に 特 有 な 物 の見 方 を つぎ の ように 特 徴づ け る 5)。 物 理学 は 、現 象 の 認識 に 際 し て 、「 空 間 にお け る 対 象 の連 続 性 (die
Kontinuität)」 を否 定 し 、 現象 を 最 小単 位 の 体 系 に還 元 す る見 方 ( い わ ゆる 要 素 還元 主 義 ) を と り、 そ れ を分 析 性 の 根 拠と し て いる 。 そ れ ゆ え、 そ の 立場 は 機 械 論 的な 見 方 に立 ち 、 因果性 を 決定 論 的 で単 線 的 な 原 因- 結 果 図式 と し て 記 述し て い くこ と に な る 。し か も 、か れ に よ れ ば 、こ う し た唯 物 論 的 な 見方 に 立 って 、 知 覚 や 認識 の 経 過を 詳 細 に 検 討し た と して も 、 感覚器 官 に最 初 に 刺激 を 与 え た もの と 、 意識 ( 心 ) に おい て 最 終的 に 生 じ た 知覚 と の 間に は 類 似性の 痕 跡さ え も 存在 し な い 、 とさ れ る 。つ ま り 、 物 理現 象 を 把握 す る 物 の 見方 で は 、最 終 的 に生じ る 知覚 内 容 は説 明 で き な い、 と い うの で あ る 。
ハル ト マ ンは 、そ う し た理 解 を、ミ ュラ ー(Müller,J.:1801-1858)の「 感 覚エ ネ ル ギー 論(die Lehre von den Sinnes-Energien)」6)に よっ て 補 強 的に 解 説 する 。 つ ま り 、外 界 か らの 刺 激 や その 反 応と し て の感 覚 体 験 が その ま ま 知覚 内 容 へ と 伝達 さ れ る経 緯 は ど こ にも 確 認 され ず ( 外的刺 激 →感 覚 器 官→ 脳 / [断 絶]/ 感覚 ・ 知 覚内 容 ) 、 そう し た 刺激 や 体 験 は 受け 入 れ た感 覚 の 性質 に 依存 し て 特定 の 仕 方 で 心に よ っ てひ と つ の 対 象像 を 結 ぶこ と に な る 、と い う ので あ る 。「主 観 が知 覚 す るも の は 、 つ ねに 自 分 の心 的 状 態 の 現れ で あ る。 そ れ 以 上 でも な い しそ れ 以 下でも な い」7)とハ ル ト マン が 結論 づ け るの は 、 こ れ らの 考 察 をふ ま え て の こと で あ る。
以上 の 認 識経 過 の 分 析 によ っ て 、ハ ル ト マ ン は、 素 朴 実在 論 が 感 覚 ・知 覚 を 外的 な 物 理反応 に 還元 し 、 直接 、 無 批 判 に概 念 へ と結 び つ け る あり 方 を 否定 す る こ と にな る 。 かれ の 場 合 、
「 知覚 内 容 」は 、 物 理 的 に還 元 さ れた 概 念 に 直 結す る も ので は な く 、 外的 な 現 実の 事 物 を超え.. . . .. . . ...
た 内発 的 な. .. . .
「主 観 の 心 的 な現 れ ( 意識 内 容 ) 」 と解 さ れ たの で あ る 。 そう し た 認識 成 立 条件の 徹 底し た 探 求姿 勢 ゆ え に 、か れ の 観念 論 的 立 場 は、 シ ュ タイ ナ ー に よ って 、 「 素朴 」 を 超えて
「 批判 的 」 「超 越 論 的 」 とい う 形 容が 付 さ れ る こと に な る。 実 際 、 シ ュタ イ ナ ーは 、 こ うした 独 自の 文 脈 にお い て 、 『 真理 と 学 問』 で か れ の 思想 を 、 批判 的 な 「 超 越論 的 観 念論(der
transzendentale Idealismus)」 と して 位 置 づけ て い る 。
とこ ろ が 、ハ ル ト マ ン は、 自 身 の思 想 と 、 一 般に い わ れる 「 超 越 論 的観 念 論 」と は 立 場を異 に する 、と 強く シ ュ タ イ ナー に 反 論す る。な ぜ なら ば 、通常 の「 超 越 論的 観 念 論」に お い て は、
経 験的 な 規 定を 超 え た. .. . . .. . . .
認 識形 式 を 観念 作 用 の 内 に 条 件 と して 見 い だ さ ねば な ら ず、 現 実 の人間 意 識と 物 自 体と の 連 続 性 が絶 た れ ると 考 え る か らで あ る 8)。た し か に 、ハル ト マ ンと カ ン ト は、
感 覚を 通 し た感 覚 ・ 知 覚 内容 と し ての 表 象 の み が、 認 識 の対 象 で あ る とみ た 。 それ ゆ え 、事物
の 本質 で あ る物 自 体 に つ いて 、 こ の感 覚 ・ 知 覚 内容 と し ての 表 象 が 成 立す る 現 象界 に お いては 直 接に と ら える こ と は で きず 、 時 間や 空 間 の 形 式を 超 え た叡 智 界 に 属 すべ き も ので あ る と、物 自 体と 感 覚 的表 象 の 異 質 性を 強 調 する 。 し か し 、そ の 内 実は 、 ハ ル ト マン の 場 合、 カ ン トと異 な り、 認 識 の分 断 を 意 味 しな か っ た。 カ ン ト が 、感 覚 ・ 知覚 内 容 と し ての 表 象 と、 物 自 体とを ま った く 断 絶し た も の と みな し た のに 対 し て 、 ハ ル ト マ ンは 、 物 自 体 と表 象 と をつ な ぐ 契機を 想 定す る こ とに な る 。
かれ は 、 物自 体 の 実 体 を、 カ ン トと 違 い 、 シ ョー ペ ン ハウ ア ー 的 に 「宇 宙 的 な意 志 」 と 解 し 、現 象 界 にお け る 事 物 は「 意 志 の仮 象 」 で あ ると み な した 。 し た が って 、 ハ ルト マ ン におい て は物 自 体 に関 す る 認 識 はカ ン ト のよ う に ま っ たく 形 而 上学 上 の 問 題 とし て 分 断さ れ ず 、一な る もの で 無 時間 的 な も の であ る わ たし の 意 志 に よっ て 間 接的 で は あ る が掌 握 可 能な も の とされ た ので あ る 。そ れ ゆ え 、 対象 世 界 を自 分 の 意 識 対象 の 集 まり と 同 一 視 し、 ア ・ プリ オ リ な総合 的 判断 を 究 極的 な 認 識 前 提に 置 い た う え で 、 物 自体 と の 認識 論 的 な か かわ り を まっ た く 失って し まう 先 の 「超 越 論 的 観 念論 」 の 考え は 克 服 す べき も の と考 え ら れ た わけ で あ る。 ハ ル トマン は 、意 識 が 直接 的 に 物 自 体( か れ はこ れ を 物 質 と意 識 の 深み に 存 在 す る同 一 的 な第 三 者 と み る )を 表 象 する こ と は で きな い と した が 、 無 意 識下 に 潜 む絶 対 無 意 識 とい う 宇 宙的 な 意 志を通 じ て、 間 接 的に か か わ る こと が で きる と 考 え た 9)。 そ れゆ え 、 表象 さ れた 意 識 内容 を 一 貫 し た 論 理性 の も とに 体 験 的 に 推測 す る こと に よ っ て 、現 象 界 にお け る 「 意 志の 仮 象 」と し て の事物 と 、無 意 識 下の 「 宇 宙 的 な意 志 」 とし て の 物 自 体と を 整 合的 に と ら え るこ と も また 可 能 である と 理解 し た ので あ る 。
そし て 、 この よ う な 意 志に よ る 本質 掌 握 に 向 けた 可 能 性ゆ え 、 ハ ル トマ ン は 、表 象 を カント の よう に 悟 性的 ・ 論 理 的 なも の に 制約 す る こ と はせ ず 、 意志 作 用 に 付 随す る 非 論理 的 な 意識内 容 をも そ こ に見 い だ そ う とす る こ とに な る 。 し かも 、 論 理的 表 象 に 対 置さ れ る 非論 理 的 な意志 の 表象 は 、 ヘー ゲ ル の よ うに 、 よ り上 位 の 論 理 的な も の へ向 け た 止 揚 の契 機 と いっ た 位 置づけ
( 経緯 に お いて 両 者 は 同 等だ が ) では な く 、 世 界過 程 の 根源 的 な 衝 動 であ る と 考え ら れ たので あ った 。
さら に 、こ う し た意 志 の止 揚 は、シ ョ ーペ ン ハウ ア ー が説 く 個 別 な 救済(Erlösung)を 意 味 せ ず 、存 在 の 責め 苦 ( 試 練 )(die Qual des Daseins)によ る 現 象界 の 救 済 ので き ご とと し て 考 えら れ た。そ れ ゆえ 、世 界 へ の厭 世 観(Die pessimistische Ansicht)は 、シ ョ ーペ ン ハ ウ ア ー の よ うに 世 界の 否 定 を感 じ と ら せ るも の で はな く 、 ハ ル トマ ン の 場合 、 普 遍 的 な世 界 救 済と い う 目的を も つ世 界 過 程そ の も の に 自ら の 人 格を な げ う つ こと 、つま り 、「 ま っ た き没 我(volle Hingabe)」 の でき ご と とし て 強 調 さ れる こ と にな る 。 そ れ は、 け っ して 不 調 和 を 回避 し た り、 そ の 矛盾を 受 け入 れ た りす る「 生 と の和 解・妥 協 」と い っ た消 極 的 なも の で は な く 、「生 へ の 意志 の 肯 定」
を 前提 と し て世 界 救 済 に 身を な げ うつ 積 極 的 な 自己 放 下.. . .
を意 味 す る の であ る 。
では 、 以 上の ハ ル ト マ ンの 見 解 に対 し 、 シ ュ タイ ナ ー はい か な る 理 解を 示 す のだ ろ う か。次 節 では 、 こ うし た ハ ル ト マン 的 認 識論 に 関 す る シュ タ イ ナー の 見 解 を みて い く こと に し よう。
2 . ハ ル ト マ ン 認 識 論 に つ い て の シ ュ タ イ ナ ー の 見 解
シュ タ イ ナー の ハ ル ト マン 批 判 に先 立 ち、ハ ル トマ ン の 認識 論 の 要 点 を再 度 整 理し て み よ う。
ハル ト マ ンの 認 識 論 は 、「 認 識 は表 象 の 範 囲 内」 と す るカ ン ト 的 立 場を 支 持 しつ つ も 、本質 理 解に 向 け た認 識 の 可 能 性を 信 じ るゆ え 、そ の 表象 の う ちに 物 自 体( か れ は そ れ を 宇 宙 的 意 志 と 考