第四章 認識論的取り組みとその原点
第一節 シ ュタイナ ー の哲学著作
認識 論 ・ 哲学 と い う 共 通言 語 を 意識 す る 場 合 、シ ュ タ イナ ー が 生 涯 にわ た っ て残 し た 膨大な 数 の著 作 群 にお い て 、 純 粋哲 学 の 概念 、 と り わ け認 識 論 をめ ぐ る 哲 学 上の 議 論 をふ ま え て著さ れ た書 物 は ある 程 度 特 定 でき る 。 それ は 主 と し て、 こ の 書物 以 降 、 神 秘主 義 的 な用 語 表 現が顕 著 とな る 『 ひと は い か に して 高 次 の世 界 を 認 識 する の か(Wie erlangt man Erkenntnisse der höheren Welten ?)』 (1904) より 前 の 著作 と な る 。本 節 で は、 そ の 前 期 著作 に つ いて の 内 容 分 析 に先 立 ち 、シ ュ タ イ ナ ー に よ る 認識 論 的 ・ 哲 学的 な 学 問衝 動 の 起 源 を、 か れ の生 涯 の うちに 確 認し て お こう 。
シュ タ イ ナー に お け る 認識 論 の 関心 は 、 第 一 章で 確 認 した よ う に 、 直接 的 に は当 時 趨 勢を占 め つつ あ っ た自 然 科 学 や 唯物 論 に 特有 な 可 視 的 事実 を 偏 重す る 物 の 見 方に 対 す る疑 念 に 端を発 す るも の で ある が 、 根 源 的に は 自 らの 体 験 に 起 因す る 可 視の 事 実 と 不 可視 な 本 質と の 総 合とい う 認識 衝 動 に根 ざ し た も ので あ っ た 1)。
自伝 に よ れば 、 シ ュ タ イナ ー が そう し た 関 心 に基 づ き 、は じ め て 哲 学著 作 に 向か っ た のは、
ウ ィー ン - ノイ シ ュ タ ッ ト(Wiener-Neustadt)に ある 実 科 学校(Realschule)に 通 う 高校 生 の と き であ っ た とさ れ る 。 か れは 、 当 時、 書 店 に 並 べら れ て いた カ ン ト(Kant, I.:1724- 1804)の 『 純 粋 理性 批 判(Kritik der reinen Vernunft)』 (1781) に惹 か れ 、購 入 後 、 そ の重 要 な 部分 を 20回 以 上 も読 み 返 した と い う 。 近代 認 識 論の 創 始 者 と 称さ れ る カン ト の 哲 学 うち に か れが 追 求 したの は 、人 間 の 理性 が 事 物 の 本質 解 明 に向 け た 現 実 的な 洞 察 にお い て 何 を 成し 遂 げ うる の か 、とい う 問題 で あ った 2)。し か し、 最 終 的に 、 可 視 的 事実 と 不 可視 な 本 質 と の総 合 を めざ す 認 識 論 を 構 想す る シ ュタ イ ナ ー に とっ て 、 不可 視 な 本 質 を認 識 の 問題 か ら 排 除 しよ う と する カ ン ト哲学 は 、自 ら の 理論 モ デ ル と はな り え なか っ た ば か りで な く 、唯 物 論 同 様 、乗 り 越 えら れ る べき物 の 見方 と 考 えら れ る に 至 った 。
問題 解 決 の糸 口 は 、 ウ ィー ン 工 業高 等 専 門 学 校に 進 学 後、 カ ン ト 以 降の ド イ ツ観 念 論 哲学の
う ちに 求 め られ る 一 方 、 シュ タ イ ナー に よ っ て 「尊 敬 す る教 師 」3)と 呼ば れ る シュ レ ー ア
(Schröer,K.J.)教授 と の 出会 い に よっ て 、 ゲ ー テ的 認 識 論の う ち に 模 索さ れ て いく こ と に な る 。こ の の ち、 シ ュ タ イ ナー は 、 ゲー テ 研 究 者 とし て の 才能 を 開 花 さ せ、 そ の 成果 は 、 かれが 21歳の と き 、当 時 、 キ ュ ルシ ュ ナ ー(Kürschner,J.)に よ っ て進 め ら れ てい た ド イツ 国 民 文 学 叢 書の ひ と つで あ る 、 ゲ ーテ(Goethe,J.W.:1749-1832)の 『 自然 科 学 論 集(Naturwissenschaftliche Schriften)』(Einleiungen zu Goethes Naturwissenschaftlichen Schriften. In:unter der Leitung von Kürschner,J.: Deutschen Nationalliteratur. 1883-1897)へ の 序 文、 な ら びに 、 その 4年 後の1886年 に 処女 作 『 ゲー テ 的 世 界 観の 認 識 論要 綱(Grundlinien einer Erkentnistheorie der Goetheschen Weltanschauung)』(1886)と し て 結実 し 、 ゲ ー テ研 究 者 とし て 高 い 評 価を 得 る こと に な る 。 そう し た ゲー テ 研 究 に つづ き 純 粋哲 学 的 な ア プロ ー チ とし て は じ め て示 さ れ たの が 『 真理と 科 学(Wahrheit und Wissenschaft)』 (1892) で あ る。 こ の 著作 は 、 か れ が 1891年 (30歳の と き )に 、 ロ スト ッ ク 大 学 哲学 部 に 提出 し た 博 士 論文 を ベ ース に 加 筆 ・ 修正 し た もの で あ る (当 時 の原 題 は 、『 認 識 論 の 根本 問 題 -主 に フ ィ ヒ テの 知 識 学を 顧 慮 し て(Die Grundfrage der Erkenntnistheorie mit besonderer Rücksicht auf Fichtes Wissenschaftslehre)』 で あり 、 元 来は 、 フ ィ ヒ テの 知 識 学が 考 察 の 軸 にす え ら れて い た こ と がわ か る )。 シ ュ タ イ ナー は 、 この 『 真 理と 科 学 』に お い て、 ゲ ー テ 的 世界 観 に 依拠 す る こ と なく 、 純 粋な 哲 学 概 念 のも と に 自ら の 思 想体系 を 基礎 づ け 得た と 書 き 記 して い る 4)。 加 えて 、 「前 書 き 」部 分 に は 、 「尊 敬 の 念を 込 め て エ ド ワ ルト ・ フ ォン ・ ハ ル ト マン 博 士 に捧 げ る 」 と 書か れ て ある こ と か ら 、当 時 、 ショ ー ペ ンハウ ア ーの 意 志 の哲 学 を 発 展 させ た ハ ルト マ ン(Karl Robert Eduard von Hartmann:1842-1906)と そ の 哲学 が 意 識さ れ て い る こと も 理 解さ れ る 。 ま た、 副 題 に付 さ れ た“Vorspiel einer Philosophie der Freiheit”と い う 表 記 から 、 二 年後 に 出 版 が 予定 さ れ てい た 哲 学 上 の主 著 『 自由 の 哲 学
(Die Philosophie der Freiheit)』(1894)へ の 序 章と い う 本書 の 位 置 づ けが 判 明 する 。 『 自 由 の 哲学 』 以 降の 著 作 は 、 これ ま で の認 識 論 の 成 果を 論 拠 に、 大 き く は 、個 別 の 思 想 家 研 究、神 秘 主義 的 世 界観 、 教 育 、 芸術 、 福 祉、 社 会 制 度 改革 、 哲 学史 、 医 療 、 農業 な ど 実践 を 含 む多方 面 にわ た る 学問 体 系 の 見 直し を 提 起し て い く こ とに な る 5) 。
した が っ て、 シ ュ タ イ ナー 教 育 思想 の 読 み 解 きの 鍵. . . .. .
と なる 人 智 学 的 認識 論 の 構造 を 理 解する に は 、諸実 践 が 開花 す る 以前 の 、1886年の『 ゲ ーテ 的 世 界観 の 認 識 論 要綱 』か ら 1892 年の『 真 理 と科 学 』を 経 て 、1894 年 の『 自由 の 哲 学』ま での 前 期 著作 が 重 要 な 位置 を 占 める も の と 考え て よい だ ろ う。し かも 、か れ 自 身、後 期 の神 秘 主義 的 著 作『 神 智学 』( 第 三 版ま え が き 1910年 ) に おい て 、本 書 の 内容 を「 別 の 道」(ein adnerer Weg)を通 っ て 求め る なら ば 、前 期 の 認識 論 著 作 『自 由 の 哲学 』 の う ち に見 い だ すこ と が で き ると 記 し 、『 神 智 学 』 と『 自 由 の哲 学 』 とは異 な る仕 方 で 同一 の 目 標 を めざ し た もの と 位 置 づ けて い る 6)。 さ ら に 、 『教 育 の 基礎 と し ての 普 遍 人間 学 』 (1919) に お いて も 、 自ら の 著 作 『 真理 と 科 学』 『 自 由 の 哲学 』 が 論じ た 領 域に踏 み とど ま る なら ば 、 人 間 の心 性 の 観察 を 通 し て ひと つ の 洞察 、 つ ま り 、抽 象 概 念に 陥 る ことの. . . .. . . ...
な い現 実 の 変容 を 前 提 と する 確 実 な地 盤. .. . . .. . . . . .. . . .. .
に 達 す る. . . .
こ と に なる と 、 前 期 著作 の 学 的意 義 が 語られ る ので あ る 7)。
以 下、 本 論 文で は 、 上 述 した 前 期 認識 論 著 作 を 中心 に 、 シュ タ イ ナ ー がい か に 独自 の 人智学 的 認識 論 を 構築 し て い っ たの か に つい て 述 べ て いき た い。具 体 的に は、そ う した 作 業 を通 し て、
第 一章 で 確 認し た シ ュ タ イナ ー 教 育理 論 に 特 有 な要 素 が 、哲 学 的 な 格 闘の 末 に 、 人 智 学 的認識 論 のう ち に 理論 づ け ら れ てい く 軌 跡を 明 ら か に でき る も のと 思 わ れ る 。
第二節
可視の事実 と不可視 な 本質との総 合 - 認識論探究の原 点:カント的 二元論の 克 服
1 . 前 提 と な る 「 わ た し の 表 象 」シュ タ イ ナー は 、 カ ン ト同 様 、 学問 の 妥 当 性 を議 論 す る の に 先 立 ち 、そ の 学 問が 拠 っ て立つ 認 識の 構 造 その も の を ま ず問 わ れ なけ れ ば な ら ない と 考 え、 認 識 論 の 研究 に 向 かっ た 。 なぜな ら 、認 識 論 は、 知 識 の 対 象・ 起 源 ・射 程 ・ 方 法 ・構 造 ・ 妥当 性 を 理 論 的に 基 礎 づけ 、 そ れを土 台 に諸 学 を 方向 づ け る 根 本学 だ か らで あ る。そ こで は 、「 実 在 に知 が かか わ る こと は 可 能 か」、
「 知の 起 源 が何 に 由 来 す るの か 」 、あ る い は 実 在領 域 に つい て 「 判 断 すべ き で ない 、 あ るいは で きな い 」 と考 え る の か 、ま た 判 断可 能 と す れ ばそ れ を 「ど の よ う な 方法 で ど の程 度 知 ること が でき る の か」、さら に そこ で 得 られ た「知 の 内容 は い かな る 構 造 と 妥当 性 を 示し う る の か 」、
さ らに は 、 わた し た ち に は判 断 で ない と す る な らば 、 「 どこ ま で が わ たし た ち の認 識 範 囲なの か 」、 と い った 根 源 的 な 問い が 追 求さ れ る 。 で は、 カ ン トと シ ュ タ イ ナー は こ れら の 問 いにい か なる 回 答 を示 す こ と に なる の で あろ う か 。
先に 述 べ たよ う に 、 認 識に つ い て、 不 可 視 の 本質 と 可 視の 事 実 を 一 元的 に 追 求す る シ ュタイ ナ ーの 立 場 は、カン ト を 現代 的 認 識論 の「 創 設 者」8)と 敬 意を も っ て 認 める も の の、結果 的 に は そ の二 元 論 の克 服 を め ざ すこ と に なる 。 本 項 で はま ず 、 シュ タ イ ナ ー によ る カ ント 理 解 を検討 す るに 先 立 ち、 シ ュ タ イ ナー が 問 題視 す る 、 カ ント 的 認 識論 の 二 前 提 につ い て 確認 し て おきた い 。
シュ タ イ ナー に よ れ ば 、カ ン ト の認 識 論 は 、 「知 覚 さ れた 世 界 は わ たし の. .. .
表 象で あ る (傍点 筆 者)」9)と「 わ たし た ち の知 識 は 自ら の 表 象 を 超え た い かな る も の を も対 象 と して い な い 」10) と いう 二 つ の命 題 を 前 提 とし て い る、 と さ れ る 。つ ま り 、そ の 認 識 論 にお い て は、 「 わ たしの 表 象(meine Vorstellung)」こそ が 各 自が 直 接 経 験 し、体 験 する 唯 一 の も ので あ り 、哲 学 す る こと の はじ め に 表象 を 超 え る あら ゆ る 知識 は 疑 い う るも の と 規定 さ れ る と いう 。
この 「 わ たし の 表 象 」 の成 立 に つい て 、 カ ン トは 、 認 識と い う も の は、 わ た した ち が 何らか の 表象 を も つこ と で た だ ちに 有 効 に成 立 す る わ けで は な く、 そ れ が 成 り立 つ た めに は 、 わたし た ちに 現 れ る多 様 な 表 象 を貫 く「自 己 の 同一 性」が 前 提に な く ては な らな い と 考え た 。そ し て、
そ れを 根 底 で支 え る も の を、 超 越 論的 統 覚(die transzendentale Apperzeption)と 呼 ん だ。 そ こに お いて は じ めて 、「 わ た しは 考 え る(Ich denke)」と いう 自 我 意識 に 根 ざし た 、「 わ た し. . .
に と っ. . . て の. .
表 象 」が知 覚 内 容 と して は じ めて 意 味 を も つ よ う に なる 、と 解 さ れた の で ある 11)。こ のこ と は翻 せ ば 、か れ が 、 け っし て 表 象内 容 以 外 に どん な 独 立し た 存 在 も あり え な いと 考 え ていた の では な く 、知 識 の 成 立 には 自 我 意識 を 介 す る 必要 が あ ると 認 識 し て いた こ と が理 解 さ れる。
し かも 、 こ の「 わ た し. . .
に とっ て の. .. . .
表象 」 と い う 概念 に は 、自 ら の 意 識 に現 れ る 表象 の 変 化につ い てな ら 認 識で き て も 、 この 変 化 を引 き 起 こ す 事物 の 本 質・ 原 因 や 超 越論 的 統 覚と し て の 自我 意 識自 体 に つい て は 認 識 でき な い 、と い う 意 味 が含 ま れ てい る 。 つ ま り、 「 見 る目 」 は 「見え な い本 質 」 をと ら え た り 、「 自 ら 」を 見 た り す るこ と は でき な い 、 と いう 立 場 がと ら れ るので あ る。
以上 の 理 念を 背 景 と し て、カ ント は 、超 越 論 的 統覚 を 前 提と し た 主 観 的な 知 覚 内容 で あ る「わ た しに と っ ての 表 象 」 こ そが 知 識 に至 る 唯 一 の 認識 対 象 であ る と 考 え た。 そ し て、 シ ュ タイナ ー によ れ ば 、カ ン ト は 、 以上 の 表 象理 念 に 基 づ き、 知 覚 と概 念 と い う 認識 過 程 の二 大 要 因を、
一 、客観 そ の もの(das Objekt an sich)と 、二 、主 観 が客 観 か ら取 り 出 す 知 覚内 容(die Wahrnehmung)
と、三 、主 観(das Subjekt)と、四 、知 覚 内 容を 客 観 その も の に関 係 づ け る 概念(der Begriff)、の四 つ に区 分 し た、 と さ れ る 。こ れ が シュ タ イ ナ ー のみ る カ ント 的 認 識 論 の前 提 構 造で あ る 。
2 . 認 識 判 断 と そ の 射 程
ここ で は、カ ン トに よ る認 識 論 的二 元 論 の 根 拠と さ れ る、認 識上 の 判断 形 式 と射 程 に つ い て、
『 純粋 理 性 批判(Kritik der reinen Vernunft)』 (1781) か ら概 説 し て お こう 。
カン ト は、表 象を 通 し た認 識 の 判断 パ タ ー ン を、「 分 析 的判 断(analytische Urteile)」と「総 合 的判 断(synthetische Urteile)」 と に区 別 す る 12)。
「分 析 的 判断 」 と は 、 事象 を 解 説す る 命 題( 主 語 A と 述 語 B に 注 目 )に おい て 、 主語 の 概念 の うち に 述 語の 概 念 が す でに(隠 れ て)含 ま れ て いる 場 合 に成 立 す る 理 論理 性 の 判断 を さ す(「物 体 はす べ て 広が り を も つ 」な ど ) 。し た が っ て 、こ の 場 合、 述 語 部 分 は主 語 の 概念 に 付 け加え る 何も の も もち あ わ せ て いな い た め、 命 題 の 理 解と 判 断 に際 し 、 主 語 概念 を 分 析し 、 説 明をつ く すこ と が 課題 と な る 。 その た め 、こ の 判 断 は 、「 説 明 的判 断(Erläuterungsurteil)」と も い わ れ る。 こ こ では 、 述 語 は 主語 の 属 性と な っ て お り、 両 者 には 「 同 一 性 の原 理 」 が支 配 す る。そ れ ゆえ 、判 断は 自 己 の 経 験に 依 存 する 必 要 は な く. . . . .. . . .. . . . . .
、「 ア・プリ オ リ a priori」な も のと み な され る 。
一方 、「 総 合的 判 断 」は 、主 語 A と 述 語Bが 結び つ い ては い る が 、述 語 Bがま っ た く主 語 A の 概念 の 外 にあ る よ う な 命題 に お いて 成 り 立 つ 理論 理 性 の判 断 を い う (「 物 体 はす べ て 重さを も つ」 な ど 矛盾 律 だ け で は真 偽 を 直ち に 確 定 で きな い 命 題) 。 つ ま り 、そ の 命 題に お い て、述 語 は 主 語 の 概 念 分 析 か ら は 導 か れ な い 内 容 を 含 み 、 そ こ に は 主 語 A を 超 え た 拡 張 的 判 断
(Erweiterungsurteil)が 必 要と な る。つ ま り 、主 語と 述 語 の関 係 は、直 観の 総 合 的結 合 で あ ると こ ろの 「 経 験」 に よ っ て 補完 ・ 解 明さ れ て い く 。そ こ で は、 所 与 の 感 覚材 料 は 、感 性 的 直観の 純 粋形 式 に よっ て 、 経 験 の体 系 へ と築 き 上 げ ら れる 。 そ うし た 認 識 作 用が 、 「 ア・ ポ ス テリオ リa posterioriな 総 合 的 判 断」 と い われ る も の で ある 。
この よ う に、 カ ン ト は 、ま ず 、 命題 の 述 語 概 念に 対 し て、 主 語 概 念 が自 明 な 「経 験 に 依存し な い( ア ・ プリ オ リ な ) 分析 的 判 断」 や 主 語 概 念が 不 明 で「 経 験 に 依 存す る ( ア・ ポ ス テリオ リ な) 総 合 的判 断 」 を 規 定し た が 、さ ら に 、 そ れら と は 別に 、 述 語 概 念に 対 し て主 語 概 念が不 明 な( 主 語 概 念 を 超 え て 述 語 概 念 が あ る )命 題 に おい て、「 経験 を 超 え た総 合 的 な判 断 」が 成 り 立 つケ ー ス を見 い だ そ う とし て い る。 つ ま り 、 経験 と い う便 宜 を ま っ たく も た ない に も かかわ ら ず、 経 験 が与 え う る 以 上の 必 然 性を 拡 張 的 に 付与 す る 判断 、 す な わ ち、 そ れ によ っ て わたし た ちの 認 識 がか ぎ り な く 形而 上 学 的な 領 域 に 接 近し て い くと 考 え ら れ る「 ア ・ プリ オ リ な総合 的 判断 」を 考 え たの で あ る( 命 題「 生 起 す る も の は す べ て そ の 原 因 を も つ 」な ど )。し かも 、そ う し た 認 識判 断 は、経 験 によ っ て立 証 も 反証 も さ れ な いが 、「 必 然 性(Notwendigkeit)」や「 厳 格 な 普 遍 性(strenge Allgemeinheit)」に 支え ら れ てい る ので 、わ たし た ち の 理 論理 性 が なし う る 認 識の 範 囲・限 界 と 目さ れ た 13)。そ の 方 法論 は 、分 析 に よる 説 明 と記 述 を 要 求 する 演 繹 法で も 、究極 的 には 総 合 的な 直 観 に 依 存す る 経 験的 な 帰 納 法 とも 異 な る、経験 を 超 え た総 合 的 な直 観 の 方 法、
つ まり 、超 越 論 的方 法(transzendentale Methode)に 依 拠 する こ と にな る。し たが っ て、カ ン ト の 場 合、 経 験 を超 え た 理 論 理性 の 可 能性 は 、 こ の 「ア.
・ プ リオ リ な. .. . .
総 合 的判 断 」 のも と に 成立す る 認識 の う ちに あ る と 理 論づ け ら れた 。 そ し て 、こ の よ うな 認 識 に 含 まれ る も のと し て 、数学 や 純粋 自 然 科学 が 想 定 さ れた の で ある ( 命 題 「 直線 は 二 点間 で 最 短 で ある 」 「 物体 界 の あらゆ