Komazawa University
道
元
禅
師
の
僧
団
に
対
す
る
意
識
に
つ
い
て
説
示
の背
景
と
し
て
石
井
清
純
Kom 三1z三1w三1 Umversrty は じ め に 道 元禅
師 の帰
国後
の動
静 を考
え る に あ た っ て 、京
都 興 聖 寺 を 中 心 と し た活
動 と 、寛
元 元年
の 入 越 以後
の 、 特 に 永 平 寺 を中
心 と し た活
動
に 二分
し て そ れ を考
え る こ と は 、多
く の 先 学 の 成 果 に 一貫
し た と こ ろ で あ る 。 そ し て そ れ ら は 、多
く 二 者 の 性 格 を対
比 さ せ て こ れ を 論 じ て い る が 、 そ の 大勢
を占
め る の は 、 興聖
寺 は 、 禅 師 の 弘 法 救 生 の 思 い に 基 づ く開
か れ た 僧 団 で あ り、 そ れ に 対 し て 永 平 寺 は 、 一 箇 半箇
の 接得
を 主 体 と し た出
家
主義
集
団、 と い う イ メ( 1 ) ー ジ で こ れ を 捉 え る こ と で あ る 。 こ れ ら は 、
興
聖寺
時
代
に 見 ら れ る、禅
師 の 在 家 成 仏 を 是 認 す る 表 現 が 、 入 越 を境
に 全 く み ら れ な く な る こ と を そ の 論 拠 と し て い る 。 す な わ ち こ の 問 題 は 、従
来
よ り 多 く 論 じ ら れ て い る 、 禅 師 の 在 家成
仏説
と 出家
至 上 主義
の問
題 と 切 り 放 し て 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 論 集 第 二 十 號 平 成 元 年 十 月考
え る こ と は で き な い も の と い え よ う。確
か に 、 『 弁道
話 』 を代
表
と す る 禅 師 初 期 の著
述
に見
ら れ る 、 在 家居
士得
道
の 因 縁 を是
認 す る表
現 が 、 入越
後
に は 激減
し 、 そ れ に変
わ っ て 、 出家
こ そ が 仏 道 を 明 ら め る唯
一 の 道 で あ る と い っ た 、出
家
者 讃嘆
の表
現
が 多 く 見 ら れ る よ う に な る( 2 ) こ と は 否
定
で き な い事
実 で あ る 。そ し て 筆
者
は 、結
果 的 に こ の流
れ の 延 長線
上 に位
置
す
る の が 、 大 仏 寺 の完
成
以 降 に 、仮
名
『 正 法 眼 蔵 』 の 示 衆 に取
っ て変
わ る 形 で そ の頻
度 を増
す
と こ ろ の 、 『 永 平 広録
』巻
二 以 降 に 収録
さ れ る 上堂
語 だ と 考 え て い る 。そ れ が い か な る 理 由 に よ る か と い え ば 、
禅
師晩
年
の 上堂
を 、 そ こ に 引 か れ る 公 案 解 釈 に つ い て 、仮
名
『 正 法眼
蔵
』 と 比較
し て み る と 、 そ れ が 、多
く仮
名 七 十 五 卷本
系
『 正 法眼
蔵
』 の 再 説 を意
識
し つ つ 、 具 体 的 な行
の あ り 方 と し て の 、現
実
の叢
林
生 活 へ と 凝縮
さ れ て ゆ く内
容 を有
し て い る こ と に よ 一 六 三Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) ( 3 ) る。 そ し て さ ら に い え ば 、 そ れ と 同
時
期
の 上 堂 語 に 、 叢 林 の設
備
・行
持
に 関 し て 、 そ の 日 本 初伝
が禅
師 自身
で あ る こ と を 主 張 す る内
容 が 頻 出 し 、 な お か つ そ の 中 の 成 道 会 の 上 堂 に 、 そ の 法 の存
続 を意
識
し た と 思 わ れ る 発 言 の 見 ら れ る こ と か ら 、 そ れ を行
っ た の が 、 禅 師 に 、自
身
の 伝 え た と こ ろ の 正 伝 の 仏 法 を 、維
持
存続
せ し め ん と す る意
識 が 存 在 し た た め で は な い ( 4 ) か 、 と い う推
測 も 成 り 立 つ 。 こ の よ う に考
え る と 、禅
師 が 、特
に晩
年 に お い て、 説示
の 対象
と し て 、会
下 の 僧衆
の み を見
据 え て い た可
能
性 が強
調 さ れ る の で あ る が 、 法 の存
続 は そ れ で よ い と し て も 、 そ れ を維
持 し て ゆ く基
盤 と し て の 、 僧団
の 存続
は 、 そ れ だ け で は為
し 得 な い 。 す な わ ち 、 そ の 経 済的
基 盤 と し て の外
護
者 の存
在 を 無視
す る こ と は で き な い と い え よ う 。 実 際 、 そ の時
期
に禅
師
が 在家
者 に対
す る配
慮
を す べ て 切 り 捨 て て し ま っ た の か と い え ば 、 決 し て そ う で は な い 。例
え ば 、 布薩
な ど は 興聖
寺
時
代 と 同 じ よ う に 定期
的
に 行 わ れ て い 〔 5 ) た 形 跡 が 存在
す る の で あ る 。 ま た 、 『 正 法 眼 蔵 』 に 限 っ て い え ば 、 そ こ に禅
師 自身
の 手 に よ る再
治修
訂 が施
さ れ て い る 、 と い う 事実
が あ り 、 そ の 一 応 の 目 安 を、 懐奘
の書
写 年 代 に置
い て こ れ を見
れ ば 、 在 家 居 士 の 得道
を讃
え る巻
が 、 入 越 の 後 に書
写 さ れ て い る 事 実 が指
一 六 四 ( 6 )摘
で き る 。 そ の点
か ら 考 え る と 、 『 正法
眼
蔵 』 に お い て は 、 実質
上 そ の書
写 の ほ ぼ終
了 す る 段階
ま で 、在
家者
の得
道
の 肯 定 と 否 定 と が 併 存 し て い た こ と に な る 。 そ し て こ の こ と か ら 、禅
師 に お け る 出 家者
と 在 家者
に 関 す る意
識 が 、単
に 入 越 を契
機
と し た出
家 主義
へ の 変 化 と い う 時間
的 な 流 れ だ け で 捉 え き れ る も の で は な く 、対
機 の問
題 と も関
連
し て 、 一本
化
さ れ得
な い 別 個 の も の と し て 存在
し て い た可
能
性 が指
摘
で き る の で ( 7 ) あ る。 以 上 の よ う な 観点
か ら禅
師
の 出 家在
家
の 問題
を考
察
し よ う と す れ ば 、 ま ず 禅師
の 僧 団 に属
さ な い 人 々 の位
置
付
け が 、 興 聖 寺時
代
と 永 平 寺時
代
で は 、 ど の よ う な 部 分 が排
除
さ れ 、 ま た ど の よ う な 部 分 に お い て そ れ が 存続
し て い た の か が 最 大 の 問 題 と な っ て く る わ け で 、 こ れ を は っ き り と整
理 し つ つ 、 そ れ と 、 興聖
寺 と永
平
寺
の外
的環
境 の違
い と 合 わ せ考
え る こ と が、従
来
よ り 問 題 と さ れ て き た、禅
師
の 説 示 に お け る 矛盾
点 と も 見 ら れ る 部 分 に お け る 説 示 意 図 を明
か す鍵
と な る の で は な い か と 思 わ れ る の で あ る。 本論
文 は 、 こ の よ う な 観 点 か ら 、興
聖 ・ 永平
両僧
団
に お け る 対機
の問
題 を 中 心 と し て、禅
師 が ど の よ う な意
識
を も っ て そ れ に接
し て い た の か を 、禅
師
の 説示
の 中 か ら探
り出
す こ と を 目 的 と し た も の で あ る 。特
に 今 回 は そ の 意識
の違
い に つ い て 重点
的 に 論 じ て み る こ と に す る 。Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 一 、 『 永 平 広 録 』 巻 十
所
収 の偈
頌 に つ い て さ て、 そ の 両叢
林 に お け る禅
師 の 意識
の 違 い が、 最 も 顕 著 に 表 わ れ て い る と 思 わ れ る の が 、 次 に 示 す 『永
平
広録
』 巻 十 に 収録
さ れ る偈
頌
で あ る 。 以 下 に 、 そ の 表 題 を 『 永平
広録
』 の 編者
の 分類
に よ っ て 、在
宋 期 ・ 興 聖寺
時
代 ・越
前時
代
の 三 つ に 分 類 し た 一 覧表
を 示 し て み る。 【 在 宋 期 】15114113121110987654321
和 王 員 外 韻 和 文 本 秀 才 韻 ( 六 首 ) 続 溥 侍 郎 韻 和 文 本 官 人 韻 和 溥 来 韻 ( 二 首 ) 和 李 奇 成 忠 韻 ( 二 首 ) 与 茹 干 一 娘 与 南 綱 使 和 王 官 人 韻 ( 二 首 ) 与 茹 秀 才 和 妙 溥 韻 ( 五 首 ) 酬 王 観 察 韻 ( 二 首 ) 看 然 子 終 焉 語 ( 二 首 ) 続 宝 陀 旧 韻 与 宋 土 僧 妙 真 禅 人 【 興 聖 寺 時 代 】30
29 28 2712d
25
2423
22
21
20
19
18 17 16 与 成 忠 ( 二 首 ) 訪 全 禅 人 亡 子 題 報 慈 庵 悟 道 与 報 慈 庵 与 王 侍 郎 〔 五 首 ) 和 李 通 判 韻 和 王 好 溥 官 人 韻 与 郷 間 禅 上 座 答 陳 亨 観 察 酬 思 首 座 来 韻 詣 昌 国 県 補 陀 洛 迦 山 因 題 和 王 官 人 韻 与 茹 千 二 秀 才 答 大 宋 李 枢 密 〔 二 首 ) 酬 陳 参 政 韻 【 入 越 後 】 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) [9
]「8
]7654321
処 胎 八 十 年 、 像 法 八 十 年 、 説 法 八 十 年。 八 相 未 虧、 日 是 降 誕 日 也、 月 、 非 昨 月 、 非 尖 月 、 如 何。 12 重 陽 与 兄 弟 言 志 13 冬 夜 兄 弟 言 志 、 師 見 和 之 与 学 人 求 頌 与 野 山 忍 禅 人 与 禅 人 ( 八 首 ) 次 禅 者 来 韻 与 野 助 光 帰 大 宰 府 与 禅 人 求 頌 与 禅 人 求 頌 閑 居 之 時 ( 六 首 ) 春 雪 夜 ( 二 首 ) 大 師 釈 尊 、 在 世 八 十 年 正 法 八 十 年 末 法 八 十 年 雖 然 如 是、 諸 仏 同 参。 今 謹 賀 児 孫 八 十 五 夜、 於 月 前 各 頌 此 月 非 心 月 、 非 天 月 非 夜 月 、 非 円 月 想 像 是 秋 月 也、 国 天 満 天 神 諱 辰、 次 月 夜 見 梅 華 本 韻 圀 六 月 半 示 衆 囘 八 月 十 五 夜 國 [ 天 童 浄 和 尚 住 清 涼 寺 、 中 秋 示 衆 云 雲 散 秋 空 即 心 見 月 。 挙 払 子 云 。 看 。 師、 与 諸 兄 弟、 同 分 三 句 以 賞 三 夜 ] 十 五 夜 、 頌 雲 散 秋 空 十 六 夜 、 頌 即 心 見 月 十 七 夜 、 頌 挙 払 子 云 看 圈 [ 天 童 浄 和 尚 住 清 涼 寺、 中 秋 示 衆 云 家 家 門 前 照 明 月、 処 処 行 人 共 明 月 、 騎 鯨 捉 月。 師 又 与 兄 弟、 同 分 三 句 以 賞 三 夜 ] 十 五 夜 、 頌 家 家 門 前 照 明 月 十 六 夜 、 頌 処 処 行 人 共 明 月 十 七 夜 、 頌 騎 鯨 捉 月 [画11
匡到 「豆18 [到 硝 ヨ 栢 州 (亠 ハ 首 ) 冬 至 ( 二 首 ) 続 越 調 韻 仏 成 道 一 年 有 両 立 春 雪 夜 感 準 記 室 廿 八 字 、 病 中 右 筆 山 居 ( 十 五 首 ) 「 十 二 時 頌 】 半 夜 子 鶏 鳴 丑 平 旦 寅 日 出 卯 六 五Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) こ の う ち 、 番 号 を □ で 囲 ん だ も の は 、
偈
頌
で あ り 、 そ れ 以 外 は 、 で あ る 。 こ の 両者
の 比重
を時
代
区 分 ご と に 比 較 し て み る と 、 そ こ か ら禅
師
の 偈 頌 作 成 に対
す る 目的
意
識 の 違 い を 明 確 に知
る こ と が で き よ う 。 在宋
中
の偈
頌 は 、 対 象 を 人 物 に設
定
し得
な い も の は 僅 か 二首
( 第十
四 ・ 二 十 六 ) に す ぎ ず 、 ほ と ん ど が官
人 ・ 役 人 と の間
に 取 り交
し た も の で あ り 、 社交
的
色
彩 が 色濃
く 現 わ れ た も ( 8 ) の と い え る 。 次 に 、 興聖
寺
時
代 と 入 越後
の 対 比 で あ る が 、 こ こ に お い て 、 そ の傾
向 の 違 い が表
題 に は っ き り と現
わ れ て い る と い え る 。 す な わ ち 、 興聖
寺
時
代
は 、 在 宋 中 ほ ど で は な い に し ろ 、 禅 人 や禅
者
と 呼 ば れ る 人 々 に 、個
人 的 に 与 え た偈
頌 が 目 立 〔 9 ) つ 。特
に第
六 ・ 七 番 目 の 「 与 禅 人 求頌
」 と い う 表 題 は 、外
来
の 禅者
の求
め に 応 じ て 賦 し た も の と 考 え ら れ 、 『 正 法 眼蔵
随
聞 記 』 に見
ら れ る』
日僧
来
テ 問 L ( 巻 四 の 九 ) と い う書
き 出 し と 関 連 付 け る と 、興
聖 寺 に お い て 、禅
師 が そ の よ う な外
来
の参
禅者
に対
応 し て ゆ か ん と す る姿
勢
の 存在
し た 可 能性
が 指摘
で き る の で は な か ろ う か 。 こ れ に つ い て は 、後
に 対機
の問
食 事 辰 禺 中 巳 日 南 午 日 映 未 哺 時 申 日 入 酉 黄 昏 戌 入 定 亥 〈 因 在 相 州 鎌 倉 聞 驚 蟄 作 V 時 節 や 場 所 に 因 ん だ 僧俗
に関
わ ら ず 、 人 に 与 え た も の 六 六題
と し て 『 永平
広録
』巻
八 の法
語
と の 関 連 で考
察
し て み る 。 そ れ に対
し 、 入越
後 は そ の よ う な偈
頌
が僅
か に第
八 の 一 首 の み と な り 、 そ れ に 代 わ っ て 、 冬 至 や成
道
会
と い う 、時
節 に 因 ん で詠
ま れ た も の が 主 体 と な っ て い る の で あ る 。 こ れ は 、興
聖
寺
時
代 に お い て も 第 十 二 「 重 陽与
兄弟
言志
」 、 第 十 三 「冬
夜 兄弟
言 志、師
見
和
之
」 の よ う に 、重
陽
や冬
至 に 因 ん で 〔 −o )詩
作
の会
を催
し て い た こ と が 知 れ る の で あ る が、 さ ら に こ こ で は 、 そ れ が第
四 ・ 五 の よ う に 、 天童
山 の延
長 と し て 、 如 浄 を慕
い つ つ行
わ れ て い た こ と も 指摘
さ れ る 。 こ の よ う な 、時
節 に 因 ん だ 行 持 に 、祖
師
の 語 を踏
ま え る こ と は 、 『永
平
広録
』 の 上 堂 に お い て も 現 わ れ る傾
向 で あ っ て 、 こ こ に 、禅
師
の 永 平寺
に対
す る意
識
の → 端 を 垣間
見 る こ と が で き よ う 。す
な わ ち 、 そ れ は 、対
外
的色
彩 を払
拭
し 、純
粋 な る叢
林
の弁
道
ー 如 浄 を通
し て 理想
化
さ れ た 、 中 国 の 復古
禅 林 の そ れ ー へ と 方 向 付 け よ う と し た も の で は な い か と 思 わ れ る の で あ る 。 二 、 可 永 平広
録 』 法 語 の内
容 か ら 見 た 興 聖 寺 の 性 格 以 上 の よ う に 、 偈 頌 か ら は 、 興聖
寺
に お い て は 僧 団内
の 僧 侶 以 外 へ の説
示 の 存在
が多
く 認 め ら れ る の で あ る が 、 で は こ の よ う な対
機
を 設 定 し た場
合 、禅
師
が ど の よ う に そ れ に 対 応 し て い た の か 、 と い う観
点 か ら 、次
に 『永
平 広録
』 巻 八 に 収Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
録
さ れ る と こ ろ の 、漢
文 で 記 さ れ た法
語
に つ い て 見 て ゆ く こ と に す る 。 こ れ は同
時
に 、 興聖
寺
に お け る禅
師 の意
識
に直
結 す る も の と い え る 。 そ れ は こ の 一 連 の法
語
の う ち 、 説示
年
代 の設
定 可 能 な も の が 、 総 て 興聖
寺
時 代 で あ る こ と に よ る 。 さ ら に 、 こ れ は 水野
弥
穂
子 ・ 伊藤
秀
憲 両氏
に よ っ て指
摘
さ れ て い る こ と ( 11 ) で あ る が 、 そ の 他 の法
語 に つ い て も 、 皆 興 聖 寺時
代
の も の で あ る こ と が 推定
さ れ る の で あ る 。 こ の法
語
の内
容 に つ い て は 既 に 弓 永平
広録
』巻
八 所 収 の 法 語 に つ い て L ( 『曹
洞 宗 宗 学研
究 所 紀要
』 第 二 号 、 平 成 元 年 ) に お い て 、 具 体 的 に 分折
し た の で 、 こ こ で は 問 題 点 の み を 整 理 し て提
示
す る こ と に す る 。 ま ず 、対
機
の 設 定 の可
能 な 法語
に つ い て 、 そ の対
機 の 状態
と 説示
内 容 と に つ い て 、 内容
を 抄 出 し て み る 。 角A
群 》 ( 目 対 象 凵 参 禅 状 況 u 説 示 内 容 押 説 示 年 月 ) [ 第 二 法 語 ] 遠 江 厳 室 寺 住 持 、 円 智 上 人 ( 宗 派 不 明 )三 廻 覿 面、 咨 参 仏 祖 大 道。 ( 三 回 の み の 参 学 ) 智 禅 人、 請 此 掛 額 上、 月 久 日 深 、 於 仏 祖 道 中 雪 上 加 霜。 ・ ( 中 略 ) … 求 道 尋 師 、 此 世 流 布。 応 知 、 仏 法 弘 通、 正 真 時 節 也 。 ( 香 厳 撃 竹 大 悟 ・ 臨 済 六 十 棒 の、 師 に 参 じ る こ と の 重 要 性 を 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) 示 す 公 案 を 与 え る ) ( 12 ) 不 明。 ( 興 聖 寺 時 代 か [ 山 僧 、 養 道 為 懐 未 得 乱 道 ] ) [ 第 四 ・ 十 二 法 語 ] 了 然 道 者 ( 尼 僧 ) 了 然 道 者 、 志 道 之 切、 余 輩 未 可 斉 肩。 ( 禅 師 会 下 に お け る 継 続 的 弁 道 を 示 唆 す る 。 鳥 取 県 明 里 家 に は、 禅 師 の 示 寂 ま で 参 じ た と い う 伝 承 有 り ) 夫 赤 肉 団 上、 莫 留 一 句 半 偈 ・ 片 言 少 語。 清 冷 冷 地、 得 一 分 相 応 也。 若 留 = 言 半 句 、 仏 祖 言 辞 ・ 宗 門 公 案 者、 便 悪 毒 也。 ( 第 四 法 語 で 文 字 言 句 に 執 わ れ る こ と を 徹 底 的 に 否 定 ) 寛 喜 三 年 ( 一 ニ ゴ ニ ) 七 月 ( 第 四 法 語 ) [ 第 五 法 語 ] 太 宰 府 野 公 大 夫 ( 官 吏 ・ 儒 林 学 士 ) 甲 午 冬、 初 以 相 見 。 乙 未 夏 、 再 以 入 室 。 ( 二 度 の 入 室 ) 永 嘉 云、 遊 河 海 渉 山 川、 尋 師 訪 道 為 参 禅。 是 乃 吾 出 家 児 参 禅 之 様 于 也。 士 大 夫 不 必 然 矣。 而 身 為 出 家 児 、 無 出 家 児 之 志 気 、 豈 為 出 家 児 乎。 身 為 士 大 夫 、 還 有 出 家 児 之 行 覆、 勝 於 出 家 児 、 … ( 中 略 ) … 自 夏 之 秋 月 余 之 日 、 請 益 古 則 、 挙 拈 新 条。 ( 出 家 者 と 士 大 夫 の 学 道 の 別 を 説 き 、 公 案 を 与 え る ) 嘉 禎 元 年 ( 一 二 三 五 ) 冬 [ 第 十 法 語 ] 普 燈 都 正 ( 都 僧 正 団 僧 官 ) 官 僧 の 可 能 性 高 く 、 禅 師 会 下 に 常 駐 し た と は 思 わ れ な い。 一 六 七
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) 釈 迦 老 師 出 世 為 大 医 王 、 憐 愍 衆 生 沈 苦 海、 於 是 興 慈 運 悲 、 以 種 種 方 便 演 出 一 大 蔵 経. … ( 中 略 ) … 「 丸 消 衆 病、 不 仮 薬 方 多 。 老 漢 通 身 是 病 、 正 覓 起 処 不 得 。 普 燈 都 正 、 既 有 如 此 作 略 、 試 令 著 眼 看。 ( 釈 尊 の 転 じ た 大 蔵 経 を 応 病 与 薬 の 方 便 と 捉 え つ つ 、 そ れ と 同 じ 能 力 が 普 燈 都 正 に あ る と 讃 え る。 社 交 的 色 彩 が 強 い ) 不 明 [ 第 十 三 法 語 ] 行 玄 禅 人 ( 年 齢 十 五 年 、 法 令 一 歳 ) 十 四 歳 作 僧。 随 我 衆 席 、 朝 参 暮 請。 南 嶽 十 五 歳、 捨 教 而 学 道 。 侏 亦 十 五 歳 、 依 法 而 学 道。 両 箇 一 箇、 打 得 徹、 徹 得 打 也 。 莫 得 打 也。 莫 謂 少 年、 便 是 古 仏 也 。 ( 十 五 歳 で 禅 宗 に 身 を 投 じ た 南 嶽 の 例 を 挙 げ 、 年 少 の 行 玄 を 励 ま す ) 不 明 [ 第 十 四 法 語 ] 僉
B
群 》 某 士 大 夫 ( 複 数 か ) 参 学 士 夫 ( 団 参 禅 者 ? ) 相 将 学 道、 訪 師 為 先 。 … ( 中 略 ) … 士 大 丈 夫、 及 見 知 識、 先 問 一 則 因 縁、 直 須 留 心 勤 学 。 ( 相 将 の 学 道 は 尋 師 訪 道 を ま ず 為 す べ き こ と を 示 し、 例 と し て 、 楊 文 公 ・ 季 附 馬 ・ 裴 休 ・ 粛 宗 等、 居 士 の 因 縁 を 引 く ) 不 明 [ 第亠 ハ 法 韮 贈 ] 一 六 八 慧 運 直 歳 禅 師 の 会 下 ( 興 聖 寺 ) に 所 属 。 直 歳 の 労 を ね ぎ ら う。 ( 仁 治 二 年 五 月 に 僧 堂 の 屋 根 が 損 壊 し た こ と を 伝 え る ) 仁 治 二 年 ( 一 二 四 一 ) 冬 。 [ 第 七 法 語 ] 顕 慧 禅 人 ( 浄 司 ) 禅 師 門 下 の 僧 今 充 浄 司、 乃 仁 治 辛 丑 歳 也 。 忝 侍 奉 十 方 仏 祖 也。 為 参 頭 、 為 随 衆 。 ( 小 頭 首 と し て の 浄 頭 を、 あ く ま で そ れ が 仏 祖 に 奉 侍 す る 役 職 で あ る と し て 讃 え る ) 仁 治 三 年 ( = 一 四 二 ) こ れ を 見 て ま ず気
付
く の は 、 内容
的 に 公案
参
究
に 関 し て言
及 す る も の が 目 立 つ こ と で あ る (A
群
) 。 そ し て今
一 つ 、 入越
後 に は 総 て 上堂
語
に 組 み 込 ま れ る 、 知 事 ・頭
首
に対
す る謝
辞
が 、 興 聖 寺 で は法
語 と し て個
人 的 に 与 え ら れ て い る こ と も問
題 と な ろ う (B
群
) 。 こ の う ち 後者
に つ い て は 、後
に 上堂
語 と の関
連
で 述 べ る こ と と し 、 ま ず、 公案
依
用 の問
題 か ら考
え て み る こ と に す る 。 こ の 法 語 の中
で 、 文 字 言 句 を 用 い る こ と を 否定
す る の は 、 了 然 尼 に 与 え た第
四法
語 の み で あ る 。 そ し て こ れ と は 逆 に 、Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty
積
極 的 に参
究
す べ き こ と を 説 く の が 、第
二 ・ 五 ・ 十 四 法 語 で あ る。 こ れ に つ い て 伊 藤秀
憲 氏 は 、 そ の 公案
が 総 て 師 と 弟 子 の 機縁
を 示 し た も の で あ る こ と か ら 、 こ れ が 坐禅
に お い て 参究
す べ き 対象
と し て 与 え ら れ た も の で は な く 、 自 己 の 仏 法 を 理 解 ( 13 ) せ し め る 手段
と し て用
い ら れ た も の で あ る と さ れ る 。 し か し 、 こ れ が皆
、禅
師 の 会 下 で 継 続 的 弁 道 を 行 い得
な い 、 在 家 居 士 や他
宗 か ら の 参禅
者
に 対 し て の も の で あ る こ と と 、 唯 一 文 字言
句
に執
わ れ る こ と を 徹底
的 に 退 け る 第 四 法 語 が 、 禅 師 の 会 下 で 抜群
の 志 気 を 示 し て い た 了 然 に対
し て の も の で あ る こ と を考
え る と 、 こ の 公案
の 依 用 が 、 説示
対象
の 置 か れ た位
置 、 お よ び そ の 仏 法 理 解 の度
合 に よ っ て 斟 酌 さ れ て い た 可 能性
が指
摘
で き る の で あ る 。 つ ま る と こ ろ 、 こ こ か ら は 、 自 己 の 仏 法 を種
々 の方
法 で 多 く の 人 に知
ら し め ん と す る 、 対外
的 な意
識
を汲
み取
る こ と が可
能
だ と 思 わ れ る の で あ る 。 こ れ は 、個
人 の要
望 に応
じ て書
き 与 え る 、 と い う 法 語 の 性格
か ら は 当 然導
か れ る 結論
で は あ る が 、 こ れ が 興聖
寺 時代
に ( 14 )集
中
し て い る こ と に は 注 目 し な け れ ば な ら な い 。 で は、 こ れ に 対 し て い か な る 理 由 付 け が可
能 か と い え ば 、第
一 に は 、中
世 古 氏 の 指摘
さ れ る よ う に 、 興聖
寺
が そ の 地 理 的条
件 か ら 、 永 平 寺 に 比 し て 人 の 出 入 り が激
し か っ た こ と が 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) 〔 15 ) 挙 げ ら れ る 。第
二 に は 、 僧 堂 等 の 伽 藍設
備
が整
っ て い な か っ た た め に 、説
示 が 勢 い こ の よ う な 法語
の形
と な ら ざ る を得
な か っ た こ と も指
摘
で き る が 、 こ れ に つ い て は 、 先 に も指
摘
し た 、 上 堂 の盛
ん と な る時
期 の法
語 に 、知
事
・ 頭 首等
に対
す る 言 葉 が 含 ま れ て い る こ と か ら 、積
極 的 に受
け 入 れ る こ と は で き な い 。第
一 に つ い て も 、印
象
と し て は あ り そ う な こ と で あ る が 、 実 際 に は 、 入 越後
も 一 概 に 対外
関
係
が 減 少 し た と は い ( 16 ) え な い の で あ る 。 で は こ れ を ど の よ う に 定義
付
け る か と い え ば 、 そ れ が禅
師
自
身
の 方針
に よ る も の で あ る可
能
性 が残
る の で あ る 。 そ し て こ れ が、 興聖
寺
時
代 に 集 中 し つ つ 、 仮名
『 正 法 眼 蔵 』 の示
衆
及
び 法 堂 の完
成
以 降 の 上堂
語 と 混 在 し て い る 、 と い う事
実
と を 考 え 合 わ せ る と 、 そ れ が 、 禅 師 の 僧 団 の社
会 的 地 位 の確
立 と 、 そ の拡
張
と を 意 図 し た も の と す る こ と も で き よ う 。 こ れ は 、禅
師 の 伽 藍建
立 の 意 識 に も 現 わ れ て い る と 思 わ れ る 。 以 下 に 、 こ れ に 関 す る禅
師 の 説 示 を 列挙
し て み る 。 ○ 宇 治 観 音 導 利 院 僧 堂 勧 進 疏 ( 嘉 禎 元 年 ) 道 元 入 宋 帰 朝 以 来、 一 寺 草 創 願 志、 雖 二 年 久 月 濃→ 無一表
盂 応 τ 挂。 而 今 獲 二 勝 地 「 処 叩 在一・ 深 草 辺、 極 楽 寺 之 内 → 初 号 二 観 音 導 利 院 司 薙 草 之 上、 未二 叢 林 叩 欲 レ 構’此
処 於 甲 刹 罵 寺 院 之 最 要 、 仏 殿 ・ 法 堂 ・ 僧 堂 也。 仏 殿 有 レ 本 、 法 堂 未、 僧 堂 最 切 要 也 。 今 為 レ 建 レ 茲。 … ( 中 略 ) … 爰 雖 レ 可 ピ 覓 二 一 力 終 功へ 為 引 偏,績
良
, 縁 パ 一 六 九Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) 広 化 期 十
方
州 , ,竺
翁, 「, 漢 七 之 是 勝躅
也 、 正 法 ・ 像 法 之 是 僧 儀 也。 納 二 檀 主 名 字 聖 像 腹 心 → 為 二 万 字 之 種 智 → 為 二 自 他 之 文 彩 刈 ( 下 ・ 四 〇 〇 〜 一 ) ○ 長 円 寺 本 『 正 法 眼 蔵 随 聞 記 』 巻 三 の 六 ( 嘉 禎 年 間 ) 又 云、 当 世 ノ 人、 多 造 像 ・ 起 塔 等 ノ 事 ヲ 仏 法 興 隆 ト 思 ヘ リ 、 又 非 也 。 直 饒 高 瞠 猷 観 珠 ヲ 磨 テ 金 ヲ ノ ペ タ リ ト モ 、 因 レ 是 得 道 ノ 者 ア ル ベ カ ラ ズ 。 只 在 家 人 ノ 財 宝 ヲ 仏 界 二 入 テ、 善 事 ヲ ナ ス 福 分 也。 小 因 大 果 ヲ 感 ズ ル コ ト ア レ ド モ 、 僧 徒 ノ 此 事 ヲ 営 ハ 、 仏 法 興 隆 二 非 ル 也 。 … … ( 中 略 ) 今 僧 堂 ヲ 立 テ ン ト、 勧 進 ヲ モ シ、 随 分 二 労 ス ル コ ト ハ 、 必 シ モ 仏 法 興 隆 卜 思 ハ ズ 。 只 当 時 学 道 ス ル 人 モ 無 ク 、 徒 二 日 月 ヲ 送 ル 問、 只 ア ラ ン ヨ リ モ ト 思 テ 、 迷 徒 ノ 結 縁 ト モ ナ レ カ シ、 又 当 時 学 道 ノ 輩 ノ 坐 禅 ノ 道 場 ノ 為 也 。 ( 日 本 古 典 文 学 大 系 『 正 法 眼 蔵 ・ 正 法 眼 蔵 随 聞 記 』 三 六 二 頁 ) ○ 「 知 事 清 規 」 ( 寛 元 四 年 ) 夫 高 堂 台 池 之 構、 世 間 出 世 同 所 レ 誡 也。 尸 子 日、 欲 レ 観一黄
帝 之 行一 於 二 合 宮 → 欲 レ 観 二 堯 舜 之 行一 於 且 総 章 叩 黄 帝 明 堂 以 レ 草 蓋 レ 之、 名 日 二 合 宮 → 堯 舜 之 明 堂 以 レ 草 蓋 レ 之、 名 日 「 総 章 → 以 レ 之 知 レ 之、 古 之 聖 賢 之 君 、 宮 垣 室 屋 弗 レ 崇、 茅 茨 之 蓋 不 レ 剪 。 況 乎 仏 祖 之 児 孫 、 誰 事 二 豊 屋一 経 二 営 干 朱 樓 玉 殿一 者 乎 。 一 生 光 陰 不 レ 幾 、 莫二 虚 度一 矣。 予、 二 十 余 年 歴’觀
両 朝ハ 或 老 年 或 壮 齢 、 不 レ 惜 二 寸 陰一 経 二 営 土 木 「 之 者 多。 唐 労一 二 世 → 周 章 失 度 、 哀 哉、 苦 哉 。 白 法 如 レ 抛、 黒 業 未 レ 舎 。 若 覚一残
命 之 稍 少→ 豈 貪二 樹 功 之 高 大一 者 哉 。 ( 下 ・ 三 三 こ ○ 永 平 寺 住 侶 制 規 ( 建 長 元 年 ) 一 七 〇 一 、 当 寺 住 侶、 不 レ 可 レ 補二 自 他 寺 院 勧 進 職一 事。 ( 下 ・ 三 六 七 ) 以 上 の例
か ら 、禅
師 に お い て は 、 興聖
寺 ・ 永平
寺 を通
じ て 、僧
侶 が そ れ に腐
心 す る こ と に対
し て は否
定
的
だ っ た と い ( 17 ) え る 。 し か し 、嘉
禎
年 間 に は 僧堂
の 勧 進 を 行 っ て い る の で あ る 。 こ れ を ど う解
釈 す る か が 問題
な で あ る が 、 そ れ は 、 上 の 「 僧 堂勧
進
疏 」 や 『 正 法 眼 蔵随
聞 記 』 ( 点線
部
) に 見 え る よ う に 、 「衆
生 と の 結 縁 の た め に 」敢
て こ れ を行
な っ て い る の で あ る 。 こ の よ う な 発言
の な さ れ る こ と も 、 上 に述
べ て き た 、 興聖
寺
時 代 の禅
師 の 意 識 の 一 端 を 示 す も の と い え よ う 。 三 、 『 永 平 広 録 』 に 見 え る 叢 林確
立 の 意 識 で は 次 に 、 知事
・頭
首
に 関 す る法
語 (B
群
) と 、 『永
平
広
録
』 の 上堂
に 見 え る 知 事請
謝
の語
と を 対 比 し つ つ 、 そ の 存在
意
義 に つ い て 考 え て み た い 。 ま ず そ れ が 、何
時
ど の よ う な形
で 行 わ れ た の か が問
題 で あ る が 、 以 下 に そ れ を 、 年代
を追
っ て 示 し て み る 。 仁 治 二 年 巻 八 ・ 第 六 法 語 ( 直 歳 ) 仁 治 三 年 巻 八 ・ 第 七 法 語 ( 浄 頭 ) 寛 元 元 ・ 二 年 〈 な し 〉 寛 元 三 年12
月 巻 二 ・ 第 = 二 七 上 堂 ( 謝 監 寺 ) 同 巻 二 ・ 第 二 二 八 上 堂 ( 謝 典 座 )Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 寛 元 四 年 宝 治 元 年 宝 治 二 年 建 長 元 年 建 長 二 年 建 長 三 年 同 巻 二 ・ 第 = 二 九 上 堂 ( 請 監 寺 ・ 典 座 )
4
月 巻 二 ・ 第 五 七 上 堂 ( 請 知 客 )8
月 巻 二 ・ 第 一 九 〇 上 堂 ( 謝 新 旧 維 那 ・ 知 客 )12
月 巻 三 ・ 第 二 一 四 上 堂 ( 謝 新 旧 監 寺 ・ 典 座 ) 〈 な し 〉歪編
同胃
秋 冬 夏 同 同冒
巻 四 ・ 第 二 九 八 上 堂 ( 謝 維 那 ) 巻 四 ・ 第 二 九 九 上 堂 ( 謝 監 寺 ) 巻 四 ・ 第 三 〇 〇 上 堂 ( 請 監 寺 ) 巻 四 ・ 第 三 三 六 上 堂 ( 請 書 記 ) 巻 五 ・ 第 三 五 七 上 堂 ( 請 典 座 ) 巻 五 ・ 第 三 八 五 上 堂 ( 謝 維 那 ) 巻 五 ・ 第 三 九 八 上 堂 ( 請 首 座 ) 巻 五 ・ 第 四 〇 一 上 堂 ( 請 典 座 ) 巻 六 ・ 第 四 一 六 上 堂 ( 請 典 座 ) 巻 六 ・ 第 四 六 〇 上 堂 ( 請 書 記 ) 巻 六 ・ 第 四 六 七 上 堂 ( 請 蔵 主 ) 以 上 の よ う に 、興
聖寺
時代
に は 、先
に も 触 れ た が 、 そ れ は法
語 と し て 個 人 に与
え た 二 例 の み で あ る 。 そ し て そ れ が 、 仁 治年
間 の 、 『永
平 広録
』巻
一 の 上 堂 が 盛 ん に な る よ う に な っ ( 18 ) た 時 期 と ]致
す る こ と を指
摘
し て お き た い 。 そ れ に 対 し て 入 越 後 は 、 上 堂 が 開始
さ れ た 寛 元 三 年 以降
、 建 長 三年
に な る ま で 、 知 事交
替 の 時期
に 、 鎌 倉行
化 で禅
師
が 山 内 に 不在
で あ っ た 、 宝 治 元年
を 除 い て 、 毎年
必 ず 上堂
と し て 行 わ れ て い る の ( 19 ) で あ る。 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) 両者
の こ の違
い は 重要
で あ る 。 す な わ ち 、 定期
的 に 上堂
に 組 み 込 ま れ る と い う こ と は 、 そ れ を 正 式 な叢
林 の行
持
の 一環
と し て 位 置付
け る 意 味合
い が あ っ た こ と に な る 。逆
に考
え れ ば 、 興 聖 寺時
代
は 、 上堂
が 行 な わ れ て い る に も か か わ ら ず 、 そ れ と は別
に法
語
を 以 て こ れ に充
て て い る の で あ る か ら、 そ の他
の 法 語 の説
示 対象
を考
え れ ば 、禅
師 の意
識
に お い て も 、 ま た会
下 の 僧侶
に お い て も 、 そ れ が 未 分 化 の 状態
だ っ た の で は な い か と推
測 さ れ る の で あ る 。 そ し て さ ら に こ れ ら は 、時
代 を 経 る に つ れ て 、 内容
が簡
略
( 20) に な る 傾 向 が 見 ら れ る 。 こ れ は 、 こ れ ら の 上堂
が定
例化
し て い っ た こ と を意
味
す る の で は あ る ま い か。 も ち ろ ん こ れ を 行 な い得
た第
一 の要
因 は 、 そ の 重要
性
を説
き続
け た 禅師
の努
力 が 、 大衆
に 浸 透 し て い っ た か ら に他
な ら な い 。 確 か に 大衆
の 理 解 が深
ま る に 従 っ て 、 事 細 か な説
明
が 不 用 と な っ て く る こ と は 、容
易
に 想 像 が 付 く。 し か し そ れ だ け で は 、 定義
付
け の 不 可能
な 上堂
も 存在
す る。 そ れ は 、冬
至 や 歳 旦等
の 、 時節
に因
ん だ特
別
上 堂 な の で あ る が 、 そ の 一例
と し て 、 歳 旦 上堂
を取
り 上 げ て み る 。 [ 巻 → ・ 第 九 〇 上 堂 ] ( 仁 治 三 年、 興 聖 寺 ) 歳 旦 上 堂 。 天 宇 廓 清 一 得 レ 一 清 。 地 区 含 潤 千 通 万 達 。 当 恁 麼 時、 作 麼 生 。 良 久 云 、 春 信 通 レ 和 偏 界 芳。 東 君 兀 兀 坐 二 雲 堂 鱒 枝 枝 芸 笑 珊 瑚 色。 世 界 華 開 是 帝 郷 。 ( 下 ・ 二 四 ) 一 七 →Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) [ 巻 二 ・ 第 一 四 二 上 堂 凵 ( 寛 元 四 年 ・ 大 仏 寺 ) 歳 朝 上 堂。 挙 。 宏 智 古 仏 住 二 天 童 一 歳 朝 上 堂 云。 歳 朝 坐 禅、 万 事 自 然 。 心 心 絶 待 、 仏 仏 現 前。 清 白 十 分 江 上 雪。 謝 郎 満 レ 意 釣 魚 船。 参 。 師 云 、 今 朝 大 仏 拝 ゴ 続 其 韻 刈 良 久 云 、 大 吉 歳 朝 喜 一
坐
禅叩 応 レ 時 納 レ 祐 自 天 然。 心 心 慶 快 笑 = 春 面 → 仏 仏 牽 レ 牛 入 二 眼 前 刈 呈 レ 瑞 覆 レ 山 盈 レ 尺 雪。 釣 レ 人 釣 レ 己 釣 漁 船 。 ( 下 ・ 三 六 ) [ 巻 三 ・ 第 二 一 六 上 堂 ] ( 寛 元 五 年 、 永 平 寺 )覇
上 堂 . 嫉鏤
燬
蝶
肇
吉 歳 朝 喜 ・ 坐 禅鶸
僧 弁 道 平 如 然 。 人 人 慶 快 春 面。 鼻 孔 眼 睛 現 前。 清 白 十 分 江 上 雪。 謝 郎 満 レ 意 釣 魚 船。 ( 下 ・ 五 六 ) [ 巻 四 ・ 第 三 〇 三 上 堂 ] ( 宝 治 三 年 ) 歳 朝 上 堂 .鑼
購馨
鹸
驫
響杢
・ 歳 朝 坐 禅 . 衲 僧 弁 道 平 然。 人 人 笑 面 春 色。 仏 仏 鉢 盂 現 前。 梅 謌 一 曲 千 峰 雪 。 謝 郎 満 レ 意 釣 魚 船。 参 。 ( 下 ・ 七 四 )傍
線
お よ び波
線
で 示 し た よ う に 、 入 越後
の 歳 旦 上 堂 は 、皆
同 じ く宋
版 田 宏智
録 』巻
三 ( 大 正蔵
本 で は巻
四 ) の 歳 旦 上堂
( 石 井 修 道編
『宏
智
録
』 上 ・ 二 一 〇 頁 ) を引
き つ つ 、 そ れ に コ メ ン ト を付
す 形 で 行 わ れ て い る 。 ま た そ れ に 対 す る 禅 師 の 拈提
も、 非常
に 似 通 っ た も の と な っ て い る こ と が 分 か る。 す な わ ち 、 こ の 上 堂 に お い て は 、 そ れ が定
例
化 さ れ る と 同時
に 、内
容
の定
型 化 が 行 わ れ て い る の で あ る 。 こ れ と 同様
に 同 宏 智録
』 を 用 い る も の は 、 結 夏 上堂
( 第 二 五 七 ・ 三 二 二 上 堂 11 『 宏 智録
』巻
三 く 石井
本
、 上 ・ 二 〇 一 〜 一 七 二 二 頁 〉 か ら の引
用 ) 、 端 午 上 堂 (第
二 四 二 ・ 二 六 一 ・ 三 二 六 上堂
凵 『 宏智
録
』巻
三 〈 石 井本
、 上 ・ 一 五 八 〜 九頁
〉 か ら の引
用 ) 、 冬 至 上堂
( 第 一 三 五 ・ 二 〇 六 ・ 二 九 六 上堂
11 『宏
智録
』巻
三 〈 石 井 本 、 上 ・ 一 五 二頁
〉 か ら の 引 用 ) が あ る 。 ま た 、 臘 八 上堂
の 一部
(第
三 六 〇 ・ 四 七 五 上 堂 ) で は 『 仏本
行
集 経 』 巻 三十
か ら の 二箇
所 の 引 用 ( 大 正 三 ・ 七 五 九 c 、 七 九 六 a 〜b
) を 用 い て い る 。 こ の こ と か ら 推 測 で き る の は 、 因 事 上 堂 に 限 っ て み れ ば 、禅
師 が 、 こ の 日 に は こ の 内容
、 と い う定
型
化 を 図 っ て い る可
能
性
で あ る 。 さ ら に い え ば 、 こ れ は年
分行
持
と し て の 儀 式化
に も繋
が る と い え よ う 。 こ れ ら の 上堂
は 、先
に も述
べ た よ う に 、対
機
と の 関 連 性 は 極 め て 薄 い も の と い え る の で あ る か ら 、 会 下 の 大 衆 と の 関 連 か ら の 理 由 付 け は 、当
然
不 可 能 で あ る。 従 っ て、 こ こ に 禅 師 の 意識
と し て の 、 純粋
叢
林
確 立 の意
図
を見
て か ら ゆ か ぬ ば な ( 21 ) ら な い と 思 わ れ る の で あ る 。 そ し て そ れ は、 宏智
の言
葉 の頻
出
す る こ と や 、 あ る い は 先 の 偈 頌 に 見 た よ う な 、 如 浄 の 言 葉 を 用 い て の 定 期 的 な詩
作 (前
出 偈 頌 一 覧 【 入 越後
】4
・5
) な ど か ら 、禅
師 が 意 識 し て い た の が 、 具体
的 に 、師
の 如 浄 を通
し て 理 想 化 さ れ た 、 宋 代 の 復 古禅
林
だ っ た と す る こ と も可
能
な の で は な か ろ う か 。 こ の よ う な推
測 を 成 り 立 た し め る ほ ど 、 こ の 『 宏智
録
』 か らKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty の 引 用 は 、
尊
崇
と 憧憬
の念
を 以 て 行 わ れ て い る の で あ る 。 さ て 、 以 上 の こ と か ら は 、禅
師 が 、 入 越 の 後 に在
家者
に 対 す る 配 慮 を完
全 に 切 り捨
て 、専
一 な 弁道
を 中 心 と し た 一 箇 半 箇 の 接 得 に専
心 し た と し か 思 え な く な る 。 し か し 、禅
師 の 入越
自
体 、壇
越
の 波多
野
氏 お よ び俗
弟 子覚
念
の 勧 誘 が そ の 大 き ( 22 ) な 要 素 の 一 つ と な っ て い る可
能
性 が 指摘
さ れ て お り 、 ま た 、 大 仏 寺 の 建 立 に つ い て も 、 こ の 両 者 の尽
力
に よ る も の で あ る こ と は 明 ら か な の で あ っ て 、 こ れ ら を無
視
し て 永平
寺
の 状 態 を語
る こ と は で き な い 。 ま た そ の 他 に も 、 入 越後
の禅
師 の在
家者
に 対 す る説
示 は 、数
多
く 挙 げ ら れ る 。 さ ら に 言 え ば 、禅
師 の 示寂
の地
は、 越前
永
平寺
の 山 内 で は な く 、京
都 の俗
弟
子覚
念 の 私 邸 で あ っ た 。 そ こ で、 以下
に お い て は 、 そ の よ う な在
俗
の 人 々 の 、特
に 永 平 寺 に お け る位
置
付 け の 「端
を 見 て み る こ と に す る 。 四 、 諸 清規
に 見 え る 施 主 ・ 檀 越 に 関 す る 記 述禅
師 の 在 家者
と の 関 係 は 、本
来
な ら ば 、禅
師 の対
外 的交
流 ( そ の 最 た る は 、 鎌倉
行
化
の 問 題 な の で あ る が ) を踏
ま え て 、網
羅
的 に行
な う べ き で あ る が 、 こ れ に つ い て は 稿 を 改 め て 論 じ る こ と に し、 こ こ で は 、 寺院
運
営 の 経 済 的 基 盤 と し て の 施 主 ・檀
越 に 関 す る記
述 に つ い て の み 見 て み る こ と に す る 。 以 下 に 、 諸清
規 よ り 、関
連 す る 記 述 を抜
き 出 し て み る 。 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) ○ 「 典 座 教 訓 一 ( 嘉 禎 三 年 ) 施 主 入 院 、 捨 財 設 斎 、 亦 当 二 諸 知 事 一 等 → 是 叢 林 旧 例 也。 ( 下 ・ 二 九 七 〜 八 ) ○ 「 重 雲 堂 式 」 ( 延 応 元 年 ) 堂 の う 勅 縦 て 念 誦 看 経 す べ か ら ず 。 檀 那 の 一 会 の 看 経 を 請 せ ん は ゆ る す 。 ( 下 二 二 〇 六 ) ○ 「 対 大 己 五 夏 闍 梨 法 」 ( 寛 元 二 年 ) 第 五 十 、 大 己 若 為 二 檀 越 一 説 経 、 正 坐 而 聴 、 不 レ 得 二 急 起 而 法 司 ( 下 ・ 三=
) ○ 「 知 事 清 規 」 〔 監 院 〕 ( 寛 元 四 年 ) 増 一 阿 含 第 三 云、 仏 在 二 給 孤 司 告 二 諸 比 丘鱒 応 当 下 恭 二 敬 檀 越 施 主 → 如 レ 孝一順
父 母一 養 レ 之 待 亠 乏。 施 主 能 成旧一 戒 定 智 慧 → 多 レ 所一一 饒 益 鱒 於二 三 宝 中 叩 無 レ 所’聖
礙→ 能施
西
事 「 故。 … … ( 中 略 ) … … … 然 則 恭 二 敬 於 檀 越 施 主→ 慈 二 心 於 檀 越 施 主 → 既 是 如 来 世 尊 之 教 勅 也。 雖 二 小 因 一 感・ 一 大 果 → 唯 三 宝 之 福 田 而 已 。 〔 下 ・ 三 三 六 ) ○ 永 平 寺 庫 院 制 規 ( 宝 治 二 年 ) 自 今 已 後 可 二 停 口「 口 ぬ タ 一 、 施 主 斎 僧 之 時 、 将 レ 銭 為 レ 米 匚 口、 雖 レ 用 二 庫 院 米→ 算 二 計 其 所 費 → 而 早 買 レ 米 、 以 可幽・ 弁 置一 也。 不 レ 可 下 以二 其 銭「 使 中 他 用 卸 ( 下 略 ) ( 下 ・ 三 六 二 ) ○ 「 赴 粥 飯 法 」 ( 永 平 寺 ) 粥 後 放 参、 即 住 寺 人 出 堂 、 打 二 放 参 鐘一 三 下。 如 レ 遇 二 早 参一 更 不 レ 打 レ 鐘。 如為
一 斎 主ハ 三 下 後 陞 堂。 亦 須 レ 打二 放 参 鐘 刈 ( 下 ・ 三 五 六 〜 七 ) ○ 永 平 寺 告 知 事 文 ( 永 平 寺 ) 一 七 三Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) 今 告 二 知 事而 自 今 己 後 、 若 遇 二 午 後 檀 那 供 飯 ハ 留 待二 翌 日 幻 如 二 其 麺 餅 菓 子、 諸 般 粥 等 → 雖 レ 晩 猶 行 、 乃 仏 祖 会 下 薬 石 也 。 況 大 宋 国 之 内 、 有 道 之 勝 躅 也。 如 来 曾 許一・ 雪 山 僧 之 裹 服 衣ハ 当 山 亦 許 二 雪 時 之 薬 石一 矣。 ( 下 二 二 四 七 ) 〈 参 考 〉 『 正 法 眼 蔵 』 「 看 経 」 ( 仁 治 二 年 示 衆 、 寛 元 三 年 書 写 ) 現 在 仏 祖 の 会 に、 看 経 の 儀 則 そ れ 多 般 あ り。 い は ゆ る 、 施 主 入 山 請 大 衆 看 経 、 あ る い は 常 転 請 僧 看 経 、 あ る い は 僧 衆 自 発 看 経 等 な り 。 こ の ほ か 、 大 衆 為 亡 僧 看 経 あ り 。 施 主 入 山 請 僧 看 経 は 、 当 日 の 粥 時 よ り 、 堂 司 あ ら か じ め 看 経 牌 を 僧 堂 前 お よ び 諸 寮 に か く 。 ( 上 ・ 二 七 三 ) 以 上 の よ う に 、
施
主 や檀
越 へ の 対 応 の仕
方 に 関 す る 記 述 は 、 清 規 や 諸規
定 の ほ と ん ど に 見 る こ と が で き る。特
に斎
会 に関
し て は 、 む し ろ永
平寺
の方
が 詳 細 に な っ て い る印
象 さ え ( 24 )受
け る の で あ る 。 す な わ ち こ の 一 連 の 記述
か ら は 、 出 家 者 が専
一 に弁
道
を な し得
る基
盤 と し て 、 経済
的 援 助 者 で あ る と こ ろ の 檀 越家
を非
常
に 重視
し て い た こ と が 知 れ る。 そ し て な お か つ 、 そ の位
置
付
け か ら み れ ば 、 在家
外 護者
の 扱 い は 、 興聖
寺
・ 永 平寺
を 通 じ て、全
く変
化 し て い な い と い え よ う 。 こ の 事実
と 、 上 に 述 べ て来
た 『 永 平 広録
』 に見
ら れ る説
示傾
向 と を関
連 付 け る と、 大 仏事
の 完 成 以 降 、 在家
者 は 、仏
法 を 説 き 示 す対
象
か ら除
外
さ れ 、 僧 団 運営
の 経 済 的援
助者
と し て の み 位置
付 け ら れ た 可能
性
が 指 摘 で き る 。 し か し、外
護
者 は 、 興 聖寺
に お い て も は じ め か ら 外 護 者 と し て位
置
付 け ら れ 皿 七 四 て い た わ け で 、 そ の 点 か ら す れ ば 、 実 際 に 入越
後
に禅
師 の意
識 か ら 切 り 落 と さ れ た の は 、 正式
に 僧 団 に 所属
せ ず 、 か と い っ て 、施
主 と も な り え な か っ た 、僧
・俗
の 中間
に 位 置 す る遊
動的
な性
格 の 人 々 だ っ た と 思 わ れ る の で あ る 。 こ の よ う な 人 々 に対
し て の 、法
語 や 偈 頌 の形
で の 、 そ の置
か れ た 状 況 に合
わ せ た 説 示 は 、 入越
後 、 特 に 「永
平 広録
』 の 上堂
に お い て 全 く 見 ら れ な く な る 。 す な わ ち結
果 的 に 、 中間
層
が な く な る こ と に よ っ て 、在
家
者
と の 距離
が増
大 し た こ と に な る の で あ っ て 、 こ れ が 、従
来
い わ れ る禅
師
の 出 家 主義
化
と い う 判 断 に繋
が っ た の で は な い か と 思 わ れ る の で あ る 。 む す び 以 上 、 種 々 の 角度
か ら 、禅
師
の 僧 団 に 関 す る 意 識 に つ い て 論 じ て き た の で あ る が、最
終 的 に 、興
聖寺
と永
平寺
の 違 い は 、 禅 師 の会
下 に常
駐 し な い人
々 に 対 す る 、扱
い の相
違 で あ る と 結 論 付 け ら れ る と 思 わ れ る 。 す な わ ち 、 興 聖 寺 で は 、 『永
平
広録
』 所 収 の 法 語 や偈
頌
に見
た よ う に 、 は っ き り と 禅 師 の 僧 団 に 所 属 し な い 人 々 ( 僧侶
と在
家 外 護者
と の中
間 的 、 あ る い は ど ち ら と も 分類
で き な い 人間
) に 対 し て 多 く の 説 示 が残
さ れ て お り 、禅
師 に お い て も そ の よ う な 人 々 に か な り の 配 慮 が な さ れ て い た こ と が 知 れ る 。Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty そ れ に
対
し て、永
平寺
に お い て は 、 そ の よ う な 人 々 に法
要
を 説 く こ と が な さ れ な く な っ て い る の で あ る 。 そ し て そ れ に代
わ っ て 、 禅師
の説
示 は会
下 の 大 衆 を 見 据 え た 上 堂 を 中 心 と し た も の へ と 移 行 し、 な お か つ 、 偈 頌 や 因事
上堂
に 見 ら れ る よ う に 、叢
林行
持 を 主 体 と し た 、 儀 式 化 ・定
例
化
が 図 ら れ る よ う に な る 。 つ ま る と こ ろ 、 『永
平
広録
』 に 収録
さ れ る 上堂
語 に依
っ て 、禅
師 の考
え を 探 ろ う と す れ ば 、 そ れ は 明 ら か に ゑ ソ 僧 団 の内
部
充実
を 図 っ た も の で あ り 、 完 全 な出
家
至 上 主義
と な ら ざ る を え な い と い え よ う。 し か し 、 永平
寺 に お け る 在 家者
と の 交 流 の 記録
が 全 く存
在 し な い わ け で は な い 。 そ の 一 端 を清
規
類 の 記 述 か ら見
れ ば 、 そ の ほ と ん ど に 、斎
主 や 施 主 に 対 し て の 具 体 的対
応 が 記 さ れ て い る こ と が 指 摘 で き た 。 す な わ ち こ こ に お い て 、在
家
者
は 、 法 要 を説
く 対 象 で は な く 、 僧団
運
営
の 経済
的 基 盤 と し て の み位
置
付 け ら れ て い る こ と に な る 。 し か も こ れ は 、興
聖
寺 に お い て も、当
然
そ の よ う 〔 26 〕 な 外護
者
の存
在
は認
め ら れ る の で あ る か ら 、禅
師 の 一 貫 し た在
家
者
に対
す る姿
勢 と も 受 け取
れ る 。 と す れ ば 、消
去法
的 に残
さ れ る の が 、他
宗 の僧
侶
や 在家
居 士 に対
す
る意
識 で あ っ て 、 こ の よ う な人
々 が 、 入越
後 の禅
師 の 、 純粋
叢
林
確 立 の 構 想 か ら 外 さ れ た と い う こ と に な る の で は あ る ま い か 。 そ し て こ れ は 結 果 的 に 、出
家
者
と 在 家 者 の位
道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) 置 を 分 化 し 、 そ の 距 離 的 隔 た り を 増 大 さ せ る こ と と な っ た 。 こ れ が あ た か も、禅
師 の 思 想 が出
家
主 義 へ と 変 化 し て い っ た よ う な印
象 を 与 え さ せ た の で は な い か と 思 わ れ る の で あ る 。 以 上 、 興 聖寺
と永
平寺
を意
識
的
に 対 比 す る 形 で考
察
を 進 め て き た の で あ る が 、 こ れ は 、 従 来 よ り い わ れ て い る よ う な 、 興 聖寺
と 永 平 寺 に対
す る 禅 師 の意
識
が 、教
団
拡張
の意
識 下 に お け る興
聖 寺 僧 団 、 そ の 存 続 を意
識
し た 、 僧 団充
実
の時
期 の 永 平寺
僧
団 と い う 色 分 け を 、 よ り い っ そ う は っ き り さ せ る も の と な っ た 。 し か し こ こ で、 こ の よ う な禅
師
の意
識 に つ い て 、 入越
と い う 環境
の変
化 が 、 そ の第
一 の要
因 とす
る こ と に つ い て は、 疑問
を 呈 し て お き た い 。 こ れ は 、 入越
以前
の 『 永 平 広 録 』 の 上 堂 を どう
見
る か と い う 問 題 に関
わ る の で あ る が 、 こ の 上堂
は 、 仮 名 『 正法
眼
蔵 』 の 示衆
と 、 全 く 同 じ時
期 に 、 そ の 頻度
を 増 す の で あ る 。 こ れ を い ま ま で論
じ て き た 論旨
に 即 し て 解 釈す
れ ば 、教
団
拡 張 の意
識
の 中 に も 、禅
師
に 、叢
林
の 規 矩 に 則 っ た 形 で の 、会
下 の 僧侶
を 対 象 と し た 説 示 の 必要
性 を、 既 に興
聖
寺 に お い て も 感 じ 、実
践 し 始 め て い た こ と に な ろ う 。 そ れ が 伽藍
の ほ ぽ 整 っ た時
期 に 始 ま る こ と は 、 か な り象
徴 的 で あ る 。 す な わ ち 、 結 果 的 に 、 永 平寺
(大
仏寺
) に 入院
し て 一 気 に変
わ っ た よ う に見
え た説
示 が 、 実 は 入 越 以 前 か ら禅
師
の意
識 と し て は 存在
し 、 か つ伽
藍 の 整 備 と共
に 、 若 干 は行
わ れ つ つ 一 七 五Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 道 元 禅 師 の 僧 団 に 対 す る 意 識 に つ い て ( 石 井 ) あ っ た