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言語文化研究所年報 4号

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(1)

lSSN 0915-7654

武庫川 女子大学

言語文化研究所年報

4号

(2)

武 庫 川 女 子 大 学

言 語 文 化 研 究 所 年 報

4号

H

昭和軽薄体 と新言文一致体

佐竹 秀雄

1

田上

15

方 言復権 の軌跡

キ ー ワー ド キ ー ワー ド キー ワー ド キ ー ワー ド キ ー フー ド 文体 F:召和軽薄体 新 言文一致体 椎名誠 方言 標準語 当用漢字 送 りがな 常用漢字

綜合的方法か ら総体的方法ヘ ーフランスの入門期指導論

1-市

真文

32

入問期 読み方指導 綜合的方法 総体的方法

「つ しや」をめ ぐって

千秋

45

お もろさうし つ しや 宝員 数珠玉 台湾高山族

初期近代英語 の語彙 ―豊穣と混沌―

平 岡 照 明

56

Neologizer, Purist, Archaizer, Enrichment, Chaos

中世古文書 に於け る 「給」「致」 につ いて

基博

32

巻数の受取 「給」 「致」敬語

源氏物語 の 「なまめか し」「ら うた し」「あて」

清水

1

キ ー

7-ド

(3)

武庫川女子大学言語文化研究所年報 第 4号 (1992)

昭和軽薄体 と新 言文一致体

佐 竹 秀 雄 1 .(まじめ に 昨年度 の『 言語文化研究所年報』第

3号

において、筆者は、新言文一致体 と呼ぶ文体を数量的に分析 した (文献1)。 新 言文 一致体 とい うのは、近年 の若者が好 んで書 く文体 で、仲 間に 向か っ て思 った まま感 じた まま話 しかけ るような調子で書 く文章 のスタイルを さす。 それ らは、若者雑 誌へ の投稿 、 ラジオ番組へ の投 書、友達へ の手紙や メモ、 あるいは、観光地 な どに置 かれ てい る感想 ノー トの文章 に多 く見 られ るほか、 ジ ュニア小説その ものの文体 もその仲間に入 るものであった。 新 言文一致 体 の具体 的な例 を挙 げれ ば、次 の よ うな もので あ る。 私 は高校

2年

生 の女の 子。親友 の

C子

とつ まんない ケンカ しち ゃった ん だ。

C子

は、私が

C子

の彼 の こと、スキだろ うって……。 った く、 ジ ョ、 ジ ョーダン じゃない よっっ

!

そんな ことず ぇったいないのに。

C子

っ た ら うたが ってるの。あ、で も、 ホン トは ピンポーンだ った りして。 読み手に 向か って話 しかけ る よ うに書 いてい るため、書 き ことばであ るに もかかわ らず 、話 しことばの特徴 が見 られ る。 た とえば、流行 語や俗語 が多 く使われ た り、文末 を言い さ しの形 の まま終わ った り、 言い まちが いや 言い 直 しの よ うな形が使われ た りす る。 文献1では、そ うした話 しことばの特徴が見 られ る新言文一致体が、数量 的な分析 に よって、実際 の話 しことばその ものに想像 以上 に近 い ものであ る ことを明 らかに した。

2.本

論 の 目的 それ では、新 言文一致体 とは、そ もそ もどの よ うな き っかけ で出現 し、 ど の よ うな経緯をた どって きた ものなのであろ うか。残念 なが ら、 これに対す

(4)

る明確な解答は用意 で きていない。 ただ し、ある程度の推測は可能 である。新言文一致体は十五、六年前ごろ か ら顕著にな りは じめたのであるが、その ころの若者の生活史をた どると、 新 言文一致体が生 まれた背景が見えて くるか らである。 彼 らは学校 の作文教 育で、「思 った通 り感 じたままに書 きな さい」 とい う 指導を受け る。材料を練 りLげて文章を構築す ることよ り、 自己の主体性 と 感受性 を重視 して率直に表現す ることが大事だ と教え られ る。 また、当時、 ラジオではデ ィスクジ ョッキー番組 の人気が高 く、そ こでは、話 しことばの 調子 で投書のはが きが読み上げ られ る。そ うした状況の中で、若者たちは、 見た こと感 じた ことをそのまま話 しことばの 日調で書 く方法 を学んだ。 その後、若者雑誌が、新 言文一致体の文章 を用 いて、若者の心をつかんだ。 仲間相手に語 りかけ る文体は、若者を ターゲ ッ トとして展開 してい く雑誌に は ビ ッタ リの ことばであったろ う。 これ に よって、新 言文 一致体 は活 字 と な って広が り、 当た り前の文体 として認知 されたのである。 さらに、その ころ読者に語 りかけ るような文体を書 く文筆家が何人か現れ た。それ らの人たちの文章は、相対的に若者 に人気があ り、若者たちは当然 その文章 の影響を受けたはず である。 ここに、相手に向か って話 しかけ る調 子 で書 く新 言文一致体は、若者の間で “カ ッコイイ

"文

体 と して ます ます一 般化 に拍車がかか ったのではないか と思われ る。 読者に語 りかけ るよ うな文章を書 いた文筆家 としては、東海林 さだお、嵐 山光三郎、高橋章子な どがいたが、そ うした 中 で、若者 に と りわけ 人気 の あ ったのが椎名誠である。彼 の文章 は、昭和軽薄体 と名付け られ るほ どにユ ニー クな ものであ り、その文体その ものが、文章の内容 のユニークさとあい まって、多 くの特に若い読者をひ きつけた。 そ こで、 この論では、新言文一致体に影響を 与えた と思われ る昭和軽薄体 を分析す るとともに、それ と新言文一致体 とが、 どの程度 の共通性 を もつか を検証 してみ ようと思 う。 どうい う点で共通 し、 どうい う点で違 うのかを分 析す るこ とに よって、昭和軽薄体に よる影響力がある程度は明らかにな るの ではないか と期待 され る。

(5)

昭和軽薄体 と新言文一致体

3.椎

名誠 の文体 椎名誠 の文体 は、一般 に昭和軽薄体 と言われ てい るが、実 はそれだけでは ない。デ ビュー以来、エ ッセイ、小説、評論な ど多 くの仕事を手がけ る中で、 その文体は変化 してきてお り、椎名の文体すべてが昭和軽薄体だ と決めつけ るのは事実に反す る。 そ こで、椎 名のい くつかの文章 を取 り上げ て、その文体 の変化 と、 その言 語要素 の量的 な異 同を調べ てみ よ うと思 う。 それ に よって、昭和軽薄体 の本 質的 な性格 を浮か び上 が らせ る ことがで きる と考 え るか らであ る。 椎名 は19“ 年 、東京 生 まれ で、実質 的なデ ビュー作 品が『 さらば国分寺書 店 のオババ』(1%9年

)で

ある。それ までの他 のエ ッセイ とはやや違 った型破 りな作品で、「スーパ ーエ ッセイ」 な どと名付け られた。 一 一 一 一 『 さ ら ば 国 分 寺 書 店 の オ バ バ 』 よ り ‐ 一 一 一 一 ― た とえばあの「業務連絡」 のなかで語 られている七〇三Tとか二〇九 Tとい った数字 と記号は、じつは複雑 に組みあわ された暗号に よる「本 日の夜食のお しらせ」 であ り、 「本 日一九時のか き玉 ごはん といんげんの甘か ら煮は、いな りず しと ミ ツバ のお した しに変わ りました」 と言っているのか もしれないのである。 す くな くとも、 いま我 々は誰 もその ことを明確に否定す る材料 お よび 証拠 とい うものを何 も持 っていないので あ る。 そ うな る と、 ヒ トはにわか にお よび腰 とな り、 ま、いい じゃないの、 そんなバ カな ことあるわけない じゃないの、 ま、いいか らも うい っばい い こい こ、 とい うようなきわめて怠惰であいまいな昭和末期 の うず くま り根性 むきだ しの姿勢 とい うものをみせて くる場合が多い。 そ して、じつ に この圧倒的な無関心 さこそ、我 々の側におけ るもっと も恐怖すべ き、若年性糖尿病的 もうわ しらは ど うな って もいいんだ もん ね的不安 と危惧を きび しくかたちづ くってい く大 きな原因にな ってい る のではないか ― と思 うのである。 つづいて椎名は、『わ しらは怪 しい探検隊』(1%0年)、『哀愁の町に霧が降

(6)

るのだ』(1%1∼82年

)な

どで、 自分の身辺ので きごとを こまごまと、かつ、 独特の文体でオーバーに語 る作品を発表。その特異な文体は、昭和軽薄体 と 呼ばれ る ようにな った。 その後、多 くのエ ッセイや紀行文ふ うの作品を発表 してい くが、やがて初 めての私小説『岳物語』(1985年

)を

書 く。息 子・岳 とのかかわ りあいを通 じ て、子の規離れ、親の子離れが語 られ る。作家・椎名誠の ターニングポイン トとな った作品だ との評 もある。 『 岳物語』 よ り‐――一一一一 私 の息 子の名前 は岳 とい う。 両親 ともに山登 りが好 きだ ったので、 山 岳 の岳 とい うのを名前に したんだ よ、 と、本人には じめ て教 えてや った のは保 育園に通 っている頃であ った。 「ふ―ん、そ うかあ」 と、息子はたい して面 白 くもな さそ うな顔です こしだけ うなずいてみ せた。 私 はあま り稼 ぎの よ くない よろず雑文書 きとい うよ うな仕 事を 自宅 で や ってお り、妻 は息子の行 っているところ とは別の保育園で保母を して いた。保母 とい うのは朝出かけ るのが実に早 く、七時 までには家を出て しま うので、必然的に保育園に子供を預けに行 った り引 きと りに行 くの は私 の仕事であ った。 保育 園 とい うのは子供 た ちに とってはその時期 の人生すべ て、 とい う よ うな ところで、ひ とたび園庭に入ると、 も う親の呼ぶ声な どまるで耳 に入 らな くな って しま うほ どの ヨロコビとコーフンに満 ちた世界にな っ てい る。 椎名はこのほか私小説 としては、『続 岳物語』(1986年)、『 菜 の花物語』 (1%7年

)な

どを書いている。その後 も多 くの作品を発表 しているが、その 中でやや評論ふ うのエ ッセイがある。それが『活字のサーカス』(1%7年

)で

ある。 さまざまな分野のおもしろい本を、やは り彼独特のユニークな視点か ら紹介 しているものである。 これは、昭和軽薄体 と呼ばれたエ ッセイ類 とは、

(7)

昭和軽薄体 と新言文一致体 かな り文体が異な っていると思われ る。 「一―――一『活字のサーカス』 よ リーーーーーーーーーーーー 何 の予備知識 もな しに、書店 でふ いに 出会 った一冊 の本 を、 い きな り す ぐ買 って しま う、 とい うことが何 力月か に一度 あ る。 本 の題名 とか、全体 の装 丁 のつ く り、 とか手 ざわ り形 で あ るとか 、 ど れ が ど うで あ ったか ら、 とい うことは具体的 に うま く言 えないのだが、 一瞬そいつを眺めた とたんに 「あっこれは読むべ き本だ」 と思 って しま う、 のであ る。 『 夢 うつつ の図鑑』(吉田直哉著、文褻春秋

)は

そんな本 のひ とつだ っ た。 西武線小平駅前 の小 さな書店 で これを見つけ、そのまま電車の中で読 んでい った。や は りぼ くの直感細胞 が 「いけ っ!」 と素早 く反応 した と お り、非常に面 白い本だ った。 のっけに ライアル・ フ トソンとサナダ虫 の話が出て くるのだか らた まらない。 ライ アル・ フ トツンはイギ リスの異色生物学者 で『 風 の博 物 誌 』『 生 命潮 流』『 ァース ワー クス』『 スーパ ー・ ネイチ ュア』 な ど骨太 の面 白科 学本 を いろいろ出 してい る。 以上、椎名の作品の大 まかな流れを見てきた。 これに よると、初期の作品 が昭和軽薄体 と呼ばれ るものであ り、その後、私小説を書 くようにな り、 ま た他方で、評諭ふ うの仕事 もしてきている。そ うした内容的に変化 した作品 を比べて、文体の変化を調べてみ よう。昭和軽薄体を中心に、それ とはやや 異質な文章の作品を取 り上げることにする。

4.三

つの作品の比較 取 り上げ る三つの作品 とは、上に、例文を示 した作品、

A

『 さらば国分寺書店のオババ』(情報センター出版局、1舒9年)

B

『 岳物語』(集英社、1985年)

C

『活字のサーカス』(岩波新書、1鶉7年)

(8)

である。 この うち、

Aが

昭和 軽薄体の共型的な もの と言われてい る。 これ らについて、計量的な観点か ら分析を加えることにす る。 まず、それぞれの作品か ら、無作為抽出に よって80文 を取 り出 し、それを 調査 対象 とした。そ して、次に掲げた項 目の数値 を求めた。なお、 単語に分 解す るにあた っての単位は、国立国語研究所 の語彙調査 の長単位 に近 い もの で ある。

名詞の比率

/MVR/漢

語の比率

/指

示語の比率

/文

の長さ

/接

続詞を

もつ文の比率

/文

末が現在止めの比率

/引

用文の比率

/表

情語の比率

/

色彩語の比率

/の

だ 。のである文の数

これ らの項 目は、文体を計量的にとらえるために有効な尺度 と考えられるも ので、樺島忠夫・寿岳章子『文体の科学』(文献

2)で

提案 されている尺度で ある。ただ し、最後の「のだ・のである文の数」は、今回特に取 り上げた も のである。それは、「のだ 。のである」が椎名の文章の文末に非常に頻繁に現 れ、昭和軽薄体の特徴の一つ と言われていることによる。 その結果を、表 1に 示す。 表

1

三作品の比較

A

さ らば …

B

岳物 語

C

活 字 の 名

(%)

M V R

(%)

指 示 語

(%)

文 長(文節) 接続詞文

(%)

現在 止 め

(%)

引 用 文

(%)

表 情 語 (‰) 色 彩 語(‰) のだ 。のである(文) 42.2 69.2 22.8 5.9 20.0 27.5 81.6 19.5 18.2 0.6 29 47.6 57.6 15.6 4.3 13.5 15.0 16.5 23.5 15.8 7.4 5 48.9 48.8 26.9 4.0 15.0 12.5 66.3 9.5 5.0 1.6 21

(9)

昭和軽薄 体 と新言文一致 体 三つの作品を比べると、名詞の比率では、

Aが

他に比べてやや低い。

MV

R〕は、A、 B、

Cの

順にだんだん小 さくな ってお り、漢語はC、 A、

Bの

順 になっている。指示語2)、 文の長 さ、接続詞文に関 しては、いずれ も

Aが

他に 比べて大きい値をとっている。現在止めの文は

Bが

小さく、引用文 と表情語 ')では

Cが

小 さく、色彩語は

Bが

大きくなっている。のだ 。のである文につ いては、

Bだ

けが少ない。 以上か ら、昭和軽薄体の典型である

Aが

B、 Cとかけ離れた数値を示 して いる項 目として挙げ ることができるのは、名詞、

MVR、

指示語、文の長 さ、 接続詞文である。 しか し、だか らといって、それ らの項 目こそが昭和軽薄体 の特徴を示す ものだ と速断す ることはできない。 なぜなら、

Bや Cも

同 じ椎名の作品であ り、そ こにも昭和軽薄体の要素が 残 っている可能性があるか らである。たとえば、のだ 。のである文は、一般 に昭和軽薄体の特徴の一つだと言われている。に もかかわ らず、のだ 。ので ある文の数は、

Aだ

けでな く

Cの

値 も大きい。そ こで、

Cに

も昭和軽薄体の 傾向が残 っていると考えれば矛盾は しない。 したが って、

Aの

値が大きいも のは昭和軽薄体の特徴を示す要素であろうが、その大 きさの判定を、B、

C

との比較だけで行 うわけにはいかない。 そ こで、他の作家の作品 と比較す ることを考えてみる。ややデータが古い が、先の文献2に100人の小説の文体について、言語要素の統 計的数値 を調 査 したものがある。有名作家100人に一人1作品、合計100の文章を調査対象 として、先の名詞比率、

MVRな

どの尺度の平均値、標準偏差などを集計 し ている。そ して、集計結果を もとにそれぞれのえ度について、多い少ないの 評価基準を示 している。それを表 2と して引用する。

1)MVR=(形

容詞+形容動詞+副詞+連体詞の数

)/(動

詞の数)によって求めら れ るもので、その文章があ りさまを描写 しているか、動 きを描写 しているか を と らえるのに有効な尺度である。あ りさまを描写 している場合は、

MVRの

値が大 きくな り、動 きを描写 している場合は

MVRが

小 さくなる傾向がある。

2)コ

ンア系のことば.コ レ・ ソレ・ アノ・ ソノ・ コンナ・アンナな ど。

3)擬

音・擬態語など

.ジ

ット・ ソットなどは含む。チ ョッ ト・ス ッカリは除 く。

(10)

極め て小

普通

30%以

10%以

t

fiDr*

出 現 率

10%以

30%以

下 名 詞

%

MVR

字音語

%

指示語

%

文 の長 さ 接続詞 を もつ文

%

現在止

%

引用文

%

表情語 ‰ 色彩語‰ 45 34 13 2.1 7 3 3 1 0.4 / / 54 55 26 5.0 14 21 47 3() 13.5 7.5 表

2 100作

品 の文章に おけ る5段階評価 この表の見方を名詞の比率で説明 しよう。た とえば名詞の比率が

45%以

下 の作品は、出現率が

10%以

下であった。つま り、名詞が

45%以

下の小説は全 体の1割もないとい うことである。同様に して、名詞比率お

%以

下の作品は 出現率が∞

%以

下だから、名詞比率が45∼慇

%の

間の作品は、

2割

ぐらいに なる。逆に多いほ うは、

56%以

上が1割、54∼

56%が

2割となる。そ して、 残 りの “ ∼

54%の

作品は

4割

ぐらいあるとい う勘定になる。 つま り、名詞の比率の多少について

5段

階の評価を示 しているのである。 名詞の比率が48∼

54%の

間の数値をとる作品が、ごく平均的な姿で普通だ と い うことである。そ して、名詞が “

%以

下とい うのは、名詞の使い方がきわ めて少ない作品で、 “

%以

上とい うのは名詞のきわめて多い作品であること を示 している。 この評価基準を利用 して、椎名の二作品を位置づける。表 1に 示 した、二 作品A、 B、

Cの

名詞比率や

MVRな

どの項 目値を、表2の

5段

階評価の表 慇 41 16 2.8 9 7 13 8 3.5 1.0 56 65 31 6.0 18 27 76 70 24.5 17.0

(11)

昭和軽薄 体 と新 言文一致 体 の中に当てはめて位置づけ る。その結果が図1であ る。左 のほ うか小 で、右 が大を示す波線上に、A、 B、

Cの

おお よその関係 を示 してい る。 図

1

椎名 の三作 品 の位 置づけ この結果を見ると、

Aの

位置の多 くが左 と右にかた よっていることがわか る。すなわち、

Aの

値が普通の文章からかけはなれていることを示 している。 三作品だけの比較で、

Aが

特殊な値を とっていた のは、名詞、MVR、 指示 語、文の長 さ、接続詞文の項 目であった。 しか し、一般の作家 と比較す ると、 ① 名詞、

MVR、

文の長さ、接続詞文、現在止め の項 目が極端な値を示 していることがわかる。 また、 ② 指示語、表情語の多さ、色彩語の少なさ も普通ではないとい うことになる。そ して、

Aに

比べれば、B、

Cは

比較的 普通の文章であった。 もっとも、 この文献2の評価基準は小説を対象に してお り、椎名の文章A、

cは

エ ッセイである。その点を考慮に入れなければいけないが、それにして も、

Aに

関する数値は、かな り異常で、昭和軽薄体 と言われるだけのことは あると首肯できよう。 極 めて小

1

小 普 通 大

:極

めて大 A c

-*,.-

B

.-.*

A

B―

A^一

C

B―

C―

∼―^^∼―^∼―

C3__…

…ヽ‐―――‐

A

B

*.--

^^^.'-

c

-i*A

c― AB

C――∼ ∼一 B A..., C

.^,*

B 名

M VR

語 指 示 語 文の長 さ 接続詞文 現在止 め 引 用 文 表 情 語 色 彩 語 に … …∼■

… … Ⅲ

^_cB一

― 一 ―

A^…

1 1 1 │ … 1 1

(12)

5.昭

和軽薄体の本質 この極端な数値を示 している項 目 (前節の① と②の項 目

)を

中心に、昭和 軽薄体のあ りようを分析 してみると、次のようになろ う。 ①の項 目「名詞、

MVR、

文の長さ、接続詞文、現在止め」から考える。 まず、名詞の比率が小さくて

MVRの

値が大 きい。 このことは、あ りさま を中心に述べている文章であることを示 している。文章で何かを述べる場合、 だれが どうした、何が どうなった、 とい うような動 きを述べるものと、その 場の状況や ようすが どんなふ うであるか、 どの ようだと、あ りさま、ようす を述べる場合 とがあ りうる。

MVRが

大きいのは、形容詞、形容動詞、副詞、 連体詞など、修飾語として使われやすい語が多いわけで、あ りさま、ようす を描写す る表現が多いことを意味する。そ して、こうした修飾の語が多いと、 その分、名詞の比率が小さくなるのである。 第二に、文の長さが長い。 これは、お しゃべ りな文章であることを示 して いる。いろいろと注釈を加え、あれこれ と修飾語をかぶせて、長々とおしゃ べ りする。たとえば、次のような調子である。 しか しいずれに しても警察関係の場合は、これはやは り身内であるから まだ気分的には安心 していられるが、なかには山 口組の大幹部あた りが ドイツ製の前後変速一六段ギヤ付特殊硬質タイヤ、リッパー リムジン型

.オ

ー トマチ ックブ レーキ方式 という超高級 自転車に乗って、しか しそ こ は当然無燈火で ビャーンとす ごいスピー ドで突っ走 って くる、という可 能性 もまった くないとは言い切れなない。 第二に、接続詞をもつ文が多いが、 これは何を意味するのだろ うか。樺島 (文献2、

3)に

よれば、接続詞の多用は、以下の ような理由か ら、説明的 な表現 と結びつ くとい う。 出来事を書 き手が読者に伝えるとき、書き手が姿を見せずにあたかも読者 が出来事を直接体験 していかのごとく述べる方法と、書き手が出来事と読者 の間に立 って説明する方法 とがある。前者が記述的な表現、後者が説明的な 表現である。そ して、説明的な文章では、書 き手が出来事や述べ ようとする ことが らと読者 との間に入って、書き手自身の態度を表そ うとする。

(13)

昭和 軽薄 体 と新言文一致 体 ・ 天気が よい。山が よく見える。 ・ 天気が よい。だか ら、山が よく見える。 で、前者が 「天気が よい」、「山が よ く見え る」の二つの事実を羅列 した記述 的な表現 であ るのに対 して、後者 は、書 き手が 二つの事実 の間に因果関係を 認めて、それ を説明 してい る。つ ま り、「だか ら」とい う接続詞に書 き手の態 度が こめ られ てい るのであ る。 この よ うに、説 明的表現 では接続 詞を使 うこ とにな りやす い とい う。 また、現在止めが多いことも、権名の場合は、説明的表現 と関連があ りそ うである。すでに述べた ように、昭和軽薄体は、のだ 。のである文が一つの 特徴だ と言われてお り、事実、

Aに

はそれが多か った。この「のだ」「のであ る」 とい う文末形式は、何かを説明するときに使われるもので、いわば説明 口調である。 しか も、椎名の場合、「のだった」「のであった」 とい う過去形 ではな く、現在の状況を解釈、説明す るために「のだ」「のである」とい う現 在形で使われることが多い。その「のだ 。のである」の文末の多 さが、現在 止めの多 さに影響を与えているようだ。 以上が、

Aの

昭和軽薄体が異常な数値を示 した項 目①の解釈である。次に ②の項 目「指示語、表情語の多 さ、色彩語の少なさ」について述べる。 指示語の多さは、 これはお しゃべ りと関係する。長 々としゃべるときに、 文脈に頼 った指示語が多 ぐなるのは当然だろ う。 表情語は、擬音、擬態語であ り、それが多いことは感覚的な表現であるこ とを意味す る。見た感 じ、聞 こえた感 じ、感覚的にとらえた印象を、概念化 して述べるのではな く、その感 じや印象のままに接音語や擬態語で表現 して いるのである。 色彩語の少なさについては、十分なことはわか らない。あ りさま描写が多 いので、 もう少 し数値が大きくてもいいような気 もする。サ ンプ リング調査 でもあ り、偶然の結果か もしれない。 以上の分析結果をまとめて言えば、昭和軽薄体は、「あ りさま、ようすを感 覚的に とらえ、それを餞舌に説明的に表現す る」文体 とい うことになろ う。

(14)

6.昭

和軽薄体 と新言文一致体 との比較 それでは、影響を及ぼ したと思える昭和軽薄体 と、影響を受けた新 言文一 致体 とは、 どの程度の共通点があるのだろ うか。 比較する資料は、昭和軽薄体は、先の

Aの

『 さらば国分寺書店のおばば』 であ り、新言文一致体のほ うは、文献1で報告 した ものと同 じデータで、次 の通 りである (くわ しくは、文献1参照)。

1.若

者雑誌における投稿文 (1989年 1月刊行の雑誌

7誌

に掲載 された読 者投稿、70の文章対象に各文章か ら1文、計70文。)

2.「

いわさきちひろ美術館」の感想 ノー ト(1“ 9年9∼10月分の一部、 22編を対象に、各文章から

3文

、計66文。)

3.ジ

ュニア小説の作家へのファンレター(「テ ィーンズ文庫」の作家への ファンレター40編を対象に便箋1枚ごとに 1文 、計68文。)

4.ジ

ュニア小説 (「テ ィーンズ文庫」の作品

5編

、各1編か ら20文、計 1003て。) これ らの

4種

類の資料に関 しても、椎名の作品に対 して行 ったのと同 じ項 目を調査 した。その結果を先の図1と同様に して、図 2と して示す。 図

2

昭和軽薄体

(A)と

新 言文一致体

(1∼

4) 極めて′lヽ

:

小 大

:極

めて大 2 A

-.*^r*

3

-1

4-

1

2*^,*'r-3*1^-i*A*4

4-^^…

‐― ■2‐

3-1

3241A

A

14r*2*3:-A

4-213A

314-2-A

43‐ 21″^■

W―

∼^――■

A

1a4*2^^--q3*A

3∼

112^A4

MVR

語 指 示 語 文の長 さ 接続詞文 現在止 め 引 用 文 表 情 語 色 彩 語

(15)

昭和軽薄体 と新言文一致体

Aが

昭和軽薄体である。

1∼

4は

新言文一致体のデータで、数字は前ペー ジの資料の番 号と一致 させている。 この図を見るかぎ り、昭和軽薄体 と新言文一致体 とが近 くに集中 している 項 目はほ とん どない。色彩語を別にすれば、表情語、漢語、指示語がかろ う してやや近いと言えるぐらいである。色彩語は集中 しているが、いずれ も少 ない数であ り、お互いに特に似ていると強調できるほどのものではない。

Aの

昭和軽薄体が極端な値をとっている「名詞、MVR、 文の長 さ、接続詞 文、現在止め」では、それほ ど集中は していない。ただ、名詞比率は普通か ら少ないほ うの範囲に、MVR、 現在止めは普通から多いは うの範囲に まと まってはいる。また、接続詞文の項 目は、新 言文一致体がすべて普通の範囲 内に位置 している。 しか し、この程度では、昭和軽薄体 と新言文一致体 とが 似ているとは言えまい。 そ して、問題は文の長 さである。昭和軽薄体が文の長さが長いのに対 して、 新言文一致体は短 く、まった く正反対の結果が見られる。 これは、前者が と りとめもな く次々としゃべる「饒舌」な文体であ り、後者が 日常の短い「会 話」に近い文体 とい う違いが反映 しているもの と思われ る。 この結果か ら言えることは、新言文一致体が、昭和軽薄体の文体をまねす るような形で影響を受けたものではあるまいとい うことである。影響を受け た とすれば、文体の全体的な ものではな く個別のものだ と思われる。 それは、 どうい うものであろ うか。 前節で、昭和軽薄体の本質が 「あ りさま、 ようすを感覚的にとらえ、それ を饒舌に説明的に表現す る」文体であることが明らかになった。一方、新言 文一致体は「仲間に向か って思 ったまま感 じたまま話 しかけるような調子で 書 く」文体であ り、話 しことばに近いことがその特徴であった。 この両者に共通す るものは、一つは感覚的、もう一つはお しゃべ りとい う 点である。昭和軽薄体は、表現対象を感覚的に とらえるものであるし、新言 文一致体の思 ったまま感 じたまま書 く文章 もまた、論理的思考 より感覚的に とらえることが重視 され る。 また、昭和軽薄体は饒舌なお しゃべ りであ り、 新言文一致体は、饒舌ではないが、現実のお しゃべ りに近い。

(16)

「感覚的」と「お しゃべ り」、これ らが昭和軽薄体 と新言文一致体を結ぶ も のではなか ったか。昭和軽薄体 で、椎名は 「ずばばばあ あん」「ぶ ろ ろろお ん」「た った った った っ」 といった擬音語、擬態語を用いる。これ らは、椎名 独 自の感 覚的な表現 で ある。 それ を受け るか の よ うに、新言文一致体では、 「ぎええええええ っ″」「ず えったい」「ず うう∼∼ っっっと」 とい った感覚 的な表現 (表記

)が

見 られ る。 また、椎 名 は地 の文 の中で 「や ってや ろ う じゃないか」「∼か も しんないけれ ど」な どの話 しことばを多用す る。新言文 一致体では、「で も、え―とシナ リオ'台本だ っけな」「音 っか ら、それ疑問 だ った の よね」 といった話 しことばが ご く普通である。 椎名 が、話 しことばを文章 の中に もち こんだ表現法 は、思 った ままに感 じ た ままに書 くことを求め られていた若者たちには、身近 に感 じるものであ っ たろ う。そ して、ユニークな感覚的表現は、魅力あるものであった と思われ る。そ こで、若者たちが「話 しことば」要素を よ り強め、「感覚的」要素を と り入れた ことは十三分に考 え られ る。 昭和軽薄体が新 言文一致体に影響 を及ぼ した もの、それは文体その もので はな く、話 しことば的な性格を強め、特異な感覚的表現を もち こみ伸展 させ た点にあったのである。 参考文献 文献 1 文献2 文献3 佐竹秀雄 「新 言文一致体の計量的分析」(『武庫川女子大学言語文化 研究所年報』第3号、1992年) 樺島忠夫・寿岳草子『文体の科学』(綜芸合、

1%5年

) 棒島忠夫『表現の解剖―続文章工学』(三省堂、19“年) (本研究所助教授)

(17)

武庫川女子大学言語文化研究所年報 第 4号 (1"2)

方 言 復 権 の 軌 跡

田 上

1

問題のあ りか 大学院在学中、国語学の演習で、言葉の「規範性」が話題 となったことが あった。実体の掻みに くい、その議論の対象に、私な りに、興味を抱いた こ とを記憶 している。そのときの関心は、けれ ど、その時期に個人的に抱いて いた「方言の復権」 とい う狭陰な視点へ と歪曲化を受ける。 かつて、方言は、恥ずか しい もの、駆逐 され るべ きもの、やがては 「標準 語」にとってかわ られるべきものであった。それが、いまや、かつての 日陰 者の頃か らは考えられないは どの市民権を得て、メデ ィアを通 して、私たち の言語環境を 日常的に満た している。その、あま りな地位の変化が、 どうい う経緯で推 し進め られてきたのか、 とい う素朴な興味を、まずは、満た して みたか った。そ して、更には、それが、どうい う社会背景に よって支えられ てきたのか、までを も、個人的歪曲を与えて しまう以前の 「規範性」の問題 に私な りに立ち帰 るために、視野に置いておきたか った。 今回の、 この報告では、

1%5年

(昭和30年

)か

ら1975年 (昭和50年

)ま

で の新聞記事に、方言の復権の軌跡を辿 ってみる。採用 した記事は、紙面の都 合か ら、『 朝 日新聞』『毎 日新聞』『読売新聞』の全国

3紙

のものを中心 とし、 雑誌『言語生活』なども適宜用いることに した。そ して、社会背景を伺 うた めの参照資料 として、今回は 「文字」施策の変遍を取 り上げてみた。

2

日本語の規格化

1%5年

(昭和30年

)か

1%5年

(昭和40年

)頃

までは、 まだ まだ、方言は 忌み鎌 われ ていた。様 々な コ ミュニケーシ ョン障害が、新 聞紙 上に報告 され てい る。

1%4年

10月16日『 朝 日新聞」 「 もの申す」欄

(18)

世田谷の失業者か ら、渋谷の職業安定所の職員の態度が横柄だとい う 投書。 現場の係長が、「係員が東北出身だか ら」 と「弁護」

1%4年

11月 15日『東京新聞』 野村胡堂氏 「お国なま り」 「どんなに うまくマネても、自分の国のなま りをマネられた人たちは きっと私 と同 じように腹をたてるだろ う。」 事は、単なるコミュニケーシ ョン障害に とどまらず、事件・犯罪の要因とま でなることもあった。 1954年4月 3日 『毎 日新聞』 日光で、広島と青森 との高校生が∞人は ど乱関 して重軽傷者数名。 日 光署の調べでは両高校生が宇都宮駅で顔を合わせた とき、言葉が方言 で通 じなか ったため感情的に もつれた ことが、 日光で再会 して爆発 し たもの。 1960年 7月

m日

『 朝 日新聞』 「言葉のナマ リ笑われて刺す」 茨城県か ら東京に転校 してきた高校生が茨城なま りを実われたため、 相手の少年を刺 し、重傷を負わせる。

1%4年

3月23日『毎 日新聞』 「上京二 日目の三少年からお金そっくり奪 う 若い男、地方弁につけ こみ」 1964年 5月13日『 毎 日新聞』 「少年工員が同僚殺す 集団就職 方言笑われ、不仲」 Ю “ 年12月 2日 『朝 日新聞』 「方言だ って 日本語だ」 東京の公共職業安定所が5月に就職後1月の感想を調査。方言の問題 が圧倒的。 「くす くす笑われ るのがいちばんいやだ った。同 じ日本語を しゃ べ っているのに笑われる。」 とうとう、警視庁が、「方言」について指導す ることも、あったらしい。 1963年10月 29日『朝 日新聞』 「 “脱線

"め

だつ修学旅行」 警視庁 が「修学旅行の注意点」。「方言を実わない ように」 とい う注意

(19)

を含む。 ところが、遂に、人の命に関わ る事件まで もが、引き起 こされて しま う。

1%7年

5月22日『東京新聞』 「子を道連れ 死の抗議」 母子心中の原墨が方言。 橋本 さん一家は昨年10月島根県から上京、同アパー トに入 った。 しか し満喜男ちゃんは体が弱 く、また田合言葉なので近所の子供にからか われていた。 これを気に してふみ子 さんは最近極度 の神渥衰弱にか か っていたとい う。 自殺 した場所には「もう少 し考えて下さい」 とア パー トの人たちにあてた走 り書きの遺書があった。 この事件は、全国的に注 目され、た とえば次の ような投書が寄せられている。 1957年 5月

2日

『 朝 日新聞』 「ひととき」欄 静岡県浜松市主婦から の投書 「私たち地方人としてその若いお母さんの気の弱さをひと口に笑えな いものを感 じた。東京人は『江戸弁』を誇 りとしすぎ、地方の言葉を 極度にけいべつ し、時には必要 もないのにマネを して笑い興ずる。・ ・地方人をあたたか く扱 っていただきたい。 方言の もたらす、この ような不幸の故か、方言嬌正、方言撲減の動 きが、 社会のさまざまな ところで、広が りを見せていた。

1%0年

7月14日『毎 日新聞』 山形県東田川郡金 目町中堀野で母親たちの標準語運動。子供のために 大人が「粗雑な」 言葉をあらため、標準語で話す ように しよう。 1959年12月 4日 『朝 日新聞』「悪い言葉を焼 く ネ・ サ・ ヨ人形 まつ り」 鎌倉市の腰越小学校で「ネサ ヨ人形」を焼 く。「あたいがネ、こうして サ、それで ヨ」などとして用い られ ていた方言の 「ね、 き、 よ」を 使 った生徒は、 自分の人形の農を黒いクレヨンで塗 る。その人形を、 年末に、小中学生13∞人 と父母200人とが集 まって、焼いて、方言の撲 減をねがった。 この後者の話 しなどは、まるで魔女狩 りの ようなおそろ しさまで感 じさせる ほ どであるが、更に全国的な展開をみせる。

(20)

1%0年

12月 20日『朝 日新聞』 鎌倉市腰越小学校の「ネサ ヨ運動」が町内商店の協力を得て、さらに 全国の小学校 と手をつな ぐところまで運動の発展。全国ネサ ヨ運動の スタンプを作 って、年賀状に押す。 1965年 1月20日『東京新聞』 鎌倉腰越小学校の「ネサ ヨ運動」は更に拡大。全国の協力校が80をこ える。 このような方言否定の動きに表裏 して、標準語確立の努力が行われていた。 1954年 (昭和

2年

)3月

『 東京新聞』 金 田一京助氏 「標準語をめ ぐっ て」 東京の言葉か らなま りをとりさった ものを標準語 としようとする。 な ど、「標準語」構築のための模索 と努力 とが盛んに行われていた り、昭和3 1年8月には、大阪朝 日放送が標準語のサービス学校を開 くなどしている。 標準語の確立のみならず、 この時代には、戦後の新 しい国語の確立をめざ して、 さまざまな国語政策が着 々と進め られている。 既に、1946年 (昭和21年)11月 16日、「当用漢字表」が告示 されているが、 この時期には、た とえば、次の ように、その修正、仕上げが 目指されていた。 1954年 3月15日 国語審議会第20回総会 当用漢字表にはずれた漢字の扱いについて審議。 「当用漢字」は、その 「まえが き」に、 「この表は、法令・公用文書 。新聞・雑誌および一般社会で、使用す る漢字の範囲を示 したものである。」 とあるように、国民の用いる漢字を制限 しようとす るものであった。「制限」 とは、「統一」であ り、「規格」化である。「規格」への志向は、どうや ら、こ の時期の社会の全体的な動きであったらしい。

1%4年

12月 衆議院記録部参議院記録部 「国会会議録用字例」作成 1954年12月 日本放送協会 「皇室関係放送用語集」作成 19“年1月 日本新聞協会 新聞用語の統一完了 当用漢字で書けるものだけを審議の対象 とし、音訓表にはずれた文字

(21)

方言復権の軌跡 は原則 として使わないこととす る。 この年には更に、外来語表記の基 準 (昭和29年 3月に国語審議会がまとめた もの

)を

新聞各社間に更に 徹底 させる。 19“年7月『言語生活』「文芸家は国語国字問題を どう考えているか」 日本文芸家協会が以前に較べて国語政策に好意的になっている、 とい うアンケー ト結果。 19“年12月 日本新聞協会 外国語地名表記統一 なるべ く発音 しやすい ように書 くとい う考え。ただ し、外来語表記の 基準を更に徹底 して適用す るべ きだ とい う意見 と、外国語の発音を尊 重 して表記す るべ きだ とい う意見とあ り。特に

V行

の表記に関 して対 立 し、結論です。

1%7年

日本新聞協会 外国地名の書き方 と外国人名の書 き方について 統一。 検討は

195眸

7月から開始 され、一応決定 された基準が2月 1日か ら 既に実施 されていたが、

V行

の表記については未解決のまま。最終的 な結論は「ヴ」表記は しないとい うこと。5月 1日か ら実施。 外国人名については9月 1日から実施。

V行

表記は外国地名 とおな じ。 また、あて字の整理 も同時に行 う。ただ し、以上の 日本新聞協会の整 理は表記を簡易化 しようとす るのが基本であるのに対 し、 日本放送協 会 (195昨

)が

同時期に行 った整理は、原音尊重主義であ り、 メデ ィ アに よって、その対応に差が見られる。 19田年8月21日 文部省が教科書活字の統一。 教科用図書検定基準内規 としても制定。 19田年1月11日 日本新聞協会が当用漢字の活宇字体の統一に着手。

198年

12月 文部省「地名の呼び方 と書き方」制定。 1961年 8月 新聞用語懇談会経済用語小委員会が株式市場の上場銘柄の 略称統一。

1%3年

9月12日 『朝 日新聞』 日本オ リンピック委員会が 日本代表選手の トレーニングシャツの胸に

(22)

国名 を 「NIPPON」 と表示す ることを決定。

3

大阪言葉の台頭 この ように、この時期、あたかも国全体が 日本語の「規格」化の方向にひ た走 っていたように見える。その中で、やは り確実に進行 していた、マスメ デ ィアの国民生活への浸透は、

1%5年

3月 23日『朝 日新聞』 「天声人語」 「話 し方 とい うものもラジオで飛躍的な進歩をした。」 のように、一方に、 日本語環境の画一化を推進するもので、当然、あ りえて いた筈だが、他方で、

195年

マスメディアの発達につれて流行語が問題 となる 3月20日『毎 日新聞』 「ラジオと珍語の流行」 3月26日『 読売新聞』 「コ トバを くずす もの」 3月

2日

『朝 日新聞』夕刊 「今 日の問題―新語ブーム」 のように、言葉環境の散乱性を増大 し、複雑化する方向にも働 こうとしてい た。 言語環境の複雑 さの増大とい うことで注 目され るのは、方言の、マスメ デ ィアを通 じての周知であろ う。マスメデ ィアを通 じて提供 される方言に、 国民の関心が高まったらしく、1955年 (昭和∞年

)に

NHKラ

ジオの「国語 講座」で「方言の旅」が人気を集め、翌19“年には 日本放送協会編『方言 の旅』 として出版 までされている。 こうした、方言への関心の高まりは、

1%2年

6月 6日 『毎 日新聞』内村直也氏「放送時評 地方色について」 「日本全体が東京への追従である。(中略

)地

方の人たちは、東京 とい う中央に対 して劣等感を抱いている。郷里を自慢す るのではな くて、 郷里に対す る一種の絶望感である。草木がなび くように、すべてのも のが、東京に向か ってなびきすぎているか らである。」 1963年 9月 6、 7、 8日 『朝 日新聞』梁田鎗次氏「日本のはな しことば」 久 しぶ りに帰国 して 日本語を観察。共通語が普及 し地方色が消えてい

(23)

方言復権の軌跡 く。男性語 と女性語 とが接近。 のような、 日本語の規格化の進行

=消

えゆ く方言 とい う状況のなかでも考え られねばならないだろ うし、 1959年 2月21日『朝 日新聞』 観光バスのガイ ドは関西弁でや っては しいと、東京都の修学旅行委員 会が関西のバス会社に申 し入れ。 「昨年は説明が標準語でガ ッカリした生徒が多かった。なるべ く珍 ら しい関西弁をた っぶ り関かせて もらいたい。」 言葉 としての美 しさや正 しさといった点か らではな く、いわば「見せ物」 と してのおもしろさか ら、方言が見 られ るようになってきた事情 も、考慮に入 れておかねばならないだろ う。ただ し、忌避 されるべきものとしての方言が、 新 しい、別の位置づけを手に入れる可能性が、そ こには開かれていた。 当時、 マスメディアを通 じて、最 もよく知 られていたのは、大阪言葉であ り、 1954年 2月26日『朝 日新聞』 「大阪弁まか り通る」

1%4年

4月25日『 毎 日新聞』 「怪 しげな大阪弁の横行」 1964年 8月 8日『朝 日新聞』夕刊 「土曜随想」欄 秋山安三郎氏 「東京 ッ子の嘆 き」 「私が一番 シャクにさわ ってることは、新聞で『 芸者置屋。 ど真 ン中。 ハ ッピ。キ リキ リ舞』などと書いてることである。」 1964年 8月22日『朝 日新聞』夕刊 「土曜随想」欄 池 田弥二郎氏 「こと:ゴ三二題」 「わた しのような東京者に とって、最近、耳ざわ りでならないのはど まんなか とい う大阪詞のはんらんである」 の ように、やは り、鎌われ ものではあったけれ ど、

1%7年

5月 ∞ 日『朝 日新聞』 河盛好蔵氏 「きの うきょう」 「のれん」 とい う芝居が大阪弁を効果的に使用 していることについて、 戯 曲の言葉 としての大阪弁には、開拓の余地が無限にある、と述べ る。 19■年3月 8日 『産経新聞』 安田徳太郎氏 「関西ベン」 東京語による標準語は生活感情の盛 られていない官僚語である。関西

(24)

ベ ンは生活感情 まるだ しの代表的庶民語である。標準語は生活語のな かか ら生み出 していかねばな らない。

1%1年

5月31日『 毎 日新 聞』 夕刊 山本健吉氏 「大阪言葉について」 「いまや大阪言葉は事実上、第二標準語― よ り正確には第二共通語 と い うべ きで しょうが一 にの し上が った といって も よさそ うです 。(中 略

)私

は大阪言葉が と くに非論理的だ とは思いません。その点では、 方 言 としての東京語だ って同 じことで、標準語 と して純化 されていな いあ らゆ る話 し言葉について、それはいえることです。その意味では、 私 は大阪言葉 の共通語への大量流入を、将来の国語を豊かにす る上に よい ことだ と思 ってい ます。私は大阪言葉が、喜劇的表現だけでな く、 そ の力を発揮す る日を期待 しているのです。(中略

)そ

の 日が来た ら、 それ こそ第二標準語 どころではな く、大阪言葉 自体が、 日本語の豊か さ、柔軟 さ、美 しさを担 うに違 いないと思います。」 の ように、規格化 された標準語にはない よさを大阪言葉に求め ようとす る動 き も、確か に、存在 していた ことも、わすれてはならない。

4

非規格化の動き 先に、第1節に見たごとく、

1%5年

から約10年間は、 日本語の規格化が、 様 々な方面で、着 々と進められた時代であった。 ところが、その同 じ時期に 行われた「送 りがな」の規格化においては、他 と同様の成功を収めることが、 必ず しも、出来なかった。 「送 りがな」は、明治40年に、国語調査会が定めた 「送仮名法」に よって いたが、時代の経過 とともに、不統一が生 じていた。

198年

、国語審議会が 新 しい「送 りがなのつけ方」を文部大臣に建議 し、翌

1%9年

、内閣か ら「送 りがなのつけかた」が告示 された。その際、 日本新聞協会は、国語審議会原 案では「送 りすぎる」 として、予め、修正意見を提出していたが、その意見 は、「許容」 として認められ るにとどまった。

19"年

11月から、新聞各社が、 新 しい送 り仮名法を紙面に採用す ることになるのだが、

1%1年

12月中旬か ら 『朝 日新聞』が、その新 しい送 り仮名法をやめて、なるたけ送 り仮名を減 ら

(25)

方言復権の軌跡 す ように方針変更を行 って しまう。1962年 1月28日『 朝 日新聞』夕刊は、「読 者 と新聞」欄で、読者投稿に答えるかたちで、その方針変更の理由を述べる。 ① 新送 りがなに多 くの問題点あ り。 ② 国語審議会の決定 と合致 しな くとも、新間の特殊な必要から、やむを えない。 などである。この方針転換は、

1%2年

6月に、『毎 日新聞』までもが賛同する ことになる。 新間 とい うメデ ィアの抵抗にあったわけだが、一般国民の抵抗にあった施 策 もある。1962年 5月に 自治省は新 しい住居表示制度を決定 し、住所の統一 整理を進め ようとした。計画 どお り、

1%3年

か ら、全 国68都 市で、 モデル ケースとして実施 した。 ところが、1965年度になっても、 当初 計画 目標 の2

1%し

か、新住居表示法への整理が実現 していなかったのである。 このようななかで、1963年10月11日、国語審議会総会が審議結果をまとめ、 文部大臣に答申 した内容のなかに、 ① 言葉は、平明簡素で能率的であるべ き面 と、社会的伝統的歴史的であ らねばならない面 とをもち、両者の適切な調和点を見いだ して行 くべ き である。 ② 戦後の国語政策は、新時代の国語表記の基準を定めた点で社会的教育 的意義はあったが、個 々の施策には問題があった。 とい うような内容が盛 り込 まれていた ことは、時代の転換を示 していて、注 目され るだろ う。

5

日本語の多様化へ ;方言復権

1%5年

(昭和40年

)以

降、むろん、方言が、まった く肯定的価値の ものと な りおおせたわけでは、け っして、ない。 1“5年6月10日『毎 日新聞』 東京江東区の工員が同僚に長崎弁を真似 されて、その同僚を刺 し殺す。

1%5年

8月 27日『毎 日新聞』 板橋の予備校生が栃木なま りを兄の婚約者にか らかわれ、 しめ殺す。

(26)

Ю∽年 2月11日『毎 日新聞』 読者投書 「(コメデ ィアンが

)や

た らと東北弁を使 って笑 いの武器 と してい る が、私たち東北に育 った者は、東北弁 を、笑 いのお もちゃに して もら いた くない。喜劇俳優は もっと正常なユーモアで笑わせ る勉強を して は しい。」

196昨

2月23日『 朝 日新聞』 読者投 書 「中央では東北弁、津軽弁 は きわめて侮辱的な扱 いを受け、集団就職 な どで標準語の中にはい った人たちは、 ことばで泣か されています。」 1973年 4月 3日 『 朝 日新聞』夕刊 秋 田か ら上京 した大学 生が、東北弁 を音 に 自殺 。 な ど、依然、方言の問題が深刻であ り続けることには変 りがない。なかには、 19“ 年11月 6日 『読売新聞』 「赤でんわ」欄 青森 県 の或 る小学校 では生徒 に

5枚

の カー ドを もたせ る。方言を使 う たびに、その カー ドを1枚ずつ取 り上げ られ、

5枚

全部取 り上げ られ た ら職員室に立た され る。 の ような、「ネサ ヨ人形」 と同 じような ことまで行われて もいる。 けれ ど、 1964年 2月 『文研月報』

NHK放

送文化研究所 座談会「日本語のアク セ ン ト」 服部四郎 「なん で も ピンか らキ リまで、一か ら百 まで東京語 の まね を しなきゃな らない と思 って、 ものが言えな くな るよ りも、なま りの あ る発音 で、堂 々 とや っていただ くよ うにな ったほ うが、地方 のか たはいいん じゃないか と思 うんです。」

D∞

年『 言語生活』 1月 号 特集 「標 準語 と方言」 官 島達夫氏 「方言 教 育諭」 共通 語教 育の立場か らも方言 を教 育す る ことが必要 で あ ることを論 じ る。 とい った研究者の意見が活字 メデ ィアに載 ることも多 くな っている。のみな らず、

(27)

方 言復 権 の軌跡 1968年 5月 5日『 朝 日新 聞』 「 しん どいっ 方言 の勉 強」 「四月の番組編成 がえで、 ブラウン管に関西 ものの “ど根性路線

"が

ひ しめ いて い る。」 朝 日放送 の原清 専務 「方言 に と り組 むには、 なみたいて いの苦労 では なか ろ う。 しか しタレン トはそのカベを越 えねばな らない。方言を こ なすの も “才能

"の

一つ。それで こそ選ばれた “タ レン ト

"と

いえる のだ。」 と、方言の勉強が タ レン トであるための条件 とまで された り、

D"年

『 言語 生活』 3月 号 特 集 「東北弁」座談会 加藤 日出男 「(略

)以

前 は、 ことばで泣 か され た とい う話 がず い ぶ ん あ ったんです よ。 ところが こ こ数 年 急 に少 な くな った です ね 。 目 立 って い ます。一つの解釈ですけ ど、テ レビあた りで東北弁 をおか し くお もしろ くや るで しょう。それで逆に優越感を もつ ようにや っ たや つが いるんです よ。『 おれ の時代 が来た んだ』(笑

)東

北弁 もテ レビ時代 の裏側 でな く表に変 って きた と。わ ざと言 った りね。」 司会 「嘲笑や軽蔑 の対象 に限 られ ていた時代 とは違 って きま したね。 『 おはなはん』 の津軽弁 とか『 あ した こそ』 の 吾 郎 さん の福 島 と か。」 (中略) 寺山修 司 「むか しは民謡 を恥ず か しい音楽だ と思 っていたけれ ども、 この ごろは津軽三味線 を弾け るとい うことで、東京に行けば、・ ・ 。 そ うい う感 じもあ りますね。」 国分一太郎 「わ た したちの時代 とは違 って きたか もしれ ませ んね。非 常 に劣等感を もた されて育ちま したか ら。」 な ど、時代の変化を思わせ るよ うな記事が 日につ く。 さらに語気荒 く、

1%5年

5月10日『朝 日新聞』 「記者席」欄 「東北弁を礼讃す る佐 々 木 氏」 社会党 の委員長に選任 された佐 々木氏の演説 「標準語は、各地 の言葉 が ま じりあってで きた もの。本来 の 日本語は東北弁 に残 されてい る。」

(28)

1%6年

1月 3日『 毎 日新 聞』 座談会 「あなたの『 ことば』 わた しの 『 ことば』」 テ レビ ドラマで方言を用いた ものが流行 していることについて。 臼井 吉見 「方言 につ いて考えてみ ま しょう。最近 は佐 々本社会党委員 長 の東北弁 とか、大阪弁 の全国的な流行 とか、いろいろ顕著な例 を 見受け ますね。」 大宅般一 「東京弁 ってのは標準語で、 しか もエスペ ラン トみたいな も ので味がない。合成語なんです。合成酒の ような もので コクがない。 だか らラジオ・ テ レビの ような、 ニ ュアンスとい うか、一種、 こと ばが分泌物を必要 とす るところになると大阪弁 の方が強 くな って く るんだ。」 1971年 2月 6日『 朝 日新聞』 夕刊 内村 直也氏 某

NHKの

アナ ウンサーの標酢語は 「慇懃無礼」。「民放の愚劣な 日本 語 の流行は感心 しない。 しか し、標準語だ といわれ る

NEKの

話 しこ とばが歓迎 され るのである。」

191年

2月23日『 毎 日新 聞』 松 田道雄 民 「 日本語 につ いて」 「ことばを大事にす る意識が私たちに うす くなった最大の理 由は、標 準語尊重である。新主都 の東京 の役人が、全国支配のためにつ くっ た標準語 とい う人造語が、全国にあ った土地 の ことばを追放 した。 東京 の ことばを使 うのが、えらい人で、土地 の ことばをつか うのは、 学 のな い人 間だ とい う方言侮蔑が、先祖か らの ことばを大事に させ な くな った。」 1971年『 言語生活』 4月 号 松 田道雄 氏 「言語生活の復権」 「標準語は明治の役人がつ くりよった支配の ことば。地 の ことばは人 民 の ことば。 これ 忘れた らあかん。」 と関西弁で表現。 1971年 5月 1月 『 朝 日新聞』夕刊 「標的」欄 「言葉に多彩 さを」 「最近号の『学士会会報』 で京極純一が『話 し言葉の開発』を提唱 し てい る。た しかに京極のい うように、 日本のいわゆ る共通語は、今 日、読み書 き専用だけでな く、話 し言葉にまで広 が り、 ラジオ、 と

(29)

くにテ レビの普及を通 じて、その規格化が推 し進め られている。 こ とに読み書 き専用の共通語に、ある特定の音声 システムを付け加え たいわゆる

NHKニ

ュース調が、第二の共通語 として幅をきかせて いる。 こうした話 し言葉の規格化は 日本文化の豊か さに とってマイ ナスだ と京極は嘆いている。(中略)とにか くわれわれは、話 し言葉 の自由、Fふるさとのなま り』の伝承をもっと大切に しなければな らない。」

192年

『 言語生活』12月号 特集 「日本語改造論」 座談会 「生活の変化 と日本語のゆ くえ」 佐伯彰一 「日本語開発 ってい うことか らいえば、方言の復権 とい うか、 方言にちゃんとした位置を認めるべ きで、方言が悪いってい うよう な罪悪感みたいな感 じを、子 どものときか ら植えつけ るってい うこ とは、ぜ ったい反対ですね。」 1974年 5月13日『 朝 日新聞』夕刊 海音寺潮五郎氏 「日記か ら」 「東京語は人為的につ くられたことばで、自然発生のことばではない のである。 こんなことばが代表的 日本語 とされているとい うことは、 果た して民族文化の上に幸せなのか、不幸なのか。」 と、 こうなって くると、1955年の頃 とは、まさに隔世の感がする。 このよう な意見が、Ю “ 年頃に、新たに、急激に高まってきたものなのか、或は、19 55年のころか ら既に存在 してお り、それがメデ ィアの表に急に浮かんできた だけなのか、更に調査 してみなければならないが、それに しても、 これ らの 論調の意気盛んな ことには驚かされる。余 りの高ま りに、 Ю田年10月 12日『毎 日新聞』 「視点」欄 「標準語をけな し、方言をほめたたえるのは、近 ごろのはや りのよう である。標準語の悪 口を言 うと、何か権威にさからっているみたい な、体制に反抗 しているみたいな気が して、気持がいいらしい。(中 略

)だ

か ら、今のままで方言をはびこらせておけば、 日本語はいよ いよ醜悪な ものになるにちがいない。つま り現在の方言礼賛論には、 美的趣味 とい う視点が欠如 しているのである。」

(30)

1解4年 丸谷才一氏『 日本語のために』 「一種の土俗趣味的な風潮の流行 とともに、方言が不当に大きな位置 を占めてきてあるのは残念なことである。」 など、いわば振 りす ぎた振 り子を もとに戻す ような発言まで登場する。

6

日本語の多様化へ :言語施策 第

4節

末で、1963年、既に、国語施策が見直 されつつあったことを見た。

1%5年

以降、国語政策面の方向転換は、第

5節

に見た、 日本語の非規格化の 動 きと軌を一に して、着実に、進められてい く。 19“年1月 3日 『毎 日新聞』 座談会 「あなたの『 ことば』 わた しの 『 ことば』」 置中澄江 「漢字制限が逆に奇妙な漢字尊重を生んでいるん じゃあ りま せんか。ある女子大生の会で、 さつ まいもは安 くておいしいとい う のを『 甘藷は美味に して、値 (あたい

)廉

(れん

)で

ございますわ ね』 とい うのを聞いた ことがあるんです」(笑) など、「当用漢字」に よる漢字制限政策による弊害の指摘を受けたものが、日 につ くようになる。そ して、 1965年12月 9日 国語審議会 (第

7期

)総

会で審議経過のと りまとめ ① 当用漢字の「まえが き」の修正。当用漢字の性格を「範囲」か ら 「基準」に改める。 ② 活用語か ら転 じた名詞の送 りがなについて、少な く送 る方向に修 正。 1967年 第

8期

国語審議会漢字部会が検討の過程で問題 となった点を第 “ 回総会に報告 当用漢字表を「範囲」 と考えるか「基準」 と考えるか 「範囲」:ここに掲げ られている漢字以外のものは使用 しない。 「基準」:これ以外の漢字は、 どの字でも使用を禁止す るものではな い 。

D田

年5月27日 国語審議会 (第

8期

)第

69回総会

(31)

方言復権の軌跡 第68回 総会 で設 置 され た、問題点 を整理す るために一般 問題 小委員会 の報告 まえが き「国語施策の基本 として、国語を平明にす るとい う見地か ら国語の表記についてなん らかの よ りどころ とな るような基準が 必 要 である と認め られ るが、国語の美 しさ・豊 か さ。正 しさ・厳 密 さを保つ ために、その基 準を厳格 に制 限的 な もの としない配慮 が必要であると認めた。」 当用漢字表 。当用漢字音訓表 につ いて 「厳格 に制 限的な もの とせず、 基準 とす ることが妥当 と考 える。 ここで基準 とい う意味は、今後 文章を表 記す るにあた って、な るべ く当用漢字表 に掲げ られ てい る漢字 または当用漢字音訓表 に掲げ られている音訓でまかな うこ とであって、 これ以外の ものは、 どの字、 どの音訓で も使用を禁 止す る ものではないが、な るべ く用 いない よ うに したい、つ ま り、 努力 目標 と して これを尊重す る とい う趣 旨で ある。」 送 り仮名 のつけかた につ いて 「標 準・ よ りどころ とす る とい う考 え方については、おおむね現行 どお りとして さしつか えない。」 1970年 5月27、 28日 国語審議会 (第9期

)第

74回 総会 国 語審 議 会 「当用 漢 字 改 定 音 訓 表 (案)」 「改定送 りがな の つ け 方 (案)」 発表 当用漢字改定 音訓表 ;音訓 の一応 の「 目安」であ り、「制限」ではな い。適用範囲は一般の公共生活であ り、学術や文芸、個人の領域 に まで及ぼそ うとす るものではない。 熟字 訓・ あて字 の うち、慣 用 の広 く久 しい ものは採用 改定送 りがなのつけ方:慣用 の尊重。表記の実際に即 して弾力性を もたせ る

1%1年

12月 20日 国語審議会 (第10期

)第

78回総会 「当用漢字改定音訓表」承認 314字 につ いて新たに357の 音訓を加える。 前文 「先 の音訓表は、表示 した音訓以外は使用 しないとい う制限的

(32)

な精神 に よって定め られた ものであるが、それに対 して、今回の改 定音訓表は、一般 の公共生活におけ る、 よい文章表現の 目安 として 設定 され た。 1972年 5月24日 国語審議会 (第10期

)総

会 「改定送 りがなのつけ方」承認 本則、例外、許容に分かれ る。全体 としては「送 りす ぎ」を改め、 慣用 も尊重。 1972年 6月

2日

「当用漢字改定音訓表」「改定送 り仮名 の付け方」を文 部大 臣に答 申 1973年 6月18日 新 「当用漢字音訓表」新 「送 り仮名の付け方」告示 1974年11月 8日 国語審議会 (第11期

)総

会 審 議経過報告 と りま とめ。文部大臣に報告。 新 「当用漢字音訓表」についての検討を早 くも始める。「当用漢字表」 を重要な資料 としなが ら新 しい漢字表 を作 る。

1"7年

1月 国語審議会 (第12期

)で

新漢字表試案成 る。 前文 で、新漢字表 の性格 を、「範囲」か ら「 目安」へ と変更す ることを 明記。 そ して、遂 に、 1973年 3月 国語審議会が「常用漢字表案」 中間答 申

1%1年

10日 「常用漢字表」告示 とな り、戦後の 日本語環境に大 きな影 響 力を及 ぼ し続 け て きた 「当用漢字 表」 は、その任 を解かれ る こと とな ったのであ る。 「当用漢字表」が

1%5年

以降に被 った修正は、振 り返 ってみ ると ①漢字表 の性 格 を 「範囲」か ら「基準」へ と制限色の払拭。 ②一 旦は締 め出 した 「慣 用」 を、再認知 。 で あ り、「送 り仮名」 もまた、「慣用」を尊重 しつつ、表記の実際に即 して弾 力性 を もたせ る よう、修正を受けることにな ったのである。 この ような、 日 本 語 の非規格化 の動 きは、

194年

3月 法務 省 人名用漢字制限の緩和を民事行政審議会に諮問。

(33)

方言復権の軌跡 な どの政策に も反映 されてい った り、 1鯰5年 9月19日『 毎 日新 聞』 「ほん」欄 「あ りがなの復活」 当用漢字 の実 施 に よ り、戦後 、 出版物か ら姿 を消 していたふ りがなが 復活 しつつ あ る。 1967年8月 新住居 表示制 度 に関す る法律改 正 住 民

"人

以上 の署名があれば公聴会を開 いた り、町名変 更案 の修 正が 可能。 な ど、規格化以前の状態への回帰 として も、見 られ るようになる。

7

おわ りに 以 上、主 として新聞記事に現われた、方言復権の足跡を、見てきた。1965 年 くらいを境に、急激に、それが進行 した ことを、確認できたのではなかろ うか。 もちろん、方言の問題は、現代でも厳存する。 自らの方言に悩む人は、未 だ決 して少な くない し、また、1965年以降に指摘 されるようになった、方言 の横行 とい う現象 も、全 くその勢いが衰える兆 しもない状態である。方言の 魔女狩 りか ら、その復権へ、とい う、以上の歴史か ら、我 々に学ぶべ きこと はないのであろうか。 今回は、紙面の都合 もあ り、扱 うことの出来た資料が、ごく限られた もの になって しまった。マスメデ ィアに現われた「正 しい」日本語、或いは、「正 しいと考えられた」 日本語の姿を とらえるには、けれ ど、やは り、 もっと多 面的な資料を扱 う必要があるだろ う。

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