博 士 ( 水 産 科 学 ) 野 口 亮 子 学位論文題名
海 洋 脂 質 か ら 調 製し た 共 役 お よ び トランス脂肪酸の生理機能に関する研究 学位論文内容の要旨
生活習慣病の原因は多種多様であるが、その発病と進行に脂質が関与している ことが、疫学調査から明らかとなっている。また、外食産業と加工食品の流通が特に 先進諸国で拡大し、結果的に我々日本人も含めこれらの国では、畜肉及び植物由 来の脂質や糖の過剰摂取による生活習慣病が増加している。こうした現状から、栄 養素材の生活習慣病に及ばす影響が注目されており、その中でも脂質の質とその 機能性が問い直されている。例えぱ、水産物に多く含まれるエイコサベンタエン酸,
(EPA)や ドコ サヘキ サエ ン酸(DHA)は 抗動 脈硬化、抗肥満作用、痴呆予防や学力 向上作用等の生理機能が知られており、また、リノール酸(LA)の異性体であるCLA は、抗肥満、抗動脈硬化、抗癌作用等様々な生理作用を有することが報告されて いる。CLAの生理作用はその共役二重結合によるものであると考えられているが、
LA以外 にも 、リノレン酸(LN)、EPA及ぴDHAなど、二重結合を複数有する脂肪酸 であれば、その共役異性体の存在は考えられる。現に、海藻中には共役エイコサベ ンタエン酸(CEPA)が存在することも知られている。また、ある種の植物種子油中に は共役リノレン酸(CLN)が多量に含まれている。これらの共役脂肪酸(CLN、CEPA 及ぴ共役ドコサヘキサエン酸(CDHA))は新たな機能性脂肪酸として注目されるが、
その生理機能についてはCLNにっいてわずかな報告がある以外、これまでほとんど 検討されてこなかった。一方、一般の脂肪酸の二重結合はシス型であるが、共役脂 肪酸の二重結合は通常その一部あるいは全部がトランス型をとる。一般に良く知ら れているトランス脂肪酸は、二重結合を1個有するモノ不飽和トランス脂肪酸であり、
心疾患等を誘発することが報告されている。しかし、CLAやCLNのように二重結合が 複数ある場合、トランス型をとっていても生体にとって悪影響を及ばすのではなく、
様々な有益な生理作用を示す・。したがって、二重結合1個のトランス脂肪酸と二重
結合を2個以上有するトランス脂肪酸はまったく異なった生理作用を示す可能性が ある。特に二重結合を多数有するEPAやDHA由来の非共役型のトランス脂肪酸(ト ランスEPAとトランスDHA)の生理作用については非常に興味がもたれるが、こうした トランス脂肪酸の生理作用に関する知見は少ない。
そこで、本研究では、EPAやDHA由来の共役脂肪酸とトランス脂肪酸について、
その生理作用を中心とした検討を行った。まず、第2章では、アルカリ異性化法によ ってLN、AA、お よびDHAから 共役 型脂 肪酸(CLN、CAA、CDHA)を調製し、これら の癌細胞に対する増殖抑制効果にっいて、ヒトリンパ腫細胞(U937)を用いて検討し た。 その 結果、 各共 役型 脂肪 酸は癌 細胞 に対する強い増殖抑制作用を示し、か つ、その活性本体は共役トリエン構造であることが分かった。また、CDHAは含有して いる共役トリエン酸がCLNより少ないが、CLNと同程度の増殖抑制作用を示した。こ のことより、DHA由来の共役トリエン酸は、LN由来の共役トリエン酸よりも強い活性を 示すと考えられた。その他、第2章では、CLNを含む各植物種子油(ニガウリ、ザク ロ、キササゲ、キンセンカ)の癌細胞に対する増殖抑制効果にっいても検討した。そ の結 果、CLNの癌細胞に対する増殖抑制効果は異性体の構造によっても異なるこ とが分かった。
第3章 では 、魚 油の主 な構 成成 分で あるEPAおよびDHA由 来の非 共役 型ト ラン ス 脂 肪 酸を 調 製 し 、CEPAやCDHAの癌 細胞 に対 する増 殖抑 制作 用と の比較 を行 った。その結果、CEPAとCDHAは非常に強い活性を示すことが分かった。一方、ト ラン スEPAや トラ ンスDHAも細 胞に対 して 増殖抑制作用を示したが、その活性は CEPAとCDHAと比較して弱いことが明らかとなった。また、これらの細胞死はアポト ーシスと関連していることも示唆された。ただ、トランスEPAおよびトランスDHAの癌 細胞に対する増殖抑制作用にっいての報告はこれまでになく、本実験における結果 は 新 た な 機 能 性 脂 肪 酸 を 創 出 す る 上 で 重 要 な 知 見 で あ る と 考 え る 。 細 胞実 験の結 果よ り、EPAやDHA由 来の 共役型脂肪酸とトランス型脂肪酸がそ れぞれ特徴ある生理作用を示す可能性が示されたので、第4章では、これらの脂肪 酸をラットに摂取させた場合の脂肪重量や血清脂質に及ぼす影響にっいて検討し た。まず、白色脂肪組織(WAT)重量について比較したところ、トランスDHAとCEPA 投与 によ りWATが有意に減少し、CDHA投与でも減少傾向が見られた。このことよ り、CEPAとCDHA及び トラ ンスDHAは体 脂肪減 少作 用を 示す ことが 明ら かと なっ た。また、血漿総コレステロールは、トランスEPA、トランスDHA、CDHA投与群で有
意に減少した。さらに、トリグリセリドと総脂質は、トランスEPA、トランスDHA、CEPA、 CDHA各 群 で有 意 に 減少 、 また は 減少傾向 が見られ た。これ までに、モ ノ不飽和 のト ラ ン ス脂 肪 酸 は、 血 漿中 のLDLコレステ ロールを 増加させ 、かつ、HDLコ レステロ ー ルを低下させることで動脈硬化を誘発するとされていた。しかし、本研究により、トラン スEPAとト ラ ン スDHAは 、こ れ らの モノ不飽 和トラン ス脂肪酸 とは逆に血 漿脂質の 改 善作用を示すことが始めて明らかにされた。
第5章 で は 、 共 役 脂 肪 酸 の モ デ ル 系 と し てCLN含 有 植 物 種 子 油 を 用 いて 、 生体 内 での代謝を 中心に検 討を行っ た。その 結果、ラ ットあるいはマウスの肝臓総脂質に は 、 飼 料 と して 与 えた 種 子 油由 来 のCLNは ほ とん ど 検 出さ れ ず、CLNの メチ ル 末端 側 の 二 重 結 合が1個 飽 和化 さ れ るこ と で生 成 す るCLAが 検出 さ れ た。 ま た 、小 腸 の 総 脂 質 か ら もCLAが 検 出 さ れ た こ と か ら 、実 際 に は小 腸 への 吸 収 の時 点 で多 く の CLNがCLAへ と 変 換 さ れ て い る こ と が 予 想 さ れ た 。 以 上 よ り 、CDHAやCEPA投 与 で も 二重 結 合 の飽 和 化に よ っ て生成 される共 役ジエン 酸の生成が 予想され る。した が っ て 、CDHAやCEPAの 生 理 作 用 は 、CEPAやCDHAの 代 謝 産 物 が 関 与 し て い ることも考えられた。
最 後 に 、第6章 で は、 魚 油 中の ト ラン ス 脂 肪酸 の 存 在に っ いてGC/MSに よ り分 析 し た。そ の結果、EPAエチルエ ステル製 剤中には トランスEPAが約1%検出 されたが 、 そ の 他 の 魚 油 中 に はEPA及 びDHA由 来 の ト ラ ン ス 脂 肪 酸 は 検 出 さ れ な かっ た 。し た がって、特 定の植物 種子油( ニガウり やザクロ )を利用する場合を除き、一般には 二 重 結合 を 多 数有 す るト ラ ン ス脂肪 酸を摂取 する機会 はほとんど ないこと が示され た。
本 研 究 に お い て 、CEPAとCDHA及 ぴ ト ラ ン スEPAと ト ラ ン スDHAが 生 体 に 対 し て 有 益 な 作 用を 示 すこ と が 始め て 明ら か に され た 。CEPAに っ い ては 海 藻 中に そ の 存 在 が 知 ら れて い るが そ の 含量 は 少な い 。 した が っ て、 こ れら のEPA及ぴDHA由来 の 機 能性 の 共 役脂 肪 酸と ト ラ ンス脂 肪酸を得 る方法と して、化学 的あるい は酵素的 な 調 製 法 に っい て 今後 検 討 する 必 要が あ る 。特 に 最 近、 海 藻中 で の 共役 異 性化 及 び トラン ス異性化 酵素の存 在が報告 されてお り、こう した海藻酵 素を用い たEPA及ぴ DHA由来の機能性脂肪酸の供給が期待される。
学位論文審査の要旨 主査
副査 副査 副査
教授 教授 教授 助教授
宮 下 和 夫 板 橋 豊 平 田 孝 細 川 雅 史
学 位 論 文 題 名
海洋脂質から調製した共役および トランス脂肪酸の生理機能に関する研究
生 活 習 慣 病 の 原 因 は 多 種 多 様 で あ る が 、 そ の 発 病 と 進 行 に 脂 質 が 関 与 し て い る こ と が 、 疫 学 調 査 か ら 明 ら か と な っ て い る 。 こ う し た 現 状 か ら 、 栄 養 素 材 の 生 活 習 慣 病 に 及 ば す 影 響 が 注 目 さ れ て お り 、 そ の 中 で も 脂 質 の 質 と そ の 機 能 性 が 問 い 直 さ れ て い る 。 例 え ば 、 水 産 物 に 多 く 含 ま れ る エ イ コ サ ベ ン タ エ ン 酸(EPA)や ド コ サ ヘ キ サ エ ン 酸(DHA)は 抗 動 脈 硬 化 、 抗 肥 満 作 用 、 痴 呆 予 防 や 学 力 向 上 作 用 等 の 生 理 作 用 が 知 ら れ て お り 、 ま た 、 リ ノ ー ル 酸 くLA)の 異 性 体 で あ るCLAは 、 抗 肥 満 、 抗 癌 作 用 な ど の 機 能 を 有 す る こ と が 報 告 さ れ て い る 。CLAの 機 能 性 は そ の 共 役 二 重 結 合 と ト ラ ン ス 構 造 に よ る も の で あ る と 考 え ら れ て い る が 、LA以 外 に も 、 リ ノ レ ン 酸(LN)、EPAお よ ぴDHAな ど 、 二 重 結 合 を 複 数 有 す る 脂 肪 酸 で あ れ ば 、 そ の 共 役 異 性 体 や ト ラ ン ス 異 性 体 の 存 在 は 考 え ら れ る 。 し た が っ て 、 こ れ ら の 共 役 脂 肪 酸 (CEPAやCDHA)や ト ラ ン ス 脂 肪 酸 ( ト ラ ン スEP」6や ト ラ ン スDHA) は 新 た な 機 能 性 脂 肪 酸 と し て 非 常 に 興 味 が も た れ る が 、 そ の 生 理 機 能 に っ い て は こ れ ま で ほ と ん ど 検 討 さ れ て こ な か っ た 。
そ こ で 、 本 研 究 で は 、EP」 やDHA由 来 の 共 役 脂 肪 酸 と ト ラ ン ス 脂 肪 酸 に っ い て 、 そ の 生 理 作 用 を 中 心 と し た 検 討 を 行 っ た 。 本 研 究 で 得 ら れ た 新 知 見 は 以 下 の 通 り で あ る 。
1. 化 学 触 媒 を 用 い た 異 性 化 法 に よ っ てCEPAとCDHAお よ ぴ ト ラ ン スEPA と ト ラ ン スDHAを 調 製 し 、 こ れ ら の 癌 細 胞 に 対 す る 増 殖 抑 制 効 果 に つ い て 検 討 し た 。 そ の 結 果 、cEPAと ( ニDHAは 癌 細 胞 に 対 す る 非 常 に 強 い 増 殖 抑 制 作 用 を 示 し 、 か つ 、 そ の 活 性 本 体 は 共 役 ト リ エ ン 構 造 で あ る こ と が 明 ら か に な っ た 。 一 方 、 ト ラ ン スEPAと ト ラ ン スDHAの 活 性 はCEPAとCDHAよ り も 弱 い こ と が 分 か っ た 。 ま た 、 こ れ ら の 細 胞 死 は ア ポ ト ー シ ス と 関 連 し て い る こ と も 示 唆 さ れ た 。
2.ト ラ ン スEPAと ト ラ ン スDHA及 びCEPAとCDHAを ラッ ト に摂 取 させ た 場合 の白 色脂肪組織(WAT)重量に 及ぼす影響 にっいて検 討したとこ ろ、
トラ ン スDHAとCEPA投 与 によ りWATが有意 に減少し、CDHA投与でも減 少 傾向 が見 られた。こ のことより 、CEPAとCDHA及びトラ ンスDHAは 体脂肪 減少作用を示すことが明らかになった。
3.゛ トランスEPA、トランスDHA、CDHAは血漿総コレステローノレを、ま た、 ト ラン スEPA、 トラ ン スDHA、CEPA、CDHAは、トリグ リセリドと 総 脂質を減少させることが明らかになった。これまでに、モノ不飽和のトラン ス脂肪酸は、血漿中のLDLコレステロールを増加させ、かつ、HDLコレステ ロールを低下させることで動脈硬化を誘発するとされていた。しかし、本研 究により、トランスEPAとトランスDHAは、これらのモノ不飽和トランス脂 肪酸とは逆に血漿脂質の改善作用を示すことが始めて明らかになった。 . 4.さらに、 共役脂肪酸のモデル系としてCLNを用いて、生体内での代謝を 中心に検討を行った。その結果、ラットあるいはマウスの肝臓総脂質には、
飼料として与えた種子油由来のCLNはほとんど検出されず、CLNのメチル末 端側の二 重結合が1個飽和化 されること で生成するCLAが検出された。ま た、小腸の総脂質からもCLAが検出されたことから、実際には小腸への吸収 の時点で多くのCLNがCLAへと変換されていることが分かった。以上より、
CDHAやCEPA投与でも 二重結合の 飽和化によ って生成される共役ジエン酸 の生 成 が予 想 さ れる 。 した が って 、CDHAやCEPAの 生理作用は 、CEPAや CDHAの代謝産物が関与していることも考えられた。
5.本 研 究 に お い て 、CEPAとCDHA及び ト ラン スEPAとト ラ ン スDHAが 生 体に対して有益な作用を有することが始めて明らかにされた。また、これら のEPA及びDHA由来の機能性の共役脂肪酸とトランス脂肪酸を得る方法とし て化学的調製法を確立できた。最近、海藻中での共役異性化及びトランス異 性化酵素の存在が報告されており、こうした海藻酵素を用いたEPA及びDHA 由来の機能性脂肪酸の供給も今後期待される。
本研究で明らかとなったEPA異性体およびDHA異性体の抗腫瘍活性、抗肥 満作用並びに脂質代謝改善作用は、水産物由来の新たな高機能性物質を創出 する上で画期的た成果と考えられる。また、本研究で得られた成果は、EPA やDHAなどを多く含む水産物の有効利用を図る上で有益な知見を与えるもの と考えられる。よって、審査員一同は本論文が博士(水産科学)の学位を授与 される資格のあるものと判定した。