博士(水産科学)望月万美子 学位論文題名
ニジマスの伝染性造血器壊死症 (IHN) 耐 病 性 系 統 作 出 に 関 す る 研 究 立:論文 内容の要旨
静岡県のニジマス養殖において,魚病による被害,経済的損失が生産量 の10%を超え,その対策確立が急務となっている。中でも,伝染性造血器 壊死症(IHN)は1974年に県 内に侵入してから30年以上経た現在において も,最も被害額の多い疾病であり,魚病被害全体の約1/3を占めている。
これまで,IHN対策として親魚からの垂直感染を断っために,ヨード剤に よる発眼卵の消毒と感受性を有する時期(おおむね3gまで)をウイルスフ リーの飼育用水による飼育が実施され,この防疫対策が効を奏し,稚仔魚 期のIHN発生は少なくなり,北日本の1水系1孵化場あるいは1養魚場の多 くで本病がなくなった。しかし,本州中部のニジマス主産県では,50g以上 の出荷間際のジニマスや親魚など,様々なサイズで発症することや,他の 疾 病 と の 混 合 感 染 も 多 い こ と か ら , 問 題 が 複 雑 化 し て い る 。 本研 究 では ,IHN耐 病性 系 統作 出 を目的に,ま ずIHN抗体検出ELISA法 を用い,県内のニジマスのIHNウイルス感染実態を明らかにした。また,親 魚のウイルス保有率およびELISA抗体価との関係について検討するととも に,IHN発症が起こる飼育水中のウイルス感染粒子数を測定した。そして,
ウイルスの変異と魚の耐病性の関係にっいて調べるために,IHNウイルス5 株の病原性 について検討 した。次いで,染色体操作を用いてIHN耐病性 系統を作出するとともに,その耐病性機構について,魚体内ウイルス量との 関係から考察した。
ま ず , 第1章 で は, 静 岡県 内 の養 鱒 場に お ける ニ ジマ ス のIHNウイ ル ス感 染 状 況 を 明 ら か に す る た め , 抗 体 検 出ELISA法 を 開 発 し , 民 間 養 鱒 場 およ び 水産 技 術研 究所 富士養鱒場 内の調査を 行った。そ の結果,ほ とんど の 民 間 養 鱒 場 に お い てIHNウ イ ル ス 感 染 耐 過 魚 が存 在 し, 県 内 には 広 く IHNが蔓延していることが明らかとなった。富士養鱒場においても,ウイルス フリ ー 用水 で 飼育 可 能な 隔 離施 設 内の ニ ジマ ス はIHNウイ ルスの感染 履歴 を持たない ものの,屋 外池におい ては,その ほとんどがIHNウイルス感染履 歴を有する ことが明ら かとなった。親魚のウイルス保有率は1313%であった が,ウイル ス保有と抗 体保有の間に関連性は見出せなかった。さらに,最確 数法 を 応用 しIHNが発 生 す る飼 育 用水 中 に, 感 染性 ウイル ス粒子がい くつ 存在 す るか を 調べ たと ころ,10t中に1感染粒子と いう数字が 算出された 。 第2章 では , ウイ ル スの 変 異と 宿 主の 耐 病 性獲 得 にっい て検討する ため,
分 離 年 , 場 所 の 異 な る5株 のIHNウ イ ル ス 株(RtShiz0606,RtShiz06a, RtNag06b,RtNag96,ChAb7601) を 用 い て 人 為感 染 試験 を 行い 病 原性 を 比較 検 討し た 。そ の結 果,累積死 亡率はウイ ルス株によ り大きく異 なり,
RtShiz0606株が最も強い病原性を示し(l04 TCIDso/J;:rilでの死亡率,92%)
最も 病 原性 の 弱い のはChAb7601株 (同10%)で あった。こ の傾向はニ ジマ スの 由 来( 静 岡県 産お よび長野県 産)が異な っても同様 の結果であ った。
ま た ,RtShiz0606株 は,G遺伝 子 の分 子 系統 学 的 解析 か ら, 従 来のJrtグ ループの2っのサブ グループに 属さず,新 たに出現し たウイルスと考えられ た。これはIHNウイル スが宿主の 耐病性獲得 に対応して 変異することで,病 原性を維持 しているも のと考えられ,このことが,耐過魚の選抜育種による 耐 病 性 系 統 の 確 立 を 難 し く す る 要 因 で は な い か と 考 え ら れ た 。 そ こ で 第3章で は ,IHN耐 病 性 系統 作 出の た め, 近 年確 立 され た 染色 体 操作方法を 用い,雌性 発生を2世代施すことにより,ニジマスクローン2系統 (RT92H10お よ びRT92H04)を 作 出す る とと も に, こ れら 系 統の 耐 病 性形 質 お よ び 再 生 産 形 質 に 関 す る 項 目 に つ い て 検 討 し た 。 耐 病 性 形 質 で は , IHNウ イ ル ス 人 為 感 染 試 験 に よ る 累 積 死 亡 率 はRT92H04 (96% ) と 比 較 ‑ 181―
し てRT92H10で有 意 に低 く (同70% ) ,RT92H10はIHN耐 病 性を 有 する こ と を明 らかにした 。また,ウ イルスの感 染防御に関 与するとさ れるNK活性につ い て 調 べ た とこ ろ ,RT92H10が 有 意に 高 い活 性 を示 し た 。一 方 でビ ブ リオ 病 人 為 感 染 試験 に おい て ,RT92H10の 累 積死 亡 率が60%で あ るの に 対し , RT92H04は13.3% であ りRT92H10のビ ブ リオ 病 抵抗 性が低 い結果とな った。
再 生 産 形 質 に 関 し て ,RT92H10はRT92H04と 比 較 し て 成 長 が 良 好 で あ る こ と が明 ら かと な った が ,成 長 の遅 いRT92H04が ,大部分 の個体(80%)に お い て2年 で 成 熟 す る 一 方 で ,RT92H10は ほ と んど の 個体 が 未成 熟 とい う 結果であった。
最後 に ,第4章 で,耐 病性の理由 について魚 体内ウイル ス量との関 係によ り考 察した。ま ず,通常ニ ジマス群( 平均魚体重0.77g)を用 いてIHNウイル ス3株(RtShiz0606,RtNag96,ChAb7601) に よる 人 為感 染 試験 を 行 い, 魚 体 内 ウイ ル ス量 の 変動 を 調べ た 。そ の 結 果, 魚 体内ウ イルス量は 死亡率と 密 接 に 関 連 し , 死 亡 率 の 高 いRtShiz0606株 (累 積 死亡 率86% ) では 魚 体 内 ウ イル ス 量が 多 く, 低 いChAb7601株 ( 同12%) ではウ イルス量の 増加は 見 ら れ な か った 。 同様 の 結果 は14gの ニジ マ ス群 を 用い た 試験 に おい て も 得られた。
次 にRtShiz0606株 を 用 い ,IHN耐 病 性 ク ロ ー ン 群RT92H10お よ び 通 常 群 の 人為 感 染時 に おけ る 魚体 内 ウイ ル ス 量の 変 動を比 較した。ウ イルス濃 度および魚体重は10】.3 TCID50/fish,7g(試験1)およぴ105.3TCID50/fish, 14g( 試 験2) で あ っ た 。 累 積 死 亡 率 は 試 験1で はRT92H10が2% , 通 常 群 で24% , 試 験2で は そ れ ぞ れ18% ,72% で あ り ,RT92H10はIHN耐 病 性 を 持 っ こ と が 改 め て 確 認 さ れ た 。 魚 体 内 ウ イ ル ス 量 の 変 動 は , 試 験1の RT92H10の 腎 臓で は ,ウ イ ルス は あま り 増 殖せ ず ,6日 目以降l04 TCIDso/9 程度 まで増加し たものの,10日目にはほ とんど分離 されなくな った。一方通 常群では3日目には104.5 TCIDso/gを,4日目にはl06 TCIDso/gを超える個体 が 存 在 し た が,7日目 以 降は ウ イル ス 量がlos TCIDso/g以上 の 高 い値 を 示
‑ 182−
す個体が存在する一方で,l04 TCIDso/9以下の個体も存在し,魚体内ウイ ルス量は4〜6日目を境に,ウイルス量が増加し続ける個体と,減少する個 体とに分かれる傾向が見られた。試験2においても,試験1とほば同様の傾 向を示した。試験2では魚体内ウイルス量は腎臓および脾臓で測定したが,
臓器によるウイルス増殖の違いは特に認められなかった。また,死亡するか 否かの臨界線はl06 TCIDso/gと推察された。
以上,本研究では,静岡県内にIHNが広く蔓延していることを再認識し,
その対策として耐病性系統の作出を試みた。IHN耐病性を有するクローン 群RT92H10が作出され ,人為感染時 における魚体内ウイルス量は増殖す るものの速くに減少することから死には至らないことを明らかにした。
今後RT92H10を用いてIHN耐病性メカニズムを明らかにするとともに,そ の情報を利用して通常群からIHN耐病性個体の選抜が可能になると考えら れ,業界に大き栓貢献をもたらすと確信している。
学位論文審査の要旨 主査
副査 副査 副査 副査
教授 教授 教授 准教授 助教
吉 水 守 荒 井 克 俊 岡 本 信 明 西 澤 豊 彦 笠 井 久 会
学 位 論 文 題 名
ニ ジ マ ス の 伝 染 性 造 血 器 壊 死症 (IHN) 耐病性系統作出 に関する研究
こ れ ま で ,IHN対 策 と し て 親 魚 か ら の 垂 直 感 染 を 断 っ た め に , ヨ ー ド 剤 に よ る 発 眼 卵 の 消 毒 と 感 受 性 を 有 す る 時 期 ( お お む ね3gま で ) を ウ イ ル ス フ リ ー の 飼 育 用 水 に よ る 飼 育 が 実 施 さ れ , こ の 防 疫 対 策 が 効 を 奏 し , 稚 仔 魚 期 のIHN発 生 は 少 な く な り , 北 日 本 の1 水 系1孵 化 場 あ る い は1養 魚 場 の 多 く で 本 病 に よ る 被 害 が 沈 静 化 し た 。 し か し , 本 州 中 部 の ニ ジ マ ス 主 産 県 で は ,50g以 上 の 出 荷 間 際 の ジ ニ マ ス や 親 魚 な ど , 様 々 な サ イ ズ で 発 症 が 見 ら れ る こ と や , 他 の 疾 病 と の 混 合 感 染 も 多 い こ と か ら , 問 題 が 複 雑 化 し て い る 。 本 研 究 で は , ニ ジ マ ス の IHN耐 病 性 系 統 作 出 を 目 的 と し , ま ずIHNVに 対 す る 抗 体 検 出 ELISA法 を 用 い , 静 岡 県 内 の ニ ジ マ ス のIHNウ イ ル ス 感 染 実 態 を 検 証 し た 。 次 い で , ウ イ ル ス の 変 異 と 魚 の 耐 病 性 獲 得 の 関 係 に っ い て 検 討 し , さ ら に , 染 色 体 操 作 を 用 い て IHN耐 病 性 系 統 を 作 出 し , そ の 耐 病 性 機 構 に っ い て , 魚 体 内 ウ イ ル ス 量 と の 関 係 か ら 考 察 し た 。
ま ず , 第1章 で は , 静 岡 県 内 の 養 鱒 場 に お け る ニ ジ マ ス のIHNウ イ ル ス 感 染 状 況 を 明 ら か に す る た め , 抗 体 検 出ELISA法 を 開 発 し , 民 間 養 鱒 場 お よ ぴ 水 産 技 術 研 究 所 富 士 養 鱒 場 内 の 調 査 を 行 っ た 。 そ の 結 果 , ほ と ん ど の 民 間 養 鱒 場 に お い てIHNウ イ ル ス 感 染 耐 過 魚 が 存 在 し , 県 内 に は 広 くIHNが 蔓 延 し て い る こ と が 明 ら か と な っ た 。 富 士 養 鱒 場 に お い て も , ウ イ ル ス フ リ ー 用 水 で 飼 育 可 能 な 隔 離 施 設 内 の ニ ジ マ ス はIHNウ イ ル ス の 感 染 履 歴 を 持 た な い も の の , 屋 外 池 に お い て は , そ の ほ と ん ど がIHNウ イ ル ス 感 染 履 歴 を 有 す る こ と が 明 ら か と な っ た 。
第2章 で は , ウ イ ル ス の 変 異 と 宿 主 の 耐 病 性 獲 得 に っ い て 検 討 す る た め , 分 離 年 , 場 所 の 異 な る 5株 の IHNウ イ ル ス 株(RtShiz0606, RtShiz06a, RtNag06b, RtNag96, ChAb7601) を 用 い て 人 為 感 染 試 験 を 行 い , 病 原 性 を 比 較 検 討 し た 。 そ の 結 果 , 累 積 死 亡
―184−
率は ウ イ ル ス株 により 大き く異 なり ,RtShiz0606株 が最も 強い 病原 性を 示し(104 TCIDsO/Dilでの死亡率,92%),最も病原性の弱いのはChAb7601株(同10%)であった。
また,RtShiz0606株は,G遺伝子の分子系統学的解析から,従来のJrtグループの2つ のサブグループに属さず,新たに変異により出現したウイルスと考えられた。これはIHN ウイルスが宿主の耐病性獲得に対応して変異することで,病原性を維持しているものと考 えられ,このことが,感染耐過魚を用いた選抜育種による耐病性系統の確立を難しくする 要因ではないかと考えられた。
そこで第3章では,IHN耐病性系統作出のため,近年確立された染色体操作方法を用い,
雌性発 生を2世 代施 すこ とに より,ニジマスクローン2系統(RT92HIOおよぴRT92H04) を作出するとともに,これら系統の耐病性形質および再生産形質に関する項目にっいて検 討した。耐病性形質では,IHNウイルス人為感染試験による累積死亡率はRT92H04と比 較してRT92H10で有 意に 低く ,RT92H10はIHN耐病 性を有 することを明らかにした。
また,ウイルスの感染防御に関与するとされるNK活性にっいて調べたところ,RT92H10 が有意に高い活性を示した。一方でビブリオ病人為感染試験において,RT92H10の累積 死亡率 が60%で ある のに対 し,RT92H04は13.3%でありRT92H10のビブリオ病抵抗性 が低い 結果 とな った 。再生 産形質に関して,RT92H10はRT92H04と比較して成長が良 好であることが明らかとなったが,成長の遅いRT92H04が,大部分の個体(80%)にお いて2年で成熟する一方で,RT92H10はほとんどの個体が未成熟という結果であった。
最後に,第4章で,耐病性の理由について魚体内ウイルス量との関係により考察した。
IHN人為感染後の魚体内ウイルス量の変動を検討したところ,死亡するか否かの閾値は 106 TCIDso/gと推察された。RT92H10の人為感染時における魚体内ウイルス量は,一旦 増 殖 す る も の の 速 く に 減 少 す る た め , 死 に は 至 ら な い こ と を 明 ら か に し た 。 以上,本研究では,静岡県内にIHNが広く蔓延していることを再認識し,その対策とし て耐病性系統の作出を試みた。IHN耐病性を有するクローン群RT92H10が作出され,人 為感染時における魚体内ウイルス量は増殖するものの,速やかに減少することから死には 至らないことを明らかにした。今後RT92H10を用いてIHN耐病性メカニズムを明らかに するとともに,その情報を利用して通常群からIHN耐病性個体の選抜が可能になると考え られ,業界に大きな貢献をもたらすと確信している。