I.2 /
海 域研究第2 4 集
成 羽 町 の 歴 史 と現 在
岡 山 県 成 羽 町 ‑
岡山大学教育学部社会科教室 内地域研究会
教 育 学 卒
3 1 ^
llY'j山 県 川 上 耶 成 羽 町 市 街 地 の 航 空 写iLI
成 羽 町 の 町 trulの 一 部
上 丁一了
u l ' 1 ,
布 原 上 の 築 港 左 71:k
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稲 原 を 刻 む 払 木 川は し が き
岡山大学教育学部社会科教室地域研究会 では,県内市 町村の方 々の C好評 とC支援 とに支 え られ て,地域研究誌の出版 を続 けてまい りました。今 臥 その第24集 として
,
「成羽町の歴 史 と現在‑ 一岡山県成羽町‑ 」をflJ行いたします。
昭和5 4年7月,岡山大学教育学部教官8名 の指導 の もとに,学生4 5名が成羽町にお もむ き, 成羽中学校寄宿舎成友寮 に合宿 して,町内 を精力的 にまわ り,総合的 に調査 を行 い ましたo その成 果がよ うや く実 を結 び ました。
「地域研究 」と呼んでいるこの調査は,将来教師 となる学生 に対 す る教 育の‑顎 として行 われて い る もの で,地域の地理 ・歴史 ・産尭 ・経済 .社会 .教 育等 を実地 に調査す る ことによって.その 調査研究の方法 を習得 させ よ うとい う目的 を もつ,特色あるプログラムですo 同時 に,その研究成 果 を刊行 して,地元の方 々の郷土理解 の ために.また,地域発展 計画 のための資料 として,お役 に 立 ちたい とい う願 いを持 ってお ります。聞 くところによ ると,成羽 町では将来 ,町史 もしくは町誌 の計画 もあるやに うかが ってい ますが,その癖集 に多少 と も参考にな るな らば幸 です。
成羽町は,岡山県の西部,吉備高原の山なみのTLかに位 正 し,ひ ょうたん型 で面や 8 2kiの地域 に, 2,0 0 0世帯 7,0 0 0人 を越す人 口を擁 する町 です。吉備高原 を深 く掘 り込 んで成羽川 が栄西 に貫流 し,わずかに開 けた谷底平野 に中心集落の下原 の町並 があ りますo集落 は,成羽川 および そ の支流の狭 い谷底平野にばか りでな く,海抜高度4 0 0‑ 50 0mでなだ らかに うら続 く書麻訂原 上に も散在 してい ます。
この地域に人類が住みついたのは,いつの ことか .はっ きりしませんが,成羽町 に も幾多の歴史 が刻みつけ られていますO 由緒 ある町 ですQ拙 文経EZ)のih跡が残 っていますo吹屋の銅 山は大同年 間に開かれた といわれています。重要伝統的建造物 群保存地 区に据定 されてい る吹良 の家並 みは, 繁栄 を誇 った銅 山の町,弁柄 の町の名残 りです。城下町 としての成羽 は,文治年 間,地頭職河村四 郎秀滑の龍首城築城 には じまるといわれ ています。陣屋町 としてのたたずまいを残 す下原の町並 み は,近世 山崎氏の支配 を物語 り,また東城往来 や新 見往来 の交通 の要所 ,高瀬舟の舟若 きの町 とし ての繋架 をしのぼせ ます。
古 くか らの教学 は,由緒 ある伝統文化を今 に伝 えてい ます
。
「備中神楽 」や 「渡 り拍子 」な どの 民俗芸能や,夏の夜空 を彩 る風物詩 「愛宕大花火」Fzどが その代表 です。文化 を貴ぶ気風は新 しい 時代 に も受け継がれてい ます。 児島虎次郎のiR作 を中心 とLf=美術館や世界的 に知 られ た成羽の化 石 ,オ リエン トの過物 ,中国 ・韓国の陶滋器な どを集 めた博物館な ど文 化の香 り高い施設 をい ち早く設 けま した。
はなやかな現代産業 の スポ ッ トライ トか ら見 る と, この町はほ ど遠 い位 置 にあ ります。人 口は流 出 し.過疎化 の波 をか ぶ りました。一方 ,過疎地 域振 興計画 が策定 きれ ,工場 もい くつか誘致 され ま した。 日本 を大 き く変 えた産業構造変 革の波 は.良薬 中心 の この地域 を も徐 々に変 えてい ますo しか し,昔なが らの美 しい 自然 との どか なたたず まい を今 なお残す町 です。
総 合的 な 「地 域研 死 」として取 り上げなければな らない項 目は多岐 にわ た ります。 しか し, 8人 の指導教官 で,すべ てを牲 うこ とは不可能 です。 重要 と思 われ ることで も,触れ ることが出来 なか った ものが多 くあ ります。取 り上 げた負 目で も.内容 に精疎が で きた こ とは否めませ んO また,調 喬に当 ったのは,調査経験 に乏 しい三年次 の学生 で,その調度技術 は未熟 ですo文革 も整 ってい ま せ んC読 みか えす と世促 たる思 いが あ ります。 とはい え,精一杯 の努力 の結 晶 です。至 らざる とこ
ろは ご海零願 うのみ です。 当時 の学生 はす でに卒業 し,大部分はそれ ぞれの地 域 で教壇 に立 ってい ます。成羽町 での経験 が きっと教 育 に生 か されてい ることで し ょう。
この地域研究 誌 をま とめ ることが で きたのは ,成羽町 の方 々の暖かい ご支援
・
ご協力 が あったか らです。町長秋岡博氏 は じめ ,町民の方 々に深 く感謝い た します。私 どもの調査 の受入 れに当 って, 中心にな って労 して下 きっfIのは教育長藤 井知 夫氏 と教育委 員会 事務 局の方 々です. 5日間にわ た る調査の宿泊所 として成羽 中学校 寄宿舎成友賓 を提供 してい た1='きま した。 中学校長福本 史郎氏 , 舎監 中田礼樹 氏 にお世話 をい ただ きま した。 また,心の こ もった食事 を作 って下 さったのは,調理 主任柳 井宙美江 きんは じめ小川 シゲ子 きん ・小 野田和子 きん です。 あ りが と うご ざい ま した。 お世 話にな った方 々は数知 れず ,お名前 を一 々あげる ことは で きません。 皆様に心 か らお礼 を申上 げま す。昭和5 9年1月
岡 山大学教育学 部社会科教 室内
地 域 研 究 会
「成 羽 町 の 歴 史 と現 在 」 刊 行 に あ た っ て
成羽町長 秋 岡 博
この度 ,岡山大学教育学部の先生方 と学生 の皆 さん方の意慾的な研究調査 に よって
,
「成羽町の歴史 と現在」 が刊行 きれる運び とな りま したことは ,わが成羽町民 に と りまして, まこ とに阜 ばしい限 りであ ります。流汗琳浦 の中で ,長期間の研究調香 に当 られ ましたご労 苦に対 し衷心 よ
り敬意を表す るものであ ります。
わが成羽町 は,歴 史的に も非常に古 く,特 異な姿 をも って歴 史を刻 んで参 りま した。 そし部 分
的な研究 調査は先人達に よってかな り進 んでお りますが ,この ような総合的な観点 か らまとめ ら れ たものはなか ったのであ ります。 この啓 をひ もと くことに よって成羽町民 は勿論 ,町外 の万々 が,わが成羽町 を一層深 く知 って頂 くことを頒 する次第で あ ります。
最後に .flJ行 に至 ります までの岡山大学教 育学部の 先生方 と学生 の皆 さん の汗 と貿 重な著作に
対 し重 ねて敬意 を表 します。 (59・1・5)
地 域 研 究 誌 「成 羽 町 の歴 史 と現 在 」 の発 刊 を祝 す
成 羽 町 教 育 委 員 会
教 育長 藤 井 知 夫
岡山大学教育学部 におかれ ましては ,岡山県 内の各地域 を年次的計画 的に諏査研究 され ,既に 発行 され ました冊数 も多い と聞 いてお ります。 これは ,今後数熱 こ立 つ学 生 に対 して地域研究へ の取 り組 み万 ,調査研究 のあ り方 ,領域の とらえ方 ,図避発行の段取等 々を学生運に実地に足 を 踏み込んで体 を通 して調査研 究に当 らせ るとい う大 きな 目的 をもって進 め られてお りますO
この度 ,当成羽町が教育学部の8名 の教 官各位 と, 4 5名の学生の皆 さんに よって ,地域研究 の対象 として取 り上げ られ,学 術的 に も価値 の柘い 「成羽町の歴史 と現在」が刊行 きれることに な り,衷心 より祝意を表 します と ともに ,そ の間 のご労苦を心か らおね ぎ らい申し上 げますOか な りの 日数に わたるご調査の期間何等お 手助けも出来 ませ んでした ことをお詫び申 し上げます。
教 育委員会 と致 しましても,かね てより成羽 の独特な歴史や 住民 の 「生 きざま」 の研究の必要 性を痛感致 してお りますが ,学 問的研究には多額の凝乳 多 くの時間 ,多 くの人を得な ければ容 易 にできない ことであ り,今 日まで思 うように進 捗 してい/Jいのが実情であ ります。従 って ,わ が成 羽町の歴 史 .文化 ・政治 .経済 ・自然見頃 ・宗教 ・教 育 ・交通等々非常に多 くの領 域にわた り総 合的関連 的に深 く調査研究がなされ ましたこ とは.将来 . 「成 羽史」発 刊‑の資重な汽料 と な るもの と確信 してお ります。
今後 ,成羽 町民は勿論町外の心 ある方 々が本市 を座右に置 いて頂 き,成羽 町を色 々な角度 か ら 一層深 く知 っていただ きます よう念願す るもので あ ります 。
ここに ,この度の地域調査の研 究に当 られました教官各 位 な らび に教 育学 部学生の皆 さん方lこ よる素哨 らしい研究誌の刊行に対 し心 より祝意 を表す るものであ ります。 (59・1・6)
調 査 参 加 者
三 浦 遭 三 郎 有 毒 進
田 中 史 郎 山 内 埠 行
平 田 公 夫 商 標 達 郎
武 本 三 千 代 前 田 世 津 子
守 時 敦 子
水 田 敏 美 松 岡 患 理 子
尾 上 泰 彦
吉 田 玲 子
山 川 砕 代 子
中 合 孝 子
安 達 微
量 地 久 世
前 田 雅 代
花 田 雅 子 内 田 博 碓
沢 田 美 雪
小 野 弘 志 渡 辺 千 加 子
平 松 典 子
尊 信 佐 代 子
山 根 美 代 子
藤 原 信 子
岩 崎 吏 英 子
平 島 秀 典
片 山 博 美
上 原 博 文 藤 原 尚 幸 福 本 寿 美 子 中 司 裕 子
武 田 京 子
田 村 さ か え
行 安 茂
中 野 栄 夫
藤 原 玲 子
片 岡 和 子
田 路 簾 理
川 添 玲 子
奥 田 浩 二
小 幡 満 子
片 岡 秀 子
鰹 井 和 美
谷 藤 蕃 臣
横 山 克 己
斎 藤 正 幸 中 井 智 子
宮 永 明 子
朝 森 君 恵
狩 谷 瑞 恵
(執筆順 ) 参 加指導 教官
参 加 学 生
吹
は し が き
「成羽町の歴史 と現在」刊行に あ た って 成 羽 町 長 秋 岡 博 地域研究誌 「成 羽町の歴 史 と現在」 の発刊 を祝す 成羽 町教育長 藤 井 知 夫
第 1 章 自 然 環 境 1 成羽町の概 観
(1)地形 .地質の概況 (2)拓原の気候 と谷 間の気候 (3)高原の土地 利用 と くら し
2 カルス ト地形 3 河 谷 地 形
(1)成 羽川 の河谷地形 (2)成羽川 の河岸段丘 (3)成羽川 の谷底平野 (4)支流の河谷地形
4 山 砂 利 層
(1)吉備高原 上の 山砂利 層 (2)成 羽町域の山砂利の分 布 (3)成羽町域の 山砂利の性格
第 2章 人 口
1 人 口 構 成
(1)人 口 ・世帯数の推 移 (2)年齢別人 口構成 の推移 と比較 (3)産業別人 口構成の推移
人 口 異 動
(1)自然動闇 (2)社会動態 3 中心地集落吹屋の盛衰 ‑‑
第 3革 原 始 ・古代 ・中 世の成羽町 原 始 ・ 古 代
(1)前史 (2)縄 文時代 (3)弥生時代 (4)古墳時代 (5)古代の成羽
2 中 世
(1)鶴 首城主河村秀楢 (2)蕗盛城主佐 々木信綱 (3)戦 国武将 三村氏
81
第 4章 近 世 の 成 羽 町 =一一日 領主の系譜 と支配
(1)小凋氏 (2)前期山崎氏 (8)水谷氏 (4)米倉氏 ・小川氏 (51後期山崎氏
地方支配の構造
(1)山崎氏の支配機構 (2)山崎家中御 定跡 こついて 農 民 の 生 活
一一‑‑・一・・一 96
(1)検地 と免状を中心に (2)人馬 帳 ・卸定番 か ら 吉 岡 銅 山 一・・・‑一一一一・一‑一日・一一‑‑ ・‑一一一 ・‑‑一・一日一一
(1)吉岡銅山の歴史 (2)吉岡銅山様方の変遷 (3)鉄 穴塚 と十ニ ケ細用水
第 5章 近代地方 自治の成立 と展開 1 行政の沿革 と区域の変遷
(ll廃藩毘県 (2)大区小区制の施行 (3)郡区町村編制法の施行 (4)町村制 (51成羽町 の成立
合併 と町政の展望 一一一‑・・・・・・‑‑・一・‑ ・一・一一一・・‑‑
(1)第一次 合併 成羽町 と中村の合併
( 2 )
第 二次合併 成羽 町と吹屋町 の合併 (3)新生成羽町町政の展望財 政 の 展 開
124
137
(1)町村制当初 からEI冶戦争 後の財政 (2)日露戦争 とその後の財政 (3)第‑次世界大戦 とそ 0)後 の財政 (4)不況 の慢性化か ら世界恐慌時の 財政 (5)日中戦争 か ら第二次牡界 大磯末 までの財政 (6)戦後 の財政 (71合併後 か ら現在 までの町財政
第 6章 交 通
成羽川 と高瀬舟 1一・・・・‑=・一・‑=一一・・‑・・‑一・‑‑‑‑一一一‥一
(1)高瀬舟の歴史 (2)運搬物東 (3)古老の話 (4)高瀬舟の衰退 近 代 の 交 通
(1)交通路 (2)交通手帳の発達 現 代 の 交 通 ‑一一一‑一一・・・・・・一一‑
=‑ 167
169
172
(11その現況 (2)山村振興計画 と交通施策 (3)過疎地域振興 計画 と交通 施策
第 7 章 経 済 構 造 187
良薬生産 力の発展 と戯民層 の分解
(1)大正 ・昭和初 期の股菜 (2)戦後の段菜 の起 点 としての良民改革 戦後におけ る虚 業の動 き ‑‑‑一・日・・‑・・・・一‑‑一一‑
(1)土地 利用の変化 と盛地転用 (2)土地所有権 の移動 と堤菜経営の 変化 (3)段革 労助力の変 化 と兼業化 (4)戦後 の飽菜生産力 の発 展
特殊作物 と畜産 の動 き
(1)特 殊作物の動向
( 2 )
畜産 の動 き4 林 業 の 現 況
(11現 況 (2)備 中地域森林 計 画区 (3)林家 (4)林産物 (5)森林組 合
段 業 団 体 ‑
(1)成羽町戯菜 協同組合 (2)生産者 団体 鉱 工 業 ‑
(1)吹崖銅山 と弁柄生産 (2)工男
商 業
(1)商業 の推移 と現況 (2)成羽町 とその商圏 (小売市場筋域 )
第 8帝 宗 教 と 民 俗
1 社 寺
(1)神社 (2)仏 牌 (3)銅 山 との関係 民俗 と年中行事 一一一
(1)正月の行鮮 (2)春か ら夏の行番 (3)盆 の行事 (4)秋 か ら冬の行事
冠 婚 葬 祭
(1)冠解 く2)牌 弔 (3)弊事 (4)襲撃
187
247
299
36 2
366
第 9革 備 中 神 楽 .・‑・一一一・一・ 備中神楽 の成立 と内容 ・一一
(1)神楽 の発生 (2)西林国席 と神代神楽 (3)備中神楽 の内容 備中神楽の特色 と課題 .‑一一一・・・・‑一一一一‑一一
(1)特色 (2)今後の課題
第10革 教 育
1 学 校 教 育
(1)藩校 と寺小屋 (2)学校教育 の沿革 (3】成羽町における教育 の現状
社 会 教 育 一・一一‑I.・‑一一一・・・‑・‑←一一・・・‑I.‑‑‑‑‑‑‑
(1)現代社会教育の沿革 (2)公民 館宿動 (3)長 寿 ク ラ ブ (4)婦人会 (5)青年 団
第 1 章 自 然 環 境
1 成 羽 町 の 概 観 (1) 地形 ・地質 の概況
成羽へ往 く道 は ,高梁川沿いの国道18 0号線 を高梁市街地 に南か ら入 る手前で分れて .落合橋 を渡 るOそこか らは,成羽川の谷 を西へ さかのぼる6国道3 1 3号線 である。成羽川 の谷底低地 は 次第 に狭 くな り.雨風の谷壁が迫 って くるo成 羽川 Iこ南か ら日名川が合流す る手前 で ,国道 はゆ る
くカープし,成羽橋 にさ しかかる。 ここか らが成羽町であるO落合橋 か ら約
5
km0 成 羽橋 を渡 ると.ふたたび谷底低jtBが開 けは じめ .成一羽の市街地 に入る.成羽の町並 み は,土 かべの家や 白壁 の土蔵 が ところ どころに見 られ .しっと りとした落 ち着 きを 持 った陣盟町 のたたず まいを残 している。現在の魚道 は ,市 街地 をさけて南側を抜 けるノミイパスで ある。
市街地の 西端近 くに,成 羽陣屋虻 が あるQ今は町没収 と成 羽小学校 とな っている。ここか ら,成 羽川 にかか る総門橋 を渡 り,対岸 の古町 をよぎる と.道 は島木川沿 いに宇治 ・吹昌 へ向 う道 と.西 へ境地 ・布等 に向 う道 とに分れ る。
西へ ,長地 に伺 う道 をとって .吉備 柘原の上に あがろ うO木 口小平ゆか りの丘を右 に望みなが ら, 山本の集落のある丘陵地 をのぼ り,さ らに,つづ ら折 りの急坂 にさ しかかるQ
ふ りか える と,南の低音山 ・愛宕 山な どを背 に .成羽の小盆地 が広 が っている。 その盆地 を成 羽 川 が横 切 っている。川 の激に立つ白波がはるか望まれる。その構音 がここまで も佃 え上 って くる。
JH向 うの低 胤 ま狭技で大部分 は下原 の家並 みで埋 まって いる。成羽町 の中心地 である。一方 ,川
かな りの水田が残 っている。
ふ たたび道 を進 めて ,成 羽川の谷壁斜面 を斜め に整 ってい く。左下 は目も くらむばか りの急斜面 が .成 羽川 にむか つて落 ちこんでいるO成羽川 の谷 を,日本の コロラ ドと評 した人が いる。 コロラ
ドと比較す る と,スケ ールに かな りの迎 いがあるが ,た しかに谷壁のけ わしさは目を見張るほどで ある.ただ し.湿潤気候下の谷壁 は,乾湿地 域のそれ とは異な り,植生 は豊かである。白い地肌 の 石 灰岩の崖 も .そ う多 くは鰐出 していない。また .谷壁途 中 で層状 にわずかにで きた緩斜面(こ,二
・三軒づ つ虎家が あるのや ,狭 い谷底低地 に災落 と耕地が見 られるのは ,日本の谷 の特徴であろう。
谷壁斜面 を登 りつめる と,吉備 高原の上に出 る。度 斜面に畑地 が展開 し,集落が あ らわれる。 と りつきの築港 は東であるO
ここか らは .南 には韻家川の谷が望 まれる。 その彼方には .高原状 をなす川上 ・美星 の山 々を見 はるかす ことがで きる。ふ りか えって北 を見 ると .島木川の谷を越 して,高度400‑ 450m前 後の山 々,一段高い陣山 (598.7m),さ らに同 うに大池山 (663.6m )な どの山並みが望 まれ る。吉 備爵偏 のただ中であ る。
ここか ら長軸 ・布寄 にかけて .吉備高原上の
盛抱
伏面が ,波打 っよ うに上 り下 りしなが ら続 いて‑I ‑
いる。なだ らか な山頂部に は松 林や雑木林が .緩 斜面には畑地 と尖蕗 が .良い谷 には水 田が開 かれ ている 。これが吉備局麻の姿で あ る.
成羽町は,成羽川 の谷底平野か ら吉備粛原上 にか けて広が った町 といえるD地 図 を見 よ う。成 羽町 の町域は細長 い. 北西一南東方向 に復雑 な形 で伸びてい る。行政 区画上 の位置か らみ ると,秦 は高梁 市,南は小EB郡美星町 ,西に まわ る と,川上那川上町および備中町 ,北 は新見市に接 してい る。経度 1320・2 5■‑133O34r,梓 度34044㌧ 34053●にあるC
標高区分別 に見ると.次の表 のようにな る。
表 11 1 ‑ 1 成羽町 の機腐区分別血税 (原 罪)
腰 痛 区 分 面 研 比
0
‑ 10 0m 末 桶 5 kd 6 %lo o ‑ 2 0 0m
/ /
l l 1 32 0 0 ‑ d oom
/ /
3 5 4 34 0 0 ‑ 6 0 0m
/ /
2 7 3 36 0 0 ‑ B oom
/ /
4 520万分 のl岡山県土地分類図付 属資料 (経済企画庁総合開発 局昭和49年 )による。
吉備布原 は ,なだ らかな うね りにも似 た起伏を もつ爵原状の山地 で .侵蝕鵜飼の考 えを日本の地 形 に初 めて適 用 した小藤文 次郎 によ って .隆起準平 原 と見なされた.降包準平原 とはい っても ,か
な り起伏 に富む ので .その意味では ,準平原 が完成 したわ けでな く ,そ れに至 る途中で隆起 した も の とい えるo近年 では ,吉備石原 を何段 かの侵蝕小起伏 面 に区分 し,それぞ れ時期 を異 にする侵蝕 面 とみる考 え方がでて いる。
た とえば ,岡田和正( 19 6 7 )は ,吉備 麻原の侵蝕起面 を四 つに区分 し ,吉備苗原面 (高 度 5 0O‑ 7 0 0m .板戸
円
工面( 30 0‑ 4 5 0m ).葡戸円 皿面 ( 15 0‑ 3 0 0m ),板戸円 皿 面 (10 0m以下 )と名付 けたQ岡山県西部の吉備 高原面 は ,新 見 一福山を結 ぶ線 に 高度 の急変 帯が あ り,その東 は .瀬戸円
Ⅰ面 となる とす るo この見方 lこよれば ,成羽町 の吉備 荷原 は ,北西部 を除 いて .ほ とん どが瀬戸円I
面に属 す る.新 見‑福山の境曲に ともな って段化 した もの と見なさ れている.吉備 高原 には ,中新世以降の・堆戟物がみ られる。そのほ とん どが 砂鎌層であ り,山砂利 とよばれ てい るOこの堆槻物が ,吉備応原 の形成 過程 および ,中国山地 と吉備高原 との分化 の開度 を解 く.一 つの鍵 と見 られ る。 しか しなが ら.まだ十分 な解 明は され ていな い.吉備笛原に は ,石灰岩よ りなる地域が ある Dそ こで は ,河谷 が深 くBIJり込んで ,両岸 は直正 し , 羽山渓 のよ うな峡谷美 を見せる。切 り江 った両岸 の上に は ,対照的 に平坦な台地面 が展 開す る。そ の台湖 上 には , ドリーネやカ レンフェル トな どの カルス ト地形 が発達 している。成 羽町西部の中村 台 と呼 ばれるの がそれ である。
成 羽川 は見事なV字谷 を形成 している ところが多 く,波浪上垣伏 の吉備 高取面 とは対 照的 であ る。
‑2‑
図1‑ 1‑ 1 成 羽町 のjtb質 図 1 :100000
‑3 ‑
新山付近 では ,比岳約30 0mのV字谷で あ り,上流の備中町 では,比布約5 00mに も及ぶ。谷 底が ひろが った ところでは ,はば 2段の河岸地形がみ られるo河谷地形につ いて は, 3節で詳 しく 述 べる。
次 Iこ地質 について概述 しよ う。図1l l‑ 1にith質図を示 した。
成 羽町 の地質 は複雑 で .古生層 ・三塁紀の成羽層群 ,白亜紀の現石層群 ,新第三紀層 および花尚 岩 ・安 山岩 ・流紋岩な どの 白亜紀火成岩頬 な どよりなる。
成羽層群 として一括 され る ものは,古生厨 を不整合に希お う上部三母系 で,モラッセ型 の地層 である。 三つの部分 にわけ られ,下部 (蚊 上山層 ,厚さ 50 0m )は非海成層 で,砂岩 ,貞岩 .石 炭層 の互層か らな り,その上部 に鎌 岩を伴 う。 中部 (目名畑層, 5 0 0m )も非海成層 で,砂岩 ・ 貞砦 ・頁岩互層 か らな り,炭層 を挟んでい る。 上部 (地頭層, 1.0 0 0
m
)は海成層 で,砂岩 ・頁 岩互層 か らなってい る。 この成羽層群か ら,中生代 三現紀の動 ・植物 化石 を多 く産 出す る。成羽文 化セ ンターの博物 館施設はそれ ら化石 コレクシ ョンで有名 である.硯石層群 を構成するものは傑岩 ・砂岩 ・頁岩 ・赤色凝灰岩 である。疎 石を構成す る傑 Iこは,石灰 岩および扮岩賃岩石 が多 く,わずかにチ ャー ト,砂岩 .粘板岩 がみ られる。
花組岩 は成羽層群 をつ らぬ き,鵠 ノ森 山体 を構成 しているO石灰岩の一部 を結晶質化 し,現石層 群 lこも積 触変成 を与えている。
また,吉備 高原 には ,その平坦 化 にあずか った河川 の堆供物が .山砂利 として その跡 をと どめて いる。山 砂利 は分級 の極 めて惑 い傑層 で .厚 さは ときには10 0mに もおよぶ。なお .吉備高原 上 の土壌 には,赤色土化 した ものが あるo準平 原化以後 .長期 にわたる温暖気候 によって形成 された もので あ ろう.赤色土は ,くさ り蝶 と共存の形でみ られ ることが多 い。
(2) 高原の気候 と谷間の安朕 一 応梁 ・黒鳥 ・佐屋 ・笠岡の気象資料 の比較
成 羽町内 において観測 した気象資料 は得 られなか ったので ,吉備高原 上の気候 については佐屋 の 気 象資料 を ,谷間の剰院につ いては黒鳥お よび高梁の気象資料 を用い ,さ らに .瀬戸内海 沿群の笠 岡の もの と比較 しなが ら,この付近の気候 の特徴 を見ることに しよ う。気候 資料 は ,疏梁 ・匠屋 ・ 笠岡につ いては気象台の もの を,盟鳥 につ いては中国屯力新成羽川 発唱所 の もの を用 いた0
8) 気温
月別 の平均常温 ・最応気温 .最低気温 を次の表 に示す0
月別平均気温 では ,佐屋は笠岡 よりも240C.‑4.00C.高梁よ り1.60C〜 3.20C低 くな って い る。佐臣は海抜3 9 0mとい う応原上にあ るため ,比較的冷原な気候 を示 している。谷間 の黒鳥 と 笠岡 とでは1.70C〜 4・00Cの差 があるが .その差 は冬lこ大 き く夏 に小 さい。黒鳥 と佐屋の比較では 2月・4月110月 ・11月・12月は0.20C′‑0.60C佐屋のほ うがわずかに高 く,他 の 月 では o・40C‑1・50C黒鳥のほ うが応 い。 これか ら考 える と布原上は谷間 にく らべ て 吏涼 しく冬暖かい とい うことになる。
一般 に,盆地 内や谷間 では ,変は暑 く,冬は底冷 えす るO さ らIここのよ うな ところは .とくに秋 には薪 が深 く,春には箱書 も激 しい。吉備藤原で は 「谷乱 野 呂・B」 といって .高原面上のほ うが, 交通便 利な谷底 よ りも,式侯 の点で優位 Iこある ことを誇 っているOま たこの よ うな地域の山腹斜面
‑4‑
表 1‑ 1‑ 2 月別平均 ・最 百 ・愚低気温 (昭和50‑ 53年平均 )
別
月 辛均気温 地
点 月
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ll 12 午 高 梁 2.5 3.5 7.2 13.0 18.0 22,4 27.3 26.6 23.3 17.2 10.9 5.7 14.5 史 鳥 0.7 1,3 6.3 ll.2 16.4 20,9 25.5 25.4 21.3 14.6 8.2 3.2 12.9 佐 屋 0.3 1.7 5.5 11ノl 15.7 19.8 24.1 23.9 20.6 14.8 8.8 3.4 12.8 笠 岡 4.3 4.6 8.0 13,8 18.4 22.8 27,7 27.9 24.3 17.9 12.0 7.2 15.7刺
月 最 高 気温 月臆月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ll 12 午 高 梁 7.0 8.9 13.2 19.1 23.9 27.a 32.1 31D 27.9 22.1 15.6 10.6 19.6 黒 鳥 6.3 8.6 13.1 19.2 23.7 26.7 32.1 31,6 27.3 20.8 14.5 9.6 19.4 佐 屋 4.3 6.2 10.7 16.7 21.0 24.1 28.5 28.2 24.9 19.4 13.4 7.7 17.4 笠 岡 8.7 9.2 13.0 18.5 23.2 26.7 31.8 32.0 28.5 22.4 16.7 12.0 20.2
別
月 最低気忠 ̲相島月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ll 12 年 応 姥 ‑2.0 ‑2.1 1.2 6.9 12十1 17.7 22..4 22.2 18.7 12.2 6.1 0,5 9.4 黒 鳥 ‑1D ‑0.9 1.9 6.9 114 17.0 21.2 21.2 18.0 ll.8 6.5 1.5 9.6 佐星 ‑3.8.‑ 2.9 0.3 6.0 10.2 15.4 19.7 19.7 16.1 10.1 4.2 ‑1.0 8.1 笠 岡 ‑0.1 ‑0.1 2,9 9.0 13.5 18.8 23.6 23.8;20.0 13.4l 7.4 2.3lll.2
の ,いわゆる 「斜 面の温暖特」に位置 す る ところは . 「空」 とか 「日南」の地名が ついてお り.気 候 条件 が よいので ,古 くか ら粟蕗が正価 した。成羽町に は下 目名 ,上 目名 ,目名畑 とい う地名 があ
る。 目名 ‑日南 .すなわ ち陶茸 とい う意味 で ,布原上の南面 す る斜面は 日射 も朝早 くか ら受け られ , さ らに冬の季節風も いくらか軽減 で きるoここに住居 をかま え ,その周辺 を耕せ ば ,高原 のなかで
は最良の位 置 とい うことになる。羽山の 「空」 も同 じよ うな ものであ る。陰地 (隠地 )はこれ ら(こ 対 して日蔭斜面 をいう。
桜の咲 く時期 は坂本 と成羽 とでは1週間は ど雇 うとい う。また ,吹臣 と坂本は ほぼ同 じで ある。
田億 えは ,高原 上が谷間 よ りも20日 くらい早 いo昔 は1か月も早 か ったそ うで ある。 しか し今は 谷間のほ うも早 くなってき て ,あ ま り差はな いよ うである。
b ) 降水量
佐屋 ,砧梁 .崇鳥 ,笠岡の月別平均降水丑 は ,表1‑ 1‑ 3の とお りで ある0年間降水星 はそれ ぞれ1605.5Jm, 1331.8Jm. 1197.2Jy. 1158X7rであ り,笠岡 は雨塁 の少 ない瀬戸内海塾 の 気候 を示 して いる.佐屋と高梁 ,黒鳥 とで は高額 上の匠星のほ うが降水延 は多 くな っている.また , いずれの地点 においても. 6月の梅雨脇 と9月の台 鼠鵜 に雨血 が多 い。
‑5‑
表1‑ 1‑ 3 月別降水丑 (昭和50年〜 53年平 均 )
いLJど
地点月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ll 12 午
佐 臣 27.3 48.0 87.0 157.0I122.7 221.3 113.7 165.3 331,7 104.7 96.7 37.5 I.605.5 高 梁 34.3 39.3 81.5 133.3 106.3 222ー3 100.3 127.8 277.3 98.5 80.3 31.0 1,331.8 黒 鳥 40,3 39.1 82.6 139.6 103.0 214.4 104.0 125.5 154.9 87.8 77.0 29.I 0 1,197.2 笠 岡 18.3: 38.3 62.3l123.3 79.8 189.8l81.5 107.8 256.0 98.8 68.3!34.l 3 1.158.0
d3002肘3 oハU2
一oo 200 3
X )
0
0 200 300 (叫
l
0 0
20 0
300 (〜)図 1‑ I‑ 2 高梁 ・温点 ・笠 岡 ・佐屋の クライモ グラフ (昭和 50‑ 53年 )
(3) 高原 の土地利用 と くら し
吉備高原 上 では村落 の多 くは応原 面 を浅 く刻 んだ谷頭部に 立地 してお り,その重要 な形膚 は散村 である O多 くは村 落 よ り下方の瑳 傾斜の谷 に棚田 をつ く り,村落 よ り.r旨い ところ は畑地 とな ってい
‑6‑
る.この谷頭の棚田 よ りさ らに下方は急斜面 とな り峡谷 をなすo
粛原 の土地利 用 と しては畑地 が主であるo旧中村周 辺で は水 田90町歩fこ畑160町 渉 ほ どで , 長 池 で は水田 はも っと少 な い とい う。木之村 で聞 いた話 によれ ば ,ここでは .雄藩外 す なわ ち成潮 目 の低地 に水田 をも って いる家 もあるとい う。 その水掛 こ通 うには .比.をで.'300m を こす急斜 の谷壁 斜面 を上 り下 りしなけ ればな らない。扇原 上 の土 は r赤 ネバ」 とよばれてい る赤土で あるO灯n上地で 蚊 も作付 面殻 の多 いの は典 タバ コであ る。弟 タバ コは明治時代か ら栽LfL,・'・され てお り,
現
在 1反 あた りの収入 は4 4‑ 4 5万円 (昭和5 3年 )で ある とい う。典 タバ コの栽培 には どち らか とい えは 日 で りの ほ うが よいo気象の項 でも述 べたよ うに ,高原上 は板戸 円海沿岸 と比較 してやや多 雨で ある が .ほ とん どの畑地 は傾斜 しているため ,排水 の 面ではあ ま り問超はな いよ うである。ナシも戦後 導 入 され て いる。洋 ナ シの集 団産地 を作 る計画 もあ ったよ うだが .失敗 にお わ った。畑 地 は.典 タ ノミコの はかに も桑や コンニ ャクが栽培 され て いるo写真1‑ 1‑ 1 頻 タバ コの畑 (木之 村 )
荷原 上で の生活 で ,最大 の問題 は水の確保で あ った 。飲料水 は遠 く離 れた 「汲 み
川
」 か ら運んだ。それ は嫁の仕 事であ った 。雨水 を屋根 に受けて粂 め .貯蔵す る天水 井戸 が作 られた こ ともあ った。
簡易 水道 が発達 して ,水 の心配が な くな った昨 今 I
でも ,天水 を ビニール/、ウスの碓 概 と して使 って いる ところが ある
。
「備 中 ひで り」 とい う言 典 が あるが ,それ は ,岡山県南 西部 は年 降水宜が1000 JrTに遷 しない年が しば しば あ り,干 ばつ を生 じや す いか らであ ろ うO(武本三千代 )
■■
2 カ ル ス ト地 形
成羽町西 部 は前述 した よ うに ,小起伏 の緩 斜面 をもつ吉備高 原で ある。成 羽町長 雌 (旧中村 )一 帖 の石灰岩台地 は中村 台 とよばれ てい るO儒商 は 38Om〜 4 50mで ある。 この台地 には古生層 に属す る石灰岩層 が分布 して いる。 これは中村石 灰岩層 とよばれるもので .これ について楠 邑久 ら は
,
「中村石灰 岩 の個の下部 約2 0mは榔緑蔽灰ABで ,上 部約 1OOm以上 はお も に白色塊状 の石 灰岩 よ りな り,とき には石灰岩錬 岩の背屈 をは さむ。 また ,東部羽板 付近 では脱石層 群 の下位 に広 く本属 が分布する もの と考 える」 と述 べて いる。この石炊岩 は石炭紀 か ら二!,Si紀 fこ至 る紡鉢 山化石 を多 く含ん で いる。石 灰岩屑 が広 く分布す るこの地 域 には ,石灰岩台地 に特 有な地形 ‑カルス ト地形 ‑がみ られ る。
石灰 岩台juiの地表に は ,出口のな い ,す りはち状 または皿状 の 凹地 が併存す るこ とが多 いD これ
‑7‑
が ド・)‑ネ とよば れるもの であ る。台地上に はす りは ち状 ま たは皿状 の ドリ‑ネが 10数 個 み られ る。台 地上の 主作 物 は タバ コで ある.再 縁 は成羽川の急 な谷壁斜面 で .比高3 0 0mに及 んで い る ○ 中村台の ドL)‑ネの分布 は図 1‑ 2 ‑1である O
この地 方で は ドリーネ は 「くぼ 」 とよばれ てお り
,
「は ち くぼ 」
「西 くぼ」
「ゆ の くぼ 」な どと い う名 前が つけ られ ている。図 1‑ 2‑ 1 ドリーネの分 布 (木之 村 )
Aの ド リーネ はす りはち状 で あ り.その底には1 0m x 2 0 mは どの半 円形 の池が あ り.その ま わ りに石が戟 み重 ね られて , ツ/ミキの木 が植 えて あ っTto底 の部分 に は 「汲 み川 」 と よはれ るわ き 水 が あ り.直径 が1mは どの井戸 にな って いる。斜面は ゆ るや かな傾斜 を示 していて ,タバ コ .拷 ナ シが栽 培 され てい た 。
Bの ド リーネ は皿状 で ,斜面 は集タバ コ. ドリ‑ネ底 の吸 い込 み穴 に あた る ところに はサ トイ モ が植 えて あった。 ド リーネは年 々くぼん で い く とい う.この よ うな くぼみは ところ どころに 見 られ . その分布 は線状 に拾 うこ とが出来 そ うであ り,石 灰 岩の構 造 に開 院す るので はな いか と思 われ る.
Cの竹や ぶ の中 の ドリーネはす りは ち状 の もの で ある。 伯径 は約2 0m.みかけの 深 さは5‑ 6 mほ どで あ るQ これ は大 雨 の たび に しずん で い く らし く ,昭和4 7年7月 の 豪雨 の ときlこ深 く港 ち 込 んだ とい う。
西 布寄 では ,川 上功 氏 の家 の前の や や平坦 な とこ ろが ド リーネ にな って いる。 こ こで も タ/;コが
‑8‑
写真1‑ 2‑ 1 ドI)‑ネ と葉 タ/;コ
写真1‑ 21 2 ド1)‑ネ (木之村 )
作 られて いる。以 前 畑のまん中 がぬけた こ とが あ り,そ の時 は 山土 で埋 めた とい う。家 の まわ
りの石垣 もす べて石灰岩である。
西布布の ドリーネは木之村 の も のほ ど明 らか で な く .数 も少 な い。
他 に も ドリーネ はい くつかみ られ る。主 に斜 面 は集 タバ コが 栽培 され てお り,吸 い込 み穴 と 考 え られる底 の部分 にはサ トイ モが植 え られ て いた。大雨の時 に 17杓まどの陥没 穴が あ くこと もある らしいO この凹月虫を埋 め た ところ もある。国 司神社 の比 の ドリーネ は ゴミす て穴 (こな っ ていた。穴 に ゴ ミをいく らすて て もい っぱ いにな らな い とい う 話 も聞 いた 。
カ L/1/フ ェル トもところ どこ ろ にみ られた。タ/(コ畑 の 中や , 林の中 に石 灰岩が顔 をのぞ かせ て いる。 また ,畑 の中 の石灰 岩 を取 り除 いたので あ ろうか .価 の まわ りに石 灰岩 を積 み上 げて
いる ところもあ る。
(武本三千代 )
3
河 谷 地 形(1)成 羽川 の河谷地形
成 羽川 は ,成 羽町総門倍の ところ で海接 7 6
m
,上 流の成 羽川 と坂本川の合 流点付 近 にあ る惣 田 儀 で海抜 127 mであ り. その差51mt,両店間の流軽 は16.5knlであるので ,平均 両日lL勾配 は:;A" となる。 比較的援 岨斜で ある Oその間 に扱者な 遷急 点は 見 られ ないo
成羽町 よ り上 流 には .谷底平野 の発選は感 く,V字 の欠禾谷 とな る ところも 見 られ る。谷の雨風 斜 面 は比席 が, 300‑ 500
m
ぐ らいで ,きわめで急使斜 とな っている。成 羽川 は ,島木JHとの合縄点付近 に比 較的広 い河鹿 平野 を発達 させ て いる以外 は ,吉備高原 を刻 一9‑
写共 1‑ 3‑ 1
成羽町 の中心 とな る ,成羽川 ・島 木川 の合流点付近 に発達す る谷底平野 O写真右方対岸 に は ,星願 の段丘がのぞ まれるo (山本上 よ り撒影 )
写真1‑ 3‑ 2
首府高原 を刻んで ,穿入蛇行する成 羽川 。新山 よ り下流 方向 をの ぞむ。右 岸に佐 々木の段丘面 ,遠方に は星原の 段丘面がのぞ まれる。
んで ,穿入蛇行の雌形 を示 しているo穿入蛇行 は , 生 育蛇行 と掘削蛇行 とIこ分類 され る。生育蛇行 と は ,谷の左右 .攻撃斜面 と滑走斜面が著 しく非対 称 で ,「股 に地盤が媛但 書こ継 続的 (こ隆 起す る時 .
は じめはわずかに組曲 していた河川 が ,下刻 と と もに しだ いに .曲度 を増 しなが ら,Tpl床 を疎 く掘
り下げて発達 したものであ る。拙別蛇 行 とは ,谷 壁斜面が左右対称に近 い穿 入蛇行 で .自由に蛇行 していT=河川が地 盤の急 激な隆掛 こともな って回 音 し,風刺 をほ とん ど行 うことな く,その場 所 で 従来の蛇行流路 を受け継 いで深 く掘 り下げて形成 されたものであ る。穿 入蛇行が ,生育蛇行 の形 を とるか ,掘 削蛇行 の形 をとるかの蛮軌 こつ いて は , い くつかの説 があるOた とえは ,水平 に成層 した 岩石の ところで は生 育蛇行 を ,成層 せず等 質の岩 石 の ところでは掘削蛇行 の形 をとる(Flohn), 硬岩の ところでは .曲度 が大 きく蛇行帝の嶋が狭
くなる (今朝洞 1952),宕質が硬 く荷 重が少な い とき綱削蛇行 の形 を とり,岩貫が軟か く荷電が 多い とき生育蛇行 の形 を とる (Moore 1926) な ど。
成羽地域の準平原化 された吉備蕗街の地層 は.古生層 ・成 羽層群 ・侃石層群 ・新第 三紀層 な ど , お よび花餅岩 ・安 山岩 ・流紋岩な どの 白亜紀火成 岩類 である。成 羽川 は ,吉備藤原 を刻み ,東南東
‑1 0 ‑
写真 1‑ 3‑ 3
石灰岩地
城
における成 羽川の穿入蛇行。垂直な石灰 岩の岩肌が見 られるo河川水面付近 lこは ,ノ ノチが発 達 。 (備中町二又瀬付近 )写弊 1‑ 3‑4
成 羽川の河谷地形.右岸側 は石灰岩で .きわめて急 斜面 とな り,岩肌 も見えている。
(用瀬岳付近 を下流CtJよ り撮影 )
‑ir!ェ
方向に流下 し,幼年期的な河谷 地形 を示 している。河内(1976) は ,備中市場 を中心 と して .掘 削蛇行が発達 してい る としてい る。備中町薪成羽川 ダムよ り.
高梁而阿部 ,小瓶 までの成羽川 の河谷地形 に ついて考察 してみ る。図1‑ 3‑ 2は ,河谷の横 断面図であ り.断面 を とった位 隈 につ いては ,図 l‑ 3‑1の 河床の縦断面図 に記 して ある。
表11 311は ,地質 な どか ら 河谷地形 の特徴 を記 載 したもの である。
古生層 と花南岩地域の穿入蛇 行 を比較 した場合 ,谷幅 ,蛇行 村 の幅 .曲度 とも .「鮫に前者 の方が小 さいとされて いる (河 円 1975)が ,成羽町付近では , 断層 に沿 った り,両岸が異質の 岩石 で ,その間 に河谷が直線的 に発達 しているところも多 いよ うである。 したが って .この付 近 に見 られる曲流 は,そ ういっ
た直線的流路の結 合に よ って , 生 じた ものであろ う。また ,石 灰岩の場合 .谷 壁 は垂直 に近 い きわめて急斜面 とな り,攻撃斜 面下端 には ノ ッチが形成 され て
いる。
‑ )2‑
図113‑1成羽川・島木川・詣足川の河川縦断面図 ・冨冨諾芸芸ふ冨;完議賢い34の河谷緋面図の位馳示すO)
山 、 q l . )
‑ 一 1 ; 、 ‑ ‑ ‑ ‑ V\ √㍉/
図
㌦
羽′:
志茂
(Aさt25Lklこ抽廿)上流側 よ り見た断面 を示す。
各断 面図の記号 は ,図1‑ 3‑ L上 の記号 と対応 し,位匠 を表 わす O
表1‑ 3‑ 1 成羽川の河谷地形
区 間 (上流両岸例のか ら見る )雌 資 穿 入 蛇 行 の 様 子 該 当す
の破断面鼠 る岡谷
新成羽 両岸 とも,中 生代貫 両岸 が対称型 の皮線的流路 o
④ ⑧
川 ダム 惣 田備 二 又葡井 川
数之 瀬 入岩痕に属す る 粉曽 谷底平野 .段 丘 は見 られな いO 田原 ダムの ため水面が上昇 しているO 馬鹿 面 との比荷は400‑ 50Omo
両岸 とも 波長の小 さい曲流
⑥⑧
中村石灰岩層 (≡≡芸≡ 二重垂虚 な岩 はだ o蓋蓋等冨 ≡芸去三三三…oR られる 麻原面 との比題 は400.m o
左岸 ‑中村石 沢岩 両岩質の間 を曲流
@
右岸 一拍岩 石灰岩の攻撃斜面 はきわ めて急 傾斜○
席原画 との比応 35O‑ 40077lo
左岸 ‑中村 石灰岩
右岸 ‑上部古生 層(砂岩 .頁岩 ) 滑走斜面mJ
( 芸
J:こて芸zに監 雛的堆研物 でおおわれた段 丘 on芸三 軍喜監的流略 O;冨芸 … ごて直線@
両岸が非対 称な谷地形o荷額面 との比応 35O‑ 45OmQ
ー13‑
区 間 (上流皿 か ら見る )両 岸 の 地 質 穿 入 蛇 行 の 様 子 該 当する河谷の 横 断 面 図
用 葡 採石場新用‑の谷匠 々木漉山 佐 原 星 原
星 溌 丁 (砂岩 .頁岩 ) 大 きい.両岸が対称的 な谷地形 .
④ ⑪
斜面は攻撃斜面 一滑走斜面 とも急 ○ 滑走斜面側 に段 丘的 谷底平 野o
志藤 .用 赦採石場間は断層 に沿 う流路 o 高原面 との比高300‑ 350mo
左岸 ‑中村石灰岩 両岩質問 の断層 に沿 う直線流○
O ① ㊨
′ 右 岸 ‑上部古生層 用瀬之岳 付近 に垂直 な石灰岩のかベ o(砂岩 .頁岩 ) 段丘 ,応原面 との比柘 350‑ 400mo 両岸 とも黒雲 母花樹 曲流 ,対称塾に近 い谷地形 o
岩 攻鮮斜面 は急斜面 .滑走斜面はやや急斜面 o 領家川の合流 .やや広 い段 丘○
荷原面 との比戚 350mo 左岸 ‑中村石灰岩 両岸の地形 が非対称 な谷地 形o
右岸 ‑紀要母相高岩 石灰岩他が攻撃斜面 できわめて急斜 面o
花樹磐即 ま滑走斜面で広 い段丘 ,下 部 に緩 斜面 o 左 岸‑成羽層 大 き く曲流 .非対称 な谷地形 o
右岸 一県望 母 相お岩 成羽屈 側 は攻撃斜面で急斜面Q
新 山に河味 との比応 130‑ 250mの援斜面 O 花樹岩他 は ,下部 fこ媛斜面 .段丘 を持 つO 応額面 との比応 380m○
両岸 とも成羽届 両岸 とも急斜面の対称的 谷地形 C 蕗JrR面 との比岳 300‑ 400mo
左岸 ‑成羽層 左岸は谷底 平野o
㊨
右岸 ‑黒雲牡花樹 岩 右岸 は上位 の段丘 .急斜面o 高原面 との比拓 300mo
両岸 とも成羽層 両岸に広 い谷底平 野 o
㊨
東 町 藤 倉
小 板 高原面 との比柘 250‑ 300m○
両岸 とも変成 古生層 曲流 ,両岸 とも急斜面 .滑走斜面例日こ段丘 o .対称的 な谷地形 o
@
苗原面 との比肩 350‑ 400mo
両岸 とも盟雲母花樹 曲流 ,対称的 な谷地形o
⑲
(2) 成羽 川の河岸段丘
成羽川に沿 って ・幅 の狭 い河岸段 丘が分布 している.この段 丘 の対 比 ,区分 について は部 分的 に は不明畔な ところもあるが ・お よそ上位下位の2段 fこ区分す ることが できる。
‑14‑
写真 1‑ 3‑ 5
成羽川 沿 いに発遵す る河岸段 丘 o川上町 ‑の谷付 近 を上流 よ りのぞ むQ
下位 の段 丘面 は ,河床 との比 布 5‑ 10 m程度 で .沖矧 底地 が段 丘化 しつつある もので ある。
この段丘 面は .曲流 に応 じて . 左岸右 岸交 互 lこ,滑走斜面 倒 に 分布 して いる。同一の段 丘面 で ち .上 流側が河床 との比応 が大 き くな り,下流に いくに したが って比房が小 さくな って いるo 数之瓶 ・阿部山 の よ うに背後 か らの藍錐性堆積物 におおわ れて 憤斜地 とな っている ところ もあ る。成 羽川 ・島木川合流点付近 の谷底平 野 は ,下位の段 丘面 と 対 比 され るもの であ るが .河床 の侵蝕低下が あま り著 しくないの で ,比 布は 3研摩 度 で ある。下位 の段 丘 面は ,河床 との比応が5 m程 度 しかな いの で ,洪水 の際 には塑水の危 険 に さ らされ ることlこな る0 4 7年7月 の典中京雨の 際 にも .披害が大 きか った 。
上位の ものは ,布瀬 ・用瀬 ・‑ ノ谷 ・佐 々木 ・星辰 ・星鷹 T ・渡雁 と ,断片的 に, 2 0 m程度 の 河床 との比高で分布 して いる。背後 か らの転石(こお おわれ た りしていて .緩傾斜地 とな り,星原 ・ 星鷹 丁 ・‑ ノ谷の ものを除 いて ,あ まり明瞭な段 丘面 と認 める こ とはできな いo下位 の段 丘面 との 境界 もあま りはっ き りしてい ないものが多 い。同 一の段 丘で は ,上流仇が
比
指 も大 きく,段丘 面 も0
5 10 15 20k∩図1‑ 3 1 3 成 羽川の河岸段 丘高度分 布図 (偏度 は水平 距離 の50倍(こ誇張 )
‑15‑
t
T妻 # 潔 層 任 負顔 也 1 敬'群尺 宿 皮 原 ー状 懲
m 〝‡ m m 図 名
6.40 3,20I/.:′‑
‑
./一至.,T と■ヽ‑
■三.
一一●暗灰〜淡灰 鎌 混 り砂甘 シル ト 非常 に軟常 o5‑ 20% の砂岩状 の嫌 を混 入 6.80 0.40‑‑‑I‑=tE‑I 崇 灰 鎌混 り砂官 シル ト 同 上で有機物 を混入 C8.80 2.0
0 野 二 島 . . : i .
玉石混 り砂康 粘性 土を混 入す るが非常に締ってい るC20‑ 50%の花軸 岩 と多少 9.50 0.70' ● ' . ' ̲ ' ■ . ' o l o
粘 土混 l)砂錬 良 く締 っていて最 大を混入8 5cmの玉石図 1‑ 3‑ 4 段 丘 上 の ボ ー リン グ柱 状 図 (場 所 :成 羽 小 芋 佼 )
成 羽 小 学 校 改 築 建設 用地 地 質 調 査 よ り (興発開 発 株 式 会社 )
よ 。平 坦 であ る o星 鷹 Tにお い て ・上 位 段 丘 面の ‑ Uに位 正 す る成 羽 小学 投射 こお け る噸 詞 書 ( 興 先 軸 発 株式 会社 )によ る と ・中生層 抄 岩 白岩 を基 盤 岩 と し ,これ をお お って, 1 0 m程 度 の段 丘 傑 層 が分 布 して いる。 (図 1‑ 3 ‑ 4参照 )
以 上 の 上 下2段 の 段 丘 面以 外 に ・楠 見 ・吉村 ・片 山 (1965)は . 山 本 を比応 40mの 段 丘 ,節 山 を比 高7 0mの 段丘 と して い るが ‑今回 の 甜 歪 で は段 丘 で あ る と確 認 す る こ とが で きなか った 。 段 丘 面 は狭 小 で あ って も ・険 しい谷地 形 の中 で は平 坦 な土 地 と して ,き わ め て産 要 な生 店の 場 と な っ てい る。
‑ 16‑
写頁 1‑ 3‑ 6 成羽町星原 における段丘崖 。
(3)成 羽川 の谷底 平野 成 羽川 と昆木川 との合流点付 近 には,成羽IrT沿 いでもっとも 広 い谷底平野 が見 られる。ここ に ,比較的広 い谷底平野の形成 され た僚因 としてはよ くわか ら ない。 このあた りのith質が .疏 石屑 や石灰岩 と比較 してやや軟 か 成 羽層 である ことや,断層や 曲降 も網 係 して いるの ではなか ろ うか。成 羽川南側 の鶴首山 , 愛宕 山の間 よ り,下原 で谷底平 野 に出て ,成羽席の ところで成 羽川 に合流 して いる白谷川は ,以前は .下腹 をそのまま北流 して成羽川(こ直角 に合流 していたのだ が .つけか えによ って国道313号線の南沿 いに東 旅 し成羽膚 のた もとで成羽川に合流す るよ うに な ったO山間部 か ら谷底平野に流れ出 たばか りの ところで は .河序が商ま り天井川化 している箇所 もある。
白谷川 は蕪 口を出 ると伏流す るOこの伏流水は .河道 の つけ かえにもかかわ らず ,成羽病院付 近 の地下 を伏流 して ,つけかえ前 と同 じル ー トで成羽川 につなが っているよ うであ る。
(4)支流の河谷地 形
成羽川の河床の偵斜 は ,比較的 ゆるやかであ るが .支流のTTFTJ床傾斜は大 きい。吹題 より商梁市宇 治 を通 って成羽川(こ合流す る島木川 の場合 ,尿矧 Htの合流点が海抜7 6m, 10kJq上流の宇治で 328m・ その席定差252mで平均河床勾配 は忘 とな F),成 羽川 よ りはるかに急傾斜である。
また ,図 11 3‑ 1に見 られ るよ うに ,魯 伽 )2つの明確な超急点が 見 られるO⑦ の玉急 点は脱石 屑 と成 羽眉の境界付近 で ,6秒 東急点は石灰岩地蝿の羽山葵の峡谷 である。
天龍峡 ・羽 山峡な どの石灰岩中の谷 では ,谷軌 まきわめてせ まくな り.谷壁 は垂直に近 いO (顔 1‑ 3‑ 5参照 )谷の下部は, 2 0‑ 3 0mの粛 さの石灰岩の断崖 とな っているC河床面か ら1‑
1.5mの高 さの ところに, 2‑ 3mの幅の ノ ッチが旧同道の え ぐれのあ ととして残 っている。 えぐ れの一番深 いところは .Jrl底か ら.2‑ 2.5nLの爪 さの ところで ,か っての水流のr5 さであ ろ うと 思われる.河韓には,現石銃の硬岩 ・赤色凝灰岩 .あるいは石択岩の径l‑ 1・5TTL程度 の巨喋 がこ ろが っている。曲流部には.水深Im程度の就1佃;u られ .嫡岸の垂直な石灰岩 の岩 はだには ,谷の 上方 よ り流れ落 ちる細流に よ って ,溶蝕 されて形づ くられた溝が .各 所 (こ見 られ る。谷の中腹 よ り 聯 する と,石灰岩 の谷は垂面 に近 く.その上の現石屑の部分 が
.V
字谷 を形づ くっている。上流の天恵峡 には ,小規模 な 〆ムが築 かれ てお り.支流の羽板
i =
C: 川 には .石 灰岩の崖 にかかる滝も 見 られ るo ノッチは .両所 よ り2111ぐらいの粛 さの下位 の もの と.51llぐらいの窟 さの上位 の もの との 2段 が観察で きる。石灰岩の垂庇的な谷壁 は .40mにも及ぶ ところが ある0‑17‑
㌔ ‑ /
V‑
‑∴ J
二 ≒200m
100/〟
0 500
1k
hl(店 さを2.5倍 に誇張 )図 1‑ 3‑ 5 成 羽川の支流島木川の河谷横断面図
上流仇 よ り見た断 面を示す .
各断面図の記号 は .図1‑ 3‑1上 の記号 と対 応 し,位取 を表 わす 。
写只 l‑ 3‑ 7
石灰LiLbを刻む羽山湊 O甫 さj 2 0m程 度の重層な渓谷 が続 く。島木川 の溶蝕 による ノッチが 両岸 に続 く。
図 1‑ 3‑ 1でわかるよ うに , 島木川の傾斜 は天竜峡 までは , き わめて急 であるが .荷担市 宇 治 にはいる とゆるや かにな り.
水田の広が る浅 い盆状の谷 とな る. これは ,晶木川の激 しい谷 頭侵蝕に よ って ,天竜峡 のあた りまでが ,準平原面 を刻 むきわ めて幼年期的 な新 しい谷が形づ くられて いるのに対 し,宇治 で は .まだ谷頭侵蝕 が及ぶにいた らず ,準平原化 され た際の ,前 輪廻 の谷の地形が残 っている と 見 られ る。
成羽川 に注 ぐ他 の支流 を見た場合 .坂本川 .長 谷川 ・布瓶用な どのように ,東南東方向 に流れる 成羽J川こ対 し直角 に合流するものが多 い 。断朋緑
i
こ沿 うもの と考 え られる。坂本北の328mの峠 は北 旅す る本郷 川の支流 と南旅す る坂本川 との分水界 であるが ,両河川は
,北撤東方向の坂 .中一断層(こ沿 う通従河川 である。その他 ,吉備高原上 よ り,成羽川に流下する小文流河川 を見た似合 ,(・:Li原
‑18‑
上の前納 の谷 とつなが って .谷頭侵蝕の盛 んな急 頃斜 の現輪廻谷が っ くられているo図1‑ 3‑
1の詣足川の縦断 面図で は ,高原 上の後 便斜の谷か ら急傾斜の谷 をへて成羽川 へ と流れ落 ちる様 子 が明呼で ある。本流の縦断面形 が コンケーブ (うわ ぞ り )であるのlこ対 し.支流の縦断面形 は コソべ クス (うわは り )を示 しているO河川の横断面図 とともに .成羽町域の河谷地形の性格 を鎖著 にあ らわ していると言 えよ う。
(小野弘志 ) くく参考文献 ))
河円伸夫 ( 19 7 5 ):蛇行問題 について (展望 ) 東北地理2 7‑ 4 1 9 7‑ 2 0 4 河円伸夫(19 76 ):中国山地の穿 入蛇行 jtb理学評論4 9‑ 1 4 3‑ 5 3 備中町誌編集委員会 ( 19 72 ):備中町史本桐
楠 見久 ・吉村典久 ・片山貞次( 19 6 4 ):岡山県成羽町北西地域の地質 広 大地学 研究報告14 石田寛編(19 78 ):岡山県の地理 福 武甘店
宗田克己(19 7 4 ) :高梁川 日本文教 出版 宗 田克己( 19 75 ):吉備高原 日本文教出版
4 山砂 利 層
(1) 吉備高原上の山砂利層
吉備高原上 には .山砂利周 と呼ばれる紗傑層 が存在 す るo先 に述べたよ うに吉備高原 は宿直 の異 な る数段の侵蝕小起伏面 にわけることができるo岡田帝正の分類 によれば標高500‑ 700mの 吉 備高原 面 とそれ以下の板戸内面 と呼 ばれる侵蝕小転伏面に大別 され ,瀬戸円面 は ,さ らに3つの侵 蝕平坦 面 に分類 される。それ らは ,瓶戸
円
Ⅰ面 ,且面 .皿 面 と呼ばれて いる。表 11 4‑ 1は,吉 備 高原 の侵蝕小穏状 と,その上に分布す る紗傑層 の状態 について .概 括的(こ表 わ したものである。表1‑ 4‑ 1 吉備応原侵蝕小包伏 面の分類
侵蝕小起伏
血
分 布 高 度 LIJ 砂 利 層 堆 現 の 特 徴吉 備 高 原 面 5 0 0‑ 7 0 0m 扇状 地的な河川椎田物
板 戸円Ⅰ面 300‑ 450m 盛盤 を刻む谷 を埋めて堆6lしたな り広 く帯状 に分布 10 0m以上の錬層 がか
瀬 戸 内 皿 面 150‑ 3 0 0m 30〝E以上の積層 の埋懲 谷
瀬 戸
円
皿面
10 0m 以 下 洪硯夫 〜沖領前期の砂帝眉の堆穀物で沈降 した もの は ,(2)成羽町域の山砂利 の分布
成羽町域 の吉備応llTlの投蝕小起伏 面は,北西部の吹臣地域 を除いて ,ほ とん どが瀬戸円Ⅰ面 に属 す るものであるo Lたが って ,成 羽町 の山砂利層 のほ とん どが ,擬声
円
Ⅰ面上 に広 く分 布す るもの に含め られるQ表 l‑ 4‑ 2は .成羽町域の山砂利の堆朝状 態 につ いて観察地 ごとに記 したもの で ある。山砂利 の観察地点 と分布範 囲は図1‑ 4 ‑ 1にあ らわ した。表l‑ 4‑ 2 成羽町 周辺の山砂利の分布状闇
観 察 地 海 抜 高 度 堆 畷 状 態
A l 320‑ 420m (390m)径20‑ 30Chrの円喋 が多 いO (西枝 の北西 lkJn) (370m) 径 5cmの門疎 が多 いo
(350m)砂層 が多 く.疎 は少 な い○径 lOC7nの円僕 , 巨 レキで40cm
,
花樹斑 岩の喋 は中程度の 硬さo(320m)石英の鍵 は小 さく硬 いo
A 2 380m 径20(初以 下の くさり蹄が多数 ,陶汰悪 く大 小 さま ざま の円韓 D
硬度‑花尚艮培 ,石英併営 .准片岩
A 3 350‑ 380nL 径10C7WのI胎 既忠 が多 い .
(羽山の北東500.TW) くさ F)疎 に近 い0 円喋 .巨嘆 で30m . 紗 .シル ト層 が多 い.
(天 満 町 )8 loom 径3伽の完 全 な くさ り円蹄 ,巨裸 で径10C7Wo C 410 m 径5C7Wの完全な くさ り喋 ,巨疎 で20C珊o (東 ) 亜円疎が多 いo角帯 もあるo赤色化 著 しいo
花嵐斑岩 .石英斑岩の僕が多 いo
D l 360一一370′〃 径5‑ 10cm.巨襟 で60C7W
,
花樹斑岩の鍵が 多 いo (竹定 ) くさ り喋 ,石英斑 岩の硬 い小円疎 も多 い○D Z 350‑.360,〟 D lの山 砂利 のつづきo
(D lの北側のつづ 山砂利 が赤色凝灰岩 .火成 岩の上 にのる○
き ) 上軌 まくさ り喋
,基
底部は風化 が盛 んでいな い○石灰岩 と接 しているところもあ る.
D 3 350〝‡ 抄層 を含む .偽層 (cro 88 ‑bedding)が はいつて
(珊 ) い る○
径5‑ 10cmの襟 o
(羽板 )D 4 330m 石灰岩の割 れ目に山砂利 がはしこる.
‑20‑
観 察 itEI 海 抜 高 度 堆 田 状 態 (称 の民 象轟 ) くさ r)かけ ,巨 レキで径20Cmo
砂層 の レソズ を含むo
E
2(宇治後谷 ) 370 m 径5°Wの 円練が多数 o
Fl 370m 角
傑
(砂岩 .蔽灰岩 )が多 いo(笹屋の民家
在)
可 碧 至芸芸oi芸雷 占夏慧諾 …: olOOの傾 きを 下部 (蛋 ;ommDO.,*t崇 ;二〇トリックスoF2
(笹尾の畑上 ) 370‑ 380m 砂粍屈
F3 3707.n 段丘的な地衣面 .砂 ま じりの シル ト層 ,角疎 を少 し含 むo Lu砂利 の上 をおお うもの かO
(本郷 )G l doom 径之OCrの くさ り裸 .花締 斑岩の 門塀 が多 いo G 2 410m 火成岩の基盤上 に山砂利 .角疎 が多 いo くさ り疎o (僻繰 ) 厚 さ40C7の紗層 を含 むO
fl 400′〃 やや くさ り錬 o径 lOcmの門標 が多 いo
(福松 ) 花樹威皆の嘆 が多 いO
分布雌Aは ,脚荷 320‑ 420mである。花成 粥岩の やや風化 してくさ りかけた疎 が多 いD裸の 大 きさは ,大 きいもので径40cmで .5‑ 20C7Wの もの が多 い。 石英斑岩の硬 い小 円顔 も軋 られるO 妙 ・シル ト層 の広 が っているところも観察 された。
分 布雌 Cは ,標 高410 mであるが .分布範囲は狭い。 完全 な くさ り蹄 で径5C2"程 度の もの が多 いo大 きいもので20C7qである。 亜円蝶の ものが多 く.わずかに角喋 も見 られる。花尚拙宅 ・石英 片岩の裸 が多 い。赤色化が相 当進 んでいる。
分布地Dは ,腰 高330‑ 370mであ り.山砂利屑 は .疏石節 である赤色帯灰岩の上 にのるか . または現石屑 を貫入す る火成岩の上 にの って いる.石灰岩の割 れ 目に山砂利 がわずかには い りこん でいる ところもあ るOこの あた りの馬鹿 が .板戸
円I
面上の 山砂利 の下限 であ ろ う。 山砂利 の上 都 は くさ り傑 であるが ,塵底部はあ ま り風化 が進んでい な い。紗層 を含んだ り,偽 層(cross ‑‑
21 ‑
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0 1 2b
図 l‑ 4‑ 1 成羽町付近 の山砂利分布図
)
( 三 ∋ 山
側 榊 Ax ‑ 1 ・ ・ , ・ ・
・.山砂利のtirの■…. ‑ ・ ‑
‑一 打 界国中 のE滑 ・暮戸=ま.兼 114‑2 および本文中の もの と対応 。
書 三 , プ
一 一\ ノし
ノ
bedding)をな してい るところ もある. 花開先岩 .石英庚 岩の康が多 く,径5‑‑10cmの ものが 多 いo径50‑ 65cmの臣鎌 もPtlられ る. 上部の ものは,分布地Cの もの と堆 街状態が酷似 してい
る。
分布地Eは,療高3 50mで,径 5C7n程 度の花樹舞岩の円康が多い。大 きい もの では, 20cm程 度の もの も見 られる。 くさ りかけの嫌が多 く,砂層 の レンズを含んでい る。
‑ 22‑
写真1‑ 4‑ 1
観察地 A2における山砂利 層 (図1‑ 4‑ 1参照 ) 大小 さまざまな くさ り蹄 が見 ら
れるC.
Illの分 布雌 について は,Flは,標高370mで ある。上部 (こは ,最大 径100C7Wまでの大小 さまざ まな疎が 見 られ ,紗層 も多い。下部 は ,径3cm程度 の疎 と妙 をマト1)ソクス として ,径20C7"程度の襟 が見 られる。N300Wの方向の崖 での観察結 果であ るが .妙層 には8‑ 100のみか けの傾斜が ある。砂 岩 ・耗灰岩の角疎が多 いので ,近 くの山 々 よりの転 石である可能性が考 え られる。 F 2は ,標 高 370
‑ 380mで . 楠 見久 ・吉村 典久 ・片山貞昭(1964) IこJ:る と.段 丘樺 として考 えて いるが .分布応鹿な どか ら考 える と,Flと同 じ山砂利 ではな いか とい う可能 性 も大 きい。 しか し.塔頭が少な いので ,は っき りと断定す ることはできないc
F
3については,標高3 7 0mで,砂 ま じりの シ ル ト同の中に角鎌 をわずかに含むO いわゆ る山砂利 ではな く,山砂利の上をおお う堆懲物 である可能 性 が憩い。分布地Gは,療高400‑ 410mである。Glについ ては ,花抱岩の円嫌 が多 く,径20m 程度 で くさ り 排 であ る0分布状態か ら判断 す る と,分布地C ・D の もの と一一感 の もの であろ う。 G2については,火成 岩の基盤 の上に,山砂利 がの ってお り,角鎌 が多い。
写罪 1‑ 4‑ 2
観察地 功 におけ加 」砂利層 (図1‑ 4‑ 1 参照 ).赤色凝灰岩の上に山砂利がのる。風 化があま り進んでいない。
‑231
くさ り鎌 が多 く,幅40C7nぐらいの 水平 に近い砂層 を含む。
分布地Hについては,軒高 400mで,荏 10伽程度の花樹斑岩の円鎌 が多 い。やや くさ りかか った鎌 である。
分布地lは,標 高420 mであ る。 上 目 名,北川定一氏宅の素手にて 観察 で きた