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図 l‑ 4‑ 1 成羽町付近 の山砂利分布図
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‑一 打 界国中 のE滑 ・暮戸=ま.兼 114‑2 および本文中の もの と対応 。
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一 一\ ノし
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bedding)をな してい るところ もある. 花開先岩 .石英庚 岩の康が多 く,径5‑‑10cmの ものが 多 いo径50‑ 65cmの臣鎌 もPtlられ る. 上部の ものは,分布地Cの もの と堆 街状態が酷似 してい
る。
分布地Eは,療高3 50mで,径 5C7n程 度の花樹舞岩の円康が多い。大 きい もの では, 20cm程 度の もの も見 られる。 くさ りかけの嫌が多 く,砂層 の レンズを含んでい る。
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写真1‑ 4‑ 1
観察地 A2における山砂利 層 (図1‑ 4‑ 1参照 ) 大小 さまざまな くさ り蹄 が見 ら
れるC.
Illの分 布雌 について は,Flは,標高370mで ある。上部 (こは ,最大 径100C7Wまでの大小 さまざ まな疎が 見 られ ,紗層 も多い。下部 は ,径3cm程度 の疎 と妙 をマト1)ソクス として ,径20C7"程度の襟 が見 られる。N300Wの方向の崖 での観察結 果であ るが .妙層 には8‑ 100のみか けの傾斜が ある。砂 岩 ・耗灰岩の角疎が多 いので ,近 くの山 々 よりの転 石である可能性が考 え られる。 F 2は ,標 高 370
‑ 380mで . 楠 見久 ・吉村 典久 ・片山貞昭(1964) IこJ:る と.段 丘樺 として考 えて いるが .分布応鹿な どか ら考 える と,Flと同 じ山砂利 ではな いか とい う可能 性 も大 きい。 しか し.塔頭が少な いので ,は っき りと断定す ることはできないc
F
3については,標高3 7 0mで,砂 ま じりの シ ル ト同の中に角鎌 をわずかに含むO いわゆ る山砂利 ではな く,山砂利の上をおお う堆懲物 である可能 性 が憩い。分布地Gは,療高400‑ 410mである。Glについ ては ,花抱岩の円嫌 が多 く,径20m 程度 で くさ り 排 であ る0分布状態か ら判断 す る と,分布地C ・D の もの と一一感 の もの であろ う。 G2については,火成 岩の基盤 の上に,山砂利 がの ってお り,角鎌 が多い。
写罪 1‑ 4‑ 2
観察地 功 におけ加 」砂利層 (図1‑ 4‑ 1 参照 ).赤色凝灰岩の上に山砂利がのる。風 化があま り進んでいない。
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くさ り鎌 が多 く,幅40C7nぐらいの 水平 に近い砂層 を含む。
分布地Hについては,軒高 400mで,荏 10伽程度の花樹斑岩の円鎌 が多 い。やや くさ りかか った鎌 である。
分布地lは,標 高420 mであ る。 上 目 名,北川定一氏宅の素手にて 観察 で きた
那, 「
この あた りは赤土で,丸い石 がよ く あるO」とい う話 であ る0円疎 が多 く,よ く風化 して赤色化 してい る。「骨み た い な石が出 る。」との話 があったが ,採集 し た結果 ,珪化木の ことであ った。 山砂利 とともに,遠方 よ り,遊 ばれて きた もの ら しい。瑳 化木 とは,・∫幹 の細胞 中に,外部か ら水 に溶 けたSiがはい り,内容物 と置換 ,沈澱 し,材全体が タンパ ク石 ,メノウ化 した もの で あ る。成羽町 と接す る美星町 では.三 山盆地の砂層 の中に,多数の珪化木 が見 られ る。
分 布雌 Bについては ,腰拓 100mぐ らいで ,径10m以下の完全 な くさり門標 であ るoここだけ が ,rill‑度的に他 のもの とかけ はなれてお り,成羽川 と島木川の合流点に発達 しT=。古 い段丘捜層 で あ る可能性 も考 え られ る。
(3)成羽町 域の山砂利 の性格
以 上の ようなLLJ砂利の分布状 闇か ら考察す る と,次の よ うな ことがわかるo
成羽町域の 山砂利 は ,標 高350‑ 420 mに分布す るO最下部の山砂利層 が .基盤 の脱石屑 .基 盤だ入岩の火成岩の上 にの って いる。中村石灰岩 の上 にの った り,割れ目にはいってい るもの もあ る.巨蝶 で径60C7WJ上 で,普通20m以下 の鞭 が多 い.よく円鮮 されているものが多 いが ,同雌的 な もの と思われ る角傑 も見 られ るoまた ,分級皮 につ いては ,全体的に 見る と,疎 の大 きさが さま ざまで ,あま りよ くな い。 したが って ,洪水的な出水に よ る河川唯田物 と見てよい。傑 種 は
,
花尉 既岩 ,石英艮 岩が多 く ,砂岩 ・頁磐 ・チ ャー ト・千 枚岩も見 られ る.くさT)襟 ,くさ りかけた喋 が 多 い。風化土 は .傑揮 ・場 所 によ って ,まちまちであるが ,概 して風化 が相 当進 んでいるO しか し, 基 盤 との接 触部付近 には,あま り風化が進 んでいな い。その原因 としては ,雌東面の温度変化 が下郡lこまで及びにくいこ とや ,上 部が水 に浸され た り乾燥 した りす るのに対 して ,下部 は常 に水 に浸 され ているこ とな どが考 え られ る。
この山砂利層 は ,尾現 上を帯状 に 連 な って.分布 しているが ,成 羽町付 近 だけに とどま らず , 瓶戸内 Ⅰ面上 に広 く分布 している。特 に ,芳井町 ・JlL上町 境の宿淑付近 にお いて発運 がよいこ とか
ら,河合(1957)が爵瓶闇 と呼び , 岡田(1966)ち .それを再定義 して用 いて い る。
応 戦層 堆斑 の時代 については ,諸説 が唱 え られ ているO
赤木健 (1930),佐藤蝶郎 (1938),小店 勉(1921)らは ,第三紀層 である と したが .化 石 が発 見 され ていないので ,はっき りと推定 はで きないO河合(1957)は ,痛板屑 が 中節続 を不 地合 におお うことと,旧大焚村応戦 にお いて応轍屑 をEぬ く玄武岩 が あるこ とを報告 し.その こと か ら.南海層 は ,中新続 よ りあ とで .JIL上町弥砧山 な どの玄武岩 ドームを僻 成す る玄武岩の流出 よ りも附 くこ堆戟 したもの と考 えたO岡田(1966)は ,門田傑層 (応戦層に対比 され る )が 大戸疎眉 (鮮新 政後半 のもので ,第二斬声円海前期の湖沼堆初物ではないか と推定 している )を不盤台にお お ってい るとい うことか ら,高瀬屑 は.鮮新世後舶〜更新世前期の堆 初物 ではないか と推定 してい る。
< 参 考 文 献 > (小野弘志 )
三野与舌 ( 1942 ):地形原綿
美星町史編集委員会(1976 ):美星町史通説柄 石EE)寵厨 ( 1978 ):岡山県 の地耳 福武昏店
楕見久 ・吉村典久 ・片山貞次( 1964 ):岡山県成羽町北西地域 の地質 広大地学 研究報告14 寺岡易 司( 1959 ):岡山県成 羽商域の中 ・古生代層特 に上部三母系成羽層群について
地 質学雑 誌64,758
楠 見久 ・吉村典久 ・片 山貞次( 1957 ):岡山県川 上郡吹屋地域の地質 広 島教育学 部紀要2‑6 河合正虎( 1957 ):中国山地 におけ る後期中生代 の地盤変動 について 地質学雑誌63 宗EE]克己(1975 ):吉備高原 日本 文教 出版
岡山大学教育学部社会科教室地 域研究会( 1978 ):峡谷 と高原の生宿