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法を視点とした歴史大観学習の授業開発 : 中学校歴史的分野「近世の日本」を事例として

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(1)

平成

26年

度学位論文

法 を視点 とした歴史大観学習の授業開発

― 中学校歴 史 的分 野 「近世 の 日本 」 を事例 として―

兵 庫 教 育 大 学 大 学 院

教育内容・方法開発 専攻

学 校 教 育 研 究 科

認識形成系教育 コース

社 会 系 教 育 分 野

M131321

(2)

序章.…… … … … …… …… …二:・… ……… … …… … … …… … …… 。…1

1.問

題 の所在 と研 究の 目的 。…….………・………・………・………:….…………1

2.研

究の方法.……….……・………・………・………。……・……・……・………2 第

I章

歴史大観 学習の現状 と法的視点の意義.…… … … …・3

1節

歴 史大観 学習の現状 … … …1.…… … … …3

1.新

中学校学習指導要領 にお ける歴史大観学習の特質.…… … … 3

2.歴

史大観学習の現状分析 と課題克服 の方法.…… … … …

4

2節

歴史大観学習 の理論 と法的視点.…… … … …

10

1.歴

史大観学習の授業構成 .…… … ‥… … ∴…… …1.…… … … …・

10

2.歴

史大観学習の視点 としての法 と刑罰 。… … … …二・… … … …

11

第 Ⅱ章 法 を視点 とした近世 日本 の大観 .…… … … …

14

1節

近世 日本 の法体系.…… … 。1・… … … …:・… … … 。

14

1.幕

藩体制 にお ける幕府法 と藩法の関係性 .…… … … …… … … … …

14

2.各

種身分法の特質.…… … … 。:・… … … …

16

2節

刑罰 か らみ る近世 日本 の権力 関係.…… … … 。

25

1.近

世 日本 の刑罰 の特質 .…… … … …・:.…… … … … …・

25

2.近

世 日本 の統治イデオ ロギー.…… …… ……… … …… ……… … … … …… … …

34

第Ⅲ章 法 を視点 とした歴史大観 学習 の授業構成原理 と授業モデル.…… … … … 。

44

1節

法 を視点 とした歴史大観学習 の授業構成原理.…… … … 。

44

1.探

究の論理.…… … … …

44

2.教

育内容 の構造 。

_…

… … … …

45

3.教

材構成 の論理.…… … … …

46

2節

法 を視点 とした 「近世 日本」 の授業モデル.…… … …二・… … … ……

47

1.単

元計画 と問いの構造 .……… … …・……… …… … … …1・… ……

48

2.目

標 としての知識 の構造.…… … … …

53

3.授

業展 開。… … … … ……… …… … … …… … ■・… … … …… … … …

54

4.授

業資料.…… … … … …∴・…… … … …… …… … …

69

終章 研究の成果 と今後 の課題.…… … … …

75

(3)

序章

1.問

題 の所在 と研 究 の 目的 これ までの中学校 における歴史の授業では

,高

校入試 が控 えてい るこ とや教科書 の内容 を消化す るため

,教

師主導 の通史学習 が多 く展 開 され てきた。 そのため

,歴

史学習 にお け る中学生の課題 として中尾敏朗

(2011)は

,「中学生た ちは

,諸

情報 の集合 を総体 と して 理解す ること

=全

体認識 が一般 に得意 ではない1」 と指摘 してい る。つま り

,学

習 内容 を活 用 して歴史的事象 を関連付 けるこ とや時代 の特色 を大 き くとらえるこ とを不得意 としてい る とい える。新 中学校学習指導要領 において

,言

語活動 の充実が叫ばれ てい るこ とや上述 の課題 に対処す るため,「各 時代 の特色 を とらえる学習」(以下

,歴

史大観 学習 とす る

)が

新設 された。歴史大観 学習 とは,「学習 した内容 を活用 して大観 し表現す る活動 を通 して, その時代が どのよ うな特色 をもつ時代 だつたのかを とらえる学習2」 でぁる。 新 中学校学習指導要領 において

,学

習 内容 の関係性 を重視 し

,そ

の構造化 を図る必要が 指摘 され てい るが

,現

在実践 され てい る歴 史大観 学習 は

,教

科書 の流れ に沿 つて通史的 に 知識 を習得 し

,そ

れ らの学習 内容 を活用 して時代 の特色 を表現す る授業が多 くみ られ るこ とか ら

,身

につ け させ たい知識 を構造化 してい る とは言い難 く

,学

習 内容 の復習 0要約 に 留 まつてい る とい える。「大観 」 とは

,学

習 内容 を復習・要約す るこ とではな く

,あ

る視点 か ら時代 の本質 を探究す ることではなかろ うか。 そ こで本研究では

,上

記 の課題 を克服す るた め近世 日本 を事例 に

,法

を視点に刑罰 を教 材 として時代 を大観す る授業 を開発す る。法 は文章化 されて はい るが非常 に抽象的で あ り, それ 自体で時代 を大観 させ るのは困難 と考 え られ る。 そ こで

,法

を可視化 でき

,か

つ具体 的な教材 で ある刑罰 に着 目す るこ とに よ り生徒 の思考 を促 し

,時

代 を大観 させ たい。近世 日本 は

,大

量殺毅 を組織的に行 つた武士が権力 を手に したが

,暴

力 のみで

300年

近 く政治 的 。社会的安 定 を保 ったわ けではな く

,身

分制 と幕藩体制 を基礎 に し

,幕

府 ・藩 の上か ら の法 と村・ 町が 自律的に定 めた掟 によつて秩序 が維持 され ていた。つま り

,近

世 日本 は幕 府 が藩 に統治 の権 限 を委 ね る とともに

,身

分制 の も とで

,身

分 階層 を中心 に法 が作 られて いた ことか ら

,犯

罪 の具体的事例 に即 して各身分 の くらしを考察す るこ とに よ り

,近

世 日 本 の特質である身分制社会 と幕藩制 国家 を理解す るこ とがで きる と考 える。

(4)

2.研

究の方法

(1)新

中学校学習指導要領における歴史大観学習の特質や先行授業分析 を行い

,そ

の現 状や課題 を明 らかにす る。

(2)(1)を

踏まえた上で

,歴

史大観学習の授業構成論を提起 し

,歴

史の大観 における法 的視点の意義を明 らかにす る。

(3)法

を視′点とし

,刑

罰 を教材 とす る歴史大観学習の授業モデル を

,近

世 日本を事例 と して開発 し

,提

示す る。

註】

1中

尾敏朗「中学校歴史的分野改訂の要諦」

『中等教育資料

平成 23年

6月

号』ぎょうせ

, 2011年, p.54. 2文

部科学省『中学校学習指導要領解説社会編』日本文教出版

,2008年

(5)

I章

歴史大観学習の現状 と法的視′

点の意義

本章では

,新

中学校学習指導要領における歴史大観学習の特質や現状を

,先

行授業分析 を踏まえて明 らかにし

,歴

史大観学習を改善す る手立てを考察する。それ らを踏まえて歴 史大観学習の授業構成論を提起 し

,歴

史大観学習の視点 としての法 と刑罰の意義を明 らか にす る。 第

1節

歴 史 大観 学 習 の現 状 本節では

,歴

史大観学習の現状を新中学校学習指導要領 と先行授業分析か ら明 らかに し, 課題克服の手立てについて考察す る。 1。 新 中学校学習指導要領 における歴史大観学習の特質 新 中学校学習指導要領の中学校社会科歴史的分野の内容 「

(1)歴

史の とらえ方」 ウに, 歴史大観学習が新設 された。新中学校学習指導要領における歴史大観学習 とは

,学

習 した 内容 を活用 して大観 し表現す る活動を通 して

,そ

の時代が どのような特色をもつ時代だつ たの力)を とらえる学習である。 これは

,言

語活動の充実や 「我が国の歴史の大きな流れ」 を 「各時代の特色を踏まえて理解 させ」るとい う歴史的分野の学習のね らい と言語活動の 充実の観点か ら設 けられた学習である。つま り

,

日本史の通史的理解 とい う目的を達成す る手段 として各時代の特色の把握 を位置づけている。 また,「学習 した内容を活用 してその時代を大観 し表現す る活動 を通 して

,各

時代の特色 をとらえさせ る1」 (内

(1)ウ

)と

示 されてお り

,通

史的な学習後に時代 を大観 させ る学 習を位置づけていることが読み取れるも ここでい う,「時代を大観 し表現する活動」 とは,「学習 した内容の比較や関連付 け

,総

合な どを通 して

,政

治の展開

,産

業の発達

,社

会の様子

,文

化の特色な ど他の時代 との共 通点や相違点に着 目しなが ら,「つま りこの時代は」「この時代を代表するものは」など各 時代の特色を大きくとらえ

,言

葉や図で表 した り

,互

いに意見交換 した りす る学習活動2」 を指 している。以上か ら

,新

中学校学習指導要領における歴史大観学習の方法は

,次

のよ うにま とめられる。 ①各時代のまとめに位置づける。 ②各時代の初めにその特色の究明に向けた課題意識を育成する。 ③他の時代 との共通点や相違点に着 目させるなど

,大

観や表現の工夫をする。

(6)

上記 の方法 による歴史大観 学習 を通 して,「「思考力 。判断力・ 表現力等 を養 う」 ととも に

,各

時代 の特色 を生徒が 自分の言葉 で表現できるよ うな 「確 かな理解 と定着 を図 る」(内 容 の取扱 い

(1)イ

)3」 こ とを求 めてい る。 しか し

,新

中学校 学習指導要領 にお け る歴 史 を大観 す る学習 は

,教

科書 の流れ に沿 つた 通史学習 を前提 としてい るため

,習

得す るべ き知識・ 概念 の構造化 がな され ていない。 そ のた め

,通

史学習で習得 した個別的知識 を活用 し

,政

治・ 産 業 。文化・ 社会 か ら時代 の特 色 をま とめてい るにす ぎない とい える。 つま り

,新

中学校学習指 導要領 にお ける歴 史大観 学習 は

,学

習 内容 の復習・ 要約 に留 まつてい る。

2.歴

史大観学習の現状分析 と課題克服の方法 歴史大観学習における現状 と課題 を明 らかにす るため

,ま

ず下記の分析視点を設定 し, 表

I(5頁

)の

分析 フレームワークを作成 した。 この分析 フ レームワークをもとに先行授 業分析 を行 う。

(1)分

析方法 先行授業分析は

,以

下の方法に したがつて行つた。 ①分析対象 時代の特色を大きくとらえさせている主題 を取 り上げる。 ②歴史大観学習が新設 された中学校社会科歴史的分野か ら

18事

例を収集 した。 ③事例抽出時の留意点 指導過程や次に示す分析視点ができる限 り明示 された事例を分析対象 とす る。 ④分析視点の設定4

I.大

観 の視 点の有無 Ⅱ

.単

元 の導入部 で明確 な学習課題 が示 され てい るか Ⅲ

.大

観 の視 点 を問いの形 で示 してい るか Ⅳ 。前後の時代 と比較 してい るか

V.学

習 内容 を活用 し時代像 を構築 させ てい るか Ⅵ

.作

業課題 を通 して結論 を導 かせ てい るか

(7)

上記 に示 した分析視点は

,具

体的 に以下の観 点か ら考察す る。 表

I

歴史大観学習における分析 フレームワーク I   Ⅱ 時代 を読 み解 く視点が設定 されてい るかをみ ることとす る。 時代 を大 き くとらえるた めに

,単

元 の導入部 でその視 点 か らみた際 に本 質 を とら えた問いが設定 されてい るかについてみ ることとす る。 設 定 され た視 点 を問いの形 で示 してい るかについてみ るこ ととす る。 既 習 の時代や今後学習す る時代 との比較 が され てい るかについてみ るこ ととす る。 時代像 を構築 させ る過程 が設定 されてい るかについてみ ることとす る。 結論 を導 くために何 らかの作業課題 を与 えてい るか についてみ るこ ととす る。 Ⅲ Ⅳ V Ⅵ No. 学 年 年 学校名 実践者 (立案者) 出典 単元名 授 業概要 分析視′点 □大観 の視点の有無 (→

)

□単元 の導入部で明確 な学習課題 が示 され てい るか □大観 の視点 を問いの形で示 してい るか (→ □前後 の時代 と比較 してい るか (→

)

□学習内容 を活用 し時代像 を構築 させ てい るか (→ □作業課題 を通 して結論 を導かせ てい るか (→ (→ 考 察

(8)

(2)分

析結果 上記 の分析方法 に したがい先行授業分析 を行 つた結果 は

, 8頁

の表Ⅲの通 りである。 な お

,18事

例 それ ぞれ の先行授業分析の結果 については

,巻

末 の資料編 に示 してい る。 表 Ⅱ 先行授業分析一覧 No. 表 題 実践 (立案) 実践校 者 出典 1 新 しい歴 史 学習― 近世 を大観 す る学 習 梅津正美

『中学校社会科のしおり』帝国書院

,

2011年

9月号 2 各 時代 の特 色 を大 き く とらえ させ る 学 習指 導 の実際― 中学校歴 史的分 野 「中世の時代調査」の実践― 中尾敏朗 大石久美子 山 口市 立 白石 中 学校 日本社会科教育学会編『 社会科授業 力の開発』 中学校・ 高等学校編 明 治図書

,2008年

,pp.76‐94 3 学習 した 内容 を活 用 して歴 史 の流 れ を大観 し表 現 で き る生徒 を育成す る 指導 法 の研 究― 一時間 ご とのま とめ と単元全体 を振 り返 る場 面 を工夫 し て一 佐 々木聡美 十 和 田市 立 切 田 中学校 青森県総合学校教育センター『教科 等教育長期研究講座報告』

,2012年

4 学習 した内容 を活用 し,そ の時代 を大 観 す る学習∼近世 の 日本 ∼ 授 業 改 善 モ デ ル の た め実 践 者 等 な し

二重県教育委員会『授業改善モデル

中学校版】

,2014年

5 学習 した内容 を活用 し,そ の時代 を大 観す る学習∼近代 の 日本 と世界∼ 授 業 改 善 モ デ ル の た め実 践 者 等 な し

二重県教育委員会『授業改善モデル

中学校版】

,2014年

6 「近世の 日本」のま とめの学習 岩 野清美 大杉昭英編『 中学校新社会科歴史の 実践課題 に応 える授業デザイ ン』明 治図書

,2011年

,pp.84‐87 7 古代 までの 日本 ∼奈 良時代∼ 坂 田元丈 富 山 大 学 人 間 発 達 科 学 部 附 属 中 学校

『富山大学人間発達科学部附属中学

校研究紀要』

No.66:「

社会科」

2013

, pp。17‐33 8 思 考 。表 現 活動 を通 して 「理 解 」を図 る歴 史 学 習 の在 り方― 中世 にお け る 「時代 の特色 を とらえ る学習」を通 し 齋藤和子 高 松 市 立 桜 町 中 学校 香川 県教 育セ ンター 「香川 県教 育セ ンター研 究発 表会発 表 資料 」

,2012

(9)

9 時代 の特色 を と らえ る力 の育成 ∼時 代 を大観 す る学習 「近代 の 日本 と世 界」∼ 彦坂好郎 東 京 都 練 馬 区 立 大泉 中学校 新坂 大輔 東 京 都 北 区 立 王 子桜 中学校 東京都 中学校 社会科教 育研 究会 「平 成

24年

度発表会資料」

,2012年

10 時代 を大観 す るた めに歴 史的事象 を 選 び 出 し

,根

拠 に基づいて発表・討論 す る学習 不 明 山梨県総合教育センター 新 聞作 りを通 して,時代 の特色 を理解 す る歴史学習 のあ り方 山科 亮太 小 諸 市 立 芦 原 中 学校 「

NIE教

育に新聞を」実践指定校実 践例

,2012年

12 単元 「中世 の 日本」を大観 し表現す る 討論 学習 の工夫 奥村信夫 守 山 市 立 守 山 北 中学校 『滋賀大学教育学部附属教育実践総 合センター紀要』第

21巻

,2013年

13 中学校社会科歴史的分野における「時 代の特色学習」試案 松 岡 尚敏 渡邊淳一 『官城教育大学紀要』第

46巻 ,2011

年 14 中学校歴 史 的分 野 にお け る時代 の特 色 をま とめ る力 を高 める指導 の工夫 ― キー ワー ドを活 用 し新 聞記 事 か ら 歴 史 的事象 の意 義 を考 え る活動や新 聞記事の作成 を通 して一 今泉晃 群馬県総合教育センター『 平成

25年

度特別研修員研修報告書』

,2013年

15 武家政治 と東 アジア (中世 の 日本) 領家 弘典 浜 田市 立 旭 中 学 校 不 明 16 歴 史 的分野 にお ける言語活動 の実践 と評価 ∼ 中世 の特色 を大観 す るこ と を とお して∼ 官 城 県 公 立 中 学 校教諭 『 中学校社会科のしお り』帝国書院,

2014年 2学

期号 17 歴 史 を大観 す る学習 の単元構成論― 日本 と英 国の事例分析 を手 がか りに して一 原 田智仁 全国社会科教育学会『 社会科研究』 第

78号

, 2013年

, pp。1‐12 18 歴 史 を大観 す る学習 の単元構成― 中 世 の枡 をてがか りに― 石川 照子 神 戸 大 学 附 属 中 等教育学校 「第

25回

社会系教科教育学会研究発 表大会発表資料」

,2014年

※先行授業分析 の配列 は

,表

題 の五十音順 とした。

(10)

分析視 点 有 盤 ヽ 大観 の視点の有無 14 4 単元 の導入部 で明確 な学習課題 が示 されてい るか 3 15 大観 の視点を問いの形で示 してい るか 11 7 前後 の時代 と比較 してい るか 7 11 学習 内容 を活用 し時代像 を構築 させ てい るか 6 12 作業課題 を通 して結論 を導 かせ てい るか 14 4 表Ⅲ 先行授業事例の分析結果

(3)分

析結果 の考察 歴 史大観学習 に関す る先行授業18事例 を分析 フ レー ム ワー クに沿 つて分析 した結果,「歴 史 を大観す る視′点と方法5」に課題 があることが浮 き彫 りとなった。歴史大観 学習 において , 視 点 を設 定す るこ とがなぜ重要 で あろ うか。第一 に

,視

点 を設定す るこ とに よ り生徒 の思 考 を焦点化す ることか ら

,探

究す るこ とが可能 とな る と考 え られ るか らで ある。第二 に, そ の視点か らみた際 に生徒 が生活 してい る現代 は どの よ うな時代 なのか

,過

去 とどの よ う な点 で共通点 。相違点があるのかを考察す るこ とに よつて

,過

去 と現代 を比較す る 目を養 うこ とが可能 とな るか らで ある。 そ して

,歴

史 の事実 か ら 「今」 を考察す る こ とは, 自分 た ちの社会 を とらえることにつなが るのである。 また

,歴

史 を大観す る視点 に関 して

,単

元 の導入部 で明確 な学習課題 が示 され てい る授 業 は

,18事

例 中

3事

例 (No。

:8,13,17)に

とどまってい る。単元の導入部で多 くみ ら れ たのは,「○○は どの よ うな時代だろ う」 とい う問いか ら時代 の特色 を大観す る授業であ る。 これ らの ことか らわか るよ うに

,単

元 の導入部 で は概括 的な発 間が多い のが現状であ る。 それ に関連 して新 中学校学習指導要領 において

,単

元 の導入 部 で課題 意識 を育成す る こ とが求 め られ てい る。 ある視点か ら時代 を大観 した際にそ の時代 の本質 に関わ る発 間を 単元 の導入部 です るこ とに よ り

,生

徒 の思考 が焦点化 され探 究で きるこ とか ら

,高

次 の知 識す なわ ち概念 を身 に付 ける探究が可能 となる。 次 に

,歴

史 を大観す る方法 に関 して

,学

習 内容 を活用 して時代像 を構築 してい る授業 は,

18事

例 中

6事

(No.:1,2,5,13,17,18)で

あった。 そ こで多 くみ られた 「活用」 は

,通

史的な学習後 に政治 。経済・ 文化 。社会 な どか ら特色 をま とめる

,す

なわち,「個別 的知識 の活用」 で あつた。新 中学校学習指導要領 において

,知

識 。技能 の活用力 を育成す るこ とが示 され てい るが,学 習 内容 を活用す るとは どうい うことだろ うか。原 田智仁(2012) は

,活

用力 について二つの側 面か らとらえてい る6。 一っ は

,方

法知 で あ り

,い

わ ゆる思考

(11)

方略がある。 も う一つは

,内

容知であ り

,い

わゆる知識 。理解の うち応用力

,転

移性のあ る知識である

6例

えば

,理

論 (概念的説明的知識

),価

値 (一般的評価的知識

)が

あるとし ている。つま り

,学

習内容 を活用す るとは

,個

別的知識 を活用す ることではな く

,転

移性 のある知識

,す

なわち概念を応用 し時代像 を構築す ることである。 ところで

,歴

史教育共通の重要課題 に 「教育内容の広 さと深 さのバランス7」 が挙げ られ る。『 中学校学習指導要領解説社会編』には,「我が国の大きな流れ を理解 させ

,歴

史につ いて考察す る力や説明す る力を育てるため

,各

時代の特色や時代転換にかかわる基本的な 内容の定着を図 り

,課

題追究的な学習を重視 して改善を図る8」 と示 されている。また,「学 習 した内容 を活用 してその時代 を大観 し表現す る活動や

,各

時代 における変革の特色 を考 えて時代の転換の様子 をとらえる学習な どを通 じて

,歴

史的事象 について考察 。判断 しそ の成果を自分の言葉で表現す る学習を行 えるよ うに した9」 と示 されている。つま り

,新

中 学校学習指導要領は 「教育内容の広 さと深 さ」の両方 を保障す ることを求めている といえ る。 しか し

,中

学校社会科歴史的分野の授業時数が限 られている中で

,通

史学習 と探究活動 を通 じて歴史を大観す る学習 を並行 し

,歴

史的思考力 を身に付けさせ ることは容易ではな い。また,「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」 といった大きな時代の枠組を大観 し

,表

現す ることも困難である。そ こで本研究では

,上

述の課題 を克服す る方法を提起す る。原 田智仁

(2013)が

述べているよ うに

,学

習指導要領や既成の時代区分に囚われず 自由に時 間の枠組みを設定 し

,例

えば単元毎に大観す る

,あ

るいは大観すべ き内容にそつて単元を 構成す ることが最 も合理的である10。 そ して

,授

業時数が限 られていることか ら「教育内容 の広 さと深 さ」の両方を保障す ることは

,非

常に困難だ と考 えられ る。そ こで

,教

育内容 の 「広 さ」をある程度犠牲に し,「深 さ」を保障する方法を提起 したい。教科書に記載 され ている内容 をすべて学ぶ ことが歴史を学ぶ とい うことではない

:視

点を焦点化 し探究す る ことにより

,汎

用性のある知識 を身に付 けることができる。つま り

,あ

る視点か ら歴史を 探究 した際に獲得できる概念が他の時代 に関わる用語や事象の解釈 に 「活用」 され

,共

通 点や相違点を見出す ことができることにより

,新

中学校学習指導要領の本来のね らいであ る概念の 「活用」が活かせ

,教

育内容の 「広 さ」が担保 され るといえる。例 えば,「近世 日 本は

,身

分制の原理や朱子学の影響 を受 け

,身

分によつて刑罰が異なっていた」 とい う概 念的知識 を活用 して他の時代 を探究す ることが挙げ られ る。 したがつて

,教

育内容の 「広 さ」をある程度犠牲す る場合 においても

,探

究によつて獲得できる概念 を活用す ることに より,「教育内容の広 さと深 さのバ ランス」 とい う課題 を克服す ることができる。

(12)

2節

歴 史 大 観 学 習 の 理 論 と法 的 視 点 本節 では

,先

行授業分析 を踏 まえ

,歴

史大観 学習 の理論 を提起す るとともに

,歴

史 を大 観す る学習 にお ける法的視 点 について考察す る。

1.歴

史大観 学習 の授業構成 前節 において

,歴

史大観 学習 の先行授業分析 を行 い,その現状 と課題が明 らか となつた。 そ の課題 としては

,教

科書 の流れ にそつて通史的に知識 を習得 し

,そ

れ らの個別 的知識 を 活用 して時代像 を表現 してい るこ とで ある。 そ こで本 項 で は

,こ

れ らの課題 を踏 ま え

,歴

史大観 学習 の授業構成論 を提起 したい。 まず筆者 は,「大観 」を「ある視 点か ら時代 の本質 を探究す るこ と」と定義す る。つま り, い くつかの視点か ら時代 の特色 を考察す るのではな く

,大

観 す るためには一つ の視 点 を設 定す る必要 が あろ う。 そ して

,教

師 がそ の視 点 か らみ た際 の時代 の本質 を明確 に とらえ, それ に基 づ き大観すべ き内容 を知識 の構造 として設定す るこ とが重要で ある。先行授業事 例 で は教科書順 に学習 し

,単

元 の最後 に大観 させ てい るこ とか ら知識 の構造 を想 定 してお らず

,探

究活動 が組 み込 まれ てい ない授業 が多 くみ られ たのが現状 である。 次 に

,探

究す るた めの問い を ど う設 定す るかであ る。 つ ま り

,生

徒 にいか に設 定 され た 知識 の構造 を習得 させ てい くか とい う問題 である。先行授業分析 では,「○○ とは どの よ う な時代だろ う?」 とい う問いか ら時代 の本質 に迫 る授業が多 くみ られた。 しか し

,そ

の よ うな概括 的 な問い は

,実

質 的 に意 味 を持 つ 問い ではない こ とか ら

,探

究す るこ とがで きな い と考 え られ る。そのため

,単

元 の導入部 では

,時

代 の本 質 を とらえるよ うな問いか ら生 徒 に探 究 させ るこ とが歴 史大観 学習 において は有効 で ある。 その際

,生

徒 に探 究 させ る間 い として 「なぜ」疑 問が挙 げ られ る。「なぜ」 とい う問いは

,生

徒 の思考 を促す とともに, さま ざまな資料 を用いて探 究 し

,理

論 を発 見 させ る有効 な問い とい える。 したがつて

,時

代 の本質 を理解 させ るた めには

,原

因 と結果 を探究 させ る 「なぜ 」 を中心 に問い を設 定す るこ とが求 め られ る。 次 に

,習

得すべ き知識 の構 造 と探 究 の問い を接続す る教材 を選択す る こ とで ある。 そ の 際

,①

生徒 に身近 な事例

,②

リア リテ ィのあ る教材 を選択す るこ とが重要 で ある。 なぜ な ら

,生

徒 の身近 な事例 を通 して歴 史 を考 え させ

,過

去 との共通点 。相違点 を考察す ること は

,現

代 と過去 を比較す る 目を養 い

,今

後 の社 会 について考察す る力 を培 うこ とにつ なが るか らで ある。 また

,中

学生 に時代像 を表現 させ るこ とは困難 で あるこ とか ら

,時

代 を表 象す るよ うな絵画資料

,写

,映

像 な どを有効活用す るこ とが求 め られ る。 以上か ら

,歴

史大観 学習 の授業構成論 は

,次

の よ うにま とめ られ る。

(13)

①大観する視点を設定 し

,大

観すべき内容を知識の構造 として設定する。 ②単元の導入部で時代の本質をとらえた発間を行 う。その際

,生

徒の思考を促す問いで ある 「なぜ」を中心に構成する。 ③探究するための教材 として

,生

徒に身近な事例

,

リアリティのある教材を設定する。

2.歴

史大観学習 の視点 としての法 と刑罰 人 間 はい かな る時代 において も

,ま

た どんな地域 において も

,他

者 との関わ りな しには 生 き られ ない社会的存在である。そ うした社会生活 は

,規

範 な しには成立 し得 ない。「社会 あ る ところに法 あ り」の言葉 は

,社

会生活 が営 まれ る ところには

,そ

の社会 の存立条件 と しての社会規範 があることを表 してい る。つま り

,法

は制度 を形成維持す る社会規範 であ る。 また

,刑

罰 は社会統制 の手段 であ り

,制

度 で ある。「刑罰 の概念 は

,宗

教的立場 か ら許 され ない もの

,慣

習 である社 会的掟 に反 す るもの

,生

きる手段 と して社会 的 に認容 され な い もの

,権

力者・為政者 の意思 に反す るものな どと

,刑

法典 を構成す るに至 るまで もな く, その罰せ られ るべ き行為 。事柄・ 思想 な どとい うものは

,国

によ り

,時

代 に よ り

,風

俗習 慣 に よ り様 々である11。」また,『刑 事学』 を著 した ウイルヘル ム・ ザ ウアー は

,か

つて 「犯 罪 は経済組織

,政

治組織 の変遷

,文

化 の発 展 に よ り概 念 が変革 して ゆき

,犯

罪 の歴 史 的研 究 が刑 事学 の一つ の枠 をつ くる12」 と述べ てい る。つま り,犯 罪 に対応 して科 され る刑罰 は , 経 済 。政治 。文化 の発展 に よつて概念 が変革 し

,そ

の時代 の人間の徳性 を象徴す るもの と い えよ う: 本研 究 において法 と刑罰 か ら近世 日本 を考察す る基本 的 な理論 は

,ダ

ニエル・ ボツマ ン

(2009)に

依拠 してい る。 ダニエル 。ボツマ ンは

,近

世 か ら近代 にか けて刑罰 がいか に権 力 を変 えたのかについて論 じてい る。本研 究 においては

,政

治・ 経済・ 文化 。社会 の特色 がい か に法や刑罰 に影響 したのか を考察す ることを通 して近世 日本 の時代像 を構築す るが, そ のモデル 図が

12頁

の図Iである

`歴

史大観学習 において政治 。経済 。文化・ 社会 は

,時

代 の特色 を とらえるた めには不可欠 な視 点で あ る。各視点か らみた近世 日本 の時代像 があ り

,何

に視点 を置 き大観す るかについては

,基

本 的 に各教員 に任 され る。法 は文章化 され て はい るが非常 に抽象的であ り

,生

徒 が読解 し理解す るこ とは困難 で ある。 そのた め

,可

視化 で き

,か

つ具体的な教材 である刑罰 に着 目す るこ とによ り

,生

徒 の思考 を促す ととも に

,探

究活動 を通 じて歴 史的思考力 を培 うことができるこ とか ら

,時

代 の特色 を とらえる こ とにつなが る と考 える。 さらに

,刑

罰 は

,権

`社会秩序維持 の核 心 をなす こ とが肝要 で あ り

,各

時代 が どの よ うに成 り立 ち

,現

代社会 とど うつ なが り

,切

り離 され てい るのか を探 る上で格好の切 り口である。 そ こで

,法

を視点 に刑罰 を教材 として歴史大観学習 を行 う際

,最

も示 唆 に富む時代 区分

(14)

は 「近世」だ と考 え られ る。 なぜ な ら

,武

士が権力 を手に したのは

,大

量殺

mを

組織 的 に 行 ったか らで あるが

,暴

力 だ けでは

300年

近 く政治的 。社会的安定 を保 つ こ とはで きない か らである。近世 日本 は

,身

分制 と幕藩 体制 を基礎 に してお り

,幕

府 。藩 の上 か らの法 と 村

,町

が 自律 的に定 めた掟 にようて秩序維持 を図つていた。 つま り

,近

世 日本 は身分制 の も とで

,法

が作 られ ていた こ とか ら

,犯

罪 の具体的事例 に即 して各身分 の くらしを考察す るこ とに よって

,近

世 日本 の特質 で ある身分制社会 と幕藩制 国家 を理解す るこ とにつ なが るで あろ う。 さらに

,法

は 「社会 を映す鏡」であ り

,近

世 日本 の社会構 造や人 々の価値観 が刑罰 に反映 され てい る。 したがつて

,近

世 日本 を法 の視 点 か ら大観す るこ とによ り

,身

分制社会 と幕藩制 国家 が よ り理解 で き るこ とか ら

,こ

こに大観す る意義 を見 出す こ とがで き る。

A政

治(幕藩体制)

B社

会(身分制) ⑤まとめ 図

I

近世 日本の政治・社会構造 と法 (筆者作成)

(15)

【註】 1文部科学省『 中学校学習指導要領解説社会編』 日本文教出版

,2008年

,p.71. 2同上書,p.71. 3同 上 書 , pp。71‐72. 4文部科学省『 中学校学習指導要領解説社会編』 日本文教出版

,2008年

原 田智仁 「歴史を 大観す る学習の単元構成論一 日本 と英国の事例分析 を手がか りに して一」全国社会科教育 学会『社会科研究』:第

78号

,2013年

を参考に筆者設定。 5本研究における歴史を大観す る視点 としては

,分

析視点の「大観の視′点の有無」「単元の導 入部で明確な学習課題が示 されているか」「大観の視点を問いの形で示 しているか」とす る。 また

,歴

史を大観す る方法 としては,「前後の時代 と比較 しているか」「学習内容 を活用 し 時代像 を構築 させているか」「作業課題 を通 して結論 を導かせているか」の三点 とす る。 6原田智仁ほか『社会科の 「活用す る力」の育成 と評価 に関す る研究』公益財団法人 日本 教材文化研究財団

,2012年

,p.8.

7httD:〃712educators,about.coII1/Od/socialstudies/tp/social studies concerns.htm

(最終アクセス 日

:2015年

2月 9日 ) 8文部科学省

,前

掲書 1,p.4. 9同上書,p。7. 10原田智仁「歴史を大観する学習の単元構成論― 日本 と英国の事例分析を手がか りに して一」 全国社会科教育学会『社会科研究』第

78号

,2013年

,p。10. 11重松一義『 日本刑罰史年表』雄 山閣出版

,1973年

,p.3. 12同上書,p.5。

(16)

第 Ⅱ章

法 を視

J点

とした近世 日本の大観

本章では

,近

世 日本を法的視点か ら大観す るため

,歴

史学 。日本法制史研究の現状を先 行研究か ら整理す る。 第

1節

近 世 日本 の法 体 系 本節では

,国

家統治の法である幕府法 と藩法の関係性を概観 しつつ

,そ

の上で各種身分 法の特質を明 らかにす る。

1.幕

藩体制における幕府法 と藩法の関係性 近世 日本は

,幕

藩体制を基礎 にした国家であつた。幕藩体制 とは,「幕府 と藩 との組合せ による封建国家

,す

なわち

,諸

大名 を征服 し全国統一 を果 した徳川氏が

,中

央政府 として の幕府 を江戸に設 け,この幕府の統制に服 しなが ら

,270余

を数える大名が全国に割拠 し, それぞれの支配領域である藩の統治を行 うとい う体制である1。」服藤弘司

(1980)は

,幕

府法 と藩法について,「幕藩体制国家の二大支柱であ り,こ れ らがそれぞれ如何なる内容で あったか

,ま

た両者が如何なる関係にあつたかを解明す ることこそ幕藩体制国家の本質理 解のための最大のキーポイン トといつて過言ではない2」 と述べていることか ら,この二点 を中心に考察す るも 幕府法

,藩

法の性格 については,「幕府法

,藩

法が,と もに武家法の中核 をなす ものであ つたことは改めて指摘するまでもない。 これ ら両者は

,公

家法に対す る武家法 として

,現

実に国家支配の法 として機能 したこと

,庶

民法に対す る領主法 として

,全

国の土地

,人

民 支配につき威力を発揮 したこと

,お

よび武家たる特権階級の身分法 (封建法

)と

して

,武

家集団規制の役割 を果 した3」 と述べている。 また服藤

(1980)は

,「幕府は

,諸

大名 に対 し

,裁

,徴

税の二種 とともに

,一

般的な 行政権 をも付与 した といわれ る。諸藩 に

,そ

れぞれ独 自の藩法がみ られたのは

,諸

大名 に 上記三権が付与 されたことに基づ く。諸大名は

,幕

府 より与えられた裁判権行使のため特 色ある裁判法規 (民刑裁判法規

)を

設 け

,ま

た徴税権行使のため独特の租税法を制定

,

さ らに一般行政権執行のため諸種の独 自藩法を定立 した4」 とし,「しか し

,こ

れ ら大名 に与 えた三権の うち

,裁

,徴

税の二種に比 し

,一

般行政権は極 めて不完全なもので しかなか った5」 と述べている。「裁判権については

,寛

10年 (1623)7月

「公事裁許帳」 と, 元禄

10年

(1697)6月

「自分仕置令」6の両者 により

,他

管交渉事件は大名 に裁判権はな いが

,領

分限 りの事件についてはほぼ完全な裁判権があることが明確化 され

,他

,徴

(17)

大名 の支配がお よぶ領域 (国

,郡 ,村

)が

明記 され た 目録 とともに,この領 国 を『 領知』 せ よ とい う

,領

分 に対す る徴税権 を保証す る文言 が掲 げ られ たか らである」と述べ た上で, 「大名 の領分支配 を中心 とした一般行政権 については

,か

か る法的根拠 は見出せ ない7」 と 結論 づ けてい る8 「幕府 は 「公儀」 として国内全体の統治 を行 うとともに

,

自らも一大名 として領分 を支 配 した ことか ら

,そ

の法 もこれ に対応 して

,全

国を対象 とす る 「天 下一統之御 法度 」 と幕 府 直属 の臣及 び直轄地 を対象 とした 「御 料法」に大別 で きる8」 とし,「 (前

)前

者 は

,将

軍 が武家 の棟 梁 として諸大名 を統轄 し

,全

国支配権 を遂行す るために発 した法 であ り

,こ

れ に対 し

,後

者 は

,将

軍が一領主 (一大名

)と

して

,幕

府 直轄領 (御料

)支

配 を行 うため に発 した法である9」 と述べ てお り

,大

名領 では藩法 の一元的支配 ではな く

,幕

府 法 と藩法 の二元的支配 であつた とい える。 そ して

,藩

法 については,「幕府 か ら統治 を委 ね られ た各大名家 は

,み

ず か らの領分支配 を行 うため独 自に藩法 を制定 したが

,領

内に施行 され た幕府法 を 「公儀御法度」,「公儀御 触書」 な どと称 したのに対 し

,こ

れ らは 「国法」,「家法」 な どとよばれ た10」

,近

世 日 本 に存在 したすべ ての藩 が独 自の藩法 を定 めたのではな く

,小

藩で は幕府法 のみが領 内に 伝達 。施行 され た。「現在知 られ てい る藩法 のなかには

,そ

の成立 を

17世

紀 中頃まで遡 り うるもの も存在す るが

:親

藩・譜代大名 の多 くは幕府法 に準拠 し

,ま

た外様大名 は特色 あ る独 自の法 を定める傾 向がみ られ た。 しか し

,安

竹 貴彦

(2010)は

,武

家諸法度 の末条が 「万事応江戸之法度

,於

国々所 々可遵行事」と規定 し,ま た 自分仕置令 も「江戸之御仕置准 シ

,自

分仕置可被仰付候」 と記す よ うに

,幕

府 には私領 内で も幕府法 に准 じた処理 が行 わ れ るべ きである とい う意識 はあ り

;大

名領 か ら伺 が出 され た場合

,幕

府 役人 は幕府 法 に則 つた回答 を行 うのが原則 であつた ことな どか ら

,時

代 が下 るにつれ て藩法へ の幕府法 の影 響 は強 まった11」 としてい る。服藤

(1980)は

,藩

法 の幕府 法化促進 の要 因 について次 の よ うに述べている12。 「天下

=統

の御法度の強行性 にあつたことは

,改

めて説 くまでもない。天下一統の御法度 が発せ られた場合

,諸

大名 は特別の事情のない限 り

,こ

れを遵守せねばな らなかつた。男に また

,諸

大名 は原則 として

,公

儀御法度は忠実に遵守す る姿勢 を示 し

,家

中諸士は勿論

,領

内百姓

,町

人に対 してもこれが励行 を厳 しく命 じた。 しか し

,藩

法の幕府法化促進の要因が

,単

に幕府側の熱心な天下一統の御法度の私領内で の浸透

,定

着のみにあつたわけではない。む しろ

,こ

れ以上に我 々が重視すべきは

,大

名側 の積極的な公儀御法度受容の態度である。勿論大名間では

,藩

法の独 自性の強弱

,幕

府 との 親疎の関係

,家

格の差異な どにより

,こ

の態度には著 しい懸隔がみ られ

,個

,具

体的検討 を倹たねばね らないが

,概

していえば

,独

自性 の強い藩法を有 した外様大藩 も

,か

な り忠実 に天下一統の御法度はこれを遵守 した。」

(18)

服藤

(1980)は

,「近世中期以降における藩法の幕府法化の特徴 として

,(中

)諸

大名 が

,単

に幕府 より正式に下付 された天下一統の御法度にとどま らず

,

しば しば天下一統御 法度な らざる幕府法まで取 り込み

,こ

れを自藩々法のなかに定着 させた点である。近世前 期の

,幕

府の強制による藩法の幕府法化の域 を脱 し

,大

名 自身が積極的にそれを図るとい う機運の醸成 により

,藩

法の幕府法化は完全に本格化 した13」 としてぃる。 したがって

,幕

藩制国家 とい う新秩序のもとで強大な藩を確立 し

,領

国経営を行 うため には藩法の制定は不可欠であ り

,法

による支配 こそ

,家

臣団の統制や農村における領主権 力の確立 といった課題 を解決する上で非常に効果的であつた といえよう。

2.各

種身分法の特質 (服藤弘司『 幕府法 と藩法 幕藩体制国家の法 と権力I』 創文社

,1980年

をもとに筆者作成) 幕藩体制 国家では

,厳

しい身分制 が とられた。近世 日本 の身分階層制 は

,厳

密 には彩 し い種類 の階層 が存 したが

,服

(1980)は

,「公家

,武

,僧

侶・ 神官

,百

,町

人 (商 人 。工人両者 を含 む),当 道

;賤

民の七種 に区分14」 してぃ る。ここにい う各種身分法 とは , これ らの諸階層が階層統制 のために独 自で制定 した法 を指す。以下

,各

種身分法 の特質 に ついて述べ る。

(1)公

家法 公家 の最高指導者 は天皇であ り

,天

皇 は律令 をもつて公家 を統制 したが

,近

世 にお ける 近世 日本 の法体系 は

,以

下の通 りであ る。 ○国家支配の法 :公 家法 。武家法 ○支配者 と被支配者 の区別による領主法 と被治者 (自治

)法

領主法 :公家法・幕府法・藩法・旗本法・ 寺社法 被治者 (自治

)法

:村法・町法・ 仲間法 ○幕藩体制国家の顕著な特徴 とされ る各種階層の区別 による各種身分法 公家法 。武家法・宗法 。社法・村法・ 町法 。座法・賤民法 ○幕藩体制国家の大部分の領域 を事実上支配 した御 │1氏と諸大名の法 :幕府法・藩法

(19)

述の通 り,国家支配の法は公家法・武家法の二つがあるが,「両者が並び施行 され ることは, 幕府権力が圧倒的優位 を示 した幕末期までは

,現

実には起 らなかった15」 としてぃる。

(2)武

家法 上述の通 り

,武

家法には幕府法 と藩法の二者があることを指摘 し

,幕

藩体制における幕 府法 と藩法の関係性の項において両者の特色を概観 した。 三浦周行

(1958)は

,武

家法の特色を次のように述べている。「(前略

)武

家が

,近

世幕 藩体制国家の支配階級 として位置づけられた点 より

,導

き出されたものである。幕藩領主 は

,武

家に対 しては

,四

民の儀表 としての威厳 と品位 を保た しめねばな らず

,そ

のため, 一方では

,法

上武士を町人

,百

姓 より優遇す るとともに

,他

,町

,百

,

とくに前者 とは比較にな らない厳格な干渉を加 えた16」 と述べてお り

,武

士身分への優遇 と冷遇の二 面を うかが うことができる。 また服藤

(1980)は

,「武士に

,支

配者 としての威厳 を保た しめるため優遇 した事例 と しては

,(中

)切

捨御免の特権

,苗

字帯刀の特権

,奉

公人 (下人

)成

敗 (『手討』

)の

権, さらには切腹を行い得 る権な どを掲げ得 る。他方

,武

士に

,支

配者階級 としての品位 を保 た しめるため

,厳

格な態度をもつて臨んだ事例 として

,博

,詐

,窃

盗な ど悪事を働い た場合

,侍

に似合わざる不埒な行為 として重罪に処せ られ

,ま

た縁坐制が広 く適用 された こと

,(中

)婚

,相

続につき百姓

,町

人 とは比較にな らない厳格な規制が加 えられたこ とな どが挙げられる17」 と具体例を挙げている。

(3)村

法 近世 に入 る と全国各地の村 々において成文村法が制定 され るよ うになる。 その理 由 とし て神崎直美

(1998)は

,「

(1)近

世 には村 が統治 の単位 として体制的 に公認 され

,公

儀 の 行政 を請 け負 うよ うになつた こと

,(2)村

請制 の も とで小農 民 を主体 とす る近世的 な共 同 体秩序 が形成 され た こ と

,(3)文

字文化 が村落 に も広 く深 く浸透 し

,か

つ幕藩権力の法度 支配 の もとで法文化 を受容 した こ と18」 の三点 を指摘 してい る。 村法 とは,「生産活動や生活秩序維持 を 目的 として

,用

水・ 山野 な どの生活諸条件 の利用 法 か ら 日常生活 の細部 にまで及 ぶ掟19」 で あ り

,違

反者 に対す る制裁 も取 り決 めてい る。 村法 の主 な内容 は,「公儀法度 の遵守 。村政 。年貢収納・父母への孝行・ 講 。入会 。村 の行 事・ 質素倹約 の励行・ 博 変の禁止 な ど20」 でぁ り

,水

本邦彦

(1993)は

,村

の制裁 を大 き く五つ示 してい る。要点を以下のよ うにま とめた21。

(20)

1)追

放刑 0家毀 ち 違反者 を村 か ら排 除す る追放刑 は中世以来 の伝 統的制裁 の一つ であるが

,近

世 の村 々に あつて もこの制裁 は広 く村掟 に掲 げ られ てお り

,盗

みな どの刑 事犯や

,村

の権益毀損者 に 適用 され ていた。 刑 事犯 に対す る追放刑 に類似 した制裁 として

,犯

人 の家 を壊す 「家毀 ち」が ある。 た と えば

,越

前伏石村や近江 中野村 では

,盗

み に対 して

,ま

た近江 中庄村では博 変に対 して, この家毀 ちの刑罰 を科 していた。

2)付

き合 い禁止 付 き合 い禁止 (いわゆる村人分22)も また

,村

掟 に しば しば挙 げ られ る制裁 の一つで あ る。 これ は

,一

般 的 に上述

1)の

村 の権益毀損者 の追放刑 に準ず る制裁 として発動 され る ことが多い。村が生産 。生活共同体であつた ことを反映 して

,村

掟 は

,村

の権益 を損な う 者 に対 して も厳 しい制裁 を用意 していた。

3)見

せ しめ刑 ・ 耳 を削ぎ追放 (盗み

,1721(享

6)年

,越

前六 呂師村23) ・ 坊主にな り三年間謹慎 (山荒 らし

,1823(文

6)年

,出

羽 山家村24) 。片髪剃 り落 とし赤頭 巾を着て葬式行列の前 に立つ (作荒 らし

,1833(天

4)年

,出

羽江俣村25) 。人前に出る時は赤頭 巾を被 る (作荒 らし

,1833(天

4)年

,陸

奥小 島村26) ・ 定 めの羽織 りを着て家毎 に謝 る (作荒 らし

,1842(天

13)年

,摂

津矢 問村等六 ヵ 村27) ・ 外 出の折 りは盗人札 を下 げて歩 く (作荒 らし

,1721(享

6)年

,摂

津小野原村28) ・橋 の上に‐ 日 '西 す (山荒 らし

,1649(慶

2)年

,越

前今泉村29) ・街道 に立てた柱 に縛 り付 け

,三

日間晒す (野荒 らし

,1867(慶

3)年

,上

野 曽木村 30) 水本

(1993)は

,「身体刑 を含む見せ しめ刑 は

,む

しろ公儀の刑罰の特徴なのだが

,こ

のよ うに

,村

掟にも数多 く挙げられている。(中略

)村

人分が村の 日常生活か らの排除であ るとすれば

,こ

の見せ しめ刑 は

,犯

人に特定の状態や異形を強制す ることによって

,一

般 村民か ら排除する制裁だ といえよ う31」 と述べている。

(21)

4)罰

金刑 村掟 に見 える制裁 の うち最 も一般的 な ものが,米銭や酒 な どを拠 出 させ る罰金刑 で ある。 これ は

,刑

事犯や規律違反 のいずれ に も適用 され てお り

,ま

た違反事項 と刑 量の対応 を示 した掟 も多い。

5)死

刑・ 氏神 の罰 な ど 近世 の村掟 の中には

,犯

人 の殺 害 を掲 げた もの も見 られ る。紀伊安楽川庄 の掟 では

,博

変宿 を した ものについて「打 ち殺 し」を宣言 してい る37。 また,宝 暦 ―天明期

(1751-1789)

の越後魚沼郡地域 の村掟では

,家

や 土蔵 に入 つた盗み に対 して

,費

巻 きに して川へ沈 める な どの死罪 を掲げている33。 しか し,この よ うな死刑 を掲 げた村掟 は全体的に少数 であ り , これ らは公儀 の刑罰 の影響 を受 けた

,や

や特異 の もの とい える。 神罰・ 仏罰 を掲 げた村掟 について

,た

とえば

,1663(寛

3)年

河 内軽墓村 で は,「博 変」「女房狂 い」「出火」 な ど

13ヵ

条 にわた る禁止事項 をあげ

,そ

れぞれ にっいての制裁 を記 した後,「其上氏神之御罰可蒙者也34」 としてぃ る。 氏神 の神前 で入札 を行い

,札

の多い者 を犯人 とす る盗犯・ 火付 け犯 の摘発法 も村 々で採 用 され た。 これ は中世の落書起請35に由来す るもので

,入

札 に際 して

,個

人 的な恨 みや依 惜贔員 のない よ う神仏 に起請文 の誓 い を立てた。神罰や仏罰 は

,こ

の よ うに近世の村 の制 裁 の外枠 を形作 つていた。 ところで

,近

世 の村 には

,二

種類 の法 が存在 し機能 していた。一つは

,上

述 の中世以来 の伝統的な慣習 に基づいて村 々が独 自に制定 した村掟 である。 も う一つ は

,公

儀権力 (幕 府・ 藩

)が

国家統治 を 目的 に発 した公儀 の法で ある。 この事実 は

,近

世社会特有 の法度 と 掟 の絡み合 いの発 生 を示 してい る。 これ らの関係 を水本

(1993)を

もとに考察 し

,幕

藩体 制 下 にお ける村法 の意義 を明 らか にす る。 ア 法 と村掟 の相互 関係

①小浜藩領若狭遠敷郡仏谷村の村掟

36 「若其者聞不 申候ハ ヽ

,時

之御奉行様へ 申上候 て如何様二 も可被仰付候」 ②武蔵忍藩領摂津豊島郡小野原村の村掟37 「御地頭様江被 申上

,如

何様 之 曲事 に も可被 仰付候 」

(22)

「史料①は,村掟 に従わぬ場合 には「時之御奉行様」に告発 されても可 とす る旨誓約 し, 史料②では,「御地頭様」への上申そのものも制裁の一つ としている。村掟における公儀文 言は,おおむねこの二つのタイプに分けることができ,いずれの場合 も

,公

儀への「依存」 を謳 つていることで共通 している38」 とし

,そ

の上で村掟の独 自性,自 律性,とかかる「依 存」について水本

(1993)は

,「 (前略

)こ

の 「依存」は

,公

儀の刑罰の部分的 「活用」 と 捉えることが適 当と考えられ る39」 と述べている。その理由として史料①は

,そ

こでの公 儀への告発は

,村

の制裁 を前提 とした上での威嚇文言 として掲げ られてお り

,ま

た史料② では

,第

一条 「家内土蔵財宝」以下は公儀へ告発 し

,第

二条 「山林竹木」以下は村で制裁 を加 える

,と

い うように

,村

の側が制裁の選択 を行つているか らである40。 それでは,「活用」 とはいつたい どの点においてであろ うか。以下の事例か ら検討する。

③1672(寛 文 12)年

堅海村源四郎らの詫び状

41 「い らいぬず ミ申付而ハ

,時

之御公儀様へ御 申被上御成敗 可被成候

,其

時一言 之御恨奉 申 上 間敷候」 ここでは,「も し今後盗み を働 いた場合 は

,公

儀 に告発 され成敗 され て も恨 み に思 わぬ」 としてお り

,公

儀へ の告発 は「成敗」と認識 され てい る。つ ま り

,村

掟 にお ける公儀 の「活 用」とは,「死刑 を頂点に編成 された公儀 の刑罰体系の厳刑 部分 に対 してであつた とい うこ とで あ り

,近

世 の村 々は

,時

としてその厳刑 を

,村

民 に対す る威嚇 として

,あ

るい は制裁 の一方法 として活用す ることがあつた2」 と述べ てお り

,こ

こに村 の 自律性 と公儀へ の依 存 を垣 間見 るこ とができる。 イ 村 の追放刑 について 村掟 は公儀 の刑罰 を一部活用す る性格 を持 つていた こ とを指摘 した。しか し:水 本(1993) は,「その基本 が独 自の制裁 にあつた以上

,多

くの制裁 は公儀 の法 に抵触す る。と りわ け追 放刑 は

,受

刑者 が村 か ら消失す る点で公儀 に最 も見 えやすい 「違法」行為 であるギ」 と述 べ た上で

,村

掟 に基づ き遂行 され た追放刑 は

,公

儀 との関係 で どの よ うに処理 され ていた か について,「公儀 の法 に抵触せ ぬ よ うな 「合法的」形態 を取 りつつ

,確

実 に執行 され てい た44」 としてお り

,以

下の犯罪事例 か ら検討す る。

(23)

1757(宝

7)年

丹後中郡奥大野村市右衛門女房ふ くによる稲盗みの犯罪事例45 十月

,市

右衛 門女房 ふ くが

,稲

木 に掛 け られ た稲 を少 し盗み

,番

人 に捕 え られ た。村 中評 定の結果

,先

例 の通 り村 か ら追放す ることになった。亭主市右衛 門 も同罪 となるベ き所

,次

右衛 門方 に奉公 中にて加担 してい ない との言 い訳 が立 ち

,彼

は許 された。 しか し

,家

は年貢の抵 当に入 り

,ま

た家財 は番人が取 り上 げることになった。 さてふ くの処 置 についてであるが

,追

放後 も暫 くは人別帳 に書 き加 えて置 き

,彼

女 の新住所 が決 まつ た時点で宗 旨送 り状 を発行す ることとした。なお

,今

後決 して村へ は立 ち戻 らせず

,村

に迷惑がかか らぬ よ うにす る旨の請 け合い証文 を

,兄

弟 か ら提 出 させ た。 水本

(1993)は

,「(前略

)ポ

イ ン トは

,暫

くは人別帳 に掲載 してお き

,新

住所 が決 定 し た段 階で宗 旨送 り状 を発行す るとしてい る点である。(中略)こ れが追放刑 の執行 を公儀 の 日か ら隠蔽す る操作 であつた ことは明 らかであろ う

8う

ま り

,実

際 は追放 なのだが

,そ

れ が公儀 に知れてはまずいので

,手

続 き上 は一般 の転居 と同 じ形 を とる とい う訳 である。(中 略

)ふ

くは こ うした 「合法 的」な処置 に よつて追放 され

,奥

大野村 は自らの制裁 を 「合法 的」 に貫徹 させた勺 と述べてい る。 ウ 公儀 の 「建前」 と「内証」 村掟 の貫徹 について水本

(1993)は

,「(前略

)自

らの法 に基づ く裁判 の実施 を回避 しよ うとす る公儀 自身 の姿勢 も二部 関係 していた。(中略

)す

なわ ち

,正

式 の告発 で あれ ば公儀 の裁判 によつて対応す るが

,内

々の報告や

,盗

み とわか らぬ形 での措置 に対 しては内証 に 対応 し黙認す る

,と

い う態度である47」 と述べ,「つ ま り

,藩

側 は

,な

るべ くな らば裁判 を 回避 したい とい う意 向を持 つていた。 これ はいわ ば公儀 の 「建前」 と 「内証」で ある侶」 としてい る。 それ では

,な

ぜ公儀 は 自らの法理 に反す る 「内証」 を認 めたのか。その理 由 として水本

(1993)は

,「「建前」 としての公儀の法は

,刑

罰権 の公儀 に よる掌握 を原則 とし

,私

的制 裁権 の否定 を謳 つてはいたが

,そ

の第一義的 目的が社会全体 の公共的秩序維持ではな く, 公儀 の威光維持 にあつたがゆえに

,そ

こに

,公

然化せ ぬ限 りにおいては内々の処理 を容認 す る とい う「内証」 の対応 が生 じたので ある49」 と述 べ てい る。 以上 の よ うに

,法

と村掟 の相互関係

,村

の追放刑 について

,公

儀 の 「建前」 と「内証 」 の二つ の角度か ら公儀 の法 と掟 との関係 にういて述べたが

,水

(1993)は

,以

下の二点 に要約 してい る50。

(1)(前

)近

世の村々は

,盗

みに対 して公儀 とは異なる法 。刑罰の体系を保持 してい たが

,公

儀の法が私的制裁 を禁 じていたため

,そ

の実現は常に「違法」行為 として罰せ られ

(24)

る危険を孝んでいた。 しか し

,追

放刑の事後処理方法が典型的に示す ように

,そ

れは公儀の 統治体系に抵触せぬ形を巧みに取 りなが ら

,厳

然 と遂行 されていた。

(2)両

者の基本的関係 は

,(1)の

ごとき対立の両側面において存在 したが, しか し部 分的には両者は相互に依存 じあらてぃた。村の側か らいえば

,公

儀の刑罰体系の部分的活用 がそれであ り

,逆

に公儀の側は 「内証」の場面において村の制裁に依存 していた。 近世農民生活の規範 として機能 していた村掟 は

,18世

紀 の後 半 を画期 に

,徐

々に変化す る。この変化 は

,掟

の母体である村 の分化 を反映 して多方面 にわた るが

,水

本 (1993)は, 「村掟の公儀へのもたれ こみの増加 と村連合掟 の形成51」 の二点 を指摘 してい る。 近世後期 の村掟 の特徴 の一つ は,刑罰 な どにお ける公儀権力へ の告発増加 の傾 向で ある。 次 に示す近江湖東地域 の掟 は

,こ

の傾 向を如実 に表 してい る。

818(文

15)年

中在 ・ 盗み を した者 は上様 に訴 える。 ・ 野荒 らしを した者 も同様。 水本 (1993)は

,公

儀権力へ の告発 の増加 の背景 について,「(前略

)農

民の階層分化 と, それ に伴 う社会の流動化があつた。地域的な差 はある とはいえ

,お

おむね

18世

紀 の後半 を画期 に近世の村 々は

,一

方 で

,そ

れ まで蓄 え られた富をテ コに富裕化 し

,各

種 の商品経 済 にタ ッチす る農 民 と

,他

,小

作・ 貧農化 し

,あ

るいは離村 して無宿・非人化す る農民 に分化 し始 める53」 と述べ てい る。

(4)町

法 京都 。奈 良・堺 な どでは中世後期 に町共 同体 が形成 され てお り

,近

世初期 に 「公儀」権 力 に よ り都市行政 の末端機構 として公認 され るに至 った。朝尾 直弘

(2004)に

よれ ば

,町

とは,「京都の商業活動の中心 となる地区において,住 民みずか らの生活を守るため,自治 。 自衛 。相互扶助の組織 として形成 された。すなわち

,彼

らが店舗 を並べている道路をあい だにはさんで

,両

側に軒をつ らねる彼 らの家屋敷をひ とつの単位 としてま とめた地縁的な 組織である54」 と定義づけている。また,「(前

)動

産を安全に保障できる金融組織 も十 分に発達 していなかった。 このため

,彼

らにとって最大の資本は となったのが家屋敷 と道 具類である55」 と町の性格 を述べている。 そ して

,町

の自治を象徴するものとして挙げることができるのは

,自

治立法の町法 (町

(25)

56 「第‐に家屋敷の売買, したがつて町の構成員の決定 。加入をめぐることが らで

,町

の性 格か らして も

,こ

の問題は最 も重要であ り

,初

期か ら規定がみ られ る。一般 に

,家

屋敷を購 入 し町に加入 を認 められたものは

,購

入代銀の五

%を

標準 とす る貨幣 を町に支払い

,他

に加 入のための諸儀礼費用を支払わねばな らなかつた。町中の許可なく売買す ることは認 められ ず

,成

員の決定権 は町中にあつた。町 ごとに職商規制があ り

,特

定の職業や賤民等の居住 を 禁 じたものがある。第二に,町内における成年 。婚姻 。相続・隠居等の諸儀礼を定めている。 これは広 くいえば成員の交替

,成

員候補者の決定

,町

によるそれ らの認定にかんす ることが らで

,半

,通

過儀礼の性質 も兼ねていた。第二に

,町

の 自治機 関にかんす る規定である。 一般に

,年

寄 とよばれ る役人を成員の輪番で一両名選出 し

,町

の世話役

,代

表 とし

,そ

の礼 銭 を定めるのがふつ うである。 このほか

,用

,番

人な どの規定がある。また

,成

員集会の 決議 は多数決原理 を採用 していた。第四に

,借

家 と借家人の統制にかんす ることが らで

,こ

れは原則 として家主である家持町人の責任が強調 されるほか

,借

家人の人柄 を保証す る請人 の地位 も重視 された。」 服藤

(1980)は

,「町人 に対 しては

,婚

,相

続 な ど身分行為 につ き

,原

則 として何 ら 規制 も加 え られ なかった こ とは勿論

,請

,頼

母子 の ご とき投機 的取引

,さ

らには遊廓ヘ 出入

,芝

居見物な ども許 され

,百

,武

家 とは比較 にな らない放任 の状態 におかれ た57」 と述べてい る。 しか し,「町人 が全 く自由で あったわけではない。町人 と雖 も

,武

,百

姓 に悪影響 を与 え,彼らを蔑 ろにす るが ご とき行為 は,厳重 に取 り締 られ た。衣食住 につ き, 武 士 を凌駕す るが ご とき奢修 は禁ぜ られ

,ま

た商行為 について も

,あ

くまで社会 にお よば さない限度内

,否 ,積

極 的 に

,恩

沢 を蒙 り生活 を保護 され てい る武 士 に奉仕す る とい う条 件 の もとに

,は

じめてそれ が認 め られた58」 としてぉ り

,利

潤追求行為 が認 め られ た とは い え厳 しい条件の下

,町

人 は必需物資 の交易 に携 わ るこ とによ り

,は

じめて幕藩制国家で の存在意義が認 め られたのである。

(5)賤

民法 塚 田孝

(1992)は

,「弾左衛 門支配 下 の支配秩序 の基本 を規定 していたのは

,組

下 (え た身分)。 手下 (非人身分

)そ

れぞれ に

,毎

年作成 され る小頭宛 の年証文で ある。小頭 は こ れ を踏 まえて

,年

始礼59に出府 した際 に弾左衛 門宛 に 自らの年証文 を提 出す るので ある60」 と賤民支配秩序の基本 を述べてい る。 そ して

,賤

民身分 にお ける法 の遵守 について は,「弾左衛 門支配下 の者 た ち も,「従 御 公儀様被 仰 出候条 目」

=幕

府法 を遵守すべ き こ とはい うまで もない。 この こ とは

,幕

府 法 が身分 内法 の大枠 を規定 してい るこ とを示す とともに

,幕

府法 の遵守 が身分 内法 におい

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