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アジアの動向 インドシナ 1966

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(1)

アジアの動向 インドシナ 1966

著者

アジア経済研究所

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

シリーズタイトル

アジア動向年報

雑誌名

アジアの動向1966年版

発行年

1966

出版者

アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00052007

(2)

N n M m v い , H h h

r ぃ − − a − 司 川 r ・ ・ ・ ・ r ・ ・ 2 ・ m 静 内 ・ , , 機 内 山 内 問 即 日 N Hい ん 起訴 続 犠 務 部 絞 り ・ 一 日 J L . 陣 I

インドシナ

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2

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6

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ア ジ ア 経 済 研 究 所

(3)

イ ン ド シ ナ / 糸 賀 滋

この「アジアの動向

J

く国別シリーズ)

1

9

6

6

年は,月刊「アジ

アの動向

J

を各国別に

1

冊にまとめ.総目次

1

9

6

6

年の回顧.

年表を追録したものです。

アジア諸国の政治

経済の動きを適確に把握する基礎資料と

して,月刊

アジアの動向

j

とあわせてご利用

ださい。

(4)

1966

年の回顧..

.

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.

.(

i ) 年 表 (1966年〉......................................................折込

〔解説事項〕

南ベトナム仏教徒の反政府運動(4月) .•••.••••••.•••.• •••..•.••..••••...•• ,55

要事項〕

66年度予算( 1月) アメリカの和平攻勢と北爆再開

C

1月) ... 3 アメリカのベトナム予算( 1月) ...3 アメリカ・南ベトナム両国首脳会談 c2丹) .• ••••.•.•.•.••••.•.••.•.•••••.••. 23 内閣改造(2月) ...•..• , ...••••• , •.••• •••.••.••••••••.••...•••••..••••• ,24 1月の物価指数(2月) .•••.••••••••••.••••.•••.••••••..•.•..••.•..••••••.• 25 反政府運動続く(4月) •.•.•.•••.•••.•••••...•••••.••..•••.•....•.••.•••• 58 3月の物価指数(4月) •.•.•••.•••••.•••••..•.••••.•••.•••.•.••••.•••.•.••. 60

国立銀行主要勘定

3月31日現在(4月) •.•.••...••.•.•.•.•.•.•• ••••.•.•..•. 60

4

月の物価指数(

5

月) ••.•...••••..••..•••...•.••..••...•••.••.••.••..•.•. 76 米機,ハノイ,ハイフォンを爆撃( 6・7月) •...•••.•.•••.•.•.••••••.•....•. 93 内閣改造(

6

7

月) ,95 ピアストノレ切下げと輸入害1]当て制廃止(6・7月) •.•••.•.•••••.••••••.••••.. -96 5, 6月の物価指数(6

7月) ..••..•.•••...•••...•.•.•• •.•.••••••.•.•..•• 97 カンボジアの1966年前半期の経済事情(6・7月) •.••...••.•.•••••..••.•.. ,98 非武装地帯付近の戦闘(8月) ..•...•.•••.••••..•••..••...•.•.•..••..•.... 125 7月の物価指数(8月) •••••.•••..••.. •.••.•.•••.•.•.•••••••...•••..••••• 126 カンボジア,フランス共同声明(8月) ....•••...•••.•.•.•.•.•.•.•.••.••.•. 127 制憲議会選挙(9月) .••••..••.••.•.••••••..•••••••••.••..•...••... 143 8月の物価指数(9月〉 ................ゐ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・145 カンボジアの1966

67年度農業展望(9月) ・ • • ・ • ・ • ・ • ・ • ・ • ・ ・ • ...••.••.••... 145 マクナマラ長官の南ベトナム訪問(10月) .•••...•...•.••••.•..•. 171 マニラ会議(10月) .•...•...•....••...•.•.•..•...••..• 171 内閣危機(10月) ....•.•...•...•...•...•...•...•..•.•.•.... 175 - 1ー

(5)

目 次 非武装地帯付近の戦闘(10月) ...•.•.•...•.••...•... 175 9月の物価指数(10月) ....•...•...•...•....•.•...• 176 米,ベトナム戦統計を公表(10月) ....•...••..•...•..•... 176 カンボジア LonNol内閣成立(10月)...•.•..•..•...•... 177 カンボジアの1966∼67年度の米価 (10月) ...•...•....•... 178 ラオス政権諸勢力の現状(10月) ...•...••...•... 179 軍人事移動(11月) ...•...••...•..•.... 210 内閣改造(11月) ..•...•...•.... 210 革命開発予算(11月) ...••.•.•...•...•.•...•....•... 211 10月の物価指数(11月) ....•...•.•...•...•...•.... 211 カンボジア国立銀行主要勘定(11月) ...•... 212 制憲議会の動き(12月) ...•..•...•...•.•... 237 67年地方再建計画(12月) ..••.•... • ...••...•... 237 草命開発予算(12月) ...•••....•...•.•...•....•... 238 11月の物価指数(12月) ...•...•...•...•.... 238 ノ、ノイにベトコン代表部設置(12月) ...•...• 237 シアヌーク殿下の年末経済報告(12月) •...•... 240 カンボジア国立銀行主要勘定(12月) ... 241

南ベトナム目

ベトコン声明,アメリカの和平工作を非難(1月) ....•....•....•... 6 12月の物価指数( 1月) •...•...•..•.•... 8 国立銀行, 1965年12月31日現在の主要勘定を発表( 1月) ..•...•... 9 2月の物価指数( 3月) ...•... 41 各戦術区有権者数(5月) ...•... 81 チュー,キ両氏再任,国家指導委民間代表10人決定( 6

7月) ・ ・ ・ ・, ・ ... 102 国立銀行主要勘定, 6月30日現在( 6

7月) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ .•. ・ ...105 米人捕虜問題に対する北ベトナムの態度( 6

7月) ...•....•... 108 米共和党の姿勢( 9月) ...•...•...•...•... 152 ゴーノレドパーグ、米国連代表演説( 9月) ...•...•... 154 先週の米軍死傷者,政府軍の 3倍( 9月) ..•... 156 メコン河洪水による被害( 9月) ...•. 158 2

(6)

-目 次 9月30日現在国立銀行主要勘定( 9月〉...............................;.パ・ 158 ロッジ米大使語る(12月) ..., ... 243

カンボジア

カンボジア,シアヌーク元首とマンスフィーノレド米上院議員の会見内容を 発表( 1月) •...•.•...•...•...•.... 14 カンボジア,陸海空の交通網拡張を発表( 2月) ...•...•. 29 カンボジア国会,新年度の暫定予算を承認、 (2月) ...•... 33 カンボジア政府, 1966年度輸出入計画を発表( 2月) •...•.•...•...•..•....•.•. 34 Y連の新軍事経済援助( 3月)..............................パ...49 林業水利局,農林業地面積の統計を発表( 5月) ...•...•....••... 85 シアヌーク元首,外交政策を説明( 5月) .•....•...•...•.•..•..•.••.•...•. 85 自由クメーノレ分子の情況(5月〉 ..•.•....•..•••.•.••... 87 カンボジア在住外人の納税額( 5月) .•...•...•...•.•...•..•... 88 シアヌーク元首,外国のカンボジア外交政策に対する誤解を批判( 6 ・7月) .. 114 Kantul首相,海空港軍営の発展を報告( 6・7月) ...•...•.•.•....•....•. 119 シアヌーク元首,東西ブロックの保障のもとにインドシナ中立化を構想、( 8月).. 140 カンボジア国民議会の総選挙( 9月) ...•...•...•...•... 161 1966年度 7月までの貿易事情( 9月) ...•....••...•...•...•... 163 ソ連北ベトナム援助協定に調印(10月) ..•...•....•.•.•... 183 英外相が平和提案(10月) .•.•.•.•..•...•.•...•..•..•.•...•..••..•...•. 185 非同盟 3国首脳共同コミュニケ(10月) •.•....• ; ...•.•.•....•...•... 194 シアヌ}ク元首,インドシナ問題に対する朝日新聞社の質問状に回答(10月) .. 200 Lon Nol将軍の新内閣内定(10月) ...•...•...•. •...•... 201 民族社会共同党,新政府監視の機関を設置く10月) . ・ •...•.. 203 新国会役員を選出(10月) .••••....•...••...•.•.•.•...•...•. 204

オス日

ラオス政府,ハノイ政府を非難( 3月) ...•.•.•...•..•... 52 ラオス国家予算( 5月) ..•...••...•...•... 90 パテト ・ラオ,ラオス右派内部の勢力争いを指摘( 6 ・7月) ..•... 120 ラオス国防省コミュニケ( 9月) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ • ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ...•.. 167 3

(7)

-7 ’ に U 巧 ・ 4 QU ハ v n U 1 ム 円 ゐ n G 、 ‘ , ノ 、 、 , , , 、 、 , ノ 月 月 丹

F A U n U E ‘ 唱 i

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済 民 ク 経 国 で ス ス ス 目 オ オ オ − フ − フ 一 フ - 4ー

(8)

イ ン ド シ ナ

1

966

年 の 回 顧

6

5

1

2

月から

6

6

1

月にかけて休戦,北爆停止下に行なわれたアメリカ政

府の和平攻勢が明らかにしたものは,アメリカ政府の見解ーベトコンは北ベ

トナムの手先であり.北の侵略を阻止せねばならぬことーーに変化はなく,

和平の条件がゴーノレドパーグ提案として出されはしたが,その内容は従来の

立場をくり返したにすぎぬ事であった。これに対し北ベトナム,ベトコンは

拒否声明を発表,米の熱意を認めたイギリスの対ソ働きかけ(ジュネ

ブ会

議召集提案〉に対し,ソ連はシェレーピン代表団をハノイに送って軍事経済

援助強化を明らかにした。こうした事から予想された事態は米軍事作戦の一

層のエスカレーションであった。米軍は

1

3

1

日北爆を再開した。

米上院のベトナム論議では,政府の方針に対する批判がこれまでになくも

りあがった。ベトコンの発言権を認めるべしとの芦,エスカレーションは中

共介入を招く.沿岸拠点防衛にもどれとの声など,ノ\ト派の声ばかり目立つ

ては30

万の米軍とこれに支えられたサイゴン政府の士気に影響する所が大き

い。上院諮問委員会をおいて,米政府首脳はホノノレノレで、の米

南ベトナム首

脳会議にのぞみ,南ベトナム政府支援の決意をあらためて示した。ホノルル

宣言はいわゆる民生安定計画なるものを打ち出し,軍事作戦の拡大と同時に

民心掌握のための諸活動が必要である事を述べ,軍事のみならず政治経済社

会全面にわたる米のテコ入れをはかり,キ政府の課題として社会的不平等の

除去,経済安定化,民主主義建設があげられた。

米政府の支持を得たキ首相は中央権力の強化にのり出した。各軍団長の外

様大名的存在をくずすべくまず第 1軍団長グエン

チャン・チ将軍が解任さ

れたが,これは中部 2個師団の抵抗を招き,ユエ,ダナンでは軍人,仏教徒,

学生,市民が結束して反政府運動を起こした。これには中部が歴史的にも民

族主義の色彩と反サイゴンの風潮が強いこと,経済的に外部に依存している

中部の利益が無視されがちなこと,米軍の作戦が主として中部で行なわれて

いることなどの事情があった。キ首相は米の援助のもとにいち早く強圧措置

- 21- 一− 1

(9)

-イ ン ド シ ナ

に出た。北の出身であるキ将軍を米国が選んだ事は反共戦遂行上の理由によ

るものであろうが,ゴ・ジン・ジェム時代の再来を恐れた仏教徒らはパックに

グェン・ノ〈ン・チュー議長(カトリック〉のいる事を非難し,キ政権打倒、

民政移管の要求をかかげて闘争を展開,文民政府要求のデモは大衆の支持を

得,ジョンソンのいいなりになるな,基地売渡し反対,物価上昇による生活

苦の訴えなどの声が聞かれた。大衆の反戦ムードがベトコンとの和平政権の

要求に発展する事はキ首相・米政府の最も恐れる事であり,キ首相は反政府

派の分裂に乗じて妥協策を示したがいずれも現軍事政権の権力を弱めるもの

ではなかった。国家指導委に文民代表10

人を加えたが統一仏教協会の認める

代表は含まれず,軍民評議会の設置も単なる諮問機関にすぎず,制憲議会選

挙について当初の要求は国民議会であった。

制憲議会選挙は

9

月に実施され80%

という超高投票率と,ベトコンの妨害

を排して成功を収めた事に,アメリカおよび南ベトナム政府は満足の意を示

した。立候補制限と投票に際しての不正行為で,民主化への第一歩としては

疑問が多いがともかく制憲議会の発足で民間政治家に発言の場が与えられる

事になった。

ホノノレノレ会議のもう一つの課題である経済安定化についてはオ・チヨン・

タン経済相(

2

月就任〉のもとに,いくつかのインフレ対策が実施された。

66

年の予算550

億ピアストノレ(当初見込,その後10

月の予想では600

Pを上

廻る〉の内軍支出が350

Pを占め,収入面では財政収入(半分が関税) 180

P

アメリカ援助200

P

残り

170

P

は国立銀行からの借入れでまかなわれ

る。軍事支出の膨張と物資不足によるインフレは引き続いている。アメリカ

からの援助による緊急輸入で物価騰貴をおさえる事が経済政策の唯一の決め

手だがF

相つぐ米軍増強,難民の増大66

年末168

万人,輸入をめぐる投機的行

為,サイゴン港の混雑,軍事物資優先などインフレ要因は数えきれない。タ

ン経済相は

3

月来大量の外貨放出による輸入品増と輸入税強化,輸入積立金

サイゴン勤労階級消費者物価指数(1949

100)

一一_

10月|吋 間 一般食品同

I

40.,

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35.3| 戸!438. 9!456.

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一一 11 -n L 叶 , , 臼

(10)

イ ン ド シ ナ

の採用,サイゴン港拡張工事,悪徳商人の摘発で物資の円滑な供給をはかり,

更に

6

月に入って官吏

軍人の給与引上げ, ピアストノレ切下げ

輸入統制撤

廃を打ち出した。為替レートは従来公定で

1

ドル=

3

5

ピアストル,輸出入取

引は60p

,公設自由市場で

73.5p

,軍票交換レート

118p

,ヤミレート

2

1

0

2

4

0

p

であったが,

1

ドノレ=

80p

に輸出入税

35p

を加え

1

ドノレ=

118p

と軍票レ

ートに統一された。これにより一応物価上昇は小康を保ったものの,

1

0

月に

入って再び食料品を中心に値上がりが激しくなった。物価騰貴の懸念は特に

米について深刻なものがある。 9月末デノレタの洪水は穀倉地帯の泌を水びた

しにし,米作地帯での軍事作戦がふえたため農民は避難民収容所に移され,

6

6

年の米輸入量は主としてアメリカから

4

7

万トンと昨年の倍にのぼった。

山岳地帯に基地を設けた米第 1騎兵師団はキニヨン,アンケ,プレークを

結ぶ国道

1

9

号線を確保すベく機動的作戦を展開した。また海兵隊は中部沿岸

地区での掃討作戦を行なった,カンチ省

1

7

°

線非武装地帯南には海兵隊が進駐

した。これらはベトコンの雨季攻勢,北ベトナム軍の浸透に対処して行なわ

れたものだが,ベトコン部隊の捕促には成功せず,米軍は山岳少数民族の抵

抗,ゲリラの活動に悩まされた。第

l

軍管区の海兵隊

5

万9

0

0

0

人の半数がせ

ん滅され政府軍は戦線から脱落し

第 2軍管区から韓国軍がまわされた。政

府軍が戦線から全く脱落したこと,ベトコンを捕促できぬまま戦線の拡大掃

討作戦の大規模化を余儀なくされていること,米軍死傷者が週

1

0

0

0

人近くに

達している(ベトコン非公式発表では年間米兵1

1

万人をせん滅〉ことから米

軍の人的補給は昨年にましてはげしく,月平均

1

7

0

0

0

人にのぼっている。

空爆の強化

F

増派,物資補給のため

6

7

年度の米軍のベトナム戦費は当初予算

1

0

7

億ドルから

2

0

0

億ドルにまで増額される見通しである。

南での作戦強化と同時に米政府の関心は北の態度に向けられている。カナ

ダ特使のもたらした報告が悲観的であった事からジョンソン大統領は

6

30

日聖域爆撃を認めた,但し国際世論特に中・ソの態度を考慮して軍事目標に

限定された,ホ一大統領は

7

月1

7

日独立以来の経済建設が破壊される事をも

覚悟して

1

0

2

0

年の戦いを続けるとの歴史的アピールを行なった。

1

0

日のマニラ会議のねらいはアメリカの政治的,経済的,軍事的負担の増

加と戦場の拡大に直面して,参戦各国が「アメリカの戦争」目的を確認し支

q o n J “ 111

(11)

イ ン ド シ ナ

援を強める事にあ

た。キ首相は,

「北ベトナム軍およびその手先であるベ

トコン幹部は北へ引き揚げよ」と述べた

D

アメリカ政府の和戦両面作戦とは

即ち南ベトナム掃討作戦を行ない北ベトナムに爆撃で交渉をせまる事に他な

らない。こうした軍事強化にも拘らず北の態度が硬化したことから南での掃

討強化,キ政権の強化に重点をおく外ないわけだが, 66

年後半になってベト

コンが掃討部隊への奇襲,基地砲撃,サイゴン砲撃など,攻撃を強化してい

ることから米軍は苦境に立たされている

o

一方サイゴン政府による平定計画

の失敗,政府軍の逃亡く1

6

万人〉,米軍との対立,市民の反政府,反戦,反米

デモなどに見られる如くベトコンとの対決を迫られているギ政権の見通しは

決して明かるくない。

北ベトナム軍の動きが米政府の最大関心事だが,北ベトナム政府はジュネ

ーブ協定尊重とベトコンの政、治的立場を弱めないようにとの配慮から南への

派兵を公式に認めていない,むしろベトコンの兵力が強化されてきたことを

米政府は認めている。

12

月にべトコン代表部がハノイに設置されハノイ政府

はベトコンを南の唯一の正当な代表として迎え入れた。ベトコンはマニラ会

議後の米軍の第 2期乾期攻勢, 68

年の米大統領選を控えた米軍のエスカレー

ションを前に,あらためて米軍への徹底抗戦を決意し組織強化をはかってい

るようだ。

−・ lV−ー - 24ー

(12)

イ ン ド シ ナ

1

月 の 概況 アメリカの国際的和平工作の展開は各国の利害がからんで複雑化したが, ベトコン,ハノイの基本的考え方を明らかにしたにとどまった。 アメリカ軍はサイゴン北西,中部海岸地区などで、五つの作戦を展開したが, 成果を見せていなャ。ベトコンは中部海岸での攻撃以外大規模な反撃を控え ているようである。 キ首相は施政演説で政権の強化安定への意欲を見せ,アメリカをはじめと する各国の和平工作に不満の意さえ示した。現地では戦争拡大との見方が一 般的であり,グエン ・ノ〈ンチュー元首の米,政府軍機によるラオス爆撃を認、 める発言などもあって,アメリカは和戦両様に構えてはいるが,事態は戦争 拡大の傾向を示している。

.

6

6

年度予算 政府は14日付で1966年度の予算を発表した。総額550億ピアストノレで'25の項目に支 出される。国防,農村再.建に3切億ピアストノレ(全体の63.63%),開発費41億ピアス トノレ,内務省関係33億ピアストル,教育,文化,社会活動費27億ピアス トノレ。 歳入は関税その他で180億ピアストノレ, アメリカの援助による見返り資金が200億ピ アストノレ,中央銀行からの借入れ金170億ピアストノレが予定されている。 支出項目 (1,000ピアストノレ〉 1.執 政 府 30,000 2.国家安全保障会議 3.経済,社会会議 4.最 高 裁 判 所 5.総 理 府 6.副 総 理 府 7.外 務 省 470,000 10,000 8.法 務 省 245,000 145,000 内 ム 一( 1 )ー

(13)

イ ン ド シ ナ (1

9.戦 争 , 再 建 省 10. 心 理 戦 争

1

1

'

11.内 務 庁 12.背 {

f

.

1・

i

て 13. 農 村 再 建

f

r

14.公 共 事 業

f

r

15.文 化 教 育 省 16.保 健 17.

{動 18. 社 会 活 動 J'i 19.財 政 , 経 済 省 20.

J

t

政 斤2 21.農 業 22. j長 岡 山 賀 ’ 23.

I

銅 発 費 24.経 常 費(民間〉 25. II (軍事〉 歳入項目 1.直 手見 2.閥 接 税 3. 関 税 4.’ 店 業 益 金 5.登記収入印紙税 6.郵便切手,電報,電信・の収入 7.農 林 省 収 入 8.保 健 省 II 9.教 育 省 庁 10.法 務 省 II 11.内務,経済,外務省収入 12. 雑 13. 返還,払戻し,協力基金 14.特 別 収 入 一( 2 )ー 2 8 -35,0α入000 700,000 3,300,000 400,000 33,000 1,380,000 立.700,000 l,16fi,OOO 50,000 480,000 1,183,000 480.000 412,000 2,417,α旧 4,100,000 ハ U A u n v A U H υ n υ n υ n u n u n U A υ n u n u n υ 5 0 0 2 0 0 0 0 0 0 5 0 3 5 ミ ハ υ n u n u n U に U A U n u n U 1 4 F h d n U 可 i 唱 i 8 2 3 3 0 7 4 4 4 5 4 9 5 0 q o ウ d p O H b p o n v Q U q ο 1 ょ っ ゐ 氏 U q O に U 1 ム ヴ 4 内 4 ハ u n v Q U 1 A 氏 V つ ’ M に U T ム 円 L 司 i 内 φ ’ よ

(14)

15. 予備金の引出し 16. アメリカの援助による見返り資金 17. 借 入 れ 金 18.経 常(民間〉 イ ン ド シ ナ ( 1月〉 100,000 20,000,000 17,000,000 19. 胃 (軍事)

φ

アメリ力の和平攻勢と北爆再開 北爆停止を背箆:としたアメリカの和平攻勢が続いている。梅東訪問から帰悶したハ ンフリー副大統領は 3日,各国に手交したアメリカ政府覚書を公表したが, 14項|司か ら成るその内科は,無条件討議を呼びかけた従来の基本的立場を繰り返している。と のような和平提案に対し,北ベトナム,ベトコン共に拒否声明を発表し,アメリカが 北ベトナム,ベトコンの条件履行を具体的行動で示すよう主張した。 昨年北燥でハノイをおどすことに失敗したアメリカは, 国際的働きかけに期待して 昨年末再び北爆を停止し外交工作をひろげた。ポーランド,インド,アラブ連合など を訪問したハリマン移動大使によれば, 「北爆停止によって話し合いの道が開けると 主張する国が対象jとなった。国連筋からの情報では,ユーゴ,アラブ連合,アノレジ ェ等が交渉実現への協力に同意したようだが, 24日アラブ連合大使館は,北ベトナム がアメリカとの交渉を拒否したと発表した。 13日,ハンフリー・コスイギン会談があ り, ハノイに対するソ連の働きかけを期待してシェレーピンのハノイ訪問が注目され たが,発表された声明,ソ連紙の評価からみて,和平に乗り出す余地がないものと判 断したようであるo ホー ・チ・ミン大統領は24日付で中国,ソ連をはじめ各国に書:簡 を送り, 「ベトナム人民は誰よりも平和を切望しているが,真の平和は決して真の独 立を離れるものでなく,米軍がわが領土に駐留する限り,断

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これと戦う」と述べた。 今

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豆!の外交工作は, ベトナム問題の国際的解決が‘アメリカの;怠・のままには行かぬこ と,北爆停止を武器としても兄込みがないことを教え, アメリカの立場をー

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脅苦しく した。 31日アメリカは,多数の国の反対があったにもかかわらず北爆を再開した。当面\ アメリカのベトナム政策は,南ベトナムに於ける切迫した諸要請に対処して行かなけ ればならないだろう。

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アメリ力のベトナム予算 1月B日,ジョンソン大統似は 円 可 d

一(3 )ー

(15)

インドシナ (1

の中心課題とみなしているととを示し, 19日, 127億6071万9000ドノレの追加予算を議会 に要請した。との内,国防総省関係は123億5000万ドノレで,内訳は当座の武器・弾薬に 40億ドノレ,ヘリ コプター,戦闘機,軍艦などに80億ドノレ, 南ベトナム政府軍および同 盟国軍の直接軍事費 2億ドノレである。 マクナマラ長官の説明によれば,軍人11万3000 人,軍属 9万4000人が上回強される。米軍当局から流された明年度の計画によれば.,現 在のベトナム投入兵力19万(約3個師強〉を 5個師強にまで増強するはずで,従って, 本年夏までに'27万,来年までには32万まで憎強する体制を整えるという。 …方,追加予算のj去り 4億1500万ド/レ余りが|到際開発局(八

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)関係で, 2億7500万 ドルがベトナム関係となり,今年度予算 2億5500万ドルに加わる。 この内l億7500万ドノレは食料などの輸入に, 1億ドソレは農村再建計闘に向けられる。 米政府当局は12日,長期的な農村平定計画として地方再建計繭なるものを発表してし、 るが,これはベトコンの攻撃が言語

ν

、村落に, 特SJIHζ訓練された南ベトナム青年の専門 家チームを配属し,ベトコン組織の排除,地方自治組織の育成,教育,保健,農作業・ 釦の援助などをはかるものである。 ベトナム戦費の士国大を反映して, 24t:f提出された予算教書は, 昨年とは一変して

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事優先となり,ベトナム特別費は66年度の 47億ドノレから 67年度 105億ドルへと倍増し た。 国防費の増加とジョンソン政権の公約である偉大な社会実現のための支出にはさま れ, しかも昨年夏からの物価上昇への対策も含めて,予算の作成は慎重を極めたよう だが,すでに一部の物価上昇,労働力不足などにその矛盾を見せている。 しかも南ベ トナム経済の葱イじに直面して, アメ リカの払う犠牲は拡大する一方であるO

南ベトナム日誌

C

1

3 日 , Fulroの活動ーーサイゴン北方中部山岳地帯のフボン省省都ノ\ワポンで,約 1000人の山岳部族がデモ行進をして Fulroを合法的政党として認めるとともに, 山岳地帯の政j向日iトt司令官ピン・ロック少将を免職するよう米軍に要求した。 Vアメリ力14項目の提案一一ー昨年末から日本,台湾,韓国などを訪問していた ハンフリー米副大統領が帰国し,各

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に手交した14項目の米政府党書を発表した。 ' 3大陸人民連帯会議,ベトナム人民の闘争を支持ーーハパナで‘3大陸人民連 帯会議が開かれ,大会話I]議長にベトコン代表が選ばれた。ベトコンおよび北ベト 一( 4 )- u q ハυ

(16)

インドシ ナ (1月〉 ナム代表は特別演説を行ない,各国代表はベトナム人民の闘争に支持を与えた。 15日の最終会議室はベトナムをはじめ各地の反帝国主義,民族解放闘争の支持を決 議し,支援委員会を設置した。 Vショーベjし報告発表 (Figaro紙)。 4 日 v綿糸の放出一一経済省は1月4日付けのコミュニケで,工業局は《戦略備蓄》 の名目で、綿糸の注文を受けつけていることを明らかにした。 1965年末までに150 件の注文(綿糸口万2917トン〉がなされたが,工業局はなお7083トンを保有して いる。 v北ベトナム,アメリ力の和平工作を拒否一一一北ベトナム外務省スポークスマ ンは, アメ リカの和平工作を非難して次のような声明を発表した。 アメリカ政府は外国に接近するために使節を送り,実際は古いテーマの繰返 しにすぎない新たな提案を行なった。アメリカはベトコンを承認することをい まだに拒否しているが,ベトコンは南ベトナム人民の唯一の真の代表であり, 米帝国主義者と侵略戦争に反対する彼らの戦いの指導.者である。 米国政府がベトナム民主共和国の4項目の立場を受諾し,これを実際の行為 によって立証し,無条件かつ恒久的にベトナム民主共和国に対する空爆とその 他すべてのこの種の戦争行為を停止したときにだけ,ベトナム問題の政治的解 決を考えることができる。 V月末にはサイゴンの停電解消一一公共事業省電力部門の監替技師は,この月 末にはサイゴンの電力配給が正常に復するだろうと述べた。 Thu・Dueのベトナ ム最大の工場(3万3000kw生産〉は既に完成し,まもなく操業を開始する。こ れによってサイゴン地区の電力総生産高は9万kwをこえ,同地区の消費量に見 合うことになる。 5 日 V商品輸入援助倍増− DavidBellアメリカ開発局長官はサイゴン訪問を終え るにあたって,次のように語った。 現在の調子でいけば,今年のアメリカによる商品輸入援助は65年度の2倍に 達するであろう。また,技術援助も増大するであろう。 65年度の商品輸入援助 は約2億ドノレ,技術援助は1億3000万ドルであった。 , 200ピアストJt..紙幣発行。 V首都地区の予算一一首都の66年度予算は総額7億7100万ピアストノレで,昨年 に比して一部税収増加のため, 5100万ピアストノレ増加した。歳出の面では教育, 衛生に重点がおかれている。 - 31 - 一(5 )一

(17)

インドシナ (1月〉 ,予備役召集せず一一国防省コミュニケは, Thu・Dueの第12期生予備将校が 65. 12.

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の動員解除前に休暇を得たことを発表し,彼らが動員解除後数ヵ

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で召集されるというI噂を否定した。

v

昨年のアメリ力軍死者一一アメリカ脳防総省の発表によると,昨年の米軍人 死者は1365人で, 64年の9倍以上に達した。 6 日 ’タイより豚輸入一一経済局はクイより 6000頭の豚を 4li:11にわけで輸入すると 。発表。第1四分1000頭は15日サイゴ、ンに到着の予定で‘ある。 ’ベトコンのクァンガイ攻勢一一ー先月以来,

1

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部ベトナムのクァンガイ市南方 でのベトコンの政府軍基地に対する攻撃が激しく, 6日にはクァンガイ市南方16 kmのコンホア基地を占領した。 7 日 Vベトコン声明,アメリカの和平工作を非難一一雨ベトナム解放民族戦線中央 委員会は, 5日付の声明を発表して次のように述べた。 アメリカ帝国主義のいわゆる 「平和への努力」 「無条件討議

J

の本質は,ベ トナム人民に武器を捨てさせ,アメリカの南ベトナム占領に同意させようとす るものであり,ベトナムを長期にわたって分割し,54年のジュネープ協定を完 全に破壊しようとするものである。アメリカ帝国主義が南ベトナムで行なって いる侵略戦争が完全に打ち破られ,彼らの我が祖国に対する侵略の野心が粉砕 されない限り,ベトナム人民が完全な独立をかちとらぬ限り,ベトナムに真の 平和はあり得ず,インドシナとアジアの平和は依然としておびやかされるだろ う。南ベトナム人民と解放戦線は,北ベ トナムの4条件と, 4日の同外務省ス ポークスマンの声明に見られる明確で正しい態度を完全に支持する。南ベトナ ム人民は米侵略者をより激しく攻撃し,彼らにより大きな打撃を与え,彼らに 残された最も名誉ある道は,雨ベトナムから早急に撤退し,北ベトナム爆撃を 即時無条件に中止し,ベトナムとインドシナの人民に対する干渉をいっさいや めることであるとさとらせることを誓う。解放戦線は米帝

l

耳主義者に対しもし 彼らが心から平和を望むなら,それ一一 5条件一ーを実際の行動で立証するこ とを要求する。

v

ソ連使節団,北ベトナム訪問一一シェレーピンソ連共産党中央委書記を団長 とする使節団は北ベトナムを訪問し,ベトナム労働党および北ベ トナム政府の指 導者と会談した。 15日,間代表団訪問に関するコミュニケ(12日付〉が発表され, 両国代表団がベトナムと東南アジアにおける米国の侵略拡大によって生み山され た重大な状態について意見を交換し, ソ連政府は北ベトナム,ベトコンの立場・を 一( 6 )ー - 32

(18)

-イ ン ドシナ (1月〉 支持すること,北ベトナムへのソ連の追加援助協定が結ばれたこと,ソ連共産党 第23大会にベトナム労働党が代表団を送るととが明らかにされた。 ,マンスフィ ールド報告発表。 9 日 ’ジン・チン・チン心理戦争省長官はタイ訪問のためバンコクに到着。 vアメリ力軍サイゴン北西での作戦一一アメリカ軍第 173空挺旅団所属部隊を 中心とする連合軍将000人は,サイゴン北西30kmのベトコン地区に対し最大の攻撃 を力IIえた。目的はサイゴン周辺に攻勢をかけるべトコン l個連隊の捕捉といわれ たが, 1週間で共産側の死者は151人であった。 12日 Vえびの輸出,700トンー−1965年の冷凍および乾えびの輸出は 69万9371キロ で, 81万3271ドノレ(2846万2607ピアス トノレ相当〉の外貨aをもたらした。輸出先は 円本,香港,アメリカ,フランス,スイス,イギリスで、あった。 力II工会社はシヨロンのFrigoViet-Nam (日産 2500キロ),

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(日産 2000キ ロ), BGI (日j蜜1500キロ〉である。 13日 , Air Viet-Namの料金45%引上げ一一ベ トナム航空は国内線の料金を2月1日 から 2p. 08/kmから 3p/.切に引上げた。 14日 ’韓国,南ベ トナム援助協定一一南ベトナム訪問中の張基栄韓国副首相を団長 とする経済代表団と南ベトナム政府は,新しい協力協定を結んだ。 15日 ,キ首相施政方針演説−ーキ首相は第 2回南ベトナム全寧評議会の閉会式で施 政演説を行ない,キ政権のこれまでの実績を述べたのち,66年の方針を次のよう に明らかにした。 3つの同標をおく。第lに共産主義者を打ち破り,農村地医を平定再建する。 第 2に経済情勢を安定化する。インフレ対策として諸機関の節約,税収増加, 商品輸入,港湾建設工業援助をすすめる。第3に民主主義建設,このため民主 制度建設評議会を設立し, 員長法草案の作成にあたらせる。 現在の戦争は外部からの侵略戦争であり,彼らが手をひけば平和は回復する。 友邦国,友軍はいかなる状況のもとでも,我々の運命は我々自身によって決定 されねばならぬことを銘記してほしい。我々は国家の主権に有害な内政干渉 や,国民の希望と異なる決定を黙認することはできないっ

v

砂糖輸入一一ベトナム砂糖会社はTet用に台湾から 3150トンの砂糖を トンあ たり75.2ドルで輸入した。 砂糖会社の発表によれば,昨年度の白砂糖の年間消授歪は7方2000トンで,同 社のlIitp-lloa工場は輸入組締からざらめ1万2000トン、Khanh・Hoi精糖工場は - 33 - -( 7 )ー

(19)

イ ソ ド シ ナ

C

1月〉 上白糖

6

万トンを生産した。ベトナムではこのほか国内で生産される組糖約

6

万 トンを消費’されるものと見積られる。 16日 vラスク長官・キ首相共同声明一ーサイゴンを訪問していたラスク米国務長官 は, 15,16日キ首相ら南ベトナム政府首脳と会談したあと共同声明を発表し,手II 平働きかけと同時に軍事措置を続けること,両国政府の平和問題に対する基本的 立場は根本的に一致しているとと,サイゴン政府の努力に対する援助を続けるこ とを述べた。このところ,アメリカ政府の和平工作に対するサイゴン政府の不満 がしばしば聞かれていた。ラスク長官はとの会談でアメリカ政府の意図を説明せ んとしたものと恩われるが,声明の内容はサイゴン政府支援を繰返すものとなっ た。 17日 V米援助職員

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・ラムゼー氏,ベトコンに連行さる。 18日 ,アメリカ軍4000人増派”一一米軍第25歩兵師団の増援部隊約4000人がサイゴン 南東70kmのプン・タウに上陸した。ピエンホア基地に空輸される。 同日米海兵隊4500人もチュライ基地に上陸した。 V兵役登録一一国防省は, 46年1月31日生まれのベトナム人青年は l月18日か ら2月 5日までに地方軍事局またはサイゴン駐屯部隊に於て軍役に登録するよう 通告した。 20日 , 23日まで!日正月休戦入り。 23日 Vアメリ力軍3000人増派一一ハワイから南ベトナム中部山岳地帯のプレークま でアメリカ兵3000人が空輸された。 31日米国防総省スポークスマンの発表によれば,南ベトナム駐宿米軍兵力ほ19 万7300人となった。 25日 , 12月 の 物 価 指 数 −12月の消費者物価指数は,前年同月に比べ30%以上上昇 した。また,先月に比べ,中流階級で3.3%,勤労階級で4.S%上昇.した。 とれは 主として米,豚もつ,牛肉,ソーセージ,鮮魚,卵などの食料品の値上がりによ るものである。国家統計局発表の12月の物価指数は以下の通り。 (1949年=100) 消費者物価指数 中 流 階 級 料 全 食 住 体:412.7(11月に比し 3.3%増〉 品:444.1

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4.5%増〉 宅: 403.3

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-28日 イ ン ド シ ナ (1月〉 衣 服: 310.8(

5.4%増〉 そ の 他: 376.5( II 1.3%増〉 勤 労 階 級 全 体:399.4 ( II 4.5%増〉 食 料 品: 436.9( II 6.9%増〉 { 主 宅; 384.6( II 0.4%減〉 衣 服: 375.1(

f 3.8%増) そ の 他: 394.3(

1.5%増〉 卸 売 物 価 指 数 J 二じ〉、 体: 262.2( II 0.6%増〉 凶 内 産 品: 295.8( 曹 0.4%増〉 輸 入 品; 267.3( II 1.1%増〉 V 工業融資一一工業開発センターの1965年度の貸与額は 2~意0665万3000ピアス トノレで, 64年に比して0.7%の減少であった。内訳つぎのとおり。 化学,薬品工業 1645万8000p.(1964: 608万3000p.) 織 物 工 業 350万0000p. (1964: l億3959万0000p.) 木材,紙,皮工業 5604方2000p. 鉄 工 業 fi65万9000p. (1964: 農産物加工,食品工業 1億6674万4000p. (1964: セメント, 石灰,ガラ 965万0000p. (1964: ス,製陶工呆 1852万6000p.) 5534万9000p.) 625方OOOOp.)

7

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,電カ,交通業 610万0000p.(1964: 7263万3000p.) V国立銀行は1965年12月31日現在の主要勘定を発表した。 〔 資 産〕 金 お よ び 外 貨 政 府 整 理 債 国庫への特別貸付 政府への一時貸付 銀 行 へ の 貸 付 間 定 資 産 そ の 他

主要勘

項目

60億3128万0168.98ピアストル 106億8118万7174.46 H 7億4964方0326.77 " 281億 , 1億4700万 , 1億8249万6373.14 11 52億9823方7892.62 II 511億8984万1936.97 11 - 35 - 一(9 )一

(21)

イ ン ド シ ナ ( 1月) 〔負債〕 流 通 紙 幣 預 金 そ の 他 依 券 資本および準備金 そ の 他 361億0557

72947.89ピアストノレ 98億4490万8903.97 グ 32倍、7619万4306.32 グ 15{:怠7i32万4066.72 II 3f意8881万1712.07 " 計 511.億8984万1936.97 11

v

アメリ力軍中部海岸地区で掃討作戦一一ピンディン省ボンソン付近でアメリ カ軍第 1騎兵師岡 2似大隊が作戦を開始し, 30日の発表では, 29, 30日北ベトナ ムの南下部隊と激戦を交えた。作戦開始以来31日までの米軍推定による南下部隊 の死者は 525人であった。ボンソンより北クァンガイ市東南30kmのククチニムでは 海兵隊4000人の大上陸作戦が開始され,国道1号線に沿ったベトコン支配村の掃 討に乗り出した。 30日 Vユエで 1万人の仏教徒が平和を訴えてデモ行進。 31日 v北爆再開一一米軍機は31日朝, 17°∼20。線にいたるタンホア, ピン, ドンホ イ地区合燥鍛, 37日間の北爆停止に終止符を打った。同日午前10時,ジョンソン 大統領は次のような声明を発表した。 「我々の努力は世界の大部分の国から玉虫解と支持を得たが,ハノイと北京で は得られなかった。わが向盟.図,中立問,東欧,バチカンの努力はすべて不成 功に終った。すべてに対するハノイの

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答はホー・チ・ミン苦・!官のみで,ハノ イに話し合いへの用意がないことは明白である。私に助言する人々は,侵略者 を放置すればベトナム人,アメリカ人および同盟国の人々の生命の犠牲を増大 させるとの意見である。そこで南ベトナム政府の同意を得て北ベトナムでの行 動が再開された。 更にジョンソン大統領は同声明の中で,ゴーノレドパーグ国連代表を通じ,国連 安全保障理事会の招集を要請した。

v

フランスの駐北ベトナム総領事代理フランソワ・ド・キリアン着任。

カンボジア日誌

1

1 日 vタイ軍隊,カンボジア警備所を攻撃一一一カンボジア軍総司令部の第1報告・に 一( 10 )ー qu p o

(22)

イ ン ド シ ナ

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1月〉 よれば,タイ軍隊の200人は迫撃砲でオドーメアンチェイ(OcldarMeanchey)州 のオースマッチ(0・Smach)地区の警備所を攻撃したが, 同警備所はその攻撃で 次のような損害を受けた。

0

警備隊の多数が死傷。 。警備兵の家屋多数が迫撃砲の弾丸で‘全焼。

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同警備所は現在.敵軍により包閲された。 (注〉 タイ当局は,この攻撃が自由クメール隊によるものと発表した。 曹力ンポジア国連代表,ウ・タント国連事務総長へ手紙一一サムボー(ch.Sam・ bor)カンボジア国連代表は,米国のカンボジアへの進撃示唆についてウ ・グント 国連事務総長へ手紙を送ったが,同手紙の要冒は次のとおり。 カンボジア政府は国連総会の決議を厳守しているが,国連総会と他の国際機 構は米闘がカンボジアへ進撃する権限を示唆したことに注意してほしい。さら に,わが政府は南ベトナムとの国境への侵入に対し,また,

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、かなる国境への 進撃に対しても断間として反撃するとの決定を確認するものである。 2 日 V南ベトナム当局,国境周辺の自由クメール部隊を支援一一南ベ トナム当局は 元クメーノレ人とベトナム人を強制的に徴兵し, Bietkich

C

反ゲリラ部隊〉部隊を 編成したが,同部隊は大部分クメーノレ系出身者であり,米国から武器と財政資金 が供給された。さらに,その部隊の総員は推定約3000人であり,最近サイゴン政 権は間部隊から2000人をソンゴクタン氏と米人の直接指揮下の部隊に編入させ た。 3 日 V自由クメール兵士,南ベトナム国境から脱走一一南ベトナム国境のロクグン (Loe thanh)響備所の自由クメーノレ兵士5人は武器を持ってカンボジア警備所へ 脱走したが,

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司脱走兵らは脱走の理由について次のように述べた。 ソンゴクタンとソンタイグエン(Sonthai Nguyをn)両反逆者・は,南ベトナム

のクメーノレ系出身者らを自由カンボジア運動(FreeCambodians Movement) に参加するよう呼びかけ,約3000人以上が参加させられた。財政と武器は米国 が直接に援助し,兄弟民族の人々を攻撃させている。 4 日 Vタイ内務相,力ンポジアに対する作戦司令部を設置ーーチャルサチエン (Charusathier】)内務相兼陸軍総司令官’は,首相官庁付近でカンボジアに対する軍 事行動を指揮する“特別総司令部月をすでに設寵したと述べた。 V中共,北ベ トナム両外務省,タイ軍のカンボジア領攻撃を非難。 v力ンポジア政府,国連へタイ軍隊の国境侵入事件を提訴。 ヴ ,

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イ ン ド シ ナ (1月) ’シアヌーク元首,国連事務総長へ書簡を送る一一ーシアヌーク元首は米,南ベ トナム軍の国境侵入の拡大についてウ ・タント国連事務総長へ書簡を送ったが, 同書簡の要旨は次のとおり。 カンボジア政府,寧部および人民は,米国とその共犯者の侵略に対して領土 を守ることを決意しており,戦争には戦争で応じ,いかなる領土侵犯に対しで も侵略者の領土へ

1

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撃するであろう。 Vシアヌーク元首,米国のカンボジアへの侵入拡大に準備完了と強調一一シア ヌーク元首はコンポンチュナン(KompongChhnang)州における大衆集会で米固 とその手先らのカンボジアへの侵入拡大計画に対する準備を完了したと強調して 次のように述べた。 米帝国主義とその手先らがカンボジアヘ侵入すれば,かれらが直面するのは 決意を箆くした 600万のクメーノレ人だけで、はない。われわれは自分の手段に頼 って,出来るだけ抗戦するが,それができなければ友人に訴えるだろう。われ われは兄弟の中国から十分な援助を受けられるのはもちろん,朝鮮民主主義人 民共和国(北鮮〉からの援助も必ず受けることができる。 5 日 '

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ネガル商相,カンボジアを訪問。 6 日 V北朝鮮,カンボジアと関係一一北朝鮮とカンボジア両政府の合意で,両国間 の郵便,電信交換協定がプノンペンで調印された。 Vシアヌーク元首,自由クメールに対す忍圏内の支持者に国外退去を要求一 一 シアヌーク元首はコンポンチュナンナト|に於ける演説会で,国内の自由クメーノレに 対する支持者らを次のように非難した。 私は自由クメール支持分子の圏外追放を命じたわけではないが,彼らがカン ボジアに戦争をしかける気ならば,ソン・ゴク ・タン反乱分子に合流した方が 良いと言った。即ち,私は治安相を通じてソン・フオク・ト(Sonphuoc Tho)

とキム・グオン・チャク(Kimnguon Trach)およびタン氏の家族に対し,国 内に留るつもりならそれでもかまわないが,その場合,厳しヤ監視下におかれ るかもしれないと伝えた。 Vシアヌーク元首,タイの侵略行動に対抗するためタイ愛国戦線を承認するこ とを示唆一一シアヌーク元首はチュナンクルアン(Chhnangkrung)地区でタイ の侵略行動と自由クメーノレ支持について次のように警告した。 タイ軍 200人はわが国境に侵入し警備所を攻撃したが,タイ当局はその攻撃 が自由クメール部隊によるものであったと発表し,さらに,最近タイ政府は自 一( 12)ー 38

(24)

-インドシナ(1月〉 由クメーノレ運動を承認することを検討中である。われわれはそのような侵略と 敵対行為に反撃しなければならないだろう。タイ政府は自由クメーノレ運動を承 認しでも法的なものとはならないが,われわれは法的にタイ愛国戦線を承認す るだろう。 7 日 v中共衛生部,カンボジアに医療資材を贈る一一中共政府衛生部はカンボジア 社会福祉,労働省に医療資材を贈与したが,同衛生部代表団のプノンペン訪問に あたり,同贈与品の引き渡し式が行なわれた。 vシアヌーク元首,米国のアジア基金機関退去を要求することを示唆一一シア ヌーク元首は仏教代表大会演説で,カンボジア駐在米国のアジア基金機関(ASIA Foundation)について次のように述べた。 米国と外交断絶して以来わが国には米国のアジア基金機関だけが残されてい たが,カンボジアの多くの同胞は米国の中央情報局(C.I.A.)がこれを利用し ているものと疑っており,とりわけ,彼らがカンボジア政府と人民の日ましに つのる敵対的な気持を無視してまでカンボジアに居座ろうとしているのを見る と,このような疑惑が立証されているようである。われわれはカンボジア国内 に米国の第五列がいることを希望しなヤだろう。 8 日 ’米国,力ンポジア問題に関し国連事務総長に書簡を送る一一一ゴーノレドパーグ 米国連大使はカンボジアに関してウ・タント国連事務総長へ書簡を送ったが,問 書簡の要旨は次のとおり。 カンボジア領土を

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、かなる形においても不正に使用しないよう,効果的な方 策が講じられることを希望する。また,米国はカンボジアを平和の方向に向わ せるため,いかなる建設的な提案も考慮する用意がある。これと関連して米政 府は,国際監視委員会に監督任務を拡大させよとの,シアヌーク元首の提案を 関心を持って注目している。 少 目 vカンボジア,鉄道の新駅を完成一ーカンボジア鉄道局は,プノンペンとシア ヌーク・ピノレ間の鉄道のプレイ ・ト・卜ウン(Preyto tung)新駅を完成した。 ’タイ,自由クメール部隊,再び力ンポジア国境に侵入一一タイ,自由クメー ノレ・グノレープ20人 は,オドーミアンチェイ州のパンチァイチマー(BanteayCh-hmar)警備所を攻撃した。 10日 V米,南ベ トナム機,カンボジア国境を越えて爆撃一一クメ−,レ国営通信によ れば,米,南ベトナム燥撃機約40機は,ラタナキリ(Ratanakiri)州のオヤダオ(0 Yadao)地区の国威から 4km越えて燥撃したのさらにコンポンチャム(Kompon -39 - 一( 13)ー

(25)

イン ドシナ

C

1月〉

cham)外|のメモット(Memot)地区をも爆撃した。 11日 V米機,カンボジアへ向かう中共商船を挑発。

13日 V自由クメール分子,カンボジア当局に投降一一−ThachHen (32才),Thach

Xuong (28才,) Kim Nhe (25才) 3人の自由クメーノレ分子は, MAX36ライフ ノレ銃2丁と神.薬50包を携行し, オドーノレメアンチエイ介|のアンロンビ、エン(An long V朗氏)地区当局に投降したが,同3人の供述内符は次のとおり。 私たちは南ベトナムのヲ二ヤピン(Travinh)のチヤク(TraCu)郡,ナイスエ ン(NaiXuyen)村の出身者であり,

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ベトナム当局により1立月25日強制的に軍 隊に入隊させられ,米間船によりパンコクへ連ーれていかれ,上陸後タイ軍用ト ラックでカンボジア,タイ国境に近いダングレツク山脈(ChainedesDanεrek) 中の訓練所へ迩ばれた。問訓練所には,南ベトナムから

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生れて来られた約50人 のカンボジア人青年が店・り,何・R激しい軍事訓練に参加させられた。さらに12 月30日のオースマッチ攻撃にタイ軍部,瞥察隊が参加したことが確認された。 ,シアヌーク元首,米国の国際監視委員会活動拡大の要求を拒否すると示唆 一一シアヌーク元首は,米|主!が同連事務総長にカンボジアに関する国際監視委員 会の活動拡大を要求したことについて次のように述べた。 われわれは米国の提案を受けるつもりであるが,同i到の政策と行動を確認し なければならないだろう。 vカンボジア政府,第 1回アジア新興国競技大会の準備会を開催一一カンボジ ア政府は今作末にブノンベンで第l

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アジア新興国競技大会(PremiersGANEFO d'ASIE)を開供する予定であるが,同大会の準備会を開くため中共とインドネシ ア両政府のスポーツ関係代表を招待した。参加代表らは次のとおり。 カンボジア: SisowathEssaro王悶体育担当官 Tep Phanプノンペン代表 中 共::黄中次官兼体育文化委員会委員長, GANEFO 副会長 Cheng HzuHsing在カンボジア大使館参事官 インドネシア:Maladi体育相 Boediardjdo在カンボジア大使 なお,問準備会でTepPhanが大会の組織委員会の委員長にBoediardjdoおよ

Chen只HzuHsin只日j氏が委員に選ばれた。 15日 Vカンボジア,シアヌーク元首とマンスフィールド米上院議員の会見内容を発 表一一マンスフィールド米上|民議員は|作午末にカンボジアを訪問したが,シアヌ 一( 14 )ー - 40ー

(26)

イγ ドシナ

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1月〉 ーク元首との会見の内容がカンボジア側から Kambuja雑誌〈シアヌーク殿下が 主幹〉の 1月15日号に掲載された。同会見内容の重点は次のとおり。

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米国の保護

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誌であるタイと南ベトナムは,カンボジアを侵犯しようとしつ づけているし,米国,南ベトナムおよびタイの帝国主義的脅迫と攻撃に抵抗し ようとするわれわれの国にとって中共は有力な支持勢力である。私が中華人民 共和国を愛するのは,この悶が現在までのところ,つねにカンボジアを支持し てくれたからであり,われわれの悶は中間の衛星悶ではないし,もしそうなら われわれがあなたがたを招待しないだろう。さらに,私は決してカンボジアを 衛星悶化しようとするような凶々を愛さない。カンボジアでは深く共産主義政 権をとることを欲している人たちがおり,私のひきいる党(人民社会主義連合〉 の中でもた派の大半は主因,私個人およびこの党をも本心で好いていなU、だろ う。カンボジアの未来は米国にも, ジアヌークにも, 11・1国にも属するものでは なく,カンボジアの青年層の考えいかんに左右されるべきものである。 。米国の南ベトナムでの戦争にわれわれが敵対するのは,戦争の拡大でわれ われの平和l悶−L:の保全が

ν

、たく符’かされているからで、ある。われわれに対する 燥撃をやめてU、ただきたし、。米間,

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有ベトナムおよびグイ連合軍がわれわれの 領七を爆撃し侵入すること走やめれば,われわれは米国と友好関係を持つこと ができょう。 。われわれはドゴーノレ将軍に対し深い敬愛の念をいだ

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、ている。同将軍は商 ヨーロッパの政治指導者のうちでわれわれの政策を理解し,これまでの進路を とりつづけることを激励してくれる唯一の人である。 V 日本,力ンポジアへスレート製造プラント一式を輸出ーーカンボジア国営輸 出入組合(Sonexim)は,岩井産業を通じてスレート製造プラント一式を注文した が,同プラントはプノンペン近郊に建設され,小波スレート,軸質板を生産し, 生産能力は1時間あたり 100枚, このプラントには配給装置,すき取り装置,成 形装置などがある。計画では2月中旬現地で据付工事をはじめる。 17日 Vカンボジア,シンガポー

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しへの輸出倍増ーーカンボジア国営輸出入組合は, シンガポーノレへの魚類と小えび、の輸出倍増計画を次のように発表した。 1964年 1965グ 23万リエノレ !)5万 グ 1966II lf>O万 II (計画) なお,問輸出入組合はシンガポーノレへ果物,野菜およびしまあじを輸出する計 -・-41ー 一( 15,

(27)

)-インドシナ (1月) 画もある。 (注〉 シソガポーノレは1956年ーから 1963年までほとんど南ベ トナムから魚怒し小 えびおよび野菜を輸入した。 18日 Vシアヌーク元首,自由クメール・グループを非難一一シアヌーク元首はタケ オナト

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(Takeo)の大衆集会で, 自由クメーJレ・クツレープに対して,次のように非難 した。 自由クメーノレ運動の主人は米国とバンコクおよびサイゴンの手先であり,間 運動は米国の情報機関(CIA)により作られたもので, 600万ドノレ相当の武器を 持っているが,その多額の武器は米国の CIAの援助以外にはないだ、ろう。彼ら は三つの放送局を持っている。タイ国境で一つ,南ベトナム国境でこつを設置 したが,最近南ベトナムからラオス南部(Pakse’)の右派支配地区へこ一つを移し たもようである。 19日 ’カンボジア農業省,農地所有面積の拡張を制限一一農業省当局はシアヌーク 元首の命令によって農地所有面積拡張を1∼2へクターまでに制限するが,農地 所有権の議渡条件を受けられる農家は生産能力に従って決定されると発表した。 〈注〉 カンボジア農家 1戸あたりの平均所有面積は3.S5ヘクターである。 ’米,南ベトナム機,カンボジアへ23回侵入一一米,南ベトナム機は17日∼19 日に23l日|もカンボジアの領空に侵入したが,侵入地点はタケオ,ツパイリエン, プレパン, コンポンチャムおよびカンダ‘ノレの各州で・ある。 20日 V南ベ トナム空軍少尉,カンボジアへ亡命ー一一グエン ・ドク ・ヒュー(Nguyen due I-lieu)南ベトナム空軍少尉は偵察型機を操縦してカンボジアの北部空港に着 陸し,同政府に政治亡命を申請した。 ・ 23日 Vタイ,カンボジア両軍,シャム湾で砲戦一一タイのトラド県の沖合でグイの 軍艦2隻がカンボジア艦に発砲し,同艦を応戦した。 24日 ’カンボジア,イ ンドで・開かれる太平洋観光協会の大会に参加。 25日

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カンボジア情報相,タイ当局の国境事件の発表に反論一一チー ・サン(Chea San)情報相は,タイ当局の国境事件の発表について次のように反論した。 タイ軍は 1月21∼22日に陸海両面からチネサック(ChhneKsach)国境警備 所を攻撃したが,タイ当局こそ自分の侵入罪を隠匿するためカンボジア軍から の攻撃として発表した。 26日 ,カンボジア外務省,カナダ外相の発言に反論ーーカンボジア外務省は, Paul Martinカナダ外相が記者会見で, カンボジア政府の要求によってわが政府がカ 一( 16)- - 42

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-インドシナ(1月〉 ンボジアに関する国際監視委員会の調査に効果的な手続を提示するだろうと述べ たことについて,次のように反論した。 カンボジアの国際監視委員会の任務は1954年のジュネーブ協定に規定されて おり,同監視委員会の活動範聞が拡大 (警察隊〉されるのはジュネーブ協定の 規定に違反するものである。 ,メースメール仏国防相夫人,力ンボジアを訪問。 27日 Vタイ内務相,カンボジアへの援助国を非難一一Charusathienタイ内務相は, カンボジア軍がタイ海軍服を砲禦した:事件について次のように述べた。 これは中共とある白人間(フランスの名をさける〉の奨励によって,カンボ ジアが勇気を持ってわが海軍を砲撃したもので,砲撃現場には中共兵と白人兵 も居る。 29日 V力ンポジア情報相,第5回アジア大会不参加を発表一一ーチーサン情報相は, 今年12月バンコクで開かれるアジア大会に参加しないが,プノンペンで開かれる 第1[凶アジア新興国競技大会(lersGANEFO d

ASIE)を紙織することを希望す ると発表した。 〈注〉 この発表は,先きにタイ国からカゾボジアに送られたアジア大会への招 待メッセージに対する回答だとみられる。 V力ンボジア政府,タイ軍の攻撃地点へ各国の外交官を招待←ーカンボジア情 報省と国防省はタイ軍のチネサック(ChhneKsach)に対する攻撃の損害模様を 視察するため,仏,英国,オーストラリア,インドネシア,フィリピンおよびラ オス外交官らを招待した。 30日 ,カンボジアp 米海軍大型輸送機を撃墜一一一カンボゾア防空部隊はカンダル (Kan<lal)州で米海軍のマーク付け輸送 C130型機を撃ち,問機は南ベトナム悶境 の方に!墜落した。

フ オ ス 日 誌

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2 日

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米機 3機撃墜一一ラオスの声によると,シエンクアンチト|プクート山地区の愛 国的武装力と人民〈左派)は,同地を無差別爆撃した米機21機のうち, 3機を撃 墜, 2機に損傷・をあたえた。 6 日 V米,大挙ラオスに出撃一一米CBS放送によると,昨年クリスマスイグに北 --43ー 一(17)一

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インドシナ( 1月〉 爆を停止してから,タイに基地をもっ米軍飛行隊は,ラオス国内にあるホ一.チ. ミン./レ一トにめがけて i

250機の;1;:1Jで コツクに;借ポI:したホイラ一将軍は, 4000名の兵隊をラオスに進駐させるプランを 研:究したと伝えている。 Vラオス愛国戦線 (,《テト・ラオ)結成10周年記念式開催。 7 日 Vラオス政府は,

ν

ュネーヴ協定に常に敬意を払う一一問主会議筋からの報道 によると,ラオス政府は常にジュネーヴ協定に敬意を表し,何国といえどもその 領 l:.IAJへの進駐を認めないω特に,ホー ・チ・ミン・ノレートを監拐するためのア メリカの進駐には反対である。 8 日 Vパン・フエイ・サイ(BonHouei Soi)危機を脱す一一政府;軍の発表によると, 数

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米パテト ・ラオの攻撃によって危機に瀕していたメコン左岸,ピノレマ国境近 くのパン・フエイ・サイは危機を脱した。 又,南ベトナムの12機動連隊は左派の占拠する中部サムネア州(SamN eua)を 攻撃し,ホクトン西部に対して, 17機動述隊,21機動連隊が攻撃した。 V米機,パテト・ラオ支配地域を爆撃一一一米軍機は5円から7口まで,迷上|ラ オスのカンカイとシエンクアン州及びパテト ・ラオ支配支配地域を爆撃した。 V各村落にゲリラ隊一一新華社報道によると,ラオス人民解放軍は昨年12月命 令を発し,大衆運動とゲリラ戦争のj展開,敵に対する政治攻勢の必要を強調した。 少 目

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ソ連,英国にアメリ力の侵略拡大停止の呼びかけを提案一一モスクワ放送に よると,去る6H, ソ連外務省はインドシナ(特にラオス,カンボジア〉へのア メリカの戦争拡大への危険に不安を表明,これは1954年および62{J:.のジュネーグ 協定および,国連総会で最近採択された他国の内政に干渉しないとの宣言に反す ると非難し,協定を守り,ただちに侵略拡大をやめるようとのジュネーヴ会議全 参加国あて共同メッセージのj連草案をハクソン駐ソ英大使に手交した。 11日 ,アメリ力紙夕イ軍のラオス派兵を報道ーーーアメリカ紙p セント/レイス,デス パッチは「共産術部隊がタイ悶内の

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七反乱軍と接触をとることと,ホー ・チ・ ミン・ノレートによる北ベトナム軍の

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下を阻止するために,タイ軍の相当数がラ オスにはいっている」と報じたが,タイ政府当局はこの報道を否定した。 12日 v在ラオス,ベトナム人より義損金一一ラオス臨時外務大臣は,昨年11月パテ ト・ラオの襲撃によって被害をうけたタケク地方の人民へ,在ラオスのベ トナム 人から10万キップの義掛金を受けたことを明らかにした。 13日 Vラオス国王,臨時国会を開会一 ヅオス|剖王は,議席:過ヤ数の代議上の要請 一(18)ー --,14・

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