アジアの動向 中国 1966
著者
アジア経済研究所
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
シリーズタイトル
アジア動向年報
雑誌名
アジアの動向1966年版
発行年
1966
出版者
アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00052006
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中国/嶋倉民生・浜勝彦・丸山伸郎 この「アジアの動向」く国別シリーズ) 1966年は,月刊「アジ アの動向」を各国別に 1冊にまとめ,総目次, 1966年の回顧, 年表を追録したものです。 アジア諸国の政治・経済の動きを適確に把握する基礎資料と して,月刊「アジアの動向J
とあわせてご利用ください。目 次
1966年の回顧...( i )年 表 (
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折
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〔解説事項〕
アメリカの和平工作と中国の対応 C1月〉 食糧問題と作物生産会議( 2月) .••.•••••••••••••••••••••••••••.•••••••••••• 27 中国貿易の現状と展望(4月) •.•••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••• 78 「社会主義文化大革命JC
s
月) ••.••••••••••••••••••••••.•.•••••••••••••••• 121 文化大革命と新たな躍進( 6 ・7月) • • • ・ • • • • • • • • • • • • • • • •.•.••••••••••••••• 164 対実権派闘争メカニズム(10月〕...358 業務官僚,専門家,技術者群に対する革命(11月) •••••••••••••••••••••••••. 412〔主要事項〕
人民日報,アメリカの和平工作を暴露( 1月〕...5 中間貿易責任者,中国・キューパ貿易問題の真相を説明 C1月) ••••••••••••••.• 6 人民日報元旦社説要旨 (1月) •••••.••.••••••••••••••••••••••••••••.•••••••• 7 中国の農業機械化の展望(1月) ••••.•••••••••.•••.••••••••••••••••••••.•••. 9 産品設計革命討論の総括 (1月) ••.•••..•.•••••••••••.•••••••••.••.••••••••• 10 中国共産党,ソ米共同行動を暴露( 2月) .•••••••••••••.••.•••••••••••••••••• 30 英雄輩出の時代(2月) •..•••••••..•••••.•.•••.•••••••••••••••.•••••••••••• 32 L T第4年度商品別取引内容の確定( 2月) •••••••••••••••••••.•••••••••••••• 33 人民日報の一連の司際情勢評論(3月) ••••••••••••••••.••••••••••••••.•••••• 52 アメリカ議会の中国論議(3月) •••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••• 52 継続する思想界の「整風」(3月)•••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••• 54 小型重視の水利方針(3月) ..•.••.••.•••..••••••.••••••••••••••••••••...••• 55 日本共産党代表団の訪中( 3月) ••.••••••.•••••••••••••••••••••.•••••••••••• 57 中国の「平和外交政策J
の展開,塞1J主席のパキスタン,アフガニスタン およびピノレマ訪問(4月) ••.•••••••••••.•••.•••••••••.•••••.•....••••.••• 88 郭沫若の「自己批判」( 4月).••..•••.••••••••.•••••••••••••••••••••••••••••• 90 政治先行についての3論文(4月) .••••••••••••.•••.••..•••••.•.••••••••.•.• 92 公社の基本採算単位の現状(4月) ••••.••.•••••••.••••••••..••••...•....•.•• 95 1-目 次 「文化草命」関係論説( 4月) þÿ0û0û0û• •••.•••••••••••••••••••••••.•••••••••••••• 96 アノレパニア党・政府代表団の中国訪問( 5月) €€€€€€€€€€€€€€€€€€€€€€€€€€€€ 127 第 3回目の核爆発実験( 5月〕...130 北京におけるA A作家緊急会議( 6 ・7月) • • • • • • • • • • • • • • • • • €€€€€€€€€€€€€€€170 周思来総理のルーマニア,アルパニア訪問( 6 ・7月) ••••••••••••••••.••••• 172 北京近郊農業へのてこ入れ( 6 ・7月) €・.,€€€€€€€€€€€€€€,,,€€€€€€€€
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173 人民日報,アメリカの軍事戦略を論ず( 8月) •••••••••••••••••••••••••••••• 234 経済学界における修正主義との対決( 8月) •••••••••••••••••••.•••••.•••••• 236 「文化大革命」をめぐる各国共産党の対応( 9月) •••••••••••.•••••••.•.•••• 301 人民日報,東明論文「人民の革命戦略は必ず米帝の反革命戦略に戦勝する」 一一林彪同志の《人民戦争の勝利万才》発表 1周年を記念して一一( 9月) •• 305 中華人民共和国成立17週年国慶節(10月) •••••••••••••••••••••••••••••••••• 363 初の核ミサイル実験の成功 (lo月) •••.•••••••••••••••••••••••••••••.•••••• 367 人民日報,米ソの「共同行動」を弾劾(10月) •••••••••••••••••••••••••••••. 369 文学,芸術工作者が文化大革命の大集会を聞く(11月) •••••••••••••••••••••• 418 革命・生産・併進の指示(11月) •••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••• 420 第21回国連総会,中国加盟を否決(11月) ••••••••••.•••••••••••••••••••••• 421 5ヵ年計画・第 1年目の総括(12月) •••••••••••••••••••••••••••••••••••••• 467 1966年食糧生産の総括(12月) • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • €€€€€€€€€ ••••• 468 マカオで暴動が発生(12月) •••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••• 469 5回目の核実験に成功(12月) •••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••• 471 文芸界における批判の深化(12月) • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • €€€ €€€•••••••• 472 「老三篇」学習キャンベーン(12月) .........・・・・・・・・・・・・・・・・・a・・・・・・・・・・・ 473〔 日 誌 〕
人民日報社説,第3次 5ヵ年計画の発足 (1月) •••••••••••••••••.•••••...•••• 18 人民日報観察家, 「ジョンソン政府の大陰謀」( 1月)••••••••• , •••.•••••••••••• 13 人民日報評論員, 「中国・アフリカ人民の友情は破壊できない」( 1月) ... 14 L T第 4年度肥料輸出契約調印(130万トン) C 1月) •••••••••••.•••••••••••••• 25 人民日報社説,水稲生産について総括 C1月) •••••••••••••••••••••.••.••.•••. 22 三大陸人民連帯会議に関する新華社記者の総括 C1月) •••••••••••••••••.••.••• 15 大慶に学ぶ運動の展開 (1月) .•••••••••••••.•••••••••••••••••••••...•.••.. ,24 2-日 次 人民日報社説,工業交通分野に冷静な促進を要請( 2月) ...•..••.•.•••.... 40 人民日報観察家, 「ソ連指導部は誰れと共同行動をとるのか」(2月)•...•...•• 35 県委員会書記のモデル焦裕禄に学ぼう(2月) ...•...•...•...••... ,41 第5回棉花生産会議開催(2月) ...••...•...•....•• 46 日本共産党代表団訪中へ出発(2月) ..•...•...•.••..•...•...•.•••.... 48 人民日報社説, 「ジョンソンはホノノレルへ何をしに行ったか」(2月)•.•.••.•.... 37 紅旗論文,大衆が理論を掌握する時代の到来(2月) ...•...••....•. 41 全国糧食庁局長会議および糧食系統政治工作会議(2月) ....•...••... 47 人民日報,日共「赤旗」の 4日付論文全文掲載( 2月) ...•...•.. 49 日共・中共代表団と会談(3月) ...•....•..•...•...•....•...•.... 74 全国工業交通会議で70の大慶式先進企業の推挙( 3月) •...••....••...•... 71 党中央地方局,毛思想、学習運動推進会議(3月) ••...••...•..••.•.•.... 68 中国共産党はソ連の党大会への出席を拒否(3月〕...62 劉少奇主席ノξキスタン訪問(3月) •...•...•...•.•.•.... 64 バリ・コミューン95周年記念の紅旗論文( 3月) ..•...•...•..•.•.... 69 北京で日本共産党歓迎大衆集会開く(3月) ..•...•...•.•.•...••.•...• 75 全国農墾工作会議( 4月) .•...•...••...•.... 108 人民日報社説,企業内部の階級闘争を論ず( 4月) ...•...••..••... 108 人民日報社説,政治先行についての第一論文( 4月) ・ ・ €・ ・ ・ • ・. ・ ••..•...••..•• 108 人民日報観察家,「汚らわしい政治的陰謀」( 4月) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ...•....•.... 118 郭沫若の自己批判( 4月) ...•...••..••..••...•. 110 紡織工業部副部長,中国紡織工業の発展を論ず( 4月〕・ ・ ・ ・ ・ • ・ ・ ・ þÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û115 全国総工会,主席会議および執行委員会( 4月) ・ ・ ・ ・ ・ • ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ þÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û111 周首相,文化草命は国運にかかわると語る( 4月) • • • ・ ・ • ・ ・ ・ ・ ・ ・ þÿ0ûþÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û112 共青団九期三中全会開会公表(4.1∼4.20)C 5月) ..•.•.••...••.•.•..••.. 157 全国農村大衆科学実験運動経験交流会議( 5月) ...••..••...•... 157 「北京日報J等 3紙,自己批判( 5月) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ • ・ • ・ ・ ・ • • ・ ・ • þÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û143 挑文元論文, 「三家村を評す」( 5月) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ • ・ ・ ・ ・ • • ・ ・ þÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û143 全国財貿工作会議(李先念総括報告) C 5月)...•...•...•... 159 松村・周会談, LT貿易延長で一致( 5月) ...•..•...•...•... 154 中国,帰国希望華僑引揚船をインドネシアへ派遣すると言明( 5月) ... 135 く解放軍報〉がく人民日報〉を批判( 5月) ・ • ・ ・ • • ・ ・ ・ ・ ・ • ・ ・ • ・ ・ ・ ・ ・ ・ ... 145 - 3ー
目 次 人民日報,特集「毛沢東思想は世界人民革命の灯台」( 5月)...•...•..•••.•• 139 中共中央委員会,北京市委員会を改組( 6月) ・ ・ • ・ ・ ・ ・ ・ ・ þÿ0û0û0û0û0û0û0û・ ...•. 187 人民日報,上海での農業機械の増産を報道( 6月〕... 212 紅旗8号社説,フ。ロレタリア文化大革命を論ず( 6月) ・ þÿ0û0ûþÿ0û0û・ ・. ・. ・ ・ þÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û193 党中央と国務院の入試方法改革に関する決定( 6月) ...•...•. 196 周総理,ルーマニア訪問( 6月) ••...••..•...•...•...••..••...•.. 177 林国防部長の工業・交通部門への書簡公表( 6月〕... 197 プラウダ紙「中国のいわゆる文化大革命について
J
C 6月)þÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û179 人民日報,中共中央宣伝部副部長周揚批判( 7月〕... 202 党中央組織の刷新( 7月〕... 205 石油工業上半期の成果発表( 7月) ・ ・ • ・ ・ ・ • • ・ ・ • • • • • ・ ・ ・ • ・. ・. ・ þÿ0û0û0û0û・ þÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û219 河野・周会談( 7月) .••...••.•••.••...••...•.•.•.•....••... 226 紡織工業上半期の成果発表( 7月) ...•...•...••..••.. 220 人民日報社説,「中国社会主義革命の新段階」( 7月) ...•...•...•...•.•• 207 北京でベトナム人民抗米闘争支援100万人集会( 7月)•...•....••.••••. 184 日本原水禁大会への周総理のメッセージ( 7月) ...•...•...•..••. 227 全国企業幹部 2ヵ月大慶で学習会( 7月) ....•.•..••.•...•....•..•...••.. 222 人民日報観察家,グロムイコの訪日を批判( 7月) ...•..••.. 229 人民日報社説, 「全国が毛沢東思想の大きな学校にならなければなちない」 (8月)...••.••....••...•...•... 248 中共中央文化大革命についての16ヵ条採択( 8月) ・ ・ ・ ・ ・ ・ þÿ0û0ûþÿ0û0û・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ... 253 日共,中共路線の批判論文発表( 8月) ...•....•...•. 281 孫冶方批判キャンベーン開始( 8月) ••...•...•...•...•....•... 277 中共中央 8期11回総会公報採択さる( 8月) ・ ・ ・ ・ • ・ ・ þÿ0û0û・ ・ ・ ・ þÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û255 北京で文化大革命を祝う 100万人大集会( 8月)...•...•... 258 紅衛兵4旧打破運動開始( 8月) ...•...•... 261 プラウダ,中共11回総会コミュニケを批判( 8月) ...•... 245 周総理,清華大学で党路線の誤りを公表( 8月) ...•... 265 中国・北ベトナム経済援助協定に調印( 8月) ...•...•... 247 ソ共中央委,中共11回総会批判の声明( 8月) .•...•...•...•...•... 307 人民日報社説,「文闘を用い,武闘を用いるな」( 9月) ....••.•... 322 人民日報社説,「革命に力をいれ,生産を促進する」( 9月) ...•... 326 - 4ー目 次 赤旗,中国に対し日共系商社の締出しを非難( 9月) •••••••••••••••••••••.•• 350 上半期の日中貿易額増大( 9月) •••••.•.••••••••••.•••••.••••••••••••••••• 351 人民日報社説,「秋収をかちとろう」( 9月) •••••.•••••••••••••••••••••.•••• 336 農業生産に躍進局面出現( 9月) •.•••••••••••.••.••••••••••.•••••••••••••• 346 北九州市で中国貿易展盛大に閉幕(10月) ••••.••••••••••••••••••••••••••••• 405 中国人留学生にソ連国外退去を命ず (10月) •••.•••••••••••••••••••••••••••• 373 林国務部長,軍に毛思想学習の新たな指示(10月) •••••••••••••••••••••••••• 385 世界最初の合成ベンゼン工場完成(10月) •••••••••••••••••••••••••••••••••• 403 農業機械工業の発展(10月) ・ • • • • • • • • • • • • ・ þÿ0û0û• ・ • • • ・ • • • ・ ・ ・ • •••••••••••••••••• 403 日中友好協会が分裂(10月) •••••••••••••••••••.•••••••••••••••••••••••••• 408 中国,核ミサイノレ実験に成功(10月) ••••••••••••••••••..•.•••••••••••••••. 396 劉少奇,郵小平批判の激化(10月) •••••••••••.••.•••••••••••••.••••••••••• 396 中国代表団アノレパニア入り(10月) • • • • ・ • • • • • • • • • • • • • ・ ・ • •• •• • • •••••••••••.• 380 人民日報,編集部改組(11月) • • • • • • • • • • • • • • • • • ・ ・ ・ • • • • • • €€€ • ••••••••••••• 440 人民日報社説, 「再び革命をしっかりやり,生産を促進することについてj (11月) ・ • ・ ・ ・ ・ • • • ・ • ・ • • • • • • • ・ • • ・ ・ • • • • • • • • • • • • • • • ・ • • • • • ·• •• • • •• • •.•••••••• 442 人民日報観察家,「米ソ両核覇王のまた一つの取引き」(11月) ••••••••••.••••• 429 党中央と国務院,紅衛兵上京中止を指示(11月) • ・ • • ・ • • ・ • •. •• ・ • ••••••••••••• 446 L T貿易第 5年度協定調印(11月) •••••.•••••••••••••••••••••••••••••.•.•• 460 北京大学,北京師範学院紅衛兵の劉・部批判(11月) • • • • • •• • • • • •••.••••••••• 450 毛主席 2日間に250万の紅衛兵と最後の会見(11月) •••••••••••••••••••••••••. 451 プラウダ社説,公然と毛・林路線を批判(11月) •••••••••.•••••••••.•••••••• 433 西欧から肥料大量(300万トン〉輸入(11月) •••••••••.•••••••••••••.•••••••• 456 文学・芸術工作者の文化大革命集会(11月) ••••....•.•••••••..••••••••••••• 451 人民日報社説, 「中国は国連に乞い求めることはない」(12月)••••••.••••.••.• 423 マカオで暴動発生(12月) •••.•.•••••••••.••...••••••••.••••••••.••••••••• 473 中共中央の工鉱業企業の文化革命に関する10ヵ条の規定(12月) •••••••••••••• 486 陶鋳党中央宣伝部長,劉・部を名ざしで批判(12月) .••.••• •'・・... 491 中共中央の農村における文化大革命に関する指示(12月) •.•.•••••.•.•••••••• 492 今年の食糧生産は解放後最高と発表(12月) • • • • • ・ ・ ・ • ・ • • • ・ ・ • • • • •• • .••••.•••. 513 人民日報,年末に当たり 66年経済の総括(12月) •.•.••••...•••.•••••.•••..•. 513 - 5ー
目 次
〔 資 料 〕
中国共産党第 8期中央委員会第11回総会の公報( 8月) ・ • • • • • ••••••.••••.•••. 287 中共中央委員会のプロレタリア文化大革命についての決定(8月) •.••••.••••. 291 劉少奇主席の自己批判一要旨ー(12月) ・ • • ・, ・ • ・ • • ・ ・ • ・ ・ • • •. • •• , .•.••••...• 514 郵少平総書記の自己批判一要旨一(12月) ••.•.•.••••.•••.••.••••.••..••.•.. 516 中共中央の革命をしっかりやり生産を促進することについての10ヵ条の 規定一草案ー(12月) ••••••..••....••..••..••..••..••..••....••••....•. 517 中共中央の農村プロレタリア文化大革命についての指示一草案一(12月) •..•.. 518 - 6ー、
中 国
1966
年 の 回 顧
〔
I
〕
建国 17年,ふたたび革命の年 1966年の中国は,昨年のベトナム戦争への積極的な対応,華々しい A A外 交の展開とその後退のあとを受けて外交的に全くふるわず,それどころか, 国内でプロレタリア文化大革命という「自身に対するゲリラ戦争」にたち向 うことになり,国際的には社会主義諸国からも孤立し,外交場裡での中国の 立場は一層弱まった。この結果「アジアの新風J
というスローガンのもとに アメリカはアジアにおいて従来より余裕のある姿勢を見せることが出来た。 1966年の中国はプロレタリア文化大革命に明け暮れたといってよかろう。 この文化大革命の展開の過程で, 1月 1日に発足を宣言された第 3次 5ヵ年 計画の展開の仕方をめぐって,中国指導層内に長期国策についての深刻な分 裂が存在していたことが次第に明らかになった。 5年間の調整,強化のあとでの第 3次 5ヵ年計画であり,また米中戦争を も辞さないという姿勢を堅持しての敵前展開であるともいえる来たるべき 5 年間の構想である。この長期国策をめぐっての対立点は何か,毛沢東,林彪 らの主流派は如何にしてこの対立を克服しつつあるのか,このことの経済面, 外交面への影響などについて 1966年の動きを簡単に整理してみよう。〔
E
〕
プロレタリア文化大革命の展開 A その出発点 まず若干の注意事項として今回の草命の名称についてのべよう。文化草命 という言葉は延安時代から使われており,今回の革命においては 4月18日に 解放軍報社説がはじめて「社会主義文化大革命J
と規定し反党反社会主義の黒 い線が存在する,これを排除せよと主張した。さらに6
月1日の人民日報社説 がはじめて「プロレタリア文化大革命」という言葉を使ったのであるが.これ は北京市委員会改組の段階を示したものであり,またこの日毛主席が北京大 学の藷元梓らの大字報を全国に放送させ,学生運動の口火を切ったのである。 - 1ー 一一 1 一一中 国 今回の文化大革命の基本的な特徴として,大衆運動を意識的に活用してい る点に注目すべきであろう。文芸界の批判には人民日報に労農兵の多くの文 章が寄せられた。 6月以降学生運動がもり上がり,教育界の革命が進行し, 8月に入って紅衛兵運動として街頭に進出し, 4旧の批判,実権派の攻撃が おこなわれた。さらに年末に至って運動は労働者と農民を立ち上がらせはじ めている。こうした劇的な大衆運動と並行して,またこの運動を支える背景 として,毛主席の著作を実際と結びつけて学び,運用する(活学活用〉大衆 運動が年初から広く深くおこなわれてきたことを見逃してはならないであろ う。この運動は大衆の意識を改造し毛主席の威信を大衆の中で高めるととも に,学習の深さ, りっぱに学んでいるかどうかについて,大衆が幹部を批判 する規準を提供する役割りをも持っている。 この毛主席の著作の活学活用大衆運動のもり上がりは, 1965年11月26日に 中央軍事委員会副主席の林彪が指示した,解放軍の 1966年度活動方針の第 1 項, 「毛主席の著作を活学活用する面に最大の努力を払う。毛主席の著作を 全軍のすべての活動にたいする最高の指示とみなす」に由来している。また 「毛主席と党中央の直接の指導のもとで中共上海市委員会は,呉拾の『海瑞 の免官』にたいして批判の口火を切り,革命ののろしをあげた」 (紅旗 9
号
社説)のは 1965年11月10日のことであった。 このように 1965年の 10, 11月は,毛主席,林彪を中心とする党中央軍事委 員会,党上海市委員会が「独立王国」党北京市委員会攻撃の口火を切った時 点として重要であろう。これら北京市委員会の「反党・反社会主義・反毛沢 東思想」即ち「 3反」グループを摘出する運動は 6月初めに成果をおさめた。 しかし,この大衆運動を更に一歩進めるかどうかという点をめぐって6
, 7
月には「ブルジョア反動路線」を実行するグループが浮かび上がって来た。 そして8
月以降は「3
反」グループを打倒し, 「ブルジョア反動路線」を批 判する紅衛兵を中心とする大衆運動が展開されたのである。 首都を彰真を中心とする「3反」グルーフ。に占拠され,上海からこのよう な大がかりな大衆運動を展開することをせまられた背景,このような深刻な 対立が発生した要因として次のような事情を考えてみることが出来よう。 大躍進の後退,中ソ論争深化の過程で次第に深化された社会主義社会にお ー− 11 - 2-中 国 いても階級闘争が存在するという理論が第 8
期
10中総会 (1962年 9月)で採 択された。これにのっとって農村と都市で社会主義教育運動が展開された。 これに対して党内有力者が抵抗(彰真)したり,形は左で実は右の誤った対 応(劉少奇〉をした,解放軍を中心に農村などで展開された毛主席著作の活学 活用運動に無理解で,これに反対(彰真〉した,経済の調整,向上の原因の説 明として物質刺激によるか政治先行によるかの見解の対立(孫冶方批判一一 後述)が顕在化した,等々の問題が立ち現われてきた。 さらに 1965年10月という時点に関連して,外交の後退の理由についても論 議が交わされたであろう。インドネシア共産党の敗北は中共のコミットもあ って論議の激化はさけ難かったであろう。そして第3
次5
ヵ年計画の経済建 設の構想、は直接ベトナム戦争の拡大と関係し,ソ連の核の傘に終局的には頼 るかどうかに大いに関係するであろう。こうした論争は公開されることはな かったにもかかわらず, 65年11月26日の 1966年度解放軍活動方針提示の時か ら羅瑞卿総参謀長が公式に姿を見せなくなり, 66年末に「軍を奪取しよう とした反革命分子の頭目」と紅衛兵に規定されたことから明らかになった。 1965年 5月10日の羅論文はフルシチョフ修正主義を非難しつつも偉大なソ連 人民とソ連軍に限りない信頼を表明していたのに対して同年 9月 3日の林彪 論文によれば「フルシチョフ修正主義者」は草命人民によって駆逐されるべ き対象と規定されているのである。 したがってこの論争の結論は次のようなものであったと考えられる。すな わち反米・反ソの自力更生で人民戦争を展開する。そのために第3次 5ヵ年 計画では徹底した工業の地方分散,人民公社は中小工業を経営し,大慶のよ うに条件のあるところでは,工鉱業企業も農業を経営するということである (66年 8月 1日の毛沢東のよびかけ〉。そしてこの見解は当時必らずしも党内 多数意見というわけではなかったのであった。B
そ の 背 景 一一政治を先行させ毛主席の著作を活学活用する大衆運動の展開一一 (1) 実 態 軍では65年11月26日に林彪の指示した66年度活動方針,すなわちさらに一 層政治を先行させる5項目の原則,を実行に移すために 1月18日まで全軍政 - 3ー中 国 治工作会議が聞かれた。これと呼応して解放軍報は 1月 1日から 3月23日ま で6回にわたって政治先行に関する社説を発表した。 農村では先進的な中南 5省で, 65年 7, 8月から毛主席著作学習会の組織 化が始まり,今年4月,中南局と広東省委員会では「黄山洞大隊」の経験を 総括し, 5月に各級党委員会を通じて宣伝し, 10月には「黄山洞式」学習モ デソレ大隊が広東省に 1500余,湖北省に 600余,湖南省に 1100余に達し,全医 1億人の中で,学習補導員と学習積極分子が 400万近くになったと報道され
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こ。 3月に党各地方局は政治を先行させ,毛思想、を活学活用する指示をおこな った。華北局全体会議は毛主席著作の学習をすべての工作の首位に置かねば ならぬと強調した。 経済部門でも,商業系統業務・政治工作会議C1月〉,全国糧食系業務・政 治工作会議C1∼ 3月),全国工業・交通業務・政治工作会議( 1∼ 3月〉,全 国財貿工作会議( 5月),が開かれて,それぞれ,政治を先行させ,毛主席著 作を活学活用する手法を討議した。殊に工業・交通部門では2月から大慶油 田展を聞くとともに閉会にあたり 70の大慶式企業を表彰した。閉会後 1ヵ月 間工業・交通系各部で政治先行会議が聞かれ,さらに 6' 7月の 2ヵ月間, 国家経済委員会および総工会と協同して, 1200余名の工業幹部を動員して大 慶経験学習会を聞いた。 共産主義青年団は 9期 3中総会C
4. 1∼20)を聞き「よりよく毛主席著作 学習運動を展開するJ
決議をおこなった。同総会は「団の政治先行がまだ非 常に不充分であり,軍にくらべて非常にへだたりがある」とみとめた。中華 全国総工会も4月に執行委員会と省,市,自治区主席会議を開き, 「政治を 先行させ,解放軍に学び,大慶に学び,毛主席の建軍思想、を用いて工会を毛 沢東思想、を活学活用する学校にしなければならない」こと,現行業務管理体 制を徹底的に改革すべきこと,工会の毛思想にかなわぬ制度とやり方を払拭 せねばならぬ,と強調した。 6月19日,人民日報は 3月11日付の林彪の工業・交通部門への手紙を発表 した。これは毛沢東思想、が自然発生的に生み出されたものではなく,毛主席 が天才的に発展させたものであり,労働者,農民の中に注入しなければなら v 4-中 国 ないとのベ,労働者階級の一層の真剣な学習をよびかけた。 8月7
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,新しい党中央宣伝部の下で,毛主席著作の出版に全力を上げる ことが決定され, 9月には無料輸送が決定された。 9, 10月と各部隊の毛主席著作学習積極分子代表大会が聞かれる中で,林 彪が軍に対して,毛主席著作学習運動を新たな段階に高めよ,とよびかけた。 このよびかけは次の3点に要約しえよう。すなわち全党・全国の学習運動が 高まり,軍が先進性を必らずしも主張しえなくなっていること。各人は学ぶ 学ばないではなし実際に運用しているかいないかを関われていること,「老 三篇」を座右の書にすべし,ということである。 10月12日の人民日報社説は 幹部の学習の立ち遅れに警告を発した。 10月22日労働者尉鳳英, 25日軍人王道明の毛主席著作学習体験記が人民日 報に掲載され,労働者である,軍人である,ということが「ひとりでに紅」 であるわけがなく真剣に「私」と対決し「公」を打ち立てないなら,必然的 に誤まった道にふみこむであろうことが強調された。これは明らかに軍と工 業関係の幹部に対する警告であり,このことは紅衛兵の批判,労働者の造反 という形で次第に明らかになってきた。 また「紅旗」はこのような全党全国の毛主席著作活学活用運動に対して 「労農兵が理論を掌握する時代が始まった」(2月〉, 「労農兵大衆が学術批 判に参加することは画期的大事である」(5月〉などの論文で大衆の理論水準 の向上を称揚した。 (2) 論 争 このような全党,全国をあげての政治を先行させ,毛主席の著作を活学活 用する大衆運動の展開にあたっては,勿論,先進と立ち遅れ,深刻な論争が あった。この運動を 1966年度の活動方針のもとに意識的に遂行し,他部門に 拡大させていったのは党中央軍事委員会と軍総政治部であり,これに党各地 方局,財貿部門,工業交通部門が続き, 4月になって共産主義青年団,総工 会が運動にとり組んだ,という形になっている。 このことは党宣伝部主幹の人民日報の元旦社説「第3
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ヵ年計画の最初 の年一一1966年を迎える」と,軍総政治部主幹の解放軍報の元旦社説「毛沢 東思想、の偉大な赤旗をより高く掲げ,引き続き政治を先行させ,だんことし - 5ー ー− V-中 国 て5原則を執行するために闘争せよ」の姿勢のちがいとなってあらわれてい た。さらにこのあと解放軍報は,元旦社説を第 l論として 3月23日まで、六つ の政治先行にかんする社説を掲げキャンベーンをおこなった。そして大公報 は財貿部門にとっても有益であるとしてこれを連載した。このあと 4月に入 って人民日報は「いま,全国の各地区,各部門,各単位で政治と業務との関係 について大討論をくりひろげている」として政治先行についての三つの社説 を発表した。すなわち第1 「政治を先行させることがすべての活動の根本で ある」( 4月 6日),第 2 「政治は業務を統率する」 (14日〉,第 3 「政治を先 行させるには毛沢東思想による統率を堅持しなければならない」(22日〉。 この第2論文は「現在現われている主要な危険は,政治を無視する傾向で あり,業務を重視し政治を軽視する傾向である」として,「経済第一」「技術 第一」「業務第一」「専門第一」などのスローガンのもとにあらゆる業務活動 の指導的ポストを占領し,すべての活動を資本主義復活の道にひきこんだフ ノレシチョフ修正主義の深刻な歴史的教訓,に注意を促したのである。しかし 5月に入ってから,この第 2論文が「政治と経済の統一,政治と業務の統一 は全然疑う余地のないところである。どのような政治も一定の業務を通して 実現される」と主張した論点に対して解放軍報がこれを批判し,このような 主張は「実質的にはやはり政治先行は業務の上に結実させなければならない」 と強調することであり政治を業務のための手段とみている。政治は業務を通 さなくとも,通しても貫徹されるのである,と反論した。 この論争の総括は,
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月1
日の軍創立記念日の人民日報社説「全国が毛沢 東思想、の大きな学校にならなければならない」の中で毛沢東主席のよびかけ としておこなわれた。すなわち軍,労働者,農民は各自の専門業務の他に政 治を学び,軍事を学び,文芸批判に参加し,可能な範囲で農業をやり,中小 工業をやり,全国を革命化した大きな学校にしようというよびかけである。 この社説は,このよびかけは党の綱領であるとのベ,このようにすれば資本 主義と修正主義の社会的・思想的基礎をより早く除去出来, 3大差別を次第 に縮少して全面的共産主義的人聞を育てることが出来,全民皆兵を実現して 人民戦争に備えることができる,とのべている。 この毛主席のよびかけは 8月の第 8期
11中総会で承認された。企業,人民 一一 Vl - - 6ー中 国 公社の評価規準は革命化した人間の生産に置かれることになり,生産物の量 さえ多く,質もよければよいという観点は否定された。さらに工鉱業企業も 可能なところでは農業をやり,人民公社では中小工業を興す,と規定したこ とは地方分散的躍進をめざす長期国策が,年初らいの論争の帰結として確立 したものとして注目してよいであろう。またこのことは当然米中戦への戦備 の一層の充実を意味するであろう。党中央の文化大革命についての決定の中 の「革命をしっかりやり,生産を促がす」という項目は,この精神を当面の 行動方針の中に具体化したものであろう。 8月10日,「紅旗
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10号は「孫冶方の反動的な政治的立場と綱領を評す」と いう論文を挙げ,各紙はいっせいにこの前経済研究所長の理論を「利潤統師J
,
修正主義,反革命綱領として攻撃し,経済理論の一時代が終荒したことを宣 告したのである。C
文化大革命の展開過程 (1) 1965年11月10日,上海の文雄報は挑文元の論文「新作歴史劇『海瑞の 免官Jについて」を発表し,北京市副市長呉日含の作品を批判し, 1961年封建 官僚を称揚した意図に注意を向けた。この論文は上海紙解放日報をはじめ各 地方紙に転載され,各紙は論争を呼びかけ, 19日解放軍報は挑論文を支持し た。年末から 1月にかけて賛否の論争が続いたあと, 2, 3月には封建官僚 「清官J
,農民戦争などの評価をめぐって田漢(劇作家〉,蕩伯賛(北京大学副 校長〉が批判された。 4月に入って 2日と 5日に人民日報論文は呉拾の「海瑞皇帝をののしる」 と「海瑞の免官」は反動的であり毒草であると規定し,各紙はーせいに呉喰 の前歴を暴露し,呉拾はアメリカ帝国主義の文化奴隷のひとりであり,胡適 の育成したものであり,一貫して崇米,親蒋,反共の立場をとってきたと糾 弾した。こうした中で 4月18日,解放軍報は「毛沢東思想、の偉大な赤旗をか かげ,社会主義文化大革命に積極的に参加しようJ
という社説を掲げ,軍の 文芸活動に存在する反党,反社会主義の黒い線を除去せよ,とよびかけた。 人民日報は4月19目黒い線とはブノレジョアジーの文芸思想,現代修正主義の 文芸思想と,いわゆる30年代の文芸とが結び、ついたものであるとして,夏街 (前文化部副部長〉回漢,陽翰生(前文連秘書長〉を批判した。こうした中 - 7 - ー−Vll一一中 国 で 4月14日郭沫若(科学院院長)は新しい状況の中では自分の過去の作品は 焼きすてたいと自己批判した。 5月 4日解放軍報は社説「絶対に階級闘争を忘れてはならない」を掲げ, 反党,反社会主義分子は,党と政府が与えた職権を利用し,世間的「権威」 と「名声」で一部の大衆をダマし,反党反社会主義の陰謀をおこなっている。 として攻撃方向を指示した。 8日の解放軍報と光明日報論文は北京市党委員 会の紙誌「北京日報」と「前線」のニセの批判,真の庇護という陰謀を暴露 した。更に10日上海の解放日報と文陸報が挑文元論文「『三家村』を評す」 を発表し,登[~拓(北京市委書記〉,摩沫沙(同委統線部長),呉恰の「三家村 ノート
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の反党反社会主義の実質を系統的に暴露し,論告をおこなった。こ うして次々に「前線」は資本主義復活の道具であり,同誌発刊の辞は反党の 黒い綱領であるとされ,ついに 6月 3日,北京市委員会の改組,北京大学党 委の改組,「北京日報J
「北京晩報」編集委の改組,「前線」の停刊という党 中央委員会決定が報道された。 (2) 北京市委員会という「独立王国」は崩壊した。 6月4日の人民日報社 説「毛沢東思想、の新たな勝利」は前北京市委員会の一部の指導者を修正主義 者と規定した。そして北京大学こそ反党反社会主義のもっともがんこなとり でであったため,量元梓らの大字報発表によってすさまじい革命情勢があら われており,新市委員会の派遣した工作班の指導の下に闘争と清算を進めて いるとのベた。最後に, 「毛主席に反対し,毛思想、に反対し,党中央に反対 し,社会主義制度に反対するものは,その地位がどれだけ高く,経歴がどれ ほど古かろうと,全党あげてこれを諒し,全国をあげてこれを討たなければ ならない」とのベ,北京市委員会との闘争モデ、ノレは全国に適応さるべきこと を示唆した。 北京大をはじめ批判は南京大(12日校長解任)など地方に波及した。 13日 党中央と国務院は高級中学以上の文化革命を徹底させ,新しい入試方法に備 えるため大学・専門学校の入試を半年延長することを決定した。 18日の人民 日報社説は闘争はまだ始まったばかりである,と学生の運動を励ました。ま た3
日には近代史研究所および「歴史学研究J
が批判された。 7月
12日,人 民大学学生が提案した詳細な学制改革案を人民日報が報道した。 ー−Vlll- 8-中 国 7月 9日,党中央宣伝部がすでに改組されており,陶鋳中南局第 1書記が 部長に就任しさらに陳伯達を組長とする党中央文化革命小組が設けられたこ とが明らかになった。この新宣伝部のリードの下に 7月 2日人民日報が毛主 席の延安文芸講話を再掲し, 「編者の言葉
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はこの講話は前党中央宣伝部副 部長周揚を代表とする30年代の文芸路線を批判したものであるとのベた。 7 月いっぱい周揚の魯迅歪曲,黒い一味の頭目としての役割,を暴露するキャ ンペーンがおこなわれ,月末の党中央宣伝部会議で60年以来の周揚の反革命 二面政策が暴露された。しかし10月31日の挑文元の演説によれば,すでに 2 月に江青女史が主催した軍文芸工作座談会が聞かれ周揚の反動的本質が暴か れたといわれる。 6月末の全軍創作会議は軍総政治部文化部副部長陳其通を 反党反社会主義の代表人物として批判した。このような一連の軍文芸会議お よび陶鋳新宣伝部長が広東軍区政治委員であったことから,文芸批判の面で も軍の指導性が党へ波及した情況がうかがえる。 この6' 7月,文化大革命の大衆運動に対処する上で「方向の誤まり,路 線の誤まりが発生した。」 8月22日の周恩来の清華大での演説によれば,「毛 主席は『全国の工作組のほとんど90%以上が普遍的な方向と路線の誤りを犯 した』と述べたが,これは偶然で、もなく個別的なものでもない。多くの学校, 機関,部門が上級に工作組を派遣することを要求した。とくに北京の場合, 前市委員会の黒幕が市の各部門,学校を支配していたという状況のもとにあ っては早く手を打つ必要があった。」 「方法は二つあった。第 1は工作組を派遣い黒幕から指導権を奪いとる こと,第2は地域の大衆をしてみずから革命の道を歩ませることであった。 しかし当時,新しい北京市委員会,および北京で工作する党中央の同志はた だ一方の方法で急場を救おうとして工作組を派遣した。工作組は政策,任務 を十分に知らなかったので普遍的な誤りを犯した。」北京大付属中学の学生 組織は圧迫され,清華大付属中では学生組織は壊滅させられた。 7月下旬毛 主席が北京に戻り,工作組派遣は中止された。 (3) 第8期11中総会が8月1日から12日まで開かれた。この総会は一時方 向を誤まった文化大革命に方向を与え,党の指導部を革新した。8
月8
日の 中共中央のプロレタリア文化大革命についての決定(16ヵ条〉によれば,当 - 9ー 一− lX一一中 国 面の目的は資本主義の道を歩む実権派を打倒し,ブノレジョア学術「権威者」お よび、ブノレジョアジーとすべての搾取階級のイデオロギーを批判し,教育,文 芸,社会主義の土台に適応しないすべての上部構造を改革することにある。 そのために長期常設の文化革命権力機構である文化革命委員会などの大衆組 織を発展させる。大・中都市の文化教育部門と党・政府指導機関が当面の運 動の重点である。そして闘争のルーノレとして「道理を説く闘争によるべきで あって,暴力を用いてはならない
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「革命をしっかりやり,生産を促進するJ
というスローガンが打ち出された。 8月12日採択の11中総会公報によれば,総会はこの4年間の毛沢東の政策 に全面的に同意した。この中には8月 1日の,全国は革命化した大きな学校 にならねばならないという呼びかけも含まれている。国際面では1963年の 「国際共産主義運動の総路線にかんする提案」を綱領としてみとめ,ソ連の 党との「共同行動」を全面的に否定した。 7月 1日の党創立45周年記念の人民日報社説では,党のマノレクス主義的指 導部として毛主席を囲む劉少奇,周恩来,林彪,部小平の4人を列挙してい たのであるが, 8月18日の文化大革命大衆集会で明らかになった新しい序列 では林彪が毛主席の親密な戦友として別格となり,周恩来,陶鋳,陳伯達, 部小平,康生,劉少奇の!|頂となり,林彪,陶鋳,陳伯達,康生のグループが 文化大革命の指導グルーフ。として拾頭し,解放17年来の団結固い中国共産党 指導部がはじめて大きな分裂を見せ,その後の事態はますますこの分裂の大 きさを確認することになっている。 (4) 紅衛兵運動。紅旗印号は「正しく,思いきって大衆を立ち上らせるに は,党の政策を大衆にあたえなければならない。今回の決定(16ヵ条〉が公 布されたので,フ。ロレタリア文化大革命についての党の政策が直接大衆にふ れることになった」とのべ, 13日の人民日報社説は「16ヵ条に合っているも のはそのままつづけ,合わないものは改ためなければならない。 16ヵ条をこ ばもうとするような責任者にたいしては,ただちにこれを暴露し,批判しな ければならない」とのベ,大衆の立上がりを促がした。 8月18日の,北京の 100万人大集会に姿をあらわした紅衛兵は, 20日より街頭に学園からくり出 してきた。 一一 X 一一 10-中 国 紅衛兵の活動としては次のものがあげられる。①旧思想,文化,風俗,習 慣の4旧批判として商店,街路の改名,この一環として反修路命名のため, として反ソデモがおこなわれた。②革命経験の交流では11月26日までに1100 万人の学生が上京し,また各地で革命の煽動をおこなった。③都市にひそん だ黒5類の摘発。旧地主などの家宅捜査などにより古い土地証文,ブラック リスト,金のノベ棒,武器を多量に押収した。④経済的要求。人民公社の復 元,定息および銀行利子の廃止,民主党派の解散,著作権の廃止と作家の給 与制等々。⑤実権派および、ブルジョア反動路線の批判。⑥紅衛兵の国際化。 これは主として象徴的なものに限られている。 紅衛兵の条件は紅5類の子弟および思想、の良い学生であり,組織は解放軍 をモデ、/レにしているが,入隊は学生の討論で決める。これは自然発生的学生 運動で、ある。これが9月になって組織化されて来たけれども,意見の相違に より一つの学校からちがった連合体に属する部分が多く,首都大学専門学校 紅衛兵の第 I,第 2'第 3司令部と中学・高校生主体の紅衛兵糾察隊の四つ が比較的大きな連合体となり,各々新聞を発行し,相互に連合したり闘争し たりしつつ運動を展開した。中央文化革命小組は人民日報,紅旗の論文,各 派代表への談話という形で急進派にテコ入れし,このため第
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司令部,第1
司令部が急進化し,発展し,第2司令部では 11月に急進派のクーデタが起っ た。 12月に入り工鉱業,農村への文化大革命の波及を前に党中央は紅衛兵の統 ーを呼びかけ,北京で紅衛兵反革命分子30余人が公安局によって逮捕された。 (5) 紅衛兵による実権派,ブノレジョア反動路線批判の深化。 9月には各省 党委員会に対して工作組派遣を批判する押しかけデモがおこなわれた。ウラ ン・フ内モンゴノレ自治区主席,李井泉西南局第1
書記,劉j闘詩西北局第1
書 記,李雪峰新北京市委第 1書記が批判された。 10月に入ると一時国慶節で停 滞していた批判が中旬頃から高まり,工作品且の責任追求という形で劉新権外 交部副部長,語震林,李先念,薄一波各国jl総理,摩承志らが批判された。 27 日大慶展覧会に関連してはじめて体系的な劉少奇,部小平批判があらわれた。 10月末の紅旗14号社説は魯迅の「水に落ちた犬をたたけ」の精神でとことん まで批判を進めよ,と煽動した。 11月23日,解放後の一連の誤まりを指摘し た北京師範学院紅衛兵の劉少奇,部小平批判のパンフレットが貼り出され, 一 日 一x
中 国 さらに 12月13日陶鋳は名ざしで劉・部両名を批判した。 12月17, 27, 28日と 「劉・部ブノレジョア反動路線」批判大会の聞かれている中で, 10, 11月の党 中央工作会議における劉少奇,部小平,玉光美の自己批判書が公表され,そ れが不充分なものであると攻撃された。 11月28日に聞かれた革命的文芸工作者大会は,一部の文芸部門を軍の配下 に入れ,江青女史を軍の文化工作顧問に任命すると同時に反革命文芸路線に 総攻撃を指示した。この結果12月に入って各紙は30年代文芸大家批判の連続 キャンベーンをおこない,他方12月4日,首都文芸関係紅衛兵の手で彰真, 劉仁,万里,林黙泊,夏
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,田漢ら旧北京市委および文芸関係者が連行監禁 され, 20日と 31日に闘争大会にかけられた。 軍においては文化革命は 16ヵ条の第15条において一般とは切り離されて行 なわれることになっていたのであるが, 10月29日には李天佑国防委員が, 11 月9日には邸会作総後勤部主任が,軍学校卒工衛兵に批判され,軍の紅衛兵も 交流にふみ切ったことが明らかとなった。これは先進性を公認されてきた軍 の中にも実権派の影響力が深く浸透していることを示しており,またこのこ とは文化大革命の展開に大きな反響を及ぼすであろう。 12月に羅瑞卿以下の 軍内反革命分子が紅衛兵に“逮捕”され25日には闘争大会に引き出された。 (6) 工鉱業,農村への文化大革命の拡大。 8月以来各地で紅衛兵と労働者 の対立が伝えられたのであるが, 11月1日の北京第 1工作機械工場での集団 リンチ事件, 16日の紅衛兵のこれへの介入のように 11月に入って都市企業や 農村人民公社での文化大革命が次第にもり上ってきた。人民日報はこれに対 し11月10日「再び革命をしっかりやり,生産を促進することを論ず」という 社説を掲げ,都市や農村での文化大革命を積極的に地域ごと,時期をずらし て行なう,業余時間におこなう,文化革命班と生産指導班の二つを作って行 なうなどの指示をおこなった。さらに 12月 9日党中央は工鉱業企業の文化大 革命についての 10ヵ条の規定(草案)を作り,下部に徹底させた。労働者は 革命的組織を造る権利がある,時間外の交流をおこなってよい,等々これは 紅衛兵運動という学生運動を主流からはずし,いよいよ労働者の運動を本格 的に展開する党中央の決意を示したものであった。さらに 12月26日の人民日 報社説は工鉱業企業は修正主義の温床になっていると警告し,またこの日, ー−Xll 一一。 白
中 国 江青女史は総工会の党組織に重大な問題がある,と総工会幹部を非難した。 北京ではこの日首都職工紅色造反連絡ステーションの機関紙「紅色造反報」 が創刊された。 27日には全国総工会事務所が造反派に閉鎖され, 31日, 「工 人日報」が「修正主義の司令部・総工会のスピーカー
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として,造反派に封 印・停刊された。 12月15日,中共中央の農村プロレタリア文化大革命についての指示(草案) が下部に流された。この指示は社会主義教育運動を文化大革命の中にとり入 れ,文化大革命の中でこの運動の問題を解決する,と規定しており,農村で の変革をスピードアップする決意を示したものである。このように紅衛兵の 交流が一段落したのち工鉱業部門と農村で、の文化大草命についての党中央の 規定,指示が出されたことは,以後の半年, 1年間といった長期にわたり, 労働者,農民隊伍の大々的な草命運動の展開を党中央が意図していると考え てよいであろう。 かくしてプロレタリア文化大革命はこの1年間,呉日含の史劇批判に端を発 して年末には労農大衆革命運動にまで展開してきたのである。〔
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文化大草命と第3次 5ヵ年計画第 1年目の成果 文化大草命についての決定16ヵ条のうちの第14条は「草命をしっかりやり 生産を促進する」となっており,大衆を十分に立ち上らせ,按配を適切にす れば革命と生産の双方の高い質を保証しうる。文化大草命は社会的生産力を 発展させる強大な推進力であり,文化大革命を生産の発展と対立させるよう な考え方は正しくないと説かれている。 12月31日の「人民日報jは,この文 化大革命が中国経済の全面的な新しい躍進をもたちしたとのベて,第3
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ヵ年計画第1年目の成果を報道した口 それによれば,第1年目の任務はすでに全部繰りあげ超過達成された。農 業では解放後17年のうちの中程度の災害を受けたにもかかわらず,食料と綿 花は解放後最高となった。殊に北方畑作の伸び、が大きく「南の食料を北へ運 ぶ」という歴史的な構造を転換する可能性が生じた。これは革命の積極性の 他に南部では水稲の 2毛作,北部では間作の充実という耕作方法の改革によ るところ大である(人民日報12月28日)。 - 13 - 一−Xlll一一中 国 工業面では総生産額対前年比20%増で,品種も増え,質も高まった。工農 業の基本建設の完成した工程の項目と投資額は前年をはるかにしのぎ,多く の重要工程の完成所要期間は半減し,質も高まった。交通・運輸では数千万 の学生を輸送した上,国家の計画も超過完遂した。科学・技術面では飛躍的 発展があった。連続3回の核爆発,ベンゼ、ン合成の実験成功,人工合成結晶 インシュリンの製造成功,大慶油田の一連の独創的採油方式,精油技術の開 発などは60年代世界先進水準に突入しはじめたことを示す。こうした工農面 の良い情勢から商品買付け,販売量は昨年にくらべ大幅に伸びた。輸出入も 良好で財政収支は黒字になっている。 この「人民日報」論説は,これらの成果は精神戦線で、の大躍進が物質的に 転化したものであり,毛沢東思想の偉大な勝利であると結んでいる。 第3次 5ヵ年計画第 1年を迎えるにあたって農業面では前年暮から大棄に 学び,社会主義新農村を建設しようというキャンペーンがおこなわれ, 2月 7日県委員会書記のモデルとして焦裕禄がとりあげられ,各部門に焦裕禄に 学べの通達が出された。さらに第3次 5ヵ年計画発足にあたり,年初から一 連の農業面での総括活動が着実に進行していたことは注目される。 1月 4日 第 2軽工業部副部長署名の論文が発表され,農業機械化について,地方手 工業による半機械化農具の重要性が強調された。 「人民日報」社説は水稲耕 作について総括し(1.16),全国農業発展要綱を着実に実現せよと説き(1. 27),牧畜業10年来の発展を総括した(1.29)。また水利の末端配置を強化す ることを強調し(2.23),長期的草原開発について論じた(3.1)。こうした 中で 2月には落花生生産会議,黄麻・洋麻生産会議,高梁豊収経験総括会議, 全国畑作食料作物座談会,全国綿花生産会議が続けざまに聞かれた。 3月に は林業工作会議,農墾工作会議が開催された。大衆性のものとしては 5月に 全国農村大衆科学実験運動経験交流会議が聞かれた。 工業面でも大慶に学ぶ運動が年初から大々的におこなわれ,これは全国工 業・交通工作会議と同政治工作会議(1.27∼3.5)に集約された。 1月 6日の 人民日報は第1工業部長の論文を掲載し, 1964年11月以来の産品設計革命運 動の総括をおこなった。 4月19日の紡織工業部副部長論文は, 1965年1年に 140万紡錘の増加で,これは1890年以降28年間の増加数と同じであり,しかも ー−XlV一 個 - 14ー
中 国 この140万錘は主として内陸部の各原料生産地や一部は少数民族地区に設置 されたため,沿海地方への集中状況が改められたとのベた。 9月17日の報道 によれば四川省で中小型燐肥工場がぞくぞく建設されており,設立計画工場 数30,年産能力76万トンで,既設は13工場23万トンであるといわれる。また 山東省など各地で短時日のうちにぞくぞく中小型肥料工場が新設されつつあ るといわれる。 8月 1日の毛主席よびかけにみられる地方分散型建設方式の 具体化として注目されよう。 対外経済面での好調は9月20日の欧州での金50トンの買入れ,各国から来 年も500万トン台の小麦を買付ける意向であること, 11月にエトレックスと 肥料300万トン輸入の契約に調印したことによってもうかがえる。日本から の輸入も考えれば肥料輸入は500万トンに達する可能性がある。小麦,肥料 各500万トン台を輸入し,米および農産物輸出で外貨を稼ぐという構造は第
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ヵ年計画の外からみた姿といってよいであろう。 「人民日報」元旦社説ものべているように,この1965年までの5年間,前 の3年は国民経済を全面的に調整し,あとの2年間は新たな高まりをもり上 げて第3
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ヵ年計画の準備を進めてきた。文化大革命の展開にもかかわら ず人民日報の述べるような第1年目の順調な生産が保障されたのはこのよう な調整・強化・充実・向上のたまものであって,必らずしも精神の革命の物 質的転化がプラスに作用したものとばかりはいえないという説明もありえよ う。しかしこの5年間実務を担当して来た劉少奇,部小平,陳雲らの人々は すでにこう主張する立場を失なってしまった。文化大革命の指導クV
レープは まさにこのような調整・強化・充実の過程そのものが政治思想教育の深化の 過程から導びかれたのであり,政治を先行させ思想を革命化することによっ てのみ資本主義の復活をふせぎ,革命的国家建設の事業を有効におしすすめ 世界の革命に奉仕しうるのだ,と主張している。〔
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米ソと対決して世界草命勢力を結集 昨年の華々しい中国外交の展開にくらべ, 1966年の中国外交は,首脳の動 きでは3,4月の劉国家主席の近隣 3国訪問と 6月の周総理のルーマニア,ア ノレパニア訪問,がみられたのみであった。これは国内の文化大革命による余 -15 - 一一 xv-中 国 力の無さと同時に,昨年後半からの中国外交の後退に由来するものであろう。 事実 1月にはダオメー,中央アフリカから断交され, 2月にはエンクノレマ大 統領訪中にあたってガーナにクーデタが起こり,アフリカの右旋回による中 国外交不振が世界的に印象づけられた。インドネシアでは大使館襲撃流血事 件が起こり,中国の再三の要求でやっとインドネシアの華僑が10月に引き揚 げることができた。若干の積極的外交としては劉国家主席の 3' 4月のアフ ガニスタン,パキスタン,ピルマ訪問, 8月のザンピア副大統領訪中, 10月 のパキスタン外相訪中が挙げられる程度にすぎない。またこのような背景の もとで、文化大革命のマイナスのイメージもあって, 11月に国府追放・中国国 連加盟提案は昨年より反対が10票多くなって否決された。 A A人民外交の面ではソ連に対抗して若干の成果がみられた。 1月の 3大 陸人民連帯会議はソ連と激しく対決して中国がリーダーシップを取ることが 出来た。北京で 4月には A Aジャ}ナリスト書記局総会が, 6月末から 7月 初にかけてベトナム問題に関する A A作家緊急会議が聞かれた。またこの会 議はソ連派のカイロの A A作家会議書記局会議を分裂会議として非難した。 昨年秋の
A A
会議延期にみられる中国のA A
諸国結集政策の頓坐,9
・3
0
事件によるインドネシアの方向転換は,アメリカのアジア政策に対して若干 の余裕を与え,この結果1966年に入っていわゆる「アジアの新風J
といわれ る構想が打ち出された。そしてその具体的表現としては対中園長期構想が3 月に提示され,4
月には東南アジア開発閣僚会議,6
月にはアジア・太平洋 閣僚会議, 10月にはベトナム参戦国会議が開かれた。こうした状況の中でベ トナムで、は何回かの和平努力に伴われつつも,米軍は年初の18万人から年末 の37万人に増兵され,北爆はハノイ,ハイフォンに及び\戦争が着実にエス カレートして来た。 中国はこのようなベトナム情勢に対して,まず人民日報元旦社説で,アメ リカはソ連修正主義指導部の援助のもとにその反革命世界戦略の重点をアジ アに移しつつある,と論難した。1
月7
日の「人民日報」観察家論文はアメ リカの和平17ヵ条提案を, 1月の北爆停止中の世界的和平陰謀の綱領とみて 逐一反論した。北爆再会後2月10日の米・南ベトナム・ホノルル会談に対し て人民日報は新しい軍事的冒険の前ぶれと警告した。 3月24日陳外交部長は ー−XVlー『 16-中 国 フィリピン議員に,アメリカのハイフォン爆撃によって中国の介入は正当化 されると語った。さらに 5月10日,周総理は中国の対米 4原則を明らかにし た。それは,中国からアメリカを攻撃することはしない,アメリカを先頭と する帝国主義による侵略を受けた国を中国はかならず支持し,援助する,そ の結果アメリカの中国への戦争が起ってもよい,戦争がはじまれば境界はな く相手が空から来ればこちらは陸から行けぬはずはない,とのべている。 このような警告にもかかわらず, 6月29日ハノイ,ハイフォンが爆撃され た。 7月 3日の中国政府声明は「アメリカの侵略に限界がない以上,われわ れのベトナム侵略反対にも限界がない」と強調し,同時に「人民日報」はこ れは全世界の侵略と反侵略の戦争であるとのベ,事前にソ連がこれを知りな がらあいかわらず対米接近外交を進めていることを裏切りとして非難した。 7月22日北京で 100万,全国で1000万のベトナム支援集会がおこなわれた。 「人民日報」は10月に入って三つの観察家論文を発表し,米ソが軍縮問題, 核拡散防止問題,ヨーロッパ問題などで大きな取引をし,事実上の反革命「神 聖同盟
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を結成しつつある。ソ連は各所で和平陰謀が展開されている中で北 爆停止構想、をアメリカに売り込み,ベトナム人民を売り渡そうと「東方ミュ ンヘン」を画策している。こうした時にソ連とはいかなる共同行動もありえ ない,と論断した。同紙はすでに7
月のグロムイコ訪日を,「米日ソ神聖同 盟」の成立を示すものとみていた。 このような中国の暴露,論難も,しかし8月の紅衛兵運動展開以後の,社 会主義国の大多数をも含めた世界的な紅衛兵への反対,中・ソの直接の対立 の深刻化の中では,世界の各勢力の注目をひかなかったのである。 文化大革命の過程で 5月31日人民日報は「毛沢東思想、は世界人民の革命の 灯台」と規定し, 「毛沢東思想、あってはじめて世界革命は成功し,毛沢東思 想あってはじめて全世界の被抑圧,被搾取人民は立ち上ることが出来るjと のベた。この考え方に立って8月の第8期11中総会の公報は, 1963年の「国 際共産主義運動の総路線にかんする提案」および林彪の「人民戦争の勝利万 才」等を綱領的文書とすることを明らかにした。これは1957年と 60年の国際 共産党・労働者党会議の声明と宣言を否定したものである。 8月31日,ソ連 共産党中央委員会の声明は,この公報を批判して, 1957年と 60年の兄弟諸党 -17 - ー−xvn-中 国 会議の共同の決定に違背し,ソ連共産党との共同行動を拒否したからには, 共産主義運動の分裂,反帝戦線の弱化の責任はことごとく中国共産党にある とのベた。このあと 9月に入ってプラウダ紙は,各国共産党の中国共産党の 路線と文化大革命を批判する論文をつづけて掲載した。 11月27日のプラウダ 社説は, 「毛沢東とその一派」を反レーニン路線と規定し,毛沢東指導下の 中国との協力を拒否した。また文化大革命をマルクス・レーニン主義に反す るもの,社会主義の大義を害なうもの,科学的共産主義の理想、を危うくする ものである,とのべた。 12月12日のソ共中央委員会決議は現中共指導部の反 レーニン的・大国主義的民族路線を断固暴露し,マルクス・レーニン主義を 擁護するための戦いを開始することを呼びかけた。 このような決定的な対立は当然両国関係を悪化させた。 8月の紅衛兵のソ 連大使館デモに始まって, 10月にはソ連が中国人留学生に帰国命令を出し, 11月には中ソ友好協会訪中代表団が途中で帰国, 12月,中国はソ連紙特派員 の半数の帰国を要求,大連港当局は12月28日ソ連の 1船舶に退去を命令した。 西側情報が中ソの国境対立を伝える中で12月10日陳外交部長は,ソ連が13個 師団をヨーロッパから中国国境に移したことを明らかにした。こうして中ソ の対立は相互に軍事的対決を考慮せねばならないところまできたのである。 こうした状況のもとで11月1日からアルパニア労働党大会が開かれ,これ には親中共派29ヵ国が集まった。または日から始まったブルガリア共産党大 会には親ソ共派70ヵ国が集まった。 (もちろん重複もある,たとえば日本共 産党,朝鮮労働党,ベトナム労働党,ルーマニア共産党。〉中共代表団団長 康生はあいさつの中で次のようにのベた。 「わが党の8期11中総会とプロレ タリア文化大革命は帝国主義,現代修正主義,各国反動派をひどく恐れおの のかせている。かれらは中国で起っている革命のあらしをはばもうとして, いま,反共,反中国の新しい茶番劇を上演しつつある。この公演で主役を演 じているのはソ連共産党である」 「修正主義グループが存在する以上,その 対立面としての革命的なマルクス・レーニン主義政党と組織が存在し,かれ らと闘争する。かれらはいま,理論上,思想、上,政治上,組織上,作風上, 現代修正主義グループとはっきり一線を画している。新しい型のマルクス・ レーニン主義政党と組織の誕生と発展は,現代修正主義に反対するマルクス ー−xv111- 18