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アジアの動向 インドシナ 1967

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(1)

アジアの動向 インドシナ 1967

著者

アジア経済研究所

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

シリーズタイトル

アジア動向年報

雑誌名

アジアの動向1967年版

発行年

1967

出版者

アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00052018

(2)

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ア ジ ア 経 済 研 究 所

(3)

表 (インドシナ〕

通しページ

30 上から16行 Chau X eng Chan Seng 49 下 か ら 7 行 30

50万トン 3 ~ 5 万卜 58 上 か ら 1 行 政争 政府 156 下 か ら 行 地ベトナム 北ベトナム 170 下 か ら 3 行 1400年傾 1600年頃 171 下 か ら 6 行 元相 元首 189 上から12行 作年 昨年

(4)

目 次

1967年の回顧...( i )

年 表 (1967

〔月 間 概 況〕 1 ・2月の動向・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・パ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 3月の動向...,37 4月の動向...67 5月の動向...: .•••••..•.••••••.•••••••••.••••••• •.•••.•••••.••••. • ,99 6月の動向...137 解説。カンボジア国境問題の歴史と国境承認、(6月) ••••••••••••••••.••••••• 169 7月の動向・• • • ・ ・ • • ・ • • • • • • • • • • ・ • • ・ • ・ • ・ ・ • ・ ・ • • ・.•• • • •••• •.••••.••• ••••.••.. 173 解説。プレク・トノット開発計画の内容(7月) .•••••• •••• •••.••••••••••••. 21 8月の動向...21 サイゴン政府の総選挙と解放戦線の臨時大会( 9月) •••••••••••••••••••••••• 25弓 【解 説】 カンボジアと中国の関係(9月) •••••••.•••••••••.••••••••.••••••• 306 10月の動向・• • • • • • • ・ • • • • • • • • • ・ ・ • • • ••. • • • • • • ・ • • • • • • • • • • • • • •• • ••• • •••••••••• 311 11月の動向 ・• • • • • • • • • • ・ • • • • • • • • • • • • • • • ・ • ・ • • • •. ・ • ・ •. •.•.•.•••••••••.••••.• 367 南ベトナム 〔主要事項〕 2.28解放戦線中央委声明(1・2月) ...2 均衡経済成長計画(4月) •.•••••••••••••••• •• •••••••••.• ••.•.•••••••••.•••• 56 接収外国系会社の払下げ基準(4月) ••••.••••.•• ••••••.••••••••••••••••••••• 57 第2次乾期攻勢に対する解放軍の作戦の成果( 5月) ... 99 大統領選立候補者リスト(6月) •••••.•.•.•••••.•••••••.•••.•••.•.•••.•.•• 138 大統領選立候補者最終リスト(7月) ..•••••.•....••••••••••••••••••••••••• 175 行政特別委発表,有権者数(7月) •••••••.•••..••••.••.•••.•.•••••••••• •• 175 立候補者の平和計画( 8月) ••••••••.••••••.•••••••••••••.•• •.••••••.• •••. 215 Huynh tan Phat南ベトナム解放民族戦線中央委員会副議長とのイン タビュー(8月) ••••••••••••••••.•••••..••••••.••••••.•.•.•••••••••••• 216 ワシントンの動向(11月) • • ••••••• •••• ••• •••••..•••••.•••.••••.•.•••••••• 369 - 1ー

(5)

目 次 ベトナム戦争に苦悶するアメリカ(11月) •.•.•.••.•.•...••.•.•...•.. 380 新内閣発足(11月) ...•••••..•..•...•.•••• •••.•••..•...•...•..•..•...•.•. 383 12月のアメリカの和平攻勢(12月) •.••.•.•.•...••.•.•..•.•...•.•.•.•.•.. 4-27 米議会レポートの土地改革批判(12月〉 •. •.•.••.•.•.•.•..•.•.•.•...•..••.•• 428 南 ベ ト ナ ム 〔資 −料〕 南ベトナム解放民族戦線政治綱領( 9月) •...•...•..••..•.••.•...•.•.•.•. 270 クメーノレ・ジュート会社事業報告書 (10月〉 ... ••....•.•.•.•.•.•...•...•. 358 北ベ トナム 〔主要事項〕 米・北ベトナム大統領事筒公表(3月) ..•. ・ .•••.. • .•..••.•••..•.•.•.•... -56 和平交渉に対する北ベトナムの基本的立場(4月) ...•.•...•...•. 79 地方諸級人民委員会の選挙( 5月) •••..•.•.• ••••.•.•.•..••..•••••••.•••.• 121 北爆下の北ベトナム経済状態( 7月) •.•...•.•.••...•.•...•...•. 191 今度北爆拡大の背景( 8月) •••.•.•.•.••.•.•...•.•...•• ..••.••••. .•.•. 232 ファンバンドン首相の重要演説( 8月) ••..•...•••.•.•.••.•.•.•.•.•.•.•.••. 234 最近の中ソ論争における北ベトナムの態度(10月) ..•.•••••..•.•...•..•.••• 329 カンボジア 〔主要事項〕 1967年の輸出入計画( 1・2月) .•.•.•..•.•.•.•.•.•.•.•.•••••••.•.•••.•.•.• -28 1月の輸出入実績( 1 ・2月) .•.•...•..•.•.•.•...•..•.•..•.•..•...•.•.•.•. -28 1967年 1月31日現在カンボジア国立銀行主要勘定( 1・2月) .•...•...•. 29 1967年 2月輸出入実績( 3月〉 ...........................................、..59 カンボジア国立銀行主要勘定1967年 2月28日現在( 3月) .•...•....•..•.•.•.••• 61 3月の輸出入実績( 4月) ..•.•.•...•.•...•...•...•..••.•.•.•••.•.•.. -87 1967年 3月31日現在国立銀行主要勘定( 4月) .•...•.•••..•• ..••.•• .•.•.• -88 南北ベトナムに対する立場(4月) •.••••.•••.••...••.•.•.•.•.•...•.. -89 シアヌーク新政府成立の背景( 5月) ....•...•...•••....•... 129 1967年度国家予算成立( 5月) ・ ・ • ・ • ・ ・ ・ • • ・ ・ ・ ・ ・ • ・ ・ ・ • ・ ・ ・ • • • ・ • ・ ·• ·• ・ ...•.•.•.. 130 4月末現在の輸出入実績( 5月) •.•...•...•..•...•••• •...•...•.•... 131 6月末までの貿易実績( 7月) •..•.•.•••.•••. •.•..•..•••.•..•••.•.•••••.•. 199 国立銀行主要勘定( 7月) .•...••...••..•.•.••.•.•.•.•.•..•....• 201 - 2

(6)

-目 次 諸国のカンボジア現国境線承認(7月) ..••.•..••.•••.••.•••••••.•••.•.•••. 201 1967年7月末までの貿易実績(8月) ..•.••.•.••...•...•.•.• •.•. •...•..• 245 1967年7月31日現在国立銀行主要勘定(8月) ••..•..•.•.••...•.•.•.•.•..• 248 1967年9月末までの輸出入実績(10月) •.•. .•...•....•.•••...•...••.•...• 350 1967年10月末までの貿易実績(11月) .•.... •.••.•••..•••...•• .•.•....••••.. 414 1967年10月31日現在国立銀行主要勘定(11月) •.•...•.•.•..••••.•.•...•••••. 415 カンボジア 〔資 .料〕 カンボジアの籾集荷と米販売とにおける協同組合活動状況(12月) ... 461 - 3 ー

(7)
(8)

イ ン ド シ ナ

1967

年 の 回 顧

第 2次,第 3次と乾期攻勢をかさね,大規模な通常戦にまで発展したこと により,ベトナム戦争は従来とは趣をかえつつある。米軍派遣力が底をつい てきたこと, ドノレ防衛というアメリカ経済の至上命令もあって,これまでの 余裕のある和戦両面政策は行き詰まってきた。米軍介入の当初のねらいが何 であったにせよ,今や50万の米軍は,近代兵器を装備したベトコンと戦火を 交えねばならなくなった。 米軍は6

7

年春第

2

次乾期攻勢で大規模な攻勢を試みた.うえ,後半には政治 的な動きを強めたが7 これに対しベトコンは平定計画をはねのける一方,年 末に至って軍事攻勢にも主導権をとるにいたった。両者のこうした動きは,

68

年秋の米大統領選を控えて,ベトナム戦の決着を早めることになるかもし れぬ要因として注目される。 軍 事 情 勢 政府軍消耗の4割,武器損失の 6割がデルタで起っているともいわれ,食 糧の豊庫であり,べトコンの補給源ともいわれるメコンデルタ地帯への米軍 進出(第

9

師団進駐,海兵隊作戦〉による第

2

次乾期攻勢の幕開けは大いに 注目されたが,見るべき成果がなかった。デノレタが近代兵器の戦場となり得 ないことは従来の経験が示している。むしろその後の経過を見ると,ベトコ ンの撹乱戦術もあって,激戦はサイゴン北方にもたらされた。米軍はベトコ ンの聖域破壊と住民の強制移住をねらいとして大破壊,掃討作戦を展開(

1

月シダフオノレズ作戦,

2

5

月ジヤンクションシチ一作戦,米第

l

,第2

5

歩 兵師団,第

1

7

3

空てい師団,第

1

9

6

軽歩兵旅団等による〉, 戦果は米軍発表 によればベトコン死者2

7

2

8

人,米軍死者

2

8

2

人,負傷者1

5

7

6

人,他に多数の 難民を出した。この作戦は米軍が防衛的な点の支配から一歩を進めるために 破壊作戦の強行にふみ切ったものとして注目される。 一方北ベトナムを刺激するため非武装地帯南に長距離砲陣地が設置され, - 49ー ー− l

(9)

-イ ン ド シ ナ 浸透防止墜の構築がはじまった。

1

9

6

7

2

月,テト休戦にあたってのハノイ 打診の失敗,北への作戦のエ・スカレート,ソ連の態度の硬化などがあって, 戦局の焦点は北部に移った。 4月中部の米第 1騎兵師団の一部がクァンガイ 省作戦に出動,第

1

9

6

軽歩兵旅団

4

千人がタイニン省からチュライ基地に, 第

2

5

歩兵師団第

3

旅団もチュライに,

5

月第

1

0

1

空てい師団

4

千人が北部

3

省に移動させられた。これまで第

1

軍管区の平定を担当していた米海兵隊

7

5

千人は,南下帰郷軍(

17

度線以南出身者約

80

万,

1

9

5

4

年ジュネーブ協定 により北へ集結した〉をおさえるために非武装地帯に進攻した。ケサン,コ ンチェンでの砲撃戦,白兵戦は双方に多大の損害を出した, 5月米軍の死傷 者は

5

千人に達した。米軍はここでも

1

万人の住民をカムロへ強制移住させ た。米海兵隊の動きは,北軍の中部高原への進出を未然にくいとめるものと もいわれたが,

9,

1

0

月にもコンチエンで史上最大の砲撃に見舞われ,泥と 砲弾の雨の中で北への進攻もできぬまま,海兵隊の士気は著しく阻害された という。乾期に入って焦点は再びサイゴン北方に移り,ロクニンへのベトコ ンの突撃,中部高原ダクト丘陵地帯での激戦,ロクニン北のブドプでの激戦 と続いた。これらの戦闘は,カンボジア,ラオスの聖域対策,追跡権の問題 を再び米軍部に喚起さた。

1

0

月,海兵隊3

5

0

0

人が

DMZ(非武装地帯〉に入ったあとうめに第

1

騎兵 師団4

1

0

0

人が北部に移り,第

1

9

8

軽歩兵旅団4

1

0

0

人がダナンに増強された。

1

2

月には第

1

0

1

空てい師団

1

万人がタイニンに入った。しかしこうした米軍 の激しい動きは,兵力の限界を考える時,その戦局に対する楽観論を疑わせ るに十分である。

6

5

年ベトコン正規軍の登場で,米軍の大量投入を強いられ て以来,これを相手として6

7

年後半に入ってベトコンが近代兵器の装備によ り , “新たなゲリラ戦” (8月 2日ニャンザン紙〉を展開しはじめたこと, 第

3

次乾期戦においてはベトコンが主導権をとったこと,ロクニン戦以来, 町に対する攻撃が強化されようとしていることなど,戦局は新たな展開を示 している。 政 局 の 動 き 4月の憲法発布, 9月の大統領および上院議員選挙,

1

0

月の下院議員選挙, ー− 11 -ハ U F h u

(10)

インドシナ 大統領就任式, 11月の新内閣発足じ今年は幾分早すぎた感のある民政移管 が完了した。ベトコンを軍事力で消滅させ,サイゴン政権をハノイと対抗さ せんとする意図のもとにチュー・キ政権は維持されてきたが,この過程で反 政府とは決定的に挟を分かつことになった。 政権づくりの難行に加え,政府支配地域の拡大,平定計画にはほとんど目 ぼしい成果がないようである。現在の米軍兵力では箪の永続的駐留は不可能 のため,住民は強制的にキャンプにおしこめられた。 61年に出された戦略村 のむしかえしである。これは人民の反戦・反米感情を助長させることが多か った,政府軍と米民間当局にまかされていた平定計画が 5月,米軍の指揮下 に統一された。これは軍事援助が大部分を占める,ベトナムに対するアメリ カの援助方式の結末ともいえるし,より基本的には政府ないし政府軍の課題 が依然として成しとげられていないということであろう。ベトコンとの戦い が民心をつかむための闘いであるなら,難民の増大,その対策としての難民 援助資金運用上の不手際,物資不足による物価上昇,輸入対策が追いつかぬ ことなど,これらの問題がますます重大化して行く傾向にあることを考える と,サイゴン政府の前途は依然として暗いといえる。 年末和平への動きが注目された時,サイゴン市民から出たのは,和平を望 む芦であり,米政府の一方的取引に対する懸念であったが,こうした期待に 答える考えを打ち出した大統領選立候補者は失格とされたし,落選立候補者 は閣外に去った。チュー ・キ政権がこのまま独走を続け得るかどうかは,米 軍の支配体制と南ベトナム国民感情との遊離を考えるとき,その方向を疑わ せるものであるし,このことは米当局にとっても頭の痛い問題であろう。 増派と北爆と和平 増派問題はワシントンと現地軍との重要折衝議題であった。マクナマラ長 官は

1

月2

5

日「べトコン増強は頭打ち」として年末兵力を47万

5

千人と予想 したが, 3月 6日には「年末,来年上半期をめどに兵力増派計画あり」と言 明,一方現地の要求は年内50万,来年6

0

万といわれ,

3

月1

8

日ウエストモー ランド,シャープ両司令官はジョンソン大統領に要求を伝えたが,米政府は 難色を示した, 4月20日米統合参謀本部はマクナマラ長官に来年半ばまでに - 51ー

(11)

イ ン ド シ ナ

7

万を増派(46.6+7方〉するよう要求,米政府は予備役召集の世論に与え る影響と戦費塘加(6

8

年度国防費枠内では6

8

年半ばまでに48万を派遣できる〉 を考慮して,

4

5

千に制限したが,米軍首脳部も向う数ヵ月に

7

万の増派 が可能との報告を提出した。

7

月1

2

日マクナマラ長官は「

3ヵ月以内に

2

∼ 3万増派(→4

8

万〉」との既定方針を出し,サイゴン訪問時には,増派よりも 現兵力の効率的利用を考えよと述べた。 45万の米軍兵力の内,前線に出てい るのは 7万ともいわれ,加えて政府軍,国民の士気低下が問題となったo ま たテーラー,クリフォード両氏が参戦国を訪問し,増派の要請を行なった。

7

月1

3

日ジョンソン大統領はマクナマラ長官,ワエストモーランド司令官, ホイラー統合参謀本部議長と協議した結果,最終的な増派決定がなされ,

8

月 3日大統領は10%の増税提案(法人,個人税〉とともに, 6月半ばまでに4 方5千の増強上乗せ〈→52万5千〉を発表し,増派の要求を受け入れながら も,かなり抑制的態度を示した。ウエストモーランド司令官は52万の配備で 完全な体制であると述べ,楽観的見通しを説いた。 65年のベトコン正規軍登場以後,ペトコンのゲリラ戦術によって大量の投 入を強いられ,兵力の分散,奥深くへの展開を余儀なくされた米軍兵力は, 後方部隊の削減,新たな師団編成により,ととで戦術転換を迫られているよ うにも見える。 現地の米軍司令官達はベトナム戦争の行詰りを打開するため,あらゆる理 由を見出して,北ベトナム,カンボジア,ラオスへの拡大をはかつてきた。 一連のトンキン湾事件からベトコンのプレ}ク攻撃,これに対し北軍の南へ の侵入を口実に北爆の開始,こうした現地軍の行動はワシントンにも支持さ れ,政治的に北ベトナムを交渉のテーブ、ノレに引き出すための手段として利用 された。 北爆は計画的エスカレーションを続け,重要軍事目標から経済施設および 人口密集地にまで拡大された。目標制限が次第にゆるめられたため,マクナ マラ国防長官は当初の目的からはずれることをおそれで,反対の態度を表明 した。北ベトナム指導者にいわせれば,北爆策には7.}IJの面での政治的ねらい があった。即ちこれによって南ベトナム政府および軍隊を崩壊から救うこと ができ,米軍の士気高揚にもなるというものであった。加えて北ベトナムの 一− IV一一 - 52ー

(12)

イ ン ド シ ナ 社会主義建設を妨害するということもあった。 しかし際限のない北爆の拡大は,まさに米国のこうした意図の失敗を示し ているとともいえるo社会主義建設は停滞するどころか,北爆下にますます 進展しているとしばしば伝えられているし,米軍は軍事的にも損害を受け, 北上空で撃墜された機数は,北爆開始以来

1

2

16

日まで

2

6

3

5

機に達し(米側 の発表では

1

0

月1

5

日までに

7

0

1

機〉,優秀ノfイロット多数(米側発表では

500

人〉が捕虜となった。また米国民をも含む世界の人々が北ベトナムに同情し 米国を批判した。 タイ政府がカンボジアの近隣 2省の国境線を認めないため,カンボジアと タイ両国軍は国境で衝突を繰り返した。カンボジアと南ベトナムとの国境は 不明確で,加えて,ウエスモーランド司令官はカンボジアも戦争拡大圏と考 えているようであり,米軍と南ベトナム政府軍は越境作戦を実施,米政府も 米軍の自衛のためなら,追跡権を認めると発表した。シアヌーク元首は自力 防衛を説きながらも,もしそれができない場合は友好国に支援を呼びかける と警告した。 こうした戦火の拡大が,ベトナムでの米国の負担を増大させながら行なわ れることは,米政府当局者にとって決して得策ではない。ではベトナム戦を 終結に導く道はあるだろうか,マクナマラ氏の辞任発表が,長期ゲリラ戦の 放棄を意味するものであるなら,今後軍事的にも終結への動きが活発化しよ う。だがこうした転換を余儀なくされたということが,実は南ベトナムでの 政治動向と裏腹の関係にあることを見逃すわけに行かぬ。これまでの北爆, 増派による和平押付けは,

1

7

度線を境にして南ベ トナムに韓国型政権を樹立 し,平定計画によってその基礎を作ることをねらいとしたが,ベトコンの支 配力をおかすに至らなかった。次善の策としては,親米中立勢力を立て,ベ トコンとの連合政権を作ることであろうが,このためには新たな民族主義勢 力の確立とこれをベトコ.ン,国民が認めることが必要であるし,米政府がベ トコンを承認することが条件となる,またその際米軍駐留の問題を解決せね ばならぬ。北ベトナムとの

i

話合いにおいては北軍の撤退が議題となり,統一 は将来の問題となろう。これはいわゆるラオス型解決であり,ジュネーブ型 会議の産物として生まれるものである。当面の問題は連合政権を主宰する代 q ο E d ー−V

(13)

イ ン ド シ ナ 表者がいるかどうかであろう,もしベトコンと連合すればベトコンの支配下 になるのではないかとの恐れがあって,米政府はベトコンの承認を控えてい るのである。 ベトコンの動き ベトコンのいう連合政権とは,各階層各団体の代表者の集まりを指す。い わゆる戦争当事者双方の“和平交渉”によるラオス型の連立ということでは ない。ベトコンにとって,あるいは北ベトナムにとって今度の戦争が抗仏戦 に引き続きアメリカを相手とした南の解放,南北統ーというベトナム人民の 悲願をかけた戦争であることを念頭におけば,これは当然のことであろう。 こうした意味ではベトコンを共産主義者と決めつけるわけにはいかないし, 軍事的にはチャンナムチュン氏ら強硬派の勢力が支配的になってきてはいる ものの,やはり諸階層の利害と総力の結集というこつの課題を結びつけるた めにかなり柔軟な政治的プログラムが行なわれていることは疑いない。これ はベトナム人民に伝統的な知恵ともいうべきものかも知れぬ。ニャンザン論 評によれば抗米戦は新段階に入ったといわれる。新政治綱領発表とその後の 軍事的攻勢,都市部への攻勢の活発化はベトコンの新戦術の兆しともとれる。 65年のベトコン正規軍の登場,その後 3年間に米軍は5.0万の兵力を全土に配 備してベトコンと対処せねばならなくなったこと。加えてこれ以上の兵力増 派が不可能になっていること, 68年秋に米大統領選挙があることから,ベト コンは68年乾期攻勢をかなり重視しているようである。北軍の大規模な動 員,パテトラオの動きを考えると,今や米軍は容易ならぬ危機に直面してい .るといえる。 北ベトナムの動き 北ベトナム労働党と政府の基本政策は,南部を解放,北部を防衛,社会主 義制度を建設,平和的に祖国を統一することであるo この政策を実施するた め,党と政府は政治,経済および軍事を強化しなければならない。北ベトナ ムの

1

9

6

7

年の政治,外交などの動きには次のようなことが重点としてとり上 げられよう。 - 54ー

(14)

イ ン ド シ ナ 祖国戦線拡大会議一一北爆のエスカレーションにより軍事目標だけでな く,経済施設および人口密集地区にも爆撃が行なわれた。こうした情勢に 対処するため,祖国戦線幹部会は拡大会議(

3

8日〉を開き,会議に参

加した全代表〈各階層の代表)に,今後抗米救国および南部支援の任務は 労働党と政府だけでなく,全人民の各階層の任務であると訴えた。この呼 びかけによって,都市の一般市民は積極的に戦闘と生産に参加した。 地方人民委員会選挙一一労働党と政府は地方を防衛し,食糧を確保する ため,農村の人民に戦闘と生産に参加するよう呼びかけた。とくに,北爆 の激化のため政府の機関,国家の財産,都市の工場が各地方に分散した。 今や各地方での戦闘と防衛を強化し,政府の財産を擁護し,また工場の管 理および生産,農業生産の維持および増産という重要な任務を遂行するた めには,地方の有能な指導層が必要であるo このため4月20日に地方人民委員会〈省,県,君

R

,村市町委員会〉の選 挙が行なわれた。この選挙の結果は労働党の党員当選率より,党外技術者・ 専門家(56%)および婦人(60%)の当選率が多かった。この選挙により

1

9

6

7

年に地方で、は工業施設が着々と完成し,人民の必要物資の生産がはじ まった。農業方面でも集団的生産によって,生産量が増加した(ハノイ発 表〉。北ベトナム労苦手j党のもう一つの意図は, 戦時体制を利用し,都市に 密集した人口を疎開させ,工場と労働者を農村に分散させ,また農民を, 工場の生産に参加させることにより,農村と都市,農民と労働者の格差を なくし,同時に社会主義制度の建設を促進させんとすることにあった。現 在農民世帯の94%は,

2

万6

7

8

9

の合作社に加入し,北爆以前の

2

倍に増加 したとハノイは強調している。 和平交渉に対する態度一一北ベトナムの党と政府はベトナム問題の解決 について,北では北爆停止,南では外国の干渉を排し,南ベトナム人民自 身で解決すること,これは民族の最低限の権利であると何回も繰り返し強 調し,米英の和平提案に対して民族の権利を無視するものであると再三非 難し,拒否した。 中ソ聞の態度一一北の労働党は伝統的中道路線を堅持し続けた。

1

9

6

7

年 の中ソ両国の国慶節に二つの代表団を送り,イデオロギー論争より抗米救 F h U F O 一一vu一一

(15)

イ ン ド シ ナ 国を優先すべきだと訴えた。またベトナム人民戦争は世界人民戦争あるい は民族解放運動の模範となる戦争であると強調した。レタンギ副首相代表 団を中ソなど東欧諸国へ派遣し,軍事,経済援助増加の約束を獲得し,ソ 連は

1

968

年度分として,約

2

億ドノレ相当額を援助すると約束した。また中 国は具体的に発表していないがソ連と同程度の額を援助する模様であるo 今後,北ベトナムは共産圏からの多額の援助により,とくに米国の1

9

6

8

年 秋の大統領選挙を考慮に入れて,民族の権利を達成するまで,現状路線をと っていくものと思われる。 カンボジアの動き カンボジアはシアヌーク元首の指導の下に,インドシナ動乱の中で中立政 策を引き続き堅持してきたが,隣接ベトナムの戦火の激化は,同国の政治情 勢に危機を投影している。

1967

年におけるカンボジアの政治外交および経済 の焦点は次のとおりである。 圏内政治情勢一一ベトナム戦争の影響でカンボジアの政情は不安定を続 けた。国内左右両派はとの戦争に対して,表面的にも潜在的にも対立を続 けていたので,国家の諸計画はうまく運営することができなかった。

1

9

6

6

年末にロンノノレ親西欧内閣が成立したが,国会の内外で左派勢力の非協力 により国家計画,とくに

1

9

6

7

年度の予算を成立さすことができなかった。 結局,同内閣は 4

月30

日総辞職に追いとまれた。シアヌーク元首は再び新 内閣を直接に指揮しなければならなかった。しかし左右両勢力は農村で反 政府活動を続けた。親米派(自由クメーノレ〉は米,タイおよび南ベトナム の援助と訓練を受け,国内に潜入し,右派と合流し,政府の機関を破壊し ていた。一方,親共派(赤クメーノレ〉は外国の援助を受けてはいない模様 で,旧クメーノレ ・ベトミンの残党とみられる。彼らはシアヌーク殿下の政 策に反対し,毛沢東路線を支持しているo

1

967

年の後半に親共派は中共の 文化大革命を支持し,政府の中立政策を非難したので,シアヌーク元首は, 左派

2

閣僚(

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両氏〉の辞任を要求し,カンボジアと 中共との関係は断絶に近い所にまで追い込まれた。他方,政府は軍隊を移 動し,両派勢カを掃討し,全閣僚を農村へ派遣し,農民の意思と不満を調 ーーv111- - 56ー

(16)

イ ン ド シ ナ 査した。しかし,シアヌーク元首は左右両派の勢力の絶滅がむずかしいも のであることを認めたようであるo 対外関係一一カンボジアの1967年外交政策の焦点は国境線の承認、問題で あった。シアヌーク元首は各国へ国境線承認を要求する覚書を送ったが, ベトコン,北ベトナムを含めて共産圏諸国はそろって承認し,その他フラ ンス,西独など西欧諸国も承認の回答をした。ベトコン,北ベトナムとの 関係の障害は国境問題であり,今その障害が除かれたので北ベトナムと正 式に外交を樹立し,ベトコンのプノンペン常駐代表部も認められた。シア ヌーク元首がベトコンを認めるもう一つの理由は,ベトコンが米軍の第 2 次乾期攻勢を打ち破ったので,ベトコンの勝利を確信したためでもあった。 経済事情←ーソンサン新内閣の成立(5月 2日〉後, 1967年の国家予算 が成立をみ,歳出総額66億8600万〈実績55億6000万〉,歳入総額54億4000 万リエノレにのぼった。赤字額は特別収入でうめられる。カンボジア経済は 自力更生の政策によって,輸出増加と輸入減少の方針を実施した。同国の 主要輸出品は米,ゴムなど農産物であり,輪出増加のため,生産を増加さ せなければならないので,政府は農業問題に対して,あらゆる努カを払っ た,その結果,政府の発表によれば, 1966

67年の米生産総量256万トン に対し, 1967∼68年の生産は 270万トンに達した。政府は今年のはじめヤ ミ商と密輸を防止したので、米の輸出がのび、たのであろう。 カンボジアは今後,国内では左右両勢力を徹底的に弾圧し,対外的には中 立政策を堅持しながら,ベトコンと北ベトナムの勝利を信じ両者との関係、を 維持し続けていくだろう。 ラ オ ス の 動 き ベトナム戦争のかげにかくれてラオス情勢は軽視されているかに見えるo フ。ーマ首相は10, 11月ジョンソン大統領と会談,ラオス軍事情勢の危機を訴 えたが,ベトナム戦の重荷があって米軍部は積極的介入に踏みきるようにも 見えない。右派内部ではクープラシト ・アパイプーイ ・サナニコン派〈中部〉 と南部右派勢力が対立,サナニコン派はプーマ首相に協力して多数勢力を維 持し,プーマ首相はベトナム戦火拡大,マクナマラの壁構築,ホー・ノレート - 57-

x

(17)

イ ン ド シ ナ 爆撃,その発進基地であるタイとの関係などの問題で,バンコク,ワシントン へしばしばおもむいた。プーマ首相が北ベトナムを非難した結果,同国との 関係は悪化し,駐北ベトナム ・ラオス大使は

9

月召還された。

4

月にはホノレ ト豪首相, 9月には佐藤首相の訪問があって,との両機会にラオスへの援助 が要請された。中立派軍の崩壊後の左右の緊張状態によって,ラオスは再び アメリカのベトナム戦略の中に組み込まれることになったが,ベトコンが

1

7

度線で米軍をくいとめたことにより,パテトラオの動きは目立たなかった。 年末に至って北部のノレアンプラパン北方および南部サパナケト付近での政府 軍の敗北はプーマ政権の今後の動きを左右するものとして,またベトナム戦 〈ホー ・ノレート〉に対するパテトラオの牽制として注目される。 ー』 X 一ー p h υ o o

(18)

イ ン ド シ ナ

ベトナム戦争の当事者らは例年通りクリスマスと新年および旧正月に当り 南ベトナムの全戦場と北爆を含めて停戦を実施し,特に旧正月停戦ではベト コン側は民族の慣習によって 7日聞く

8

日∼ 15日〉の停戦を提案したが,米 軍側は 4日間( 8日∼11日〉だけ停戦するとの対案を出した。米政府は停戦 期間中,再び和平攻勢を試みた。英政府は米国に代って,米と南北ベトナム 和平会談の提案を送り,米・南ベトナムから歓迎の意向を得たが,北ベトナ ム政府はベトコンの存在を無視していることと英政府には和平調停の資格が ないとの理由でこの提案を拒否した。またウ・タント国連事務総長もまず北 爆の長期間の停止とべトコンを含めて和平会議を行なおうとの提案を発表し たが,北側は米 ・南ベトナムがジュネーブ協定を守るならばウ ・タント総長 の提案は必要ない,ジュネーブ協定が存在している限り国連介入は同協定に 反するとの解釈を伝え,間接的に拒否回答を示した。米国などは和平交渉を せまっているが,北ベトナム外相は,圧力の下では交渉に応じない,まず北 爆が無条件に停止されてはじめて,米国との会談が可能だと主張した。その 主張は英ソ首脳会談でもとりあげられ,英ソ首脳はジュネーブ協定の議長国 として,同会談でベトナム問題の解決方法をみいだすため協議したが,ソ連 首相は北ベトナムの主張を支持するだけでなく,英首相を通じて米国にベト ナム和平交渉の第一条件として北爆停止を強く要求し,結局j英ソ会談でも 同問題の解決方法をみだすことができなかった。米政府は英ソ首相の会談に 対して非常な期待を示し,旧正月北爆停止の期限が終っても 2, 3日間は延 長していたが,会談が失敗に終るとただちにジョンソン大統領自から北爆再 開の声明を発表し,米政府は北ベトナムが和平会談に応じないだけでなく停 戦期間中,南ベトナムヘ人員と物資を送り続けているとの理由で北爆を再開 したと主張した。しかし,実際には米政府内の軍部とタカ派の圧力で北爆再 開が行なわれたとの観測もある。現に最近,米軍首脳は口をそろえて北爆の 拡大と強化を主張し,ホーイラー統合参謀議長は

SEATO

会議に出席して帰 - 75ー 一( 1 )ー

(19)

イ ン ド シ ナ ( 1・2月〉 国 直 後 , 北 爆 は 米 国 の 東 南 ア ジ ア 軍 事 戦 略 の 一 部 で あ る か ら や め る こ と は で き な い と 述 べ , テ ー ラ ー 将 軍 ( 前 駐 南 ベ ト ナ ム 大 使 〉 も 北 爆 を 維 持 す る だ け でなくむしろ拡大し,ハイフォン港を機雷投下で封鎖せよと提唱している。 米 政 府 は そ の 強 硬 派 のJ

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カ に 屈 服 し て い る 模 様 で , 今 後 , 米 国 内 と 世 界 世 論 の非難を無視して政治外交より軍事優先の道を選ぶほかないであろう。 南 ベ ト ナ ム φ2.28解放戦線中央委声明 ジョンソン政府は, 14α))jj羽ベトナム人民に対するため, JOO万余りの侵略軍を動 員した。米遠征軍はすでに 1964年末の2万3千人から現在の41:万人余りにふえてい る。第 7艦隊およびタイ,フイリヒ。ン,沖縄,グアム島などに常駐する米軍をふくめ ると,南ベトナム侵略戦争に参加している米軍総数は50万人を越え,朝鮮侵略戦争に 参加した米軍の数を大きく上回る。米帝国主義は近代的な戦争手段を使用すると同時 に, ヒトラーと中世の暴君が使った人間性を失った虐殺手段を用い, 「殺しつくし, こわしつくし,焼きつくす

J

政策をとり,きわめて野ばんな犯罪行為を犯した。 との 2年余りの聞に, 米帝国主義はその南ベトナムにおける失敗を救うため,大っ ぴらに飛行機と軍慨を使って北ベトナムに破壊的な戦争をしかけ,全ベトナム人民に 多くの新たな犯罪を犯した。 米帝国主義は, 1700万北ベトナム同胞に対し,その南ベトナム同胞の解放事業を支 援する神聖な権利と義務を放棄するよう要求している。同時に,米帝国主義は,南ベ トナムの各階層の人民が南ベトナム解放民族戦線の指導のもとに進めている抗米救国 戦争を否定するとともに,南ベトナム人民に戦闘を停止するよう要求している。 米帝国主義はまた, ラオスにおける「特殊戦争Jをたえず拡大し,ラオス問題に関 する19621'1'・のジュネ ープ協定を破壊し,カンボジアに対し連続して襲撃と挑発を加え, 全インドシナを戦場に変えようとたくらんでいる。 ジョン Yン一味の「平和jの論調がペテンにすぎず,その実際行動が戦争を激化, 拡大するものであり, その陰謀が南ベトナムにあくまでもいすわり,南ベトナムを長 期にわたって分割しようとするものであることはきわめて明らかである。南ベトナム における米国のかたくなな侵略政策が当面のインドシナとアジアのきわめて重大な情 勢をもたらした根源であることはきわめて明らかである。 一( 2 )ー - 76ー

(20)

南ベトナム(1・2月〉 こうした情勢に直面して,南ベトナム解放民族戦線は, 1965年3月22日に発表した 歴史的意義をもっ声明で明らかにされた1400万南・ベトナム人民の立場と戦闘の決意を おごそかに再度強調する必要があると考える。 米帝国主義の侵略に反抗し, 独立,民主,平和,中立,さらには祖国の統ーをかち とることは,南ベトナム人民の正当な権利であり,出ベトナム人民が祖闘につくすベ き光栄ある任務であり, 独立,自由,平和,民主,社会の進歩をめざしてたたかって いる世界各国人民に対して果たすべき鉄高な義務である。 南ベトナムに民は

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ベトナム解放氏族戦線の指導のもとに, すでに,そしてまさに 敵に当然の懲罰を与えつつあり, たえず大きな勝利を得ているυ 12)i余の米軍, 'Z77i 人のかいらい軍および i万人の共犯者軍がせん滅され, 1966年だけでもせん滅された 米軍は, 1965年の5倍にのぼっている。北ベトナムの同胞は米強政へのつよい憎しみ を抱き, 1700機近くの米機を撃墜,多くの米飛行士を捕えた。 南ベトナム解放民族戦線は南ベトナム軍民が団結を強め,米遠征軍とそのかいらい 軍の第2次「乾期戦略的反攻」計画およびすべての侵略計画を打ち破り, いっそう大 きく輝やかしい勝利を奪取するよう呼びかける。 ジョンソン一味のいかなる侵略行動も当然の懲罰を受けるであろう。南ベトナム人 民は平和を熱愛しているが,彼らの愛する祖国の国土の上に米侵略軍がし、る限り,決 して武器を手ばなさない。南ベトナム解放民族戦線は,北ベトナムの同胞とともに, 南ベトナムを解放し,北ベトナムを守り,さらには祖国を統一するという神聖な義務 をはたすため奮闘することを決意している。 南ベトナム解放民族戦線は,世界の自由と平和を愛し,正義を主張する各国政府, 人民および一切の進歩的な組織と人びとが, その影響力と可能な方法を使って,米国 に対し,ベトナム侵略戦争をやめ,ベトナム民主共和国への爆撃, その他一切の戦争 行動を永久かつ無条件に停止するよう要求し,米国が南ベトナムから米国の一切の軍 隊とその共犯者軍を撤退させるよう要求し,南ベトナム人民の唯一の真の代表一一南 ベトナム解放民族戦線の綱領にもとづいて南ベトナム人民自身に自身の内部問題を解 決させ,米侵略者を完全に打ち破るため,南ベトナム人民の抗米救国戦争に道義的, 政治的,物質的にいっそう強力な支持を寄せるよう心から呼びかける。 - 77ー 一( 3 )ー

(21)

イ ン ド シ ナ ( 1・2月) 〔I〕 政 1 月 1 目 ’ベトコン発表, までと発表。 :A 旧正月に 1週間停戦(2.8∼15)一一米,政府軍は 2.8∼11 ’テラパダ派,統一仏教協会から脱退 ‘、T67年革命開発計画一一タン革命開発相言明「67年度資金30億ピアストノレ, 66 年度25億ピアストノレJ,「66年度−は計画の75%実現」。 2 日 V ド外相,英外相に返書一一「北,米,南代表による停戦会談提案(66.12.30) 受入れ。

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3 8 Vフランス系学校の閉鎖一一反米気運のもりあがりと共に反仏感情の高まりが 強い中で,政府は9月以降はフランス系小学校の新規募集をとりやめるととを決 定。現在の生徒が中学校を卒業する73年にはフランス系学校は廃止される。現在 l万 2千の生徒〈内ベトナム人 l万人〉がフランス政府経営の中学校( 5校),小 学校(8校〉に,また 3万人が私立のフランス系学校に在校中。 4

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Vベトコン,英の 3国和平会談提案拒否一一ブラウン英外相による米,南北ベ トナム和平会談呼びかけに対し,米,南ベトナム政府は応じたが,ベトコン,北ベ トナムは「ベ トナム人民の真の代表はベトコンである

J

とこの提案を拒否した。 8 8 Vホイーラ一統参議長,南ベトナム視察一一13日帰国記者会見「デルタ作戦は 今後拡大しよう」 16日記者会見 「北爆は米国の東南ア戦略上不可欠J。 9 8 Vベトコン外交委声明,タイに報復一一(LPA)「タイ政府が米機による南, 北爆基地を提供し,南ベトナムへ戦闘部隊の派遣を続けるなら,南ベトナム軍民 は合法的自衛権を行使し,打撃を加えるための必要な策をとるだろう。

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10日 V共産兵力は28万一一ウエストモーランド司令官は「共産側は現在南ベトナム に9個師団をもち,総兵力は28万を越えている

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と述べ,さらにことしの戦局見 通しについてつぎのように語った。 0 向こう 1年間,共産側はいよいよ小部隊のゲ、リラ型戦闘に頼ることにな るうが,その半面では大部隊による血なまぐさい戦闘も行なうだろう。これは とくに中部山岳地帯と北部諸省で行なわれよう。 0 共産側が去年師団規模の部隊を創設したのは,その軍事機構の新たな発 展である。 ’ ・ 6 一( 4 )ー -

(22)

78-南 ベ ト ナ ム (1・2月〉 0 共産側は去年少なくとも 5万の死者を出したが,これは前年にくらべて 55%増である。 V制憲議会「憲法拒否」の改正要求一一制憲議会首脳および有力政党指導者は 記者会見し, 「議会は国家指導委員会にたいし,国家指導委員会がにぎ、っている 憲法草案の拒否権と現議員の任期延長にかんし改正要求をする

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と発表した。 これは最近,急速に軍事政権反対に傾いていた制憲議会が正面から軍事政権に たいして挑戦を始めたことを意味し,ここしばらく平静を保っていた南ベトナム の政情は,軍事政権と制憲議会の対立という新しい形で再燃する恐れが強まって きた。 12日 V第1軍団長会見ーーホアンスアンラム第1軍団長は記者会見で言明「中部に おける反乱のうわさは事実無根j。 13日 V解放通信,豪・韓の増派を非難一一(LPA論評〉米筋によれば,ブイリピ ン,ニュージランドは新たな増派を計画している。オーストラリアは2千の増派 を決定,韓国は若干の増派,パイロットの派遣を決めた。タイはl千の増派を約 束している。 「侵略の国際化は,米国の経済的困難をすくうためのもので,韓国兵の給料は

G.I. の ~13 にすぎず, 5 方人の韓国兵をまかなうのに2500万ドルでたりる。 2

個師団の派遣の見返りに韓国は1億1000万ドノレ受けとり,南ベトナムへの輸出, I億ドノレの特需を受けた。JFar Eastern E. R.によれば,フィリピンは 7億2500 万ドル受けとった。 1966年米兵10万8000人,衛生国軍1万人(ほとんど韓国兵〉 が死傷,米機1600が北で破壊された。もし衛生国が米国のあとに続くなら彼らに 一層の打撃が加えられよう。」(VNA) 17日 V南政府,ベトコンの旧正月延長提案を拒否 Vキ首相, 豪・ ニュージーランド訪問へ 19日 V軍民会議,農民協会の地位を討議ーーデノレタ各省歓迎 LriuVu'u Le報告「農 民協会は革命開発政策を担うものだがメンバーは20万にすぎ、ぬ。協同組合のメン ノミーは10万。政府は組織拡大のため援助せよ,協同組合と農民協会の統合が必要」 24日 Vクーデター未遂, 90人逮捕ーーサイゴンの消息筋によれば,ラン ・クアン ・ チ第 9師団長(メコンデルタのサデク駐留〉の南部出身将校グルーフ。によるクー デター計画が未遂に終り,同師団長はじめ約90人の将校が逮捕された。 同筋によれば,軍内部の南部出身グノレーフ。がニュージーランド訪問中のキ首相 ら北部出身グノレ」フ。に反旗を翻し,最高指導者としては同じく海外旅行中のヨ副 - 79一 一 ( 5 )ー

(23)

/ イ ン ド シ ナ ( 1・2月〉 首相兼国防相をたてていた。 23日サイゴン空港は閉鎖され,コ副首相の帰国が阻 止されている。25日コ副首相は香港でリン・カン ・ピエン治安相と会議。 26日

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キ首相帰国 27日 Vベトコン・カイロ代表,米国とベトコンの接触報道を否定 27日 V コ高IJ首相追放,国防相に統参議長カオ・パン・ピヱン中将を任命 (カトリッ ク) Vプレーク省知事に NayLo (プレーク山岳民族訓練所長)ー ・山岳民族出身者 がこの地イ立にっし、たのははじめて。 28日 Vベトコン・アルジェ代表,捕虜問題で米国と交渉との報道を否定’ V新内閣発表一一・国防相にカオ・グァン ・グイエン将軍(統参議長を兼任グィ エンチャン出身), 経済財政相にチョン ・タイ ・トン(首相府長官兼任,もと工 業,手工業長官), 工業手工業長官にLathanh Nghe (制慾議会議員,サイゴン 市議会議長,カント出身〉,駐米大使にプイ ・デイエム(もと外務長官〉,副首相 はグヱン・ルー・ピエン1人。

29日 Vヴィンピン省の Traonおよび YungLiem地区ヴィンロン省に

31日 Vベトコン副議長フィン・タン・ファト声明一一 「南の人民は米国が北ベトナ ムに対する爆撃と,いっさいの戦争行為を即時無条件停止するよう要求する。米 帝が北ベトナム攻撃を続ける限り南の軍と人民はさらにふさわしい形で懲罰を加 えるためなお闘いを強化する。北ベトナムの正当な立場と態度はベトナム全体の 願望と一致するものであり,解放戦線はこれは同意し,支持する。北ベトナムの 2 月 4条件と解放戦線の 5条件はともにベトナム問題解決の唯一の正しい基礎であ る。南の解放戦線の闘いは国際法に合致する自衛の戦いであり,解放戦線は南の 人民の唯一の代表として認められねばならぬJ。 これはグ、エン・ドイ・チン北外 相のパチエット記者に対する回答を支持して行なわれた。

f Dinh TrinhChinhタイ大使へ, Le Ngoc Chanイギリス大使へ

1 日 V軍より民間人に多い死傷者 (I日ニューヨーク・タイムズ)一一アメリカの 民間使節団の調査によると,昨年12月中に,南ベトナム全土の政府病院に入院し た民間人の患者 3万3475人のうち, 7.5%の2510人は戦傷者である。閉じ期間の 政府軍の死者は 815人で,政府軍の負傷者数は過去 6ヵ月発表されていないが, 過去6年間の統計からみて,死者数の2倍に当たるとみられる。民間人の負傷者 で病院に運ぼれない者の数は含まれていない。 一( 6 )ー - 80ー

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南 ベ ト ナ ム (1

2月〉 7 日 Vカオダイ教の和平構想一一南ベトナム・カオダイ教徒の PhamUy Nhung 師は国連事務総長,ジョンソン米大統領,グエン・パン・チュー国家元首,グエ ン・カオ・キ首相,ホー・チ・ミン大統領,ファン・パン・ドン首相に書簡を送 り,サイゴンならびにハノイ政府と南ベトナム解放戦線の間の接触を打ちたてる ため南ベトナムの宗教家,知識人,農民よりなる代表団を組織することを示唆し た。同断

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はベトナムの平和l達成のための5項目よりなる次のような計画を提案し ている。 0南ベトナムの宗教家,知識人,農民からなる代表団が,カンボジア,ピル マ,ラオスのような中立国で接触の機会を作り,意見,立場を比較対照する。 0協定が達成されたならば,外国軍は無条件に北爆を停止する。 0非公式接触で,平和のための公式会談の計画を立て,会談の問の外国軍お よひ宵ベトナム解放軍の駐屯方式を定める。〈サイゴン AF P) 11日 V駐ラオス大使PhomT rongNhon辞任 13日 V米経済代表団訪問一一団長 D.Lilienthal氏戦後の経済開発の問題について 調査。

14 8 Vカンナム省長に Letri Tin中佐 15日 Vキ首相,韓国首相と会談一一軍事的協力関係の強化,特に韓国軍1個連隊以 上の増派,空軍1個部隊の派遣問題が討議されたといわれる。 16日 クメール人問題一一ベトナムのクメール人がぎやく待されているとのカンボジ ア政府の抗議に対し政府は,国連の南ベトナム代表に「南ベトナムのクメーノレ人 はベトナム国民と見なされる。政府はカンボジアからのベトコンのテロに抗議し ている,国連の調査を受け入れる用意あり」との点を強調するよう指示した。 17日 Vベトコンおよび北ベトナム代表,北京で中共軍首脳と会談 (北京消息筋〉 ¥9日 V和平反対デモ一一カトリック 3千人がBui Mon難民センターで集合, I万 人がビ、エン・ボア省BuiTieng村で集合。いずれも共産主義者に対する“false peace句キャンペーンに抗議して行なわれたもの, Strugglefor Just Peace委員 会主催,問委員会は制緩審議会,軍民会議に手紙を送り,内外の誤った和平推進, 連合政府への動きに反対し, j1tij議会がこの問題に対する態度を明らかにするよう 訴えた。 20日

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土地セミナー開催一一土地監督局による農地改革セミナーがはじまった。平 定地区の耕作,地代統制,入植センターの問題など。 21日 Vチュ一議長演説 (ミト〉一一「草命開発計画が強力に遂行されれば戦争は4年 - 81 - 一( 5 )ー

(25)

イ ン ド シ ナ ( 1

2月〉 で終結しようj,「現在の幹部 3万人は不十分」,「過去 2年国情安定化,民主主義 建設につとめた,残った任務は少なくとも 4年で農村を平定すること。J Vカンチン省長に Hoangdinh Tho中佐

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ベルナル・ファル教授爆死 Vパリに亡命政権の噂一一ブー・ロク氏(元首相)はグエン・フー ・ト議長と 共に亡命政権樹立の鳴を否定した。(A FPパリ〉政府筋情報はブー ・ホイ氏を 首班とする亡命政権樹立の動きを伝えている。 V米軍憲兵と労働者乱闘一一ピエンホア近くのランビンの米軍作業所で労働者 とM Pが乱闘し負傷者を出した。2500人のベトナム人労働者がサイゴン・ピエ ンホア問輸送手当の増額を要求してスト中である。 22日 V解放戦線中央委声明一一ベトコン中央委員会は声明を発表し「ベトナム南部 の人民は平和を熱愛している。しかしかれらの愛する祖国の地上にアメリカ侵略 軍が残っている限り,かれらは決して武器を手放さないだろうJと述べた。 Vキ首相演説一一村落行政改革セミナーでキ首相演説「共産主議者に勝つため には,&情が安定せねばならぬ。重要なのは民間政府か軍事政権かとけのでは なく,国民によって選出された政府であることJ。 27日 V参戦国大使会談(サイゴン〉ー一一帰Ji慎省〈テュホイ〉次官 PhamAnh報告 「66年2万人帰IJ頂,内1万3千人軍人,今年は4万5千人のベトコンを目標に予 算1130万 1千ピアストル。すでに50の特殊村を建設, 5千の家族を収容する準備 が出来ているo 革命開発省代表Hoangvan Loe報告「主戦場は農村にある。ベトコンを人口 の 83%を占める農民から切り離し,農民の生活水準を向上させねばならぬ。 66. 10.24マニラ会議で六つの革命開発政策が打ち出された。幹部養成:幹部数は1万 7000から 2万4906に増加,内5656は, 1.20卒業400チームに編成されよう。革命 開発隊は471の新生活村(人口52万7643)を建設, 749の新生活村(人口90万4730) を強化, 既に建設されていた3133の新生活村〈人口 524万2304)を発展させた。 従って政府支配総人口は都市人口 256万9932を含めて 924万4309(全人口の 59.75 %〉に遠した。自立計画3048の内2326(77%)が完成, 65年の計画も完成。教育 計画:教室2168完成。教師3216養成。公共事業計画: 696kmの道路修復, 146の橋 完成。農業計画:運河232km建設,提防14,ダム48完成。 3万7970人の農・漁民が 訓練され, 1413億 9017ピアストルが苗木に, 1255億ピアストルが漁業機械に支 出された。 1万1735頭の豚配給, 718の市場・魚池完成。 一( 8 )ー -82ー

(26)

南 ベ ト ナ ム ( l・2月〉 67年の計画:共産主義者の絶滅,民主機構建設,不正,病気の追放,土地改革, 農業の開発,通信線の開発など, 1.568の新生活村(人口 80万4749)を建設,即 ち214村〈人口18万7029)平定。 318村〈人口37万7564)を強化する。アメリカか ら資材の他30億ピアストルを革命開発計画にあてる事を承認(66年 25億ピアス トJレ) 2.地方行政機構の確立: 4月村議会選挙, 1297村で(総村数2522の50%), 5, 6月 部落議会選挙,5493部落で(総数1万3984の39%),3,土地改革: 2月 中に4万5301の農民に地権書が交付された。J 経済相顧問 TonThat Trinh報告「ベトコンの妨害により米その他の生産が 落ち,耕作地は減り,輸送が不十分となった。工業生産もサービスを除き不満足 な状態にある。輸入自由化による需給パランス等も港の混雑で困難,新港建設で 緩和しよう。中部へはLs Tで運送, 67年米の輸入は70万トンに逮しよう。開発 計画の枠内でアメリカは67年1億2000万ドノレの援助を承認した。 国防省代表報告「66年10月から!日正月までに重要な接触は二つ, Cゾーンでの アトノレボロ作戦とチュアチェン省での Chinocl{作戦。その時から敵は韓国兵を 攻撃している。 敵の統制力は落ちた。ベトコン支配地域ロングエンおよび鉄の三角地帯で行な われたシーダーフォノレ作戦で、は重要な接触がなかった。

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v

ベ卜コン,ハノイ代表グエン・パン ・チェン言明一一「南解放の闘いは決定 的段階に入った。

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Vカトリック和平反対運動一一西部諸省のカトリック市民連合は3月4日ベル ギーで行なわれるデモに抗議声明を発表。

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仏の総領事館にデモ一一「ベトナム進歩青年団Jと称する青年グループ約1 千人がサイゴン市内でデモを行ない,市内ファン ・デイン・フン通りにあるフラ ンス総領事館に押しかけ,投石ののち同領事館前にあった自動車,オートパイな どに火を放った。 この青年グループはプラカードに, ドゴール路線によるベトナム和平反対,パ リに亡命しているベトナム人政治家の和平工作反対などのスローガンを掲げてい た。 〔E〕 外国の動き 1月 タ 日 V 日本から医療援助一一日本政府は5000万円を薬品,医療器材購入のため援助 する模様,また医療班をさらに派遣。 - 83一 一 ( 9 )ー

(27)

イ ン ド シ ナ C1

2月〉 10日 V米大統領,一般教書発表 13日 Vインド,監視委3国会合に同意 17日 V米大統領言明,国防費730億ドルに− 68年度(67.7.1∼〉予算の54%,前 年度より50億ド、ル増,これはベトナム戦費によるもので,ベトナム戦費は200億 から250億ドルへ増加した。また不時の休戦にそなえて国防設備費10倍、ドノレの支 出権限を議会に要請すると述べた。 18日

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英外相言明,ウ総長の 3条件は和平への妥当な基礎 22日 Vフルブライト米上院議員の意見一一「米は南ベトナムを説得しベトコンと交 渉させよ。」〈最近の著書〉 「現軍事政権が我々の要請にこたえてベトコンとの交渉に応じなければ新政府 を作るべし

J

,「米政府の誤れるベトナム政策はラスク長官の責任。

J

C

会見〉 25日 V米上院軍事委一一マ・長官証言「共産軍増強頭打ち

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C以下消息筋言〉 「米軍増 強のテンポも弱まる。今年末47万5千J昨年末ベ トコン27万5千, 65年末25万, 北から4万5千増加,昨年共産側の補充10万3千。 2 月 1 日 V米海軍作戦部長が証言,補給不足一一マクドナルド米海軍作戦部長は.と院軍 事支出小委員会で、証言し「米梅軍はベトナム戦争でその航空戦力,新兵補充,船 腹維持の面で困難に直商しつつあるJと次のように述べた。 0 空i訟の消耗のため補給,乗員訓練強化計商推進のため戦術空軍機550機 の増強が必要。 0 60年代初期にパイロットの養成が少なかったこと,また現在直面してい る深刻な乗員数維持の問題などから,パイロットの緊急補充が必要である。現 在保有しているパイロットの40%弱が義務兵役年限を終わって

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、るにもかかわ らず実戦に参加している。 同小委員会は124億ドルの海軍追加戦費を審議している。 9 8 V米大統領特別教書一一68年度(67.7∼68.6)対外援助〈軍事・経済〉費31億 ドノレ要請,内 6億 5千万ドルはベトナム, ラオス,タイで使用。 10日 V米政府発表,休戦 4日間で戦闘再開 13日 英・ソ首相会談一一共同声明。 Vウ総長言明「北爆停止が続けば数週間以内にベトナム和平交渉が行なわれる ・ 事を確信する。

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米,北爆再開 一( 10)一 - 84

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-南 ベ ト ナ ム (1・2月) 15日 Vマ長官言明一一「北爆は南での軍事努力を補強するものにすぎぬ。J 23日

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米上院に派兵50万以上禁止決議案一一米上院本会議は本会計年度のベトナム 追加戦費に関する審議を開始したが?タカ派のラッセノレ軍事委員長は,北爆を擁 護したうえ,なぜミグ飛行場を爆撃しないのか,なぜ北ベトナムの鉄道,道路に 艦砲射撃を加えないのかと述べた。 これに対しハト派のクラーク,モース両外交委員が反撃に立ち,クラーク議員 は政府の要請するベトナム追加戦費をそのまま認めれば,南ベトナムの地上戦闘 の拡大と不賢明な北爆継続をもたらすだけであると主張, 50万以上のベトナム派 兵を認めないむねの決議案と,ジュネープ会議再開による戦争終結努力を支持す るとの付帯決議案を提出した。 24日 ’マ長官記者会見一一「北爆の必要や爆撃目標についてラスク長官との問に意 見の食い違いはなャ」 「北爆は南ベトナムでの軍事努力の補足的なものであり, 北爆強化論も,停止論も様端。」上院外交委で;は,ラスク長官がノ、ト派に対し北爆 を弁護し,マクナマラ長官は上院軍事委でタカ派軍首脳をおさえねばならない。 (阻〕・経 済 1 月 1 日 ’1月物価指数,一一66年ロnサイゴン消費者物価指数は中流階級で0.5%,勤 労階級で l.8%上昇した。この違ャは1等米の値上がりによるもの。サイゴン市 場の米側は12月J5%値上がりし, 100 kg, 1375ピアストノレとなった。 11月各省からサイゴンへの米供給は2万1009トンであった。 1月に入って消費者物価の値上がりは特に米などの食料品に著しく,労働階級 の食料品数は7 %の上昇をみた。 サイゴン消費者物価指数(1949年=100,カッコ内は対先月比増〉 全 食 料 住 衣 そ の 体 ロロロ F コdじ』‘ 月 民 他 中 流 階 級 勤 労 階 級 678.1 (3. 7%) 679 .5 ( 5.4%) 758.4 (4.1 %) 803.7 ( 7.0%) 539.9 (1.1%) 499.4( 0.9%) 514.5 (1.4%) 553. 8 ( -1.9 % ) 636.8 (4.0%) 665.9 ( 5.9%) 米の卸売物価は l庁野長100kgで、11月の1200ピアストノレ, 12月は1375ピアストノレ, 1月には1500ピアストノレへと勝賞した。 サイゴン卸売物価指数(1949年=100,カッコ内は対先月比増〉 - 85ー

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イ シ ド シ ナ (1

2月) 全 体 396.3 (6.0%) 国 産 品 418.7(8.4%) 輸 入 品 352.7 (0. 2%) ’“年12月31日現在国立銀行主要勘定 〔 資 産 〕 , ムャ, . 金 お よ び 外 貨 内 disponible 政 府 へ の 貸 付 銀 行 へ の 貸 付 固 定 資 産 そ の イ出 計 〔負 債〕 流 通 紙 幣 資本および準備金 預 金 そ の 他 債 券 240億5038万7410ヒ。アストル 174億7717万1946 11 334億2302銀0890 II 56億0421万1461 グ 3億4121万3300 グ 797億6904万9676 II 489億2136万7069ピアストル 18億6950万0000 11 8億0498万1838 11 111億5219万1797 11 5 日 V予 算750億ピアストル,指導委承認ー一一この内国防425億ピアストルで全予 算の56%を占め,前年に比べ20%増,革命開発計画60億ピアストノレ,治安51.13 億ピアストノレ,教育45億ピアストル,収入見込は280億ピアストノレ,米援助は300 億ピアストノレが限度,従って赤字は170億ピアスノレ。 10日 ・,革命開発予算チェンジャン省4600万ピアストル,フォンディン省4876万5千 ピアストル一一これまでに18億3178万7千ピアストル配分,内訳は,第1軍管区 1801万9千ピアストノレ,第2軍管区4億1038万l千ピアストノレ,第3軍管区.4億 6636万5千ピアストノレ,第4軍管区6億1902万2千ピアストル。 v食料品輸入一一商務庁は食料品輸入に4方3198ドル

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方ピアストル〉放 出,内訳: 4万kgのりんご, 2万kgぶどう, 3千kgの乾燥マシュノレーム, 1千 箱 のカン入りマシュノレーム。 12日 V米援助品の喪失一一AID報告によれば, 66歴 年4億5500万ドルにのぼる米 商品援助の内5∼6 %が紛失した。

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日:本,コーヒー輸入の用意一一石川インスタントコーヒー協会会長(森永食 品〉は南ベトナムからのコーヒー輸入を検討するため現地視察,現在日本は北べ 一( 12)ー QO

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南 ベ ト ナ ム (1

2月〉 トナムも含め900億円(3億ドル〉を各国から輸入。 16日 Vアンジアン省新生活村開発計画l億2237万ピアストル一一内訳,農業1080万 4500ピアストノレ,農業械械30万ピアストノレ,家畜767万ピアストノレ,漁業194万 8800ピアストノレ,かいこ114万2000ピアストル,公共事業3476万4000ピアストノレ, 小学校3876万4000ピアスト;v

高等学校他,7713万7000ピアストノレ。 24日 ’米7万5千トン輸入一一第14半期7万5千トンは66年12月15日の協定(PL 480による〉による最初の船積。 1月19日購入協定,さらに12万5千トン予定。 5, 6月の記給用。 65年半ばから PL480米が到着しているが,米政府援助米はこれまでに56万5 千トンにのぼる。最近ヴンタウに2隻1Jj 5千トン到着,2週間以内に6隻4万 1千トン到着の予定。 31日 T NACO (57年から営業)に代わり農業開発銀行設置一一農業長官を議長とする 委員会が運営。 NACOは66年900万ピアストルの利潤をあげ国立銀行からの援助 が必要で、なくなった。 2 月 3 日 V台湾・ベトナム第 4回経済協力会議,台湾から農業施設援助一一トラクター その他,種子,殺虫剤。 ピエンホア省ヒエプホア農業ノξイロットセンターは,台湾の援助により昨年の 収穫で300万ピアストルの収入を得た。 8 日 V米価値上がり一一テトを迎えサイゴンの物価はうなぎ上りに上がり,特に米 価は, 1 kg当り17ピアストノレと先月に比べ17%上昇した。各省からサイゴンへ供 給される米は減少し,サイゴンのストックは6万トンにすぎず, 3, 4月分t乙満 たぬ。 66年の南ベトナムの米輸入は44万7千トンに達し, 67年には76万トンにの ぼるものと見られている。 (LaNouvelleDepeche 67. 2.8) 15日 V日本から中小企業代表団訪問。 17日 V厚生省通達,薬品 (圏内,輸入品とも〉統制厳格に 27日

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工業斤,商業序決定一一トラクター,工場設備,ミシン,手編機などの工業 機械自由販売のため無制限輸入(USAIDまたは政府保有外貨により〉。 〔W〕 軍 事 1月 l 日 V米軍発表週間死傷者数 1.1∼1.7 1.8∼1.14 1.15∼1.211.22∼1.28 1.2g_2.42.5∼2.11 2.12∼2.182.19∼2.25 死 者 67 144 123 - 117 ー 172 163 - 87ー 一( 13 )ー

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端を示すものである。 これは漸江省杭州市野下人 民公社に関する 1958

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出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所/Institute of Developing Economies (IDE‑JETRO) .

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア 経済研究所 / Institute of Developing.

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国際図書館連盟の障害者の情報アクセスに関する取

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