アジアの動向 インドシナ 1965
著者
アジア経済研究所
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
シリーズタイトル
アジア動向年報
雑誌名
アジアの動向1965年版
発行年
1965
出版者
アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00051996
経済研究所
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インドシナ/木村哲三郎この
「
アジアの動向
」
く国別シリ
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9
6
5
年は,月
さらに総
目次
,
年表
,
諸統計索引等を追録したものです。
今後
p毎年刊行を予定しておりますので,国際政治
・
経済の焦点になっているアジア諸国の動きを適確に把握
刊「アジアの動向J
を各国別に
1
冊にまとめ
,
月刊「アジアの動向」とあわせ
する基礎的資料として,
てご利用ください。
国別シリーズ: 1965年 韓国/中国/インドシナ/フィ リピン/タイ/マレーシア・シンガポーノレ/インドネシ ア/ピノレマ/インド/ノぐキスタン/シベリア開発目 次
1
9
6
5
年 の 回 顧 ...C
i )年 表 (1
9
6
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年〉..........
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折込
〔解 ”説〕 反政府・反米デモと軍評議会のクーデター(1月) .•.•.•.•.•.•••. •.•.•.••• 1 北爆開始と各国の動き( 2月) ••...•..•••••...•...•.•.•.•.•....•.•••• 23 「米軍撤退まで撤底抗戦」(3月) •.•...•..• •••.•.•.•...•.•.•.•••...•.•. 61 米軍直接戦斗(6月) ••••••••••••••.••••••••••••.•• ••••••••••.••••••. 161 和平への動き(7・8月) ..•...•...•..•.•.••.•.•...•.•...•.•.•.•..•..•. 179 南ベトナムの土地改革( 9月) ....••..•...•.••• ...• ..•.••..••..•... 195 戦争拡大とインフレ(10月) ••••.•.••....•...•...•...•.. 215 マクナマラ国防長官のサイゴン訪問(11月) .•••••••.•.•••••••••••••••••• 233〔
主 要
事
項
〕
D D n y n y n υ τよ 円 。 EUnRunHU 2 i q b 円 、 υ η ο 口 O n Y4
4
4
5
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米 学 軍 軍 輸山岳部族の反乱(9月) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ..•.•....•.•.•••...•... 199 機構改革および人事異動(10月) .. ・ ・ •...•.•.•...•.•...•..•.•.•..•. 219 9月の物価指数 ・・ • ·• ·• •• ・ ...•...•...•.•...•..•...••••.•... 219 南ベトナムの戦況(11月) • ・ • ・ • ・ • ・ ・ ・ ・ • ・ ・ ・ • ・ ・ ・ ・ • • ・ ・ • ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ • • ・ • ・ ・ ·• ・ ..235 グエン・カオキ首相韓国訪問(11月) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ..•.•.•...••.•... 236 ベトコン ・ハノイの態度変らず(11月) ...•.•....•... 237 11月の物価指数(12月) ....•.•...••..•...•.•...•... 247 クリスマス休戦とアメリカの外交攻勢(12月) ...•...••.•.•... 247 山岳部族また反乱 (12月) ..•...••...•... 248 10月の輸出入(12月) ...•.•...•.•.•...•..•.•... 249 1月( 3) 6月(171) 12月(249)
〔
日
誌
〕
2月(25) 3月(63) 4月(107) 5月(147) 7・8月(184) 9月(201) 10月(220) 11月(237)〔 資 料 〕
解放民族戦線声明( 3月) ... ...••...•. •. ,93 北ベトナム祖国戦線声明(3月) ....•...•...•..•... 103 米大統領「ベトナム演説J(
4月) ...•...•... 140〔 諸 統 計 〕
〔南べ 卜ナム〕 国立銀行1964年12月31日現在の主要勘定(39) 1964年の1月か ら9
月末までの輸出入状態(45)1
月の消費者物価指数(63) ベトナムの 塩業(65) 1964年の米の需給状況(67) 綿糸の需給(67) サイゴン市予 算の総額(68) 平和のための食糧計画く70) 1965年度の国家予算(70) 1965年度の国家予算(88) 日本の南ベトナムに対する経済協力(109) 1964 年度の車輔の輸入(122) 米の最高価格(166) 塩価(167) 肉価(167) 1964年の対外貿易(168) 6月の貿易事情(181) 米の需給(182) 軍票 (183) 米軍兵力8万(186) 豚の輸出(202) 避難民(204) 軍票(205) 織物工業(205) 1965年の物価指数(115) 国立銀行の主要勘定(117) 国 立銀行の営業報告(221) サイゴンの電力事情(222) 9月の輸出入(238) 2-日 次 10月の物価指数(238) ミルクの需給(239) 第 3四半期の輸入(239) 自転車,スクーターの輸入(239) タイから米 7万5000トン輸入(249) 収 穫保護作戦(250) 物価上昇に緊急輸入(250) 乗用車の輸入税300%に引上 げ(251) 豚肉の価格上昇(251) アメリカ, 3000万ドルの追加援助を発表 (252) 中部地区へ米 1万トン輸送(253) 農村再建のための予算(253) 農業金融公社(253) 地権書交付く254) 〔力ンポジア〕 1964年度の輸出(19) カンボジア,農家人口と耕作面積(137) コンポン・チャム州農業生産(175) 日本の経済協力(188) カンボジアの農 業(189) 国立銀行の営業報告(225) 第1軍管区にミルク割当て(240) 豚肉の価格(240) 米作の増収(241) 輸入組合,輸入品の分配を再検討 (243) 日本の繊維プラント輸入(254) フランス,軍事援助(258) 中共 軍事援助(258) 経済開発の成果(259) 〔ラ オ ス〕 西独の借款(192) 中共との貿易(210) 1965年国家予算の修正 案(228) 通貨安定基金更新(261) - 3ー
イ ン ド シ ナ
1965
年 の 回 顧
ジョンソン大統領は
1
9
6
4
年
1
2
月,テ
ー
ラ
ー
大使をワシントンに呼んで,首
脳会談を開き,当面のベトナム政策を討議した。
“北爆策”が決定されたの
はこの会談であろう。サイゴン政権の動揺と政府軍の敗北を前にして,南ベ
トナムでは戦線を縮少しサイゴン,ユエ,ダナン,ダラトなどの拠点都市お
よび基地の防衛に主力を注ぎ,北ベトナム爆撃によって,ハノイの指導者を
してベトコンのサイゴン政府攻撃を停止させることを考えたのである
oベト
コンとの戦闘にアメリカ地上軍を直接投入することを避けようとするなら,
この北爆策の採用は当然であったと言えよう。この戦術によれば,アメリカ
としては南ベトナムの拠点都市の防衛にも高度な破壊力をもっ空軍を若干出
動させるだけで事足りるとともに,ベトコン,北ベトナム,中共, Y連を交
渉に引込む機会は増大し,また交渉の場合でも現地における彼我の力関係に
左右されず自己に有利に交渉を進めうる可能性もあるからである
oアメリカ空軍,政府空軍は
1
9
6
5
年
2
月
7
日ベトコンのプレイク基地襲撃に
たいする報復として北爆を開始した。 3月にはいると,コスイギン
・
ソ連首
相のハノイ訪問にもかかわらず,インドシナ人民会議で、ハノイ,ベトコン,
パテト
・
ラオが徹底抗戦の意志を表明したので,北爆は“報復”的性格を捨
てて継続的なものとな
った。ジョンソン大統領は,北爆を続けながら北ベト
ナムに“平和交渉”を呼びかけた。国連,英国,フランスなどのほかユーゴ,
インドなどの非同盟諸国もこれに和した。しかし,
3
月
22
日のベトコン声明,
4月
1
2
日北ベトナムのファン・パン・ドン首相があげた“解決のための条件”
はアメリカの平和交渉提案を拒否するものであった。北爆だけで、はハノイが
交渉に応ずる見通しはないことが明らかとなった。
一方,現地南ベトナムでは,
64
年末からの仏教徒,学生の反政府運動が
一
段と激化し,
1
月
2
7
日チャン
・
パン・フォン政権を崩壊させた。
2
月
1
6
日フ
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・
クァト政権が成立したが,この政権も 4ヵ月存続しただけで安
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6
9
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定政権とはなりえなかった。軍部のクーデター,カトリック勢力,仏教徒,
学生の反政府運動で,サイゴン,ダナン,ユエの情勢は混乱した。ベトコン
はこの混乱を利用し,
5
月
,
6
月と雨期軍事攻勢をかけて,サイゴン,ダナ
ン,ユエなどの拠点都市の周辺に迫った。
アメリカは地上軍の投入に踏みきらざるをえなか
った。これはベトナム戦
争において新しい段階を画すものであった。いまやベトナム戦争はベトコン
とアメリカ軍が直接戦う戦争に移行したのである
o6
月1
4
日グエン
・
カオ・
キ軍部政権の成立は,北爆だけでなく,南ベトナムでの平定作戦にも力を注
ぐというアメリカの新しい方針に沿うものであった。テーラー大使からロッ
ジ大使への交替もベトナム戦争の変化と無関係ではあるまい。軍部政権は戦
争状態を
塞言し,ストライキ
,集会,デモを禁止するとともに, 20
才から 30
才までのすべての男子に兵役登録の義務を課するなど,人間,資源、などあら
ゆる面での徹底的動員化をはかった。
戦争遂行の軍部政権が成立して都市での政治運動が困難になると,ベトコ
ンは拠点都市聞の道路・通信網を切断し,都市にたいする経済封鎖をかけて
きた。農村から都市への米,野菜の輸送が妨害され,各地で買占めが起り,
価格の高騰を招いたので,米だけでも 22
万7500トンを輸入しなければな
らな
かった。南ベトナムは63
年には34
万5000トンの米を輸出できたのである。キ
政府はこのほか,米,ミルクの配給制を実施したり,在庫申告を義務づけた
り,米,肉,ミノレク,塩などの最高価格を決めたりしたが,中流階級の消費
者物価指数はつぎのとおりで,物価の上昇を抑えることはできなかった。
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第1表 1965年消費者物価指数り
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物価を上昇させた第
2の原因は財政の赤字を補てんするための通貨増発で
ある。税収,アメリカからの援助による見返り資金では増大する国防関係費,
農村再建費をまかなえず,中央銀行からの借入れに頼ってきた。 6
5
年の一時
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7
0ー
イ ン ド シ ナ (12月〉
借入れは
1
7
1
億5000万ピアストノレで,これは本年の通貨増発量にほぼ匹敵し,
インフレ要因となっている。政府は財源確保のため輸入関税の30%値上げ、の
措置をとったが,これは物価を上昇させて,かえって最大の購買者たる政府
の支出を増加させる結果を生んだ。
第
3は増強されたアメリカ軍の巨大な購買力である
oアメリカ当局は軍票
を発行することによ
っ
て,この巨大な購買力が南ベトナム経済に与える影響
力を緩和するとともに,サイゴン政府にドルを獲得させようとしたが,交換
限度を
1人月 200ドルとしても 1
0万人ならば 2000
万ドル,すなわち約23
億ピ
アストルの購買力が毎月加わ
っ
たことになる。これらの要因が重なって物価
は上昇を続け,物価問題は65
年後半サイゴン政権を悩ましつづけた。
南ベトナム情勢を左右するものはアメリカ軍とベトコンの戦闘である
oア
メリカ軍の投入によ
っ
て戦況は好転したであろうか
。
アメリカ軍が第
2表の
ように増強されたことから,戦況はアメリカ箪,政府の発表のように好転し
てはいないと考えられる。
プ
レイメ,イアドラン.パワノミンの戦闘など
,ベ
トコンはアメリカ軍と互角の戦闘をしたと言われている。なおアメリカはベ
トコンの戦闘力を,北ベトナム正規軍の介入と北からの武器,物資の補給に
よるものとしてし、る。
第2表訂
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許
匂
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増 強 地|
月
年
|
費
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米
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I
12I
185 oooI
プレークアメリカ軍の直接投入は内外に影響を与えた。①アメリカ軍の死傷者が増
大したとと
p②ベトナム戦費が約
50
億ドノレか
ら
1
0
0
億ドノレへ達しようとして
いること。このためアメリカ国内に
ジ
ョンソン政権のベトナム政策を批判す
る声がでてきた。それも学生,婦人団体などの“ベトナムに平和を”式の一
般人の批判ではなく,上院におけるフルブライト,マンスフィーノレド,ケネ
デ、ィといった与党議員の批判である。また国際世論も味方しているとは言え
ない。
“ベトナムにたいする共産主義の侵略に対抗して自由のために闘う”
可 -71ー 一一111−一、
.
ことに直接参加したのは同盟国のなかでも韓国,オーストラリア,ニュー
ジ
ラ
ンドの諸国だけである。それにアメリカの政策は,ベトナム問題の解決に中国
とともに重要な役割を持つで、あろうソ連,フランスの態度を硬化させて
ν
、
る
。
ジョンソン大統領は地上軍を投入しでも戦局が
一
進一退なのと,これら内
外の批判に答えて,年末にベトコン側が呼びかけたクリスマス休戦を利用し
て,北爆を停止し,平和攻勢を展開した。しかし,この攻勢は,①アメリカ
寧の撤退,②ベトコンを南ベトナムの真のかっ唯一の代表と認めるかどうか
の 2点が両者の争点であることを明
ら
かにした
だ
けに終
っ
た
。
1
965
年に南ベトナム戦争には重要な変化が起きた。①つはサイゴンに戦争
の徹底的遂行をのぞむ軍部政権が成立したことである。この政権はアメリカ
がベトコンとの平和交渉、を行う場合,大きな障害となる可能性がある。
②北爆の開始とアメリカ軍の直接投入である。これは戦争がインドシナ全
.
域,アジア地域に拡大する可能性があることを示すものである。北爆,アメ
リカ軍の投入は北ベトナム,ベトコンに戦争拡大の口実を与えるばかりでな
く
, 20
万に近い現地アメリカ軍はそれ自体の論理を持つということである。
1
2
月2
1日ワシントンは現地軍の要請により,駐留米軍にカンボジアへ逃げ
こんだベトコンを追撃する権限を与えていると
声
明せざるをえなか
っ
た。ま
た最近ラオスを通過するホー・チ・
ミ
ン
・
ノ
レート切断のため,ラオスに第 2
戦線をつくろうとする動きも伝えられる。ラオスではプーマ政権が右傾化
し,アメリカ空軍,サイゴン政府空軍,ラオス政府軍が
パ
テト・ラオ地区を
攻撃するととも
に
,
パ
テト
・
ラオは中立左派と
1
0月ラオス人民政治協商会議
を開き,反米救国の民族統一戦線を結成,抗戦態勢を固めている。
アメリカ軍の増強にもかかわらず,ベトコンの支配する土地,人口が65
年
初の全体の 4分 3のから 5分の 4へ
, 800
万人から
1
000
万人へと,それぞれ
拡大しているのを考えれば,ワシントンが南ベトナムにおいて望みうる解決
策は,せいぜい1
9
6
2
年のラオス式 3派連合中立政権樹立,自由選挙という構
想、であると考えられる。しかし,これは北ベトナム,ベトコンが拒否するの
はもちろん,サイゴンの軍部政権,アメリカの現地軍および軍部も承認しな
いだろう。したがってアメリカが南ベトナムからの撤退を決断しないかぎり
,
e南ベトナムの戦争は長期化し及拡大する可能性を示している。
ー− lV -つ 白 押 6政 i台 経 潰 対 係 九 1.22 I各地で仏教徒の反政府・反米デモ。 1.21 I 軍部クーデター,グエン・カーン将軍全権を掌握 2. 1 Iベトヨγ,米軍プレーク基地を鈴懸。 l:米機, jヒ縦断始。 2. 161ファソ ・フ4・pアト内閣発足。 2. 21 Iグェγ・カーン将if.{解任。 3. 1 I:米海兵隊ダナン上陸。 3. 22 I解放戦線戸明,ラ主沙を犯干千し戦闘の決意を表明。 3. 21 I北ベトナム祖開戦線声明,ベトョγ声明支持。 4. 3 I:米機,北ベトナムの道路,鱗を爆慰。 4. 7 Iジョγ y γ大統領泌説,無条件討議の用意あり。 4. 12 Iファン・パγ.ドン北ベトナム首相4条件提示。 4. 20 |米最高寧事首脱会議。 5. 7 1:米泌兵隊6000人チュライにt段。 5.13I北爆中止(∼17)。 ジョソソγ大統領演説,無条件討議呼びかけ。 6. 1 Iカトリッ!l, !lアト内閣不信任要求。 6. s I米,ベトナム怠綴米軍に専攻防支援多方自権限付雪。 6. 9 Iベトコン, ドンソアイを占領。 6. 11I内閣総辞職, '.iJrに数1穏移環。 6. 16 Iマクナマラ長官発表,米軍7万に士総強。 6.19 Iグエン・カオ・キ内閣成立。 1. 1 I米海兵隊8α)()人,グナγ上院。 7.
s
Iテーラー大使待任,ロッジ氏蒋任。 1. 16 Iマクナマヲ長官,ロッジ氏,サイゴゾ訪問。 s.4 I;米大統領, 17億ドルの紋主主,兵力士約強を要請。 8. 10 I米軍チ品ライ作戦。 1. 2,アメリカから小変粉20万トγ輸入を決定。 | 2. 12 iアメリカ政府から贈与米2万5000トン,サイゴγ務。|3
γ
…
…
聞
こ
5. 26 Iアメリカ米2万5ぽぬトン紛入協定に調印。 6. zsI;米の寂高価格決定,米の投機防止。 7. 9 Iサイゴソで米の配給制焚銭。 アメリカ米5万トγ紛入協定調印。 1.26 1アメリカ小変粉2万7000トγ輸入決定。 s.13 Iアメりカとの問にタイ米2万7500トン絵入決定。 8.30 I ;11m発行。 9. 23 I輸入税30%引上げ。 アメリカ米10万トン総入協定調印。 10. 1s Iアメリカ政府,米4万トン輸入を承認。 10. zsI慾民70万人の入祖に1{窓2α)()万ピアストノレ支出。 10. 28Iアメリ'/J,3500万ドル援助。 12. 3 Iタイから米7万5従)()トンの輸入協定に調印。 12. 20 Iアメ Pヵ,3瓜氾万ドノレの経済援助;s.11。目 外 関 ....,_ J、
五 年 の 南 ベ ト ナ ム 年 表 9. 10 1 ,11re民族の反乱。 9. 12 I:米第1騎兵師団2万人J:段。 :米軍12万8奴)()人に。 1.26 I i蹄図,南ベトナムへの派兵を決定。 2. 6 Iヨスイギγ .'/迷1吉相,ハノイ訪問。 2. 9 I中共,ソ逮政府,対米非費量,北ベトナム支持を声明。 2.14 Iイソドシナ人民会議準備会議。 3. 1 Iイソドシナ人氏会議本会議。 3.25 I中肉,解教職線戸明支持。 4. 1 I非同既17ヵ向,無条件交渉を呼びかけ。 4. 2s I栄首相,南ベトナム派兵を発表。 5. 3 Iカンボジア,アメリカと外交関係断絶。 s.27 Iニユ}ジーラゾド,南ベトナム派兵を決定。 7. 18Iラオス総選挙,パテト ・ラオ不通草加。 s.10 Iジ77--!l元 首,自力更生を強調。 9. 1 I J解放戦線斡部会tfi員ヵγポジア紡問。 9. 6 iラオ九,プーマ新内開成立。 9.s
Iアメリカ,対ラオス商品輸入援助を−im停止。 10. 2 Iパテト ・ラオ,ラオ久人民解放寧と改称。 10. 3 Iカンボジア ・中共共同声明。 10. 16 Iシ7';l. -!l元首, itliソを延期。 11.29 !カンボジア,中共と軍事援助協定。 12. s Iラオスへ通貨安定議金鎚出。 12. 21 Iアメリカ商務省,ヵγポジア領への侵攻を示唆。 12. 25 Iカンボジア,アメりカ国務省)¥ISJJ)lに抗議。 12. 29 Iヵγポジア,経済開発成果を発表。 10. 19 Iプνーメの紋悦,北ベトナム'.ilt$1J日。 10.2s Iベトヨソ,ダナン,チュライ接地襲態。 11.14Iイアドヲソの戦い,本絡的な地上戦。 11.28Iマクナマラ長官,サイゴン訪問。 12. 2 Iマン九フィーノレド議員,サイゴン訪問。 12. 4 1ベトコソ,サイゴγの米兵宿舎周ホテルを爆破。 12. 21 Iアメリカ政府,米羽〈にカγポークアへの迫普段権付与。 12. 24 I !!り?..マス休llll1,北爆停止。 12. 27 Iアメリカ,外交攻勢開始。チャン・パンフォン政府がますます激化する反政府デモに対する緩和措置として27 日発表した“国民議会の選挙と招集についての布告”はp 政府の意図とは別に重要な 事実を明らかにしている。この布告によれば本年3月21日に予定される国民議会の選 挙で,直接普通選挙で選出されるのはサイゴン,ユエ,ダナン,ダラト, ブン・タワ の5都市の21議席のみで,残り 124議席は“特別選挙人団”によって選出される。す なわち,サイゴン政府一一それは南ベトナム政府という過分な名称、を与えられている ーーが, とにかく支配している地域がもはや上に挙げてある都市区だけであることを 政府自ら認めているのである。 これは軍事国でアメリカが昨年12月の首脳会議後とり 始めた戦線縮少策とともに南ベトナム情勢の実態を明らかにするものと言えよう。 しかもこれら支配地域とみられる5都市で展開された最近の反政府・反米デモの規模 と性格とは3月21日の選挙を不可能視させる。 25日,人口 10万のユエでは,約 1万5000 人のデモ隊が8
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縦隊で行進,仏僧150人が指導した。従軍僧のl人は兵士の集会で デモ参加を訴えた。学生指導者の米人ボイコツト指令に答えて,!司市に駐在する米軍人 750人に対して,商店,パー,家庭使用人らがすべてのサービスを拒否した。また地区警 察署長ら“反民族主義的”と目される人々の家を焼払った。ナチャンでは26日4000人が 知事公邸に押しかけた。ダナンはユエとともに23日から米軍立入り禁止地域とされた。 サイゴンですら22日から 27日の軍事クーデターでチャン ・パンフォン政権が倒壊す るまで反政府・反米デモで800人以上が逮捕された。 とくにサイゴンではじめて反米 の動きが公然化した。そしてこれらのデモに対してもはや警察では鎮圧できず,軍隊 を動員している。しかも軍の中でも歩兵部隊は使用できず, 空挺部隊,海兵隊らの特 殊精鋭部隊が出動し,地方都市では発砲のため,多くの死傷者がでるほどである。 昨年12月20日のクーデタ一以来, アメリカはグヱン・カーン将軍らの反米的態度に 苦慮しながらも, とにかく 1部軍人の入閣でチャン・パンフォン民間人政権の存続を 確保しえたのであるが, 相次ぐ反政府デモは,再び草評議会に危機乗りきりのためと いう口実を与え, ここにグエン ・カーン将軍は軍評議会の代表として南ベトナムの政 権を掌握したのである。 しかしこのグエン・カーン将軍とても軍評議会内部の実力者 間の相魁に依存してかろうじてその地位を保っているのが実状である。 むしろ27日の軍事クーデターで明らかになったことはアメリカ当局がもはや南ベト ナムでは民間人政権であろうと軍人政権であろうと, 名目的にはともかく実質的には - 33- 一( 1)-インド、ンナ 軍評議会のみを自己の主柱にするほかないということである。 したがって今後のアメ リカ当局の努力は軍評議会に対して名目的“政Hf
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を擁立することにではなく, 軍i
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議会内部での親米的対ベトコン戦遂行論者を育成し,評議会から民族主義的傾向を払 拭することに注がれるだろう。しかしアメリカがこのような努力を続ければ続ける校. 軍内部の民族主義派の反機を招き3 政府軍の解体へと導くであろう。グエン ・チャン チィ第1軍団司令官の動きは微妙である。現在の戦闘情況からみて,空軍,海軍の重要 性は否定すべくもないが,軍評議会の実権はアメリカの支援を受けて,グエン ・カオキ 空軍司令官,チュン・クンカン海兵隊司令官らの手に移行しつつあるように思われるc 軍事的には戦線を縮少して, 南ベトナムでの戦闘はヘリコプターによる“日帰り作 戦”のみで,拠J江
5都市すら反政府・反米運動におびやかされて, さらに頼りとする 軍内部にも反米 ・平和中立の民族主義的動きを前にして, アメリカの眼が北の“聖 域円への向けられるのは当然である。 アメリカは海空から北ベトナムの軍事・経済拠点の爆撃, すなわち本格的“北進吋 を開始しはじめた。 しかし今までの例が示すようにベトナムに関するかぎり何等の効 果も挙げていなャ。たしかにアメリカの決意は英国とくにソ速を動かしてアメリカに 有利な国際会議を提唱させ, フノレシチョフ氏の解任後中共との和解の道を歩みだした かに見えたソ連新指導部を再び|日来のフノレシチョフ路線へ一時的に復帰せしめること はできた。 しかしソ連指導部とてもアメリカの北ベトナム爆撃の程度如向によっては アメリカとの平和共存路線を捨てることを余儀なくさせられるだろう。海空の攻撃で は効果なν
、のであるから,若しもアメリカが地上軍を投入するならば“アジアで地上 戦闘”の苦しみを 2度味わうこととなろう。そして激しν
、地上戦闘の後にfiiTが残るか を考えるならばアメリカはその政策が目的に合致しているか検討してみる必要があろ う。激しい地上戦闘はアメリカ青年の血と国民の血税とを流し,アメリカへの敵意を 生むばかりでなく,現地での在来の社会関係、をすべて破壊するから, そこに出現する 政権はさらに反米的かつ急進的共産主義的政権となることが予想されるからであるc 現在進められている“インドシナ人民会議”の準備会議に注目する時, この怖れは 充分根拠のあるものと思われる。 ベトコン〈解放戦線〉の代表団の中では以前と同じ く急進社会党,平和委員会,民主党の代表が重要な地位を占めている。 これはベトコ ン自体の構成を示すものと言えないだろうか。 マルクス ・レーニン主義の政党を自称、 する人民革命党と北ベトナム労働党との関係すら単純なものではなさそうである。 双 方に軍事的に決定的勝利が望めない現在,アメリカは “ベトコン”そのものの内容に 注目すべきではなし、だろうか。 一( 2 )一 - 34-196 5年 1月2日 V南ベトナム漁業局は阿国の漁業活動の成果を次のように発表した。 総 数22万人の漁民を20の中央協同組合に参加させて,外国援助による 135万ド ノレ資本金で:−8919隻のモーター付小舟(100トン以下のもの〉を購入し, 13の近代 的漁港を建設した。また魚類製品463トン(56万ドル相当〉を外国〈とくにシン ガポーノレ〉へ輸出した。 〔Dextreme-Orient1.2〕 v南ベトナム経済省は1777万ドルのクレジットを利用し米国から小麦粉20万トン を買入れることに決めた。両国の契約は1964年12月29日から 1965年3月31日まで有 効である。 〔Dextreme-Orient1.2〕 1 月3 ・日 Vハノイ放送によると,米国と南ベトナムの軍艦 3隻は十七度線を越えてベトナ ム民主共和国領海に侵入し,非武装地帯に近い北ベトナムのビンリン地区ピンタン を10分間砲撃,若干の民家を焼いたのち,逃走した。 〔
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一朝日L 4
〕 Vビンジアの戦闘一一サイゴン南東65キロのピンジアにおける南ベトナム政府軍 とベトコンの6日聞に及ぶ激戦は 3日終わったが,サイゴンの観測筋は今度の戦闘 がベトコンのゲリラ戦の第 3段階を画するものであると述べた。 信頼できる筋が同日報ずるととろによると,政府軍の損害は死傷者,行くえ不明 者合わせて370人(うち米軍顧問戦死4,行くえ不明 3,負傷11人以上〉。これに対 しベトコン側の損害は死者102人だが,死者および負傷者はベトコンの撤退と同時 に運びさられた。u
主〉 Le monde J月3∼
4日号ーは,政府軍の損害は死者500,負傷者100以L
行方不明50としている。また解放通信の報道は要旨次のとおり。 l封ベトナム解放軍(ベトコン寧〉は12月28日から 4Fl間に,サイコ♂ン東方64 キロのピンクアでの政府軍との戦闘で, 2個大隊以上を全滅させ,その持って いる武器を企部捕獲した。またヘリコプター22機,スカイレー〆一戦闘機 2機 を撃墜し,他の11機に損害を与えた。 解放軍は28日ピンジア戦略村の敵を攻撃,民兵38人を捕虜にし,救援にきた レインジャ一部隊2lf問中隊を撃退した。 29日にはさらに救援にきた政府軍1制 大隊300人を全滅させた。 30日政府軍は海兵隊1lf同大隊を送ってきたが, これ にも六損害を与え, 31日にも撃墜されたヘリコプター探索に出てきた海兵隊部 F hd 内 δ 一( 3 )ー南 ベ ト ナ ム 隊を全滅させた。 〔新華社=共同一朝日 1.4〕 Vマンスフィールド米民主党上院院内総務は,第89議会開会に先立ち3日夜の全 米向けテレビ放送で「東南アジアの中立化は恐らく将来にあるていどの希望をもた らすだろう」と次のように述べた。 米国は南ベトナムから撤退することも,また,中共との:iE荷衝突の危険をおか して北ベトナムに進撃することもできないことに問題がある。その意味で、ドゴー ノレ仏大統領の「東南アジア中立化
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提案は将来にあるていどの希望をもたらすだ ろう。もしそういうことにならなかったら,われわれは中立化構想、を放棄しても かまわない。故ケネディ大統領がいったように米国は交渉を恐れてはならず,ま た恐怖から交渉に応じてもいけない。 Vラスク米国務長官は NB Cテレビの特別会見番組みで次のように語った。0
北ベトナムと中共が侵略をやめるならば,合意による政治的解決の一部と して南ベトナムから米軍を撤退させる用意がある。0
米国は原則的には,ベトナム問題の政治的解 決に反対しない。しかし54年 と62年の2回にわたるインドシナの政治的解決は実効がなかった。それはハノイ と北京の両共産政権が南ベトナムやラオスに干渉しないとの決心を持ってν
、なか ったためで・ある。0
だがこの両政権もいまは,もし彼らが隣国への干渉をやめれば、米軍は帰国 するだろうということを,疑いもなく知るに至った。0
ベトナムから完全に撤退してしまえという声もあるが,それではベトコン ・ゲリラは侵略によって報酬を得たと信ずるだろう。しかしわれわれは南ベトナ ムの戦争を他へ拡大することによって早急かつ容易な解決を求めるつもりはなν
。、。
ノ、ノイからのベトコン浸透は阻止しなければならない。またこの目的達成 のために,いくつかの措置を講じなければならないだろう〈この言明はベトコン ・ゲリラが北ベトナムからラオス経由で浸透するのを阻止するため,米国が行動 に出る可能性を残したと受け取れる〉。 ,反政府遅動再開一一サイゴンの全国仏教徒本部は,チャン ・バンフォン政府打 倒運動を再開した。 数千人の群衆が仏教本部に集合して,チャン ・パンフォン政府とグェンカーン将 軍ら軍指導部の両方を非難した。 1月 4日
一(4 )ー -36-’サイゴンの学生,仏教徒など数千人のデモ隊は市内各所で反政府・反米デモを 行ない。着剣した海兵隊や警官隊と衝突,少なくとも20人が負傷した。 1
月
6日 Aチャン・バンフォン南ベトナム首相官邸はベトナム問題について「中立主義者 や共産主義者を喜ばせるような政治的解決が間近にせまっている」とν
、ううわさを 完全に否定するつぎの声明を発表した。。
このようなうわさは,ベトコンが全面的に活動を強化している現在,世論 を混乱させ,国民の士気をそこなおうとするものである。0
国民は共産主義者の利益になるような根拠のない宣伝によって彼らのワナ に落ち込まぬよう警戒心と注意力を示さねばならない。0
政府は“共産主義を打ち破り,法と秩序を回復し,南ベトナムを中立化し ようとするあらゆる陰謀と断固として戦う決意”を持っている。 1月7日 ’米国防総省は1961年1月1日から1965年1月4日までの期間における南ベトナ ムでの米軍人死傷者数は,死者356人, 負傷者1546人,行方不明19人にのぼると発 表した。 V南ベトナム解放通信が発表したコミュニケによると,南ベトナム人民武装隊 〈ベトコン〉は昨年中に2111人の米国人を含む敵兵23万人を死傷させ, 230村落, 住民233万5000人を解放した。また飛行機1027機を撃墜または損害を与え, 箪用車 992を破壊,小型艦艇292隻を撃沈または撃破し,各種銃砲1万7569丁を捕獲した。 さらに敵陣地1391, “戦略村” 3659を破壊した。'
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機解消のためサイゴンの米大使館代表と南ベトナム各派の代表からなる連絡 委員会が設立された。 委員会のメンパーは南ベトナム政府から副首相の Nguyenluu Vien氏と Ng-uyen xuan Oanh氏,軍からは空軍司令官 NgNg-uyenCao kyと海兵隊司令官 Ch-ung tan Cangが参加する。 米大使館代表は AlexisJohnson副大使が参加するものとみられる。 V米国務省スポークスマンは南ベトナムにおける最近の政治危機を早・期に解決す る可能性につき慎重ながら楽観的な見解を表明しつぎのように述べた。 南ベトナム政府指導者はいまなお危機解決のためのいくつかの異なった提案に つき検討中である。米国の代表はなんらこれに圧力を加えておらず,妥協案のう - 3 7 - 一(5 )一南 ベ ト ナ ム ち特定の一つを支持するといった態度もとっていない。米国は,早期に南ベトナ ム政府内部で安定と団結が回復されるよう努力を継続している。テーラ一大使は じめサイゴン駐在の米代表は,南ベトナムのみならず東南アジア全域において安 定と団結が死活の重要性を持っと考え,これを達成するのに役立つならば
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、かな ることも行なおうという努力の下に,南ベトナム指導者ーたちと協議を統けてい る。米国は安定と団結に必要な手段が南ベトナム指導者によってとられ,米国が 同国の安全を高め,経済発展をはかるという共通の使命にいっそう前進できるこ とを期待している。 Vユエで‘は反政府のゼネストが行われ,|司市はほとんどまひ状態になっえといわ れる。 〔ロイター=朝日 1.8〕 1月8日 Vナチャン市で,高校生約1000人が広場に集り,反政府デモをおこなったが,軍 ー隊300人が出動して解散させた。 V米国務省はアンガー前ラオス大使を国務次官補(極東担当〉兼各省関ベトナム 調整委員会の委員長に任命したと発表した。 l月
9日 V民政移管を確認一一グェン ・カーン三軍総司令官,ファン・カクスーJ亡員二チ ャユデ ・バンフォン首相は“政権を文民政府に引き渡すとの軍部の約束を再確 認 す る”むねの5項目からなる共同コミュニケに調印した。 共同コミュニケは次の 5項目からなっている。 1. 軍は全権を民政府にもどすとの8月27日の約束を確認する。 2. 国家元首は布告によって法律を公布する権限を暫定的に与えられるG 3. 民政府は国家元首の法律公布権を引き継ぎ,かつ新憲法を起草するための 国民議会をすみやかに招集することに同意する。 4. 昨年12月20日のクーデターで逮捕された政治家は政府に引き渡され.その 後,釈放される。 5. 民政府は共産主義者に対抗するため世論を糾合する。 1月
10日 ’南ベトナム軍評議会は政治犯20人をコンツムから空路サイゴンに運びチャン ・ バンフォン政府に引き渡した。政治犯はいったん文民政府に引き渡されたが.数時 間以内に完全に自由の身になるもょう。 一( 6 )ー 3 8-この政治犯20人は昨年12月20日,軍部の国家評議会解散と同時に逮捕されたもの で, この中にはレ ・パンチュ Levan Thu, チャン・パンパン Tranvan Van,
ゴシアヒ NgδgiaHy, レ・カククェンLekhac Quyen, グェン ・ジンノレエン
Ngyen dinh Luyen,ホー・パンヌート Hovan Nhut 6人の国家評議会のメンバ
ーが含まれている3 Vスアン ・トイ ・北ベトナム外相は,ジュネーブ会議の共同議長国である英,ソ 両国と同会議の参加国である中国,フランス,カンボジア,ラオスの各国外相に書 簡を送!?,韓国が南ベトナムへの派兵を決定したことに強く抗議して次のように述 ベた。
。
南朝鮮の派兵決定はきわめて重大なことである。米帝国主義者は64年9月 南朝鮮に命じて技術援助の名目で130人の将校, 下士宮を南ベトナムに派遣させ たが,いままたその手先を引込んで,侵略戦争を拡大しようとはかつてヤる。。
この行動はジュネーブ協定を破壊し,戦争拡大の危険を増すものである。 このような重大情勢に,共同議長田と参加国が米帝国主義および南ベトナム,南 朝鮮によってとられた危険な行動を防止する効果的措置を速やかにとるよう要求 する。 1月 12日v
北部の主 要都市ユエとダナンに反政府運動のストとデモが広がり,両都市の機 能はマヒ状態に陥った。このス トは11日,仏教徒と学生の反サイゴン政府運動の中 心であるユエで発生, 12日米軍の重要基地ダナンに波及した。i
珂市からの情報によると,すべての商店,学校は閉鎖され,備業活動は停止し た。 12日朝, ダナン市最大の劇場の前には約800人のデモ隊が集合,反政府スロー ガンを叫び,チャン ・パンフォン首相の人形を焼いた。 またユエ市でも同日朝市内の劇場前で‘約1000人がデモを仔ない,ファン ・カクス 一国家主席にチャン ・パンフォン首相の解任を求める電報を打つ決議をした。 Vチャン ・バンプオン南ベトナム首相は要旨次のような米 ・南ベトナム共同コミ ュニケを発表したコ0
米当局は昨年12月20日,南ベトナム軍が国家最高評議会を解散させたこと によって生じた危機について,いまだかつて解決策を押しつけようとしたことは ない。0
南ベトナムの政府と軍は,南ベトナムの内政はベトナム人が解決ずべきで あると考えているコ - 39ー 一( 7 )一南ベ.トナム
0
南ベトナムの政府と軍はひきつづき自由世界の国々とくに米国との密接な 協力を支持して行く。0
南ベトナム輩の将軍たちはひきつづき共産主義と中立主義に対し強く反対 する。 Vチャン ・パンフォン首相は南ベトナム軍指導者と政治危機解決の合意をみてか ら初めての記者会見を行い,要旨次のように述べた。0
米国の援助は増大するが,われわれは客観情勢が必要とするのでなけれ ば,不必要に対ベトコン戦争を拡大するようなことはしない。0
長期にわたる率直な会談の結果,ベトナムと米国との間の誤解はすべて解 消した。 1月13日 ’昨年12月初日の軍部による国家評議会解散事件や,同月中に行なわれた街頭デ モのさい逮捕された学生20人が,釈放された。 v陳毅中共副首相は54年のジュネーブ会議の英ソ両議長国と全参加国に書簡を送 孔韓国の南ベトナム派兵について,つぎのように述べた。0
これは米国がジュネープ協定を破壊し,南ベトナムの戦いを国際化する新 しい重大な段取りである。0
中国政府はジュネープ会議参加国,とくに英ソ両議長国が効果的な措置と 行動をと ってインドシナの戦火を拡大しようとする米国の陰謀活動を制止し,イ ンドシナとアジアの平和を守るよう要望する。 1月158
Vサイゴンの米軍筋はさる 13日にラオスにある共産側の補給線を攻撃したさい撃 墜されたF105米空軍超音速戦闘爆撃機と向型機の部隊が中部ベトナムのダナン基 地から作戦行動していることを確認した。同基地はラオス領内の共産基地攻撃の拠 点になっているものとみられている。 (注〉 同筋は, F105機はサイゴン, ピェンホア基地には駐とんしてはいない,と 語った。ダナン装地はラオス国境から約80キロ,北ベ トナム鋭から約90キロに あり,前ベトナムに駐閉する米空軍ジェット機は両国内のどの目標をも容易に 攻撃できる性能をもっている。 軍サイゴンの信頼できる筋は「南ベトナムの空軍機と魚雷艇は,米空軍および第 7艦隊の警戒援護のもとに北ベ トナム領内の“軍事目標” に対し攻撃をおとなって いるjと言明した。 〔UPI=共同一朝日 1.16〕 ー( 8 )- - 40-Vマックガパーン米上院議員(民主党〉は上院で,外国軍隊,顧問団を漸次撤退 することを保証したうえで,南北両ベトナムを中立化させることを提案した。 同議員はこのほか①国境を保証し,外国からの攻撃を防ぐため,各国に自由に入 国できる権利を持つ国連部隊を東南アジアに配置する。②南北両ベトナムに自治を 持たせながら両ベトナム問で連合体を作る。③南北両ベトナム問の通商および鉄道 輸送上の連絡を強化し,メコンデノレタの開発で南北両国を援助するーーなどを提唱 し
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1月16日
’サイゴン東北約240キロのダラト市で約3000人の学生が反政府デモを行なっf
こ。 17日サイゴンでうけた電話連絡によると,デモ隊は警官隊の警告を無視して解散 しなかったため,警官隊がデモ隊に発砲した。この発砲事件で学生4人がけがをし たが,けがの程度は不明。 1月17日 V消息筋によるとテーラー駐南ベトナム米大使は南ベトナム政府に対し「米国は 南ベトナム軍10万人を直ちに増員するに必要な資金を供与する」と申入れたといわ j乞る。 f μj筋によると警察,保安隊を含む南ベトナムの兵力はこの増員で66万人となるは ずである。この援助はテーラ一大使が昨年末ワシントンでジョンソン大統領と会談 したあと約束した南ベトナムに対する追加援助の一部で,このほかにも滑走路,道 路,港湾建設などに援助が与えられる。 Vハノイ各界の人々 5万人余りが集会を開き,韓国当局に南ベトナムへ派兵する よう指示した米帝国主義の陰謀に抗議した。 l月 18日 V内閣改造一一ファン・カクスー南ベトナム忌首は4将軍の入閣をふくむ内閣改 造を発表した。内閣の新陣容次のとおり。 首 相 : Tranvan Huong 第一副首相(内相) : Dr Nguyen luu Vien 第二副首相: Nguyenvan Thieu将軍 第三副首相: Nguyenxuan Oanh 国防相: Tranvan Minh将軍 - 41ー - ( 9 )ー市 ベ ト ナ ム
外 相:Phamdang Lam 法 相 : Luvan Vi 心理戦相: Linhquang Vien将軍 経済相: Nguyenduy Xuan 財政相:II uynh van Dao 農村−問題相: N区ongoc Doi 公共農業通信相: Lesi Ngac 教育文化
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、ruon! 厚生相: Tranquang Die l l 社会活動相: Damsy Hien 労 相 : Nguyenhuu Hung 青年スポーツ相: Nεuyencao ky将軍 官房長官: Phamvan’roan (注) 情報省が尉l・I:されて,心想戦争省が設置された。 1月 19日
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中国訪問中のウォーピ一英労働党議員は北京での記者会見で,同議員がこのほ ど北ベトナムを訪問したさい,同国のファン ・バンドン首相と会談した模様をi大の ように述べた。。
ファン首相(ま南北ベトナムが近ヤ将来,政治的に再統ーされるととを予想 しておらず,ここ数年間はハノイに北ベトナムの現政府,そしてサイゴンに民族 解放戦線〈ベトコン〉を加えた南ベトナム政府が存在を続けていくものとみてい た。0
北ベトナムは米軍の撤退と南ベトナムの中立を主張している。ファン首相 は南北両ベトナム問でまず行われるべきことは通信と経済関係の再開および戦乱 のため長年別居している家族の再会だとしていた。0
ファン首相はまた,ベトナム問題解決のために英国ができる最大の貢献は 。解放戦線,北ベトナムおよびその他の関係国によるジュネーブ会議再開のため仔ー カをかけることだと述べた。0
ファン背相はまた,北ベトナムとしてはパトコンが勝つまでジュネープ会 議を延ばさねばならないことは絶対にないが,交渉による解決がなくともベトコ ンは結局勝つだろうと述べた。 ’政府スポークスマンは今回の内閣改造で青年スポーツ相に任命されたグェンカ ハ U 42-オキ空軍司令官が国家元首と会見,就任を拒否したことを明らかにした。 またこのためチャン・パン7;:tン新内閣の宣誓式は 19日午後に予定されていた が,無期延期となった。 1月20日 ’南ベトナム新内閣はグェン ・カオキ空軍司令が青年スポーツ相就任に同意した ので,急ぎ就任式をおとなった。しかしグェン ・カオキ将軍はひきつづき空軍に留 孔 内 閣 に は 2, 3週間しか席をおかな
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、つもりだと諾った。 ’5人の仏教徒指導者が反政府のハンストを続けているサイゴンの全国仏教徒本 部前で約1000人の仏教徒と政府軍が乱闘, 20人が逮捕され政府軍6人が負傷した。 この後,サイゴン ・ジァジン地区軍政長官ファン・バンドン(Pham van Dong)将 軍は市民の自重を要請する布告を発した。 1月21日 ’南ベトナム仏教徒連合会の指導者・ティク ・タムチャウ朗i
は,ファン ・カクス一 国家主席にあてた 3項目の要求書を公表した。 要求はチャン ・パンフォン政府が①仏教徒の逮捕停止,②新聞紙上で積極的に仏 教徒を非難することを停止,③政府の支持で設立された仏教徒組織に対する支持を 停止するととを求めており,仏教徒としては初めて政府に何を望むかを明らかにし たものである。 Vサイゴンの仏教徒全国本部はベトナム軍歩兵によって事実上包囲された。歩兵 は同本部の外側に有刺鉄線をはりめぐらし,裏通りを通る歩行者以外の交通をしゃ 断した。この措置は正午すぎ同本部付近で約30人の青年と箸官隊との乱闘騒ぎがあ ったあととられたものである。 V第 4軍管区司令官兼第 4戦術区司令官にダン ・パシクァン(Dangvan Qt即 1g) 准将が任命された。 1月22日 v北ベトナム外務省スポークスマンが記者会見で述べたところによると,米,南 ベトナム軍艦6隻が, 17度線北の北ベトナム領海に侵入. うち 4隻は他の 2隻の援 護のもとにニヤトレ川口に接近し, ドンホイを攻撃,このため負傷者が出た。北ベ トナム軍はこれに反撃し, i隻に損害を与えた。 Vサイゴンで反米デモ一一首都サイゴンで|司国独立いちい初めての表立った反米 デモ騒ぎが起孔僧や尼僧約450人が5階建の米大使館前に押しかけた。 - 43ー南 ベ ト ナ ム デモ隊はチャン・バンフォン政府を非難するプラカードとともに「米国はチャン 政府擁立の責任をとれ」と書いたプラカードを押立てていた。戦闘服を着た響官隊 と降下部隊はデモ隊の中に害jlつてはいり,警棒をふるヤ催涙弾を投げて僧20人を含 む55人を逮捕し,数十人にケガをさせた。 この乱闘の最中,町の物売りの老女数百人がすぐ近くの通りで,ゲンコツを米大 使館へ向けて振上げ 「ダーダオミー(くたばれアメリカ)
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「ダーダオコンホア〈く たばれ共和国〉」と叫び続けた。 デモ隊は響棒と催涙ガス弾で非常線の外へ一応撃退されたが, 5人の僧がテーラ ー米大使あてのチャン・バンフォン政府への援助を停止することを要求する書簡を 渡したいからといって非常線の通過を許され,大使館の戸口でこれを手渡した。 一方,大使館から追われたデモ隊は米文化情報局図書館襲撃に加勢し,石をぶつ けて一階の窓ガラスを筈!|った。 このデモは「仏教を守る−青年僧尼僧連合」によって組織されたが,プラカードの 中には 「ベトナム人のための民主,自由,平和を求めるJ
など,ベトコンのスロー ガンに近いものが見られた。1
月 23B
,ュェにある米国文化情報局(USIS)の図書館が学生に指導されるデモ隊に襲撃 された。デモ隊はテーラー米駐南ベトナム大使の48時間以内の国外退去を要求,図 書館の本, 8000冊を焼き払った。 母 1月 24日v
南ベトナム仏教徒本部はサイゴン市内に政府を打倒させるための焼身自殺を呼 びかけた数千枚のピラをばらまいた。このピラは,またテーラー南ベトナム駐在米 大使は仏教の最大の敵であり,かれとチャン・パンフォン首相の目的はすべての仏 教徒指導者を殺し,ベトナムの仏教を無力にすることであると述べている。 またチャン・パンフォン政府に反対して20日から断食を行なっている5人の仏教 徒指導者を支援するため, 仏教徒本部に侵入しようとした青年約 100人が逮捕され た。 v北部のユエとダナンは同地域の南ベトナム軍参謀長の要請で米軍兵士の立入り 禁止地域とされた。これは米文化情報局支局が昨日デモ隊に襲撃されたためとられ た措置である。 〈注〉 ダナンには約3200人,ユエには約750人の米軍兵士が駐脅している。 つ 白 - 44ーV南ベトナム中部のニャチャンで24日も反政府集会が開かれ,多数の仏僧,尼 僧,仏教徒が町の広場でハンガー ・ストライキをおこなった。 ’自民党南ベトナム調査団の野田,保科両氏は羽田空港で記者会見し,南ベトナ ムの情勢などについてつぎのように語った。
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南ベトナムの軍事的,政治的情勢は複雑で流動的だと思った。半年前, 1 年半前にくらべ戦闘の日数はふえ,規模も大きくなり,武器は重火器が使われる ようになっている。このため,人的物的損害は大きくなっているが,米当局は戦 闘がいくら長びいてもあらゆる方法を講じて最後は必ず勝っとの確信を明らかに していた。0
問題は園内の政治情勢で,険悪化している政府と仏教徒との聞の関係を調 整し,国内体制を安定させることが緊急の課題であると思った。同じアジア人と いうことで現地の日本に寄せる期待は大きく,また,仏教徒の指導者たちはわれ われに深い信頼感を示していた。0
内戦は国際戦{じする傾向なので,南ベトナム政府も,米軍も自由陣営に援 助を求めているが,日本については軍事援助がむつかしいことを了解しており, 経済,技術の面で力強い支援を頼むといっていた。910方ドルの対南ベトナム経 済協力については,むこうが細目を研究しているが要請があれば日本としては, むこうの希望をなるべく入れ民生安定の資とすべきであると考える。 1月25日 v南ベトナムの軍部筋が語ったところによると,ベトコン ・ゲリラは秘密放送を 通じて,旧暦の新年を祝うため, 2月1日以後1週間停戦をおこなうと発表した。 ベトコンは毎年この|日正月の停戦をおこなっている。 V南ベトナムの各主要都市ではチャン ・バンフォン首相およびテーラー米大使の 追放を叫ぶデモが大々的にくり広げられた。 もっとも先鋭化しているユエ市からの情報によると,約 1万5000人のデ、モ隊が八 列縦隊で行進,仏僧150人も参加した。 仏{曽が公然と街頭でデモを指導したのは初めてのことで,一従軍僧のごときは, 兵士の集会でデモに参加するよう呼−びかけたといわれる。いまのととろそれに応じ た兵士がいたかどうかは明らかでないが,軍隊の反乱を煽動した初めての試みとし て注目される。 また学生指導者が 2日間の米人ボイコットを指令した結果,同市に駐在する米軍 人約750人に対して,商店, パー,家庭使用人らがすべてのサービスを拒否してい - 45ー 一( 13 )ー南 ベ ト ナ ム る。 学生たちはまた“
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民族主義的”と目される人の家を焼払っている。最初に焼か れたのは地区警察署−長−の家で,学生たちはさらに南ベトナム政府の情報事務所を焼 ’払うため,同事務所に向っていると伝えられる。 同地区軍政長官グエン・ チャンチ将軍はユエ市にいるが,軍や警察が暴徒をしず めるために動いている気配はない。 ダナン市でも同様,約3000人が参加するデモ行 進があったほか, 学生の指令によ り全商店が閉鎖,米軍人にはi司令官かち足止めの 命令が出されている。 なおク アンチ,ホイアン両市でもデモが行われた。 Vグェン・チャンチ第 1軍団司令官は学生指導者たちと会談したさい。48時間の デモ停止を要望するとともに,27日サイゴンで、政権交代が起る可能性を示唆したと いわれる。 Vサイゴン ・ジァディン地区の戒厳令は 2月27日まで 1月延長された。ユエ,チ ュア ・ティエン(Thua・Thien)什|には 2ヵ月の戒厳令が布告された。 1月26日 ’韓国国会は南ベトナム派兵に関する政府原案を可決した。 Vテーラ一大使はビェンチャン,バンコク訪問のためサイゴンを出発した。 V仏教徒と学生のこつのデ、モが朝サイゴン郊外で、起ったが,いずれも1時間以内 に鎮圧された。 3台のトラックいっぱいの仏教僧70人とその他の者・100人が逮捕さ れた。これで,去る22日サイゴンで、騒ぎ、が始って以来逮捕された者は約 800人に達 した。 また, 約150人の仏教僧がサイゴン郊外のジアディン省庁前に集ったが, すぐに 降下部隊に包囲された。降下部隊は催涙ガスでデモ隊を鎮圧し,トラ ック に 乗 せf
こ。 Vナチャンで約4000人のデモ隊が同市のカンホア州知事公邸に押しかけた際, 17 才の少女がチャン・バンフォ ン政府に抗議して焼身自殺をとげた。 ’ユエからの報道によれば,ユエでは26日夜,学生の反米デモ隊が,南ベトナム 現政権が退陣しなければ米領事館を破壊すると脅迫したといわれる。 〔UPI
−毎日 1.27〕v
政府は国民議会の選挙と招集について次のように布告したc 議席は145(住民10万人に l人の代表〉で,直接普通選挙で秘密投票を原則と するが,これが適用されるのはサイゴン地区とユエ,ダナン,ダラト,ブン・タ dH1 -46-ウの 5都市区で,他の州、
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では特別選挙人団が間接に選挙する。 選挙は1965年 3月21日に行なわれる。 ’ショロンの米援助軍司令部では別館の天井に仕掛けられた 2発の時限爆弾が爆 発し,米将校1人が軽傷を負った。 vグェン・フー・ ト(Nguyenhuu Tho)南ベトナム民族解放戦線議長は同戦線 本部での MadeleineRiffauclyユマニテ紙特派員とのイングービューで次のよう に諮った3 米帝国主義者はステーレィ・テイラー計画で 17000の戦略村を建設し18ヵ月で ベトナム全体のベトコンを平定できると自慢したが彼らは8000の戦略村を建てた のみで,わが解放軍と農民はそのうちの80%を破壊し, 1961∼1964年の聞に敵軍 40万〈戦死,負傷,逮捕および脱走を含む〉とくに1964の10ヵ月聞には14万の損 害を与えた。4年間に敵の兵士15万が解放軍へ脱走した。敵の支配地域がだんだ ん狭くなって,現在都市以外の支配地域は失くなった。都市の住民は毎日自由, 民主および平和を要求するために立ち上っている。民族解放戦線は南ベトナム 1400方の人民と共にどんな犠牲があっても独立,民主,平和および中立の 4つの 目標のため戦いを遂行しなければならない。インドシナ問題はインドシナの各地 域住民の手で解決しなければならない。来月プノンベンで開かれるインドシナ人 民大会に解放戦線中央委員会は代表を送ることを決定した。われわれは南ベトナ ム問題で政治的交渉、を拒否しないが外国の圧力を除いてベトナム人間士で話し合 うことによってのみ満足な解決が可能となるだろう。 〔L’
humanite1.26〕 1月27日 v南ベトナム政府は反米デモから米国人の生命と財産を守るためユエ市に対し一 個大隊を移動させた。 Vクーデター起る一一南ベトナム軍部は民間人から権力を奪取し,全権を三軍総 司令官グェン・カーン将軍に委任した。 南ベトナム軍評議会は,ぅぎの決議を発表した。 南ベトナム軍評議会は27日, 1964年12月20日の決議の第 2,第 3条を破棄し, ク。ェン・カーン 3軍総司令官に,現在の政治危機解決の任務をゆだねることを決 議した。この措置はファン・カクス一国家元首およびチャン ・パンフォン首相が 現在の危機的状況から生じた緊急の事態に対処不能となったためにとられたもの である。 - 47ー 一( 15)一南 ベ ト ナ ム グェン ・カーン司令官は宗教代表,地方著名人代表,軍部代表20人からなる軍 民評議会を直ちに招集する。軍民評議会は重要問題の決定について政府に助言す る。こんどつくられるべき政府は1月22日発令の布告に定められた手続に基、づき その最終期限前に国民議会を招集する任務をもっ。 v南ベトナム政府は27日の無血クーデターによって倒れ,政府に反対していた仏 教徒たちは歓喜してお祭を始めた。断食を続けていた 5人の仏教徒指導者は同日:疋 午,断食を打切った。約4000人の群衆は,これまで政府軍降下部隊によって出入り をしゃ断されていた仏教本部に集札断食をしていた5人が使っていたベッドを表 通りに引出した。仏教本部は放送を通じて,全国の各支部に対し反政府闘争をやめ るよう呼びかけた。 1月28日
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グェン ・カーン3軍総司令官は第4軍管区の視察におもむき,デインチョ ン州 第11歩兵連隊司令部で記者会見し次のように言明した。0
私は将来の政府に参加しない。現在の政情危機を政治的解決によって解決 するのを手助けするというのが軍評議会の意向である。しかし国民が自分に政治 に参画するよう直接要請するならば,一市民としてその義務を拒否することはで きない。0
当面の解決方式は軍と国民が責任をわかち合うものである。 (注, 寧民評 議会をさすものとみられる〉私は事態が急速に正常化するまで少なくともこの数 日間,国民と寧の援助と協力を要請する。0
私は 3軍総司令官として引続き軍を指揮するとともに,いまや政府を改造 する任務を持っている。 ;〈注〉 臨時首相にグュン・スプンオアン第 3副首相が任命されたが,ファン ・カ クス一元首は暫定的にその地位にとどまっている。なお国民議会の選挙はやは り3月21日までに行なわれる予定。 vテーラ一大使,ファン・カクス一元首を訪問。 V南ベトナム北部ユエの学生指導者たちは「こんどのクーデターはテーラー米大 使の解任までいっていないので,まだ不満足であるjと声明した。 この夜,学生指導者はテーラー大使を召還し,南ベトナム内政への米国の介入を 防ぐため米援助計画を修正するよう要求した。 曹南ベトナム心理戦相リン・クァンピェン准将は日本政府から供与されたラジオ 受信機 1万6045台を受取った。 一( 16 )- -48-1月29