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アジアの動向 ビルマ 1966

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Academic year: 2021

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全文

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アジアの動向 ビルマ 1966

著者

アジア経済研究所

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

シリーズタイトル

アジア動向年報

雑誌名

アジアの動向1966年版

発行年

1966

出版者

アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00052012

(2)

アジアの動向

1 9

6

6

ア ジ ア 経 済 研 究 所

1123 9 3 7 3

(3)

ビ ルマ /桐

生 稔

こ の 「ア ジ ア の 動 向 」 〈国 別 シ リ ー ズ > 1966年 は ,月 刊 「アジ ア の 動 向 」 を 各 国 別 に 1 冊 に ま と め , 総 目 次 , 1966年 の 回 顧 , 年 表 を 追 録 し た も の で す 。 ア ジ ア 諸 国 の 政 治 •経 済 の 動 き を 適 確 に 把 握 す る 基 礎 資 料 と して, 月 刊 「ア ジ ア の 動 向 」 と あ わ せ て ご 利 用 く だ さ い 。

(4)

1966年 の 回 顧 ...( i ) 年 表 (1966年 ) ... 折込

〔解 説 事 項 〕

米 の 輸 出 低 下 ,2 月) ... ... 1 農民評議会結成1 農 民 セ ミ ナ ー (2 月) ...33 ネ•ウイン議長訪米決定と米国のビルマ接近(4 月) ... 105 ビルマ社会主義の転機(5 月) ...

147

国有化政策の再検討(8 月) ... 231 ネ.ウイン議長の米国訪問とビルマの変化(9 月) ... 252 反乱軍の収穫期攻勢(11月) ...:... 323

〔主 要 事 項 〕

商品取引統制措置(1 月) ... 5 来の輸出は何故減るか(1 月) ... 7 反舌# の活動について(1 月) ...

8

農民評議会の結成(2 月) ... ... 35 綿花生産計画とジュート生産計画(2 月) ... 36 経済問題についての党の見解(2 月) ... 38 連邦記念日におけるネ.ウイン議長のメッセージ(2 月) ... 39 . 「ネ.ウイン政府を支持する」—— 米国政府筋—— (2 月)... 40 調査研究協議会に於いて(3 月) ... ...68 農民の日におけるタウン•チ農相の演説(3 月) ... 67 — 般 教 育 法 制 定 (4 月) ... 108 国営商業銀行1963〜64年 度 執 告 (4 月) ... ... ... 109 労働者セミナーにおけるネ•ウイン議長の演説(4 月) ... 110 今期農業融資支払予定額(5 月) ...150 国営入植地の現状(5 月) ... ... 151 雨期農業融資支払い新規定C5 月) ... 152 W64年ビルマ連邦銀行年次報告書の内容(5 月) ... 153

(5)

目 次 労働者評議会と農民評議会(5 月) ... 反乱軍による農地再配分妨害(5 月) ... 反乱軍による前哨地点占領の教訓(5 月) …… 果樹栽培者に州の援助(5 月) ... ビルマに対するP L48 0 援 助 に つ い て (6 • 7 月) 計 画 党 文 書 規 定 (6 . 7 月) ... M U河 溪 谷 開 発 計 画 (6 . 7 月) ... 4 月 の 輸 出 入 増 加 (6 . 7 月) ... 森林作業機械化計画(6 . 7 月) ... ラングーン市の配分問題と消費者(6 • 7 月) . 新 工 業 政 策 (6 . 7 月) ... 北爆を非難—— 紙社説—— (6 . 7 月) . 灌槪施設建設状況(8 月) ... 中国•ビルマ経済技術協力協定実施状況(8 月) 種 子 の 信 用 貸 (8 月) ... 石 油 事 情 (輸入の必要性なくなる)(8 月)••••• 未耕作農地の再配分(8 月) ... 繊維原料供給計画と織物業の現状(8 月) .•. •. ラングーン各地の消費者委員会の実情(8 月) 労働者評議会の結成問題(9 月) ... 鉱業事情—— 鉱業 省 セミナー(9 月) ... 1966/67年 度 予 算 発 表 (9 月)... 国有化銀行の補償問題(9 月) ... 新 貨 幣 の 発 行 (9 月) ... 34品目の 統 制解除 (6 月) ... 第 1 次 経済4 力 年 計 画 (10月) ... 冬 期 農 業 融 資 (10月) ... 4 力年農業増産目標の検討(10月) ... トラクター貸出原貝lj改 正 (1〇月) … 45種林産物の統制撤廃(10月) ..… ビルマ労働者の新規区分決定(10月) ソ連紙のビルマ報道(10月) ... . 154 . 155 . 156 . 1 5 8 . 176 . 178 . 179 . 179 . 180 .181 . 185 . 186 . 234 . 234 .235 . 235 . 236 > 2 3 7 . 238 . 259 . 259 . 260 . 263 . 266 . 267 .2 96 . 298 . 298 ..300 . 301 . 302 . 303 2

(6)

ベトナム戦争調停役を拒否(11月) ...325 今期籾予約買付計画(11月) ... 326 食 用油 統制 解除(11月) ... 326 米 価 改 訂 (11月) ... 326 党組織と党員構成(11月) ... 328 1952〜66年間にコロンボ計画に基づきビルマの受け入れた援助(12月) ... 359 1966年間ビルマ公共事業施行事情(12月) ... 360 ビルマ連邦著述家記者連盟の目標(12月) ... 362 1963年 9 月〜1966年10月間のビルマ国営交易業制度発達過程(12月) ... 363 カレン民族防衛組織の政治運動と宗教(12月) ... 365 躍進するビルマ社会主義制度建設(12月) ... 366

〔日

誌〕

反乱 軍 関 係 日 誌 (1 月) ... 20 ビルマの繊維事情(2 月) ... 41 反 乱軍 関 係 日 訪 (2 月) ... 52 ビルマ農民の日記念集会にネ.ウイン革命評議会議長の送ったメッセージ(3 月)..66 反 乱軍関 係 日誌(3 • 4 月) ... 124 反乱 軍 関 係 日 誌 (5 月) ...:... 170 反乱 軍 関 係 日 誌 (6 • 7 月) ... :... 209 大学採用人数を発表(8 月) ...239 反乱 軍 関 係 日 誌 (8 月) ... 248 食料品34品 目を統制解除(9 月) ... 280 S A C は仮の人民評議会である(10月) ... 306 反 乱 軍関 係日 誌(9 • 10月) ...312 反乱 軍 関 係 日 誌 (11月) ... 337 反 乱 軍関 係日 誌(12月) ...376

〔資

料〕

商品取引統制措置—— (命令第5 号) (1 月) ... 29 ビルマ農民評議会組織案(2 月) ... 55 ビルマ諸民族団結の必要(2 月) ...59 セ イ ロ ン •ビ ル マ 共 同 声 明 (2 月) ... 62

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ビルマ農民評議会の使命と未済営農資金完済の必要とに関するネ•ウイン革 命評議会議長の演説(3 月) ... -...79 ホーチミン北べ•トナム民主共和国大統領がネ•ウイン•ビルマ革命評議会議 長に宛てた書簡とこれに対するネ•ウイン議 長 の 返 信 (3 月) ... 82 1966年度ビルマ農民セミナー発言集(3 月) ... 86 1966年度農民セミナーにおける発言集(4 月) ...134 ネ•ウイン議長主催の国宴における劉少奇国家主席のあいさつ(4 月) ... 143 中国ビルマ共同コミュニケ(4 月19日発表)(4 月)... 145 ネ •ウ イ ン 議 長 の 東 欧 訪 問 (6 . 7 月) ... 220 ビルマ基本教育制度の制定(6 • 7 月) ... 228 ネ•ウイン議長の米日訪問に関する資料(9 月) ... .283 ウ •ヌ ーの 新聞 記 者 会見記(10月) ... 318 ビルマのポンド地域脱退についての英国諸新聞の論評(10月) ... 321 1966年ビルマ社会主義計画党セミナー開講式でのネ•ウイン革命評議会議長 の 演 説 (11月) ...341 1966年ビルマ社会主義計画党政治報告書(11月) ... 346 社会主義計画党政治報告書について(11月) ... 357 ビルマ連邦著述家記者連盟規約案(12月) ... 380

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1 9 6 6 年 の 回 顧

「わ れ わ れ は , す で に 虎 の 尾 を 把 え て し ま っ た 。 虎 に 喰 わ れ る か 殺 す ま で は 止 め ら れ な い 立 場 に あ る 」。 こ れ は 1965年 12月 , ネ • ウ イ ン 議 長 自 ら , 現 下 の ビ ル マ 社 会 主 義 に つ い て 明 ら か に し た 言 明 で あ っ た 。 ま た 1965年 間 に 直 面 し た ビ ル マ 政 治 の 総 括 で も あ っ た し , 1966年 へ の 政 府 の 態 度 を 表 明 し た も の で も あ っ た 。 ビ ル マ 社 会 主 義 に つ い て の 論 議 は 少 く と も 政 府 内 部 で は , す で に 結 論 が 出 て い た 。 そ れ は 経 済 , 政 治 , 社 会 機 構 な ど 全 て の 分 野 に わ た っ て 社 会 主 義 化 を 目 ざ す も の で , そ の 基 盤 建 設 の 役 割 が 軍 政 府 に あ る と い う こ と だ っ た 。 し た が っ て , さ ら に 危 機 状 態 を 呈 す る 経 済 困 難 や , 政 治 不 安 は 全 て 「社 会 主 義 過 程 に お け る 不 可 避 的 問 題 」 で あ る と し て , 一 層 社 会 主 義 化 を 推 進 す る こ と が 急 務 で あ る と し て い た 。 だ が 一 向 に 解 決 の 兆 し の 見 え な い 経 済 停 滞 と 反 政 府 ,反 強 硬 路 線 の 台 頭 は , 再 び 政 府 に 「社 会 主 義 化 」 の 再 検 討 を 迫 っ た 型 と な っ て 表 わ れ る 。 あるいは また , 日 増 し に 激 化 の 様 相 を 呈 し た ベ ト ナ ム 戦 争 が , ビ ル マ の 内 政 に 微 妙 な 影 響 を 与 え 始 め て き た 。 米 国 と ベ ト ナ ム の 戦 い の た め に , 周 辺 諸 国 は 何 ら か の 型 で 対 応 せ ざ る を 得 な く な っ た と す れ ば , ビ ル マ に お い て も 何 事 も 無 か っ た と は 言 い 切 れ な い 。 米 国 が , ベ ト ナ ム 戦 争 を 有 利 に 展 開 す る た め に は , ビ ル マ を も 考 慮 に 入 れ な け れ ば な ら な く な っ て い る 。 そ れ は , ビ ル マ が , こ う し た 米 国 の 政 策 遂 行 に と っ て あ ま り 好 ま し い 状 況 に は な い と 受 け と ら れ て い た か ら で あ っ て , ネ . ウ イ ン 議 長 の 訪 米 こ そ ,こ の 間 の 複 雑 な 事 情 を 物 語 っ て い た 。 い ず れ に せ よ , 1966年 間 に 一 貫 し て 起 っ た ビ ル マ で の 変 化 は , ビ ル マ 社 会 主 義 そ の も の の 転 機 と し て 理 解 し て よ い で あ ろ う 。 深 化 す る 経 済 危 機 19 62 〜63年 間 に よ う や く 戦 前 水 準 を 回 復 し た ビ ル マ 経 済 に

つ い て ,

政 府 は

(9)

ビ ノレ マ 6 6年 も か な り 明 る い 見 通 し を 立 て て い た 。 工 業 は 国 有 化 す る こ と に よ っ て 計 画 的 生 産 体 制 を 確 立 し , 農 業 は 地 主 • 小 作 制 度 の 撤 廃 , 高 利 貸 資 本 の 追 放 な ど に よ る 収 奪 関 係 の 一 掃 を 通 じ て 農 業 構 造 の 改 変 を 企 図 し た 。 と こ ろ が 実 状 は , 政 府 の 思 惑 ど お り に は い か な か っ た 。 1966年 9 月 現 在 , 国 有 化 率 は 全 経 済 の 5 3 % を 占 め る に 到 っ た が , 生 産 状 況 は 全 般 的 に 停 滞 な い し は 減 少 傾 向 を 深 め て い る (第 1 表 , 第 2 表 参 照 )。 殊 に , ビル マ経済の中 核 で あ る 農 業 部 門 に お い て は , 政 府 の 農 業 開 発 重 点 政 策 に も か か わ ら ず 停 滞 傾 向 を 続 け て い る こ と に 注 目 し な け れ ば な ら な い 。 第 1 表 経 営 形 態 別 生 産 状 況 (単 位 1,000万 チ ャ ッ ト ) 産 業 別 国 営 私 営丨 産 業 別 国 営 私 営 農 業 — ( 0 ) 257(100) 通 信 3(100) - ( 〇 ) 水 産 • 畜 産 1 ( 2) 7 1 ( 9 8 ) 金 融 17(100) - ( 〇 ) 林 業 23( 52) 2 1 ( 4 8 ) Govt, depts 149(100) - ( 〇 ) 鉱 業 13( 81) 2 ( 19) 家 屋 賃 貸 •そ の 1 他のサービス業j - ( 〇 ) 70(100) ェ 業 208( 51) 204( 49) 貿 易 277( 80) 6 6 ( 20) 電 力 8(100) — ( 0 ) - — 建 設 49( 65) 26( 35) 計 882 779 運 輸 4 4 ( 41) 62( 59) 比 率 53% 47% (注) カツコ内は国営対私営の比率。

( 注) 1966年 9 月10日付 The Working People’s Daily.

第 2 表 部 門 別 生 産 概 況 推 移 ( 単 位 1 ,000万K) 部 之 次 1961-61 1962 - 63 1 9 6 3 -6 4 1 9 6 4 -6 5 1965 -6 6 1966〜 67 ( 計 画 ) 農 業 199 245 229 244 231 267 畜 産. 水 産 業 60 64 63 68 64 72 林 業 18 20 19 22 42 44 鉱 業 9 10 11 12 12 15 製 造 業 352 397 360 427 435 502 合 計 639 736 683 773 784 890 — 11一

(10)

マ 農 業 の 不 振 は 即 ち , ビ ル マ 経 済 全 体 に 大 き く 影 響 す る 。 政 府 の こ れ ま で の 経 済 政 策 の 基 調 は , 常 に 農 業 の 育 成 と 開 発 で あ っ た こ と か ら し て も , 農 業 の 不 振 は , 政 府 に と っ て 極 め て 深 刻 な 問 題 で あ る に 違 い な い 。 「社 会 主 義 」 と は い え , 地 主 や 民 族 資 本 家 を 否 定 し て ま で も , 農 民 保 護 に 徹 す る 必 要 性 は , 一 方 で は 国 の 大 半 を 占 め る 農 民 に 対 す る 政 治 的 な 意 味 か ら 帰 す る も の で も あ っ た ろ う 。 だ が ,政 府 に し て み れ ば , 一 向 に 増 伸 し な い 農 業 に 対 す る 抜 本 的 な 改 革 で あ っ た の で あ る 。 地 主 や 資 本 家 の 農 民 収 奪 に よ っ て 疲 幣 し き っ た 農 業 生 産 体 制 を 整 備 す る こ と が 急 務 で あ っ た 。 流 通 機 構 の 全 面 的 国 有 化 や 小 作 料 支 払 停 止 な ど を っ う じ た 抜 本 的 改 革 が 1964年 ,65年 に 行 な わ れ , 政 府 の 言 う 「整 備 」 は 一 応 完 了 し た の で あ っ た 。 さ ら に は , 技 術 改 善 , 農 業 融 資 の 拡 充 , 協 同 組 合 化 の 促 進 な ど 相 つ い で 積 極 的 な 農 業 開 発 を 推 進 し た 。 し か し , 1966年 は 前 年 度 に 比 べ ほ ぼ 6 % の減少を 示 し た 。 な か で も ,農 業 生 産 の 8 0 % を 占 め る 米 の 生 産 は 7 % の 減 少 を 示 し た 。 農 業 生 産 の 減 少 , と り わ け 米 の 生 産 減 は , ビ ル マ 経 済 を ま す ま す 困 難 に す る。 しかも, 米 の 流 通 国 有 化 以 後 , 政 府 に よ る 集 荷 が 順 調 に い っ て い な い 現 状 で , さ ら に 減 産 と あ っ て は , ビ ル マ 唯 一 の 輸 出 を 困 難 に し , 1966年 度 に お け る 米 の 輸 出 実 績 は つ い に 110万 ト ン に 落 ち た 0 経 済 開 発 へ の 投 資 財 源 は , 当 面 米 の 輸 出 増 加 に 依 存 し な け れ ば な ら な い 。 しかも, 外 国 か ら の 援 助 は 出 来 る だ け 抑 制 す る と い う 前 提 条 件 の 下 で は , 農 業 開 発 重 点 政 策 は , 常 に , 米 の 輸 出 増 加 へ の 努 力 で も あ っ た わ け で , 工 業 化 を 後 廻 し に し て き た 所 以 で も あ る 。 農 業 生 産 の 不 振 は , ま ず 輸 出 の 低 下 を も た ら し , 国際収支をさらに悪イ匕さ せ た 。 貿 易 収 支 は , 1 9 6 3 ~ 6 4 年 度 に 赤 字 (一 6900万 チ ャ ッ ト ) に 転 じ , その 後 漸 増 傾 向 を た ど り , 1 9 6 5 〜66年 度 は , 前 半 期 で す で に 3455万 チ ャ ッ ト の 赤 字 を 出 し て

いる。

こ の よ う な 状 況 に

ついて ,政 府 は , 今 ま で 「社 会 主 義 化 過 程 に お け る 一 時

的 現 象 」 と 説 明 し て き た わ け で あ る 。 1966年 間 に 生 じ た こ れ ら の 経 済 困 難 に 対 す る 政 府 の 努 力 は , 第 1 次 経 済 4 力 年 計 画 (1966年 10月 実 施 ) に も 示 さ れ る 。 す な わ ち , 一 層 の 農 業 開 発 と 輪 出 産 品 の 開 発 振 興 , さ ら に は 輸 入 抑 制 策 と 同 時 に 輸 入 代 替 産 業 の 開 発 に 力 点 一 1 1 1 一

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ビ ル マ

餘 出 入 総 額 の 推 移

輸 入 額 が 置 か れ て い る 。 ビ ル マ の 経 済 開 発 は , す な わ ち 米 の 増 加 に 他 な ら な い の で あ る が , 米 の 80 % は , 今 , 反 乱 軍 と 激 烈 な 戦 い が 演 じ ら れ て い る 。 デ ル タ に 産 す る 。 す で に , 打 つ べ き 手 を 失 な っ た 政 府 に し て み れ ば , 当 面 は , 軍 事 努 力 と 集 荷 に 力 を 注 ぐ 他 は な い 。 ま た 一 方 で は , 政 府 は , 米 に 代 り う る 輸 出 産 品 の 開 発 を 急 が ね ば な ら な い 。 そ の 一 つ と し て , 現 在 , 石 油 資 源 の 開 発 , 農 業 の 多 角 化 (畑 作 物 の 奨 励 )な ど と 取 組 ん で は い る 。 だ が , ひ と た び 現 状 を 見 る 時 , 貿 易 収 支 の 赤 字 は 歴 然 た る 事 実 で あ り , 国 営 大 工 場 を 除 く 大 半 の 中 •小 工 場 は 資 材 不 足 で 遊 休 状 態 に あ し 商 店 も 商 品 不 足 の た め 開 店 休 業 の 状 態 が す で に 3 年 間 も 続 い て い る 。 こ う し た 状 況 こ そ , 政 府 が , そ の 「社 会 主 義 」 お よ び そ れ に 続 く 経 済 •政 治 •外 交 に 及 ぶ 政 策 の 全 面 的 再 検 討 を し な け れ ば な ら な か っ た 背 景 な の で あ る。

r

社会主義」政策をめぐる二つの主張

国 家 建 設 を , 一 層 社 会 主 義 化 の 推 進 に よ っ て 成 し 遂 げ る と は , 1965年 末 に

(12)

お け る 政 府 の 結 論 で あ っ た 。 と く に 経 済 困 難 に 対 し て は 一 層 の 国 家 統 制 が 必 要 で あ る と さ れ て い た 。 ま た , 同 時 に , 外 国 か ら の 投 資 や 援 助 に つ い て は 抑 制 を 強 化 す る 政 策 が と ら れ る と い う こ と で あ っ た 。 しかし , 1966年 間 に は , 政 府 の 財 政 は ま す ま す 逼 迫 し , 経 済 活 動 の マ ヒ 状 態 は 進 行 し , 加 え て , デ ル タ 反 乱 の 激 化 に 直 面 し た 政 府 は , 以 前 , 幾 度 か 繰 返 し た 「社 会 主 義 」 の 原 則 に つ い て 動 揺 を き た す 羽 目 に 立 ち 到 っ た 。 情 勢 は , 政 治 的 姿 勢 と し て 「社 会 主 義 」 や 自 力 更 生 を 固 執 で き る ほ ど 余 裕 ン は な い 。 また, 現 下 の 経 済 危 機 を 「一 時 的 不 可 避 の 現 象 」 と し て 放 置 で き な ベ い ほ ど 緊 迫 し て い た 。 こ う し た 状 況 の 下 に あ っ て , 政 府 内 部 で は 活 発 な 論 議 が 展 開 さ れ て い た 。 ..て: 論 議 の 大 要 は 次 の 二 つ に 分 け る こ と が で き る ひ と つ は , あ く ま で 「社 会 主 義 」 の 原 則 を 貫 く こ と に よ っ て 基 本 的 な 問 題 を 解 決 し て い く と す る 議 論 。 も ち ろ ん こ の 主 張 の 前 提 に は . 現 状 を 「一 時 的 :こ, 不 可 避 」 と 理 解 し て い る の で あ る 。 :■g 他 の 一 つ は , 現 状 を ま ず , 強 硬 な 「社 会 主 義 化 」 に よ る 欠 陥 と し て , 国 内 ’'、/.: 経 済 の 危 機 状 態 に 対 し て は , と り あ え ず , 統 制 を 緩 和 し て 自 由 化 の 方 向 を と り, 外 国 援 助 を 積 極 的 に 導 入 す る こ と に よ り 打 開 す る と の 主 張 で あ る 。 — こ の 二 つ の 主 張 こ そ , 1966年 を つ う じ て ビ ル マ の 政 治 •経 済 の 基 調 を 定 め ? た 議 論 な の で あ る 。 し か し , 結 局 は , 9 月 2 7 日 に 始 ま っ た 食 料 品 の 取 引 自 由 • § 化 や ,外 国 か ら の 援 助 導 入 の 意 向 に 見 ら れ る と お り ,少 く と も 当 面 の 経 済 政 ” て 策 に つ い て は 後 者 の 主 張 が 通 る こ と に な っ た よ う で あ る 。

、に..

こ の よ う な 結 論 が 注 視 さ れ な け れ ば な ら な い 理 由 は , ビ ル マ の 政 治 的 姿 勢 に と っ て そ の 将 来 に 重 大 な 影 響 を 及 ぼ す こ と に な る と い う こ と で あ る 。 しか し, 同 時 に , こ れ を 重 要 視 す る の は , こ の 結 論 に 到 る ま で の 過 程 で , ビルマ が 国 際 政 治 に 微 妙 な 反 応 を 示 し た こ と で あ る 。 • ⑴ 米 国 の 接 近 • ' -革 命 後 ビ ル マ が 非 同 盟 , 中 立 外 交 を 立 て 前 に ,特 定 国 , こ と に 自 由 主 義 陣 営 と の 特 別 関 係 を 持 た な い 方 針 の た め , ビ ル マ と 米 国 と の 間 に は 特 筆 す べ き 関係は存在し.なかった。 中 国 封 じ 込 め を 策 す る 米 政 府 と し て は , 東 南 ア ジ ア に お い て , 中 国 と 最 も :し

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〔. 長 い 国 境 を 接 す る ビ ル マ は 放 置 し え な い 地 域 で あ り , し か も , ビ ル マ が 東 南 ァ 諸 国 に 共 通 す る 反 政 府 的 な い し は 共 産 主 義 的 な 反 乱 軍 を 抱 え て い る こ と か ら も 見 逃 す わ け に は い か な い 。 と こ ろ が , ネ •ウ イ ン 政 府 の 鎖 国 主 義 の 下 で は , 米 国 は い ま ま で , タイや ベ ト ナ ム に お け る よ う な 介 入 を 極 力 避 け て き た 。 し か し , ベトナム戦争の 長期イ 匕と拡 大 に と も な い , 米 国 は 「ア ジ ア の 新 風 」 の 下 に 東 南 ァ 諸 国 の 参 戦 あ る い は 支 援 の 体 制 整 備 に 乗 り 出 し て き た 。 米 国 が 対 東 南 ァ 政 策 , と り わ け ベ ト ナ ム 戦 争 を 有 利 に 展 開 出 来 る 条 件 の 一 つ ‘ に , ベ ト ナ ム の 近 隣 諸 国 が , 米 国 に 協 力 し ,支 援 す る 体 制 と , さ ら に は 政 策 遂 行 上 障 害 と な ら ぬ 状 況 に あ る こ と が 挙 げ ら れ る 。 「米 国 は ビ ル マ が 平 和 的 に , し か も 米 国 に と っ て 好 ま し い 政 治 変 化 を 望 む 」 . と し た 2 月 2 4 日 の 米 国 政 府 筋 談 話 は ,米 国 の 対 東 南 ァ 政 策 を 極 め て 明 瞭 に 表 現 し て い る 。 同 時 に ,米 国 政 府 が , ビ ル マ の 国 内 で の 重 大 な 変 化 の 兆 し を 見 て と り , ビ ル マ 政 府 の 出 方 一 つ で ,米 国 に と っ て よ り 好 ま し い 政 策 的 変 化 を 示 す と 察 知 し た と 考 え ら れ る 。 ノ こ の こ と は , 4 月 6 日 の ネ •ウ イ ン 議 長 訪 米 声 明 , そ し て , 9 月 の 訪 米 実 現 で 明 ら か と な っ た 。 ま た ,先 述 の ビ ル マ 政 府 に お け る 二 つ の 主 張 が 結 果 的 に 米 国 に と っ て 好 ま し い 結 論 に 達 し た こ と は , ま っ た く の 遇 然 で あ る わ け で な く , こ の 決 定 過 程 に お け る 米 国 の 役 割 を 無 視 す る こ と は で き な い 。 ま た , ビ ル マ へ の 米 国 の 接 近 は ,一 方 で は , 全 く 時 を 同 じ く し て , ビルマ が , 米 国 へ の 対 応 を 準 備 し て い た こ と に も な る 。 ⑵ 中 国 の 役 割 . 一 方 , 中 国 は , も と も と ネ •ウ イ ン 政 府 を 無 条 件 で 支 持 し て い る 訳 で は な か っ た が , そ の 「社 会 主 義 」 と 中 立 外 交 に つ い て は , か な り の 評 価 を 与 え て い た 。 だ が , 文 化 大 革 命 を つ う じ , 中 国 は ネ • ウ イ ン 政 府 へ の 評 価 を , 以 前 よ り は 過 小 化 し だ し た 。 も っ と も , イ ラ ワ ジ • デ ル タ に は ,非 合 法 化 さ れ , ネ •ウ イ ン 政 権 に 対 し て 階 級 闘 争 を 行 な っ て い る ビ ル マ 共 産 党 と , そ れ を 核 と す る 民 族 民 主 統 一 戦 線 が い る わ け で あ る 。 し か し , ネ • ウ イ ン 政 府 が 自 力 更 生 を 旗 印 に ,外 国 援 助 を 極 力 避 け て い た . 中 で , こ れ ま で 中 国 援 助 は 最 も 大 き な 比 重 を 占 め て い た 。 だ が , 中国 援 助は

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ビ マ 7 -8.42 中 国 借 款 援 助 受 入 額 ㈦ 65〜66) 單 位 虑 チ ャ ッ ト 6.42 .日 本 賠 償 3.75 米 国 借 款 0.80 0.25 0.18 0.03 パ〆,

ソ 世 国 西 _ 速 •銀 逋 独 1961年 に 取 決 め ら れ た , 中 国 • ビ ル マ 経 済 • 技 術 協 力 協 定 に 基 づ く , 総 額 4 億 チ ャ ッ ト (11年 間 )の 枠 内 の も の で , す で に 7 0 % の 受 入 れ を 完 了 し て い る 。 し か も , 中 国 援 助 の 使 途 は , そ の ほ と ん ど が , プ ラ ン ト 建 設 で あ る こ と か ら し て , 当 面 の 経 済 危 機 に 効 果 的 な 影 響 を 与 え る ほ ど の も の で は な い こ と が い え よ う 。 ま た , 中 国 の 文 化 大 革 命 の 結 果 が , 果 し て ネ .ウ イ ン 政 府 と こ の ま ま 友 好 関 係 を 保 つ こ と に な る か ど う か 極 め て そ の 可 能 性 は 薄 い と い わ ざ る を . 得 な い 。 ビ ル マ 政 府 の 要 求 す る 外 国 援 助 に 対 応 で き る も の は ,今 の と こ ろ 米 国 や 日 本 し か な い だ ろ う 。 ■M •へ:; -V •一 変 化 の 兆 し よ う や く 整 備 段 階 を 終 わ り ,建 設 期 に さ し か か っ た ビ ル マ の 社 会 主 義 経 済 は ,社 会 主 義 化 自 ら の 欠 陥 と ,共 産 主 義 者 を 中 心 と す る 反 乱 軍 活 動 の た め に , 自 力 更 生 ,積 極 中 立 の 原 則 を 曲 げ て も ,外 国 援 助 を 受 け 入 れ る 必 要 が で て き VU —

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マ た 。 ネ • ウ イ ン 議 長 の 訪 米 • 訪 日 は , こ の こ と を 充 分 に 立 証 し た わ け で あ る 。 米 国 や , 日 本 で 如 何 な る 取 り 決 め を さ れ た か は 推 測 の 域 を 出 な い が , 少くと も 米 国 援 助 は ,今 後 増 大 し て い く で あ ろ う 。 さ ら に , ネ •ウ イ ン 政 府 の 社 会 主 義 の 変 調 を 証 し た 事 実 と し て ,一 連 の 商

統 制 撤 廃 を あ げ る こ と が 出 来 る 。 9 月2 7 日,3 4 品 目 の 食 料 品 自 由 化 を 始 め として,10月 に は ,林 産 品 4 4 品 目 ,11月 に は ,食 用 油 の 統 制 を 解 除 し た 。 こ の 措 置 は 具 体 的 に は 統 制 に よ る 流 通 機 構 の マ ヒ 状 態 を 打 開 す る た め の も の で は あ っ た が , マ ヒ 状 態 か ら 消 費 物 資 の 不 足 を 不 満 と し て ,反 政 府 感 情 が 醸 成 さ れ て い た こ と に 対 す る 措 置 で あ る こ と も 考 え な け れ ば な る ま い 。 この こ と は , 1965年 末 に 「社 会 主 義 化 」 の 一 層 の 進 行 を 決 意 し て , 1 月 ,全 て の 商 品 に 対 す る 国 家 統 制 令 を 布 告 し た そ の 日 か ら , わ ず か 半 年 後 の 出 来 事 で あ った。 ネ • ウ イ ン 議 長 は , 11月 に 開 か れ た 第 2 回 計 画 党

セミナーでの演 説 に

おい

て , 自 由 化 措 置 を 講 じ た 理 由 と し て 「破 壊 工 作 者 共 が 攪 乱 し た た め , また政 府 が こ れ ら 命 令 の 施 行 に 不 慣 れ で あ っ た た め 」 と 説 明 し た 。 い ず れ に せ よ , す で に 自 由 化 と 援 助 導 入 の 方 向 は 進 め ら れ て

いる。徹底 し

た 民 族 自 力 達 成 を 目 標 に ビ ル マ 社 会 主 義 を 遂 行 す る 政 府 は , 1966年 ,重大な 転 機 を 迎 え た わ け で あ る 。 そ の 基 本 的 な 要 因 は ,政 府 の 指 向 す る 社 会 主 義 政 策 そ の も の に あ っ た こ と は 言 う ま で も な く , そ こ か ら 派 生 す る 反 政 府 運 動 で あ り ,政 府 内 部 の 動 揺 で あ り , さ ら に は 経 済 困 難 に 総 称 さ れ る 物 資 不 足 ,生 産 停 滞 , 流 通 マ ヒ ,財 政 難 な ど で あ る 。 だ が , さ ら に 重 要 な こ と は , デ ル タ の 反 乱 軍 活 動 が 増 々 激 化 し て い る と い う 点 で あ る 。 1966年 間 を つ う じ て ,殊 に デ ル タ で の 反 乱 軍 は 勢 力 的 に 動 い た 。 そ の 目 標 は 常 に 米 と 農 民 に 向 け ら れ ,政 府 の 集 米 妨 害 , デ ル タ 農 民 の 掌 握 に 力 が 注 が れ た 。 1 9 6 5 〜66年 度 の 米 の 生 産 低 下 を も た ら し た 最 大 要 因 は ,反 乱 軍 活 動 に あ っ た 。 政 府 の 社 会 主 義 の 変 調 は こ の 反 乱 軍 活 動 が 根 底 に あ っ て ,余 儀 な く さ れ た も の と し て , と ら え ら れ る べ き で あ る 。 — V 1 1 1一

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デ ル タ で は ,9 月 のN D U F分 裂 を き っ か け に ,反 乱 行 動 の 主 軸 を 完 全 に 共 産 党 が 握 っ た と い わ れ る 。 さ ら に ,今 後 の 成 行 き が 注 目 さ れ る と こ ろ で あ る が ,殊 に ,米 に っ い て は ,一 歩 も 譲 れ な い 立 場 に あ る 政 府 と の 間 に ,来 年 度 産 米 (1抑 6年 12月 〜 1967年 3 月 末 ) の 確 保 を め ぐ っ て ,激 烈 な 闘 い が 予 想 さ れ る 。 もし,政 府 が ,今 年 度 以 上 に , 米 の 確 保 に 障 害 を 来 た し た と し た ら , 1966年 の 「社 会 主 義 の 変 調 」 が 一 層 ,進 行 す る こ と に な ろ う し , ま た ,政 府 の 決 意 如 何 に よ っ て ,決 定 的 な 政 治 的 変 化 を 余 儀 な く さ れ よ う 。 ネ ♦ ウ イ ン 議 長 は , 計 画 党 セ ミ ナ ー で , さ ら に 「独 立 を 獲 得 し た わ れ わ れ に と っ て は 自 力 で 成 就 せ ね ば な ら な い こ と は 山 積 し て い る 。 わ れ わ れ は 自 力 本 位 で 自 主 性 を 発 揮 し て 独 自 の 途 を 歩 ま ね ば な ら な い 。」と,政 府 の 基 本 的 姿 勢 に っ い て 自 ら を 叱 咜 激 励 し て い た 。 理 想 は , あ く ま で ビ ル マ 社 会 主 義 の 完 遂 で あ り , そ の た め に は 自 力 更 生 と 自 主 性 を 持 ち , そ の 過 程 で は , 中 立 外 交 を 立 て 前 に 「鎖 国 政 策 」 を続けると い う も の で あ っ た 。 し か し ,1966年 に 起 っ た 変 調 は , こ れ ら の 理 想 の 一 部 な い し は ,重 要 部 分 を 棄 て ざ る を 得 な く な っ た こ と を 表 わ し た 。 こ の こ と は , 将 来 ,具 体 的 に は 社 会 主 義 そ の も の を 否 定 せ ざ る を 得 な い 方 向 に 進 む こ と を 示 し て い る と 考 え る。 ま た ,注 視 さ れ っ づ け る 東 南 ア ジ ア に あ っ て , 国 際 政 治 の 舞 台 に 登 場 す る こ と も な く ,沈 黙 と 孤 塁 を 守 り 続 け て き た ビ ル マ で あ っ た が , 事態は決して- この状態を長く 続 け る 要 因 と は な ら な い だ ろ う 。

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1 9 6 6 年 の ビ ル マ 年 表 1 1 . 8 1 1 . 9 -13 1 1 . 30 - 12.2 対 外 関 係 ネ • ウ イ ン議 長 ,セ イ ロ ン訪問 「ネ•ウィン政府を支持する」—— 米国政府筋談話 ネ•ウイン議長, インド訪問 • シ ン ガ ボ ー ル と国交樹立 劉少奇来訪 ネ•ウイン議畏,パキスタンへ—— 国境画定協定に調 印 米 国 とP L4 8 0 協定調印—— 8200万チャットの援助 ネ•ウイン議長,チ ヱ コ , ル ー マ ニ ア を訪問 ネ•ウイン議長,英国訪問 ネ•ウィ ン議 長,米国訪問 ネ•ウイン議長, 日本訪問 ネ•ウイン議丧 , タイ訪問 ポ ン ド 圈 (スターリング地域)離脱 ベトナム戦争調停役を拒否 タノム, タイ首相来訪 ネ•ウイン議長, ネパール訪問 2. 25 ~ 3 . 1 3. 27 4. 5 4. 27 - 3 0 4. 28 5 • 中 政 典 民 セ ミ ナ い て 討 論 治 莪 民 評 議 会 結 成 と 典 茱 生 産 向 上 に つ ネ •ウ ィ ン 議 長 「民政移管」 を 示 唆 (陸軍記念日) 私立学校を接収一 これで私立小•中商校が全部国有 化された。 労働者セミナ--- 労働者評議会結成準備 一般教育法制定 マンダレーで学生が反政府運動一 共産党組織 7. 29 9. 22 10. 26 10. 27 11• 中 - 1 2 1 1 . 9 - 1 1 1 1 . 14 〜17 12. 2 12. 7 一般教育評議会結成

NDUF が分裂----B o M ya 派と Mahn Ba Zan 派

U Ba Nyein, 4 * 月の東欧外遊へ UNil, UBa Sw e元首相釈放さる 地下反乱軍激化一 精米所,逢協への破壊活動をつう じた政府の集米作業の妨害 国軍司令官•高級将校会議 第 2 回社会主義計画党セミナー 労働者評議会選举 始まる 著述家記者連盟設立草案発表 経 済 3 . 19 4 ~ 4. 29 5. 2 6 . 17 6. 23 9. 9 9 . 10 9. 27 1 0 . 15 1 0 . 18 1 1 . 26 1 1 . 30 12. 5 12. 29 12. 31 署& 指令* 5 , 6号を発表一 商品取引の全面国 ラングーンに消費者委員会設匿 油田開発順詾に進む—— 1970年を自給達成の目標 銀行業務の特化一 専門別銀行の設置 郡交易胖粢会事務所設蹬 ムー河開発計画の調査開始 新工業政策一 5 項目重点政策 国有化銀行に対する補償措置決定 1966 ~67年度予算発表,第 1 次 4 力年経済計画実施 食 料 品 (3 4 ® 目)統制解除 • I • 新貨発行 林 産 物 (42品目)統制解除 落花生,胡麻お,よび食用油を統制解除 米価改訂一生逢者米価引上げ 郡農業協同姐合担当官会議—— 農協の再検討 郡典業銀行‘開設 酒舗およびレ ス ト ラ ン再 開(ラ ン グ ー ン ) 0 6 264 9 2 7 9 7 1 2 0 2 1 6 7 6 9 6 6 307 2.C 4 3. 4. 4. 5. 6. 6./ 7. -9. 9. 9. 9.0 •

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月の概況

政 府 は 1 月 6 日,新 ら し い 商 品 取 引 手 続 に 関 す る 指 令 を 発 表 し た 。 これは 昨 年 10月 1 8 日,新 経 済 法 ,交 易 評 議 会 法 に 基 づ く 流 通 機 構 の 改 革 で あ る 。 1 月 6 日 の 指 令 は ,事 実 上 ,交 易 評 議 会 の 業 務 権 限 を 規 定 し た 。 い ま ま で ,人 民 販 売 公 社 を 中 心 に ,政 府 の 商 品 流 通 政 策 が 行 な わ れ て き た が , 当指令をち っ て そ の 中 心 が 交 易 評 議 会 に 委 ね ら れ る こ と と な っ た 。 さ ら に こ の 指 令 は , 闇 取 引 を 全 面 的 に 禁 止 し , 2 百 数 項 目 に 渡 る 商 品 の 政 府 管 理 を 再 規 定 し て い る。 こ の た め い ま ま で 民 間 取 引 を 許 さ れ て い た 商 品 , お よ び 許 可 さ れ て は い な か っ た が 民 間 商 人 が 取 引 し て い た 商 品 が 政 府 に よ り 接 収 さ れ ,特 に ラ ン グ ー ン 市 で は か な り の 混 乱 が あ っ た 。 な お , ビ ル マ 全 域 に 渡 っ て 米 の 収 穫 期 に あ た り , 11月 の 新 籾 買 付 計 画 に 基 づ き ,政 府 の 集 米 が 開 始 さ れ て い る 。 同 時 に ,殊 に デ ル タ で は 反 乱 軍 の 集 米 妨 害 が 活 発 化 し て い る 。

米の輸出低下

米 の 収 穫 期 を 迎 え た ビ ル マ で は ,昨 年 11月 に 発 表 さ れ た 新 ら し い 籾 の 買 付 計 画 に 基 づ い て 集 米 作 業 が 進 め ら れ てV、る。 農 業 は ビ ル マ 経 済 の 中 核 で あ り , な か で も 米 作 が ビ ル マ 農 業 を 代 表 す る 。 農 業 総 生 産 額 に 占 め る 米 の 生 産 額 は ほ ぽ 8 0 % に 達 す る 。 ま た , こ の 米 作 は ビ ル マ 全 土 で 行 な わ れ て は い る も の の ,生 産 量 の 大 半 は 下 ビ ル マ • デ ル タ 地 帯 に 集 中 し て い る 。 ネ • ウ ィ ン 政 府 は ,歴 代 の ビ ル マ 政 府 が そ う で あ っ た よ う に ,好 む と 好 ま ざ る と に か か わ ら ず , さ し あ た っ て は , そ の 経 済 的 基 盤 を 米 作 に 依 ら な け れ ば な ら な い 。 「社 会 主 義 建 設 」 を 目 標 に ビ ル マ 経 済 の 発 展 に 力 を 注 ぐ ネ •ウ ィ ン 政 府 と し て も ,米 作 の 振 不 振 は ,そ の 政 策 遂 行 に 少 な か ら ず 影 響 さ れ る 。 し か し 近 年 ,米 の 生 産 お よ び 輸 出 が 停 滞 な い し は 減 少 傾 向 を 示 し て い る 。 一 119一 一 、 1 ) —

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ビ ル マ (1 月) こ の こ と は ネ •ウ ィ ン 政 府 に と っ て 重 要 な 関 心 事 と な っ て い る 。 第 〗表 米 の 輸 出 状 況 年 次 輸(1,000 トン)(100万チャット)輪 出 額 輸出総額に占め る割合 1938~ 39 3,303 223 44.3% 1956〜57 2,005 895 74.8% 1957〜58 1,463 663 7 4.1% 1958 - 59 1 ,614 716 7 1.3% 1959〜60 2,080 835 7 1.7% 1960〜61 1,541 664 6 6.2% 1961〜62 1,842 852 67.2% 1962〜63 1 ,620 784 6 1.9% 1963-64 1 ,586 754 6 5 . 9 % 1964〜6 5 ( 9 力月分) 1 ,052 397

出 所: Economic survey of Burma 1964年。 Commonwealth Gram Report.

第 1 表 に 見 る 如 く ,米 の 輸 出 は 戦 前 , 300万 ト ン を 常 時 超 え て い た 0 しか も 当 時 の 輸 出 構 造 は ,石 油 ,木 材 ,鉱 産 物 な ど の 輸 出 が 今 日 よ り 遙 か に 多 く , 米 は 輸 出 総 額 の 4 0 ~ 4 5 % 内 外 を 占 め る 程 度 で あ っ た 。 し か し , 戦 後 は , ビル マ 経 済 の 荒 廃 , 内 乱 状 態 に よ る 鉱 業 開 発 な ど の 遅 れ も あ っ て ,米 は ビ ル マ が 輸 出 で き る 唯 一 の 産 品 と な り , そ の 割 合 は 7 0 % を 占 め る に 到 っ て い る 。 米の 他 に は , 棉 花 (3 % ) , ゴ ム (3 % ) ,雑 豆 (4 % ) ,木 材 (1 1 % ) ,鉱 産 物 (4 % ) な ど が あ る が , 米 に 代 り 得 る 程 の も の は 見 当 ら な い 。 こ う し た 状 況 の 上 に , さ ら に 米 の 輸 出 は 年 々 減 少 傾 向 を 示 し ,特 に , ネ • ウ ィ ン 政 権 成 立 以 後 (1962年 3 月 ),減 少 は 著 し く ,昨 年 度 (1964〜65年 )は 1 3 0 万 ト ン 台 に 止 ま っ た と い わ れ て お り , 今 年 度 は さ ら に 低 下 が 予 想 さ れ , 100万 ト ン を 割 る こ と も 考 え ら れ る 。 米 の 輸 出 が 減 少 す る こ と は 即 ち ビ ル マ の 総 輸 出 の 減 少 を も た ら す 。 し た が っ て 米 の 輸 出 低 下 は 一 つ に は ビ ル マ に お い て は 各 種 経 済 開 発 に 支 障 を き た す こ と に も な る し ,一 つ に は 重 大 な 政 治 問 題 を 生 起 す る 。 ネ •ウ ィ ン 政 府 は 外 国 援 助 を 出 来 る だ け お さ え て , 「社 会 主 義 建 設 」 を 自 力 で 達 成 す る こ と に 懸 命 で あ る 。 そ の た め に は ,今 ビ ル マ で 採 り 得 る 方 法 は , 米 作 振 興 と 米 の 輸 出 振 興 の 他 に は な い 。 米 以 外 の 農 産 品 は 農 業 の 多 角 化 計 画 に 基 づ き 行 な わ れ て は い る が , 早 急 に 普 及 出 来 る よ う で は な — v 2 )— — 120 —

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ビ ル マ (1 月) さ そ う で あ る 。 ま た , 工 業 化 ,特 に 石 油 お よ び 鉱 業 開 発 ,繊 維 産 業 発 展 に は 力 を 入 れ て い る が , 国 內 需 要 を 満 た す こ と が 目 標 で あ る に 過 ぎ な い 。 従 っ て , 国 際 収 支 は 1963~64年 度 か ら 赤 字 に 転 じ , 1964〜65年 度 は 約 1 億 チ ャ ッ ト (2100万 ド ル ) の 赤 字 と な っ た 。 こ れ は 明 ら か に 米 の 輸 出 が 減 っ た こ と に よ る 総 輸 出 額 の 減 少 に よ る も の で あ る 。 輸 入 は 国 内 生 産 の 停 滞 に よ り, む し ろ 増 加 の 傾 向 を 示 し ,特 に 消 費 財 の 輸 入 増 加 が 目 立 つ 。 し か し ,ネ* ウ ィ ン 政 府 は 国 内 工 業 の 開 発 と 農 業 開 発 の た め に , 外 国 か ら の 設 備 • 機 械 輸 入 に 力 点 を 置 い て い る た め ,消 費 財 の 輸 入 は 出 来 る だ け 抑 え て い る 。 したが っ て , ラ ン グ ー ン な ど の 諸 都 市 で は 繊 維 製 品 , 日 用 雑 貨 , な ど の 不 足 が 目 立 ち ,流 通 機 構 の 混 乱 状 態 と も 重 な っ て , 開 店 休 業 の 店 舗 が 少 な く な い 。 も と も と 米 の 輸 出 が 減 少 傾 向 に あ る こ と は ,米 の 生 産 量 低 下 に よ る こ と が 考 え ら れ る が ,第 2 表 に 見 る 如 く ,米 の 生 産 は ネ •ウ ィ ン 政 権 成 立 と 同 時 に — 応 , 戦 前 水 準 を 回 復 し , 以 後 順 調 に 増 加 し て い る 。 第 2 表 米 の 生 産 状 況 (扨) 年 次 (1,作 付 面 積 000 ェーカー)(1,000 トン)産 量 農業生産額に 占める割合 生 産 指 数 1936〜41年平均 12,832 7,426 8 2 . 0 % 100 1961〜62 11,564 6,799 7 7 .1% 92 1962-63 11,953 7,544 7 7 . 0 % 102 1963〜64 12,435 7,720 7 9 . 2% 104 1 9 6 4 ~ 65 12,624 7,832 7 9 . 6% 105 出 所: Economic Survey of Burma 1964年。 Report to the People 1965年。

こ れ は 政 府 の 農 業 重 点 政 策 に よ る 開 発 事 業 の 成 果 も あ ろ う が ,軍 政 に よ る 国 内 統 一 と 治 安 回 復 策 が 少 な く と も , ウ •ヌ ー 政 権 当 時 よ り は 効 果 が 現 れ た 結 果 で あ ろ う 。 こ の よ う に 生 産 は 数 字 上 一 応 増 加 傾 向 を 迪 っ

ている。 し か

u 人 口 増 加 (年 平 均 1 . 8 % ) に 伴 う 国 内 消 費 分 の 増 加 な ど を 考 え る に ,必 ず し も 生 産 量 の 絶 対 増 加 を 表 し て

はいない。以 上 の

ことから米 の 輸 出 が 減 少 し て

い る こ と は ,

一 つ に は輸 出 余 力 の 低 下 と

い う こ と

も 考 え ら れ る 。 し か し ,政 府 へ の 米 の 集 荷 が 不 足 し て い る こ と も 見 逃 す こ と は 出 来 な い 。 政 府 は 米 が 唯 一 の 財 政 源 で あ る だ け に , 米 の 輸 出 減 少 を 重 視 し て ,機 械 化 , — 121 — — ( 3 )

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-農 耕 法 の 改 善 普 及 ,品 質 改 良 , -農 業 融 資 の 払 出 な ど を っ う じ て 米 の 増 産 計 画 を 進 め る 一 方 ,生 産 者 米 価 の 引 上 げ (1965年 6 月 ), 集 米 機 構 の 簡 素 • 合 理 化 , 籾 買 付 計 画 の 改 訂 (1965年 11月 ), を つ う じ て 集 米 努 力 を 続 け て い る 。 し か し , こ う し た 努 力 に も か か わ ら ず ,集 荷 は 順 調 に い か ず , む し ろ 減 る 傾 向 に あ る 。 ビ ル マ 米 の 約 8 0 % は イ ラ ワ ジ •デ ル タ 地 帯 を 中 心 と す る 下 ビ ル マ で 生 産 さ れ る 。 し か も , デ ル タ 地 帯 は 各 種 反 乱 軍 の 活 動 す る 中 心 地 域 で あ る 。 収 穫 期 に は 特 に 反 乱 軍 の 活 動 は 活 発 を 極 め ,規 模 の 大 小 を 問 わ ず , 1 月 中 に お け る 反 乱 軍 の 集 米 作 業 妨 害 は 新 聞 に 表 れ る だ け で も 50件 を 超 え る 。 特 に デ ル タ 地 帯 で は 米 の 集 散 地 へ の 侵 入 ,攻 撃 ,略 奪 が 激 し く , そ れ だ け で も , かなりの 被 害 を 受 け て い る と 思 わ れ る し , ま た ,反 乱 軍 は 農 民 に 対 し 「政 府 へ 米 を 売 渡 す 農 民 は 殺 害 す る こ と も 辞 さ ぬ 」 (1 月 2 2 日) と の 布 告 を 出 し ,農 民 の 籾 売 渡 し を 妨 害 し て い る 。 そ の た め に 農 民 は 財 政 的 に 窮 乏 し て い る こ と も 伝 え 'られている。 こ う し た 反 乱 軍 の 活 動 は ,毎 年 収 穫 期 に 繰 返 さ れ る こ と で は あ るが , 米 の 輸 出 が 100万 ト ン 台 を 割 ろ う と し て い る 時 期 で あ る だ け に ,政 府 に と っ て は 極 め て 深 刻 で あ る 。 そ の た め 政 府 は 反 乱 軍 に 対 す る 軍 事 行 動 と 同 時 に , 協 同 組 合 化 , 農 業 融 資 の 戸 別 払 出 な ど を っ う じ て ,農 民 の 直 接 掌 握 に 努 力 し て い る 。 し か し , こ う し た 努 力 も , 内 乱 模 様 を 呈 す る 収 穫 期 の 反 乱 活 動 の た め に , そ の 効 果 は 期 待 出 来 な い 。 こ の よ う な 政 府 へ の 集 米 不 足 は 輸 出 低 下 に 最 も 大 き く 影 響 し て い る と 思 わ れ る 。 す で に 1 億 チ ャ ッ ト の 赤 字 を 出 し て い る 国 際 収 支 を 改 善 す る に は ,外 国 か ら の 援 助 で 埋 め な け れ ば な る ま い 。 1 9 6 4 ~ 6 5 年 度 は ほ ぼ 1 億 チ ャ ッ ト の 外 国 援 助 を 受 け て い る 。 消 費 物 資 の 輸 入 抑 制 が す で に 限 界 点 に 達 し て い る 今 日 , こ れ 以 上 輸 入 を 切 詰 め る こ と は 不 可 能 で あ ろ う 。 従 っ て , こ れ か ら ビ ル マ と し て は , 国 内 に お い て は 「社 会 主 義 」, 対 外 的 に は 積 極 中 立 を 銘 う つ 政 策 理 念 も , こ れ 以 上 の 米 の 輸 出 低 下 が 予 想 さ れ る こ と に な る と , そ の 遂 行 に 動 揺 を 来 た す こ と に も な る し , とりあ え ず 外 国 援 助 の 増 加 に 頼 ら ざ る を 得 な く な る で あ ろ う 。 こ う し た 政 府 の 苦 悩 と は 別 に ,反 政 府 地 下 運 動 は ,収 穫 が 最 盛 時 に 入 る に 従 い , 激 し く な っ て い る 。 ビ ル マ (1 月) ~ ( 4 ) - — 122 —

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ビ ル マ (1 月) 參商品取引統制措置 交易評議会が革命評議会議長命令第91号 (1965年10月18日公布) に基づき賦与され た権限を行使して行なった決定に基づき, 1 月 6 日に命令第5 号と命令第6 号とが公 布され,即時発効した。 ◊ 命 令 第 5 号は, 後掲多数品目の取引を下記の場合を除き禁止することを定めてい る (指定品目の内容は資料参照)。 ⑴生産者が所有地から採取し自家消費に宛てる未加工農産物または未加工海産 物の貯蔵,移動,製粉,加工を目的とする取引が行なわれる場合。 ( 2 ) 未加工農産物または未加工海産物を自家消费 ,貯蔵,移動,製粉,加工の目 的で生産者から直接買取る場合。 ⑶その他政府関係機関が指定する特別の場合。以上特別の場合の細目は命令附 属-•覧表に定めてある。 ◊ 命 令 第 6 号は,国家の取扱う商品を消费 のため一般に小売する場合には, 当該商 品はすべてこの命令の附属一覧表に定める店舗にこれを販売することを定め, その他 の店舖または小売業者が販売することを禁止する。 交易評議会は,以上述べた命令第5 号と命令第6 号とは別に, 命 令 第 5 号に国家の 取扱う商品として指定された商品を転売の目的で生産者から買取り, 加工,貯蔵,移 動,譲渡する者を1 月 6 日以降に起訴する旨の告示を行なった。 この告示では,総合 農業協同組合直営店舗,そめ他の協同店舗,個人登録店舗, 指定商品の手持ちある個 人はいずれもその保有する在庫品を1 月16日午後6 時までに人民卸売店舗に売渡すこ とが指示された。 1 月16日午後6 時以降に指定商品の貯蔵, 仕入れ,移動,譲渡,売 買を行なう者は起訴されることが,同じく告示で発表された。 ◊次に交易評議会は命令第6 号とその附厲書とを説明するため, 海産物販売につき 指令を発した。 この指定に基づき許可証所持者から買取った鮮魚と生ェビとは, 暫定 措置として,登録小売店舗を通じて都市消費者に売渡されることとなった。 鮮魚と生 ェビとを除き, 海産物は人民店舗を通じて都市消费 者に売渡されることとなった。 あ らゆる郡の総合農業協同組合直営店舗も郡人民卸売店舗から買取った海産物の小売を 行なうことが出来る。 都市区域外では,セリ売から除外された魚類を加工する小企業は, その製品を農村 で販売することが出来る。 このような小加工業は,その製品を交易評議会中央買入所 に随意売渡すことが出来る。 しかし,小加工業は都市区域でその製品を販売すること を希望する場合には,製品を中央買入所にだけ売渡すことが出来るものとする。 — 123 — — ( 5 )—

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ビ ル マ ( 1 月) •. 4 海産物販売統制の行なわれていない郡では, 前記小加工業の製品は自由に売買され る。 しかし,海産物販売統制の行なわれない郡の生産者が販売の統制されている郡で 製品を販売することを希望する場合には, 製品を中央買入所にだけ売渡すことが出来 るものとする。 ◊ 命 令 第 5 号と命令第6 号ならびに以上述べた告示と指令とに関する解説は, ビル マ放送局から放送された。 放送では,関係文書の写が郡治安行政委員会に洩れなく送 付されたこと, 各治安行政委員会が今回の統制措置を郡民に説明する手答を整えたこ とが聴取#に伝達され, 詳細を知りたい者は郡治安行政委員会に連絡することが希望 された。 ◊交易評議会に限り売買出来ることとなった品目は,農産品46品 R , 海産物15品目, 織物類100品目,織物以外の工業製品255品目,鉱産品10品 R である。 これら品0 の多 くは人民店舗を通じて販売され, --部は協同組分,少数品nは登録小売店舗を通じて それぞれ販売される。 指定商品の買上措匱は,全国の指定区:域を通じて-一斉に即時発効した。 ただし,小 売業者は手持商品を政府買上所に売渡すにあたって, 1 月16日まで10H間の猶予を認 められた。 . ◊ 1 月 6 日の新聞記者団との会見で,中央治安行政委員会副委員長Maung K y aw大 佐,貿易省次官Thein H a n大佐, 中央交易公社総裁Y e M y in t中佐は下記の説明を 行なった。 政府は,今回の措置が物資配給制度の諸種弊害を一掃するものとは期待していな い。その理由としては,従来200万人以上が配給物資の操作にあたっていたのに比 し,今後はわずか6 万人で配給業務に従事することとなるためである。 このように, 人手不足なこととは別に,配給業務につき所要の訓練を受けた正規職員は非常に不 足しており,到底1500名の所要人員を確保することは不pJ 能である。更にまた需要 や諸他事項に関する;iK確な官庁統計は,物資の順調なg己給を行なうためには絶対必 要であるが,現在このように:ii_:確な統計が皆無なことは大きな障害である。 しかし, 配給業務職員は,現在着々と養成中であるし,所要の統計資料も蒐集,作成中であ るため,今後数年以内に配給業務は軌道に乗るものと期待される。 しかし,今回の 取引統制措置が成功するためには,消費者たる国民の協力が先決要件である。 ラングーン市では200戸あたり1 軒の割合で主食品販売店舗,500戸あたり1 軒の 割合で織物販売店舗,1000戸あたり1 軒の割合で雑貨店舗がそれぞれ開設の予定で ある。 これら新設店舗での配給業務処理は, 当局が消費者の協力を得て監督するこ — ( 6 )— — 124 —

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ビ ル マ ( 1 月) ととなり,店舗の職員は配給業務にだけ従事することとなる。 政府は輸送事情が,今後も従来通り配給の最大隘路と成ることを痛感している。 だが, この問題を解決するため有効な手段を検討している。政府は所要職員の応募 については,取引業の経験ある者は,男女の別なく,学歴を問わず採用する方針で ある。 この応募方法を採るならば,短 期 間 に 約 1 5 0 万人を確保することが出来, L かも取引業接収のため生ずる失業問題を解決:することも出来るわけである。 郡治安行政委員会の応募する配給業務職員の基本給は200チャットの限度額内で 一定の等級に区分される。 令米の輸出は何故減るか

1 月10日 付T he W orking People’s D aily紙は,社会主義計画党隔週刊誌“Lanzin Thadin”最近 号 に 掲 載 の 「米の輸出は何故減るか」 と題する論文記事:を転載した。内 容は下記のとおりである。 革命政府は毎年‘‘農民の日”には農民セミナーを開いている。農業融資はヱーカ 一あたり8 チャットから25チャットに増え,農家の戸口まで融資を配分している。 さらに,政府は灌漑設備を改善し,農耕の拡大を計っている。 このような状況にも かかわらず, 何故米の輸出が1964年に低下し,1965年もさらに低下したのであろ う。農産物販売庁は1964年に1 億9600万バスケットの米を買上げ,1965年もほぼ同 様であろう。 とすれば,何故1964年の米の輸出よりも.1965年のそれが少なくなるの であろうか。 その理由は,農民が籾束の上をトラクターを走らせて脱穀し,em ah ta種籾に損 害を与えているがらである。 このような脱穀方法は,1964年12月ペグー地区で最初に見られ,農 民 は 「1 台の トラクターは,牛が10日間でやる仕事量と同じ位の10エーカーの籾を,僅 か 2 時間 以内で脱穀してしまう」 と言っていた。 しかし, このような機械イ匕は,時間と労働 の節約にはなるが,穀物を多大に損傷することになる。 1965年 7 月,精米試験委員会は,籾精米の試験的精米のために,プローム,パダ ウンなど8 個所に近代的精米所を設置した。 この精米所は充分に持てる能力を発揮 し,効力を挙げ得た。 しかし, この時でさえ,且つてはemahta種籾100パスケット から15等米30バスケットが得られていたにもかかわらず,18~20パスケットを得る に過ぎなかった。 委員会はこうした低産出の理由を,在庫米が雨に曝され碎米となるからだと認識 — 125 — — ( 7 ) —

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ビ ル マ (1 月) していたが,委員会は品種改良などの試験を繰り返すことにより,努力を続けてい た。だが,満足な解答を得ることは出来なかった。 このような雨による被害は昔からあったのであるが,砕米及び裂米となるような ことはなかった。そこで,このような砕米や裂米が生じる原因を追求していた時に, プローム地方で脱穀をトラクターで行なっていることを知ったのである。 この様な 脱穀方法は,特にやわらかく長いemahta種扨に影響する。 マンダレー地方で産す る ngasein種籾は精米する前に一度乾燥させるために,米の砕裂が少ない。だが, デルタ地帯では, まだトラクターによる脱穀は採られていない。 プローム,パウンデ,ゼイーゴン地方では,1965年 にem ahta種 籾 1657万1769パ スケットを産出した。 もしも100パスケットの籾から10バスケットの米を産出する ことになれば,総 址 5 万5200トンの生産をあげる〖こ停まる。 このようなロスが全国 内的に在るとすれば,結后:)籾の10分 の 1 の米しかビルマは産出できないことになる。 しかしながら,1964年および1965年における輸出f i減少の理由は他にもある。そ れは農産物販売庁が以前よりも多量の籾を国内向に販売しなければならなくなった ことである。 このことには,農民の自家消费 米産出が減少したことからの影響があ る。農民は籾から産出される米の量が減少すれば,それだけ自家消费 分は少なくな り,農産物販売庁から米を買わなければならないからである。 結論として,歩留りを低下させているトラクターによる脱穀方法を即時停止して いかなければ‘ならない。 ♦反乱軍の活動について 1 月2 4 日 付 The Guardian紙社説は,最近起っている一連の反乱活動について,特 にK N D Oの活動について次のように論評している。 1 月2 2 日夜, Paung (モールメン近郊)地域を防衛している政府軍部隊と人民警 察隊が攻撃を試みたカレン民族防衛組織(KN D O) 反乱軍を繫退したニュースは, 我々の心を歓喜させた。 略奪者は敗退した。彼等の指導者, Bo Lin H tinの副官と他の4 名の従卒が殺さ れた。

glj官Bo Ngazinyaing (Bo Zinyaw) の死体の傍には,政府軍が捕獲したカービン

銃と大量の弾薬が置かれ,現金2500チャットと重要文書が押収された。 この反乱軍 部隊は約70名からなっていた。 しかし,地方駐留の政府軍部隊と人民警察隊は果敢 に好戦し,マルタパン, タトンから援軍が到着した時には反乱軍もよく応戦した

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ビ ル マ (1 月) が,やがて完全に擊退された。 しかしながら,深夜の突然の襲撃は明らかに驚く'ベ きものであった。反乱軍は2 時間におよんで,交易評議会事務所,党支部,政府所有 商店,民家などに放火して廻った。 しかしながら,反乱軍は人民警察署の占拠には 失敗した。 このような卑劣極まる襲擊は, ここ数日間はまだ予想していなければな らない。彼らは度々やって来るであろう。 全種類の反乱軍部隊は最近自暴自棄で,勢力も急速に衰えてきている。彼らは最 後の抵抗を試みているのである。彼らの戦略は,彼らが期待するほど‘‘戦闘” に勝 利を収めていない。 しかし,いずれにせよ,政府にとって妨害となっている。彼ら の探る戦術は,急襲と破壊,略奪行為が主である。彼らはここ1 週間防備された村 落を急襲し,Paung,Pyuntaza,D ed ayeなどの比較的大きい都市への急襲を試みて V、る。 民衆への破壊活動は村落農協を目標にしている。 このようなことは民衆に困難を およぼし,政府の妨害となっている。 しかし, これらの反乱軍の卑劣行為は反乱軍 自身を破壊するものでもある。従って,彼らは民衆から完全に分離しており,盗賊 の本心を見せ,人民の迫害者として見られ,彼らの吹聰するところの“救済者”の 名を自ら裏切っている。 このようなことでは,反乱軍が極悪非道にして狡猾な連中 であると信じられても仕方がない。 この広大にして宏遠なビルマにしてみれば,全 て各々の村落を政府が充分に防備することは出来ない。通信施設の貧弱なるわが国 では治安担当者の任務は極めて困難である。反乱軍はこのことを知ってか, この好 機を逸すことはしなかった。 しかしながら,彼ら反乱軍がもし, これから長い間, そのように猛り狂うことが出来ると思っていたら,それは邪稚な幻想でしかないだ ろぅ0 カチン族の村々では,彼ら自身が民兵隊となって防備についている。暫定政権時 には,全国を通じて多くの村落が,彼ら自身の防衛の効果的方法を採ってきた。民 衆が反乱活動はやがては一掃されると確信すればするほど,政府の人民福祉のため の政策や計画が,速やかに達成することが出来るだろうし, また,不法分子に対す

民衆の立場は堅固になっていくであろう。 このような理解は次第に育っている。 反乱軍の出没する時代には確かに限界がある。 — 127 — ( 9 )

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-( 1 月)

誌 (1 月)

1 日 ▼ 「農業問題は農民評議会で」—— ミンガラドンの中央政治科学学校で開かれ ている第2 回農民問題訓練講習会で,計画党中央組織委員会農民対策局書記長 タウン•チ農林相は, 「封建的土地制度の解体は速やかに,効果的に行なわなけ ればならぬ,また,農業部門における社会主義体制確立のイニシアチブを採らね ばならぬ」 と述べ,農業•農民問題につき次の様に述べた。 i ) 社会主義革命を成功さすため土地革命を達成することは農民の義務であ る。また,工業建設を遂行するのは労働者の義務である。 i i) 土地革命の仕事は古い土地および農業制度を一掃するだけでなく,新し い制度をすみやかに確立し,強化することである。 iii) 未解決の農業問題は,今準備中の農民評議会及び計画党の指導に基づき 農民自身で解決すべきである。 ▼マンダレー大学で党路線支持—— マンダレー大学で教授,講師,職員,学生 らが集会を開き,計画党セミナーにおけるネ•ウィン演説およびサン•ユー報告 を支持した。 2 日 ▼ 鉄 道 労 働 者 に 簪 告 —— ビルマ国有鉄道のMyint T h e in大 尉 は , 鉄道労働者 の不正,怠慢,および闇取引業者との共謀による収賄行為などに対して強く警告 した。

▼各地で党路線支持集会---Myitnge, M eiktila, Taunggyi, Sagaing, Loikaw, Z ig o nなどの地区で計画党セミナーにおけるネ.ウィン演説およびサン• ユ ー報 告を支持する集会が開かれた。 3 日 ▼ 「大統領呼称などの用語改定」—— 革命評議会議長ネ•ウィン大将は,1965 年I2月3 1日付で次の二つの法律を公布した。 ⑴ 革 命 評 議 会 法 第 9 号 法的効力を持つ総ての法律,規則,布令,布告,指令,命令の中で表現され て い る 「大統領」 「連邦大統領」 「ビルマ連邦大統領」の呼称は,当法により 総 て 「ビルマ連邦革命評議会議長」 という呼称に改められる。 また,法的効力 を持たない付則,規則,布告,告示,文書の中で表現されている「知事」 「ビ ルマ知事」 「大統領」 「連邦大統領」 「ビルマ連邦大統領j の呼称も 今後 「ビ ルマ連邦革命評議会議長」 と改められる。 ビ ノレ マ 一 (10 ) - — lZ o _

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ビ ル マ ( 1 月)

⑵ 革 命 評 議 会 法 第 10号

ビルマー般条例法第2 項,第26条は次の様に改められる。 「政府」(Govern­ ment or the government) という呼称は ビルマ連邦の行政権を執行させる ため にビルマ連邦革命評議会が認可した人間のことを意味する。 4 日 〔独立記念日〕 — — 国 民 休 日 —— ▼第18回独立記念日—第18回独立記念日を祝してネ•ウィン議長夫妻はState H ouseに革命評議会員,閣僚,軍関係者,官吏,労働者,農民,学者などを招待 して夕食会を催した。 〇 ラングーン始め全国各地で独立記念祝祭を催した。 ▼貿易使節,イ ン ド ネ シ ア へSan W i n中佐を代表とする貿易使節団はイ ンドネシア外交筋と両国間の貿易拡大可能性について討議した。 ビルマとしては インドネシアから,紙, コブラなどの柽 工業品およびゴム,砂糖などの買付を希 望している。 なお,使 節 団 は 1 月 6 日まで滞在の予定。 ▼裏作に綿花栽培—— T h a z i郡の農民は農業農村開発公社, 灌漑局などの指導 と援助により,稲作の裏作として棉花を栽培することになった。その準備が終り, 3600エーカーの稲田に今月より試作されることになった。 6 日 ▼ 貿 易 省 ,取引手続についての指令を発表—— 貿易省は国営機関に管理される 商品の取引手続についての指令第5 号および第6 号 を 発 表 し た (内容要旨は前掲 別項参照)。 また, この指令について貿易省次官Thein H a n大佐と中央治安行政 委員会副議長K y aw大佐および中央交易部のY e M y in t中佐は記者会見を行ない 貿易省の発表した指令(こついて説明した(内容要旨は前掲別項および資料参照)。 ▼ラングーンで在庫調査一 ー ラングーンの民営小売店に対し, ラングーン各地 区治安行政委員会が在庫調査を開始した。 これは統制商品の押収も兼ねて行なわれ,当調査を拒否して店を開けなかった 商店に対しては,そのまま封鎖が命じられた。 7 日 ▼ 貿 易 省 の “指令,,が各地で説明さる一 - 交易を目的とする国家機関により運 営される商品および取扱い商品の違いによる小売店舖の名称などについて1 月 6 日貿易省により発表された指令が,各地で貿易担当官,S A C委員などによって説 明されている。マンダレーでは説明会を開くとともに, “指令” に基づき民間小 売業者から指定された商品の凍結を行ない,現金による支払いが開始された。 ▼貿易使節団帰国—— San W i n中佐を団長とする貿易使節団は, 日本, フィ — 129— — ( 1 1 )—

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ビ ル マ (1 月) リピン,香港,インドネシアを訪問して,空路帰国。 ビルマ輸出入公社(第22号 交易公社)総 裁Tan Yu S a in g大佐らと会談した。 8 日 ▼ ミ ィ エ ー パデータ計画について—— Hmawbi農業学校で開かれた農業担当官 年次会議で農業総局長官Min T h ein 大佐は1965〜66年度ミィヱーパデータ計画 の進渉状況および1966〜67年度ミィエーパデータ計画について説明した。 (注) Min T h e in大佐の演説内容要旨は前掲別項参照。 ▼インドネシアがビルマ米70万トンを輸入—— 昨日帰国したSan W in貿易使 節団はインドネシアとの間で, 1 月 6 日, ビルマ米70万トンの輸出契約に調印し た。 これは支払い期限を,90日を超えて延期するという支払い条件である。 〇 また,ハンガリーはビルマ米3 0 0 0 トンを輸入するとの契約に調印した。 ▼外貨準備一 一 12月31 日現在の政府保有外貨準備高は10億5692万6865チャット である。 うち連邦銀行保有は8 億1728万6507チ ャ ッ ト (3 億9000万チャットの金 保有を含む)である。 なお,当日現在の総流通通貨量は17億6561万9988チャット である。 ▼農業担当官会議—— 農業担当官年次総会はH m aw biの農業学校で開かれて いるが,当総会ではチリー,玉ねぎ, ガーリックの全国自給体制確立と,州部に おける米,食用油の自給達成が, 1966/67年度農業計画の基本的な目的であるこ とが強調された。 なお,当会議に出席した農業総局長官Min T h e in大佐は,米, 雑豆, トウモロコシ,砂糖キビ,ポテト, タバコの生産増加およびエーカー当り 収量増加のために稲の科学的製法の普及を強調した。 ▼ 「押収ではなくて買取リである」—— 1 月 6 日に貿易省が発令した指令第5 号,第 6 号に基づき,民間取引業者に対するS A Cの在庫調査に関してある地域で 誤解が生じていると伝わったために,権威筋は当件に関して,「国家は如何なる民 間取引業者からも,いかなる在庫商品を接収するものではない。国家職員(SA C) は,現在民間取引業者が取扱うことの出来る商品のうち, 1 月16日以後政府機関 によってのみ取扱いの出来る商品を分類する業務のため民間取引業者を手助けし ているだけである」 と述べ,当件に関しての説明を行なった(内容要旨は前掲別 項参照)。 9 日 ▼ 「米の輸出は減るだろうか?」一 ~ 社 会 主 義 計 画 党 月 刊 機 関 誌 “Lanzin Thadin”の 最 近 号 に 「農産物販売庁は1964年に1 億9600万パスケットの米を買 上げた。1965年もほぼ同様である。 しかし,何故1965年の米の輸出は1964年より も少ないのであろうか」などと述べた。1965年の米穀生産状況とその問題点が掲 — ( 12 )— — 130 —

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ビ ル マ ( 1 月) 載 さ れ た (なお,内容要旨は前掲別項参照)。 1 0 日 ▼ 「革命は戦争と同様」—— 特別調査局訓練講習会が開かれ,席上U Hla Thaung 長官は要旨次の様に述べた。 1 ) 諸君が軍事的作戦を展開している際に敵の襲撃や反撃に対して細心の注 意を怠ってはならないと同様に,社会主義革命の遂行に対する破壊分子に対し ては不断の警戒が必要である。 2 ) 諸君は革命を妨害しようと策謀し•ている資本家共,即ち過去に甘い汁を 吸って生きてきた闇取引利潤追求者,密輸入業者,搾取者などに対して不断の 警戒をしなければならない。 1 1 日 ▼ 金 融 事 情 —— 人民融資社による融資額は,1964~65年 度 1 億1340万チャット で,完 済額は1 億2110万チャットに達した。なお,1963〜64年は融資額1 億3530 万チャット,完 済額は 1 億3010万チャットであった。1964~65年に融資総額が減 少したのは,全国的に国民の間で浪費および賭博が少なくなったことと,政府に よる農民融資が普及したこと, さらに,融資センターに金を抵当に入れるより高 値で販売することの方が多かったことが原因している。 ▼学生と村民が衝突—— マンダレー芸術科学大学学生がB o y a村付近で突然20 名の村民に暴行されたことに怒った同大学生約4 0 0 人 がB o y a村を包囲した。 こ のため,同 大 学 教 授 U Kyaw Y in や警官が事態の収拾に乗り出し一時は平静に 戻ったが,学生約300人は再び村を包囲し放火を試みようとした。 このため,警 官を動員して学生を警戒し,学生を寄宿寮まで追返した。

▼米国大使にu Tun Win—— 革命政府はアメリカ駐在新大使にU Tun W in を

任命した。

▼シャストリ首相葬儀にU Thi Han—— 故シャストリ•インド首相の葬儀に参

列するためU Thi H a n外相はインドに向った。 なお,同行者はU Ohn K h in 外 務省次官など3 名である。 ▼米国•ビルマ貿易について—— アメリカ商務省担当宫 は, 「米国は1966年に おけるビルマとの貿易を昨年水準で持続していきたいと思う」 と述べ,次のよう に猜っ厂こ〇 ( 1 ) アメリカのビルマへの輸出は, ビルマ米の収量の大きさによって影響さ れよう0 ビルマから受けた報告によれば,今年は予期せぬ降雨のため穀物生産が影響 され,昨年よりは減少するであろう。 — 丄 3 1 — - ( 13 )—

表 明 す る 。 双 方 は , 中 国 • ビ ル マ 経 済 技 術 協 力 協 定 が 順 調 に 実 施 さ れ つ つ あ り , 両  国 の 工 事 関 係 者 が り っ ぱ な 協 力 関 係 を 打 ち 立 て て い る こ と に 喜 び を 感 じ る 。 双 方   V  は , 伝 統 的 な 友 好 と 平 和 共 存 5 原 則 を 基 礎 と す る 両 国 の 友 好 協 力 関 係 に は 広 々 と し   た 発 展 の 前 途 が 横 た わ っ て い る

参照

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端を示すものである。 これは漸江省杭州市野下人 民公社に関する 1958

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出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所/Institute of Developing Economies (IDE‑JETRO) .

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア 経済研究所 / Institute of Developing.

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国際図書館連盟の障害者の情報アクセスに関する取

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