アジアの動向 インド 1967
著者
アジア経済研究所
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
シリーズタイトル
アジア動向年報
雑誌名
アジアの動向1967年版
発行年
1967
出版者
アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00052024
アジアの動向
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a &司 この「アジアの動向」く国別シリーズ) 1967年は,月刊「アジ アの動向」を各国別にまとめ,総目次, 1967年の回顧,年表を 追録したものです。 アジア諸国の政治・経済の動きを適確に把握する基礎資料と して,月刊「アジアの動向」とあわせて利用ください。目 次
1967年の回顧...( i ) 年 表 (1967年)......................................................折込 〔月間概況〕 1・
2月の動向...1 3月の動向...-55 不安定な新州政権( 4月) •.•••••••••.•.•••••••••.•••••.•••.•••••••••••.•.•• 93 インド大統領選挙( 5月) •.•••••••••.•••••••••••.•••.•••.•••.•••••••.•••. 107 6月の動向...121 7月の動向...143 デサイ副首相の日本訪問( 8月) •••••.•••••••••••••.•••••••••••••••••••••• 155 インド左派共産党の自主独立路線(9月) þÿ0ûþÿ0û0û• • • • þÿ0ûþÿ0ûþÿ0ûþÿ0û0ûþÿ0û0ûþÿ0ûþÿ0ûþÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û171 キサン・サパ一分裂(10月) ..••••••••••••••••••.••.•••••••••••••.•••••••• 185 〔主要事項〕 ゴア,ダマン,ディウは連邦直轄領に (1・2月) ...5 北部諸州の早魅と作況( 1・2月) ... 6 現在の景気後退に対する政府の見解 (1・2月) ... 7 第 2次ガンジー内閣成立( 3月) •••••.•••••••••••••••••••.••.••••••••••••••. 59 鉄道運賃引上げ( 5月) ••••••••••••••••••••••••••••••••••••.••••••••••••• 110 北京放送に対する共産党左派政治局の声明( 6月) •.•••••••••••••••••••••••• 124 中印両国,相手国の大使館員 2人を追放(6月) •••••••••••••••••••••••••••• 125 Panda委員会, Durgapur製鉄所の生産状態調査結果および再建方針を 議会に報告(6月) •.•••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••. 128 新開発行部数, 10年間で2倍にふえる( 8月) •••••••••.•••••••••••••••.•••• 157 多収穫品種必ずしも成功せず( 8月) •••••••••••••••••••••••••••.•••.•••.•• 158 共産党左派中央委員会,イデオロギー論争に関する文書を採択( 8月) .••.•.•. 158 〔 資 料 〕 インド第 4次総選挙の開票結果( 3月) •••••••.•••.•.••..•.••....•••••.••..•. 73 - 1ー目 次
各政党の選挙綱領(3月) þÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û82
インドの春雷( 6月) þÿ0û0ûþÿ0û0ûþÿ0ûþÿ0ûþÿ0ûþÿ0ûþÿ0ûþÿ0ûþÿ0ûþÿ0û0û0û0û0û0û・ þÿ0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û0û140
イ
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1967
年 の 回 顧
変革への序曲 1967年はジャーナリズム好みの大げさな表現を使えば“変革の年”であっ た。この数年来進行していた経済危機は政治危機に発展し, 2月末に行なわ れた第 4次総選挙で,独立以来20年間ゆるぎない一党独裁を誇ってきた与党 国民会議派が,中央においても,州においても,地すべり的に後退し,左右 両翼の野党が進出し,8
州に会議派政権が出現した。過去3
回の総選挙にお いて,会議派は中央では常に議席の 3分の 2以上を確保, 1952年の第 1回総 選挙でPEPSU
を短期間野党連合の手にゆだねたこと, ケララ州において 1957年の第 2回総選挙および1964年の中間選挙で共産党に第 1党を奪われた 以外はすべての州を抑えてきたことからすれば,独立以来20年間続いてきた 会議派の中央集権的一党独裁体制の崩壊は画期的な出来事であった。会議派 の一党独裁体制の崩壊は,それ自体は8州における政権の交代をもたらした にすぎず,言葉の真の意味における変革とはほど遠いものであった。したが って,州における政権交代の意義を強調することはよいとしても,それのも つ現象的な面にばかり目を奪われ,州、自治の限界,非会議派政権の本質を十 分に検討せずに過大な評価がおこなわれてきた。会議派の一党独裁の終震は 決してインドにおける民主主義の成熟を示すものではなく,むしろ政治危機 の深化であるにもかかわらず,この点が軽視されることになった。 この 1年間の政治動向を振り返ってみると,会議派の一党独裁体制の崩壊 は政治上の変革をもたらすものではなく,政治危機の深化,発展であること がきわめて明瞭となる。しかも,この政治危機は他の経済的・社会的要因と からみあって,インドの政治体制に大きな変化をもたらす可能性をはらんで いる。それが軍事独裁政権をもたらすのか,人民民主主義政権であるかはわ からないが。 この10ヵ月間の政治の動きは,過去のどの時期とも比較のしょうがないほ ど急テンポであった。会議派は中央では政権を握ったものの,州、|に対する統 -lOJ- 一一 1-イ ン ド 制力は著しく弱まり,ハリヤナリ十
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,マディヤ・プラデッシュ州で はディフェクター(党籍変更者)が多数出て会議派の州政権が倒れ,会議派 の分解はさらに促進された。一方,非会議派政権もイデオロギー的に異なる 政党の寄合い所帯が多く,その前途の多難さが当初からささやかれていたが, 予想にたがわず,ハリヤナ,パンジャブ,西ベンガル州の非会議派政権はデ イフェクターが出たために倒れた。西ベンガルチト|の場合は先の二つの州とは 違って,州政府は議会での信任投票を待たないで、知事の手によって解任され たが,ー解任の理由はディフェクターが出て過半数を失なったためである。ハ リヤナ州、|では党籍を2回も 3回も変える議員が出ており,州レベルで、は閣僚 のポストを求めて議員が党籍を変更することが日常茶飯事となっており,総 選挙後に党籍を変更した議員数は300名をこしている。また中央と州の関係 も同一の政党が中央と州の政権を握っていた時代とは違って,対立が政治問 題化することが多かった。とくに今年は飢僅による食糧不足のため,食糧不 足州であるケララ,西ベンガノレ州が食糧の増配を要求して中央政政府とたび たび衝突し,左派共産党が参加しているこれらニつの州政権は,中央は食糧 を州政府転覆の手段に使っていると中央政府を非難した。中央と州の関係の 不円滑を象徴的に示す事件は, 11月21日の西ベンガノレ州知事による統一戦線 政権解任とP・C・
ゴーツシュ前内閣食糧相を首相とする新内閣の任命であ る。統一戦線内閣の解任は,大統領命令による州政府解任とは性質が違うが, 中央政府が知事を使って州政府を倒したことは,それまでのいきさつから否 定できない事実であり,インドの民主主義と連邦制の限界を端的に示した事 件であった。統一戦線は統一戦線内閣の解任に抗議して,根強い反対闘争を 続けており,カノレカッタ市内では, 12月にはいっても不穏な状態、が続いてい る。西ベンガルは左派共産党の勢力が最も強いところであり,右翼のスワタ ントラ党は,統一戦線内閣解任に抗議する闘争を指導している左派共産党を 非合法化せよと主張している。スワタントラ党の左派共産党非合法化の主張 は今に始まったことではないが,不況下であり,しかも会議派州の力が弱ま っているときでもあり,口実を設けて左派共産党に対する弾圧を強める可能 性は大きい。 以上述べたように,会議派の一党独裁の終震は,変革というにはほど遠い 一 一 11一一-104-イ ン ド 州レベルでの政権交代にすぎなかったが,それは議会民主主義の形骸化,左 派共産党の非合法化,州自治の名目化によって,階級対立がより先鋭化する 段階への道を聞いた。その意味で、1967年は“変革の年”というよりは,より 大きな変革に向かつて一歩前進した年である。 不況の深化 1962年の中印国境紛争以来,インドの工業生産の対前年増加率は低下傾向 にあったが,それでも1966年までは前年の水準を下回ったことは一度もなか った。だが, 1966年6月の平価切下げ,第 4次計画作成の遅延,北部インド を襲った早魅のために不況はさらに深化し,特に綿工業,ジュート工業,機 械,輸送機器部門はその影響をもろに受けて,すでに綿工業,ジュート工業 では工場閉鎖・倒産が続出しており, 1967年の総合工業生産指数は,前年を 下回ることが決定的となっている。政府は産業界がかつてないきびしい景気 後退に見舞われているにもかかわらず,事態の深刻さを認めようとせず,や っと10月になって不況対策委員会を設けた程度で,景気の自立的回復に期待 をかけている。政府のエコノミストの中には,こんどの景気後退は,早魅に よる農業生産の低下,第 4次 5ヵ年計画実施の遅延といった一時的現象によ るものであり,内需の抑制は平価切下げの最大の目的−輸出の促進ーの達成 という点からすれば,景気後退が深刻化したり長引いたりしないかぎり,む しろ歓迎すべき,健全な徴候であるという見解を出しているものもある。デ サイ蔵相は,このような事実認識の下;こ緊縮政策を打ち出すことはまちがい ない。だがはたして,赤字財政の中止,内需の抑制,輸出の増大というメカ ニズムがインド経済の中にできているであろうか。 この問題に答えるには,独立後会議派政府がとってきた経済政策と経済発 展の過程を簡単にみておく必要がある。 インドの経済政策の特徴は,経済の広範な分野において民間企業の自由な 活動を許しながら,他方において,政府が通常の財政金融政策による経済へ の介入の域をはるかにこえて,直接に生産・流通・外国貿易・金融・保険・ 運輸等々の分野に進出してきていることである。国家の経済への介入は 5ヵ 年計画の進展とともに強まり,①政府雇用,②政府所有資産,③政府投資, -105- 一一 111
-イ ン ド ④政府融資,⑤政府の財貨・サービスの購入一ーのいずれをとってみても, 一貫して増大している。第
3
次5
ヵ年計画では,パブリック・セクターの投 資額は民間のそれを凌駕するようになっている。またパブ、リック・セクター の投資は巨額の資本を要する基幹産業部門への投資が多く,インドの工業化 を推進する上できわめて大きな役割を演じている。ちなみに,払込み資本金 でみたインドの十大企業をとりだしてみると,八つが国営企業で、他の一つに も政府の資本がはいっており,完全な民営企業はタター製鉄だけである。上 位30社をとりだした場合でも,政府企業の数は多く,政府の工業投資がイン ドの工業化にとってどのような大きな意味をもっているかがうかがえる。 先に述べたように,政府は生産部門のほかに流通・外国貿易・金融・保険・ 運輸等の分野にも進出しており,ここにおいても政府は生産部門と変わらぬ 重要な役割を演じている。換言すれば,国家はインド経済発展の推進力とな っている。ところで,国家の経済への介入は経済発展を推進したという積極 的な評価をなしうる面だけでなく,開発支出の増大による財政赤字の慢性化, その結果としてのインフレーションの昂進,輸出の低下による国際収支の悪 化というマイナスの効果をも生みだすことになった。これらの現象は,とも に国家資本主義政策の産物であり,不可分の関係にある。その関係を事実に 即して述べれば次のようになる。 政府投資の増大は,資金調達面において民間企業と競合することはあっ ても,民間への発注を増大させ,また雇用をふやし,民間企業にとって新 たな発展の機会を創出してくるので歓迎すべきことである。民間企業は外 資に対する規制,高い保護関税,国産品の優先使用規定などによって手厚 く保護されているため,政府投資の増大,またその波及効果によって生じ る需要を期待できるので, 5ヵ年計画の規模拡大を見越して企業の新設・ 拡張を行なうことができた。各産業部門ごとの政府需要依存度はつかめな いが,政府投資の抑制が成長産業に大きな打撃を与えたことからもうかが えるように,民間企業の中でも特に機械,化学,輸送機器などは,政府需 要に大きく依存するようになっていた。そこで,個別企業としてはその財 源が何であれ,開発投資の増大が続かなければ企業として存続できない状 態になった。一方,政府は経済開発を至上命令としているため, 5ヵ年計 一一 lV 一一-106-イ ン ド 画の投資目標達成のため,赤字財政に訴えるようになった。赤字財政増大 はインフレ圧力を作りだし,開発支出が増大した第2次5ヵ年計画の段階 から物価騰貴が目立ちはじめ,第2次計画中に約20%,第3次計画中に約 30%の卸売り物価指数の上昇をみた。個別企業にとっては,この程度の物 価指数の上昇は,労働組合の賃上げ要求を別にすれば,むしろ望ましいこ とであり,企業の投資意欲を刺激し,工業生産は急激にふえた。だが,イ ンド経済全般からみれば憂慮すべきことであった。まず,国内需要が強い ために企業の輸出意欲が乏しく,輸出が伸びず,輸入の方は増大する一方 で,輸出入のギャッフ。は拡大し,貿易収支が毎年赤字を続けているところ に,さらにインフレによるインド商品の海外市場での競争力低下が加わっ たので,貿易収支の赤字幅はさらに拡大した。その結果, 1958年になると 保有外貨準備が底をつくようになった。外貨準備の減少は,ある程度まで 外国援助の増大によって埋めあわせたがついたので, 1962年の中印紛争ま では,輸入制限の影響が工業生産にそれほど顕著に現われなかった。しか し,中印紛争勃発とともに輸入制限は強化され,紛争終結後若干緩和され たものの,
GNP
に占める輸入の比率は低下し,生産活動に大きな支障を きたすようになっている。輸入制限による原材料不足から工場の操業度は 低く,新設設備も十分に稼動させられない状態にある。 1962年以降の工業 生産指数の低下傾向はこのような状態を反映したもの(引である。第2はイ ンフレーションがマネー・タームによる計画目標を無意味にしてしまうこ とである。具体的にいえば,マネー・タームでみた投資は目標額を上回っ ても,市場経済であるため,フィジカノレ・タームの成果は目標を大きく下 回ることになる。第3次計画で達成されたのは投資目標額だけであるとい う批判は,このような事実に向けられたものである。このような状態が恒 常化すれば, 5ヵ年間ものタイム・スパンをもっ計画は意味をもたなくな る。 1966年4月から始まるはずの第 4次計画がいまだに実施されない理由 としては,印バ紛争の勃発とその影響,平価切下げに伴う経済的混乱, 2 年続きの早越による農業生産の低下がいわれているが,より根本的な原因 は5ヵ年計画を無意味化するインフレーションとインフレーションを昂進 させる政府の政策にある。極論すれば,経済政策の転換がないかぎり,輸 -107ー ー− V-イ ン ド 出の増大も外国援助依存の是正も,インフレーションの収束もありえない のである。 新内閣の蔵相となったヂサイ氏は,従来,政府の経済政策に批判的で,蔵 相就任と同時に政策転換に着手した。まず第一着手としてインフレ抑制のた め, 1967/68年度の開発支出を前年の水準にとどめ,均衡予算を作成した。 デサイ氏のめざすところは,引締めを行ない,インフレを終わらせ,輸出を 増大させ,バランスのとれた経済発展を進めることにあるとされている。こ のようなデサイ構想が軌道に乗るためには,インド経済は大きな犠牲を強い られることになり,それにインド経済がどれだけ耐えられるかは興味あると ころである。 政府投資抑制は従来の成長産業である工作機械,輸送機器などに大きな打 撃を与えており,模範的国営企業といわれていたヒンドスターン・マシーン も在庫が多くなり,決算で赤字を出している。政府投資の抑制は有効需要の 削減という面では大きな効果を現わしているが,物価上昇はとまらず,民間 企業に輸出ドライヴがかかっているとは思えない。長い間手厚い保護を受け て,売手市場の状態にならされてきた民間企業は,国内需要が減少したから といって急に輸出に切り換えられる体制はできていない。鉄鋼などごく一部 の業種で,内需の減少分を輸出によってカバーしようとする動きが出ている が,品質,価格などの面で競争力のある製品を生産できる業種はそう多くな く,引締めが輸出につながるような経済メカニズムはでき上がっていない。 ダンピングをやってでも輸出を伸ばすといった業界などは全くなく,外国援 助があてにできるためか,政策担当者も輸出の増進にあまり力を入れてない。 このままでは輸出増大効果があらわれる前に,温室育ちの企業が大きな打撃 を受け,デサイ構想、は中途で挫折せざるをえなくなりそうである。 会議派流の民主主義 1966年はほとんど1年中,社会不安でインド全体が騒然としていた。未曽 有の早越による食糧不足で食糧価格が高騰し,都市では食糧よこせデモやゼ ネスト,州政府公務員の賃上げスト,学生騒動などが続発した。政府は食糧 危機,物価上昇に対して適切な対策を打ち出すことができず,経済政策の失 一一 Vl 一一
-108-イ ン ド 敗に対する国民の不満を武力で押えたので,各地で警官と市民・労働者・学 生との衝突が起こり,多数の死傷者を出した。政府の弾圧にもかかわらず, 議会は中央はもちろんのこと,大統領の直接統治下にあったケララ,パンジ ャブを除く全州、ほ会議派が独占していて,国民の不満を民主的方法で解決す る道が閉ざされていたので,いきおい大衆は,政府に対する不満のはけ口を 直接行動に求めることになった。これに対し政府は,各種の社会不安は選挙 目当てに,野党が会議派の信用を落とすため引き起こしているもので,法と 秩序を守るには強硬な措置をとらざるをえないとして,武力による弾圧を行 なった。 警官のデモ隊,ストライキに対する弾圧ぶりはすさまじく,イギリスの植 民地支配時代を思いおこすとさえいわれていた。与党会議派は国民の強い批 判をあび,議会では野党から失政,汚職を追及されながらも,絶対多数を占 めていたのでそれを乗り切ることができた。したがって,インドでは議会民 主主義は制度としては存在しながらも,民主主義の精神は希薄で,民主主義 的運動は弾圧され,事実上は議会主義に名を借りた会議派の一党独裁となっ ていた。野党は議会で会議派と対決できるほどの勢力になることができず, 国民は不満を政府に直接にぷっつけることになったので,インドの民主主義 は危機に立たされることになった。 The Timesのネーヴイノレ・マックスウ ヱノレ記者は選挙前に,インドの民主主議の余命はいくばくもなく,こんどの 選挙が最後の選挙になるだろうと書いて物議をかもした (TheTimes, 1967・ 1・28)。選挙前のインドの政情から受ける印象は一般にこのようなもので, 会議派支配に代わる政党が出ないため,インドの民主主義は破滅への道をた どることになるだろうとみられていた。 今年2月に行なわれた第 4次総選挙では,会議派は一般の予想を大きく上 回る後退を示し,中央下院では選挙前(1966年 9月15日現在)の375から 284 に,一挙に約90議席減少し(定員は前回の494から 521にふえている),州で は選挙の行なわれた16州のうち 8州で過半数を制することに失敗した。こう して,会議派の独裁体制は一挙にくつがえされ,第4次総選挙はインドにお ける真の民主主義の始まりであるとさえいわれた。たしかに会議派の失政に 対する国民の不満が爆発し,一挙に入つの州で会議派が政権の座から引き降 -109- 一一Vll
-イ ン ド
ろされたことは画期的なことであった。 oneteam, one countryという会議 派の選挙スローガンにみられる,政権を担当できる政党は会議派しかないと いう尊大な幻想はもろくもくずれた。国民はごうまんで尊大な会議派を拒絶 し,別の政党が政権につくことを要求した。 州レベノレにおける政権の交代は民意の反映という点では高く評価されねば ならないが,同時に新たな危機がそれに随伴していたことを忘れてはならな い。まず第1に,会議派の一枚岩的統治のおおいがとれると,連邦制に内在 していた矛盾が露呈されたことである。多民族,多言語,多宗教のインドで は,原則として州も言語単位で編成されており,州自治拡大の要求は根強く, 中央と州の関係は円滑を欠きがちであった。ただ,会議派の一党独裁時代に は中央政府と州政府の聞の対立がこじれ,公式の政府間lレートでは解決でき なくなっても,会議派の党組織という裏口を通じて妥協の途をもとめること が可能であった。この点に限っていうならば,会議派の一党独裁は民主主義 が未成熟な上に人種・言語・宗教・カーストなど多くの分断要因を内包する インドの政治を一応安定させ,国家の統ーを保つ上で重要な意義をもってい た。またそれは同時に, 1959年の強権発動によるケララ州政府の解任に代表 されるように,会議派は自党が過半数を割った場合でも,他の政党,とくに 共産党に政権が渡らないようにし,たとえ政権の成立を許した場合でも任期 の途中で解任したので,インドの民主主義は大きな限定付きの民主主義で, 会議派流の民主主義と皮肉られていた。 昨年来,インドの民主主義の危機が内外でしきりにとりざたされているが, 今年の2月の総選挙後はそれがいっそう切迫感をもつようになった。すでに 述べたように, 2月の総選挙までは国民の会議派統治に対する不満がしばし ばデモ・ハノレタノレ(ゼ、ネスト)などの暴力の形態をとって爆発したため,議 会の存在意義が失われ,民主主義の危機が叫ばれていた。 2月の総選挙後は 民主主義の危機の性質がかなりちがったものとなってきた。総選挙の結果, まず 6州で非会議派政権ができ,その後ハリヤナ,ウツタノレ・プラデッシュ‘ マディヤ・プラデッシュの3州で会議派政権が倒れて非会議派政権が成立, 一時は 9州に非会議派政権が存在し,形式上はこれらの州においては州民の 声が州政府に反映できるようになった。ただ,現実には非会議派政権といっ 』 −v111--- -110ー
イ ン ド ても会議派の分派や離党者が中心になっている場合が多く,階級的には全く 同じであり,左派共産党が参加しているケララ,西ベンガノレ州政府にしても 連立政権であり,また州自治に対する制約もあって,思いきった政策を打ち 出せない状態にある。西ベンガノレ州の統一戦線政権が残しためぼしい功績は ストライキで解雇された州政府公務員の復職,州政府公務員の賃上げ,労働 争議および、小作争議への警察の介入禁止くらいのものである。これでも前の 会議派政府に比べれば,労働者,農民の要求にこたえようとした努力のあと がみられるが,不況による失業者の増大,地主による小作人の追立てなどの より深刻な問題に対しては効果的な政策を打ち出しえなかった。それでも, 州政府が命令した警察の労働争議,小作争議介入禁止は,工場経営者,地主 にとっては大きな脅威であった。工場ではゲラオー(経営者のつるしあげ, 部屋へのかん詰め〉が多くなり,小作人の地主に対する抵抗が強まり,経営 者や地主にとって西ベンガノレ州統一戦線内閣は,きわめて危険な存在となっ た。そこで統一戦線内閣の転覆を画策する種々の陰謀が行なわれた。まず最 初に,閣内における左派共産党とその他の政党の対立を利用して,左派共産 党を排除した連立政権を作る工作が進められ,会議派運営委員会からナンダ 元内相が西ベンガノレ州に送りこまれ,その指導を行ない,アジョイ・ムケル ジ一首相辞任の日取りまで決められていたが,アジョイ・ムケルジ一首相が どたん場で、決意をひるがえしてこの工作は失敗した。第2回は, P・C・ゴ ーッシュ食糧相ら17名が統一戦線から離脱したため,知事が11月31日までに 州議会を聞いて信任をとうよう州首相に要求したのに対し,州首相が12月18 日まで開けないと答えたので,州知事が知事の自由裁量権(discretionary power)によって, 11月21日に州政府を解任した。州知事は解任の理由とし て,過半数の支持を失った内閣がいつまでも政権を担当することは望ましく なく,内閣の組閣者を指命する権限をもっ州知事は,過半数の支持を失った 内閣を解任することもできることをあげているが,議会開催までの18日間を 待ちきれずに解任に踏みきったのは,その聞に離党者が統一戦線に復帰する のをおそれたためとされている。 知事に統一戦線内閣を解任させたのは,いうまでもなく中央の会議派政府 である。中央政府は統一戦線政権の存続を望まず,西ベンガルチト|の奪回の機 - lX
-イ ン ド 会を狙っていたので,中央政府と西ベンガノレ州政府の関係は当初からわるか った。中央政府は中央が州に与える交付金(grants-in-aid),食糧の配分で西 ベンガノレ州に対するしめつけをおこなった。とくに西ベンガノレ州の食糧不足 はひどく,配給量は中央の決めた決定配給量をずっと下回っていたにもかか らず,州への供給量をふやさなかった。西ベンガノレ州政府は,中央の会議派 政府は食糧を州政府転覆の手段に使っているとして, 8月にはこれに抗議す る州政府黙認の全州的ゼネストが行なわれた。中央政府はケララ州に対して も当初の約束通り食糧を供給せず,州首相まで参加する抗議集会が聞かれた。 このように,非会議派州政府は憲法による州、伯治制限に加えて,財政的に も中央政府に従属しており,また食糧不足州は食糧の供給でも首をおさえら れており,州が独自になしうることはきわめて限られている。にもかかわら ず,中央の会議派政府は非会議派政権をつぶしにかかっており,西ベンガル 州のほかにハリヤナ州政府も大統領によって解任され,州議会は解散させら れた。西ベンガノレ州では 12月になっても統一戦線の州内閣解任に対する抗議 が続けられており,社会的,経済的混乱が広まっている。非会議派州政府を つぶしても,政治の安定も,空中分解しかけた会議派の勢力回復も望めず, 政治危機を深めるだけになっている。 今後の展望 現在のような政治的混乱が続けば,インドに軍政が出現することを予想す る人は少なくない。昨年,中国をとりまく東南アジア諸国を視察したゲーノレ・ マックーギ,フランク・ムースの両米上院議員は視察報告書の中で,インド の指導部は弱体なので,軍事独裁または右翼政党による独裁の可能性がある と述べている。インド人自身の中にも軍政の出現を危倶するものが出ており, サノレボーダや運動の指導者J・ナラヤン氏はすでに今年4月に軍政の出現を 防ぐため,左派共産党を除く超党派内閣を作ることを提唱している。このナ ラヤン氏の発言は国民をまどわすものであるとして,会議派首脳から強い反 発を受けた。会議派指導者にとって,軍政の出現を警告されることは何より も耐えがたい侮辱であろうが,事態はその方向に進んでいるというより,会 議派はみずから墓穴を掘っている。 一 − X -
-112-イ ン ド 州知事による西ベンガノレ州政府の解任はその代表例である。
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•M ・ S ・ ナンブーディリバード・ケララ州首相は,知事による州政府の解任は,イン ドに民主主義を確立する重要な前提である議会の最高権威を否定するもので あり,それは危険な結果をともなうことになろうと警告している。ナンプー ディリバード首相は歴史にアナロジーを用いることは危険であるとことわり ながらも,民主的諸制度の侵害は一定のパターンがあるとして,パキスタン の例を引いて,それとインドでおこりそうな事態と対照させている。まず, パキスタンの軍政成立までの過程を引用しよう。 (a) 中央政府による州内閣(東ベンガル〉の解任 (b) 大統領による中央政府の解任 (c) 軍事独裁者による大統領の解任 一方,インドの方はどうなるか。 「アジョイ・ムケルジー内閣の解任後, P•C ・ゴーッシュ内閣の将来については何ともいえない。ガンジ一首相の 率いる内閣の将来については何ともいえない。この国の事態の推移をみてい ると,先のことについて予想がつかない。 もし首相が実力者(strong man) によって解任され,また別の実力者があらわれれば,この過程は際限なく続 くことになる。もし議会の最高権威が侵害されれば,この可能性は否定でき ないであろう」(E.M. S. Namboodiripad, Current Political and Economic Crisis in India, Mainstream; December 9, 1967)。ナンプーディリパード 首相は軍政という言葉こそ使ってないが,民主主義の大前提である議会の最 高権威が簡単に侵されるならば,現在の政治,経済危機のもとでは軍政が出 る可能性が強いことを警告している。彼はきわめて慎重な人であり,従来は 新聞記者の質問に対しでも適当にはぐらかし,軍政出現の可能性などを認め たことがないだけに,これは注目してよいであろう。 従来,インドでは強固な官僚組織があり,シピリアン・コントローノレが徹 底しており,また軍自体がまとまりにくい条件をかかえていることから,軍 政の実現はむずかしいとする見方が強かった。このような見解は,それなり の根拠をもっているが,パキスタンでアユブ・カーン陸軍大将が出たときも, それを事前に予想、したものはなかったし,軍は自分が望まなくても,政治的 混乱がひどくなれば正面に押し出されることを忘れてはならない。またこれ q J 一− XI 一一イ ン ド を一歩譲るとしても,州政治の混乱が中央にはね返り,それに耐えられなく なった会議派が右翼政党と合同することは十分考えられる。そうなれば,左 派共産党は非合法化されるので,軍事独裁と同じ結果になろう。このような 事態がいつ生じるかは予想、できないが,インドの民主主義とファシズムとの 距離は次第に接近しつつある。 (注〉 インドの業種別遊休度は次の通り。 1965年 1966年 ボ イ フ ー 28(%) 66(%) 農 業 機 械 38 46 製 茶 機 25 28 長 岡 鋳 造 25 53 鍛 造 6 36 電 気 扇 風 機 5 14 溶 接 棒 28 :13 車 中雨 14 45 構 造 用 材 料 14 35 一 −Xll -
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インドは前途に光明を見出せぬまま新年を迎えた。経済危機の象徴である 食糧不足は日を追って深刻化しており,政府は早魅の被害の大きいピハール, プツタノレ・プラデッシュ州にできるだけ多く食糧をまわすという大義名分の もとに,昨年12月に配給量の 12.5%削減を行なったが,配給機構に乗せうる 食糧は底をつき,ケララ州では食糧繰りが1週間単位で行なわれるようにな っている。物価もさがる気配はみちれない。昨年1年間の卸売物価指数は平 均で14%の上昇となっている。特に食料&
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と工業原料の上昇は大きく,それ ぞれ 3, 4ポイントの上昇となっている。 5ヵ年計画実施以来かなりのテン ポで伸びてきた工業生産は,このところ原材料の不足,政府の計画支出抑制 で低迷している。輸出も不振をきわめ,昨年6月に平価切下げを実施したに もかかわらず,昨年の輸出実績は15.8億ドルにとどまり,前年を約1億ドノレ 下回っている。ただ昨年12月の輸出が年聞の最高を記録したことから,政府 は今後の輸出増大に大きな期待をかけているようだ。 注目の第4次総選挙は 2月15∼21日の 1週間にわたって実施された。第4 次総選挙は「投票箱による革命」といわれているように,会議派の大幅な後 退をもたらした。会議派の中央下院での議席数は選挙前の375(1966年9月 15日〉から 278に激減し,州議会では16州のうち 8州で過半数を割った。会 議派が8州を失ったことにより, 10数年にわたる会議派の事実上の1党独裁 的支配に終止符が打たれ,インド政界は多党化時代を迎えた(インドの第4 次選挙については解説を参照〉。 ケララ州では政府の食糧在庫が底をつき,食糧ぐりが週単位で行なわれて おり,配給制度は崩壊寸前の状態にある。ケララ州は食糧需要量の50%を州 外からの供給にたよってし、るとし、う特殊な州であるが,ケララ以外の州でも 政府の食糧在庫は少なくなっており,公正価格店から食糧が姿を消すところ が多くなってし、る。とくに非会議派政権ができた州では,野党は選挙で会議 -213- 一( 1 )一イ ン ド (1
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2月〉 派政府の食糧政策を強く攻撃してきた手前,食糧の確保に懸命になっている が,絶対量が不足している現状ではそれは容易ではなく,中央政府に食糧を 多く回すように要求して,中央政府と非会議派州政府との聞に対立が生じて いる。また食糧のゾ一ナノレシステムによる州問の対立,すなわち余剰州と不 足州の対立もはげしくなっている。こんどの選挙での最大の争点は食糧問題 であったが,選挙後も食糧問題は形を変えて,たえず政治の舞台に登場する ことになろう。ここでは選挙前の会議派政府の食糧流通政策とアメリカの食 糧援助決定のいきさつを簡単に回顧しておくことにする。 政府の食糧在庫が底をつき,正常な流通機構の維持が困難をきわめている ことは,政府の食糧政策,特に流通政策に大きな欠陥があることを示すもの である。食糧流通政策の最も大きな弱点は,政府が供出を確実に実行せず, 白から作った流通機構に乗せる食糧の確保ができなかったととにあった。政 府は総選挙を 2月に控えていたことから,有権者を刺激することを心配して 食糧の供出を強要せず,もっぱら外国援助と輸入に活路を見出そうとしてき た。これは選挙後に暴露された事実で、あるが,前年の米の供出量が300万ト ンであったのに対し,昨年はわずか50万トンとなっている。選挙が終わると, 食糧省は 3月中に供出を徹底させなければ,農家の退蔵米はヤミに流れて配 給ノレートに乗せる分がなくなり, 6月以降食糧不足が一段と深刻化するとの 警告を発した。しかし, 3月はどこの州も選挙後の政治の空白期であり,ま た野党が7
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月末日まで)の政権を握ったことから,食糧の供出が大々 的に行なわれたとは考えられない。たとえある程度行なわれたとしても,そ れまで供出を怠っていたからヤミに流れた分が多いと思われる。 ヤミに流れている量がいかに多いかは,ヤミ取引が盛況をきわめ,金さえ 出せばいくらでも食糧が入手できることからもわかる。ピハーノレ州の早魅の 被害が最も大きく,多数の住民が餓死線上をさまよっている地域においてす ら,金さえだせばヤミの食糧はいくらでも手にはいる,と被災地域を視察し た新聞記者は伝えている(東京新聞 3月15日夕刊〉。食糧不足が人為的な要 因によって加重されていることは政府も認めている。ヤミ取引や退蔵が食糧 価格騰貴の原因となっていることはっとに指摘され,政府は配給制度,国営 デ、パート,公正価格店の設置などにより公正な価格で供給を図ろうとしてき 一( 2 )ー -214ーイ ン ド (1
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2月〉 た。しかし,現在では配給機構や公正価格店を通じて流す食糧が底をつき, 政府も手の打ちょうがなくなっている。その原因の一半が供出を積極的にや らなかったことにあることはいうまでもない。農村は会議派の重要な選挙地 盤なので,政府は地主・富農などを敵に回してまで供出を強要することがで きなかった。政府は一時的にヤミ商人,退蔵者の摘発にまで手をつけたが(こ れも結局,会議派下部からの選挙資金がはいらなくなるという不満が出て立 消えになった〉, 生産者に対しては何もしようとはしなかった。必需品令も 生産者には寛大で,生産者(大小を問わず〉は退蔵穀物没収の対象からはず されており,卸売商,小売業者,退蔵者のみが適用の対象となっている。生 産農家の食糧は政府が供出を強要しないかぎり,ヤミにどんどん流れるよう になっている。ヤミ取引に対する規制はないも同然になっているので,配給 食糧は不足しでも,ヤミの食糧は豊富にあるという現象が恒常化している。 皮肉なことに,会議派政権がつぶれた州では,摘発をおそれた商人や退蔵者 が食糧を放出し,食糧価格の下落が伝えられている。このように,政府の食 糧流通政策は,一方で配給制度,公正価格店を拡大しながら,他方ではそれ に対応する食糧の確保ができないといった矛盾したもので,深刻な食糧不足 には十分に対処できるものではなかった。 最後に食糧援助の受入れについて見ておこう。政府は食糧不足をカパーす るため,食糧援助の確保に文字通り東奔西走している。食糧供給面でのアメ リカへの依存は大きく,輸入食糧の8割をアメリカにたよっている。アメリ カからの輸入が多いのはPL480号による食糧輸入のためである。 PL480号 による食糧輸入は代金の支払いが現地通貨でよく,しかもその売上げの大部 分が援助として,無償あるいは有償で供与されるので,外貨の乏しい国には 都合ょくできている。インドは今年度分としてアメリカに1.05千トンの食糧 援助を申込み, 200万トンを1966年末までに輸送するよう 8月に要求してい た。しかしアメリカはこれに対する返事を引き延ばし,年末までに90万トン の援助を約束しただけであった(90万トン援助の約束は 12月 23日行なわれ た〉。アメリカが200万トンの援助要求に対する回答を遅らしたのは,アメリ カの余剰穀物が少なくなったことも一因となっているが,もっぱら政治的理 由によるものであった。アメリカは,インドのベトナム戦争に対する態度 F h d つ 臼 一( 3 )一イ ン ド C1
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2月〉 一一和平交渉の開始のため北爆の無条件停止,民族解放戦線の和平会談への 参加を認めること一一ーに強い不満をもっており,特にマ二ラ会議に先立って 行なわれた非同盟3国会議の共同声明はジョンソン大統領をおこらせ,アメ リカは対印食糧援助に対する決定を引き延したものとみられている。ジョン ソン大統領は2月 2日にインドに 200万トンの緊急食糧援助を供与し, 他の 国が同量の援助を行なうならさらに300万トンの食糧援助をするよう議会に 勧告すると発表した。この200万トンはPL480号に代わる自由のための食糧 法にもとづいて供与されるもので,同法には,①北ベトナムと貿易をしない こと,②キューパに戦略品を輸送しないこと,③受入れ同が自立化のための 努力をしないときは大統領は援助を中止できる一ーなどの条件が規定されて いる。このような条件を入れてまで、食嵐援助を受けるべきかどうかについて は閣僚の聞にも対立があれ少なくとも 2人の閣僚が反対したといわれるが, ①北ベトナムとは1962年以来貿易を中止している,②キューパにはジュート 製品しか輸出しておらず,実質的な制約は何ら受けなし、どの理由で援助協定 に調印することにな〆〉た。 上記の3条件はインドとしては,外交政策と経済政策にアメリカが干渉す ることを認めた同辱的なものである。インドの食糧危機を利用してインドの 内政に干渉しようとするアメリカ政府のあまりにも露骨な援助政策には,ア メリカ国内でもt
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23日付けのニューヨーク・タイム ズ社説は「アメリカがそのような提案(農業開発を工業開発よりも優先する こと,食料価格,配給に対する統制の撤廃など)を行ない,またそれを年次 計画や5ヵ年計両に織り込むよう主張する権利をもっていることに疑問をい だくものはいない。だが食糧を圧力の手段として使い, 1ヵ月単位でインド の政策に口をはさもうとするワシントンのやり方は,米印いずれの国のため にもよくない。それはインドだけでなく,アジア全体でアメリカがこれまで に得た名芦一一礼節をわきまえ,寛大な国であるという を傷つけること になろう」と述べている。またアメリカが200万トンの食糧援助の発表を選 挙戦のさなかに行なったことは興味深い。 「発表の時期には深い意味があり そうだ。発表は選挙戦の最高潮時に行なわれノた。ワシントンの発表にさき出 ってロストウ氏の訪印があったことを考えあわすと,協定の政治的意味はか 一( 4 )- -216ーイ ン ド (1
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2月〉 なり重要なようだ。ワシントンがニュー・デリーの現政府が再び政権につく のを支援していることは隠しがたい」 (Economicand Political WeeklyF
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25. 67, P. 461)。ソ連も1月11日に小麦50万トンの無償供与を発表し,ガン ジ一政権に対するテコ入れを行なっている(ソ連は 12月22日にも小麦20万ト ンの無償供与を発表し,援助量はアメリカより少ないが,常にアメリカの機 先を制している〉。アメリカの食糧援助発表の時期がガンジ一政府の要請に よって決められたものか,あるいはインドの選挙前の政治情勢を視察にきた ロストウ氏の勧告に基づいてアメリカ政府が独自の判断で決めたものかはわ からない。いずれにせよ,食糧援助が会議派政府に対するテコ入れとして使 われ,それが意図した効果を発揮しなかったことだけはたしかである。結果 論になるが,アメリカが援助の決定を引き延ばしたことは,それだけ食糧危 機を深化させ,会議派政府をして 12月に配給量の削減を余儀なくさせ,会議 派政府に対する国民の不満を助長した。アメリカがインドの政治的安定を望 むとすれば,援助決定の引延ばしはあまり得策でなかったといえよう。 多ゴア,ダマン,ディウは連邦直轄領に ゴア,ダマン,ディウの帰属(隣法州と合併するか連邦直轄領にとどまるか)を決 定する住民投票は16日実施され,いずれも連邦直轄領にとどまることに決定した。ゴ ア,ダマン,ディウはインド独立後もポノレトガノレ植民地として残っていたが, 1961年 12日18日にインド軍が武力によってポルトガノレから解放した。解放されたゴア,ダマ ン,デ、ィウは連邦直轄領になったが, 10年内に帰属を決定することになっていたので, こんどの住民投票が行なわれたもの。 ゴア,ダマン,ディウの住民投票の結果は次の通り。 ゴア 有権者38万8392,投票総数31万7633C投票率81.0%),連邦直轄領17万2191 (54.2%〕,マハラシュトラ合併12万8170(43.5%),無効7272(2.3%)。 ダマン 投票総数9671,連邦直轄領8200(84. 7%),グジャラート合併1149(12. 0 %),無効268(3.3%)。 ディウ 投票総数5948,連邦直轄領5478(92. 0%),グジャヲート合併 24G(4.1 %〕,無効224(3.9%〕。 中央政府は2月2日,ゴア,グマン,ディウの住民投票の結果tt検討をした上で, -217- 一( 5 )一イ ン ド (1
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2月〉 この3地域を連邦直轄領とすることに決定した。 これによりこの3地域が連邦直轄領 になることになったが, ゴアでは早くもゴアを独立の州とする要求が強まっている。 the United Goansの指導者ジャク・シケイラ氏は「党はコンカニ語を州の公用語にし, ゴア,ダマン,デ、ィウを独立の州にするための闘争を行なう。次の要求はコンカン州 (Konkan State)だ」と言っている。ゴアの帰属問題はこれで−応片付いたものの,今 後は独立州の要求が強くなろう。 移北部諸州の皐魅と作況 早越の被害はほとんど全国的に出ているが,特に北部の州ではひどく,春作の見通 しは暗いものとなっている。 UNI通信の調べでは,ピハーノレ,ウツタル・プラデッシ ユ,グジャラートリーH
の食糧生産量はすでにカリフ収穫の減収が明らかになっているの で,昨年の水準(昨年も早魁のため不作であった)さえも割ってしまうおそれがある。 今年度の食糧生産高が昨年の水準を越えるとみられていたマデ、イヤ・プラデッシュ, オリッサのような州でも生産目標の達成はおぼつかなくなってきた。アンドラ,ケラ ラなど南部の州では食糧穀物の冬作は良好とみられていたが, さきごろの台風で一部 の地域に被害が出たようだ。 全国的にみた作柄は昨年よりはややょいといった程度で、ある。大まかな推計による と,総生産量は4800万トンのカリフを入れても 8000万トンを上回ることはなく,目標 の9700万トンには遠くおよばない。ちなみに昨年のそれは7200万トンであった。 インドの食糧必要量は 1億トンとされており,現状では,今年の不足量は 2千万ト ンになりそうである。一方,輸入はどんなに甘く見積っても1千万トンをこえること はないようだ。 したがって, 2年続きの不作となる州では深刻な飢餓状態が広まるお それがでてきた。以下は早魁の被害の大きい5州からの報告である。 0ウツタノレ・フ。ラデ、ツシュチト|’
66∼67年の食料総生産高は 1040万トンと見積られ,昨年比300万トン減。 これは 同州の54地区のうち41地区をおそった未曽有の早魅によるもので,一部には冬期降 雨もあったが,ラピーの総生産額は前年度の880万トンに対し, 700万トンを越えぬ と政府ではみている。またカリフについては,昨年の 480万トンに比べ今年度の推 定量は340万トンとされている。 0ピハーノレ州 ラピーの育成のために砕土計画や濯瓶事業も進み,特に濯慨地域は増大したが, それも未だ限られており,大部分は降雨に依存している。従来の年平均 730万トン -( 6 )一-218-イ ン ド (1
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2月〉 および目標高800万トンに対し今年度の同州の食糧総生産高ははるかに少なく, 400 万トンに達しないかもしれない。 0グジャラート州 州の農業局の調べによれば,このままでは昨年の 227万トン(これ自体きわめて 低いが)をずっと下回る40∼50万トンという低水準になりそうである。 1964∼65年 は277万トンという記録的な生産量で,今年の目標は280万トンであった。 0マディヤ・プラデッシュ 今年の穀物生産量は全体で900万トンと推定され,昨年を 100万トン上回ることに なりそうだ。しかしそれでも今年度目標の 1100万トンには,はるかにおよぱなし、。 カリフの産出高も 500万トンで,同州、|の43地区のうち 38地区にわたる早魅の結果, 期待は裏切られた。 州政府のスポークスマンは,推定190万トン(昨年は 160万トン〉の小麦生産高は, 降雨状態がよければもっと増産になろうと述べている。 0オリッサ州 カリフは, 昨年より 357千トン増産になると見積もられているが, ラピーは,こ こ1週間続いたサイクロンのため減収になるものとみられている。向付|の今年度食 糧総生産高は544万トンと見込まれているが,目標高は565万トンであった。 多現在の景気後退に対する政府の見解 政府は現在の景気後退に対しては悲観的な見方をしておらず, 計画化と経済開発の 基本的戦略を根本的に変えるべきであるという民間企業の見解とは違った見解をとっ ている。官庁エコノミストは,景気後退が深刻化したり長引かないかぎり, むしろ歓 迎すべき,健全な徴候であるという見解を打ち出している。 こんどの景気後退は,こ の し 2年間,経済活動のテンポがにぶった結果であり,高投資時代から重要・最低 限投資時代の移行を示すものである。 今回の景気後退は二つの形であらわれた。ひとつは繊維産業向け原綿等の工業原材 料の不足であり, もうひとつは最終製品,特に重工業製品需要の不振であった。前者 は農産物の増産により解消するが, 後者は一定の成長率を維持するに必要な投資が行 なわれるまでは続くであろう。第4次計画は依然として草案のまま棚ざらしになって おり,計画支出は本格的に実施されていない。その結果,重工業への投資は第3次計 画の年平均投資量を下回っている。非開発支出も政府の節約と財界からの要求で切り 下げられている。 -219ー -( 7 )ーイ ン ド (1
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2月〉 計画支出の削減は建設活動の不振を引き起こし,契約件数は減り,こうした部門で 使用される財の需要低下を引き起こした。突然需要の落ちたものにトラックがある。 かつてはトラックを入手するには数ヵ月を要したが,現在では金を払えばすぐ手には いる。需要が停滞したことに加えて,生産が増大したこともインド経済に前例のなし、 事態を引き起こした出凶のー・つとなっている。 優先59業種の輸入自由化は,過去2,3ヵ月の増産に寄与したり今日ではトラック や重車輔のスペアは簡単に入子てでき, これがトラック所有者の購入延期のー悶とな,−, ているυ工作機械,グニノインダー,亜鉛管なども生産が増大している。ヒンドスタン・ マシン・ツールズは掛業以来はじめて3500万ルピーの在庫がある。|司t
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:は {£庫をさば くため,延払い期間を延長してし、る。 グラインダーの入子は2, :3ヵ月前には特にむ ずかしかったが,現在では持たずに買える。亜鉛管にっし、ても同じような傾向がでて おり,生産会社は値くずれを心配して5%
の生産量削減を計画している。 これらのご く限られた例からもわかるように, インド経済は売手市場から民子市場に変わってい るO これまで不足がちであった製品にしても,需給が均衡し,市場での競争力をますた めに値下げをする業種が多くなっている。これが民間企業の悩みのたねになっている。 輸入原料や輸入部品を使う産業では,平価切下げ後生産コストがあがったこともあっ て,これまでと同じマージンで全製品が売れる保証がないことを心配している。一方, 政府は民間企業が生産増大,国内需要の停滞から海外市場の開拓に乗り出し, 平価切 下げの最大の目的一一一輸出の促進一ーを実現することを望んでいる。 1月 1 日 T DMK,選挙綱領を発表一一マドラス州の野党第1党の DMK (ドラヴィダ進 歩連盟)はlH, ドラヴィダ・ナッドの建設,南部の言語・文化の保持,土地を 耕作者に与えるなどを骨子とする選挙綱領を発表した。 党はインド連邦内にドラヴイダ・ナッドを建設し,南部の言語・文化の保持に 努力する。文化,言語の面で親近性があるタミーノレ・ナッド,アンドラ,ケララ, マイソーノレの南部4州の聞に緊密な関係を作りだすことに努力する。ナショナ 一( 8 )ー -220ーイ ン ド (1
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2月) /レ・インテグレイションの名のもとに他の政党を抑圧しようとする措置には政党 のいかんを問わず反対する。 州、!の権限を強化するため憲法を改正し,中央政府と州政府の聞の現行の権限配 分を変更する。土地を耕作者に与え,食植増産のためにランド・アーミーを創設 し,銀行・パス輸送・映画館の国有化を公約する。 なお, D M Kは総選挙ではード|涜に25人,州議会に168名の候補者を立てる。 V アカリー・ダル,選挙綱領を発表一一シロマニ・ γ ヵリー・ダル( M• T・ シン派〕は 1H,シーク・;j;ームランドの建設,凶防)Jの強化を骨子とする選挙 綱領を発表した。 会議派は独立達成後, インドの北部をシーク・ホームランドとして与えるとい うシーク教徒に対する“厳粛なる保証”を破った。巧妙に寸断され,新パンジャ ブ州に入っていない一切のシークのt
地は,シーク・ホームランドとなる行政単 位を形成するため,シークに返すことを要求する。このような国家には1950年以 前にジャム・アンド・カシミールに与えられた特別の地位と同じような自治的地 位を与えるべきである。 中央政府は,シークを狭い開発の遅れた土地に追放し,封じこめるように新ノξ ンジャブ州の州境を決定した。シークは自己の地位を低下させるような一切のこ ころみに対し,あらゆる合法的な手段でもって抵抗する決意で、ある。 アカリー・ダノレはインドの独立と尊厳を守るため核兵器を含む強力な国防力を 作るととを支持する。 2日 V第4次計画の農業支出を6億ルビー減らす一一計画委員会と各州の話合いの 結果,州の第4次計画支出総計は約700億ルピーに決まった。計画草案では707.3 億ノレピーが提示されたが,州は791.9億ルピーを要求していた。 700億ノレピーのう ち農業関係支出は約1:39億ノレピー(草案で、は155億ルピー〉となり,草案より16億 ルピー少なくなってし、るが,中央政府の農業支出が増大するため,農業支山総局I・
では6億/レピーの減少となる。 T 3 州にスワタントラ党の政権―――――マサニ書記長―――――マサニ・スワタントラ党 書記長は2日,ソ。レス・クラブ・オプ・インディアで記者会見し,選挙見通しを 次のように語った。 選挙後,少なくともオリッサ,ラジャスタン,グジャラートの3)十|の政権を とることになろう。このうち2州で過半数をとっても驚くにあたらない。会議 派が下院でワーキング・マジョリティを得ることができない可能性は十分あ ワ ムq L -( 9 )ーイ ン ド (1
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2月〉 る。個人的見解としては,会議派は 261議席すら確保できないおそれがある。 選挙によって,停滞の時代に代わる流動と変化の時代がもたらされよう。 Vゲジャラート州政府公務員の DA引上げ一一H ・デサイ・グジャラート州首 相は 2日,州政府公務員 182千人の D A(物価手当〕を引き上げ,即時実施する と発表した。同州は2ヵ月前に DAを引き上げたばかりである。 DAの引上げ幅は 9∼15ルピーで, 中央政府公務員の 80∼100%を受け取るこ とになる。 10月の引上げで2千万ノレピーの支出増になったが,こんどの引上げで さらに 2.2千ルピーが加わることになるo 3日 Vガンジ一首相, g11i1に食糧危機対策を通達一一ガンジー首相は,今年の食糧不 足を克服するため,スリー・ポイント・プランを実施するよう各州に通達を出し た。その要点次の通り。 (1)中央政府が決定した食糧配給量の引下げはすべての州で実施すること,(2) 収穫のよかった州で不足している州を援助するため,余剰以上に節約すること, (3)食糧消費の節約は全国的に実行すること。v
軍,ミゾ高原で村民を移動さす一一S• H・F.J
・マネクシャウ中将は3 H,記者会見し,ミゾ地区のインド警備隊は平和に生活している村民をミゾ反乱 軍の略奪から守るため, 4日から新たな作戦を展開すると語った。反乱軍の抵抗 はすでに粉砕され,現在ではミゾ民族戦前は小さな集団に細分された。これらの 小さな集団は食糧,金,避難場所を要求して奥地の村民をなやませているもの。 4日 Vマイソール州で会議派党員が離党一一ーマイソーノレ州では, コミュナルな対立 (リンガヤットとヴァッカリガ〉が深まり,会議派のベテラン党員数人が離党し た。離党者のなかにはH・K・V・ゴウド(下院議員), V・ヴェンカタツパ(州 議会議員)氏がはいっているが, 2人ともマイソーノレ州の会議派創立者なので、選 挙にかなりの影響をおよぼすものとみられている。また N ・ H・ゴウダ氏(州議 会議員〕はクニガノレ, ツノレヴェケノレ,ティプトウーノレ,グスピ一地区の活動家100 人,プライマリー・メンパー5千人が会議派から離党すると言っている。 一方,ニジャリンガッパ州首相は, リンガヤット・コミュニティの支配がマイ ソール州の利益を害したと言うH・ゴウダ氏の非難を拒否し,彼等の離党に反対 しないと語った。 V外人観光客のピザ料を撤廃一一一C ・M・ポーナチャ運輸担当国務相は 4日, 国際観光年にあたることしは,わが国を訪問する外人観光客のピザ料を一方的に 撤廃すると発表した。またこれと同時に,観光客に対する各種規制の緩和,観光 一( 10)ー -222ーイ ン ド (1
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2月〉 事業の振興措置も発表した。 5 日 Vパトナで警官が 9人を射殺一一警官の行過ぎに抗議してデモを行なった学生 と警官が州首相官邸前で衝突,警官は催涙ガスを使用して学生を追払った。追わ れた学生はカデ、ィー・エンポーリアム(手織り布の販売所〉, パス車庫, パス, 鉄道の!駅,会議派事務所に放火した。このため警官が発砲し, 9人が死亡,多数 の負傷者を出した。州政府はただちに教育機関の閉鎖,デモ・集会の禁止を命令 し,法と秩序維持のために軍隊の出動を要請した。 V多数の州で州公務員がスト一一オール・インデ、イア・フェドレイション・オ ブ・ノンギャゼッテッド・オッフィサーズは,必要ベースの最低賃金と物価手当 のナショナノレ・フォーミュラを要求して5日,多数の州でストライキにはいり, 行政機構をマヒさせた。話合いによって解決したパンジャブ州とハリヤナ州を除 いてはほとんどの州でストが行なわれた模様。ケララ州では組合に対する処分の 撤回,合法的な要求の達成のため 6日から無期限ストにはいる。 Vハリアナ,,,,しチャンヂィーガルを放棄せず一一B・D・シャノレマ・ハリヤナ 州首相は5日,ボンベイでソ、リヤナ州は州都チャンディーガノレを放棄するような ことは絶対ないと語った。同首相はその理由として,チャンデ、ィーガルの人口の 80%がヒンディ一語を話すことをあげた。 Vパンジャブ州内閣に内部対立ー一一パンジャブ州内閣の閣僚の一人, P ・チャ ンドラ氏は5日, G ・S・ムサフィル州首相がコミュナリズムを助長していると 非難した。 ムサフィル首相は, 19年間実行されてきたヒンドゥーとシークの閣僚数は同数 とするという原則をはじめて破った。彼は党員の構成を無視して,シークの公認 候補者の数を多くしている。会議派のヒンドゥーはわずか22選挙区の公認しか得 ていないが,人口構成からするならば,少なくとも 30選挙区で公認さるべきであ る。ヒンドゥー・ハリジャンは, ハリジャン人口の68%を占めているにもかか わらず,シーク・ハリジャンの15人に対し, 8人しか公認されていない。 6 日 Vパトナで60人を逮捕一一5日の警官の発砲で負傷した学生の1人は病院で死 亡した。現在,若干の学生を含めて60人が逮捕されている。大学をはじめとする 教育機関は事態がさらに悪化するのを防ぐため,総選挙が終わるまで閉鎖する予 定。 Vマイソール会議派から別のグループも離党一一マイソーノレ会議派の別のグル ープは6日,離党し,ジャナ・ジャナコンを結成すると発表した。 2日前に H ・ -223ーイ ン ド (1
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2月〉 K・V・ゴウドのグノレープが離党を発表したが,こんどはH・チェンナパナッパ を中心とするグループであるO離党の原因はこのグノレーープに対する選挙での公認 拒否。先に離党したグループとこのグループには根本的に対立する面があり,こ の二つが合併する可能性は薄い。 マイソーノレ州には,会議派分派としては,このほかに3年前に分裂したジャナ タ・パクシャーがあるo f U. P.州公務員ストを各党が選挙に利用―――――U. P.州政府公務員のストは31日 目にはいり,現在新しい局面を迎えてU、る。総選挙に対する配慮から,会議派を 含めた全政党の指導者が州政府公務員の要求を支持してし、る。 C・B・グプタ7
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州首相は5H,連邦下院と州議会は中央政府と州政府の[f
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にある給与の不平等を 是正する措置をとるべきだと述べた。 PSP,SSPをはじめとする野党は州政府ド 級公務員の不満をさかんにあおっている。現在の手詰まり状態が続けば,総選挙 で与党会議派が不利な影響を受けるものとみられている。7 B V政府,アンドラ州政府の借越しで警告一一一The Comptroller and Auditor General of Indiaはアンドラ州政府に対して,現在の調子で準備銀行から借越し を続けるならば, 3月1日以降一切借越しを認めないと警告した。現在,アンド ラ州の借越し額は7.2億ルビーになっているが,そのうち2.8億ノレピーは 6月から 11月までの聞にふえたものである。 ' 8項目の選挙運動規則一一チャパン内相と野党 4党の指導者は 7日,選挙運 動・投票中に全政党が守るべき8項目の行動規則に合意した。この会合に出席し なかった政党に対しては,その写」を送付した。その要旨次の通り。 (1) カーストおよびコミュニティー間にある対立を激化させ,相互の憎悪を かきたて,緊張を生みだすような活動はつつしむ。 (2) 他の政党に対する批判は,政策・プログラムと過去の実績に限定するこ と。他の政党の指導者あるいは活動家の私生活に対する批判は一切しない。 (:l) どの政党も党の運動員あるいは支持者が他の政党の組織する集会やデモ 行進等を妨害しないようにすべきである。 (4) 政府は法と秩序を維推する措置はとるが,個人の自由を不当に制限し, 政党の選挙活動に干渉するような措置はとらないようにする。 (5) 自党の党員の選挙活動を有利にするため,あるいは他党の党員を不利に するために,いかなるレベルにおいても,政治権力を使用すべきではない。 (6) 票を得るためにカーストあるいはコミュナノレな感情に訴えてはならな -( 12)一 つ 山 つ ハ ︼ 必吐