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九州大学学術情報リポジトリ

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

カリフォルニア州における公立研究大学の自律性と 州政府の統制 : 高等教育システムの調整機能の変容 と公的使命を巡る相克

中世古, 貴彦

http://hdl.handle.net/2324/4474917

出版情報:Kyushu University, 2020, 博士(教育学), 課程博士 バージョン:

権利関係:

(2)

博士学位請求論文

カリフォルニア州における

公立研究大学の自律性と州政府の統制

―高等教育システムの調整機能の変容と 公的使命を巡る相克―

中世古 貴彦 NAKASEKO Takahiko

令和 2 年度

九州大学大学院人間環境学府

(3)

1

目次

図表目次 ... 4

略語一覧 ... 5

初出一覧 ... 6

序章 高等教育の公的使命を巡る葛藤 ... 7

第1節 問題の所在:機関の自律性か公的な統制か ... 7

第2節 先行研究... 10

第1項 カリフォルニア州高等教育の構造と問題 ... 11

第2項 UCと公権力との関係 ... 15

第3項 州レベルの高等教育政策の調整枠組みの変化 ... 18

第3節 本研究の課題 ... 22

第1項 公的使命の追求を促すメカニズム ... 22

第2項 本研究におけるUCの公的使命 ... 23

第3項 UCを主たる分析対象とする理由... 24

第4節 本研究の構成 ... 26

第1章 緩やかな調整に対する評価の変化 ... 31

第1節 本章の目的と構成 ... 31

第2節 1990年代の主要な改革提言の分析 ... 34

第1項 CPECを介した「合理化によるコスト削減」の要求 ... 34

第2項 財政支援の条件とされた「構造改革」 ... 40

第3項 「頭金」としての高等教育投資を得るためのK-12への責任論 ... 43

第4項 調整強化のための当事者排除という論理 ... 44

第5項 2000年代の改革論への影響 ... 47

第3節 まとめ:統制を強調するロジックの形成とCPECへの焦点化 ... 48

第2章 「教育マスタープラン」構想と高等教育の独自性 ... 51

第1節 本章の目的と構成 ... 51

第2節 CPEC改革を巡る攻防 ... 52

第1項 議会主導の改革議論の開始 ... 52

第2項 高等教育関係者に対する議会の不信感 ... 54

(4)

2

第3項 CPECの強化・存続を望んだUCの反論 ... 57

第4項 当事者の参画の必要性を主張したCPECの反論 ... 58

第5項 一定の歩み寄りを見せた第2次案への再反論 ... 61

第6項 当事者関与の容認と統制への期待 ... 62

第3節 まとめ:CPEC存続が孕んだ自律と統制の矛盾 ... 64

第3章 UC、議会、知事の思惑とCPECの廃止 ... 67

第1節 本章の目的と構成 ... 67

第2節 CPEC廃止直前の関係者の動き ... 68

第1項 CPEC弱体化を進行させた議会の改革・廃止議論 ... 68

第2項 UCが露呈させたCPECの無力さ ... 70

第3項 CPECが置かれた調整困難な状況 ... 73

第4項 財政難と新知事の下した廃止決定 ... 77

第3節 まとめ:矛盾の中で喪失された「緩衝装置」 ... 81

第4章 「緩衝装置」廃止の影響 ... 84

第1節 本章の目的と構成 ... 84

第2節 CPEC廃止後の混迷 ... 85

第1項 「公立高等教育セグメントからの独立」を巡る攻防... 85

第2項 議会とUCの対立の先鋭化... 89

第3節 まとめ:自律性への批判と統制強化へ向けた圧力 ... 94

第5章 UCの教学経営を巡る自律と統制 ... 97

第1節 本章の目的と構成 ... 97

第2節 公的使命をよりよく追及させるもの ... 99

第1項 公的使命の追求を困難にする公的統制 ... 99

第2項 入学者選抜の裁量と州民への奉仕 ... 102

第3項 自主的コンプライアンスによる統制の不要化と支援の獲得 ... 104

第4項 理事会の政治的独立性の重要さ ... 106

第3節 まとめ:政治的独立性に裏打ちされた自律性 ... 108

第6章 UCの自律性の限界 ... 111

第1節 本章の目的と構成 ... 111

第2節 憲法上独立した理事会の「社会の代表」性 ... 112

(5)

3

第1項 政治的独立性への批判と擁護 ... 112

第2項 理事任用プロセスの適正化 ... 115

第3項 「社会を代表する」姿勢 ... 116

第3節 新たな調整枠組みを巡る課題 ... 118

第1項 引き続き望まれる調整機関を介した統制 ... 118

第2項 州知事交代後も続く新たな枠組みの模索 ... 120

第4節 まとめ:自律性に対する制限 ... 124

終章 総括と今後の課題 ... 126

第1節 本研究の成果:CAの現実とは一致しない自律性の理想 ... 126

第2節 今後の課題 ... 131

引用文献 ... 133

謝辞 ... 147

(6)

4

図表目次

表 0-1 M. トロウによる高等教育システムの段階移行に伴う変化の図式 ... 13

表 1-1 2011年時点のCPECコミッショナー ... 32

表 1-2 1990年代のマスタープランに対する主な見直し ... 33

表 1-3 CCHEとCPECの構成員の比較 ... 39

表 2-1 両院委員会のワーキング・グループの構成 ... 54

表 2-2 CPECとCECの構成員の比較 ... 56

表 3-1 UC、CSUの学生数と学生一人当たり州予算措置学の推移 ... 74

表 3-2 歴代知事の一般基金予算に対する項目別拒否権の行使回数と金額 ... 79

表 3-3 政党別に見た知事の個別予算費目に対する拒否回数と金額の平均 ... 80

表 4-1 CPEC廃止後に提案された新調整機関の構成員の比較 ... 87

表 4-2 UCが反対声明を行った法案数等の推移 ... 92

表 5-1 2015年会期に審議されたUC統制法案 ... 100

表 5-2 2016年会期に審議されたUC統制法案 ... 104

表 6-1 憲法による自治を有する旗艦州立大学等の理事会の構成等 ... 113

表 6-2 CPEC、AB130の提案した調整機関、知事カウンシルの構成員の比較 . 123 図 0-1州予算に占める支出割合の変化 ... 15

図 0-2 各章の関係 ... 28

図 1-1 カリフォルニア州の人口と高等教育在籍者の推移 ... 35

図 1-2 1960年のマスタープランが描いた調整機関 ... 37

図 3-1 各セグメントのフルタイム換算学生1人当たり教育関連費経費の推移 .... 75

図 3-2 UCとCSUに対する州予算措置額と州内学生授業料収入額の推移 ... 76

図 4-1 UC、CSU、CCCを対象としたCSAの監査報告書数の推移 ... 90

(7)

5

略語一覧

AB Assembly Bill:下院法案

AICCU Association of Independent California Colleges and Universities:カリフォルニ ア私立カレッジ・大学連盟、同州の多数の私立大学が加盟する団体

CCC California Community College:カリフォルニア・コミュニティ・カレッジ CCHE Coordinating Council for Higher Education:1960年のオリジナルのマスタープ

ランを受けて設置されたCPECの前身にあたる調整機関

CEC California Education Commission:カリフォルニア教育コミッション、2002年に CPECの廃止・置き換えなどとともに提案されたK-12も含むコミッション CPEC California Postsecondary Education Commission:カリフォルニア中等後教育コ

ミッション、CCHEの後継として1974年に設置され2011年に廃止された CSA California State Auditor:州監査役

CSU California State University:カリフォルニア州立大学 LAO Legislative Analyst’s Office:議会分析官室

OECD Organisation for Economic Co-operation and Development:経済協力開発機構 SB Senate Bill:下院法案

SCA Senate Constitutional Amendment:下院憲法修正法案 SCR Senate Concurrent Resolution:(上院による)共同決議案 UC University of California:カリフォルニア大学

UCOP University of California Office of the President:UC総長室

(8)

6

初出一覧

序章 書き下ろし

第1章 中世古貴彦, 2019,「高等教育の調整機関に対する改革論の形成―1990年代のカ リフォルニア州を例に―」九州大学大学院人間環境学府教育システム専攻教育学 コース院生論文集『飛梅論集』19 (2): 69-83. に加筆修正

第2章 中世古貴彦, 2019,「高等教育州調整機関の改革の研究―カリフォルニア中等後教 育コミッションの改革論を例に―」東京大学大学院教育学研究科大学経営・政策 コース『大学経営・政策研究』9: 53-68. に加筆修正

第3章 中世古貴彦, 2018,「自律的高等教育システムにおける調整枠組みはなぜ放棄され たのか―カリフォルニア中等後教育コミッションの廃止経緯―」九州教育学会

『九州教育学会研究紀要』45: 61-68. に加筆修正

第4章 中世古貴彦, 2018,「米国高等教育における調整型州管理機構の廃止の影響―カリ フォルニア中等後教育コミッションを例に―」日本教育制度学会『教育制度学研 究』25: 132-146. に加筆修正

第5章 中世古貴彦, 2018,「研究大学の自律と統制―カリフォルニア大学を例に―」日本 高等教育学会『高等教育研究』21: 195-212. に加筆修正

第6章 中世古貴彦, 2019,「憲法上独立な大学理事会は「社会の代表」か?―カリフォル ニア大学理事会を例に―」『カリフォルニア大学バークレー校の経営と教育(高 等教育研究叢書149)』11-19. に加筆修正

終章 書き下ろし

(9)

7

序章 高等教育の公的使命を巡る葛藤

第1節 問題の所在:機関の自律性か公的な統制か

国家や社会と大学との関係は、大学自治論や学問の自由論の中で繰り返し論じられてき た主題と言える(例えば、Hofstadter & Metzger(1955)、高柳(1983)、高木(1998)な ど)。近代化とともに大学における学術研究と国家行政機構とが複雑に依存し合うようにな って久しく、「学術政策、大学政策、科学政策は、この現代にいたるまで、基本的には同じ 構図の中で、今や新たな局面の中で、その重要度をますます高めている」(潮木 1993: 位置

No. 2520/2697)。大学が国家・政府とどのような関係を結ぶのか、またいかにしてその使命

をよりよく果たすのかは、現代社会に生きる我々にとって看過し得ない課題と言える。

こうした問題について考える際、大学に対して統制を加える仕組みがどのようなもので あるかに注目する必要があるだろう。例えば、ドイツ、アメリカ、日本の大学の法的地位と 自治機構を比較検討した高木(1998)によれば、ドイツの国立(邦立)大学やアメリカの州 立大学は、国家の造営物や政府機関と比べれば「存立体としての独立度ははるかに高いと言 わざるを得ない」(高木1998: 342)とし、それらの独立性の強さを指摘している。特に、ア メリカの州立大学には、州政府の機関としての大学(独立した法人格を持たない)、州法が 独立した法人格を与えた大学、州憲法が法人格を与えた大学が、州によって異なるが存在す る(高木 1998: 118-20)。中でも、州憲法に基づく法人格を有する大学は、公法人(public trust)や憲法立の大学(constitutional university)などと呼ばれ、「そうした機関は州議会 からの相当程度の自由を享受しており、一般に州の行政法に服す必要がない」(Kaplin &

Lee(2013: 位置No.42324/62820)とされる1。ただし、学外の素人(layman)が参加す るアメリカの大学の理事会は「たとえ当該大学固有の理事会であっても、学外的管理機関の 要素を内包していると言える」(高木 1998: 174)。つまり、アメリカの州立大学は、国家政 府から比較的独立してはいるが、常に外部からの統制に服していることになる。そのような 特徴は、大学がその使命をよりよく果たすためにどのように機能するのか。

アメリカの高等教育においては、州憲法が法人の地位を規定するため州の行政権、立法権、

司法権の干渉を相当程度排除し得る「第四権」的な「憲法上独立した大学」(高木 1998: 120) が一部の州で形成されてきた。高木(1998)はアメリカの大学の法的地位と自治機構につ いて検討し、行政府、州議会、裁判所の「恣意的な介入を防ぎえる特権的な地位」(高木1998:

(10)

8

121)を、憲法上独立な大学の積極的意義として指摘した。こうした指摘を踏まえれば、大 学の自律性とは、議会等の公権力の恣意的な介入を排除できる程度と言い換えられる。また、

言うまでもなくそうした自律性は、それが正しく機能すれば大学に課された公的な使命が よりよく果たされるだろうという期待のために、大学に与えられているはずである。

高木(1998)が主な分析対象としたカリフォルニア州の高等教育は、憲法上独立で卓越 した公立研究大学(群)であるカリフォルニア大学(the University of California、以下UC) を擁することで知られている。1989 年に同州を訪れた永井道雄や A. H. ハルゼーらの OECD 調査団は、全体的な量的拡大とエリートセクターの質の維持を両立させた同州の高 等教育を称賛した(OECD 1990)。イギリスの研究者の視点から編まれた、同州高等教育に 対する近年の最も包括的な研究と思われるMarginson(2016)も、同州のモデルが世界に 与えた影響の大きさに敬意を表し次のように評した2

カリフォルニアはアメリカ高等教育の最高峰であり、合衆国は第 2 次大戦以降の世 界の高等教育を圧倒してきた。他の国々はようやく追いつき始めたに過ぎない。世界上 位20位の大学の大半はアメリカの大学で、そのうち幾つもがカリフォルニアに立地し ている。高等教育業界で働く我々は皆、カリフォルニア高等教育の目的[goal]と自ら を重ねたり、その想像力豊かな自由さや成長と機会の展望を引き合いにしたりしなが ら、ある意味でカリフォルニアに生きているのである。カリフォルニアの高等教育を検..............

証することで、我々は自分たちのより深い信念や理想を再考する.............................

のである。(Marginson 2016: xi)(傍点は引用者)

Marginson(2016)の言う、世界の高等教育関係者が同州を見て抱く「信念や理念」とは、

彼の著作の副題が示すように「クラーク・カーの高等教育のカリフォルニア・アイデア」、

つまり、1960年に策定された「カリフォルニア高等教育マスタープラン」(The Master Plan

Survey Team 1960)が体現したとされるものである。それはどのような「信念や理念」で

あったのか。同州の高等教育の公立セクターは研究大学(群)であるUC、師範学校を前身 とする総合大学(群)であるカリフォルニア州立大学(California State University、以下 CSU)、UC やCSU への編入学準備教育及び職業教育を行う短期高等教育機関であるコミ ュニティ・カレッジ(California Community College、以下CCC)の3セグメントから構 成される。1960年の高等教育マスタープランは、歴史的な経緯によって形成された従前の

(11)

9

枠組みをほぼ踏襲しつつ、セグメント別に授与できる学位や入学者受入れ枠(UCは高校成 績上位12.5%、CSUは上位33.3%、CCCは開放入学)等を定めるとともに、UCを「研究 を目的とした州が支援する学術機関の筆頭」(The Master Plan Survey Team 1960: 3, 37, 43等)とするなど、各セグメントの使命を提示した。同州高等教育はマスタープランによ り、機関の機能別分化、質と量の両立や機会の平等、財政的な持続可能性といった「カリフ ォルニア・アイデア」(California Idea)を体現したと言われている(例えばDouglass(2000)、 Douglass(2010:1)、Marginson(2016: 12)等)。

このように、Marginson(2016)がカリフォルニア州高等教育に対して抱いた敬意も、同 州高等教育システムが全体として、公立研究大学の卓越性を維持してきたことと、同時に万 人に開かれた高等教育を維持してきたことを念頭に置いたものであったと言える。だが、

Marginson(2016)は、近年の同州では慢性的な財政難のために公立高等教育のアクセス

(州民の進学機会の保障)及びエクセレンス(学術的卓越性)の使命は危機に瀕し、マスタ ープラン制定の立役者だった当時のUC総長クラーク・カーの『夢は終わった』(The Dream Is Over)と論じている。

先に引いた OECD(1990)の報告書がカリフォルニアの高等教育を、「OECD 諸国の間 でユニバーサルな中等後教育の機会提供のための青写真として認知されている」(OECD

1990: 18)として称賛したことも、同州の財政がまださほど逼迫していなかった時代の評価

だったと考えることができる。ただし、OECD 調査団は同州高等教育の楽観的側面にだけ 着目していたわけではない。OECD 調査団は報告書の結論部分において、財政難の時代に 同州高等教育が困難に見舞われるであろうことを、次のような言葉で予言していた。

もし、カリフォルニア州民が自分たちの公立高等教育の構造の頂点に位置するカ リフォルニア大学における水準を低下させることになる拡大を選択するかを迫られ たとしたなら、州民は悲しみながらも、しかし躊躇無く、質のために量を犠牲にする だろう。拡大プログラムは好調な経済と[高等教育に対する州民の:引用者注]自発 的支払額を前提としている。好況であれば、教育システムはさらに拡大するであろう。

しかし、不景気に見舞われるか、教育への財政措置ができなくなった場合、カリフォ ルニアの教育界のリーダーたちにとっての絶対的な価値は、過去の努力により辛く も獲得してきた高い水準を護ることとなるであろう。(OECD 1990: 123)

(12)

10

このOECD(1990)の予言には、量(より多くの州民を学生としてUCが受け入れるこ と)と質(研究大学としてのUCの卓越性を護ること)とが対立する構図が見て取れる。ま た、「教育界のリーダー」とそのほかの何者かが、高等教育(特に UC)の量と質を巡り、

対立する構図が想定されているようにも思える。後述するように、OECD 調査団の予言の 通り、同州高等教育は財政難のために困難に陥っている。では、上述の対立に関してはどう だったのか。予言の通り、UCの卓越性はもう一つの使命である量(州民の進学機会)を犠 牲にすることで護られているのか。また同州高等教育の特徴の一つであったはずの公立研 究大学の高度な自律性は、公的な使命を追求する過程において、政府からの統制とどのよう に対峙し、機能しているのか。

第2節 先行研究

米国高等教育、その中でもカリフォルニアの高等教育に関する研究には少なからぬ蓄積 が存在する。ただし、本研究の主たる関心は、公立大学の公的使命を巡る、政府と大学との 対立にある。そのため、同州の公立高等教育機関(とりわけUC)が課されている公的使命 や、カリフォルニアの高等教育セクターと州政府との関係などに関して基礎的な事項を整 理する必要がある。そこで、本節では、第1項において同州高等教育に関する基礎的なデー タを参照しつつ、同州の高等教育の使命の大枠を定めた高等教育マスタープランに関する 研究や、それらがどのように受容されてきたのかを整理する。次に、大学の自律性と州政府 からの統制についてカリフォルニアにおける状況を整理する必要がある。そこで、第 2 項 では、同州政府とUCとの近年の関係を扱った先行研究や、UCに焦点を当てて大学の自律 性と政府の統制との関係を論じた先行研究を取り上げ、それらが含意することや前提とし ていることを検討する。また、UCと州政府との対立を理解するためには、その背景として 同州高等教育を巡る近年の改革動向を把握しておく必要がある。後述のように、同州では州 全体の高等教育政策の調整枠組みを巡る改革議論が展開されてきたのだが、実は米国全体 でも類似の問題が認識されてきた。個別の高等教育機関の専権事項ではない問題を取り扱 う州全体の政策調整枠組みに関する改革議論が、政府と大学との関係に何ら影響を与えな いとは考えにくい。そこで、第3項では、同州高等教育における近年の改革議論の展開の理 解を助けるため、アメリカにおける州全体の高等教育政策の調整機関に関する先行研究を 整理する。

(13)

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第1項 カリフォルニア州高等教育の構造と問題

UCに課された公的使命を理解するためには、カリフォルニア州の高等教育の全体的な構 造に関する理解が欠かせない。UCは、公立セクターだけでも複数のセグメントに分かれる 同州の高等教育システムの一部分である。したがって、UC は固有の性質や課題を持つが、

それらは同時に州全体の状況からも理解される必要があると考えられる。以下では、有名な カリフォルニア高等教育マスタープランを中心に同州の高等教育システムを概観し、それ がどのように理解されてきたかを整理しつつ、その中におけるUCの位置づけを検討する。

先述の通り、同州の高等教育の公立セクターはUC、CSU、CCCの3セグメントから構 成され、マスタープランが各セグメントの使命を示している。後述のように、このマスター プランの規定は現在でも高等教育政策に関する議論を展開する拠り所とされることがあり、

拘束力を持ち続けていると解されている。このためUCには、マスタープランにより、高校 卒業者の一定割合を学士課程に受け入れるという州民の進学機会の保証(アクセス)と、研 究大学としての学術的卓越性(エクセレンス)を守るという公的使命が課されている。

こうしたカリフォルニアの高等教育の特徴は、主として高等教育の量的拡大への対応と いう側面から理解されてきた。上記のUC、CSU、CCCの三分割構造3は、早くは文部省大 臣官房調査課(1968)に見られたように、日本でも高等教育計画の重要な事例として注目 されてきた。文部省大臣官房調査課(1968)の目次には、「高等教育人口の予測」「教育施設 の需要と供給の予測」「教員の需要と供給の予測」「高等教育費の予測」などの言葉が並んで おり、当時、カリフォルニア州のマスタープランは、高等教育の「拡充計画」として注目さ れていたことが見て取れる(文部省大臣官房調査課1968: 63-64)。その後も、カリフォルニ ア州の高等教育は、「エリートからマスへ」(天野・喜多村訳 1976)、さらには「マスからユ ニバーサルへ」喜多村編訳(2000)といった翻訳に象徴されるように、1990年代から2000 年代頃までは、エリート、マス、ユニバーサルという発展段階論(Trow 1973)との対応で、

機能主義的に、あるいは楽観的に論じられることも少なくなかった。以下にその例をいくつ かあげよう。

日本でも高等教育進学率がユニバーサル段階の目安とされる 50%に迫ろうとしていた 1990年代後半に、元文部事務次官で当時のIDE大学協会の会長であった天城勲は「多様な 機関が調和ある形でカルフォルニア[原文ママ]州の高等教育を展開しているのは、マスタ ープランの理念と構造の成果であると言われている」(天城 1996: 4)との認識を示してい

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12

た。さらに「確実にユニバーサル化へ向かう我が国高等教育が、知識の創造、伝達応用のた めの社会的制度としてその存在価値を発揮しうるためには、構造的、機能的に再構築を目指 すマスタープランの可能性をあきらめてはならないと思う」(天城 1996: 5)とも述べてい た。天城のような立場にあった人物が、発展段階論の受容と混然一体となった「マスタープ ランの可能性」(天城 1996)に期待を寄せていたことは注目に値する。

こうした発展段階論と混然一体となった同州高等教育やそのマスタープランの理解は、

例外とは言えないし、故なしとも言えなかった。日本高等教育学会設立時の発起人代表で初 代会長を務めた天野郁夫も、「ユニバーサル化への道」を論じる中で、「トロウが(少なくと も暗黙のうちに)モデル化していたと考えられる、カリフォルニア州の高等教育システムの

『三層構造』については、わが国でも改めて紹介する必要のないほど、よく知られている」

と述べていた(天野 2003: 146)。天野はさらに、「エリート、マス、ユニバーサルという三 つの『理念型』に対応する形で編成されたこのシステムは、[中略]アメリカの高等教育シ ステム全体の基本的な構造を示すものと捉えられ、理解されてきたといっても言い過ぎで はない」(天野 2003: 147)と説明していた。また、かつて天野郁夫とともにTrow(1973) 等を翻訳した喜多村和之も「まさに<トロウ・モデル>は、現代の高等教育の現実を照射す る説明(illumination)としてばかりでなく未来の予測(prediction)としても活用されて きた」(喜多村編訳 2000: 267)と述べるなど、発展段階論を称揚していた。天野・喜多村 訳(1976: 194-5)や喜多村編訳(2000: 266)に掲載された、Trowの議論を基にしたとさ れる高等教育システムの段階移行に伴う変化の図式(表 0-1)はあまりにも有名である。

このように、同州高等教育の代名詞とも言えるこの三分割構造は、その図式的な分かりや すさ故に、おそらく先行研究が意図した以上に機関類型による機能の違いを際立てて印象 付けてきた面が否めない4。実際には、マスタープラン策定までの同州高等教育の歴史を記 したDouglass(2000)が明らかにしたように、1960年のマスタープランは、UCをはじめ とした高等教育セクターと州政府との対立や駆け引きの果てに生まれた妥協の産物であっ

た。Douglass(2000: 315-6)によれば、セグメント別のミッションを明確化して役割分担

を行うとともに、議員が自分の地元に州立大学を誘致するために介入するといった無定見 な拡大政策を終わらせたことが、マスタープランの大きな二つの成功要因だったとされる。

つまり、常態化していた政府の介入を抑えて、各セグメントが自分の領分に注力できるよう になったことが、カリフォルニアの成功の背景に存在したという指摘がなされているので ある。その意味で、「マスタープランの最も特筆すべき功績は、それが生み出したものでは

(15)

13

なく、それが温存し、逆に言えば、それが回避したものであった。回避したものとは、中央 集権化された統治委員会だった」(Douglass 2000: 314)と評価されたのである5

このように、エリート型、マス型、ユニバーサル型という機能別分化政策としての側面を 強調しすぎると、Douglass(2000)が指摘したような大学と政府との間の葛藤や、それと 不可分なはずの大学の自律性といった問題が見えにくくなってしまう。むしろ、整然とした

表 0-1 M. トロウによる高等教育システムの段階移行に伴う変化の図式

出典:天野・喜多村訳(1976: 194-5)でも掲載された喜多村編訳(2000: 266)を転載。

(16)

14

計画に基づいたシステマティックな大学運営が着実に実施されているような印象すら与え てしまう。機能別分化政策の成功例としてカリフォルニア州高等教育を眺める視点には、こ のような限界が潜んでいる。

そうした問題はあるとしても、同州の高等教育システムの機能別分化政策的な側面は広 く注目され、「OECD諸国の間でユニバーサルな中等後教育の機会提供のための青写真とし て認知されている」(OECD 1990: 18)と言われるほど、かつては世界的に高く評価されて いたことは事実である。しかし、次に見るように足元では様々な問題も生じており、それら にはOECD(1990)の予言にあったように財政難が深く関係している。そうした問題はUC と政府との関係にどのような影響を与えているのか。

同州では提案13号(Proposition 13)6と呼ばれる財産税に対する厳しい規制のために州 財政が不安定で、高等教育予算は景気の後退期に特に不安定化することが知られている(例 えばMarginson(2016: 134-5))。また、1980年代の刑事政策の厳格化による受刑者や刑務 所の増加が州財政を圧迫し続けており、それらのための支出が高等教育への支出とほぼバ ーターになっていると言われている(The Regents of the University of California 発行年 不明)。図 0-1に示すように、高等教育関連の予算が毎年の州予算に占める割合は長期的に 低下している。これは、K-12の予算が占める割合が1980年代頃から40%前後を安定的に 保ってきたことと対照的である。また、矯正・刑務所関係(Corrections)への支出割合が 1980年代頃から増え始め、1990年代にはじわじわと低下してきた4年制大学(UCとCSU) への支出割合と同じ水準になり、2000年代中ごろからは4年制大学に対する支出割合を相 当程度上回るようになった。2010年頃になると、CCCも含めた高等教育関連予算の総額と ほとんど肩を並べるほどの割合を、矯正・刑務所関係の予算が占めるようになった。

特に2008年の金融危機後は州財政が一段と悪化し、2009年には予算措置を伴わない拡 大をこれ以上続けられなくなったUCとCSUがマスタープランの掲げる入学基準を満たす 学生の受け入れを一部拒否するという事件も生じた(Douglass 2010: 13)。人員削減や減給 等を重ねてきたUCは「経費削減の方法が他にあるのか?」(Douglass 2013: 8)と言われ る程の苦境にあり、研究者の獲得競争においてもはや同州内の私立研究大学に劣後すると 評される(Marginson 2016: 46)。

以上のように、公立大学セクターが三分割された構造を持つカリフォルニア州高等教育 は、機能別分化政策の成功例とみなされてきた。UCはその中でも最も学術レベルの高い研 究大学として位置づけられてきたが、近年では財政難のために教育研究の量・質の維持が困

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難になっている。こうした事態は、機能別分化政策の行き詰まりと見做すこともできる。た だし、機能別分化政策としての側面に比べると注目されてこなかったが、大学の自律性と政 府からの統制との相克という側面からも、同州高等教育の現状について検討を加える余地 があると言える。

第2項 UCと公権力との関係

近年の同州高等教育の状況について検討する際、先述の財政や経営上の問題は当然考慮 に入れなければならないが、その際、UCがどのように公的な財政支援を得るのかという点 も考慮しなければならない。なぜなら、財政措置の仕組みは、UCと公権力との関係を理解 The Regents of the University of California(発行年不明)のデータに基づき筆者集計。

図 0-1州予算に占める支出割合の変化

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16 するうえで無視できない観点だからである。

UCの予算は、州教育行政による配分ではなく、実質的な理事長とも言える知事との交渉 を介して議会から直接獲得される(OECD 1990: 118)が、これはUCが予算の自律性を持 つことだけでなく、自らの州への貢献について直接知事や議会を納得させねばならないと いうことでもある。実際に、後の章で詳しく見るように、知事や議会は予算措置を介してUC に圧力を加えている。こうした状況を踏まえれば、UC等の窮状を分析するいくつかの先行 研究が、高等教育セクターと議会等の協調や政策転換の必要性を唱えるのは当然である。た だ、そうした研究は、悪化する政治・経済的環境に対しUCは殆ど従属するしかないかのよ うな印象を与える。例えば、Douglass(2013: 11)は、UCが「学部段階における社会的契 約に応じるため、限られた減りゆく公的資金を学部学生数の拡大に投じてきた」ため、UC 全体の大学院生の比率は他州の主な研究大学と比べ大幅に低く(約 20%)なっているとい う。またMarginson(2016: 19, 193)も、UC各キャンパスにとっては煩わしいが、UC総 長室(UC the Office of the President、以下UCOP)が大学を公的なミッションにつなぎ とめていると指摘する。これらの研究は、UCが研究大学としては不利となっても州民に奉 仕すべく悪戦苦闘している姿を伝えている。

ところで、これらの先行研究が指摘するように、UCが苦境から脱するためには政府の政 策転換(特に財政措置)が必要だとすれば、それは、政府の財政的圧力の前ではUCも停滞 するしかないということなのか。公立研究大学の第四権的な性格はその使命追求にとって 特に積極的な意味を持たないのか。ここで留意すべきと思われるのは、先ほどから言及して いる近年の同州高等教育の停滞を指摘する諸先行研究、いわば「カリフォルニア・アイデア」

の退潮論とでもいうべきものは、必ずしも UC と州政府の対立を具体的に分析していない ことである。

UCのような憲法上独立した大学の自律性は、退潮論が暗示しているかもしれないUCの 自律性への疑問とは正反対に、積極的に評価されてきた。例えば、先述したように、憲法上 独立した大学は「州議会からの相当程度の自由を享受しており、一般に州の行政法に服す必 要がない」(Kaplin & Lee(2013: 位置No.42324/62820)ため、その他の法的位置づけを 持つ大学よりも強力な自治を有する。州裁判所の判決を分析した高木(1998: 139)も

「California 大学を含む憲法上の地位を持つ州立大学の繁栄はそれらの憲法上独立した地

位に負うところが多いように思われる」(高木 1998 :139)と考察していた。ただし、UCの 自律性に関する近年の解釈には、必ずしも詳細な検討を伴わないものも見受けられる。例え

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ば、天野(2013: 116)は、法人化した日本の国立大学との比較を念頭に、UC(やCSU) に対する政府からのコントロールの弱さを強調している。しかし、この指摘は専ら退職金の 積み立てや設備投資などの財務における制度上の裁量に限ったものであり、UCが公的使命 の追求を巡り実際に政府と対立した例を具体的に分析したものではない。また、現在の指定 国立大学法人制度につながった「特定研究大学(仮称)制度検討のための有識者会議」の議 事録では、自律的な経営を行う優れた研究大学として UC の例が度々言及されていた(文 部科学省 2015)7。しかし、そこでは、教学経営方針を巡り UC と州政府が真っ向から対 立した場合の自律性についてはほとんど考慮されていない。

以上のような、カリフォルニア高等教育の特徴であったはずの公立研究大学の高度な自 律性についての相反する評価は、どのように理解されるべきか。仮に、UCの自律性がその 使命の追求に強力に寄与しているのであれば、公立研究大学の自律性は、必ずしも明確に指 摘されてはこなかった「カリフォルニア・アイデア」の一部分として、再認識されるべきな のではないか。

反対に、UC の自律性が厳しい制約の範囲内のものでしかなかったならばどうか。

Marginson(2016)は、カリフォルニア州高等教育のアクセスとエクセレンスの両立の困難

化をThe Dream is Overと評した。彼の表現を借りれば、同州では公立研究大学が強固な

自律性を付与されてよりよく使命を追求しているという期待においても、「カリフォルニ ア・アイデア」は理念あるいは理想(idea)であっても現実ではなく、我々は夢から覚めな ければならないのか。

この点を検証するためには、UCと州政府との対立を分析の俎上に載せる必要があると考 えられる。確かに、既に述べたように、同州の分権的な公立高等教育セクターの中でも、憲 法が運営の全権を理事会に与えているため、UCは特に強固な自律性を保障されている。た だし、カリフォルニア州憲法(9章9条(a))は、UCを統治する理事会が役職指定理事7 人(知事、副知事、下院議長、州教育長、卒業生団体代表及び副代表、UC総長)、知事が指 名し上院が承認する18人、学生代表1人の総勢26人で構成されると定めている。この規 定からもわかる通り、憲法上独立な大学も「理事会の構成や任命方法を通じて、多かれ少な かれ州政府や州議会と密接につながっており、必ずしも州(公権力)機関から完全に独立し ているとは言えない」(高木1998: 124)。同州高等教育の法的側面について検討したO’Neil

(1974: 194-5)も、理事の大半を指名する知事の影響力の大きさを指摘した。だとすれば、

任命を行う知事およびその承認を行う議会の強い影響下に UC 理事会が置かれることの弊

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害が懸念されて然るべきである。なぜならば、もしも任命者たる知事や議会の意向を受けた 人物によって UC 理事会が席巻され、そうした人物が理事会の決定を左右するようになれ ば、例え UC が州憲法によって自治を認められているとしても、その自律性は著しく脅か されることになる。そうした事態は、UC に公的使命の遂行を促すかもしれない。しかし、

その時々の知事や議会の関心事や党派的な利害が大学運営にそのまま持ち込まれたならば、

中長期的には公的使命達成の阻害要因になる可能性も否定できない。州憲法の規定によれ ば、UCは「全ての政治的または党派的影響から完全に独立させられ、したがって理事の指 名や業務の運営において自由を守られなければならない」(州憲法9章9条(f))とされる が、そのための予防策がどのようなもので、実際に公的統制に直面した際にどう作用するの かも検討されなければ、UCの自律性の真価はわからない。

カリフォルニア大学を主たる例として憲法上独立した大学の法的地位を詳しく評価した 研究として先述の高木(1998)が挙げられるが、その前提は「理事会がいわゆる『社会を代 表するもの』であるならば、理事会対教授団の関係の検討は、そのまま『社会』と『大学』

との関係を明らかにすることにもなろう」(高木 1998: 125)というものであった。そのた め、高木(1998)の考察の中心は教員の身分保障問題等(個々の研究者の学問の自由)であ り、公的使命(マスタープランの掲げるエクセレンスとアクセスのミッション)を巡り政府 と大学が激しく対立した際の大学に与えられた自律性の意義を必ずしも問うてはいない。

高木(1998)のような、社会の代表たる理事会vs教員団という捉え方は、大学理事会≒社 会の代表≒州政府のような見方にも通じかねず、大学と政府の立場の相違を際立たせるに は不向きであり、大学の自律性と政府との統制との相克に着目する際には適切な分析視角 とは言えない。カリフォルニアの場合は第四権的大学理事会vs州政府という構図がより意 識されるべきであろう。

第3項 州レベルの高等教育政策の調整枠組みの変化

先に述べたように、近年の同州高等教育の苦境に触れた先行研究の大半が財政難に言及 しているが、一方で財政状況の悪化が進行する中でどのような改革が試みられてきたのか が十分に検討されてきたとは言い難い。同一州内に公私立の複数のセグメントに分かれた 諸機関(群)が存在する高等教育システムでは、全州レベルで様々な利害の調整が求められ るはずである。必然的に、そのためには各セグメントの統治委員会(理事会)を超えた組織

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が必要になる。実際に米国の高等教育では、各州において州全体の政策を調整する機関が存 在し、高等教育の公的使命の実現のために一定の役割を果たしてきた(例えば、Berdahl

(1971)、仙波(1980)、江原(2004))。1990年代頃には、財政難や政府からのアカウンタ ビリティの要求といった圧力の中で「州全体をカバーする管理調整委員会が高等教育の発 展に決定的な役割を演ずるようになってきた」(Berdahl & McConnell 1994=1998: 112) とされてきた。

こうした機関は、大学の自律性と政府からの統制を考える際に、どのように位置づけられ るのか。例えば、Clark(1983=1994)の示した有名な「調整の三角形モデル」においては、

「国家権威」と「大学寡頭制」の間の利害を調整する「緩衝団体」や「中間団体」の機能が 指摘されていた(Clark 1983=1994: 159)が、どちらかと言うと高等教育機関の利害を反 映した政策を推進するような側面に説明の力点が置かれていた。他方で、州調整機関は「高 等教育界の利益を代弁するよりも州や大学の要望や順位に焦点を当てる」(McGuiness

1994=1998: 178)機関であるという点を強調する立場もある。後者は高等教育を外部から

統制する側面にやや力点を置いた説明である。州ごとの調整機関の差異も指摘されてはき たが(例えば、Berdahl(1971: 20-22, 34-35)、Richardson et al(1999))、そうした州全 体の調整機関と個別大学(群)の統治委員会(大学理事会)という階層的な管理の仕組みが

「アカウンタビリティの手続きを複雑なものにしているかもしれないが、愚かな、あるいは 不用意な外部の介入から大学を守る手段になっているともいえる」(Berdahl & McConnell 1994=1998: 123)と、1990年代中頃までは評価されてきた。

カ リ フ ォ ル ニ ア 州 で は 、 カ リ フ ォ ル ニ ア 中 等 後 教 育 コ ミ ッ シ ョ ン (California Postsecondary Education Commission、以下CPEC)がその役目を担っていた。CPECの 任務は州法(66010.6.(a))が定めており、具体的業務はセグメントを横断したデータの収 集・分析、新たな学位プログラムやキャンパスに関する要求内容の精査等であった。つまり、

UC、CSU、CCC の通常の教学経営は各セグメントの理事会が最終決定を行うべきもので あったが、各セグメントの自治を超えた問題(例えば、州全体としての高等教育政策の分析 や、新たなプログラムやキャンパス建設への州予算措置の必要性など)について協議する場 がCPECだった。中でも、「高校以降の教育に関する主要な政策や計画にかかわる課題につ いて議会や政府執行部に勧告や情報提供を行う」ことは「コミッションの多数の任務の中で もおそらく最も重要」(CPEC 2011b)であったとされる。CPECは、州知事室、上院議事 運営委員会、下院議長が各3人ずつ指名する9人(任期は各々6年)と、UC、CSU、CCC、

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私立大学、州教育委員会の代表各1人、知事室の指名する学生2人の計16人のコミッショ ナーから構成されていた(CPEC 2011b)。予算は州によって措置され、日々の業務はコミ ッションが指名する事務局長(executive director)の下で処理された(CPEC 2011b)。

CPEC の調整機能は、米国外の研究者からはどちらかというと肯定的に評価されていた ようである。1989年にカリフォルニアを訪れたOECD調査団は、同州の高等教育システム を「OECD諸国の間のユニバーサルな中等後教育の機会提供のための青写真」(OECD 1990:

18)と高く評価した。その際、同調査団は、教育省のような中央統制機構がない中でも機能 を異にする公立セグメント間で自律的な調整がどのように行われていたかにも注目してお

り(OECD 1990: 117-119)、公私立の複数のセグメントに分かれた同州高等教育全体の調

整を行っていたCPECについても、同州の分権的な高等教育システムに適した政策調整の 仕組みとして好意的に評価していた(OECD 1990: 40, 68, 117-8)。OECD調査団は、「中 枢に位置づくCPECがあるため、点検[inspection]、モニタリング、評価と予測が準備さ れている。[中略]他の教育システムの大半と比較すると、詳細な情報を生み出して集団的 知性を維持しようとする多大な努力が存在する。[中略]広く共有された目的を実現する合 理的手段の探索が行われている」(OECD 1990: 40)などと高く評価していた。また、日本 でも、CPECによる調整が機能しているように紹介する研究が散見される(仙波 2004、森 2007)。

ところが、米国全体ではこうした州調整機関が次第に役割を果たせなくなっていったと 言われている。まず、80年代から90年代中頃にかけて「インプットからアウトカムへの州 の役割の根本的変化と、市場原理や公的優先事項への対処を確実化するための新たな政策 ツールへの一層の依存」(McGuinness 2016: 22)が見られ、さらに1990年代中頃から2008 年頃にかけて「長期目標のさらなる強調と、州が政策のリーダーシップを取る能力に対する 増大する懸念」(McGuinness 2016: 26)がみられるようになったとされる。1990年代末頃 から、州調整機関には従来の調整・監督だけでなく長期的戦略計画の立案機能まで求められ るようになったものの、権限や人員に限界がある中で十分に機能を果たすことができず、

「州調整機関は知事、州予算事務局、議会予算委員会の主要な意思決定プロセスから遠ざけ られ続け、妥当性を失い続け」(McGuinness 2016: 27)ており「改革の主要なリーダーと も梃子ともみなされない政策環境」(McGuinness 2016: 32)が生じてきたと言われている。

実際、少なくとも2016年までに7つの州で調整員会の改革が実施されている(McGuinness

2016: 52-3)。かつて各州の高等教育にとって不可欠な構成要素であった調整機関は、近年

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21 では変革を迫られていると言えよう。

詳しくは次章以降で扱うが、カリフォルニアにおける改革議論でもこうした全国的傾向 と呼応するような動向が見られなかったわけではない。ただし、同州は高等教育における明 確 な 目 標 や 財 政 枠 組 み 等 が ほ と ん ど な く (National Center for Higher Education Management Systems 2014: Appendix A)、しかも2011年以降は高等教育の全州的な調整 機関が廃止されたまま(McGuinness 2016: 52-3)という、特異な展開を見せる州でもある。

こうしたシステム全体を調整する枠組みの変化を無視したまま深刻な財政難による機能別 分化政策の行き詰まりという側面にばかり注目していては、同州高等教育の不調が含意す るものを十分に捉えられない恐れがある。

既に示してきたように、米国高等教育の州調整機関の役割やカリフォルニア州高等教育 に関しては、国内外で先行研究の蓄積がある。ただし、学生受け入れの一部停止などのカリ フォルニア州高等教育の混乱・停滞と、調整機関の改革とを関連付けて検討する作業はほと んど行われていない。財政構造上の問題を踏まえて近年の同州高等教育の苦境に言及する 先行研究の多くは、州財政が逼迫する中での高等教育セクターと知事や議会との緊張の高 まりを主な理由と捉え、マスタープランに基づいた緩やかな調整が機能不全に陥っている ことについては結果論的に指摘しているような趣が否めない(例えば Douglass(2010)、 Dill(2014)、Marginson(2016)など)。これらの先行研究では、CPECを介した調整が機 能不全に陥っていく経緯や、その過程でどのような改革議論が交わされてきたのかをほと んど不問にされている。つまり、大学(特にUC)と州政府との間に入る調整機関という存 在を無視しているため、両者の関係の変化を十分にとらえていない可能性がある。換言すれ ば、CPECの改革、喪失、再建等を巡る議論を射程に収めることで、これまで十分に捉えら れていなかった大学(特にUC)と州政府との攻防を明らかにできる可能性がある。

ここで留意すべきは、調整機関の改革の必然性を訴える近年の議論が、1990年代頃まで の調整機関に対する評価とは異なる前提に立っていることである。調整機関の「党派的な政 治的干渉から大学を保護する緩衝装置としての役割」(江原 2004: 55)と、高等教育に対す る一種の規制機関としての役割のどちらに注目するとしても、1990年代頃までは調整機関 の能力に対する期待が見られた。しかし、例えば、米国高等教育の州調整機関等の変遷や改 革動向を論じたMcGuinness(2016: 2)は、州によって単一または複数の州高等教育エー ジェンシー(state higher education agency)が集中的または分散的に担ってきた調整機能 を単一機関が担うという考えはもはや実現可能でも望ましくもなく、今後は諸機能が州全

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体で分散されるようになるのではないかと論じている。つまり、近年の議論は、調整機関が 従来集中的に担ってきた機能やその存在自体を前提としていない。第 3 章以降で詳しく見 るように、カリフォルニアの調整機関であったCPEC は 2011 年に廃止され、その後の同 州では新たな枠組みの構築にむけた議論もあるものの、一向に実現していない。CPEC の ような州調整機関の機能不全やその廃止・欠如という新たな事態は、米国高等教育が公的使 命を果たすメカニズムを理解しようとする際に、社会的要請と機関の利害のバランスを調 整機関が仲立ちして最適化するという従来の図式では捉え切れない変化が生じていること を示すものとみることができる。こうした改革議論の変調は、カリフォルニアにおいてはど のように生成、展開し、UCと州政府との関係にどのような影響を与えてきたのか。OECD

(1990)が指摘したように、CPEC による調整が同州高等教育の分権的構造に適ったもの であったなら、公的使命をよりよく追及させるため調整機関を介して分権的な高等教育シ ステムを緩やかに統合する同州の特徴は、UCの自律性と不可分なものだったとは考えられ ないか。つまり、調整機関を介した緩やかな政策調整は、集権的な統制を回避しやすくなる という意味で、カリフォルニア・アイデアが含意するはずの理想の一つだったのではないか。

第3節 本研究の課題

第1項 公的使命の追求を促すメカニズム

以上のように、先行研究は、第一に、マスタープラン体制の要ともいうべき存在であった CPEC については無視するか、単にその存在や廃止の事実に言及するのみに留まるという 問題を持つ。第二に、大学と政府との間で政策調整を行う枠組みを巡る改革の展開と、高等 教育機関の自律性と公的な統制との相克とがいかに交差するのかという問題意識の下で、

十分な検討がなされてきたとは言い難い。UCが政治・経済的圧力に対しただ屈するしかな いかのような印象を与える先行研究も、それとは正反対に UC の強固な自律性と教育研究 機関としての成功を結び付ける議論も、現実の政府との対立を具体的に分析してきたわけ ではない。先行研究に見られる以上の問題点は、米国高等教育の州調整機関の役割や、公立 研究大学の憲法に基づく自治や分権的で緩やかな調整に象徴される高等教育の自律性の意 義を理解することを妨げる要因になっているのではないか。

以上の二つの問題点を踏まえて、本研究では、第一に、調整機関の廃止(再建に向けた議

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論等も含む)によって UC の自律性が高まったのか否かを明らかにするという課題と、第 二に、UCは財政的・政治的圧力を受けても自律性を発揮して公的使命を追求しているのか を明らかにするという課題を設定する。

なお、ここでUC側の主体としては、理事会とUCOP(総長室)を想定している。OECD

(1990:123)の予言にあった「カリフォルニアの教育界のリーダーたち」とは、UCに関 して言えば理事会とUCOPが対応するからである。また、理事会については、先述のよう にカリフォルニアでは第四権的大学理事会vs州政府という対立の構図を意識する必要があ るためである。さらに、理事会だけでなくUCOPも併記しているのは、UCOPが、理事会 に任命された総長をトップとする言わば UC 全体の事務局として、実際に知事や議会と実 務的な折衝を担うからである。

第2項 本研究におけるUCの公的使命

先述のように、1960年の高等教育マスタープランは、セグメント別に授与できる学位や 入学者受入れ枠(UCは高校成績上位12.5%、CSUは上位33.3%、CCCは開放入学)等を 定めるとともに、UCを「研究を目的とした州が支援する学術機関の筆頭」(The Master Plan Survey Team 1960: 3, 37, 43等)とするなど、各セグメントの使命を提示した。ただし、3 つのセグメントの中でも UC は最も学術的な質の高い研究大学という位置づけがなされて きたことは周知の事実である。その意味で、カリフォルニア州の高等教育システムが全体と して課されているアクセスの使命とエクセレンスの使命の中でも、UCは特にエクセレンス の部分を担うことが期待されているといえる。ただし、UCには州内の高校卒業者のうち一 定割合の成績上位者に入学を認めなければならないという使命も課されている。実際、同州 の大学入学者受け入れの歴史を見れば明らかなように、アクセスの使命に対して UC の立 場から貢献することは「公立大学の社会契約」(Douglass 2007)として大いに期待されて きた。つまり、同州高等教育システムの中でも特にエクセレンスの部分を担うUCは、(CCC やCSUのそれと全く同じではないとしても)アクセスの使命を有しているのである。

以上の理由により、本研究が着目するUCの公的使命とは、先述のマスタープランで措定 されているUCの役割や「カリフォルニア・アイデア」に関する議論(Douglass(2000)、 Douglass(2010:1)、Marginson(2016: 12))を踏まえ、教育研究の質の維持・向上(エク セレンスの使命)とマスタープランの示す基準を満たす州民の進学機会の保証(アクセスの

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使命)の両方を意味するものとする。これらのUCの公的使命は、高等教育のマス化・ユニ バーサル化に対応するためにエリート大学が直面する課題でもある。このような認識は、財 政難の時代に UC が量よりも質(つまりアクセスの使命よりもエクセレンスの使命)を優 先することになるだろうとしたOECD(1990: 123)の予言にも示されていた。だが、これ らの UC の公的使命は、州政府が期待するそれらと一致していたとは限らない。この後の 章で見るように、例えば、州政府がUCの複数の使命の一方を特に強調する、それらを追求 する方法について州政府と UC とが衝突する、といった事態が生じうるのである。この問 題に対し、機関の自律性と公的統制との対立という、従来「カリフォルニア・アイデア」の 特徴として必ずしも強調されてこなかった論点を重ねたならば、どのような知見が得られ るのだろうか。

なお、本研究が同州高等教育の中でも特に UC に注目する理由についてはこのすぐ後に 述べるが、本研究は同州高等教育がシステム全体として課されている使命を偏りなく俎上 に載せるわけではない。州政府からの高等教育システム全体に対する要求の中に UC とし て対処しなければならないものが含まれている面があり(後述する様々なコストカットや CPECの改廃に関する要求が典型例)、その限りでUCの公的使命と関連付けて取り上げる 場合はありうる。しかしながら、本研究はあくまで憲法上独立な UC と州政府との対立に 主として注目している。CCC や CSU が担う個々の使命を詳細に取り上げるには別の立論 を行う必要があるため、本研究で積極的に取り扱うことは差し控える。

第3項 UCを主たる分析対象とする理由

憲法上の自治を有する大学が議会や行政府からの相当程度の自由を有することは、従来 から指摘されてきた(例えば、Kaplin & Lee(2013: 位置No.42324/62820)、高木(1998:

119-20))。そのため、政府との対立が最も深刻化するのは、政府部門の一部としての大学や

州法による自治を認められた大学との間よりも、政府の意向に従う必要性の低い憲法上の 自治を有する大学との間であると考えられる。既に述べた通り、カリフォルニア州高等教育 は、私立機関も存在するが、主としてCCC、CSU、UCという三つの公立セグメントから 構成されており、そのうち憲法による自治を有するのはUCだけである。したがって、本研 究が最も着目すべきは、CCCやCSUではなく、UCであると考えられる。

また、大学の州法上の位置付けだけでなく、各セグメント対する社会的な関心の大きさも、

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特定のセグメントに対して焦点化することの理由となりえる。CCC や CSU と比べると、

UC は情報公開や政治的メッセージの発信に積極的と言える。次章意向で参照するように、

UCは理事会の議事録などを詳細に公開しており、各種法案への賛否についても検索機能ま で設けてデータベース化したうえでウェブ公開している。CCC とCSU についても理事会 や総長室(UCOP)のウェブサイト等で情報収集を試みたが、両セグメントは議事録等の資 料について過去数年分程度を一部のみ公開しているにとどまり、法案への賛否をわかりや すく発信してもいない。また、詳しくは第4章と第5章で扱うが、CSUとUCの両方に影 響を与える法案に関する議会資料を分析した際にも、UCから議会に提出された反論は頻繁 に引用されているのに対して、CSU からの反論が引用されている議会資料はほとんど見当 たらなかった。そもそも、UC以外のセグメントはロビー活動をさほど活発に行っていない 可能性も考えられる。いずれにせよ、CCCとCSUは情報発信の量・内容が非常に限定的で あり、議会や報道機関の取り上げ方もUCとは明らかに異なる。このように、社会的関心の 高さという点から見ても、UCを主たる対象とすることは合理的と言える。

以上に鑑み、本研究ではカリフォルニア州高等教育の中でも UC を主要な分析対象とす る。また、こうした分析の射程による限界もあり、本研究はカリフォルニア州の公立高等教 育全体について論じることを必ずしも目的とはしていない。だたし、次章以降で見るように、

CPEC改革の経緯、廃止の影響、再建に向けた動きなどを検討するため、カリフォルニア州 の高等教育システム全体の公的使命や課題に言及する必要が生じる場合がある。そのため、

本研究では、CCC や CSU と CPEC や議会との関係に触れた先行研究、CPEC 廃止後に CPEC や各セグメントの関係者が残したコメント、CPEC が収集・集計していたセグメン ト別データ、CPEC 廃止後に(UC だけでなく)CCC や CSU を対象とした州監査役

(California State Auditor)の監査報告書が増加した事実などをできる限り示すことで、

部分的にではあるがCCCやCSUに関しても取り扱う。このようにUCだけを対象とした 考察に終始しないように配慮するが、システム全体の中でもエクセレンスの部分を担う中 心はUC であることに鑑み、エクセレンスの使命に関する問題に関してはあくまでUC に 焦点を当てて論を進める。

このような対象設定は、大学の自律性と政府からの統制との関係を解明する上では限定 的である。しかしながら、カリフォルニア州高等教育の規模の大きさや、国際的に与えられ てきた高い評価を踏まえれば、十分に意義があると考えられる。

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26 第4節 本研究の構成

本研究の課題を検討するうえで重要と考えられるのは、第一に、改革論が時間の経過の中 でどのように展開、変化していったかに着目する視点である。そもそも、CPECの廃止や近 年のUCと州政府との対立には、どのような背景や文脈が存在するのか。2000年代以降の 高等教育改革論における UC の自律性と政府の統制との相克を、CPEC に対する期待がま だ高かった1990年代以降の高等教育改革の文脈に位置づけ、近年に至るまでの展開がUC と政府との関係をどのように変容させるものであったのかを確認する必要がある。

本研究の課題に関して重要と考えられる第二の視点は、政府の統制と対立した場合に、

UCの高度な自律性がどのように機能するのかを、公的使命の追求という観点から分析する という視点である。監督機関でもあり「緩衝装置」(江原 2004: 55)でもあるCPECの改 革は、政府と高等教育機関との関係に何も影響を及ぼさないとは考え難い。ただし、元々UC は政府からの干渉を相当程度排除できる憲法上の自治を有していたのであり、両者の関係 への影響の有無自体が確認を要する問題とも言える。例えば、先行研究においては多くの場 合州レベルの調整機関の改革が規制緩和や分権化を進める方向に作用しているも指摘され ており(McGuiness 2016: 29)、この指摘を援用するならば、CPECという管理的階層の省 略は高等教育機関に対する公的な統制を緩和させる作用があるようにも思われる。果たし て、UCはさらなる自由を謳歌できるようになったのか。それとも、むしろ政府からの統制 により直接的にさらされるようになり、自由を失っていったのか。こうした点を確認した上 で、UCが公的使命を追求するように促されるメカニズムに着目する必要がある。

以上を踏まえ、本研究は以下の構成により論を進める。第 1章では、OECD(1990)の 予言が想定した状況が生じ始めた1990年代に、公的使命の追求と調整機関の在り方、そし て機関の自律性と政府からの統制とを巡って交わされた改革議論の内容を検討する。この 時期は、CPECを含むカリフォルニア州高等教育が称賛を受けた1980年代までと、本格的 なCPEC廃止提案が行われ始めた2000年代の間にあたる。そこでは、OECD(1990)の 予言のように、アクセスの使命とエクセレンスの使命とが対立するような議論があったの か。調整機関は、機関の自律性と公的な統制の狭間でいかなる役割を期待されるようになっ たのか。この作業を通じ、各セグメントの自律性を尊重していたカリフォルニアの分権的な 高等教育の構造に改革を迫るロジックがどのように形成されていったのかを明らかにする。

次に、1990年代を通して形成された改革のロジックが、公的使命の追求を巡り高等教育

(29)

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機関の自律性と政府からの統制が絡み合う中で、どのように実行に移されようとしたのか、

あるいは回避されようとしたのかを検討する。そこで、第2章では、2002年のマスタープ ランの見直し議論における、州政府と UC 等との対立に着目する。当該州の高等教育の構 造に適合的で国際的にも評価されていたはずの調整機関の改革・廃止を、誰が、なぜ、推進 または阻止しようとしたのかを明らかにすることで、2000年代初頭の改革議論における攻 防が、UC の自律性と州政府からの統制を仲介する CPECのあるべき姿をどう規定したか を明らかにする。

最終的に 2011 年にCPECは廃止されたが、強制力を伴う完璧な調整を行い得ないとい うCPECの有り方は、先述のように高等教育機関のみならず知事や議会にとってもむしろ 好都合だった面があり、廃止は従前とは異なる何らかの条件が揃った結果と考えられる。第 3 章では、第 2 章で見た改革論争の帰結による拘束を念頭に置きながら、特に廃止直前の UC、議会、知事といったアクターの行動に着目し、CPECが廃止に至る直接的な経緯に明 らかにする。

次に、第4章では、CPECの廃止が、州憲法により強固な自治を保障されているUCに 一層の自由を与えたのか、或いは逆に、UCの運営方針に対する州政府からの圧力を高めた のかを検証する。具体的には、CPECの後継機関の設立を巡り、知事、議会、高等教育機関 関係者の思惑が交錯する様子を分析する。また、調整機関を挟まずに直接対峙するようにな ったUCと政府の関係の変化を、UC等を対象とした政策文書や法案の数量や内容に着目し て分析する。

続く第5章では、反UC法案の提出が相次いだ2015年から2016年の議会に注目し、UC の自律性と政府からの統制のどちらが、UCに公的使命をよりよく追求させるのかを検証す る。後述のように、この時期にUCが反対を表明した法案が激増しており、UCと州政府と の対立は最高潮を迎えていたと考えられる。調整機関を挟むことなく対峙せざるを得なく なったUCと議会や知事との交渉を分析することで、UCの自律性と政府からの統制との相 克が、アクセスの使命とエクセレンスの使命の追求のためにどのように乗り越えられてい るのかを明らかにする。

ところで、仮に調整機関がない中で UC の自律性が公的使命の追求のための鍵となって いたとしても、それをもって、UCがその自律性を存分に発揮しているために同州高等教育 の公的使命が達成されていると評価することは妥当だろうか。例えば、UCは一定の範囲や 方向性の中で自主規制を行う裁量を有しているに過ぎないのかもしれない。また、調整機関

図   0- 1州予算に占める支出割合の変化
図 1 - 2  1960 年のマスタープランが描いた調整機関
表 2 - 2  CPEC と CEC の構成員の比較
表 3 - 3  政党別に見た知事の個別予算費目に対する拒否回数と金額の平均 出典:表 3 - 2に基づき筆者が集計。単位は、拒否数が回、拒否額が百万ドル。知事の政党知事拒否数拒否額割合 1回あたりの額共和党Schwarzenegeer38.3554.0 0.61% 14.5Wilson43.4323.4 0.64%7.5民主党Brown6.119.1 0.02%3.1Davis77.2449.9 0.62%5.8Newsom3.014.1 0.01%4.7
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