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UC 、議会、知事の思惑と CPEC の廃止

ドキュメント内 九州大学学術情報リポジトリ (ページ 69-86)

第1節 本章の目的と構成

第2章でみたように、2002年のマスタープラン見直しの際に一時は廃止の危機に立たさ れたCPECは、最終的に「知事や議会にとっての最高の客観的助言者」として、また「政 策分析以上の」「中等後教育における公益を声高に唱え」る存在として、強力な調整力を発 揮することを、議会から期待されて存続することとなった(Joint Committee 2002c: 141-142)。また、UCも、「強化され、再生されたCPEC」(UCOP 2002: 9-10)が必要であると して、少なくとも議会に対してはCPECを擁護していた。こうした議論が戦わされた直後 においては、CPEC を介した調整が十分に機能しているのかという問題は、必然的に重要 な政策論争上のイシューとなったはずである。第 3 章では、機関の自律性が発揮される余 地を残しつつも統制を強化するという矛盾した役割をこれまで以上に求められたCPECを 巡る、UC、議会、知事の動きに着目する。廃止直前の改革議論の状況などを踏まえて、CPEC 廃止という政策決定に至った直接的な経緯を明らかにする。

そもそも、CPEC の廃止は、州全体の調整機関の存在を当然視してきた先行研究の枠組 みでは想定されていない事態であった。江原(2004)は、アメリカ各州の調整のタイプは、

極めて例外的だが小規模な州に見られる大学に対する拘束力が弱い諮問型、州政府が中央 集権的な管理を行う統合管理型、州のマスタープラン策定を主導するが実施権限は持たな い調整型に分けられ、カリフォルニアのCPECは調整型にあたるとした。この分類に即し て考えれば、現行の調整型のシステムに問題がある場合、州政府は自らの関与を強めるため に統合管理型に向かうような改革を望んでもよいはずである。現に、CPEC の事業は議会 の関心や予算配分によって厳しく制限されており、CPEC の事業の大半は議会の関心に応 じるためのものであった(OECD 1990: 146)。例えば、1987-88年度の時点で、CPECの 46の事業のうち、CPECが主体的に実施しているのは6つのみで、残りの大多数は議会の 関心に応じるためものだったのであり、「こうした事業の配分は極めて典型的であり、コミ ッションが実施できる取り組みが議会の要求と、当然ながら資源によって、いかに厳しく制 限されているのかを示している」(OECD 1990: 146)。CPECの事業や予算を議会がコント ロールしてきたという実態を考慮すれば、高等教育機関に公的な統制を加える公式経路と しての調整機関の側面も軽視できない。第2章で見た2000年代初頭の議論でも、CPECの

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CECへの置き換えは論じられていたが、調整機関の完全な廃止は議論されていなかった。

その意味でもCPECの廃止、つまり調整機関の放棄は、政策決定として不可解さが残る。

2002 年の CPEC 存続の決定は、統合管理型に向かう改革が頓挫したものだともみなせる が、いずれにせよ同州は調整機関の改革ではなく、廃止に踏み切った。なぜこのような事態 が生じたのか。2002年当時はUCも議会も支持していたはずのCPECの機能強化という方 針は、いかにして反故にされていったのか。UCの自律性と政府からの統制との対立という 視点と、その背景にあるはずの公的使命の追求という視点をから見た際に、それらの調和を 目指すはずの調整機関を、カリフォルニアはなぜ廃止することになったのか。

第2節 CPEC廃止直前の関係者の動き

第1項 CPEC弱体化を進行させた議会の改革・廃止議論

まず、1990年代以降のCPECの改革論の流れを確認するが、その展開からはCPECが 次第に弱体化していった様子が見て取れる。第1章でみたように、1990年代にはCPECを 改革の梃子として利用しようとする改革議論が見られた。当時はまだ、CPEC の現状に対 する問題こそ指摘されてはいたが、その廃止が表立って論じられるような状況ではなく、む しろその機能強化が盛んに論じられていた。しかし、続く2000 年代になるとCPECの存 在意義自体を問うような廃止論・改革論が表立って見られるようになった。

議会分析官室(LAO)の報告書によると、2002-03年の予算審議において、2002年1月 の知事(当時は民主党のGray Davis)の予算案がCPECの予算の12%削減を提案したこ とを受けて、「CPECの任務と資源との間にミスマッチがあるかどうか」を議会が調査する ことになった(LAO 2003: 4)。やがて示された5月の知事予算案は、わずか3人の定員と 約50万ドルの予算を残し、実質的にCPECを廃止することを提案した(LAO 2003: 4)。 ただしこの時点では、そうした動きに対して議会の機関であるLAOは「CPECの法令に基 づく任務の削減を提案することは全くなく、また資源が劇的に削減される中でいかにして CPECが機能を果たし続けるのかに言及していなかった」(LAO 2003: 4)と批判的に言及 していた。

他方、第2章で見たように、マスタープランの見直しを行っていた議会両院委員会(Joint Committee to Develop a Master Plan for Education-Kindergarten through University、

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以下Joint Committee)も2002年5月に公開した報告書当初案でCPECの廃止を唱えた

(Joint Committee 2002a: 57-59)。この議会主導の改革案は、新設が提案されたK-12か ら高等教育にわたる州内の教育全体を調整するコミッション(CEC)において高等教育独 自の議論の場を設けないこと、この新コミッションから高等教育機関代表者を排除するこ と、州知事に権限を集中させること等を意図していた。だが、州の教育全体に様々な改革を 要求したこの「両院委員会の勧告はかなりの議論を呼んだ」(LAO 2003: 5)。CPECに関し ては既に見たように、紆余曲折の結果、報告書最終版ではCPECの廃止ではなく、根拠法 の見直し、本来の使命の明確化、各セグメントからのデータの徴収権の付与といった提言に 落ち着いたのである。

しかし、これらの本格的な廃止議論がその後の改革議論の呼び水となったようで、州全体 の調整がいかにあるべきかを考慮しないまま予算の効率化のみを追求する、やや無責任と も言えるCPEC批判が止むことはなかった。翌年の2003-04年度予算審議でも「州知事案 は、いかにしてCPECが法令によるミッションに注力すべきかについて言及していない」

(LAO 2003: 6)まま、CPEC予算を68%削減することを提案した(LAO 2003: 5)。 制定から 50 年を経たマスタープランの「調整機能の不全」(LAO 2010: 3)を強調して CPECの改革などを提言したLAO(2010)によると、「2002年以降、少なくとも12以上 の法案が、CPECの廃止または、コミッションの構成員の変更、コミッショナーの任命プロ セスの変更、コミッションの諸任務の修正による再建を目指してきた」(LAO 2010: 14)と される。しかし、Gray Davis知事(民主党、1999-2003年)やArnold Schwarzenegger知 事(共和党、2003-2011年)の下でCPECの知事部局への統合や機能の移管などが議論さ れてきたが、こうした議論は一向に決着を見なかった。結果として「これらの提案への合意 の欠如は、度重なる予算削減―累積するとインフレ調整した2001-02年度の一般財源予算 比で60%以上―がその能力をさらに弱めてきた中で、CPECに対していかなる根本的変化 をもたらすことも妨げてきた」(LAO 2010: 14)と評価されている。CPECは1980年代末 には53人のスタッフを擁していた(OECD 1990: 145)が、2009-10年度の規模は定員 20.8人分と運営費2200万ドルにまで縮小していた(LAO 2010: 14)。

2002年の「教育マスタープラン」の最終版で、議会両院委員会は、「CPECの調整と分析 の使命は死活的重要性を持つ」ため、議会がCPECに関する「根拠法を適切に承認または 修正すべき」で、「その最重要の機能を果たすために十分な財政措置を確約」するべきと唱 えていた(Joint Committee 2002c: 141-142)。これは必然的に、法案に署名する知事に対

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す る 要 請 で も あ っ た と 言 え る 。 し か し 、 民 主 党 の Davis 知 事 も 後 任 の 共 和 党 の

Schwarzenegger知事も、そして予算を審議した議会も、CPECの予算増加を伴うような機

能強化を実現する意思はなく、むしろ予算削減を進めてCPECを弱体化させていた。

第2項 UCが露呈させたCPECの無力さ

2000 年代に知事や議会が進めたCPECの弱体化は、州政府がCPECを介した統制の強 化に実はそれほど期待を寄せていなかったということを物語る。では、高等教育機関側、と りわけUCは、CPECを介した統制を受け入れることができたのか。1989年にカリフォル ニアで現地調査を行ったOECD(1990)の調査団によれば、「重要な場面でCPECが勧告 を行えるように、新たなプログラムやキャンパスの開設といった様々な過程で、州法が CPEC の関与を求めている。いかなる場合にもコミッションが最終決定権を持たないにも かかわらず、すべての事例でコミッションの勧告は大変な重みを持つ」(OECD 1990: 119) はずであった。実は、報告書に記された関係者の一覧によれば、調査団に対応した者の大半 は同州の高等教育関係者であった(OECD 1990: 7-8)。そのため、上記のOECD(1990) のCPECに対する評価を額面通りに受け取ってよいとは限らない。だとしても、先の記述 からは、少なくとも1990 年頃までは、同州の高等教育関係者がCPEC の意向を尊重して いたことが伺える。ところが、2009年には、CPECが不要と勧告したUCアーヴァイン校 のロースクール設置計画を、UCが勧告を無視して実行に移すという事件が発生した。

LAOがまとめた経緯説明によると、このロースクールは、元々は1964年のUC アーヴ ァイン校開学当初の長期計画のなかで掲げられていたものであり、同州では1965年以来の 公立ロースクールの新設でもあった(LAO 2009: 10-13)。2001年にはUCの教学の決定機 関である評議会(academic senate)も承認したアーヴァイン校からの新設提案を、UC理 事会がコストに関する懸念から一度却下していた(LAO 2009: 10-11)。UC理事会は修正さ れた計画を2006 年にようやく承認したのだが、それに対して CPECは民間の調査会社が 1999年に行った法律家の労働力需要予測に基づき、このロースクール新設計画について「州 全体、地域、または産業の労働力需要からして不必要だった」「[私立大学を含む州内の:引 用者注]既存のロースクールのプログラム提供やサービスの多くと重複すると思われる」

「他の領域のプログラムに充てられる資金を減らしうる、追加の運営・資本コストを付加す ると思われる」と判断したとされている(LAO 2009: 11)。これに対しUC側は、CPECが

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