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緩やかな調整に対する評価の変化

ドキュメント内 九州大学学術情報リポジトリ (ページ 33-53)

第1節 本章の目的と構成

本研究においては、カリフォルニア州における高等教育改革議論の展開を整理する必要 がある。その手始めに、第1 章では、OECD(1990)の予言が想定した深刻な財政難に同 州高等教育が直面し始めた1990年代に、公的使命の追求と調整機関の在り方、そして機関 の自律性と政府からの統制とを巡って交わされた改革議論の内容を検討する。この時期、

OECD(1990)の予言のように、高等教育のアクセスよりもエクセレンスを重視する議論 があったのか。調整機関は、機関の自律性と公的な統制の狭間でいかなる役割を期待される ようになったのか。この作業を通じて、同州高等教育改革議論の構図を描き出すとともに、

2000年代以降の改革の下地がどのように形成されたかを明らかにできるはずである。

ここで論を進める前に、CPEC とはどのような組織だったのか、もう少し整理しておき たい。表 1-1は2011年当時のコミッショナーの内訳である。代理出席や空席も見られる が、CPECを構成する定員16人のコミッショナーは、知事が指名する3人、上院議事運営 委員会が指名する3人、下院議長が指名する3人、知事が指名する学生2人と、州教育委 員会、私立大学、CCC、CSU、UCの理事会の代表者各1人と定められていた。特に、知事 や議会が指名する一般人代表(to represent the general public)の9人(任期6年、学生 2人は含まない)は、何らかの形で同州の高等教育に接点がある人物が多いものの、現職の 大学教職員のような当事者は含まれていない。高校の教員、企業の経営陣、法律家、民族コ ミュニティーとの関係が深いものなど、コミッショナーの構成はかなり多様と言える1。現 に知事や議会によって任命されていることを考え併せれば、コミッショナーの多くが高等 教育に関係する経歴を有することは、現場の個別的な利害を反映するためというよりも、一 定の見識が期待されたためと考えるほうが自然である。こうしたことを受けてと考えられ るが、CPEC は多数の政治任用された者と若干の高等教育機関代表が参画するが、一応双 方から「独立しており」、「研究ベースの政策提言を提供する」「低コストなエージェンシー」

(CPEC 2011a)を自称していた。

しかし、1990年代後半にCPECが州内の議会関係者や高等教育関係者などの間でどのよ うに評価されていたのかを調査したRichardson et al(1999)は、幾らか異なる州内の評価 を報告している。それによると、政治家はCPECの提供する情報を高等教育関係者の意向

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を反映したものと見なして殆ど意に介しておらず(Richardson et al 1999: 53, 59-60)、も ともとの分権的な構造のために高等教育セクターが自主的に解決できない多くの課題に議 会が介入していた(Richardson et al 1999: 58-59, 70)2。また、CPEC の前身にあたる Coordinating Council for Higher Education(以下 CCHE)の働きについて調査した

Berdahl(1971)は、CCHEも「機関の自治と州政府の大権とのいずれにも過度に侵害する

ことのない」(Berdahl 1971: 118)限定的な役割しか果たしていなかったとしている。1960 年のマスタープラン策定の際にも、UCやCSUが学外からの介入を嫌ったのみならず、州 政府高官も「『判断の』大権」(Berdahl 1971: 114)を握ったままにしたかったのであり、

同州の調整機関が「発足時に与えられた弱い予算上の役割は、偶然ではなかった」(Berdahl

1971: 114)と見られている。これらの研究は、CPECの下で整然とした調整が行われてい

たかのような印象を与える序章で見た米国以外の研究者の評価とは幾分異なり、かなり混 沌とした政治的駆け引きが常態化していたことを示唆している。

ただし、政治家や各セグメントのリーダーのような高等教育政策の関係者は、CPEC が 完璧な調整を実施することを望んでいたのではなく、むしろ自分たちが独自に影響力を行 使する余地が残る不完全な調整を許容していたと見ることができる。Richardson et al 表 1-1 2011年時点のCPECコミッショナー

出典:CPEC(2011e)の構成員一覧と、そのリンク先の略歴等に基づき作成。

区分 主な経歴または代表する組織等 備考

知事が指名 メキシカンレストラン経営者、元CSU理事としてCPECに

3人 教育関係基金副代表、元南カリフォルニア大学(私立)の政治学者 議長 高校英語教員、学区の幹部、元フリーランス記者

上院議事運営 UCのロビイストとして議会や政権と接点、元UCLAの学生部長 委員会が指名 ラティーノ向けラジオ局社長、西部地区基準協会(WASC)委員 3人 元社会保障局勤務、上院運営委員会が指名したUC理事選考委員 下院議長が指名 法律事務所パートナー、元CCC理事としてCPECに

3人 高校社会科教員、教員組合等の幹部を歴任

エンターテイメント企業上級副社長、UC出版部基金委員 学生(知事が指名) 空席

2人 空席

システム等の代表 州教育委員会代表 5人(各1人) 私立大学代表

CCC理事(代理) 代理

CSU理事(代理) 代理

UC理事(代理) 代理

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(1999)のインタビュイーの大半は CPEC の権限強化を望んでおらず、「こうした調整に 関して問題を認めながらも、より厳格な構造がもたらす制約 3よりも現状を好んでいた」

(Richardson et al 1999: 59)とされており、当時CPECの廃止を迫るような積極的な改 革論があったとする記述も見られない。

OECD(1990)に見られたように、それぞれが独自の統治委員会(理事会)を持つ機能を 異にする各セグメントをCPECの調整により緩やかに統合するという同州高等教育システ ムの特徴は、少なくとも1990年頃までは国際的に称賛されていたし、積極的な廃止論も見 られなかった。2011年のCPECの廃止は、そうした特徴を積極的に否定するような改革の ロジックがいつの間にか州内で形成されていたことをうかがわせる。同州の高等教育改革 の方向性を巡り、UCなどの高等教育機関の当事者や高等教育政策に関心を寄せる議員など は、高等教育の公的使命のどの部分を強調し、何を主張したのか。その際、各セグメントの 自律性を重んじる同州の分権的な構造を反映したCPECによる緩やかな調整は、いかなる 変化を求められたのか。

表 1-2 1990年代のマスタープランに対する主な見直し

時期 1993年 1997年 1998年 1999年 報告

書題 名

『高等教育マスタ ープランに焦点を 当てて』(草案)

『社会契約違反:

高等教育の財政危 機』

『岐路に立つカリ フォルニア:カリ フォルニア州民の 将来のための高等 教育投資』

『教育州に向け て:21世紀のカリ フォルニア高等教 育』

文献

Assembly Committee on Higher

Education

(1993)

Benjamin &

Carrol(1997)

California

Education Round Table(1998)

California Citizens Commission on Higher Education

(1999)

作成 者

州議会下院高等教 育委員会(委員長 は

Archie-Hudson議員)

RAND Corporation (1948年設立の民 間シンクタンク)

Fiscal Resources Task Force

(CERTが設置)

California Citizens Commission on Higher Education

発案

者 ―

California

Education Round Table

California

Education Round Table

Center for Governmental Studies 出典:表中の各報告書に基づき筆者作成。具体的な引用部分は本文参照。

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第 1章では、OECD(1990)の称賛直後、つまり同州高等教育が深刻な財政難に襲われ た1990年代の改革議論の展開に着目する。マスタープラン制定50周年を記念した研究プ ロジェクトであるMP@50 Project(2011)やUCOP(2009)によると、この時期に同州高 等教育の見直しを図った主要な動きとして、表 1-2の 4 つの報告書の存在が知られてい る)4。これらの改革議論を整理する作業を通じ、本章冒頭で述べたような改革論に関わる 各勢力の布陣や、2000年代以降の展開の下地がどのように形成されたのかを明らかにする。

第2節 1990年代の主要な改革提言の分析

第1項 CPECを介した「合理化によるコスト削減」の要求

第1項では、1993年に作成された一つ目の報告書の内容全般を確認するとともに、この 時期にCPECが高等教育機関に対する統制のためにいかなる役割を期待されてきたのかを、

その時点までの改革の経緯を踏まえて整理する。冷戦終結後の 1990 年代前半、「カリフォ ルニアにおける過去半世紀で最も深刻な不況」(Benjamin & Carroll 1997: 19)に陥ってい た同州は、厳しい緊縮財政を余儀なくされていた。こうした中、10 人の議員からなる下院 高等教育員会は『高等教育マスタープランに焦点を当てて』(Assembly Committee on Higher Education 1993)と題した報告書の草案を1993年4月に公表した。この報告書草 案は、議会の中でも高等教育に関心の高い議員が、高等教育セクターに対してどのような認 識を有し、何を期待していたかを示す資料と言える。

下院高等教育委員会の報告書草案は、その主張の根拠としてマスタープランを引き合い に出しつつ、主としてアクセスに関する公的使命の重要性を強調していた。報告書草案は冒 頭で「マスタープランは、州と高等教育事業者による教育機会への幅広いアクセスを提供し

[中略]知的インフラを支援するという成文化された契約を象徴していた」が「3年間続く 州の緊縮財政がオリジナルのカリフォルニア高等教育マスタープランの過去30年間の遺産 を大いに脅かしていた」(Assembly Committee on Higher Education 1993: 2)という認識 を示した。また、州財政の悪化のしわ寄せがUCやCSUに集中し、教職員の雇用が6800 人分縮小した等の窮状を要約した(Assembly Committee on Higher Education 1993: 2)。 そして終盤では、「我々は今一度未来に投資しなければなら」ず、「州に高等教育システムに 対する十分な支援を提供させるべき」であると唱え、施設整備のための州債の起債や、連邦

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