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四宮兼之先生のこと

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Academic year: 2022

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

四宮兼之先生のこと

猪城, 博之

https://doi.org/10.15017/2544322

出版情報:哲學年報. 6/7, pp.201-207, 1948-06-05. Faculty of Law and Letters of the Kyushu University

バージョン:

権利関係:

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■ ワ 1 8 F

四宮兼之先生のこと

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四富先生が急に近しく感ぜられるようになったのは︑先生がお亡くなりになってからのように思われる︒二十一

年の秋︑奥様とお嬢様が︑先生のお骨と一緒に︑滿洲から引揚げて來られて︑先生の追悼食が︑干潟先生始め九大

の諸先生方を中心に誉まれた時︑先生方の追悼談があったが.拷な四宮先生が滿洲に浩出になるの夢奉引き止めに

なったのにD先生はお蕊き入れにならなかったのだ埴とのお話であった︒兵隊から蹄つた時から︑私の胸中には

﹁何故先生は滿洲へなどお出になったのだろう﹂と︑疑問とも悲しみともつか画ものが何度も浮び上ってきたのだ

ったが︑その時もその理由ばわからなど孟典であった︒しかし諸先生方の焼香?のとで︑末席に坐って居た私にも

僥香の番が廻り︑先生の大きな御為庭の前に坐ると︑何か熱いものがこみあげて来て仕様がなかった︒それから念

に︑四宮先生が近しく感ぜられろよう怪なったのではなかろうか︒

先生に始めてお目にかかったのは︑西洋哲學史の御講義の時であった︒︑新入の私達が待っていると︑長身の先生

がゆったりと歩いて來られて︑西洋近泄哲畢史の講義なお始めになった︒﹁近世文明は十五︑六世紀に於ける文蕊復

興を以て始をろ﹂と︑序論を述べ始められるや︑私達はとの期共たる音吐に聰き惚れ︑心を奪われてしまってい

た︒その時︑﹁ルネサーンス﹂と少しアクセントが耳なれなかったせいか︑毛の發香が今でも芽に癌っている︒

とれから︑講錠︑波習と先生に親しく接していたのだが︑時流と共に大きく揺れ一﹂いた私達の心には︑何・か先生

は速くて商い所に居られるように思われて︑近寄り難かったoし︑かし︑先生の御部崖になど伺うと︑座のきつい眼

鏡の典に︑柔かい和やかな眼が常に澄んでいて︑私達は唯先生の前に居るというだけで︑何か温いものを受けて肺

ろのであった︒其常時は︑哲學専攻の躍生も小く︑液智など二︑三人のHもあったが先生はどんなに塞磐のきびし

側宮蛾之生生のこと二○三

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四密嫉之先生のこと二○四

い日でも欠がされることはなく︑痩身の先生の御身体が案ぜあれる程であった︒﹁先生椎學校の講義と淡督とに全

心な打ち込んで居ら拠る﹂と︑今は亡き佐野先生が語って居られたと︑先日竹内君が話していたが︑本術に先生の

御日粥は︑毛の譲義の内容もそうであったが︑きちんとしてい一﹂℃少しの弛みも兄受けられなかった︒しかし︑思

えば僕等は怠術な畢生であった︒淡習の時でも︑珍問慰問ばかりだったが︑箕度腫先生は大きく笑われて答えて下

さった︒今思い出しても恐縮するのだが︑夏の日のカンドの淡督に︑先生の日の前で眠りとけてし宝つ一﹄︑日が蝿

めると漣が流れていたというような僕であった︒をれでも先生は何聯も仰言らす︑怠愉な僕等を︑先生の優しい目

ば大きく受けていて下さったのであろう︒

先生の御話は︑︲講義の時でも座談の時でも︑何もかも先生の胸中で整理されてしまってい一﹂︑之かを諒觜と藏さ

れるという風であったので︑その余りの整然さに私達は荘然とするばかりであったし︑またそれが何か速く感ぜら

れたのでもあろうが︑しかしこれは今思えば大へんなことの典うに思われろ︒R常的なもの︑個人的なもの︑をう

いうものは一切抽象し一﹂しまうということは︑並大抵の努力では出来ないことであろう︒として︑をれこを一ノカデ

ミ・スムと呼ばれ得るものであろう︒喜怒哀樂を面に現さず︑優しさを内にたたえられた先生の︑あの超脱の風椛

も︑天性のしからしむる所でもあったろうが︑こういう畢問的努力修業の中から生れたのではなからうか︑と今に

して偲ばれるのである︒

先生の御學賦については︑私は語る表橘を全く持たない︒若くして丈學博士の溌號を得られたこと︑そしてそれ

はコーェンについてであったと聞いている︒私が波み得たのは︑わずかに︑古い﹁哲皐雑誌﹂に載っている先生の

.

一」

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.』

抄鐸された文

上﹁行の哲皐﹂︵大正八年十一月︑士一月銃︶.ヴィンデル書くン卜﹁歴史哲躍の課題に就いて﹂︵大正九年九月▽十

年三月銃︶︵此唾︑先生は﹁哲躍雑誌﹂の溺輯主任をして届ぢれたらしく︑其後金澤の商等學校に鱒ぜら恥たとい

う鷹嗣が城そいた︶︲l昭和十五年三月韮八哲畢年報所戦の蚕︑運命︑画ゴス11へ︲ゲもヲランクフル

ト断片﹂iIとに過ぎない︒皐校の議銭では﹁西洋近泄哲畢史﹂と﹁現代哲県史﹂演習では︑カントの﹁純粋理性

批判﹂とヘーゲルの﹁糖榊現嫁學﹂なお剛きしたが︑特にヘーゲルの渡習では︑私逵が質問すると︑力説につとめ

られ患ことが多かったし︑論文をお試みしても︑先生御自身ヘーゲルを近しく感せられていたのでは︽なかろう︑か︑

と推察されるo新カント派の時代喋窟ち︑︾一︾の後新しいドイツの哲皐を次糞に擁取されながら︑やはり古典ドイツ

へ蹄ら弧たので診つう︒漣洋先生の御話では︑ハイデッガーのもりなど淡餐に便われたと︑ま・た川中先生の御活で

は毎毛の﹁存在と時閲﹂について塘細なインデッキスを作って居られたと︑お開きしたことがある︒また川中先生

ば追憾合の席上で雇坐生鳴早に異脳の哲畢を・七のま・謎述べるのではなくて︑高山修でれらを撤取しつつ口己の哲畢

体系を作られるという稀な方であった﹂と講されていた︒■j″〃︑誰た識先生方の抑活でば︑時流のことについても自由によく議論をなさっていたとのことであったが︑私達は時・

流とR常のことについては何もお鮒きせ一弧に経った︒し・かし鯵ヘーゲルの淡智の時︑ヘーゲルが薄何の基礎もない

所に突然もっともらしいことと言い出す輯時の哲嘩を批評している箇所で︑﹁例えば・・・:︒﹂と︑餅時流行の幽策擁

語を躯げられて︑︲﹁これは﹂という風に笑われたので︑祷な大笑いLたことなど思い出される︒し︑かし︑そんなこ

囚腐雅之先生のこと二○五 I

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脚宮轆之先生のこと二○六

とはめったになく︑先生の御宅に一度お伺いした時も︑何か學問の活ばかりおききしたように思われる︒時代のせ

いもあったのであろうが︑私覗や日常のことについては何もお話しにならず︑また私達も話さなかったように思

う︒主た︑先生御自身︑自己の哲畢を語られるのを直接お閉きしたことはなかったが︑しかし今︑御講錠や論文と

誠み返しても︑きびしい整然たる理論の中から︑先生御自身の生理と情感の溶み出るのを蝿えるのである︒

十九年五刑︑満洲へお渡りになってから︑何を感じ何をお考えになったか︑奥様のお話ではも不如意のことか多

かったのではなかろうかとおし底から奴る︒その年の九月十六日︑この日はも先生の御誕生日で︑きた還勝の岡で

あったとのことであるが︑輕い脳溢血で︑御体に.大愛化が来た﹂と言いながら蹄って來られて︑をれ以来何か

と御休が不自由であったらしく︑を弧でも︑畢校の職務には厳格に御錆勵なさったとのことである︒しかしb學間

上のことでは℃いろいろのことが心中におありになったのであろう︑二十年の十二月三十日お亡くなりになるまで

﹁徒の祈畢はこれからだ﹂と口ぐせのように申されていたとのことである︒楠本先生の所へもお便りがあって︑先

生御自身の御志しを述べて居られたとお聞きしているが︑どういう為考えであったのか︑私はくわしくは知らな

い︒しかしや齢還暦を越えて︑道に志される御心の深さと若さとを思えば︑頭が下るのみである︒

先生のことをお害きしょうと筆を取ると︑先生の楚洋として大きい風格が︑山のように浮び上ってきてや香くす

べを知らず︑何度もためらわれた︒先日︑奥様が︑何だか夢のようで︑亡くなったように思われない︑と語って居

られたが︑私にも毛のように思われる○十八年十一月お別れし滋きりであるが︑何か生きて居られるようで︑日と

共に先生が偲ぱ雄て来るのである︒をして︑書物など砿んでいると︑ふと先生のHを背中に感ずるように思われる

脚宮轆之先生のこと二○六

とはめったになく︑先生の御宅に一度お伺いした時も︑何か學問の活ばかりおききしたように思われる︒時代のせ

いもあったのであろうが︑私覗や日常のことについては何もお話しにならず︑また私達も話さなかったように思

う︒主た︑先生御自身︑自己の哲畢を語られるのを直接お閉きしたことはなかったが︑しかし今︑御講錠や論文と

誠み返しても︑きびしい整然たる理論の中から︑先生御自身の生理と情感の溶み出るのを蝿えるのである︒

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U 日があって︑有難くてならない︒

求められるままに末弟子の私が杏かせていただいたが︑諸先生や諸先輩の方荏のお話を承る余裕の時剛もな又︑

このような私ひとりの感極に経ってしまったの極︑申讓なく思う︒︒

四宮錐之先生のとと 9

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参照

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