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博士学位申請論文審査要旨

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早稲田大学大学院社会科学研究科

博士学位申請論文審査要旨

申 請 学 位 名 称 博士(学術)

申 請 者 氏 名 長沼 建一郎

専攻・研究指導 政策科学論専攻 福祉関係論研究指導 論 文 題 目 介護事故の法政策と保険政策に関する研究

Study on the policy of legal and insurance system for the elder care related accident

審査委員会設置期間 自 2008年 9月25日 至 2009年 3月 3日 受理年月日 2008年 7月10日 審査終了年月日 2009年 3月 3日

審査結果 合 格

審査委員

所 属 資 格 氏 名 主任審査員 社会科学総合学術院 教授 久塚 純一

審査員 社会科学総合学術院 教授 坪郷 實 審査員 社会科学総合学術院 教授 篠田 徹 審査員 社会科学総合学術院 教授 早田 宰 審査員 東洋大学社会学部社会福祉学科 教授 秋元 美世

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博士(学術)学位申請論文審査要旨

長沼 建一郎「介護事故の法政策と保険政策に関する研究」

1. 本論文の目的と方法

本論文は、介護事故の裁判事例を中心として、介護事故をめぐる法的紛争の構造を分析 するとともに、現行の法制度と保険制度による対応の現状と課題を検討し、それらを踏ま えて、今後の在り方について法政策および保険政策の観点から研究したものである。

介護サービスの提供プロセスにおいては、重大な人身損害を伴う事故が発生することが あり、これらを防ぐため、また収拾するために現場で努力が払われているが、それらが法 的紛争となり、裁判として法廷で争われることもある。数は限られているが、介護事故に 関して裁判が提起され、判決が出ていることから、それらの個別事案の分析や評価を行う とともに、裁判にならない多数の事案をも視野に入れて、より幅広い政策的な視点から、

とくに法制度と保険制度における介護事故への対応のあり方を明らかにすることが、この 研究の目的である。

介護サービスの提供をめぐる紛争は、人身損害に限られるものではなく、財産的な損害 や人格権的な利益に関係するものなど、さまざまな法的問題があるが本論文が介護事故に テーマを絞る理由は、そこで侵害される利益が重大であることによるされ、介護サービス の提供に際しての安全性の確保が本論分において重視すべき価値として位置づけられてい る。介護サービスの提供においては、安全性の確保だけが重視すべき価値ではなく、自立 支援や自己決定権の尊重、権利擁護等々、幅広い要請に応える必要があることはもちろん であるが、安全性が確保されず、介護サービスの利用者の生命や身体に重大な損害が生じ ることになれば、それは利用者にとっては自立や自己決定等以前のもっとも基本的な利益 が損なわれることになるとして、介護事故にテーマを絞っている。

人身損害が発生して、介護サービスの利用者側が介護サービスを提供する事業者側の法 的責任を追及する場合には、原状回復請求や完全履行請求を求めることもあり得なくはな いが、通常は金銭的な損害賠償を請求する。これについて、本論文では個別事例の紛争解 決にとどまらず、介護事故全体を見据えた政策的視点から考察している。

またこのように政策的視点から検討する際には、不法行為法全般と同様に、損失分散 という観点から、民間の賠償責任保険を代表とする保険スキームとの関係を欠かすことが

できないことから、検討対象としての介護事故は、法政策と、保険政策とが交錯するテー マであるとしている。

使用される「法政策」という用語については、法解釈論が行うような、現行法規の適用 を前提とした個別の事案に対する法的分析・評価を通じた規範的な問題解決にとどまらず、

法的な視角から政策や制度の「望ましさ」を評価・分析することで、政策の選択や制度の 設計による問題解決を目指すという趣旨で題目に挙げたとしている。そのことは、個別の 法的紛争をとらえる延長線上において、法的な視角から「望ましい」制度設計を議論する ために、微視的な法解釈論と、経済学をはじめとする巨視的な理論構築との統合を目指す、

いわゆる法政策学的な発想に依拠するものでもある、としている。

また介護事故の検討に当たっては、それによって生じた損害をカバーする保険スキーム との関係を欠かすことができないが、その際には現行の保険商品だけを前提に議諭するの ではなく、あるべき保険商品のあり方まで視野に入れて検討を行うことから、本論文の題

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目においてもその点を明示するため、学術用語として用いられることは少ないものの、「保 険政策」という語を用いている、とされる。

2. 本論文の構成

本論文の構成は以下のとおりである。

目次

第1章 研究対象としての介護事故 第1節 本論文のテーマと目的

第2節 介護事故の典型的事例と問題の所在 第3節 本論文の意義

第4節 介護事故にかかる概念規定 第5節 本論文の視座

第6節 本論文の構成

第2章 介護事故に関する調査・統計・先行研究の概観 第1節 はじめに ―― 問題の所在と本章の構成 第2節 介護事故に関する事例調査

第3節 介護事故に関する統計数値 第4節 介護事故に関する先行研究の検討 第3章 介護事故の法制度的位相

第1節 はじめに ―― 問題の所在と本章の構成

第2節 介護事故の法的紛争としての独自性と法的評価の困難性 第3節 介護事故の法制度的位相

第4節 安全性と価格 第5節 注意義務の構造再考 第6節 まとめに代えて・

第4章 介護事故の概念規定と裁判例の収集 第1節 はじめに ―― 問題の所在と本章の構成 第2節 介護事故の概念規定

第3節 介護事故裁判例の収集 第4節 隣接領域の事故との関係

第5節 2000年以前の裁判例における介護事故に類似する事案の位置づけ 第5章 介護事故裁判例の概括的検討

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―― 裁判事案と判決の全般的傾向 ――

第1節 はじめに ―― 問題の所在と本章の構成 第2節 介護事故の裁判例

第3節 裁判事案の全般的な傾向 第4節 判決の全般的な傾向 第5節 まとめに代えて

第6章 介護事故裁判例の横断的分析

第1節 はじめに ―― 問題の所在と本章の構成 第2節 事案類型ごとの事故の発生構造

第3節 誤嚥事案の検討 第4節 転倒事案の検討

第5節 その他の不測の事故事案の検討

第6節 総合的分析の試み(1)―― 当事者に即した分析 第7節 総合的分析の試み(2)―― 事案類型による比較 第8節 総合的分析の試み(3)―― 体系的な位置づけの試み 第9節 まとめに代えて

〔参考裁判例〕

第7章 介護事故の金銭的賠償と賠償責任保険

第1節 はじめに ―― 問題の所在と本章の構成

第2節 賠償責任保険の意義と普及動向 第3節 介護事業者向け保険商品の概要

第4節 賠償責任保険が裁判所の法的判断に及ぼす影響 第5節 賠償責任保険が事業者の行動に及ぼす影響 第6節 強制加入にかかる論点

第7節 まとめに代えて

第8章 介護事故による人身損害と保険政策

――賠償責任保険と定額保険スキームによる対応――

第1節 はじめに ―― 問題の所在と本章の構成 第2節 介護事故の性格と保険スキームによる対応

第3節 現行の賠償責任保険による対応

第4節 オルタナティブの検討(1)――無過失補償スキームによる対応 第5節 オルタナティブの検討(2)――定額保険スキームによる対応 第6節 オルタナティブの検討(3)――賠償責任保険と定額保険スキーム の組み合わせによる対応

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第7節 保険スキームの組み換えと潜的評価および実務との接合

第8節 まとめに代えて ――介護サービス契約および介護保険との関係 第9章 介護サービス契約の法的構造と介護サービスの安全性

―― 社会保険スキームとの関係を中心に ――

第1節 はじめに ―― 問題の所在と本章の構成

第2節 保険対象となる介護サービス契約とそれ以外との比較 第3節 介護サービス契約の法的構造からの把握

第4節 社会保険スキームの役割と安全性の位置づけ 第5節 介護事故における法的責任との関係

第6節 まとめに代えて 第10章 総括と展望

第1節 本論文の概要 第2節 結論的考察 第3節 今後の課題 参考文献

3. 各章の概要

本論文の各章の概要は以下の通りである。

第1章では、本論文の目的・視座・構成が述べられる。

この論文の目的については、これまでの裁判事例を中心に、介護事故をめぐる法的紛争 の構造を分析するとともに、法制度と保険制度による対応の現状と課題を検討し、それら を踏まえて今後の対応のあり方を明らかにすることであるとされる。

研究の視座として設定されたものは、以下の三つである。第一番目にあげられたものは、

介護事故の法的検討においては裁判事例が検討の中心となるが、それらの裁判事例に特化 した個別の検討よりは、むしろ介護事故全体を視野に入れた検討を試みるというものであ る。第二番目にあげられたのは、介護事故を一回限りの事故に対する事後的な利用者救済 についての法解釈的検討にとどまらず、繰り返し発生する集合的な事象としてとらえ、事 前の対応に向けた政策的な検討を行うというものである。そして、第三番目には、法律学 による法規範的な検討だけでなく、保険を中心としたリスク移転の手法を考察対象に入れ て、保険政策的な検討をあわせた制度的な分析を行うことがあげられている。

論者によれば、以上の研究の視座に立った場合、まずなされるべきことは、介護事故に 関して、裁判例として浮上してくるものに限定せずに、それら以外を含めた介護事故全体 を意識しつつ、その事故としての独自性を把握し、介護事故が発生する背景にある法関係 や制度関係について分析することであるとされ、それを受けて、次には、これまでの介護 事故の裁判例について、それらを法解釈論的な視点から事後的・個別的に評釈するのでは なく、今後の政策的・制度的対応につなげるために、概括的に、また横断的に検討し、司 法判断の構造を把握することがなされるべきであるとしている。さらに、これらを踏まえ

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て、紛争解決に実際的な役割を果たしている保険スキームの現状と問題点を把握するとと もに、これに代わる政策選択肢を検討することで、介護事故に対する保険スキームによる 損害のカバーの適切なあり方を明らかにすることがなされるべきであり、加えてこれらの 対応方向を、介護サービスの提供にかかる契約や社会保険の枠組みのなかに適切に位置づ けることがなされるべきである、とする。

以上の基本的枠組みを踏まえ、第2章から第10章までによって具体的な考察がなされ ている。第2章以下の各章は以下の通りである。

まず第2章では、介護事故に関連する事例調査と統計数値の把握および先行研究の検討 がなされる。それによれば、介護事故は、介護職員等の積極的な介護行為に直接起因して というよりは、むしろ高齢者の日常生活場面で多く発生しており、そのなかで裁判にまで 至るのは少数であるが、介護事故自体は日常的といえる規模で発生していることが推測さ れる、とする。

先行研究の状況については、介護事故の裁判例への法解釈論的観点からの評釈や、現場 のリスクマネジメントの観点からの研究等が多数行われているといえるものの、介護事故 を全体としてとらえて、政策的な観点から検討したものは乏しい状況にあることを指摘し ている。このような研究の状況を踏まえて、論者は、介護事故が1つの現実として、複雑 な法関係・制度関係の中で生起するものである以上、法政策的観点および保険政策的観点 による学際的アプローチを介して、介護事故全体に対する政策的な対応方向を明らかにし ていく必要があるとして、そのためには、まず裁判例として浮上してくるものだけではな く、より大きな規模で日常的に発生している介護事故全体を対象として、その事故として の独自性を把握し、それらが発生する背景にある法関係や精度関係を分析する必要がある、

としている。

第3章では、介護事故の法制度的位相について検討している。

介護事故が法的紛争となる場面を見るならば、①介護サービスの利用者側においては、

その要保護性と市民的な主体性とが交錯したものとしてあり、②また、サービスを提供す る事業者側においては、その準専門的性格とあわせて、人員や設備が制約されたなかで高 齢者の生活の場を提供するという性格を兼ね備えたものとしてあり、③さらに、両者をつ なぐ介護関係については、作為と不作為とを包含した性格を有していることが指摘できる として、これらの独自性が、事故が起きた際の法的評価の困難性をもたらしており、これ を受けて今日的には被害者保護の観点から、事業者側の過失の成立範囲が拡大しつつある 状況にある、とする。

具体的には、当事者間には契約が先行していること、事故の損害が賠償責任保険により カバーされていること、サービスが介護保険の対象となっていることというように、この 介護事故は、複雑な法関係や制度関係の中で発生していることから、近時の裁判例におけ る事業者側の過失が成立する範囲の拡大傾向を、①介護サービス提供者の「準専門性」に 根ざす部分と、②介護サービスにおける「場」の提供に根ざす部分の2つの要因により把 握できる、とする。

さらに論者は、介護サービスの安全性の水準が、そのために投入したコストとの関係で 段階的に実現されることから、介護事故の実効的な防止を図るためには、安全性を確保す るためのコストを政策的に投入する必要があると同時に、上記の2つの責任の拡大要因と 整合性を取った形で介護事故への事後的な法的評価を行う必要がある、としている。

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これらを受けて、本論文の主たる検討対象たる介護事故の裁判例について、それを法解 釈的な視点から事後的・個別的に評釈するのではなく、今後の政策的・制度的対応につな げるために、概括的に、また横断的に検討し、司法判断の構造把握を試みる。

第4章では、裁判例の検討に先立って、介護事故の概念規定を行っている。本論文にお いて、検討対象とする介護事故の裁判例の概念規定としては、介護サービスの提供プロセ スにおいて発生した事故であって、要介護高齢者に人身損害が発生したこと、また介護サ ービスの事業者ないしは従事者が法的責任を問われていることを挙げ、2000年以降の裁判 例として、12 件の事案(判決としては 14)を抽出している。2000年以降というのは、介 護保険制度が創設された時期以降ということになるが、その時期は、これと歩調を合わせ る形で介護をめぐる法主体および法関係が社会的に形成された時期であり、さらに、それ を受けた独自の法的紛争として、介護事故が裁判で争われるようになった時期でもある。

これらを受けて、第5章・第6章では、本論文の主たる検討対象たる介護事故の裁判例 について、法解釈的な視点から事後的・個別的に評釈するのではなく、今後の政策的・制 度的対応につなげる意図のもとに、概括的に、また横断的に検討し、司法判断の構造の把 握を試みている。

まず第5章では裁判の概括的な検討を行っている。

12件の事案(判決としては14)は、その分析と「事故の種類」と「損害の種類」との組 み合わせからみるならば、「転倒による骨折事案」と「誤嚥およびその他の不測の事故に よる死亡事案」に大別でき、判決については、その多くで利用者側の請求が認められてい るものの、賠償額は請求に対して大幅に削られ、また交通事故等での死亡事案に比べて低 く抑えられる傾向がある、としている。

続いて第6章では、個々の判決の論理構成に即した分析を行い、これを踏まえて当事者 および事故の事案類型に応じた横断的な考察を行うことで、以下の点を把握している。

まず、事業者側の法的責任については、裁判例では骨折や死亡という重大な結果を受け て、さかのぼって「適切な対応をとっていれば、事故の発生を防止できたはずだ」という 形で行為規範を導き出し、その行為規範に従った介護をしなかったという不作為による注 意義務違反を認定して、事業者側に賠償責任を命じるという傾向がみられる、とする。と くに転倒事案では、事業者側に必ずしも不作為の内容を特定せずに、「事故が発生しない ような介護」をしなかったことの責任を問うており、それにより結果責任を問うことに接 近した形で、事業者側の過失が成立する範囲を拡大させていることを指摘し、しかし、他 方では、利用者側の事故発生にかかる主体性に着目した過失相殺やその他の法的構成を通 じて、賠償額が低く調整されている、と指摘する。誤嚥事案と比較するなら、日常生活場 面での偶発的な事故という性格が強い転倒事案において、上記の点が顕著にあらわれてお り、低い水準での賠償を前提に、事業者側の過失が成立する範囲が拡大しているとみるこ ともできる、としている。

これらのことが微細な事実認定をもとに行われるが、事案の法的評価を事業者側の「過 失あり」か「過失なし」かという択一的な枠組みに当てはめなければならないという法的 判断の困難性に対処するためには、民間保険商品を含めた法政策的・制度的な分析を踏ま えた対応の検討が必要であるとする。

以上の裁判事例の分析を踏まえて、第7章・第8章・第9章において、紛争解決に実際 的な役割を果たしている民間保険商品による損害のカバーに関して、保険政策的な観点か

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らその適切なあり方を明らかにするため、現在の賠償責任保険商品の内容と問題点を把握 しながら、これに代わる政策的選択肢を模索、検討し、さらに、これらの政策的選択肢を、

サービスの安全性確保の観点から、介護サービスの提供にかかる契約や社会保険の枠組み のなかに適切に位置づけることを試みている。

まず第7章では、介護事業者向けの賠償責任保険の内容を検討している。

介護事故の金銭的賠償に際して、実際的に重要な役割を果たしているものが介護事業者 向けの賠償責任保険である。この保険商品により、介護事故に際して、事業者側の賠償資 力を確保して、被害者救済を図ることが出来る一方で、モラルハザードの問題を惹起する 点とあわせて、事業者側の過失の成立が保険金支払の要件となる点が、商品的な限界とし て、被害者救済の観点から課題となって残っていることが指摘される。

第8章では、介護事故によって発生した損害について、保険スキームによるカバーのあ り方につき、現行の賠償責任保険以外の政策選択肢による対応を含めた総合的検討がなさ れている。

現行の賠償責任保険の問題点を踏まえ、他の事故領域等とも比較し、また無過失補償制 度との得失も勘案しつつ検討した結果、今後のひとつの方向性として、賠償責任保険と定 額保険スキームとを適切に組み合わせることが考えられるとし、無過失と認定された場合 にも一定の被害者救済を行いつつ、事業者側の賠償資力を確保するとともに、事業者自身 の追加的な財政支出による賠償部分も残すことで矯正的正義の観点も維持し、モラルハザ ードにも対抗して事業者側の事故防止努力を促すような具体的な制度設計が示されてい る。そしてこれら保険スキームに拠出する保険料相当額は、介護保険制度のなかで、介護 報酬の算定要素に組み込むことが考えられるとしている。

さらに、これらの制度設計と法的責任の整合性を取るため、介護事故に際しての事業者 側の法的責任を、「明らかな過失」かどうかという基準で評価することを模索する。すな わち、「明らかな過失」を伴う事故においては、事業者側の固有の追加的な財政支出を伴 う法的責任を追及する一方、そうではない事故については、定額保険スキームからの保険 給付により一定の被害者救済だけを図るという対応について考察する。前者は、事業者と しての職業的な責務に由来する重い責任を問うべき事故に対応するものであり、また後者 は、介護サービスの「場」の提供に伴う不可避性の強い事故に対応するものである。これ までの介護事故の裁判例においては、とくに転倒事案を中心として、事業者側の過失の成 立範囲を拡大し、低い水準での賠償を認めているケースが多く、これらは後者の対応に適 する事案といえる、としている。

これらを受けて第9章では、介護サービス契約の法的構造について、社会保険との関係 を中心に検討している。ここでは介護サービス契約の法的構造につき、中心的部分・周辺 的部分・中間的部分の3つに分けて分析し、とくに社会保険の対象となる場合とそれ以外 との場合で、差が生じる部分につき分析している。介護事故との関係では、サービスの安 全性についても契約内容、とりわけその中間的部分にひきつけて位置づけることで、当事 者間の合意や約款規制とは異なる角度から、社会的要請を契約内容に反映させることが可 能であるとし、介護保険の定める介護報酬の水準設定を通じて、価格面から介護サービス の安全性をコントロールすることができるとする。

社会保険という仕組みは、給付水準の一律性にひとつの特徴があるが、それを給付水準 以外にまで及ぼすことによって、給付するサービスの安全性を政策的にコントロールする

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可能性をもった枠組みとすることができるものととらえ、サービスの安全性の水準は、事 故防止のためにかけたコストの関数であることから、介護保険の対象となるサービスの価 格の一律性を活用して、その安全性をコントロールすることが可能であるとする。そして、

そのためには、この事前に政策的に確保すべき安全性の水準を、前述したような「明らか な過失」であるかどうかを軸とした法的基準の組み換えによって、介護事故の事後的救済 における法的評価に反映させることが必要となるが、介護事故における被害者救済等の事 後的な適切な対応と、今後の介護事故の実効的な防止に向けた取り組みを両立させるため には、このような介護保険制度の社会保険としての特性を積極的に活かした法政策を展開 していくべきであることが指摘される。

第10章では、本論文についての総括を行い、結論的考察をなし、この研究が有する今 後の広がりの可能性が展望される。

まずなされているのは、第1章から第9章までの分析・検討を踏まえることによって、

①研究テーマとして設定した介護事故のとらえ方、②その介護事故への対応方向、という 2つの点についての結論的論考である。

第1番目に挙げられた介護事故のとらえ方については、以下の通りである。

まず、介護事故が発生する際の当事者となる、①介護サービスの利用者と、②介護サー ビスを提供する事業者、そして、③両者をつなぐ介護関係という3つの要素は、それぞれ が複合的な性格を兼ね備えているものであることが述べられる。具体的には、第一の介護 サービスの利用者は、その要介護高齢者としての要保護性と市民的な主体性をあわせ持つ 存在であり、第二の介護サービスの提供する事業者は、一定の専門性を有する一方で、限 られた人員・体制で高齢者の生活の場を提供・管理するという側面も有する存在であり、

また第三の介護サービスをめぐる当事者間の関係性は、作為と不作為とを包含した相互的

・包括的なものだということができるとして、これらのことから、このような当事者間に おいて、そしてこのような関係性のもとで発生する介護事故については、述べたような諸 要素やその多様な側面が錯綜した性格を持たざるを得ないとしている。

この点は、司法判断や、当事者、またそれ以外の論者の介護事故に対する見方に大きく かかわるものである。すなわち介護事故が発生した際に、これらの諸要素のうちで、利用 者の要保護性や、事業者側の専門性が大きく位置づけられると、介護事故は、誤診や手術 ミスというような典型的な医療事故に類似した、非対称的な関係におけるサービス提供中 の過誤の枠組みに近い形でとらえられることになる。その逆に、利用者側の市民としての 主体性や、事業者側の高齢者に対して生活の場を提供するという側面が大きく位置づけら れると、介護事故は、むしろ市民同士の紛争や、日常生活における不慮の事故に近い形で とらえられることとなる。さらに事業者側が、家族に代わって「高齢者とともに過ごす」

存在として位置づけられるとすれば、利用者側からしても、事業者側の法的責任を厳しく 問う契機は薄れ、そもそも法的紛争とならないことも考えられる、としている。

しかしそのなかで2000年以降、介護事故の裁判例が急速にあらわれてきている点には注 目すべきであるとして、これらの現象は2000年の公的介護保険制度の成立と歩調を合わせ る形で、上記のような介護をめぐる法主体および法関係が社会的に形成されたことを受け て、そのなかでの端的な法的紛争形態としてあらわれたものといえる、としている。

ただし各事案において、実際にはこれらの介護事故をめぐる諸要素・諸局面は交錯して おり、それらのことが、法的紛争に際して、事業者側の法的責任を「過失あり」、「過失

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なし」という択一的な形で評価することを困難にしており、結果として、同一の事案に対 しても、異なる事実認定がなされたり、異なる法規範的評価がなされる素地を形勢してい るとする。そのなかで裁判例の動向としては、損害の発生を受けて、幅広く事業者側の責 任を問う方向に傾いていることが指摘される。

法的な観点からすれば、介護事故は、市民法と社会法の双方の考え方が交錯する領域で あり、介護サービスの提供が「措置から契約へ」と移行したとしても、介護事故やその背 景にある介護関係が、市民間の法関係として完結的に論じられる領域に移行したわけでは ないとして、これらの複合的・多層的な性格を正面から認めることがかえって、研究対象 としての介護事故の全体像を把握することを可能とするものと考えられるとしている。こ れらの点を踏まえて介護事故の裁判例を見ることによって、交録する諸要素のいずれを高 く評価するのかということが、司法による法的評価に影響を及ぼしているということを明 確にとらえることができ、諸要素の交錯が、事業者側の過失の有無だけではなく、司法の 命じた賠償水準にも反映していることを把握することができるとする。

そして、このような点から、介護事故が独立的な研究対象として存立することを確認で きるとともに、これらの介護事故の複合的・多層的な性格を把握することが、介護事故に 対する今後の考察に不可欠なものであると考えることができる、としている。

第2番目の介護事故への対応方向については、以下のとおりである。

述べてきたような存在構造である介護事故に対して、事前の実効的な防止を図るととも に、事後の適切な救済を図る方策についての検討を行った結果、そこでは上述したような、

介護事故の複合的・多層的な性格を踏まえた対応を行うことが重要であると指摘する。

具体的には、①介護事故というものの片方の極には、一定の専門性を有する事業者側が、

要保護性を有する利用者に対して専門的なサービスを提供する際に生じた事故という局面 があり、②その対極には、事業者側が提供した生活の場において、高齢者が日常生活を送 るなかで生じた事故という局面があり、前者においては、事故防止努力を尽くすことで相 対的には防止可能な面が認められるのに対して、後者においては、いかに事故防止コスト を投入しても、不可避的に発生する面が認められるとする。

たとえば、具体的な事案をみれば、転倒事案では、後者の不可避的に発生する側面が強 いものであったが、転倒事案のなかには身体の支え方や誘導の仕方など、専門的な技術が 足りないために発生する事故もあり得るし、誤嚥事案では、誤嚥自体は不可避的に発生す るという面が強いものの、その発生後には、専門的な技術を駆使して損害が拡大しないよ うな努力が事業者側に求められるように、この両者の局面のいずれが中心的な位置を占め るか自体が重要な争点となることから、介護事故の複合的・多層的な性格を分析的に把握 することで、このいずれが各事案において中心的な争点となっているかの見極めと、その 法的評価が可能になるとする。

これらを受けて、前者の領域の事故類型については、事故防止費用を投入することで、

事故や損害の発生を極力防止するとともに、事後的な救済に際しては法的正義の契機を重 視して事業者側の法的責任を明確にして、あわせて確実な被害者救済を図るべきであり、

後者の領域での事故類型については、不可避的な事故の効率的な損失分散を一義的に考え て、保険スキームを通じた対応を中心に据えるべきであるとして、介護事故に対する法的 評価を踏まえて、事前に法的な解決方策と保険的な解決方策とを組み合わせていくことが 必要である、としている。

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さらに、介護サービスが介護保険制度のもとで中心的に提供されている現状からすれば、

そのような仕組みづくりは介護保険制度との関係を踏まえて構築していくべきであるとし て、事前の制度的な対応として、介護保険の社会保険としての枠組み、すなわち、社会保 険のもとでのサービスの価格の一律性を活用することによって、介護サービスの安全性を コントロールしていくことが可能であり、また実効的であろうとしている。

このように介護事故に対しては、研究方法としても、法学的アプローチと保険論的アプ ローチの双方の必要性が確認できるとともに、今後、介護事故全体への対応策を構築する 際には、法政策的対応と保険政策的対応の奴方を適切に組み合わせていくことが不可欠で あるとする。

本格的な高齢社会の進展により出現した法主体としての高齢者の像、法関係としての介 護関係をめぐる法的紛争が、介護事故をめぐる諸問題を形成しているものだといえるが、

このようなサービスの安全性の確保のあり方や生活面でのリスクへの対処のあり方が問題 となり、その把握の仕方や対応方向を明らかにする必要性を共通したものとして抱える領 域は、介護事故以外にも存在するものと考えられるとして、本格的な高齢社会および現代 的なリスク社会の到来によって形成された法主体や法関係をめぐる諸問題に対して、同様 の観点からアプローチする意義や必要性について述べられている。

安全性やリスクの問題は、いうまでもなく今日、社会のあらゆる領域で関心を集めてい る。だからといって、これらの事柄が注目される以前において、人間は十分に安全を享受 していたというわけではないが、問題は近代化の進展の中で、人間自身が生み出したリス クが再帰的に社会に散逸し、予測不能な形で社会を覆っている点にある。これはいわゆる リスク社会の到来として指摘される現象であるが、そこでは原因を特定してそれを除去す るという従来の安全性を追求する手法が必ずしも有効に機能しないことから、安全性の確 保のあり方を再検討することが求められているとして、そのような問題のなかには、本論 文と同様の形で現状と課題を把握し、それを踏まえた対応方向を明らかにすることが可能 な領域があるものと考えられるとしている。

当該行為主体に過失はあったのか、なかったのか、あるいは当該サービスは安全といえ るのか、いえないのか等々の二分法への当てはめによる介護事故に対する一義的な法的評 価が困難になっていること、さらには、法的な賠償責任の履行と密接な関係にある、介護 事故による損害をカバーするための保険スキームについても、その伝統的な過失概念を前 提とした賠償責任保険商品だけでは適切な対応が困難になっていることから、論者は、安 全性のいわば対極の位置にある事故の法的評価において、具体的には介護事故に対する法 の適用に際して、従来の過失や注意義務等の概念が必ずしも有効ではなくなっていること を指摘している。

これは、かつて基本的には家族によって担われてきた介護という領域に、社会的サポー トを重ね合わせたことにより新たに生じた問題であり、高齢社会および社会保障制度の進 展が新たに生み出したリスクにかかわるものであることから、既存の法的構成や法的概念 をそのまま適用するだけでは、介護事故についての法的評価は適切になしうるものではな いということが浮き彫りになってきたと考えられる、としている。そして、法的紛争にお いて、たとえば過失があったかどうかの判断について、あらゆる領域で何らかの限界事例 が存在することになるが、本論文で強調してきたのは、介護事故についてもこのような意 味での限界事例があるということではなく、むしろ介護事故は全体として、既存の法的概

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念や法的構成によっては評価が類型的に困難な領域であり、ひるがえってそのような法的 構成や法的概念自体の有効性の見直しを迫るものではないかということであるとしてい る。

本論文では介護事故に対象を限定して、介護サービスが介護保険制度の対象となってい ることを手がかりとして、法的対応の「組み換え」を目指してきたが、このことは、介護 事故ときわめて近接した状況の中で発生するものと考えられる医療管理事例や看護関係の 事故には、対応の必要がないとするものではないとし、さらに、論文を通じて述べてきた ことが、介護事故に特権的な位置を与えようとするものではないということについても付 言する。

すなわち、社会保障制度のもとで提供されるサービスや給付の安全性をいかに確保して いくべきかについては、介護サービスに限らず、今後正面から検討されるべき課題として あり、介護サービス以外の多くの福祉・医療サービスにも安全性の問題が随伴し、サービ スの高度化や複雑化のなかで、安全か、安全ではないかという二分法に当てはめることが 困難になっているなかでは、本論文の内容はそれらを別の角度から見直す契機を含むもの であろうとしている。その意味で、介護事故は検討の先兵ないしは突破口となりうるもの であり、本論分で断片的に言及した介護事故と医療過誤との比較についても、正面から比 較検討することで、医療過誤への政策的検討を深めていくことが可能となるとしている。

論者は、さらに視野を広げ、社会保障ないし社会保険の制度自体にも目を向ける必要性 があることについて触れている。すなわち、前述したような現代的なリスク社会の到来に 直面して、従来の伝統的な社会保険の枠組み自体が揺らいでいるとする。社会保険が制度 的に対応するリスクとは計測可能な不確実性を備えたものとされてきたが、現代社会にお ける状況は、その前提自体を揺るがしており、何が計測可能なリスクで、何がそうでない のか、あるいはどこまで計測可能なリスクであれば保険スキームに適合させうるか、さら にそのリスクが実現したかどうかの判定の基準、主体や方法等について、事態は自明では なくなっており、個々の領域ごとでの再検討が必要となっているとする。

介護問題に即していえば、たとえば要介護状態とは何か、自立状態との境界はどこにあ るのか、あるいは家事援助サービスについて議論されるようにどこまでが要介護者本人に 対する介護サービスといえるのか、それをいつ誰が判定するのか等々について、介護保険 制度の運営のなかで議論が噴出しており、これらのことが論点となるのは、突き詰めれば 介護という事柄の性格に由来するものともいえ、具体的には本論文で扱ってきたような、

要保護性と市民的な主体性とが交錯する介護サービスの利用者側、また準専門性と職務制 約要因が関与するサービス提供者側、さらに作為と不作為とを包含した性格を有する介護 関係によりもたらされたものといえるとしている。そのようなことから、国によっても介 護問題への対応のあり方は異なり、現実的な問題に迫られて、各国での制度的・政策的対 応が先行しているというべきかもしれないとする。

そして、より一般的に言えば、それぞれの社会保険において、さらにいえば社会保障全 体において、備えるべきリスクや、提供すべきサービスなど、その対応のあり方全般を、

本格的な高齢社会および現代的なリスク社会の到来を踏まえて見直す必要があるのではな いかとして、たとえば年金制度については、その中心的な位置を占める老齢年金は、老齢 リスクへの対応といわれるものの、その老齢リスクとは何かは自明ではないことを採り上 げ、平均寿命が延びて、稼働期間も長くなり、「元気な高齢者」も多いことをふまえると、

(13)

誰に、いかなる形で年金を支払うべきか自体が再検討を要するものとなっていること、ま た、医療保険については対象とする傷病リスクとは何か、さらに雇用保険が対象とする失 業リスクとは何か、あわせて他にいかなるリスクがあるのか等々についても改めて見直す 必要が高まっていると考えられる。

そのような社会保険ないし社会保障を覆っている事態の全体像を分析し、本論文の考察 内容を踏まえて、これらの変化に向けた有効な対応策の組み替えを模索していくことを、

今後の大きな課題としたい、として論文を締めくくっている。

4. 質疑応答の概要

2008年12月20日に行われた公聴会における質疑応答の概要は以下の通りである。

(1)[医療事故と対比するなどした場合にみられる、介護事故の法的特質についての補足的説 明]

サービスをめぐる構成要素をみた場合、介護事故とは、医療サービス提供における従前 言われた専門性とは異なる、ある意味では家族でもできることについてのサービスを提供 している過程での事故であること、さらに、利用者についても、純然たる患者とは異なり、

通常の市民的生活をしている側面と要介護状態という複合的な性格を併せ持ったものとな っていることを強調しようとしたつもりである。その意味で、典型的な手術ミスというよ うなものと比較するとその独自性が浮かび上がってくると考えるが、もちろん、医療事故 とされる場合にも中間的な性格を持ったものがあることは了解している。

(2)[事故にあった側から見た場合にみられる、特に「損害(額)」についての独自性について]

論文でも述べているが、損害額についていうなら、個々の事例をベースとして横断的に 検討することは行っていない。しかし、個々の事例をみた場合に言えることは、医療事故 のような形での定まったものがない、という特質は指摘できよう。とはいえ、被害者が要 介護状態にあり、サービスの提供を受けており、そのようなサービスを受ける人々が将来 も多く存在するであろうことを考えれば、介護事故について、事業者にたいしては将来の あり方について方向付けをし、被害者側にもある程度の金銭的給付が可能なものとして考 えて、不可避的な事故と明らかな過失とを分けつつ、思い切った対応ができる質を備えて いる出来事と考えている。

(3)[介護を受ける側が持っている質的な側面について、市民関係としての側面と介護を受け ている側面とに分けて考えることについて]

狭義の介護の処遇における場合の出来事と日常生活の延長のように見える場合の出来事 であるが、ひとつは、後者のほうが法的な紛争になっているということをいいたかった。

たしかに、施設の敷地内と外のとの境界における出来事は、日常生活のよう見える場合と して施設の側の責任ではないという論も可能であるし、施設の側の責任であるという論も 可能である。ただ、どちらの場合の論も成り立つというなかで、社会保険のもとでは、制 度・政策の問題として介護報酬を決めるなどして、敷地内ということであれば、施設側の 責任として考えることはできるのではないか。

(4)[他の社会保険と比べた場合にみられる介護保険の独自性について]

19世紀的な社会保険とは異なり、介護保険は曖昧な部分が正面から出てきているという 特徴を持っている。要介護ということがリスクであるかどうかについても議論があった。

税方式が良いのか保険方式がよいのかは、どちらが正しいというような問題ではないもの

(14)

の、そのような中で、もし、保険方式で実施するとした場合に、リスクをどのようなもの としてみるのかということや、あるいは、敷地の際で生じた場合はどうなのか、というよ うなことについて、制度的にクリアにしていくことが求められると考えている。

そのような、従来の社会保険を構成していた諸要素と比較した場合、その曖昧さを本質 的なものとして含んでいる要介護ということについて対応するという独自性を有している と考える。

(5)[医療事故と比べた場合に見られる損害賠償額について]

医療事故であっても、終末期医療などは介護保険と似ている部分があると考えられる。

すなわち、介護事故については、明らかな専門的ミスとはいえなくても「何かできたので はないか」というような形で考えて、しかも、高齢者なので遺失利益が高くないものとし て扱われることが多かったと考える。

(6)[今後の比較研究ということを念頭に置いた場合、介護に関して、日本では社会保険で対 応していることについて]

諸外国を見ると、いろいろな方法で実施されているが、サービス提供者と利用者との間 を契約関係というのは日本独自であろう。そのようななかで、もっぱら供給主体への規制 として語られてきたが、そうはいっても、税も入っている社会保険であるので、その仕組 みの中で、介護報酬を上げたり下げたりするだけで、安全性の水準は違ってきているわけ であるから、その部分を活用すべきだということを言ったつもりである。その意味では、

日本のように社会保険のもとで介護サービスを提供して、それを契約関係で結んで、その 費用を介護報酬でというような方法をとっているが、安全性を確保するためにも、そこに 新たな可能性があるのではないかと考えている。

(7)[リスク管理、安全管理ということについて、「専門家はどこまでできればいいのか」と いうようなことを考えるにあたっての一般的な考え方について]

「マニュアル」があふれていて、このようになすべきだというようなことが書かれてい る。事故をとことん減らすというのであれば、「モチ」や「こんにゃくゼリー」もだめで

「流動食」ということになってしまう。また、「部屋から出さずに縛り付けておく」とい うことになる。この論文では、介護報酬が決まっている、すなわち、人手が決まっている 中で、人手を増やしたり時間を掛ければ何とかなるとしても、それは、日本の社会保険の 制度でこれだけしか費用がかけられないとなっていることから、増やせば何とかなったか もしれないが、そこは明らかな過失というべきではないというように考えている。限定的 な人と費用と時間という中で最善を尽くすということをひとつのメルクマールと考えてい る。

(8)[論文を書いた後に出された判決と論文を書いた後に公刊された研究について]

誤嚥についても転倒についても出ている。又、新たな類型として、ベッドからの転落に 関するものも出ている。医療過誤とのタイアップかもしれないが、額が高いものもでてき ているが、この論文の内容に大きな影響があるものはない。もちろん、研究論文は出てい るが、以前に発表されたものを大きく変えるような状況ではない。

主要なものは以上であるが、そのほかに、(9)[介護事故の有する曖昧性について]、(10)[障 害者自立支援法との関係について]、(11)[準専門性という用語について]、(12)[保険という 用語について]、(13)[論述についての指摘]、(14)[論文の持っている意義についての確認]な どについて質疑応答が行われた。

(15)

5. 全体的評価

まず、本論文のテーマ設定の意義を明確にするために、介護保険制度をめぐる状況と介 護保険制度が提示した問題について、本論文に関係する範囲で触れておく。

1997年に制定され、2000年に施行された介護保険法は、いわゆる<「措置」から「契約」

へ>という一連の流れの中で語られるものであった。これについての評価は大きく二分さ れる。

結論の分岐点は、①多くの問題点を指摘されながらも、それなりの展開を見せてきた「措 置制度を中心とした老人福祉制度」を念頭に置いたままで契約方式を評価するのか、②「措 置制度を中心とした老人福祉制度」を頭から消し去って、全く新しいものとして契約方式 をみるのか、ということにかかわってくる。

いずれの立場をとるにせよ、私たちの日常生活は、何らかの商品やサービスを必要とし ている市民が、自分の選択で契約を締結するということを基盤としていることは否定でき ない。高齢者(とされる人)であっても、障害者(とされる人)であっても、24時間、365日、

「介護保険法」、「老人福祉法」、「障害者自立支援法」などのみによって規律された生 活をしているわけではなく、生活の多くの部分は、市民法といわれる一般的な法に規律さ れたものでもある。このような事情を正面からとらえた結果、介護保険制度が念頭に置い た高齢者の像は、一方で要介護の高齢者であり、同時にもう一方で、契約の主体としての 高齢者であった。

また、介護サービスを提供する事業者や介護職の側に求められる専門性には、日常生活 の延長線上にあると考えられるものも多くあり、さらに、提供されるサービスについても、

在宅で家族が行っていたようなものや自立していたときに高齢者自身が行っていたものま でを含むことになっている。

このようなことを念頭に置いた場合、テーマとしての介護事故は独特のものとして出現 することになる。すなわち、介護事故をめぐっては、①高齢者の像、②介護職や事業者の 専門性、③高齢者と事業者との法的関係という、それを構成する三つそれぞれが、固定的 でない幅の広いものとして存在していること、さらに、それを本質的なものとして内包し ているものとしてあることが鍵を握っている。

設定されたテーマを表面的にとらえるとするなら、介護事故の裁判事例を分析して今後 の事故への対応を模索するもののようにも見えるが、論者が介護事故をテーマとして選ん だことには、論者が論文中で繰り返し触れているように、実は、大きな意味がある。前に 述べたように、介護事故を構成する諸要素は、一見したところ、曖昧さとも見えるような 質をその独自性として備えているものである。論者は、その介護事故の有する曖昧さとも 思える質的なものを、たとえば、白か黒かというような明確なものとして位置づけ、事柄 を解決しようとするのではない。むしろ、その逆で、論者は、幅の広い、曖昧なもののよ うに見える点を、それが有する本質的なものとして積極的に把握し、光を当てることので きる場として、介護事故というものを位置づけたのであり、現代的課題を既存の枠組みで とらえ論じるという方法からはなれて、あえて、既存の枠組みでは把握することが困難な ものとして介護事故をとらえる設定としたことは高く評価できる。

また、現行制度を念頭に置けば、このテーマ設定と論考は、社会保険としての介護サー ビスの提供に伴って生じた介護事故への対応として、民間の賠償責任保険と定額保険を適

(16)

切に組み合わせる保険スキームによって、事業者が無過失の場合も、被害者を一定救済す る仕組みを提示するものであり、実践的な問題解決を模索した研究でもある。

このように、この論文は、安易な論考に流れやすい介護事故という出来事を、それを構 成する諸要素の持っている特質、すなわち、幅のある曖昧性を構造的なものとして有して いる出来事としてとらえ、そのことを手掛かりとして、介護事故についての今後の政策を 模索するというもので、研究に求められる一般性や広がりを備えたものであり、また、社 会性が高く、複数の視点の間にある問題を丁寧に考察した有意義なものであるといえ、博 士論文としての条件を十分満たす論文であると考える。

論者は、介護事故を繰り返し発生する集合的事象として構造的にとらえることを強く意 識し、統計に関しても、個別の裁判事例に関しても、あくまで構造的にとらえることが可 能なものとして論じ、さらに、そのうえで、政策的検討を逐一丁寧に重ねており、テーマ の設定において強く意識されたことが具体的な方法にも生かされているといえる。

また、それぞれが単独でも興味を引く課題といえる「介護事故」、「法政策」、「保険 政策」について、本論文は、「介護事故」を対象にして、「法政策」と「保険政策」の観 点から複合的にアプローチしたものであること、さらに、政策が創出されるメカニズムに 迫るものでもあり、法律学による法規範的な検討だけでなく、保険政策的な検討をあわせ て行った学際的なものでもあり、独自性・独創性を備えたものとして高く評価しうるもの である。

本論文が行ったような介護事故について独自の光の当て方を試みる研究からすれば、先 行研究はきわめて限定的である。その結果、先行研究についてのサーベイや資料の扱いが 散漫になることも考えられるが、しかし、この論文は、きわめて限定的な先行研究を丁寧 に扱い、また、先行研究が限定的であるという事実を検討の対象として位置づけ、さらに は、それを論者のなす介護事故についての独自のとらえかたに生かすなど、先行研究のサ ーベイおよび資料の扱いは丁寧になされており、好感がもてるものとして高く評価できる。

このような組み立ては、たとえば、第2章で、統計なども視野に入れ、介護事故の現状を 把握し、その後の第3章で、介護事故の法制度的位相を検討する等、その後のケーススタ ディーに向けた周到な章立てをなしていることにも見ることができ、全体を通して、論者 の思考の積み重ねの過程が読み取れる論文として結実している。

論文全体を通してみることができるこのような思考の積み重ねは、さらには、論文の最 後の部分でも見て取れる。すなわち、論文の最後の部分は、全体を通じて再考することに 充てられ、最終的には、この研究が一般的な広がりを有していることを示唆する構成とし ていることがそれにあたる。そのことにより、介護事故に限定した幅の狭い論文のように 見えるこの論文が、実は、介護事故の場面に現れる、①高齢者の像、②事業者の準専門性、

③両当事者の関係のそれぞれについて、曖昧さを本質的なものとして内包しているもので あることに着目したものであるということを再認識させることになる。そのような意味に おいて、本論文は、現代社会の抱える複雑化した諸問題への解決策のヒントを提供するも のとして、広がりがあり、かつ、一般性のある価値の高いものとして評価できる。

さらに、「法制度アプローチ」と「保険政策アプローチ」を組み合わせた学際的アプロ ーチから、「介護事故全体に対する政策的な対応をいかに行うか」というテーマに取り組 み、現場の実務に即した問題解決の保険スキームを提示している点は、社会科学研究科に おける博士論文として評価できることも付け加えておこう。

(17)

ただし、さらなる工夫が必要であるとされる点と今後の課題として残されている点につ いての指摘がなかったわけではない。

まず挙げられるのは、「介護事故」、「法政策」、「保険政策」のそれぞれの関係につ いての指摘である。これについては、本論文自体が、法政策と保険政策の両方を取り扱う ことの難しさと必要性について言及しているが、法政策と保険政策という二つの問題を、

相互のかかわり方という意味において、どのように考えているのかということについての 更なる検討が期待されるところである。

次にあげられるのは、「保険スキームの組み換えと法的評価および実務との接合」の部 分についての指摘である。そこでは、保険スキームと「法」とのかかわりが論じられてい るが、この場合の「法」は、法政策の問題というよりも、法解釈の問題として論じている とも考えられる。今後は、そうした法解釈において法政策的な視点が一般的にどのような 意味を持つのか、さらにそれが、保険政策とどのような関係を持ってくるのか、といった ことについて論じてくれることが期待される。

さらに、この論文が述べている「介護報酬の水準設定を通じて、価格面から介護サービ スの安全性をコントロールすることができる」ことの重要性についての指摘があげられる。

これについては、全体としての被害者救済について、さらに、社会保険と民間保険の組み 合わせのスキームなど、他の選択肢の検討も必要と思われるが、この点もこれからの課題 であろう。

そのほかに、指摘されたのは、①新たな政策制度の設計と対応スキームの可能性につい てのより踏み込んだ研究への期待、②法政策と保険政策との腑分けのさらなる明確さ、③ 裁判事案のより慎重な分析、④より丁寧な論述を加えること必要性、などである。

しかし、前述した「テーマ設定」、「独創性・独自性」、「学際性」などの諸点から成 された審査委員による評価を踏まえると、これらの指摘は、論者が、今後この論文に掲げ たテーマについてさらに論考するにあたっての課題として位置づけることができるもので あり、指摘された諸点の克服に努めてほしい。

6. 結論

以上の所見と評価を踏まえ、審査委員は全員一致で、本論文の著者が「博士(学術)」の 学位を受けるに値すると認める。

2009年1月24日 審査委員

主査 早稲田大学教授 久塚純一

副査 早稲田大学教授 坪郷實 博士(法学) 大阪市立大学 副査 早稲田大学教授 篠田徹

副査 早稲田大学教授 早田宰 博士(工学) 早稲田大学

副査 東洋大学教授 秋元美世 博士(社会福祉学) 東京都立大学

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