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論説!!

̲̲̲̲̲̲̲̲̲ ―̲̲̲̲̲̲̲̲̲ ―

重度障害新生児の生命終結に対する 第二の無罪判決

オランダのカダイク事件地裁判決をめぐって

山 下 邦 也

I • は し が き

医学の進歩によって医療の恩典に浴する機会が増大すると同時に,可能 な医療的手段が患者にとっては必ずしも利益ではないと考えられるケース が出現するようになった。このようにして,わが国では医療の限界ケース しかし,尊厳 死も,いわれるようにことばは荘厳だが,事例次第では,栄養補給の中止,

抜管,あるいは苦痛除去等に対処するための生命短縮の是非など判断に迷 としての尊厳死問題が社会的にも注目されるようになった。

いを生じるような複雑な問題も抱えているに違いない。

同様の事態は重度障害の新生児についても起こっており,諸外国では社 会的論議の対象になっているが,わが国の状況は異なっているようである。

試みに,わが国のいくつかの新聞記事に目を通してみると,医療過誤の 判決の報道が比較的多いのに気付く。例えば,「出産時ミスに賠償命令」,

「新生児蘇生ミスに賠償命令」,「新生児脳障害死に賠償命令」等々。その 他,「超未熟児スクスク」といった記事もときどき目につく。いずれも医療

一九

の急速な発展と関連したものであろう。なおも新聞を繰っていると, 一件

16‑1‑190 (香法'96)

(2)

頂度障害新生児の生命終結に対する第二の無罪判決(山下)

八九

だけ新生児の延命の是非をめぐる記事「『重症新生児仮死』わずか 3カ月の 生」(毎日新聞93年9月15日)に出会った。以下に少し長くなるが引用し てみる。

‑「苦しめるだけの延命は残酷」 法整備なく,対応揺れる医療現場 ノリコちゃんが関東地方の総合病院で生まれたのは, 1990年秋。母親 (33) は入院した翌朝に,腹部の痛みを訴え,緊急帝王切開の末,出産し た。ノリコちゃんは出産の際,全く産声を上げなかった。医師団は「重症 の新生児仮死」と診断,ただちに人工呼吸器を装着し,新生児集中治療室

(NICU)に入れた。脳波も平たんだった。自分で呼吸ができないばかりか手 足を動かすこともなく,表情もまったくなかった。重い脳障害の可能性が 極めて強かった。「仮死」の中でも,「植物状態」ともいえる重い仮死だっ

た。一週間がたった。さまざまな治療が試みられた。依然として目を開く ことさえなかった。何度かミルクを飲ませたが,腸が動かないため胃から 口に逆流した。

医師団,看護婦の間で,今後の治療方針が討議された。その結果,人工 呼吸器による「呼吸管理」は続けても,点滴による栄養補給は行わないこ

とを決めた。この時点で,栄養補給を絶やさなければ,呼吸器の力を借り ながらも数力月間は生きることが予想された。だが,医師団は「症状好転 の見込みがないノリコちゃんに,苦しめるだけの延命はすべきではない」

と判断した。見る間に体が衰えた。医師らが再び集まった。ある医師が提 案した。「このまま衰弱死するのを待つのは,あまりにも残酷ではないか。

いっそ呼吸器の管を抜いて,一切の治療を中止すべきではないか」賛否が 激しく衝突した。「母親が希望を捨てていない。時期尚早だ」「自然にまか せるべきこと。許されない行為だ」「奇跡を信じる時は,もう過ぎた。もっ

と早い時期に決定すべきだった」

最終的に,担当医師が決断した。この結論は父親にだけ伝え,了解を得 た。数日後,医師は,ノリコちゃんの気管支からそっとチューブを抜き,

呼吸器のスイッチを止めた。約 20分後,死亡が確認された。 3カ月の人生

16‑‑1‑189 (香法'96) ‑ 2 ‑

(3)

だった。死亡診断書には「心不全 原因=重症仮死」とだけ書かれた。絶 望的な重症仮死の新生児にどう対応すべきか,医療現場は揺れている。(中 略)「ほかに手段があれば教えてほしい」。医師団の一人は言った。ノリコ ちゃんの看護記録の末尾には,ただひと言こう記されている。<抜管!〉一

このようなケースが一般社会に知られることは少ないとはいえ,当該の 家族や医療専門職にとって深刻な問題であることは十分に想像される。

私は,最近,オランダの医療刑法関係の動向を調べていくうちに新生児 医療の限界論議が最も焦点の社会的間題の一つとなっていることが分かっ

た。そこで,本誌 15巻 4号で最近のオランダにおける新生児医療の限界を めぐる医療倫理的問題と法的論議を紹介した。また別のところで,重度障 害新生児の生命終結事件(プリンス事件)に対するオランダで最初の無罪 判決であるアルクマー地裁判決 (1995年 4月 26日)及びアムステルダム高

(1) 

裁判決 (1995年 11月7日)を紹介した。本来ならカダイク事件に対するフ ロニンヘン地裁判決 (1995年11月13日)も同じところで比較・検討すべ きであったが,スペースの関係で無理であったので,本稿で扱うこととし た。

プリンス事件とカダイク事件が,医療倫理的,法的,社会的に論議され る中で改めて刑法改正や関連する手続き規則・制度の改正が問題とされて いる。重症新生児の治療をめぐる問題は,同じくその意思を表明できない 植物状態患者や重篤な痴呆老人の問題とも関連するので,オランダでも最

もセンシティブな論議の対象である。

プリンス事件とカダイク事件では重症新生児の積極的な生命終結が問題 となっており,行為は衝撃的に思われるが,予後が絶対的に不良である患 児に対する医療問題を倫理的,法規範的にどのように捉えるべきかという 比較の観点で強い関心がもたれるのである。

オランダでも生命終結の具体的ケースについての法的論議は始まったば

  JI / 

16‑1‑188 (香法'96)

(4)

重度障害新生児の生命終結に対する第二の無罪判決(山下)

かりであるので,検察当局や裁判所の判断にも戸惑いがみられる。判決文 もそうした実情を反映している。以下では,まずカダイク事件の地裁判決 をみる。

11  • フロニンヘン地裁判決

1 9 9 5

1 1月 1 3日

この判決は 1995年 10月30日の公判における審理に基づいてなされた ものである。

1.  起 訴 事 実

カダイク (GerhardusDerk Andre Kadijk,  1947年 3月 1日生まれ)は 次の事由によって起訴される。

彼は, 1994年 4月26日またはその当時,デルフゼイル町において, 1994 年 4月1日に生まれた女児を,両親の明示的で真剣な要請に基づいて,大 量の Stesolid及び,または(次いで) Alloferinを医薬と混合して,それら が致命的な作用を及ぽすことを知りながら,ゾンデ経由で投与することに よって,故意に子供の生命を奪ったものである。(刑法 293条=嘱託殺人,

安楽死)

上記の事由で有罪判決が得られないとすれば,

彼は, 1994年 4月26日またはその当時,デルフゼイル町において, 1994 年 4月1日に生まれた女児を,冷静かつ平穏な熟慮の後,大量の Stesolid 及び,または(次いで) Alloferinを医薬と混合して,それらが致命的な作 用を及ぽすことを知りながら,ゾンデ経由で投与することによって,故意

に子供の生命を奪ったものである。(刑法289条=謀殺)

八七

2.  検察庁の公訴権について

A. 検察官は,公判におけるその最終の陳述において,安楽死申告規則 (meldingsregeling euthanasie), 公式には 1993年 12月17日に制定された

16‑1‑187 (香法'96) ‑ 4 ‑

(5)

政 令(Besluit), つまり,遺体処理法(Wetop de Lijkbezorging)第 10条第 1項でなされたその書式の確定(規則)は,何人も自己を罪に陥れる義務は ないというヨーロッパ人権条約第6条と市民的及び政治的権利に関する国 際規約第 14条に規定された原則,いわゆる nemotenetur原則に抵触して いるので検察庁にはその公訴権がないことを宣言するよう要求した。

裁判所はこれに関して次のように考える。

1990年 11月 1日,法務大臣は,福祉・保健・文化省次官と協議して,ま た5人の高検検事長の賛成を得て,安楽死または自殺摺助の申告のための 正式の手続きを制定したい旨の書簡を出した。高検検事長会議は申告手続 きを扱う将来の取り決めを要望して法務省の高官にこの書簡を知らせた。

この申告手続きは, 1994年6月 1日の遺体処理法の改正法の施行でもっ て法的土台を得た。この新しい申告手続きは,安楽死と自殺暫助の申告に 関係するだけでなく,明示的な要請のない積極的な生命終結の申告にも関 わりをもつものである。

一方,本件は 1994年 4月26日に起こったものである。それゆえに,上 記の立法に基づいた規則はまだ効力がなかった。ここに引用された 1990年 11月1日 の 申 告 手 続 き に つ い て 述 べ た 法 務 大 臣 の 書 簡 は 上 述 の 事 情 の も

とに提出されることになったものである。このように,この申告手続きは まだ法的土台をもつものとはいえなかったのであるから,裁判所は国際条 約に照らしてこの規則を審査するには及ばないと考える。

また裁判所は,この規則は,本件の場合には適用されないものであるの で, 1994年 6月 1日以降についての判断も同様に差し控える。裁判所は,

かくて検察官の請求を却下する。

B. 弁護人は,検察庁はこの事件について公訴権がないと言明すべきであ ると主張した。それは,デュー・プロセスの原則に抵触しており,そのよ うなものが適切かつ公平な利害考量によってまだ正当化されないままで,

八六

~5 16‑1   186 (香法'96)

(6)

重度障害新生児の生命終結に対する第二の無罪判決(山下)

本件以外の他の目的のためにこの刑事訴追を開始する権限はないというの である。

すなわち,弁護人は,検察庁はカダイクに対して刑事訴追を始めるべき ではなく,また,この点における法の発展にかんがみて,医療的な生命終 結行為は非難に値するものではないと言明すべきであると述べた。

この関連で,弁護人は,検察庁は公訴権をもたないのであるから,カダ イクを訴追しないと決定すべきであると主張した。それにもかかわらず,

検察庁が刑事訴追を行ったので,さらに,弁護人は次のように述べた。

カダイクの場合, もし彼が安楽死のために発展させられた注意要件に一 致して行為したとすれば,彼は検察庁を恐れるには及ばないと信じること ができた事情があると。

八五

裁 判 所 は こ の 主 張 に 関 し て 次 の よ う に 考 え る 。 法 務 省 の 高 官 (hoofdof‑ ficier van justitie)は, 1994年4月29日に検察官の公的報告を経由して起 訴されることになった赤ん坊の不自然死について知らされた後,レーワル デン高裁の検事長への 1994年6月15日づけ書簡で本件を訴追するべきで ないと勧告した。 1994年 11月9日の検事長の会合はこの勧告を取り入れ た。しかし,法務大臣は 1994年12月2日の書簡でこの事件に対する訴追 を指示した。この指示の動機は,本件における重度欠陥新生児の積極的な 生命の終結は医師が処罰なしですむかどうかを裁判官に提起すべきである

ということにあった。

その指示に従って,フロニンヘンの検察官は, 1995年 1月31日,警察に 命じて捜査を開始させた。 1995年 2月10日,カダイクに対する司法予審が 要求された。この予審の過程で,カダイクは聴聞され,また専門的報告書 を作成すべき専門家が任命された。この司法予審は 1995年 9月 19日に終 結した。カダイクは 1995年9月22日にこの予審の終結について正当な方 法で知らされた。さらに 1995年 10月5日に召喚状がカダイクに送達され

16‑1 ‑185 (香法'96) ‑ 6.

(7)

た。

カダイクは, 1994年 4月25日に検察官と電話でコンタクトをとった。弁 護人によれば,そのとき,任意の安楽死とその意思を表明できない人々に 対する生命終結との相違はまだ明瞭には議論されておらず,それゆえカダ イクが安楽死のためのガイドラインの条件を遵守していたならば刑事訴追 を受けないであろうと確信してよいと話されたということである。

検察官は,この通話の後,カダイクに安楽死のためのガイドラインを送 付した。そのときの話では,このような事件は,初期のケースとして,調 査されなければならないので,結果として刑事訴追があり得ないとは約束

できないと明瞭に述べられたことは確実である。

かくて,裁判所は,カダイクは自分が訴追されないだろうという約束を 決して受け取っていないと結論する。それゆえ,彼は確かに訴追が行われ ないだろうと確信できたわけではなかった。裁判所は,この点において検 察庁には公訴権がないという弁護人の抗弁を退ける。

C. 弁護人は,この分野における法の発展に照らして,かくも評判の高い,

名声ある医師を謀殺罪によって訴追することは適切な利害考量の原則に抵 触すると主張している。

本件のような事情のもとでは訴追すべきであると決定した法務大臣の考 慮は適切かつ公平でないということはできない。法務大臣の決定は,とり わけ,その意思を表明できない人々の生命の終結に関連する規則は存在し ないのであるから,そのような行為は原則として禁止されているという認 識から出発している。緊急避難が成立するかどうかを決定するのは刑事裁 判官である。

裁判所は,全体としての社会の利益を考慮して,訴追されないことによ るカダイクの利益のために,その行為に対する刑法的審理の道を塞ぐよう なことがあってはならないものと考える。この審理は,カダイクの致死行

八四

[ I   16‑ 1 184 (香法'96)

(8)

八~

重度障害新生児の生命終結に対する第二の無罪判決(山下)

為,つまり,人々の生と死に関わる態度に関わるものであり,その性質に 応じて刑事裁判官がその判断を表明すべき事柄に属するものである。

上述にかんがみて,また訴追に進まないこともできる検察庁の裁量権に かんがみて,さらに法務大臣は個々の検察官に起訴に関して指示を与える 権限をもつという司法組織法(deWet op de Rechterlijke Organisatie)第 5条の規定に照らして,裁判所は,検察庁は正当な方法でカダイクを訴追す

る権限を行使したと判断する。

それゆえ,裁判所は,検察庁には公訴権がないという抗弁をこの点でも 退ける。裁判所は,その他の点では,検察庁の公訴権の道を塞ぐような事 実と事情はないのであるから,検察庁は訴追を行うことができると考える。

3.  起訴事実について

裁判所は,カダイクが起訴状記載の第一の事実を行ったものであり,と くに彼がもっぱら両親の明示的で真剣な要請に基づいてその子供の生命を 奪ったということを正当かつ説得的に証明できるとは考えない。カダイク

は,第一の起訴事実とは無関係である。

いうまでもなく,裁判所は次のことを考慮している。すなわち,たとい 第一の起訴事実が証明されたとしても,その証明事実はなお刑法第293条 の違反ではないということである。 293条の犯罪構成要件は,もっぱら他人 の明示的で真剣な要請,従って,その人自身の要請に基づいた生命の剥奪 を規定したものである。この犯罪構成要件は,当裁判所の判断によれば,

意思無能力者の生命の終結を含むものではない。本件の子供は両親の明示 的な要請に基づいて生命を剥奪されたものである。

裁判所は,次のような認識でもって,カダイクは第二の起訴事実を行っ たものであることが適切かつ十分に証明されている,と考える。

16‑1 ‑183 (香法'96) ‑ 8 ‑

(9)

彼は, 1994年4月26日にデルフゼイル町において,冷静かつ平穏な熟慮 の後, 1994年 4月1日に生まれた女児に大量の Stesolid,次いでAlloferin

を医薬と混合し,その致死作用を知りながら,ゾンデを経由して投与し,

かくて,その子供の生命を故意に奪ったものである(刑法 289条)。

裁判所はこれについて次のように考える。

弁護人は,刑法第 289条にいう生命剥奪の概念は制限的に解釈されるべ きであると公判で主張した。すなわち,医師はその専門職務の実施の枠内 で,耐え難く,絶望的に苦しんでいる患者の生命を不純な意図なしに医療 専門的基準に一致して短縮したのであるが,このことは今日の社会的見方 に従って,また,ことばの妥当な使用法に従って,さらに医学的に適切な 医療倫理的規範に従って生命の剥奪というべきではないと。

弁護人は,カダイクはこのケースで科学的に正当化できる医療的基準に 従って,また医療倫理的に適切な規範に基づいて行為したのであって,一 一積極的生命終結にいたる意思決定との関連においても,その実施にいた る関連においても 起訴状に述べられたような刑法第 289条が意図した 意味における子供の生命を剥奪したものであると考えるべき証明はなされ

ていないのであるから,彼は無罪であるべきだ,と主張した。

裁判所はこの抗弁を退ける。

刑法第 289条の「生命を奪う」という文言と趣旨は,法の歴史にかんが みて,中立的な術語として解釈されなければならないのであって,それは 犯罪人の犯罪的な意図または人道的な意図については何も述べていないの であるから,カダイクの行為は生命剥奪と考えられ,また,そのようなも のとして証明されるものと考えられなければならない。

裁判所は第二の起訴事実である謀殺罪が証明されたものと認める。

9 ~ 16‑1‑182 (香法'96)

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(10)

}¥ 

里度障害新生児の生命終結に対する第二の無罪判決(山下)

4.  被告人の可罰性

A. 医療上の特例についての抗弁

弁護人は,カダイクの代理人として,証拠事実とされたことに対して,

カダイクはその専門職に妥当する専門的権利に従って行為したのであるか ら可罰的ではないと主張する。すなわち,カダイクは医療専門的基準,科 学的に正当化される医療的見解及び医療倫理的に妥当な規範に一致して行 為した,それゆえ,カダイクはよき医師としての行為を行ったのであり,

医療上の特例が適用されるべきであるから彼の態度は正当化されると。

裁判所はこの抗弁を退ける。

ここで判断されるカダイクの行為は,医師による患者の生命の積極的終結 に関係している。刑法第289条の刑罰規定の法の歴史も,指示された社会 的見方も,注意深い医療行為の枠組で他人の生命を終結した医師が医療上 の特例の抗弁を得られるという見解を支持するものではない。患者の死を 意図し,それを実現する行為は,医師が医療的専門的基準の限界内で行為 したというそれだけの理由で処罰なしに実行され得る医療的行為とは考え られ得ない。(地裁は最高裁判決 NJ 1989,  no. 391と同じ文言を使用して いる。)

B. 不可抗力の抗弁

弁護人は,起訴された事実に関して,これは緊急状態において行為した ものであると主張した。なぜなら,彼は一方では赤ん坊の生命の保持と他 方では赤ん坊の耐え難く,絶望的な苦しみを軽減するために可能なことを しなければならないことを知りながら,お互いに競合する義務のどちらか を選択しなければならなかったからであると。

カダイク自身が公判のときに述べ,また彼の弁護人が抗弁のときに詳し

<述べ,さらにカダイクの弁護ノートに記述された事情のもとで,カダイ クは赤ん坊の生命の積極的な方法における終結を選択した。弁護人によれ

16‑1 181 (香法'96) ·~10

(11)

ば,この選択は理性的な仕方で正当化されるものと考えられるべきであっ た。けだし,代案は欠如したからである。それゆえに,カダイクは全ての 法的訴追から放免されるべきであると。

裁判所はこれについて次のように考える。

提出された書類によれば,デルフゼイルのデルフジヒト病院で 1994年4 月1日に一人の赤ん坊が生まれた。誕生直後,赤ん坊は非常に深刻な生来 的な異常があることが確認された。彼女は,裂けた唇と口蓋裂,二箇所の 重度の皮膚欠損と頭蓋欠損(閉じていない頭蓋),顕著にとがった額をもち,

手と指は異常な位置にあり,耳の位置は低く,目の裂け目は傾いた位僅に あった。しかも,出生当日,女児は完全な心停止と呼吸困難もあり,フロ ニンヘンの大学病院に移送された (11日間入院)。そこで,赤ん坊は 13番 目の染色体に染色体異常があることが確認された。同時に腎機能の悪化も 確認された。主治医たちによれば,生命の予後は非常に短いので,結果と して呼吸停止または心停止が発生した際には改めて蘇生術はしないという 決定がなされた。その赤ん坊はフロニンヘンの大学病院における診断の後,

デルフゼイルのデルフジヒト病院に連れ戻された。 1994年4月12日,両親 は主治医たちの同意を得て,赤ん坊を自宅に連れ帰った。両親は地区訪問 看護婦の援助を得て,自分たちで世話を続けることにした。カダイクは,

ホーム・ドクターとして,医療的看護を引き受けた。彼は蘇生術を行わな いという決定を知っていた。そして,それがこの状況では正しいやり方で あると考えた。彼はこの決定に一致して看護したいと考えた。

司法予審の段階で助言を求められた専門家,小児科医のデ・レーブ博士 によれば, 13番目の染色体にいくつかの生来性の異常を伴う非常に深刻な 兆候がある。 13番目の染色体異常をもった子供たちの予後は非常に悪く,

ほとんど 90%は沢山の異常の結果,最初の 1年以内に死ぬ。これらの子供 たちには深刻な発育不全がある。脳の不完全な状態と顎の裂け目は,しば

0

. 11  16‑‑1 ‑180 (香法'96)

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重度障害新生児の生命終結に対する第二の無罪判決(山下)

しば呼吸障害を引き起こす。常に知的な発達遅滞がある。同時に,例えば,

痙攣や運動能力の遅滞などの神経的異常がある。

学術文献によれば,そのような異常をもった子供たちが 1年以上長く生 きることはまれである。染色体自体の治療は可能ではなく,いくつかの生 来性の異常を外科的に治療することが可能であるにすぎない。しかし,極 端に悪い予後のために,外科的治療は決してされていない。

この赤ん坊に発見されたような重大な腎臓の異常のある全てのケースで は予後が非常に悪い。脳の障害状態と口蓋裂の障害による呼吸障害の結合 は,呼吸困難という鋭い問題を大きくするであろう。

この専門家の判断は,司法予審の段階で助言した他の医学専門家たち,

すなわち,小児科医ブルッフェン博士,ホーム・ドクター医学の教授メイ ボーム・デ・ヨング博士の報告書の見解と同じであることが分かる。

以上により,主治医の診断と報告書を作成した専門家によって予後が確 認されたことは明瞭である。同時に,その赤ん坊に対する医学的干渉は医 療的に無意味な行為であるためにそれを放棄する決定について上述の医師

たちと専門家たちの間に一致が存在する。

上述に基づいて,裁判所は,医療的干渉をさらに行わない決定は正当化 されるという意見である。

七九

裁判所はさらに次のように考える。

赤ん坊の健康状態は自宅において最初は安定していたが, 1994年 4月19 日ごろには重大な程度に悪化した。皮膚の欠陥と頭蓋の欠陥の問題が出て きた。後頭部には頭蓋を覆う多少透けた皮膚から頭蓋の中に二つの割れ目 が見出された。これらの部分の一つの外皮ははがれており,カダイクによ って除去された。他の部分では,厚くなっていた。翌日には脳の薄皮部分

(髄膜)が外に現れ,出血し始めた。二日後,後頭部の出っ張り(髄膜)

16‑ 1 ‑179 (香法'96) ~12~

(13)

はおよそぶどうの実ほどに大きくなった。脳の薄皮は接触するたびに常に 出血を始めた。この問題のためにカダイクはデルフジヒト病院の小児科医 と相談して,傷口を脂性ガーゼと包帯で覆う決定をした。この小児科医は 皮膚科の医師と外科医にこの問題で知恵を借りるよう提案した。カダイク はこのことについて両親と相談した。その結果,両親は赤ん坊の制限され た生命の予後も考えて,医療的干渉を望んでいないことが理解された。カ ダイクは,赤ん坊が脳の薄皮(髄膜)が外へと出っ張っていることから顕 著な苦痛を感じていることを確認した。それは抱き上げたり,おむつを替 えたり,傷口を看護しようとするときに気付かれた。これらの際,赤ん坊 は,うめき,泣き喚いた。カダイクは,苦痛を緩和するために赤ん坊に Paracetamolを処方した。それはゾンデを経由して投与された。

翌日,赤ん坊は軽い痙攣状態を呈し始めた。とりわけ腕の筋肉が一緒に 痙攣し,脳の薄皮(髄膜)への刺激が現れた。痙攣を減少させるために,

赤ん坊には Stesolidが投与され,それによって痙攣は減少した。

しかし,赤ん坊の状態は明瞭に悪化した。赤ん坊は栄養補給の間に二,

三度青白くなった。それは呼吸機能の悪化と酸素不足によるものと解釈さ れた。

後頭部の出っ張りは大きくなった。その部分で常に出血と脳の液体(髄 液)の流出が進んだ。赤ん坊は段々悪化し,皮膚の色が蒼白になり,以前 よりも泣き喚くことが多くなった。姿勢の変化のたびに,赤ん坊はうめき,

身体の痙攣によるより大きな負担が出現した。

徐々に増大される医薬にもかかわらず,彼女は,身体を伸ばしたり,背 中を伸ばしたりするので,それによって脳の薄皮が段々刺激される兆候が あった。傷口は悪臭を放ち始めた。それは炎症と解釈された。そのうえ,

赤ん坊は排尿ができなかった。それによって,腎臓がもはや機能していな いと解釈された。

七八

裁判所は,上述した専門家デ・レーブとメイボーム・デ・ヨングの報告

‑13  ‑ 16‑1 ‑178 (香法'96)

(14)

重度障害新生児の生命終結に対する第二の無罪判決(山fl

書を参照し,また同時に専門家として任命された医療倫理の教授デ・ベア ウフォルト博士の報告書を参照して,ここで言及された事情のもとでは,

カダイクには疼痛コントロールまたは積極的生命終結の選択以外に他の方 法がなかったことは明らかである, と判断する。

いまや,上述した非常に深刻な状態にあり,兆候が複雑さを呈している 赤ん坊に対して,なお適切な疼痛コントロールが可能であったかどうかと

いう問題が答えられなければならない。

第一の専門家,麻酔学者のユーベルマン博士は,その報告書で,薬学的 代案は苦痛や不快感を軽減する影響をもつはずであると述べた。しかし,

彼はさらに,腎機能の状態を考慮すれば,これらの医薬がこの子供に使用 された場合には,腎臓の機能不全により死んだであろうと述べた。そして,

積極的な生命終結は必要でなかったとはいえないとつけ加えた。このこと から,裁判所は,疼痛医薬の投与は副作用として赤ん坊の死を招いたであ ろうと判断する。

第二の専門家であるデ・レーブ博士は,カダイクには最終的になお赤ん 坊の苦しみを終結させるためのわずかの可能性があったと述べた。彼は侵 襲的治療と非常に強い鎖痛剤を与えるために彼女を病院に収容させること

ができたはずである。しかし,予後がその時点で非常に悪化していた点か らみると,これも医療的に意味ある治療として考えられ得なかったと述べ た。

七七 裁判所は,この事情のもとでは,鎖痛治療は意味あるオプションではな く,カダイクは積極的な生命終結以外の他の選択肢をもたなかったと考え る。それゆえ,裁判所はカダイクによってなされた決定は積極的な生命終 結を正当化すると考える。

16‑‑1‑‑177 (香法'96) ~14

(15)

さらに,カダイクは,積極的な生命終結にいたる決定に際して,またそ の実行に際して,注意深く行ったということが重要である。赤ん坊の診断 と余命に関連した予後はフロニンヘンの大学病院とデルフゼイルのデルジ ヒト病院の医療専門家によって確定された。この診断と予後は赤ん坊の生 命の積極的な終結の要請を明示的にかつ熟考の上で表明した赤ん坊の両親 にも説明されていた。それゆえ,彼らはこれについて同意していたことは 確かである。生命終結のために使用された方法はカダイクが赤ん坊を自宅 で医療する際にコンタクトをもった小児科医ダウフル博士と協議して選択 された。この小児科医とカダイクは使用されるべき方法について協議した。

さらに両親の随伴のために十分な時間と関心が払われた。積極的な生命 終結の意図はあらかじめフロニンヘンの検察官と地域の検死医に告げられ ていた。死の到来後,その事実が伝えられた。そして赤ん坊は自然死でな く死んだことが彼らに通知された。事件のなりゆきは文書で報告された。

上述されたところにかんがみて,またカダイクが積極的な生命終結の決 定に際して,またその決定の実行に際して,医学的に正当化される医療的 洞察に従って,また医療倫理的に適切な規範に一致して,また,それにつ いて要求される注意深さの要件を遵守していたという事実にかんがみて,

彼には緊急避難の意味における不可抗力の抗弁が成立する。(最高裁

NJ

1985,  106において緊急避難のゆえに正当化されるという同じ公式がここ で使用されている。)

これは起訴された事実について可罰性がないことを意味する。カダイク は,それゆえに,全ての法的訴追を免れる。

適用条文

裁判所は刑法第 289条に基づいて考えた。

七六

]6~1--176 (香法'96)

(16)

菫度障害新生児の生命終結に対する第二の無罪判決(山下)

5.  判 決 主 文

第一の起訴事実は適切かつ納得させる論拠をもたないので,カダイクの 行為には当てはまらない。

第二の起訴事実は上述のように適切かつ納得させる論拠をもっているの で,これについて判断される。

カダイクは第二の起訴事実について可罰的ではなく,全ての法的訴追か

(2) 

ら免れる。

Ill • コメントに代えて

プリンス事件とカダイク事件は本来,一体として論じれば便利であった が技術的な理由からできなかった。ここで「コメントに代えて」と題する のは,別稿の補完的部分として,判決をめぐる社会的動向なども紹介して みようと思うからである。

七五

1.  公訴権をめぐる周辺的事情

検察庁は重度障害新生児の生命を終結したプリンス医師やカダイク医師 を,事件の性質,事柄の成りゆきにかんがみてそもそも起訴することに不 本意であった。しかし,法務大臣が職権によって前例のないケースについ ての司法判断を求めて起訴を命じたため,これに従ったものであるが,本 件において,検察官ドレントは公判で処罰を求める代わりに公訴棄却を求 めたのである。これは検事長と協議せずに公的見解として表明されたこと

もあって,譴責処分を受けることになったが,カダイク事件についての社 会的関心を煽ることになった。

ともかく, ドレント検察官は,これらの国際条約に抵触するオランダ法 は裁判官によって適用されるべきではないという趣旨の宣言を求めたので ある。

16‑1‑‑175 (香法'96) ——·16

(17)

オランダ憲法第 94条は次のように規定している。「王国において効力を もつ制定法は,その適用において全ての人を拘束する諸条約の規定または 国際的諸団体による決議の条項と抵触する場合には適用されないものとす

る」。

裁判所は,事件は 1994年 4月26日に起こったものであり,不自然死を 届け出るべき新たな申告手続きが法的に発効するのは 1994年 6月1日以 降であるので,この規則が国際条約等に照らして自己負罪拒否特権(nemo tenetur原則)に抵触するかどうかを判断する必要はないとした。

刑事訴訟法の観点から,タック教授は,この申告手続きについて次のよ うに説明している。

安楽死,自殺孵助または患者の明示的な要請のない生命短縮への積極 的な医療干渉のケースでは不自然死が問題であり,死亡証明書は発行され 得ない。そこで医師は検死医にその事実を通告しなければならない。検死 医がこれを検察庁に報告した後,検察庁は質問リストに対する医師の回答 に基づいて,法規範と判例法が施したその解釈に照らして生命終結行為を 調査する。

遺体処理法の枠組みでは検察庁は検察官の権能においてではなく,行政 官の権能において報告を受け取る。検察官は報告が虚偽または不完全であ るといった疑いをもつ場合にのみ,刑事手続き意味での公訴官になる。レ ビューの段階ではまだ嫌疑も刑事問責もない。それゆえ,被疑者は後に公 判で使用され得る自己負罪証言をするよう強制され得ないという意味で,

nemo‑tenetur原則への訴えは適用されない。

申告レポートの調査は,医師が刑法に抵触する行為をしたか,そして,

警察によるさらなる犯罪捜査の理由があるかどうかを決定するためになさ れる。医師が生命終結または自殺援助のケースを検死医に知らせ,質問リ ストを完成する義務を果たした場合には,彼は刑事被疑者とは考えられない。

医師が被疑者になるのは申告レポートの情報に基づいて検察庁が訴追を

(3) 

開始する理由を見出し,犯罪捜査を命令する場合のみである 。

七四

‑17  ‑ 16~1~174 (香法'96)

(18)

重度障害新生児の生命終結に対する第二の無罪判決(山下)

引用したように「検察庁は,質問リストに対する医師の回答に基づいて 法規範と判例法が施したその解釈に照らして生命終結行為を調査する」 の である。判例法に違反している場合には訴追される可能性がある。 または 適切な法規や判例法がない場合には司法判断が求められる。本件で法務大

臣が起訴を指示したのは後者の理由による。 しかし, その点は別にして,

判例法と申告手続きとの関係について混乱があるのは事実である。遺体処 理法改正をめぐって議会で繰り返された議論は,質問リストは安楽死等に

とであった。

とっての基準ではなく,判例, とくに最高裁の判例が基準になるというこ ところが,判例に対応する規則の修正がなく,法的安定性が ないと感じられているのである。例えば, 1994年6月21日,最高裁はシャ ボット事件で重要な判決を下した。 そこでは死が切迫しているという要件 は安楽死にとっての基準ではないことが確認された。 しかし, 申告様式は その方向のものではない。 またセカンド・オピニオンについて,最高裁の 判断によれば,肉体的病気の患者の場合には相談を受けた医師が直接患者 を診断する必要がないが,精神科の患者の場合には第二の医師による疸接 の診断が必要としている。他方, 申告様式は,少なくともその説明書によ れば, 二人の精神科医を要求している。その他の問題点はここでは省略す

るが,要するに,判例法と申告手続きとの間に不調和があるということが

(4) 

申告手続きへの不信としてくすぶり続けているといえよう。その一つの明 白な証拠とは必ずしもいえないが, レメリンク委員会の調査によれば,安 楽死,自殺孵助及び明示的な要請のない生命終結行為は,それぞれ年間で,

2300件, 400件,そして 1000件行われていると評価された。一方, 1990年

一七 三

11月1日以来,任意の申告手続きの存在が公知のものとなるにつれて申告 件数は増大し, 1992年には 1381件, 1993年には 1303件, 1994年には 1424

(5) 

件,そして 1995年には 1500件に達したといわれているが, レメリンク委 員会の数字がいまも妥当すると仮定すれば,これは,なお約 2200件程度は 申告されていないことを意味するのである。行為の態様が申告を難しくし ているのか,犯罪容疑者扱いされかねない申告手続きに対する嫌悪に発す

16‑1 173 (香法'96) ~18

(19)

るものか,実態調杏結果はまだ明らかにされていないが,手続きに問題が

(fi) 

あるという認識は多くの医師たちの実感であるようだ。検察官ドレント氏 の異例な発言も申告手続きの一つの問題性を「告発」したものであった。

その後,法務大臣も検察官による審杏手続きの改正の意図を明言すること となり,カダイク事件とドレント発言は大きな社会的波紋を広げたといえ るのである。

2.  起訴事実―要請のない生命終結ケースの位置づけ

新生児の生命終結に対する最初の無罪判決であるプリンス事件のアルク マー地裁判決は, 1995年4月26日に出された。アルクマー地裁は,緊急避 難の抗弁を判断するに当たって,両親による真剣な,繰り返される要請が あったことを重視して,安楽死が成立するかのような判断を示した。この 事実は,その意思を表明できない新生児に対する積極的な生命終結行為を どのような法的枠組みで判断するかについて法実務界でまだ明瞭なコンセ ンサスがなかったことを示している。それは,本人自身の要請に基づく安 楽死ケースではないとして検察官によって控訴された。他方,カダイク事 件では,検察官は,嘱託殺人罪(安楽死)または謀殺罪による択ー的な有 罪判決を求めて起訴した。ここでもまだ判断の枠組みについて不安定性が あったとみられる。保健法の権威,レーネン教授は,アルクマー地裁判決 に対する論評で,安楽死(本人の要請に基づいた生命終結)と治療中止後 の苦痛除去の措置としての本人の要請に基づかない生命終結とを区別し,

(7) 

後者の正当根拠は別の論拠によるものでなければならないとした。こうい う経過を経て,フロニンヘン地裁は本件の起訴事実として謀殺罪が証明さ れているとして,その方向で審理した。本件判決の少し前に下されたプリ

ンス事件のアムステルダム高裁判決 (1995年 11月7日)も両親の要請に基 七 づく新生児の生命終結を謀殺罪として審理したものであって,方向は定ま

ったといえる。

‑ 19  ‑ 16‑1 172 (香法'96)

(20)

重度障害新生児の生命終結に対する第二の無罪判決(山下)

3.  不可抗力の抗弁——ワP リンス事件との対比

プリンス事件における患児リアンネと対比して本件の女児の症状はいっ そう極端に悪いと考えられる。リアンネは,重度の二分脊椎症,水頭症,

脳障害,そして奇形の肢体を含む多発性の障害をもっていた。しかし,死 は不可避であるとしても,死の到来が何週間先か何力月先かは確実でなか った。苦痛は時間が経過するにつれ段々激しくなっていったが,疼痛コン トロールの可能性はあった。その場合,感染症への罹患その他,状態は悪 化の一途を辿るにしろ植物状態ないし昏睡状態で最大限,数力月ないし半 年生きる可能性はあった。高裁での二人の専門家の証言によれば,その状 況で二つの選択が可能だったとされる。一つは,疼痛コントロールを行う

ことによって,死そのものは意図しないが,死を予見できる選択である。

もう一つは,死の速やかな到来を意図した積極的な生命終結の選択である。

後者の選択については,オランダの医療専門職の間にも,それが医療倫理 的に適切な規範と一致するかどうかについてコンセンサスはない。二分脊 椎症の専門医であるファン・フォール博士によれば,手術をしないで最初 の年に死ぬのは 10‑20%である。そこで国によっては全ての二分脊椎症の 子供は手術されると。しかし,彼自身は予期される障害の里大さについて の判断から十分な協議に基づいて手術をしない決定をすることがある。彼 によれば,二分脊椎症に対する疼痛コントロールは決して問題ではない。

ときどきモルヒネによって死が加速される。手術をしない取り決めにもか かわらず子供が死なないときはモルヒネを増大する。それは自然死ではな

(8) 

いので検察官に報告すると。ことば通り理解すれば,疼痛コントロールの アリバイで意図的に死を招致するということになるが,そこで積極的な生 命終結と一線を画しているということであろうか。それはともかく,高裁 判決は,このケースでは疼痛コントロールを施しつつ,いくばくかの延命 が可能だとしても,死の開始が明瞭に予期される場合のそのような行為は 医学的に無意味であるとして,謀殺罪の擬律にもかかわらず緊急避難の抗 弁が成立するとした。

16‑1 171 (香法'96) ‑20  ‑

(21)

二分脊椎症の子供の最初の年の死亡率が 10‑20%であるとして, 13番 目の染色体異常の子供の最初の年の死亡率は 90%とされている。しかも,

カダイク事件の患児の場合,出生当日から完全な心停止と呼吸困難もあっ たとされ,病院から帰宅後はさらに悪化し,脳膜からの出血と疼痛,呼吸 機能の悪化,腎機能の低下がみられ,麻酔学者のユーベルマン博士は,疼 痛コントロールさえも副作用として赤ん坊の死をもたらしたであろうとす る。もっともその場合には積極的な生命終結とは異なり若干の存命期間は あったかもしれないが,判決は触れていない。デ・レーブ博士は,侵襲的 治療と強い鎖静剤を与えるための入院は可能であったが,予後が悪化して いる点からみて,これも医学的に意味ある治療としては考えられなかった

としている。

医学的に無意味な治療の不開始または中止は通常の医療的決定であっ て,その結果としての死は殺人罪ではないということにオランダ社会では 合意があるとされる。プリンス事件の高裁判決は, リアンネの治療の差し 控えが正当化できるかどうかを検討し,無意味な治療として正当化できる として,次に残存する非人間的な状況をもたらしている苦痛を除去するた めの生命終結が正当化できるかという判断のプロセスをとった。

「医学的に無意味な治療」概念には二義があるといわれる。一つは生理 学的な無意味または客観的な無意味の判断であり,治療を加えても死ぬよ

うな場合である(無脳症)。他の一つは治療すれば延命は可能だが,予後が 極端に不良であるため,倫理的な見地から無意味とされる場合である(重 度の脳障害)。オランダにおいて,前者のケースにおける治療の中止には社 会的合意があるだろうが,後者のケースでは必ずしもそうではない。生命 の質を判断することへの警戒心が存在する。もっとも,オランダにおいて は,安楽死のケースのように自分自身の生命の質の低下の判断に基づいて,

任意の,真剣な熟考を重ねた上での生命終結の要請は法的に許容される場 合のあることは認められている(反対論は存在する)。しかし,意思無能力 者の生命の質を他人が判断することの是非が争われている。リアンネのケ

七〇

‑ 21  ‑ 16‑1 170 (香法'96)

(22)

順度障害新生児の生命終結に対する第二の無罪判決(山下)

ースでは,障害の重大さゆえに,脊椎の縫合は無意味であったとしても,

疼痛コントロールにより,たといその状態はどうであれ,ある期間の存命 は可能であった。それゆえ,疼痛コントロールの差し控えに批判もある。

とすれば,なおさら生命終結は論外である。

カダイク事件の場合の「無意味な治療」は,生理的な無意味に属するの であろうか,それとも倫理的な見地からの無意味な治療であろうか。ユー ベルマン博士は,医薬の投与により苦しみを軽減するとしても,腎機能の 不全で死んだであろうと述べた。地裁もこれに従って,医薬の副作用の結 果として死んだであろうと判断した。他方,デ・レーブ博士は,短期間の 存命を匂わしているようでもある。ただし,予後の悪化のため,医学的に 無意味な治療であると。

こうして,裁判所は,かかる事情にかんがみれば,鎖痛治療は意味ある オプションではなく,カダイクは積極的な生命終結以外の他の選択肢をも たなかったと判断した。

仮に生命を終結すべきでなかったとしたら,彼は女児を病院へ入院させ て侵襲的干渉と強い鎖痛剤の投与を施すべきであったということになる。

そして,副作用の結果,間もなく死ぬのを待つ以外にないと。新聞報道に よれば,プリンス事件もカダイク事件もさらに刑事手続きに服する模様で あるから,今後の議論の進展に注目したい。

六九

(1)  山ド邦也「重度障害新生児に対する治療の中止と生命終結一ーオランダのプリン ス 事 件 判 決 を め ぐ っ て 」中山研一先生古希祝賀論文集。

(2)  ARRONDISSEMENTSRECIITBANK  TE GRONINGEN, Datum  uits praak: maandag 13 november 1995. 

(3)  ペーター・タック,山下邦也「オランダにおける安楽死問題の法的側面」香川法 152 13ページ。

(4)  H.J. J.  Leenen, Euthanasie; verwarring  rond  de  meldingsprocedure.  Ned  Tijdschr Geneeskd.  1994 29 oktober; 138 (44) p. 2182 2184. 

(5)  法務大臣の言明, NRCHandelsblad.  22 december 1995. 

16‑1 169 (香法'96) -~22

(23)

(6)  G. van der Wal en P. J. van cler  Maas, Evaluatie van de meldingsprocedure  euthanasie.  Ned Tijdsch  Geneeskcl.  1995  16  septemher; B9 Cm pp. 1894  1897. 

(7)  II. J.  J. Leenen, Ontwikkelingen in  de jurisprudentie met betrekking tot het  levenseinde.  Neel Tijdsch (如neeskd. 1995 15 juli;  139 (28)  pp. 1459 1461.  (8)  NRC Ilandelsblad. 6 januari 1996. 

i/ J 

23  ‑ 16  1 168 (香法'96)

参照

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