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論 説
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法 に お け る 援 助 行 動 の 位 置 づ け
社会調査に基づく日米比較
木 下 麻 奈 子
目 次 第 1章 問 題 の 所 在
第 2章 援 助 行 動 に 関 す る 日 米 の 比 較 第 1節 日米データの比較の前提
第 2節 日米における性別と年齢の関係 第 3節 援 助 行 動 の 規 範 性
第 4節 援 助 行 動 に 対 す る 人 々 の 認 識 第 5節 援 助 行 動 の 類 型
第 6節 考 察
第3章 援 助 行 動 と 法 の 関 係
第 1節 状 況 別 の 援 助 意 図 : 認 知 上 の 論 理 構 造 第2節 援 助 行 動 に 関 す る 法 の 論 理
第 3節 援助行動に関する法の論理と認知上の論理 第 4節 考 察
第 4章 援 助 行 動 を 支 え る 社 会 第 1節 援 助 法 の 必 要 性
第 2節 ウチ・ソト規範の源泉
第 3節 ウチ・ソト規範が援助行動に与える影響 第 4節 規 範 の 構 造 モ デ ル
第5節 考 察 第 5章 結 論
一 九 八
ー 17‑4 ‑850 (香法'98)
法における援助行動の位置づけ(木下)
九七
第 1 章 問 題 の 所 在
な ぜ 人 は 法 に 従 う の か 。 そ れ は た と え 部 分 的 に で あ れ , 法 が 道 徳 を 基 盤 に し て い る た め か 。 そ れ と も , 法 規 範 自 体 の 持 つ 強 制 力 や 示 範 性 の た め な の か 。 こ れ ら の 問 に 答 え る 手 が か り を , 比 較 文 化 的 な 視 点 か ら 提 示 す る こ と が 本 稿 の 目 的 で あ る 。 よ り 具 体 的 に は , 窮 地 に 陥 っ た 人 を 援 助 す る こ と を 義 務 づ け て , そ れ に 違 反 し た 場 合 に は 制 裁 を 加 え る 法 律 , す な わ ち 援 助 法を取り上げ,日米の実証データをもとにその道徳的基礎づけを試みる。
と こ ろ で , 人 が な ぜ 法 や 道 徳 等 の 規 範 を 遵 守 し た り , あ る い は 遵 守 し な い の か と い う 理 由 は 複 合 的 で あ る 。 こ と ば を 換 え る と , 規 範 は 単 体 と し て 機 能 す る の で は な く , 複 数 の 機 能 か ら な る 内 部 構 造 を 持 っ て い る と 考 え ら れる。たとえば,筆者のデータの一つに,信号が赤でも車が来ない場合に,
横断歩道を渡るか否かを調べた調査がある(アメリカ,日本とも問 14)。興
味深いことに,この質問に対して,日米どちらにおいても 2割弱の人が「常
に伯号を守る」と答え, 3割強の人が「たいてい信号を守る」と回答した。
自 動 車 が 来 な い と い う 状 況 設 定 で は , た と え 赤 信 号 を 無 視 し て 横 断 歩 道 を 渡 っ た と し て も , 自 分 が 事 故 に 遭 う 危 険 性 は 考 え ら れ な い 。 そ れ だ け で はなく,車の来ない道路を渡ったとしても,刑罰や人からの非難という,
社 会 的 な サ ン ク シ ョ ン を 受 け る こ と も ほ と ん ど 考 え ら れ な い 。 こ の よ う に 実 質 的 に 自 分 が 被 害 を 蒙 っ た り , 社 会 的 制 裁 を 受 け る と は 考 え ら れ な い 状 況においてですら, 2割弱もの人が「常に信号を守る」,さらに 3割 強 の 人 が 「 た い て い 信 号 を 守 る 」 と 答 え た 理 由 は 何 な の で あ ろ う か 。 も し 信 号 と いう規範の一種が,「それを守らないなら実質上あるいは法的なサンクショ ン を 与 え る 」 と い う , た だ 一 つ の 理 由 の み で 機 能 し て い る な ら ば , こ の よ う な 現 象 は 説 明 で き な い 。 と す れ ば , 車 の 往 来 が な い 道 路 で 2割 弱 の 人 が 信 号 を 厳 し く 守 る 背 景 に , ま さ に 社 会 背 景 の 相 違 を 超 え て 共 通 す る , 規 範
(I)
の持つ多面的構造を探る鍵が隠されていよう。
ところが,法や道徳が規範として機能するための必要十分条件として,
17‑4~849 (香法'98) り'l
これまでは,もっばら規範のもつサンクションに焦点が当てられてきた。
たとえばウェーバーは,法をその経験的妥当のために特殊な強制装置を持
(2)
つものと定義する。確かにサンクションには,法機能の特徴が最もよく象 徴される場合も少なくないだろう。だがだからといって法規範が社会にお いて果たしている機能を,その一つに還元して説明しきれるものではない。
この点に関して筆者は,サンクションを含めて法の持つ複数の機能に着 目する必要があると考えてきた。すなわち,法の規範構造を分析するにあ たって,サンクションという物理的な行為を伴う外的側面のみではなく,
人びとの内面的な心理過程をも視野に入れることにする。つまり,制度と しての法をその他の社会規範との関係で相対的に捉え,その陰影を,人の 心という鏡に映し出すことを試みる。
まとめていうと,本研究では,日米の援助行動に関する広義の規範意識 を比較することを通じて,次の 3つのレベルで問題を検討する。そしてこ れらの 3つの問題は,援助行動に対する人びとの認知構造の問題を中心に,
より大きな規範の構造の問題,さらにより大きく広がった社会空間の構造 の問題と,関心の対象が展開する同心円,ないし入れ子状の構造を持って
(3)
いる。
さて,第一のレベルの問題として本研究の中心に位置する問題は,援助 行 動 に 関 わ る 人 び と の 認 知 構 造 を 明 ら か に す る こ と で あ る 。 援 助 す る 意 図 がどのような状況要因,態度,潜在的変数と関係を持っているのか,また それらの要因がどのような構造を持っているかを探り,これと諸規範との 関係を分析する。
第 二 の レ ベ ル の 問 題 は , 不 作 為 不 法 行 為 法 の 道 徳 的 基 礎 づ け で あ る 。 す なわち,法律という制度を人の心理過程に映し出し,法と心理の論理構造 を実証的に分析する。これは,法制度と人間行動の関係というマクロとミ
(4)
クロのダイナミズムの問題でもあり,援助行動を義務づける法と,援助に 関する人の認知および行動とがどのように影響しあっているのかを分析す
ることでもある。
九 六
‑ 3 ‑ 11~4~848 (香法'98)
法における援助行動の位置づけ(木下)
九五
最 後 の レ ベ ル の 問 題 は , 法 お よ び 道 徳 等 の 規 範 の 存 在 基 盤 で あ る , 社 会 空 間 の 構 造 を 分 析 す る こ と で あ る 。 法 が 人 び と の 行 動 に 影 響 を 与 え る 過 程 を 一 つ の シ ス テ ム と 捉 え た と き , そ れ ら が 存 在 し て い る 場 と し て の , 社 会 の特性を抜きに して 論じ るこ とは 困難 であ る。 した がっ て, 社会 における 人 び と の 繋 が り 方 や そ れ が 醸 し 出 す 社 会 に 対 す る 意 識 が , 援 助 行 動 に ま つ わ る 種 々 の 規 範 と ど う 絡 み 合 う か に つ い て 分 析 す る 必 要 が あ る 。 と り わ け 近 代 法 が , 理 性 的 か つ 合 理 的 な 人 間 を 前 提 と し て い る こ と に つ い て 疑 問 が 提 示 さ れ て い る 現 在 , 援 助 法 と い う 限 ら れ た 文 脈 で は あ る が , 規 範 を 支 え る コ ミ ュ ニ テ ィ ー や 社 会 構 造 と い う 視 点 か ら , 他 者 に 対 す る 博 愛 的 な 行 動 の背後にある社会の在り方について探りたい。
本稿では,これら 3つのレベルの関心を背景に,援助行動についての日 米 の 規 範 意 識 を 比 較 研 究 す る 。 社 会 シ ス テ ム と し て の 法 と , そ の シ ス テ ム を 支 え る 市 民 の 価 値 意 識 と い う マ ク ロ ー ミ ク ロ 関 係 は , 法 に 関 わ る 現 象 を 分 析 す る の に 有 効 な 分 析 枠 組 み で あ る と 考 え , こ の 見 地 か ら 援 助 に 関 わ る
(5)
人びとの認知や行動と法制度の関係を分析する。
こ れ ま で の 伝 統 的 な 学 問 で は , 法 の シ ス テ ム の よ う な マ ク ロ な 研 究 は 法 学 の 分 野 で , 市 民 の 価 値 意 識 の よ う な ミ ク ロ な 研 究 は 心 理 学 の 分 野 で 行 わ れ て き た 。 本 研 究 は , こ れ ま で 別 個 の 学 問 分 野 で 行 わ れ て き た 両 分 野 の 研 究を,法心理学の立場から融合させる試みである。
第 2 章 援 助 行 動 に 関 す る 日 米 の 比 較
第 1節 日米データの比較の前提本 稿 で は , ま ず 援 助 行 動 に 関 す る 規 範 に 対 し て , ア メ リ カ と 日 本 に お い て そ れ ぞ れ ど の よ う な 特 徴 が 見 ら れ る か を 総 括 し な が ら , 前 章 で 挙 げ た 3 つ の 問 題 を 論 じ て い く 。 本 稿 で 比 較 す る の に 使 用 し た デ ー タ の 詳 し い 分 析
(6)
については,すでに公表されている論文を参照してほしい。以下本稿で「ア メリカのデータ」と略称するものは,筆者が 1994年にアメリカのサンフラ ンシスコ市の有権者 1,000人を対象にした調査結果のことであり,「日本の 17‑4 ‑847 (香法'98) ~ 4
データ」は, 1995年 に 大 阪 市 の 有 権 者 1,000人を対象として行った調査結 果のことである。
ただここで注意しなければならないことは,アメリカと日本を 2国だけ で比較してみても,それはただ西洋の中での異質な一つの国と,東洋の中 での異質な一つの国を比較しているにすぎない可能性があることである。
もしそうであるのならば,両国のデータの結果に差が生じたとしても,そ れが「西洋」と「東洋」という文化の違いなのか,それ以外の特殊要因が
(7)
かかわっているのかが不明となろう。つまり,結果の一般化可能性の問題 である。その危険性を避けるためには,少なくとも比較の基準となる第三 の国を加えた 3点比較の方が優れていよう。しかし本稿では,調査コスト の制約から 2国間の比較に止まった。将来的には, 3国以上を比較するこ
(8)
とによってこれらの問題を克服したい。
第 2節 日米における性別と年齢の関係
日本とアメリカのデータを分析するに先立って,そもそも両国のデータ を比較することが可能かどうか,両国の被験者に偏りはないかを調べるこ とにする。その理由は,被験者に偏りがあるならば,たとえ両者のデータ 分析の結果に差がみられたとしても,それは文化の差ではなく,サンプル の構成員に起因する差である可能性が高くなり,分析結果を一般化できな いからである。
日本とアメリカそれぞれのデータで,性別と年代別のクロス集計を行っ た。アメリカにおいては,各世代に男女比が 4対 6から 5対 5の割合で一 様に分布し,統計的に有意な差はみられなかった。日本においても,各世 代 に 男 女 比 が 4.5対 5.5から 5対 5の割合で一様に分布し,統計的に有意 な差はみられなかった。これらの結果から,日本もアメリカも,デモグラ フィック要因に関してサンプル間に著しい偏りはみられないといえよう。
すなわち,両データの相違は,サンプルの偏りによるものではなく,人々 の態度の差に根差しているものと考えられる。
九四
‑ 5 ‑ 17‑4 ‑846 (香法'98)
法 に お け る 援 助 行 動 の 位 圏 づ け ( 木 下 )
第 3節 援 助 行 動 の 規 範 性
援助行動の規範性を調べるために, ま ず 一 般 的 な 援 助 意 図 に つ い て 尋 ね
たところ, 日米どちらの国においても援助意図は非常に高かった。 アメリ
力 に お い て は , 約 9割 の 人 が 「 絶 対 に 助 け る だ ろ う 」 あ る い は 「 お そ ら く 助けるだろう」と答え(問 3A),
回 答 を し た (問 3)
。
状況別の援助意図においても,
日本においても 8割 以 上 の も の が 同 様 の
「助ける」と答える人が日米ともに多い傾 向にあった。 た だ し ど ち ら の デ ー タ に お い て も 「犯人が凶器を持っている 場合」はその傾向から外れ,
人を上回った。 この結果は,
「助けない」 と答える人が「助ける」と答えた 自 分 の 身 に 降 り か か る だ ろ う と 予 測 さ れ る 危 険の程度が高い時には,
以上に述べたように,
援助意図が低くなることを意味している。
「助けるだろう」と回答した人が日米ともに多いと いう結果は, 両 国 い ず れ の 社 会 に お い て も , 援 助 行 動 が 原 則 的 に 「 よ き こ と」 とみなされ, 時には「・・・すべきこと」 という言明を内在する, 規 範 性 の強い行為とされていることを示している。
しかし一方で,筆者のデータにおいては, 援 助 す る こ と は 法 の 問 題 だ と は必ずしも捉えられていないことが示唆されている。たとえば,「被害者を 助けるかどうかは本来個人の道徳の問題であり,
(9)
と い う 意 見 に 対 す る 回 答 傾 向 に お い て , ア メ リ カ で は 9割 の 人 が 賛 成
(JU
日本においても 8割 5分の人が賛成した。つまり援助行動は,
法 律 が 関 わ る 問 題 で は な
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法 と い う外部からの力や行為によって強制されることに,
考えられている。
必 ず し も 馴 染 ま な い と
このように, 日 米 ど ち ら の デ ー タ に お い て も 示 さ れ た 人 び と の 態 度 の ア ンビバランスさにこそ, 法と道徳の複雑な関係の一端が覗えよう。 すなわ
一 九 ︱ ︱
︱ ち 「援助行動はよい行為だと考える」が, そ の 一 方 で 「 援 助 す る こ と を 立 法で義務づけることには必ずしも賛成しない」 というわけで,人びとのこ のような認知のズレは, 法 と そ れ 以 外 の 規 範 を 区 別 せ し め て い る 「何か」
が存在している証左といえる。
17‑4 ‑845 (香法'98) 6
この点に関して,今まで法と道徳に関する研究において使用されたシナ
(12)
リオの多くは,法の論理と道徳の論理が対立する状況を設定してきた。そ のような設問には,法あるいは道徳を二者択ーしなければならないという 状況が最初からアプリオリに内包されているため,かえって法と道徳が規 範として共有する内部構造を分析するには適していなかった。しかしなが ら,本稿でとりあげる援助行動と援助法の関係においては,法と道徳が対 峙することを必ずしも前提としていないため,規範の内部構造を分析する
にはかえって適していると考えられる。
すでに述べたように,筆者は,規範は,サンクションという唯一の機能 に還元して理解できるものだとは考えていない。すなわち,盛山が指摘す るように,規範は,単なる人びとの期待でもなく,同調行動でもなく,サ
(13)
ンクションでもなく,また「…すべし」という言明の一つでもない。それ らは,規範の機能の一部が顕在化し観察できる特徴ではあるが,逆に規範 を,列挙されたこれらの機能の一つに還元して説明しきれるものではない。
しかしそれらの機能のいくつかを取り出して尺度として設定した上で,そ れらを背後から支えている構造,すなわち規範を規範たらしめている「何
(14)
か」の構造を分析する手掛かりを得ることができると考える。
さらに,たとえあらゆる規範の基本構造は同じであったとしても,規範 の種類により,その拘束力は異なるであろう。最も規範性が弱いルールの もとでは,人びとは自発的にルールに従うかどうかを決めることができる が,規範性の強いルールでは,それに従う理由が明確に意識されなくとも,
行為者を縛る強い拘束力を持ち得るだろう。また同じ規範であっても,各 個人の特性によって,それに対する認識は異なるであろう。このような規 範力の差が生じるのは,規範が生息している生活空間,人と人との繋がり
(15)
方,社会の構造が媒介していると考えられる。これらの社会における人の 九 繋がり方については,第 4章で詳しく検討する。
~7~ 17‑4 ‑844 (香法'98)
法における援助行動の位置づけ(木下)
第 4節 援 助 行 動 に 対 す る 人 々 の 認 識 (1) 援 助 意 図 と 個 人 的 要 因
援 助 法 が な い 場 合 に つ い て , 援 助 意 図 と 個 人 的 要 因 の 関 係 を , 日 本 と ア メ リ カ の そ れ ぞ れ に お い て 調 べ た 。 そ の 結 果 , ア メ リ カ に お い て は , 人 種 別 で 統 計 的 な 差 が み ら れ , ア ジ ア 系 の 人 の 援 助 意 図 が 弱 か っ た い く0.05)。
こ れ 以 外 の 要 因 と の 関 係 で は , 収 入 お よ び 宗 教 と 弱 い 関 係 が 見 ら れ る も の の , 顕 著 な 傾 向 は 見 出 せ な か っ た 。 一 方 , 日 本 に お い て は 多 く の 要 因 と の 間 に 関 係 が み ら れ , 革 新 的 ゆ く 0.05), 男 性 (0.05
< P <
0.01), 高 学 歴 ゆ<
0.05), 管 理 職 ゆ く 0.05), 近 所 と の 交 流 が 多 い 人 い く 0.05), 宗 教 を 信 仰 し て い る 人 (p<
0.01)が 他 者 を 援 助 す る 傾 向 に あ っ た 。 い わ ば , 社 会 的に 中 核 的 な 位 置 に あ り , 責 任 感 が 強 い 人 の 援 助 意 図 が 強 い と い え よ う 。 援 助 法 が あ る 場 合 に お い て は , ア メ リ カ で は , 専 門 職 や 学 生 ゆ く 0.01), 生 育 地 が 大 都 市 郊 外 と 中 小 都 市 (0.05
< P <
0.01)に お い て 援 助 意 図 が 強 か っ た 。 日 本 で は , 男 性 (0.05< P <
0.01), 高 学 歴 ゆ く 0.05), 近 所 と の 交 流 度 が 多 い 人 ゆ く 0.05)に お い て 援 助 意 図 が 強 か っ た 。 ど ち ら の 国 に お い て も , 社 会 的 に 関 与 す る 程 度 の 高 い 人 , 社 会 的 に 高 い 責 任 を 負 っ て い る 人 ほ ど 援 助 意 図 が 強 い 傾 向 に あ っ た が , 日 本 に お い て そ の 傾 向 が 顕 著 で あった。
こ こ で 注 目 す べ き こ と は , ア メ リ カ で は 「 誰 か が 暴 漢 に 襲 わ れ て い る の を 見 た こ と が あ る 」 と 答 え た 人 が 半 数 あ ま り い た の に 対 し , 日 本 で は 2割 弱 の 人 し か い な か っ た こ と で あ る ( ア メ リ カ 問 1, 日 本 問 1)。 日 本 の 治 安 が よ い こ と の 現 れ で あ ろ う 。 と こ ろ が , 日 本 に お い て は , 過 去 に 危 険 な 状 況 に 遭 遇 し た こ と が 少 な い に も か か わ ら ず , 個 人 的 要 因 と 統 計 的 に 有 意 な 差 が み ら れ た 場 合 が 多 か っ た の で あ る 。 と い う こ と は , 少 な く と も 日 本 で 九 は , 援 助 意 図 が , 状 況 要 因 よ り も 各 人 の 特 性 , と り わ け 社 会 的 な 責 任 に 対 す る 認 知 の 差 に 根 差 し て い る こ と を 示 唆 し て い る の で は な い か 。 つ ま り 社 会により深く関与し,社会的な責任が高くなる人ほど,「援助すべきである」
と い う 規 範 認 識 が 高 く な る の で あ る 。 こ の 社 会 的 責 任 の 認 知 の 相 違 は , 社
17~4~343 (香法'98) ―‑8 ~
会における個人の位置づけ,さらには社会構造そのものが日米の文化で異 なることを意味しており,本稿の関心に照らし合わせると着目すべき点と いえよう。
(2) 援 助 行 動 を 取 り 巻 く 規 範 の 構 造
規範の構造を分析するために, LISRELと い う 統 計 的 な 手 法 を 使 用 し た。このモデルでは,援助行動がモラリティーに対する評価,法の目的に 対する評価,サンクションに対する評価の 3つの潜在変数によって決定さ れると考えている。なお本稿では,今後このモデルを, 3つの潜在変数,
Morality, Legal Purpose, Sanctionの 頭 文 字 を 取 っ て MLSモ デ ル と 略 称する。一部前稿の繰り返しになるが, 3つの潜在変数を支持する両国の 人びとの特徴を,簡単に比較すると次の通りである。
まず,モラリティーを支持する人の特徴について比較する。アメリカで これを支持する人は,若い人 (p
<
0.01), 教 育 程 度 の 高 い 人 (p<
0.01),(16)
政 治 的 に リ ベ ラ ル な 人 (p
<
0.05)であった。すなわち,モラリティーを支 持する人は,法に対して否定的な態度をとり,法とは別の基準を持って自 分の行為を判断すべきと考えている人であった。これは,アメリカで言わ(17)
れる「ヤッピー」のイメージに近い。その人たちは,「正しいことをさせる のに,法が最もよい手段だ」という意見に対しては,否定的な態度を示し (p
<
0.01), 厳 罰 を 支 持 せ ず (p<
0.01), 自分の身の安全を考え助けないこ とに否定的であり (p<
0.05), 「車が来ていなくても赤信号は渡らない」と いう質問に対しては,否定的な態度を示した (p<
0.01)。一方,日本においては,モラリティーを支持する人は年齢の高い人 (p
<
0.05)で あ っ た 。 モ ラ リ テ ィ ー を 支 持 す る 人 は 法 に 対 し て 肯 定 的 な 態 度 を 示し,たとえば「正しいことをさせるのに,法が最もよい手段だ」という
(18)
意見に対して肯定的な態度を示した (p
<
0.05)。また,車が来ていなくて も 赤 信 号 は 渡 ら な い と い う 質 問 に 対 し て は 肯 定 的 な 態 度 を (p<
0.05), さ らに法に対しても反発を感じないと考えていた (p<
0.05)。一言にいえば,日本でモラリティーを支持する人は,保守的で伝統的な価値観を持つ人た 九〇
~9~ 17‑4 ‑842 (香法'98)
法における援助行動の位置づけ(木下)
八九
ち で あ る 。 モ ラ リ テ ィ ー を 支 持 す る と い っ て も , そ の 中 味 は , 日 本 と ア メ リカで正反対であることがわかる。
次 に , 法 の 目 的 を 支 持 す る 人 の 態 度 を 比 較 す る 。 ア メ リ カ で 法 の 目 的 に 対 す る 評 価 を 支 持 す る 人 は , 世 の 中 を 低 倫 理 社 会 だ と 考 え る 人 い く 0.01), 収 入 の 低 い 人 い く (l.01)である。これらの人は,「正しいことをさせるのに 法が最もよい手段だ」とし
( p
< 0.01), 「低倫理社会ではそのような法が必 要である」いく 0.01)と考え,「そのような法があると,いやいやながらで も援助するようになる」 (p< 0. 01)と回答し,「そのような法は世の中によ い 道 徳 を 示 す 」 と い う 態 度 を 示 す 人 ゆ く 0.01)であった。一 方 , 日 本 お い て は , 法 の 目 的 を 支 持 す る の は , 世 の 中 が 低 倫 理 社 会 に な っ た と 考 え る 人 (p< 0.01), 高 収 入 者 (p< 0.05), 大 都 市 で 育 っ た 人 (p
< 0. 05)であった。これらの人は,正しいことをさせるのに法を最善の手段 と 考 え い く 0.01), 法 に よ る 義 務 化 に よ っ て 正 し い 道 徳 規 範 を 示 す こ と が 可能となり (p< 0.01), 低 倫 理 社 会 で は 法 で 義 務 づ け る べ き で あ る ゆ く 0. 01)と考えていた。日本とアメリカを比較すると,収入において両者は正 反対であったが,その他の点においてはかなり一致した傾向を示した。
最 後 に , サ ン ク シ ョ ン を 支 持 し た 人 を 比 較 す る 。 ア メ リ カ に お い て サ ン ク シ ョ ン を 支 持 し た 人 は , 世 の 中 を 低 倫 理 社 会 だ と 評 価 し ゆ く 0.01), 低 収 入 の 人 (p< 0. 05), 保 守 的 な 傾 向 の あ る 人 (0.05< P < 0.1)であった。
こ れ ら の 人 は , 罰 を 避 け る た め に 援 助 行 動 が 増 え る こ と に 好 意 的 で あ り(p
< 0.01), 法 が あ る と い や い や な が ら で も 援 助 す る よ う に な る と 考 え い く 0. 05), 厳 罰 も 必 要 だ と 考 え て い た い く 0.05)。
日 本 に お い て サ ン ク シ ョ ン を 支 持 し た 人 は , 世 の 中 の 倫 理 が 低 く な っ た と考えている人である (p< 0. 01)。 こ れ ら の 人 は , 罰 を 避 け る た め に 被 害 者 を 助 け る 人 が 増 え て く る と 考 え (p<0.01), 道 徳 的 な 行 い を 法 律 に よ っ て 強 制 し た 場 合 で も 反 発 を 感 じ る 人 が 出 て く る と は 考 え ず い く 0.05), 違 反 行 為 に 重 刑 を 課 す 法 律 を 支 持 し た (p< 0.01)。
以 上 の 結 果 が 意 味 す る の は , ア メ リ カ と 日 本 に お い て モ ラ リ テ ィ ー に 対
17~4~841 (香法'98) ~10~
する評価,法の目的に対する評価,サンクションに対する評価の 3つ の 潜 在 変 数 が 部 分 的 に は 同 じ 構 造 を 持 ち な が ら , 他 方 で は か な り 異 な っ た 構 造
を持っていることである。その特徴として第一に,アメリカにおいては,
モラリティーに対する評価と法の目的に対する評価が対立する概念として 捉えられているが,日本においては,両者は必ずしも対立せず,場合によ っては,両者の区別がされていないということである。この結果は,日本 においては法とモラリティーは同じ規範空間に存在するのではなく,異な る次元空間に存在するものと認識されていることを意味する。すなわち日 本 で は , 法 と 道 徳 規 範 は 必 ず し も 対 立 す る も の で は な く , 共 存 し う る も の なのである。第二に,社会的責任のもつ意味が,アメリカと日本では異な ることである。社会的責任とは,いわば年齢や地位に応じて,自分が社会 の中でどのように位置づけられているか,自己と社会の繋がりを知覚する
ことによって生まれるものである。この観点からすると,日米両社会にお いては,社会と人の繋がり方が異なるわけである。モラリティーを支持す る社会階層の基盤が,日米でまった<逆であったことは,その典型例とい えよう。
第 5節 援 助 行 動 の 類 型
以 上 述 べ て き た よ う に , 両 国 に お い て 援 助 行 動 を 支 え て い る 要 因 の 構 造 は異なる。そこで本節では,次の二つの問題を分析する。第一は,これら の 要 因 の 組 み 合 わ せ と し て 作 ら れ る 援 助 行 動 と し て , ど の よ う な 類 型 の 行 動が多いのか,第二は,それぞれの援助行動の類型はいかなるデモグラフ
ィック要因と関係が大きいかという点である。
まず,アメリカにおける援助類型で最も多かったのは,外面的同調行動,
(19)
次いで内面的同調行動,逸脱行動,個人行動,心理的反発の順であった。
それに対し,日本では,多い順に,個人行動,内面的同調行動,逸脱行動,
(20)
外面的同調,心理的反発であった。両者を比較すると,日本においては,
アメリカに比べて個人行動が多く,外面的同調が少なかった。
¥ 1 ︑
J J
~11~ 17‑4 ‑840 (香法'98)
法における援助行動の位償づけ(木下)
八七
次に,援助類型がどのデモグラフィック要因と関係が強いかを調べた。
その結果,アメリカでは,政治的態度 (0.05
<
P<
0 .1), 年 齢 (p<
0.01), 学 歴 (p<
0.01), 職 業(p<
0. 05), 収 入 ゆ く 0.01), 育 っ た 場 所(p<
0.05), 人 種 (O.05<
P<
0. 1), 宗 教(p<
0.01)と 統 計 的 に 有 意 な 関 係 が み ら れた。たとえば,政治的にリベラルな人の中では,内面的同調行動と逸脱行 動の占める割合が高く,中道の人の中では外面的同調行動の占める割合が 多い傾向がみられた。年齢別では,若い人に内面的同調と逸脱行動が多く みられたが, 50歳代以上では外面的同調行動と個人行動が占める割合が高
くなった。 40歳代は移行期間にあたるようであった。学歴別では,低学歴 の人に外面的同調行動が多いのに対し,高学歴の人に逸脱行動が比較的多 かった。職業別では,ブルー・カラー,主婦,引退した人に外面的同調が 多く,ホワイト・カラーや管理職に逸脱行動が多かった。収入別では,年 収 2万ドル未満の人に外面的同調が多かったが,高所得者になると逸脱行 動が増えた。育った場所別では,大都市郊外で育った人に逸脱行動が多く,
中小都市や町村で育った人には外面的同調が多かった。人種別ではアジア 系の内で逸脱行動や個人行動が少なかった。宗教別では,プロテスタント やカソリックの人に外面的同調が多く,無宗教の人に逸脱行動が多かった。
アメリカのデータにみられる援助行動の類型の特徴をまとめると,次の 通りである。内面的同調による援助行動が多いのは,政治的にリベラルな 人,年齢の若い人であった。外面的同調に基づく援助行動が多いのは,政 治的に中道の人, 50歳代以上,低学歴の人,ブルー・カラー,主婦,引退 した人,年収2万ドル未満の人,中小都市や町村で育った人,プロテスタ ントやカソリックの人であった。すなわち社会的に保守的な階層の人たち であった。それに対し,逸脱行動に基づく援助行動が多いのは,政治的に リベラルな人,若い人,高学歴の人,ホワイト・カラーや管理職,高所得 者,大都市郊外で育った人,無宗教の人と,社会的に革新的な人たちと重 なる傾向がみられた。個人行動は年配の人に多く見られた。心理的反発に ついては,際立った特徴がみられなかった。
17‑4 ‑839 (香法'98) ~12~
一方,日本において内面的同調による援助行動が多かったのは,年齢の 高い人,学歴の低い人,商工業および無職の人,高収入の人および無収入 を除く低収入の人,町村で育った人,仏教徒といった,どちらかというと
(21)
社会的に保守的傾向の強い人たちであった。それに対し,外面的同調によ る援助行動は,社会的に革新的な階層に多く見みられた。たとえば,若い 世代,技能・労務者,収入が中程度,中小都市で育った人,無宗教および その他の宗教を信じている人の中で多かった。ただし革新的階層といって
もその中味は,日本と米国とで微妙に異なる。逸脱行動の比重が重かった のは,年配の人,学歴の低い人,無職の人,高収入の人,無収入および低 収入の人,町村で育った人,仏教徒および神道の信者であった。個人行動 が多くみられたのは,若い人,学歴の高い人,事務職の人,収入が中程度,
大都市および大都市郊外で育った人,無宗教およびその他の宗教の人たち で,日本における社会的に革新的な階層の人と重なった。心理的反発を示 した人については,その絶対数が少なく,一定の傾向は認められなかった。
以上の結果を比較した場合,次の三つの特徴が指摘できよう。第一に,
年齢の変化に伴い顕在化する援助行動の類型が,日米では正反対であるこ とである。すなわちアメリカでは,若い人に内面的同調と逸脱行動が多く みられたが,日本では反対に,年齢の高い人に多くみられた。
一般的にいうと,年齢による変化が,年齢に伴う社会的地位の上昇や役 割の変化に基づくものなのか,あるいは世代的な変化によるものかは,一 つのデータだけではっきりしたことを述べることは難しい。しかし日米ど ちらのデータにおいても,職業や学歴による変化が年齢による変化と対応 しながら生じることから,どちらかというと,社会的地位の上昇に基づき 社会的な責任知覚が変化した結果として出てきたものと考えられる。この 観点からすると,年齢に伴う援助に対する社会的責任への自覚が,日米間 で正反対であることを示しているわけで,興味深い。
第二は,社会的に保守的および革新的な階層が示す援助行動の行動類型 が,両国で対照的であることである。アメリカにおいては,社会的に保守
八六
‑ 13 ‑ 17‑4 ‑838 (香法'98)
法における援助行動の位置づけ(木下)
的 な 階 層 は 外 面 的 同 調 行 動 を 示 し , 社 会 的 に 革 新 的 な 人 た ち は 逸 脱 行 動 な い し は 内 面 的 同 調 を 示 し た 。 他 方 , 日 本 で は , 社 会 的 に 保 守 的 傾 向 の 強 い 人たちは内面的同調行動や逸脱行動を示したが,社会的に革新的な階層は,
外 面 的 同 調 や 個 人 行 動 を 示 し た 。 第 一 の 点 と 重 な る が , 援 助 に 対 す る 社 会 的 責 任 へ の 自 覚 や 規 範 に 対 す る 意 味 づ け が , 日 米 間 で 異 な る こ と を 示 し て いる。
第 三 は , 外 面 的 同 調 行 動 を 支 持 す る 層 と 逸 脱 行 動 を 支 持 す る 層 が , 日 米 と も 重 な っ て い る こ と で あ る 。 た だ し , 日 本 に お い て は , こ の 傾 向 は そ れ ほ ど 顕 著 で な か っ た 。 援 助 行 動 を す る か ど う か の 意 思 決 定 過 程 に 関 す る 筆
('ll)
者 の モ デ ル で は , モ ラ リ テ ィ ー も 法 の 目 的 も 受 け 入 れ る と こ ろ ま で は 同 じ で も , そ の 後 , サ ン ク シ ョ ン を 否 定 す る 過 程 を と る と 逸 脱 行 動 と な り , サ ン ク シ ョ ン を 肯 定 す る 過 程 を と る と 外 面 的 行 動 と な る 。 す な わ ち こ れ ら の 層 は , 法 に 対 す る 認 知 の 内 部 が 分 化 し て い る 階 層 と し て 区 別 で き る と い え よ う 。 ま た ア メ リ カ に お い て は , 内 面 的 同 調 行 動 を 支 持 す る 層 と 個 人 行 動 を 支 持 す る 層 も 重 な る 傾 向 を み せ た が , こ の 支 持 層 に お い て は 規 範 の 下 部 構 造 が 分 化 し て お ら ず , 援 助 に 関 す る 諸 規 範 を 一 括 し て 受 け 入 れ る か 否 か が類刑を決めたと考えられる。
第 6節 考 察
日 本 と ア メ リ カ そ れ ぞ れ に お い て , 調 査 サ ン プ ル は デ モ グ ラ フ ィ ッ ク 要 因 に 関 し て 著 し い 偏 り は み ら れ ず , 構 成 員 の 特 性 に 差 は な い こ と が 確 か め ら れ た 。 こ の こ と を 確 認 し た 上 で , 援 助 行 動 に 関 す る 規 範 に 対 し て 人 び と がどのような態度を持つかについて日米の比較を行った。
まず第 3節 で は , 援 助 行 動 が 種 々 の 規 範 と ど の よ う な 関 係 に あ る か に つ 八 い て 検 討 し た 。 そ の 結 果 , 一 般 的 な 援 助 意 図 に 関 し て は , 日 米 ど ち ら の 国
五 においても援助意図は非常に高いことが判明した。アメリカにおいては,
約 9割 の 人 が 「 絶 対 に 助 け る だ ろ う 」 あ る い は 「 お そ ら く 助 け る だ ろ う 」 と答え,日本においても 8割以上のものが同様の回答をした。
17‑4 ‑837 (香法'98) ―‑14~
しかし一方で,援助することが法の問題だとは必ずしも捉えられていな いことが示唆された。たとえば,「被害者を助けるかどうかは,本来個人の 道 徳 の 問 題 で あ り , 法 律 が 関 わ る 問 題 で は な い 」 と い う 質 問 に 対 し て , ア メリカにおいても日本においても,ほとんどの人が賛成の意を表明した。
つま り 援 助 行 動 は, 法と いう 外部 から 加え られ る行 為に よっ て強 制さ れる ことに必ずしも馴染まないと考えられている。これらのデータが示すよう に , 人 び と の 態 度 の 中 に は , 法 と そ れ 以 外 の 規 範 を 区 別 せ し め て い る 「 何 か」が存在しているらしい。
で は , そ の 「 何 か 」 を 見 出 す こ と は 不 可 能 な の で あ ろ う か 。 こ れ ま で の デ ー タ 分 析 か ら , そ の 手 掛 か り に な る 結 果 が 得 ら れ た 。 第 一 に , 援 助 意 図 と個人的要因とのクロス表分析から,援助意図が,各人の特性,とりわけ 社 会 的 な 立 場 か ら 派 生 す る , 社 会 的 責 任 に 対 す る 認 知 と 関 係 が 深 い こ と が 示された。
第二に, LISRELの結果からも,日米両社会における援助行動の意味を 理 解 す る 上 で , 社 会 的 責 任 と い う 概 念 が キ ー ワ ー ド と な る こ と が 示 さ れ た
(第 4節)。社会的責任とは,年齢や地位に応じて,社会の中で自分がどの ように位置づけられているか,自己と社会の繋がりを知覚することによっ て生まれるものである。日米において,社会的責任のもつ意味が異なるこ と が 明 ら か に さ れ た が , こ の こ と は そ の 意 味 で , 両 社 会 に お い て 社 会 と 人 の 繋 が り 方 が 異 な る こ と を 示 し て い る 。 な お こ の 問 題 に つ い て は , 後 に 第
4章でもう一度言及する。
さらに LISRELの結果から,アメリカにおいては,モラリティーに対す る 評 価 と 法 の 目 的に対する評価が対立する概念 と して捉 え られて い るのに 対 し , 日 本 に お い て は , 両 者 は 必 ず し も 対 立 し た 概 念 で は な く , 場 合 に よ っては,両者の区別がされていないことが明らかとなった。日本における この結果は,法とモラリティーが同じ規範空間に存在すると考えた場合,
矛 盾 し た 状 態 の よ う に 思 わ れ よ う 。 し か し , 日 本 に お い て 法 と 道 徳 規 範 が 異 次 元 の 空 間 に 存 在 す る と 認 識 さ れ て い る の で あ れ ば , こ の 結 果 は 十 分 納
八四
15 ‑ 17‑4 ‑836 (香法'98)
法における援助行動の位置づけ(木下)
得のいくものである。
第 5節では, 援助行動の類型について分析した。 その結果,第一に, 年 齢の変化に伴い顕在化する援助行動の類型が, 日米では正反対であること が 示 さ れ た 。 第 二 に , 社 会 的 に 保 守 的 お よ び 革 新 的 な 階 層 が 示 す 援 助 行 動 の 行 動 類 型 が , 両 国 で 対 照 的 で あ る こ と が わ か っ た 。 第 三 に , 外 面 的 同 調 行 動 を 支 持 す る 層 と 逸 脱 行 動 を 支 持 す る 層 が 重 な っ て い る こ と が 明 ら か と
なった。 これらの結果が示すように, 日米における社会的責任と援助行動 の関係にはかなりの差異があることがわかる。
以上のように, 日 本 と ア メ リ カ で は , 援 助 行 動 に 関 わ る 規 範 の 意 味 づ け が大きく異なることが明らかになった。 とくに, そ れ ぞ れ の 援 助 行 動 の 類 型を支持する社会階層が,日米間で対照的であることが印象的である。
れ ら の 相 違 が 生 じ た 背 後 に は , 社 会 的 責 任 の 認 知 の 相 違 , 社 会 に お け る 人
こ
の位置づけ,
第 3 章
さらには人世の営みの仕方やライフ・スタイル, 人 と 人 の 距 離の置き方,社会化の過程等の差異が反映しているものと考えられる。
援 助 行 動 と 法 の 関 係
本章では,「窮地に陥っている見知らぬ人を,援助しなければならない」
という問題について,人びとの心理的な論理と法の論理を比較する。 また そ の こ と を 通 じ て , 援 助 行 動 に 関 す る 社 会 的 責 任 に 対 し , 法 と い う 公 的 な も の が ど の よ う な 意 味 を 付 与 し , 人 び と が そ れ ら を ど の よ う に 理 解 し て い るかを,日米それぞれの社会において分析する。
さて第 2章では,援助行動を支える価値観の構造を検討したが,
踏 ま え て 本 章 で は , 援 助 法 が 存 在 す る も と で 状 況 を 具 体 化 し た 場 合 , 規 範 それを
に対する人びとの接し方は, どのように変化するかについて検討する。
一八
三 まず,援助に対する人びとの認知上の論理を検討する。 ここでは典型的 な 例 と し て , 犯 人 が 複 数 の 場 合 と レ イ プ 事 件 を 取 り 上 げ て 日 米 間 の 態 度 を 比較する。次に, ア メ リ カ と 日 本 に お け る , 援 助 行 動 に 関 す る 法 の 論 理 を 比較する。最後に,
17‑4 835 (香法'98)
人 び と の 心 理 的 論 理 と 法 律 の も つ 論 理 を 比 較 し た う え
‑ 16
で,日米両国における規範の意味を考察する。
第 1節 状 況 別 の 援 助 意 図 : 認 知 上 の 論 理 構 造 (1) 犯 人 が 複 数 の 場 合
犯 人 が 複 数 い る 状 況 下 で の , 日 米 両 国 の 援 助 に 対 す る 人 び と の 認 知 上 の 論 理 を み て み よ う 。 ア メ リ カ に お い て , 犯 人 が 複 数 い る 場 合 は , 危 険 度 は 中程度と考えられている。 4段 階 の 順 序 尺 度 で 測 定 し た と こ ろ , 援 助 意 図 の平均値は,法のない場合は 2.683, 法 の あ る 場 合 は 2.804と,援助意図の
(23)
高い方から 6条 件 中 5番目であった。この場合の援助意図の分布をみると,
法の有無に関係なく,「たぶん助けるだろう」という回答を頂点として,正 規分布に近い分布を示した(「アメリカ編」の第 3図を参照のこと)。また 法があると,「絶対助けるだろう」あるいは「たぶん助けるだろう」という
回答が増加し,その分「たぶん助けない」,「絶対助けない」という回答が 減 っ て い た 。 法 の 有 無 に よ る 分 布 の 変 化 は , 統 計 的 に も 差 が み ら れ (p
<
0. 01), 援助法によって,援助する人が増加することを示している。
日本においては援助意図は異なる分布を示し,「たぶん助ける」と「たぶ ん 助 け な い 」 と い う 中 間 的 な 回 答 者 が ほ ぼ 同 数 い た 。 世 論 調 査 に お け る 回 答 形 式 と し て 評 定 尺 度 を 用 い た 場 合 , 両 端 の 明 確 な 意 見 は 避 け て 中 間 的 回 答 を 選 択 す る の は , こ れ ま で の ほ と ん ど す べ て の 調 査 に 現 れ た 日 本 の 特 性
(24)
で あ る 。 た だ し 日 本 で も , 法 が あ る と 「 絶 対 助 け る だ ろ う 」 と 答 え る 人 が 若干増加した。法の有無による変化は,統計的にも有意な差がみられた (p
<
0.05)。援助意図の平均値は,法がない場合で, 2.5125, 法 が あ る 場 合 で偽)
2.5688であり,援助意図の高い方から 6条 件 中 3番目の中間に位置する。
この変化を
OrderedP r o b i t
と い う 統 計 手 法 を 使 用 し て さ ら に 分 析 し たと こ ろ , 犯 人 が 複 数 の 場 合 , ア メ リ カ に お い て は , 法 の な い 状 況 で は , 援 八 助 す る こ と は モ ラ リ テ ィ ー の 問 題 (p
<
0.01)だと認知され,他の 2潜 在 変(漏)
数 は 統 計 的 に 有 意 な 差 は み ら れ な か っ た 。 と こ ろ が 法 が あ る 状 況 で は , ア メ リ カ 人 の 態 度 は 一 転 し , 法 の 目 的 に 関 す る 問 題 (0.05
< P <
0.10)だと~17~ 17‑4‑834 (香法'98)
法における援助行動の位置づけ(木ド)
叩
評 価 し た 。 そ の 他 の 潜 在 変 数 は , 統 計 的 に 有 意 な 差 は み ら れ な か っ た 。 こ の 結 果 が 意 味 す る こ と は , 被 害 者 が 複 数 の 相 手 か ら 暴 力 を 加 え ら れ て い る のを目撃したとき,法がない場合においては私的に行う問題だと考えるが,
法 が あ る 場 合 は , そ れ を 義 務 づ け る こ と に 賛 成 す る 傾 向 が あ る こ と を 示 し ている。
そ れ に 対 し て 日 本 に お い て は , 法 の な い 状 況 で は , 援 助 す る こ と は モ ラ リ テ ィ ー に 対 す る 評 価 は 統 計 的 に 有 意 と な っ た い く 0.05)が,係数値はマ
(28)
イ ナ ス 方 向 で あ っ た 。 先 に モ ラ リ テ ィ ー に 対 す る 評 価 を 「 援 助 を 私 的 な 間 題 だ と 考 え る 」 と 定 義 し た こ と か ら 説 明 す る な ら , 援 助 は 自 分 が な す べ き 問 題 で は な い と 認 知 し た の で あ る 。 一 方 , 法 が あ る 状 況 で は , 法 に 関 わ る 問 題 だ と 認 知 さ れ る よ う に な っ た 。 す な わ ち , モ ラ リ テ ィ ー に 対 す る 評 価 ゆく()̲01), 法 の 目 的 に 対 す る 評 価 (p
<
0.01)お よ び サ ン ク シ ョ ン に 対 す(29)
る 評 価 (p
<
0.05)は , そ れ ぞ れ 統 計 的 に 有 意 な 差 が み ら れ た 。 た だ し モ ラ リ テ ィ ー に 対 す る 評 価 と サ ン ク シ ョ ン に 対 す る 評 価 の 係 数 値 は マ イ ナ ス で あ る 。 こ れ を 平 た く 言 う と , 援 助 は 私 的 に 行 う べ き 行 為 だ と は 考 え ず , 法 で 義 務 づ け る こ と に 賛 成 す る 。 し か し , 助 け な か っ た か ら と い っ て , 罰 を 加 え ら れ る こ と に は 賛 成 し な い の で あ る 。(2) レ イ プ 事 件 の 場 合
次 に , レ イ プ 事 件 で の , 日 米 両 国 の 援 助 に 対 す る 人 び と の 認 知 上 の 論 理 を み る 。 こ の 状 況 で は , 援 助 者 に 対 す る 危 険 度 は 低 い と 考 え ら る 。 事 実 ア メ リ カ に お い て , そ の 状 況 に お け る 援 助 意 図 の 平 均 値 は , 6条 件 中 最 も 高 い。すなわち,法のない場合は 3.468, 法 の あ る 場 合 は 3.491である。援助 意 図 の 分 布 を み る と , 「 絶 対 助 け る 」 と 回 答 す る 人 が 圧 倒 的 に 多 く , 援 助 法 が あ る 場 合 も な い 場 合 に お い て も , 全 体 の 94%あまりが「絶対助ける」あ 八 る い は 「 た ぶ ん 助 け る 」 と 答 え た 。 法 が あ る 場 合 , 絶 対 助 け る だ ろ う と 答
え る 人 が 若 干 増 え る が , 統 計 的 な 差 は み ら れ な か っ た 。
日本においては,援助意図の平均値は,法がない場合, 2.96554であり,
法 が あ る 場 合 は 3.0223で あ っ た 。 援 助 意 図 の 分 布 は , 「 た ぶ ん 助 け る だ ろ
17 4 833 (香法'98) ‑‑ 18 -—
う」が圧倒的に多く,「たぶん助けない」あるいは「絶対助けないだろう」
は 非 常 に 少 な か っ た 。 ア メ リ カ に お い て は 「 絶 対 に 助 け る だ ろ う 」 と い う 回 答 が 頂 点 で あ っ た こ と と 比 べ る と , 分 布 の 頂 点 が 援 助 意 図 の 低 い 方 に あ っ た 。 ま た 法 が あ る 場 合 に は 援 助 意 図 が 少 し 高 く な り , 統 計 的 に も 有 意 な 差 が み ら れ た (p< 0.01)。
Ordered Probitに よ っ て 両 国 の 差 を 比 較 し た と こ ろ , ア メ リ カ に お い て は 法 が な い 場 合 に お い て も , 法 が あ る 場 合 に お い て も , モ ラ リ テ ィ ー に 対
(30)
する評価のみが有意となった(それぞれ
P
< 0.01)。つまりレイプ事件を目 撃 し た と き 援 助 す る こ と は , 法 が あ ろ う と な か ろ う と , 個 人 的 正 義 に 基 づ いた私的な問題だと考えるのである。一 方 , 日 本 に お い て は , 法 の な い 場 合 は モ ラ リ テ ィ ー に 対 す る 評 価 の み
(30
が マ イ ナ ス 方 向 に 有 意 と な っ た (p<0.01)。レイプ事件を目撃したとき,
援 助 は 自 分 が な す べ き 問 題 で は な い と 認 知 し た こ と を 意 味 し て い る 。
事 件 の 性 質 は 多 少 異 な る が , い じ め に 関 す る 日 米 の 比 較 調 査 で , い じ め ら れ て い る 子 供 を 見 た 場 合 , 私 的 に 援 助 す る 率 が ア メ リ カ (39.1%)に 比
(32)
べ て 日 本(19.7 %)ではかなり低いことが知られている。今回のデータは,
援 助 に つ い て の 内 発 的 動 機 づ け (intrinsicmotivation)が 日 本 に お い て 低 いという意味で,これと同じ傾向を示しているといえよう。これに対して,
法 が あ る 場 合 は , モ ラ リ テ ィ ー に 対 す る 評 価 (p< 0.01)とサンクションに 対 す る 評 価 (p
<
0.05)の 両 者 は マ イ ナ ス 方 向 に 有 意 と な り , 法 の 目 的 に 対(33)
す る 評 価 (p< 0.01)は プ ラ ス 方 向 に 有 意 と な っ た 。 つ ま り 犯 人 が 複 数 い る 場 合 と 同 様 に , 援 助 は 私 的 に 行 う べ き 行 為 だ と は 考 え ず , 法 で 義 務 づ け る こ と に 賛 成 す る が , 助 け な か っ た か ら と い っ て , 罰 を 加 え ら れ る こ と に は 賛成しないのである。
以 上 の 結 果 か ら , 日 本 と ア メ リ カ と で は , 援 助 場 面 に お け る 法 の 役 割 に つ い て , 異 な る 認 知 を さ れ て い る こ と が 明 ら か と な っ た 。 す な わ ち ア メ リ 力 に お い て は , 犯 人 が 複 数 い る 場 合 は 援 助 義 務 を 法 的 に 認 め る べ き だ と 考 え る 。 レ イ プ 事 件 に お い て は , 援 助 す る こ と が 法 が 介 入 す る ま で も な く 道
八〇
19 ‑ 17‑4 ‑832 (香法'98)
法における援助行動の位圏づけ(木下)
徳 上 強 く 要 請 さ れ て い る と 捉 え て い る 。 そ れ に 対 し て 日 本 に お い て は , 犯 人 が 複 数 い る 場 合 に お い て も レ イ プ 事 件 に お い て も , 法 と い う 公 的 制 度 が
「 援 助 す べ し 」 と い う 作 為 義 務 を 法 と し て 宣 言 す る こ と は 許 容 す る が , 援 助 し な か っ た と い う 不 作 為 に 対 し て 自 己 に 責 任 が あ る と 感 じ ず , 不 作 為 に 対 し て 罰 則 を 与 え る こ と に は 消 極 的 な 態 度 を 示 す と い え よ う 。 こ の 観 点 か ら す る と , 不 作 為 責 任 と 作 為 責 任 は 必 ず し も 裏 表 の 関 係 に あ る と は 捉 え ら れていないといえる。
七九
第 2節 援 助 行 動 に 関 す る 法 の 論 理
日 米 間 に お い て , 上 記 で 述 べ て き た よ う な 人 の 認 知 的 な 論 理 構 造 に 違 い が 生 じ る の は , 一 つ に は , 実 際 に , 援 助 法 が 制 定 さ れ て い る か 否 か が 原 因 と 考 え ら れ る 。 日 本 に お い て 援 助 法 が 制 定 さ れ て お ら ず , ア メ リ カ に は 法 が 制 定 さ れ る 背 景 に は , 凶 悪 犯 罪 の 多 発 , 議 員 立 法 の し や す さ と い う , 社 会的,法制度的背景が当然考えられる。
(1) ア メ リ カ
ア メ リ カ に お い て は , 援 助 場 面 に お い て , そ こ に 居 合 わ せ た 人 は 援 助 す
閲
る 義 務 を 課 せ ら れ な い の が 原 則 で あ る 。 た だ し こ の よ う な 原 則 は , 判 例 に
(お)
よ っ て 援 助 責 任 を 認 め る 範 囲 を 拡 張 す る 方 向 に 次 第 に 動 き つ つ あ る 。 た と えば,①親子関係といった特別の関係にあるもの,②契約関係にあるもの,
③ 過 失 に よ っ て 相 手 を 危 険 に 陥 ら せ た も の , ④ 一 旦 援 助 を 開 始 し た も の ,
⑤ 土 地 所 有 者 , ⑥ ひ き 逃 げ し た ド ラ イ バ ー 等 で あ る 。 つ ま り 判 例 に お い て は , 上 記 の よ う な 一 定 の 関 係 が あ る 場 合 に 不 作 為 責 任 を 認 め る 傾 向 に あ る と い え よ う 。 し か し , 不 作 為 責 任 を , 事 件 が 起 こ る 以 前 に 被 害 者 と 特 別 の 関 係 が な く , た ま た ま 事 件 現 場 に 居 合 わ せ た 人 に ま で 拡 張 す る こ と に は 今 なお消極的である。それゆえ偶然居合わせた人に積極的に救助義務を課し,
そ の 義 務 を 怠 っ た も の に 対 し 法 的 制 裁 を 与 え る 法 律 , 本 稿 で 言 う と こ ろ の
(36) (37)
援助法を制定している小卜
I
は 非 常 に 少 な い 。 そ の 一 方 で , 援 助 す る 人 に 対 し て , 援 助 行 為 に 起 因 す る 責 任 を 免 責 し た 法 律 は , そ の 範 囲 は 異 な る に せ よ 17‑4 831 (香法'98) 20 ‑(38)
全小
M
において存在する。こ の よ う に , ア メ リ カ に お い て 援 助 法 を 制 定 し て い る 州 が ほ と ん ど な い と い う こ と は , こ の 法 律 に つ い て , ア メ リ カ 全 州 を 通 じ て の 合 意 形 成 , な い し 価 値 観 の 統 ー は 出 来 て い な い こ と を 示 し て い る 。 そ し て 援 助 法 の 制 定 に は , む し ろ 州 の 特 殊 要 因 が 関 わ り を も っ て い る こ と が 多 い 。 た と え ば マ サチューセッツ小卜
I
で , レ イ プ 事 件 が 発 生 し た 現 場 に 居 合 わ せ た 人 が , だ れもそれを止めに入ろうともせず,警察に通報さえしなかった, という衝撃
(39)
的な事件が起こった。その事件を知ったロード・アイランド小
M
の議員が,(40)
正義感情で立法したというのはその実例である。
(41) (42)
さらに援助法を制定している小卜
I ,
たとえばヴァーモント小卜, I
ミネソタ小卜, I
(43)
またレイプ事件に限って援助を義務づけているロード・アイランド小
M ,
マ(44)
サチューセッツ)小1に お い て も , そ の 条 文 を 適 用 し て 有 罪 に し た ケ ー ス は 少 ない。
それでは援助行動に関する判決の中で, ど の よ う な 法 の 論 理 が 展 開 さ れ て い る の で あ ろ う か 。 ヴ ァ ー モ ン ト 州 を 例 に 取 っ て , 援 助 義 務 違 反 に 対 す る判決をみてみよう。ヴァーモント)村においては,他者が深刻な危害に晒 さ れ て い る の を 知 っ て い る 人 は , 自 己 に 危 険 が な い 場 合 に , そ の 他 者 を 援 助 す る こ と が 義 務 づ け ら れ て い る 。 そ の 場 合 , 別 の 人 が そ の 人 を 援 助 し た り , 面 倒 を 見 て い る の で な け れ ば , 適 当 な 援 助 を 行 う こ と を そ の 人 に 負 わ
(45)
せることになる。
ヴァーモント小
M
の こ の 条 文 に 関 わ る 判 決 の 一 つ に , け ん か の 現 場 に 居 合 わ せ た 人 が , そ の 間 に 入 っ て そ れ を 止 め る 義 務 を 負 う こ と は な い と し た も(46)
の が あ る 。 こ の 他 , 児 童 虐 待 の 気 が つ き な が ら そ れ を 通 報 し な か っ た 州 の 福 祉 局 の 職 員 に つ い て は , 児 童 虐 待 に 関 す る 通 報 義 務 と こ の 条 文 を あ わ せ
(47)
て 適 用 し , 通 報 義 務 を 怠 っ た 責 任 を 認 め て い る 。 た だ し こ の ケ ー ス に お い て は , 福 祉 局 の 職 員 は 被 害 者 で あ る 児 童 に 対 し て 一 定 の 保 護 義 務 が 認 め ら れる場合であり,事件発生以前にまったく関係がなかった事件ではない。
以 上 の よ う に , 援 助 法 が 存 在 し な が ら そ の 適 用 例 が 非 常 に 少 な い と い う 七八
‑ 21 ‑ 17‑4 ‑830 (香法'98)
法における援助行動の位置づけ(木下)
七七
事 実 に は , い く つ か の 理 由 が 考 え ら れ る 。 第 ー は , 法 の 実 効 性 に 関 わ る 問 題 で あ る 。 援 助 法 を 適 用 す る 場 合 , 援 助 す べ き 義 務 が あ っ た の は 誰 か , そ してその人が援助していたら助かっていたか, と い う こ と を 立 証 す る の が 非 常 に 困 難 で あ る こ と が 挙 げ ら れ る 。 た と え ば , た ま た ま 犯 罪 現 場 に 居 合 わ せ て 援 助 し な い 人 を 目 撃 し た , し か も 目 撃 者 自 身 は 援 助 で き な い 状 況 に あった,などというのは稀であると思われるからである。防犯カメラが,
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た ま た ま そ の 状 況 を 録 画 し て い た と い う ケ ー ス も 希 有 で あ ろ う 。 被 害 者 が 特 定 の 人 を さ し て , そ の 人 が 援 助 し て く れ な か っ た と 証 言 す る こ と も 滅 多 に 考 え ら れ な い 。 第 二 に , 法 の 目 的 が 有 罪 者 を つ く る と こ ろ に な い の で は な い か と 考 え ら れ る 。 上 記 の よ う に , 誰 に 不 作 為 責 任 を 問 う か を 確 定 し に く い こ と を 内 包 し て い る こ の 規 定 で は , 非 援 助 者 を 罰 す る こ と を 一 義 的 な 目 的 と し て い る と い う よ り も , 法 の 規 範 提 示 効 果 や 道 徳 の 指 示 効 果 が 中 心 で,これに威嚇効果をねらったものと考えられるのではないか。
(2) 日 本
日本においては,窮地に陥った人を助けなかったことに対する問題は,
不 作 為 に 基 づ く 不 法 行 為 の 問 題 と し て 議 論 さ れ る 。 行 為 を し て い な い も の に 責 任 を 負 わ せ る た め に は , ① 不 作 為 と 作 為 が 法 的 に 等 価 で あ る こ と , ②
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不 作 為 と 結 果 の 間 に 因 果 関 係 が あ る こ と が 必 要 と な る 。 そ し て 因 果 関 係 を
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認 め る た め に は , 作 為 義 務 が な け れ ば な ら な い と さ れ て い る 。 一 般 的 に そ れ ら の 作 為 義 務 を 満 た す に は , 法 令 に 基 づ く も の , 契 約 に 基 づ く も の , 慣 習 も し く は 条 理 に 基 づ く も の , 自 己 の 先 行 行 為 等 が 必 要 だ と さ れ る 。
本 稿 が 扱 っ て い る よ う な 場 面 に お い て , 救 助 を 怠 っ た と し て 民 事 上 の 責
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任 を 問 う た 判 例 は 数 少 な い 。 判 例 に お い て は 作 為 義 務 の 有 無 を 議 論 す る よ り も , 特 定 の 状 況 で 行 う べ き 処 理 の 仕 方 を 違 法 性 , あ る い は 過 失 の 項 目 で
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議 論 す る 傾 向 が あ る と い わ れ て い る 。 た と え ば , 海 水 浴 場 で 溺 死 し た 者 の 遺 族 が 損 害 賠 償 を 求 め た 事 件 で , 市 の 不 法 行 為 責 任 は な い と し た 判 決 が あ る 。 そ れ に よ る と , 海 水 浴 場 の 利 用 状 況 は 所 謂 自 然 公 物 と し て 一 般 海 水 浴 者 の 自 由 な 利 用 に ま か せ ら れ て お り , 市 が 自 ら 主 催 経 営 ま た は 管 理 し て い 17‑4 ‑829 (香法'98) 22