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判決録にみる讃岐潅漑水利慣行の実態(一っ

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研究ノート  

判決録にみる讃岐潅漑水利慣行の実態(一っ  

辻   唯  之   

1 はじめに.  

讃岐平野は温暖な気候と豊沃な地味に.遼まれているが,しかし水がない。数十日も早天   か続けば,沃野は「讃岐砂漠」と化す。盛岐農業の歴史ほ液漑用水獲得の歴史であった。  

土鞄とならぶ水の,生産手段とLての藩琴性はここ讃岐地方紅おいて軌特に著しい0かよ   うな自然的条件が香川県なして兵藤県・奈良県とならぶ全国有数の溜地保有県たらしめて   いるのであるqあの満漉池から数坪にもみたぬ小池紀要るまで,その数,実に・2万余と言   われている。虚業生産の血脈たる用水路が無数に讃岐平野を重り交叉する。その水利慣行  

\  

の複雑さほ全国に類例をみない。   

しかし,その研究対象の豊富さに・ちか串、わらず,讃岐地方紅おける嘩業磯漑水利の研究   は,.立ち遅れている。近くは音多村俊夫戌の『日本磯波水利慣行鱒史的研究 各論編』(岩   波書店,1969)紅おける満濃池,買田地および萱原掛井手の歴史的研究を指摘しうるにす  

ぎない。水利共同体の生産=再生産構準やその運勢法則,永利共同体間¢対抗関係,ある   い呼水利共同体解体の客観的主観的契機なギ,1照明さ叫るつき準済学上社会学上の諸問題   がなお琴されている。しかレ,まずその準備段階としで執岐額装水利慣行や葵憩を明らか   紅しておくこ・とが必要であ卑。これが本鞘の課題である。   

本帝で即、卑琴料は高松地方裁判所に嘩存さ叶いる明治期およびそれ以降の判決録であ   挙。判決埠鱒より▼讃岐農学水利慣行の実態を紹介するに・卒たって行われ奉れ咋以下の諸点   を考慮している。  

1.虚業用水紅不足をきたす事態となれ揉今なお水利紛争の絶えない琴川県であるか    ら,準料ほ彪大な毎年のばっていてるいT括して耕介すろことはできない○そこで貢数  

約25真を規準として分割し,順次紹介していく○判決録の配列は原則として第1審判    決日に従う。しか㌧,第1審甲松山裁判所高松支靡の:判決録に・ほ・その記嘲洩れや;少   

(2)

寛46巻 第4・5・6弓  

一 身β −−   314   

からずある。そこで,もし第2審判決録があれはその判決日を考慮し,これもない場    合は判決録の内容を判断して配列する。  

2.必要とあらば原告被告の答弁や判決文で重複する場合も煩雑を厭わず引用し,且つ    その引用がかなり長文にわたる場合もある。それは本稿の目的か上記判決録を讃岐農    業水利慣行に関する基礎資料の一つとして紹介することに.もあるからである。  

3..本稿の目的ほ判決録にあらわれた水利慣行の実態を資料紅即してなるべく客観的に  叙述することである。が,単なる叙述を越えでその叙述を整理し総括する必要がある   

場合は,いくつかの概念が用いられている。本稿ほ,それら諸概念を農業水利研究    の最も基本的な文献である『農業水利権の研究〔′増補版〕.』(渡辺洋三著,東京大学出    版会,1970)から採用して小る。らなみ浸,同番は大審院および大阪上等裁判所の判    決録を利用し,われわれの資料と重複するものがある。再度紹介する意義なしと判断    した判決録は省略した。たとえば,明治12年7月7日第132号配水差縫1件(同番,   

86〜90貢)や明治11年11月14日欝188号射水差縫1件(同番,129克他)がそれである。  

附記 資料は,高松地方裁判所民事部ゐ杉上恒夫氏にお牡請いただいた。謝意を表する。  

なお,本稿は香川大学経済研究所の事業計画の一・部である。   

1「池掛水争論之詞訟」 不詳 松山裁判所高松支巌  

「池掛水争論ノ控訴」 明治12年2月28日 大阪上等裁判所  

愛嬢県讃岐国策二大区ニノJ\区三木郡氷上村は音容川療漑水利慣行を次のように儲明して   いる。氷上村と田中村に関係する青谷川の井堰は,その上流から順次,屋音戸井関,上掛   井関,下掛井関および一ノ井頭である。々≡・して田中村の耕地を確漑する三ツ子石地へは上   掛井関と下掛井関より揚水し,氷上村は,屋古戸井関より井手を通過した後再び下掛井関の   下流に落ちて−一ノ井頭に.潜った用水一書谷川減水の擦の処潜としでほ下級井関下流の落   口から一ノ井頭まで川瀬堀井手を開整…を自村の奥ノ堂池と堀切池へ注入する。氷上村   の以上の説明に.対し,屋古戸井関は氷上村耕地のうち僅々石高23石7斗余りの字丸岡上免   に儲水するものであって−,氷上村両地の細り井関は−ノ井頭のみであると,田中村は主張  

する。そして,(1)氷上村が屋古声井関を不当紅築き上げ,(2)屋古戸井関を間接の井   堰として一ノ井頭より自村の両地へ引水したため,屋古戸井由の下流に.ある上線下掛の両  

井関より扱水する三ツ子石地々水が不足するに.至り,田中村は出訴したと布、うのである。   

(3)

判決録に.みる讃岐濯漑水利慣行の実態(一っ   一一夕クー   

315  

由中村を原告,氷上村を被告とする第1審においては原告村が散訴し,控訴したが再び   敗れている。ここでは主として算2審の判決録に.もとずきつつ,上記(1),(2)を考察す   る。説明の便宜上,寛1蕃,貸2審ともにその解釈が問題となった証拠物をあらかじめ掲   げておく。  

氷上村池記録池ノ部(田中村提供)「奥ノ堂池掛井手丸岡上免ノ内−ノ井頭ヨリ井手長    六百三拾間井坪長十二間巾試問川瀬掘長二百間」(以下,Aと呼ぶ)   

同 上  出水ノ部(同上)「屋苗戸井関長≡闇高三尺石垣井手長二百三招・間−ノ井頭此    水掛高=拾三石二斗九升丸岡上免附川瀬掘井手二百間井手長三宮五十間奥ノ堂池嘩切池    掛井手工用ふ」(以下,Bと呼ぷ)  

(1)原普村訴の主旨の一・づは,Bに.「痘苗戸井関長三間高三尺」と記載あるにもかか  

わらず,被告村がさら紅三尺余り築き上げたというものである。第1巷裁判所は,「原被告   立食戸長ヲレタ井関卜井手應ノ高低ヲ測量セレムルニ井関ノ井手底ヨrリ高キ11僅カニ八寸   余卜然ヲハ之ヲ原告請求ノ如ク其三尺余ヲ除棄スレノ、井手應ヨリ井関ノ低キ「二尺余ナリ  

トス夫レ井関ノ用クルヤ川水ヲセキ之ヲ井手二注入スルカ為デリ而ソテ井関ノ井手底ヨリ   低クキニ尺余卜為サハ所謂井関ノ効用ヲ不能為モノナレハ事実二於デ竜如此ノ理アランヤ  

是・ニ因り之ヲ視レハ現今井関ノ六尺余ナル・モ其築上ソニ非スレテ地底二堀込メタルモ   ノト認メサルヲ不得」と述べ七,原告村の訴を退けている。第1審のこの判決に.対し,田   中村は控訴し次のように/論駁している。すなわち,  

「……石垣ノ高サハ素ヨリ三尺エンデ其季節申引水ノ・時二際シ共石垣ノ上・ニ土俵ヲ積ミ又   億り敷=唱へ松穿ヲ積ミ土ヲ置キ以チ井関ヲシテ井手底ヨリ商カランメ而シテ季節中引水  

レ季鮨終レハ土俵仮数等ヲ除却レ其下流二在ル井関ノ傾序ヲ経テ其流水ヲ引キ被告村ノ溜   池へ蕃水スル慣行ユング倦三屋古戸井閑ノミニアラス‖・・…又初審判文同條二是工由り之ヲ   観レハ井関ノ六尺飴ナルモ其築上ケンニ非ラスシテ地底二堀込メタルモノト認メサルヲ得   ストアレ托前述ノ如ク実地測塵ヲナス、ニハ川底エアル生岩ノ上ヨリ豊リレモノナレレハ何  

ソソ地底二堀込メタルモノナランヤ」と。   

この点紅関する被控訴村の答弁は次のとおりである。   

イ・…∴原告第六号証二高六尺四寸六分トアルハ元来書谷川ノ地形タル片下リエンデ・南ノ、  

深山数十ノ渓流ヲ受ケ降雨アル毎工水勢甚激蔽セリ之力為メェ漸次川底ヲ堀整レ終二地底   ノ天然石管芸ヂヲ露ノ、スエ至レリ改二該閲ヲ堅固ナヲレノンカ為掘聖スルエ髄テ共石垣   ヲ補築シタルモノエンデ史上上面二築上クルエハ非ラサルナリ其故ハ井関ノ井手底ヨリ高   

(4)

第46巻 第4・5・6号   316  

−∫0∂−  

キ1僅ガニ八寸余ナ・り今仮り「ニ原告力申述ノ如ク六尺余ノ高サヲ他記録ノ如ク三月ノ高サ   ニスル拝ノ、井関ノ井手底ヨリ低キ11.二尺余トナ・ルナリ果ジテ然ラハ井関ノ効用ヲ為ス能ハ  サルカ故二現二巽南六尺鰊アルモ全ク川底ノ深タブルニ随テ築下ケタルモノエンデ其定規   ノ高サヨリ更二築上ケタルモノニ非ルナリ」   

第2審裁判所は被控訴村のいう自然的条件の変化を考慮しつつ次のような判断を下して   いる。すなわち,判決文にいわく,   

「l・1‥‥‥原奮貸−・号及ヒ第三号証ノ如キハ確証タルニ相違ナ・シ1・錐陀其内二地形変換等工  

依り現今ノ実地卜符号セサルモノヲ強テ符合セ㌢ムルヲ得サルモノアリ然り而シテ季節中   土俵又ノ\松葉ヲ硫ミ垂ネ流水ヲ堰止ムル捧ノ、仮令石垣デキ・モ井手一↑・引水ノ出来サルニ非レ   陀平素石垣■ヲ以テ堀止メ置クモノハ年々土俵又ハ松葬等ヲ以テ堰止スルノ手数ヲ省ク為メ   ナ・レノ、大凡共石垣ノ高サハ流水ヲシテ井手二人ランムルノ程度二至ルマテハ築上ケ置カサ  

ルヲ得ス而シテ其仮数卜唱フルモノハ之ヲ補アニ:土俵又ハ松葉ヲ以デスルノミトス若ジ否  

ラスシテ原告力申立ノ如ク其高サニ三尺二減スル拝ノ、井手底ヨリ井関ノ低キコト武尺余リ   デレハ之ヲ土俵又ハ松葬ヲ以テ堰止メ以テ引水スル拝ノ、其土俵又ノ\松穿ヲ以努三尺健ノ高  

サニ積上ケサルヲ得ス果レタ然ル件ハ年々井関ヲ新築スルー・殆ソト異ナルナレ此ノ如キ手   数ヲ為スモノトセノ、平素石垣ヲ以テ築造y置クへキノ筈オy政子該石垣ノ高サハ六尺除ナ   ルモ井手底ヨリ僅カニ八寸除ノ高サヲ増ネノミナりノ、該記録二記載ノ高サ三尺ノ上吏二三   尺飴ノ高サヲ増加シテ六尺鎗二至リタルモノエアヲサルモノナ・碍定ス」と。  

( 2)第1審において原告村が鼠古戸井閑を被告村の池掛りに.あらずとした理由は,も   し池掛りならAに当井関より奥ノ蛍池把至る井手の記載があるべきであるのに,−ノ井頭   よりの井手のみが記されていたからである。L・かし,第1審裁判所は原告村の主張を退け   て,次のように判決している。 

「…原告提供スル氷上村池記録ヲ照査スルニAトアリ又Bトアリ之二因り是ヲ視ルニ  原告陳述ノ如ク屋古戸井閑ノ\丸岡免耕地掛ノミエンデ奥ノ堂堀切両地掛リニ‥非ストスレハ   Aニ川瀬掘二眉間r・記載アル可キ謂レナレ如何トナレノ、其川瀬堀井事ノ\使用ノ道ナ∵ケレハ   デリ然シテ公然帳簿三明記アルノミナラスBヱ・亦(川瀬掘を)奥ノ堂堀切掛井手手用ユトア   ルヲ以テ視レハ屋台戸井関<一ソ井頭持加ヘニチ丸岡免耕地掛ノミナ・ラス奥ノ、堂堀切地ノ   掛井手ニモ赤札ユノレモノト確認欠」(()内は引用者,以下同じ)   

以上の如き第1審判決に.対して控訴村軋「夫レ川瀬堀ノ性質タルヤ地引永ニイ、決テ関係  

スへキモノニ非ス非常早魅ノ擦池水掛リノ耕地ハ則芦其池ノ苗水ヲ以テ養殖シ弛水掛ソニニ   

(5)

判決録軋みる湛讃岐漑水利慣行の実態(一っ   −ヱOJ−  

317  

無之餅池ハ川井掛リト唱ヘリ則チ丸岡上免高二拾三石七斗飴ノ耕地ノ如キヲ云ヘルモノナ   リ而レテ渇水ノ節ハ川水ナキヲ以テ其川瀬ノ内ヲ塊整ジテ地中ノ肉水ヲ以テ用水トナスヨ   リ川瀬掘ノ名唱アル所以ナリ.」と論駁しているb川瀬掘とは川瀬を削盤して砂中から汲上  

げた水分をそ・の川掛りの耕地紅濯ぐという意味の彪事用語であっ  では決してないというのである。控訴村はさら紅,   

「又初審判文同僚ニ〔.然シテ帳簿二明記アルノミナラスBニ亦奥ノ堂掘切池松井手工用  

ユルトアルヲ以テ視レハ尾古戸井関ハーーノ井頭持加ヘユタ丸岡免耕池掛リノミナラス奥ノ   堂堀切池ノ掛井関ニモ亦用ネルモノト確率ス〕トアレ控畢奥ノ登城切掛井草二用キルトア   ルハBニ井手良三百五拾間卜記載アル其井手タルヤ丸岡上免ノ耕地へ・真水注入ノ際一ノ井   頑エアル井坪ノ潜水及ヒ屈古戸井開ヨリ引水ノ為メ設ケタル井手ナ1/托一ノ井頭ヨリ奥ノ  

堂堀切へ引水ネル掛井手ニモ之ヲ兼用㌢来レリ然り耐レテ耕桓ノ季節中屋青戸井関卜一ノ   井東ノ井坪ノ引水ヲ以チ丸岡上免ノ耕地ヲ襲殖スヤハ従来ノ慣行ナレ陀夢二記顧セレ井手  

ヲ奥ノ堂堀切両地へ蓄水スル甜井手・ニモ兼用スレハトテ其遠隔セル屋古戸井関ヲ持加へ奥   ノ堂振切へモ亦用ユルモノニ非サルナリ故二季節外二重リテノ†奥ノ堂及堀切同地ノ蕃水二   引取ルへキ井関ハ即チ・一一ソ井頭エンデ屋去声井関ニハ非ラサルナリ」   

と反論し,最後に.「潜シ該裁判(第1審裁判)ヲ適当ノモノトレ上流手位スル屋合戸井   関ヲ堰止メ直接二奥ノ堂堀切ノ両地へ引水セノ、該両地ノ、充満スルモ其下流ナル上下二箇ノ   掛井関ヨリ三ツ子石地へノー一滴ノ蓄水ヲモ為ス髄ノ、ス果シテ琴ラノ、烏下ノ掛井関並ネ三ツ   子石地ハ到底有名無実・ニ帰ネ」と潜ん■でい、る。この最後甲点匿対し,被控訴村咋イ吉谷川  

ナルモノハ片下リエソチ平常ハ吏二流水ナク只所々二些少ノ潜水アリテ河底ノ砂中二喋々   クル洩流アルノミ而シテ偶々降雨アル抒ハー噂二出水シテ水勢甚夕泉瀧レ各界関ノ土俵仮   数等ハ黎チ・崩壊ス此ノ流水充満ノ時二際シ各井関ヨ・り準入レデ皆能ク地中チ琴水γ得ルモ  

ノブリ故二下流エアル井関ノ障碍トナ■ル1ナシ」と答弁している(被控訴村の池記録解釈   ほ以下に・みるような一層詳細な判決や;あるのでその紹介を省いてシ、る)。   

地記録の解釈に.閲し,第2審裁判所も第I審判決と同じ観点に立争つつやはり控訴村の   主張を退けている。すなわち,いわく,  

ト…・其川瀬掘ノ性質ハ姑ヲク原告力申立ノ如ク早魅ノ隙地中ノ内水ヲ取デ甲地ヲ養殖ス   ルヨリ川瀬掘ノ名称アルモノF・スルモ下蘭井関ノ下流エアルニ百聞ノ川瀕廊ハ単二丸岡上   免ノ用水ノミニ用エ・ルモノト言フヲ得ス何トナレノ、Aニ川瀬掘こ盲間卜記載シァルモノナ  

レハ奥ノ蛍堀切両地引水ノ鳳ニモ亦用チルヤ明確クリ若シ単ぶ・丸岡上免ニ/ミ曙ユル川瀬   

(6)

第46巻 第4・5・6弓  

ーJ〝2一   318  

掘ナラハ該苦池ノ部二之ヲ記載スヘキ謂ハレナグレハデリ然り而ソテBニ奥ノ堂掘切掛井   手二用ユルー・アルー項ハ其右二記載セル井手長三百五拾間ノミナラス川瀬井手二百間トア   ルヲモ継承レタル意味エンデ即チ該南井手共二奥ノ堂堀切両地ノ捌井手二用・ユル「明瞭デ  

リトス何ソトナレハ川瀬掘ハ既二説明スル如クAニ記載レアリテ両地ノ掛井手二用・ユル■1   明確ナレハB三項二奥ノ堂堀切池掛井手二用・ユトアル叉詞ヲ以テ濁り第二項ノ井手ノミ1ヲ   指レタルモノト言フヲ得サルニ因り正サニ籍一項ノ川瀬掘ヲモ包暗yタル 1明瞭ナ・レハナ  

リ故三屋去声華関ハ……・丸岡上免ノ内二拾三石七斗飴ノ耕地ヲ養殖スル為メノミナラス奥   ノ堂堀切両地潜水ニモ亦用ユルモノト認定ス」と。  

2 「池水路妨害セラレ迷惑ノ訴訟」 明治11年7月30日 松山裁判所高松支頗   

「池水路妨害セラレ迷惑ノ控訴」明治12年3月12日 大阪上等裁判所   

愛嬢県讃岐国三野郡国市池紅は池水を水路紅導くための樋が二つ設けられている。本樋   と馬ノ頭樋とがそれである。匡価他の地元村たる比地中村は.平常時は主として一馬ノ頭樋よ   り流下する用水をもってその耕地7町5反余紅湛水している。明治10年,降雨なく,飽水   著しく減じ,馬ノ頭樋ほその効力を失した。該樋ほ他の中段に設置して−あったからであ  

る。比地中村は用水源を凍樋水路紅求め早魅匿備えるという処置をとった。ため紅,本   樋水路の下流に.ある国領池本掛りの下高瀬村・松崎村・新名村・大見村および宮津村以上  

5ヵ村の困窮甚だしく,つい紅訴訟となるに至った。以上が本件の概要である。第1審で   ぬ.,早魅の非常時には比地中村(被告)は馬ノ頭樋のみをもって潅水すべきであると訴え   た下高瀬村他4ヵ村(原告)が勝訴し,第2審では逆に接訴側が勝訴している。以下,第2   審判決録紅もとづき国領他における農業水利慣行の実態を報告する。   

属ノ致樋は池水減少すれば用水路への引水が不可能紀なる。ただし,他床紅顔溝を開削   して残溜する飽水を該樋口の下に導きこれを揚水するという方法が残されている。上流に   位置し,且つ固持池掛り全耕地面鏡の7塵にしか過ぎぬ比地中村においてその方法を採ら   ず,本樋水路より随意に漣水するのは国市池共有の趣旨に反する占以上が第1審判決弁明   の要約である。さて控訴村(原審被告)は原審判決紅対し,こう論駁している。すなわち,   

「又判又第三粂ニ(被告於テ本樋水路ヨリ汲上ルハ分量等三関セサル旨申立ルモ該水路  

二付テ汲取ルノ、池永尤減スル時エンデ原告各村ノ要需モ亦常ナラサレノ、宜ク分量ヲ公平エ   

(7)

319   判決録にみる讃岐液漑水利慣行の実態(一)   −JOβ−  

配水スベキハ当然ナリトス〕トアレ把該池々水配分量ノ契約ハ索ヨリ之レナク亦原告於テ   幾許ノ水ヲ汲上ルカ果ソテ知ルへカラスト維持水甜り耕地二潅水スルニ過キス然ルヲ分盈   ヲ定メトハ耕地不相当ノ水ヲ取り他ノ耕地二港クヲ以テ多分ノ水ヲ取ルト思想セラレタル   カ将夕後来公平二分量ノ契約ヲ為スへyトノ旨趣ナルカ原薯於テ了解スル能ハサルナリ」  

と。   

次いで,早年における属ノ頑樋より吸上げ云々の件に関しては,   

「……本樋水路ノ、必ス被告五ケ村ノ定掛リト云フヲ得ス原告於デモ本樋水路以東ノ耕地   ノ\勿論以西ノ耕地卜錐陀既ニ・陳述スルカ如ク馬ノ頭樋掛リノミ.デラス飽水減少スル陣ノ\本   樋水路ヨリ上ケ水スルヲ便宜トス之レヲ便宜トスルハ特三原告力労力ヲ省クノミエアラス   又被告各村ノ為メニスルモノナり何ソトナレハ早天二当リテ/、僅カノ水路モ水路毎二成人   滴レ或ハ吸ノ\レ又蒸発レタ幾分力減少スルヲ以テナリ故二被告申立ノ如ク池永半ノ\尽キ独  

ソ本樋ヨリ流出スエ至リテ復夕之レヲ馬ノ頭樋ノ高キュ汲扱ルトキハ前述ノ如ク減少スル   ヲ厭フヲ以テ原告二於デハ本樋水路ヨリ汲上ルノ慣行ナ・リ」  

と述べている。   

以上の主張に対する被控訴村(原審原告一)の答弁要領は次のごとくである。   

「本訴国語池ハ原被鳶六ケ村ノ共有地エシタ各村畝高二應打水配レ而シテ原告此地中村   ハ償二七里ノ場所ナリ其余九分三度ノ、被告各村ノ定掛リエンデ別紙姶図面ノ通り武ケ所苛   樋アリ乃チ・本樋掛リト属ノ頭樋掛リト之レカ区別ヲ為レ如何ナル早年卜錐把互二之レヲ犯   ス「ヲ得サルハ碇古不易ノ定規タリ・l‥…又原告馬ノ頭樋ハ満水ノ件原告ノミ.ナラス被告於   テモ之ヲ共有スレ陀渇水ニ至リテハ原告馬ノ東樋ヲ用ヒ被薯各村ハ本樋水ヲ用ヒ釆レリ而   レテ馬ノ頭樋掛リハ飽水減少ノ時二方り樋ノ効用ヲ失スルエ至レハ地中・ニ於テ儲ヲ掘り垂   水ヲ引キ馬ノ頭樋口ニ水溜ヲ設ケ以テ歩当リノ水ヲ汲揚ケ得ルモ木槌ノ水路ヨリハー滴ヲ   モ汲上ル「ヲ得サルノ\論ヲ倹タサルナリ尤其水配分量ノ如キノ、馬ノ頭樋ヨリ上勝ナサンム   ルヲ以デ定規トス然ルヲ原告ハ之レカ労力ヲ厭ヒ本樋ノ水路ヨリ窓二汲揚ソトスルハ実工   野心ノ甚レキモノト云ハサルヲ得ス又原告於チ該池二水配分盈ハ決yテ之レナク杯喋々陳   弁スルト鞄托・共有地エソテ且別紙図面面ノ如キ地位・エアルヲ以テ水配分量ナキ拝ハ上流エ  

アル原告村ハ十分土潅水シ如何ナル早魅タリト錐把耕地ヲ乾滴スルノ患ハ竜モ之レナク而   レタ被告各村於デハ始終原告村ノ余水・ニ非サレハ卒二田面ヲ商量スル能ノ、ス何ソ共有池ニ  

シテ知新不條理ノ■1アランヤ」   

次紅.控訴村,被控訴村各々主張するところの客観的根拠いかん,を考察する。   

(8)

第亜拳 第4・5・6号  

−∵化招−   3:ZO  

(1)「−又被鴛於テ池内二土俵ヲ築キ属ノ頭樋口エ引上ルノ\如何程引クモ苦シカラスト難  

貯樋口ニチ分限自ヲ定マリアル旨申供ネルト雌托樋口ニ分限ナキ「ハ属ノ頭樋卜本樋トノ   寸尺大ナル差違ナナ而シテ属ノ頭樋ハ飽水充満ノトキ原被双方へ引ク陣モ渇水二重り原告   耕地僅々四反余ノ場所へ引ク肘モ樋ノ寸尺限り十分ノ水ヲ引クヲ以テ看レハ何ソ樋口ニ於   テ分登ヲ定ムル「ヲ得ンヤ」との答弁に.あるように,控訴村は雨樋の樋口の大きさを問題  

に.し,そして,もし被控訴村の主張するどとき水利慣行が存在するとするならば当然水配   分塵を客観的に.規定すべき樋口の大きさに本樋と属ノ頭樋とでは差異があるはずであるの  

紅差異がない,ないとすればかような水利慣行はそもそも実行不可能である,と主張して   いる。ちなみに樋口の差異云々の指摘は第1審ではなされていない。第2審裁判所が控訴   村の主張を容れたのは以下紅見るようにこれにもとずいているのである。  

(2)次紅控訴村はト…元来水路ヲ異エスノレハ各便宜ヲ主トレ徹底飽水ヲ愛惜スルヨリ  

生シタルモノニッチ原告於デモ両樋ノ樋替其他一切ノ入費ヲ歩方通り負拇スルヲ以テ■明晰   ナリ若レ原告於テ本樋水路ヨリハ一滴ヲモ汲揚ケ得へ・カラサルモノトスレハ何ソ出金スル   義務アランヤ」と述べて,/両樋利用の根拠をその修繕費負担の事実に.求めている。∴しか  

し,この同じ事実を被控訴村は用水分配の規準とみる。この点に.挫訴村が「被薯於テ原悪  

貨一号鉦営繕出費ノ歩方ヲ以チ水配エ・モ兼用スル旨主張スルト錐把決サケ不然今之レカ証   徽ヲ挙ケンニ該訂ノ歩方クルヤ原隻村ハ耕地反別七町五反ニシテ歩方七厘サリ又新名大見   南村ハ均レク反別ハ六町四反五傲ナ・レ茫歩方同レクセ里カサ若レ之レヲ配水ノ歩方ナ・リト   スレノ、耕地反別二従ヒ公平声・定メサルヲ得不知斯反別一歩方ヲ異ニスルヲ以チ水配分最・チ   兼用セサル「明瞭クリ」と反論したの紅対し,再度,被控訴村はr「凡田地ノ、其地質チヨリ  

水ヲ保ソト保タサルモノトアリチ歩割卜反別トノ凄異アルン、最初各地質ヲ検討テ以チ如斯   定メタルモノナラン」と論駁している。まさ紅水掛け論である。   

上記(1)と歪摸するが,あらためて第2審判決文を掲げれは次のと.おりである。  

「早損三傑レ共用水ノ不足スル普ハ被告第一一号証分当リエ応シ分水スルハ首然ナニル↑シト   鵡躍其実地二於グル未夕箇テ分水ノ定規アルエアヲ決ルナリ其証ノ、被告第一・号証中本樋ノ   寸法ハ壱尺式寸二八寸馬ノ頭ハ九寸二八サト有之由是観之馬ノ商機ハ本樋ヨリ稗少エシテ  

且ツ上勝セジムルモノト東経之ヲ其分当り九分三度†七厘ノ割合二比較スル蹄イ)馬ノ頑樋   ノ寸法甚夕過大ニレタ原告力歩当リデル七厘・ニ應レ水蓮ヲ規定レタルモノニ:アラサルヤ明  

カナサ‥川…然り而シテ原告ハ属ノ頭樋掛り被告ノ、本樋掛リト之力区別ヲ為レ如何デル早歳   卜錦把互二之ヲ犯ズ「ヲ得サルトノ被告力申立ハ只口頭ノ陳述ノミ∴ユジテ竃モ之力証想ナ   

(9)

判決録にみる讃岐液漑水利慣行の実態(・一L)   −JO5−  

321  

キモノナレノ、本樋馬ノ頭樋陀原被告各村於テ適宜二共用スルモノト認定ス」   

以上の紹介から推察して,国市池々水は過去に.水銀り諸村間紅紛争を惹起させることが   ない程,潤沢であったのであろう。そうでないなら,雨樋に.関する分水規定が既紅形成さ   れていて:しかるべきである。ちなみ紅,この点に閲し,控訴村は.,「該池よ従来水配分畳ヲ   定メサルノ、池敷殆ソト武拾町余ノ反別エンデ頗ル大池ナリ故二池水充満スレノ\原被各村於  

テ十分二面養スルモ余分アリ然ル・ニ明治九拾両年ノ早魅ハ該池成立以来被告各村於テ播ニ・  

畑ヲ田成五戒ハ開墾等二致レタルヲ以テ元ノ田反別ヨリノ\頗ル過当トナリタル・ユ付必志水   配ノ不満足ヲ生シタルモノナ・リ」と答弁しているのである。すなわち,用水不足−−・→沼地  

築造一一斗新田開発・一ヰ用水不足という自然発生的な過程をたどって各水利共同体闇の利害   関係が顕在化するに至った例が本件であったと断定して聞達いないであろう。  

3 「配水引締之訴」 明治11年12月16日 松LL蟻乾判所高松支鹿   

「配水引穐之控訴」 明治12年6月 大阪上等裁判所   

本件は徹麿池々水配分虹関する紛争である。愛媛県讃岐国香川郡飯田村・地紋村・鶴市   村3ヵ村を原告,.御厩村・中間村2ヵ村を被告とする第1審裁判所に.おいて,原告村ほ該   他用水の「五分ノ分水」を訴え,被告村ほ同用水の原告村への「七日七夜分水」を主張し  

でいる。原告村の訴は容れられず,控訴紅及んだが第2審紅おいても敗訴している。以   下,第2審判決録紅も享ずき本件を紹介しよう○   

さで,控訴村の答弁紅よれは,本件は次ゐような経過をたどっている。すなわち,「本訴御   厩池配水ノ義ハ往古ヨリ被告ニケ村卜原告三ケ村卜互工五.歩宛分水致レ来ル処文久元年酉  

六月早魅ノ瞭協力ニ分水ノ義ヲ差拒ムニ付止ムヲ得ス旧藩高松郷愈所へ旧来ヨリ五歩宛分  

水敦シ釆ル所俄然差損/マレ殆ソト難渋ノ旨申出デ説諭ヲ以テ現水五歩苑引取り其後ハ降雨  

竜多ク故障コレナキ処明治六年土筆り早魅ノ景況ヨリ又分水ノ故障ヲ生セシヲ以チ約定番   ヲ取ジ静カサレハ後日紛議止ム時ナキヲ慮り恋々掛合及フト雑托要領ヲ得ス明治十一年八   月勧解願出不調ノ東同年十月松山裁判所高松支藤へ訴へ出クル処同年十二月十六日原告訴   願立カタキ旨裁決セラレJ云々というものである。控訴村が御厩池用水「五分ノ分水」を   要請する理由恥1‖他事営あ経費・鹿静め経費の半額負担,2.控訴村被控訴村各々の耕地   面積の差奏である。以下;1上2疫.閲す畠控訴村の答弁を引用すれば,   

(10)

ーJO6職   第46巻 第4・5・6号   322  

1‖ 「該地建築ノ隆二於ケルモ原被村双方ヨリ経費ノ半額ヲ負担レ爾来修繕ノ都度々々   

費用ノ半額ヲ奔出シテ五歩ノ分水ヲ為シ来クルモノナリ」  

「…・・該地建築費二於ケル被告村於テ悉皆澹任セシ旨主張セルハ全クー噂ノ虚言ニレ    テ固ヨリ原被対等ノ権利ヲ有スル共有ノ養水ニシテ被台村私有地ノ分水ヲ受クルモノニ    非ラサルハ該池費ヲ等レク婚任スルヲ以テ明カニシテ平年二於テハ分水ノ定則ナク唯早    魅ノ年二於テ出資金額二執成分水スルノ慣行……」   

亭小 「県藤ノ地記録二明記シァル如ク被告村御厩池粗リハ御願村ハ千三拾三石四斗六升    試合新関拾石九斗九升七合中間村ハ八捨石総計千百武拾四石四斗五.升九合原告三ケ村内   

檀紙村ハ五百九拾石ヒ斗四升飯田村ノ、八百六十五石武斗八升八合鶴市村ハセ百六拾六石    壱斗九升八合総計武千式百武十二石武斗武升六合トアリ而シテ被告ノ反別ハ百三拾町余    エソテ原告ノ反別ハ三百町余ナレハコノ反別卜池記録面ノ石数・キ比較レテ考フルニ自力    ラ分水多少ノ別ヲ見ルニ足レリ」  

「篠平タル麻藤二備在セル池記録二於テ該池水ヲ以テ養フ所ノ石数ヲ明記レ原被告村    石数ノ多寡ヲ以テ之ヲ推スモ原告村於テハ無論五感以上ノ分水ヲ受クルモ決デ五分以下    ノ分水ヲ得クへカラサルハ論ヲ侯ス」   

さらに控訴村は,又久3年和議調停の契約書を証拠として控訴村への「七日七夜ノ分水」  

を主張する被控訴村に対し,その証拠物は「被告ノ手元ニテ成立ツヲ得へキ者ナレノ、証卜   為スエ足ラ」ぬものであり,もし仮に真正の書類であるに.しても,事態は次のようなこと   紅過ぎないとして,こう反論している。すなわら,「……元来地中二湛ヘル水量二於ケル降  

雨ノ多少二因リー雇ナラス其一定ナラサル水蓮ヲ以テ幾日磯夜ノ契約ヲ以テ分水スル時ハ   甲村二引ク時ハ乙村二乏レク乙村二港ク時ハ甲村二渇スルハ当然エシテ実際行フヲ得へカ   ラサル者ナ・レノ、被告ノ申供ハ牽強附会ノ説ニシティ冨スルニ足ラサル「瞭然クリ」と。   

次に被控訴村の答弁を見る。被控訴側からほ本件の事実経過が「御厩池配水ノ法タルヤ   別紙証拠物第一・二号ノ如ク高来ヨリ原告三ケ村へ七日七夜分水致レ来ル処文久元酉年二至  

り突然原告村ヨリ旧高松港へ出訴及ヒクルモ到底原告ノ申分立サルヲ以デ同年ノ配水二於   ケル第二号証ノ如ク∴七日七夜ヲ以テ承諾レ爾来欝主号証ノ如ク配水ヲ以テ満足シ来り」云   々と報告されている。事実認識において既軋控訴村と被控訴村は,前者鱒「五分の分水」,  

後者が「七日七夜ノ分水」と相違している。この点への論及は後の判決文にゆだねること   にして,まず,上記控訴主旨1,2に対して被控訴村はどう答弁しているか。   

1..「‥‥・該池ハ被告ノ内御感村持池エンデ建築ノ際ハ特二御厩村ノ労力ニ成就シ中古   

(11)

判決録に.みる讃岐潅漑水利慣行の実態(−う   ーJO7−   

323  

以来原告三ケ村及ヒ被告車間村へ・分水為スへキニ決セレ旨伝承スト鶴陀建築費ヲ以テ原    被双方半額ヲ弁出セシ「ハ未夕曽テ聞カサルナ・リ」  

「該池クル乃チ被告ノ内御厩村持弛ナルモ原告於テ毎年修理入費ノ半額ヲ奔出スルヲ    以テ七日七夜ノ分水ヲ為レ来リレモノニレテ原曽於デモ之ヲ承諾レ簡壱武三号証ノ如ク    履行レ来り現・ニ御厩村ハ本揺ヲ以テ分水ヲ為レ中間村ノ、小揺ヲ以テスルカ如ク全ク約定   

上ヨリ成立チタル■1明カナリ」   

池創設の築営費は.これを裏付ける資料を欠くためか,控訴村被控訴村各々の主張はそれ   ぞれ文字通り水掛け論である。修繕費に.関しては,両者の意見朋−・致している。ただし,  

控訴村の修繕賀半額負担の事実を「五ノ分水」の根拠とするか,あるいは単紅「約定上」  

のことと見るかが問題なのである。   

2.「原告二於チリ、県靡二備在セル水路り帳簿ヲ主張シ土地ノ広狭ヲ論レ原告村ノ土地   

広大ナルヲ以テ五分ノ配水ヲ受ケルハ至当ナル畠申立テ或ハ毎年補理ノ入費半額ヲ弁出    シ五分ノ配水ヲ受クル旨陳述スルモ該帳簿ハ水懸リヲ示シタルモノニシテ土地ノ広狭ヲ    以テ分水多少ノ別ヲ論スルヲ得ヘキ者二非ス.」   

控訴村の最後の主張に関しては,被控訴村は自村の提供した証拠物が「旧大望正ヨリ御   厩池守へ送り配水ヲ指揮セレモノエンデ被告手元工於テ私控二成り立ヲ得ヘキモノ」でな   いことを強調した後,次のように述べている。すなわち,「原告工於テハ該池声於ケル降雨  

ノ多少二因リー定ナラス故二日ヲ定メタ分水レ得ヘカラサル旨陳述スルモ是又原告於テ実   際ヲ申陳セサル者ナリ抑モ該池タル降甫ノ多少二田テ水盛二増減アラス冬間二於テ出水ヲ   引キ該一池・ニ充満ナランメ夏日ノ用二備フル者エンデ岩原告陳述ノ如ク増減アランヤ」と。   

判決は次のとおりである。   

「原告二於テ被告ノ、上流二枚雷レ該池床ヲ管轄スルヲ以チ我意ヲ以テ抑圧シ文久元酉年   配水ヲ拒ミタルヨリ原被薯村葛藤ヲ生レ旧瀬高松郷会所二訴出説諭ヲ以テ五分宛分水ヲ為   レ爾来天水多二因り互工故障ナキ処明治六年二至り早魅ノ景況ヨリ再タヒ紛議ヲ生レ自今   ノ争訟卜為リタリ然ル・ニ被告ハ配水端書二拠り原告ハ七日七夜ノ外配水ヲ受へキ棒ナキ   ヲ証スレ托右端書ハ被告力調成ヲ為レ得へキモノナ・レハ確認スへキモノ・エアラス仮令真正   ノモノトスルモ分水ノ日数ヲ掲ケタルモノエンデ年々ノ定畳ヲ看認へキモノニアヲス而レ   タ原告ハ該池営繕費等二於ル被告卜同レク平分負槍シ且県藤池記録ノ石数及ヒ実地反別   ヲ比較スレハ自ラ分水多少ノ別ヲ視ル・ニ足ルヘキ等数箇ノ証ヲ挙チ五分ノ分水ヲ受ルハ当   然ナル旨申立ルト雑陀石高及ヒ反別ノ比較ヲ以テ分水ノ豊ヲ定ムルモノトスレハ原告ハ大   

(12)

第46巻 第4・5・6弓  

・−∫¢β−  324  

凡七分ノ分水ヲ受サレノ、相当卜為シ難シ然ルニ原告ハ五分ノ分水ヲ受へソト云ヘルエ因チ  

之ヲ観レノ\分水ノ畳ノ\石数及ヒ反別二関係ナキ「知ルヘキ而シテ原告ハ汲ユ文久年度分水  

ノ争ヲ為セシ上ハ其年ノ分水ヲ以テ原告力得ヘキ極度定盤卜者倣サ、ル可ラサルモノエン   デ原告二於デモ五歩宛分水ヲ為シタルヲ陳述セリ然レハ被告第二号証ハ従前大里正ヨリ配   水ヲ指揮セシモノナレノ、被告力私授二謝成レ得へキモノニ非サルヲ以チ該証三園り其毎分   水ノ分遣ヲ考ルニ原告ハ七月二十三日夜四ツ時ヨリニ十七日夜四ツ時迄日数四日四夜叉八   月二日朝五半時ヨリ五月朝五.ツ半時迄日数享日三夜前後合テ七日七夜分水ヲ受タル迄ニレ  

タ被告力分水ヲ受タル日数ハ数倍之ニ超過セリ然レハ五分宛分水ヲ為シタルモノニ非ル而   己ナラス原告ノ、争訟ノ未分水ヲ受タル七日七夜二止リレニ因テ之ヲ観レノ\原告ノ、該池ノ分   水ヲ受ケルノ、実際七日七夜ヲ超過スルノ権ナキモノト判定セサルヲ得ス故二該池営繕眉等  

ヲ平等工奔出スルハ畢怠従前承諾上二係ル套ノエンデ其他分水五歩ノ定豊ヲ証明スルニ足   ルへキ確証ナキ上ハ実際既二執行レタル分水定限ノ事跡ヲ論破スルヲ得サルモノトス」  

4 「水路争論ノ訴訟」 不評 松山裁判所高松支麒   

「−水路争論ノ控訴」 明治12年9月 大阪上等裁判所   

本件は同じ水利共同体を構成する成員間の水利紛争である。すなわち,讃岐国鵜走郡束   分村宮島海道と同村福田忠造との間で用水路ゐ帰趨をめぐり争われた事件であって;その   の発端は.宮島が福田に丁 ̄地渡し」を要語したが拒まれたと■と紅ある。第1審では「地渡し」  

の慣行ありと主張する原告宮島が勝訴となり,第2審紅おいても控訴人福田の主張は斥け   られている。以下,第2審判決録濫もとずき本件を紹介する。   

さて本事件の起因となった自然的条件を被控訴人の答弁を引用して概観すると;ィ次のと   おりである。   

「本訴水路争論ノ起因クル讃岐国雄足郡育ノ山ヨリ流下スル所ノ水流ヲ喝止メ之ヲ奥地   卜称レ耕地七町六反壱畝武治三歩ヲ養田ス而レタ該飽係リノ反別中畑換地デルモ都六テ・稲  

作セリ故二其名称ハ畑地ナル吏該地二関スル費用ハ他ノ田地t・同レク其反別土応シテ奔出  

ス其詮ハ被告策五号澄ユテ明カナリ而レテ奥地係リノ耕地ハ青ノ山ノ鹿エソテ夷地ノ地勢   ハ恰モ坂落レトモ云フへクレテ其地主高低アリ其高キ地ヨリ低キ地・ニ池水ノ流下ヌルノ、自  

然ノ理≠・り故二其配水ノ方法タル地渡レF・称レ≠・甲ノ田面ヲ経テ乙ノ地へ渚水ス/レハ該地   

(13)

判決紆にみる讃岐港汲水利慣行の実態(一っ   −・ヱ09−  

325  

⊥・般ノ慣例タリ.」   

唆急な斜面を開削しでできた水田の港双方法は,平地紅おける用水路のごときものでは   用をなさない。田粧港ぐ前紅用水が流れ去るからであろ。そこ/で,高き水田に蓄脅された  

用水をそのまま低き水田に導くといったふうに,水田そのものが用水路として利用される   のである。このような形態の徳政方法が讃岐地方において「地渡し」と呼ばれるのである。  

既に述べたように,本訴の争点は宮島所有の水田と福田所有の水田に「−地渡し」の慣行が   あるか否か,である。そして,推訴人福田思造は「地渡し」を拒む根拠として次の2点を   指摘している。  

(1)「抑被告(宮島)ノ水路ハ第四号証即チ戸長保証絵図面ノ過少藤原鹿蔵所有四百式   拾六番地ヨリ港水スヘキ慣行ナリ」  

(′2)「原告(福田〉所有四百革拾八番ノ、第サ号蘭ノ如ク明治四年十二月中野田金蔵ヨす   買得スル所工係ル素卜畑地ナリレヲ明治十一年−・月中願ノ上田成リニセレ者デリ・斯グ  

ノ如ク索卜畑地ナリノ、他ぺ漉況スへキ水路万アルヘキノ道理アランヤ」  

「所謂水路田渡トハ彼田地ヨリ此田地へ・濃水スル讃岐国一・般ノ方言エレテ此田地ヲリ   彼畑地へ湛水スヘキノ称エアラス而シプ原空所有ノ四百武拾八番地ノ、前述ノこ如ク元ト   畑地ナレハ何ソ斯クノ如キ称呼ヲ用ユル1アランヤ」 

上記(1),(2)に√関する被控訴人の答弁は次のとおりである。  

(1)∴ 「…・上戸良二於テ異絵図面ヲ保証セシノ、被告第四号証ノ如ク該絵図面ハ単早戸長   役場ノ地図面卜相照シ其相違ナキ■1ヲ保証レタル迄エソテ敢テ其水路ノ如何ネ′†及ノ\   

サルナリ・…い小加乏有家菊蔵莞苧讐欝誓詐;土於テ姶箸磨へ引合ナジテ出頭セシ際モ従前  

同人ノ耕地ヨリ被告所有地へ港水セジ慣行之レナキ旨ヲ上申セリ■.」 

(2)r■原告所有四百武拾八番地ハ其名コソ偲ノ称呼ナ■レ其芙田面ナルー1イ、被告舞茸号   正ニチ月費ケリ長レタ兄/ヤ原告ハ始審癖・享・於テ〔実擦従来田地二者之云々〕ト自謬   

セシ・ニ於テヲヤ然ラノ、即チ∵其名ノ畑ナルヲ可実トリテ液水子へキ水路ノアル今キ道理   アランヤト謂フ「,ヲ得ス」  

判決確(1),(2)とも被控訴人の主張を全面的に・支持して控軍人の主張な斥町ている9   詳草すれば,判決第1条において控訴人提供すろと∈う甲琴4号証笹「水路慣行ノ草無ヲ   保証セ・シニ・非」ざることを指摘し,欝2条において,第′1審でほ自ち「実顔ハ従来田埠声   有之候」と明言している以上,畑地なるがゆえ牲「田渡し」−呼できないとの控訴人め茸張   は「無用ノ弁論」であると決めつけ∴第3条匿おいてイ十・・被告所有四百武拾早番埠ノ前   

(14)

第46巻 第4・5・6号  

ーーーJJβ−  

326  

所竃者タル野田金蔵ヨジ初審裁判所へ提出セレ申立章二由テ観ルモ従来原薯所有地ヨリ被   彗所有地へ潅水セレ慣例アリレコトヲ認ムルニ足レリー」と述べ,「原告二於テハ被舎要求  

ノ通り慣例二従ヒ原告所有四百式拾八番地ヲ以テ水路トレ被曽所有四百武拾三番地へ潅水   スへシ.」と結んでいるのである。  

5 「用水池水割相違ノ詞訟」 不詳 松山裁判所高松支靡   

「用水池水割相違ノ控訴」 明治12年10月28日 大阪上等裁判所   

野田池は元来愛媛県讃岐国香川郡松縄村−・村専有の潅漑池であったが,老朽して堤防破   壊し,砂石が流入して用水池として−の効用が減じた。修復工事を福岡村および今運村が加  

担し,野田飽水掛り部落は3ヵ村となった。寛政年間のことである。野田他に.は用水を潅   漑水路へ導くための水利施設として揺が2つある。本揺,返揺と言う。この2つの揺に.関   する分水慣行いかんが本件の争点である。   

第1審における原告福岡村の出訴要旨は,次のとおりである。すなわち,  

「憤薯訴フル要領ハ本訴争論ノ野田池ハ往昔ヨリ被告村完籍専有ノ池デリシカ寛政年間   二至り該磯修繕ノ不行届ヨリ追年砂石流込ミ自然蓄水ノ欠乏ヲ釆スト戯雁被告村一・巳   の費用ヲ以テ修築及兼殆卜困難ゾ場合ヨリ寛政十年申被告村ヨリ原告村蒜罫及ヒ今里村卜   該池修築ノ入費ヲ助ケ三ケ村共有地卜為スヘソト協議アリ原告村二於テソ\元来勝坊寺他及  

ヒ光明寺安倍氏菰萱ハコイクリク・ユ車等五箇ノ出水アリ.以デ耕地ヲ養殖シ来リクレ把追年   破壊シテ用水ノ乏敷折柄ナレハ速二其協議ヲ嘉納シ該経費ノ総銀高四拾三眉目余之内四拾  

買眉ヲ原告村ヨリ支給シニ眉目ほ/今運村残ル壱貫目余ヲ被告村二於デ塘当レ修築己三成り  

爾来年々ノ経費啓ヘハーサ年ノ費用百固トスレハ其八拾円ヲ原被告村二折半シ残ル武拾固   ハ今里村負胎スルカ如キ方法ニテ即チ証接物第五号ノ通仕来タリ而シテ其水割・ニ至リチハ   証腰物第壱号ノ如ク池永ヲセツ割ニシテ其二分ヲ該池固有ノ権利二譲り被告村二充テ儲ル  

五分ハ原被告両村二於テ各二分ツゝヲ引取り壱分ノ\今里村卜定メ池ノ東北ナル本揺ヨリ各  

村耕地へ引用スル習慣ナ・レ陀被告村耕地中池ノ東南工在ル所ノ返揺二非サレノ、港水シ得サ   ル場所アルヲ以テ池固有ノ廃土封レ特別二輿ヘタルニ歩ノ\該層ヨリ潜水シ来ル‥……」と。   

被告松縄村の主張は,以下のとおりである。   

「被告答フル要領ハ本訴配水争論ノ野田池ハ往昔ヨリ被告村専有ノ用水池エソテ東北エ   

(15)

判決録にみ.る讃岐潅漑水利慣行の実態(一っ   −∫JJ−  

327  

本揺アリ東南二返揺アリテ其本揺ハ普通池水ヲ耕地へ濯ク所ノモノニレタ返揺ナルモノハ   地勢柄高ク或ハ池水貯蕃ノ時二用ヒ又耕地へ引水スルモ此ロヨリスルヲ以テ返揺ノ称アル  

所以也然り而シテ寛政年間二重り福岡今里ノ両村二於テノ\古ヨリ川水掛及ヒ出水等ノアル  

ヲモソテ耕地ヲ養殖レ来リレモ畢歳二重テハ用水二欠乏殆卜困難ノ場合アルニ付両村ヨリ   経費ヲ給レ野田池ヲ営英ソ早年予備ノ為共有卜為シ置キ度旨依頼二依り水雄一・同協議ノ上   承諾シ営築己二成り三ケ村配水ノ義ハ本揺ヲ以テ㌧セツ割卜定メ其二歩ハ該他聞有ノ敢ヲ以   テ被告村二引取り残ル五歩ヲ各村ノ石高二応シテ配当ソニ歩ツ\ヲ原被告両村二充テ壱歩   ヲ今里村三治スル定メナリレ而シテ被告村ノ田面中地位高クレテ本揺ヨリ潅水シ不能場所   アリテ該池営築以前ハ野田出水ノ水掛リナ・リンカ営築ノ際堤赦トナリ出水消滅シタルヲ以   テ返揺ヨリ潅水セサレハ他二用水ナ・キ故本採水剖外随意ニ引取ルへキ契約ニチ爾来数十年   各ノ如ク慣行レ来ル……・」   

野田池修築の事情を裏づける客観的根拠を欠くためか,この点紅関する事実認識が原   告,被舎とで異なり,そして,本件の主点たる分水慣行については用水全部の7つ割を主   張する原告村に対して,被告村は返揺からの自由引水を主張する。さらに詳細に被望村の   答弁を見よう。被告村ほまず原告村提示の証拠物紅.関してほト・原告証接物第一■号ノ如  

キハ今更反古タリン無効ノモノナルヲ何レヨリカ買得セシモノナ・レ/\被告於テソ、公正ノ証   接物レ\難看倣」とその無効を強調しつつ,次いで,自ら主張する分水慣行の根拠を,(1)  

「返揖本揺二於テ各二歩ツ\ト為レ池水己・ニ六分以上滅スル場合ノ\返淫ヨリ湛水ノ難成時  

二当り如何ナル方法ヲ以テ水割ヲ為スヤ是ヲ以チ返揺ハ本採水割ノ度外二置ク所以ヲ可   知」とあるよう軋早魅の際に.ほ原告村の主張する配水慣行が実行木可能な返揺の構造,  

に求めている。(2)さらに.被告村は天保年間紅今里村とかわした為取替啓一その内容   は松鞄村は返揺から随意自由に潅水すべしというもの−を証拠物として提示している。   

以上の被告村の主張に.対ノし,原告村は,(1)に.関して「若レ被告力主張ネル如ク池水セ   ッ割ノ\本揺二在チ返揺ハ其笈外ナリトセハ東北本揺二於≠水盈分限ノ如何二瀬サ・ルモ蔑南   ノ返揺二於テ吏ニ・定限ナク被告村ノ自由二任スル如キュ至リテノ\本揺ノ水割ハ到底無効二  

属スルモノナ・り然ラハ共有ノ主旨三井スレタ全ク被告村専有ノ池タルニ過サル而己隻如此   不適当ノ契約ノ、該池共有ノ趣旨二在テ協議ノ熟ネヘキ理アランヤ」と述べ,(2)に・関して   は「被告提供スル今里村トノ契約書ノ如キノ、原告相承諾ノ徴証二非サレハ今里村二封シ効   アルモ原告村ノ関係ナキ勿論」であると,該証拠物の原奮村への効力を否定している。   

今里村は本件に.は「引合人」として関係している。上述(2)払関係することなので,こ   

(16)

第46巻 第4・5・6号  

ーヱヱ2−   328  

こ紅その申立を紹介すれば次のとおりであるeすなわち,   

「引合人於テノ、松縄村在来ノ野田池配水ノ事ヨリ去ル天保年度紛議ヲ生レ当時大庄屋寺   島某ノ扱ニヨリ三ケ村和談ノ上野田地入割内済窮苔ナル・モノヲ為取替クル際其協議ふノ、輿  

リナカラ福岡村而己該寄ヲ為取替サリンハ蓋シ同村ハ之御坊領卜唱へ・旧高松港所轄ノ諸相  

工比スレハ威権ノアリレヨリ松縄村ヨリ契約書為取替ノ■1ヲ促スモ設テ・之ニJ不磨在韓セシ  

モノト想像セリ何トナレハ三ケ村二係ル共有地配水二伺争論ヲ生レ遂二扱ヲ以テ熟談調ヒ   タル場合二賂二福岡村雨己其議二輿ヲサル謂レナク亦窮畜ヲ為取替サル筈ナグレハ也右ノ   次第ナルニ付今里村於テノ、爾来窮啓二基キ慣行ン来レハ松組村ノ返揺ヨリ随意・ニ潅水スル   措置二於テ基モ異議ナキ旨申立タリ」と。   

第1審裁判所は,原告提供する証拠物にいう「■池永セン割」の吟意を野田地中興当時におけ   る関係水掛り諸村の農業用水需要の緊急さに.おいて判断しつつ,次のよう紅判決している。   

「原告二於テ第一・号証壕物二池永セツ割トアルノ、野田地金水ヲ七分レ其二分ハ該他固有   ノ廉へ対シ特別ニト破壊村二分輿レ残ル.五分ノ内原被告両村ユタ各二分宛ヲ引取剰ルー分ヲ  

今里村・ニ充テ・共時別・=項へソニ分ハ被告村耕地中地位ノ高クレテ本揺ヨリ港水レ不得場所   アルヲ以テ便宜上ヨリ返揺ヨリ抜取ル例規ナ・リンヲ被告於テ池水セツ割レ\本揺限リノ定   メ.エソテ返揺ハ右水割ノ度外ナリトレ之ヲ随恵三抜取ルノ、不当ナリトノ申立ハ其種アルカ  

如レト鞭陀書面上ノ字句ハ暫ラク措キ該証振物ノ成立タル寛政年度・ニ湖り実際如何ヲ推測   スル手原濱村ハ其早魅ノ時二当ジ用水欠乏ノ為メ困難アルニモセヨ数個ノ出水川源ノアル  

アリテ通常ノ年柄ハ甚レキ早揖患ナカリシノ\事実二徴㍍テ知ル可キナリ何トナ・レハ野田地   異有ノ以前工在テ福岡開村惣免ノ耕地養殖仕来ルヲ以デ鱒ル也然ギタ被鰯村ノ如キイ\野田  

池ノ外他二用水アラサレハ該池水セツ割ノ四分ヲ以テ原潜村梯高ヨリ多キ「己二者石余ノ   耕埠ヲ養殖セナルヲ得ス知新ハ原被告両村石高ノ多寡卜用水有無等ヲ比較スノ㌣テ其権衝ヲ   得サルニ似タリ加之返揺八白ヲ地位高ク弛水ノ四五分ヲ滅スル捧ハ該揺ヨリ抜水シ不能ト  

ノ申立ハ原被磐符合セリ然レハ此場合・ニ至り原告力主張スル如キ水軍レ方法二依レノ、公平   ノ配水ナラサルヤ言ヲ倹タス是・ニ因り考窮ス㌣ハ原卑証放物第←号二池水セツ制トアノ㌢ハ   本揺限ノ配水法ヲ記載レタルモノニシテ返揺ハ右水割三関係セス被告村随意工藤水致釆ル   モノト確認セリ.」   

なお(2)に関する判決ほ,「原告村卜其得失ヲ共モス↑キ今望村惣代工於デモ該窮香ノ通  

水揺於テ七分シ率格ハ被告村ノ自由工藤水致シ来レハ今里村於テノ、真二異議ナキ声明書ス   ルヲ以テ視}ハ為取替窮寄ハ原隼村ノ連署ナキモ当時原告村ハ其譲二輿り右水割ヲ承諾レ   

(17)

判決録にみる讃岐港漑水利慣行0実感(−)   −エ㍑トー   329  

テ・和解二重リレモノト認定セナルヲ得ス何トナレノ、若シ原告申立ノ如ク元ヨリ拒絶シテ協   議三関セサルモノトスレハ所謂和熟ノ調ハサルモノナレノ、今崖村卜松組村ノミ契約ヲ結フ   へキ道理無之モノトス」というものである。   

次に.第2審に移る。第1審判決録とその内容が重複する部分はこれを避け,新たに附加   されたものだけを掲げれは,それは次の2点である。  

(1),原審の判決が引合村の申立を容れたものであったことは,原審判決で明らかで   ある。その引合村の立場紅閲し,控訴村(原審原告)被控訴村(原審被告)ほそれぞれ次   のょう紅論じている。   

控訴村;「元来今里村ハ該共有中二於テ億ル権利ノ薄絹ナルモノ・ニ有之且小村ナルヲ以  

テ従前該村ノ庄匡ハ被告村ヨリ兼務レ維新ノ今日二於デモ別二戸長ヲ置カス被告村ノ戸島   之レヲ兼ネ恰モ松縄村枝村ノ如キ情勢アリ随ツタ百般ノ事務皆被告村ノ指揮二出唯彼是従  

フモノナレハ今日ノ証言ハ畢寛ロヲ異ニスル迄・ニテ其突破告村ノ申分二外カラス何トナγ   バ両村−ツノ役場エンデ利審ヲ同フスレハ被告村へ引水スル名義ヲ以テ今里村髄ノ耕地へ   配水スルハ彼レカ自由ノ梅内・エアレノ、ナリ」   

被控訴村;「原告村卜得失ヲ共ニスヘキ今運村二於デモ天保年度契約書ノ通本棟二於チ   七分レ返揺ハ被告限り随意二減水致レ来ル慣例ナ・ル旨明言セリ若シ原告ノ云フ如ク野田池  

一般ノ水ヲ七分γ本揺返揺共ノニ分ヲ以テ原薯村へ配水スル■1トセハ今里村二於テモ亦本  

揺返揺共ノー分ヲ得へキ筈ナル・ニ何ソ今里村二於テ前康ノ如ク明言ネルノ理アランヤ」   

引合村と被控訴村との関係からして両者の答弁ほ異口同音であると指隠貪る控訴村,池   水配分においては引合村は控訴村と利害を共通にするという被控訴村,各々主賂するとこ   ろの真偽は別にしても,引合村の立場ほ微妙である。  

(2),控訴村ほ,原審におけると同様,再度,その証拠物第1号が「被告村ノ五.人組頭等   該池普静=瀾係ノ者・山岡連署シタル正レキ記録」であって,その文意についてほ「〔池水セツ   割右ノ内ニッ分松組村池在来故引残而五ツ内ニッ松縄−ツ今里ニッ福岡〕ト水割判然記載   アジタ右割方ハ本揺工限り返り揺ハ度外ニレタ被膏随意二引取へキ等ノ意味ハ竜モ無之因   チ返り揺ハ度外ブ・リトノ被告申立ハ事実二無之「明白ナリー」と論じてい串。この点紅関心   被控訴村は「三ケ村配水ノ如キハ被告第・一号寛政年度ノ池記録及ヒ第四号役場工備ヘアル  

池記執ニモ〔本揺水組ノ「七呑忘割内二番右池有来故引残レ五番ノ内二番松縄村−・番今里   村二番福岡村〕ト明記有之如ク…・・・」(傍点引用者)とあるように,第2審に∴おいて初め   で提供した池記録を根拠紅返播からの自由引水な主張レている。ただし実ほこ.の証拠物   

(18)

−ヱヱ4−   第16巻 第4・5・6号   330   の真偽が第2蕃で問題となったと/、うことを以下紅見る判決との関連で注意しておきた   い。   

判決は次のとおりである。   

ト…‥被告二於テ原告第一・号輝己録ハ既二反古タリンヲ執レヨリカ買得セレモノナレハ   之レヲ公正ノ証トハ難看倣仮令公正ノモノニモセヨ其文中セツ割云々トノミアリチ返痕ヨ  

リモ潅水スヘキ明條ナキ旨申立ノい難把原告第一号弛記録ハ現二被告村ノ五人組及ヒ組頭   等ノ調印判然トレテ既二反古二層シタルノ証跡ナク将夕之レヲ他ヨリ買得レタルノ証左モ   アラサレハ之ヲ不正ノ記録卜看僧ヲ得ス然ルヲ水セツ割云々トノミ記載アリテ返揺ヨリモ   液スヘキ明候ナキト云フモ其本籍二限り饉水スへキ旨ノ明記モ亦無之二付右記録ノ又詞・ニ   於テノ、該■池ノ全水ヲ七分シ内ニタハ池有来ノ故ヲ以テ特別二被告村へ引取り残ル五分ヲ以  

テ原被告村ヘニ分宛今層村へ一・分配当スルノ意義二外ナラス去レノ\被告提供スル其第一・号  

及ヒ第四号池記録二於ケルモ池水ヲ七分シテ之レヲ三ケ村へ配分スルノ方法ハ原告第一・号   池記録二載スル所卜竜モ差異アル「ブーク唯其異ナル所ノモノハ原告第一・号池記録エノ、〔水   セツ剖〕トアリテ被告第一・号及ヒ第四号池記録ニハ〔本揺水組之事〕ト記載セリ然レ把其   水組ノ頭首二本揺ノニ字ヲ記レク′レハ位置其宜キヲ失ヒ加フルニ墨色淡浪ノ別アルヲ認視  

スレノ\該記録ノ成立タル当時水組ノ文字卜共工記レタモノニ非スシテ全ク後年ノ加筆摩成   リタルモノト認定スは.被告第二号天保年度ノ為取替証ハ被告卜今里村ノ間二効力ヲ有スル   モ乏レニ関嘩セサル原告村へ・及ホカノ効力無之モノクリ……」  

6 「舟岡地水配争論ノ詞訟」 明治11年 松山裁判所高松支鹿  

「舟岡地水配争論ノ控訴」 明治12年11月15日 大阪上等裁判所   愛媛県讃岐国香川郡鹿角村・一ノ宮村・三名村(以上3ケ村第1審原告村,第2審控訴村)  

および寺井村は舟岡地掛りである。百相村(第1審被告村,第2審被控訴村)は,上記4   ヵ村への液漑水路の上流に.あって側に連流−その分肢点を薬師股,栴檀股と称する−  

をなし,こ¢両支流から引水するところの舟岡地々元村である。往昔において−は両分肢点   の川幅は2尺であったが,揺抜きの時の激烈な水流で井手が崩れ,文政年間,現在の川幅  

6尺の堅固なもの紅修築し,且つ従来の塀行に従い小石でもって2尺幅紅堰止めた。明治  

6,7年より百相村に‥おいてその小石を蔽次取り除いたため,明治8,9年の早年紅.は下流   の諸村の饉漑は困難を究める事態に.立到った。以上が原告村の陳述による本件の事実経   

(19)

判決録にみる讃岐濯漑水利慣行の実態(一っ   −∫J∂−  

331  

過である。とと.ろで被告村が丹岡地々水を両股の川幅6尺に.おいて随意引水するならば,  

被告村の水利権は専用権ということになる。讃岐地方に.おいては専用権たる農業水利権を   俗紅「サンサイ」掛りと称している。だから,本件の争点は,被告村たる首相村が「サン  

サイ」掛りか否か,である。   

第1審判決は,川幅を2尺に堰止めよとの原告村の要請を斥けている。この点に関する   控訴村の控訴理由は次のとおりである(以下の引用ほすべて第2審判決録)。  

「(寛1審判決において)〔原告証拠物甲第壱号ヲ閲スル・ニ丹岡地水掛ノ各村及ヒ石高ハ明   記アルモ分ケ股(薬師股・栴檀股)ヨリ潅水ノ分量ノ、勿論其他各村配水ノ方法ヲ掲ケアル  

ヲ祝ス然ラハ甲第壱考証ナルモノノ、各村水掛石高ノ多寡ヲ証明スルエ足ルモ本訴訟求ノ主   眼クル分ケ股ヲ武尺ノ幅二堀留メ度レトノ証拠ニノ、不相立.〕云々卜終二原告村曲者ノ裁判  

ラ受ケクリ然レ陀此裁判ハ恐ラクノ、粗漏ナルモノナリト云ハソカ何ソトナレハ右甲第壱考   証ナリレモノノ\乃チ今回ノ第壱考証.エンデ原告村力姶審裁判所へ該証ヲ提供セレハ舟岡地水   ハ原被告村及ヒ寺知和ノ耕地ヲ液漑スル用水ナレハ其耕地石高ノ多寡二依り水掛り分墓ヲ   定メ以テ相嘗ナランメソ■1請求セシ証左二差出レタルモノナルエ其要点ハ不問工附シ日ク  

甲算壱考証ヲ閲スル.ニ・舟岡地永劫リノ各村及ヒ石高ハ明記アルモ分ケ股ヨリ潅水ノ分   畳ハ勿論其他各村配水ノ方法ヲ掲ケアルヲ視ス〕トアレ茫既二石高ハ明記アリトセハ此   池永ハ此石高ノ耕地ヲ育巷スへキモノナル「ノ、菜ヨリ認定ジ得へク果シテ此点ヲ認定レ   得ヘクエ至ラハ其水ヲ濯用スルエノ、又随テ其高.ニ應シ多少アル■1モ顕然論ヲ倹サルナ・り又   分ケ股ヲニ尺ノ幅・ニ堀止ル云々ヲ以テ原膏村力訴主トセラレタレ把是ハ決シテ然ラス必克   原告村力此武尺幅ノ■1ヲ始審裁判所へ申供セレハ第壱考証ヲ以テ石高相應ノ配水ヲ請求ス   ルカ為メ旧来ノ慣行ヲ申陳セレ迄一三べ/テ敢テニ尺幅二堰止メソ「ヲ訟求セシニアラス凡ソ  

水論ノ如キハ旧来ノ慣行ヲー・方ヨリ破リクルニ起因スルモノナレハ必スヤ現地ハ其妨害ヲ   加へシ後ナレハ喝止メノ有無ハ何レカ真デルヤヲ看認ルニ由ナキモノナルニ依り此場合二   於テハ其池永ハ何レエ濯用スルモノナルヤノ大体ヲ鑑ミ以テ之レタ裁判ヲ為スへキハ普通   ナラ欠ヤ今該訴ノ如キモ現森ノ有姿二拠レノ、被告村二於テ既三唱止メヲ取除キクルニ依  

リニ尺幅二堰止ムルノ証蹟ヲ遺サ、レノ\其曲直ノ、何レエアルヤヲ看ルニ由ナキヲ以テ原告   村ハ其大体二基キ池水ノ\第壱考証二比例スル耕地ヲ益フヘキ為ナレハ其高・ニ聴シ至監ノ配   水アランー1ヲ請求スルエアリ果シテ此大体ヨリ此裁決ヲ受ルニ於デハ此分ケ股ハ永水路二   比セノ、殆ソト同様ノ川幅ナレハ如此同豊ノ水ヲ引クヘカラサルノ\疲テ胡白エンデ幾部分カ  

ノ、嘩止メヲ為レ其塵ヲ減スルエ至ラン然ラノ、則チ其相当トスル所ハ武尺ノ堀止メヲ以チ至   

参照

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