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任 意 的 当 事 者 変 更 の 許 容 根 拠

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(1)一. 当事者概念と当事者変更の許容根拠. 任意的当事者変更の許容根拠を論ずる意義とその限界. 任意的当事者変更の許容根拠. 二. 形式的当事者概念における当事者変更の許容根拠. 一 実体的当事者概念と当事者変更の許容根拠 二. 三 ﹁争﹂の主体と当事者とを分離する見解における当事者変更の許容根拠 三 訴訟の法規範面における当事者変更の許容根拠. 一 訴訟における﹁法効果の存在﹂とその﹁帰属﹂の分離. 交替前当事者の訴訟遂行結果の交替後当事者による追完的承認. 二 当事者変更における法効果の同一性. 三. 四 訴訟の事実面における許容根拠. び. 訴訟資料と当事者の地位. ︸ 任意的当事者変更と請求の基礎 二. む す. 任意的当事者変更の許容根拠. 鈴. 木 重. 勝. 一六五︵四四九︶.

(2) 論. 説︵鈴木︶. 任意的当事者変更の許容根拠を論ずる意義とその限界. 一六六︵四五〇︶. 実体法が公法と私法とを問わず︑その規律対象の増加に応じて︑次々と新な法主体を創定する一方︑訴訟法が当事. 者資格の規整をかなり高度に技術化していることにより︑現代においては︑具体的事件を前にして︑当事者決定はき. わめて困難であるにもかかわらず︑当事者処分権主義の下︑当事者決定の全責任が原告に課せられているのであり︑. 従つてその誤りは救済の途がないままに原告の責任において解決されなければならないのである︒その結果︑訴訟手. 続の進行中に当事者に関する資格︵当事者能力︑当事者適格︶を欠くことが明かとなれば︑原告自身の訴訟費用の全. 額負担を伴う訴取下かあるいは原告敗訴の判決によつて訴訟は終了し︑しかも︑一且終了した以上は当該訴訟に関す. る限りはすべての裁判資料がその法的意味を失う︒継続審理の実を挙げるべく拡充された準備手続において提出され. た充分なる訴訟資料︑多額な費用を費して作成された︵雌璽目願睦含︶当事者の訴訟書類︑労力や費用の費やされた攻撃防. 禦方法など︑すべてが失効し︑また訴訟の準備のための証拠探索費鑑定費が徒費に帰する︒それでも紛争が解決され. たわけではないのであるから︑改めて同一事件について訴訟が開始され︑前訴におけるのと大部分が同じ訴訟資料が ︵一︶. ︵二︶. くりかえして提出され︑審理されなければならない︒ここに任意的当事者変更の認められるべき実際上の要請が存. し︑事実またこの要請に応ずる実益は︑ドイッのライヒスゲリトが永年にわたつて実証してきたところである︒.

(3) ところで︑訴の要素としての裁判所︑当事者︑訴訟物︵硝陣儲腿翻擁駐蟻圃. 灘矧に敏肪櫨繭齢舳源晧︶のうち︑裁判所と訴訟物は. 訴提起の当初︑その措定を誤つたとしても︑開始された訴訟手続をそのまま維持存続させて︑移送︵旛畷初罐継肱蜘顯囎噂鮒. 硬鞭︶であるとか訴の変更とかによつて是正することのできる救済の方法が許されている︒しかし︑これとても訴訟制 ︵三︶ 度として初めから認められていたわけではなく︑次第に改正されてきたのである︒しかもこれを許すの弁は︑たとえ. ば管轄については︑異口同音にこのとりきめがあまりにも法技術的であり︑従つてこれを誤つたことを理由に訴を却. 下してしまうことは︑一方において原告に甚しく酷であり︑その結果きわめて不公平を強いることになり︑他方にお. いては訴却下の後︑更めて管轄裁判所に新訴を提起させるのは︑元来無用である手続をくりかえさせることによつ ︵四︶ て︑徒らに費用を費させることになり︑訴訟経済の原則に反するからであるという︒. しかし︑やがて︑当事者についても︑特定の場合に限られるが同じ理由から変更が認められるようになつた︒行政. 事件特例法が許した抗告訴訟における被告行政庁の変更である︒その理由として一般に説かれているのは︑行政組織. が複雑なため︑当該事件の被告決定がきわめて困難であることに因るという︒そして︑同じくこれを理由として法の ︵五︶. 規定していない公法上の当事者訴訟についても︑また行政行為の無効確認訴訟の被告についても︑判例・学説はこれ. を拡張解釈して認めているのである︒とはいつても︑もとよりこれを一般民事訴訟におけるまでは拡大していない︒. しかしながら当事者資格に関する規整がきわめて高度に技術化されていることは管轄や訴訟物のそれ以上であり︑ま. 一六七︵四五一︶. たそのことによる当事者決定の困難さは行政関係におけるそれとはなんら変わりはない︒それにもかかわらず︑これ ︵六︶ らの場合と同じように︑訴訟の同一性を維持しながら当事者変更を許す立法処置のないことは︑キツシユのいうよう 任意的当事 者 変 更 の 許 容 根 拠.

(4) 論. 説︵鈴木︶. 一六八︵四五二︶. ︵七︶ に︑当事者が裁判所や訴訟物と異つて︑訴訟の同一性の決定的な規準をなしていると考えたかもしれない︒そこでキ. ツシユのように︑任意的当事者変更は新当事者に対する新訴の提起と旧当事者に対する訴の取下の複合によつて認. め︑従つてその前後両訴訟は異別であるとすることが考えられる︒しかし︑この見解が訴訟資料の継続的利用という. 観点からは︑実際的にも理論的にも従うことができないことが︑デ・ボアの所説を契機として︑ドイッの訴訟法学者 ︵八︶ 及び連邦裁判所により明かにされたことは︑既に紹介したところである︒この批判によると︑要するに︑任意的当事. 者変更を一つの訴訟制度として認めようとするのは︑一旦︑開始されて係属している既存訴訟において︑この訴訟の. 同一性継続性を維持しながら︑当事者の交替を図ろうとすることにある︒つまり︑旧当事者の遂行した訴訟手続を︑ ︵九︶. 勿論︑妥当な修正を加えて︑そのまま新当事者に利用しようとするのである︒ところで︑従来の当事者変更論は︑訴. 変更説にしろ︑キツシユ説にしろ︑また︑高島助教授の見解にしても︑当事者変更の方式について訴訟法が認めてい. る既存制度を利用しているのであるから︑当事者の交替前後の訴訟に同一性を認めない代りに特にその許容根拠を論. ずる必要はなかつた︒つまり︑訴訟法により許されているその方式が同時に許容根拠であり︑従つて︑訴訟法の規定 が許容根拠をなすものといえるのである︒. しかしながら︑係属中の既存訴訟の同一性を維持しながら当事者変更を訴訟法が許しているのは特定の場合だけで. あり︑従つてそれに該らない任意的当事者変更をそれと同じに取扱おうとするならば︑これについての規定は存しな. いものといわざるをえず︑そこで︑更めて訴訟の同一性を維持しながらどうして任意的当事者変更が許されるのかの 根拠が検討されなければならないであろう︒これが本稿の目的である︒.

(5) ︵一〇︶ この間題は任意的当事者変更がどのような場合に許されるか︵額騨の︶︑どのような手続をもつて行われるべきか︵筋賦 ︵一一︶ 題︶︑当事者の交替の後︑前当事者の訴訟資料はどの程度どのようにして交替当事者に利用また拘束できるか︵賭灘の︶︑ ︵一二︶. ︵一三︶. 交替当事者に対する判決の効力は前当事者にどのように及ぶか︵闇鰍の︶︑控訴審における任意的当事者変更は許される. ﹁このような訴訟上の意義がある﹂という実際的根拠も含めて考えてみた︒. ﹁このような理由でもつて許される﹂という理論的根拠の他に︑なんらかの方式で︑. かの諸問題の前提をなし︑基礎をなす間題であると考えたので︑これらの諸間題に先立つて取上げてみたのである︒ しかし︑ここで許容根拠とは︑. 任意的当事者変更を認めることには︑. ところで︑訴訟法の規定の存しない間題を取上げるのは︑訴訟法の規定がないにもかかわらず︑これを認めるべき. 実際の必要性があれぼこそであり︑従つてこれを論ずるに当つても︑任意的当事者変更を認めるべき必要性があり︑. ︵一四︶. かつその実益の認められる範囲内に問題を限定できるのではないかと思う︒フオルクマールが︑親子事件においても. 任意的当事者変更を認めようとしたのに対して︑デボアが意識的に人事事件を排除して財産事件に限定したり︑また. レントが具体例をあげて︑たとえば第一被告に貸金返還請求をした後︑第二被告に交通事故にょる損害賠償請求をし ︵一五︶. てみたところで︑前者における弁論が後者の弁論になんら役に立つことはないのであるから︑訴訟資料の利用とか拘 束とかは全然間題にならないとしているのも︑この趣旨であろう︒. このように考えると︑任意的当事者変更の行われる必要と実益のある場合とは︑原則として︑まず︑交替新当事者. 一六九︵四五三︶. は当該訴訟において主張される法効果につき正当な当事者資格を有する場合であろうし︑また︑その相手方は請求に. ついて理由ある者といえるのではなかろうか︒大体︑これを念頭において論ずることにする︒ 任意的当事者変更の許容根拠.

(6) 論 ︵一︶. 説︵ 鈴 木 ︶. N陣<一一℃﹃o国oωω・. NN℃. ω亀︸刈Oω・H. 一七〇︵四五四︶. 閃自ωω昌O什o一︶・ぐ500No﹃oo屏︸. この実益は︑裁判所︵国家︶︑原告︑被告に認められることの詳細な検討は︑留ωooぴNξU魯おくo唐℃ 旨①ぞ①9ω①一. qロα<o旨℃曽昌o一びΦ磯ユ中一謹一ω︒一〇〇宍 一p. 訴の変更が次第に許容の方向に向った経過の詳細は︑中村宗雄博士﹁訴の変更と請求の基礎﹂判例民事訴訟法研究第一巻. N℃O一〇㎝刈ωq・目ω︒一﹃刈融●. ︵二︶ 肉oωo昌ぴ①﹃騎︸U一Φ 鵬①類臨一悶鶴旨Φ 勺鋤旨o㌶昌αo﹃仁旨閃. ︵三︶. 三五三頁以下︒訴訟の移送の中︑もっとも実際的と思われる土地管轄違による移送も︑一八七七年のドイッ民訴法では許され. ておらず︑我が旧民事訴訟法も同様であった︒ドイッでは一九一五年に至って︑我が国では大正一五年の改正によって始めて. ︵四︶. 西ドイッにおける行欧裁判所法及びそれに関する学説についての詳細な研究は︑高根義三郎博士︑行政訴訟の研究八一頁. 松岡博士︑新民事訴訟法註釈第二巻二七一頁︑岩本氏︑新民事訴訟法要論三三五頁︑細野博士︑民事訴訟法一巻三二九頁︒. 認められるに至った︒. ︵五︶. 管轄︵土地管轄︑合意管轄︑応訴管轄︶裁判官の除斥原因を初め︑既判力の主観的範囲に至るまで︒. 一九ゴニ年のドイッ民事訴訟法改正草案二二二条に︑訴変更として認められようとしたことがあった︒次註︑拙稿五七五. 以下︑なお︑雄川一郎教授︑行政訴訟法一七四頁以下に詳細である︒ ︵六︶. ︵七︶. 拙稿﹁任意的当事者変更理論の系譜﹂早稲田法学三五巻三・四冊︒. 頁︒. ︵八︶. 任意的当事者変更の許容要件は︑この許容根拠を訴訟手続上に形式化したものである︒. ︵九︶ 高島助教授﹁当事者の変更﹂法学論集八巻六号︒. ︵一〇︶. ︵一一︶ 殊に︑交替を望まない新当事者に対して︑旧当事者の訴訟資料を拘束できるかの根拠の解朋が重要︒.

(7) ︵一二︶. 控訴審における任意的当事者変更を認めることは︑新当事老の審級の利益を奪うことになるから︑必ず︑その者の同意. が必要であること︑また︑それがあれば許されることが︑最近のドイツの学説で強調されているが︵湘蠕即蠣鴨五︶︑ なぜ︑同意. があれば︑これを許すことができるかの問題が予め検討されなければならないだろう︒. ︵一三︶ この全体の概観については︑昭和三四年秋の民事訴訟法学会において報告した︵民事訴訟雑誌七号学会報告概要にその. ︵一四︶. U①葺u旨仁ユ馨opN且言昌鵬おま切傘二ω●蕊Q. <O涛ヨ蝉さU段≦勾冒ω巴α震勺餌辞巴o口言N貯ぢ吋o器ω幹N︾Oお器9一8 αΦωooさ鐸帥.9ψN刈. 要旨︶︒. ︵一五︶. 二. 当事者概念と当事者変更の許容根拠. 実体的当 事 者 概 念 と 当 事 者 変 更 の 許 容 根 拠. 任意的当事者変更の許容根拠. 一七一︵四五五︶. る権利関係に根拠するものと考えられていた︒つまり﹁訴の原因﹂によつて権利の帰属する者が﹁正当な原告﹂であ ︵二︶ り︑その権利を侵害したとせられる者を﹁正当な被告﹂としたのである︒このように当事者地位を実体概念をもつて. が︑未だなお︑訴訟法を従属体系におく私法的訴権学説が支配的であつたため︑当事者の訴訟上の地位も︑訴訟物た. ドイッ民事訴訟法の制定施行の当時はパソデクテソ法学の時代であり︑一応︑訴訟法は実体法から分離していた. めたのは︑単に実務上の実際的要請に応じたというだけではなく︑むしろ論理一貫した理由があつたのである︒. ︵一︶. ドイッのライヒスゲリヒトが一八七七年の民事訴訟法制定施行後間もなく︑訴の変更として任意的当事者変更を認. 一. o.

(8) ︵三︶. 論. 説︵鈴木︶. 一七二︵四五六︶. 説明しようとしたことは︑パソデクテイストのみならず︑訴訟法学者も支持していたことは屡々指摘されるところで. ある︒従つてこの実体的当事者概念の下では当事者変更の許容根拠も実体関係の変動に求められる︒つまり訴訟物た. る実体法上の権利関係の主体のみが訴訟当事者であるとすれぽ︑この者の死亡︑あるいは訴訟物たる権利関係の譲渡 ︵四︶. により︑その相続人なり譲受人なりが︑この権利関係の主体となることによつて︑彼らに当事者を変更することが許. されるのは︑当然のことであつた︒ ︵五︶ このことは任意的当事者変更についても同じように考えられる︒つまり訴訟物たる実体法上の権利主体のみが訴訟. 当事者になるとすれば︑当事者適格はその権利関係の主体の訴訟上の地位である事件適格ω8巨畠置目簿δと一致. し︑しかもそれは﹁訴の原因﹂たる権利関係の主観的側面として﹁訴の原因﹂に属するものなのであるから︑請求原. 因の変更が訴の変更として許されている以上︑事件適格︵者︶の変更を請求原因の変更として︑すなわち訴の変更と ︵六︶ して許されるわけであり︑かくて訴変更として当事者の変更が考えられたのである︒. しかしこの実体的当事者概念からすれば︑当該訴訟において当事者となるべき者は誰かという問題︑つまり誰が当. 事者適格者H事件適格者かという問題と︑誰に紛争権利が帰属するかという全く異別の二つの本案の問題が一つにか. らみ合つているのである︒いいかえれば︑当事者が事件適格を有するかどうかは︑訴訟物たる権利の存否の有無︑ま. 囚一ωOF℃. 旨Φ母ロα①﹃信Pαq一ヨNぞ二℃円ON①ωωお誌︒ψ刈閃償ωω⇒08に詳細である︒. たそれが誰に帰属するかという本案の問題が解決されてから始めて判明するということになり︑その結果︑本案判断 ︵七︶ の先決問題であるべき当事者適格の問題が︑逆に本案を先決問題にしているのである︒ ︵一︶.

(9) ︵二︶. 中村宗雄博士﹁訴訟遂行権の系譜的考察﹂民事訴訟法学の基礎理論一二五頁︑中村英郎教授﹁訴訟遂行権について﹂早稲. 田法学三五巻三・四冊四九二頁以下︒ω即く貫昌ざ︸ω巻8日α8冨蓉一碗①ba目すoゴ窪菊o魯富<ψ9傷oωooごOR8窪ω−. 留国ooさρ鉾ρ90︒ωヌ上田徹一郎講師﹁形式的当事者概念と既判力の主観的範囲の理論﹂法と政治第一〇巻一号五. 雪げ葺Ng⇒α肉①o馨ω望ω8ヨω︒一〇界. ︵三︶ 頁以下︒. ︵六︶. α①ωooぴ鉾斜ρψ窓. =①=B四ロP一Φぼび8げ血Φのαo暮零び曾Ω蕊一冥o器ω霞g算即一〇︒︒ o 9ψ8ゼ拙稿︑前掲︑五六七頁︒. ︵四×五︶ αΦゆoo♪鉾鐸ρ900麻糞. ︵七︶. 二 形式的当事者概念における当事者変更の許容根拠 ︵一︶ そこで︑やがて︑実体法的には︑権利の帰属それ自体と権利の行使の分離が認識され︑訴訟法的には︑実体法上の ︵一じ. 請求と訴訟法上の請求の相異に対応する実体法上の権利主体と訴訟手続上の主体の異別たるべきことが認識されるこ. とによつて形式的当事者概念が登場し︑実体的当事者概念とその支配的地位を代えて現在に至つている︒これによれ ︵三︶ ば︑当事者とは︑実体法とは無関係な訴訟法上の純粋な形式的概念であり︑つまり︑訴訟係属によつて成立する訴訟. 法律関係の帰属主体たる地位である︒ところで︑この訴訟法律関係は対立する主体あるいは人格者間の相互的轟東関. 係である法規範関係の一つであるから︑原告なり被告なりの特定の法的人格︑法的主体に結びついて個別化されて存. 一七三︵四五七︶. 在する︒従って訴訟法律関係の頃o旨冒三叶騨は当事者が同一であることを前提として存続し︑当事者が替わればも 任意的当事者変更の許容根拠.

(10) 論. 説︵ 鈴 木 ︶. 一七四︵四五八︶. はや訴訟関係はその同一性が存しないのである︒だから︑このような形式的当事者概念の下では︑訴訟関係の同一性. を維持しながら任意的当事者変更︵懸鍍硬叙慧︶を認めることはできないのであり︑従ってキッシュ説のみが論理的にも. 可能であるということになる︒つまり︑キッシュの訴変更論に対する批判の大部分は︑形式的当事者概念から︑実体 的当事者概念を批判していたのである︒. しかしながら︑この形式的当事者概念によっては︑任意的当事者変更のみならず当事者の死亡による訴訟の中断・. 受継や︑訴訟物たる権利関係の譲渡による当事者の変更も訴訟関係の同一性を維持することによっては認められない. のではなかろうか︒けだし︑形式的当事者概念により︑当事者は実体法とは全然無関係な純訴訟法上の訴訟関係の主. 体たる地位であるならば︑訴訟物となっている実体関係の帰属にどのような変更を生じたとしても︑このことはなん. ら当事者地位に影響を与えない筈であるから︑これを理由に当事者変更を認めることはできないからである︒だから. といつて︑このような場合に当事者変更を認めないとすれば︑当事者が死亡などで不存在となつた場合は︑訴は却下. されるであろうし︑訴訟物たる権利関係を譲渡すれば︑請求の理由はなくなるから請求は棄却されてしまう︒それに. もかかわらず︑そのことによつて紛争それ自体が解決されたわけではないから︑容易に推測でぎるように︑新当事者. 間で再び同一紛争について訴訟が繰り返えされなけれぼならないのであり︑このことによる費用︑時間︑労力の徒費 ︵四︶ は裁判所にとつても当事者にとつても耐えがたいところであろう︒尤とも︑実際には︑訴訟法が規定を設けて︵読呪織矧. 節俣躰澗硝蝉姥礪総御岐圃が那︶当事者の変更を認めているのであるから︑このような事態を避けることができるのであるが︑. しかし︑この場合とても︑訴訟の同一性を維持したままの当事者交替を認めているのであるから︑理論的には︑この.

(11) 当事者変更を認めるべぎ論理必然性は全然存しないのである︒つまり︑形式的当事者概念に随えば︑訴訟の同一性を ︵五︶. 維持する任意的当事者変更は許されぬことになるが︑しかしまた同時に︑法定当事者変更の許容根拠の理論的説明も. 断念せざるをえなくなるのであろう︒このことは当事者概念が当事者変更という訴訟現象を説明するには適しないこ. とを示すのである︒それならばこそ︑形式的当事老概念の代表者であるヘルゥィック︑シュタインが︑任意的当事者 ︵六︶. 変更を実体的当事者概念によつて初めて説明される筈の訴変更として︑別の観点から︑つまり訴訟の要素の変更とし. て認めたのである︒あのコソメンタールの大著も︑ガウプの版では当事者概念は︑通説であるとして示されている実 ︵七︶. 体的当事者概念にとどまつているのに対して︑一九〇一年に至り︑シュタインによつて初めて︑彼によつて改められ. た最初の版から形式的当事者概念に移行したのであり︑また︑一九〇〇年に既にヘルウィックは︑訴訟において当事 ︵八︶. ︵九︶. 者となり行動しうる根拠を︑請求原因とされる実体法上の法律関係から切り離し︑争いある財産についての﹁管理 ︵一〇×一一︶. 権﹂もしくは特別の訴訟法の規定に求めたのであり︑一九一二年においても︑実体的概念を旧説としており︑現在に. おいても形式的当事者者概念の代表者とされている︒しかしこのように形式的当事者概念に従いながらも︑当事者を. 訴の要素としてその変更を訴の変更として認めているのであるが︑それは︑実際的要請に応ずるべく当事者を一つの. 一七五︵四五九︶. 客体的存在と考えたからに他ならないのではなかろうか︒そして︑このことは︑当事者変更間題解決の基本的態度で あるように思われる︒. 上田講師︑前掲︑一五頁以下に︑その経過は詳細である︒. ︵一︶ 於保教授︑財産管理権論序説四四頁以下 ︵二︶. 任意的当事者変更の許容根拠.

(12) 論. 説︵鈴木︶. ︵三︶ 菊井教授・村松判事︑民事訴訟法一四二頁︒ ︵四︶ qo団ooび鉾鉾O︒9ミ. 一七六︵四六〇︶. ︵五︶ 細野博士が﹁訴訟ノ承継ヲ認メタルハ一二訴訟経済二基因スルモノ一一シテ理論ノ間題ニアラズ﹂ としているのは︵民事訴. ︵七︶. ︵六︶. 群︸β山9一〇〇一●. N℃○︒q 〇零ゆqO︾協ヨ一︒ o︾q戸一〇. 訟法要義第二巻四二〇頁︶︑端的にこのことを表朋するものであろう︒. ︵八︶. =①一一憩蒔︶ω図⑦8目魁窃Uo旨8ゴoロ§三首8N①8貸8げ貯一〇旨超9. 中村英郎教授前掲︑四九四頁︑出①︸ξ茜トロ8歪g仁民遷囲憎g算這8鴛一〜らGト. 蕊い拙稿︑前掲五六二頁以下︶が一九一二年に行われていることに照して重要である︒. 置望この年代はキッシュの批判︵内一零F鉾ρρ. ︵九︶ ω.. 一︶. デボアは︑形式的当事者概念の凱歌は︑ザヴイニ︑プフタによって確立されたアクチオネシステムからの解放であり︑. ︵一〇︶ 上田講師︑前掲︑一五頁以下︒ ︵一. またBGB理論の根本思想︑つまり︑ウインドシャイドによって確立された基本概念との結合を意味するものであるという︒. ﹁争﹂の主体と当事者とを分離す惹見解における当事者変更の許容根拠. α〇 ωooぴ鋤●鉾O●ω.蕊. 三. そこで︑ ﹁訴訟における当事者の地位とは︑訴訟法律関係説が其の主体として考える形式的なる地位にあらずし ︵一︶ て︑争の当事者として自己の追行関与によつて作り上げた利益状態︑ 生成中の既判力における地位を指すのである﹂. とする見解が登場する︒ この見解によれば︑法定当事者変更が認められるのは︑要するに︑訴訟の対象たる争の主体.

(13) が訴訟当事者以外の第三者に移転したならば︑争は当事者間においては主観的に消滅するが︑. ︵一e. ﹁客観的には争は当事. ﹁存続する争を飽く迄該訴訟で継続して解決する為に当事者の変更を認める必要. 者の一方と第三老との間に存しているのであるから﹂つまり﹁同一の争は尚客観的には該第三者と他の当事者との間 ︵二︶. に訴訟外に存続するのであるから︑. ﹁争の主体に先行して考えられる﹂訴訟当事者によつて裁判所に持. があるのであり︑之即ち訴訟の承継である﹂という︒. このように客観的存在として考えられる争は︑. 出されるのであるが︑これが客観的にはあるとしても訴訟上の当事者となつている者がその争を争いうる地位にない ︵四︶. 場合︑つまり訴訟上の当事者が真に争の主体たり得ぬ場合には︑結局︑当該の訴訟においては解決せらるべき争は存. しないことになり︑訴訟は却下せられるという︒しかし︑また﹁事実上争が法律的に不存在︵醐撫禰購晦儲卸囎稲辮蔚蘇@綿鮒の︶ ︵五︶. なることは可成の程度に明白になつて居ても未だ訴訟が存続する限り︑其のことは原告により持出された特定の争の. 承継の差支とはならない﹂と解されているのである︒従つてこの場合にも訴訟の承継は認められるのであり︑しかも. それを認める論拠は︑争の主体たる地位の移転に求められるから︑ここにいう争とは﹁原告により持出された特定の. 争﹂を意味するものと解して差支えないのではあるまいか︒すなわち︑ここにいう﹁争﹂とは︑法律的には不存在と. みられても︑原告により被告に対して裁判所に持出されることによつて客観的に存在するものであり︑その主体たる. 地位の承継ということも認められるのであろう︵勧帥糺ド殴諦累雛葬納㌍堺鮪麓ぺ勤艶鰍﹃ぎ働驚舳雄哨漂緒嚇聴勲瀞ゆ綱僻猷鍵緑勃樋剛鱗馳︶︒つ. まり争の主体であることと︑争の正当な主体であることは分けて考えられるのであり︑訴訟承継の根拠になるのは︑. 任意的当事者変更の許容根拠. 一七七︵四六一︶. 後者ではなくて︑前者であると解して差支えないのではなかろうか︵縄⑩曜耀翻る︶︒従つて訴訟承継の根拠としては交.

(14) 論. 説︵鈴木︶. ︵六︶. 一七八︵四六二︶. 替前の当事者がその争の﹁正当な主体﹂であることを要しない反面︑この地位の承継者が﹁正当な主体﹂であること. も是認されるのではなかろうか︒そして︑もし︑これが是認されるとすれば︑法律的には不存在であつたこの﹁原告. により持出された特定の争﹂は法律的にも存在することになり︑また︑この争の解決を求める正当な利益を有する者. により訴訟は遂行されることになる︒この場合︑法律的には不存在であつたこの争と︑法律的にもその存在を認めら. れるに至つたこの争は同一性を維持するものとはいえないであろうか︒けだし︑この争は主体を遊離して客観的に存. 在するものであり︑その主体たる地位の移転が行われたとしても︵肋焼鼠C縦掠繍ゼ蔽朋像麺証哨は往辮︶︑客観的存在を有するこ. の争の同一性にはなんら影響を与えるものではないと考えられるからである︒従つてこの場合︑訴訟は当事者の交替. にもかかわらずこの同一性ある争について遂行されたものであるといえるのではなかろうか︒ 以上のことを任意的当事者変更の場合と対比して考えてみよう︒. 例えば︑甲・乙間に訴訟が係属するが︑甲または乙︵飢櫛乱聖妨勤勤魯︶は適法な当事者資格を有せず︑丙がこれを有する. としよう︒ここに任意的当事者変更の必要と実益が生ずる︒ところで甲または乙は特定の争を持出したところで︑そ. の正当な主体でなければ︑その争は法律的には不存在である︒しかし︑それが客観的存在として主体から遊離して固. 定して考えられるのは上述の場合と同じである︒ところで︑甲がその争について訴訟を遂行してきたことは︑それと. 主体との関係を切離して考えれば︵舷鞭射靴蜘騨詑駒槻癬竃繍甜︶︑その争について審理され︑ある程度解決の方向に進められ. たのである︒しかも法律的には第三者の丙がその争についての解決を求める正当な利益を有するのである︒そこで︑. 丁度︑無権利者の訴訟遂行において権利者が訴訟を承継すると同じように︑この第三者丙は︑当事者甲または乙が望.

(15) む限り︑訴訟に加入できないであろうか︒また︑甲または乙も︑なんらかの方式が認められれば︑丙を加入せしめる. ことは︑丙がその争の正当な主体である限り許せるのではなかろうか︒そしてまた︑客観的存在として一個の争につ. いて︑甲または乙がその正当の主体ではなく︑丙がそれであるというのであるから︑争自体としては同一とみられる. 兼子博士︑民事法研究第一巻四二頁︒︵二︶同︑五〇頁︒. のではなかろうか︒ ︵一︶. しかし︑我が国にキツシユ説を紹介し︑そして通説たらしめたのは兼子博士であることは周知の通りである︒そして任意. ﹁交替する新旧当事者は各別個の訴訟︑異れる争に関与しているのであっ. ︵三︶. 的当事者変更は︑基本的にはキツシュ説に従い︑. て︑この点︑一の争において当事者が交替する訴訟承継とは区別されなければならないという﹂︒しかしながら︑この見解が. 法定当事者変更を認めるについて︑単に訴訟経済上の要請や︑当事者及び第三者に対して不公平になるから︑これを許す必要. があることを是認するだけではなく︑積極的にこれを許すべぎ理論的根拠としては︑むしろ訴訟関係説︵これは形式的当事者. 概念に結びつく︶に対する批判の中に現われている︒つまり形式的当事者概念によれぱ︑法定当事者変更が訴訟関係の同一性. を失わずにその主体を変更することができる実質的根拠の説明は与えられないが︑その逆に︑むしろ法律関係の形式性を強調. すれば︑一定の法律関係が主体を変更することがでぎるのは︑既にその関係が主体を遊離してある程度に客観化せられた標準. 一七九︵四六三︶. ﹁訴訟も其の実質を捉えなければ当事者の変動は認められぬ︒而して訴訟に於てかかる客観的なものとは︑後述の如く之. を有することを意味するのでありこのことはそのものが人的関係から外的な法的構造物えの転化を示しているという︒そし て︑. によって解決せらるべぎ争であり︑其の争の主体として考えられた当事者である﹂といわれる︒ ︵四︶ 同︑四九頁︒︵五︶同︑五一頁︒. 任意的当事者変更の許容根拠.

(16) ︵六︶. 論 兼子博士は︑. 説︵鈴木︶. 一八○︵四六四︶. ﹁此の場合真の争の主体が之を承継すへぎではない︒此のことは却って争の同一性を欠くが故に訴訟の承継. とならない﹂といわれている︒だが︑争が客観的存在であれば︑それについての争の真の主体も存するわけであり︑その者に. 争の主体たる地位を移転することもできるのではなかろうか︒そして︑その者が予備的に︑あるいは請求の変更によって︑自. 己の本来の地位を主張することがでぎるのではなかろうか︒また︑このようにしても︑客観的には一個として存在する争の主. 体たる地位の移転が行われたのにすぎないのであるから︑争は依然として同一性を有するものと考えられないのだろうか︒. 三 訴訟の法規範面における許容根拠 ︸ 訴訟における﹁法効果の存在﹂と﹁その帰属﹂の分離. 訴訟上の請求は︑権利根拠としての法効果の存在と︑その法効果の特定主体えの帰属を一体的に包括した権利主張. ︵一︶. である︒従つて訴訟の審理も︑法効果の存在と帰属について一体的に調査するのであり︑本案認容判決もこの両者が 認められる場合にのみなされる︒ ︵二︶. しかしながら︑実体法的にも︑この両者が分離して考えられるように︑訴訟においても︑この両者はぎり離して別 個に扱うことができる︒. パソデクテソ・システムの実体法は︑それが定めている法律要件・法効果を具体的事実から分離して抽象化してい. ることにより︑その主体性を外部に拗榔した構造をもつ︒つまり法効果発生のために必要な法律要件のうちにはもと. よりのこと︑発生して存在する法効果も︑それを特定主体に結びつける帰属関係をそれ自体の構成要素とはしていな.

(17) い︒パソデクテソ・システムはこの点が︑要件事実それ自体に主体を直接に結びつけたアクチオネソ・システムやイ. ソスチオーネソシステムに対して特異性を有するものであることは︑既に︑屡々中村宗雄博士の説かれているところ. である︒このことからも︑法効果の存在と︑その特定主体に対する帰属関係は分離して考えるべぎであることが明か にされる︒. しかし︑両者が分離することによつて︑法律要件充足により発生した具体的法効果が︑いかなる主体に帰属するの. かが︑不明になるのはやむをえないことである︒たとえば﹁商行為ノ代理人力本人ノ為メニスルコトヲ示ササルトキ. ト難モ其行為ハ本人二対シテ其ノ効力ヲ生ス﹂︵嫡曝紅︶るのであるから︑会社の取締役から授権された代理人が会社の. ために行為した積りでも︑授権者は実は︑その取締役個人であつたような場合が生ずるであろうし︑この場合に︑会. 社が訴訟当事者とLてこの法効果を訴求したとすれば︑法効果の存在それ自体は証明でぎるであろうが︑その帰属関 係は存しないから請求は棄却されることになる︒. ところで︑この帰属関係の不存在によつて請求が棄却されるのは︑それが法効果の存在とともに︑本案事項をなす. からであり︑従つて請求が理由あるか否かの間題だからである︒しかし︑たとえば原告がその法効果が帰属するもの. と考えた主体が︑実は︑当事者能力を有しなかつたような場合︵総姻磁哺潔励鶴︶には︑その帰属の欠鉄が訴訟要件の問題. として処理される︒また︑遺言執行者が相続人の代理人として訴え︑あるいは訴えられたような場合︑あるいは公務. 員の公務執行に関する不法行為の賠償責任を公務員自身に訴求した場合のように︑当事者適格の不備とせられる場合. 一八一︵四六五︶. もある︒しかし︑何れの場合にしろ︑当事者に対する帰属関係は認められないが︑法効果の存在は認められる場合で 任意的当事老変更の許容根拠.

(18) 論. 説︵鈴木︶. 一八二︵四六六︶. ある︒だが︑法効果の存在が認められる以上︑その帰属関係は客観的に不存在なのではなくて︑ただ︑原告が︑その. 判断を誤つただけであるから︑他にその正当な帰属主体が実在するわけである︒原告がその正当な帰属関係の判断を. 誤つたこと︑つまり︑当該当事者が主張された法効果の正当な帰属主体ではないことが判明するのは︑この法効果の. 存在がある程度︑認められた場合に初めて可能である︒また︑当事者能力はともかくとして︑当事者適格もこの法効. 果を規準に判断されるのである︒そして︑訴訟の審理はこの法効果の存否を確定するために行われるが︑それは法律. 要件事実︵厳渤蘇紐暁姓殴胤勅解酷鶉熟憶鮪鋤祁競牲け櫛和灘灘鋤撚創繋難︶の存否の判断によつて行われるから︑主体ときり離して調査す. ることができる︒しかし︑たとえば︑請求原因事実の調査によつて︑一応︑その帰属主体が浮かび上がつてくるし︑. また︑権利消滅の抗弁の審理によつても︑それが権利の相対的消滅︵翫謝灘︶を主張しているような場合には︑帰属主体. の変更がうかがわれ︑それらとともに正当な帰属主体が誰であるかが判明することもあろう︒しかも︑その法効果の. 存否について審理されているのであるから︑訴訟外にいるその正当な帰属主体からみれぼ︑当該訴訟の審理は自己に. 帰属すべき法効果の客観的存在性が形成されつつあることを意味する︒そこで︑この審理されている法効果の正当な. 帰属主体を︑訴訟に加入せしめることが︑法定当事者変更を許すのと同じ根拠から許されるべきではなかろうか︒. 法定当事者変更は︑交替前当事者問で主張されていた法効果が︑同一性を維持したままその帰属関係を変更したこ. とにより︑その新な帰属主体が訴訟に加入することによつて生ずる︒しかし︑それによつて訴訟承継が認められるの. は︑その法効果について審理されてきたからであり︑交替新当事者が今やその同一法効果の帰属主体として主張する. のであるから︑その者にその法効果の審理結果をそのまま承継させるのである︒だが︑ここで重要なことは︑交替前.

(19) 当事者が必ずしもこの法効果の正当な帰属主体であることを要しないということである︒このような場合にも︑実体. 関係の承継により今や自分が正当な帰属主体であると主張する交替新当事者の訴訟加入により︑訴訟承継を伴う当事. 当事者変更 に お け る 主 張 法 効 果 の 同 一 性. 者変更は認められるからである︒. 二. 訴訟物は︑法効果の存在である権利根拠とその特定主体えの帰属である権利帰属を構成要素として成り立つ権利関. 係であり︑これは︑一方において︑特定主体によるあるいは対する主張として一定の動的方向をもつことにより訴訟. 上の請求として観念され︑他方では︑権利帰属とぎり離して権利根拠だけを考えることができることは前述の如くで ある︒. そして︑同一性に関していえば︑同一一個の法効果の在存も︑特定主体えの帰属と結びつけて考えると︑実体法的. にも既に︑帰属主体の異ることによつて異別の権利関係として現われ︵縦諏糠噺膿阯も︶︑また︑同一一個の法効果が異る. 主体によつて︑あるいは対して主張されるときは︑訴訟上は勿論︑訴訟外においても別個の請求と考えられる︒つま. り︑具体訴訟において特定された法効果は︑主体との結びつき︵闘︶により︑あるいはその主張主体の異ることによつ. て︑訴訟物としてあるいは請求としてそれを包摂する構造物は異るが︵仕吃識謙蜘瞭薩弍鴛娩晒轍切瀞蜥ぼ職罐贈財臥郷舗継銚靴如︶︑帰. 属なり︑主張なりの要素を取り払つてみられる法効果の存在は︑訴訟物として︑あるいは︑請求としてはどのように ︵三︶. 変わろうとも︑同一性を維持しているものということができるのであり︵縦勘駅噺嶽鹸州禍ガ畳切胴か転拗稼朧瑚診騒蝦勤艇鱗馳櫛者︶. 一八三︵四六七︶. ここに︑法定当事者変更を許す法規範面の実質根拠があるのであり︑それと同じく︑任意的当事者変更を許すべき法 任意的当事者変更の許容根拠.

(20) 論. 説︵鈴木︶ ︵四︶. 規範面における許容根拠が見出されると考える︒. 一八四︵四六八︶. ところで︑他人が主張している法効果が自己に帰属するということ自体は︑決して新奇なことではなく︑既に︑訴. 訟法はそのような場合のために︑独立参加の制度を認めている︵嘱鰍雛馳︶︒しかし︑この制度は︑専ら本訴の存続に対. これに対して任意的当事者変更の. 立させて︑本訴当事者に対し︑しかも本訴当事者とは独立の地位をもつて参加人が主張するのであり︑従つて本訴当 事者の訴訟資料の継続的利用を主眼とするものではない︵肋齢曇燧弄巽順姐猷に條ゆ碑︶︒. 場合は︑新当事者を本訴それ自体の当事者の地位に加入せしめようとするのであり︑それによつて本訴当事者の形成. した訴訟手続の結果の原則的利用をその目的とするのである︒殊にこのことは次の場合に差異が現われてくる︒任意. 的当事者変更の生ずるのは︑前述の如く︑当事者が当事者資格を有しないか︑あるいは審判対象である法効果の正当. な帰属主体ではない場合であるが︑前者の当事者資格の欠敏の場合は訴訟要件の欠欲となる︒任意的当事者変更の場. 合は法定当事者変更と同じく︑新当事者が本訴それ自体の当事者の地位に加入し︵跡嬬萩卿珀辮るの硝藤者︶それによつて︑当. 事者資格の欠欲は治癒されると解する余地が存するが︑七一条参加の場合は︑本訴の訴訟要件の欠飲によつて︵勢加職伽. 蜘鋤莇凱齢ポ概酔駐のの鉢噺な の傭嶽懐碓の︶︑不適法として却下されてしまうのである︒それでも︑参加人は自から独立した地位を. もつて主張し︑そしてその目的を達することがでぎるのであるが︑しかし︑本訴において提出された訴訟資料の継続 的利用は殆んど不可能となつてしまうのではなかろうか︒. 従つて︑本訴の審判対象である法効果の正当な帰属主体であるとして︑同じく訴訟に加入せしめるについても︑任. 意的当事者変更の場合は︑七一条参加の制度趣旨とは異り︑むしろ︑法定当事者変更のそれと同じくするのである︒.

(21) 法効果が自己に帰属すると主張する形式の面では︑両者は全く同一であるが︑実質的には︑七一条参加の場合は︑本. 訴原告の帰属関係を排斥的否定的に争い︑自己の帰属関係を独立的に主張することに重点が存するが︑任意的当事者 変更の場合には︑それが追認的依存的であることに重点が存する︒. 三 前当事者の訴訟遂行結果の交替新当事者による追完的承認. このように︑交替後の当事者が︑現に審理されている法効果の正当な主体であり︑従つてそれについて形成された. 訴訟手続の結果の原則的承継が︑観念的には認められるにしても︑何人も他人の訴訟遂行の結果には拘束されない筈. である︒法定当事者変更の場合には︑交替両当事者の間には実体関係の承継があり︑それが無条件的な訴訟承継を認. める理由となるが︑この場合には︑ただ︑自分がその現に審理されている法効果の正当な帰属主体だということだけ. である.ところで︑任意的当事者変更における原則的な訴訟承継の間題には︑個々の訴訟資料の利用・拘束の問題を. 含むが︑これは︑事実面の問題であるから次節に述べることにして︑ここでは︑訴訟手続の結果の維持の問題だけを 取上げる︒これは訴訟の同一性にかかわる法規範面の問題だからである︒. 法効果の存在︵権利︶とその帰属の分離は︑更に︑他人に帰属する権利を主張する︵雛嗣︶ことを認めることになる. が︑この他人の権利の行使の効果が︑他人である権利主体に帰属するために︑実体法的には︑権利行使権限としての. 処分権の具備が必要であることに対応して︑他人の権利の訴訟上の行使により︑判決の効力が他人である権利主体に. 及ぶためには︑訴訟遂行権が必要であるとされている︒しかし︑この処分権なり訴訟遂行権を︑他人の権利の行使者. 一八五︵四六九︶. は最初から具備することは必要ではなく︑前者は追認的な処分権の授与により︑後者は訴訟の進行中における具備に 任意的当事者変更の許容根拠.

(22) 論. 説︵鈴木︶. 一八六︵四七〇︶. よつて追完される︒この場合でも︑訴訟遂行は全体的に有効であろうから︑判決の効力は他人に及ぶことになる︒ま. た︑他方では︑無権代理人による訴訟遂行の追認も認められており︑この場合には当事者本人が訴訟に関与していな. かつたことは勿論︑また︑その意思さえ働く余地のなかつた訴訟遂行であるにもかかわらず︑これを一体的に追認す. ることにより自分が訴訟遂行したのと同じ結果として認められている︒この根拠は︑一応︑無権代理人が本人の名に. おいて訴訟を遂行したことに見出されるが︑しかし︑本人の名においてしたかどうかは︑所詮︑訴状における形式で. あり︵謙疏劉臨鵬駈銘媚胴漸︶︑また民法上の一個の無権代理行為と異つて︑証拠方法の提出などの事実行為も含めて︑申. 立︑主張などの訴訟行為の継続的に反覆されてぎた全体を一体的に追認するのであるから︑その根拠はむしろ︑実質. に求められるべきであり︑それはやはり︑この無権代理訴訟の遂行が︑本人に帰属すべき法効果について行われてき. たことに見出されるのではなかろうか︒訴訟的訴訟遂行権の場合は︑まさにそれである︒他人の訴訟遂行により判決. の効力が本人に及ぶのは訴訟の進行中における訴訟遂行権の具備の場合を含めて︑その訴訟遂行が結局︑本人の法効. 果について行われたからに他ならない︒このように︑訴訟的訴訟遂行権の場合にしろ︑無権代理訴訟の追認にしろ︑. 本人に判決の効力が及び︑あるいは本人が訴訟遂行したのと同じ結果とせられるのは︑要するにその訴訟が本人の法. 効果について行われたからであり︑しかも︑その訴訟遂行権なり︑追認なりが︑その結果の帰属を追完的に形成する. からであろう︒ところで︑実体法上は︑本人に効果を帰属せしめる処分権が︑当事者間で任意に授権されるのに対し. て︑訴訟上は︑これは一定の範囲内に限られている︒しかし︑近時︑任意訴訟信託の禁止の趣旨に触れない限度で︑. この訴訟遂行権の授権が認められている︒従つてもし︑他人の権利について自己の名において訴を提起した者が︑そ.

(23) の当初︑訴訟遂行権を有しなくとも︑これが認められる限度で授権がなされれば︑その訴訟遂行は初めから全体とし て有効と認められるであろう.. これらの趣旨を勘案すれば︑任意的当事者変更における他人による訴訟遂行の結果の原則的承認も︑交替新当事者. が認める限りでは許されるのではなかろうか︒無権代理訟訴のように︑交替新当事者の名においてなされるのではな. く︑また︑訴訟的訴訟遂行権におけるように︑交替新当事者のために訴訟が遂行されるわけではないが︑実質的に. は︑この両者と同じく︑訴訟の審理は︑この交替新当事者に帰属する法効果について行われているのである︒しか. も︑無権代理における訟訴結果の無条件的な全体的追認と異り︑交替新当事者はそれについて続行訴訟で争いうる余. 地が認められるのであり︑また︑訴訟的訴訟遂行権におけるように︑無条件的に判決の効力を受けるのではなく︑続. 行訴訟において自から訴訟活動をするのであるから︑この点からも許されてしかるべぎではないかと考える︒. ところで︑交替新当事者による他人︵前当事者︶の訴訟遂行の結果の追完的承認を認めるにしても︑交替前当事者. は︑たとえ︑自分が正当な当事者ではなくとも︑自己の名において訴訟を遂行しているのであるから︑この追完的承 認の法的性質はどのようなものであるかが考えられるべぎだと思う︒. しかして︑交替前当事者は︑その審理されている法効果の正当な帰属主体ではなく︑交替新当事者がそれであると−. すれば︑交替前当事者は︑客観的には他人である正当な帰属主体の交替新当事者のために訴訟を遂行したことにな. る︒つまり︑客観的には︑交替前当事者は義務なくして他人の事務を管理したことになるのではなかろうか︒他人の. 一八七︵四七一︶. 法効果︵権利︶の訴訟遂行が他人の事務の管理であることは明かである︒しかし︑この場合は自己に帰属すべき法効果 任意的当事老変更の許容根拠.

(24) 論. 説︵鈴木︶. 一八八︵四七二︶. であると信じて訴訟を開始︑遂行したのであるから︑多少の疑問は残るが︑しかし︑訴訟の進行中︑それが他人に帰. 属すべきことが︑裁判所には勿論︑当事者にも認められた場合にこそ︑任意的当事者変更の間題が生ずるのであるか. ら︑既にこの段階においては︑明かに﹁他人の事務の管理﹂であることが意識されているわけである︒民法学者の説. 明によると︑ ﹁管理人の為した行為の事実的又は法律的結果が他人の権利域又は利益域に属すると一般的に認められ. るに至つて始めて其の事務は他人性を取得する︒事務の他人性は管理人の意思によつて主観的に決定されるのではな ︵五︶ く其の行為の事実的又は法律的結果の帰属に基づいて客観的に決定されるのである﹂から︑この見解に従えば︑やは ︵六︶. り交替前当事者の訴訟遂行は事務管理とみられるのではなかろうか︒この見解によれば︑客観的他人の事務を自己の. 事務と誤信して管理をLても︑事務管理の成立を認める︒もし︑このように︑事務管理とみられるならば︑交替新当. 事者はこれを追認することができるであろう︒しかし︑この追認は無権代理訴訟の追認の如き︑訴訟法上の追認では. なく︑実体法上のそれであるから︵甜堵耽鰍瀦靴⑳翻縣鰍ビσ鍍ポ噺礪厳社紛胎億就訴︶︑それが訴訟上に認められる限度において許さ. れるべきであろう︒. 従って︑交替新当事者が前者の訴訟遂行の結果を原則的に認める承認は︑無権代理訴訟における追認︑任意的訴訟 遂行権の授権に類似する実体法上の追認とみることができるのではないかと考える︒ ︵七︶. また︑この承認を新当事者が拒否するときでも︑それが信義則上権利濫用とみられる場合は︑この拒否を認めない. とする立場に賛成することができると思う︒けだし︑このような者を訟訴に加入せしめても適当な修正権を与えて訴 訟を進行させるのだから︑なんらこの者の利益を害することはないからである︒.

(25) しかし︑何れの場合にしろ︑この前当事者の訴訟遂行結果の追完的承認は︑原則的な承継を認めるだけであつて︑. 個々の訴訟資料については︑交替新当事者は更めて異議を述べ︑新資料を提出して補完し︑またある証拠結果を排除. 於保教授︑財産管理権論序説︑二六一︑二九九頁︒. して証拠調をくりかえすことができるなどの処置は認められなければならないであろう︒ ︵一︶. 同一・一個の所有権も︑甲から乙に移転されれば︑権利関係としては異なり︑従って︑訴訟物は異る︒また︑丙に対する. ︵二︶ 磯村判事﹁民事訴訟の動的構造﹂七五︑八四頁以下︒. ︵三︶. 主張と丁に対する主張とでは請求としては異る︒しかし︑同一一個の所有権であるとみられることには違いはないのではなか ろうか︒. ︵四︶ レントが任意的当事者変更の実質根拠及びその要件として︑専ら訴訟物の事実面の同一性を重視したのに対して︑ローゼ. 石田丈二郎博士︑債権各論︑二二四頁︒. ψ9. ︵五︶. 小池隆一博士︑準契約及び事務管理の研究︑二九一頁︑岡村玄治博士︑債権法各論︑五六八頁︒尤もこのような﹁他人ノ. ご阜き鉾鉾O ンベルクが訴訟物の密接な関連性をあげているのはこの趣旨と解しえよう︒勾oω窪びR噂NNコb. ︵六︶. 為メ︸こというのは︑本人に利益を与えると認められる客観的事態をさすのであって︑管理人の主観的な意思をさすのではな. いとする見解に対して︑管理者の主観的な意思を無視することは適当ではないとするのが有力説であると云われているが︑し. かし︑これに従っても交替前当事老が︑自分が正当な主体ではなく︑交替新当事者が正当な帰属主体であることを認識したと. 一八九︵四七三︶. ぎには︑事務管理が成立するものと解せられるようである︒松板佐一博士︑事務管理.不当利得︑法律学全集一五頁︒なお︑ ドイッ民法六八七条の解釈についても︑同じことがいえるのではないだろうか︒. 任意的当事者変更の許容根拠.

(26) 論. 説︵鈴木︶. 一〇㎝9 ω●刈① ●. 四 任意的当事者変更と請求の基礎. 訴訟の事実面における許容根拠. 一九〇︵四七四︶. ︵七︶ αoωoo卜鉾鉾O︒ ω●一謡害紅ωoFN貯躍Ro器o房おo算・ω︒3N閑o器昌o嘆堕斜餌︒ρ ψF一〇p鉾︸=ユ20ロNΦ詳仁⇒鵬・. 一. このように︑法規範面における許容根拠としては︑法効果の同一性に求められるとしても︑法定当事者変更の場合. にしろ︑任意的当事者変更の場合にしろ︑その交替前後に︑訴変更の方式により主張法効果が変更せられることがあ. る︒任意的当事者変更の場合はしばらくおくとしても︑当事者と法効果の両者が変更せられれば︑当事者の交替前後. では︑訴訟はその法規範面においては全く同一性が失われることになる︒それにもかかわらず︑訴訟法は訴訟の一体. 性を認めているのであり︑従つて当事者交替前の訴訟資料を︑交替後にも全面的に継続的利用が許されるのである︒. このような実質根拠は︑訴変更の場合におけると同様︑請求の基礎の同一性に求められるのではなかろうか︒. 訴変更の場合︑請求の趣旨及び原因がどのように変わろうとも︑請求の基礎が同一である限り︑訴訟の一体性が認. められている︒また︑管轄違の移送による裁判所の変更の場合にも︑請求の基礎は勿論︑請求それ自体に変更を来さ. ないのであるから︑訴訟の一体性は維持される︵蹴物配呪謙訟嚇概脚吐撒諸肋誠剛榔鉱騒殖轄︶︒さらにまた法定当事者変更の何れの 場合にしても︵篇球勤継囎微潤財偽御か︶︑請求の基礎は同一性を有する場合である︒. このようにみてくると︑訴訟法の規定しているどの訴訟の要素の変更にしろ︑請求の基礎が同一な限り︑訴訟の同.

(27) 一性・一体性は維持され︑従つて訴訟資料の継続的利用が認められているのである︒. 請求の基礎は︑訴が提起されて︑一旦︑請求が特定すると︑それによつて客観的に確定されるのであり︑訴訟法は. 訴訟の同一性・一体性をその請求の基礎の同一に依存せしめているものとみられるであろう︒. ところで︑どうして請求の基礎が同一な限り︑訴訟の一体性が維持されるのであろうか︒. 民事訴訟における本案判決は︑必ず特定一個の生活利益主張の衝突として現われる民事紛争事件をその対象とす. る︒そして訴訟法はこの特定一個の紛争の存在を訴訟対象︵旛嬬鍛︶として明示させるため︑訴訟技術的に請求の趣旨. 及び原因をもつて訴訟上の請求として構成すべきことを要求している︒従つて︑訴訟対象としての請求は︑この特定. 一個の社会的紛争事件から法的に構成されたものであるから︑その請求の基礎をもつて︑その特定一個の社会的紛争. 事件であると一応はいえるのである︒かくて︑請求の基礎の同一性は︑この特定一個の事件の同一性に求められよ. う︒だが︑何を規準として︑その事件の﹁特定一個﹂の限界を劃するのであろうか︒また︑なるほど︑現象的には請. 求はこの紛争事件から法的に構成されるから︑請求の基礎はこの紛争事件であるとしても︑訴訟法的には︑請求が︑ 従つて請求の基礎が紛争事件に論理的に先行するのである︒. というのは︑まず︑訴が提起され︑請求の同一性が特定されて︑その後初めて︑請求の基礎の同一性が確定される. 一九一︵四七五︶. ﹁請求利益﹂の同一. からである︒従つて︑この請求の基礎の同一性の決定規準も︑この訴及び請求ときり離して考えることはできない︒ ︵三︶ そこで中村宗雄博士の見解に従い︑請求の基礎の同一性の決定規準は︑ ﹁訴により主張する利益が同一﹂であるこ. と︑すなわち︑請求利益の同一に求められるのであり︑従つて︑請求の基礎が同一であるとは︑. 任意的当 事 者 変 更 の 許 容 根 拠.

(28) 論. 説︵鈴木︶. 性によつて限界づけられる︑特定一個の社会的紛争事件であるといえるであろう︒. ﹁請求利益の同一. 一九二︵四七六︶. つまり︑この. 性﹂によつて︑紛争事件はその単一性・同一性を画することができるのである︒そこである二つの請求が相互に請求. の基礎に同一性ありとすれば︑その二つの請求は︑その﹁請求利益﹂の同一性によつて限界を劃される同一一個の紛 争事件を共通の基盤として︑それから法的に構成されているのである︒. ところで︑訴訟対象としての請求が︑二つとも︑その基礎たる同一事件から法的に構成されているならば︑各請求. 原因事実は勿論︑この各請求を維持し︑または排斥するために提出される攻撃・防禦方法︑つまり要件事実もこれを. 証明する証拠資料も︑すべてこの同一事件からその一断片として抽出され︑顕出される.従つてそれらは同一事件か. ら法的に構成される請求の判断素材としては︑相互に一体性・密着性があるといえるのであつて︑このことが︑ひい ては訴訟における事実面の一体性を構成するものなのである︒. かくて請求の基礎が同一である限り︑法効果がどのように変更されようとも︑訴訟の一体性は認められるのであ. り︑ここに訴変更を許す実質的根拠が存するのである︒従つて当事者と法効果の両者が変更する場合にも請求の基礎. が同一な限り訴訟の一体性は認められる︒つまり当事者の交替の後当該訴訟において主張されている法効果が変更さ. れたとしても︑その請求の基礎が同一であることによつて︑変更前に提出された訴訟資料が︑変更された交替当事者 の訴訟物判断のために利用される基礎が︑ここに見出されるのである︒. そしてまた︑この点が︑法規範面にをける許容根拠である﹁法効果の同一性﹂とともに︑訴訟の事実面における当 事者変更の許されるべき根拠なのである︒.

(29) それならば︑同じことが認められる限りで︑この点が任意的当事者変更を許すべき根拠となるのではなかろうか︒. 紛争事件は生活利益主張の衝突として現われてくる︒この事件から︑自己の権利としてその生活利益が法的に保護. せらるべきであると確信する事件関係主体の一人によつて︑つまり︑原告によつて訴訟は開始する︒従つて事件関係. 主体︑権利関係主体︑訴訟主体の三者は大概︑特定具体訴訟においては一致するのが原則である︵灘征猷報鰍較樋寧轍徽騰備罫. 都液勅秘翻稽緒琵被轄儲齢ポ酷翻礪潮麻藩勧甑晶厨鵠順蟻鵬︶︒しかし︑法律要件・法効果が抽象的に構成されているパンデクテン・シ. 柳蟹筋紘ば︶︒殊に︑立法政策によつて︑一. ステムの下では︑事実と規範は︑必ずしも一個の対偶関係においては結びつかず︑むしろ一個の事件に対して二個の 法規範関係が存することがある︵騨翻轍輪璽射媛⑳獅賠師賄跡舩礁碩鵬徽媚舷鰍艦縫蛛郷晒髄. つの事件を規律する法規範関係の特定法主体えの帰属は︑きわめて複雑な経路を辿り︑国民の一般的な法感情や法常. 識をもつてしては︑とても正当に判断しかねる法技術的構成をもつ︒そのために特定訴訟の正当な当事者を正しく決. 定することが困難となり︑それによつて当事者措定の誤りが生ずるのである︒しかし︑そうであればこそ︑国民は自. 分が感覚的に判断しうる現実的な事件からその事件関係主体を当事者として措定するのであり︑また︑そのために当. 事者資格の判断を誤つたとしても︑それは別の直接的または間接的な事件関係主体が正当な訟訴資格者であることが. 多い︒つまり︑その第三者は同一事件の関係者であることが多いのであり︑事実︑実際的にも︑任意的当事者変更を. 認めるべき必要と実益があると考えられる場合は︑この三者は同一紛争事件の関係主体なのである︒従つてそれは前. 述の如き規準から請求の基礎が同一性ありとみられる︑同二個の紛争事件の関係主体である場合が多い︒このよう. 一九三︵四七七︶. な場合には︑前述の如く︑訟訴の一体性が認められるのであるから︑訴の変更や法定当事者変更が許されると同じよ 任意的当事者変更の許容根拠.

(30) 論. 説︵鈴木︶. 一九四︵四七八︶. うに︑任意的当事者変更が許されていいのではなかろうか︒つまり︑請求の基礎の同一性が訴訟の一体性を維持し︑. また︑訴訟の一体性を維持する限り︑訴訟の要素の変更が認められるならば︑請求の基礎が同一である場合には︑訴. 訴訟資料と当事者の地位. 訟の一体性を維持するがゆえに︑またそれの認められる任意的当事者変更が許されてもよいのではなかろうか︒. 二. 任意的当事者変更が行われるとすれぼ︑判決を受ける者は交替新当事者であるが︑その判決の基礎を形成するのは. 交替前当事者である︒訴訟の一体性を維持した当事者の変更が行われれば︑判決を受ける当事者は自分以外の者が提. 出した訴訟資料を利用できる反面︑それに拘束されることになる︒このことが︑任意的当事者変更の主眼であるか ら︑その根拠が検討されなければならないであろう︒. 当事者弁論主義のもとでは︑当事者がその請求を維持するため︑あるいは排斥するために︑口頭弁論終結に至るま. で訴訟資料を提出できることは︑当事者の基本的な権能として当然である︒しかし︑このことは︑判決の基礎たる訴. 訟資料は必ずしも判決を受ける当事者だけが提出しなければならないことを意味するものではない︒. ところで︑訴訟資料は主張責任の有無に関係なく︑当事者のどちらか一方から提出されればよく︑たとえそれが提. 出者に不利益であつても︑また︑それを相手方が援用せず︑むしろこれを争つたとしても︑判決の基礎とされるので. あり︵郷蝶猷嚥騨購︶︑つまりそれは原告とか被告の地位に関係ないとされているのである︒これは前述の紛争事件の同一 ︵一︶. 性に基づくものと考えられよう︒. 訴訟資料が大体法効果の存在とその帰属に関するものであることは︑前述のところからも明かであり︑そして法効.

(31) 果の存在をその帰属すべぎ主体との関係から独立に考えることができることにより︑法効果に関する訴訟資料も︑法. 効果と主体との関係に関する訴訟資料からきり離して扱うことがでぎよう︒法効果の存在が認められるために︑それ. が発生したことと存続することが必要であり︑前者には不発生が︑後者に対しては消滅が対立するが︑何れにしろ︑. それに必要な法律要件事実の主張及び立証によつて初めて認められる︒しかして︑それは主体との帰属関係とぎり離. された要件事実であるから︑その提出当事者だけに機能しなければならないという理由はない︒殊に︑その事実が法. 一. 効果存否の判断素材として果す機能は︑それに対する法的判断であるが︑それは裁判所の専管事項であるから︑当事. 者の主観・意図からは独立しているのは勿論のこと︑当事者の地位からもきり離されているのである︒従つて︑. 旦︑提出された事実は︑特定一個の法効果判断の素材として提出されたものである限り︑訴訟上の提出権能をもつ者 ︵二︶ から提出されたならば︑それは提出者の地位とは関係なく︑判決の基礎となるのではなかろうか︒. このことは証拠資料についてもいえよう︒証明とは裁判官をして事実の存否につき確信を得させることであり︑そ. の確信が高度の蓋然性にすぎないとしても︑やはり特定主体との関係をはなれた認識であることには違いないからで ある︒. 要するに︑法効果の存在だけをその帰属主体からきり離して考えれば︑それに関する訴訟資料も︑その主体からぎ. り離して扱うことができるのであり︑そうすれば︑それが特定一個の法効果の判断のために提出されている限り︑そ. 一九五︵四七九︶. の提出者が原告であるか︑被告であるかに関係ないばかりか︑それは当事者地位とはきり離した存在と価値を認める ことができるのである︒ 任意的当事者 変 更 の 許 容 根 拠.

(32) 論. 説︵鈴木︶. 一九六︵四八O︶. 従って当事者変更が行われた場合にも︑新・旧両当事者は同一法効果の判断を受けるのであり︑訴訟資料はその同. 一一個の法効果の判断素材として提出されるのであるから︑新・旧両当事者によつて提出されたところを一体として. 判決の基礎とすることが許されるのではなかろうか︒つまり︑判決を受けるのは新当事者であるが︑それは前当事者. 間で主張されていたのと同一の法効果の判断を通じてであるから︑その判断素材は新当事者が提出したものは勿論の こと︑旧当事者の提出したものであつても差支えないといえるであろう︒ ︵三︶. しかし︑当事者はいかなる訴訟資料に対しても︑これを争い︑異議を述べ︑そして反対尋問をすることができる立. 会権を有している︒従つて交替新当事者のそれについても考慮せられなければならないであろう︒だが︑前述の如. く︑原告の交替の場合にしろ︑被告の交替の場合にしろ︑前当事者の訴訟遂行結果に追完的承認を与えた場合には︑ この立会権は適法に放棄されたものとみることができるであろう︒. 交替新当事者︑殊に︑加入せしめられた被告がこれを拒否する場合に問題となる︒しかしこの場合でも︑立会権が. 実質的に実現されていたような場合にまで︑さらにこれを保障しなければならぬ理由はないであろう︒たとえば交替. 新旧両当事者が︑結局は同一実体︵揃嫡灘蛯輔眠鉱枇切灘蛉働卿飢御︶であるとか前当事者が法定代理人︑あるいは訟訴代理人そ. の他補助参加人︑輔佐人などとして自分がなんらかの形式で関与していた場合であるとか︑あるいは法定代理人・訴. 訟代理人など︑実際に訴訟活動をした者が新・旧両当事者を通じて同一人であるとかの場合である︒そうでなくと. も︑新・旧両当事者相互の法主体性に緊密な関連性があり︑そのため訴訟の一体性がそのまま是認できるような場合. ︵肋舵販駆紺飴社︾あるいは両者が公法関係主体であつその主体相互に一定の公法関係の関連性がある場合︵呪伽灘翻蹄嚥靴糠.

(33) 赫砺耀励翻︶などである︒しかし︑以上のどれにも該らなくとも︑事件の審理内容から判断して︑訴訟においても行わ. れるべぎ信義則上︑前当事者の訴訟遂行結果の追完的承認を拒否することが︑権利濫用と認められるべき場合には︑. この承認は不必要と考えられる︒そのような場合でも加入新当事者は爾後的に前当事者の提出した個々の訴訟資料を. 争いうるものと解すべきことは前述の如くであるから︑それによつて︑立会権も爾後的に実現せられるものとみられ. るからである︒しかし︑それ以外には︑新当事者の拒否は正当であるものとして︑訴訟資料の継続的利用は許すとし. ω魯目置即9虫9≦o旨凶騎霧℃費8貯霞ぼぎ鴨P一ド這困930﹁当事者が別々に陳述する事実関係も︑結局は同一一. ても︑その拘束は許すべぎではあるまい︒ ︵一︶. ﹁利害相反する共同訴訟人間の訴訟法律関係﹂訴訟と裁判二四五頁以下︒ ﹁裁判所が一の判決すべき社会的. 個の歴史生活事件︵留誘巴げ窪鵯零匡畠註一9︒戸oぎ幕三凶9窪ピ①げ窪零o茜き鵬︶に関係する﹂という考え方︑及び. 西村宏一判事 ︑. ﹁事実ではなくて︑事実判断のみが真・否でありうるのであっ. 訴訟資料として提出される﹁事実﹂は︑歴史的事実ではなく︑それを主張する者の︑その事実に対する判断・認識であ. 歴史的出来事は︑客観的には一つしかあり得ないのであるから﹂というのが︑この趣旨に通ずるであろう︒. ︵二︶. り︑事実の主張とは︑その記憶の観念通知であるといわれる︒. て︑また証明の対象となるのである︒ある事実判断及びその反対だけが証明せられたものとみることができるのである﹂. 幻O器昌σ震堕ピoぼげ鐸oF①>瓢炉9器 ︶からである︵三ケ月教授︑民事訴訟法︑三八二頁︶︒従って主体の異ることによっ. て︑事実に対する判断︑認職は異なってくるであろうから︑当事者変更の場合には︑判決を受ける新当事者は他の主体の事実 判断を判決の基礎とされたことになろう︒. 一九七︵四八一︶. しかしながら訴訟法は提出される﹁事実﹂を必ずしも当事者自身の﹁事実判断﹂だけに限定していない︒たとえば︑当事者. 任意的当事者変更の許容根拠.

参照

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2)医用画像診断及び臨床事例担当 松井 修 大学院医学系研究科教授 利波 紀久 大学院医学系研究科教授 分校 久志 医学部附属病院助教授 小島 一彦 医学部教授.

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〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」

政事要略、巻八四、糺弾雑事(告言三審趣告等) 法曹類林、巻二○○、公務八 平安遺文、三四五号 平安逝文、三三四号 平安遺文、三三二号

︵人 事︶ ﹁第二十一巻 第十號  三四九 第百二十九號 一九.. ︵會 皆︶ ︵震 告︶

記)辻朗「不貞慰謝料請求事件をめぐる裁判例の軌跡」判夕一○四一号二九頁(二○○○年)において、この判決の評価として、「いまだ破棄差