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高倉泰夫

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(1)

社会的再生産過程と信用

高倉泰夫

はじめに

マルクスはエンゲルス編『資本論』第2部第3篇の「第21章 蓄積と拡大 再生産」にあたる部分(第8稿)で,Imcにおける蓄積基金の形成と支出 について次のように述べている。「同様にここでは,m(I)のうちの貨幣蓄蔵 部分であるA,A ,の単なる販売〔マルクスは購眉と誤記一引用者〕がmI のうちの,蓄蔵貨幣を追加生産資本の諸要素に転化させる部分であるB,B , 等々と均衡を保っている,ということが前提される」(KⅡ・〔Ms・ⅤⅢ,S・51〕,

1)

S.490)。

このような蓄積基金としての蓄蔵貨幣の形成と支出の均衡を前提とすると きには,拡大再生産表式に示される社会的な蓄積過程は正常に進行すること になる: 前稿において,この前提が必ずしも成り立たないこと,すなわち拡

3)

大再生産表式における蓄積基金の形式と支出において,蓄積年数を一定とす るとき,蓄積基金を形成するA群の個別的諸資本(A′,A〝,…)と,それま で積み立ててきた蓄積基金を支出するB群の個別的諸資本(Bのみ)との間 で不均衡が生じること,すなわちB群の側に蓄積基金の不足が生じること,

およびその不足する貨幣資本の創出が信用によって行われるときには,拡大

4)

再生産が順調に進行することを述べた。この信用による貨幣資本の創出によ

って,A群における蓄積基金の形成とB群での蓄積基金の支出とは均衡する

ことになる。

(2)

2  経 営 と 経 済

この均衡が年々成立する中で .A 群の個別的諸資本のうち蓄積年数が満ち た部分は翌年度は B 群の個別的諸資本として現れることになる。このような 不足している貨幣資本の信用による創出と . A 群の個別的諸資本のある部分 が次年度には B 群に廻るという,年々の交替が繰り返されていく中で,拡大 再生産における信用制度のもとでの貨幣の出発点への還流が位置づけられ

る 。

このように拡大再生産における信用の必然、性をとらえることは,同時に利 子生み資本 CG‑G' )を拡大再生産としての W' … W' の正常な進行のため の不可欠の契機としてとらえることになる。他方でこの G‑G' が W' … W'

の存立のための一契機となることで. W' … W' のもとでの生産諸関係の物 象化はその極限まで完成されることになる。

本稿が信用制度の理論的展開の基礎を拡大再生産表式においているのは,

『資本論』第 3 部 第 1 稿での唯一の信用論が執筆されたのが,拡大再生産表 式が初めて定式化された第 2 部 第 8 稿の執筆に先立つ 15‑16 年程前(1 8 6 5 年) であり,それは第 2 部 第 1 稿の不十分な再生産論に基礎をもつこととなって いるために,もう一度第 2 部 第 8 稿での理論的到達点からの信用論の見直し が必要となると考えられるからである。そのことは『要綱』以来の一貫した 展開方向 i こもとづいて信用論の構成を考えるということでもある。

〔 註 〕

1)  r 資本論』第 2 部第 8 稿の拡大再生産の部分の草稿からの引用は大谷禎之介 r r 蓄積 と拡大再生産J c r 資本論』第 2 部第2 1 章)の草稿について一『資本論』第 2 部第 8 稿からー J (上) r経済志林~ (法政大), 4 9 巻 l 号 , 1 9 8 1 年 7 月,による(ここでは,

47‑48 ページ)。なお大谷は,マルクスがこの時点では拡大再生産表式の部門間均衡条

件の十分な認識に至っていなかったこと,そしてエンゲルスが部門間の均衡条件およ

び第 I 部門の蓄積率決定の重要性を明確にすることでマルクスの表式を整理し改善し

ていることを指摘している(向上, 20‑25 ページ)。本稿では,エンゲルスによって改

(3)

善された拡大再生産表式の論理をさらに延長することによって,信用論と再生産論と の連関を示すことを考えている。

なお,その他の第 2 部第 8 稿の研究として,市原健志 r r 資本論』第 2 部第 3 篇第1 9 , 2 0 章と第 2 部第 8 稿 J (上・下) r商学論纂~ (中央大)2 9 巻 2 号 , 3 号 , 1 9 8 7 月 9 月 , 1 1 月がある。そこでは,第 8稿の第 2部第 3篇相当部分が,もともとはスミス批判を一 つの柱としていたために,再生産表式の理論的展開としては一貫したものとなってい ないと指摘している。もしそのように言えるならば,第 2部第 3篇を第 2稿と第 8稿 から編集して構成したエンゲルスの作業は評価されるべきことになる。関連して第 2 部の編集過程については,同 r r 資本論』第 2 部の諸草稿とエンゲルスの編集について」

同誌, 2 7 巻 2 号 , 1 9 8 5 年 9 月,を参照されたい。

なお,以下での『資本論』への参照は,第 2 部は草稿のページ数を除き MEW 版 (エンゲルス編集にもとづく),第 3 部はマルクスの草稿が活字化されている MEGA ( 1 I ‑4.2 ,  B e r l i n : D i e t z V e r 1 ag ,  1 9 9 2 )のそれぞれのページ数によっている。

2) ジョーン・ロビンソンは1 9 5 1 年に次のように述べている。「彼女〔ローザ・ルクセン プルク一一引用者〕は,今日たいへん馴染みとなっている貯蓄と投資の均衡の問題に は関心がなかった。マルクス自身はその問題に気付いていた……」として,単純再生 産でのDとRおよび蓄積基金に言及している(J oanR o b i n s o n , Rosa Luxemburg's Ac‑

c u m u l a t i o n  o f  C a p i t a l ヘ i n C o l l e c t e d  E c o n o m i c  P a p e r s ,  Vo   1 . 1 I ,   2 n d .  e d . ,  Oxford:Bas i 1   B l a c k w e l l ,  1 9 7 5 ,  p .   6 5 ) 。この指摘に従えば,蓄蔵貨幣E の形成と支出の均衡において,

ケインズの貯蓄・投資概念との対比が行われうることとなる。そして次に,この対比 を基礎にして貨幣的経済理論としてのケインズ理論との十分な対比が, r 資本論』第 3 部の信用論において視点が異るにしでもなされうることになる。

なお,ジョーン・ロビンソンのここでのローザ・ルクセンプルクの評価とは別に,

ミハイル・カレツキがケインズの先行者として所得決定理論を独立して発見したこと の一つの想源として,ローザ・ルクセンプルクの『資本蓄積論』があることも注意し ておく必要があろう。この点については, George  R .   F e i w e l ,  The l n t e l l e c t u a l  C a p i t a l   0 1  M i c h a l  K a l e c k i : A  S t u

砂 i nE c o n o m i c  T h e o η a n d  P o l i c y ,  K n o x v i l l e :  U n i v e r s i t y  o f  Ten‑

n e s s e e  P r . ,  1 9 7 5 ,  p p .  55‑62 ,を参照されたい。

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4  経 営 と 経 済

また,ジュザンヌ・ド・ブリュノワもケインズへの直接の言及はないが,同様に蓄 蔵貨幣 Eの形成と支出における. W‑Gと G‑Wとの聞に不均衡が生じる可能性,す なわち貯蓄と投資の不均衡の可能性があること,そしてそれが現代の経済理論と関連 しうることを指摘している(河合正修訳『マルクス金融論』日本経済評論社. 1 9 7 9 年 , 62‑65 ページ。原書は 1 9 7 3 年刊行)。

富塚良三も『恐慌論研究~ ( 1 9 6 2 年)で,拡大再生産表式における蓄積基金の形成と 支出の均衡が,ケインズ理論における「貯蓄・投資」の問題と対応していると指摘し ている(未来社. 85‑86 ページ)。そして. I 発展した恐慌の可能性 j の項目において,

そのような蓄積基金の形成と支出において. W‑Gと G‑Wとの連関が直接的でない 点に,さらに固定不変資本の回転の特殊性による D>R の問題が付加されることで,

蓄積基金および減価償却基金としての蓄蔵貨幣が一面で制約要因として働き,また窮 極的には「第 I 部門の自立的発展」がその結果としてもたらすことになる「不均等発 展の不均衡」化のなかで,さらに商品資本の「実現上の困難」が現れるに至ることが 言われている。

他方,そこでの蓄蔵貨幣 Eのケインズの貯蓄・投資概念とかかわる理論的重要性の 指摘は,それと第 3 部との関連でいえば信用制度の存在根拠と結びつけられることは なくて,そののちの項目である「恐慌の必然性 J あるいは「産業循環 J においては,

信用は恐慌を促進させ激化させる点においてその意義が理解されている。

3) 蓄積年数を一定とした場合に . B 群の側に蓄積基金の不足が必然的に生じることに ついては,小稿「拡大再生産表式における蓄積基金について J W経営と経済~ (長崎大) 6 7 巻 3 号. 1 9 8 7 年 1 2 月,を参照されたい。なお,このような拡大再生産表式において 貨幣資本の不足が生じる事態は,基本構造としては D>R が生じることと同様である。

また,本稿では固定不変資本にかかわる償却基金の形成と支出の問題は論理を単純化 するために捨象している。それについては,小稿「資本蓄積と信用制度 J 同誌. 6 9 巻 4 号. 1 9 9 0 年 3 月,も参照されたい。また,本稿では労働者階級の貯蓄は考えていな L  。 、

4 )   A 群の個別的諸資本と B 群のそれらとの間での蓄積基金の形成と支出との均衡が,

理論的に成立しない可能性の指摘自体は,すでに富塚文太郎によって行われている。

マルクスのA群の個別的諸資本による W‑Gと. B群のそれらの G‑Wとのそれぞれ

(5)

の年度における均衡の成立という想定に対して,彼は次のように述べている。「この解 決方法には疑問が残る。というのは,これによれば,先行の新投資が蓄積のための貨 幣蓄蔵を規定し,この蓄蔵貨幣額が結局は後続の新投資を規定する,ということにな るように思えるからである。そうであるならば,それは年々の一定額の新投資の継続 については説明できるかもしれないが,増大する規模での新投資,つまり蓄積額の増 大を説明することはできないのではないか。そしてこの点にこそ,拡大再生産におけ る貨幣蓄蔵の問題の独自性が存在すると思うのである。しかし本稿では行論の便宜上,

この問題にはこれ以上立入らないことにし,右のマルクスの解決方法を受入れて先へ 進むことにする J (1拡大再生産表式論の困難JW経済評論~8 巻 4 号, 1959年 4 月, 153ペー ジ)。このように,ここでは貨幣資本不足の論証は行われていない。

この富塚の拡大再生産表式における貨幣資本不足の指摘そのものを基礎として銀行 信用を展開しているのが,山田喜志夫である ( 1 信用創造と通貨構造 JW 国学院経済学』

4 1 巻 2 号 , 1 9 9 3 年 3 月 , 5~6 ページ)。

5  )この点については,小著『生産諸関係論としての経済学の成立』九州大学出版会, 1 9 8 9   年,第 8 章,を参照されたい。

信用制度形成の一つの根拠としての蓄積基金の形成と支出 の均衡

マルクスは『資本論』第 2 部第 l 篇「第 3 章商品資本の循環」で次のよ

うに述べている。「形態 I I I CW' … W ' ‑ 引用者〕では,価値増殖された資

本が,総商品生産物の姿をとって,出発点となっており,運動する資本,商

品資本の形態をもっている。それが貨幣に転化してから,はじめて,この運

動は資本の運動と収入の運動とに分れる。一方では個人的消費財源への,他

方では再生産財源へ‑の,社会的総生産物の分割が,また両者への各個の商品

資本についての生産物の特殊な分割が,この形態では資本の循環のなかに含

まれているのである J ( K I I .   S .   9 8 ) 。

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6  経 営 と 経 済

ここでの論理には, W' … W' が正常に繰り返されていくとき,そこには 出発点としての W' から終点としての W' への一方的な流れがあるとする だけでは不十分であり, W ' . . . W ' における, W‑G と G‑W との間には可 能性としての断絶がたえず潜んでいるのであり,むしろそこでは逆に G‑W が W‑G あるいは W'‑G' を規定していることまでが含まれている。

G‑W を産業資本の拡大再生産の開始ととらえれば,そこでは産業資本の 側での生産拡大が始まることが, W' ー G ' の実現を,そして社会全体とし ての W' … W' の円滑な進行を可能としていくことになる。すなわち,本稿 の立場からいえば創出された貨幣資本を含む G による W の購買によって (A‑G‑W も同様である),それに対応する W'‑G' が実現化することにな る 。

前稿でも示したように,社会全体としての生産拡大のための蓄積年数を一 定とするとき, A 群の側での蓄積基金の形成は,…く W ' t く W' t+ l く…であ る限りは年々その規模は増大していくのであり,他方 B 群の側での今年度支 出されるはずの蓄積基金の形成額は前年までの W‑G によって規定されて いるのであるから,そのままでは必然的に W ‑ G > G‑W となり,

W' … W' はその中間で途絶することとなる。

今期 B 群に入っている個別諸資本のそれまでの蓄積基金の形成額を今年度 支出するときの購買額を Bt+l で示すと,それは

Bt+  1  =Bt+Bt ‑ l   + … +   Bt ‑n  ( n は蓄積年数) として表される。

他方,蓄積基金の形成を行う A 群の個別的諸資本は,その蓄積年数の経過 に応じて以下の諸部分より構成される。すなわち,

(蓄積年数による内訳) A t ,  A t + A t ‑ l ' … ,   At+ … +A t ‑ n ‑ b  At+ …+  At ‑ n 

¥‑‑./  ¥、ーーーーーー‑‑‑〆 、 、 , 〆 、 、

d

(A 群の構成部分 A ' n , A ' n ‑ l , … A" ,  A '  

である。この場合, A 群の中の蓄積年数に応じて区分される部分群の数と,

(7)

蓄積年数とは同じになると想定できる。ここで A ' は今期の W ‑ G あるいは 蓄積基金の形成を行ったのちには,来期には B として,すなわち生産拡大 を行う産業諸資本の群として現われることになる。

ここで,…く W't 一 1 く W't く W't+l く…であることから, Bt ‑ n く Bt ‑ n‑ 1 く い く B t

1 く B tであり, At ‑ n く At ‑ n 一 l く ・ ・ ・ く At ‑ 1 く Atである。 また nAt が今年度において形成されるべき蓄積基金の総額を示しており,それは始点 の W'‑G' の内部において,その一部として形成されることになる。そし て , 一 ・ く Bt ‑ 1 く B tであることと, Bt ‑ n く ・ ・ ・ く B t ー 2 く B t 一 1 く At と想定して よいと考えられ,また, B t とBt ‑ 1 との差額は年々の蓄積率の大きさによっ て規定されることで大きくないと考えられることから ,Bt+lくnAtの関係 が一般的に成り立つといえる。すなわち,今年度には, (nA t‑ Bt+  1 ) の差 額の貨幣資本の不足が生じることになる。この不足分の貨幣資本が創出され るならば, W' 一 . W ' は円滑に進行する。そして,この貨幣資本の創出機構 の導入が第 3 部の信用論において行われることになる。

ここで,マルクスの資本循環範式 (W'…W')において時間の経過を明示 すると, W' … W' は W't … W't+l' と表される。さらにそれを詳しく示すと,

W't‑G't"G t +  1  ‑ W t +  1 …P t +   1  … W't+l となり,この W't‑G't と Gt + 1‑

W t + 1 とが連続するためには ,(nAt‑B t +  1) の差額がうめられる必要があ るのである。すなわち, W't‑G'tと Gt + 1  ‑ W t +  1 との間で貨幣資本の不足 分が創出されないと, W't … W't+l は正常に進むことが不可能となる。貨幣 資本の不足は, Gt +  1 … G '  t +   1 の側において起っているのであり, CW't‑G' t J  

>  CG t +  1  ‑ W t +  1  J の差額が金融市場を含む信用制度によって創出される必

要がある。この創出によって Gt + 1 …G ' t +   1 として表される産業資本全体

の生産拡大が正常に進み,そのことはまた, W't‑G'tの現実化を通じて

W't … W't+l の正常な進行をもたらすことになる。このとき W't‑G'tの

実現は,他方での Gt ・ . . G ' t の完了を現実のものとする。あるいはまたその創

出によって, 1  (V+Mk+Mv)=II(C+Mc) として示される,拡大再生産

(8)

8  経 営 と 経 済

表式における部門聞の均衡条件も現実のものとなる。

社会的再生産過程は, Gt . . G ' t , Pt . . H + l o および W't … W't+l の三循環の 視点からとらえられるのであり7lそこでは拡大再生産表式も現実資本の側,

あるいは蓄積率や成長率の動向においてとらえられるだけではなく,不足す る貨幣資本の創出という形での貨幣資本の介在を不可欠の契機とするものと してとらえられなければならない。ここでは, W't … W't+l と,産業資本の 運動形態である Gt . . G ' tおよび Gt + 1G ' t +   1 との関連が重要である。

ここで Gt + 1 ・ G ' 山の側で蓄積率か社会的に決定されるとき, (W't‑G' t J   と (G t + 1  ‑ Wt +  1  J との差額の大きさも決定されることになる。他方で W't

‑G'tの側での蓄積基金の形成額は, Gt . . G ' tの開始時での蓄積率の決定に よって最終的に決められている。このように,個別的諸資本のそれぞれが生 産拡大の大きさを決定することが (G t + 1  ‑ W t +  1 の開始),社会的総資本に おける蓄積率の決定として現れ,そのことによって (nA t‑B t + 1 ) の差額が 決定されるときには,信用制度のもとでの信用による貨幣資本の創出が社会 的に要請されることになるのである。このことによる W't … W't+l の正常 な進行は,また Pt . . p ' t + 1 が社会的に行われることを可能としているのであ る 。

なおこのことと関連するが,マルクスが,形成された蓄蔵貨幣は実際には 銀行預金や有価証券すなわち擬制資本として存在するとしているのは,エン ゲルス編の『資本論』第 2 部でいえば,第 1 7 章(第 2 稿)と第 2 1 章であり,

そのどちらもが拡大再生産における蓄積基金について述べている箇所である。

たとえば,第 2 1 章(第 8 稿)では次のように述べている。「それ〔貨幣の 状態のままの蓄蔵貨幣‑引用者〕は,資本制的生産の死重 ( d e a dw e i g h t )  

である。〔可能的貨幣資本として積み立てられているこの剰余価値を利潤の

ためにも, I 収入」のためにも使用できるものにしようという欲求は,信用

制度と「有価証券」とにその努力の目標を見いだす。これらのものによって

(9)

貨幣資本は,別の形態で,資本制的生産体制の経過と発展とに,まことに巨 大な影響を与えることになるのである{)} J  (K l I .   ( M s .   vm ,  S .   5 4 ) ,  S .   4 9 4 ) ) 。拡大再生産においてこのような叙述が含まれていることは,拡大再 生産表式と第 3部での金融市場を含む信用制度成立の根拠との関連を示して いるといえよう。ただし,第 3 部第 5 章(篇)の r5) 信用。架空資本」の 結論部分での貨幣資本と現実資本との関係の考察では,単純化のためとはい え有価証券を捨象している。

〔 註 〕

6  )拡大再生産表式における蓄積率の理論的意義については,高木彰『再生産表式論の 研究』ミネルヴァ書房, 1 9 7 3 年,を参照されたい。

nw 一般理論』形成過程におけるケインズと資本循環論とのかかわりについては,浅野 栄一『ケインズ『一般理論』形成史』日本評論社, 1 9 8 7 年 , 135‑137 ページ,を参照

されたい。

また, トーマス・ K ・ライムズは次のように述べている。「中立経済の理論からの離 反というケインズの思考における変化は,おそらく部分的にはマルクスに起因してい る J (平井俊顕訳『ケインズの講義, 1932‑35 年,代表的学生のノート』東洋経済新報 社 , 1 9 9 3 年 , 105‑106 ページ)。なお,その学生のノートの紹介から判断すると,ケイ ンズは『資本論』第 2 部での,剰余価値実現のための貨幣はどこから来るかという問 題提起に示唆を得ているように見える。

2  拡大再生産と信用制度

『資本論』第 2部第 3篇では信用制度の導入は行われないものの,蓄蔵貨 幣 E の中の蓄積基金の形成と支出に即してその導入の契機が示されていた。

そのことからは第 3 部では『要綱』で定式化された信用の基本規定のうち,

「資本の量的限界の止揚」としての信用において信用制度が必然、的に導入さ

(10)

A U  

唱EE‑‑

経 営 と 経 済

れることになる。すなわちそのことは生産拡大を行う産業資本に対して与え られる信用が信用論の導入部をなすこととなり,そのような信用に即して利 子生み資本の規定が与えられることとなる。そのことはまた,信用が社会的 再生産過程 ( W ' t … W't+l) に与える効果に即して,信用制度の必然性が言 われることになる。

エンゲルス編の『資本論』第 3 部でいえば第2 7 章にあたり,草稿の r5) 信用。架空資本」の前半部にある r c 資本制的生産における信用の役割〕

( ‑ 題 は MEGA 編集者による ) Jの冒頭において次のように「利潤率の均等 化」に対する信用の役割に即して信用制度の必然性の根拠を与えているのは,

第 3 部第 5 章(篇)での信用論の展開軸が拡大再生産を正常に進行させる信 用の役割にあることを示している。ここでの利潤率の均等化は小著でも述べ ているように,単純再生産でのそれではなく資本蓄積とともに現れるそれで ある。すなわちそのことについて「信用制度についてこれまでわれわれが一 般的に述べる機会があったのは,以下のことであった。 /1) 利潤率の均等 化を媒介するために,すなわち全資本制的生産がその上で行われるこの均等 化の運動を媒介するために,必然的に信用制度が形成されるということ。」

( K I I I .   [ M s .  S .   3 2 6 ) ,  S .   5 0 1)と述べている。

このような「資本の量的限界の止揚」としての信用が,拡大再生産のもと での利潤率の均等化に果たす役割において信用制度の形成の必然性がし、われ ることを述べたあとに, r  I I )流通費の節減」すなわち「流通時間の止揚」

としての信用について述べている。マルクスがこのように信用制度成立の根

拠を述べている順序が,ちょうど第 5 章(篇)全体の基本論理を反映してい

るのである。そこでは, r 利潤率の均等化」あるいは W't … W't+l の正常な

進行に果たす信用の役割,あるいは「資本の量的限界の止揚」としての信用

に即して与えられた信用制度成立の根拠に対して,他方での成立の根拠とさ

れているのは「流通時間の止揚」としての信用あるいは産業資本にとっての

流通資本の縮減を可能にする信用である。しかしその場合,前者が信用制度

(11)

の展開の基軸をなし,後者は再生産過程でのその展開のための社会的な基礎 をなしている。

ここで 1 で述べたことを,第 3 部の次元で図示すると次のように表すこと ができる。

( t 期の利潤率の実現〕

(Gt‑W t . . p t ・ ・ ・ W't‑G't) W't  ‑ G ' t  

〉 く

G t +  1  ‑ W t +  1 

(G t 十 l‑Wt + l … P t + l … W't+ 1  ‑G't+  1) 

( t +   1 期における蓄積率の決定〕

社会全体としての W ' t . . . W ' t +   1 の 正常な進行

*この図では二部門分割として示されてはいない。ここでは,蓄蔵貨幣の形成と支出 の均衡という問題から W' … W' を考察すると, Gt + 1 の支出が W ' t ‑ G ' t を完了させ ることで G ' t として現れ,他方で W ' t の多くが Wt + 1 へと転化することを示している。

以上の経過は,今期の蓄積率の決定→前期の利潤率の実現 ‑‑→今期のあ

りうべき利潤率の商品資本への体化‑→次期の蓄積率の決定→今期の利潤

率の実現,と表現することができる。この実線の矢印の部分において,信用

制度のもとでの不足する貨幣資本の創出が行われる。そして,拡大再生産の

年次進行において,…く W't く W't+l く…となるなかで,先行的に創出され

た貨幣資本の貸付を受けた B 群の産業資本は次年度には A 群に廻ることで今

度はその返済分を含んで蓄蔵貨幣の形成を蓄積年数の期間内に一方的に行

う,すなわち蓄積基金については W ‑ Gのみを一方的に行うのである。こ

のことは,一方での信用制度のもとでの信用(貨幣信用としての銀行信用あ

るいは資本信用)のよる貨幣資本の創出が行われるとともに,他方で時間の

(12)

1 2   経 営 と 経 済

遅れを伴いつつも形成された蓄蔵貨幣 Eの信用制度のもとへの集中が生じる ことを意味している。これは,信用制度のもとでの貨幣の出発点への還流の 一つの形態である。また,年々の流れの中で拡大再生産を考えると,一方で 絶えず貨幣資本の集中が信用制度のもとで起っていることによって,他方で の不足する貨幣資本の信用制度のもとでの創出が可能となるといえる。この 点で『資本論』第 3 部第 5 章(篇)では,とくに i5) 信用。架空資本」の 本文の部分で信用制度のもとでの貨幣資本の集中が強調されていることは,

そのことを反映しているといえる。

そして,以上のような『要綱』以来の二つの信用の基本規定を社会的再生 産と関連づけることで得られた,信用制度の必然性の二様の根拠から出発す ることによって,金融市場を含む信用の諸形態を理論的に「総体」としての 社会的再生産の中で位置づけることが可能になる。言い換えれば,そのこと によって信用制度の諸構成部分をその存在根拠に応じて,総体としての社会 的分業の中に位置づけることができる。

以上のように W't‑G't に対応する Gt+1‑W t +1 の価値量としての十分さ

は事後的には言えても,事前的には必ずしも言えないこととなる。そして信

用による貨幣資本の創出が W't … W't+l の正常な進行のための不可欠の一

環となるときには, G‑G' すなわち貨幣資本の創出にかかわって措定され

る利子生み資本の運動形態が, W't … W't+l の円滑な進展のための不可欠の

一環として現れることになる。そこでは,個別的資本にとって生産拡大のた

めに不足する蓄積基金の不足分が,利子生み資本の運動を通して創出される

ことにより,個別的資本は生産拡大を行い,そのことが社会全体としての蓄

積率の決定として結果する。このとき,社会的再生産における蓄積率の動向

に対応して実現される利潤の一部が利子として貸付けられた貨幣資本に対し

て分け与えられることとなる。すなわち,不足する貨幣資本の創出によって

可能となった Gt 十 1 …G't+1 と表すことができる産業資本の生産拡大の成果

の一部が,不足分が供給された貨幣資本に対して,利子として元本とともに

(13)

一緒に返済されるのである。ここを出発点として,資本一利子の観念は産業 資本の人格化としての資本家の観念をとらえていくことになる。

W't …W't+l の不可欠的の要素として G‑G' が組み込まれるということ は,生産諸関係の物象化が最も疎外された姿で完成することになるというこ とである。このように W' … W' と信用論を連関させて考えるとき. ~資本 論 J 第 3部第 5章(篇)の信用論は. W' … W' を叙述の一貫した背景とし ながら第 7 章(篇)での生産諸関係の物象化構造の総括と理論的には密接な 連繋をもって展開されていることが明らかとなる。また,第 2部第 3篇と第 3 篇第 7 章(篇)とでは,前者では W't … W't+l の正常な進行を可能にす る条件の分析が行われ,後者では他方でそのことが生産諸関係の物象化の完 成を生み出すとともに,それらの最も疎外された姿での物象化した生産諸関 係が諸収入の諸源泉として現れるときに,逆にそれらから W't … W't+l が 再構成された姿として資本制的生産がとらえられることを示すという関係に ある。

『資本論』第 3 部『総過程の諸姿態』の第 5 章(篇)の 14) 利子生み資 本の形態における剰余価値と資本関係一般の外面化」の終りの部分,すなわ ち 15) 信用。架空資本」の直前では. 1 しかし,利子生み資本では資本物 神の表象が完成されている。 J( K I I I .   C M s .  S .  3 1 6 J .   S . 4 6 8 ) と述べている。

またこの 14)  J の初めの部分では「ここでは,資本の物神崇拝的な姿と資 本物神の観念が完成している。われわれが G‑G' で見るのは,資本の無概 念的な形態,生産諸関係の最高度の転倒と物象化である。 J ( K i l l .   CMs. S .   3 1 2 J .   S .   4 6 2 ) と述べている。またその第 7 章(篇)の 11 )三位一体的範 式」では「資本が最初は,流通の表面では,資本物神として,価値を生む価 値として現れたとすれば,それが今ではまた利子生み資本としてその最も疎 外された,最も独得な形態にあるものとして現われるのである。 J ( K i l l .  

C M s .  S .   5 3 7 " ‑ ' 5 3 8 J ,  S .  8 5 1)と述べている。

このような信用論に基づく利子生み資本の規定と物象化論の密接な関連が

(14)

1 4   経 営 と 経 済

意味していることは,利潤を資本運動の目標としている産業資本の運動が必 然的な結果として生産諸関係の物象化をおしすすめることで,社会全体とし ての W' … W' をその転倒した姿でたえず再構成し表象する契機を生み出し つづけるということである。あるいは,社会的再生産過程を Pt ・ . . P ' t + l の視 点から見るとき, Pt . . p ' t + 1 が物象化構造の最も疎外された姿を通して再生 産されているのを見ることになる。

なお,ここで株式市場にふれておくと,発行市場は, Gt . . G ' t と Gt + 1  … 

G't+l の連続性を保つための,そして不足する貨幣資本を調達する場である。

この「資本の動員」によって W't …W't+l の円滑な運行は保たれることに なる。 W't‑G't と Gt + 1  ‑ W t +  1 との聞の当初の貨幣資本の不足分を社会的 に貨幣資本の集中をはかることで調達する場として株式発行市場がその存在 根拠をもっているといえよう。

そのために,株式流通では W't …W't+l の中の Gt . . G ' t を構成する個別的 諸資本が実現させている個別的利潤率が株価として反映されることになる。

すなわち,株式市場は,その他の信用制度とともに, Gt +  1  ‑ W t +  1 が W't‑

G ' t に対応し得るように機能することで W't … W't+l の正常な進展を可能に する役割を社会的に果たしている。個別的利潤率の水準が, W't‑G't と G t + 1 ‑ W t + 1 との間での貨幣資本の調達に反映させられることによって,

個別的諸資本はそれぞれの生産拡大において不足する貨幣資本の調達を,貨 幣資本集中の場にその個別的利潤率の水準を反映させながら行うことが可能 となるのである。株式市場では Gt . . G ' t での利潤率が株価として個別的諸資 本にとって一般的に表現されることで, Gt +  1 … G't+  1 を構成する個別的諸 資本は CnAt‑B t + 1 ) の全てあるいはその一部の資本調達を行うことがで き,そのことが Gt + 1 …G't+  1 の進行を可能とし,また W't‑G't の実現を完 全なものとし,そして W't...W't+ 1 が円滑に進むごとになる。すなわち,

W't 一 G ' t と Gt + 1 ‑ W t 1 との間に個別的諸資本の利潤率が社会的に反映さ

(15)

せられる場が存在することによって,一方で貨幣資本の不足分の調達が可能 となるときに同時に,各個別的諸資本の運動が社会的に一定のそして一般的 な基準のもとで制御されることになる。

また,株式発行による「資本の動員」は貨幣資本の貸付ではなく,出資で あることから,貸付および返済は起らない。すなわち,蓄積基金の形成と支 出の均衡において一方的な G‑Wのみを可能とし,他方での W'‑G' にお ける蓄蔵貨幣の形成を通じた与えられた信用に対する返済を必要としないこ とになる。それは一方的な貨幣資本の出資者を想定することになり,これま での W't‑G'tと Gt + 1  ‑ W t +  1 とが連続するさいでの A群の個別諸資本と B 群のそれらの交替という想定と整合しないことになるが,株式流通市場にお ける株式の流通によって,一方的な出資ではなく,株式所有者が絶えず交替 することを可能にすることで,年毎に生じることになる A 群と B 群の交替の 中での個別的諸資本の間での蓄蔵貨幣の形成と支出の均衡と整合的に理解す ることができる。もちろん,他方で一方的な出資者の存在が株式会社の支配 のためには必要とされるが,その部分はここでの不足の貨幣資本の調達とは 別個の部分であり,それは… Gt . . G ' t ' G t + 1 …G ' t +   1 …のうちで資本所有の 変更が起らない部分である。なお,このことは D>R の差額の貨幣資本が金 融市場を含む信用制度のもとで先行的に創出される場合に,株式市場におい てその差額の貨幣資本が供給されるときにも,同様に適用可能となる。

また,この貨幣資本の不足分の創出について金融市場までを含んで考える ときには,短期の貨幣資本の「貨継ぎ」が,全面的ではないにしても,一つ の意義をもちうるといえる。

〔 註 〕

8  )たとえば, 2 0 世紀以降の株式会社の財務諸表公開等の事例がそれである。それにつ

いては,小稿「株式資本と資本制的所有 J W経営と経済~ 6 1 巻 1 号 , 1 9 8 1 年 6 月,を参

照されたい。なお, T .  A .  L e e  a n d  R .  H .  P a r k e r ,  T h e  E v o l u t i o n  0 1  Co ゆ o r a t eF i n a n c i a l  

(16)

1 6   経 営 と 経 済

R e p o r t i n g ,  New Y o r k  :  Ga r 1 a n d  P u b l i s h i n g ,  1 9 8 4   C R e p r i n t  o f  1 9 7 9  e d . ) . や,加藤泰弘

・鵜飼哲夫・百合野正博共訳著『会計原則の展開』森山書庖. 1 9 8 1 年,等も参照され たい。

9) 個別資本の視角からの信用論における株式会社への接近としては,たとえば,川合 一郎『資本と信用~ C~川合一郎著作集』第 2 巻)有斐閣. 1 9 8 1 年,第 4 篇,を参照さ れたい。

1 0 ) このような「総体」として見た金融市場での「貸継ぎ」の意義については,小稿「資 本蓄積と金融市場 J ~経営と経済~ 7 0 巻 4 号. 1 9 9 1 年 3 月. 8 5 ページ,を参照されたい。

3  I F 資本論』第 3 部第 5 章(篇)における貨幣資本集中論の 優越

『資本論』第 3 部第 5 章(篇))における冒頭の利子生み資本の規定は,金 融市場における貨幣資本の集中を背景として,産業資本の運動 ( G … G ' ) の 拡大に必要とされる貨幣資本の貸付に即して与えられている。それは直接に は r 2 ) 利潤の分割。利子率。利子の自然的な率 J (MEW 版第 2 2 章)での 金融市場への貨幣資本の集中 ( K I I I . C M s .   s .   300~30IJ , s .   440~44 1)を背 景としており,またのちの r5) 信用。架空資本」の本論での信用制度のも とでの貨幣資本の集中をも背景としている。また r 4)  ( 2 4 章)での生産

諸関係の物象化の最高度の表現として利子生み資本を規定しているのは,同 所での「金融市場 J( K I I I .   C M s .   S .   3 1 3 J ,  S .   4 6 3 ) での貨幣資本の集中を背 景としている。

r5) 信用。架空資本」の本論,すなわち草稿のうち, MEGA 編集者に

よって「補遺 ( Z u s a t z ) J と区分されている部分と,マルクス自身によって「混

乱 ( D i eK o n f u s i o n )   J と題されている部分を除いたものの構成は次のように

なっている。すなわち,序論部分 (MEW 版第 2 5 章に相当), r c 資本制的生

産における信用の役割 J J , r  1  )  J  ( 第 2 8 章 ) , r l I ) J   ( 第 2 9 章),および r I I I ) J

(17)

( 第 3 0 " ‑ ' 3 2 章)である。

序論部分では貸付可能な貨幣資本の銀行業者のもとへの集中と,他方で銀 行資本によって与えられる信用の諸形態が一般的に述べられている。たとえ ば,貨幣資本の集中への言及は以下のようである。「彼ら〔貨幣取引業者た ちー引用者〕は貨幣資本 ( m o n i e dc a p i t a l)の貨し手と借り手とのあいだの 媒介者の役をするようになる。一般的に言えば,一方では銀行業者の業務は,

貸付可能な貨幣資本を大規模に自分の手中に集中することにあり,したがっ て別の貨幣の貸し手に代って銀行業者たちがすべての貨幣の貸し手たちの代 表者として再生産的な資本家たちに相対するようになる。彼らは貨幣資本の 一般的な管理者として自らの手中に貨幣資本を集中する。他方では彼らは全 ての商業世界のために借りることで,借り手に対してすべての貸し手たちを 集中している。……銀行は一面では貸し手の集中を表し,他面では借り手の 集中を表しているのである。 J ( K I I I .   C M s .  S .   3 1 7 ] .   S .   4 7 1 ) 。

r c 資本制的生産における信用の役割 J J における信用制度成立の根拠と信 用の二つの基本規定との関係の概括,および第 5 章(篇)の信用論の基本骨 格とここでの規定の順序とが対応していることについては先に述べた。そし て r 1  ) Jでは景気循環における貨幣量の変動について述べている。

r I I ) J   (MEW 版では「第 2 9 章 銀 行 資 本 の 諸 成 分 J ) では,序論部分に 対応して,金融市場を含む信用制度のもとに集中された貨幣資本が実際には 架空資本から成っていることが述べられている。たとえば次のとおりである。

「資本制的生産の全ての国々には,この形態〔架空資本または有価証券一

引用者〕での巨大な量の利子生み資本または貨幣資本 ( m o n e y e dc a p i t a l ) が

存在している。そして貨幣資本の蓄積の大部分は,このような「生産に対す

る請求権」の蓄積の他には,そしてこれらの請求権の(幻想的な資本価値の)

市場価格の蓄積の他には何も意味しない。/ところで銀行業者の資本の一部

分はいわゆるこの利子付証券に投下されている。J ( K I I I .   C M s .  S .   3 3 8 J .   S .  

5 2 4 ) 。そして,銀行資本の諸成分の多くは架空資本より成っていることを述

(18)

1 8   経 営 と 経 済

べたあと次のように述べている。「利子生み資本や信用制度の発展につれて,

同じ資本が,または同じ債権でしかないものさえが,さまざまな人の手のな かで,さまざまな形態で現れる,さまざまの仕方によって,すべての資本が 2倍になるように見え,また場合によっては 3倍になるように見える。この

「貨幣資本」の大部分は純粋に架空的である J( K I I I .  C M s .  S .   3 3 8 J ,  S .   5 2 6 ) 。 I I I I ) J   (MEW 版では第 3 0 " ‑ ' 3 2 章「貨幣資本と現実資本 J ) では 11)J と I I I )   J を受けて景気循環を視野に入れた上で,貨幣資本の蓄積と現実資本 の蓄積との関係を述べている。その I I I I )J の官頭で次のように述べている のは,信用制度のもとで形成された蓄蔵貨幣の量およびそれに基く信用と,

現実の資本の生産拡大の動向すなわち社会的に決定された現実資本の側での 蓄積率とがどのように関連するかという I I I I ) J の叙述の目的を要約したも のといえる。それは,のちに書かれた第 2部第 8稿での論理展開から必然的 に解明する必要が出てくる, W't ・ ・ ・ W't+l はどのように信用を前提とすれば 正常に進行しうるのか,という論点を予示しているといえよう。その意味で も,以下の論点の呈示は,第 2部第 3篇と第 3部第 5章(篇)との関連を示 した叙述の一つだといえる。すなわち, I われわれが今近づいているこの信 用についての事柄の一部始終での,比類のない困難な諸問題は次のようなも のである。第一に。本来の貨幣資本の蓄積。それはどの程度まで現実の資本 蓄積の,すなわち,拡大された規模での再生産の指標であるのか? …一/

他面で。貨幣逼迫に際して,どの程度までそれは現実資本の不足を表してい るのか? それはどの程度まで支払手段 ( m e a n so f  p a y m e n t ) の不足のよう な貨幣の不足と一致するのか? J ( K I I I .   C M s .  S .  3 4 0 J ,  S .  5 2 9 " ‑ ' 5 3 0 ) という 叙述のうち,前者がとくに第 2部からの社会的再生産 (W't … W't+l) と信 用との関連という問題意識に連続している。そして,この前者が十分に説明 されてのち,後者の問題もまた説明されうるといえるが,再生産論の未完成 もあってここではどちらも不十分なままに止まった。

この I I I I ) J では,信用制度のもとでの貨幣資本の集中について次のよう

(19)

に述べている。「すべての貨幣資本家の蓄積は,つねに直接に貨幣形態で行 われるが,産業資本家の現実の蓄積は,再生産的資本の諸要素そのものにお いて行われる。それゆえ,信用制度の発達や貨幣業務 (moneyedc o n c e r n )   の膨大な集積は,それ自体として貨幣資本の蓄積を現実資本の蓄積とは別の 形態として促進せざるを得ないのである J (K I l l .   C M s .  S .  3 5 2 J ,  S . 5 5 7 ) 。し かし,このような金融市場を含む信用制度のもとでの貨幣資本の蓄積の態様 と現実資本のそれとの相違とその関連の分析に際して,現論的な単純化のた めと 1 9 世紀イギリスにおける産業資本の蓄積様式に合わせるためであろう か,資本市場が捨象されている。「その他の部類の貨幣蓄積についていえば,

われわれは利子付証券に投下され,この形態で蓄積される部分については度 外視する。われわれはただ, I 貨幣」資本あるいは貸付可能な資本( monied"

/ l o a n a b l e  c a p i t a1)として市場に投ぜられる部分だけを考察する J (K I l l .   C M s .  S .   3 5 2 J ,  S .   5 5 8 ) 。

このように, I I l l ) Jでは金融市場までを含んで,貨幣資本の蓄積と現実資 本の蓄積との関係を分析することもまた不十分なままとなっている。それゆ え,この分析をおしすすめるためには,第 2部第 3篇の論理をさらに展開さ せっつ,第 3 部の信用論の論理展開をはかつていくことが必要になる。

以上にみてきたように第 3 部第 5 章(篇)での本論部分では,貨幣資本の 集中論を一つの基礎に,産業資本の蓄積に対する「資本の量的限界の止揚」

としての信用を基軸としながら,他方で「流通時間の止揚 J としての信用が

もう片方の信用制度の基盤として包摂されている。そして I C 補遺 J J や「混

乱」と題がつけられている部分は, 1 9 世紀のイギリス経済での景気循環過程

に対応して, I 流通時間の止揚」としての信用すなわち商業信用あるいはそ

の代位としての銀行信用の中に,その形式を利用しながら「資本の量的限界

の止揚」としての信用が混和している様相について理論的に整理を試みたも

のといえようロ)もちろん,この混和については I I l l) Jでもふれられている。

(20)

2 0   経 営 と 経 済

〔 註 〕

1 1 ) 第 3 部第 5 章の草稿の構成については,大谷禎之介 r r 信用と架空資本 J ( W 資本論』

第 3 部第 2 4 章)の草稿について一第 3 部第 1 稿第 5 章 か ら 一 J (上H経済志林~ 5 1 巻 2 号 , 1 9 8 3 年 1 0 月 , 4 6 ‑ ‑ ‑ 5 6 ページを参照されたい。

1 2 )   1 9 世紀の自由競争資本制のもとでのイギリスでの景気循環の研究については, R .  C .   O .  Matthews ,  A S t u d y  i n   T r a d e  C y c l e  H i s t o η :  E c o n o m i c  F l u c t u a t i o n s  i n  G r e a t  B r i t a i n   1833‑1842 ,  Cambridge :  Cambridge U. P . ,  1 9 5 4 ,  J .   R .  T. Hughs ,  F l u c t u a t i o n s ,  T r a d e ,  I n d u s t : η a n d  F i n a n c e  ‑ A S t u のぜ E n g l i s hE c o n o m i c  D e v e l o p m e n t  1 8 5 0 ‑ 1 8 6 0  

Oxford: C l a r e n d o n  P r e s s ,  1 9 6 0 ,や,鈴木鴻一郎編『恐慌史研究』日本評論社,

1 9 7 3 年,等を参照されたい。

む す び

以上見てきたように,利子生み資本の運動 ( G ‑ G ' )が W't … W't 十 l の正 常な進行の不可欠の一環として現れることで,生産諸関係の物象化もまた完 成することとなった。すなわち G‑G' を契機として W't … W't+l の中で,

その最も疎外された生産諸関係の物象化,あるいは他面でのその骨化した表 現としての分配諸関係が完成した姿で現れることで,逆にその最も疎外され た姿である資本一利子範式に即してとらえられた,総体としての物象化した 生産諸関係として, W't …W' t+ l の世界が再構成されることになる。そのよ うな物象化した生産諸関係の最も疎外された姿での完成は,資本制的生産様 式のもとでの市民社会における思考様式にも影響を及ぼしていくことになる。

このような最も疎外された姿での物象化した生産諸関係の総体として市民

社会が表象されるときには,利潤を求める個別的諸資本の運動も,その転倒

した姿において諸個人にはとらえられることになる。そのときには,諸個人

は,その最も疎外された姿での生産諸関係のそれぞれの担い手として,すな

わちそのような完成され物象化した生産諸関係の総体の中での物象化したそ

(21)

れぞれの「一つの生産関係」の人格化として表れることになる。また,産業 資本の生産拡大も,物象化した生産諸関係が諸所得の諸源泉として骨化した 姿でとらえられるときには,その骨化した姿が生産拡大の諸源泉として現れ ることになる。それゆえ,第 3 部第 7 章(篇) i 諸収入(諸所得)とその諸 源泉」の i 4  )分配諸関係と生産諸関係」でのそれらの諸関係が相互依存し ながら社会的に再生産されていることの指摘の中には,拡大再生産において 最も疎外された姿での生産諸関係の物象化が再生産されていることまでが含 まれている。「それ〔資本制的生産様式‑引用者〕は物質的諸生産物を生 産するだけでなくて,物質的諸生産物がそのなかで生産されるところの生産 諸関係をたえず再生産し,したがってまたこれに対応する分配諸関係をも絶 えず再生産するのである」 ( K I I I . 〔 Ms.s.571 , 〕 s . 8 9 6 ) 。 )

そこでは,労働力の価値もまた「人的資本」として表現されうることにな る。マルクスが『要綱』や i 2 3 冊のノート」のノート 2 冊でその定義を与え ている,物象化した「一つの生産関係」としての賃金 k その所得の源泉とし ては労働力となるが,その労働力は「人的資本」としての表象において,物 象化が最も完成された姿でとらえられることとなる。

また,生産諸関係の物象化の疎外された姿での完成は,物理的な時間を利

子を尺度とした経済的時間として現象させるようになる。)マルクスは第 5 章

(篇)の i4) 利子生み資本の形態における剰余価値および資本関係一般の

外面化」の終りの部分で次のように述べている。「しかし,利子生み資本で

は資本物神の観念が完成されているのであって,この資本物神は,自動機関

としてある生来の質によって対象的な富に,そのうえ貨幣として固定された

それに,幾何級数的に剰余価値を生みだす力を付与するのであり,それゆえ

にまたこの資本物神は, r エコノミスト』誌が言っているように,あらゆる

時代の世界のいっさいの富を正当に自分に帰属し与えられるものとして,す

でに長いあいだ割引してきたのである。過去の労働が,ここではそれ自体と

して現在または未来の生きている剰余労働の一片をはらんでいるのである」

(22)

2 2   経 営 と 経 済

( K I I I .   ( M s .   S .   3 1 6 J ,  S .   4 6 8 ) 。このような物象化した生産諸関係の最も完 成された,そして疎外された姿において W't … W't+l が表象されるときに は,資本制的生産様式のもとでの市民社会では金融市場に物象化した生産諸 関係における時間の尺度が集約されているといえよう。

〔 註 〕

1 3 )経済学にとって,資本の運動を現実に規定している利潤範時がもっ理論的意義につ いては,伊東光晴「ひとつの比較経済学一マルクス経済学再読一一 J W経済評論~ 4 2  

巻 3 号 , 1 9 9 3 年 5 月,および, J o a n  R o b i n s o n ,  An E s s a y  o n  M a r x i a n  E c o n o m i c s ,  L o n ‑ don :  Macm i 1 l an ,  1 9 4 7 ,  V  I I ,  (戸田武雄・赤谷良雄訳『マルクス経済学』有斐閣, 1 9 5 4   年,第 7 章),を参照されたい。

14) なお関連して,小稿「拡大再生産と生産諸関係の物象化JW経営と経済~ 7 3 巻 1 号 , 1 9 9 3   年 6 月,も参照されたい。

1 5 )   r 人的資本」については,たとえば, Samuel Bowles and H e r b e r t  G i n t i s ,  The P r o ‑ blem w i t h  Human C a p i t a l  Theory  ‑ A  Marxian C r i t i q u e ,  A m e r i c a n  E c o n o m i c   R e v i e w ,  Vo l .   6 5 ,  No.3 ,  May 1 9 7 5 ,を参照されたい。

1 6 )物象化した「一つの生産関係」としての「賃金 J については,前掲小著, 3 7 ,  4 0 お よび2 8 2 ページを参照されたい。

1 7 ) ダンカン・フォーリーは,全ての経済主体にとって利子率が尺度として観念される ようになることについて,次のように述べている。「ひとたび利子率が社会的事実とし て現われると,資本制社会のすべての経済主体は,貨幣をそれが貸し出されれば利子 率で成長することもできるような,拡大する潜在的能力をもっ価値とみなすことを余 儀なくされる。このように,利子率は資本家にとってだけでなく,経済全体のあらゆ る支出決定にとっての機会費用となる。……経済学者は,将来の利得を割りヲ│いて考 えるという,資本制社会に浸透しているこのような傾向を観察して,その結果として 生じる行動を時間選好と呼ぶ。…・・・マルクスは,実際の状況はまったく逆であり,剰 余価値の取得を基礎とする利子率の出現こそが,資本制社会の個人の決定における時 間の選好を生み出す,と論じるJ(Duncan  K .   F o l e y ,  U n d e r s t a n d i n g  C a P i t a l  :  Marx 包

E c o n o m i c  T h e o r y ,  Cambridge ,  M a s s .  :  Harvard U. P . ,  1 9 8 6 ,  p p .   112~113 ,竹田茂夫・

原伸子訳『資本論を理解する一マルクスの経済理論一』法政大学出版局, 1 9 9 0 年 ,

1 4 4 ページ)。

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