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高倉泰夫

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(1)

「競争」から「信用」への 移行と金融市場

高倉泰夫

1 は じ め に

マルクスは『資本論』第3部5篇〔「5章 利子と企業利得(産業利潤ま たは商業利潤)とへの利潤の分裂。利子生み資本」〕の25章以下〔「5)信用。

架空資本」〕での信用論の展開に先立って,2ト24章で利幸生み資本という 形態に関する考察を行なっている。その部分の22章「利潤の分割。利子率。

利子の「自然」率」を27章「資本主義的生産における信用の役割」での「I)

利潤率の均等化に対する信用の役割」と関連させて読むべきであるというの が本稿の主張である。その部分は同時に「競争」から「信用」への移行を示

している箇所として読まれるべきなのである。

27章は次の文章から始まっている。「信用制度について,これまで《われ われが》一般的に述べる機会をもったのは,次のことであった。/I)型週 率の均等化を媒介するために,すなわち全資本主義的生産の基礎をなすこの 均等化の運動を媒介するために,信用制度が必然的に形成されること」(K.

III.S.451,〔Ms.S.326〕,大谷訳による(1))。

ここでは「利潤率の均等化」に対する信用の役割について,これまで「一 般的に」述べたとしているが,21−26章でこの叙述に対応しうるのは,.22章 ぉよぴ25章のみである(ご)(3)その場合,マルクスの学説形成史を見るとき,22 章がそれに該当するといえる。マルクスは銀行資本を基礎におきながらも,

「金融市場」において利潤率の均等化と信用との関連を,あるいは「競争」

と「信用」との関連を考えていたのである。同時に信用論の展開の基軸にも

(2)

72 

「金融市場」は位置していたとも言える ( 4 )

なお,ここでマルクスが「競争」から「信用」への「移行」を考えていた という場合には競争」それ自体での矛盾によって「信用 J への「移行」が 論理必然的に行なわれるといつのではなく r 競争」で展開された理論に対 して,貨幣論あるいは再生産論で展開された要因が付加されて,新たな理論 展開が行なわれるという意味での「移行」であると言える。

註(1)資本論』第 3 部 5 章の平和 i ( 第 l 稲)については以下のー述の研究を参照した。

大谷柏之介 r r資本論』第 3 部第 1 杭について一一オリジナルの調査にもとづいて 一一 J u'経済志林.1 (法政大)5 0 巻 2 号 , 1 9 8 2 年 。

同 r r信用と架空資本 J (i"資本論』第 3 部第 2 5 章)の草稿について 第 3 部第 l 杭第 5 章から一一 J (上) (中) (下),同誌5 1 巻 2 号 3 号 , 1 9 8 3 年 , 4 号 , 1 9 8 4   年 。

同 r U'資本論』第 3 部第 5 A ; ; i の草稿について J u'信用理論研究.1 1 号 , 1 9 8 4 年 。 同「利子生み資本論の形成について J (経済理論学会制 H 資本論」の現代的意義』

青木吉山, 1 9 8 4 年所収)。

同 r r 経済学批判」体系プランと信用論 J (浜野俊一郎・深町郁刑制 r 利子・信用」

(i"資本論体系 6 .1)有斐閣, 1 9 8 5 年所収)。

同 r r資本主義的生産における信用の役割 J (Ii"資本論』第 3 部 第 2 7 章)の草稿につ いて一一「資本論』第 3 部第 1 稿から一一一 J Ii経済志林.1 5 2 巻 3・4 号 , 1 9 8 5 年 。 ( 2 )   ちなみに 5 筒のコメンタールである,飯田繁Ii(新訂〕利子っき資本の理論一一

マルクス信用理論の研究一一」日本評論新社, 1 9 5 8 年,では,この利潤率の均等化に 果たす信用の役割についてはほとんどふれられていない (247‑250 ページ参照)。

( 3 )   この21‑24 章の主な学説史淵源は,スミス,ラムジーおよびリカードゥである。 と くにラムジーからは,利潤の利子と企業(者)利得への分割を, リカードゥからは,

利潤の均等化と信用の関連について学んでいる。玉野井芳郎『経済理論史』東大出 版会, 1 9 7 7 年,第 l 部 1 ,を参照されたい。ラムジーについては, George Ramsay ,  An E s s a y  on t h e  D i s t r i b u t i o n  0 1  W e a l t h ,  E d i n b u r g h   1 8 3 6 ,  ( r e p r i n t e d  by A u g u s t u s   M.  Ke l 1 ey ,  1 9 7 4 ) ,  p p .   1 9 3  ‑2 5 6 ,および p p . 452‑464 ,を参照。

なお, リカードゥとマルクスとの大きな相違点は以下の通りである。(1)リカードゥ

は返済をも含みつつ,流動資本に対する銀行信用のみに限定しているのに対して,マ

ルクスはそのような限定を置いていないこと。 ( 2 ) リカードゥはその体系にとっては外

(3)

的要因である'.'レントナーとしての貨幣資本の供給者,すなわち「貨幣資産家」をも 挙げているのに対して,マルクスは蓄蔵貨幣をもっ産業資本家に即して,1'(幣資本家 を措定していること。 ( 3 ) 1 ) カードゥ体系では蓄蔵貨幣が存在し得ないのに対して,マ ルクスは「総体性」の視点つまり社会的資本の視点から蓄蔵貨幣をとらえており,そ れは金融市場における貨幣資本の需給関係を考えるものとなっていること, という以 上の三つの点である。

ここでリカードゥの当該文章を引用しておく。「すべての富んだ国には,いわゆる 貨幣資産家階級 (moniedc 1 a s s ) なるものを形成している相当数の人々が存在する。

これらの人々はいずれの事業にも従事しないで,彼らの 1~ 幣の利子で生活しているが,

その貨幣は手形割引かあるいは社会のより勤勉な部分への貸付に使用されている。銀 行業者もまた大資本を同じ目的に使用する。このように使用される資本は多額の流動 資本 ( c i r c u l a t i n gc a p i t a I ) を形成し,割合の大小はあるが,一回のあらゆる異なっ た事業によ

η

て使用される。どんなに富んでいても,自分の業務を自己資金のみが許 す範囲に限定するような製造業者は,おそらく存在しないであろう。彼は,彼の商品 にたいする需要の活発皮にしたがって増減する,この浮動資本 ( f l o a t i n gc a p i t a I ) の 若干部分をつねにもっている。綿織物にたいする需要が明加し,服地にたいするそれ が減少すると,服地製造業者は彼の資本をたずさえて桁織物製造業に移ることをしな いで¥彼の労働者の若干を解雇し,銀行業者や貨幣資産家 (moniedmen) か ら の 貸 付にたいする彼の需要を中止する。それにたいして,絹織物製造業者の場合は逆であ って,彼はより多くの労働者を雇用したいと望み,かくて借入れの動機が増大する。

彼はより多くを借入れ,かくて資本は,ー製泣業者がその常職を中止する必要なしに,

一つの用途から他の用途へ移される J (On t h e  P r i n c i p l e s  0 1ρ o l i t i c a l   Economy and  T a x a t i o n ,  The W o r k s  and C o r r e s p o n d e n c e   0 1  D a v i d  R i c a r d o ,  e d i t e d   by  P i e r r o   S r a f f a ,  Vo   I . 1 ,  Cambridge U .  P . ,  1 9 5 1 ,  p .   8 9 ,  t 日経夫訳『経済学および、課税の原理』

c r デイヴィド・リカードゥ全集. ! 1 巻〕雄松堂 i ' } 居 , 1 9 7 2 年 , 1 0 5 ページ)。

( 4 )   大谷論文に基づいて 27~ と 25章との対比を行なった次の研究がある。山本孝則 rr 草 杭」からみた「資本論』第 3 部第 5 編 25 , 2 7 f ; [の位 lu:‑ 第 5 日の基本構成との関連で

一一 J r 武蔵大学論集.!3 3 巻 1 号 , 1 9 8 5 年 。

しかし,その論文では利 i l V j 率の均等化と信用に関しては, 2 5 1 主における「銀行を担

い手とする,社会的に部航された貸付可能な 1~ 幣資本の運動機構J ( 6 9 ページ,傍点

省略)の叙述のみが関連づけられているだけである。マルクスは ljí. に 25~ での叙述を

27~ で概括したというだけではなく , 21‑25 f , I までの叙述に基づいて概括したと考え

るべきである。マルクスが 5日(章)の標題中に示した「利子生み資本」というー

(4)

7 4  

語は 21‑22 章と 2 5 章以下の密接な関連を示していると考えられる。なおここで, 2 5 章 での「金融市場」に関連していると思われる叙述を引用しておく。

「貨幣取引業というこの土台のうえで信用制度の他方の側面が発展し, (それに〕

結びついている,一ーすなわち,貨幣取扱業者の特殊的機能としての,利子生み資本あ るいは貨幣資本 ( m o n i e dc a p i t a l ) の管理である。 1 't幣の貸 f i f が彼らの特殊的業務と なる。彼らは1't幣資本の現実の貸し手と借り手とのあいだに〈媒介者として〉はいっ てくる。一般的に表現すれば,銀行業者の業務は,一方では貸付可能な貨幣資本を自 分の手中に大規模に集中することにあり,したがって個々の貸し手に代わって銀行業 者がすべての貨幣の貸し手の代表者として再生産的資本家に相対するようになる。彼 らは貨幣資本の一般的な管理者としてそれを自分の手中に集中する。他方では,彼ら は商業世界全体のために借りるということによって,すべての惜し手にたいして借り 手を集中する。(彼らの利 i 閏は,一般的に言えば,彼らが貸すときの利子よりも低い 利子で借りるということにある。)銀行は一面では i 刊行資本の,貸し手の集中を表わし,

他面では借り手の集中を表わしているのである J ( K .   I I I .   S .   4 1 6 , [ M s .   S .   3 1 7 ] ,大谷 訳による)。

なお,1'(幣取扱業と利子生み資本との管理とのれ J I には質的相違があり, i 走者におい て利潤率の均等化として現われる「再生産的資本家」に与えられた伝用による生産拡 大と,金融市場での貨幣資本の需給関係とを相即したものとしてとらえることになる。

2  r 2 3 冊のノート J ( 1 8 6 1 ‑ . . 6 3 ) での「信用」の叙述

ノート 1 1 冊の「平均価格または費用価格と市場価格」と題されたスミスお よびリカードゥの生産価格論を検討している部分で,註 ( 3 ) に見たリカードゥ の文章を引用したあとで次のように述べている。

「したがって,資本家階級全体の資本が,各部面の資本家たちの資本所有

に比例してではなく,彼らの生産要求に比例して,各部面の使用に任せられ

るのは,信用によってなのである。一ーところが一方,競争においては個々

の資本は互いに対立し独立なものとして現われるのである一一。そして,こ

の信用は資本主義的生産の結果であるとともに条件でもあるのであって,こ

れによって,諸資本の競争から信用としての資本へのみごとな移行が与えら

れるのである J ( Z k .  S .   8 5 8 ,  [ M s .  S .   5 4 6 ] ) 。

(5)

ここではマルクスは生産価格の形成における信用の役割について述べてい る。生産価格の形成のためには,各部面の資本家の「生産要求」に比例する 資本の移動が行なわれる必要があり,それが「信用」によって媒介されるの であり,そこで「競争」から「信用」への移行が行なわれるとしている。こ こで言う「競争」は, ノート 1 8 冊の「第 3 篇。資本と利潤」プランや地代論 の展開などにみられるように次第に市場価格を包摂し,また「資本の絶対的 過剰生産」の展開も 1 8 6 1 年 1 2 月‑1862 年 1 月に比べてより詳しく行う予定で

あった当時の具体的展開を指していると考えられる。

マルクスの言う「競争」から「信用」への移行は,単に銀行信用に限定さ れているのでもなしまた個別銀行資本の視点のみに限定されているのでも ない。そして,マルクスのいう利潤率の均等化と信用との関連を言う場合の

「 利 i 閏率の均等化」は,単なる均衡の形成を言おうとしているのではなく,

資本蓄積を含むものとしての「生産要求」あるいは生産拡大を言おうとして いたと考えられる。

では,この利潤率の均等化と信用との関連を述べた別の叙述を見てみよう。

これはノート 1 5 冊の MEGA 編集者によって i ( 収 入 と そ の 諸 源 泉 J J と題さ れた部分にある。

「諸価値の費用価格〔すなわち生産価格一一引用者〕への均等化は,ただ 次のことによってのみ行なわれる。すなわち,個別資本は階級の総資本の可 除部分として機能し,他方,階級の総資本は生産上の必要に応じて種々の特 殊な部面に配分される, ということによってである。こづいうことは信用に よって行なわれる。信用によって,ただこの均等化が可能にされ容易にされ るだけではなく,資本の一部分が一一貨幣資本の形態で一一実際に,この階 級全体によって操作される共同の材料 ( d a sg e m e i n s c h a f t l i c h e  M a t e r i a l )  

として現われる。これは信用の一つの意義で、ある。もう一つの意義は,資本

が流通過程で経なければならない諸変態を短縮しょっとする不断の試み,す

なわち,流通期間や資本の貨幣への転化等々を先取りし,そして資本自身の

被制限性にこうして対抗しようとする資本の不断の試みである。最後に,蓄

積するという機能は,それが資本への転化ではなくて,資本の形態での剰余

(6)

76 

価値の供給である限り,こうして一方で、は一つの特殊な階級に負わされ,他 方では社会のすべての蓄積がこの意味では資本の蓄積となって,産業資本家 たちに用立てられるのである。 このような, 社会の無数の点で個々別々に行 なわれる操作は,集積されて大きないくつかの貯水池に集められる。貨幣は,

それが変態中の商品の凝固として遊休しているかぎりでは,

転化させられるのである J ( Z k .  S .   1 5 1 5 ,  [ M s .  S .   9 3 0 ‑ 3 1 ] ) 。

こうして資本に

ここでは,信用は利潤率の均等化への作用と, 流通過程での資本の形態転 換の短縮というこ面でとらえられている。前者について言えは¥利潤率の均 等化と信用との関連は,個別銀行資本の水準でではなく,社会的資本の水準 において, つまり「階級全体」の「共同の材料」 としての貨幣資本が各部面 の「生産上の必要 J に応じて信用によって供給されるという点でとらえてい る。また r 生産上の必要」 という言葉には特別の限定はなく, 資本蓄積ま でを含むと考えられる。 このように「総体性」あるいは「階級全体」の視点 でとらえられた貨幣資本は, また次の文章とかかわることになる。 これも同

じ く r (収入とその諸源泉 J J 中のものである。

「これに反して, 貨幣資本の場合には一一金融市場 ( G e l d m a r k t ) では

一一ただ買い手と売り手という,需要と供給という, 二つの種類のものが相

対しているだけである。一方の側には借り受ける資本家階級があり,他方の

側には貸し付けるそれがある。商品は同じ形態一一貨幣という形態一ーをも

っている。資本が投下されている生産部面または流通部面の特殊性に応じて

資本がとるところの特殊な姿は,すべてここでは消え去っている。資本はこ

こでは, 独立な交換価値の,貨幣の,無差別な, つねにそれ自身と同一な姿

をもって存在している。特殊な諸部面の競争はここではなくなる。諸部面は

みな貨幣の借り手としていっしょくたにされており, 資本もまたすべての部

面にたいして資本充用の諸形態にはまだ無関心な形態で相対している。生産

的資本がただ特殊な諸部面のあいだの運動と競争においてのみ現われるとこ

ろのものとして,階級の共同の資本として,資本はここでは現実に,重みか

ら見て,資本にたいする需要において,立ち現われるのである。他方,貨幣

資本(金融市場における資本)は, それが共同的要素として, その特殊な充

(7)

用には無関心に,極々の部面のあいだに,資本家階級のあいだに,それぞれ の特殊な部面の生産上の要求に応じて配分されるさいにとる姿を,現実にも っている。さらにまた,大工業の発展につれて,ますます貨幣資本は,それ が市場に現われるかぎりでは,個々の資本家によっては代表されなくなり,

すなわち市場にある資本のあれこれの細片の所有者によっては代表されなく なり,むしろ集中され組織されて,現実の生産とはまったく別の仕方で,資 本を代表する銀行家たちの管理(として〕現われる。したがってまた,需要 の形態について言えば,この資本には一階級の重みが相対している。しかし,

供給について言えば¥この資本は,一団になった貸付可能な資本として,わ ずかばかりの貯水槽に集積された社会の貸付可能な資本として,現われる」

( Z k .   S .   1 4 6 2 ‑ 6 3 ,  [ノート 1 5 冊 , M s .  S .   8 9 7 ‑ 9 8 ]   。 )

ここでは銀行制度を基礎としつつ,金融市場において「生産上の要求」に 対して与えられる信用について述べられている。この「金融市場 J での信用 把I h l は 1 2 3 冊のノート」の先の二つの引用文と内容が連続していることは自 明であろう。つまリ,マルクスは「競争」から「信用」への移行を「金融市 場」において考えていたのであるし,そのような「金融市場」で売買される 商品としての貨幣,つまり生産拡大に対して供給される貨幣資本に即して利 子生み資本をとらえているのである。すなわち「利子生み資本は,資本主義 的生産に特有かつ相応な形態を,信用において受け取る。信用は資本主義的 生産様式そのものによってっくり出された形態である J ( Z k .   S .   1 5 1 4 ,  [ノー ト 1 5 冊 , M s .  S .   9 3 0 ]   )。ここでいう信用は先にみた,利 i l M J 率 の 均 等 化 お よ び 流通過紅での資本の諸変態の制紺 i である。マルクスがここで利子生み資本と 信用とを関連させている場は 1 2 3 冊のノート」での信用の叙述はつねに利潤 率の均等化に重点を置いていることからわかるように 1 金融市場」である。

「流通時間の止揚」としての信用は,そのような生産拡大に対して与えられ る信用を基軸とした上で,それに関連させられていると考えるべきである。

「経済学批判要綱』では信用の基本規定が「流通時間の止揚」および「資

本の量的制限の止揚」として与えられている(:;)利潤卒の均等化と信用との関

連については,信用の基本規定とは別の部分で孤立的にふれているだけであ

(8)

7 8  

る ( 6 ) そして, 「資本一般 J r 一つの資本」 という方法をとる『要綱』では,

「競争」あるいは「信用」の展開が全く行えないのと同時に,蓄蔵貨幣が G

… G ' 視点を優越させた展開のために本文中の論理からほとんど欠落するこ ととなって,金融市場へつながる展開を与えられていない。

しかし, 『要綱」時点でも金融市場と生産拡大とを結びつける意図, つま り利潤率の均等化と信用とを金融市場において考えようとしていたのは確か だと思われる。そのことは, 次のプランの中にみることができる。

r m 。個別性一一 1 )信用としての資本。 2  )株式資本としての資本。

金融市場としての資本。金融市場では,資本はその総体性 ( T o t a l i t a t ) にお いて措定されている。そこでは資本は,価格を規定するもの,労働を雇用す るもの,生産を規制するもの,一言で言えば生産源泉である J ( G r .   S .   1 9 9 ,  [ノート 2 冊 , Ms. S .   2 3 ] ) 。

これは『要綱」本文での信用の二様の基本規定とは別に述べられている別 の信用の規定であり,金融市場で「生産源泉」 としての貨幣資本を考えてい たことを示しており, それは本文中にみられる利潤率の均等化と「第三規定」

の貨幣の関連についての叙述につながっているといえよう。

この金融市場が1861‑63 年の「資本一般」の拡充とともに, 次第に信用に 言及する場合の,論理の要の位置を占めるようになってきたのである。つま り,金融市場と生産拡大を結びつける信用を軸として, 「流通時間の止揚」

としての信用も株式会社へ至る「資本の量的制限の止揚」としての信用も編 制されたのである。『要綱」での信用の二様の基本規定は, 個別 資 本視点 を はなれて社会的資本の視点から生産拡大と貨幣資本の需給関係を問題とする 場合には, 出発点での生産拡大に与える信用の効果の相違は残しながら,

の中に包摂されていくことになる ( 7 )

しかし, 1861‑63 年のマルクスには,資本循環・回転論とともに再生産論 が未完成で、あった ( 8 ) すなわち「競争」の内容は『資本論」に近付きながらも,

蓄蔵貨幣論は不十分で、あった。つまりマルクスは, r  {言用」について展開し

うる基盤はほとんどなかったのである。そのために r C 収入とその諸源泉) J

の部分で,金融市場での貨幣の商品化に即して利子生み資本の規定を与え,

(9)

同時に金融市場に即して「競争」から「信用」への移行の途にあたるものを 示したのである。そして r 資本論』ではこの部分を受け継いで, 21‑24 章が 書かれ,そして 2 5 章以下で r 資本論』体系としての「信用」の展開が行なわ れることになった。

註 ( 5 ) 信用の基本規定については,深町郁嫡「所有と信用一一貨幣・信用論の体系 』 日本評論社, 1 9 7 1 年,第 2 筒 l 章,および,飯田裕康「信用論と擬制資本』有斐閣,

1 9 7 1 年 , 2  ‑ 3 章,を参照されたい。

( 6 )   小稿,1"経済学批判要綱』における「資本一般」ーーその方法と限界一一 J [j経済論 究 . ! (九大院) 3 9 号 , 1 9 7 7 年 , 3 3 ページを参照。

な お 第 3 筒 果実をもたらすものとしての資本」中に,利子と企業(者)利得 への利潤の分割, 1l:~有資本家と産業資本家の対立,貨幣の商品化にふれた叙述がある

(前掲小稿, 48‑50 ページ)。この最後の点は「資本論」第 3 部の 2 2 章につながるもの であり,金融市場論と直接につながっている。

( 7 )   マルクスのいう貨幣資本家とは,遊休 1 t 幣資本をもっ産業資本家のことである。

,(信用,これについてはわれわれはここで立ち入って論ずるべきではないが,こ の信用は,蓄騎された資本が,それのっくりだされた同じ部面において充用されるの ではなく,価値増殖される機会の最も多い部面で充用される, ということを媒介する。

けれども,どの資本家も,自分の苔慌をできるだけ自分自身の事業に投下することを 望んでいる。もし彼がそれを他の事業に投下すれば, f 皮は 1 t 幣資本家になり,利潤で はなく利子だけを得る。そうなれば,彼は投機に身を投ずるほかはないであろう。し かし,われわれはここでは平均的な蔀杭について論じているのであって,ただ例とし て,特殊な産業部面 i に投下される〔と仮定している〕だけである J ( Z k .  S .   1 1 0 5 ,  [ ノ ート 1 3 冊 , M s .  S .   6 9 9 ] ) 。

ここでは部的基金について述べられている。それが使用されない期間は,信用によ って他の部面の生産拡大に充用されうる。部h'tJl~ 金が使用される時が来た時には,遊 休 1 1:幣資本は自己の生産部面に投下されるのであり,他の例は想定されない。

( 8 )  

j 、稿「外国貿易の拾象と再生産論 J [j経営と経済.! 6 3 巻 4 号 , 1984 年,を参照。

(10)

8 0  

3  ~資本論」第 3 部第 1 稿 (1865) での「利潤率 均等化」と「イ言用」の関連について

マルクスは 2 1 章で利子生み資本の規定を行ない, 22 章で利子率と利潤の分 割にふれている。 2 1 章では基本的に,資本蓄積を含む生産拡大を行なう産業 資本家と貨幣資本家との問で売買される商品としての貨幣に即して,利子生 み資本を規定している。貨幣はここでは「資本所有そのもの」を表わしてお り,それは「他人の労働にたいする指揮権」あるいは「他人の労働の取得へ の要求権」および「他人の労働を取得するための権原およひー手段 J ( K .   I I I .  

S .   3 6 9 ) となっている このような G…G ' を行なう古色力をもつものが「貨 幣としての資本」であり,それに即して利子生み資本の規定が与えられる。

2 2 章では金融市場での市場利子率と,一般的利潤率に即して利潤の量的分 割 j が述べられている

O

ここでの叙述の背景には 2 1 章での,生産拡大のために 貨幣を商品として金融市場で買う産業資本家が想定されている。

「金融市場で相対するのは貸し手と借り手だけである。……資本はここで は,生産的資本がただ特殊的諸部面のあいだの運動と競争とのなかでだけ現 われるところのものとして,階級の共同的な資本として,現実に,重みにし たがって,資本への需要のかたちで登場する。……他方,貨幣資本(金融市 場における資本)は現実に次の姿態を,すなわち,資本が共同的な要素とし て,その特殊的な充用にはかかわりなしさまざまな部面のあいだに,資本 家階級のあいだに,各特殊的部面の生産上の要求に応じて配分されるときに 資本がとる姿態をもっている。そのうえに大工業の発展につれて貨幣資本は ますます,それが市場に登場するかぎりでは,個別的資本家すなわち市場に ある資本のあれこれの断片の所有者によって代表されるのではなくて,集中,

組織され,現実の生産とはまったく追った仕方で,社会的資本を代表する銀

行業者の統制のもとで登場する。したがって需要の形態について見ても,こ

の資本には一階級の重みが相対しており,供給について見ても,この資本は

大量にまとまった貸付可能資本として登場するのである J ( K .   I I I .   S .   3 8 1 , 

[ M s .  S .   3 0 0 ] ,ほぽ大谷訳による)。

(11)

この2 2 章中の文章は,これまで見てきた f 2 3 冊のノート」中の,金融市 場に即してとらえられた生産拡大に作用する信用と連続していることは自明 であろう。このように, 2 2 章では金融市場においてとらえられた信用を根底 におきながら,手 J I 潤の量的分割までを扱い, 2 3 章ではそれをうけて利潤の利 子と企業(者)利得への質的分割を扱つ。 2 4 章では利子生み資本における 資本物神の完成を言い, 2 5 章以下では f5  )信用。架空資本」と題された信 用論が展開される。

ここでは利子生み資本の一般的規定の基礎を与えるとともに,後の信用論 の展開とも論理的に連続させる意図をもって,生産拡大と貨幣資本の需給関 係についての社会的資本の視点からの一般的規定を与えたのである。

それゆえ, 2 2 章の冒頭で次のように述べている。「この章の対象も,およ そ後の諸章で取り扱われるすべての信用上の諸現象も,ここで細目にわたっ て研究することはできない。貸し手と借り手とのあいだの競争やその結果と しての金融市場の短期的諸変動は,われわれの考察範囲にははいらない。産 業循環の進行中に利子率が通る循環は,その叙述のためには産業循環そのも のの叙述を前提するのであるが,この産業循環の叙述もここですることはで きない。……われわれがここでしょうとするのは,ただ,利子生み資本の独 立な姿と利潤にたいする利子の独立化とを展開するといつことだけである」

( K .   I I I .   S .   3 7 0 ) 。すなわち,これは 21‑24 章での方法上の限定を示している。

そして, 2 5 章に入るが,その f 5 )信用。架空資本」の冒頭では次のように 言う。「信用制度とそれが自分のためにっくり出す〈信用貨幣などのような〉

諸用具との分析は,われわれの計画の範囲外にある。ここではただ,資本主 義的生産様式一般の特徴づけのために必要なわずかの点をはっきりさせるだ けでよし

E

。そのさいわれわれはただ商業信用 ( d e rc o m m e r c i e l l e  C r e d i t ) だ けを取り扱う。この信用の発展と公信用の発展との関連は考察しないで、おく」

( K .   I I I .   S .   4 1 3 ,  (Ms.  S .   3 1 7 J大谷訳による)。

しかし,これ以降の, とくに 28 章以降の叙述ではそのような「わずかの点」

( 9 )  

への限定は外されている。また,大谷論文によれば25‑26 章の草稿では, 2 5  

章の後半と 2 6 章 (Ms.S .   3 1 8および S .3 1 9の一部と S .320‑25) とは「雑

(12)

82 

録」と「持論」をなしている。そこでは r 5  )信用。架空資本」の冒頭の限 定からはみ出す,金融市場の逼迫や利子率の変動について述べている。

つまり,この部分は 30‑32 章の「貨幣資本と現実資本」および利子率の変 動に関する考察へ至る途をすでに r 5  )信用。架空資本」のはじめの部分 で準備した部分であり,同時に「われわれの計画の範囲外」のさまざまの分 析への拡がりを示している部分であると思われる。すなわち,そこから金融市 場での貨幣資本の需給と「生産上の要求」との関連を単に一般的に規定する だけに止まらず,景気循環に即したものとしてもとらえようとする視角が, r 5 )   信用。架空資本」の後半においてより優越することになったわけである。

2 7 章では, まだ「雑録」や「挿論」の部分は拾象した上で,それまでに述 べてきた信用の役割について一般的な規定を与えたといえる。そこで r B  ) 

信用によって,流通または商品変態の,さらには資本の商品変態のさまざま の段階が速められること(したがって再生産過程一般が速められること ) 0 J 

( K .  I I I .   S .  4 5 2 ,  (Ms. S.326J ,大谷訳による)と述べているのは r 流通時間 の止揚」としての信用と,金融市場での「生産上の要求」に対する信用とが 接続する部分を示している(1 0 ) この 2 7 章で rI I I  )株式会社の形成」について述 べたあと,次のように述べているのは rわれわれの計画」の範囲外へ叙述 が進みつつあることを示していよう 「これまでわれわれは主として信用制 度の発展{そしてそれに含まれている資本所有の潜在的な止揚│を,主とし て生産的資本に関連して考察した。いまわれわれは,利子生み資本そのもの {信用制度による利子生み資本への影響,ならびに利子生み資本がとる形態 i

の考察に移るが,そのさい総じて,なお若干のとくに経済学的な論議を行わ なければならない J ( K .  I I I .   S .  4 5 7 ,  (Ms. S.32 7],大谷訳による)。

2 8 章「流通手段と資本」では社会的資本の視点から,一般的流通と商業流

通の区別に立脚して,貨幣量と商品流通量との関係をまず一般的に,次に景

気循環に即して分析している。それは金融市場での貨幣資本量の問題へと展

開されている。 29 章「銀行資本の諸成分」では,架空資本あるいは擬制資本

にふれつつ金融市場での「貨幣資本の苔在日」あるいは「将来の生産にたいす

る蓄積された請求権,権利名義 J (  K.  I I I .   S .   4 8 6 ) について述べたのち,銀

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行の準備金の架空性を論じている。そして, 30‑32 章では,以上の展開をう けて,景気循環過程での現実資本の蓄積と金融市場での貨幣資本の蓄積との 関係を社会的資本の視点において確定しようとしている。

そこでは[""貸付可能な貨幣資本の形態にある資本の蓄積がどこまで現実 の蓄積すなわち再生産過程の拡張と一致するかという問題 J ( K . 、 凹 . S . 5 1 1 )   を分析しており,基本的にはまず金融的流通は拾象して述べられている。す なわち「そのほかの部類の資本家の貨幣蓄積について言えば,われわれは,

利子付証券で投下されてこの形態で蓄積される部分は無視することにする。

われわれは,ただ,貸付可能な資本として市場に投ぜられる部分だけを考察 する J ( K .   I I I .   S .   5 1 9 ) 。しかし,この単純化した条件のもとでも,論証は十 分には行なわれていない。なお,金融的流通を導入した分析も他方では考え られていたことは,証券市場での売買が貨幣の不拘束となることを述べた部 分の叙述 ( K . I I I .   S .   5 2 7 )からも明らかて、ある?なお,大谷論文によれば 33‑34 章は本文とは別の部分から構成されており,また 3 5 章「貴金属と為替 相場」は世界市場との関連を述べているのでこれ迄の論理からは外れている。

このように, 2 2 章あるいは 2 7 章での,利 i 閏率均等化に対する信用の規定は 一般的なものとして与えられていたのに対して["" 5  )信用。架空資本」を 書き終えたあとの 3 6 章「資本主義以前 J C  "   " [ 6  )先ブルジョア的なもの J J で の信用の役割に対する再度の概括では,景気循環に即して利潤率の均等化を とらえている。それは 30‑32 章での「貨幣資本と現実資本」の考察を反映し ていると考えられる?このように,マルクスは利潤率の均等化と信用の関連 について,景気循環を含まないー椴的規定と景気循環を含む規定というこつ の与え方をしている。

3 6 章では次のように述べている。「すでに見たように,個々の資本家の平

均利潤, または各個別資本の平均利潤は,この資本が直接に取得する剰余労

働によって規定されているのではなく,総資本が取得する総剰余労働の量に

よって規定されているのであって,そのなかから各伺別資本はただ自分が総

資本のなかで占める割合によってのみ自分の分け前を引き出すのである。こ

のような,資本の社会的性格は,信用・銀行¥l 1 1 J 皮の十分な発展によってはじ

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めて媒介され卜分に実現されるのである。他方ではこの信用・銀行制度はさ らに前進する。それは産業資本家や商業資本家に社会のあらゆる処分可能な 資本を,そして治勢的な, また現実には使用されていない資一本までも,用立 てるのであり, したがってこの資本の貸し手もその充用者もこの資本の所有 者でもなければ生産者でもないのである。このよっにしてこの信用・銀行制 度は資本の私的性格を廃棄するのであり, したがって潜在的に, しかしただ 潜在的にのみ,資本そのものの廃棄を含んでいるのである。銀行制度によっ て,資本の分配は,私的資本家や高利貸の手から,一つの特殊な業務として,

社会的な機能として,取り上げられている。しかし,これによって同時に銀 行と信用とは,資本主義的生産をそれ自身の制限を越えて進行させる最も強 力な手段となり,また恐慌や詐欺的舷惑の最も有効な媒介物のーっとなるの である。/さらに,銀行制度は,いろいろな形態の流通する信用を貨幣に代 位させることによって,貨幣は実際には労働とその生産物との社会的な性格 の一つの特殊な表現にはかならないといつこと, しかしこの性格は私的生産 の基礎に対立するものとしてつねに結局は一つの物として,他の諸商品と並 ぶ特殊な商品として,現われざるをえないということを示している J ( K .   I I I .   S.620‑21) 。資本主義の過渡的性格を強調しつつではあるが, 2 7 章と同じ)11員 序で金融市場の視点から信用の役割が述べられており,この文章のあとには 株式会社について述べている「結合労働の生産様式」に関する部分がつづく。

以上のように, 2 2 章と 2 7 章と 3 6 章で利潤率の均等化に対する信用の役割を 一貫して述べていると言える。つまり,マルクスは金融市場での貨幣資本の 需給関係を社会的な再生産過程と相関させて考察する視角を一社しでもって いたといえる。ここでの「信用・銀行制度」とは銀行資本を基礎とした金融 市場を意味していると考えられる。しかし,実際に I 5  )信用。架空資本」

での展開は必らずしもその視角のもとに十分に行なわれたとはいえない。そ れは,この時点 ( 1 8 6 5 年)での「資本論」の叙述の未完成, とくに,第 2 部 第 1 稿でも資本循環・回転論とともに再生産論が不十分なままに止まり,

「資本の流通過程」て斗 1 ' ; . 備される蓄蔵貨幣論が未完成のまま伝用論を先行的

に叙述したことに求められよう。マルクスはこれ以降は,むしろ「資本の流

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通過程」の完成の方に力を傾注していくことになる。

‑また,この第 3 部第 1 稿の信用論についていえば r資 本 一 般 」 と 「 諸 資 本の信用」を別箇の部分として考察しなければならないという,論理的必然 性あるいは理論上の断絶はここでは無くなり,信用の基本理論は全て含むも のとなっていると考えられる。 r { 言用」へ移行する場合の「競争」も r 信用」

がそのようになっていることに対応して,基本理論は含まれているものとし て読まれることになる。

詰 ( 9 ) この部分の解釈については,三宅義夫「第 3 部第 5 日の性格について J (浜野・深 町制,前掲書所収, 216‑19 ページ)も参照されたい。

また,草稿とも関連して 5 hf~ の性格を論じたものとして,浜野俊一郎「信用論体系 の諸問題 J (飯田繁編者「インフレと金融の経済学」ミネルヴァ書房, 1 9 7 9 年所収) がある。

(

10 )   r 2 3 冊のノート」では,手形割引や商品 1 H . f 呆 n 付における商品資本の11: i 的資本への 転 化 に つ い て こ の 転 化 過 紅 の 促 進 が 一 ー そ の 一 般 的 本 ' t ' l から見た信用におけるよ うに 再生産を促進し,したがってまた剰余価値の生産を促進するかぎりでは, n

された貨幣は資本であるり ( Z k .   S .   1487‑88 ,  (ノート 1 5 冊 , Ms. 9 1 3 J ) と述べている。

この「一般的本質から見た信用」という規定は「流通時間の止揚」と金融市場での生 産拡大に対する信用とを結びつけるものであろう。

( 1 1 )   深町有 i l 珊,前崎吉, 302‑05 ページを参!問。

(

1 2 )   f 三用と景気循環に関する,それまでの叙述を見ておこう。

「要~#Ii!;J Jlでは次のとおりである。「あか、はまた一一たとえば、リカードゥ一一生産 それ自体は生産官用によって規制されるのだから,生産自身で調印 i させるがよい。そ してもし一生産部門が価値 w l 殖をしないならば,そこからある紅皮資本をひきあげて,

他の必要とする場所に投ずるがよい, と。しかしこのような均衡作用それ白体の必然 性が,不均等,不調和,したがってまた矛盾を前提することは別としても,一一全般 的な過剰生産恐慌にあっては,矛盾は純々の生産的資本のあいだにではなし産業資 本と貸付可能な資本(l o a n a b l eC a p i t a l ) とのあいだに一一生産過松に直接ふくまれ たものとして現われる資本と, rdW として生産~位の外部に自立して(相対的に)現 われる資本とのあいだにあるのである J (G r .   S .   3 2 5 ,  (ノート 4 冊 , Ms. S .   2 1 ] ) 。

また r 2 3 冊のノート」のノート 1 3 冊 r h . リカードゥ, f f l ;  h ' t  ; 1 6 u   J では次のように述

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8 6  

べている。 r(そのほかにも多くの諸契機一一恐慌の諸条件,諸可能性が存在するが,

それらは具体的な諸関係,特に諸資本の競争と信用を考察するところではじめて考察 することができる) J  ( Z k .   S .   1 1 5 3 ,  ( M s .  S .   7 2 4 ) ) 。

以上のように叙述の範囲外に止めておいたものを. 1 8 6 5 年には範囲内に基本的に組 み入れたと考えられる。但し,その叙述は主として「資本の流通過程」の未完成を反 映して不十分なままに止まることになった。

5 む す び

以上のようなマルクスの方法を見てくるとき,一般的流通と商業流通,そ して金融的流通における貨幣量はもちろんのこと,商品流通と対比された金 融的流通の肥大化という現代資本主義をもとらえうる基礎視角はすでに示され ているといえよう(1 3 ) また,そのことは管理通貨制度の現実資本の蓄積に対して もつ効果を考えることにもなる。たとえば 1960 年代のアメリカ合衆国と, 60  年代後半から 1970‑80 年代にかけての再生産過程に次第に変調を来たしてき たアメリカにおける金融的流通のもつ意味をどう考えるかという問題があげ られる?

註 ( 1 3 ) ヒルファディングの「金融資本論」の 6 章「利子率」は,本来その体系では重要な 位置を占めるものだったと思われる。そこでは固定不変資本あるいは流動資本にたい する信用が,金融市場での貨幣資本の需給とどう関連するかという視角を見せていた ( R u d o l f  H i l f e r d i n g ,  Das F i n a n z k a t i t a l ,  E u r o p a i s c h e   V e r l a g s a n s t a l t ,  F r a n k f u r t ,  1 9 6 8 ,  S :  1 2 4  ‑133 ,岡崎次郎訳「金融資本論」岩波書庖(文庫). 1 9 8 2 年. 186‑204 ペ ージ)。しかし,個別資本視点からの展開である 7 章「株式会社」を経て 8 章「証券 取引所」で「総体」としての証券市場を分析しているが 6 章とは違って利子率の変 動それ自体はとり上げられていない。そのことは社会的資本の視点から金融市場での 貨 幣 資 本 の 蓄 積 と 現 実 資 本 の 蓄 積 と の 関 連 を 考 え る 視 点 が 後 景 に 退 色 産 業 資 本 に 対 する銀行資本の支配を強調する視点が優越することで,総カルテル論へ至る道が金融 市場でも始まっている。

( 1 4 )   その点に関してはたとえば,井田啓二『国債管理の経済学」新評論. 1 9 7 8 年,ある

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いは,深町郁弼 rr 信用と擬‑制資本」の現代的課題 J Ii"信用理論研究.il 2 号 , 1 9 8 5 年 , を参照。

【引用文献】

( 1 )   Das K a p i t a l ,  B d .   I I ! ,   MEW ,  B d .  2 5 ,  1 9 6 4 ,岡崎次郎訳「資本論」第 3 巻,大月書居 (国民文庫)による。K. II!.と略記。

( 2 )   Zur K n ' t i k  d e r  p o l i t i s c h e n   Okonomie  (Manωhη~Pt 1 8 6 1 ‑ 1 8 6 3 ) ,  MEG A ,   I I   ‑3 , I i " 資 本論草稿集」大月書出, 4  ‑ 8 分冊による。 Z k.と略記。

( 3 )   G r u n d r i s s e  d e r  K r i t i k  d e r  p o l i t . ゐ c h e nOkonomie ,  MEGA ,  I I ー し 高 木 幸 二 郎 監 訳

「 経 i 汗学批判要綱』大月書庖,第 2 分冊による。 G r.と略記。

以上,いずれも原書ページ数のみを記す。また, ( )内は草稿のページ数である。

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