「恋愛地図」で読む『美女と野獣』
――連作的読解の試み
藤 原 真 実
愛を論じることは、それに打ち克つことよりたやすい1。
忘れられた原作
「美女と野獣」2という名に聞き覚えのない人は、日本でもおそらくいないだろう。
鮮烈なイメージと豊かな喚起力で心を捉えるこのタイトルは、原作を離れて多様な ジャンルで用いられ、人々の日常にも入り込んでいる。しかし、そのはじめにおい て、『美女と野獣』はいわゆる民話ではなく、作者も刊行年もはっきりした文学作 品であった。このことは一般にはもちろんのこと、研究者の間でも十分知られてい るとは言えない。
原作『美女と野獣』3は1740年に匿名で刊行された『アメリカ娘と洋上物語』第一 巻の一挿話で、著者はパリ生まれの女性作家ヴィルヌーヴ夫人4である。出版当初こ
1 本稿の脚註102を参照のこと。
2 本稿では、ヴィルヌーヴ夫人による原作を二重かぎ括弧で『美女と野獣』と表記し、それ 以降の作家による翻案は、「ボーモン版」のように、その都度翻案者名を明記する。また、
「美女と野獣」という名で包括される物語群(民話および妖精物語を含む)の総称を一重か ぎ括弧で「美女と野獣」と表記する。なお、ヴィルヌーヴ版とボーモン版からの引用には、
両版を収めるビアンカルディ版(Madame de Villeneuve,
/ Madame Leprince de Beaumont, . Édition critique établie par Élisa Biancardi, Honoré Champion, 2008)を使用し、略号を .とする。
3 本稿では、各ジャンルの呼称を、便宜的に次のように使い分ける。⑴ 民間で口承された説 話《conte folklorique》を民間説話または民話と呼ぶ。⑵ 単に説話と言う場合は、伝えられ た物語の総称として、神話も含むものとする。⑶ 17世紀末から18世紀のフランスで民話を 模して書かれた《conte de fées》(詳しくは、本稿p. 3‑4を参照)を妖精物語と呼ぶ。⑴ と
⑶の区別が判然としない英語のfairy taleなどは、おとぎ話と訳す。
の作品が話題になったことは、グラフィニ夫人が1741年3月のドゥヴォー宛書簡で
「パリ中が『美女と野獣』に熱狂した」と書いていることからわかる5。しかしすぐ には再版されず、『アメリカ娘』は夫人の死から10年後の1765年にようやく著者名を 冠して刊行された6。また、1785年に出版が開始された妖精物語の叢書『妖精たちの 小部屋』7第36巻は、『アメリカ娘』のうち『美女と野獣』の部分だけを収録したが、
その後は忘れ去られ8、20世紀末までふたたび印刷されることはなかった9。
4 Gabrielle-Suzanne de Villeneuve, 1685‑1755. ヴィルヌーヴ夫人の出生や生涯は長い間不詳 で、誤解と偏見に包まれていたが、クーパー、スヴィデルスキらの研究により詳細が判明し た。それによれば、夫人はラ・ロシェルのプロテスタント系貴族出身で、ナント勅令の廃止 の年にパリで生まれた。パリ高等法院の弁護士だった父親の死後、母親によって財産の多く を奪われ、不幸な結婚・離婚を経て困窮し、職業作家として食いつなぐためパリへ出、家 政婦として劇作家クレビヨンの屋敷に入った。家政婦時代の夫人については、「年老いたメ ガイラ」(ヴォルテール)という蔑称や、クレビヨンを騙し盗みを働いたとする不名誉な証 言(ヴォワズノン)も残っているが、それらに信頼性はほとんどない。というのも、1750年 から1年間、週3回クレビヨン邸でフランス語を学んだカザノヴァは、ヴィルヌーヴ夫人が 非常に有能な家政婦としてクレビヨン宅の家政を取り仕切っていたと証言しているからで ある(Casanova, , 《La Pléiade》, t. I, p. 642)。カザノヴァによれば、ヴィルヌーヴ 夫人は当時検閲官を務めていたクレビヨンの仕事を補佐し、テクストを音読し、それにつ いてクレビヨンと議論をするなど、秘書としての役割も果たしていた。こうしてヴィルヌー ヴ夫人はクレビヨンを手伝うかたわら文筆活動に勤しみ、その家で亡くなったが、家政婦 という地位の曖昧さのためか、グラフィニ夫人をはじめとする同時代人から不当に蔑まれ、
その出生についてあらぬ噂を立てられていた。Cf. Marie-Laure Girou Swiderski, 《Madame de Villeneuve, la méconnue》, Roland Bonnel, Catherine Rubinger éd.,
, Peter Lang, 1997, p.
99‑128.
5 Madame de Graffigny, , éd. Showalter [et al.], 1695‑1758, The Voltaire Foundation, t. Ⅲ.
6 , La Haye ; Paris : Mérigot père, 1765, 5 tomes en 2 vol.
7 , éd.
Charles-Joseph Mayer et Charles-Georges-Thomas Garnier, Amsterdam et Genève, 41 vol.
8 たとえばジャック・バルシロンは、コクトーが映画『美女と野獣』の制作過程を綴った本 の中でドーノワ夫人にしか言及していないことを例に引きながら、「それより前にもう一 人の物語作家が存在したことは一般に知られていない」と述べている。Jacques Barchilon,
, Honoré Champion, 1975, p. 7‑8.
オリジナル版がすみやかに忘れられた最大の理由は、ボーモン夫人10による翻案に あるようだ。1748年に渡英し、ロンドンの上流社会で家庭教師となったボーモン夫 人は、ヴィルヌーヴ版『美女と野獣』を子供向けに翻案し、約一割の長さに縮約し てその『子供マガジン』に収録した。まずロンドンで1756年に刊行され、次いでフ ランスをはじめヨーロッパの各都市で出版されたこの教育読本は、ビアンカルディ によれば、ボーモン夫人が没する1780年までに47版、さらに1887年まで期間を拡げ れば、少なくとも130版を数えたという11。作者本人が認めるように12、同書所収の13 篇の物語はいずれも既存の妖精物語を子供用に翻案したもので、わかりやすく簡潔 にすることが物語に民話のような素朴さを与える結果になり、それが大成功につな がったと考えられる。逆に長大で文学的要素に満ちたヴィルヌーヴ版は一般読者に 広く受け入れられないまま埋もれていった。以後、ボーモン版は幾度も翻案され13、 コクトーやディズニーによる映画化などが行われる中で、原著も原著者も、そして ボーモン夫人の名前さえ忘れ去られたことは知られるとおりである14。
妖精物語という文学ジャンル
ヴィルヌーヴ版が忘れられた第二の理由を、妖精物語《conte de fées》という文 学ジャンルの特殊性に求めることもできるだろう。1690年代のフランスで生まれ、
大革命とともにすたれた妖精物語は、シャルル・ペローのような宮廷作家やドーノ
9 Madame de Villeneuve,
. Édition établie par Jacques Cotin et Élisabeth Lemirre, Gallimard, 1996.
10 Jeanne-Marie Leprince de Beaumont, 1711‑1780.
11 ., p. 935.
12 ., p. 968‑969.
13 ボーモン版以降の翻案や再話については、以下の二書が多くの例を紹介している。Betsy
Hearne, , The University of
Chicago Press, 1989(ベッツィ・ハーン著、田仲京子訳『美女と野獣[テクストとイメー ジの変遷]』新曜社、1995年) ; Marina Warner,
, Farrar, Straus and Giroux, New York, 1995(マリーナ・ウォーナー 著、安藤まみ訳、『野獣から美女へ おとぎ話と語り手の文化史』河出書房新社、2004年).
14 Cf. ., p. 10.
ワ夫人のような貴族女性が乳母などの昔語りを模して創作した魔法物語で、民話を 素材としながら同時代の世相を反映し、文学的技巧、道徳論、深い人間洞察などを 盛り込み得る点において、民話そのものとは区別される15。要するにそれは民間説 話を装った文学作品であり、その二面性にこそジャンルの属性があるのだが、実際 には民話と混同されがちで、文学的側面は軽視されることが多い。とりわけ『美女 と野獣』は無数に翻案され、ヨーロッパ中で読まれ、民話の世界にまで浸透した結 果、先行する文学テクストからヴィルヌーヴ夫人が汲み取り作品化した要素までも が民間説話の一部のように受け取られた経緯がある。これについては後段であらた めて取り上げたい。
さらに第三の理由として、その長大さと構成の複雑さ、ひいては妖精物語らしく ない作風を指摘できるだろう。ビアンカルディの校訂本では、ボーモン版は僅かに 14ページであるが、ヴィルヌーヴ版『美女と野獣』は約120ページと長い。しかも二 部構成で、第二部には、ベットとベルの守護妖精がそれぞれ物語のいきさつを説明 する「ベットの話」と「妖精の話」が含まれる。本来の語り手に加えて、ベットと 妖精という作中人物兼語り手を二人も持つこと自体が妖精物語としては異例だが、
物語の中に回顧的な視点が導入されることも、普通の妖精物語にはあり得ない。さ らに、ベットと妖精による解説は、王子がベットに変えられたいきさつ、ベルの出 生の秘密、王子とベルの出会いの背景、妖精社会の掟などを説明し尽くそうという 意志に貫かれている。民話や妖精物語では不思議は不思議として語られるだけで、
理由づけがされることはないが、『美女と野獣』では出来事の複雑な因果関係がてい ねいに解き明かされるのである。作品のこうした側面は、研究対象としては興味深 いが、一般的な妖精物語を期待する読者には煩わしく感じられたに違いない。
15 妖精物語研究の第一人者レーモンド・ロベールによれば、妖精物語は『千夜一夜物語』
を模して同時期に書かれた東洋風物語とも、バジーレやストラパローラの魔法物語と も、アリオストやタッソーなどの物語詩に挿入された超自然的な逸話とも区別されるべ きものであるが、マイエールが全41巻で刊行した『妖精の小部屋』がそれら多様なジャ ンルを区別なく収録した影響もあり、このジャンルについての無理解や混乱は長く続い た。Raymonde Robert,
, P. U. Nancy, 1981, p. 7‑11. / Champion, 2002, p. 13‑17.
先行研究
本論の筆者は、「怪物と阿呆―「美女と野獣」の生成に関する一考察―」16におい て、ベットの表象と美醜・賢愚の問題を中心に考察し、『美女と野獣』の本質を形 成するいくつかの重要なテーマをラ・フォンテーヌ、ペロー、ドーノワ夫人、ラン ト夫人などの物語の中に指摘した。当時はまだ校訂版が存在せず、先行研究に関す る知識も不十分であったので、ここであらためて『美女と野獣』研究のこれまでを、
可能な範囲で整理したい。
『美女と野獣』が研究されるようになったのは20世紀に入ってからのことで、そ れもはじめは民俗学においてであった。今日も国際的な分類基準として通用する アールネ=トンプソンのタイプ・インデックス17(以下、ATと略す)は、『美女と 野獣』をAT425「失踪した夫の探索」の亜型AT425Cに分類し、アプレイウス『黄 金のろば』の一挿話である「プシュケーの物語」(425A)に関係づけた。その後、
AT425の物語群に関する研究が盛んに行われたが、中でもスウェーデンの研究者ス ヴァーンは、『美女と野獣』をはじめAT425,428に分類される約1100編もの民話を 収集・研究した成果を『クピドとプシュケーの物語(アールネ=トンプソン 425&
428)』(1955)18にまとめ上げた。この大著で私たちの興味を惹くのは、『美女と野獣』
を構成するモティーフが民話にはあり得ない創作的モティーフを多く含むこと、そ れが先行する文学作品の影響を大きく受けていることなどの指摘である19。夥しい
16 『人文学報』第391号(2007), p. 47‑87.
17 フィンランドの民俗学者アンティ・アールネが1910年に作成した分類目録(Antti AARNE, Verzeichnis der Märchentypen, 1910)にアメリカの民話学者トンプソンがヨーロッパか らインドにかけての民話のデータを増補して完成させた『民話の類型』(Antti Arrne et
Stith Thompson, , 1928, 1961.
Abréviation : AT) のこと。それ以降のほとんどの民話研究はこの分類を基準に行われて いる。本稿の筆者が参照するのは、ATにそれ以降の国際的な民話研究の成果を加えた改 訂版 :(Hans-Jorg Uther with Folklore fellows,
, Helsinki : Suomalainen Tiedeakatemia, Academia scientiarum Fennica, 2004)である。
18 Jan-Öjvind Swahn, ( ), CWK
Gleerup, Lund, 1955.
19 ., p. 296‑312.
数の説話を精査した結果であり、その重要性は今日も色褪せないが、にもかかわら ず、その後の『美女と野獣』研究において、その指摘は十分注意されてこなかった ように思われる。このことについても、後段であらためて触れたい。
アールネ=トンプソンの分類法が確立する一方、形態学を昔話の分析に応用した ウラジミール・プロップの『昔語の形態学』は、AT分類等の方法論の弱点を批判し、
物語を機能によって分類する方法を提案する。1928年にロシアで刊行されたこの書 は1958年に英訳されて大きな話題になり、タイプ・インデックスとともに説話研究 の重要な指針となった。それと前後して、日本を含む世界各地では、それらの方法 論を取り入れながら、基本的にはAT分類を基礎に民間説話を収集・分類する試み が盛んに行われるようになる。フランスではポール・ドラリュとマリー=ルイー ズ・テネーズがAT分類を基礎にフランス語圏の民話を収集・分類し目録を編纂し た20。それぞれの話型について、フランスで実際に聴取された民話を集録しており 興味深い。インデックスにおける『美女と野獣』の位置づけは基本的に変わらない が、ボーモン版よりヴィルヌーヴ版の方が「独創性と文体の点ですぐれている21」と ドラリュが指摘したことは強調しておきたい。
こうして説話研究の基盤が整備される中、深層心理学の領域では、フロイトやユ ングの学説を使って説話を読み解く方法が多くの研究者によって採用され、夥しい 数の論文や著書が書かれた。そのうち、日本でも翻訳されよく知られるエーリッ ヒ・ノイマンは、アプレイウスの「プシュケー物語」に女性の自我の発達段階を 読み取り22、ブルーノ・ベッテルハイムも同様の視点から「プシュケー物語」、『美 女と野獣』を含む多数の物語の深層にあるとされるメッセージを引き出している。
「女性が幸福な結婚を成就するためには、性とは忌まわしい、動物的なものだとい う考えを乗り越えなければならない」という考えが古来説話の世界にはあったとす るベッテルハイムは、ヴィルヌーヴ版の「父親」がベルの「乗り越え」において果
20 Paul Delarue et Marie-Louise Ténèze,
: […], Maisonneuve et Larose, Paris, 1992 (1976‑1985).
21 ., p. 22.
22 Erich Neumann, , Zürich, 1951(河合隼雄監修、玉谷直實・井上博嗣訳『ア モールとプシュケー』紀伊國屋書店、1973).
たす役割を、エディプス・コンプレックスとの関係から説明している23。こうした 解釈の背景に、「おとぎ話は集団的無意識の心的発達段階をきわめて簡潔かつ直接 に表現する」(フォン・フランツ)という考え方があることは言うまでもない24。 深層心理学は、プロップの機能による分類と同様、文学研究にも少なからぬ影響 を与えてきた。『美女と野獣』を取り上げた初期の研究書としては、ジャック・バ ルシロン『フランスの魔法物語――1690年から1790年』(1975)がある。いわゆる 妖精物語のほかに東洋風物語、ヴォルテールの哲学的物語などを「魔法物語」と して一括して扱う本書は、第一章で「美女と野獣」という名の下に、アプレイウ スの「プシュケー物語」とそれから派生する16‑18世紀の妖精物語群を一挙に取り 上げ、「野獣/怪物/人間というおぞましくも魅力的な象徴」の背後にセクシュア リティーのテーマが隠されていると指摘する。『美女と野獣』については、バラは ベットの男性性の象徴であり、ベルのためにそれを手折った父親を非難するベット は、バラを盗んだ息子を厳しく罰する父親の象徴である、というように、作品から いくつかのモティーフを抽出し、文脈とは必ずしも関係しない解釈をそれらに結び つけている。ベットの表象についても同様で、その動物的な外貌は男性的な欲望の 象徴、あるいは男女の結びつきにおいて女性が乗り越えるべき獣性の象徴であると いうおきまりの解釈を示している25。
一方、レーモンド・ロベールは、『17世紀末から18世紀末フランスの文学的妖精 物語』(1981)において、18世紀に書かれたすべての妖精物語はエロティシズムを 追求していると断言したが、『美女と野獣』についても、オリジナル版とボーモン 版を比較し、エロティックな読解を許すような箇所をボーモン夫人が容赦なく削除 したことを指摘して、まさにそのことが、ヴィルヌーヴ版『美女と野獣』の好色性 を証明すると述べている26。また、その論文「物語の動物たちとエロティックな作 用」においては、ヴィルヌーヴ版『美女と野獣』のベットが龍のような鱗と象のよ
23 Bruno Bettelheim,
, (1976) 1991, 《Penguin Books》, pp. 285, 303‑308. (ブルーノ・ベッテルハイム『昔話 の魔力』、波多野完治・乾侑美子訳、評論社、1978、pp. 368, 389‑395.)
24 Marie-Louise von Franz, , Albin Michel, 1995 (1970), p. 11.
25 Jacques Barchilon, , Paris, 1975, p. 8‑10.
26 Raymonde Robert,
うな鼻を持つことを指摘した上で、多くの動物花婿が具有する長い尾のような形状
(龍、ヘビ、トカゲなどの)、あるいは象の鼻、サイの角のようなものは、ことごと く男根を象徴すると述べ、妖精物語の好色性に関する自説を強調している27。 他方、アンリ・クレはその論文「野獣の婚礼」(1982)において、コクトーの映画『美 女と野獣』、ボーモン版『美女と野獣』とヴィルヌーヴ版を、アプレイウスのプシュ ケー物語、ドーノワ夫人の『緑のヘビ』をはじめとする異類婚物語と関係づけて 論じながら、野獣は愛する女性に男性が行う暴力の象徴であるとし、「美女と野獣、
パシパエ、エウロペとその牡牛、レダとその白鳥の神話は、サドが欲望の真実と見 做すあの暴力をおそらくは翻訳」していると述べた。また、社会史の観点から、動 物花婿型の一連の妖精物語を、本人の意向を無視して娘を夫に引き渡す17−18世紀 の「打算的な結婚」の問題に結びつけてもいる28。
さらに時代を下り、2008年、『美女と野獣』初の校訂版を収めるビアンカルディ 版が刊行される。ヴィルヌーヴ夫人の『アメリカ娘』ほか二作品とボーモン夫人 の『子供マガジン』を収録するこの大型本は、テクストの校訂と解説、両作家の伝 記と書誌、用語解説、ヴィルヌーヴ諸作品の形態論および統語論的分析、各種索引 等を完備する画期的なものである。『美女と野獣』の解説は、ラ・フォンテーヌの
『プシシェとキュピドンの恋』、ドーノワ夫人の『羊』をはじめとする文学作品との 関係に触れ、ヴィルヌーヴ夫人の『美女と野獣』だけに見出される語りの三層構造 やテーマ系などの文学的特質の解説にも多くの頁を割いている。しかし同時に心理 学的な解釈を、それが作品の文脈の外に根拠を求める一種の補外法であるのを指摘
, P.U. Nancy, 1981, p. 146‑153. / Champion, 2002, p. 158‑166. 本書は、口承伝 承としての民話と文学作品としての妖精物語を区別した上で、膨大な数の妖精物語を批判 的に分類し、分析した、最初の本格的妖精物語研究である。
27 Raymonde Robert, 《Animaux fabuleux et jeux érotiques. Les fantasmes zoologiques dans les contes de fées des XVIIe et XVIIIe siècles》, in , 6, 《Lʼanimal fabuleux》, PUF, 1983, p. 172‑173.
28 「現実的であれ空想的であれ、怪物とは愛する女性に男性が行う暴力を象徴するものだが、
美女と野獣の物語もプシュケーの物語も同様に、女性の方がそれよりもさらに強いという こと、その女性は殺したい衝動、貪り食いたい衝動をただの優しさに変える力を持つと いうことを証明するであろう。」Henri Coulet, 《Les noces de la bête》, in
, 1982, p. 315.
しながらも、大きく取り上げている。たとえば父親がバラの花を摘む場面に関して は、バルシロンに倣い、摘み取られた花に「盗まれた男性性」という誘意性を与え ることで商人の「無礼な振る舞い」を前にした怪物の激昂をよりよく理解すること ができると述べ29、また父親と野獣を共犯関係に置く観点から物語を解釈する点で は、ベッテルハイムの主張に依拠し、精神分析的解釈をほとんど留保なしに用いて いる30。ビアンカルディがこのように深層心理を重視する背景には、以下に示唆さ れるように、『美女と野獣』を民話の一再話と見做す考え方があるのだろう。
民話に起源を持つこの物語は、こうして時代の果てからやって来て、二人の語り手の魅 力的な現代化により刷新され、注目を集めるにつれ、それを生み出した集団の想像界の 共同遺産に或る意味で返却されていった31。
『美女と野獣』が民話に由来するモティーフを含むことも、ボーモン版を経て民間 に伝承されたのも事実である。しかしながら、ヴィルヌーヴ夫人は先行する文学作 品をそれ以上に重要な素材とすることで、民話には存在しなかった要素を豊かに加 えて『美女と野獣』を創作したのではないだろうか。
またたしかに、『美女と野獣』にはエディプス・コンプレクス等により解釈可能 な部分もなくはない。野獣に委ねられる美女、摘み取られたバラ、夜ごとにベット が繰り返す同衾の申し出とベルの夢に現れる貴公子など、エロティックな含意を容 れるモティーフも散見し、作者自身もそれを知らずに書いたとは思われない。し かしながら、『美女と野獣』を文学作品と見做すのであれば、精神分析などの還元 的方法ばかりを用いることは、作品の文学的側面を捨象することにつながる。実際 に、上記の解釈を総合すれば、女性が結婚において乗り越えるべき性の現実といっ た退屈な説明に帰着するだろう。ユングが言うように、そのような分析は作品とは
29 ., p. 105, note 15.
30 ., p. 107, note 19. ベッツィー・ハーンやビアンカルディが指摘するように、共犯関係とい うテーマは、19世紀以降のアングロ・サクソン系「美女と野獣」物語群には顕著に表れるよ うになる。
31 ., p. 10.
何の関わりもない、「人間性一般を載せ育てている土壌32」に行き着くだけで終わる おそれすらある。そうして捨て置かれる部分に光を当てるのが文学研究の役割であ るなら、本稿が対象とするのもその部分である。そこで以下では、『美女と野獣』
の中でも、民話の枠を逸脱する部分に焦点を当て、特にベットという登場人物の成 り立ちと、スキュデリー嬢の「恋愛地図」との関係を中心に考察することにより、
集合的無意識ではなく文学の領域にこの作品を返すことを目指したい。
Ⅰ.説話から文学へ
『美女と野獣』の非民話的要素
動物花婿譚ははるか昔から無数に存在していたし、ヴィルヌーヴ夫人がそれらか ら話型やモティーフを受け継いだことは疑い得ないが、『美女と野獣』は多くの点 でそれらと一線を画している33。すでに言及したスヴァーンは、そうした違いの理 由として、ヴィルヌーヴ夫人が先行する文学作品を源泉とした可能性を以下のよう に指摘した。
ヴィルヌーヴ夫人は、数多くのつけ足しにより物語を洗練させたとはいえ、物語を民間 伝承に取材したというのが一般に結論されてきたことである。私自身もその可能性を否 定しないが、彼女の版を今日に伝わる民間伝承とは大きく異ならせ、その結果ボーモン 版をも異ならせている改変のアイディアを、ヴィルヌーヴ夫人はドーノワ夫人の物語
『羊』(RF2)から得た可能性があることを指摘しておきたい34。
32 カール・グスタフ・ユング「分析心理学と文芸作品の関係」、『創造する無意識』、松代洋一 訳、平凡社、p. 16.「こんな風な分析は芸術作品そのものとは何の関わりもなく、ただモ グラのように、隙さえあれば作品の下やら背後やらにもぐり込もうとするようなもので、
もぐったところは結局人間性一般を載せ育てている土壌にほかならず、したがってそこか らする説明は呆れるばかりに単調で、医者の診察室で聞かされるものと同じものでしかな いのです。」
33 Cf. Swahn, ., p. 297.
34 Swahn, ., p. 297.
そして、『美女と野獣』に共通する『羊』のモティーフとして、醜い妖精との結婚 を拒んだため動物に変身させられること、ヒロインが〔一時的に実家に帰るが〕短 期間で羊の城へ戻る約束をすること、〔約束の期日を過ぎたために〕羊は悲しみの あまり死に、ヒロインがそれを発見して抱擁することなどを挙げている。
スヴァーンはまた、『美女と野獣』の影響を受けて語り継がれたとされる同じ話 型の民話を『美女と野獣』と比較する中で、民話がほとんど受け継がなかったモ ティーフ、民話にはなじまず排除された要素をいくつか指摘しているが、それらは 逆に『美女と野獣』の非4民話的要素を浮き彫りにしており興味深い35。たとえばベ ルの家族の中でほとんど具体的な役割を持たない〔六人の〕36兄たち、ベルの父親37 の二度目の破産、ベットがベルの父親に贈り物を与えること、姉たちの偽りの悲し みなどがそれに当たる。また、物語の後半でベットと妖精がそれまでの出来事を解 説する二つの物語についても、通常の民話は時間を遡って語ることはないとして、
その非4民話性を指摘している38。さらに興味深いのは、主人公の名前に関する調査 結果である。それによれば、ベル(美女)という名前は容易に語り継がれたのに 対して、ベット(獣)という名は多くの場合、熊、狼、犬、等々の動物名に変えら れているという。私たち読者が慣れ親しんできたこの名前こそ、スヴァーンによれ ば、民話の中では異質な響きを持つというのである。
しかしながら、非常に強く感じるのは、このモティーフが民間の語り部にとってあまり にも抽象的すぎると思われたらしいことである。民話の主人公は「獣(けもの)」を殺 すのではなく、龍やライオンなどを殺すものであるし、女主人公は「怪物」とではなく、
より具体的な何かと結婚するものだからである39。
35 ., p. 299‑310.
36 ボーモン版では三人とされる。
37 ヴィルヌーヴ版では、ベルの本当の父親は幸福島の王であり、商人は「育ての親」である が、本稿では前者をほとんど問題にしないので、後者を常に父親と呼ぶこととする。
38 Swahn, ., p. 307.
39 Swahn, ., p. 302.
実際、ベル(美女)あるいはそれに類する名前は、それ以前の物語にも登場する40 が、ベットという名前は見られない。まして標題にそのように抽象的な呼称が使わ れたことはかつてなかったのである41。
スヴァーンは、「私が推察するに、『美女と野獣』をAa425の民間伝承と区別する 大多数のそういうモティーフの源泉を見出すには、ドーノワ夫人に見出されるよう な、より古い文学的伝統の方へ注意を向ける必要がある42」と述べて、ドーノワ夫 人以外にも「源泉」が存在する可能性を示唆した。さらに別の場所では、『羊』と『美 女と野獣』を含むAT425Cが、それまで考えられていたように民話として自律的に 発生したのではなく、「もっぱら文学的影響に依存」することをも示唆したが43、具 体的な著作名を挙げていない。私たちはその源泉の一つを見出すべく、以下では ベットという登場人物に焦点を絞り、その形成過程を辿ってゆくことにしよう。
ベットという名前
邦訳では一般に「野獣」と訳されるフランス語のBêteは、本来はイモムシから 大動物まで、家畜・野生の別を問わず、人間以外のあらゆる生き物を総称する名 詞である。《petite bête》のように愛情を込めて小さな生き物を指すかと思えば、
「ジェヴォーダンの獣」や「黙示録の獣」のように正体不明の異形の獣を指すこと もある44。また比喩的には、本能的な性質、獣性を意味し、(今日では主として形容 詞で)才知を持たない愚か者、すなわち馬鹿4 4という意味でよく使われる。このよう に、bêteという言葉には多様な意味の広がりがあるが、日本語の「野獣」という訳
40 たとえばペローの『眠れる森の美女』 (1695)、ドーノワ夫人の『金
色の髪の美女』 (1697)など。
41 ヴィルヌーヴ夫人がこのタイトルを最初に用いたことは、ビアンカルディも指摘してい る( ., p. 1433)。それだけに、中世の物語研究者アルフ=ランクネルがプシュケー神話
の流れを汲む異類婚ものを と総称しているのは、或る意味で時代錯誤
的である。Cf. Laurence Harf-Lancner, . Slatkine, 1984, p. 114.
42 Swahn, ., p. 298.
43 Swahn, ., p. 311.
44 「怪物と阿呆」p. 57‑59を参照のこと。
語はそのほんの一部しか反映せず、あらあらしい、恐ろしいイメージだけを強調す る。しかしヴィルヌーヴ版をよく読めば、作者がこの名に込めた意味はそれだけで はないことがわかるだろう。
作品の後半で物語を振り返って解説する「ベットの話」と「妖精の話」によれば、
ベットの前身である王子には、母親である女王の遠征中に彼を預かった醜い老妖精 がいた。妖精は美しく成長した王子に恋愛感情を抱き、990歳という高齢にもかか わらず王子との結婚を決意する。しかし、女王の拒絶に遭い、激昂して王子を野獣 の姿に変えると、元の姿を取り戻す条件を以下のように言い渡す。
これだけの美貌があれば才気など必要ないのだから、お前は醜いのと同じくらい愚鈍な ふりをするように。また、元の姿を取り戻したかったら、若く美しい娘がお前に喰われ ると知りながら自分の意志でお前に会いに来て[…]お前に求婚するほど深い愛情を抱 くまでこの状態で待つように。
[…]お前は自分が誰であるかを忘れねばならない。ちやほやされたり、仰々しい肩書 で呼ばれたりして得意になるようなことがあれば、一巻の終わりだよ。それに、おしゃ べりで好かれようと才気を使うようなことがあってもおしまいだからな45。
こうして妖精は王子から美貌を奪うだけでなく、才気と肩書の使用を禁じ、その上 で、若く美しい娘が彼を深く愛し、娘の方から彼に求婚することを魔法解除の条件 とする。つまりヴィルヌーヴ夫人は、ベットという語の中に、単なる「動物」とい う意味や、「異形の獣」という意味に加えて、「愚か者」という意味を込めたのであ る。ベットの恐ろしさが強調されるのは物語のはじめだけで、その後はもっぱらそ の愚鈍さ、才気の欠如がベルを悩ませることになるのは、そのためである。
同じ話題について一時間も話すうちに、ベルはベットの恐ろしい声を通して、それが無 理に声を嗄らして出している音であることや、ベットには獰猛というより愚鈍な傾向が あることをやすやすと見抜きました46。
45 ., p. 173‑174. (下線筆者)
46 ., p.124.
注意すべきは、主人公に与えられた二つの資質のうち、容姿は否応なく押しつけら れたものだが、愚かさの方は王子が自ら装わねばならないことである。こうした経 緯を説明する「ベットの話」と「妖精の話」はボーモン版では完全に削除されたた め、主にボーモン版を通して民話や童話の世界に普及した「美女と野獣」において は、野獣の愚かさは曖昧になり、それが自らに強いて演じられる性質であることは 忘れられてきた。しかし、このことをよく覚えて物語を読むなら、多くの研究書が セクシュアリティーの問題に結びつける要素の多くは、ベットの痴愚によっても説 明されることがわかるだろう。以下ではその一例として、毎晩ベットが退出する前 に言う台詞について考えたい。
共寝を望むこと
日中は姿を見せないベットは、夕食が終わる頃にベルを訪問しにやって来て、し ばし雑談すると、最後に必ず「あなたと一緒に寝てもいいですか」(《voulez-vous que je couche avec vous?》)とたずねる。露骨な印象47を与えるこの言葉は、しば しば研究者によって取り上げられ、性的脅しと見做されてきた。ビアンカルディ は、ベットの質問が「あなたは私と一緒に寝たいですか」(《Voulez-vous coucher avec moi?》)ではなく、「私があなたと一緒に寝ることをあなたは望みますか」と 表現されている点に関して、「ここで重要なのは、あなた4 4 4という人称の強調により、
もてなしの関係を逆転すること、ベルが自らの宇宙、自らの体の中に彼を受け入れ ることで自分自身の欲望を意識するようになること」であるとするオーレリア・ガ イヤールの指摘を引用し支持している48。しかしながら、あくまでも文脈に則して ベットの言葉を読めば、むしろそのように粗野な言葉でしか愛を語れないベットの 愚昧が浮かび上がってくるだろう。老妖精が言い渡した魔法解除の条件は、愚かな 獣としての王子を娘が深く愛し、娘の方から求婚することであるから、彼にとって はベルの気持を確かめることが最大の関心事である。普通なら最初から同衾の意志 をたずねるなど無粋の極みであり、求愛と言うより脅迫のように聞こえるのは当然
47 ボーモン版のベットは、表現を緩和して、「私の妻になってくれますか」(《Voulez-vous être ma femme?》)とたずねる。
48 ., p. 130, note 51.
だろう。しかし愚かな獣は、あくまでも不器用に、粗暴な言い方をするしかない。
そう考えれば、「あなたは私を深く愛してくれますか、私との結婚を望みますか」
と聞く代わりに、「私があなたと寝ることをあなたは望みますか」と言うのは、む しろ自然なことではないだろうか。
ベルにしても、この質問に脅威を感じるのは最初のうちだけで、その後は不安に 思う様子もない。
ベルの眼はベットの醜さを見てもなんとも思わなくなっていました。彼の間抜けな質問 にも慣れっこになっていました。ですから、おしゃべりがもっと長かったら、彼に会う のはもっと楽しみになったことでしょう。けれども、いつも同じ内容で言い方も粗野 で、「はい」か「いいえ」の答えしか引き出せない四つか五つの文句は彼女の好みでは ありませんでした49。
「ノン」というベルの答えに、ベットは怒るでも悲嘆するでもなく、「では、あなた が望まれないのですから、私はおいとましましょう。おやすみなさい、ベル」と 言って退室する。このようなやりとりの中に、私たち読者はむしろ、呪いの解除を 祈念しつつひたすら愚者を演じるベットの悲壮さを読み取るのである。
同様のやりとりが繰り返されるうちに50物語は進み、最後にベルが「それを望み ます」と明言し、結婚の誓いを立てると、同時に窓外で火箭が打ち上げられ、祝祭 のスペクタクルが始まる。その晩に何が起こるかと言えば、ベットはベルの傍らで 横になるやいびきをかき始め、あとはただひたすら眠り続けるばかりだ。ビアンカ ルディはこの箇所について、物語のはじめに印象づけられるベットの暴力性が、く だんの質問の比喩的な解釈を明らかに誘導しているのに、婚礼の夜、「城の灯りが 消えてベットが乙女に近づき、物語が長いことじらし続けた期待が最高度に達した 瞬間に」立ち現れるのは一緒に寝るという言葉の比喩的意味ではなく、字義どおり
49 ., p. 134.
50 とはいえ、『美女と野獣』は、本来の民話のように同じやりとりを際限なく繰り返すことは ない。問題の質問も、毎晩繰り返されたことがわかるように書かれてはいるが、最後にベ ルが同意する場面を除けば、実際には二箇所にしか書かれていない。
の意味であるとして、ここに曖昧語法による悪戯的な効果、爆発寸前に雷管を外す ような効果を指摘している51。たしかにヴィルヌーヴ版には、エロティックな解釈 を誘導するかに見える箇所が散見し、それが作品に一つの面白さを添えている。ビ アンカルディはそれを18世紀的なエロティシズムに、とりわけクレビヨン・フィス の「誘惑的な空気の精たち、その女主人公たちの半現実の夢想、その物語の意図し て曖昧な雰囲気」に関係づけている52。しかしながら、テクストに戻るなら、粗野 な言葉で結婚(共寝)の意思を問い、ベルが自らその意思を表明すると、王子が元 の姿を取り戻す条件が満たされたということに尽きる。つまり、後半で説明される 筋書にしたがい、字義どおりにことが運ぶのである。このことにかぎらず、『美女 と野獣』のあらゆる細部は、作者によってあらかじめ計算されており、理由づけが なされている53。出来事をいちいち説明することのない一般的な妖精物語や民間説 話とはそこが異なるのである。
ヴィルヌーヴ夫人は、そこここで両義的な言葉を巧みに用いて読者の想像力を掻 き立てながら、テクスト本来の次元では「理詰め」で物語を組み立ててゆく。セク シュアルな脅迫と見えるベットの台詞も痴愚を演じる必要から説明し得るのである。
痴愚を装うこと
しかしベットはなぜ愚かさを自ら演じなければならないのか。恨みを晴らすため なら、妖精は王子から美貌を取り上げたように才知をも取り上げればよいではない か。それをなぜわざわざ残しておいて、それを隠して生きるようベットに命じるの だろうか。二人が共寝した翌日、母である女王と守護妖精が訪れてようやく長い眠 りから覚めた王子を、語り手は次のように描いている。
おぞましい姿と愚かさから解き放たれた自分を見て、王子はどんなに嬉しかったことで しょう。愚かさは装っていただけにいっそうつらいものでしたが、彼自身の理性を曇ら
51 ., p. 1444.
52 .
53 このことについては、「怪物と阿呆」p. 52‑55、およびビアンカルディの解説( ., p. 1435 et sqq.)を参照のこと。
せはしませんでした54。
こうしてわざわざことわっているように、この物語は愚かさを装うことに一つのこ だわりを持っている。王子に才気の使用を禁じ、愚者として振る舞わせることに は、どのような意味があるのだろうか。
愚昧や狂気を装うというのは、古くから文学や伝承が扱ってきたテーマで、中 世フランス文学では、『悪魔のロベール』55にその例を見ることができる。主人公ロ ベールは、授からない子宝を悪魔に祈願した母親の罪のため悪魔に取り憑かれて生 まれ、悪逆非道な青年期を過ごした後、回心してローマへ行き、法王によって隠者 の庵へ送り込まれ、隠者を通して語った天使により贖罪の道を示される。その道 とは、狂人・唖者として振る舞い、犬の餌だけを食べて過ごすというものだった。
ローマ皇帝の宮廷でそのとおりに暮らしながら、トルコ人との戦いにおいては人知 れず白銀の騎士として武勲を立て、最後には聖隠者となるという話である。痴愚を 装って生きることが贖罪の方法とされることは、『美女と野獣』で王子が受けた呪 いを或る意味で説明するだろう。
古代史に目を転じるなら、古代ローマに共和制を打ち立てた初代コンスルの一人 ルキウス・ユニウス・ブルトゥスについても、愚昧を偽装した逸話が知られてい る。ティトゥス・リウィウス、ディオ・カッシウス、アウレリウス・ウィクトル等 の史書56によれば、暴君タルクィニウスに父親と兄弟を殺害されたルキウス・ユニ ウスは、痴愚を装うことで身を守りながら復讐の機会を待ったが、その演技が完璧
54 ., p. 161. (下線筆者)
55 『悪魔のロベール』は11世紀に実在したノルマンディー公ロベール一世に由来するとされる 伝承で、12世紀末から13世紀頃に古仏語の韻文で書かれた物語。印刷術が普及して以降、
18世紀にかけて、青表紙本として広く読まれ、ヨーロッパから南米にまで伝わった。19世 紀フランスで活躍したドイツ人音楽家マイアベーアのオペラ『悪魔のロベール』(1831)は この物語を元にスクリーブが台本を書いたもの。以下の邦訳が存在する。『悪魔のロベー ル』、天沢退二郎訳、『フランス中世文学集』3,白水社、1991。
56 ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』、第1巻56。鈴木一州訳、岩波文庫(上)p. 140;
Dio Cassius Cocceianus (155?‑235?). , trad. E. Gros, Firmin Didot, 1845, tome I, p. 51-53 ; Sextus Aurelius Victor (327‑390),
, trad. André Dubois et Yves Germain, paléo, 2003, p. 41‑42.
であったためブルトゥス(鈍重な、愚鈍な)と呼ばれるようになったという。
興味深いのは、ヴィルヌーヴ夫人が愛読したスキュデリー嬢の代表的小説『クレ リー』57に、このブルトゥス58を主人公とする物語が含まれることである。痴愚を装 う動機は異なるが、愛しい女性の前で自分の才気を隠さねばならない男の苦悩を実 にいきいきと描くところなどは、ベットという登場人物の生成に与えた影響の大き さを想像させる。またブルトゥスが登場する箇所のみならず、「恋愛地図」をはじ め『クレリー』という作品全体に散見する愛をめぐる議論が『美女と野獣』の生成 に重要な影響を与えたことは大いにあり得ることである。
これまでスキュデリーと『美女と野獣』の関係に言及した研究者は、筆者の知る かぎりではビアンカルディだけであるが、きわめて漠然としたその指摘は、後段で 述べるとおり、『クレリー』と「恋愛地図」の不正確な理解にもとづくものである。
また、スキュデリー嬢の影響を強く受けたと思われる妖精物語全般に関しても、こ のジャンルと『クレリー』との関係をまともに扱った研究は、筆者の知るかぎり存 在しない。レーモンド・ロベールの前掲書では、スキュデリー嬢は長大な英雄小説 を書いた作家として数回言及されるだけである。ペロー研究の第一人者マルク・ソ リアノの『ペローのコント――学問的教養と民間伝承』(1968)は、ペローと「プ レシオジテ」の関係を扱う第四章で、スキュデリー嬢の『キュロス大王』や『クレ リー』などの小説がポルトレやマドリガルなどの流行をサロンにもたらしたことに 触れ、それとの関連で、ペローの初期の作品『愛と友情の対話』(1660)に言及し ているが、この詩がよりどころとする「恋愛地図」には言及していない59。一方、
ナディーヌ・ジャスマンの『女性の物語の誕生――言葉と驚異:ドーノワ夫人の妖
57 Madeleine de Scudéry (1607‑1701), (1654‑1660). この作品からの引 用はすべて次の版にもとづく。Édition critique par Chantal Morlet-Chantalat, Champion, 2001‑2005, 5 vol. 略号: .
58 ブルトゥスのフランス語式発音はブリュテュスだが、この場合にかぎり、元の発音に則し てカタカナ表記する。ほかの登場人物はすべてフランス語式発音で表記する。
59 Marc Soriano, , Gallimard,
1968, p. 255‑257. 同様に、ペローの『房毛のリケ』と才気・美醜のテーマを、スキュデリー 嬢とペリソンという「プレシユー」なカップルに関係づけているが、スキュデリー嬢の著 作についての具体的言及は一切ない( ., p. 264‑265)。
精物語(1690‑1698)』(2002)は、妖精物語の起源に遡り、オウィディウスやアプ レイウスの古典古代以降の文学を射程に入れることから始め、それぞれの時代の物 語を通覧している。第二部第三章は《Au pays de Tendre》と題され、その第一節 には《Lʼamour tendre》という見出しもついているから、「恋愛地図」が取り上げ られることが当然期待される60。ところが、意外なことに、そこではスキュデリー 嬢も『クレリー』も一切言及されない。そしてジャスマンは、読者の驚きを先回り するように次のように述べる。「はっきりさせておこう。問題なのは物語の恋愛地 図を作成することはではない。反復的で退屈なそんな作業には、類似点や一致点を 並べ上げることぐらいしか利点がない。問題なのは、必ずしも独創的ではないが
〔ドーノワ夫人〕に」とって重要で固有ないくつかの反復するエピソードやテーマ を標定することである61。」しかし、いかに退屈であれ、「タンドルの国」に言及す る以上は、原作に触れる必要があるだろう。あるいは、スキュデリー嬢の恋愛論は 一般常識であり、原典を引くまでもないということだろうか。妖精物語研究のそう した傾向の正否を確かめるためにも、本稿はスキュデリー嬢の著作に直接当たろう と思う。そこで、以下ではまず『クレリー』について簡単に紹介した上で、スキュ デリー的恋愛論を概観することにする。
Ⅱ.『クレリー』と「恋愛地図」62
『クレリー』という小説
1654年から1660年にかけて全五巻で刊行された『クレリー』63は、副題「ローマの
60 スキュデリー嬢の恋愛論、および《tendre》の語義については、次章で詳しく論じる。
61 Nadine Jasmin,
( ‑ ), Champion, 2002, p. 293. 不可解にも、同書の参考文献目 録はスキュデリー嬢の作品を部分的に数点、『クレリー』に関しては、第五部の第三の書
「プロティーヌの物語」だけを挙げている。つまり、「恋愛地図」を含む第一部はおろか、
『クレリー』のほぼ全体が参考文献から除外されている。
62 以下に見るように、『クレリー』における《Tendre》は必ずしも恋愛を意味しないが、こ の地図の標題としては「恋愛地図」がふさわしいので、本論でもこの定訳を用いる。
物語」が示すとおり、暴君タルクィニウスの治世から共和制へと向かうローマを舞 台の中心とする。主人公のモデルは、ローマとエトルリアの戦争(紀元前508年)
においてローマ側から出された人質の一人クロェリアという女性である。歩哨を欺 き、ともに人質であった娘たちを救い、槍の降る中、テヴェレ川を泳いで渡り、人 質を無事ローマへ帰してポルセンナを感嘆させ、それによりローマとエトルリア の間に和平をもたらしたという彼女の英雄的行為は、ティトゥス・リウィウスの
『ローマ建国史』を含む複数の史書に記録されている64。『クレリー』はこのクロェ リアをはじめとする歴史上の人物と事件に着想を得て創作されたいわゆる英雄小説 で、クロェリアとエトルリア王ポルセンナの息子アルンスの多難な恋愛とその成就 を主軸とするが、この恋愛を含む物語の大半は虚構である。したがって、以下では 実在モデルの有無にかかわらず、各作中人物を作中のフランス語名(クロェリアを クレリー、アルンスをアロンスというように)で呼ぶことにする。
この作品はスキュデリーによる前作と同様、ギリシアの叙事詩に倣うイン・メ ディアス・レスの形式を第一の特徴とする。冒頭はクレリーとアロンスの婚礼前日、
穏やかな散策風景が突然の大地震により暗転し、二人が引き裂かれるところから始 まる。クレリーの探索に出たアロンスが負傷し臥せっている間に、親友セレールが レオンタン公妃の求めに応じてアロンスの生い立ちを語り始めると、物語の時間は アロンスの生まれる前に遡行し、そこからあらためて二人の恋愛の芽生えへ向かっ て物語の時間が流れ始める。
第二の特徴は、クレリーとアロンスの恋愛という主軸のほかに、その他の登場 人物それぞれが主人公となる多数の物語を含む、いわゆる「引き出しつき小説」
(roman à tiroirs)であることである。
第三の特徴は「モデル小説」(roman à clef)であることで、登場人物ヴァレリー はスキュデリー嬢自身をモデルとし、エルミニウスは文筆家でフーケの秘書だった
63 ジョルジュ・ド・スキュデリーの名前で刊行されたが、実際には妹のマドレーヌがほとん ど全部を書いたと考えられている。
64 ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』Ⅱ‑13.そのほか、プルタルコス『対比列伝』「プ ブリコラの生涯」19、アウレリウス・ウィクトル作とされる『ローマ名士伝』13「クロェリア」
などにも言及されている。
ポール・ペリソン、アミルカルは詩人のジャン=フランソワ・サラザンというよう に、登場人物の多くは同時代に実在した人物をモデルとする。
しかし、何よりこの作品を特徴づけるのは、登場人物たちが交わす夥しい量の会 話である。ランブイエ侯爵夫人のサロンで会話を通して教育され鍛えられたスキュ デリー嬢は、1651年以降、自らサロンを主宰して当時の知識人を集めたが、同様に
『クレリー』においても、ヒロインの周囲には常にサロンが形成される。アロンス、
エルミニウス、アミルカル、ヴァレリーをはじめとする常連の輪に、筋の展開にと もない新たに登場する人物が加わり、道徳、哲学、文学、政治、礼儀作法、等々、
個々の物語に直接・間接に関係するありとあらゆる話題が討議されるのである。
しばしば「〜とは何か」という形式で行われるそうした会話は、個々の概念の定 義の試みでもあり、当時最初の仏仏辞典を編纂していたアカデミー・フランセーズ の活動と無関係ではない。スキュデリー嬢のサロンには、アカデミー・フランセー ズ創設時の主要メンバーであるヴァランタン・コンラールやアントワーヌ・ゴドー、
『フランス語語源辞典』の作者ジル・メナージュ65などの知識人が出入りしていた。
一方、アカデミー辞典初版の序文66は、「友」という語ひとつの定義を決定するのに も、会議の参加者一人ひとりが意見を述べ合い、長大な議論を展開したことを伝え ている67。両会に共通するメンバーを通して、同じような関心が共有されるのは自 然なことである。当時の会話を三大文学制度の一つと見做すマルク・フュマロリは、
ランブイエ邸とその常連の会話を「よき慣用を確立するため」の「文学的言語の実
65 Gilles Ménage (1613‑1692), (1650). メナージュはアナク シメーヌという名前で『クレリー』に登場する。第三部の終わりにある詳細な「ポルトレ」
によれば、博覧強記の文法家、王侯貴族を含むあらゆる人々の信望を集めるオネットムで あり、求愛においては「情熱的に涙を流す才能」を具えていたとされる。 . Ⅲ, p. 519.
66 バルビエによれば、執筆者はアカデミーの重鎮フランソワ・シャルパンティエである。
(Antoine-Alexandre Barbier,
, 1820, t. I, p. 186.)なお、ネット上ではシャルル・ペローが序文を執筆した という説も見られるが、真偽はわからない。ペローはコルベールの秘書としてアカデミー で活躍していたので、あり得ることではある。
67 アカデミー・フランセーズの辞典初版の序文は、財務総監コルベール(1647年に会員に 選出された)がアカデミーの会議(conférence)を見学しに行った時の様子を、以下のよ
験室」と名づけ、アカデミー・フランセーズはそうして実験された言語を登録した り控訴したりする法廷であると述べたが、ランブイエ夫人の後継者であるスキュデ リー嬢のサロンについても同じことが言えるだろう68。『クレリー』という作品を有 名にしたあの「恋愛地図」も、そのような会話の中で誕生することになる。以下で は、『クレリー』においてこの「地図」が生まれる経緯を、前後の筋と併せて簡単 に説明しておきたい。
愛の始まり方
クレリーの両親は、嵐で養育係とはぐれたアロンスを引き取った後、タルクィニ ウスの暴政を逃れてローマからカルタゴへ移住し、そこでクレリーが誕生する。自 らの素性を知らずに成長したアロンスは、17歳の時カルタゴ王とその側近アミルカ ルとともにグランド・ツアーに出発、三年後に帰還してクレリーに再会する。彼女 の美貌と才気は多くの名士を引きつけ、一種のサロンを作り上げていた。そこで話 し合われた話題の一つが、「愛はいかにして始まるか」というものである。相手の 人柄をよく知らずに愛することはできないと言うクレリーに対して、後にアロンス の恋仇となるオラースは、クレリーの愛における未経験を指摘し、一瞬で生まれる
うに報告している。「〔コルベール〕氏が到着したのは、友という語を再検討していた時 だった。何よりもまずこの語の定義を決めねばならず、そのことで意見がまとまるまでに 無数の異論反論が持ち上がるのを氏は目の当たりにしたのである。問題になったのは、友 という語が相互的な友情を前提とするものかどうかということ、つまり、或る人は自分と 同じ気持を持たないもう一人の人から友と呼ばれ得るのかということだった。この問題は 文法よりもむしろ道徳に属するが、それでもその語を定義する前に解決せねばならなかっ たので、アカデミーはかなり長いことこの問題に従事した。一人ひとり意見を述べるよう 求められ、そのようにしてようやくこの語の定義は、今この辞典に印刷されているとお りに決定された。」 , 1694, t. I, la dernière page (non paginée) de la《Préface》.
68 Marc Fumaroli, 《La conversation》, dans , Gallimard, 1994, p.
145‑146. デルフィーヌ・ドゥニは、フュマロリの同書を引用し、スキュデリー嬢の会話は
「特に言語と文学に関する考察と革新の場」であると述べている。Delphine Denis,
, Champion, 1997, p. 12.