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伊良子清白の「漂白」と石川啄木の「のぞみ」の関 連について

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Academic year: 2022

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伊良子清白の「漂白」と石川啄木の「のぞみ」の関 連について

著者 藤田 福夫

雑誌名 金沢大学語学・文学研究

巻 1

ページ 66‑69

発行年 1970‑03‑25

URL http://hdl.handle.net/2297/23685

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つきかげはやや傾きぬ。かばやぎ川柳に風や永い。おしへらく、ああ我が望ふかたぶきい、哀へい、いつく夢のあと、あはれ何虚。 やなぎ洩る月はかすかにぬか額を射てほの白し。かすかなる「のぞゑ」の歌は砂原にうちまるぶ若人の琴にそひぬ。 先ず両詩を発表年次順によって記すと次のごとくである。のぞ承石川啄木

伊良子清白の「漂泊」と 石川啄木の「のぞみ」の関連について

あるは又、なげきの丘にゆめをぐさふと萠えし夢小草。根をひたすなげきの水につちかなしみ培かはれ、悲愁のにへをぱな犠と咲く黄の小花か。

わがのぞゑ、おきふし(夢の起伏、) 一一月かげの沈むにつれて、ぬか白髪」額また垂れぬ。いのちさうぴああ生命、そはかの薔薇、つぼ承なる束のまのまだ咲かぬ夢の色か。

藤田福夫

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わかうど若人はいと・美これたる絃をつな、星かげに繋塞こつつ、起ちあがり、また勇ましく、 ぬか垂れし額ややにあがりぬ。のぞみ彼は一君ふ、我が希望、と』』よ夢ならば、永世の茜蚕ょ、移り行く『時』の影おきふし起伏は、鎚已夢ぞと。

夢なれば、砂の膣の

なきがら身は既に夢の残骸。かたぶぎぬ、哀へい、いづく夢のあと、あばれ何魔。

一一一月落ちてこころ沈ぶて、なか一戸もな費)暗の中、ひといと琴は猶、のこる一絃、くもぢ・雲路にも星ひとつ、つち『のぞみ』をぱ、地に絶たず。 漂泊むしろど鳶一戸にあきかぜふ秋風吹いてかはぞひはたごや河添I旅篭屋さびしあはたびをとと一操れなる旅の男はゆふぐれそらなが夕暮の空を眺めてひくうたいと低く歌ひはじめぬ

なきは畠亡母は一ととめ魔女となりてしろぬかつきあら白雪ご額月に現はれなきち出亡父はわらは一塁子となりてまろかたぎんがわた圓雪ご肩銀河を渡る

やなぎも柳洩るよかわしろ夜の河白くかはとけぶり+との河越購えて煙の小野にふえねかすかな)○笛の音ありてたびぴとむねふ旅人の胸に鯛れたh/ ほほゑぷて、砂の原

いのち趣ひ行きい、生命の跡を。(「明星」明治三十七、十一一、辰歳十一一号)

伊良子清白

(4)

両詩の末尾に記したように「のぞゑ」は明治三十七年十二月の

「明星」発表である。詩集「あこがれ」に収らめれ、それには甲辰 ふるさと故郷のたにまうた谷間の歌はっづかな績姿ごつ上断えつつ哀しおほぞらこだまおと大空の返響の宰曰とちそここえ地の底のうめ雪この聲とまじはしらべふか,交りて調は深したびびと旅人には出母はやどりぬわかうと若人にち出くだ父は降れりをのふえけぶりなか小野の笛煙の中にふしのこかすかなる節は残れりたびぴと旅人はうたつ歌ひ續けいみどりごむかし嬰子の彗曰仁かへりほ料ゑみうた微笑ゑて歌ひつ上あり(「文庫」明治三十八、|、二十七ノ六)総ルビ表記は詩集による

十一月十九日と記されている。十一一月号の「明星」の印刷日は十一 月一一十九日となっているから啄木作詞直後投稿印刷されたことが知

られる。

「漂泊」は明治三十八年一月の「文庫」に発表されたものである。 同誌の巻末近くに「冬の夜」という総題のもとに他の一一篇「月光日 光」「無題」(「世に落魂の貴人」ではじまる十二行の作)とともに 掲げられている。後「孔雀船」(明三九、五)巻頭に収められたこ

と衆知のごとくである。

「漂泊」は啄木の「のぞみ」より発表の遅れること|か月である。 発表年月が余りに接近しているので相互関係が無いようにも思われ るが、以下記すような状景の近似と完全に語句の一致するものがあ ることからして、やはり清白が「のぞふ」を読永、自己の実際経験 にそれを織りこんで直ちに「漂泊」を作詞したものと考えざるを 得ない。あるいは一歩譲って他の作者の詩に啄木、清白両者が影響 されて、一か月の期間を隔てて発表したものかという想像は成り立 つが、現在までのところこれ左証する他の作品を見出していない。 よって此処では清白が啄木の「のぞふ」に触発され、自己の経験の

中に啄木の詩句を転用し、詩趣を深化させたものと認めたい。

両詩の共通点は主人公が「のぞふ」では若人であり、「漂泊」で は青年と思われる旅の男であること、詩に詠まれている時が夜であ

ること、点景として川辺の柳が用いられていること、「のぞゑ」の

主人公が琴を弾いている一」と、「漂泊」の主人公が笛を聞きつつ歌 っていること、詩の調子が「のぞ承」は五五、五六、五七の混合 調、「漂泊」は五七調であるが、ともに沈んだしらべが詩の舞台に

なる月夜の川辺にふさわしい標秒たる感じを伴っていることなどである。そして語句の上でば

(5)

やなぎ洩る(肌鵬棚」では)白き額、 かすかなる(「卿厭別私版剛化却ぱ州卜加歌にかよる)

の一一一語句が完全に一致することが特に注目される。これらの点よりして両詩は無縁に創作されたとは認めがたいのであるが、作品としての結晶度は勿論「漂泊」の方が遙かに高い。「のぞふ」が全八連で第二部淑特に漠然とした表面的空虚感の羅列に終っているのに対し、「漂泊」は全六連に緊縮され、景と情とが具体的に生動している。’第一連がや坐牧歌調で幻想的象徴性に欠ける.ここに最も畷木から継承されたものが残っている.l主題も「のぞゑ」が希望を失い夢の残骸を抱く青年が健かに残る一絃の琴の糸と雲路の一つ星によって希甑をかき立てられ、生命のかげを追ってゆくという一般的概念的なものであるに対し、「漂泊」は故郷に帰って旅宿に宿った青年が月光の降りそよぐ山野を眺めて追懐にふけり父母を幻想の中にしのぶという具体的なものである。実経験(幼く母を失ない、早く郷里の鳥取県八上郡曳田村を離れたこと)に根ざして幻想的ながらに孤独の情が鮮明に出ている。古典的で整然とした彫りの美しさを思わせる表現、写象の鮮やかさと幻想の深さは文庫派詩人一般が平淡に流れる傾向の多かった中で、清白は断然群を抜いているのである。しかしこの「漂泊」が「孔雀船」の巻頭を飾るほどの重み、鮮明な結晶美を持ち得て、象徴性を発揮したのはそうした清白の天賦の才によるとともに啄木作「のぞゑ」を或る程度下絵とし、その詩情を日家籠中のものとして昇華したからでもあった。啄木によって与えられた柳洩る月の光の世界に古雅な楽器の音色がひびくという状況設定の上に清白の現実の故郷と母への郷愁が重なり合って「漂泊」は生まれ出た。この 詩の全創作が清白の内面から出たものとはできないのである。「文庫」に発表され、「孔雀船」の巻頭に載った「漂泊」をもし妖木が見ていたらどんなに感じたであろうか。啄木の詩にも泣菫や有明の影響は濃厚であり、近似の語句による表現の相互影響はロマン主義時代一般の現象であった。しかし「のぞ象」と「漂泊」との間には単なる語句の類似や着想の近似以上の前後関係、デッサンと完成作との関係のようなものが認められるのである。「漂泊」に対する高い評価は詩作家としては北原白秋(改造社版、現代日本文学全集「明治大正詩史概観」)あたりに始まり日夏取之介(明治大正詩史)河井酔落(明治代表詩人.および文庫詩抄)がこれにつづく。これらに則りつつ諸学者の研究書も「漂泊」を調いこれを評釈しているものが多い。しかしこの詩について「|」の幽玄と幻覚とはほとんど解釈を越えての魅力である。筋のひびきのような、煙の流れのような、捉えんとして捉えることの出来、、、、、、、、、、、、、、、、ない感興だ。清白の詩人的天分が偶発したもので永く生命を保つ詩であろう。」(明治代表詩人・傍点藤田という意見には先行作の影響が考慮に入れられて居らず、全面的創作と見てやや過褒の趣なしとしない。立派な作品である一」とは勿論であるが、先行作を持ちつつ純化されて行った事実を認める必要があると思うのである。

本稿の内容については筆者は二十年近く前金沢大学で催された北陸国文学会の席上発表したことがあるが、衆知されている些細な問題のことのようにも考え、研究雑誌類には記さないままで今日に至った。しかし「漂泊」の価値が定まるとともに各種の評釈書類がこの詩を解説することが多くなったが、啄木詩との関係を指摘したものは見当らないようであり、最近は影響を与えた方の啄木の「のぞふ」の注も『日本近代文学大系」(角川書店」に載るようになったので改めて此処に紹介の筆を執った次第である。

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