親の教育権と個人教育情報の開示に関する一考察

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(1)平成6年度 学位論文. 潔襲製固人教育龍の開示に. 兵庫教育大学大学院学校教育研究科 学校教育専攻 教育経営コース. M93052A岡崎下学.

(2) 一一・一一・一繍 @. 目. 次. 駅一一一一一一一. 序 章. 教育情報と親の教育権 …・・…・・……・・…・……・…・…1. 1. 研究テーマ ・・………………・・………・・…・・…… 1. 2. 研究テーマ設定の理由 ・・………………・…・・…・…・1. 3. 研究目標 ・……・・…・・…・■・… …………・…ii・・…4. 4. 研究仮説 ・…・… …………・・…………・…・… …・5. 5. 研究の方途 ……・…………… …………… …・… 5. 第1部. 自然法思想にみる親の権利 ・…・・……一……・…・……6. 6. 自然法思想と日本国憲法とのかかわり ………・…・…… 6. 7. 自然法思想の流れ ………・…・… …・……・………・8. 8. 自然法思想における親の教育権 ・…・・…………… …・13. 第1[部. 親の教育権の構成と内容. …… …・……・…・・…・・……17. 9. 基本的人権としての親の教育権 ・・…・・………・… ……17. 10. 知る権利・プライバシー権と親の教育権 ………………24. 11. 親の教育権に内在する知る権利・プライバシー権に基づく. 個人教育情報開示請求権 ・…・…・………・・…・・…・…28 12. 児童の権利に関する条約等にみる国際的な親の教育権の動向・・37. 第皿部 教育の個人情報開示請求例における親の教育権の存在意義 …・43. 13 内申書開示請求例にみる親の教育権 ・・……………・…・43 14 指導要録開示請求例にみる親の教育権 ・・……・…・ ・…52 第IV部 親の教育権に基づく個人教育情報開示請求のまとめ(結論)と. 今後の動向 ■■…・・……・・…・… ……………9…・・…55 15 親の教育権に基づく個人教育情報開示請求のまとめ(結論)・・55 16. 今後の動向 ・…・・……・・……・…… …・………・… 57.

(3) 序章教育情報と親の教育権 1 研究テーマ この論文における研究テーマを、次のように設定する。 「親の教育権と個人 教育情報の開示に関する一考察」. 2 研究テーマ設定の理由 わが国において一般行政情報公開が問題とされるようになった背景として、 情報公開問題研究会{1)の中間報告によれば、①国民が、自己の権利・利益の 保護を図るため、処分等の基礎となった文書・資料の公開を求めるようになっ たこと、②社会全体の情報化の進展や行政機能の拡大により、行政機関に大量 の情報が集積していることから、これらの情報を有効に活用すべきであるとし. て、その公開を求めるようになったこと、③昭和40年忌になって、公害、環 境問題、消費者問題等が顕在化し、日本各地で公害等の被害者団体や消費者団 体が中心となって住民運動が活発化し、関係省庁や地方公共団体、企業等に対 して、情報の公開を求めるようになったこと。また、行政機関には安全確保や 環境保護に対する責任があると考えて、行政機関に対して紛争に係る企業に関 して保有している情報の公開を求めるとともに、行政機関自身の各種計画や基 準策定の基礎データあるいは決定にいたる審議過程に関する資料等の公開も要. 求するようになったこと、④昭和50年代に入り、ロッキードあるいはダグラ ス・グラマンの航空機疑惑事件等を契機として、政治・行政の透明性の確保や 行政の監視という観点から、行政情報の公開を:求めるようになったことが上げ られている。. 地方公共団体のレベルでは住民の要求におされて80年代から一般行政情報 について情報公開(公文書公開と個入情報開示〔2))の制度化が進んできてい. る。このような流れの中で、教育情報についても例外ではなくなり、川崎市・ 町田市・豊中市・箕面市・高槻市・西宮市各教育委員会等における調査書(い わゆる内申書、以下内申書という)や指導要録等の開示が大きな社会問題とな り耳目を集めていることは記憶に新しいことである。今後、このようなケース は増加の一途を辿るものとたやすく予想されるところである。. 一1一.

(4) しからば、なぜこのように内申書や指導要録等についての教育情報が、開示 請求されるようになってきたのであろうか。一般行政情報の公開(開示)が問 題とされるようになった背景と重複することであるが、教育に関しては特に次 のようなことが指摘されている。 「①体罰・いじめ、校則違反と受験等、生徒 の人権・権利に関わる個別の事例や裁判の中で、内申書の内容が父母・生徒、. 市民から具体的に問われている。②内申書以上に、体罰・いじめ・学校事故・ 登校拒否に関する教育委員会への報告書の内容的正確さや妥当性が問題にされ、. 報告書の開示請求が広範囲になされ相当多くの教委が開示している。③内申書. の記載内容とも相当程度照応し、これまで20年問学校に保存され、対外的証 明言として活用される可能性を持ったr指導要録』の記載内容の妥当性と扱い が、通知表との関係をも含めて問題になりはじめている。④それらの要求、議 論と市民運動が単なる教育要望や運動としてだけではなく、 r子供の人権・権 利』『父母の教育権』や、個人教育情報の開示と適正な管理、生徒・父母の知 る権利、プライバシーの保護という視点から、つまり、人権・権利論として提 示され、展開している。⑤一般教育情報の公開や個人教育情報の開示の要求が、 都道府県・市町村の情報公開条例や個人情報保護条例に基づいてなされ、いじ め・体罰の事故報告書や高校別退学者数等の閲覧・コピー入手が可能になって いる。」(3)このようなことが教育情報公開(開示)の背景として指摘されて いるのであるが、しかし、市民社会化の進展に伴い、国民の権利意識への目覚 め、教育観の変容等が顕著な中で、その根底には現行教育の歪みに対する学校 (教員)や学校教育に対する拭いされない親の増幅された不信感が大きな蔭を 落としており、教育とはいったい何なのか、誰のためにあるのかと問われてい るものと推察される。. こうした背景の中で教育情報を公開(開示)することによって、現在の学校 教育の在り方をどのように変えることができるのであろうか。教育情報の公開 (開示)請求が相次ぐ中で、教育委員会や学校は公開(開示)すると評価の公 正さや客観性が損なわれる可能性と指導資料としての機能が低下する恐れ等が あるとする今までの経緯の中では情報公開(開示)については否定的な考え方 にならざるをえないであろう。しかし、学校が収集・蓄積した教育情報は、本 来子どもとその親に知らせて、子どもの人間的な成長とその指導に役立てるべ. 一2一.

(5) きものである。そうすることによってこそ子ども・親と教師の信頼関係が深ま り教育の実を上げることが期待されるものであると考えられる。成熟した現代 民主主義社会においては、学校が保有する情報を適切に管理・公開(開示)す ることが、開かれた学校の要件でもあろう。. この問題は、畢寛子どもの教育を受ける権利・学習権iと親の教育権を保障す る学校教育の在り方を問うことに帰着すると考えられる。そうであるならば、 これらの権利、中でも子e“もの教育を受ける権利・学習権iを保障する親の教育. 権に基づく教育情報の公開(開示)が、意味を持ち得るものと考えるものであ る。(ω. ところで、国レベルにおいては情報化社会の進展に伴い「行政機関の保有す る電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」、いわゆる個入情報保 護法はあるものの、地方公共団体にみられるような本格的な情報公開の制度化 には到っていない。最近の政府スポークスマンやマスコミの伝えるところによ ると、今までの政党による立法化の動きや急激な情報化社会の進展等に触発さ れてか、国の段階においても情報公開法の法制化に本格着手の時期にあるよう である。. そこで、今までの情報公開(開示)の制度化の過程と現状を整理し、教育の 個人情報開示の限界や制度等の本来の在り方、就中親の教育権に基づく個人言 責山面開丞の方扶を追究し、民主主義制度の根底を支える教育をより開かれた ものとする方途を探りたい。. (1) 昭和58年3月臨時行政調査会の最:終答申を受けて、昭和59年3月 「情報公開の制度化についての諸問題について調査研究」のため総務庁. において設置された(座長:成田頼明)。平成2年9月中間報告を答申 した。. (2) 情報公開制度には公文書公開制度と記入情報開示(保護)制度の2つ が含まれる。公文書公開制度は国民や住民が知りたいと考える公文書を 公開請求できる権利を保障し、行政側に公開を義務づけたものである。. 個人情報開示(保護)制度は行政当局が保有する個人情報を収集・管理. 一一. R一.

(6) ・利用する際の取り扱い方法を定めるとともに、自分に関する個人情報 の開示・削除・訂正等を求める権利を保障したものである。. (3) 今橋盛勝 r内申書の開示と高校入試の改変』 (明治図書1993. 年) 13∼14頁 (4) 情報公開問題についての法律論的アプローチの方法としては、まず、. 「知る権利」を基にして論究していく手法が一般的には考えられる。前. 掲注(1)の情報公開問題研究会の中間報告によれば、行政情報の開示 請求権の性格として行政情報開示請求権と「知る権利」との関係につい て、次のように言及している。 「行政情報の開示請求権iについては、い. わゆるr知る権利』に関連して、主として憲法第21条の表現の自由に 根拠付けられるかどうかが論議された。(ア)行政情報の開示請求権につ. いては憲法上明文の規定はないが、表現の自由の保障(憲法第21条) が自由な情報流通の確保をも保障していると考えれば、請求権的なもの も表現の自由の一環として含まれるとする考え方がある。……(イ)一 方、表現の自由の保障は、言いたいことを言う自由、公表された表現を 受け取る自由の保障ということであり、広く解しても表現行為のための 取材の自由までが保障の限度であって、行政情報の開示請求権のような 請求権的なものは含まれない、あるいは、開示請求権の根拠は憲法に求 めるとしても、どのような措置を講ずるかについては、憲法上一義的に 定まっているわけではなく、広く立法政策に委ねられているとする見解 もあった」とする。. 3 研究目標 親の教育権に基づく個人教育情報の開示請求、特にその限界や内容・方法は 如何にあるべきかを、まず、自然法思想の流れの中から親の教育権を導き出し、 その親の教育権による教育情報の開示請求権の存在を明らかにするとともに現. 在までの教育情報公開(開示)請求の状況を整理し、個人教育情報開示請求制 度の限界や内容・方法は本来いかにあるべきかを、民主主義システム及び日本 国憲法・教育基本法体制の枠組みの中で構築する。. 一4一.

(7) 4 研究仮説 次のように研究仮説を設定し、考察を進めることにする。 「教育の個人情報. の開示請求は、本来親が自然権的に持っていると考えられる子どもを教育する 親の教育権に基づくならば、全面的に認められてしかるべきであろう。」. 5 研究の方途 まず、教育情報公開(開示)請求における「情報」とはどのような内容や条 件を備えたものをいうのかを探り、その方法や問題点を考察する。. 次に、我国の戦後の教育はユ946年の米国教育使節団報告書に基づく教育 改革により、日本国憲法と相まって教育基本法体制が樹立されたものである。. その日本国憲法は近代自然法思想に立脚したものであることは大方の論者の認 めるところである。そこで現在の教育基本体制を理解する前提として、日本国 憲法の中を流れている基本思想を考察しておくことが必要である。少なくとも、. 日本国憲法の基本原則とされるもののうち基本的人権の尊重と国民主権主義が 近代自然法思想論と深く関わっており、欧米におけるそれを考察するとともに、 自然法思想に基づく親の教育権の存在を確認することがまず必要である。. さらに、その自然法思想の流れの中から、子供が本来的に持っているとされ る学習権を考察し、それと親の教育権との関係について明らかにしたい。つま り・子供の学習権を保障する自然法的な親の教育権を導き出したい。そうした 上で、自然法的な親の教育権に基づくならば教育の個人情報の開示請求権は全 面的に認められてしかるべきであることを理論づけたい。また、その際、戦後 教育の最大の争点であるとされる教育権問題についても整理をし、自然権的な 考えの流れの中から本来親が持っていると考えられる子どもの教育権の再構築 を試みたい。. 以上の考察を経た後に、教育め個人情報開示請求の今までの流れ及び現在の 状況を検討し、問題点を整理したい。現在裁判が進行中である地方公共団体レ ベルでの高槻市や西宮市・町田市等の状況を詳しく検討することによって今ま で問題となった教育の個人情報開示請求の争点を整理し、制度上の問題と理念 との関連を検討の上、現在の新たな動向をも加味して、教育の個入情報開示請 求制度の在り方を親の教育権との関係で追究する。. 一5一.

(8) 第1部 自然法思想にみる親の権利 6 自然法思想と日本国憲法とのかかわり わが国の戦後の新教育体制は日本国憲法の考え方と相まって成立したもので ある。戦前の大日本帝国憲法・教育勅語の下における国家主義的教育体制の批 判・否定の中から教育体制の原理的転換がなされ戦後の教育改革で新教育体制 が樹立されたのであった。その戦後の教育改革は、当初ポツダム宣言の受諾に. 基づく占領政策の一つとして着手され、その後1946年忌米国教育使節団報 告書にもとづきなされたものであり、これにより日本国憲法とそれに続く教育 基本法の公布と相まって日本国憲法・教育基本法体制が樹立されたのである。 そのわが国の憲法であるが、 「日本国憲法は自然権思想にもとつくとするの. が一般通説である。従ってまた日本国憲法が近代自然法思想に立脚するもので あることも、大方の論者の認めるところである。少なくとも、日本国憲法の基 本原則とされるもののうち、基本的人権の尊重と国民主権主義が近代自然法論. と深くかかわるものであることは何人も否定できない」(pとする見解や「日 本国憲法はいわゆる欧米民主主義憲法を範としたもので、かかる民主憲法を継 受することによってその法思想の支えである自然法思想をも受容することとな. った。このことは国民主権 とくに8基本的人権』にかんする諸規定について. 言うことができる。すなわち、日本国憲法は3章r国民の権利及び義務』の個 々の規定に先立って、11条にr・…基本的人権は、侵すことのできない永久 の権利…・』であることを明記しているのみならず、また念をおすかのように. 97条でもr… 基本的人権は、・…現在及び将来の国民に対し、侵すことの できない永久の権利として信託されたものである』と締めくくっている。この. ように、日本国憲法は基本的人権がr侵すことのできない永久の権利』である と規定することによって、自然権を中核とする近代自然法論を受容し、実定法 化しようとした」(2》ものとみることができるとする見解がある。つまり、日 本国憲法は欧米の近代民主主義思想、なかでも自然法思想の影響を色濃く受け てできあがったものである。そして、教育基本法を中心とする新教育体制は、. この憲法の理念を実現すべく旧教育体制を改革したものである。従って、現在 の教育体制を理解する前提として日本国憲法の中に流れている基本思想なり理. 一6一.

(9) 念を考察しておくことが必要であると思われる。特に、これから自然法思想を ベースにしていると考えられる親の教育権について考察していく場合、日本国 憲法が継受している政治的・経済的・社会的な背景である近代の教育思想をも 十分検討していく必要がある。. そこで、次にこの自然法思想について幾ばくかの考察を加えておくことが親 の教育権等について考えていく上で重要な契機となるものと思われる。. (1) 佐伯宣親 r近代自然法論の研究』 (成文堂1991年)序論1頁 (2) 井上 茂編 r岩波講座現代法13現代法の思想』 (岩波書店1. 972年) 113頁. 一7一.

(10) 7 自然法思想の流れ そもそも自然法とはどういうものであろうか。学校教育法や民法・刑法等の 法(実定法)というものは時間的(歴史的)、空間的(場所的)に変化するも. のである。「このようなr法』の可変性に対して、永遠不変の自然法という考 え方がある。すなわち、ii’法』の根本に、あるいはr法』の本質として、時間. 的にも空間的にも不変であるところの自然法というものがある。…・自然法思 想は、一方において、われわれの生活を実際に規律する現実のr法』の存在を 予想している。しかし、他方において、時と所とによって変化する現実のr法』 の根本に、あるいは現実の[i’法』の本質として、永遠不変の自然法があるとい. うふうに考える。それは現実の『法』はさまざまに変化するけれども、その核 心は不変であるという思想」(Dにほかならない。. また、自然法論の対立概念であると言われる法実証主義が実定法をどのよう に理解するかを検討し、自然法概念を導き出す次のような見解もある。何とな れば、法実証主義と自然法論は、歴史的にも理論的にも対立を続け、法哲学に. おける中心問題であるからである。自然法論の対立概念であると言われる法実 証主義は、自然法論に対立する批判として近代初期から発展をした考え方であ る(2)。自然法論は先に実定法、その後法実証主義に対する批判としてその理 論を発展させてきたものである。法実証主義の根本主張を明らかにしたベルク ボーム(Karl Bergbohrn 1849∼1927)は、次のように言う。 「『極悪な法律で. も、それが形式的にさえ正しく作られていれば、拘束力あるものとみなさなけ. ればならない』。また、もっと簡潔にr実定法のみが法であり、そしてすべて の実定法は法である』。この主張を認める学説が法実証主義であり、これを認 めない学説が自然法論である」(3)ということができる。しかし、 「現代にお. いて自然法論はより確かな法的実定性をそなえることが要求される。その場合、 自然法は実定法と別個のものではなくむしろ実定法の中に内在すると考えるの. である。従ってr実定法でなければ法として認めない』という法実証主義の見 解は自然法論となんら抵触するものではない。しかし、たとえ実定法であって もただちに法とはならないという条件を残すところに自然法論の特殊性」(4) がある。 「法律的に実定法から独立した所与としての自然法(Naturrecht)は. 認められないが、実定法に内在するものとしての自然法が認められるのである。. 一8一.

(11) この立場が現代では自然法論といわれている学説である」〔5)とする。. このように自然法の概念は極めて多義的で漠然としたものであり、古くから 種々雑多な意味に解されてきた。しかし、それらの中で共通項を拾い出してみ ると次のような実定法等の他の領域においては見られない幾多の特色を挙げる ことができる。まず、その普遍妥当性が考えられる。実定法は時闘と空間の制 約におかれるのに対して、自然法は、名は法であっても、法を超越する何らか の普遍的な価値理念であるといわている。次に実定法と異なってそれが国家に よって保障されたものではなく、法の価値理念としては、時と所をこえて妥当 性を有するが、それ自身強制力もなく、したがってまたそれ自身としての実効 性はもちろんない。最後に自然法は既存の国家における実定法的秩序に対して、. 絶えず新しい社会的要求に応じ、批判的原理及び指導原理として援用されると 同時に、その反面現存秩序が自然法に基づくものであるとし、現存秩序を擁護 するためにも援用されるということである。. 従って、自然法とは、人の社会生活に関する当然の道理として人の行動を規 律する永久的、普遍的な法則乃至規範であって、歴史的社会制度に対して理想 的な意義をもち、しばしば実定法の理念的法源乃至批判の基準と考えられてき た抽象的な観念である。しかし、何が永久的、普遍的な法則であり規範である かは歴史的にみて必ずしも一様ではない。自然法はある特定の時代に、特定の 社会的・経済的構造の上に、特定の社会的・階級的な利害や要求を反映し、そ れを実現し確立する理論として主張されたのである。それ故に現存の実定法秩 序が根本的に肯定され、何らの不都合をも示さないときには、自然法は主張さ れる必要はないのである。現存秩序の否定に立って、自己及び自己と同一階級 の属する社会的発展のために新しい、あるべき社会構造・政治制度・法体系を 必要とするとき、この現実の実定法秩序を批判する原理として自然法の観念が 支配的となるのである(6)。そして、自然権とはこの自然法によって認められ る権利であり.、在るべき社会・理念としての自然法を具体化するものであると いえる。. さて次に、このような自然法思想は一体どのように発展してきたのであろう か、その概略を見ておこう。まず、古代ギリシアにおいて「自然の支配には従 わなければならないという素朴な自然法思想」(7)から発展して、人間を対象. 一9一.

(12) とする問題に移り、ソフィストと呼ばれる人々やストア学派の考え方を経て、 「次第にそれが事物および人間の本質的な在り方を示す法としての理解」(e). へと進んでいったのである。この自然法の思想が哲学的・倫理的な思想として でなく法思想として定着し得たのはローマ法の発展に負うところが大きかった。 ローーマ帝国の建設に伴ってローマ法はいわゆる市民法から万民法へと発展・移. 行していった。この「市民法から万民法への発展こそ、個別的なものから普遍. 的なものへいいかえればr自然法』(jus naturale)への志向をローマ社会 に定着させる」(g)ものであった。. 次に、中世であるが、中世は全てをキリスト教が支配する社会であり、キリ スト教を抜きには語り得ない。教父達q。)は古代ギリシア・ローマの自然法思 想、とりわけストア学派の自然法思想をキリスト教の理想と同視し、キリスト 教の原罪の思想を媒介としてキリスト教神学を理論化し、体系化したのである。. 最後に、近世の自然法思想は、時代の大きな変革を反映して多くの自然法思 想の理論的体系の確立が図られた。それらには「ともに自然状態を想定し、そ こにおける人間を自由平等な存在者としてとらえ、これらの人々の自由意思に もとつく社会契約によって、国家の成立をとくという根本的な共通性のある事. 実を見逃すことはできない。ここに中世的思考様式と異なった、個人主義的世 界観にもとつく近世自然論の特色が見受けらる」Cll)のである。この近代自然 法の特色を今少し詳細にみていくと、次のようなことが挙げられる(12)。①人. 闇の本性という考え方がそこに一貫して流れている(近代自然法思想における 「自然」は、 「人間の本性」という意味である)。②思考方法において合理主. 義に立脚している。③社会契約説と不可分の関係をもって展開された。④人間 は自然法上の基本的な権利を持つという考え方を伴った。⑤法と道徳の分離が 明確にされてきた。特に④については、この論文の憲法上の基本的入権である 親の教育権の考察とも関連して、後で述べるようにこの「人権(思想)は、そ れが自然法上の基本的な権利であるというところに、特有な理論的根拠が求め られる。それは、法律によっても侵すことができない権利という意味であり、 人間に固有の権利と考えられる」q3)ことに他ならない。 このように自然法思想の発展は、 「古代の自然法の考え方というのは、…・ ・・. ネんといっても、そこでいう自然(nature)は、きわめて素朴なr天然・自 一10一.

(13) 然』、あるいは人為に対しての自然という意味を基礎にもった。また中世にお いては、キリスト教の神が自然法の源泉とされ、従って神によって定められた 規則が自然法として観念された。ところが近代初期の自然法思想は、ことに中 世のそれが神中心の自然法思想であったのに対して、人間中心の自然法思想で ある」(24)ということができる。. この後の自然法思想は19世紀前半にその地位を法実証主義に取って代わら れるかに見えたが、19世紀半ばキルヒマン(J.h.v.Kirchmann 1802−1884). によって口火を切られた実定法の恣意性・感情性等の批判により法実証主義は 試練を迎えることになり、自然法思想の再確認がなされるのである。. なお、近代自然法思想の特徴のひとつである上記の「④人間は自然法上の基 本的な権利を持つ」ということが近代憲法の基本的人権規定として実現される に到っているが、このことは、市民社会と呼ばれる近代の社会定型なしには考 えられない。 「個人を単位として契約によって成立するものと構想された市民 社会こそ、近代自然法論の歴史的具現であり、社会定型」(35)であるからであ る。 「近代憲法に内在する自然法理念を日本国憲法が受容するには、なにより も市民社会を日本において実現することが必要」(16)だと考えられる。市民社 会という基盤がなければ、憲法の諸規定も近代自然法論も空論となろう。. (1) 天野和夫 r法思想史入門』 (有斐閣 1972年) 52∼53頁 (2) その先駆としては、ベンサム(J.Bentham 1748∼1832)の功利主義法 二等があげられる。. (3) ホセ・ヨンパルト r実定法に内在する自然法』 (有斐閣1979年). 6∼7頁 (4) ホセ・前掲8頁 (5) ホセ・前掲9頁 (6) 田辺勝二 r日本国憲法と教育権の理論』 (高文堂出版社1978年). 90∼105頁 一11一.

(14) (7). 天野・前掲53頁. (8). 天野・前掲54頁 天野・前掲56頁. (9) (10). 古代末期から中世初期にキリスト教の教義を確立した人々を指す。. (11). 田辺・前掲101頁 天野・前掲88∼97頁 天野・前掲95頁. (12) (13) (14). 天野・前掲87∼88頁. (15). 井上 茂編 r岩波講座現代法13現代法の思想』 (岩波書店1. 972年) 115頁 (16). 井上・前掲115頁. 一12一一.

(15) 8 自然法思想における親の教育権 人間は自然界の中にあると共に社会の中にあって共同生活を営んでいる。入 問は社会的動物であるといわれる所以である。このような中で「お互いの生活 を合理化してよりよき生活を保持するためには、すべての意味において積極的 な活動が必要である。そのためには、絶えず新しい知識と技能が要求されるの である。それゆえ人間が人間として生存しようとすれば必然的に教育を前提と しなければならないのである。つまり、生活が成り立つためにはその中に教育 があり、教育がつくりだすものによって、次の世代の社会生活関係が成り立つ というように、教育と生活は密接不可分の関係にある」(vのである。. この社会の中にあって親子の関係は、他の人間諸関係と異なって次のように 特別な関係がみられる。民法によれば、親権を行う者は、子の監護及び教育を. する権利を有し、義務を負う(第820条)ことになっている。親権の一部と して民法に規定された「この親の教育権はその起源を婚姻・家族制度に発し、 親子という自然的血縁関係に基づくもので、いわばr親族上の原権』 (fami− liares Urrecht)に属する。婚姻及び家族の理念の中には、その本質的要素と して必然的に子女の教育という機能を当然包含していると解される」ζ2)から. である。子どもは親の血を分けた子である。子供は親のつくった家庭で生まれ 育てられる。子どもは未熟であるが故に親の援助無しには生存・発達は到底不 可能である。それに、親はわが子に対し肉親の愛情を持ってその人生の幸福を. 考え、教育に当たることができる。この「親の子に対する愛情はr自然から与 えられた教育財』だといえよう。こうして、1・メスナーによれば、 r教育に おける第一義的かつ不可欠な力としての親の子に対する自然の愛1青が、道徳上 および自然法上、親の教育権を根拠づける』のである」(3)。そして、 「家族. は人類の発生と同時に存在し、それは国家に先行する社会の基礎単位であると ころがら、一般に、この権利は『始源的・前国家的・不可譲の人問の権利』、 すなわち『自然権』 (na甜rliches Recht>」(4)であると解されている。自. 然法とは、 「人為から独立の何らかの自然的な事態・秩序にもとづいて存立す るものとされる、正しい人間生活のための規範だとすれば、親の教育権iはまさ しく自然法的な権利」(5)だと見られる。また、「親が自分の子を教育する権. 利は、憲法や法律に書かれる以前の『自然法』的な権利だとよく言われる。親 一13一.

(16) の教育権が、自然の親子関係にもとづいて子の生まれながらの学習権を保障す る、条理上当然の手だてだという意味でなら、自然法的と言っても悪くはない。. 少なくとも、自然の条理にもとつく権利としてr自然権』とよばれるにふさわ しい」(6)とする見解や、子どもの学習権iを認めた文脈の中ではあるが、「親. は、子どもに対する自然的関係により、子どもの将来に対して最も深い関心を もち、かつ、配慮すべき立場にある者として、子どもの教育に対する一定の支 配権・…を有する」(7)とする見解等もあり、わが国においては親の教育権は 自然法に基づく自然権だとすることに特別問題はないようである。このように して自然法思想における親の教育権を導き出すことができる。. ところで、このような自然法に基づく親の教育権の法的性格については、神 から賦与された自然権であり神法に由来する親の教育権は始源的・超実定法的 自然権として、いかなる人間社会の法にも優先し、世俗のどのような権力によ. っても侵され得ない(神法は国法を破棄する)とするカトリック自然法の立場 (形式的自然法)はとうてい肯認することはできず、現代の立憲制法治国家に. おいては親の教育権の自然権たる所以のものは、それが自然的共同体たる家族 ・親子関係の本質に由来し、所与の権利として国家によって承認された権利だ. ということにある。それに、この親の教育権は、カトリック自然法の超実定法 的自然権とは解されず、国法的規律の範囲内にあり、法治国家の原則からの自. 由を享受してはいない。そして、親の教育権が自然権という以上、通常の権利 とは異なり特別な重みと強固さが予定されていると見るべきであり、具体的た は、①子どもの教育に対する第一次的な権i利と責任は親にある、②実定法上明. 文の根拠規定がない場合でも、親としての自明の権利として既に条理上保障さ れている、③実質的意味における自然権として実定法に対する規制原理として の法の価値理念を包蔵している、④通常の権利よりも憲法上優越的な保障が与 えられている、⑤自然法上の存在としての家族制度と関わって、国や地方自治 体は、濫用や解怠がある場合を除き、親から教育権iを剥奪したり、その本質的 な内容に介入してはならないという義務を負っている等の法的効果がもたらさ れる。8)。. なお、現在この親の教育権は、子どもが一個の人間として成長・発達し、自 己の人格を完成・実現するために必要な学習をする固有の権利を有するとする. 一14一.

(17) 学習権説(教科書裁判杉本判決・学テ最高裁判決)に対応し、その充足をはか り得るものでなければならないことはいうまでもない(g)。 「子どもの学習権. が近代憲法上r学習の自由』として有ったはずだと解されるのに対応して、親 の教育権は近代憲法以来『教育の自由』の主要な一翼をなしてきた」CIB)ので ある。. このような視点に立って、親の教育権にもとつく個人教育情報の開示請求の 考察をこれから進めようとするものである。. (1) 田辺勝二 r日本国憲法と教育権の理論』 (高文堂出版社1978年). 175頁 (2) 結城忠r教育法制の理論一日本と西ドイツー』 (教育家庭新聞. 社1988年)16頁 (3)結城忠「親の教育権と学校教育(4)」季刊教育法第83号 (1990年) 102頁 (4) 結城・前掲 r教育法制の理論一日本と西ドイツー』 16∼17頁 (5) 結城 忠 『学校教育における親の権利』 (海鳴社1994年) 5. 7頁 さらに、 「ワイマール憲法(1919年)はr子を教育して、肉 体的、精神的及び社会的に有能にすることは、親の至高の義務かつ自然 的権利(oberste Pflicht und natifrliches Recht der Eltern)であ. (る)』 (120条)と書いて、親の教育権の自然権性を憲法明文を持 って確認している」という。 また、 「英米においても、親はコモン・. ローにもとつくnatural rightとして、子どもの知的及び道徳的な育成 を指導する始源的かつ不可譲の権利を有するとされ、そしてこの権利は、 学説・判例上、通常の憲法上の権利ではなく、 r基礎的な憲法上の権利』 (fundamental cons七itutional right)だと見徹され」ているとする。. (6) 兼子 仁 『国民の教育権i』 (岩波書店1972年) 52頁 さら に、続けて、 「西ドイツのボン憲法6条2項は、 r子の監護と教育は両. 親の自然的権利であり、それとともに何よりも両親に課された義務であ 一15一.

(18) る。』と明記している」とする。 (7) 昭和51年最高裁学テ判決 ii’教育判例百選(第3版)』 ジュリスト. 第118号18∼19頁 (8) 結城・前掲58∼63頁 (9) 子どもは「社会的存在であり、かつ社会的存在になるべき可能態であ. る。それは、未来の社会の主要な構成員である。……子どもは学習を 通してはじめて社会的存在となりうる」。 堀尾輝久 r現代教育の思想. と構造』 (岩波書店1992年)217頁. (10)兼子仁r教育法〔新版〕』(有斐閣1990年)205頁. 一一. P6一.

(19) 第II部 親の教育権の構成と内容 9 基本的人権としての親の教育権 歴史が示すように、日本国憲法は自然法思想の影響を強く受けた近代憲法の 流れを汲むものである。自然法思想の中で考えられた親の教育権は、始源的で 前国家的・不可譲の権利と捉えられるものであった。こような親の教育権は、 今日憲法上の保障を得ているとすることは、異論の無いところだと考えられる。. つまり、基本的人権のカタログの中に親の教育権として存在し得るところのも のである。. しかし、この親の教育権は基本的人権の中で他の人権とは異なって極めて特 殊な性格を持つものと見ることができるのではなかろうか。それは、子どもは 生まれながらにして教育を受け学習することにより人畜的に成長・発達しその 能力を全面的に開花できるようにしていく権利を有するものであるtl)という 子どもの教育を受ける権利(学習権)及び親子関係とも対応して、複雑且つ包 括的なものとみることができる。そこでは、①親の個人的な教育の自由権iに属 する基本権である、②子どもの利益に向けられた承役的基本権である、③社会 的基本権である、④子どもの教育についての包括的な基本権である、⑤親の集 団的基本権である、⑥公教育運営への参加基本権である等の特徴を挙げること ができる。2>。. これらのことを敷術すれば、①については、自分の子どもに対してだけ機能 する自由権的基本権に属し、子どもの人権や親の教育権に対する不当な介入に は防御権や妨害排除請求権として機能するものである。②については、結果的 に親自身の利益を図ることがあっても、主として子どもの利益に向けられた基 本権である。③はいうまでもなく社会権的機能を持ったものである。④は、親 子関係の包括性に対応しており子どもの発達に関わるすべての事柄に及ぶ全体 的なものである。⑤は集団性を持つ学校教育関係等の事柄については親が集団 化することによって行使することができる基本権である。最後に⑥については、. 学校教育に関して親と学校の協労関係や親の教育権の委託関係という側面等か ら少なからず機能を有するものである。. また、親の教育権の性格については、 「きわめて自然的・普遍的かつ絶対的. 一一. P7一.

(20) なものとされ、それは他のあらゆる権i利に優先し、先行するものであり、また 譲渡あるいは収奪することを得ない自然法的権利」であり、 「権利と義務とを 伴う包括的な性格を有する」ものであるという同様な見解〔3)も見られる。. このように親の教育権は、今まで確認されてきた在来の基本的人権の理解に 加えてコンパウンドな、複合的な特徴を併せ持つものと考えられる。. ところで、親の教育権に関する規定は、ワイマール憲法をはじめとして多く. の国の憲法の教育条項〔のや世界人権宣言・子どもの権利に関する条約等の中 に存在し、親の教育権が憲法で保障されていることについては争いの無いとこ. ろである。しかし、わが国の憲法には、その条文上に直接規定された箇所が見 当たらない。このことに関しては、 「憲法が掲げている人権の種類、範囲は限. 定的なものと解するべきではなく、第11条にいうrすべての基本的人権』の 中に両親の子に対する教育権が包含されると解することが妥当である。すなわ. ち第11条にいうr基本的人権i』は、普遍的、不可侵的かつ永久的なものであ り、これはまた人間に固有なものと考えられ、いわゆる、自然法上の観念なの である。そのことは、両親の教育権についてもまったく同様なことであり、わ が憲法第3章の国民の権利及び義務中に明文をもって規定されてはいないが、. 両親の教育権はまさしく第11条にいうところの基本的人権の一種」(5)であ るといえる。然らばその具体的根拠を憲法上の何処に求めることができるので あろうか。この根拠条項に関しては、諸説がみられる。. まず、両親の教育権についての直接の根拠を、憲法第26条第1項(教育を 受ける権利)に求め得るとする説(6)がある。また、憲法第26条第1項とも. 関連して憲法第26条第2項の親の義務から根拠を見いだそうとする見解もあ る。次に、憲法第23条(学問の自由)(7)や第24条(家族生活における個 人の尊厳)(8)に求め得るとする考え方もある。さらに、憲法第13条(個人 の尊重、生命・自由・幸福追求の権利)に求めるとするもの等諸説がみられる も、未だ通説といったものは確立していない。. そこで、親の教育権の存在が自然法思想に源流を持ち、近代憲法の中で確認 された基本権であるということ及び憲法第13条は包括的な人権規定であり、 「環境権」や「人格権」・「プライバシー権」等の新しい人権は憲法第13条 に根拠を有していること並びに親の子どもに対する教育は子どもの人間的成長. 一18一.

(21) や人生における幸福追求に関して子どもの利益と相関していると見られること. から、憲法第13条に親の教育権の根拠条項を求めることも由あることと思わ れる。さらに、この憲法第13条との関係も考慮しながら、自然法思想と親の 教育権との関係を今少し掘り下げて考察すると次のようなことがいえる。人閤 は自然的存在であると同時にきわめて社会的存在であり、人間が人間としての 生活が成り立つためには教育が必要である。人間が教育をし教育を受けること は自然法に基づく権利として考えられるものであった。自然法に基づくこれら の権利は、その後の歴史を経て基本的人権の具体化として憲法の中に教育権と して保障されるようになった。親の教育権の経緯についても同様であり、親の 教育権は親として子どもに対する当然・自明の権利であり、したがって「それ はfl憲法上の根元的基本権』として憲法秩序の基底に位置していると見られ、. またこの権利は、それ自体、独自の個別的基本権として積極的な意義を有して. いる。」「親の教育権は歴史的にはr教育の自由』の第一次的な実態をなして きた、ということも考慮する必要があろう。とすればその直接の根拠はr憲法 上の自由』に求めるのが妥当」(g)であると思われる。もともと自由権は憲法 上規定がなくても、その生成過程を想起するならば、人権保障として合理性が あるものは自由権の一種として憲法で保障されているものと考えられるからで ある。つまり、親の教育権は憲法的自由の一つ(それ自体自由権の一つとして、. 謂わば「親の教育の自由権」とでも命名されるべきもの)として憲法的保障を 受けているということである(18)。また、この憲法的自由は、憲法を立体的に. 捉えたときに憲法の基底を成す、憲法の基本的な構成原理と考えられる根本規. 範GDと呼ばれるものにきわめて近似している存在であると考えることができ よう。. 以上のように、親の教育権の憲法上の根拠を憲法第13条をも甚斗酌して憲法 的自由、それも根本規範に極めて近似しているところのものに求めることが妥 当であると考える。. ところで、憲法の人権規定には、権利性の弱いプログラム規定から権i利回の 強い裁判規範性を有する人権が存在する。権利性の強い裁判規範性を持つ規定 は、立法、行政、司法権をも拘束することになるのである。該人権が裁判規範 性を有するためには、権利の内容が個別的な明確性を備えており、具体的権利. 一19一.

(22) 性を有することが必要であるといわれている。その判断は、各人権の内容や成 立要因等を総合的に考慮した上で判断されることになると思われる。親の教育. 権について憲法上に根拠を認め、憲法で保障されるということは、民法第82 0条等私法関係にのみその根拠を認められる私法レベルの効力の場合と異なっ て、私法レベルの効力も含んだ上公法レベルの効力をも持ち、その効力に違い が出てくるのである。さらに、裁判規範性を有するか否かの問題も出てくるこ. とになる。このことについては、「両親の教育に関する権利義務は、もはや単. なる私法上のもの、私的なものと見るべきではなく、これは……実は国家社 会に対する公法上の権利義務にかかわるものである」c12)とか、「両親の教育. の義務は、いうまでもなく子ども自体に対する義務ではあるが、一面ではこの 義務は、権利とともに民法にとどまらず・…・・憲法においても予想ないしは規. 定されているので、それはたんに私法上のものとみるべきではなく、国家社会 に対する公法上の権利義務にかかわるものである」c13》とする見解もみられる。. つまり憲法レベルで親の教育権を承認することは、対国家との関係において国 民が教育事項に関して直接請求なり各種要求をだし得る具体的な権利そのもの が保障される可能性が存在する前提条件と考えられるからである。. 唯、先に述べたように親の教育権を根本規範に近似した憲法的自由の一つの 基本権として捉えるだけでは、その権利の内容が個別的な明確性や具体的権利 性を備えているとは解しがたい。そこで、裁判規範性を持たせ、権利の実効性 や救済等の方法を講ずるためには、親の教育権をさらに限定し、個別化・明確 化・現実化して権利の具体化を図る手立てが要求される。親の教育権に基づく 個人教育情報の開示については、詳細は後で述べるように、知る権利やプライ. バシー権によって親の教育権に絞りを繋げ、親の教育権の抽象性をいくぶんな りとも除去することによってこの問題はクリアーできるものと思われる。. (1) 兼子仁 r教育権の理論』 (勤草書房1987年) 218頁 (2) 結城忠 「親の教育権と学校教育(5)」季刊教育法第86号 (1. 991年) 48∼52頁 一20一.

(23) (3) 相良惟一 「両親の教育権の実定法的考察」 京都大学教育学部紀要\皿. (1962年)179∼180頁 (4) 親の教育権に関する規定を有する国は、自由主義的な民主主義国家に 多くみられるとする。その理由として「何よりも両親の教育権が、欧米 に根強く存在するところの伝統的なキリスト教思想に基づくものである と思われるが、理由はこれのみに限定すべきではなく、併せてそれらの 憲法自体の基本原理が多少なりとも、伝統的な自然法思想の影響を受け ているというところにも理由がある」とする。 田辺勝二 f日本国憲法. と教育権の理論』 (高文堂出版社1978年) 214頁. (5) 相良・前掲178頁 (6) 「正しい教育を受けることは、国民の権利である。何が正しい教育で あるかは、究極的には、歴史の進行方向、あるいはまた社会の発展法則 によって決定されるべき問題であるともいわれているが、一般的には、. 人類の多年にわたる自由獲得の戦いの結果、制定されるにいたった現代 福祉国家における憲法の理念に即した教育であるといえよう。それゆえ 国民は、かかる理念に適合した教育を受ける権利を有し、そして両親も また、自己の保護する子女に対してそのような教育を行い、あるいは国 家に対し子女にかわってそのような教育を要求し得るものと思われるが、 問題となるのは、そのような両親の教育権そのものの法的根拠である。 もちろん、その基本的なものは、いうまでもなく自然法であるといえよ うが、この自然法そのものの内容も普遍ではなく、現代福祉国家では、. 国民の実質的な権利や自由を確保するため、国家の積極的な関与による 生存権的基本権が保障されることになったが、それにともない、従来、. 自由権的基本権の一つとして考えられていた両親の教育権も、その保護 する子女の生存権を保障するため、その権利的性格が後退し、義務的性 格が強く意識されるようになった。そこで国家は、両親がこの義務を完 全に果たすよう、両親の教育権を認めることになったのである。それゆ. え憲法第26条第1項の規定こそ、両親の教育権についての直接的規定. である」とする。 田辺・前掲223∼224頁頁 (7) 「子の真理学習の自由が問題になる範囲では、それに代位するものと 一21一.

(24) しての親の教育の自由もr学問の自由』条項による保障を受けると解し. てよい」とする。 兼子仁 Ii’教育法〔新版〕』 (有斐閣1989年). 205∼206頁 (8) 「わが憲法のどこをさがしても、これに関する直接の規定は存在しな. い。しかしながら、両親の教育あるいは教育権に関して、わが憲法がま つたく触れていないとか、あるいはそのようなことを全然予想していな いと考えるならば、それは大きな誤りであるといわなければなるまい。. まず、右の第24条第1項であるが、これはr婚姻は、両性の合意のみ に基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の. 協力により、維持されなければならない』という規定である。右のr夫 婦が同等に有する権利』の中に、子に対する親権一その効果として、. 子の監護教育に関する権利が存在する一が含まれていること、および r夫婦相互の協力義務は』、同じく子の監護教育に関しても存在するこ. とは明白である。次にまた、本条第2項のil…・家族に関するその他の 事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、 制定されなければならない』の{i’家族に関するその他の事項』の中に、. 親権一したがって両親の教育権一が含まれることは自明の理であっ て疑う余地はない。それで、この規定により、親権のごとき権利も個人 の尊厳と両性の本質的平等に立脚して行使されなければならないのであ り、両親の教育権についても、このことは同様」であるという。さらに、. この論文では、憲法第20条第3項(宗教教育)、第26条第1項(教 育を受ける権利)、同条第2項(普通教育・義務教育)、第89条(公 の財産の支出又は利用の制限)も、親の教育権を予想し、あるいはこれ. を包含するものであるとする。 相良・前掲177頁 (9) 結城忠 「親の教育権と学校教育(4)」 季刊教育法第83号 (1. 990年) 107頁 (10) 同趣旨 「日本国憲法は『親の教育の自由』を明記していないが、そ. れをいかに位置づけるべきか。明文の自由権条項外で憲法上保障されて. いるr憲法的自由』の一種と解する」ことができる。 兼子・前掲20. 5頁 一22一.

(25) (11). 伊藤公一 r憲法概要』 (法律:文化社 1977年) 3頁. (12). 相良・前掲178頁. (13). 田辺・前掲249∼250頁. 一一. Q3一.

(26) 10 知る権利・プライバシー権と親の教育権 前節で述べたように、親の教育権に基づき個人教育情報の開示請求権を実効 性あらしめには、知る権利やプライバシー権によって親の教育権を個別化・明 確化し、権利をより具体化していくていく方法が考えられる。そこでここでは、 まず、知る権利及びプライバシー権i一般について考察し、その後親の教育権と これらの関係を考えたい。. わが国の憲法は、多くの人権の個別的なカタログを用意して、人権保障に当 たっているところであるが、これをもって本来保障されるべき人権の全てを保. 障しているという訳ではない。技術革新やそれにともなう経済の高度成長・情 報化社会の到来等社会が進歩・発展していくとともに、我々の生活も飛躍的に 発展したのであるが、反面そのことによって今まで予想だにしなかった人聞の 生存自体が脅かされる新たな状況が生ずるに到った。核開発や環境・情報誌に 関する問題がそうである。このような状況の中で、憲法が列挙していない人権 でも新たに人権としての保障を要すると主張され、新しい人権が憲法上承認さ れるに到っている。新しい人権は従来の個別基本的人権規定の解釈によって、[. あるいは包括的人権規定の解釈によって主張されてきている。ここで検討しよ うとする、知る権利やプライバシー権もこのような新しい人権として生成する に到ったものである。. 知る権利は、民主主義の原理(憲法前文、第1条、第15条第1項等)と表 現の自由(憲法第21条第1項)から導き出され、憲法上の権利として確認さ れた権利である。表現の自由は、国民主権の政治原理にとって思想・感情・事 実等を外部に表わし、自由な討論を保障することに不可欠なものである。 「こ. の自由な討論は、国民が、争点を判断する際に必要な全ての意見・情報に接し 得ることを、当然の前提としなければならない。あるいはまた、丁思想の自由. 市場』論においても、各人が他人の考えに自由に接し得ることが、やはり当然 に要求される。その意味で、表現の自由は、単に表現する自由(送り手の自由) だけでなく、さまざまな意見・情報に自由に接する権利(受け手の自由)をも. 内包する」(Dものであり、能動的な側面の自由だけでなく、受動的な側面の 自由、つまり知る権利をも保障しているものと解されるのである。マスコミ等 の発達に関連して報道の自由のためには取材の自由の保障をも必要とされるよ. 一一. Q4一.

(27) うになってきた。. さて、現代社会の特質である国家の国民生活への積極的介入による国家機能 の増大、それにともなう政府への情報の集中は、知る権利の生成過程から、こ の知る権利の中心的役割を国民が政府に対し情報の公開を請求する権利(情報. 公開請求権または情報開示請求権)を持つこととして位置づけることになっ た。このようにして情報公開請求権が知る権利の中心概念として憲法上導き出 されるに到った。しかし、この情報公開請求権が憲法上の具体的権利であるか、. 抽象的権利であるかは、後述するように諸見解があり議論の存するところであ る。また、このことに関連して、 「法律・条例上のr開示請求権』を法律・条 例による『創設的権利』と解するか、『確認的権利』と解するかの議論もまだ 残されたままである」(2》という。各自治体における情報公開条例の制定は、. 公開請求権やその要件・手続き・救済方法等について具体的に定めたものであ る。. 次にプライバシーの権利は、主としてアメリカで発展してきた概念であり、. わが国では「宴のあと」事件の第1審判決において初めて「プライバシー権は 私生活をみだりに公開されないと言う法的な保障ないし権利」、として認められ. た。その後通説・判例は、プライバシー権を個人の尊重・幸福追求権(憲法第. 13条)から出てくる人格権と認めるところとなった。しかし、プライバシー 権は高度情報化社会の進展とともに政府や自治体が個人に関する情報を収集・ 管理・利用するようになってきており、個人の人格・自律的存在それ自体がか どわかされる危険性が強くなってきた。ここに「私人の関係を越えて、公権力 の情報活動に対して『プライバシーの権利』が主張される必要が生じてきたの. である。それはr情報プライバシー権』ともよばれ、個人に関する情報を不当 に収集・管理されないこと、公権力の情報収集・管理・利用の二段階にわたっ て閲覧・訂正・利用規制等の各請求が認められるべきことを内容とする新しい. 権利主張である。この新しい権利主張は、憲法13条の幸福追求権を包括的な 根拠」(3)とする。. ところで、この情報プライバシー権は、自己情報の閲覧・訂正・利用規制・ 削除等の請求権を含むので、自由権としての側面のみならず、請求権的性格を. 持つのである。この請求権の具体的権利性が、直接憲法第13条から引き出せ 一25一.

(28) るか否か、議論のあるところである。多くの自治体における個人情報保護条例 においては、情報プライバシー権の請求権が具体化されているところである。. また、この情報プライバシー権については、情報公開を求める知る権利と利 益が互いに相反することが考えられるので、その両者の調整が必要になってく る。. なお、行政情報である教育情報を開示請求の関係で考察していく場合、教育 情報が個人に関するものであって、当事者のプライバシーなど個人的な立場を 保護する方向からの公開(開示)を問題にする場合と教育情報が公共的なもの であって国民主権、民主主義の論理から国民・住民の立場として公開を問題に していく方向の2っの場合が考えられる。ここで取り上げていこうとするのは 前者の個人的な立場からの考察を中心とするものである(4)。. (1) 樋口陽一他r注釈日本国憲法上巻』 (青林書院新社1984年) 490頁. さらに、知る権利が保障されるようになった要因として、. 「伝統的な表現の自由論においては、こうした受け手の権利は、送り手. の側の表現する自由が保障されれば、その効果として当然に保障される ものと考えられ、それ自体を独立に考察するということは、必要とされ なかった。そこでは、すべての情報が国民の前に開かれており、しかも、. 誰でもが表現の送り手であると同時に受け手であるという状況が、前提 とされていたのである。受け手の権利がr知る権利』の名辞のもとに、 それ自体として独立に論じられるようになったのは、伝統的な表現の自 由論の依って立つ右のような前提状況が、現代国家において、崩れさっ たからに他ならない」と述べる。. (2) 石村善治 「教育情報公開裁判」 別冊ジュリスト 118号教育判例. 百選 〔第3版〕 (1992年) (3) 杉原泰雄編 r講座憲法学の基礎2憲法学の基礎概念H』 (勤草書房. 1983年)215∼216頁 (4) 個人的な立場からの公開(開示)請求と個人情報保護条例の関係にっ. 一26一.

(29) いては次のような見解がみられる。 「情報の公共性ということは原則と. して問題にならない。従って、国民主権、民主主義、住民自治といった 一般的・客観的な政治=憲法原則は働く余地がほとんどない。ここでは、. 国民一般(住民一般)のr知る権利』という憲法論は有用性を欠く。す なわち、個人情報保護立法における情報開示請求権は、国民のr知る権 利』とは直接の表裏一体性を持たない。強いてr知る権利』を使うとす れば、ここでは、国民のではなくて、私が私のことをr知る権利』が、 問われているのである。この『知る権利』は、第一次的には私の権利な のであって、さし当たりは、国民主権とか民主主義とかいう一般政治原 則とは無関係である。憲法論でいえば、私のこと(あるいは私に関係す. ること)をr知る権利』は、憲法13条rすべて国民は、個人として尊 重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については…・ 最大の尊重を必要とする』によって基礎づけられる。このごろでは、プ ライバシーの権利と言ったほうが通りがよかろう。個人の尊厳・個人の インテグリティ(自己完結性)を確保し、各人が自分を取り囲む環境を 知り、自分らしい生き方を追求するための自己決定権と結びついて理解 される傾向にある。個人情報のありように着目した権利構成としては、. r自分に関する情報を自分が制御することをもとめる権利』といった表 現がより適合的」であるという。そして、情報公開(開示)請求権につ いては、憲法上のプライバシーの権利に基づいて「個人情報保護立法の. あるなしに関わらず、私に関する特定個人情報の一私に対する一開 示を請求できる場合があるはずである」とする。 奥平康宏 「行政情報. の開示請求は「知る権利』か」 『教職研修総合特集No.106情報公開. 読本』 (教育開発研究所1993年置 40頁. 一27一.

(30) 11親の教育権に内在する知る権利・プライバシー権に基づく個人教育情報開 示請求権 現在わが国では、 「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保. 護に関する法律」を除いて一般的な個人情報の開示に関する法律は未制定であ るが、地方段階においては個人情報保護条例等を制定している自治体が多数見 受けられるところである。個人情報保護条例の理念は、住民の知る権利やプラ イバシー三等の基本的人権の保護を一つの目的としている。従って、自治体の 有する個人教育情報等はこの条例によって各個人が公文書の開示請求をなし得 るのであるが、ほとんどの条例において正当な事由等がある場合には開示しな. いことができるとする非開示条項を有しているので、それに該当する場合は非 開示処分(部分開示の場合も含む)を受けることになる。非開示処分とされた 場合に、行政救済・司法救済において条例の理念・趣旨等から非開示条項を厳 格に解し、救済可能なケースも考えられるが、最初の行政処分に追随した結果 となることも予想され、この場合が今日教育情報開示として問題になっている. のである。このような非開示となるケースについて検討するに、親の教育権に 基づく個人教育情報の開示請求権の理論を構築するならば、開示が可能と.なる ものであると考えられる。. ところで、親の教育権に基づく個人教育情報の開示請求権を考えていく場合. に、次のような問題が出てくるのである。まず、親の教育権iは、既に「8基 本的人権としての親の教育権」のところで考察したとおり憲法で基本的人権と して保障を得ているが、果たしてそれによって直接開示請求を要求することが. できるのか、つまり権利実効性があるのか、それとも、それを具体化した法令 を必要とするのではないか。さらに、開示請求権も具体的権利で権利実効性が あるのか否か、という問題である。. そこで、情報公開・開示請求等に関する今までの諸見解を検討・分析し、親 の教育権に基づく直接開示請求が可能な方途を探ることにする。. ここで考察しようとする権利の実効性に関しては、大きく二つの見解がみら れる。一つは憲法で保障された教育権i条項や知る権利・プライバシー権等によ って、直接権利実現を図ることが可能であるとする趣旨の見解と、他の一つは. 権利の具体的実現には教育権条項や知る権利・プライバシー権等の憲法上の権 一28一.

(31) 利を具体化した法令が必要であるとする旨の通説的見解である。これらの見解 を見ていくと、次のようなものが挙げられる。. ①. 「憲法第26条のr教育権』、つまりr教育を受ける権利』の法的性格を. 検討した結果、結論的には憲法第26条そのものの規定からは、国民が国家 に対して教育に関し、直接要求し得る具体的な権利そのものが保障されてい ると解することはできない」q〕とする。 ②. 「当該人権が裁判規範性を有するためには当該人権は具体的権利」、 「個. 別的な明確性を備えていなければならない。」「個別的な明確性を有するか 否かは、当該人権の内実を見なければならない。」とした上で、情報公開請 求権については、「開示されるべき情報の種類・内容の特定性に欠けること から、これを抽象的権利と解することはやむをえない」(2>という。. ③ 「情報請求権としてのr知る権利』が憲法上の権利であるとしても、この ことは憲法から直接に情報請求権が要求できるということではない。すなわ ち、開示されるべき情報、・開示すべき主体・開示を要求する手続きなどが不 明確なままで、裁判上の権利として情報開示請求権iを、憲法を根拠として、 認めることには困難がある」(3)とする。. ④. 「自己に関する情報を自主管理する権利は、通常r情報プライバシー』と. 呼ばれている。」「この権利も日本国憲法に根拠を持っている。具体的には、. 個人の尊重規定(13条)がそれである。」 「国家が情報収集の過程におい て個人の生活の平穏を侵害した場合とか、個人情報の他者への伝達において. 個人生活の平穏を害した場合とかであるならば、伝統的なrプライバシーの. 権利』に基づいて、13条を根拠に妨害排除の請求高が可能であるが、r情 報プライバシーの権利』のカバーする範囲のすべてを、直接憲法によって求 めることは無理である」(4)という。. ⑤ 「いわゆる新しい権利については、憲法の人権規定と関連づけて説得力の ある法的理論構成がなされ、その法的正当性が相当広範囲にわたる社会的コ ンセンサスによって承認され、かっ、その権利主張が明確かっ具体的な内容 ・範囲を持ったものである場合、第1次的権利としての法的性格を獲得し、 そして、この社会的コンセンサスや権利の明確性・具体性が熟してくるにつ れて、回復的権利ないし具体的権利に転化させるための立法上・行政上の措. 一29一.

(32) 置を取る必要性が高まり、そのような措置がとられないときには、裁判によ る法形成によって回復的権利・具体的権利に直接転化されることが正当視さ れる場合もありうる」(5)とする。. ⑥ 「プライヴァシイの権利の保障の一環として、自己情報開示請求及び削除 ・訂正請求権が想定されなければならない。その一般的実現のためには法律 (条例)の制定を要しようが、場合によっては直接憲法13条を根拠に削除 ・訂正を求めうると解すべき余地があろう」(6)とする。. ⑦ 「プライバシーの権利の特質からみて、国民には、政府が保有する自己情 報へのアクセスが認められなければならない。つまり、個人には原則として 政府の持つ個人情報の開示を求める憲法上の権利があると考えるべきである。. しかも、プライバシーの権利の内容はこのような自己情報の開示請求権に尽 きると考えるべきではない。国民は、自分が誤っていると考える場合に、そ の訂正・削除を求める憲法上の権利を有していると考えるべきである。プラ イバシーの権利をこのように捉えることは、それが単に政府による干渉を排 除するという意味での自由権であるにとどまらず、請求権的な性質を持つこ とを意味する。ただ、国民がこのような開示・訂正・削除請求権をも行使す るには、それが請求権的性格を持つ以上、原則として法律や条例による具体 化を必要とすると考えざるを得ない。例外的に憲法自体からこのような請求 権を行使して裁判所の保護を求めうる場合もあると考えるべきではあるが、 このような場合を超えて自己情報開示請求権や訂正・削除請求権を承認する には、原則として法律・条例に待たねばならないと言わざるをえないように. 思われる」c7)とするも、下級審の人格権に基づく自己情報訂正請求権の可 能性を承認する判決(8)について、 「憲法13条のr幸福追求権』は自由権 を基本とするものだと考えているが、その自由権を保障するために必要な場 合には、そこから政府に対する請求権も導きうる場合がある」(g)という。. ⑧ 「訂正削除等を直接に求める訴訟(民事訴訟、無名抗告訴訟、実質当事者 訴訟等)についても、問題となる個人情報の高度のセンシティヴ性、同作為 の内容・方法等が司法的強制可能なほどに明確であること等の諸要件の下に 認容されうることがないとはいえない。」 「行政機関の保有する個人情報に. かかる一定の作為義務については、これを憲法上のプライバシーの権i利の自. 一30一.

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