夏曽佑『最新中学教科書 中国歴史』訳注(三)
タイトル(英) Commentary of Hs1a Tseng‑yu's "The latest textbook of Chinese ancient history for high school"(3)
著者 井澤, 耕一
雑誌名 茨城大学人文社会科学部紀要. 人文コミュニケーシ
ョン学論集
号 6
ページ 119‑128
発行年 2020‑03
URL http://hdl.handle.net/10109/00018687
Creative Commons : 表示 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nd/3.0/deed.ja
一 要旨および凡例一︑本訳稿は清末民国の学者夏曽佑︵一八六三︱一九二四︶が︑光緒三十年︵一九〇四︶から三十二年︵一九〇六︶にかけて出版した﹃最新中学教科書 中国歴史﹄全三冊のうち︑第一冊・第二冊部分を全訳し注釈を加えるものである︒本書全体では︑人類の起源から魏晋南北朝までの歴史を記述している︒内容について︑夏氏は清末の改革派︵梁啓超︑譚嗣同︑厳復︶と交流を持っており︑変法を支持した︒そうなると本書は﹁今文経学﹂の観点から中国史を綴っていると考えられよう︒注釈者は本論集に︑古文経学者である劉師培著﹃中国歴史教科書﹄訳注も︵三︶まで発表しており︑今後も各書の訳注を交互に連載していく予定である︒なお今回は第一篇︑第一章の第六節﹁上古神話﹂︑第七節﹁包犧氏﹂︑第八節﹁女媧氏﹂︑第九節﹁神農氏﹂︑第十節﹁神話之原因﹂部分の訳注を掲載した︒二︑﹃最新中学教科書 中国歴史﹄の本文は︑楊琥﹃夏曽佑集﹄下巻︵上海古籍出版社︑二〇一一年︶所収の校点本を底本とした︒三︑本文と自注とを区別しやすくするために︑本文は太字とし︑本文中に挿入されている著者の自注は原書に従って小字とした︒ また本文には︵原注︶が付されているが︑見易さを考えて節ごとにまとめた︒四︑︹注釈︺では西洋の文献も含め︑可能な限り本文中の引用文の出典を明らかにし︑また本文および原注の誤りや不足に対して訂正︑補足を行った︒五︑本文及び注中の﹃ ﹄は書名を示すが︑書名であるか否かの判断が困難な場合︑書名に準ずるものにも使用した︒︵ ︶は訳者によるもので︑術語の解説や意味の補足に用いた︒六︑原文の表記には旧字体︑訳文や注釈中の引用文の表記には︑常用漢字体︑現代仮名遣いを用いた︒
最新中學教科書 中國歷史 第一冊 第一篇 上古史
第一章 傳疑時代
夏 曽 佑 『 最 新 中 学 教 科 書 中 国 歴 史 』 訳 注 ( 三 )
井 澤 耕 一
﹃人文コミュニケーション学論集﹄六号︑一-一〇頁
© 2020
茨城大学人文社会科学部(人文社会科学部紀要)井澤 耕一二 第六節 上古神話
第一期傳疑時代者、漢有三王、五帝、九皇、貶極爲民之説 ︵一︶、此純 乎宗教家言、不可援以考實。其三皇、五帝之名、始見於周初 ︵二︶、古注
以爲其書即『三墳』『五典』、然『墳』『典』已亡、莫知師説。古又
有泰古二皇之説、二皇謂包犧、神農 ︵三︶。又有古有天皇、地皇、有泰皇、 泰皇最貴之説 ︵四︶。然皆異説、不常見。常見者、以天皇、地皇、人皇爲 多、而其所指者、各不同。緯候所傳、言者非一、有以慮戯、燧人、神農爲三皇者 ︵五︶、有以伏犧、女媧、神農爲三皇者 ︵六︶、有以伏犧、神農、黄帝爲三皇者 ︵七︶、有以伏犧、神農、祝融爲三皇者 ︵八︶。大約異義、尚不止
此、此其大略耳。五帝之説、亦甚不同。或用以配五人神、太昊配勾
芒、炎帝配祝融、黄帝配后土、少昊配蓐収、顓頊配玄冥 ︵九︶。而其再變、
則爲青帝靈威仰、赤帝赤熛怒、黄帝含樞紐、白帝白招拒、黑帝汁光
紀、爲五感生帝 ︵十︶。異義亦不止此、此亦其大略耳。大抵皆秦漢間人、
各本其宗教以爲言、故牴牾如此。今紀録則自包犧始。
案世有盤古、天皇、地皇、人皇之説、非雅言也。今錄之以備考。
天地混沌、如雞子、盤古生其中。萬八千歳、天地開闢、陽清爲天、
濁陰爲地、盤古在其中。一日九變、神於天、聖於地、天日高一丈、
地日厚一丈、盤古日長一丈、如此萬八千歳、天數極高、地數極厚、
盤古極長。後乃有三皇。﹃御覧﹄二引徐整﹃三五暦﹄︒天皇十二頭、
號曰天靈、治萬八千歳、﹃御覧﹄七十八引項峻﹃始學篇﹄︒被跡在柱
州崑崙山下。﹃御覧﹄七十八引﹃遁甲開山圖﹄︒地皇十二頭、治萬八
千歳、﹃御覧﹄七十八引項峻﹃始學篇﹄︒興於熊耳、龍門山、皆蛇身 獣足、生於龍門山中。﹃御覧﹄七十八引﹃遁甲開山圖﹄︒人皇九頭、
治四萬五千六百年、﹃御覧﹄七十八引徐整﹃三五曆﹄︒起於形馬、﹃御
覧﹄七十八引﹃遁甲開山圖﹄︒或云提地之國﹃御覧﹄三百九十六引﹃春
秋命曆序﹄︒其説之荒詭如此。今案盤古之名、古籍不見、疑非漢族
舊有之説。或盤古、槃瓠音近、槃瓠爲南蠻之祖、﹃後漢書﹄南蠻傳︒
此爲南蠻自説其天地開闢之文、吾人誤用以爲己有也。故南海獨有
盤古墓、桂林又有盤古祠。任昉﹃述異記﹄︒不然、吾族古皇幷在北
方、何盤古獨居南荒哉。至三皇之説、雖三皇、五帝之書、掌於故
府、﹃周禮﹄春官・外史氏︒事自確有、然必即指包犧諸帝而言、非
別有所謂三皇也。
案古又有十紀之説。一曰九頭紀、二曰五龍紀、三曰攝提紀、四曰
合雒紀、五曰連通紀、六曰序命紀、七曰循蜚紀、八曰因提紀、九曰禪通紀、十曰流訖紀、﹃史記﹄三皇本紀︒與巴比倫古塼文載洪水前有
十皇相繼、四十三萬年之説合。
(原注)
︵一︶﹃春秋繁露﹄三代改制質文篇︒﹁貶極爲民﹂︒︵二︶﹃周禮﹄春官・外史︒﹁三皇︑五帝﹂︒︵三︶﹃淮南﹄原道訓︒﹁泰古二皇﹂︒︵四︶﹃史記﹄秦︵始皇︶本紀︒﹁泰皇最貴﹂︒︵五︶應劭﹃風俗通義﹄一引﹃禮含文嘉﹄︒﹁伏羲︑燧人︑神農爲三皇﹂︒︵六︶﹃文選﹄班孟堅﹁東都賦﹂注引﹃春秋元命苞﹄︒﹁伏羲︑女媧︑神農爲三皇﹂︒︵七︶﹃玉函山房輯佚書﹄引﹃禮稽命徴﹄︒﹁伏羲︑神農︑黄帝爲三皇﹂︒︵八︶﹃白虎通義﹄︒﹁伏羲︑神農︑祝融爲三皇﹂︒︵九︶﹃禮記﹄月令篇︒﹁五帝配五人神﹂︒
夏曽佑﹃最新中学教科書 中国歴史﹄訳注︵三︶三 ︵十︶﹃周禮﹄春官・大宗伯・賈公彦疏引﹃春秋文耀鉤﹄︒﹁五感生帝﹂︒
〔現代語訳〕
第一期の伝疑時代に関して、漢代では三王、五帝、九皇につい て、最高位の者を民に貶しめる言が説かれたが ︵一︶、これは完全に宗教
者の主張であり、それを援引して史実を考証することはできない。
三皇、五帝の名称は周初に現れ ︵二︶、古注で三皇・五帝の書は『三墳』
『五典』とされたが、『三墳』『五典』はすでに亡び、その師説を知
る手立てはない。古えにはさらに「泰古二皇」の説があり、その二
皇とは包犧と神農のことである ︵三︶。また古えには天皇、地皇、さらに 泰皇も存在し、その中で泰皇が最も貴いという説もあった ︵四︶。しかし
これらはみな異説であり、あまり目にしないものである。通常、天
皇、地皇、人皇を三皇とする場合が多い。しかし三皇が何を指すか
は各々異なっており、特に緯書の伝える説は一つでは無く、慮戯
(伏羲)、燧人、神農を三皇とする説 ︵五︶、伏犧、女媧、神農を三皇とす る説 ︵六︶、伏犧、神農、黄帝を三皇とする説 ︵七︶、伏犧、神農、祝融を三皇 とする説 ︵八︶がある。三皇が誰を指すかについて、以上の説にとどまら
ないので、ここでは主な説を挙げた。五帝については、さらに大き
く異なっており、ある者は五帝を五人神に振り分けて、太 たいこう昊を勾 こう
芒 ぼう、炎帝を祝融、黄帝を后土、少昊を蓐 じょく収 しゅう、顓 せんぎょく頊を玄冥に配当して いる ︵九︶。それをより発展させて、青帝霊威仰、赤帝赤 ひょう熛怒、黄帝含 がんすう枢 紐 ちゅう、白帝白招拒、黒帝 じゅう汁光紀の五つの感生帝をも生み出した ︵十︶。異説
はそれに止まらず、以上挙げたのも代表例にすぎない。おおむねそ れらの諸説は秦漢の人々が、各々その宗教に基づいて説いたのであ
り、相違点はこれまで見た通りである。今回、記述は包犧より始め
る。
案ずるに盤古、天皇、地皇、人皇の説が説かれるが、それは正し
い言ではないので、今は単に記録にとどめ参考とする。太古の
昔、天地は相い混じり合って、まるで卵のようであった。その中
で盤古が生まれ、一万八千歳まで生きたのである。天と地が初め
て分かれて、清らかな陽の部分が天、濁った陰の部分が地となる
と、盤古はその間で天地とともに日々変化していった。天が一日
に一 いちじょう丈ずつ高くなっていくと、地も一日に一丈ずつ厚くなってい
き、盤古も同じく一丈ずつ成長していった。そうしているうちに
一万八千年が経ち、天は極めて高く、地も極めて厚くなり、盤古
も同じように成長していった。その後三皇が現れたのである。
﹃太平御覧﹄巻二所引の徐整﹃三五暦﹄︒天皇は十二の頭を持ち、号は
天霊、治世は一万八千歳であった。﹃太平御覧﹄巻七十八所引の項峻
﹃始学篇﹄︒その痕跡は柱州崑崙山にある。﹃太平御覧﹄巻七十八所引
の﹃遁甲開山図﹄︒地皇も十二の頭を持ち、治世は一万八千年、﹃太
平御覧﹄巻七十八所引の﹃始学篇﹄︒熊耳・龍門山より興り、身体は
蛇、獣の足を持ち、龍門山中に生まれた。﹃太平御覧﹄巻七十八所
引の﹃遁甲開山図﹄︒人皇は九の頭を持ち、治世は四万五千六百年、
﹃太平御覧﹄巻二所引の徐整﹃三五暦﹄︒形馬より起こったが︑﹃御覧﹄
七十八所引の﹃遁甲開山圖﹄︒別説では提地の国であったとも言う。
﹃太平御覧﹄巻三百九十六所引の﹃春秋命暦序﹄︒諸説の荒唐無稽さは