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中国六朝古小説訳注『列異伝』(三)

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全文

(1)

二 三

『  列異 伝』 訳 注は

、六 朝 古小 説研 究の ため の基 礎 資料 収集 とそ の読 解を 目的 とし

、現 在続 けて いる

「中 国六 朝古 小説 訳注

」作 成の 一部 であ る。 こ  の度 は『 古小 説鉤 沈』 を参 考に

、全 四十 七条 の内

「  胡 母班

17 から

「   劉 卓」 ま での 五条 を取 り上 げ、 類 書所 引『 列異 伝』 を 用い

21 て字 句の 校勘 をし た上 で訳 注を 施し た。

(「   陳 倉祠

」か ら「   欒

01

07 侯」 まで は『 安田 女子 大学 紀要

』第 号 

(平 成二 十四 年二 月) に、

40

「 

鮮于 冀」 か ら「   蒋子 文」 ま では

『安 田女 子大 学紀 要』 第 号 

08

16

41

(平 成二 十五 年二 月) 掲載 済。

)   胡母 班

胡 17 母班 為

太 山府 君齎 書、 請河 伯貽 其青 糸履

。甚 精巧 也。

母 班 太山 府君 の為 に書 を 齎 し、 河伯 に其 の青 糸の 履を 貽ら んこ

とを 請ふ

。 甚 だ 精巧 なり

【通 釈】 胡  母班 は太 山府 君の ため に手 紙を 届け

、河 伯に 願っ てそ の青 い糸

の靴 を賜 った が、 たい へん 精巧 な作 りで あっ た。

【語 釈】

* こ の 話 は

『 太 平 御 覧

』 六 九 七 に 見 え る

。 ま た

、 こ の 話 は

『 捜 神 記

』 巻 四

(『 太 平 広 記

』 二 九 三 引

) に 見 え

、『 三 国 志

』 巻 六

・ 袁 紹 伝 の 裴 松 之 注 に

「 班 嘗 見 太 山 府 君 及 河 伯

、事 在『 捜 神 記

』」

( 班 嘗 て 太 山 府 君 及 び 河 伯 に 見

、 事 は

『 捜 神 記

』 に 在 り

) と あ る

。 胡 母 班字 季 友

、泰 山 人也

。 曽至 泰 山 之側

、忽 于 樹 間 逢一 絳 衣 騶。 呼 班 云「 泰 山府 君 召

。」 班 驚 愕、 逡 巡未 答

。復 有一 騶 出

、呼 之。 遂 随 行 数 十 歩、 騶 請 班暫 瞑

。 少頃

、 便 見宮 室

、 威儀 甚 厳

。班 乃 入 閣拝 謁

。 主 為 設食

、語 班 曰「 欲 見 君

、無 他

。欲 附 書 与女 壻 耳

。」 班 問「 女 郎 何 在

。」 曰「 女 為河 伯 婦

。」 班 曰「 輒 当 奉書

、不 知 縁 何 得達

。」 答 曰「 今 適 河 中 流

、便 扣 舟 呼 青 衣

、当 自 有 取 書 者

。」 班 乃 辞 出。 昔 騶 復 令 閉 目

。 有頃

、忽 如故 道

。 遂西 行

、如 神 言 而 呼青 衣

。 須臾

、果 有一 女 僕 出

、取 書 而 沒。 少 頃 復出

、云

「 河伯 欲 暫 見君

。」 婢亦 請 瞑 目。 遂 拝 謁 河 伯

。河 伯 乃 大設 酒 食

、詞 旨 殷 勤。 臨 去

、謂 班 曰

「感 君 遠 為致 書

、 無 物 相奉

。」 於是 命 左 右「 取 吾 青 糸履 来

。」 以貽 班

。 班出

、瞑 然

、忽 得 還 舟。 遂 於 長安

、経 年而 還

。 至泰 山 側

、不 敢 潜 過。 遂 扣 樹、 自 稱 姓 名「 従 長安 還

、欲 啓 消 息。

」須 臾、 昔 騶出

、引 班 如 向 法而 進

。因 致 書 焉

。府 君 請 曰「 当別 再 報

。」 班 語 訖、 如 厠。 忽 見 其父 著 械 徒作

。此 輩 数 百人

。 班 進拝 流 涕

、問

「大 人 何 因及 此

。」 父云

「 吾死

、不 幸 見 遣 三 年

、今 已 二 年矣

。 困 苦不 可 処

。知 汝 今 為明 府 所 識。 可 為 吾陳 之

。 乞 免 此 役

、便 欲 得 社 公 耳

。」 班 乃 依 教

、叩 頭 陳 乞

。 府 君 曰「 生 死 異

安田女子大学紀要 42,274−284(23−33) 2014.

中 国 六 朝 古 小 説 訳 注 『 列 異

伝 』

( 三 )

先     坊

    幸

    子

(2)

二 四 路

、 不 可 相 近。 身 無 所 惜

。」 班 苦 請

、方 許 之

。 於 是 辞 出

、還 家

。 歳 余

、 児 子 死 亡 略 尽

。 班 惶 懼

、 復 詣 泰 山、 扣 樹 求 見

。昔 騶 遂 迎 之 而 見

。 班乃 自 説「 昔 辞 曠 拙。 及 還 家、 児 死 亡至 尽

。 今恐 禍 故 未已

、輒 来 啓 白

。幸 蒙 哀 救

。」 府 君 拊 掌 大 笑 曰

「昔 語 君

『 死 生 異 路、 不 可 相 近

』 故 也。

」即 敕 外 召 班 父

。 須 臾

、至 庭 中

、 問 之

「昔 求 還 里 社

、 当 為 門 戸作 福

、而 孫 息 死亡 至 尽

、何 也。

」答 云「 久 別 郷里

、 自欣 得 還

。 又 遇 酒食 充 足

、実 念諸 孫

、召 之。

」於 是 代之

。 父 涕泣 而 出

。班 遂 還

。 後 有 児皆 無 恙

。(

『 捜 神 記』 四

) 胡 母 班 字  は 季友

、 泰 山 の 人 な り。 曽 て 泰 山 の 側 に 至 る に

、 忽 ち

樹 間 に 于て 一 絳 衣の 騶 に 逢ふ

。 班 を呼 び て 云ふ

「 泰 山 府君

召す な り

。 班は 驚 愕 し

、 逡 巡 して 未 だ 答へ ず

。復 た 一 騶の 出 づ る有 り て

之 を 呼 ぶ。 遂 に 随 ひ 行 く こと 数 十 歩、 騶 は班 に 暫 く 瞑せ ん こ とを 請

。 少頃 に し て、 便 ち 宮 室 を見 る に

、威 儀 甚  だ 厳 なり

。 班  乃 ち

閣 に 入 りて 拝 謁 す。 主 為 に 食 を 設け

、班 に 語 り て曰 く「 君 に見 は ん

と 欲 す るは

、他 無 し

。 書を 附 し て女 壻 に 与へ ん と 欲す る 耳

」と

。 班 問

ふ「 女 郎 何 く にか 在 る

」と

。 曰 く「 女 は河 伯 の 婦為 り

」と

。班 曰 く

「 輒 ち当 に書 を 奉ず べき も

、何 に縁 り て達 する を得 る かを 知ら ず

」と

答 へて 曰 く「 今 河の 中流 に 適き

、便 ち舟 を 扣き て青 衣を 呼 べば

、当 に

自 か ら 書 を 取 る 者 有 る べ し

」 と。 班 は 乃 ち 辞 し て 出 づ

。 昔 の 騶

復 た閉 目 せ令 む

。 頃 く 有り て、 忽ち 故 の道 の如 し。 遂に 西 に行 き、 神

の 言 の 如く に して 青 衣 を呼 ぶ

。須 臾 に して

、果 た し て一 女 僕 の出 づ る

有 り

、書 を 取 り て沒 す

。 少頃 に し て復 た 出 で、 云 ふ「 河 伯 暫  く 君 に

見 は んと 欲す

」と

。婢 も 亦た 瞑 目せ ん こと を請 ふ

。遂 に 河伯 に拝 謁 す

河 伯 乃 ち大 いに 酒 食 を設 け、 詞 旨殷 勤 なり

。去 るに 臨 み

、班 に謂 ひて

曰 く

「 君の 遠 く 為に 書 を 致す に 感 ずる も

、 物の 相 ひ 奉ず る 無 し」 と

是 に 於て 左 右に 命 ず「 吾の 青 糸 の履 を 取り て 来れ

」と

。以 て 班に 貽 る

班 出 で

、瞑 然 と して

、 忽 ち 舟 に還 る を 得た り

。 遂に 長 安 に 於て し

年 を 経 て還 る

。泰 山の

側 に至 り

、敢 へ て潜 か に 過ぎ ず

。遂 に樹 を 扣

、 自 ら 姓 名 を 稱 し「 長 安 従り 還 り

、消 息 を 啓 せん と 欲 す」 と

。 須

臾 にし て

、昔 の騶 出 で

、班 を引 きて 向の 法の 如く して 進ま しむ

。因 り

て 書 を 致す

。 府 君 請 けて 曰 く「 当 に別 に 再 報す べ し

」と

。 班 語 り 訖

、 厠 に如 く

。 忽 ち 其の 父 械 を 著 けて 徒 作 する を 見 る。 此 の 輩 数

百 人 あ り

。 班は 進 み 拝 し て 流 涕 し、 問 ふ

「 大 人 何 に因 り て 此 に 及 ぶ

」と

。 父云 ふ「 吾 死 し て、 不 幸 に して 遣 は るる こ と 三年

、今 已 に

二 年 な り。 困 苦 処 す 可か ら ず

。 汝 の今

明府 の 識 る所 と 為 るを 知 る

吾 が為 に之 を陳 ぶ可 し

。此 の役 を 免 れん こと を 乞ひ

、便 ち 社公 を得 ん

と 欲 す る耳

」と

。班 乃 ち 教 に依 り

、叩 頭 し て陳 べ 乞 ふ。 府君 曰 く「 死

生 路を 異 に すれ ば

、相 ひ 近 づ く可 か ら ず。 身 の 惜し む 所 無き か

」と

班 苦  ろに 請 ひ て、 方 め て之 を 許 す。 是 に 於て 辞 し 出で

、 家 に還 る

歳 余 にし て

、児 子 死 亡し て略 ぼ尽 きん とす

。班 惶  懼し

、復 た 泰山 に

詣 り

、樹 を 扣 きて 見 え んこ と を 求む

。昔 の 騶 遂 り て之 を 迎 へて 見 る

班 乃ち 自 ら 説く

「 昔 に 辞 し て より 曠 拙 なり

。 家 に 還 る に 及び

、 児

死 亡 し て尽 く るに 至 ら んと す

。今 禍 故 の 未だ 已 ま ざる を 恐れ

、 輒 ち

来 りて 啓 白す

。幸 はく は哀 救 を 蒙 ら ん」 と。 府君 掌  を拊 ち大 笑し て

曰 く「 昔 君 に『 死生 路 を 異 にす れ ば

、相 ひ 近 づ く可 か ら ず』 と 語 る

の 故 なり

」と

。 即 ち 外 に 敕 し て班 が父 を 召す

。須 臾 にし て

、庭 中 に

至 れ ば

、 之 に問 ふ

「 昔 求 め て 里 社 に還 る

。 当 に 門 戸に 福 を 作 す べ き

、 而 る に 孫 息 死 亡 して 尽 く る に 至 る は

、何 ぞ や

」 と。 答 へ て 云 ふ

「 久し く 郷 里に 別 れ

、自 ら還 る を 得た る を 欣 ぶ。 又 た酒 食 の 充足 す る

に 遇 ひ

、 実 に 諸 孫 を 念 へ ば、 之 を 召 す

」と

。 是 に 於 て 之 を代 ふ

。 父

涕 泣 し て出 づ

。 班 遂 に還 る

。 後に 児 有 るも 皆 な 恙 無し

① 胡母 班

─ 後 漢・ 泰 山の 人

。 字 は 季 友。 官は 執 金 吾( 武 官 職の 中

)。 山東 の兵 が起 こる と、 董卓 の使 者と なり

、袁 紹 ら の諸 軍に

説 いた が、 遂に は害 され た。

②太 山府 君─ 太山 の神

。人 の生 死を 掌る

。太 山( 泰山

)は

、山 名。 五 嶽( 古代 中国 で崇 拝さ れた 五つ の霊 山) の一

。山 東省 泰安 県の

先  坊  幸  子 283

(3)

二 五

北 にあ る。 死者 の魂 が集 まる とさ れる

③請

─こ の字

、『 太平 御覧

』は

「詣

」に 作る

④河 伯─ 河の 神

。水 神

。『 捜神 記』 に

、河 伯は 太山 府君 の「 女壻

」( 娘 婿

)と ある

⑤甚 精巧 也─

『捜 神記

』に は、 こ の後 に胡 母班 が太 山へ 報告 に行 き、

そ こで 既に 亡く なっ てい た父 親 に会 うと いう 内 容が 記 され て いる

。   度索 君

袁 18 本初 時、 有神 出

河 東。 号度 索君

、人 共立 廟。

兗州 蘇氏 母病

、往

。見 一人

、著 白布

、単 衣高 冠。 冠似 魚頭

。謂 度索 君曰

「昔 臨廬

山 下、 共 食白 李。 未久 已三 千年

。日 月易 得、 使人 悵然

。」 去 後、 度

索 君曰

「此 南海 君也

。」

本初 の 時

、神 有 りて 河 東 に 出 づ。 度索 君 と 号 し、 人 共 に 廟を 立

つ。 兗

州の 蘇 氏 の 母 病 み、 往 き て祷 る

。一 人 を 見 る に、 白布 を 著

け、 単 衣高 冠す

。冠 は魚 の頭 に似 たり

。度 索 君に 謂ひ て曰 く「 昔 廬

山の 下に 臨み て、 共に 白李 を食 らふ

。未 だ久 しか らざ るに 已に 三千

年な り。 日 月 得易 く、 人 をし て悵 然た ら使 む」 と

。去 り て後

、度 索

君曰 く「 此れ 南海 君な り」 と。

【通 釈】 袁  本初 の時

、神 が河 東に 現 れた

。度 索 君と 名 乗り

、人 々 は共 に 廟

を立 て た。 兗

州 の蘇 氏の 母 が病 気 にな り

、そ こへ 行っ て祈 り を捧 げ

た。 一 人の 男が 現れ

、白 い 布を 身 につ け、 単 衣に 高冠 をつ けて い た。 冠は 魚の 頭に 似て いた

。度 索君 に言 うに は「 昔 廬山 の下 に行 って

一緒 に白 李を 食べ た。 そう 長い 時と も思 えな いの に三 千年 が経 って しま った

。月 日 の流 れる のは 速く

、人 に恨 み嘆 かせ るも のだ ね」 と。 去っ て後

、度 索君 が「 今の は南 海君 だ」 と言 った

【語 釈】

* こ の 話 は

『 斉 民 要 術

』 一

、『 初 学 記

』 二 八

、『 芸 文 類 聚

』 八 六

、『 太 平 御 覧

』八 八 二

、九 六 八 に 見 え る

。ま た

、こ の 事 は『 捜 神 記

』一 七(

『 太 平 広 記

』 二 九 三 引

) に 見 え る

。 袁 紹 字本 初

、在 冀 州

。有 神 出河 東

、号 度 朔 君。 百 姓 共為 立 廟

。廟 有 主 簿 大福

。 陳 留蔡 庸 為 清河 太 守

、過 謁 廟

。有 子 名 道、 亡 已 三十 年

。 度 朔 君為 庸 設 酒、 曰「 貴 子昔 来

、欲 相 見

。」 須 臾

、子 来

。度 朔君 自 云

「父 祖 昔 作 兗 州

。」 有 一 士 姓 蘇

、 母 病 往 祷

。主 簿 云

「君 逢 天 士

。 留 待

。」 聞 西 北 有鼓 声 而 君至

。 須 臾、 一客 来

。 著皂 単 衣

、頭 上五 色 毛

、 長 数 寸。 去後

、復 一 人

。著 白布 単 衣

、高 冠

、冠 似 漁頭

。謂 君 曰「 昔

、 臨 廬 山

、 共食 白 李

。 憶 之 未 久

、已 三 千 歳

。 日 月 易得

、 使 人 悵 然

。」 去 後

、 君 謂 士 曰「 先 来 南 海 君 也

。」 士 是 書 生、 君 明 通 五 経

、善

『 礼 記

』。 与 士 論 礼

、士 不 如 也

。 士 乞 救 母 病。 君 曰

「卿 所 居 東 有 故 橋

、 人 壊 之

。 此 橋 所行

、 卿 母 犯 之

。能 復 橋

、 便 差。

」 曹 公討 袁 譚

、 使 人 従 廟 換千 疋 絹

、君 不 与

。曹 公 遣 張郃 毀 廟

。未 至 百 里、 君 遣 兵数 万

、 方 道 而来

。 郃 未達 二 里

、雲 霧 繞 郃軍

、不 知廟 処

。 君語 主 簿「 曹 公 気 盛

、 宜 避之

。」 後 蘇 并 鄰 家 有 神 下

、 識君 声

。 云

「昔 移 入 胡

、 闊 絶 三 年

。」 乃 遣 人 与 曹 公 相 聞。

「欲 修 故 廟

、 地 衰 不 中 居、 欲 寄 住

。」 公 曰

「甚 善

。」 治 城 北 楼以 居 之

。数 日

、曹 公 猟。 得 物

、大 如麑

、大 足

、色 白 如 雪、 毛 軟 滑可 愛

。 公以 摩 面

、莫 能 名 也。 夜 聞 楼上 哭

。 云「 少 児 出 行 不還

。」 公拊 掌 曰「 此子 言

、真 衰 也。

」晨 将数 百 犬

、繞 楼下

。 犬 得 気

、 冲 突 内 外

。見 有 物 大 如 驢

、自 投 楼 下

。 犬 殺 之、 廟 神 乃 絶

(『 捜 神記

』 一 七) 袁 紹 字  は 本 初

、冀 州( 河北 省

)に 在 り。 神の

河東 に 出づ る 有 り、 度

朔 君 と 号す

。 百 姓 共 に 為に 廟 を 立つ

。廟 に主 簿 の 大福 な る 有り

。陳

中国六朝古小説訳注『列異伝』(三)

282

(4)

二 六 留 の蔡 庸 は清 河 太守 と為 り

、過 りて 廟に 謁す

。子 の道 と名 づく る有 り、

亡 し て 已に 三 十 年な り

。 度朔 君 庸 の 為 に酒 を 設 け、 曰く

「貴 子 昔 来

、相 ひ見 え ん と欲 す

」と

。 須 臾 にし て

、子 来 る

。 度朔 君 自  ら 云 ふ

「 父 祖は 昔 兗

州 と作 る

」と

。一 士の 姓 蘇な る有 り

、母 病め ば往 きて 祷

。主 簿 云 ふ「 君 天 士と 逢 ふ

。留 待せ よ

」と

。西 北 に 鼓声 有 るを 聞 き

て 君 至 る。 須 臾に し て

、一 客 来る

。 皂の 単 衣 を著 け

、頭 上 に 五色 の 毛

、長 さ 数 寸な るあ り

。去 りて 後

、復 た一 人 あり

。白 布 の単 衣 を著 け

高 冠 す るに

、 冠 は漁 頭 に 似た り

。 君に 謂 ひ て曰 く

「 昔、 廬 山 に臨 み

共 に 白 李を 食 ふ

。之 を 憶 ふも 未 だ 久し か ら ざる に

、 已に 三 千 歳な り

日 月 は 得易 く

、人 を し て 悵然 た ら 使む

」と

。去 り て 後、 君 は 士に 謂 ひ

て 曰 く「 先 に 来 るは 南 海 君な り

」と

。 士 は 是れ 書 生 にし て

、君 は 五 経

に 明 通 し

、『 礼 記

』を 善 く す

。 士 と 礼 を論 じ

、 士 は 如 か ざ るな り

。 士

は 母 の 病 を 救は ん こ とを 乞 ふ

。君 曰 く「 卿の 居 る 所の 東 に 故橋 有 り

人 之を 壊 す

。此 の 橋 の行 く 所

、卿 が 母 之 を犯 す

。 能く 橋 を 復さ ば

便 ち 差え ん

」と

。曹 公は 袁 譚を 討ち

、人 を して 廟に 従ひ て千 疋 の絹 を

換 へ使 むる も、 君 与へ ず。 曹 公 張郃 を遣 はし て廟 を毀 たし む。 未だ 至

ら ざ る こと 百 里

、君 兵 数 万を 遣 は し、 道 に方 た り て来 る

。郃 未 だ 達

せ ざ る こと 二 里

、雲 霧 郃 の軍 を 繞 り、 廟 の処 を 知 らず

。 君 主簿 に 語 る「 曹 公の 気 盛 ん な れば

、宜 しく 之 を 避く べ し

」と

。 後 蘇 并び に 鄰

家 に 神 の 下 る 有 り

、君 の 声 な る を 識 る。 云 ふ

「 昔 移 り て胡 に 入 り

闊 絶 す るこ と 三 年な り

」と

。 乃 ち人 を 遣 はし て 曹 公と 相 ひ 聞せ し む

「 故の 廟 を 修せ ん と 欲す る も

、地 衰 へ 居す る に 中ら ざ れ ば、 寄 住せ ん

と 欲 す

」 と。 公 曰 く

「 甚 だ 善 し

」と

。 城 の 北 楼を 治 し て 以 て 之 に 居

せ し む

。 数 日 にし て

、 曹 公 猟 す

。物 を 得 た る に

、大 な る こ と 麑 の 如

、 大 足に し て

、色 の 白 きこ と 雪 の如 く

、 毛は 軟 滑 にし て 愛 す可 し

公 以て 面 を摩 す る も、 能 く名 づ くる 莫 き なり

。夜

楼上 に 哭 する を 聞

。 云 ふ「 少 児 出 で 行き て 還 らず

」と

。公 掌 を 拊 ちて 曰 く「 此 の 子

の 言

、 真 に 衰 へた る な り」 と。 晨 に 数百 の 犬 を将 き て

、楼 下を 繞 る

犬 気を 得 て

、内 外に 冲 突 す。 物 有り て 大 なる こ と 驢の 如 き を見 る に

自 ら楼 下 に 投ず

。 犬 之 を殺 し

、 廟神 乃  ち絶 ゆ

①袁 本初

─袁 紹

。後 漢、 汝 陽の 人。 本 初は 字

。初 平二 年( 一九 一)

に冀 州 牧 韓馥 か ら長 官 の地 位 を奪 い取 った と され てい る

。こ の話

は それ 以降

、息 子 の袁 譚が 殺さ れる 建安 十年

(二

〇五

)の 三年 後、

建 安十 三年 頃ま での 話と 考え られ る。

②河 東─ 地名

。戦 国時 代の 梁の 地。 山西 の境 内で は、 山西 の西 境か ら 南北 に流 れる 黄河 以東 の地 を河 東と いう

③度 索君

─神 の名

。『 捜 神記

』は

「度 朔君

」に 作る

。「 度 索」 は山 名。

「 度朔

」に 同じ

④兗 州蘇 氏母 病─ この 六字

、『 太平 御覧

』八 八二 は「 兗州 蘇士 母荘

( 兗

州 の蘇 士の 母 荘 なり

)に

、『 捜 神記

』は

「 有一 士姓 蘇、 母 病往

」( 一士 の姓

蘇な る有 り、 母病 めば 往き て祷 る) 九字 に作 る。

ま た、 蘇 氏の 母親 の病 につ いて

、『 捜神 記』 に「 士乞 救母 病。 君曰

『 卿 所 居 東 有 故 橋、 人 壊 之

。此 橋 所 行

、卿 母 犯 之。 能 復 橋

、便 差

。』

」( 士は 母の 病 を救 はん こと を乞 ふ。 君曰 く「 卿の 居る 所の

東 に故 橋有 り

、人 之 を壊 す。 此 の橋 の行 く 所、 卿 が母

之を 犯 す。

能く 橋を 復 さば

、 便 ち 差え ん

」と

。) とい う記 述が 見 える

。「 兗 州」

、州 名。 今の 山東 省。

⑤冠 似魚 頭─ この 四字 以前 の句

、『 芸文 類聚

』に 無し

。『 初学 記』

『太 平 御覧

』九 六八 に「 冠」 字無 し。

⑥謂 度索 君曰

─こ の五 字、

『芸 文類 聚』 は「 度索 君謂 南海 君曰

」( 度 索 君 南海 君に 謂ひ て曰 く) 八字 に、

『 太平 御覧

』八 八二 は「 度索 君 曰」

(度 索君 曰く

)四 字に 作る

⑦廬 山─ 山名

。江 西省 星子 県の 西北

、九 江県 の南

。古 くは 南障 山と

先  坊  幸  子 281

(5)

二 七

い った

。風 景は 澄み きっ て美 しく

、気 候が 温和 で、 避暑 地と され る

。山 中に は様 々な 名勝 の地 があ る。

「廬

」字

、『 太 平御 覧』 八八 二 は「 慮」 に作 る。

⑧日 月易 得─ 以降 の句

、『 芸文 類聚

』に 無し

⑨南 海君

─南 海の 神の 名。   華歆

華 19 歆為

諸生 時、 嘗宿 人門 外。 主人 婦夜 産。 有頃

、両 吏詣 門、 便辟

易 卻、 相謂 曰「 公在 此。

」躊 躇良 久、 一吏 曰「 籍当 定。 奈何 得住

。」

乃 前 歆 拝

、相 将 入。 出 並 行、 共 語 曰「 当 与 幾 歳。

」一 人 曰

「当 三 歳

。」 天明

、歆 去。 後欲 験其 事、 至三 歳、 故往 問児 消息

、果 已死

歆 乃自 知当 為公

後 果為 太尉

歆 諸 生為 り し 時、 嘗 て 人 の門 外 に 宿る

。主 人 の 婦 夜 に 産 む。

頃 く有 りて

、 両 吏 門に 詣る や

、 便 ち 辟易 し て 卻 き

、相 ひ 謂ひ て

曰く

「公

此に 在り

」と

。躊 躇す るこ と良 や久 しく し、 一吏 曰く

「籍

当に 定む べし

奈 何

ぞ 住ま るを 得ん や」 と。 乃 ち歆 に前 みて 拝し

相ひ 将き て入 る。 出で て並 び行 き、 共に 語り て曰 く「 当に 幾歳 を与

ふべ きか

」と

。 一人 曰く

「当 に三 歳な るべ し」 と

。天 明け

、歆 去 る。

後に 其の 事を 験さ んと 欲し

、三 歳に 至り

、 故 に 往き て児 の消 息を

問 ふに

、果 た し て 已に 死 す

。歆 乃  ち 自 ら 当 に 公と 為 る べ きを 知

る。 後 果た して 太尉 と為 る。

【通 釈】 華  歆が 諸生 だっ た頃

、或 る人 の門 の外 に宿 った こと があ った

。そ

この 主人 の妻 が夜 に出 産し た。 暫く して

、二 人の 役人 が門 のと ころ にや って 来た が、 進み かね て退 き、 こう 言い 合っ てい た「 公が 此処 にい るぞ

」と

。暫 くの あい だ躊 躇し てい たが

、片 方の 役人 が「 籍を 定め なけ れば なら ない のに

、ど うし て止 まる こと がで きよ うか

」と 言っ た。 そ こで 歆 のも と へ進 ん で挨 拶 し、 連 れ立 って 入 って 行っ た。 出て 来て 並ん で歩 き、 共に 語っ て言 うに は「 何歳 の寿 命を 与え るべ きか

」と

。一 人が 言っ た「 三歳 の寿 命を 与え よう

」と

。夜 が明 け、 歆は 去っ た。 後に その 事を 確か めた いと 思い

、三 年が 経つ と、 わざ わざ 出掛 けて いっ て子 供の 消息 を尋 ねた が、 果た して 已に 亡く なっ

てい た。 歆は それ で自 らが 公と なる 運命 であ るこ とを 知っ た。 その 後 果た して 太尉 にな った

【語 釈】

* こ の 話 は

『 三 国 志

』 巻 一 三

・ 華 歆 伝 注

、『 太 平 御 覧

』 三 六 一 お よ び 四 六 七 に 見 え る

。 ま た

、 こ の 事 は

『 捜 神 後 記

』 巻 三

(『 太 平 御 覧

』 三 六 一 引

『 列 異 伝

』に

「 續 捜 神 記 同

」と 付 す

) に 見 え る

。 ま た『 三 国 志

』 巻 一 三

・ 華 歆 伝 の 注 に 引 く

『 晋 陽 秋

』、

『 晋 書

』 巻 四 一

・ 魏 舒 伝

、『 捜 神 記

』 巻 九 に 同 様 の 話 が あ る

。 平 原 華歆

、字 子魚

。 為 諸生 時

、常 宿 人 門 外。 主 人 婦夜 産

。 有頃

、両 吏 来 詣其 門

、便 相 向辟 易

、欲 退

。 却相 謂 曰「 公 在此

。」 因 踟蹰 良 久

、 一 吏 曰「 籍当 定

。奈 何 得 住

。」 乃 前 向 子魚 拝

、相 将 入

。出 並 行

、共 語 曰

「 当与 幾 歳

。」 一人 云

「 当与 三 歳

。」 天 明、 子 魚 去。 後 欲 験其 事

、 至 三 歳

、 故往 視 児 消 息

、 果 三 歳 已死

。 乃 自 喜 曰

「我 固 当 公

。」 後 果 為 太 尉。

(『 捜 神後 記

』 巻三

) 平 原 の 華 歆

、 字 は 子 魚。 諸 生 為 り し 時

、常 て 人 の 門 外 に 宿 る。 主 人

の 婦 夜 に 産 む。 頃 く有 り て

、 両 吏 来 り て其 の 門 に詣 り

、 便 ち 相 ひ

向 か ひ て 辟 易 し

、退 か ん と 欲 す

。却 り て 相 ひ 謂 ひ て 曰く

「 公 此 に 在

中国六朝古小説訳注『列異伝』(三)

280

(6)

二 八 り

」と

。因 り て 踟 蹰 する こ と 良や 久 し くし

、一 吏曰 く「 籍 当に 定 む

べ し

。 奈何

ぞ 住 まる を 得 んや

」と

。 乃 ち 前み て 子 魚に 向 か ひて 拝 し

相 ひ 将 きて 入 る

。出 で て 並び 行 き

、共 に 語り て 曰 く「 当 に 幾 歳を 与 ふ

べ き か

」と

。 一人 云 ふ「 当 に 三歳 を 与 ふべ し

」と

。 天 明け

、子 魚 去 る

後 に 其 の事 を 験さ ん と 欲し

、三 歳 に 至 り、

故 に 往 き て児 の 消息 を 視

る に

、果 たし て三 歳 にし て已 に死 す

。 乃 ち 自 ら喜 びて 曰く

「 我 固 よ

り 当 に 公た る べ し」 と

。 後 果 たし て 太 尉と 為 る

魏 舒

、字 陽 元

、任 城 樊 人也

。 少 孤。 嘗 詣 野王

、主 人妻 夜 産

。俄 而 聞 車 馬 之声

。相 問 曰「 男 也、 女 也。

」曰

「 男

。」

「 書之

、十 五 以 兵 死。

」復 問

「 寝者 為 誰

。」 曰

「魏 公

。」 舒 後十 五 載

、詣 主 人

、問 所 生 児何 在

。 曰「 因 条 桑、 為 斧 傷 而死

。」 舒自 知 当 為公 矣

。(

『 捜 神記

』巻 九

・「 魏

」)

魏 舒

、字 は 陽 元、 任 城・ 樊 の人 な り

。少 く して 孤 と なる

。 嘗 て野 王 に

至 る に

、主 人 の妻 夜 に 産 す。 俄 に し て 車馬 の 声 を聞 く

。相 問ひ て 曰

「 男 な る か

、女 な る か

」 と

。曰 く

「 男 な り

」と

。「 之 に 書 す る に

、 十 五 に して 兵 を 以て 死 す

」と

。復 た問 ふ「 寝 ね たる 者 は 誰と 為 す

」と

。 曰 く

「 魏 公 な り」 と

。 舒 は 後 十 五 載、 主 人 に 詣 り

、生 ま る る 所 の 児

何 く にか 在る と 問ふ

。曰 く「 桑 を条 す るに 因 りて

、斧 の 傷の 為に 死 す」

。 舒 は自 ら 当 に公 と 為 るべ き を 知る

①華 歆─ 三国

・魏 の高 唐の 人。 字は 子魚

。封 は博 陵侯

。諡 は敬

。若 い 頃に 邴原

・管 寧と 遊学 し、 一龍

(歆 は龍 頭、 寧は 龍腹

、原 は龍

)と 呼ば れた

。漢 末に 孝廉

(漢 代、 朝廷 が各 郡に 推挙 させ た人

物 の徳 目の 一) に推 挙さ れて 郎中 とな り、 後に 豫章 太守 に任 命さ れ

、公 正な 政治 を行 った

。魏 の文 帝( 曹丕

)の 時、 宰相 に任 命さ

、明 帝の 時に 太尉 に転 じ、 太和 年間 に亡 くな った

。(

『 三国 志』 十 三)

②諸 生─ 在学 の士

。学 官の 弟子 をい う。

③便 辟易 卻─ この 四字

、『 太平 御覧

』三 六一 は「 便相 向僻 易、 欲退

( 便 ち相 ひ 向か ひて 僻 易し

、退 かん と欲 す

)七 字に

、四 六 七は

「便

辟 易却

」( 便 ち 辟易 して 却 く) 四字 に、

『 捜神 後記

』は

「便 相向

辟 易、 欲退

、却

」( 便 ち 相ひ 向か ひて 辟易 し、 退か んと 欲し

、却

り て) 八字 に作 る。

④躊 躇─ この 二字

、『 捜神 後記

』及 び『 太平 御覧

』三 六一 は「 踟蹰

、四 六七 は「

躊 蹰

」 に作 る。

⑤天 明、 歆去

─こ の四 字、

『太 平御 覧』 に無 し。

⑥ 後欲 験 其 事、 至 三 歳、 故往 問 児 消 息、 果 已死

─ こ の 十 七字

、『 太 平 御覧

』三 六一 は「 子魚 後故 往視 之、 児果 年三 歳已 死」

(子 魚 後

に 故 に往 きて 之を 視る に、 児 果た して 年三 歳に して 已に 死す

十 四 字 に

、四 六 七 は

「子 魚 後 故 往 視 之、 児 果 已 死」

(子 魚 後 に

故 に 往き て之 を視 るに

、児 果 たし て已 に死 す) 十一 字に

、『 捜

神 後記

』は

「後 欲験 其事

、至 三歳

、故 往視 児消 息、 果三 歳已 死」

( 後に 其の 事 を験 さん と欲 し

、三 歳に 至り

、 故 に往 きて 児の 消息

を 視る に、 果た して 三歳 にし て已 に死 す) 十九 字に 作る

⑦歆 乃自 知当 為公

─こ の七 字、

『捜 神後 記』 及び

『 太平 御覧

』三 六一 は

「乃 自喜 曰、 我固 当公

」( 乃 ち 自 ら喜 びて 曰く

、我

固よ り当

に 公た るべ しと

)に

、『 太平 御覧

』四 六 七は

「子 魚喜 曰、 我 固当 公」

(子 魚喜 びて 曰く

、我 固 より 当に 公と なる べし と) に作 る。

⑧後 果為 太尉

─こ の五 字、

『三 国志

』に 無し

。「 太 尉」 は、 官名

。今 の 防衛 大臣

、国 防大 臣な どに 相当 する

先  坊  幸  子 279

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