二 三
『 列異 伝』 訳 注は
、六 朝 古小 説研 究の ため の基 礎 資料 収集 とそ の読 解を 目的 とし
、現 在続 けて いる
「中 国六 朝古 小説 訳注
」作 成の 一部 であ る。 こ の度 は『 古小 説鉤 沈』 を参 考に
、全 四十 七条 の内
「 胡 母班
」
こ も はん
17 から
「 劉 卓」 ま での 五条 を取 り上 げ、 類 書所 引『 列異 伝』 を 用い
り う た く
21 て字 句の 校勘 をし た上 で訳 注を 施し た。
(「 陳 倉祠
」か ら「 欒らん
01
07 侯」 まで は『 安田 女子 大学 紀要
』第 号
(平 成二 十四 年二 月) に、
こ う
40
「
鮮于 冀」 か ら「 蒋子 文」 ま では
『安 田女 子大 学紀 要』 第 号
せ ん う き
し や う し ぶ ん
08
16
41
(平 成二 十五 年二 月) 掲載 済。
) 胡母 班
こ も は ん
胡 17 母班 為
①
太 山府 君齎 書、 請河 伯貽 其青 糸履
。甚 精巧 也。
②
③
④
⑤
胡こ 母 班 太山 府君 の為 に書 を 齎 し、 河伯 に其 の青 糸の 履を 貽ら んこ
も は ん た い ざん ふ くん
ため
しよ
もた ら
か は く
そ
せ い し
り
お く
とを 請ふ
。 甚 だ 精巧 なり
。
は な は せ い かう
【通 釈】 胡 母班 は太 山府 君の ため に手 紙を 届け
、河 伯に 願っ てそ の青 い糸
こ も は ん た い ざ ん ふ く ん
か は く
の靴 を賜 った が、 たい へん 精巧 な作 りで あっ た。
【語 釈】
* こ の 話 は
『 太 平 御 覧
』 六 九 七 に 見 え る
。 ま た
、 こ の 話 は
『 捜 神 記
』 巻 四
(『 太 平 広 記
』 二 九 三 引
) に 見 え
、『 三 国 志
』 巻 六
・ 袁 紹 伝 の 裴 松 之 注 に
え ん し ょ う
は い し ょ う し
「 班 嘗 見 太 山 府 君 及 河 伯
、事 在『 捜 神 記
』」
( 班 嘗 て 太 山 府 君 及 び 河 伯 に 見
か つ
あ
ふ
、 事 は
『 捜 神 記
』 に 在 り
) と あ る
。 胡 母 班字 季 友
、泰 山 人也
。 曽至 泰 山 之側
、忽 于 樹 間 逢一 絳 衣 騶。 呼 班 云「 泰 山府 君 召
。」 班 驚 愕、 逡 巡未 答
。復 有一 騶 出
、呼 之。 遂 随 行 数 十 歩、 騶 請 班暫 瞑
。 少頃
、 便 見宮 室
、 威儀 甚 厳
。班 乃 入 閣拝 謁
。 主 為 設食
、語 班 曰「 欲 見 君
、無 他
。欲 附 書 与女 壻 耳
。」 班 問「 女 郎 何 在
。」 曰「 女 為河 伯 婦
。」 班 曰「 輒 当 奉書
、不 知 縁 何 得達
。」 答 曰「 今 適 河 中 流
、便 扣 舟 呼 青 衣
、当 自 有 取 書 者
。」 班 乃 辞 出。 昔 騶 復 令 閉 目
。 有頃
、忽 如故 道
。 遂西 行
、如 神 言 而 呼青 衣
。 須臾
、果 有一 女 僕 出
、取 書 而 沒。 少 頃 復出
、云
「 河伯 欲 暫 見君
。」 婢亦 請 瞑 目。 遂 拝 謁 河 伯
。河 伯 乃 大設 酒 食
、詞 旨 殷 勤。 臨 去
、謂 班 曰
「感 君 遠 為致 書
、 無 物 相奉
。」 於是 命 左 右「 取 吾 青 糸履 来
。」 以貽 班
。 班出
、瞑 然
、忽 得 還 舟。 遂 於 長安
、経 年而 還
。 至泰 山 側
、不 敢 潜 過。 遂 扣 樹、 自 稱 姓 名「 従 長安 還
、欲 啓 消 息。
」須 臾、 昔 騶出
、引 班 如 向 法而 進
。因 致 書 焉
。府 君 請 曰「 当別 再 報
。」 班 語 訖、 如 厠。 忽 見 其父 著 械 徒作
。此 輩 数 百人
。 班 進拝 流 涕
、問
「大 人 何 因及 此
。」 父云
「 吾死
、不 幸 見 遣 三 年
、今 已 二 年矣
。 困 苦不 可 処
。知 汝 今 為明 府 所 識。 可 為 吾陳 之
。 乞 免 此 役
、便 欲 得 社 公 耳
。」 班 乃 依 教
、叩 頭 陳 乞
。 府 君 曰「 生 死 異
安田女子大学紀要 42,274−284(23−33) 2014.
中 国 六 朝 古 小 説 訳 注 『 列 異
伝 』
( 三 )
先 坊
幸
子
二 四 路
、 不 可 相 近。 身 無 所 惜
。」 班 苦 請
、方 許 之
。 於 是 辞 出
、還 家
。 歳 余
、 児 子 死 亡 略 尽
。 班 惶 懼
、 復 詣 泰 山、 扣 樹 求 見
。昔 騶 遂 迎 之 而 見
。 班乃 自 説「 昔 辞 曠 拙。 及 還 家、 児 死 亡至 尽
。 今恐 禍 故 未已
、輒 来 啓 白
。幸 蒙 哀 救
。」 府 君 拊 掌 大 笑 曰
「昔 語 君
『 死 生 異 路、 不 可 相 近
』 故 也。
」即 敕 外 召 班 父
。 須 臾
、至 庭 中
、 問 之
「昔 求 還 里 社
、 当 為 門 戸作 福
、而 孫 息 死亡 至 尽
、何 也。
」答 云「 久 別 郷里
、 自欣 得 還
。 又 遇 酒食 充 足
、実 念諸 孫
、召 之。
」於 是 代之
。 父 涕泣 而 出
。班 遂 還
。 後 有 児皆 無 恙
。(
『 捜 神 記』 四
) 胡こ 母 班 字 は 季友
、 泰 山 の 人 な り。 曽 て 泰 山 の 側 に 至 る に
、 忽 ち
も は ん あざ な
き いう
た いざ ん
か つ
かた はら
たち ま
樹 間 に 于て 一 絳 衣の 騶 に 逢ふ
。 班 を呼 び て 云ふ
「 泰 山 府君
召す な り
」
じゆ か ん おい
かう い
す う
あ
い
た いざ ん ふ くん
と
。 班は 驚 愕 し
、 逡 巡 して 未 だ 答へ ず
。復 た 一 騶の 出 づ る有 り て
、
はん
き やう が く
し ゆん じゆ ん
い ま
ま
いち すう
い
之 を 呼 ぶ。 遂 に 随 ひ 行 く こと 数 十 歩、 騶 は班 に 暫 く 瞑せ ん こ とを 請
これ
つひ
し たが
しば ら めい
こ
ふ
。 少頃 に し て、 便 ち 宮 室 を見 る に
、威 儀 甚 だ 厳 なり
。 班 乃 ち
しば らく
すな は きゆ うし つ
ゐ ぎ は なは
げん
すな は
閣 に 入 りて 拝 謁 す。 主 為 に 食 を 設け
、班 に 語 り て曰 く「 君 に見 は ん
かく
い
は いえ つ
た め しよ く まう
いは
あ
と 欲 す るは
、他 無 し
。 書を 附 し て女 壻 に 与へ ん と 欲す る 耳
」と
。 班 問
た
ふ
ぢよ せ い あた
のみ
ふ「 女 郎 何 く にか 在 る
」と
。 曰 く「 女 は河 伯 の 婦為 り
」と
。班 曰 く
ぢ よら う い づ
むす め
か は く
た
「 輒 ち当 に書 を 奉ず べき も
、何 に縁 り て達 する を得 る かを 知ら ず
」と
。
すな は ま さ
よ
答 へて 曰 く「 今 河の 中流 に 適き
、便 ち舟 を 扣き て青 衣を 呼 べば
、当 に
かは
ゆ
たた
まさ
自 か ら 書 を 取 る 者 有 る べ し
」 と。 班 は 乃 ち 辞 し て 出 づ
。 昔 の 騶
おの づ
じ
さき
すう
復 た閉 目 せ令 む
。 頃 く 有り て、 忽ち 故 の道 の如 し。 遂に 西 に行 き、 神
ま
へい も く
し
し ばら
も と み ち ご と
の 言 の 如く に して 青 衣 を呼 ぶ
。須 臾 に して
、果 た し て一 女 僕 の出 づ る
しゆ ゆ
いち ぢ よぼ く
有 り
、書 を 取 り て沒 す
。 少頃 に し て復 た 出 で、 云 ふ「 河 伯 暫 く 君 に
ま
し ばら
見 は んと 欲す
」と
。婢 も 亦た 瞑 目せ ん こと を請 ふ
。遂 に 河伯 に拝 謁 す
。
あ
ひ
ま
め いも く
はい え つ
河 伯 乃 ち大 いに 酒 食 を設 け、 詞 旨殷 勤 なり
。去 るに 臨 み
、班 に謂 ひて
ま う
し し いん ぎ ん
い
曰 く
「 君の 遠 く 為に 書 を 致す に 感 ずる も
、 物の 相 ひ 奉ず る 無 し」 と
。
ため
あ
是 に 於て 左 右に 命 ず「 吾の 青 糸 の履 を 取り て 来れ
」と
。以 て 班に 貽 る
。
ここ
われ
せ い し
り
きた
お く
班 出 で
、瞑 然 と して
、 忽 ち 舟 に還 る を 得た り
。 遂に 長 安 に 於て し
、
い
めい ぜ ん
たち ま
ち やう あ ん おい
年 を 経 て還 る
。泰 山の
側 に至 り
、敢 へ て潜 か に 過ぎ ず
。遂 に樹 を 扣
へ
かへ
か たは ら
あ
ひそ
つひ
たた
き
、 自 ら 姓 名 を 稱 し「 長 安 従り 還 り
、消 息 を 啓 せん と 欲 す」 と
。 須
み づか
し よう
よ
せう そく
けい
しゆ
臾 にし て
、昔 の騶 出 で
、班 を引 きて 向の 法の 如く して 進ま しむ
。因 り
ゆ
さ き す う
さき
ごと
よ
て 書 を 致す
。 府 君 請 けて 曰 く「 当 に別 に 再 報す べ し
」と
。 班 語 り 訖
う
まさ
さい ほう
をは
り
、 厠 に如 く
。 忽 ち 其の 父 械 を 著 けて 徒 作 する を 見 る。 此 の 輩 数
かは や
ゆ
たち ま
そ
かせ
つ
と さく
こ
百 人 あ り
。 班は 進 み 拝 し て 流 涕 し、 問 ふ
「 大 人 何 に因 り て 此 に 及 ぶ
は い
りう てい
たい じん
こ こ
や
」と
。 父云 ふ「 吾 死 し て、 不 幸 に して 遣 は るる こ と 三年
、今 已 に
われ
つ か
す で
二 年 な り。 困 苦 処 す 可か ら ず
。 汝 の今
明府 の 識 る所 と 為 るを 知 る
。
こ ん く し よ
べ
なん ぢ
めい ふ
し
な
吾 が為 に之 を陳 ぶ可 し
。此 の役 を 免 れん こと を 乞ひ
、便 ち 社公 を得 ん
わ
ため
の
べ
こ
ま ぬか
こ
しや こう
と 欲 す る耳
」と
。班 乃 ち 教 に依 り
、叩 頭 し て陳 べ 乞 ふ。 府君 曰 く「 死
の み
す なは
け う
よ
こう と う
の
こ
生 路を 異 に すれ ば
、相 ひ 近 づ く可 か ら ず。 身 の 惜し む 所 無き か
」と
。
みち
こ と
あ
べ
班 苦 ろに 請 ひ て、 方 め て之 を 許 す。 是 に 於て 辞 し 出で
、 家 に還 る
。
ねん ご
は じ
こ こ おい
歳 余 にし て
、児 子 死 亡し て略 ぼ尽 きん とす
。班 惶 懼し
、復 た 泰山 に
さい よ
じ し
ほ
つ
くわ う く
ま
詣 り
、樹 を 扣 きて 見 え んこ と を 求む
。昔 の 騶 遂 り て之 を 迎 へて 見 る
。
いた
たた
ま み
よ
班 乃ち 自 ら 説く
「 昔 に 辞 し て より 曠 拙 なり
。 家 に 還 る に 及び
、 児
みづ か
く わう せつ
死 亡 し て尽 く るに 至 ら んと す
。今 禍 故 の 未だ 已 ま ざる を 恐れ
、 輒 ち
くわ こ
や
すな は
来 りて 啓 白す
。幸 はく は哀 救 を 蒙 ら ん」 と。 府君 掌 を拊 ち大 笑し て
きた
けい はく
ねが
あい き う か うむ
しや う
う
曰 く「 昔 君 に『 死生 路 を 異 にす れ ば
、相 ひ 近 づ く可 か ら ず』 と 語 る
みち
こと
あ
べ
の 故 なり
」と
。 即 ち 外 に 敕 し て班 が父 を 召す
。須 臾 にし て
、庭 中 に
ゆ ゑ
すな は
ち よく
しゆ ゆ
て いち ゆ う
至 れ ば
、 之 に問 ふ
「 昔 求 め て 里 社 に還 る
。 当 に 門 戸に 福 を 作 す べ き
り しや
まさ
もん こ
な
に
、 而 る に 孫 息 死 亡 して 尽 く る に 至 る は
、何 ぞ や
」 と。 答 へ て 云 ふ
「 久し く 郷 里に 別 れ
、自 ら還 る を 得た る を 欣 ぶ。 又 た酒 食 の 充足 す る
よろ こ
ま
に 遇 ひ
、 実 に 諸 孫 を 念 へ ば、 之 を 召 す
」と
。 是 に 於 て 之 を代 ふ
。 父
あ
まこ と
おも
ここ
か
涕 泣 し て出 づ
。 班 遂 に還 る
。 後に 児 有 るも 皆 な 恙 無し
。
てい き ふ
じ
み
つつ が
① 胡母 班
─ 後 漢・ 泰 山の 人
。 字 は 季 友。 官は 執 金 吾( 武 官 職の 中
あ ざ な
き ゆう
し つ き ん ご
尉
)。 山東 の兵 が起 こる と、 董卓 の使 者と なり
、袁 紹 ら の諸 軍に
と う たく
えん し ょ う
説 いた が、 遂に は害 され た。
②太 山府 君─ 太山 の神
。人 の生 死を 掌る
。太 山( 泰山
)は
、山 名。 五 嶽( 古代 中国 で崇 拝さ れた 五つ の霊 山) の一
。山 東省 泰安 県の
先 坊 幸 子 283
二 五
北 にあ る。 死者 の魂 が集 まる とさ れる
。
③請
─こ の字
、『 太平 御覧
』は
「詣
」に 作る
。
④河 伯─ 河の 神
。水 神
。『 捜神 記』 に
、河 伯は 太山 府君 の「 女壻
」( 娘 婿
)と ある
。
⑤甚 精巧 也─
『捜 神記
』に は、 こ の後 に胡 母班 が太 山へ 報告 に行 き、
こ も は ん
そ こで 既に 亡く なっ てい た父 親 に会 うと いう 内 容が 記 され て いる
。 度索 君
ど さく く ん
袁 18 本初 時、 有神 出
①
河 東。 号度 索君
、人 共立 廟。
②
③
兗州 蘇氏 母病
、往
④
祷
。見 一人
、著 白布
、単 衣高 冠。 冠似 魚頭
。謂 度索 君曰
「昔 臨廬
⑤
⑥
⑦
山 下、 共 食白 李。 未久 已三 千年
。日 月易 得、 使人 悵然
。」 去 後、 度
⑧
索 君曰
「此 南海 君也
。」
⑨
袁ゑん
本初 の 時
、神 有 りて 河 東 に 出 づ。 度索 君 と 号 し、 人 共 に 廟を 立
ほん しよ
か と う
い
ど さく く ん
が う
べう
つ。 兗えん
州の 蘇 氏 の 母 病 み、 往 き て祷 る
。一 人 を 見 る に、 白布 を 著
しう
そ し
ゆ
いの
つ
け、 単 衣高 冠す
。冠 は魚 の頭 に似 たり
。度 索 君に 謂ひ て曰 く「 昔 廬
い
い は
ろ
山の 下に 臨み て、 共に 白李 を食 らふ
。未 だ久 しか らざ るに 已に 三千
ざ ん
い ま ひ さ
す で
年な り。 日 月 得易 く、 人 をし て悵 然た ら使 む」 と
。去 り て後
、度 索
し
君曰 く「 此れ 南海 君な り」 と。
い は
こ
【通 釈】 袁 本初 の時
、神 が河 東に 現 れた
。度 索 君と 名 乗り
、人 々 は共 に 廟
え ん ほ んし ょ
か とう
ど さ く くん
びょ う
を立 て た。 兗えん
州 の蘇 氏の 母 が病 気 にな り
、そ こへ 行っ て祈 り を捧 げ
し ゅう
た。 一 人の 男が 現れ
、白 い 布を 身 につ け、 単 衣に 高冠 をつ けて い た。 冠は 魚の 頭に 似て いた
。度 索君 に言 うに は「 昔 廬山 の下 に行 って
、
ろ ざん
一緒 に白 李を 食べ た。 そう 長い 時と も思 えな いの に三 千年 が経 って しま った
。月 日 の流 れる のは 速く
、人 に恨 み嘆 かせ るも のだ ね」 と。 去っ て後
、度 索君 が「 今の は南 海君 だ」 と言 った
。
【語 釈】
* こ の 話 は
『 斉 民 要 術
』 一
〇
、『 初 学 記
』 二 八
、『 芸 文 類 聚
』 八 六
、『 太 平 御 覧
』八 八 二
、九 六 八 に 見 え る
。ま た
、こ の 事 は『 捜 神 記
』一 七(
『 太 平 広 記
』 二 九 三 引
) に 見 え る
。 袁 紹 字本 初
、在 冀 州
。有 神 出河 東
、号 度 朔 君。 百 姓 共為 立 廟
。廟 有 主 簿 大福
。 陳 留蔡 庸 為 清河 太 守
、過 謁 廟
。有 子 名 道、 亡 已 三十 年
。 度 朔 君為 庸 設 酒、 曰「 貴 子昔 来
、欲 相 見
。」 須 臾
、子 来
。度 朔君 自 云
「父 祖 昔 作 兗 州
。」 有 一 士 姓 蘇
、 母 病 往 祷
。主 簿 云
「君 逢 天 士
。 留 待
。」 聞 西 北 有鼓 声 而 君至
。 須 臾、 一客 来
。 著皂 単 衣
、頭 上五 色 毛
、 長 数 寸。 去後
、復 一 人
。著 白布 単 衣
、高 冠
、冠 似 漁頭
。謂 君 曰「 昔
、 臨 廬 山
、 共食 白 李
。 憶 之 未 久
、已 三 千 歳
。 日 月 易得
、 使 人 悵 然
。」 去 後
、 君 謂 士 曰「 先 来 南 海 君 也
。」 士 是 書 生、 君 明 通 五 経
、善
『 礼 記
』。 与 士 論 礼
、士 不 如 也
。 士 乞 救 母 病。 君 曰
「卿 所 居 東 有 故 橋
、 人 壊 之
。 此 橋 所行
、 卿 母 犯 之
。能 復 橋
、 便 差。
」 曹 公討 袁 譚
、 使 人 従 廟 換千 疋 絹
、君 不 与
。曹 公 遣 張郃 毀 廟
。未 至 百 里、 君 遣 兵数 万
、 方 道 而来
。 郃 未達 二 里
、雲 霧 繞 郃軍
、不 知廟 処
。 君語 主 簿「 曹 公 気 盛
、 宜 避之
。」 後 蘇 并 鄰 家 有 神 下
、 識君 声
。 云
「昔 移 入 胡
、 闊 絶 三 年
。」 乃 遣 人 与 曹 公 相 聞。
「欲 修 故 廟
、 地 衰 不 中 居、 欲 寄 住
。」 公 曰
「甚 善
。」 治 城 北 楼以 居 之
。数 日
、曹 公 猟。 得 物
、大 如麑
、大 足
、色 白 如 雪、 毛 軟 滑可 愛
。 公以 摩 面
、莫 能 名 也。 夜 聞 楼上 哭
。 云「 少 児 出 行 不還
。」 公拊 掌 曰「 此子 言
、真 衰 也。
」晨 将数 百 犬
、繞 楼下
。 犬 得 気
、 冲 突 内 外
。見 有 物 大 如 驢
、自 投 楼 下
。 犬 殺 之、 廟 神 乃 絶
。
(『 捜 神記
』 一 七) 袁 紹 字 は 本 初
、冀 州( 河北 省
)に 在 り。 神の
河東 に 出づ る 有 り、 度
えん せ う あ ざな
ほ んし よ
き しう
あ
か とう
い
ど
朔 君 と 号す
。 百 姓 共 に 為に 廟 を 立つ
。廟 に主 簿 の 大福 な る 有り
。陳
さく く ん がう
ひや くせ い と も ため
べ う
た
しゆ ぼ
中国六朝古小説訳注『列異伝』(三)
282
二 六 留 の蔡 庸 は清 河 太守 と為 り
、過 りて 廟に 謁す
。子 の道 と名 づく る有 り、
な
よ ぎ
だ う
亡 し て 已に 三 十 年な り
。 度朔 君 庸 の 為 に酒 を 設 け、 曰く
「貴 子 昔 来
し
すで
ため
まう
いは
きた
り
、相 ひ見 え ん と欲 す
」と
。 須 臾 にし て
、子 来 る
。 度朔 君 自 ら 云 ふ
あ
まみ
し ゆ ゆ
きた
み づか
い
「 父 祖は 昔 兗えん
州 と作 る
」と
。一 士の 姓 蘇な る有 り
、母 病め ば往 きて 祷
しう
な
や
ゆ
いの
る
。主 簿 云 ふ「 君 天 士と 逢 ふ
。留 待せ よ
」と
。西 北 に 鼓声 有 るを 聞 き
しゆ ぼ
て 君 至 る。 須 臾に し て
、一 客 来る
。 皂の 単 衣 を著 け
、頭 上 に 五色 の 毛
しゆ ゆ
きた
くろ
つ
の
、長 さ 数 寸な るあ り
。去 りて 後
、復 た一 人 あり
。白 布 の単 衣 を著 け
、
ま
つ
高 冠 す るに
、 冠 は漁 頭 に 似た り
。 君に 謂 ひ て曰 く
「 昔、 廬 山 に臨 み
、
い
のぞ
共 に 白 李を 食 ふ
。之 を 憶 ふも 未 だ 久し か ら ざる に
、 已に 三 千 歳な り
。
とも
く ら
これ
おも
い ま ひさ
すで
日 月 は 得易 く
、人 を し て 悵然 た ら 使む
」と
。去 り て 後、 君 は 士に 謂 ひ
やす
し
て 曰 く「 先 に 来 るは 南 海 君な り
」と
。 士 は 是れ 書 生 にし て
、君 は 五 経
きた
こ
に 明 通 し
、『 礼 記
』を 善 く す
。 士 と 礼 を論 じ
、 士 は 如 か ざ るな り
。 士
よ
し
は 母 の 病 を 救は ん こ とを 乞 ふ
。君 曰 く「 卿の 居 る 所の 東 に 故橋 有 り
、
やま ひ
こ
人 之を 壊 す
。此 の 橋 の行 く 所
、卿 が 母 之 を犯 す
。 能く 橋 を 復さ ば
、
これ
こ は
こ
よ
ふく
便 ち 差え ん
」と
。曹 公は 袁 譚を 討ち
、人 を して 廟に 従ひ て千 疋 の絹 を
すな は
い
換 へ使 むる も、 君 与へ ず。 曹 公 張郃 を遣 はし て廟 を毀 たし む。 未だ 至
し
あた
つか
こ ぼ
いま
ら ざ る こと 百 里
、君 兵 数 万を 遣 は し、 道 に方 た り て来 る
。郃 未 だ 達
あ
きた
いま
せ ざ る こと 二 里
、雲 霧 郃 の軍 を 繞 り、 廟 の処 を 知 らず
。 君 主簿 に 語 る「 曹 公の 気 盛 ん な れば
、宜 しく 之 を 避く べ し
」と
。 後 蘇 并び に 鄰
さ か
よろ
こ れ
さ
なら
家 に 神 の 下 る 有 り
、君 の 声 な る を 識 る。 云 ふ
「 昔 移 り て胡 に 入 り
、
し
闊 絶 す るこ と 三 年な り
」と
。 乃 ち人 を 遣 はし て 曹 公と 相 ひ 聞せ し む
。
すな は
つか
あ
「 故の 廟 を 修せ ん と 欲す る も
、地 衰 へ 居す る に 中ら ざ れ ば、 寄 住せ ん
もと
あた
と 欲 す
」 と。 公 曰 く
「 甚 だ 善 し
」と
。 城 の 北 楼を 治 し て 以 て 之 に 居
はな は
よ
せ し む
。 数 日 にし て
、 曹 公 猟 す
。物 を 得 た る に
、大 な る こ と 麑 の 如ごと
く
、 大 足に し て
、色 の 白 きこ と 雪 の如 く
、 毛は 軟 滑 にし て 愛 す可 し
。
ごと
べ
公 以て 面 を摩 す る も、 能 く名 づ くる 莫 き なり
。夜
楼上 に 哭 する を 聞
な
く
。 云 ふ「 少 児 出 で 行き て 還 らず
」と
。公 掌 を 拊 ちて 曰 く「 此 の 子
い
ゆ
う
こ
し
の 言
、 真 に 衰 へた る な り」 と。 晨 に 数百 の 犬 を将 き て
、楼 下を 繞 る
。
ま こと
ひ
犬 気を 得 て
、内 外に 冲 突 す。 物 有り て 大 なる こ と 驢の 如 き を見 る に
、
ご と
自 ら楼 下 に 投ず
。 犬 之 を殺 し
、 廟神 乃 ち絶 ゆ
。
みづ か
これ
すな は
た
①袁 本初
─袁 紹
。後 漢、 汝 陽の 人。 本 初は 字
。初 平二 年( 一九 一)
え ん し ょう
じ ょ よ う
ほ ん し ょ あ ざな
に冀 州 牧 韓馥 か ら長 官 の地 位 を奪 い取 った と され てい る
。こ の話
き し ゅ う か んふ く
は それ 以降
、息 子 の袁 譚が 殺さ れる 建安 十年
(二
〇五
)の 三年 後、
えん た ん
建 安十 三年 頃ま での 話と 考え られ る。
②河 東─ 地名
。戦 国時 代の 梁の 地。 山西 の境 内で は、 山西 の西 境か ら 南北 に流 れる 黄河 以東 の地 を河 東と いう
。
③度 索君
─神 の名
。『 捜 神記
』は
「度 朔君
」に 作る
。「 度 索」 は山 名。
「 度朔
」に 同じ
。
④兗 州蘇 氏母 病─ この 六字
、『 太平 御覧
』八 八二 は「 兗州 蘇士 母荘
」
( 兗えん
州 の蘇 士の 母 荘 なり
)に
、『 捜 神記
』は
「 有一 士姓 蘇、 母 病往
しう
そ し
祷
」( 一士 の姓
蘇な る有 り、 母病 めば 往き て祷 る) 九字 に作 る。
や
ゆ
い の
ま た、 蘇 氏の 母親 の病 につ いて
、『 捜神 記』 に「 士乞 救母 病。 君曰
『 卿 所 居 東 有 故 橋、 人 壊 之
。此 橋 所 行
、卿 母 犯 之。 能 復 橋
、便 差
。』
」( 士は 母の 病 を救 はん こと を乞 ふ。 君曰 く「 卿の 居る 所の
やま ひ
こ
東 に故 橋有 り
、人 之 を壊 す。 此 の橋 の行 く 所、 卿 が母
之を 犯 す。
これ
こ は
こ
能く 橋を 復 さば
、 便 ち 差え ん
」と
。) とい う記 述が 見 える
。「 兗 州」
よ
ふ く
すな は
い
は
、州 名。 今の 山東 省。
⑤冠 似魚 頭─ この 四字 以前 の句
、『 芸文 類聚
』に 無し
。『 初学 記』
『太 平 御覧
』九 六八 に「 冠」 字無 し。
⑥謂 度索 君曰
─こ の五 字、
『芸 文類 聚』 は「 度索 君謂 南海 君曰
」( 度 索 君 南海 君に 謂ひ て曰 く) 八字 に、
『 太平 御覧
』八 八二 は「 度索 君 曰」
(度 索君 曰く
)四 字に 作る
。
⑦廬 山─ 山名
。江 西省 星子 県の 西北
、九 江県 の南
。古 くは 南障 山と
先 坊 幸 子 281
二 七
い った
。風 景は 澄み きっ て美 しく
、気 候が 温和 で、 避暑 地と され る
。山 中に は様 々な 名勝 の地 があ る。
「廬
」字
、『 太 平御 覧』 八八 二 は「 慮」 に作 る。
⑧日 月易 得─ 以降 の句
、『 芸文 類聚
』に 無し
。
⑨南 海君
─南 海の 神の 名。 華歆
く わ きん
華 19 歆為
①
諸生 時、 嘗宿 人門 外。 主人 婦夜 産。 有頃
、両 吏詣 門、 便辟
②
③
易 卻、 相謂 曰「 公在 此。
」躊 躇良 久、 一吏 曰「 籍当 定。 奈何 得住
。」
④
乃 前 歆 拝
、相 将 入。 出 並 行、 共 語 曰「 当 与 幾 歳。
」一 人 曰
「当 三 歳
。」 天明
、歆 去。 後欲 験其 事、 至三 歳、 故往 問児 消息
、果 已死
。
⑤
⑥
歆 乃自 知当 為公
。
⑦
後 果為 太尉
。
⑧
華くわ
歆 諸 生為 り し 時、 嘗 て 人 の門 外 に 宿る
。主 人 の 婦 夜 に 産 む。
きん し よ せ い た
か つ
ひ と も ん ぐ わ い
頃 く有 りて
、 両 吏 門に 詣る や
、 便 ち 辟易 し て 卻 き
、相 ひ 謂ひ て
し ばら
りや う り
い た
す な は へき え き
し り ぞ
あ
い
曰く
「公
此に 在り
」と
。躊 躇す るこ と良 や久 しく し、 一吏 曰く
「籍
い は
こう こ こ
あ
ちう ち よ
や
いち り
せ き
当に 定む べし
。
ま さ
奈 何
い か ん
ぞ 住ま るを 得ん や」 と。 乃 ち歆 に前 みて 拝し
、
と ど
す なは
きん
すす
は い
相ひ 将き て入 る。 出で て並 び行 き、 共に 語り て曰 く「 当に 幾歳 を与
あ
ひ
い
い
な ら
ゆ
と も
ま さ い くさ い あ た
ふべ きか
」と
。 一人 曰く
「当 に三 歳な るべ し」 と
。天 明け
、歆 去 る。
ま さ
き ん
後に 其の 事を 験さ んと 欲し
、三 歳に 至り
、 故 に 往き て児 の消 息を
の ち
そ
こ と た め
こ と さ ら
ゆ
じ
せ う そ く
問 ふに
、果 た し て 已に 死 す
。歆 乃 ち 自 ら 当 に 公と 為 る べ きを 知
は
すで
き ん す な は
みづ か
ま さ
な
る。 後 果た して 太尉 と為 る。
の ち は
た い ゐ
【通 釈】 華 歆が 諸生 だっ た頃
、或 る人 の門 の外 に宿 った こと があ った
。そ
か き ん
この 主人 の妻 が夜 に出 産し た。 暫く して
、二 人の 役人 が門 のと ころ にや って 来た が、 進み かね て退 き、 こう 言い 合っ てい た「 公が 此処 にい るぞ
」と
。暫 くの あい だ躊 躇し てい たが
、片 方の 役人 が「 籍を 定め なけ れば なら ない のに
、ど うし て止 まる こと がで きよ うか
」と 言っ た。 そ こで 歆 のも と へ進 ん で挨 拶 し、 連 れ立 って 入 って 行っ た。 出て 来て 並ん で歩 き、 共に 語っ て言 うに は「 何歳 の寿 命を 与え るべ きか
」と
。一 人が 言っ た「 三歳 の寿 命を 与え よう
」と
。夜 が明 け、 歆は 去っ た。 後に その 事を 確か めた いと 思い
、三 年が 経つ と、 わざ わざ 出掛 けて いっ て子 供の 消息 を尋 ねた が、 果た して 已に 亡く なっ
す で
てい た。 歆は それ で自 らが 公と なる 運命 であ るこ とを 知っ た。 その 後 果た して 太尉 にな った
。
た い い
【語 釈】
* こ の 話 は
『 三 国 志
』 巻 一 三
・ 華 歆 伝 注
、『 太 平 御 覧
』 三 六 一 お よ び 四 六 七 に 見 え る
。 ま た
、 こ の 事 は
『 捜 神 後 記
』 巻 三
(『 太 平 御 覧
』 三 六 一 引
『 列 異 伝
』に
「 續 捜 神 記 同
」と 付 す
) に 見 え る
。 ま た『 三 国 志
』 巻 一 三
・ 華 歆 伝 の 注 に 引 く
『 晋 陽 秋
』、
『 晋 書
』 巻 四 一
・ 魏 舒 伝
、『 捜 神 記
』 巻 九 に 同 様 の 話 が あ る
。 平 原 華歆
、字 子魚
。 為 諸生 時
、常 宿 人 門 外。 主 人 婦夜 産
。 有頃
、両 吏 来 詣其 門
、便 相 向辟 易
、欲 退
。 却相 謂 曰「 公 在此
。」 因 踟蹰 良 久
、 一 吏 曰「 籍当 定
。奈 何 得 住
。」 乃 前 向 子魚 拝
、相 将 入
。出 並 行
、共 語 曰
「 当与 幾 歳
。」 一人 云
「 当与 三 歳
。」 天 明、 子 魚 去。 後 欲 験其 事
、 至 三 歳
、 故往 視 児 消 息
、 果 三 歳 已死
。 乃 自 喜 曰
「我 固 当 公
。」 後 果 為 太 尉。
(『 捜 神後 記
』 巻三
) 平 原 の 華 歆
、 字 は 子 魚。 諸 生 為 り し 時
、常 て 人 の 門 外 に 宿 る。 主 人
へい げ ん く わき ん あざ な
し ぎよ
た
か つ
の 婦 夜 に 産 む。 頃 く有 り て
、 両 吏 来 り て其 の 門 に詣 り
、 便 ち 相 ひ
しば ら
り やう り き た
い た
す なは
あ
向 か ひ て 辟 易 し
、退 か ん と 欲 す
。却 り て 相 ひ 謂 ひ て 曰く
「 公 此 に 在
へ きえ き
かへ
あ
い
こ こ
あ
中国六朝古小説訳注『列異伝』(三)
280
二 八 り
」と
。因 り て 踟 蹰 する こ と 良や 久 し くし
、一 吏曰 く「 籍 当に 定 む
よ
ち ちゆ う
や
せき まさ
べ し
。 奈何
い か ん
ぞ 住 まる を 得 んや
」と
。 乃 ち 前み て 子 魚に 向 か ひて 拝 し
、
とど
すな は すす
は い
相 ひ 将 きて 入 る
。出 で て 並び 行 き
、共 に 語り て 曰 く「 当 に 幾 歳を 与 ふ
あ
ひ
い
い
なら
ゆ
と も
まさ
べ き か
」と
。 一人 云 ふ「 当 に 三歳 を 与 ふべ し
」と
。 天 明け
、子 魚 去 る
。
い
ま さ
あた
後 に 其 の事 を 験さ ん と 欲し
、三 歳 に 至 り、
故 に 往 き て児 の 消息 を 視
のち
そ
ため
こと さら
ゆ
み
る に
、果 たし て三 歳 にし て已 に死 す
。 乃 ち 自 ら喜 びて 曰く
「 我 固 よ
は
す で
す なは
みづ か
いは
もと
り 当 に 公た る べ し」 と
。 後 果 たし て 太 尉と 為 る
。
ま さ
のち
は
たい ゐ
な
魏 舒
、字 陽 元
、任 城 樊 人也
。 少 孤。 嘗 詣 野王
、主 人妻 夜 産
。俄 而 聞 車 馬 之声
。相 問 曰「 男 也、 女 也。
」曰
「 男
。」
「 書之
、十 五 以 兵 死。
」復 問
「 寝者 為 誰
。」 曰
「魏 公
。」 舒 後十 五 載
、詣 主 人
、問 所 生 児何 在
。 曰「 因 条 桑、 為 斧 傷 而死
。」 舒自 知 当 為公 矣
。(
『 捜 神記
』巻 九
・「 魏ぎ 舒
」)
じ よ
魏 舒
、字 は 陽 元、 任 城・ 樊 の人 な り
。少 く して 孤 と なる
。 嘗 て野 王 に
ぎ じ よ
はん
わ か
至 る に
、主 人 の妻 夜 に 産 す。 俄 に し て 車馬 の 声 を聞 く
。相 問ひ て 曰
には か
く
「 男 な る か
、女 な る か
」 と
。曰 く
「 男 な り
」と
。「 之 に 書 す る に
、 十 五 に して 兵 を 以て 死 す
」と
。復 た問 ふ「 寝 ね たる 者 は 誰と 為 す
」と
。 曰 く
「 魏 公 な り」 と
。 舒 は 後 十 五 載、 主 人 に 詣 り
、生 ま る る 所 の 児
のち
いた
何 く にか 在る と 問ふ
。曰 く「 桑 を条 す るに 因 りて
、斧 の 傷の 為に 死 す」
いづ
と
。 舒 は自 ら 当 に公 と 為 るべ き を 知る
。
①華 歆─ 三国
・魏 の高 唐の 人。 字は 子魚
。封 は博 陵侯
。諡 は敬
。若 い 頃に 邴原
・管 寧と 遊学 し、 一龍
(歆 は龍 頭、 寧は 龍腹
、原 は龍
へ いげ ん
尾
)と 呼ば れた
。漢 末に 孝廉
(漢 代、 朝廷 が各 郡に 推挙 させ た人
こ うれ ん
物 の徳 目の 一) に推 挙さ れて 郎中 とな り、 後に 豫章 太守 に任 命さ れ
、公 正な 政治 を行 った
。魏 の文 帝( 曹丕
)の 時、 宰相 に任 命さ
そ う ひ
れ
、明 帝の 時に 太尉 に転 じ、 太和 年間 に亡 くな った
。(
『 三国 志』 十 三)
②諸 生─ 在学 の士
。学 官の 弟子 をい う。
③便 辟易 卻─ この 四字
、『 太平 御覧
』三 六一 は「 便相 向僻 易、 欲退
」
( 便 ち相 ひ 向か ひて 僻 易し
、退 かん と欲 す
)七 字に
、四 六 七は
「便
す な は
あ
へ き えき
辟 易却
」( 便 ち 辟易 して 却 く) 四字 に、
『 捜神 後記
』は
「便 相向
す な は へ きえ き
し りぞ
辟 易、 欲退
、却
」( 便 ち 相ひ 向か ひて 辟易 し、 退か んと 欲し
、却
す な は
あ
へ きえ き
か へ
り て) 八字 に作 る。
④躊 躇─ この 二字
、『 捜神 後記
』及 び『 太平 御覧
』三 六一 は「 踟蹰
」
ち ちゅ
に
、四 六七 は「
躊 蹰
」 に作 る。
ち ゅう ち ゅ う
⑤天 明、 歆去
─こ の四 字、
『太 平御 覧』 に無 し。
⑥ 後欲 験 其 事、 至 三 歳、 故往 問 児 消 息、 果 已死
─ こ の 十 七字
、『 太 平 御覧
』三 六一 は「 子魚 後故 往視 之、 児果 年三 歳已 死」
(子 魚 後のち
に 故 に往 きて 之を 視る に、 児 果た して 年三 歳に して 已に 死す
)
こ とさ ら
ゆ
み
は
す で
十 四 字 に
、四 六 七 は
「子 魚 後 故 往 視 之、 児 果 已 死」
(子 魚 後 に
の ち
故 に 往き て之 を視 るに
、児 果 たし て已 に死 す) 十一 字に
、『 捜
こ と さ ら
ゆ
み
は
すで
神 後記
』は
「後 欲験 其事
、至 三歳
、故 往視 児消 息、 果三 歳已 死」
( 後に 其の 事 を験 さん と欲 し
、三 歳に 至り
、 故 に往 きて 児の 消息
の ち
そ
た め
こ と さら
ゆ
せ うそ く
を 視る に、 果た して 三歳 にし て已 に死 す) 十九 字に 作る
。
み
は
す で
⑦歆 乃自 知当 為公
─こ の七 字、
『捜 神後 記』 及び
『 太平 御覧
』三 六一 は
「乃 自喜 曰、 我固 当公
」( 乃 ち 自 ら喜 びて 曰く
、我
固よ り当
す な は み づか
い は
も と
ま さ
に 公た るべ しと
)に
、『 太平 御覧
』四 六 七は
「子 魚喜 曰、 我 固当 公」
(子 魚喜 びて 曰く
、我 固 より 当に 公と なる べし と) に作 る。
いは
も と
ま さ
⑧後 果為 太尉
─こ の五 字、
『三 国志
』に 無し
。「 太 尉」 は、 官名
。今 の 防衛 大臣
、国 防大 臣な どに 相当 する
。
先 坊 幸 子 279