︿論説﹀
フ ィ リ ピ ン ・マ レー シ ア 間 の 北 ボ ル ネ オ ・サ バ 領 を め ぐ る 領 有 権 紛 争 の 淵 源(一う
フ ィ リ ピ ン
●マ レ ー シ ア 問 の 北 ボ ル ネ オ ・ サ バ 領 を
め ぐ る 領 有 権 紛 争 の 淵 源 O
飯 田 順 三
目次
一はじめに
二北ボルネオ・サバ領問題の経緯と関係諸条約
ースルー・ブルネイ・スペインの三国対立構造
2 一 七 六 四 年 条 約 の 締 結 イ ギ リ ス 東 イ ン ド 会 社 の 北 ボ ル ネ オ 進 出 1
3一八七七年三国議定書の締結イギリス・ドイツとスペインの対立
4 一 八 七 八 年 契 約 の 締 結 ー イ ギ リ ス 北 ボ ル ネ オ 暫 定 協 会 の 北 ボ ル ネ オ 進 出 ー
ω } 八 七 八 年 契 約 締 結 ま で の 経 緯
② 一 八 七 八 年 契 約 内 容 の 解 釈 問 題
5 一 八 七 八 年 ス ル ー ・ ス ペ イ ン 間 降 伏 条 約 の 締 結 ー ス ペ イ ン の ス ル ー 征 討 1
6 一 八 八 五 年 三 国 議 定 書 の 締 結 ー イ ギ リ ス と ス ペ イ ン の 対 立 と イ ギ リ ス の 北 ボ ル ネ オ 併 合 政 策
7フィリピンのスルー併合(以上本号)
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はじめに
フ ィ リ ピ ン の ラ モ ス 大 統 領 は 一 九 九 三 年 一 月 二 七 日 か ら 三 〇 日 ま で マ レ ー シ ア 連 邦 を 訪 れ た ︒ フ ィ リ ピ ン の 元 首 が
マ レ ー シ ア を 公 式 訪 問 す る の は 一 九 六 八 年 以 来 初 め て の こ と で あ る ︒ 両 国 の 外 交 関 係 に お い て は ︑ ボ ル ネ オ 島 北 東 部
サ バ 地 域 ( サ バ と は 古 来 か ら の 北 ボ ル ネ オ の 呼 称 で あ る ︒ ) の 領 土 権 の 帰 属 問 題 が 三 〇 年 間 の 懸 案 事 項 と な っ て お り ︑
す で に ︑ マ レ ー シ ア 連 邦 発 足 の 一 九 六 三 年 に は 両 国 は こ の 問 題 を め ぐ り 国 交 断 絶 に 陥 り ︑ 六 九 年 に な り 国 交 回 復 し た
も の の ︑ サ バ 領 有 権 問 題 は 現 在 で も 未 解 決 の ま ま で あ る ︒
サ バ は 現 在 で は ︑ マ ラ イ 半 島 に あ る = 州 と ボ ル ネ オ 島 に あ る サ ラ ワ ク ︑ サ バ の 二 州 ︑ 計 = 二 州 か ら 構 成 さ れ て い
る マ レ ー シ ア 連 邦 内 の 一 州 ︑ サ バ 州 と し て 一 九 六 三 以 来 ︑ 国 際 社 会 に 認 め ら れ て い る ︒ 歴 史 的 に は 一 八 八 八 年 ︑ イ ギ
リ ス は ブ ル ネ イ ︑ サ バ ︑ サ ラ ワ ク を 保 護 領 化 し 英 領 ボ ル ネ オ を 結 成 し た ︒ 一 九 四 六 年 ︑ サ バ と サ ラ ワ ク は 英 直 轄 植 民
地 ︑ ブ ル ネ イ は 英 自 治 領 と な っ た が ︑ こ の サ バ が マ レ ー シ ア 連 邦 の 一 州 と し て 組 み 込 ま れ る に お い て ︑ フ ィ リ ピ ン 政
府 か ら 抗 議 が 提 起 さ れ た ︒ 抗 議 の 概 略 は 以 下 の 通 り で あ る ︒ サ バ 地 域 は ブ ル ネ イ ・ サ ル タ ン の 所 有 で あ っ た が ︑ 一 七
〇 四 年 に ス ル ー ・ サ ル タ ン に 割 譲 さ れ た ︒ そ の 後 ︑ 一 八 七 八 年 に ス ル ー ・ サ ル タ ン は 同 地 域 に つ い て ︑ イ ギ リ ス 人 と
の 間 で 割 譲 契 約 を 交 わ し た ︒ フ ィ リ ピ ン は ︑ 一 ︑ サ バ の 領 域 権 は 当 時 ス ペ イ ン に あ り ス ル ー ・ サ ル タ ン に は 領 土 割 譲
権 が な か っ た ︑ 二 ︑ 契 約 内 容 は ﹁ 割 譲 ﹂ で は な く ﹁ 貸 与 ﹂ を 意 味 す る の で ︑ イ ギ リ ス 人 に 割 譲 さ れ た わ け で は な い ︒
三 ︑ そ の 後 一 九 六 二 年 に ス ル ー ・ サ ル タ ン は フ ィ リ ピ ン 政 府 と の 間 で サ バ の 割 譲 条 約 を 締 結 し た の で あ る か ら ︑ サ バ
の 主 権 は フ ィ リ ピ ン に あ る ︒
こ の よ う な フ ィ リ ピ ン 政 府 の 抗 議 に 対 し て ︑ マ レ ー シ ア 連 邦 お よ び イ ギ リ ス 政 府 は 当 時 サ バ 領 有 権 取 得 の 正 当 性 を
フ ィ リ ピ ン ・マ レー シ ア 間 の 北 ボ ル ネ オ ・サ バ 領 を め ぐ る 領 有 権 紛 争 の 淵 源(「)
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主 張 し た た め ︑ 問 題 は 解 決 さ れ ず 今 日 に 到 っ て い る が ︑ 一 九 六 三 年 の マ レ ー シ ア 連 邦 成 立 以 降 ︑ 近 時 ま で こ の 問 題 は
フ ィ リ ピ ン と マ レ ー シ ア 間 の 外 交 問 題 と し て 扱 わ れ て き た ︒ し か し ︑ い わ ゆ る ﹁ 先 住 民 の 権 利 ﹂ が 注 目 さ れ る と い う
国 際 社 会 の 動 向 と あ い ま っ て ︑ ス ル ー の 末 喬 で あ る サ ル タ ン ・ ジ ャ マ ル ル ・ キ ラ ム ( q P HP 9 一二 一 区 一円 9 b ρ ) 氏 は ︑ マ レ ー
シ ア 政 府 が サ バ の 領 域 権 が ス ル ー に あ る と 認 め 且 つ 過 去 か ら の 賃 貸 料 百 億 米 ド ル を 支 払 わ な い 場 A 口 は 戦 争 に 訴 え る と ︑
マ レ ー シ ア を 脅 す 発 言 を し た ︒ キ ラ ム 氏 は ﹁ 我 々 の 時 代 に お い て ︑ 正 し く 我 々 に 帰 属 す る も の を 完 全 に 取 り 返 す ︒ 我 々
は ど ん な 犠 牲 を 払 お う と も ︑ た と え 戦 争 に 訴 え て も 要 求 を 主 張 し 続 け る ﹂ と 語 り ︑ フ ィ リ ピ ン 政 府 に は サ バ 問 題 に つ
い て 交 渉 す る 法 的 権 利 は 全 く な い と 述 べ ︑ も し ︑ サ バ が 現 在 の ま ま で マ レ ー シ ア 連 邦 の ↓ 州 で あ り 続 け る の な ら ば ︑
エ
ス ル ー ・ サ ル タ ン に も 他 の マ レ ー シ ア の サ ル タ ン と 同 様 の 権 利 を 認 め る べ き で あ る と 同 氏 は 主 張 し て い る ︒ つ ま り ︑
キ ラ ム 氏 は 一 九 六 二 年 の フ ィ リ ピ ン 政 府 と の サ バ 領 割 譲 条 約 の 有 効 性 を 否 定 し て い る わ け で あ る ︒
本稿の目的はこのように一八世紀から今日に到るまで未だに蟹されていないサバ領問題について︑その歴史的経
緯を辿り・関係諸条約および当事者の主張を整理し︑かつこの問題についての諸学者の見解を検討することにある︒
二北ボルネオ・サバ領問題の経緯と関係諸条約
ー ス ル ー ・ ブ ル ネ イ ・ ス ペ イ ン の 三 国 対 立 構 造
マ ラ ッ カ ・ メ ダ ン ・ ブ ル ネ イ な ど に 成 立 し た イ ス ラ ム 王 国 の 影 響 の も と で ︑ 一 四 世 紀 に イ ス ラ ム 商 人 や 宗 教 伝 道 者
を 通 し て ・ イ ス ラ ム 教 が ス ル ー 諸 島 ︑ ミ ン ダ ナ オ 島 に 伝 播 し た ︒ ス ル ー 王 国 は 一 五 世 紀 の 半 ば に フ ィ リ ピ ン 南 西 端 の
スルー諸島を中心に成立し︑一五五〇年ごろまでには一つの勢力として成長していたイスラム教徒の王国である︒一方︑北ボルネオには︑海賊によって支配されていたその北東先端沿岸を除いて︑独立した複数の首長がそれぞれの領
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土 を 支 配 し て い た ︒ 彼 ら は ブ ル ネ イ 国 王 を 精 神 的 指 導 者 と 見 な し て い た ︒ ブ ル ネ イ は 一 六 世 紀 に は 北 ボ ル ネ オ ・ ス ル ー
王 国 ︑ そ し て フ ィ リ ピ ン の 一 部 に 支 配 権 を 有 し て お り ︑ こ の 時 期 は ブ ル ネ イ の 全 盛 期 で あ っ た ︒
一 五 六 五 年 に ス ペ イ ン が フ ィ リ ピ ン 侵 略 を 開 始 し ︑ そ の 後 三 〇 〇 年 間 続 く イ ス ラ ム 教 徒 壊 滅 の た め の 侵 略 戦 争 が 始
ま っ た ︒ 一 五 七 八 年 か ら は ス ペ イ ン は ス ル ー 諸 島 の 征 服 を 試 み ︑ ス ル ー 王 国 と ス ペ イ ン と の 武 力 衝 突 も 頻 繁 に 起 き た ︒
最 初 の ス ル ー 王 国 討 伐 は サ ン ド 将 軍 ( 国 ﹃ 9 昌 O 一ω O O 画 ① OQ 9 昌 侮 ① ) の 指 揮 の も と に 開 始 さ れ ︑ ス ル ー 王 国 の 中 心 で あ る ポ
ロ 島 ( q o δ ) は 数 度 に わ た り 攻 め ら れ た ︒ 一 六 三 〇 年 代 に は ス ル ー は ブ ル ネ イ と 共 に ス ペ イ ン 軍 を し ば し ば 攻 撃 し た ・
し か し ス ペ イ ン は 反 撃 に 転 じ ︑ 一 六 四 五 年 に ス ル ー ・ ブ ル ネ イ は 大 打 撃 を 被 り ︑ そ の 後 ブ ル ネ イ は 衰 亡 期 に 入 る ︒ そ
し て ︑ 一 八 世 紀 の 末 ま で に は ︑ ブ ル ネ イ の サ ル タ ン の 力 は サ ル タ ン 宮 廷 を 中 心 と し た ︑ ご く 限 ら れ た 領 域 に 限 定 さ れ ︑
北 東 ボ ル ネ オ の 各 領 域 首 長 に 対 す る 権 威 は 著 し く 低 下 し た ︒ こ の よ う な ブ ル ネ イ の 衰 退 に 対 し て ︑ 徐 々 に ス ル ー 王 国
は ブ ル ネ イ か ら の 独 立 的 地 位 を 獲 得 し た ︒
ス ル ー 王 国 は 一 六 四 四 年 に ︑ ス ペ イ ン の 勢 力 を ス ル ー 王 国 領 域 か ら 排 除 す る た め に ︑ オ ラ ン ダ の 協 力 を 求 め る 目 的
で ︑ イ ン ド ネ シ ア の バ タ ビ ア に 特 使 を 派 遣 し た ︒ オ ラ ン ダ は 翌 年 ︑ 軍 艦 を ス ル ー 海 域 に 送 り ︑ オ ラ ン ダ と 開 戦 を 望 ん
で い な か っ た ス ペ イ ン は ス ル ー 王 国 と 和 平 協 定 を 締 結 し ︑ フ ィ リ ピ ン 群 島 の 一 定 の 範 囲 に お け る ス ル ー 王 国 の 支 配 権
を 認 め た ︒ ま た 一 七 三 七 年 に は そ れ ま で ス ル ー 王 国 ・ ス ペ イ ン 間 で 結 ば れ た 和 平 条 約 を 確 認 す る 意 味 の ︑ 五 箇 条 に わ
ヨ たる和平攻守条約が両国問で締結され︑一時の平和が訪れた︒このように︑スルー王国はスペインの武力の前に時に
は対立し︑時には両者は平和協定を結んだ︒
しかし︑スペインのスルー征服意欲は衰えることなく︑一七六三年に︑スルー諸島の反対に位置する︑ミンダナオ
のザンボアンガ(N9日げo碧σq鋤)に守備隊の駐屯を開始した︒一八二三︑二七年にはスペインは大規模な討伐遠征を
敢行したが︑スルーの抵抗に会い︑ザンボアンガ周辺以上にその支配力を拡大することは出来ず︑その状態は一八四
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七 年 ご ろ ま で 続 い た ︒
の ち に 見 る よ う に ︑ 一 八 七 八 年 に ス ペ イ ン が ス ル ー を 降 伏 さ せ ︑ 実 質 的 に 支 配 す る ま で ︑ ス ペ イ ン . ス ル ー 間 に お
い て ︑ 一 六 四 六 年 ︑ 一 七 二 六 年 ︑ 一 七 三 七 年 ︑ 一 八 〇 五 年 ︑ 一 八 三 六 年 ︑ 一 八 五 一 年 の 六 回 に 渡 り 条 約 が 締 結 さ れ た ︒
ら
こ の う ち ス ペ イ ン は 一 七 三 七 年 と 一 八 三 六 年 ︑ 一 八 五 一 年 の 三 つ の 降 伏 条 約 を 根 拠 に ス ル ー に お け る 主 権 を 主 張 し た ︒
一 八 三 六 年 九 月 二 三 日 締 結 の 条 約 は 正 式 に は ○ 碧 詳 巳 9 江 o 蕊 o h ℃ $ 8 導 中 o 言 ︒ 江 8 き q O o 日 日 雪 8 げ 9 を 8 口 爵 ①
Ω o < ① 巨 日 Φ 暮 o h 国 需 O 鋤 誓 ○ ぎ 竃 a Φ ω 身 ㊤ 巳 窪 Φ GQ 乱 暮 p 昌 餌 獅 Ω ∪ 暮 岳 o h の 巳 自 と 呼 ば れ る ︒ ス ペ イ ン 側 ホ セ . ハ ル
コ ン ( O o 讐 讐 昌 ﹂ o ω ① ζ ●団 豊 o o 昌 ) と ︑ ス ル ー ・ サ ル タ ン ・ ジ ャ マ ル ル ・ キ ラ ム 一 世 ( q o 日 巴 巳 潟 冒 餌 日 H ) お よ び
イ ス ラ ム 身 分 階 層 に お け る サ ル タ ン の 次 に く る 地 位 で あ る ダ ツ ( ∪ 簿 ε qα ) と の 間 に 交 わ さ れ た ︒ こ の 条 約 で は マ ニ ラ
と ザ ン ボ ア ン ガ に お け る ス ル ー 船 の ︑ ま た ︑ ホ ロ に お け る ス ペ イ ン 船 の そ れ ぞ れ の 船 舶 免 許 に 関 し て 取 決 め ら れ ︑ フ ィ
リ ピ ン に お け る ス ル ー 船 舶 ︑ ス ル ー 海 に お け る ス ペ イ ン 船 舶 の そ れ ぞ れ の 安 全 が 保 障 さ れ た ︒ し か し ︑ こ の 条 約 は ス
ペ イ ン が ス ル ー に 対 す る 主 権 を 主 張 し た も の で は な く ︑ ス ル ー に 対 し て 軍 事 上 の 保 護 を す る こ と を 約 し た も の で あ る ︒
こ こ で 注 目 す べ き は ︑ 一 八 三 六 年 条 約 の 第 一 条 に お い て は ︑ ボ ル ネ オ 島 の サ ン ダ カ ン ( OQ 9 口 ◎ 9 冒 ⑳ 昌 ) と そ の 近 海 の
島 は ス ル ー 王 国 の 属 国 ( 9 げ 旨 9 曼 ) で あ る と 認 め ら れ た 点 で あ る ︒ す な わ ち ︑ こ の 条 約 は こ の 時 点 で ス ル ー 王 国 は
フ スペインより独立国として扱われていたことを示す証拠となるものである︒
このようにスルーはスペインに対して︑武力で抵抗できないと考えた時は降伏条約を結ぶという行動をとったが︑
しかし︑スルーは降伏条約の締結後にスペインがスルー海域から撤収するとすぐに︑王国の主権を主張するといった
具合に︑一八七八年までは︑たとえスルー・スペイン間に条約が締結されていたとしても︑それは単にスルーが一時
き 的にスペインからの支配を阻むための妥協策であったにすぎない︒換言すれば︑両者の締結した︑条約︑協定は力の
衝突をその場しのぎ的に解決するための一つの手段であった︒スペインに対してスルー王国は一時的に降伏をするも
のの︑
そ れ は サ ル タ ン の 本 心 で は な か っ た ︒
以 上 の よ う に ︑ ス ル ー 王 国 と ス ペ イ ン と の 関 係 は 一 六 世 紀 半 ば 以 降 ︑ 対 立 と 妥 協 を 繰 り 返 え し 一 九 世 紀 ま で 到 る わ
け で あ る が ︑ ス ル ー は 一 方 で 北 ボ ル ネ オ ・ サ バ を 支 配 し 始 め た ︒ そ の き っ か け は ブ ル ネ イ の 内 紛 で あ っ た ︒
ブ ル ネ イ の 第 九 代 サ ル タ ン で あ る ハ サ ン ( 国 9 0α 9 昌 ) の 孫 の ア ブ ド ル ・ モ ミ ン ( ﹀ び 画 三 ζ o げ ぎ ) と ム ア デ ィ ン
( ]≦ 口 鋤 画 創 ぎ ) と の 間 で 後 継 争 い が 起 こ り ブ ル ネ イ は 一 二 年 間 に 渡 る 内 乱 と な っ た ︒ 両 者 と も ス ル ー 王 国 に 援 助 を も と
め た が ︑ ス ル ー は ︑ 正 統 と 思 わ れ る ム ア デ ィ ン を 援 助 し ︑ そ の 結 果 ︑ ム ア デ ィ ン が 第 一 〇 代 ブ ル ネ イ ・ サ ル タ ン の 地
位 に 就 い た ︒ ス ル ー 王 国 の 解 釈 に よ る と 一 七 〇 四 年 に こ の 内 乱 鎮 圧 の 功 績 に よ り ︑ ス ル ー 王 国 サ ル タ ン は サ バ の 大 部
分 を ブ ル ネ イ . サ ル タ ン か ら 譲 渡 さ れ た と 言 わ れ て い る ︒ し か し ︑ ブ ル ネ イ が 積 極 的 に 同 地 域 を ス ル ー に 割 譲 し た の
か ︑ ス ル ー が 報 奨 を 要 求 し た の か は 定 か で な く ︑ 文 献 的 証 拠 の 存 在 も 確 認 さ れ て い な い ︒ ま た ︑ ス ル ー は 同 地 域 の 実
効 的 支 配 を 確 立 で き な か っ た と 推 測 さ れ て お り ︑ ブ ル ネ イ は そ の 後 ︑ ス ル ー に 割 譲 し た と い わ れ て い る 領 土 に つ い て ︑
ね そのような割譲はなかったと主張しはじめた︒
2一七六四年条約の締結ーイギリス東インド会社の北ボルネオ進出ー
以上のようなスルー・ブルネイ・スペインの三国対立構造にあって︑さらにサバ領有権帰属問題を複雑にしたのは︑
イギリス東インド会社がこの問題に介在していたからである︒スルーと東インド会社との法的関係としては︑一七六
一年に通商条約が締結され︑さらに一七六四年に北ボルネオ割譲条約が締結され︑そして︑一七六九年に一七六四年
条 約 が 改 正 さ れ た ︒ 一 七 〇 〇 年 代 の ス ル ー と イ ギ リ ス と の 関 係 は 次 の 通 り で あ る ︒
一 七 五 九 年 に ︑ イ ン ド . マ ド ラ ス に 駐 在 し て い た イ ギ リ ス 東 イ ン ド 会 社 の ダ ー リ ン プ ル ( ﹀ 一㊦ × 帥 巳 霞 U 9︒ 一麸 日 冨 Φ )
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は ︑ 交 易 関 係 を 結 ぶ 目 的 で 一 七 六 〇 年 に ス ル ー 王 国 を 訪 問 し た ︒ 当 時 ︑ ス ペ イ ン と オ ラ ン ダ の ス ル ー 王 国 周 辺 に お け
る 動 き を 杞 憂 し て い た 同 王 国 は ︑ ダ ー リ ン プ ル の 訪 問 を 歓 迎 し た ︒ ス ル ー 王 国 の サ ル タ ン ︑ ム イ ズ デ ィ ン ・ バ ン テ ィ
ラ ン ( ]≦ 巳 N ロ 巳 口 ・ uo き 芭 9︒ 昌 ) は ︑ す で に ス ペ イ ン に 捕 ら わ れ マ ニ ラ で 投 獄 さ れ て い る 自 分 の 弟 ア リ ム デ ィ ン 一 世
( ﹂♪ 一蹄 口 = α 山 一ロ 一 ) の 救 出 を ダ ー リ ン プ ル に 求 め た ︒ 彼 は そ れ を 約 束 す る か わ り に イ ギ リ ス と の 貿 易 を 確 約 す る こ と を
要 求 し ︑ そ の 結 果 ︑ 一 七 六 一 年 = 月 二 〇 日 に ﹁ 友 好 通 商 条 規 ( ﹀ 註 ︒ 冨 o h 国 箒 巳 ︒︒ 巨 b 餌 巳 O o 日 日 曾 8 ) ﹂ が 両 者
の 間 で 締 結 さ れ た ︒ こ の 条 約 は イ ギ リ ス に 極 め て 有 利 な 内 容 で あ っ た ︒ つ ま り ︑ サ バ に お け る イ ギ リ ス の 各 種 工 場 設
置 許 可 ︑ ス ル ー 王 国 内 で の 無 関 税 自 由 貿 易 の 承 認 ︑ さ ら に ︑ イ ギ リ ス 以 外 の ヨ ー ロ ッ パ 人 の ス ル ー 王 国 内 で の 貿 易 の
む
禁 止 が 規 定 さ れ た の で あ っ た ︒
こ の よ う に ︑ イ ギ リ ス 人 は 一 七 六 一 年 に 初 め て ︑ ス ル ー 王 国 内 に お け る 経 済 的 進 出 を 確 立 し た ︒ そ し て ︑ イ ギ リ ス
の 北 ボ ル ネ オ に お け る 権 益 は さ ら に 拡 大 す る ︒ つ ま り ︑ 一 七 六 三 年 に ︑ ダ ー リ ン プ ル は ア リ ム デ ィ ン 一 世 救 出 に 成 功
し ︑ そ の 功 績 に よ り ス ル ー 王 国 と イ ギ リ ス 東 イ ン ド 会 社 間 で 一 七 六 四 年 ︑ バ ラ ン バ ン ガ ン 島 ( b⇔ 巴 9 3 げ 餌 品 き ) ︑ パ ラ
ワ ン 島 ( 勺 巴 餌 ≦ 餌 昌 ) ︑ ラ ブ ア ン 島 ( ピ 9 げ 二 鎚 ) を 含 む 北 ボ ル ネ オ ・ サ バ 領 は イ ギ リ ス 東 イ ン ド 会 社 に 譲 渡 さ れ る 旨 の 条
ド
約 が 締 結 さ れ ︑ ダ ー リ ン プ ル は バ ラ ン バ ン ガ ン 島 に 東 イ ン ド 会 社 ス ル ー 事 務 所 を 置 い た の で あ る ︒ ま た ︑ こ の 条 約 に
レ
よ り バ ラ バ ッ ク ( し口 巴 ⑳ げ 9 0 ) ︑ マ ナ ク ( ζ 讐 躊 ) の 各 島 も 割 譲 さ れ た ︒ し か し ︑ イ ギ リ ス 政 府 は ス ペ イ ン の 異 議 を 懸
念 し こ の 条 約 を 承 認 し な か っ た ︒ つ ま り ︑ 一 七 六 四 年 条 約 は 東 イ ン ド 会 社 と ス ル ー 王 国 間 の 契 約 で あ っ た に す ぎ な か っ
蛉 酬 こ れ ら 広 大 な 割 譲 領 土 に つ い て ︑ の ち に ス ル ー ・ サ ル タ ン に 就 い た ア リ ム デ ィ ン 一 世 は 一 七 六 九 年 ︑ 東 イ ン ド 会
社 の ト ロ ッ タ ー ( 弓 8 暮 霞 ) に 対 し て ︑ す で に 当 該 領 域 は 東 イ ン ド 会 社 に 割 譲 さ れ て い る 旨 の 確 認 を し た ︒ ト ロ ッ タ ー
に よ る と ︑ ア リ ム デ ィ ン は ス ル ー 領 域 に お け る オ ラ ン ダ 人 と ス ペ イ ン 人 を 強 く 懸 念 し て お り ︑ イ ギ リ ス が 両 国 に 対 抗
す る よ う に 望 ん で い た こ と が 報 告 さ れ て い る ︒ そ の 後 ア リ ム デ ィ ン ニ 世 も ダ ー リ ン プ ル に あ た え ら れ た 権 利 を 追 認 し
た︒
しかし︑北ボルネオを管轄したトロッターのスルー商人に対する背信行為を期に︑スルーの商人らは近海に出没す
る海賊と協力して︑イギリス人に対して武力闘争を開始した︒その結果︑一七七五年に北ボルネオのイギリス植民地
はスルー王国に奪還された︒イギリスは三〇年後の一八〇三年に再度北ボルネオを植民地化しようと計画したが︑ス
あ ルー王国民は武力をもって北ボルネオの支配権を維持した︒その結果︑東インド会社は一八〇五年には解散する状況
に陥った︒後年︑イギリス政府はダーリンプルおよびトロッターが獲得した諸権利に基づき︑北ボルネオ領有権をあ
レ えて主張しなかったという事実は注目すべきである︒これは︑一八七六年当時の史料に明らかであるが︑それによれ
ハ ば︑イギリスのサバに対する領土権は失効したと政府部内では考えられていたのである︒
3一八七七年三国議定書の締結イギリス・ドイツとスペインの対立ー
さ て ︑ そ の 後 一 八 四 九 年 に ︑ サ ラ ワ ク に 駐 在 し た イ ギ リ ス ・ ボ ル ネ オ 領 事 で 且 つ ラ ブ ア ン 島 の 総 督 で も あ っ た ジ ェ ー
ム ズ ・ ブ ル ッ ク ( ﹂ 9 巳 Φ ω bU 円 o o 犀 Φ ) が ︑ ス ル ー 王 国 の 王 都 で あ る ポ ロ 島 を 訪 問 し ︑ ス ル ー 王 国 と 通 商 協 定 ( 日 げ ①
0 8 < 8 江 8 0 h O o 8 臼 霞 8 ぴ 9 ≦ ① Φ 昌 Ω 窓 ⇔ け uu 二 蜜 冒 9 昌 q GQ 三 二 ) を 締 結 し た ︒ と こ ろ が ︑ こ の 条 約 の 第 七 条 に つ い て
ス ペ イ ン は 抗 議 し た ︒ 同 条 に は イ ギ リ ス の 同 意 な し に ︑ ス ル ー 王 国 の い か な る 領 土 も 他 国 に 割 譲 し な い ︑ ま た ︑ 他 国
お
の 属 国 に も な ら な い ︑ と い う 規 定 が あ っ た ︒ そ こ で ︑ ス ペ イ ン は 一 八 五 〇 年 ︑ ウ ル ビ ス ト ン ド 総 督 ( Ω o < ① 3 0 7 Ω 8 Φ 冨 一
あ ﹀暮o巳○αΦq筈齢け8創o)を派遣しスルー王国懲罰のため兵をホロ島に送り町を焼き払うという行動にでた︒その結
果︑一八五一年にスルー王国サルタン︑プラルン王(ζOげO巳5Φα勺⊆一9◇一・⊆昌)とスペインのドイル(Ooδ昌9qo器
ζ9二鋤亀ΦOo二〇鶏○.Uo覧ρbo暮♂oI日葺け餌曼Ωo<零⇒霞ohN餌日げo碧σq鋤)との間で﹁スルー併合条約(日﹃8畠
oh>實ロG︒ρ一Q︒蟄魯註菖①α>90hぎoo弓o冨甑o口ohω三$昌簿①ohGQ⊆ピ言けo窪Φω冨巳︒︒げ]≦o巨90ξ)﹂が締結
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ぬ され︑スルーはスペインの力の前に屈伏した︒
この条約は︑ポロ島とその周辺群島を実質上スペイン領とするものである︒同条約の第二条では︑﹁スルー.サル
タンと首長はスルー群島はスペインに属するものであることを約束する﹂︑また第三条で︑﹁これまでスルー.サルタ
ンは︑西洋諸国と締結したすべての条約の中で︑古来から異論のないスペインの権利を犯す条約はすべて無効とする
ことを約し︑かつスルー・サルタンが他国と条約を締結する権限を放棄する﹂と規定した︒スペインはこの条約によ
り︑一七六一〜六九年にスルーとイギリス東インド会社間で結ばれた一連の条約および一八四九年にブルックが締結
した︑通商協定中の︑イギリスの同意なくスルー領土のいかなる他国への割譲を行わない旨の規定は無効となったと
ぬ 主張した︒
しかし︑このようなスペインの武力での条約締結によるスルー王国の屈伏は数年しか継続せず︑一八五五年以降は
お
ス ル ー 王 国 の 武 力 抵 抗 が 再 び 開 始 し た ︒ ら
一 方 ︑ イ ギ リ ス 政 府 は ス ペ イ ン の ス ル ー に 対 す る 主 権 を 承 認 し な か っ た ︒ そ の 根 拠 は ス ペ イ ン は ス ル ー 王 国 を 事 実
上 の 支 配 ( 画 Φ h 鋤 O け O O 昌 け ﹃ O ︼.) を し て い な い の で あ る か ら ︑ 締 結 さ れ た ス ル ー ・ ス ペ イ ン 間 の 降 伏 条 約 は 無 効 に な る
と し ︑ ま た ︑ ス ル ー 王 国 の サ バ 領 有 権 を 支 持 し た の で あ る ︒ こ の よ う に し て ︑ サ バ 領 有 権 が ス ル ー 王 国 に 存 す る こ と
ム
は ︑ イ ギ リ ス の 支 持 を 背 景 に ︑ 他 の ヨ ー ロ ッ パ 列 強 も 承 認 し て い っ た ︒
こ こ で 重 要 な 点 は ︑ イ ギ リ ス が ス ペ イ ン の ス ル ー に 対 す る 主 権 を 否 定 し ︑ か つ ス ル ー 王 国 の 独 立 を 認 め た と い う こ
と で あ る ︒ つ ま り ︑ ス ル ー 王 国 は 国 家 と し て 承 認 さ れ て い た と 考 え る こ と が で き る ︒
こ の よ う な イ ギ リ ス の 態 度 に 対 し ス ペ イ ン は 実 力 行 動 に 出 た ︒ ス ル ー 海 で 貿 易 を 営 む 場 合 は ザ ン ボ ア ン ガ に お い て
税 金 を 支 払 い 航 行 許 可 証 を 得 な け れ ば な ら な い と し た の で あ る ︒ ま た さ ら に ス ペ イ ン は ︑ ド イ ッ 船 マ リ ー . ル イ ズ
( ζ 鋤 円 一Φ H 隔〇 二 一qα ① ) 号 と ガ ゼ ル ( O 舘 巴 Φ ) 号 を 掌 捕 し ︑ そ の 後 ス ル ー を 海 上 封 鎖 し た ︒ そ の 結 果 イ ギ リ ス お よ び ド イ ツ
の ス ル ー 海 域 に お け る 貿 易 は 甚 大 な 被 害 を 受 け た ︒ こ れ を 契 機 に イ ギ リ ス ・ ド イ ッ ・ ス ペ イ ン 間 で ス ル ー 海 貿 易 に 関
す る 交 渉 が 開 始 さ れ ︑ 一 八 七 七 年 ︑ ﹁ ス ペ イ ン ・ ド イ ツ ・ イ ギ リ ス 間 に お け る ス ル i 王 国 に 関 す る 一 八 七 七 年 議 定 書
( ℃ 円 0 8 8 } o h G︒ 巳 ⊆ o h 一 〇︒ ﹃ 8 げ Φ 暑 8 昌 ω b 鉱 P O 霞 B p 口 ざ 鋤 巳 Ω 器 o け じσ 葺 践 P ζ o 図 ω O ﹄ ○︒ ↓ 8 一 八 七 七 年 三 月 一
あ
一 日 マ ド リ ッ ド で 調 印 五 月 三 〇 日 発 布 ) ﹂ が 成 立 し た ︒
こ の 議 定 書 に よ り ︑ イ ギ リ ス ・ ス ペ イ ン ・ ド イ ツ の 三 国 は ス ル ー 海 に お い て 生 じ た 紛 争 を 一 応 終 結 さ せ る こ と が で
き ︑ ス ル ー 海 に お け る 自 由 貿 易 が 確 立 さ れ た ︒ ス ペ イ ン の ス ル ー に 対 す る 主 権 に つ い て は ︑ ス ル ー 群 島 に 対 す る ス ペ
イ ン の 影 響 を 認 め な が ら も ︑ ス ペ イ ン の ス ル ー に 対 す る 主 権 を 認 め る よ う な 文 言 を 入 れ な い と い う 約 束 が 締 結 交 渉 に
あ
お い て 確 認 さ れ た ︒ つ ま り ︑ ス ル ー 王 国 は 独 立 国 で あ る こ と が 確 認 さ れ た の で あ る ︒
4 一 八 七 八 年 契 約 の 締 結 イ ギ リ ス 北 ボ ル ネ オ 暫 定 協 会 の 北 ボ ル ネ オ 進 出
ω 一 八 七 八 年 契 約 締 結 ま で の 経 緯
前 節 に 挙 げ た 一 八 七 七 年 議 定 書 が 締 結 さ れ た 翌 年 ︑ オ ー バ ー ベ ッ ク ( b口 鋤 弓 O 昌 ( }= oD け 餌 < < O 昌 ○ < Φ 円 び Φ O 貯 ) と デ ン ト
( ﹀ 一h 円 Φ α H )Φ 昌 け ) が 北 ボ ル ネ オ の 領 有 櫓 に 関 す る 契 約 を ス ル ー ・ サ ル タ ン と 交 わ す ︒ そ し て ︑ こ の 契 約 内 容 が 後 に 大
き な 波 紋 を 呼 び ︑ 現 代 ま で 到 っ て い る の で あ る ︒ ま ず ︑ 両 人 が 一 八 七 八 年 契 約 を 締 結 す る ま で の 経 緯 を 見 て み よ う ︒
一 八 六 五 年 に 駐 ブ ル ネ イ ・ ア メ リ カ 領 事 チ ャ ー ル ズ ・ モ ー ス ( ○ ● ]﹁ ●ζ O qα Φ o◎ ) が ブ ル ネ イ ・ サ ル タ ン か ら 北 ボ ル ネ
オ の キ マ ニ ス 湾 か ら パ イ タ ン 川 ( 勺 9 一 ひ 鋤 昌 切 一く Φ ﹃ ) ま で の 土 地 使 用 権 を 譲 り 受 け た ︒ そ の 後 モ ! ス は ︑ ボ ル ネ オ ・ ア
メ リ カ ン ・ ト レ ー デ ィ ン グ . カ ン パ ニ ー ( ﹀ 日 Φ 二 ︒ 碧 日 冨 島 口 σq O o ヨ b 曽 昌 o h bu 8 器 o ) を 香 港 に 設 立 し た ︒ こ の 会 社
の 代 表 は ア メ リ カ 人 の ジ ョ セ ブ ・ ト ー リ ー ( ﹄ o ︒︒ ① 喜 日 o 霞 Φ 気 ) で あ っ た ︒ 彼 は 一 八 六 六 年 一 一 月 に ︑ モ ー ス か ら 北 ボ
ル ネ オ の 土 地 使 用 権 を 譲 り 受 け た ︒ し か し ︑ こ の ボ ル ネ オ ・ ア メ リ カ ン ・ ト レ ー デ ィ ン グ ・ カ ン パ ニ ー の 事 業 は 資 金
フ ィ リ ピ ン ・マ レー シ ア 間 の 北 ボ ル ネ オ ・サ バ 領 を め ぐ る 領 有 権 紛 争 の 淵 源(→
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れ
難 の た め に 頓 挫 し た ︒
こ の ト ! リ ー の 権 利 を 欲 し た の が オ ー バ ー ベ ッ ク で あ っ た ︒ 彼 は オ ー ス ト ラ リ ア 人 で オ ー ス ト ラ リ ア ・ ハ ン ガ リ ー
の 香 港 総 領 事 で あ り ︑ 以 前 に ロ ン ド ン ・ デ ン ト ・ ブ ラ ザ ー ズ 社 ( ∪ Φ 暮 しu 同 o § 霞 ω o h ピ o 巳 o 昌 ) に 勤 め て い た 経 験 を
持 っ て い た ︒ オ ー バ ー ベ ッ ク の 背 後 に は デ ン ト 社 の デ ン ト 自 身 が お り ︑ 彼 が 実 は 次 の よ う な 計 画 を 立 案 し た ︒ つ ま り ︑
北 ボ ル ネ オ は 天 然 資 源 の 宝 庫 で あ り ︑ 砂 糖 ︑ 胡 椒 ︑ 薬 用 染 料 に 供 す る 阿 仙 ︑ コ ー ヒ ー ︑ 樟 脳 ︑ 藤 ︑ サ ゴ ヤ シ ︑ ゴ ム 等
が 採 れ る ︒ ま た ︑ 北 ボ ル ネ オ の 港 は 中 国 と 結 ぶ 好 位 置 に あ る ︒ ま た ︑ 石 炭 な ど の 鉱 物 資 源 も あ る ︒ デ ン ト と オ ー バ ー
ベ ッ ク は こ れ ら の 北 ボ ル ネ オ 天 然 資 源 を 開 発 す る こ と を 目 的 に 新 た に 北 ボ ル ネ オ に イ ギ リ ス 北 ボ ル ネ オ 暫 定 協 会
お (uu二鉱珍Zo答ず︼WoヨΦo℃﹃o︿芭o昌巴﹀器oo冨鉱oコ)を設立した︒
お
一 八 七 四 年 七 月 = 日 に ト ー リ ー と オ ー バ ー ベ ッ ク の 間 で 北 ボ ル ネ オ 土 地 使 用 権 の 売 買 契 約 が 取 り 交 わ さ れ た ︒ オ ー
バ ー ベ ッ ク は そ の 後 一 八 七 七 年 一 二 月 二 九 日 に ︑ ブ ル ネ イ ・ サ ル タ ン と の 間 で 北 ボ ル ネ オ の 割 譲 契 約 を 締 結 し た ︒ こ
の 契 約 で は 年 額 三 〇 〇 〇 ポ ン ド を ブ ル ネ イ ・ サ ル タ ン に 支 払 う こ と を 条 件 に ︑ オ ー バ ー ベ ッ ク は キ マ ニ ス 川 か ら シ ブ
ク 川 ま で の ほ ぼ 北 ボ ル ネ オ ・ サ バ 領 全 域 に お け る 絶 対 的 支 配 権 を 取 得 し た ︒ し か し ︑ そ の 後 に 以 下 の 諸 点 が 判 明 し た ︒
つ ま り ︑
一 ︑ 一 八 四 七 年 に ブ ル ネ イ が イ ギ リ ス と 締 結 し た 条 約 に よ る と ︑ ブ ル ネ イ の 領 土 の い か な る 部 分 も イ ギ リ ス 政 府 の
同 意 が な け れ ば 割 譲 で き な い と な っ て お り ︑ そ う す る と ︑ ブ ル ネ イ ・ サ ル タ ン と モ ー ス お よ び オ ー バ ー ベ ッ ク 間 に お
い て そ れ ぞ れ 締 結 し た 契 約 は 無 効 と な る こ と ︒
二 ︑ ブ ル ネ イ ・ サ ル タ ン の 側 に お い て は ︑ 彼 の 先 祖 の サ ル タ ン が す で に ス ル ー ・ サ ル タ ン に 当 該 領 域 を 割 譲 し て い
る 経 緯 が あ り ︑ ブ ル ネ イ ・ サ ル タ ン に は オ ー バ ー ベ ッ ク へ の 当 該 領 域 を 割 譲 す る 権 限 は な い と 考 え ら れ ︑ 実 際 に キ マ
ニ ス か ら ピ ン ダ サ ー ン に か け て は ス ル ー ・ サ ル タ ン の 実 効 的 支 配 下 に あ る と い う こ と ︒
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三 ︑ ブ ル ネ イ ・ サ ル タ ン に よ っ て ︑ は る か 昔 の 先 祖 の 代 に そ れ ぞ れ の 領 域 を 割 譲 さ れ た の で あ る か ら ︑ ブ ル ネ イ ・
サ ル タ ン が オ ー バ ー ベ ッ ク に 当 該 領 域 を 割 譲 す る 権 限 は な い ︑ と 当 該 領 域 に 居 住 す る 部 族 首 長 ら が 主 張 し て い る こ と ︒
以 上 の 三 点 を 理 由 に ︑ オ ー バ ー ベ ッ ク は ブ ル ネ イ ・ サ ル タ ン か ら 割 譲 さ れ た 領 土 権 を 取 得 す る こ と が で き な い の で
は な い か と 考 え た ︒ そ こ で ︑ 彼 は ス ル ー ・ サ ル タ ン に 会 う こ と に し た ︒
オ ー バ ー ベ ッ ク に と っ て 当 時 好 都 合 で あ っ た こ と は ︑ ス ル ー ・ サ ル タ ン は ス ペ イ ン に 対 し て 反 撃 の 隙 を 窺 っ て い た
ゆ み
と い う 状 況 に あ っ た ︒ オ ー バ ー ベ ッ ク は ス ペ イ ン が ス ル ー を 攻 撃 す る 準 備 を し て い る と ス ル ー ・ サ ル タ ン に 告 げ た ︒
ね 一方︑サルタン方はスペインに対抗するために充分な武器を購入する資金が必要であった︒両者の間で一致点が生ま
ハお
れ サ バ 領 に つ い て の 交 渉 が 開 始 さ れ た ︒ 交 渉 は 平 穏 に 取 り 行 わ れ た と オ ー バ ー ベ ッ ク は 回 想 し て い る ︒
こ う し て ︑ 一 八 七 八 年 一 月 二 二 日 に オ ー バ ー ベ ッ ク と ス ル ー ・ サ ル タ ン と の 間 で 北 ボ ル ネ オ に つ い て の 契 約 ( そ れ
が 譲 渡 契 約 で あ る か 貸 与 契 約 で あ る か は 論 争 が あ る こ と は 先 に 述 べ た ) が 成 立 し た ︒ ス ル ー ・ サ ル タ ン が オ ー バ ー ベ ッ
ク と の 契 約 に 動 い た 理 由 と し て は ︑ ス ル ー は ス ペ イ ン に 対 抗 す る た め に 長 年 イ ギ リ ス お よ び ド イ ッ の 勢 力 を 引 き 込 も
う と し て い た が ︑ オ ー バ ー ベ ッ ク に 付 き 添 っ て き た の が 駐 ラ ブ ア ン ・ イ ギ リ ス 領 事 ト ゥ リ ー チ ャ ー ( ぐ く ・一 幽 .] ]円 Φ 餌 O ず ① 居 )
で あ っ た た め ︑ ス ル ー ・ サ ル タ ン は ︑ オ ー バ ー ベ ッ ク と 契 約 す る こ と に よ り ︑ イ ギ リ ス 政 府 を 味 方 に つ け ら れ る か も
し れ な い と 考 え た た め で あ る ︒ こ の ト ゥ リ ー チ ャ ー の オ ー バ ー ベ ッ ク ら へ の 援 助 は ︑ イ ギ リ ス 外 務 事 務 次 官 補
( ﹀ ︒︒ ︒︒ δ 鐙 暮 ℃ 霞 日 き Φ 旨 ご 巳 霞 ︒︒ Φ 自 Φ け 9 曼 ) で あ る ジ ュ リ ア ン ・ パ ウ ン ス フ ォ ウ ト ( q 三 寅 昌 勺 鋤 § 8 h o σ ① ) の 立目 心見 で あ っ
お た︒
さらにオ!バ!ベックはスルー・サルタンからサンダカンの領主(∪9ε9巳即εぎoho︒9巳更①昌)として任命
され︑最高且つ独立した統治者(︒・愚お日Φ9巳ぎO魯①巳①昌け同三興)として︑サンダカンの主権者︑つまり︑スルー・
サルタンのすべての権限および権利(巴一bo蓄田鋤巳鼠讐岳げ①一8σQ営σq8︒・○<零9σQ巨﹃二一霞)を授与された︒