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『狭衣物語』における『枕草子』受容の再検討

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九州大学学術情報リポジトリ

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『狭衣物語』における『枕草子』受容の再検討

閻, 紹婕

九州大学大学院人文科学研究院 : 専門研究員

https://doi.org/10.15017/4774167

出版情報:語文研究. 130/131, pp.157-171, 2021-06-02. 九州大学国語国文学会 バージョン:

権利関係:

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一  問題の所在

『狭衣物語』巻一、五月五日の夜、狭衣の笛の音によって天稚御子が降臨し、昇天の迎えに応じなかった代償として、帝は狭衣に娘の女二宮を降嫁することを思いついた。狭衣はそれが源氏の宮であったらと願い、煩悶して寝られないまま夜が明けてしまい、「寝ぬに明けぬ」と口遊びながら、自分の常住する東の対屋に通じる渡殿の妻戸を開けて内庭を見る。当該場面の本文は、伝本によって異同が激しい。先行研究では、古活字本の本文のみを取り上げて、それが『枕草子』の冒頭「春はあけぼの」と「鳥は」段の「卯の花、花橘などにやどりをしてはた隠れたるも」の影響を受けたものだという指摘が なされている (注。しかし、深川本は古活字本と全く違う本文の様相を呈しているため、影響関係についてまだ検討の余地があると思われる。本稿は、『枕草子』の受容状況を検証しつつ、『狭衣物語』の当該場面に対応する各本文の独自性や方法を探ろうとするものである。

二  『狭衣物語』における『枕草子』冒頭の受容

まず、古活字本『狭衣物語』 (注の当該場面の本文をあげる。

寝ぬに明けぬと言ひ置きけん人もうらやましきに、からうじて明けぬる心地すれば、東の渡殿の妻戸押し開け給へれば、雨少し降りける名残、菖蒲の雫ところせけれど、

閻   紹 婕 『狭衣物語』における『枕草子』受容の再検討

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空は雨雲晴れ渡りて、ほのぼのと明け行く山際、春の曙ならねどをかしきに、花橘に宿かりにや、時鳥のほのかに鳴き渡る、「音にあらはれにけり」と聞き給ふ。夜もすがら嘆き明かしてほととぎす鳴く音をだにも聞く人もなしなど独りごちてただずみ給ふままに、「身色如金山、端厳甚微妙」と、ゆるるかにうちあげて読み給へる、いみじう心細う尊きを、母宮、大殿など聞き給ひて、「なほ、さまざまにあまりなる有様かな。などかうしも生ひ出でけん。又、天人の迎へもこそ得給へ」とゆゆしくおぼされて、宮、ゐざり出で給ひて、(後略)(二一〇~二一一頁)

土岐武治氏は、傍線部と『枕草子』の冒頭との影響関係、および波線部と『枕草子』の「鳥は」の段との影響関係を指摘した。「春はあけぼの」という文言は、『枕草子』の諸伝本のいずれにおいても冒頭に置かれた極めて有名な文章であり、『枕草子』を象徴する文である。『狭衣物語』では夜明け前に降った五月雨の名残である雲が引いていく場面であるが、その場面の「ほのぼの明けゆく山際」が『枕草子』の「やうやう白くなりゆく山際」と対応しており、『枕草子』の曙のうす 明るくなる空の様子と同趣である。『狭衣物語』諸伝本の当該部分を比較するために、左に例示する。

雨少し降りける名残りに、菖蒲の雫ばかりにて、空の雨雲晴れて、ほのぼの明けゆく山際、春ならねどをかし。(深川本巻一  三二ウ)

雨少し降りたる名残りに、菖蒲の雫ばかりにて、空の雨雲晴れ渡りて、ほのぼの明け行く山際、春曙ならねどをかし。(内閣文庫本  五二頁)

雨少し降りて、菖蒲の雫もところせく、空は雨雲の晴間なきに、山際のほのぼのと明け行く程に、花橘に宿からぬにや、時鳥のほのかに鳴き渡る、音にあらはれにけりと聞き給ふ。(伝為家筆本  三一ウ)

雨少し降りける名残、あやめの雫ところせけれど、雨雲晴れわたりて、ほのぼのと明けゆく山際は春のあけぼのならねど心細くをかしきに、花橘に宿るにや、ほととぎすの鳴きわたるに、「音あらはれにけり」と聞きたまふ。(三条西家本  七九頁)

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思われる箇所を一例挙げる。

明けはなるる山際、春ならねどをかし。よろづさすがに古き跡を尋ねさせ給へば、おはしまし所などの、かりそめにものはかなき御屏風など許にてあらはなるに、風さえ世にも似ず騷がしくて、屏風倒れ騷ぐを起こし扱ふを、大将殿見たまひつつ。(後略)(深川本巻三  一一五ウ)

賀茂祭から一夜明けて還立の日の朝、女房たちが風に乱れる屏風を直そうと必死になっている場面である。当該場面における『枕草子』初段の影響は、深川本にのみ顕著である。内閣文庫本、伝為家筆本、三条西家本では、『枕草子』冒頭の影響を読み取ることが不可能な程に本文の相違が見られる (注。深川本の当該場面には、前述した天稚御子降下の翌朝の場面と同じく「あけぼの」がなく、「春ならねどをかし」からは「春」という季節を特に意識していたことが読みとられる。五月五日の翌日の場面もこの賀茂祭から一夜明けた還立の日の場面も、春ではなく夏であることが興味深い。従来の春秋優劣論という枠組みの中で「春はあけぼの」と「秋の夕」との対比が注目され、『大斎院御集』、『和泉式部日記』、『源氏物語』「薄雲巻」などからもこの春秋優劣論の論争が確認でき 雨少し降りける名残、菖蒲の雫もところせけれど、空は雨雲晴れ渡りて、ほのぼのと明け行く山際、春の曙ならねどをかしきに、花橘に宿かりにや、時鳥のほのかに鳴き渡る、音にあらはれにけりと聞き給ふ。(古活字本  二一一頁)

内閣文庫本では「春あけほのならねどをかし」となり、深川本の本文は「あけぼの」を省略した。三条西家本では「春の曙ならねど、心細くをかしきに」となり、古活字本は「春の曙ならねどをかしきに」となる。これらの諸本には、「明け行く山際」、「春の曙」、「をかし」といった、「をかし」の視座を支える『枕草子』特有の姿勢を示す言葉が見られ、趣向も詞句も『枕草子』の初段と符合する。一方、伝為家筆本では、他系統にある「空は雨雲晴れ渡りて」ではなく「空は雨雲の晴間なきに」とすることで空の晴れ上がっていない風景を描き、直後に「山際のほのぼのと明け行く」と続けて「春のあけぼの」や「をかし」を用いていないため、そこに『枕草子』との関連性よりも情景描写を重視した跡が窺える。このように、それぞれの個性はあれども、当該部分は『枕草子』初段を意識して描かれたと考えられる。次に、『狭衣物語』における『枕草子』の初段からの引用と

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(注。深川本には、『枕草子』を意識しながら春秋の論争より新しい美的観念の思考を積極的に提示しようという姿勢が見られる。又、深川本にのみ、『枕草子』の冒頭を意識した言葉遣いを一貫して用いたことが窺える。

三  天稚御子降下翌朝の場面の本文対立

深川本『狭衣物語』には『枕草子』の「鳥は」段の影響を受けたような文が存在しないが、他本には見られる。『狭衣物語』の『枕草子』「鳥は」段からの影響関係を解明するには、まず当該場面の異文の成立事情を解明しなければならない。各系統を代表する本文を左に例示する。

寝ぬに明けぬと言ひけん人もうらやましきに、からうじて明けぬる心地すれば、東の渡殿の妻戸を押し開けたまへるに、雨少し降りける名残りに、菖蒲の雫ばかりにて、空の雨雲晴れて、ほのぼの明けゆく山際、春ならねどをかし。ありし楽の声、御子の御有様など、思ひ出でられて、恋しうもの心細し。「『兜率天の内院に』と思はましかば、とまらざらまし」とおぼし出で、「即往兜率天上」 といふわたりを、ゆるらかにうち出だしつつ、押し返し、「弥勒菩薩」と、読み澄まし給ふ、まことにかなしくて、「又、兜率天の弥勒の迎へや、得給はんずらん」と聞こゆ。折しも、ほととぎすの、ただここにのみ知り顔に、立ち返り言語らふを、え聞き過ごし給はで、夜もすがらものをや思ふほととぎす天の岩戸を明け方に鳴くほととぎす鳴くにつけてぞ頼まるる語らふ声はそれならねどもとぞおぼさるる。  殿など、目覚まして、聞き給ふに、老の涙とどめ難くて、母宮、すこしゐざり出で給へり。(深川本  三三オ~三三ウ)

寝ぬに明けぬと言ひ置きけんもうらやましく覚え給ふ。からうじて鳥の声聞きつけ給ひて、東の渡殿の妻戸を押し開け給へれば、雨少し降りて、菖蒲の雫もところせく、空は雨雲の晴間なきに、山際のほのぼのと明け行く程に、花橘に宿からぬにや、時鳥のほのかに鳴き渡る、音にあらはれにけりと聞き給ふ。

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夜もすがらものをや思ふほととぎす天の岩戸を明け方に鳴くとくちずさみ給ひつつ、後苑のまとに歩き給ふ。「身色如金山、端厳甚微妙」と、ゆるらかにうちあげ給ひて、読み流し給へる、殊によろづにすぐれてかなしくいみじきを、宮、大殿聞き給ひて、「なほさまざまにゆゆしくもあるかな。いとかくしてもあれかし」「又、とう天の迎へや得給はん」と聞き給ふも、いとうしろめたくて、宮、ゐざり出で給ひて、(後略)(伝為家筆本  三一ウ~三二オ)

「寝ぬに明けぬ」と言ひけん人もうらやましに、からうじて明けぬる心地すれば、東の渡殿の妻戸押し開けたまへれば、雨少し降りける名残、あやめの雫ところせけれど、雨雲晴れわたりて、ほのぼのと明けゆく山際は春のあけぼのならねど心細くをかしきに、花橘に宿るにや、ほととぎすの鳴き渡るに「音あらはれにけり」と聞きたまふ。夜もすがら嘆き明かしつほととぎす鳴く音をだにも聞く人もなし とひとりごち、たたずみ給ふままに、「身色如金山端厳甚微妙」と、ゆるるかにうち上げてよみたまへる、心細く尊きを、母宮、大殿など聞きたまひて、「なほさまざまにあまりなる御有様かな」と、「かくしも言ひ出でけん、またこそ天の迎へや得たまはむ」とゆゆしう思されて、ゐざり出でたまひて、(後略)(三条西家本  七九~八〇頁)

深川本は、狭衣が前夜の天稚御子事件を回想し、常住する東の対への渡殿の妻戸から外を見て、狭衣が『法華経』「普賢菩薩勧発品」の「弥勒菩薩」を読誦し、兜率天往生の願望を述べている。和歌を独詠する前の描写が長く、他の本に見られない兜率往生と弥勒信仰に関わる描写が見える。女房たちには「今度は、兜率天の弥勒菩薩の迎えをお受けしようとなさるのだろうか」と感じられ、人々に狭衣は弥勒が下生した化身ではないかと思わせている。この時、時鳥が狭衣のもとに来て、訳知り顔に繰り返し語りかけるように鳴いている。続いて狭衣の独詠が見られる。和歌を詠む前の文で兜率天への往生の願望と関わる描写が見られるのは深川本などいわゆる第一系統本である。兜率往生の信仰が奈良および平安時代を通じて盛んになり、平安末

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期になると、浄土往生と阿弥陀如来の信仰が兜率天弥勒信仰より有利と言われ、阿弥陀信仰の発達より『狭衣物語』成立の頃から弥勒信仰が衰微し始めた。このような弥勒信仰から阿弥陀信仰への移行という平安時代の背景から、三谷栄一氏は深川本を代表とする第一系統本が原本に最も近いと主張していた (注。和歌も伝本によってかなりの異同が見られる。深川本には和歌が二首見られる。まず「夜もすがらものをや思ふほととぎす天の岩戸を明け方に鳴く」という歌だが、これは狭衣が夜通し天稚御子を慕って悩み、この世と天上界を行き来する時鳥が天に通じる天の岩戸を開け、その明け方にほととぎすが来て鳴いているという内容である。これは『風葉和歌集』(巻三・一五二番)に収録された歌である。次の「ほととぎす鳴くにつけてぞ頼まるる語らふ声はそれならねども」という歌だが、これは他本には見られない。この歌では、時鳥が鳴くのだから天上界に導いてくれるのかと期待するが、その鳴き声は天からの迎えではなかったのかという内容である。二首とも時鳥が天上界に導いてくれるとの期待が描かれている。時鳥は向こうの世(異界)とこの世を往復する使いとして描かれ、狭衣の心中の思惟を時鳥が知るかのごとく鳴いている。伝為家筆本には深川本の「夜もすがら」の歌が見られ、『風 葉和歌集』の詞書では「明けゆく空に、ほととぎすのほのかに鳴くを聞かせ給ひて」となり、「明けゆく空」に続き時鳥の声を聞かせたため、『風葉和歌集』は深川本など第一系統の本文に拠ったものではなく、伝為家筆本あるいは伝為家筆本に近い本文に拠ったものと考えられる。三条西家本と古活字本は別の歌になり、「夜もすがら嘆き明かしつほととぎす鳴く音をだにも聞く人もなし」では、時鳥が自分と同じように一晩中物思いをしていたかのごとく夜明け方にやって来て、悲しげに鳴いている。ここでは、時鳥を異界への使いとして捉えるのではなく、自らに喩えている。この歌は『物語二百番歌合』(百番歌合)五五番に収録された。『物語二百番歌合』(百番歌合)と『風葉和歌集』は『狭衣物語』を直接引用したとおぼしき資料であり、異なる歌がそれぞれに収録されている。このことから、中世には『狭衣物語』本文の混乱の程が窺える。和歌の内容を具体的に見ていくと、深川本では前夜の天稚御子降下事件との関連性が強く、また、和歌を詠む前の本文が和歌を誘発する文脈と一体性を持つ文章構成になっている。伝為家筆本では、天稚御子を思慕して悶々として寝られなかった一夜から連続性を断ち切った一瞬の情景描写となっている。三条西家本と古活字本とは本文がほぼ一致し、歌より前の文は深川本より少し加えられ、歌より後の文は伝為家筆本との

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一致性が高いため、それらの伝本から改変されたと思われる。故に、この場面の三条西家本と古活字本は混合本の性格を持ち、また、和歌にも文脈上の必然性をもたらすための改変が施された痕跡が見られる。当該場面における異文形成の誘因は兜率往生信仰の背景と大きく関わっていると考えられる。それは、狭衣の兜率天往生信仰は巻二の「弘法大師の御姿常に見たてまつりて、なほこの世をも逃れなん。弥勒の御世にだに少し思ふことなくて」にも見られ、狭衣が兜率天往生を憧憬するという設定にも一貫性が保持されている。伝為家筆本は情景描写から入るが、深川本の法文部分には、法文を理解していなかったのか阿弥陀信仰が流行ってきたからなのかは不確定だが、本文との密接な関係はなく「身色如金山端厳甚微妙」(身の色金山の如く端厳にして甚だ微妙なること)という当時人気のあった『法華経』の偈の一句が插入されている。これは文殊菩薩が大衆に向かって説いた偈にある句であり、釈迦が妙法蓮華を大衆に説いた時に如来は身体が金色に映え、その姿が端正で荘厳だったと説く。この引用は狭衣の容姿の美しさと結びつけるためだと思われる。 四  深川本『狭衣物語』における時鳥の役割

当該場面の和歌において、「ほととぎす」の役割も伝本によって異なる。特に深川本は他伝本と違い、それは深川本の性格の一面とも関連していると思われる。深川本の『狭衣物語』には「ほととぎす」の用例が三つ見られる。冒頭の「中島の藤は、松にとのみ思ひ顔に咲きかかりて、山ほととぎす待ち顔なり」という当該場面以外にもう一例あり、それは先述した深川本の例(巻三  一一五ウ)のすぐ前に位置する。

殿もやがてとどまらせたまひぬれば、いづれの殿上人、上達部かは帰らん。若上達部などは、土の上に形のやうなるおましばかりにて、夜もすがら女房たちと物語しつつ、明くるも知らぬさまなるに、京にはいまだ音せざりつるほととぎすも、御垣のうちには声慣れにけり。内も外も、耳とどめぬは、いかでかはあらん。いとをかしう、歌ども多かりけれど、え書きとどめずなりにけり。吹き渡したる川風の音、あはれにもをかしくも、聞きなす人からは、つゆばけりまどろまれぬに、ほととぎすをち返りうちはへ鳴く声いと近きを、大将殿、御前近く候ひ給

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て、思ふことなすともなきにほととぎす尋ね来にけり賀茂の社にと独りごち給を、女別当、語らはば神も聞くらんほととぎす思はん限り声な惜しみそ(深川本巻三  一一四ウ~一一五ウ)

これは、賀茂祭の夜、堀川大殿をはじめ多くの殿上人、上達部が御社に泊まり、夜が明けるまで女房たちと談話し、狭衣が女別当と歌を交わす場面である。狭衣は源氏の宮と結ばれるという願いを成就させようともしていないのに時鳥が尋ねて来てしまったことを嘆いて歌を詠み、女別当は狭衣の源氏の宮に対する思慕の情を知らずに、賀茂の神の加護を求めよと狭衣に勧める。物語において狭衣の麗姿が周りの女房に見られ、美しい声が愛でられる場面が多々あり、女房にとって狭衣は鑑賞する存在である一方、狭衣の内なる心が外部に伝えられないという齟齬が生じ、狭衣の語っていないことが女房に聞かれ、誤解されて、物語が展開していく。ここで時鳥は賀茂神に縁の深いものであり、賀茂神との間の使いとして描かれている。古く時鳥は「しでの田長」と言われ、『万葉集』にも時鳥を 「冥途に通う鳥」とする例が見られる。『古今和歌集』 (注にそれを継承した例が見られる。例えば、

やよやまて山ほととぎす公事づてむ我世中にすみわびぬとよ(『古今和歌集』巻三・夏・三国町・一五二)

亡き人の宿に通はばほととぎすかけて音にのみ鳴くと告げなむ(『古今和歌集』巻十六・哀傷・読人知らず・八五五)

深川本における時鳥は、冒頭の景物描写以外にも、自分の世界と異界(あるいは神界)との通交使として描かれている。このような描写方法には、主人公狭衣の超俗的属性と閉塞的で内向的な内心世界を示す効果がある。時鳥を異界との懸け橋として用いる手法は古来の和歌に見られ、これは深川本における時鳥観の発想の源泉とも考えられる。深川本が『枕草子』「鳥は」段の影響ではなく、先行作品の影響を大きく受けているのは確かであるが、単なる模倣の域から脱却し、「引用」により狭衣の内面と行動が展叙されていくという、独自の優れた物語世界を切り開いたと言ってよい。

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五  『狭衣物語』と三巻本『枕草子』

「鳥は」段の影響関係の再検討

他伝本の時鳥について、土岐氏は先述した論考において、古活字本『狭衣物語』の「花橘に宿かりけるにや」という文が三巻本『枕草子』の「鳥は」段の「花橘などにやどりをして」と字面の一致性が高く、また、『狭衣物語』の「花橘に宿かりけるにや」の直前の本文「ほのぼのと明け行く山際」も『枕草子』から直接影響を受けているため、「花橘に宿かりけるにや」も『枕草子』の影響を受けたと考えるのが自然であろうと指摘した。『枕草子』の「鳥は」の段は諸伝本によって大きな違いが見られ、『狭衣物語』と関係がありそうな「卯の花、花橘などにやどりをして」という文があるのは三巻本『枕草子』のみである。三巻本 (注の本文を左に示す。

  鳥は  ことどころのものなれど、鸚鵡いとあわれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。郭公。水鶏。鴫。都鳥。鶸。ひたき。(中略)

  鶯は、文などにもめでたきものに作り、声よりはじめ て、さまかたちもさばかりあてにうつくしきほどよりは、九重のうちに鳴かぬぞいとわろき。人の「さなむある」と言ひしを、「さしもあらじ」と思ひしに、十年ばかり候ひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹近き紅梅も、いとよく通ひぬべきたよりなりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見どころもなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。夜鳴かぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがせむ。夏秋の末まで老い声に鳴きて、「むしくひ」など、ようもあらぬ者は、名をつけかへて言ふぞ、くちをしくくすしき心地する。それもただ雀などのやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春鳴くゆゑこそはあらめ。「年たちかへる」などをかしきことに、歌にも文にも作るなるは。なほ春のうちならましかましかば、いかにをかしからまし。人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをば、そしりやはする。鳶、烏などのうへは見入れ聞き入れなどとする人、世になしかし。されば、いみじかるべきものとなりたれば、と思ふに、心ゆかぬ心地するなり。  祭りのかへさ見るとて、雲林院、知足院などの前に車を立てたれば、ほととぎすも、忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中に、もろ

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声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。ほととぎすはなほさらに言ふべき方なし。いつしかしたり顔にも聞えたに、卯の花、花橘などにやどりをしてはた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。五月雨のみじかき夜に寝覚めをしていかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜深くうち出でたる声のらうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべていふもおろかなり。夜鳴くもの、なにもなにもめでたし。ちごどものみぞさしもなき。(後略)(三巻本  三九段)

「鳥は」の段は、名詞を中心とした章段であり、類聚的な章段に属す (注。鳥の名を多く挙げ、各々の鳥についてその特徴や好ましい点などを記述している。列挙されている鳥の名、その順序、説明など諸本によって異同が多い。三巻本において、鶯の記述の中で引き合いとして時鳥が記されている。本来「鳥は」の段を含む類聚的な章段は源経房が『枕草子』を持ち出したと言われる長徳二(九九六)年秋には一応成立していたと思われるが、「十年ばかり候ひて」という文より、作者が宮仕えを終えた後に追記して加えた部分であると考えられる。また、「ほととぎすも忍ばぬにやあらむ……声に鳴きたるこそ さすがにをかしけれ」の後に「ほととぎすはなほさらに言ふべき方なし……」の文が続き、「ほととぎす」の説明が重複することから、この本文の成立の複雑さが窺える (注。三巻本における「ほととぎす」の描写は、賀茂祭の翌日に斎王が上社から斎院御所へと帰るための華やかな行列に始まり (注

(注、五月に鳴き六月になれば鳴くことをやめる時鳥を、季節を遵守する鳥として賞賛している。『万葉集』では巻八と巻十の「夏雑歌」「夏相聞」に時鳥が集中して収められ、夏の鳥というイメージが確立されたが、その鳴く声は必ずしも五月ではなく、四月の例も見られる。時鳥が五月の鳥として定着したのは『古今和歌集』以降である ((

(注。また、時鳥の鳴き声が毎年変わらず季節に従うことに類似する表現は、『古今和歌集』などに多く見られる。例えば、

こぞの夏なきふるしてしほととぎすそれかあらぬかこゑのかはらぬ(『古今和歌集』巻三・夏・読人知らず・一五九)

としごとにこゑもかはらぬほととぎすあかぬ心はめづらしきかな(『躬恒集』四四七)

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『枕草子』においては、時鳥の連想として「花橘」と「卯の花」がともに取り上げられた。「花橘」は夏の到来を告げる時鳥の鳴く頃に咲く。時鳥が毎年変わらぬ時期に鳴くように、花橘も毎年同じ時期に咲いている。類似する表現は和歌にも多く見られる。例を挙げると、

時はなる花と思へばやほととぎす花橘にこゑのかはらぬ(『古今和歌六帖』第六・貫之・四二五一)

一方、時鳥と「卯の花」を連想させた例を調べてみると、平安朝の物語や仮名日記においては頻出するものではなく、『蜻蛉日記』に一例、『うつほ物語』にも一例しか見られないなど、わずかである。和歌においては、『万葉集』には「卯の花」と「ほととぎす」とを組み合わせた例が十八例見られるが、『古今和歌集』には一首しか見られず、夏部に収録されている。『後撰和歌集』には二首があり、同じく夏部に収録されている。これらを左に示す。

郭公のなきけるをききてよめるほととぎす我とはなしに卯花のうき世中になきわたるらん(『古今和歌集』巻三・夏・躬恒・一六四) 卯花のさけるかきねの月きよみいねずきけとやなくほととぎす(『後撰和歌集』巻四・夏・一四八)

鳴きわびぬいづちかゆかんほととぎす猶卯花の影ははなれじ(『後撰和歌集』巻四・夏・一五六)

「ほととぎす」と「卯の花」との連想は『枕草子』の「木の花は」段にも見られる。三巻本には該当箇所が見られない。能因本 (注

(注の例を挙げる。

卯花は、品おとりて、何となけれど、咲くころのをかしう、郭公のかけ(斗)に隠るらん思ふに、いとをかし。祭のかへさに、紫野のわたり近きあやしの家ども、おどろなる垣根などに、いと白う咲きたるこそをかしけれ。青色の上に、白き単襲かづきたる、青朽葉などにかよひて、猶をかし。四月のつごもり、五月ついたちなどのころほひ、橘の濃く青きに、花のいと白く咲たるに、雨の降りたるつとめてなどは、世になく心あるさまにをかし。(能因本  五四ウ~五五オ)

従来の研究により、この能因本の本文は元来の形ではなく、

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後の増補とされた (注

(注。実は三巻本においては、「花橘」と「卯の花」以外にも「五月雨」、「短き夜」、「寝覚め」など時鳥と関連する景物が見られ、いずれも『古今和歌集』以降は時鳥を詠む時の歌語である (注

(注。三巻本の当該部分は時鳥と関連する和歌の常套的な表現素材が集約的に取り集められて成立したと考えられる。その代表例を次に示す。

「五月雨」に鳴く例、五月雨に物思ひをればほととぎす夜深く鳴きていづちゆくらむ(『古今和歌集』巻三・夏・紀友則・一五三)

「短か夜」に鳴く例、夏の夜の臥すかとすればほととぎす鳴く一声に明くるしののめ(『古今和歌集』巻三・夏・紀貫之・一五六/『和漢朗詠集』夏夜・一五五)

ほととぎす鳴くや五月の短か夜も独りしぬれば明かしかねつも(『和漢朗詠集』夏夜・人丸・一五四/『拾遺和歌集』巻二・夏・読人しらず・一二五/『古今和歌六帖』第五・ 二六九九)

「寝覚め」て聞く例、五月雨の空もとどろに小夜更けて山ほととぎす鳴くごとに誰も寝覚めて(『古今和歌集』巻十九・雑・貫之・一〇〇二/ 『古今和歌六帖』四・二五〇五)

一方、『狭衣物語』の伝為家本では「雨少し降りて……花橘に宿からぬにや、時鳥のほのかに鳴き渡る、音にあらはれにけりと聞き給ふ」となり、三条西家本と古活字本では「雨少し降りける名残……花橘に宿かりにや、時鳥のほのかに鳴き渡る、音にあらはれにけりと聞き給ふ」となる。『万葉集』では時鳥と「花橘」、および時鳥と「卯の花」の組み合わせがほぼ同等数で詠まれているが、『古今和歌集』では時鳥と「花橘」との組み合わせの歌が多く見られ (注

(注、『狭衣物語』では『枕草子』の時鳥と「花橘」「卯の花」との組み合わせではなく、時鳥と「花橘」だけを取り上げている。また、前述のように、時鳥と「五月雨」との組み合わせは『古今和歌集』にも見られる。『枕草子』の季節を守る時鳥の形象が『狭衣物語』には見られず、必ずしもその影響を受けたとは言えない。影響関

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係から言えば、『枕草子』よりも『古今和歌集』のほうがより近いと思われる。『狭衣物語』の注釈書『下紐』は、当該部分が『古今和歌集』(巻三・夏・一四一)の「けさ来鳴きいまだ旅なる郭公花橘に宿はからなむ」の影響を受けたと指摘した。土岐氏は「両者は一応語句の上からは確かに似通ってはいるが、歌そのものの意味からは狭衣の文面に適合し難いことになろう」と指摘した。実は『狭衣物語』は、『古今和歌集』の特定の一首に影響されたというよりも、従来から和歌の世界で培われていた時鳥に関連する素材を取り集め、素朴な素材継承論を織り込む形で記述したのである。一見すると『枕草子』の「鳥は」段の言葉遣いと似ているが、影響関係があるとまでは言い難い。『下紐』では「夜もすがら」の歌について「さ衣。時鳥のごとくに。鳴ねを聞知人のなきと也」と解釈し、深川本のごとく異界の使いとして用いたのではなく、時鳥を擬人化し、自分を時鳥によそえた歌を狭衣に詠ませることで狭衣の心情を表現したのである。

六  まとめ

『狭衣物語』の文章表現が、従来『古今和歌集』などの先行作品と多くの共通点を持つという事実は一般論として認めら れてよいだろう。『狭衣物語』では物語の内容に絡めて和歌による重層的な表現が自然描写や場面転換の折によく用いられる。これは『狭衣物語』の表現方法であり、特色の一つと言ってもよい。『無名草子』の作者はいち早くこれを感得し、「言葉遣ひ何となく艶にいみじく」と評した。『狭衣物語』の当該場面が『枕草子』の冒頭に影響を受けたことは確認できたが、『狭衣物語』が『枕草子』の「鳥は」段の影響を受けたとは言えず、『枕草子』と同じく『古今和歌集』を中心に和歌で培われた素材の伝統的なイメージを継承している。諸伝本の中で特に注意を促したいのが深川本である。深川本は他本と異なり、和歌で培われた伝統的なイメージを踏まえつつも、単なる模倣の域を越えた新たな表現方式を創出している。深川本『狭衣物語』は現存最古の本文であり、三谷栄一氏による一連の本文研究でそれが原本に一番近い本文であると主張され (注

(注、その後長い間学界で無批判に珍重されてきた。『狭衣物語全注釈Ⅰ巻一(上)』(おうふう  一九九九年九月)では深川本が「目下最善本と考えられる」と指摘した上で底本に採用している。しかし、片岡利博氏がこうした扱いを批判し、深川本は異本系本文と流布本系本文が共に混在する混態本文に過ぎず、当時流布した本文に独自の改変を加えたものであると主張した (注

(注。周知のように、『狭衣物語』の本

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文は、巻ごとに本文の性格が異なる。このような状況下では、諸伝本の全体を見渡して本文の性格や傾向を画一的な視点から把握することは難しいと言わねばならない。本稿では、検討を行った場面において、深川本からは『枕草子』冒頭の受容の様相と時鳥の役割がいずれも一貫した本文を備えていることを読み捉えることができた。今後の研究では、『狭衣物語』の本文を個別に分析する際に伝本ごとに一貫した本文を備えるということが無視できないことに注意を喚起しつつ、ひとまず筆を擱くこととしたい。

注1「狭響」(『平究』第三四巻  一九六五年六月)に拠る。注2『狭衣物語』の本文は以下のテキストを参照し、読解の便宜上、た。る。吉田幸一『深川本狭衣物語とその研究』(私家版「古典聚英」    月)を、一、系『』(  六五年)を、伝為家筆本は吉田幸一『狭衣物語諸本集成』第二巻(笠間書院  一九九四年)を、三条西家本は学習院大学平安会『西』( を、司、『狭衣物語』(朝日新聞社  一九六五年~一九六七年)を参照した。 注3他本の当該場面を左に例示する:   明けはなるる山際などの外には似ずをかしげなるを、若きは、り。庫本)

   は、を、々、ふ。本)

   も、を、人々はをかしう思ふこと限りなし。(古活字本)注4春秋優劣論については、西山秀人「『枕草子』の新しさ

後拾遺時代和歌との接点」(『学海』十、一九九四年三月)などにおいて詳しく論じられている。注5三谷栄一「天稚御子天降りの段の異本による解釈」(『狭衣物語究()』  る。注6は、り、た。以下同じ。注7『枕子』『全子』(上・下)(至文堂 一九五六年十一月)に拠る。傍線は私による。注8が、的でわかりやすいと思われる随想的章段、類聚的章段、日記回想的章段という分類に準じた。注9前田家本以外の諸本は「十年ばかりさふらひて」が見られ、複的に説明する所もみられ、前田家本以外は後年追記した部分が存すると考える。「鳥は」段の成立経緯について、山脇毅『枕』(    二〇八頁)より、前田家本は編纂当時の面影をとどめ、能因

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本と堺本に存する重複した時鳥は、前田家本との接触を離れたに、る。方、林和比古「枕草子『鳥は』章段成立考」(『武庫川女子大学紀要 国語国文学編』二〇・二一号  一九七三年十一月)より、当該段の堺本(元堺本)は四系統の中で最も古く、今の堺本は元本の改稿本であり、能因本と堺本の構文や思想は同じで、その区別は同一作者の原稿改稿の差と思われ、前田家本は省略した改修本であり、三巻本は堺本の本文をとったり、能因本をとったり、独自の本文に改修したりして成立したと指摘した。 は見られない。 たれば」という情景を記す場面は三巻本にのみ見られ、他本に 10て、院、   集』二七号二〇〇一年三月)に拠る。 11小林真由美「立夏のほとと

家持と暦」(『成城国文学論 の上、表記は私に改めた。また、傍線は私による。   』(り、便 12能因本『枕草子』は、柿谷雄三、山本和明編『富岡家旧蔵能因

月)に拠る。 13  萩谷朴『枕草子解環一』三七六頁(同朋社出版一九八一年十 れており、参考になる。 四月)の補注十二で『古今和歌集』を中心とした用例が挙げら 14  明、子『』(

年五月)に拠る。   第八・十との比較を通して」(『高知大国文』五〇号二〇一九 15音「

〇〇年)などに拠る。 16  三谷栄一『狭衣物語の研究』「伝本系統論編」(笠間書院二〇

三年)に拠る。 17  片岡利博『異文の愉悦狭衣物語本文研究』(笠間書院二〇一

[附記]本稿は、二〇一九年度九州大学国語国文学会(二〇一九年六月二九日於九州大学伊都キャンパス)における口頭発表に基づくものです。御教示を賜りました方々に、改めて御礼申し上げます。

 

参照

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