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六書門岫仁 `゜大才よダ 忿 冊の内 ど

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(1)

登録番号

六書門岫仁

`゜大才よダ 忿 冊の内   ど

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゛ ︑111りき″心ざ齢y

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(2)

一 一

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ベルノ︑︑卜︒

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二度中J・

逼娘な`・

四県営暑菜

yX 郷 生高

附學

束状 兪宦官象み

(3)

‥ , , ‥ ‥ , , ‥ ・ ・ ‑

     第一課 孝行

詩に目ばく︑父々我を生み︑母々我を鞠ふ︑我を折

で我を畜ぴ︑我を長ド我を一育し︑我を顧み我を復

じ︑出入に我を腹けり︑之に徳を報いんと欲する

に︑哭天極り起フし︒こいへり︑賞に父母の恩の大い

なるぱ︑天の廣大にして︑窮りなきが如く︑到底報

い得べきにあらす︒されふ﹂一︑人若し父母の我を思

ふ心を以て︑我が心どか丁して︑夙夜怠らす︑心を書

くして︒親に事ふれば︑其の恩の萬分一を報ゆる

に足らんか︒

寛攻の︑ころ︑︲安蒔の國に左助£いへる孝行の

名犬のあり計り︑母産後の病ぴにて︑久しく恨み

居けるを︑左助幼年ながらよくいたぱりて︑之

に事へたり︒曾て和田の温泉は其の病ぴに効ご

ありV Mき︑人に謀りて︑路用を調へ︑母を件ひ

ゆこ邑て︑之に浴せLしめ︑い兄よく看護ぞLかば︑

病ふい終に癒にたり︒左助其の後ば︑毎日河普請

の人夫に傭ばれて︑若干の鏝を得れぞ名︑悉く

之を父母に渡して︑己れが用には︑いささか名

費←午さりじこいふ︒ レ//

(4)

L卜丿召劃匹.EウUJおポーズ.−I−メJ姻がぷ7ご引ぶふま阿iFご川

     第二課 孝行

孝ぱ︑人の大行なり︑替名是にかくる所あれば︑其

の.他に︑何程の善き行ぴありと名︑栴するに足ら

ず︑故に古人名︑﹁人の子となりてぱ︑孝に止るいこい

へり︒されば何人どいへぞ名︑孝には最名心を留

一めぎるべからす︒      ︲︑

所生の父母にはあらねそ名︑義理に於いて父母

芒なれる名のを︑義理の父母といふ︒之に事ふる

名︑猶所生の父母に事ふるダヽ異なると£なし︒

沓江戸め深川に︑春養芒いへる盲人にて︑按摩を

渡世とそこらのあり︑妻じ名こいへるを迦へけ

るに︑其の注れ子に︑さよといふ娘志り︑此の名の

至りて孝行にて︑い芒善く春養に事へけるが︑家

貧しければ︑々がて他家に奉公七たり︒然るに用

事の暇に︑學問技藪を働みつ芒妬て︑程なく其の

あらILを暁りLかば︑暇を乞ぴて︑再び家に蹄

り︑近所の女子ぞ名を集め︑前に學び覧匈だ名學

問技菖を敢へて︑家の生計を助けながら︑朝夕孝

行怠りなかりしダごグ︒ 人ノ子ドナタテ︵︑孝二止夕︒

(5)

rL・j冽ぶ汚a七夕1卜ぶ1一ノ

一 一

ヌ31姻刮XJ引y々索石にご一川

     第三課 敦睦

一家族は︑父母兄弟妻子の相集りて左一せる團殼

友り︑父母兄弟妻子は︑た︑£ぴ人偏有形の凶競を

焉ぎすと名︑元自然無形の團殼にて︑渦扁休戚︑れ

のづか﹂ら相関れり︒況や其の一家族を尨すに於

いてをや︒宜しく互に善く敦睦して︑其の幸扁を

所かべし︑若し一家族互に一致協同して事を謀

らんには︑幸扁を得るに於いて︑何の難きことか

あらん︒

昔陸奥の國會津郡に︑椎右擲門といふ農夫あり︑

男子三人ありて︑叉助︑左次丘︵衛︑勘兵衛芒いふ︒三

人こ芯︑妻を辣へ子を設けて︑家族十四人一つ家

 に仕みけるが︑いこ睦﹄しく暮したり︒

 椎右衛門年老いて︑身靉不自由になりければ︑三

 夫婦心を合辻せて︑只管其の心を安ん世んこ£

を務めたり︒叉相互の聞け︑いこ打ちとけて親し

︲︲︒きが中に︑少長の鐙義甚だ正﹄しかりしかば︑幼児

 等名之を見習ぴて︑人より物を恵まるること志

 れば︑必す互に相分ちだ句︒

家を治むるに名︑忍の字を用ふべし︑忍£ぱこら

(6)

u。卜丿司お円ざバ∃μが凭︼ノ四 一A.)'l ^VS

ふるなり︑几うの人君子に非されば︑我が心に適

はぎること多じ︑堪忍せされば︑人の交りは和が

す︒然るに父兄ば︑子弟の−dれに社一へやう足らず

して︑心に洽ぱぎれば︑子弟を責か︑子弟は︑父兄の

恵み一薄くして︑あきたらされば︑父兄を怨む︑其の

栓︑夫婦親戚名亦然り︒互に堪忍ぞぎれば︑怒り怨

み出で束て︑父子兄弟夫婦親戚の間睦しか﹂らす︑

此の故に︑人の行ぴの我が心に滴Tぱざるこ已を︑

互に堪忍﹄して︑怨み怒らされば︑一家の内和ぎ楽

しか︑是家を脊ふる道なり・︒    ・

     第四課 親1の務め

几う子を数ふるにぱ︑父母巌かなれば︑子たる名

の恐れ惧みて︑親の数\へを聞きて背かす︑是を以

て孝の道行ける︒父母柔かにして︑巌か尨らす︑愛

すぐれば︑子たる名の︑父母を恐れす﹄して︑敢へ行

ぱごれす︑誠一を守らす︑是を以て孝の道立たす︒子

を宵つる道を知らで︑常に子を超らしめ︑気隨尨

るを誠妬されば︑其の超り︑年の長するに従ぴて

愈堆す︒叉其の母︑子の悪しきことを父に知らせ

す︑常に子の過ちを覆ぴ隠す時辻︑父は︑其の干の

(7)

凋穴石喘こ碧

悪Lきを知らで禁せす︑悪遂に長卜て︑一生不宵

の子となり︑或ぱ家を芯身を名保yたぎるに至る︑

浅6さしきこと友らすや︒     r♂  sl     %

 父母威巌ニピズ慈アレバ副チ子女畏惧﹄﹄ジ

 才孝才生ズ︒

 之夕教フタモノ九之夕導j二徳義K以タシ︑

一之夕養クニ廉遜夕以一アジ︑之夕率ツタニ勤倹

 夕以一ズジ︑之ヅ水タタニ慈愛丿以夕七之二臨

 ムニ巌恪夕以テシ︑以一ブ其ノ身丿立夕︑以一7其

 ノ徳夕成ヌ︒

     第五課 朋友

朋友は︑初八のに善く揮びて交るべし︑交る所若し

其の人にあらされば︑後之が二屑八のに︑思はぎる禍

害を被ることあれはなり︒     ︒

一たび交りを結びて後は︑互に愛敬信義︒を書ぐ

Lて︑快楽苦痛を共にすべし︑侃り初八のに名︑彼の

富めば親しみ︑貧Lければ疎んするが﹂如き︑小人

の所焉を學ふべからす︒

尾張の伊藤﹇冠峰︑初八の南宮大漱芒同v﹂く︑秋元淡

淵の門に學びて︑交情厚かりき︒淡淵江戸に移り

(8)

。"X −i^i: ^\ TJTTlli. 7!K‑。。ノ

名丿剤刻唄1耳石1刀剣ご.刑

て後︑門弟牛ばは大漱を師芒し︑牛ばぱ冠峰を師

こしたり︒冠峰︑二門の終に相軋るに至らんここ

を察し︑病臥ふよ帯﹄し業を止めて︑諸國に漫遊せり︒

後大漱江戸に移り住みしが︑間もなく火災に罹

紅て︑いた︒く窮困乙︑國に泣﹄しし妻子を趣ふるこ

と能ばぎ二りLに︑冠峰之を聞きて︑甚芦不便に思

ぴ︑己れが田宅を質入れ﹄して︑路用を調へ︑数人を

つけて其の妻子を江戸に送り遣りぬ︒ 富ム時親シマズ︑貧ジキ時疎ジゼザyこ具ノ

 大丈夫ナタ︒

      第六課 朋友

人芒交るは︑うか猶鏡に向ふが如﹄し︑我︑鏡に向ぴ

て笑へば・︑影名亦笑ぴ︑怒れば︑影名亦怒る︒人に交

るに︑我︑彼柘一愛すれば︑彼心亦我をこ愛し︑我︑彼を檜

めば︑彼名亦我を憎か︒されば諺に名︑﹁愛ぱ愛を招

く﹂といへり︒凡う人に交るの道ぱ︑愛に如く名の

友し£知るべL︒朋友の間︑交精に厚薄志るぱ︑畢

竟此の道の善く行ぱるる£︑然らぎるとに由る

なり︑思はぎるべけん咤<

江上閲龍娃︑江戸の人にて︑剱術の建人女りし 'r/\f

明匈

(9)

高山彦九郎とは交り特

燐厚﹄し︒天明中︑閲東諸國

儀饉にて︑窮民の馳をな

す名の多く︑彦九耶が﹂郷

國上野名︑亦騒が←しかり

き︒此の時彦九郎江戸に

ありしが︑蹄句てこ之を該

めんこ思ぴ︑閲龍の許に

往きて︑暇乞ぴ﹄しけるに︑

閲龍﹁共に輿に往かん﹂と

いふ︒然るに彦九郎固く之を誹しければ︑閲龍﹁ざ

らは饒別に﹂とて︑腹巻一具贈り氾︒彦九耶之を受

け︑やがて稜足して中山道を急ぎ行︑くは廼に︑路

傍の旅店に︑多人数の息へるあり︑ふりむきて見

れば︑閲龍が門弟ぞ名を連れたる一群なり︒彦九

耶怪しみて仔細を問へば︑閲龍答へて︑﹁扁に足下

の義拳を助けんとて︑途をかへて先づ往きたる

に︑騒動既に宍價旬たれば︑今諮り来れる尨りいとい

ふにひ︑彦九耶深・く其の志七の厚きを謝したり︒

友ノ儒メニ労スyバ︑友ノ情夕増ヌ︒

(10)

EL・17り″肴に.1y姻11111 IJ1ノyNこt乙苫ココE々刄届Eこ俎

      第七課 虚名を普るこどを誠な

總べて人ば︑學問なり︑徳﹂行なり︑技昔なり︑何事に

て名︑人に勝れて善き所あれば︑名響ば︑我︿より求

一才乙名︑自ら至る名のなり︒故に人名響配欲せ

ば︑先づ其の本を務むべじ︑本を務訊∵で﹄して︑徒ら

に名響を望むけ︑是謂ばゆる蒔かぬ種ねの生匈

んここを望み︑木に緑りて魚を求むるの類なり︑

愚の至り・乙いふべし︒   ︑︑︒g/

  I和泉屋甚助ぱ︑読を太申こいぴて︑富豪の商人な

りしが︑偏にμ﹈紅炉名の世に聞匈んここをのみ

願ひたり︒因りて儒者醤士ばいふー名更なり︑歌人

俳家より︑幇間浮浪の徒に1でも︑廣く交りを結

び︑其の力を薪りて︑或ぱ書を著し︑或ぱ碑を立て

て︑己れが功を族し︑叉其の身上の事を浄瑠・理に

作りて︑戯場に︑演するなぞ︑几う名叫を得るこfヽ︑

一亡して焉にごるなL︒斯く無盆の事に日日多

くの財を費ししかば︑さし応のy富豪右︑終に是が

焉八のに衰滅したりyごグ︒

人ノ己レタ知ラデごグ患ヘズ︑其ノ不能夕憂

 ク︒

  ` !

(11)

rr‑[http://www.Tiniitt.ーぺノ

     第人課 用心

几ろ事の成るぱ︑成る日に成るにあらす︑必す由

りて来る所あり︑と古人既にいへり︒今此の意を

推し摘むれば︑總べて事の成るを欲こそば︑像一之

を成す所以の道を備へ︒さるべからすtいふ意

に蹄著すべし︒されば何事名︑平生事なき日に於︒

いて︑よく駿来を盧りて︑像め其の備へをなし置

くべし︒︑

山内一豊始⁚のて織田信長に仕へし頃︑た1だ1

東國Tより名馬を惣ぎに来りし名のあ昨︒織甲家

の諸昶士集り観て︑皆其﹂の逸物尨るを歎賞せよしご

かそ名︑價貴ければ︑之を買ふ名の絶匈てなL︒一

豊家に蹄り︑身貧しくして︑之を買ふこダヽ能ぱさ

るを嘆きけるに︑妻の曰ぱく︑﹃わらぱ御身にL婦を

し時︑父より賜ぱりて︑今に貯へ置ける金あり︑之

を御身の大事に用びんこyにヽ︑わらぱが本望なりい

とて︑鏡の箱より小判十枚を取り出しぬ︑是によ

りて︑︼豊遂に彼の名馬を買ぴ︑馬揃への時︑乗り

て出でければ︑信長之を見て︑其の用心の到れる︑

を褒妬て︑緑を堆L︑是より次︒第に重く任用したり︒

(12)

EL.j一︒︒㈲抱.E夕jyがーノ受討喧賃斜哨眉

     第九課 寛弘       い こ に接︿するにぱえ尚1 ︲・弘を旨犯し長の長雫︒る

 所を禰して︑徳を成さしめ︑其の短なる所を゛恕こし

て︑過失を咎めざるを善し亡す︑斯くの如くなれ

 ば︑終身交る名︑絶匈て怨みを受くるこ乙なL︒然

 るに︑若し之に反して︑人を待つと芒過巌にごして︑

 小過を責め︑奮悪を念ふが如きこジに︑あれば︑人皆

 堪ふるここ能ぱす﹂して︑其の極︑遂に二誦害を我に

加ふるに至る︑慣1さるべけん々︒

南宮浦六は︑大漱しにヽ戟す︑性度至りて寛弘なり︑常

に曰ぱく︑﹁人寛なれば︑能く衆を容るソにこT生門人

奴婢を邁するに︑嘗てルこし島謎責せ←しことなし︑

故に人皆之に 懐き服せり︒

       −      /ノー−♂−      j坂田恒山辻︑武蒔を嗜み︑最島拳法促精し︑嘗て門

弟子に語り分るは︑﹁吾が學ふ所は︑元温柔の手段

なり︑古語に︑﹃人剛なれば︑我柔を以て之に勝ち︑人術

を用ふれば︑我誠を以て之を感世﹄し釦必といへり︑吾

が術を學ふものは︑身ぱ凰重なるを要し︑意は閑定

なるを要す︑激烈は最島忌か所なりい£いぴし亡夕︒

 萬事寛二従ヘバ︑其ノ一輪白々厚ジ︒

(13)

瑕fノ表11Jy勺T 尉町1・ノ       十一 一yjF夕丿余1示

      第十課 公平

人の心は︑感情の焉八の﹂に動き易き心のなり︑故匹他人の善悪を許するに名︑交情の親疎に由りて︑

公平を失ふここを免れす︒其の人︑我と親しき時

ぱ︑之を愛する情強きに因り︑其の悪し白所を見

す︑故に之を褒むること多く其の賞に過ぐ︒其の

人︑我と善からさる時ば︑之︒を悪知心深きに因り︑

其の善き所を見す︑故に之を誹るここ多く其の

賞に過ぐ︒叉其の人︑我と交り甚だ疎き時は︑唯其

の容貌を見︑其の音悍を聞きて︑直も比其の人物

を高下し︑或は唯世評を聞きたるのみにて︑軽軽

しく其の人を忌み棄つ︑是賞に小人の常なり︒君

子ぱ然らす﹁其の人︑を愛寸七雖名︑其の悪を見るこ

と明かに︑其の人を檜む七雖名︑其の善を知ると七

審なりJ是君子ぱ善き人の翁妬には︑其の及ばざる

所を告げて︑之を奨め︑悪しき人の偏しのに辻︑其の善

き所を褒めて︑之を勣女さんと思ふが故尨り︒

艦記に﹁愛シテ其ノ悪才知nノ︑憎ミテ其ノ善ヲー知

ルいとあり︑浅見藤右衛門の︑三井角右衛門に於け

るがL如きば︑則も是なり︒

f へ い

(14)

rl卜‑p=r.a=> ‑WJA刊T

J1一ノ

ノーごt4一T価Υ力才4yDtこm川

     第十一課 節倹

萬の事︑深く心を用ぴぎるべからす︑心の用ぴ方︑

いささか建へば︑其の成績に大いなる差を生す

るは︑常の事なり︒家を治むるにぱ︑此の事特に著

し︑善く心を用ぴて︑節倹を務︒妬︑奢侈を戒むる時

ぱ︑無用を樗りて有用とか丁し︑財を養ひ︑用を声か

にするこ芒を得べL︒若し私﹂欲を恣にし︑駱奢を

極むる時は︑財用忽ち書きて︑家を保つこ七一能ば

さるに至る︒然れば萄名善く家を治妬ん也欲す

る名のは︑節倹に心を用ふると亡︑最名深かIらさ

心労

ごニー 唄

伊 リ

`Q゛1φ   Xぃ  牡 ・‑Jと〜一 丿 辺)し勁犬ヽヽ

−−一 O

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さ/4 ...‑,ノ 扉嶮斗

・・.・  .    ・ ・  .ゝ

v:が殉加4蒜ムクプャ

   い I、jデェ ̄ニニー

 るべからす︒

一野野村彦左衛門ば︑加藤

清正に仕へて︑緑三百石

を取りし人友び︑初八の割

り渡されたる宅地ぱ︑大

丿几六︒百坪なりしが︑其の

五十坪に家を建て︑三百

坪を圃となし︑残り二百

五寸坪には︑栗梅茶友垣

の有用なる樹木を植ゑ

(15)

F二々勣囲£ぺづし循満丿

徨銘璧刊莉詞削

付けたり︒叉宅地の外周りには︑弘美と柳こを植

ゑ付けて︑薪材ヽの料に備へたり︒

斯くて十年ばかりを脛ごしはそに︑其の樹木︑いづ

れ名よく生ぴ立ちて︑茶の芽梅栗の貴女廼︑敗穫

多く︑己れ八が家の用に供したるあ1りぱ︑或ぱ資

り︑或辻人比贈るほぐ忿女りしかば︑小縁の身なが

ら名︑馬二頭︑士四人︑下部五﹂人を養ぴ︑其の他武灘

の用意にIる攻で︑千石の士に哨まきり・Lこいふ︒ 富裕︵︑轍約ョタ生ジ︑貧困︵奢侈ョタ趨λ︒

      第十二課 仁恕

我が身に骨の折るるこ々﹂ヽは︑人の身に名骨折れ︑

我が身に悲しきと£は︑人の身に叉悲し︑人間萬

      %%      4 事皆此くの如く︑我名人名︑同F事ぱ︑同卜扁`に感

する名のなり︒されば世の諺に名︑﹁我が身をつみ

て︑人の痛さを知れいといへり︑よき敢へ芒いふべ

し︒人善く此の敢へに従ひて事をなさば︑人に怨

1るるとダヽ︑絶匈てなか名べし︒昔支那の陶淵明

といふ人︑下男を傭ひ︑入れて︑其の子の許に送り

遣名時︑﹁是名亦人の子なり︑愛して使ふべしV戒

(16)

rL・j月︒㈲lorク1卜ー■一ノ︲︲−︲−︲︲︲−−        十四 E J︑¥ 一 一   11刑

ての﹄しば︑賢しどいふべじ︒

宋の王大旦︑寇準芒同卜く仕へ︒王旦ぱ︑中書にあり︑

︒︑寇準∴に︑橿密院にあり︑或る時︑中書より出しける

 書面に︑誤りて印を倒LIに押してければ︑寇準

 人を遣けLて︑巌しく之を謎八のたり︒丑クの後︑橿密

 院名亦同卜過ちこしければ︑中書のものでも︑﹁今こ

 う先の怨みを反さ砧﹂也いごふづを︑王ゝ日︼﹁前の橿密院

 の仕方を悪じこ思ふに︑何芒て其の悪しきここ

 を學ふ々い七いぴければ︑皆其の︑理に服して止り

ぬ︒     第十手課 勤勉

我が家の生業を勤めて︑財を生雫るを本とし︑叉

倹約を行ぴて︑財を保つの道々﹂ヽす︑若し然らす﹄し

て︑家︿薬に怠りて勤砧す︑財を漫りに費七て︑倹約

ならさるぱい是困窮の基にて︑家を破る︒故に家を

豊かに←し︑財を足すの道は︑よく家業を勤むるに

あり︒叉財を保ちて失ぱさるの道ば︑倹約を行ふ

にあり︒此の勤むると倹約乙ぱ︑家を保つの道な

tつは︑常陸の國の農民喜兵衛が妻なりぃ既に飯

(17)

EL︲j4劇旧jブ1E叉u.︸ノjJ.

を迎へて後︑三人の孫を得︑家内總べて七人にて

暮﹄しけるが︑程なく︑夫と子£ば病みて失せ氾︒家

素より貧しければ︑是に至りて︑わび﹄しさ言ぱん

方なし︒故に親族で名相謀りて︑家族をば各゛分ち

養ぴ︑田畑家財を資りて︑其の償ぴにあてん芒い

ふに︑1つば同意せす︑﹁わらば如何に名し︒て︑此の難

儀を凌ぎ︑家を保つべLい忿いぴけ蕃に聚終に其の

心に任せたり︒是より後︑1つは一心に家業を勣み︑

孫そ名を育﹂てLしが︑終に果して再び家を興した 勤勉万人︵萬物丿化シタ黄金トナヌ︒

      第十四課 業を習ふ ︒︑⁝⁝︒⁝⁝

几う天下の事ぱ︑如何にたやすき業にても︑焉さ

されば成らす︑如何に難き業犯て名︑勇を奮ぴて

ー勉働すれば︑決して成らすふにごいふと亡なし︒畢竟

人の功業の大小ぱ︑全く其の勉励の度に隨ふ芯

のなり︒4れは︒世の少年ぱ︑須らく人に勝れて勉

励し︑人之を︑︑ヽ一・たぴすれば︑己れぱ之を百たぴ←し

人之を十たびすれば︑aれぱ之を千たび←して︑必

才事業を大成せこんこ″にヽを期すべし︒

前野良庫ぱ︑幼くして父母こを失び︑外舅宮田全庫

(18)

験I卜卜j⁚︒がじ否1眸兇j/

ー丿刳n4Jq一ぶかぶ11爪

か許に生長す︑一日仝津良渾を論して︑﹁几う男子

たる名のぽ︑世の人の未裁焉さざる事を焉して︑

世を盆すべしソにクいびけるに︑良揮゛深く感Fたり︒

後醤を以て中津藩に仕へ︑江戸の邸にありける

時︑始めて蘭書を見て︑思へらく︑﹁吾が終生の業忿

して︑舅氏が教論に答へん名のば︑是なるかいとて︑

是より志しを決←して︑蘭書を修妬たり︒初八のぱ青

木昆陽に従ぴて學び︑後屡長崎に道びて︑研精怠

らさりしかば︑終に其の業を大成L︑数多の書を

著し︑て︑此の學に志す人人を導きたり︒

     第十五課 オ智      y

オ智ぱ︑善く磨きたき名のなり︑事を尨すにば︑オ

智をれきて頼知Tべき名のなし︒

才智勝れ・たる人は︑事を處するご︒こ迅速にして︑

大方過ちなけれふ﹂﹁名︑オ智劣れる人は︑混緩にし

て︑11過ちあり︑才智の優劣︑人に於いて大いな

る損得あるを知るべし︒

朝鮮征伐の時︑黒田長政の士吉田叉助︑乎安川の

幅を見積るべき由を命世らる︒叉助︑川に至り︑た

1だλ再向ぴ岸に人あるを見て︑打ちうなづき︑人

(19)

r1‑i In;: .^ TJiiA ‑M'A一

:s‑iノ゛カJMnぐこ諮刳冽儡目I刑

を提上に走らし妬︑其の身長の︑向ぴの人に同F・

く見ゆるに及びて︑之を止め︑其の間の距離を測

り・て︑川幅を知りたり︒

是名朝鮮征伐の時の事なり︑加藤清二止或る時︑

大川に打ち出で見るに︑向ぴの岸に繋げる船

あり︑且⁝陸に八ぽ陣屋あわて︑旗を立てたり︒清二止

峨宍は笑みて︑﹁あれを見よ︑鴎のむれ︑岸に浩︑ぴて

迂べり︑敵なきこと必定なりいといぴて︑人を遣

りて︑船を奪け﹄し妬←しに︑果し七敵は居ぎりけ

     /第十六課 身を修な

明治二十三年十月三十日︑今上天皇陛下の下し給ぴた

る勅語吠吾等が︑日常身を修むる法具と仰ぐべき名の尨

れば︑平生誦読して︑寸時名忘るることあるべからす︒

朕惟フニ一︑我が皇組皇宗國ヂ肇ムルコト宏遠二

徳ヲ樹ツルコト深厚ナnノ︑我が臣民︑克夕忠二克

夕孝二︑億兆心ヲーニシテ︑世世飯ノ美ダ済セル

︵︑此レ我が國殼ノ精華ニシテ︑教育ノ淵源︑亦賓

丁一此二存ス︑爾臣民︑父母于孝二︵兄弟二友二︑夫婦一

軒和しソ︑朋友相信ジ︑恭倹己一心ヲ持シ︑博愛衆二及

(20)

に卜嘔付⁚犯1 i澗渡ド循−丿

涛JMn嘔一︲1吋罫刻心倫目.

ボシ︑學チ修メ︑業ヲ習ヒ︑以テ智能ヲ啓賛シ︑徳器

ヲ成蹴シ︑逞テ公盆ヲ廣メ﹂︑世務ヲ開キ︑常二國憲

ヲ重ジ︑國法三遵ヒ︑一旦緩急アレバ︑義勇公二奉

ジ︑以テ天塩無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ︑是ノ如キ

︵︑猫て夕朕が忠良ノ民タルノミナラズ︑叉以テ爾

組先ノ遺風ヲ顕彰スル干足ラン︒

斯ノ道︵︑賞一︷我が︸皇祀皇宗ノ遺訓ニシテ︑子孫

臣民ノ倶ニー遵守スペキ所︑之ヲ古今二通ジテ謬

ラズ︑之ヲ中外二施シテ悼ラズ︑朕爾臣民卜倶二

拳拳服磨シテ︑咸其徳チー干センコトヲ庶幾フ︒

      第十七課 修養       ゛

    ︐      く http://www..      4      ♂      1人の資性は︑生交れながらにして︑完備なるぱな7し︒さ

れば︑人皆自ら其の身の長する所之と︑短友る所とを知

り︑其の長する所を助けて︑ますます長せLし妬︑其の短

尨る所を養ぴて︑漸く長せLしめんこ君を務めぎるべ

からす︒斯くの如く寸るを︑自ら其の身を修むふ卜いふい

自ら其の身を修むる辻︑何人に名極めて大切なり︒人

君しては︑多少父母教師の数へを受けざるもの名な

かるべければ︑自修の心なくとも︑無下に愚かなる名

の君名尨らぎるべL︒されそ名︑自修の心なき君きぱ︑

(21)

' ‑ ' ︱ ^ r \       ‑ r     ≫ * H \       i │ i i l i j /   . j /

一父母教師の教へ名︑深く

←匹の心に入らぎるべけ

れば︑其の人に取りて大

いなる損なり︒

白り修に最名大切なるぱ︑克

μ︼なり︒克﹁巳こば︑我が情欲

に打ち勝ちて︑正智の列断

に従ふをいふ︒自修の目的

は︑dれが性の偏ぜる所を

矯正するにありて︑固より

りUし一一七

yjyl4こ但下力十不ノ詐EこmJ

我が情欲に逆ばぎるを得ざる名のなれば︑克μ﹄

の︑自修に必用なるは︑容︒易に知るべき友り︒

後光明天皇は︑性甚昶雷を畏れ給ぴしが︑ある時

﹁人須︒らく性の偏の最も克ち難き所より克七・去

る・べしいといふ古人の語を思ひ出・させ給ぴて︑﹁朕

が雷をdJから︑性の醤友江︑朕忿怒か之に克たざ

るべきいと宣ぴたり︑此より雷の嗚る毎に︑御簾の

外に出で︑雷の止か1で︑端坐Lてまし4こししが

遂に雷を畏れ給けTでなりしこいふ︒

 磨働λ︑常﹄一百錬ノ金ノ如jスペジ︒

(22)

−−頌月刃︒︒−︒

− 一一 十

ぷJ剤引﹂ぶ白刊一卜な常泌Wご一川

    y 第十八課 公盆

人の楽←しみさ1ぎ交志るが中に︑人を楽し交ぜて

楽←しかばゾ炉句︑楽しみの大きく且貴きば友し︒公益

を圖るぱ︑此の楽しみの第一なり︒萌のみの楽Lみ

は︑小にしていふに足らす︒中にも︑衣服飲食を奢り

て楽﹄しむけ︑更に鄙﹄し︒然るに世にぱ︑此の前なる楽

しみを棄てて顧字︑偏に後尨る楽Lみのみを願ふ

島のあり︑如何なる心冷J々︒後なる楽しみも︑未だ仝

く棄つべからずこ雖島︑必す節倹を目的として︑程

よき處に止め︑以て前なる楽しみを楽しかべし︒

古の賢人︑プ箪の食︑▽瓢の飲︑晒巷に居て︑其の楽

しみを改妬さる名のあり︒道を楽﹄しむここ深け

れば︑誠にさ名あるべし︒されば︑吾︒人ぱ︑縦ぴ彼が

如くなる能はすと名︑食ぱ︑殼を養ふに足り︑衣は︑

暖を取るに足り︑室け﹁雨を防ぐに足ちば︑延れり

亡すべL︒決∵して奢りに至るぺからす︒古語に︑﹃羅

綺千箱゛名︑一暖に過ぎす︑食前方丈名︑二飽に過ぎ

すいといへり︑昧ぴある言なり︒世人財と力と︑翰り

あらは︑宜しく之を公盆に用ふべ七︑其の楽←しみ︑

錦衣玉食に勝ること萬萬なり︒

(23)

‑X.I‑) ;yi≫  1.‑II imm. <^ ‑yau* 1]^

      第十九課 忠君

君臣の聞け︑固より父子の自然﹂の親しみ弗るが

如くならす︑然るに古来忠を名て︑孝と同卜く人

の大行となすぱ︑何の故今や︑按するに︑國ば家の

集りにして︑家ぱ人の集り起句︑家に二親庸子ヽあ

り︑親其の長と焉りて︑衆子を治言の︑之に食を輿へ︑

之に衣を着せ︑之が教へを施し︑之が二軍ぴを已む︒

若し親の長たることなくは︑家一日名立つべか

らす︒國名亦然り︑國の長を君主といふ︑億萬の人

を治め︑學校を設けて︑教育を布き︑刑法を立てて︑

不良を罰し︑律令を示して︑秩序を整へ︑兵士を養

ぴて︑不虞に備ふ︑故に國一日名君主なければ︑人      ︱人相.争ぴ相殺して︑窮極なかるべし︑されば︑君の

國に長たるぱ︑栖親の家に長たるが如ぐにLて︑

更に大なり右いふべL︒臣民の國君に受くる恩︑

亦厚が﹂らすよ7忠ぱ即ち此の厚恩に報・ゆる所以

の名万⁝⁝の左れぱ・r其の古づ来孝亡共に人の大行ふしヽ立

てた﹂る︒こく誠に宜一なり︒我が國の如き︑國穀の國

(24)

験 kj‑j. ‑f^ −i=: ‑UH\ Tini^

^K‑"ノ

^‑1 ;‑^ i.'^ii imm http://www.is:

     第二十課 愛國

愛國の心ぱ國の︿元気なり︒國此の心に乏しけれ

ば︑法度皆癈れ︑文物悉く衰へ︑内憂常に断沁で予︑外

患屡至り︑其の滅亡必す日ながるべし︒

方今︑世界萬欄万に盟約を結びて︑好みを修か︑外

面より之を見れば︑更に不詳の兆なく︑永く平和

を保つべきがL如くなれでも︑其の賞は然らす︑皆

扁に憩鳥の慾几を抱きて︑姑く其の爪を隠せる名

のなり︑替名世界列國の間に國を成せるものは︑

之を知らすえてはあるべからす︒

我が︑國ば土地美にして︑四方外國に接せす碑に

世界諸國の慾望を促すに 足る國柄なれ廼名.幸 に上に.聖明の天子あり ︑下に愛國の臣民志りて︑

開聞以来今に至る1で二千五百翰年間尺寸の

地名曾て外人の焉妬に葬蹟せられす︑反りて屡

國威を海外﹁に震へり︑今に及びて︑吾等若し︑愛國

の心に乏しく︑斯の國をして﹇旦不祚﹈の事に逢

ぱLめは︑夫れ何の面目ありて︑皇組皇宗を始妬

奉り我が二阻先に地下に見沁ん々︑思ぱさるべか

らす.賢 −`¥ IIi 寿 ドーkレ幽w/ ..^>       二十三﹄≫..<.1.1^‑1.^ .1J−iU‑ iMm>・・̲ >J̲J

(25)

一 一

明治二十六年十月十日印刷

年十月十三日殺行

    著作者

    賛 行 者

代 表 者

印 刷 者

k l

印 刷 所

責捌所 定價金七賤

渡   漫 東京市本郷瓢森

金 港 堂 書

 仝 日本橋瓢本町=

食物堂書籍・會此此長

下谷瓢

p 寺

叛!恥

二   耶

四百十番地

 仝 日本橋匹本町三丁目十七番地 金港堂書籍會絃祀員

金 港 堂 書 籍 會 趾

 仝 日本橋瓢本町Ξ丁目十七番地

金       港       堂 大坂市東瓢南本町四丁目

金      港      堂

 宮城転仙蚤市国分町五丁目

7九賢t

参照

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