• 検索結果がありません。

訟 ノ采毒性襲疹二就テ 重

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "訟 ノ采毒性襲疹二就テ 重"

Copied!
38
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

事ハ御一分リノート土⇔ヘマス即チ本邦ニモOQ勺ジΦせ庁Oo巨詳註 ナルモノカアルト思ヒマス 言スレハ私ノ今日諸君⇒述ヘル稟黙ハ只出冒︒窪書ハ本邦二於テ敢テ非常ノ稀症デハナキ事テ

アリマス而シテ切器汀先生力二十年間一人モ見ナき匿テ以テ見レハ本病ガ本邦中或ル地方⇒多ク

方⇒少キニァラサル乎ノ疑チ生シタ〃可デアリマス旬一ハ︑oQ苫6胃冨昏庄・︒ナルモノハ今日ノ 術ノ程度二於テ之レアルモノト見徽シテ可ナラント思ヒマス且ツ⑦冒Φ芭5Q巨庄・・モ亦本邦⇒稀

有ノ症ユアラズト私ハ申シ度キノデアリマス ︵完︶

雲=巴雲口==已==声声え=一=:已一===司一q.=己==頃==﹂;声3憤工;■

ノ采毒性襲疹二就テ

 ︵O零目巴巳○駐゜︒合︒NO旨︒冨庄出︵﹈°<H自゜

自Φ含﹂°戸OO﹂°︶

アルフレード︑べ

  ︵抄鋒︶

リー号ル巴守a﹈W9声甘2氏 報ジデ日ク四十二歳ノ從來健全ナリシ婦人梅毒

染シ塗擦療法チ行ヒタリシニ既⇒第一回ノ 擦後︵灰自水銀軟膏約三・○︶雨脚コ登疹チ來

塗擦チ止メタル後モ該疹ハ全身コ蔓延セリ乃

患者ノ歌態チ⁝閲ルコ顔⌒面ハ浮腫歌昌腫脹シテ 紅シ蚕躯幹ニハ毛嚢口⇒一致スル部分ユ許多

ノ皮下溢血斑ヲ呈シ其周園ノ皮眉ハ狸紅紅色チ

 三三

(2)

  ︵抄鐘︶

色ハ塵⇒由テ消槌シ且ツ此部=糠枇様若

クハ葉状ノ表皮剥脱チ來シ四肢モ同檬二侵サレ

鱒=ハ廣キ扁牛ノ水漉

生ジ此水抱疹ハ次日二至リ患者肺炎⇒罹ルニ

其劉チ増シ一時虚脱状態⇒陥井〃⇒至リシ

室二於テ本題畠就テ研究セラレ左ノ如ク結論

ラレタリ但シ氏ノ検査⇒供セシ尿ハ本邦中流

ノ偏概⁝シテ植物性食物チ取ル十九名ノモノナ

リ芸フ

尿量ハ髄量ノ大小チ掛酌スレバ敢 漸ク之チ恢復セシメタリ斯クテ四肢ノ水泡ハ テ厭米人ノ尿量ト大差ナシ 固シタリシモ治後著シキ色素ノ沈著チ胎シ患 ︵二︶本邦人ノ尿ノ反鷹ハ大抵酸性ナリ

者ハ後チ久シク著シキ癌摩チ訴ヘタリ     ︵三︶尿ノ比重ハ東西人ノ間二大差ナシ

者ハ上記ノ症例チ以テ水銀中毒症ト看徴サズ ︵四︶尿素ハ吾人ノ調査シタ〃尿⇒於テハ其量甚

僅少⇒ノ尿中亦水銀チ謹明セズ︶之チ患者 ダ少ナシ即チ欧米人ノ尿ハ卒均二%チ合︑︑︑吾人

梓ナ〃特異素因二蹄シタリ︵南渓生抄︶  ノモノハ僅力⇒一∴六%チ含ムノミ但シ大澤

士︑梶田學士ノ定量シタ〃尿ハ髄重ノ大小チ

ノ常尿二就テ   掛酌スレバ厭米人ノ尿⇒比シテ其尿素含量昌大

 ︵岡山聲學曾雑誌︑第百三十五號︶   差ナシトス 舟岡英之助氏ハ岡山聲學専門學校生理學 ︵五︶食臨ノ含量ハ本邦人ノ尿二多シ就中吾人ノ

(3)

調査シタル所ノ尿ハ非常⇒食臨コ富ミ一・四三%

合ム︵欧米人ノ尿ハ一・○%チ合占︶髄重ノ大小

チ掛酌ズ∨バ其差益々大ナ〃チ見ル

六︶燐酸ハ梶田學士ノ成績チ除クノ外ハ本邦人

尿⇒少ナシ就中吾人ノモノ⇒於テハ含量甚ダ

少ナク僅一力⇒○・〇九⊥ハ%チAロムノミ

(七︶硫⁝酸ノ含量モ亦梶田學士ノ成績チ除クノ笥

ノ尿二少ナシ   ︵南渓生抄︶

毒f脊鑓螢及進行性麻痩  トノ關係二就テ

綱﹂巴﹄﹈江゜司○︒ぎ臣cξ三80°暑○°㏄㏄㌧

      く       

ク︑べ〃マゾジ摩烏犀H︸O匡BO已口氏ハ一梅一毒二一シ

脊髄努及進行性廊癖ノ原因タル丁確實

片ハ梅主母ノ多キ邦土二於テハ此二疾患モ亦

  ︵抄録︶

ニハ+四人;多クハ第三曇者ナリシモ脊

及ヒ麻薄患者ハ一人チモ見〃ーナカリシト

 ︵南渓生抄︶

W

癬二ゑぴかりんノ試用

旨宮畠゜日包゜司○昌Φ5・﹈﹂♪﹂OOP20°S︶

       

︑シーベ〃ト国゜oc﹄︒げΦ詳氏ハ渉ふピーるハ 状チ褒スル﹁少カラザルチ以テくれ

そちん酸及﹁ベタ﹂なふピーるノ濃縮産物タルゑ

ト論∀氏ハ一千入百九 年ヨリ九十九年嵩至ル五年聞梅毒ノ蔓延著

ァ及ヘルツェゴウ井ナ⇒於テ此問題⇒

調査シ反圏ノ成績テ得タリト即チニ萬三千

ノ人ロテ有スル一部落⇒於テ前記年限中=大約

萬五千人ノ患者アリタルガ此中梅毒患者四百

(4)

 ︵抄 罎︶       三×

りん︵目廿岸芦甘︶チ跡癬患者⇒試用シタリ 子油⇒和シテ用ユト而シテ其長ズル所ハ確實⇒

氏ハ其一〇%軟膏チ叡多ノ患者三二日間全身コ 殊癬轟テ殺シ毫モ皮膚及内臓器チ刺戟スル可無

塗擦セシメタリシガ奏効顯著⇒シテ而ヵモ毫モ〜ク無臭⇒シテ叉皮眉及襯衣チ著色スルコト無キ       ﹀

見ル﹁無ク且ッ本割ハ無色無臭ナル ⇒在リト  ︵南渓生抄︶

以ア最モ使用這ナリ但シ不利トスル所ハ運三新治創警ら|ん

々済癬二俘フ灘疹ユ鋤シテ毫モ治効チ奏ス〃コ

ト無ク反テ間々之ヲ増悪セシ古ルニ在リト

       ︵南漢生抄︶

ノ追加

︶︷⑦O巨゜出PO口゜司OO﹈﹈﹁O出oo⇔げH°﹂口つO°H為○°⇔㊤゜︶

   

︑ザックス出゜009廿oQ氏ハ殊癬ノ療法⇒一新

藥チ賞用セリ該藥ハ名チペるYIる︵弓o日o﹂︶

ト稽シ氏ハ之チナイセル氏くりにつく⇒於タ用

リシガ刺戟予防ガンガ爲メ之ヲ三倍ノ箆痂

 ︵○窪含己古古ヰ﹃°亀゜σ⇔oむ・牡目古Φ円9s巳p

§p肖︶

i −  −ー

︑ホローウ井ッツ﹈κ﹇・国︒﹃︒<詳N氏ハ本藥⇒就

導シテ日クめらロん︵旨Φ﹂呂︶ ハ油様芳香

牲ノ液ニノ化濃及創液分泌テ制止シ上皮ヲノ速

肉芽組織上⇒駿生セシム之チ潰瘍昌使用ス

三綿紗ほシ豆義フ遊昊ノ警覆

 ハ梅毒性原登症⇒ハ三乃至四回槻帯チ施ス片ハ

登生セシムル﹁ヲ得可シめち8

(5)

んハ叉黄蝉チ以テ軟膏︵二上二乃至一・﹃三︶卜爲        に 或ハ亜鉛筆励掘浬失亜巴斯答ト爲シテ用ユペ

殊⇒本藥ノ奏効アルハ梅毒性諸潰瘍︑軟性下︸

癌︑下腿措⁝瘍︑肛門裂創⁝等ナリ﹂肛門裂創ノ如キ

三通常諸藥奏効ナク多クハ括約筋ノ切断チ要ス

者ナソ岳著者ハ始メ肛門⇒こかいん廠酔チ施

めらーん=浸シタル綿紗片チ捕入シテ

治セシメタリ此他めらーんハ包皮旬行疹︑

      ︵南渓生抄︶        ︹ 皮炎︑黒疹等三艮効テ奏スト云フ

纂︶

羅l

1⁝

●ビッォッェ⇔氏小博

南 漢生 稿

 一たび血液の生理若くは病理を播きたる者は何

冨伊國有竃翼︷殊書霊液の もビツォッェロの名Y記せざる者あらざる可し

よ力を致し斯學ユ貢献する所

頗る多く彼の﹁血液小板﹂の如きも實に氏よ由て

覧︾るξ夙蓑の了知する所な−

るユ今突如εして此有爲なる研究家の計音ユ

す斯道の爲め深く痛惜に堪へざる也余や弦に

近刊猫逸馨事雑誌み載キる所に櫨0此小侮を作

(6)

 ︵雑纂︶       天

れる者富ゐ氏の偉動Y追慕するが爲め而巳   自ら一小研究所を創設したクしが氏及其門下よ

ゥリオ︑ビツォッェハ之伊太利の人︑一千入百 う出せる業績は忽ちよして大に學者の耳目を聾

       く      レ

︐1ー       ひ 訓左る初めマィラ訓の高等餐釆ら次 血液製造機能姦見せし差り斯くて一千舎        ブ月二十日を以てロムバ〃ダィ州ウォ〃動せり當時氏の業績中特に著名なりしn骨髄の

ウ井アみ繭Ψじ殊に才エール及マブテガーザに岬七十三年一般病理學の正教授ピしてッーリンふ ーi ー        ー 〜

後ちチューリヒに移リフライに學び伯林a︹聰せられ兼て組織學の私講師ピなδ爾來二十有

       〃

てハ圭タゥ井ルビ.1翁に師事したりしが一千 飴年の久しき其致職に在りしが本年四月入旦学

十二年齢僅かに十六歳にしてオェールの〃年五十有五︑將來旬大に爲キ有るの身を以て遽

 〜

ウて始めて﹁骨窺竃る糞に就て﹂の に肺炎の爲に逝けり悲夫 董念し一千舎奎ハ年劃・ζ於てぎ畠氏薩ク痙嚢授をて將藷理研究

       ノ

業を卒れ0時偶々伊︑漢の役ゐ際し一賠身チ軍籍〜所の指導者ピして叉其私立組織實習所の指導者

       〃

捌フロレン当ゐ聰せらる︑に及び漸く二十一歳︹よ著名なる研究家ユして且現代ゐ於ける酬太利        〃 eたるも一千八百六十七年其師マゾテガー伸として始終働精倦むと無かうしのみなら壱叉實 齢を以て氏に縫で一般病理學の穂致授に任 組織學者の首斑た0し人なう其門下亦英材に匿 られ其講坐を据任せう氏亡叉パウ井アに於て しあタずパウ井アのカミp︑ゴルギーの如さ︑

(7)

ッォニーの如き︑ゲヌァのグリッ 前のとなう・§

る⇒ー及カナーハスの如き︑ッーリンの引

司司の如き︑パ.助71︑のサルウ井オリーの如き貿勧劃釧顯纏詫竃

見︑腺艘の生産及生理的再生

其他硬腐膜の腫瘍︑出血後の血液憂化の如きハ

最も世に著ほる氏ハ叉濁逸語よ精通しだるY以 図氏人と爲り温厚篤實而かも精思果箇にして職務よ忠實ユ常に力學働行毫も塀息の色誉か冠L

にして眼疾に罹クてより以來長く鏡

瞼に從事・をる・と能は・を精力亦昔日の如くみらざ

うしが逮に一朝二竪の犯す所巴爲り復た起つ能

は走鳴呼悲哉然れピも氏の赫々たる英名巴絶代

璽5永く我學界を照らして芒て浬撃

て其業績の濁︑漢の聲事雑誌ユ出でだる者寡か

らず彼の有名なるごト屋匡註o弓隅甘・・○﹄ΦロNΦ目?

合︒︸︑Φ.︒ハ亦實に氏の創始よ係る者にして該雑誌ハ

畿及組蟹界長く薯る此他劃及廠 

 〜

州各國の國語に翻課セラレタル ご旨③出自曽声Φ象 へ

目2⁝︒竜S昆巳§︒︒ハ一千八百七十九年の登行

なりしが其第五版の出版されたる之實に一南月

  ︵淺 録︶

*可

〆oる

島詣

月三日 残 紅 生

(8)

 ︵浸繰︶       四〇 られたるゐ︑曉頃よ冠雨雲俘れ出し其 よ人の群Y作6居たりo若し我買ひ需めざる先 所の櫻叉之梅の若葉なぜ傭硯するよε見に舶︷出んかピ︑心も心なタず押し合ひ漸く需

られてはてハ奪霞てか散る花を悲んでか︑盲て淺橋より舶に乗らんεするゐ︑はや人の乗

袖にさ巌ぬ芸憲・ポッ︿違る朝な丁込みて足踏み入れん鷺墓き馨れぱξ

ーて七人次のー§田驕田︑㌶鷲蕪轟㌶ぽ

中讐員祠坂山碕近郷吉江の諸氏ピ我な0きo  たるが汚れん事Y怖れて席をゆづりπOo是れ

山を朝の五時四十分に駿して入時宮島着下車・幸芒甲板に腰下して待てピ中々出るさまは見侵

すo嚴島通の小蒸漁客待顔に漁笛頻と吹きなら ずo小舟の二三人乗せたるn既に櫓を押し立て

に︑必宙を飛べ澄も身ハ思ふ宇分も叶はぬ習 たり小蒸漁や咄汝之我を急しカるよなo

εて︑旅行カバシ肩ユかけ一町許の所なれば人 霞籠めたる海上越ねて巌島之黒給の如くぼあさ

に後れ逡早くも船に乗らんピ急くに︑道傍の茶 れて松並木之少し濃く室に書あれ海なる鳥居之

屋の男或亡女の客馴れて荷物は御邪魔蹄り迄御〜よく見つむれバ夫ピ現はれて︑人家よう上る煙

う申さうピ云ふに︑左あるべしピ友ピ一所に預 は幽ゐ其尾の絶ゆるを見るo丙海通ふ漁舶の煙

けて急歩すれぱ︑切符賢る所あうて此所には既 黒く室に染め出して勘く舶髄Y求め得る様o

(9)

兎角する間ユ我等の粟りし小蒸⁝漁n漁笛海に響 人の買ひ與ふるを待つ竜のなうo鹿あ6て紅葉 して硝子の如き静なる美しの青き海を︑裂き 谷の名思へ浮べしむo       ね ︑出てぬo島の景之凡て以前にかはらねぜ淡⁝九時四十入分の列車ユは宮島み蹄り乗込まんピ

聾㍉籠翼乗ーー繋 竃霞設翼誘㌔○

三重ー漕剥墓らる・纏ひて宮島遅の裏れぱ僅一時四+八時分間にて嚴島参詣し

      ン設㌶霊竃鍵纏バ ㌔鷺鴻劉鑓熟⁚㌶ロロ

ある四五町歩めば嚴篇肚誓道轟援盲きぬ︒地然か農大葉響緑菖︾配合よ

し︑磯馴松岸に連冠翠色滴るo木造りなる鳥居㎝く散りも初め壱︑紅葉も多けれ澄未だ美し巴見

岳打つ質少L痩叢面§轟てら拳明曇の葉蒙㌢しも・旋舘料理店の如き三ッ

 〜

      い ら壱o之より戴十歩廻廊前よ至る鹿二三匹⁝四ッ散ばりて雨降らば水流れん巴思はる︑低地 ピ彼等の食物費るさ︑やか汐る家め〜のあだり︑葉繁らば埋むる様に見ん芭思はるべ

前に適遙すo傍ゐ砺る廊にある將校の毫避よう き所︑小縞麗次る亭の一ッニッ寂しさうに誰憩ふ

來りし馬函うピて一頭Y入る○何れ竜詣の ものなくあるい貧なる我も一醇を此所に買ひカ  ︵漫録︶       巴

(10)

  ︵漫録︶

くc右の上り得る様に作られたる小高き岳に登

ば︑嚴島の勝景n一眸の下に眺めてハ我仙入

△る如き戚ありきo背は緑渉せる松並木にて敷

る山渉ウ三景の一ピ数へらる\此地何時 ても珍タしく見飽る時ハなかるぺけれピ聴

問は左諮許さねば︑惜しくも心を友さねて立ち

出て玖o秋ならば樹下鹿も來るぺくo

島細工葺る店に入℃債廉なる品なリピも に求め行あん定すれば︑客を逃さぬロ上巧

追々我ハ思︷ぬ物迄買ひ込みたる事なれげ︑

や蓋んピ逃げ出せば紳坂近郷氏等も他の店ゐ ピ買ひ居る時なれバ我も立寄りつo鼓にもう

四二

之走ピ亡銭取る事に之抜自渉き彼等巴恨めし うきo

璽山晋は彼等を見捨て︑行きだれ≦度ピ

ず話の蓼ー己義足ム如き 來ウ得べき地ビも定かなタぬに唯紅葉谷宅は硲

響して︑特に急ぐεも確畠客ふζ云ふ

まくあやつられ一品ばかり求め私に懐探り見て﹀靴に相違なきよ冠得息ε踏み入℃ぬo之は左甚

うo時恰勺九時廿分急うざれば間に合はす 五郎の作洛う巴う何所が優れたウピ云ふ所も嵌

定思ひし之務よウ秀れピ︑店のもの︑迎も間に けれ已満潮からば俘むが如孔ε︑其景一度見ま

みらねげ︑一時十入分の漁車よ乗る事ピし緩

り見物せばやピ切出せぱ︑彼も斯くせんピ思む

居0しものか直に賛同しぬo

廻廊ふ入らんこをれば履物の儘に入るを禁す但

し靴なれげど有ウ︑我等は靴穿ちだるも破れか

 ︑う泥も附着し下駄よりは却て汚繊たるべきも

(11)

ほしきも此時之僅ユ海水のありし丈け景をよく 恰も少女の下なりさO

する程も洛しo本殿︷普請中無用のもの入るを

欝ぽ

鷲晶鷲㍉

品敷多うるべけれ已︑一々委しく見ん様もなく

廻0くて出口に出てぬo此所ふ近き一の室よ誘⁝難鷲罵羅設靱

に片手よ小刀を羊にせ冠o少女の見つむる方我

雛⁝㌶蝦酷韓⁝

俘びたうO鹿之慾に駆られて美しき砂躍みしだ

き既あ膝Y没しぬ達して漸く口にしぬ○少女叉

0て投ーも鹿に達せす進みて腹を浸せう是9

  ︵漫録︶

を出れ壱青黒き自然石の碑あう⊃麗しや何よ

向ひて断嵯ありて此所に太なる臥したる如

き松あり孔o之が根も宅に憩ひ四方眺めつζ煙

吐いて暫しが間燥らし玖o堂之千檀敷ピ稽す鴨

居の上大小杓子鐵限うをく釘打付られあうし其

以我知る能之ずo呉海兵團の水兵百余之古参

n

なる籠に盆茶量等なるべきか手ゐし

て來るユ遇ひりo強て勤めらる\ゐ從ひ叉廻廊

を回ウぬo先の所にロ少女及鹿之見惚ざウき幾

(12)

 ︵漫鋒︶       四四

るも同e事氾ればε模橋指して戻ウ玖o  きぬo行に預けたる茶店よ入り三之列車に間に き玖之之同しく海兵團の者ゐして水兵 合ひたるやε問ひば今飯認め居らるζ巴の事な

四五名將校一二名同般したる婦女は將校の妻た 0夫れならば一層ゆる0見物せしがよあるぺき

るぺ鞄かo舷に立ちし一人の將校之我等の目ゐ にピ思ひ我等も二階ゐ上0顔見合之して笑ふて

は特よ映江じぬo⁝然あるぺ・し君n我校出身の少軍 我等.も飯を・した︑めぬo

田君なればなりo氏上陸我等の所迄來う何 先ユ蹄りし人は模橋ゐつきたる頃恰も一歩違よ に行きし事ε問亡る︑に九州迄族行し今日有 て小蒸漁に乗り後れた0芭︑次のを待つも面白 之宮島に分れたりと答へたれパ引率者之誰な あらずぜ舟を雇ふて力任せに漕がせられし由な

るやな.巴色々話の末皆の人に宜敷εて去られた るが宮島につきし間一髪流車之流笛天に響うし       〃60      ひ黒さ煙あ定に残して去れう電其時の落膿如何﹂ぱ

ユ宮島を曇せしと之三人足らざりき岡田講師 かりあ此舟賃恰勺四十銭o

田中聲員吉江氏なり之は先の列車︵九時四十入 午後一時十入分迄は充分に時間あうたれげ種々

分︶ゐ後れe巴行きしなるべしo       いの雑話の後は其刻にもなりて上車し岡山指しぬ

我等の乗りし小蒸漁n磯しぬ一セコンド毎夫れ 暫くして鳥居は見えす渉うきo

巌島を去うつ︑鳥居の朧になりL頃宮島ユつ       il−1︒1ー

(13)

=ロロ■一●=■==ロ一■一吉■吉口=■■●■==吉■■■苦=一昌一==吉●吉■担一■5

川縣河北郡直江谷村立小學校讐安宅治六

 ︵以上四月一日︑石川縣︶

 裁剣所書記 高柳謙次郎 澤⁝醤學專門學校書記 七給俸給與  ︵以上四月二十二日︑文部省︶

  書 記 森川 正名

用小使詰所門衛所通常用備品監守及

滑耗品取扱圭任チ命ス      

  書 記 永山 一昌

使 所門衛所逓常用備品監守及消耗品

  ︵會報︶

主任チ命ス

(以上四月二十四日︑本稜︶

員ヲ命ス

月俸金或拾五圓給與

以上五月三日︑石川縣︶

 記

以上五月⊥ハ日︑本校︶

岡山聲學専門學校教授

叙育同竺寸官エハ敏守

(以上五月十五日︑内閣︶

山醤學專門學校致授

俸下賜

月十五日︑文部省︶

仙毫馨學専門學校致授

員被仰付

白井 精一高柳謙次郎

熊勝

 熊勝

(14)

 ︵會報︶

月十八日︑内閣︶

賜一等給    陸軍二等軍聲 岩 田 一

月二十一日・陸軍省︶      

響國大露科大學警鈴木美蛭

 一

俸三級俸下賜

以上五月二十一日︑文部省︶

會計掛チ命ス       雇 石黒 重義

月二十一日︑本校︶

川縣へ出張チ命ス 内務技師 野田 忠廣

以上五月二十二日︑内務省︶

全全全全敷

孝藏

櫻井小卒太

小川勝陳

用彩

佐々木蓮

全全全全穀異

助致授

湯末堤石高上村金 目近 川山田上子 隆義從喜基計庄治 績介清直重二太郎

倫理科携當試験委員チ

命ス

川勝陳

  下卒用彩

國語及漢文科擦當

員ヲ命ス

師湯目隆績

(15)

科入學試業學科歴史及濁語科擦當 書學科及藥學科入學試業學科英語科据當委員チ 員テ命ス      命ス

       W  上田計二W  ︵以上五月二十八日︑本校︶

       一 當チ命ス︹巖手縣へ出張テ命ス  内務技師 野田 忠廣

       〃 櫻井小卒太〜   ︵以上五月三十︼日︑内務省︶

 佐存木達 璽辱轟毛位契等生駒廣太郎

       ︵ 命ス        ︵呈吾三+盲・藁局︶ 當委員チ〜叙勲五等授端賓章

助教授 末近 義介⁝七給俸給與 金澤聲畢専門學校書記 永山一昌        〃 命ス         禦川縣へ出張チ食内務技師野田忠廣        ゾ員チ〜  ︵以上五月三十︼日︑文部省︶

命ス      庶務掛校長室生徒控所通常用備品監守及消耗品        ブ 量科及曇科入藷董科化學科警奮チ    書記高柳讃郎 高山 基重〃   ︵以上六月五日︑内務省︶

 授金子治郎 取扱主任チ命ス

 ︵會報︶       囮モ

(16)

 ︵會報︶       異

助教授 松田 菊治    ︵以上六月入日︑本校︶

用備品監守及消耗品 叙正六位       從六位 小川勝陳 主讐解ク      叙從六位   正毒金子治郎

 ︵以上六月五日︑本校︶         叙正八位       小野 郁藏

 授 上田 計二 叙正入位       大西 瀬治 検査馨員長チ命ス      ︵以上六月十日︑宮内省︶

  講師森島彦夫 京都帝國大學聲科大學敷授正七位鈴木丈太郎

囑託 田中 正一 陞叙高等官五等

  全    東  艮卒    ︵以上六月十四日︑内閣︶

  全    沖野彌一郎       石川縣金澤病院馨員 森田 齊次

 全 三木三郎︺依願霧チ要

 全    木下 克⁝雄    ︵以上⊥ハ月十四日︑石川縣︶

手・太田 精一   金澤聲學専門學稜敷授正六位 高安 右人

 生理副手 入牧 政孝 叙勤六等授瑞寮章 學士心願者一鱒⁝格紛⁝杏⌒殿酉員ヲ︽Wス      ︵⁝以上上ハ目〃二十レ玉日︑営只動⁝局︶

(17)

叙正入位叙正入位

 ︵以上六月二十入日︑宮内省︶

員動静 百谷 義一 は五月中蹄國せられ小松町に於て開業せらる︑

中一次郎 由

長  ▲大塚正一氏 這回東京駒込病院の嘱托馨ピな

田中 正一 られさう

瀦清鷲誌藁六誌竃酬㍊εして研學

 }

子太須計氏眼科學介補;し︑の五月蹄國

 } らる

繍謁触竃縛四月三+日午前+時三

森田齊治氏 金澤病院婦人科醤員Y辞しタれ

る全氏は轡科大學婦人科介補よ輔せらる︑由

關屋林之助氏 來る九月頃蹄省せらる︑由

究せられL同氏

  ︵會報︶

昌氏

冒かされ蹄郷加療せ夕れしも不幸 月七日有爲の才Y齎らして遠逝せゲれさ0悲

内監次郎氏  鯖江第一二十⁚ハ聯隊⁝︷些勤三⁝等軍・

同氏n今回橋本ピ改姓せられだる旨通知あ参

 殴門囎學科第一ご年生在學中+κりし︾.の

(18)

  ︵會報︶

授の蹄校

究の爲め濁乙國へ留學中な◇し同教授

之去る六月十二日午後四賠廿五分の列車にて蹄

られぬo本校職員︑生徒及市内開業聲諸氏 已の人々停車場内に満ち煙火を揚げ旺ん

に歓迎せう生徒一同敷授の健蚕ゐ蹄朝せられた

るを肌し寓歳を三唱せりo終て同教授は金澤聲

會の曇起ゐあ3る歓迎會場なる金谷舘ゐ藩まれ

入學試験

放試験及藥學科入學試駿n七月二日よ

う行はれたう︑聲學科志願者百六十二名薬學科

者二十三名なウさ

四高連合端艇競漕會

陽春四月百花繁う幽鳥噂るの時︑人之皆公園の

花に戯れ月に酔ひ止まる所Y知らざうし聴に當

δ・我等有志n如何でか軟弱腐腸を學ぶべき︑腕

Y 河流ユ練りて聴て其11の來るを待ちぬ〇 月十二日端艇會を催す︑乙の一片の掲示は翻

÷εして馨專四高の肉飛び腕鳴り止まぬ六百の

勇士を迎へさ力o有志の喜何秀堪んやo恰も其

日午前六時二曇の號砲n天に轟き我残夢を破れ

0憂めて食をなし忽卒我は家を立ち出で△りo

麗はしく野水渥θ悉く皆彩霞を張り常ゐ百

聞く河北の暖原︑今日我校の健見は三々 五々︑勝ハ我物敗亡我の取らざる所巴自ら蹄し

雄言叉鳥聲に和をo我至れば既に敷百は競技順

をさー怠ウなかりし時なりo

燦然敷百の旗締は水に映e︑輕風徐ゐ來れ

(19)

ら萬色砕く︑松籟颯々たる庇地知ら走

冬大呼散聲天地讐うん

ピすo 嬰る璽に魏︑菖︑葦原の三艇三

各白赤青乃帽Y被れる勇士を分戴し徐に水を砕

て定点よ着きぬo硝煙掲ろ砲聲響急三艇等しく

時後れ卍先んせす擢聲軋々水を切る矢の

く泡沫頻に飛び龍虎の勢實ユ當るべあらず︒

衆は白巴呼ひ青定呼ひ或は赤ピ呼ぶo此肚劇

を見ては誰か快哉絶哉を蓮呼せざるY得んやo

赤の勇士ハニ艇を後にして決勝点に着きたりo

も砲聲叉響く喜色満面賞を受け蹄れば胸間

るすタ〃其努を慰めて飴りあるなク︒

Y重ぬる歎十︑本日最も観衆の目を引きしも

職員及聲專四高撰手競漕ゐして終クたるは

  ︵會報︶

没する頃にて︑會長之委員を集め慰勢の辞

を述へ債ほ將來勢Y惜まざらん事Y希望され力

三︒

四高弓術競射大會

月地凡て百花新に春光麗はしく翠微姻

霞Y隔て老鶯未だ其跡を絶たす︒雲威切存る聴

舗惚遊の一籠居に日頃の腕のや3もすれば脆弱に昭旧

らん宅する時︑此生氣ユ鰯れて再び鼓舞せられ

其日の來るや遅しピ待ちに待ちし弓術競技大會

は五月十二日四高弓術場に開かれぬO演身の覇

氣勃々抑へ難く午前入時既に斯道熱心家は腕を

し了禦遅←待ち壁ぬ・

九時通常射的を初む競射者ハ年來錬磨せし 尺的何かあらん︑ピ的定めて満月ゐ引き絞り︑

(20)

  ︵會報︶

放てハ矢聲一鳴貫きしは喜色制し難く仕損せし

身頭Y掻て席を下る此日の圭眼目たウしn 職員競射就中腎専四高の封競射にして︑撰手人 得の技Y奮ひ秘Y蓋し機を失は壱中々近來の 曾渉了きo因ユ記す本日の競射者観衆無慮一

百o

眞影奉迎式

縛⁚翻⇒⁝車舗≡

し随供して本校講堂に奉安し午前十一時奉迎

式をづ誘瞭酷を捧=..られた︒

園内縣會議事堂及商業學稜の一部を借り け講話會第一洗緯會を開けりo時維れ六月二

 日午前⊥ハ時號砲を掲げて會員諸氏の夢を破う入

第二の號砲を以て開會Y報すo門に國旗を交

し此所よ受付X醸け中覧子等籔竃

すo入れぽ数百の旗務n掲げられ朝風徐に揺

き左側に幕を打ち続Lたるn午後饒興Y演竜る

して商業學校乃一部を事務所に當つO此周

藥學・科寄附ようなる臨ユ里母Y饗する所あり

欝設⇔い案村藷曇開曾 皆券を鷹沮し其を求むる所o此所午後n一

を褒刊し舟三年ゐ至宣て校友會竃合同せし

も今回馨學部は濁立して金澤讐學専門學校ピ禰

(21)

するよ至れうo然れ共本曾は前沌の目的に依う に降壇o       ぬ ム ム ム ム ム

達を期するものにして恰も此時ユ際し第 第三席o消極的國家術生論︑土田久三郎君︒衛

通警の盛ん曇曾ー部長大に之÷凡ての有‖⁝己の抵抗力を強むる を開きしなり本日特別曾員賛助會員及︷生の目的は人体に有害なる物質及作用Y除き他 し終りに本會を開くに常冠縣願及商業學校の にの二あ外なら壱而して細胞は外來の刺戟ユ依

便宜を充分に與ヘタれ△る厚意は叉我々の甚だ うて自体を遜化せしむるも玄微有機体よ於ける

さん巴する我等なるゐ我等の司刻には天亜心⁝すもの之實よ運動一トして柔道劒道の如きは其最        ム 蓮ねら覧る曇ハ國家呈三夫萎爲 望量曇を得ξの警而して此目的藷 第二席・驚鍵能衛杢竃語︶・霧竺管の狭窄及閉鎖援る︾にして之爾管内性 我等相互の間の制裁に外なら壱云右︒    〜第四席︒吐糞症の一例︑北川健三君o駿生之腸        む       つ       ハ             ム へ ベ ム ム 雲の横ヵあるを慨嘆し之Y救治するの警唯三窒のな会々︒

  

君o日本に傳來してよウ今に至ウし歴史を氏 因ピ外因性ピあ・o氏の實瞼せられたるn直腸

を以て水を決する如く拍手の中 梅毒に依りしもの存リピc  ︵會報︶      工呂

(22)

  ︵會報︶

      む         ム ム ム ム ム ム ムロム第五席o國家ピ聲帥︑湯本四郎右衛門君o國家

之土地と人民εよ宣成立すピ説くと密︑後聲師

を下し次て爾老の關係Y論せんぜ られtも時迫り降壇︑近來の遣憾なりしo

      む      ム第六席○内鰐に就て︵並に筋肉模型め棋覧﹂︑石

籔・致授の巧なる筋肉模型製個は衆人を驚 し後本演題よ就て蓮べられたt内鰐ピハ内入

字を書して歩行するもの實ふ日本婦人の歩行是

り之が理を究めんピ欲して解剖Y行ふも少

も得る所をあウし然れ共女子の骨盤廣く下肢の

短き之歩行の際に身体重力を互の足ゐ移すに最

も容易をるは内鰐なリピ街ほ研究の所もあれば

日を期し報告すべし定o

      ム ム る ム ゐ第七席o女卵は細腕ゐ非す︑佐伯艮齊君o細胞

被膜亡無組織なり女卵にあうてい其膜何なる

を播く勺未だ之を載するもの非壱o而し

 て女卵の分裂そるや卵膜能く之に伴ひて援大・を

る人是れ無組織のものならざるを証をるものな

う若し細胞ようなるものピすれぱ分裂巴共に卵

膜⑤る細胞も分裂して増大し得斯の如くユ差あ

呈罰胞みあら芝て薪論ぜら鷺り・

 ︒︒︒︒︒︒︒︒ △△△A 席︒全肩那摘出の一例︑東頁卒君〇一部切

除亡大學に報告せられ虎るものあれ共全摘出よ

﹀ては少く勺本邦よ於て耳ゐせざる所誉う氏 院に於て實験せられたるものは肩脚骨

よウ襲生せし肉腫に行ひたるもの喬りo

       のり      ム  ム  ヘ  ム

    イタドリ席o虎杖の台有成分に就て︑高山激授o本 品の淋疾︑痔の下血時に効あクピ俗間に唱ふる

を耳みし教授は幾多の辛酸を営め其合有成分ユ

て研究せられし者にして其結果ふ依れば修酸

(23)

等を有キピ報告せ小れたりo      の輕快なる辮︑而かも流暢なる言之頗る聴者の

設藷難難づを通eて食篭饗ジ㍉㌧繍霞◎計        む       ム ム ム ム も十二時第三の號砲あがれり講話會を中止 耳Y傾け得たうo

        ム ム ム ム ム第†席o熱︑森田齊次君o熱は新陳代謝の旺盛 病院に於ける實験中に之決Lて少きものにあら

に由るものよして此際多少脈に憂動を與ふるも〜市特に十才乃至十五歳のものにして屡本病に侵       ひ

       〃 なウo我金澤病院救価患者なる膀胱膣痩直腸︷さるζを見る故に日本にありても地方病性に散        一 を上下そる乙巴轍週瞼温器をも破ウし事あり然〜午後一賠閉曾學生登起の帆賀曾み移る山碕芳太        な を有せしものに体温急に上昇し四十一二度 在そるもの≧如し云をo

日に異ならざるを以て疑を存しだ︸郎君登壇祓賀會開會の辞を述べ次て太田美濃里

うし墓よ其婁る墓見苫竃て大呈等巴君誓警護四年奮藻藩纂舘⇒出仕蘭書誓慧を促されな     馨の當塒よう卯辰山養生所妄う後璽響

第十一席o細菌の速成培養法に就て︑上田敵授o なう今日の專門學校ε稽するに至る沿革Y述べ  ○○○○○○OoOOO △△△△ 卿 輩學者の既に企圓せし所にして敷授は主に結 既往Y回顧すれば我等の初一念貫徹せし如く誠 核菌を培養せし成蹟を報告せられたるなゐ・敷授 に我丑轍⁝喜這學生諸氏のものこ何れか巴是を以  ︵倉報︶      五五

参照

関連したドキュメント

率最大52岩ヲ示シ,以下α07%抱カ嫡菌液ヨリハ50名,0.05%抱加増菌液ヨリハ43名ノ牛凝

    北陸繋學會       

第1表 嗜酒程度,飲酒量及ビ外観隠現レタル諸攣化 槍査例 年齢 嗜酒ノ程度 検査時 飲酒蟹 icc) 外観二藍レタル諸攣化. 0.M. 23

 2>肺結核症ノ心臓二於テハ1年未満ノ左右 心室壁ソレゾレ0.8cm及O.4cmニシテ正常ト見

一一 e 48eC 十 49 c A一 59 C 十 80ec 十 85eC−87.50eC.

ノアルニ由ルモノナルベシトセリ.明治28年伊藤,小原氏ハ化膿性ニアラズ将又結核性=一ア

[r]

[r]