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雅語俗録弐

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

雅語俗録弐

中野, 三敏

http://hdl.handle.net/2324/4784001

出版情報:雅俗. 2, pp.178-189, 1995-01-10. 雅俗の会 バージョン:

権利関係:

(2)

﹁秋の雛﹂半紙本一冊︑享保十年江戸刊︑末に﹁享保 丙 午 仲 秋 周

J大久保一富﹂とあり︑雷堂高野百里の序゜

編者は露月か︒全部で十丁の薄冊なれど︑岱緒色絹紐の

結び綴じ共紙表紙︒左肩に直に﹁秋乃雛﹂と煤色摺りし︑

更に秋草に案山子の絵を薄紅と岱赫と薄緑の四色摺り︒

蔵書印は序の首丁に﹁研堂﹂﹁留餘﹂﹁三原﹂の三印と本

文初丁に﹁中村俊定文庫﹂︑又裏見返しに﹁

A P R

15 

1936﹂のゴム印と覚しきものあり︒

同類同装の所見本︑他に二部︑何れも旧蔵者を同じく

し︑一本は﹁青海波﹂半紙本一冊︑末に﹁享保十二未霜

月屑ュ大久保一富﹂とあり︑表紙絵は蘇鉄に巻わらの

雪除けの絵︑薄緑と岱緒の二色刷り︒今一本は﹁冬の塵﹂

八多色刷り絵俳書の権輿

雅 語

中 野

俗 録 武

半紙本一冊︑末に﹁享保十八癸丑冬這吉田宇白﹂︑表

紙絵は紅葉とどん栗の実を朱と薄緑の二色刷り︒

都合三本︑現蔵は何れも早稲田大学図書館︒先年物故

されし中村俊定先生の御所蔵本の移りしものなり︒

かくいへば何という事もなけれど︑早く石井研堂氏に

より本邦多色刷り絵本の権輿として︑例の﹁父の恩﹂

︵享保十五年刊︶に先立ちて刊行されし大村蘭台侯旧蔵

品十三種︵中に右の三種も含む︶の紹介されし事あり

︵﹁錦絵の彫と摺﹂昭和四年版︶︒その後杏として行衛し

られず︑仲田勝之助氏の﹁絵本の研究﹂︵昭和廿五年刊︶

にも右の孫引きのみに終りしものなりしが︑この三種は

紛れもなき研堂氏旧蔵品そのものなりし事︑蔵書印にて

も知

らる

その絵表紙︑簡単なれども四色︑即ち四度摺りなるこ

と実見の上は明瞭にて︑恐らく見当を用いし事も当然か

と思はれ︑﹁父の恩﹂以前︑まさしく多色刷り絵本の権

輿と称するに足る︒彫工大久保一富はまた﹁父の恩﹂の

彫エとしてもその名を見る︒更に﹁秋の雛﹂の入集者には素丸•長水・溜北等にまじりて「渉鶏」の名をニケ所

(3)

179 

‑稲田大学図

② 冬 の 塵 館蔵)

(4)

曰 黄 色 表 紙 ハ 冊 本

︒折帖仕

立 ︒

田松斎摸︒

栄川

堂梓︒

石諮末に跛及び奥附あり︑左の如し︒

余幼

嗜画

又好

剤刷

H友人某携十竹斎画譜而来︑

日 ︑

九 和 刻 本

﹁竹斎占画諮﹂

月 十 四 日 の 度 に わ た り

︑ の 種 は 海 彼 の 人 の に渡りし物と推測せらる︒近年︑里帰り和占に接する

ことの多くなりし経験よりして︑右のゴム印はその推測

を助け︑更に三種共に持つ﹁留餘﹂の印こそ︑その海彼

の人の名かと思はるるも︑これは推測に過ぎず︒﹁三原﹂

は例の三原コレクショ

ソの

主なるべし︒とまれ右の三種

の︑その後如何なる経路を経て日本へ戻り︑如何なる故

を以て俊定先生の手許へ収まりしか︑今は知るよしもな

し︒恐らくは他の十種も共に一端は海外流出の途を辿り

つらんも︑更に又同じく里帰りを果せるものもあるなる

べし

︒研堂

氏以

後︑

一向にその実見を報ずるものの無き

も︑むべなるかな︒書物といえども︑その命連の帰趨は

端侃すべからざるものあり︒

(5)

IOOI 

(6)

東都

須原屋伊八

同 佐 助

岡田屋嘉七

小林新兵衛

英 大 助

和泉屋吉兵衛 書陣

京 都 勝 村 治 右 衛 門 大 坂 秋 田 屋 太 右 衛 門 名 古 屋 永 楽 屋 東 四 郎

天保十二年歳次辛丑秋九月

田書 展而観之︑絶与世所有者不同︑信稀世之称也︑會書陣栄川堂来︑亦愛翫不措︑且云︑如斯善本不易得也︑宜翻刻公世︑願先生其図之︑乞而不巳︑不可辞也︑乃自摸而刻之︑柳副其意︑鳴呼不知者亦賂謂区々旧習尚在也

松斎田恭識

友人泉

その他︑文化十一年四月須原屋伊八

折帖仕

跛文に拠るに田松斎摸刻︑また栄川堂は即ち三田屋喜

八︒田松斎については未考︒

口 緑 色 表 紙 題 策 中 央 二 冊 本

︵ 菓 譜 ノ ミ

︶ 包 背 装

小田海僻摸文政十年跛︒跛文左の如し︒

甕譜板刻行子世以十竹斎為尤︑而近日舶商斎来剋皆粗

悪無可観者︑余蔵旧製一本︑善刻匹千比︑頃會門人慾思︑

因省其繁︑採其可臨習者︑附剖剛氏以便学画者云

文政十年丁亥春正月人日海僻王嵐識

口綴色表紙題策左肩︱一冊本︵墨華冊ノミ︶

立︑序・跛・奥付等なし︒

本書刊年・摸者・刻者等凡て知れず︑また前掲黄色

表紙本及び小田海僻摸刻本とは全く板式を違える︒

所見本以上三種 西宮弥兵衛山城屋佐兵衛三

田 屋 喜 八

(7)

山田佐助連名蔵版目録︵村山緯撰﹁名義備考﹂巻末附載︶ こ ︑

拿竹斎書画帖鰐叫疇鱈如町疇来﹀ '

とあり︑又︑文化十四年六月山田佐助北島長四郎連

名蔵版目録︵亀田鵬斎書﹁酔銘帖﹂附載︶に︑

拿 竹 斎

書画帖唐本翻刻全十六冊﹀

と見える︒この二例︑恐らく同一本にて︑文化十一年に

まず梅竹部四冊を刊し︑文化十四年には十六冊を刊行し

終りしものと見ゆ︒板元は須原屋伊八・山田佐助それに

北島長四郎など加わりしものか︒黄色表紙本には須原屋

伊八の名はあれど︑山田︑北島は見えず︑しかも天保十

二年跛ゆえ︑右の文化板とは別本の如くに見ゆ︒さすれ

ば刊年不明の緑色表紙二冊本こそ︑この文化版の端本か

とも思はるれど猶考うべし︒

その他︑今一部︑雲母引きの用紙を用い精刻精刷のも

の︑端本なれど弊見せしものあり︒或いは黄色表紙本の

特製本なりしやとも思はるるも︑若し別本なりとせば

﹁十竹斎﹂は江戸期において既に四種の和刻を持つに至

り︑甚だ行なはれしこと知らる︒ 明治に入りても猶明治十一年前川善兵衛板十六冊︒明

治十四年︑名古屋・永楽屋版の﹁十竹斎棗譜抄本﹂二冊

を初め︑その他赤志忠雅堂版の中本十六冊アトリエ社

芸卿堂の十六冊本など多数あり︑一層その行なわれし

事を

知る

清初套印本﹁芥子園画伝﹂舶載の正確な期日はよくわ

からぬながら︑恐らく元禄前後かとは誰しも思う所︑そ

の後半世紀ほど︑寛延元年にその三集の和刻を見︑その

直前の﹁明朝紫硯﹂と合わせ︑京坂における多色摺り画

譜の権輿となるにより︑本邦南画家の絵手本としても最

も用いられ︑南海しかり︑里恭しかり︑大雅堂しかりと

言う︒但し︑本家中国では﹁芥子園﹂より約半世紀ほど

も早く︑明末天啓七年には﹁十竹斎書画譜﹂八巻十六冊

の套印本の出現を見る︒当然舶載も早いに相違なく︑恐

らく承応・明暦頃には渡りしものか︒たゞし純然たる書

画譜仕立てにて﹁芥子園﹂の如き画法説明文を持たぬ故

もあろうか︑余り本邦画家への影響をいAたてられたも

のを見ぬ︒せいぜい米山人や竹田位のものか︒

とまれこの両書の和刻を見るに︑﹁芥子園﹂は初集と

183 

(8)

記憶術の手引きと称して数部の書物のあることは︑既

に記せしことあるも︑何慮に記せしかは今忘れたるもお

かし︒とまれ何かを丸覚えするに︑節をつけ︑謡いもの

として覚ゆる事︑案外手広く行なわれたるものの如し︒

今に﹁汽笛一声新橋を﹂の唄や﹁庭に一本なつめの木﹂

の唱歌を楽しげに唄いつゞくる人の多きも︑まさしく唄

十 便 用 謡

三集を京都の河南︑その後二集と四集を同じく京の菱屋

五車楼が板行し︑その全四集の板木は今も京都芸卿堂の

蔵板としてある︒また大正八年には芸苑叢書に三集の

﹁例毛花果譜﹂のみ三冊本として入りはするものの︑江

戸期の和刻は右の一種のみ︒一方﹁十竹斎﹂はといえば︑

和刻の時期はやA遅れるものの︑右の通り︑江戸期にお

いて既に少なくとも三種から四種︑明治に入りても五種

と極めて頻繁に板におこされる︒その割に現在では﹁芥

子園﹂に比べ︑意外に閑却視されているものの如くなの

は如

何か

の徳ともいうべきか︒﹁便用謡﹂半紙本一冊︑享保八年

板三浦久之丞撰というが初板らしきも︑架蔵本は享保十

九年の板故再板なるべし︒以前は結構著名なるものなり

しが︑今は余り知られぬ書物となり果てたる如くなる故

こAに記す︒番数は十五番︑名目は以下の如し︒

躾 の 端 竹 弄 七 十 二 侯 秋 津 国 王 代 記 九 重 駅

. 路 順 礼 服 忌 令 源 氏 の 題 盟 図 十 四 経 日 蓮 御 書 一 向 三 国 伝 来 選 揮 集

右の題にて内容の大方は知らるべきも︑﹁躾の端﹂は

礼道︑即ち躾かたを教へ︑﹁竹弄﹂は算法指南︑﹁七十

二侯﹂はその名の通り︑﹁秋津国﹂は五畿七道の国名尽

し︑﹁王代記﹂は神武以来の天皇名︑章題下に﹁雖有古

板次第相違改之ナ加近代﹂とあって中御門今上皇帝迄

をあげ︑﹁九重﹂は京都の町名に竪・横の小路名を例の

﹁寺︑御幸︑魅屋︑富︑柳︑堺︑高︑間の東に車︑烏丸﹂

の狂歌を初めとして列挙し︑﹁駅路﹂は東而道並びに木

曽路を何れも下り︑上りの二例に示したのは︑実用的︒

﹁順礼﹂は三十三所︑﹁服忌令﹂も名の通り︑やはり当

(9)

時から覚え難かりしものと見ゆ︒﹁源氏の題﹂も名の通

り︑﹁甕図﹂は所謂漠画の画題を人物中心に述べたもの︒

許由︑巣父に始まり蘇秦︑苑純仁に至る九十例ほどを挙

げるのは︑骨董屋のみならず今の美術史家にも甚だ役に

立つべし︒﹁+四経﹂は医術語彙︑﹁日蓮御書﹂以下の

三番は釈家の便という︒奥付に︑

此便用謡者︑因音曲節族︑為譜其事︑各考本実︑省繁

摘要︑以備閑寂之一慰︒且釈家三番者︑依或之需︑加

干最

末耳

享保十九歳孟夏

確かに全部誼んずれば便利なものである事疑いなし︒

冒頭の﹁躾の端﹂には間狂言迄附けあり︑その食礼につ

いて記す部分︑

食前に座を作る事︑膳を引よせ︑或は分際より上座に

つき︑人にさきたつも悪し後るAもうし︒人に背くを

いましめ︑食中に座を立︑女箸とてすくひどりに箸取

事︑放食とていひをちらし︑流猷とは長喰又はすAり

イム喰を忌︒次に大口含み言︑わんのわき目︑もぎ箸︑込 はし︑ねぶり箸︑深ばし︒或は箸さきを上︑はしにて器物をうごかす事︒豆の横ばし︑塩の突箸︑楊枝ばし︑座わき箸︑器物をよごすまじ︒汁の汁に菜の汁︑山ごし︑膳越とて︑本二三の膳をかなたこなたへうつり︑

ジキ名残のいひ︑名残の汁とはくふて直にかゆる事︑

云々︑まだ/\この数倍にわたっての食礼の注意は︑

用語・語彙集としても︑余り他に例を見ぬものか︒

貸本屋の口上

凡士農工商とも夫々の家業職分に因て持用の品物を尊

いとなむみ︑今日を営こと世上一般也︒然るに近世写本の巻中

に 柳 白 紙 あ れ ば 種 々 の 書 入

︑ 又 は 形 さ へ 覚 束 な き

もくぐうにん木偶人︑或は見苦き男女の陰粘など画き︑君臣父子の

Aひつきょう中にて面を赤め合ふ事間々多し︒是等は畢党一時の興

しかしそのに乗じての戯れならんか︒併其職分の道具へ疵付給ふ

は僻事也︒著述拙<箪者の誤あらば︑只言語を以て

けぐわらくしょ其過を咎め︑巻中への戯画楽書は許し給へと願ひ奉つ

るに

なむ

︒ 十

185 

(10)

〇萬象千字文簗書工印刻師専ラ重宝

元大坂辺ノ人二而︑江戸堀江町二住シ︑丹波屋利兵

衛卜称︑ソ︑板下書ノ大上手︑板下書ヲ生涯家職トス︒

寛政年間迄老人二而居候由︒同人器用二而︑右千字

文︑広沢ノ名ヲカリ著述︑実ハ広沢二非ルコト相違

ナシ︒利兵ヱ自ラ其コトヲ申ヽソ居ル由︒古香堂老人

当時七十六歳弱年ノ節ョク知リ居ル也

丹波屋の家職これにて知れたる事珍重︑﹁遊子方言﹂

を作る位の事は朝飯前なるべし︒﹁万象千字文﹂は大本 安西雲姻の﹁書画展観略記﹂第五巻に︑

右は﹁当世操車﹂の見返し一杯に貼付したる刷物なり︒

貸本屋の口上なれども︑精一杯角ばった書ぶりは︑何時

の世もいたづら者には困りしこととおかし︒因みに右の

本︳

△山

津伊

一の

黒印

あり

﹁万象千字文﹂と丹波屋

南美が丹波屋の俳号なりしことは︑既に報告せり︒そ 一冊︑宝暦八年九月︑京小川多左衛門︑大坂吉文字屋市兵衛︑同源重郎︑江戸吉文字屋次郎兵衛の四陣相板︒餘程賣れし本と見え︑ついこの間迄はどこにでもころがっていた本なり︒内題次行に﹁広沢先生書門人慎利郷輯校﹂とあって︑立派に広沢著として通っている︒目録の首に次の如き引あり︒

万象千文附聾引合文引

僕幼ヨリ且良ヲ書ヲ為レ業︑近口仕二春秋堂ノ主一︑乃荷

書侍-—於諸先生之門ー 1 一而際書、一日玉蘭先生曰、我

有広沢先生所ノ菓南畠外史笈文千文

一︑今梓

/ 之

乎︑

僕拝 シテ 閲レ 互曰

︑鳴 呼先 生以 レ書 鴫悔 内示

'レ 特輝

︷ヵ 言↓也︑今梓/之者必利/財也︑則請

1

玉蘭

先生

1細書異 体以二事簡便ー︑且為三童蒙︳附雇引合文ー 以

プ欲

レ際

万 隻 於 四 方

↓突︑伏翼ク ハ

高雅

ノ之

諸君

勿=

誹謗

︳ル

コト

是 僕 走 便 求 利 而 事 副 手 業 耳

宝暦七年丁丑冬十二月日

春秋堂副手南美源應子感謹識

(11)

の江戸下りはこれも既報の拙稿に︑宝暦九年大坂板﹁難

波丸網目﹂奥附にその名を見るゆえ︑宝暦九年以後十一

年頃迄に移住かとせしも︑右の引により︑宝暦七年には

既に江戸書陣春秋堂吉文字屋次郎兵衛の副手として江戸

に下り居し事明らかとなる︒﹁難波丸網目﹂は延享五年

の初板以来︑寛延三︑宝暦九︑安永六と改板を重ねあり︑

宝暦九年板には奥付の名前を消し忘れしものか︑杜撰な

るべし︒副手とは番頭・手代等の謂か︒

とまれ右の﹁万象千字文﹂は︑巻頭に宝暦八年の菅道

伯序︑末に宝暦七年玉州道成跛︑同八年九泉跛︑同八年

玉蘭餌利郷跛など皆自筆刻にものものしく︑しかも九泉

を除いては三者とも全く素性の知れぬ人物︑即ち何れも

丹波屋が板下書きの手腕をもって︑自筆刻らしく仕上げ

たものか︒まった<油断もすきもあらばこその人物なり︒

玉蘭跛に何やら言いわけがましく次の如くにいう︒

此書也雖玉五先生書一而先生之書也先生之蹟可/得/

学則余所/写而非↓

1余書一也広沢先生乃可五四伝也

突 故 請

1

1令子九泉氏

1而書

1

其実↓余亦述/之突1

さすれば広沢実子九泉を上手に引き込んで出来た書物 でっちおうらゐ丁児往来

凡 丁 児 に 取 扱 口 上 昨 日 は 切 角 御 越

︑ 折 悪 留 守 中

剛匹罰尉配あた慶如茂犀知国即れもお御叫御厨叡釦

A

夜 前 は 御 手 紙 早 速 御 報 延 引 御 免 御 注 文 之 品 仰 之

通 持 参 此 品 任 到 来 御 目 に 掛 候 杯 口 上 町 疇 に 申 上

A

若 忘 候 迎 訳 不 分 侭 銅 賀 茶 賀 紛 れ に 品 物 突 出 す べ か

せんほうとりつぎめゐわくおA

Aろへ

ら ず 先 方 取 次 迷 惑 不 大 方 御 返 事 委 細 碇 与 心 得

不 断 使 先 二 而 不 作 法 之 儀 不 可 致 都 而 御 使 は 早 々 に

仕 仮 に も 余 慮 見 買 喰 等 を 不 致

︑ 春 は 不 頼 之 丁 児 に 剛鷹し犀声芦手乞厨形を知芦ど手を瞬るごとく声す

1 8 7

中本一冊︑刷付表紙︑竹審と塵取りの絵に﹁丁児往来

全壱冊﹂の文字摺付︑文金堂河内屋太助板︒滑稽本の一

種と見るべきかもしれぬが︑珍物なること夢々疑うこと

なか

れ︒

丁児往来 ではあったらしい︒

(12)

べからず︑夏は軒に出たる振舞水を無三向に呑で赤玉

を 費 し 御 目 玉 を 不 可 受 秋 は 蜻 蛉 に 釣 ら れ て

御 使 之 品 に 乍 砂 付 持 行 不 可 狂 歌 笑 茸 に も 長 吉 之 使

片手に釣る蜻蛉片足揚つて有もしらずにと有ば︑常に

恐れ慎べし冬は樽屋之素丁児をかたらふて輪を招

不慮に腹を減らすべ

用水桶之隅に隠して滅法に走り

か ら ず 雖 小 事 成 と 不 忠 之 料 難 遁 同 断 堺 之 肴 荷 或

は飛脚等に付て走るべからず其外日々夜々不益之手

業 苧 屋 之 看 板 を 潜 り 向 ふ よ り 来 る 天 窓 に 相 当 て 痛

め さ せ 亦 者 卯 月 八 日 の 花 竿 つ ぎ

\ て 長 く た て 雷

之子之尻を揆りくしやめをさせ或は混病之車引橋段

を登り悩みたるを時めき顔して押せども一向に験な

し と て 気 張 べ か ら ず 気 張 は 身 の 毒 な り 荒 増 如 此

A

Aしむ

余 は 挙 て 算 ふ べ か ら ず 宜 心 を 配 て 常 に 慎 べ し

先 商 方 之 諸 用 に 至 つ て は 実 林 早 埒 に 相 勤 店 方 間 敷

と見 {xft て配〗と即即之尻に印叩叩即図く叩即して

ゑへん十余人に及ぼし然も実々雪隠え行度之下女を

困 ら せ る 様 之 横 着 致 す べ か ら ず 忠 信 倶 に 関 べ し

惣而骨惜致すべからず貝原翁の養生訓にも身動きて

労 す れ ば 飲 食 滞 ら ず 血 気 め ぐ り て 病 な し と あ り 旦 雷芍御司柄均町は虹井に忍

iれば郎胆翫卿之麗釦を

m

印 雰 に 町 れ て 不 叡 益 犀 鬱 彗 も 勘 即

W t t

らすといへども丁児丁児たらんずはあるべからず

ゐはんやそA

況疎素有におゐてをや若御暇之出たる日悔といヘ

ど も 挑 灯 持 な ら ね ば 後 悔 先 に 立 事 不 許 第 一 に は

A

讀 書 算 用 可 励 也 箪 拙 き 時 は 悪 箪 之 前 不 遠 慮 に 駈 矧

AかわたくしのこA

︑柳私之心を 這 ひ な ど 可 被 磯 然 れ ば 正 直 を 常 と し

不存必至と旦那之御意を畏る

A輩 は 別 家 御 仕 分 ケ

之御恵に預り次第繁昌疑なきもの也

作者は浪花唐物町の蛙亭草紙と記すも未考︒本文は

一丁おきに二色刷り見開き八枚の絵入り︒刊記も何も

ないが嘉永前後なるべし︒

(13)

6 81 

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