日本語における文タイプとその成分第九部 : 時間 と事象
著者 西田 稔
雑誌名 言語文化
巻 10
号 3
ページ 369‑467
発行年 2008‑01‑20
権利 同志社大学言語文化学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011298
369 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
日本語における文タイプとその成分 ― 第九部 時間と事象
西 田 稔
序
たとえば、次のような文を取り上げてみると、そこでの﹁の・ところ・こと﹂の配置や、﹁買っている/買っていた﹂
の使い分けは様々な問題を提起するだろう。
︵1︶ その店で太郎が本を買っているのを見かけた。
︵2︶ その店で太郎が本を買っているところを見かけた。
︵3︶ その店で太郎が本を買っていたのを覚えている。
︵4︶ その店で太郎が本を買っていたことを覚えている。
︵一︶ 例文︵1︶︵2︶では過去の出来事に関して﹁買っていた﹂ではなく﹁買っている﹂を用いている。これは日
﹁言語文化﹂
10―3.
369― 467ページ 二〇〇八年. .
同志社大学言語文化学会
©西田 稔
西 田 稔 370
本語では自然な使い方である。他方、︵3︶︵4︶では過去の出来事が﹁買っていた﹂で表されている。この使い分け
をどのように説明すればよいか。
︵二︶ 例文︵2︶では﹁ところ﹂の代わりに﹁こと﹂は使えない。また、︵4︶では﹁こと﹂の位置で﹁ところ﹂を
使うと、︵2︶での意味とは異なる﹁場所﹂の意味で受け取られる可能性がある。﹁ところ・こと﹂のような語は、そ
れに先立つ用言の形態や後続する述部の表現とどのような関連性をもっているのか。
︵三︶ ﹁ところ﹂と﹁こと﹂はかなり違った振る舞いをすることが予想される。それに対して、例文︵1︶︵3︶に見
られるように、︵2︶の﹁ところ﹂、︵4︶の﹁こと﹂が占めている位置においても﹁の﹂が自然に使える。それでは﹁の﹂
にどのような特殊性を見出すべきなのだろうか。
︵四︶ 例文︵2︶の﹁買っている﹂は、次の文の﹁買っていた﹂の位置で使えない。
︵5︶ その店で太郎が本を買っていたところ、店の外で大きな物音がした。
そのため、例文︵2︶の﹁ところ﹂と︵5︶の﹁ところ﹂は意味的には近いものの、用法上の違いが想定できる。
それはどのようになっているか。
︵五︶ 例文︵1︶~︵4︶にみられる﹁見かけた/覚えている﹂のような文の述語の意味は、﹁の・ところ・こと﹂
のような語の使用、あるいはそれらに先立つ用言句が捉える事象、そこに現れている時間関係とどのような関連性を
もっているのか。
*
本論﹁日本語における文タイプとその成分 (1)﹂のこの第九部は、日本語の用言における時間と事象の把握の仕方につ
371 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
いての検討を目標としている。具体的には文の述部となる用言、連体修飾句となる用言、あるいはいわゆる﹁複文﹂
での﹁従属節﹂における用言の使い方などが問題となる。さらに、その話題と関連性をもたせながら、上記の例文に
見られる﹁の・こと・ところ﹂のような重要な機能語の分析が行われる。その前に、本稿で扱う話題にとっては前論
文、第八部で使われた﹁場面・局面・展望的環境﹂という三つの用語の説明をしておくことが必要であると思われる。
それで、簡単にこれらの用語を振り返っておこう。
︵一︶﹁場面﹂―本論では、文や句によって描写・記述される内容を場面にたとえている。そして、その内容を捉え
る手がかりとなる︿ヒト・モノ・コト・トキ・トコロ・サマ﹀の六つの要素を場面要素と呼んでいる。次の例文、
︵6︶ a この映像の中では太郎が走っている。b この映像の中では太郎は走っている。
で言うと﹁この映像・太郎・走っている﹂はそれぞれ場面要素としての﹁トコロ・ヒト・コト︵およびサマ︶﹂を担っ
ている。場面要素は﹁誰・何・いつ・どこで・どんな﹂などの疑問詞に対する答として期待される要素であると理解
してもよい。
︵二︶﹁局面﹂―あるコトが起こったり、なされたり、観察されたりする場合、そのコトを描写・記述するひとつの
用言句が出来事の流れの中のひとつの局面を表しているとみなすことができる。︵6︶a・bの例で言うと、﹁太郎が
走っている﹂コトがひとつの局面を表している。その場合、︵6︶aの﹁太郎が﹂の﹁太郎﹂はその局面の内部にあり、
局面そのものの内実的な構成要素となっている。一言で言うと、︵6︶aの﹁太郎﹂は映像の中の人物である。
︵三︶﹁展望的環境﹂―あるコトが起こったり、なされたり、観察されたりする場合、そのコトについて述べようと
西 田 稔 372 すると、話し手―聞き手が作りだす発話の場のあり方、言語外の事物の世界、あるいは頭の中にある知識や観念、あ
るいは発話の文脈、さらには言葉そのものなどが広く関係してくる。一言で言うと、それらが話し手/聞き手にとっ
ての展望的環境となっている。その言い方を使うと、︵6︶bの﹁太郎は﹂の﹁太郎﹂は発話の場を取り巻く展望的
環境の中で言及されている。つまり、︵6︶bの﹁太郎﹂は映像の内/外に共通する場において話題となっているひ
とりの人物である。
第一節 時間とアスペクト
本節では、日本語の用言における時間とアスペクトの把握の仕方について語るためにはどのような観点が必要であ
るかを吟味していく。まず、﹁序﹂の冒頭に掲げた例文を含む次の例文を眺めてみよう。
︵1︶ その店で太郎が本を買う/買っているのを見かけた。
︵2︶ その店で太郎が本を買う/買っているところを見かけた。
︵3︶ その店で太郎が本を買った/買っていたのを覚えている。
︵4︶ その店で太郎が本を買った/買っていたことを覚えている。
︵5︶ その店で太郎が本を買うことは決まっていた。
373 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
︵一︶ 日本語において、例文︵1︶~︵5︶に見られる︿スル/シタ/シテイル/シテイタ﹀の使い分けや、それと
関連する﹁の・ところ・こと﹂の機能について語ろうとすると、用言によって表されている事象がおかれている時間
関係を述べる必要に迫られる。そのためには﹁現在・過去・未来﹂の語に頼ることになるが、日本語の文法では用言
の活用形の名とこれらの語との対応が、西欧の言語の文法で時制・時称を表すために使われる場合と比べると、それ
ほど単純ではない。その点では、たとえば英文法では動詞の形態が時称としての﹁現在・現在完了・過去・単純未来・
意志未来﹂のような用語によって捉えられている。日本語でも動詞を﹁する/した﹂で代表させた場合の﹁する﹂を
仮に﹁現在形﹂、﹁した﹂を﹁過去形﹂のように呼ぶことができれば明快になるが、過去の出来事や場面に属する事柄
について用いられている例文︵1︶︵2︶の中の﹁買う/買っている﹂、︵5︶の﹁買う﹂を単純に﹁現在形﹂と言っ
て済ますことはできない (2)。
︵二︶ その点では、同じ﹁現在形﹂であっても、西欧の文法で行われているように﹁直説法現在/接続法現在/希求
法現在/条件法現在﹂のような用語が使えるなら前述の混乱は避けられる。しかし、これらの区別が活用形にもとづ
く根拠をもっているのに対して、日本語では、たとえば過去の出来事について述べている例文︵1︶︵2︶の﹁買っ
ている﹂と、発話者の現在の状態を伝える︵3︶︵4︶の﹁覚えている﹂が同じシテイル形になっているように、形
態的な差が見られないので﹁法 mood﹂にもとづく区別は困難である。
︵三︶ 西欧の文法で言う﹁時称﹂または﹁時制 (3)﹂としての﹁現在/過去/未来﹂のような用語は、動詞の特定の形態
が表現する活動的・状態的な時間的過程を︿発話の現在﹀との関係で捉えている。それに対して、日本語では、その
ような﹁時称﹂または﹁時制﹂を設けることができないのなら、用言のすべてを動詞﹁する﹂で代表させた場合の﹁す
西 田 稔 374 る/した﹂の形が示す差を﹁未完了/完了﹂のアスペクトの区別として捉え (4)、この二つの形態の呼び名を﹁未完了形/
完了形﹂とすることが考えられる。
︵四︶ すると、今度は﹁未完了/完了﹂という用語が日本語の分析にそのまま使えるかどうかが問題となる。﹁完了﹂
という語はそれ自体としては動詞的過程がすべて終了した、言い換えると、動詞的過程の終点通過後という意味で理
解されるだろう (5)。もちろん﹁した﹂は終点通過後としての﹁完了﹂や時間的﹁過去﹂を表すものとして使われる。し
かし、日本語の﹁した﹂の形がもつアスペクト的な特徴は、動詞的過程の起点通過を示す時に使われたり、動詞的過
程の確認の時点を捉えるものとして使われる点にあることを見逃してはならない。たとえば、例文︵1︶︵2︶の﹁買っ
ている﹂は﹁継続状態﹂のアスペクトをもつと言えるが、そのことを成り立たせているのは、中止形 (6)﹁買って﹂のも ととなる﹁買った﹂が動詞的過程の起点通過を示しているからである。それを補助用言 (7)﹁いる﹂が受けることによっ
て、﹁買っている﹂が継続状態を表すことになるのである。また、日本語では、目の前にある活動や現象に対して、
︵6︶ 動いた/あった/来た!
のような発話をすることはごく当たり前に行われる。このようなケースでは﹁した﹂は時間的な﹁過去﹂を示してい
ないばかりか、アスペクト的にも終点通過後という意味での﹁完了﹂を示しているのではない。︵6︶に見られる﹁動
いた!﹂は完了ではなく動詞的過程の開始を確認しているし、﹁あった!﹂も完了ではなく既存の状態の確認にとど
まっている。また、﹁来た!﹂は起点=終点の通過、つまり完了を示していると言えそうだが、同じひとつの状況の
もとで﹁来た!﹂の後に続いて﹁来る!﹂と言えるように、やはり動詞的過程の開始を確認していると言うべきだろ
う。
375 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
︵五︶ ﹁した﹂の形がもつアスペクトを話題にする場合に﹁完了﹂の用語を使うことがあっても、動詞的過程の起点
完了だけを示す時にはむしろ︿開始﹀と言い、終点完了が問題になる時にのみ︿完了﹀と言おう。そればかりでなく、
﹁開始/完了﹂を分析的に捉える必要のない場合には、﹁した﹂は全体として︿実現﹀のアスペクトをもつ、と言うこ
とにしよう。そして、「した」のアスペクトを実現(開始/完了)と表記しておき、観点に応じて用語を使いわける
ことにしよう。たとえば、
︵7︶ そうだ、太郎がその店にいたことを思い出した。
という例文での﹁思い出した﹂に対しては、現在における︿実現﹀のアスペクトをもっている、と言えば十分である。
しかし、
︵8︶ いま、当時のことを思い出している。
という文の﹁思い出して﹂は、︿開始﹀あるいは︿実現︵開始︶﹀のアスペクトをもっている、と言う方が分かりやす
い。また、
︵9︶ 太郎がなくした鞄はまだみつからない。
の﹁なくした﹂に対しては、︿完了﹀あるいは︿実現︵完了︶﹀のアスペクトのもとに使われている、と言うとよい。
︵六︶ ところで、︵三︶の項で﹁用言のすべてを動詞﹁する﹂で代表させる﹂としながら、﹁した﹂の形についての話
を進めてきたが、動詞﹁ある・いる﹂については別の観察を行う必要がある。実は形容詞、たとえば﹁美しい﹂や、
性状詞 (8)、たとえば﹁きれいだ﹂も動詞﹁ある・いる﹂と同じアスペクトをもつが、ここでは詳細に立ち入らず、これ
らすべてを動詞﹁ある﹂で代表させながら、「あった」の形について考えてみよう。﹁あった﹂のアスペクトとしては
西 田 稔 376
﹁完了﹂の用語はもともとそぐわない。﹁あった﹂は、たとえば、
︵
10のたっあがゴンリに上机︶ はに時きとた見どほ先。
のように、過去における存在を表すのが、もっともありふれた使い方であるだろう。その場合、二つの点に留意しな
ければならない。ひとつには﹁過去﹂という時間関係を表す用語を援用しなければならないことと、もうひとつには、
﹁存在﹂は動詞﹁ある﹂の意味そのものであるので、アスペクトとしては過去における現存状態のような表し方が必
要になる、ということである。次に、例文︵6︶に出てきた﹁あった!﹂という表現の場合にはアスペクトは、︵四︶
の項で述べたように、︿既存の状態﹀を示している。ただ、正確に言うと、ここでも﹁現在﹂という時間関係を表す
用語を援用しながら、現在における既存状態と表記しなければならないだろう。この二つのアスペクトは、次の例文、
︵
11はたいが方味い強に︶ ちた私、だうそ。
では二つの解釈として捉えられる。︵
11こていて、そのと在を今思い出したし存︶読は、ひとつのみにでは、味方は現、
といった意味になる。その場合には﹁いた﹂は︿現在における既存状態﹀のアスペクトをもつ。また、別の読みでは、
かつて味方が存在したことを今思い起こしている、といった意味になる。その場合には﹁いた﹂は︿過去における現
存状態﹀のアスペクトをもつことになる。そして﹁現存/既存﹂の区別が特に問題となる場合を除くと、一般的に、﹁あっ
た﹂がもつ上記の二つのアスペクトを「過去における状態/現在における状態」と呼ぶことが可能である (9)。
︵七︶ しかし、﹁あった﹂のもつアスペクトはこの二つにとどまらない。たとえば、
︵
12なたっあが事来出き︶ 大で店のそ、日昨。
︵
13夏たっあがり祭は︶ で町のこ、日昨。
377 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
︵
14切たっあが話な大︶ らか生先、日昨。
の各例文の中の﹁出来事/夏祭り/話﹂のように、﹁出来事が起こる/夏祭りを行う/話をする﹂といった名詞+動
詞の結びつきが強く感じられるケースでは、「あった」は︿状態﹀のアスペクトさえもたず、﹁した﹂と同じ実現のア
スペクトをもつと言わなければならない。
︵八︶ 以上、﹁した・あった﹂のアスペクトに関しては基本的な枠組みを見定めることができた。同様の作業を﹁する・
ある﹂についても行うべきであるが、それは次節に回すことにする。それに、たとえアスペクトについての基本的な
分析ができたとしても、﹁現在/過去﹂の用語を使うことに対する問題点は残したままになる。それで、まずその問
題を考えてみよう。その際、松本克己﹃世界言語への視座﹄に述べられていることが非常に参考になるので、その一
部分をまず引用しよう )((
(。
﹁要するに日本語では動詞が﹁定動詞﹂か﹁非定動詞﹂かは、それによって文が閉じられるか否かによって定ま
るので、それ以外に定動詞を定動詞たらしめるような明確な標識は存在しないのである。動詞は文といわば一心同
体であり、文︵あるいは︽述語形式︾︶を離れて定動詞は存在しないとも言えよう。日本語の動詞が﹁終止形﹂と
か﹁連体形﹂といったように文の連接の観点からしか分類されないのもこのためである。﹂
この引用文で述べられていることを逆の観点から捉えてみることができる。つまり、少なくとも文が閉じられてい
る場合、あるいは本論での用語を使うと文の﹁結び目 )((
(﹂の位置にある場合には、その場合にかぎって、動詞を定動詞
的に扱いながら、西欧の言語に関して用いられている用語をほぼそのまま適用することができる。ただし、日本語で
西 田 稔 378
は一定の条件のもとに適用することになるので、まず文の結び目の位置にある用言によって表される時間関係を基準
時制と呼ぶことにし、その上で、基準時制を単に﹁時制﹂と言ったり、結び目の位置にない用言であっても、同じ時
間関係に従っていると認められる場合には﹁時制﹂の語を適用することにしよう。
︵九︶ まず、「する・ある」の時制を「現在」と呼び、「した・あった」の時制を「過去」と呼ぶことができるだろう。
しかし、﹁した・あった﹂の方には過去以外の、もうひとつの重要な用法がある。それは、例文︵6︶﹁動いた/あっ
た/来た!﹂、︵7︶﹁そうだ、太郎がその店にいたことを思い出した。﹂、︵
11はたいが方味い強に︶﹁ちた私、だうそ。﹂
に関して述べた、確認的な用法である。この用法については時間関係をも含めて、それを「確認的現在」と呼ぶこと
にしよう。ここでの﹁確認﹂という語は、動詞的過程に関するアスペクトを示すものではなく、発話者あるいは観察
者の意識過程を表しているが、この用法での﹁した・あった﹂が発話の現在に位置する時点で起こっている事態を捉
えていることは間違いない。問題はこの用法があるために﹁した・あった﹂が﹁過去/現在﹂という二つの時制をも
つことになる点である。しかも、たとえば、英語の﹁過去/現在完了﹂のような形態的基盤をもつ区別ではない。し
かし、用法にもとづく﹁時称﹂という資格でなら、﹁した・あった﹂に﹁過去﹂と﹁確認的現在﹂の双方の時称を認
めることができるだろう )((
(。
︵十︶ 基準時制は発話における現在から見た時間関係である。その場合の﹁発話﹂は言葉として表されたものを意味
し、発話行為を意味するのでない。そのため、﹁現在﹂と言っても、たとえば小説の文章のような場合には作者の執
筆時の現在でなく、文章にもとづいて作者/読者が共同でつくりあげていく視点の現在になる。
︵十一︶ 一般に文の結び目でない位置にある用言に対して﹁現在/過去﹂のような時間関係を話題にする場合には、
379 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
そこに観察される時間関係が基準時制に従っていると認められる場合にはそれを適用し、そうではなく、独自の時間
関係をもっていると思われる場合には、それを固有時と呼ぶことにしよう。最近の日本語研究では、単文・複文にお
いて発話の現在を基準にした時制を﹁絶対的テンス﹂︵または﹁絶対テンス﹂︶、複文において主文の時制を基準にし
て捉えられる時制を﹁相対的テンス﹂︵または﹁相対テンス﹂︶と呼ぶのが主流である。本稿でこれをあえて﹁基準時
制/固有時﹂と呼んでいるのは次の二つの理由による。ひとつは、﹁時制﹂という用語を西欧の文法で使われている
のと同じ意味で使うためである。もうひとつは、第三節で述べるように、基準時制に従わない時間関係をもつ事象に
固有の空間を想定し、その空間の時間関係とともに空間の性質、たとえば現実空間・虚構空間・心的空間・伝聞的空
間などについても語れるようにするためである。
第二節 基準時制
本節では文の結び目において基準時制におかれた述語の観察を行いながら、動詞の形態と時制・アスペクトとの関
係をもう少し細かく見ておくことにする。なお、この節で出てくる時称の名は最後に表として掲げることにする︵表
1︶。
︵一︶ 前節では﹁する・ある﹂の基準時制を﹁現在﹂として位置づけたが、実用的観点から言うと﹁する﹂の方を︿ス
西 田 稔 380
ル/シテイル﹀に分けておく必要があるだろう。と言うのも、たとえば、
︵1︶ 今日は雨が降る。
︵2︶ 今日は雨が降っている。
という二つの文を比べた場合、通常、現に雨が降っている光景を目の前にしているという状況のもとでは︿シテイル﹀
を用いた︵2︶が使われ、まだ降っていないが降雨が予測されるような状況での発話として︿スル﹀を用いた︵1︶
が使われるからである。その意味では﹁降る﹂よりも﹁降っている﹂の方が﹁現在﹂の表現を担っていると言える。
しかし、︵1︶の﹁降る﹂の方も、それだからと言ってはっきりと未来形としての機能を果たす形態をそなえている
訳ではない。それに加えて、﹁降る﹂の形も、たとえば、
︵3︶ この頃、よく雨が降る。
という表現の中では現在に位置づけられる事柄を述べている。確かに、︵1︶と︵3︶のスル形は︵2︶のシテイル
形ほども目前の現象︵=雨降り︶との関係が密接ではない。しかし、〈見通し〉というアスペクト的な性格を与える
という条件のもとでなら、︵1︶と︵3︶のスル形に対しても﹁現在﹂という時制を適用することに問題はない。︵1︶
︵3︶でのスル形﹁降る﹂は、それぞれ別の意味で現在の︿見通し﹀を表している。また、︵1︶に見られるような、﹁予
測﹂を表す動詞の形態をも﹁現在﹂に含み込むことは、西欧文法での﹁現在形は非過去形および非未来形でもある )((
(﹂
という捉え方に照らし合わせても通用するところである。したがって、︿スル/シテイル﹀という対立的な捉え方の
中での〈スル〉については「現在(見通し)」という位置づけを与えよう。この表記は時称としての現在を表すとと
もに、必要があれば〈見通しの現在〉という言い方をしたり、あるいは、時間関係を加えたアスペクトとして〈現在
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における見通し〉という言い方をしたりするためのものである。
︵二︶ 他方、同じく︿スル/シテイル﹀という対立的な捉え方の中では、︿スル﹀との対照を明確にするために、〈シ
テイル〉に対しては〈状態〉というアスペクト的な観点を加え「現在(状態)」という位置づけを与えておこう。こ
の表記が(状態の現在)、あるいは〈現在における状態)という言い方で使える点については︿スル﹀の場合と同じ
であり、以下の記述でも同様である。
︵三︶ 前項でシテイル形に﹁現在︵状態︶﹂という位置づけを与えたが、場合により、﹁状態﹂というアスペクトをさ
らに細分化する必要がある。例文︵2︶﹁今日は雨が降っている。﹂でのシテイル形は﹁降った﹂がもつ︿開始﹀のア
スペクトを引き継ぎながら〈継続状態〉を表している。しかし、たとえば、
︵4︶ 太郎はこの手紙を十年前に書いている。
でのシテイル形は﹁書いた﹂がもつ︿完了﹀のアスペクトを引き継ぎながら〈完了状態〉を表している。また、次の
例文、
︵5︶ リンゴは籠に入っている。
での﹁入っている﹂の場合には動詞的過程としての﹁入った﹂という局面が問題にならないので、﹁入っている﹂の
形のままアスペクトを〈実現状態〉として捉えるのがよいだろう︵前節でシタ形がもつアスペクトを﹁実現︵開始/
完了﹀﹂として定式化したことを思い起こそう︶。
︵四︶ 次に、これまで代表として﹁ある﹂と表記してきた動詞を、︿スル/シテイル﹀と同列におくために︿アル﹀
と表記しながら、その︿アル﹀について考えてみよう。まず、次の例文を見てみよう。
西 田 稔 382
︵6︶ 机の上にリンゴがある。
話し手の目の前に現にリンゴがあるという状況のもとでは例文︵6︶の﹁ある﹂は現在の状態を表している。前節
で﹁あった﹂︵これも以後︿アッタ﹀と表記しよう︶のアスペクトを過去における現存状態、および現在における既
存状態と見たのと同じ流儀で言えば、〈アル〉のアスペクトは正確には現在における現存状態ということになる。し
かし、前節で︿アッタ﹀のアスペクトを便宜的に﹁過去における状態/現在における状態﹂と呼んだように、︿アル﹀
のアスペクトについても便宜的に「現在における状態」と言うことができるだろう。これらのことをまとめて、アス
ペクトを加味した︿アル﹀の時称を「現在(状態)」と定式化しておこう。
︵五︶ ︵二︶の項では︿シテイル﹀に対して﹁現在︵状態︶﹂という定式を与えたが、シテイル形が︿現在における状
態﹀を明確に表しうるのも、そこに︿アル﹀に属する﹁いる﹂という補助用言が含まれているからである。
︵六︶ 例文︵6︶に関して言うと、目の前にリンゴがなく、話し手がリンゴの存在について予断的に発話をなしてい
るという文脈のもとでは︿アル﹀に対しても、︿スル﹀と同じく、﹁現在︵見通し︶﹂を表すという性格を与えること
ができるだろう。つまり、〈アル〉に対して最終的に「現在(状態/見通し)」という定式を与えることになるだろう
︵ただし、︿状態﹀の方が優先する︶。このことは補助用言﹁いる﹂を含むシテイル形にも影響を及ぼし、周辺的な用
法ではあるが、たとえば、
︵7︶ 太郎は十年後には小説を書いている。
のような表現ではシテイル形にも︿現在における見通し﹀のアスペクトを見ることができる。したがって〈シテイル〉
に対する定式も最終的に「現在(状態(継続状態/完了状態/実現状態))/見通し)」と表記しなければならない︵た
383 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
だし、︵状態︶の方が優先する︶。この表記は複雑であるが、具体的な個別ケースでは、たとえば﹁現在︵継続状態︶﹂
のように単純化して使うことができる。
︵七︶ 同じようなことはスル形についても言える。︵一︶の項目では︿スル﹀に対して﹁現在︵見通し︶﹂という性格
づけを行ったが、たとえば、文章語的な文体で、
︵8︶ 花が咲き、蝶が舞う。春だ。
︵9︶ 月は山際に差しかかり異常に大きく見える。
と言う場合の﹁舞う/見える﹂に対しては︿見通し﹀ではなく〈持続〉というアスペクトを見るべきである。その結
果、〈スル〉の定式も最終的に「現在(見通し/持続)」と表記することになる︵ただし、︵見通し︶の方が優先する︶。
︵八︶ 例文︵8︶︵9︶のような表現では﹁現在︵持続︶﹂としてのスル形がシテイル形の﹁現在︵状態︶﹂と類似の
アスペクトをもつため、文体的な違いを考慮しなければ、︵8︶︵9︶は、
︵
10っだ春。るいて舞︶ が蝶、き咲が花。
︵
11常るいてえ見くき大に異︶ りかかし差に際山は月。
と言い換えても意味は変わらない。ただ、おそらく日常表現ではスル形=見通し/シテイル形=状態という使い分け
が浸透していて、そのためにスル形に対する︵8︶︵9︶のような使い方はあまりなされないのだと考えられる。
︵九︶ 〈シタ・アッタ〉については前節でアスペクトの検討が終わっている。また、〈シテイタ〉は基本的に︿シテイ
ル﹀と︿アッタ﹀の組み合わせにもとづいて考えることができる。それで、以下、これまでの︿スル・アル・シテイ
ル﹀に対するまとめも兼ねながら、既出の、あるいは新たな用例を掲げて、その下に時称とアスペクトを記しておこ
西 田 稔 384
う。表1ではa・bが︿スル﹀、c・dが︿アル﹀、e~iが︿シテイル﹀、j~lが︿シタ﹀、m~oが︿アッタ﹀、
p~sが︿シテイタ﹀の例となっている。なお、﹁または﹂の後に記されているものは、例文に別の解釈があること
を示している。
表1
a 今日は雨が降る現在︵見通し︶、または現在︵持続︶
b 花が咲き、蝶が舞う。現在︵持続︶
c おや、机の上にリンゴがある。現在︵状態︶
d 明日、そこに行くと机の上にメモがある。現在︵見通し︶
e 今日は雨が降っている。現在︵状態=継続状態︶、または現在︵状態=完了状態︶
f この実には種が入っている。現在︵状態=実現状態︶
g 太郎はこの手紙を十年前に書いている。現在︵状態=完了状態︶
h 太郎は十年後には小説を書いている。現在︵見通し=開始の見通し︶
i 太郎は十年後には小説家になっている。現在︵見通し=完了の見通し︶
j 昨日、雨が降った。過去︵実現︶
k あ、動いた!確認的現在︵開始︶
l 今ちょうど三時になった。確認的現在︵完了︶
m 先ほどまで机の上にリンゴがあった。過去︵状態︶
385 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
n 昨日、その店で大きな出来事があった。過去︵実現︶
o そうだ、私たちには強い味方がいた。確認的現在︵状態︶、または過去︵状態︶
p 昨日の昼頃、依然として雨が降っていた。過去︵状態=継続状態︶
q 昨日、昼頃までにはすでに雨が降っていた。過去︵状態=実現状態︶
r おや、知らなかったが、雨が降っていた。確認的現在︵状態=実現状態︶
s 驚いたことに、太郎は小説家になっていた。確認的現在︵状態=完了状態︶
︵十︶ 日本語では、時間軸に沿って、たとえば、﹁動く・・・。﹂︵現在における見通し︶↓﹁動いた!﹂︵開始の確認︶↓﹁動
いている。﹂︵継続状態︶↓﹁動いた・・・。﹂︵完了の確認︶↓﹁動いていた。﹂︵過去における継続状態︶↓﹁動いた。﹂︵過去にお
ける実現︶、あるいは﹁ある・・・。﹂︵現在における見通し︶↓﹁あった!﹂︵状態の確認︶↓﹁ある。﹂︵現在における状態︶↓﹁あっ
た・・・。﹂︵状態の確認︶↓﹁あった。﹂︵過去における状態︶のように表現することが可能である。
第三節 光景と事態
前節では動詞を︿スル/シテイル/シタ/シテイタ﹀、︿アル/アッタ﹀という形によって代表させながら、文の結
び目の位置にある動詞の基準時制について述べてきたが、本節ではその位置からはずれた動詞が表す時間関係・アス
ペクトの扱い方について検討する。第一節の末尾で述べたように、本稿では、用言が基準時制に従わず、場面内に流
西 田 稔 386
れる時間を独自のシステムで捉えている場合には、その時間の流れを固有時と呼ぶことにした。文の結び目の位置に
ない用言が、ある場面・光景・事態などの時間関係を捉える場合、それが基準時制にそのまま従っている︵たとえば
﹁雨が降っていたので外出をひかえた。﹂︶のか、あるいは独自の固有時をもつ︵﹁雨が降っているので外出をひかえ
た。﹂︶のかという問題は、実際の発話での用言の活用形の選択における許容と制限に関わる問題であるので、慎重に
検討していかなければならない。本節では、﹁こと﹂と﹁ところ﹂を使った文をモデルにして、用言とこれらの語と
の関係によって捉えられた時間関係や、動詞のアスペクトについて考えてみることにする。
︵一︶ ﹁基準時制﹂という用語は︿発話の現在﹀と用言の形態との関係を表すものであるので、出来事・事態・状態
などにおける時間関係そのものについて語る場合には適用しにくい。それで、その時制によって表現される「現在/
過去/未来」の時間関係を﹁基準時のシステム﹂あるいは単に基準時と呼ぶことにしよう。それだけでなく、﹁現在/
過去/未来﹂の基準時をもつ空間を基準空間と呼ぶことにする。基準空間は発話の内容を取り巻く展望的環境に他な
らない。そして、たとえば、
︵1︶ 太郎が本を買っているところが目に浮かぶ。
のような文を文脈自由文として眺める場合は、通常、﹁目に浮かぶ﹂という言明の主体は発話者と理解され、基準空
間は発話者を取り巻く現実空間として理解される。それで、とりたてて問題がなければ基準空間は現実空間と言い換
えてもよい。しかし、
︵2︶ 花子には、太郎が本を買っているところが目に浮かぶ。
387 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
のような文では﹁花子﹂が現実・虚構・夢など、どのようなレベルの空間に属しているかによって基準空間そのもの
の位置づけも変わってくる。
︵二︶ ある場面・光景・事態などに対しては、それらに関する時間関係を基準空間の中で捉える視点がある。基準時
はその視点の在処から展望的に、そして直接に捉えられる。それに対して、固有時は、基準空間との関係を不問に付
したままで、ある場面・光景・事態などを、その場に居合わせた者の視点から捉えたような時間である。別の言い方
をすると、誰かが記憶の中のある光景を再現したり、あるいは想像の場面をイメージ的に喚起したり、さらにはある
出来事・事態をひとつの局面として再構成したりする時に、その場面・光景・事態の中に流れている時間である。こ
のように再現されたり、想像されたり、再構成される局面によって開かれる小さな空間をミニ空間と呼ぶことにしよ
う )((
(。ミニ空間の固有時は、時間関係としては、ある視点がおかれている「現在」との関係だけをもつ。
︵三︶ 本節では﹁ところ・こと﹂をモデルとして用いようとしているので、まず、この二つの語の品詞的、あるいは
機能グループとしての位置づけを行っておく必要があるが、この二つの語が一般の﹁名詞﹂と同列におけない重要な
役割をになっていると思われるので、ここでは品詞的な分類は避けて、これらを機能語「ところ」および機能語「こ
と」と呼ぶことから始めてみることにする。たとえば、﹁ところ﹂には、例文︵1︶のような使い方の他にも、
︵3︶ 今、太郎が本を買ったところだ。
︵4︶ その店で太郎が本を買っていたところ、外で大きな物音がした。
︵5︶ 私の見るところ、太郎はいまごろ家に帰っている。
のような文に見られる重要な用法がある。また、﹁こと﹂では、
西 田 稔 388
︵6︶ 太郎が本を買ったことを覚えている。
のように連体用言句を受ける基本的な用法の他にも、会話的な文体に属するか、あるいは周辺的な用法ではあるが、
︵7︶ まあ、きれいだこと。
︵8︶ いいこと、はっきりと返事をするのよ。
︵9︶ この仕事は早いこと済ませてしまおう。
といった使い方が見られる。なお、本論には﹁機能語﹂と呼んでいる語がすでにひとつあることを付記しておこう。
それが本稿の﹁序﹂の中で﹁ところ・こと﹂と換入 commutationが可能な語として掲げてきた﹁の﹂に他ならない。 ただし、本論ではこの﹁の﹂を正確には機能語「の/なの」と呼び )((
(、﹁の﹂と﹁なの﹂をひとつの機能語の変異体variant として位置づけている。たとえば、次の二つの文、
︵
。本だのな郎太はのたっ買をb 10︶ 。だのたっ買を本が郎太a では﹁のだ/なのだ﹂が同じ叙法的機能 )((
(でもって使われている。また、
︵
。はの性格が頑固なのは、じ太めから予測できたことだ郎b 11はa 太郎が本を買うのは、︶ 。めから予測できたことだじ
での﹁のは﹂と﹁なのは﹂は共通の機能をもち、それぞれ﹁太郎が本を買う/太郎の性格が頑固﹂という用言句の内
容を主題化するための役割を果たしている︵なお、機能語﹁の/なの﹂に関しては第七節で扱う︶。
︵四︶ 次の例文について考えてみよう。
389 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
︵
12っぶか浮に目がころとるいて買︶ /う買を本が郎太で店のそ。
ここでの﹁ところ﹂は﹁光景・場面﹂のような名詞で置き換えられる意味内容をもっている。﹁姿・様子﹂にも換
えられるが、﹁ところ﹂が捉えようとしている意味との間のずれが大きい。例文︵
12︶においてイメージ的に思い浮
かべられている光景は、発話者の記憶にもとづく場面の再現であるかもしれない。あるいは自分がそこに居合わせな
かった出来事について想像している場面であるかもしれない。あるいはまた、将来に起こりうる局面への夢想である
かもしれない。いずれにしても述語﹁買う/買っている﹂によって開かれる空間は、﹁目に浮かぶ﹂と言明する発話
者の現実空間と多かれ少なかれ異質のものであり、述語﹁買う/買っている﹂が意味的にミニ空間を開くことになる。
このような再現的・想像的なミニ空間を仮に光景型と呼んでみよう。光景型のミニ空間では場面が現に展開されてい
るようなイメージをもつので、例文︵
12否買った﹂や、定る形﹁買わない﹁え︶のの中で、行為終捉わった時点を﹂
は使いにくい。ただし、これは﹁目に浮かぶ﹂という述語の意味による制約であると考えられる。もともと﹁ところ﹂
は動詞的過程の変動の一局面を捉えるのに適した語であるので、﹁買った﹂も結び目の位置で、
︵
13買だろことたっを︶ 本、今が郎太。
のように確認的現在として使える。また、否定形﹁買わない﹂はともかくとして、イメージ的に捉えることのできる
﹁買わないでいる﹂は、
︵
14るぶか浮に目がろことい︶ でいなわ買を本が郎太。
のように使うことができる。光景型のミニ空間での固有時は基本的に肯定的な「現在」のみであり、﹁以前/以後﹂
もなければ否定的な捉え方もない。そのためスル/シテイルの形態的な差はアスペクトの差だけを示すことになり、
西 田 稔 390
例文︵
12お表すことになる。な、﹀機能語﹁ところ﹂は動を態︶﹀、の﹁買う﹂は︿持続﹁状買っている﹂は︿継続詞
的過程の変動的な一局面を捉えるので、存在・状態を表す﹁ある﹂との組み合わせでは、たとえば、
︵
15とぶか浮に目がろこる︶ あがゴンリに上の机。
のような表現の中で、束の間の、あるいは偶発的な存在や状態を示すことになる。
︵五︶ 次の例文を︵
12︶と比べてみよう。
︵
16ったけか見をろことるいて買︶ /う買を本が郎太で店のそ。
例文︵
12基がるあで在現は制時準の︶﹂ぶか浮に目﹁目び結の、︵
16準かおに去過が制時基︶は﹂たけか見﹁のれ
ている。しかし、光景型のミニ空間での﹁買う/買っている﹂の使い方に何の変化も見られない。
︵六︶ 次に、機能語﹁こと﹂による場面把握の仕方について見てみよう。次の例文、
︵
17買るいてえ覚をとこたいてっ/︶ たっ買を本が郎太で店のそ。
では、﹁こと﹂は﹁出来事・事実﹂のような名詞で置き換えられる意味内容をもっている。﹁姿・様子・光景・場面﹂
などの名詞にも換えられるが、﹁こと﹂が捉えようとしている意味とのずれが大きい。﹁こと﹂も﹁ところ﹂と同じく
ある局面を捉えているのであるが、﹁こと﹂による場面把握でもっとも注目するべき点は、たとえば例文︵
17︶で言
うと、
︵
18っこたいてっ買/た買︶ を本が郎太で店のそと
という部分だけで用言句が表す事象を過不足なく捉え、しかも体言句として終わることによって事象を概念として扱
うことができるということである。その点では﹁本を買う/買っている/買った/買っていた﹂という用言句の意味
391 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
内容はそのままでは概念として扱うことができない。また、﹁本を買うところ/買っているところ﹂のような表現には、
どのような表現に連なるのかによって﹁ところ﹂の役割が変わってくるような、意味的にも機能的にも不確定な性格
が見られる。確かに、﹁太郎が本を買う/買っている/買った/買っていた店﹂のように、普通名詞を修飾する場合
には概念となるが、ここで問題としているような、事象を中立的に過不足なく捉えながら概念化する点に関しては﹁こ
と﹂に勝る語は他にない。多くのケースで﹁こと﹂と換入 commutation が可能な語になると予測できる機能語﹁の/
なの﹂にもその役割は果たすことができない。﹁その店で太郎が本を買った/買っていた﹂+﹁の﹂という表現は、
会話的表現での女性的な話し方に属する、
︵
19っのたいてっ買/た買︶ を本が郎太で店のそ。
という文として自立する以外には未完結で、用言句+﹁の﹂の形が名詞句として自立できるかも怪しい︵このことは
第七節で検討される︶。句表現︵
16を句の意味内容も用っとも中立的言の︶、に話を戻すと用そ言句+「こと」がに
過不足なしに捉えて概念化できることから、日本語についての研究の分野では、用言句の意味をこの形で示すことも
多い。ところで、例文︵
17そ的に眺めると、の独部分でもって、出立を︶句に含まれる用言+け﹁こと﹂の部分だ来
事、事実、あるいは検討事項について、何らかの目的で必要な状況的条件を揃えていることになる。本論での言い方
を使うと、話題にとって必要な場面要素を並べていることになる。ある事態を捉え、それを必要に応じた形で再構成
し、言語化しているとも言える。それで、機能語﹁こと﹂による場面把握の仕方を仮に事態型と呼んでみよう。
︵七︶ 句表現︵
18。が含まれていないし述かし、﹁こと﹂に終部る︶なには、当然のことがすら、基準時制を明示わ
る︵
18まばえとた、もで形のま︶のそ、は現表なうよの、
西 田 稔 392
︵
20―本とこたいてっ買/たっ買をが︶ 郎太で店のそ点きべす意注。
のように、表題・項目・条項などを表す際にいわるゆる﹁体言止めの文﹂として用いられる。この場合、基準時の基
点が文の結び目における述語でもって明示されているのではないが、その形のままでも、解釈のレベルで発話の現在
は示されていると言える。そして、そのことから﹁買った/買っていた﹂は基準時制としての﹁過去﹂と同じ解釈を
受ける。つまり、︵
20の﹂を示しているもと過して理解される。去﹁︶ての﹁買った/買っいのた﹂は時制としてこ
のように事態型での場面把握においては、用言が文の結び目に位置していなくても、言い換えると、﹁定動詞﹂でな
くても、基準時制を捉える視点の在処さえ明らかであれば、その視点から時間関係が直接に捉えられていることが分
かるというケースも出てくる。それで、基準時制を定める視点と同じ視点から用言の時間関係が捉えられる場合、そ
のような捉え方を時間に関しての直接把握と言うことにする。時間が直接把握されていると解釈できる場合、用言は
基準時制と同じ資格で﹁時制﹂を担うことができる。例文︵
17はてえ覚﹁語述の目び結で︶こそ、とすどもを話にい
る﹂の意味から、現実の出来事であっても、たとえ夢の中の出来事であっても、過去の出来事を直接に捉えた叙述で
あることが明らかなので、﹁買った/買っていた﹂の時間は直接把握され、基準時制の基点である﹁現在﹂から眺め
た「過去」に位置することになる。その際、﹁買った/買っていた﹂の差は過去における実現/過去における継続状
態というアスペクト的な差を示すことになる。
︵八︶ 例文︵
15たうよみてし察観を文の次、い︶用を﹂とこ﹁語能機くじ同と。
︵
21買たい聞え伝をとこたいてっ/︶ たっ買を本が郎太で店のそ。
例文︵
21場買っていた﹂という面たの時間が﹁現在から/っ︶おでは基準時が過去にか買れているため、﹁本を見
393 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
た過去﹂と﹁過去から見た過去﹂という二つの解釈を受ける可能性がある。前者の解釈では、その場面を捉える基点
は、伝え聞いた話にもとづきながら発話者が事態を展望する視点の﹁現在﹂に据えられていることになる。また、後
者の解釈では、事態を展望する基点は、﹁伝え聞いた﹂という出来事が起こった時点になる。さらに、前者の解釈で
は﹁買った/買っていた﹂の差は、例文︵
17じ、でのるあで同︶く全と合場の過去における実現/過去における継続
状態というアスペクト的な差になる。ここで注目しておくべきことは、後者のシテイタ形による︿過去における継続
状態﹀というアスペクトが、時間関係で見ると﹁過去における現在﹂として位置づけることもできるという点である
︵このことはすぐ後で話題となる︶。
ところで、第二の解釈、つまり場面を﹁過去から見た過去﹂に位置づける解釈はどこから来るのだろうか。この解
釈のもとでは、事態を展望する基点が﹁伝え聞いた﹂という出来事が起こった時点になるので、﹁買った/買ってい
たこと﹂はそれ以前に位置している。それでテストとして、︵
21をうよみてれ入﹂︶にです﹁に文の。
︵
。買店で太郎がすでに本をっそていたことを伝え聞いたのb 22本a その店で太郎がすでに︶ 。買ったことを伝え聞いたを
このテストで明確になるのは、︵
22表でのいなで現な︶然自りまあがa、︵
21使てし対に形たっを︶﹂たっ買﹁もで、
﹁過去から見た過去﹂を捉えているという解釈は自然には出てこない、ということである。言い換えると、﹁買った﹂
は第一の解釈、つまり﹁現在から見た過去﹂として受け取られるはずである。それに対して、︵
22︶bは自然な表現
である。そのことから、︵
21見まり﹁過去からた、過去﹂を捉えてつ釈︶っにおいても、﹁買て解いた﹂が、第二のい
る文意を読みとることができる。結論的には﹁買っていた﹂の方だけが二つの解釈を受ける可能性をもっているので
西 田 稔 394
ある。そして﹁買っていた﹂が﹁過去から見た過去﹂を捉えられるのも、シテイタ形が過去における完了状態のアス
ペクトを明示する機能をもっているからに他ならない。
︵九︶ 同じく機能語﹁こと﹂を用いた、次の文を観察してみよう。
︵
23はたいてっま決らかめじは、と︶ こう買を本が郎太で店のそ。
ここまでの例文による観察では、﹁こと﹂を用いてひとつの局面を再構成し言語化する事態型の場面把握において
は、時間関係を直接把握によって捉えていた。しかし、スル形﹁買う﹂が使われている例文︵
23︶の場合には、事情
がまったく異なっている。この文では、発話者が過去における事態を振り返り、当時における﹁太郎﹂自身の、ある
いは当時の情勢を取り巻いていた人たちの思惑を再構成している、という状況が表現されている。基準時の基点は過
去であり、その時点で﹁決まっていた﹂のであるから、﹁こと﹂によって捉えられる局面は時間関係としては﹁過去﹂
に位置することになる。そのため、﹁買う﹂という述語で捉えられている事態がミニ空間を形成していることは明ら
かである。事態はミニ空間を開く形で捉えられ、そこでのスル形﹁買う﹂は固有時としての現在に位置づけられ、現
在における見通しのアスペクトをもつことになる。
︵十︶ 機能語﹁こと﹂を用いた観察をまとめてみよう。ある事態を捉える時間関係として、︵a︶﹁現在における現在﹂、
︵b︶﹁過去における現在﹂、︵c︶﹁現在から見た過去﹂、︵d︶﹁過去から見た過去︸に分類すると、︵a︶と︵c︶の
時間は直接把握される。︵b︶の時間は固有時におけるスル形・シテイル形の使用による表現法と、︵八︶の項で第一
の解釈に関して触れたような、直接把握されたシテイタ形による表現法とがある。︵d︶は同じく︵八︶の項での第
二の解釈で述べたように、シテイタ形によって表現できる。実はこれまで﹁こと﹂に連なる︿アル/アッタ﹀につい
395 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
ては触れてこなかったので、ここで用例を掲げて、その下に事態型の場面把握の様式を記しておこう。
︵
24↓ 生であること﹂ 上﹁記の︵a︶直接把学 ︶ こ太郎が学生であると は確実である。 握
︵
25↓ 生であること﹂ 上﹁記の︵b︶ミニ空学 ︶ こ太郎が学生であると は確実であった。 間
︵
26↓ 生であったこと﹂ 上﹁記の︵c︶直接把学 ︶ た太郎が学生であっこ とは確実である。 握
︵
27↓ 生であったこと﹂ 上﹁記の︵c︶直接把学 ︶ た太郎が学生であっこ とは確実であった 握
︵十一︶ 結び目の位置を離れた用言によって事態を捉える際、その事態がおかれている時点としての「過去における
現在」を直接把握によって表現できる形式は︿スル・アル・シテイル・シタ・アッタ・シテイタ﹀のうちでもシテイ
タ形だけである。逆に言うと、日本語では、用言の単独の、または組み合わされた活用形を用いて、たとえ時制とし
てでなくても、意味的に﹁過去における現在﹂を表そうとする場合にはシテイタ形を使えばよい。ただ、その場合に
は﹁依然として買っていた﹂のように﹁過去における継続状態﹂を表すか、﹁すでに買っていた﹂のように﹁過去に
おける実現状態﹂を表すことになる。他方、例文︵
23はたいてっま決らかめじは、と︶﹁こう買を本が郎太で店のそ。﹂
の場合には、スル形﹁買う﹂によって捉えられているのは固有時としての﹁現在﹂であるが、そこに︿見通し﹀のア
スペクトが含まれるため、事実上「過去から見た未来」を表していると言ってもよい。これはシテイタ形によっても
捉えることができない領域である。また、直接把握によって表現することができない事柄は、論理的に言って、文の
結び目において﹁定動詞﹂の位置にある場合にもできない。つまり﹁過去における現在﹂まではシテイタ形によって
捉えられるが、事実上﹁過去における未来﹂を意味するようなケースではそれも使えない。しかし、例文︵
23︶に見
られるように、﹁過去から見た未来﹂が〈固有時現在(見通し)+「こと」+基準時過去〉の形式でもって表現でき
西 田 稔 396
るということは、逆に、﹁~することになった/ことにした/ことになっていた/ことにしていた/ことであった﹂
のような形をした複合的述部が、日本語において﹁過去から見た未来﹂を表現する標準的な形式として定着している
ことの理由を十分に説明している。
︵十二︶ 動詞﹁ある・いる﹂や形容詞︵たとえば﹁美しい﹂︶・性状詞︵同じく﹁きれいだ﹂︶にはシテイタ形がない。
それで、これらの用言を用いた場合には﹁過去における現在﹂も直接把握によっては表現できず、例文︵
25︶﹁太郎
が学生であることは確実であった。﹂に見られるような〈アル+「こと」+基準時過去〉を代表とする形式でもって
表されることになる。
第四節 用言句のタイプ
本節では、文の結び目に位置していない用言句にはどのようなタイプのものがあるかを探りながら、それらについ
て語るための用語の整理を行う。また、それぞれのタイプの用言句についての詳細は次節以下で述べることになるの
で、本節はそれらの節への導入部としての役割を担っている。
︵一︶ 連体修飾句
たとえば、
︵1︶ 太郎は赤々と燃える火を見つめていた。
397 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
の中の﹁赤々と燃える﹂が体言﹁火﹂を修飾している、と言うことには何の問題もないだろう。ところで、第一節の
冒頭に掲げた五つの例文の中では﹁ところ﹂と﹁こと﹂が格助詞﹁を﹂あるいは枠助詞 )((
(﹁は﹂に連なり、そこでの﹁と
ころ/こと﹂が体言であることは明瞭である。そのため、﹁ところ・こと﹂に先立つ用言句は連体用言句であると言
える。しかし、このようなケースにおいて、連体用言句は体言﹁ところ﹂や﹁こと﹂を修飾していると言えるだろう
か。
西欧文法の用語法では﹁修飾 modification﹂という語は、名詞句の構成要素のうちで、核となる名詞と限定辞︵た
とえば冠詞︶以外の成分がその名詞に対してもっている機能を表している。これをそのまま日本語に適用すると、た
とえば﹁燃えること﹂という表現は修飾句﹁燃える﹂+体言﹁こと﹂となる。しかし、日本語での﹁修飾﹂という語
の意味からすると、﹁燃える火﹂の﹁燃える﹂が﹁火﹂を修飾しているとは言えても、﹁燃えること﹂の﹁燃える﹂が
﹁こと﹂を修飾しているとは言いがたい。それで、ここでまず、連体用言句のうちで﹁修飾﹂という用語の当てはめ
られる範囲を見定めておくことにしよう。本論では体言について、体言はモノを表すか、もしくは指示対象をもつコ
トバであると定義している )((
(。品詞的には )((
(、モノを表すのは普通名詞であり、指示対象をもつのは固有名詞・数量名詞
︵たとえば﹁ひとつ・全部﹂︶・位置づけ名詞︵﹁上・下﹂︶・人称詞︵﹁私・自分﹂︶・指示詞︵﹁これ・ここ﹂︶・時称詞︵﹁今・
昨日﹂︶などである。さらに、一般には普通名詞に配されるが、要素を表す名詞、たとえば﹁青﹂︵色の要素︶・﹁ド﹂︵音
階︶・﹁A﹂︵文字︶や、本稿で話題にしている場面要素のうちの﹁コト・トキ・トコロ・サマ﹂なども﹁モノを表す﹂
と言いがたく、後者の﹁指示対象をもつ﹂という定義で捉えられる体言である )((
(。体言に対するこの定義を使うなら、
修飾語となりうるのは﹁モノを表す﹂︵この言い方ではヒトも︿モノ﹀に含まれる︶体言に連なる用言句である。こ
西 田 稔 398
のような用言句を連体句のうちでも特に連体修飾句と呼んでおこう。
連体修飾句+体言の構成となる体言は、上記の言い方をそのまま当てはめると普通名詞だけになる。しかし、﹁指
示対象をもつコトバ﹂のうちでも、一般に固有名詞はモノ︵=実体︶として捉えることできる対象を指すことになる
ので、たとえば﹁観光客が多く訪れる京都﹂のように、指示対象が実体概念︵上の例では町︶として捉えられさえす
れば、固有名詞にも修飾する語句をつけることができる。その他、人称詞・時称詞・要素名詞でも最終的に指示され
た対象をモノとして捉えることができれば連体修飾句によって修飾することができる。
これまでのところでは連体修飾句は用言句であったが、逆に連体修飾のできる成分についても言及しておく必要が
ある。その点で注目するべきことは、日本語においては連体修飾の機能をもっぱら用言が担っているということであ
る。具体的には )((
(形容詞連体形︵たとえば﹁長い鼻﹂︶・性状詞連体形︵﹁頑固な男﹂︶・動詞自立形︵﹁走る車﹂︶・動詞完
了形︵﹁消えた火﹂︶・形容詞過去形︵﹁美しかった庭﹂︶・性状詞過去形︵﹁きれいだった人﹂︶が連体修飾のために使わ
れる。このことから、日本語では用言が叙述的機能をもって使われているのか、あるいは叙述的機能が問題とならな
い修飾語として使われているかの境目が曖昧になる。しかし、たとえば﹁述語﹂のような用語を使うためにも何らか
の基準でこのあたりの事柄を整理しておく必要がある。連体修飾句についての話題は次の第五節で展開する。
なお、﹁連体修飾﹂という用語自体についても若干の注記が必要である。と言うのも、たとえば﹁象の鼻・敵との戦・
ガタガタの机・大量の水・上の棚・私の家族・ここの景色・今の発言﹂と言う時、﹁~の﹂は連体修飾語と言えなく
もない。広い意味ではそう言えるかしれないが、本論では体言(+格助詞)+連体助詞「の」+体言の構成における
﹁~の﹂を連体限定句として位置づけていて、ここで問題となっている連体修飾句の話題からは除外される。また、
399 日本語における文タイプとその成分―第九部 時間と事象
連体限定句を形成する成分としては他にも﹁この・あらゆる﹂のような連体詞がある )((
(。
︵二︶ 状況名詞句
以上、連体修飾句は特にことわらなくても連体用言句であることが分かったが、反対に、﹁ところ﹂や﹁こと﹂に
連なる場合のように、連体用言句でありながら﹁修飾﹂の語の使いにくい用言句もある。それで、そのような用言句
を扱うための用語も準備しておかねばならない。まず﹁ところ﹂に連なる用言句について検討してみよう。前節でモ
デルとなる例文として掲げた文の中では機能語﹁ところ﹂が体言として使われていた。同様のケースとして、たとえ
ば、
︵2︶ 太郎は、確かに本を買う前にコンビニに立ち寄っていた。
の﹁前﹂のように、用言句が﹁︵~する︶まえ・︵~する︶あいだ・︵~した︶すえ﹂のような語と結びつくことがある。
これらの語はいわゆる﹁形式名詞﹂であり、日野資成﹃形式語の研究﹄に挙げられたものを例にとると )((
(、﹁あいだ・
うえ・うしろ・うち・かたわら・すえ・てん・ところ・ふし・まえ・くち・しり・あと︵跡︶・かぎり・きり・くせ・
けしき・さき・なり・はずみ・ひょうし・へ︵辺︶・もの・もよう﹂などがある。﹁形式名詞﹂という呼称では機能が
見えにくいので、本論ではこれらを位置づけ名詞と呼んでいる )((
(。それでその用語を使うと、用言句+位置づけ名詞+
助詞、例文︵2︶で言うと﹁この店で本を買う前に﹂の構成の中の体言句は、位置づけ名詞を用いながら、話題にとっ
て必要な状況の位置づけを行っていると見ることができる。それで、この構成による体言句を状況名詞句と呼んでお
こう。状況名詞句における用言句の問題は第八節で扱う。なお、本稿ではこれらの位置づけ名詞のうち﹁ところ﹂だ
けを機能語「ところ」としている。その理由としては、第三節で述べたようにさまざまな用法をもつ点が挙げられる