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龍谷大学学位請求論文2013.09.19 吉田, 唯「中世文学に見られるカミの享受」

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龍 谷 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 研 究 生 L 一 二 R 五 三 九 吉 田 唯

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一 本 論 文 の 課 題 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 二 本 論 文 の 方 法 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2 三 本 論 文 の 構 成 と 各 章 の 課 題 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 6

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 10 第 一 章 東 大 寺 大 仏 殿 内 の 「 両 界 堂 」 と 伊 勢 神 宮 の 「 両 宮 」 に つ い て ― 『 沙 石 集 』 冒 頭 話 を 中 心 に ― ・ ・ 12 第 一 節 東 大 寺 再 建 に よ り 波 及 し た 信 仰 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 12 第 二 節 東 大 寺 衆 徒 に よ る 伊 勢 参 宮 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 15 第 三 節 叡 尊 と 伊 勢 神 宮 御 正 体 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 17 第 四 節 『 沙 石 集 』 巻 一 之 一 「 太 神 宮 の 御 事 」 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 21 第 二 章 『 南 無 阿 弥 陀 仏 作 善 集 』 に 見 る 新 大 仏 寺 と い う 空 間 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 27 第 一 節 善 光 寺 で の 舎 利 感 得 と 重 源 の 聖 徳 太 子 信 仰 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 30 第 二 節 重 源 の 夢 想 と 浴 場 信 仰 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 33 第 三 節 新 大 仏 寺 と い う 空 間 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 36

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第 三 章 法 然 関 係 資 料 に 記 さ れ た 重 源 像 に つ い て ― 四 十 八 巻 本 『 法 然 上 人 行 状 画 図 』 を 中 心 に ― ・ ・ ・ ・ 44 第 一 節 二 尊 院 「 浄 土 五 祖 像 」 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 46 第 二 節 伊 勢 参 宮 記 事 と 東 大 寺 大 勧 進 職 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 50 第 三 節 大 原 談 義 と 入 寂 記 事 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 53 第 四 節 重 源 の 阿 弥 陀 仏 号 と 法 然 の 三 部 経 講 説 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 57

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 69 第 一 章 『 愛 染 王 紹 隆 記 』 に 記 さ れ る 同 体 思 想 ― 叡 尊 の 信 仰 と 作 者 周 辺 を め ぐ っ て ー ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 69 第 一 節 『 愛 染 王 紹 隆 記 』 内 の 東 寺 の 記 事 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 70 第 二 節 愛 染 明 王 と ア マ テ ラ ス の 関 係 性 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 76 第 三 節 八 幡 大 菩 薩 と 愛 染 明 王 の 同 体 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 79 第 二 章 『 日 諱 貴 本 紀 』 の 国 譲 り 神 話 に 見 る ア マ テ ラ ス の 両 性 具 有 性 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 86 第 一 節 両 性 具 有 と 神 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 89 第 二 節 愛 染 明 王 信 仰 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 93 第 三 節 『 日 諱 貴 本 紀 』 に お け る 愛 染 明 王 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 100 第 三 章 ア マ テ ラ ス の 〈 呼 称 〉 と 〈 赫 姫 〉 と い う 存 在 ― 『 塵 荊 抄 』 第 十 一 話 を 中 心 に ― ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 108 第 一 節 ア マ テ ラ ス と 愛 染 明 王 を め ぐ る 同 体 思 想 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 109 第 二 節 ア マ テ ラ ス の 呼 称 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 112

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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 121 第 一 章 『 諸 神 本 懐 集 』 に お け る ア マ テ ラ ス 像 に つ い て ― 『 神 本 地 之 事 』 と の 比 較 を 通 し て ― ・ ・ ・ ・ ・ 122 第 一 節 「 国 譲 り 神 話 」 の 比 較 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 124 第 二 節 日 天 子 ・ 月 天 子 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 132 第 三 節 『 諸 神 本 懐 集 』 内 の ア マ テ ラ ス 像 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 135 第 四 節 室 町 期 ま で の 祖 師 の イ メ ー ジ に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 140 第 二 章 覚 如 の 伝 記 に 見 る 和 歌 と 神 祇 に つ い て ― 『 沙 石 集 』 と の 影 響 関 係 を 中 心 に ― ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 148 第 一 節 『 慕 帰 絵 』 に 登 場 す る 神 祇 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 149 第 二 節 覚 如 の 神 祇 観 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 152 第 三 節 和 歌 と 神 祇 の 享 受 の 背 景 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 156 第 四 節 『 沙 石 集 』 に お け る 源 信 と 『 慕 帰 絵 』 に お け る 覚 如 像 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 159 第 三 章 佛 光 寺 本 『 善 信 聖 人 親 鸞 伝 絵 』 に 見 る 神 祇 記 述 と 構 成 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 166 第 一 節 『 親 鸞 伝 絵 』 の 神 祇 観 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 168 第 二 節 付 加 さ れ た 神 祇 記 述 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 172 第 三 節 佛 光 寺 本 の 性 格 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 175

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 186

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【 凡 例 】 一 、 翻 刻 に あ た り 旧 字 体 等 は 通 行 字 に 改 め 、 合 字 は 解 字 し た 。 二 、 本 文 の 字 配 り は 配 慮 せ ず 、 改 行 箇 所 の み を 「 / 」 で 示 し た 。 三 、 虫 損 、 欠 損 な ど の 理 由 に よ り 判 読 で き な か っ た 箇 所 で 字 数 が 推 定 出 来 る も の は 、 推 定 字 数 分 を 「 □ 」 で 示 し た 。 四 、 引 用 文 に お け る 表 記 は 私 意 に よ り 改 め た と こ ろ が あ る 。 五 、 引 用 文 に お け る 傍 線 、 圏 点 等 は 特 に 断 ら な い 限 り 、 私 に 付 し た も の で あ る 。 六 、 注 は 、 各 章 の 末 尾 に 付 し た 。 七 、 ア マ テ ラ ス と い う 片 仮 名 表 記 に つ い て 、 二 部 で 、 ア マ テ ラ ス の 表 記 や ル ビ に つ い て 論 じ て い る た め に 、 本 文 の 表 記 と 、 本 稿 で の 表 記 の 混 同 を 避 け る た め に 、 本 論 は 一 貫 し て 、 片 仮 名 表 記 と し て い る 。 八 、 一 頁 の 字 数 は 、 千 二 百 字 で あ る 。

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『 日 本 書 紀 』 や 『 古 事 記 』 と い う 記 紀 神 話 は 、 日 本 国 の 成 り 立 ち や 、 神 々 の 出 生 、 そ し て 天 皇 の 皇 統 を 伝 え る 書 で あ る 。 こ の 内 、 『 日 本 書 紀 』 は 、 『 日 本 書 紀 私 記 』 に よ る と 、 養 老 五 年 ( 七 二 一 ) 、 弘 仁 三 年 ( 八 一 二 ) 、 承 和 十 年 ( 八 四 三 ) 、 元 慶 二 年 ( 八 七 八 ) 、 延 喜 四 年 ( 九 〇 四 ) 、 承 平 六 年 ( 九 三 六 ) 、 康 保 二 年 ( 九 六 五 ) の 七 回 の 講 書 を 行 っ た と さ れ 、 天 慶 六 年 ( 九 四 三 ) に は 、 『 日 本 書 *1 紀 』 講 筵 の 竟 宴 の 際 に 詠 ま れ た 和 歌 を 『 日 本 紀 竟 宴 和 歌 』 と し て 編 纂 し て い る 。 『 紫 式 部 日 記 』 に は 、*2 内 裏 の う へ の 、 源 氏 の 物 語 人 に 読 ま せ た ま ひ つ つ 聞 こ し め し け る に 、 「 こ の 人 は 日 本 紀 を こ そ よ み た ま へ け れ ま こ と に 才 あ る べ う ち に ほ ん ぎ ざ え し 」 と 、 の た ま は せ け る を 、 ふ と 推 し は か り に 、 「 い み じ う な む 才 が あ る 」 と 、 殿 上 人 な ど に い ひ 散 ら し て 、 日 本 紀 の 御 局 と ぞ お て ん じ や う び と み つ ぼ ね つ け た り け る 。 い と を か し く ぞ は べ る 。 こ の る ふ 里 の 女 の 前 に て だ に 、 つ つ み は べ る も の を 、 さ る と こ ろ に て 才 さ か し 出 で は べ ら む よ 。 と い う 一 文 が あ る 。 一 条 天 皇 が 、 『 源 氏 物 語 』 を 人 に 読 ま せ 、 「 『 源 氏 物 語 』 の 作 者 は 、 『 日 本 書 紀 』 を 読 ん で い る よ う だ 。 学 識 が あ る ら し い 」 と 仰 っ た の を が 広 ま っ て 、 紫 式 部 に 「 日 本 紀 の 御 局 」 と い う あ だ 名 が つ い た 話 で あ る 。 こ の よ う に 、 古 く か ら 『 日 本 書 記 』 は 学 ぶ 対 象 だ っ た の で あ る 。 時 代 が 下 る と 共 に 、 『 日 本 書 紀 』 は 、 学 ぶ 対 象 か ら 更 に 、 註 釈 さ れ る 対 象 へ と 変 化 を 遂 げ る の で あ る 。 俗 に 言 う 「 中 世 神 話 」 の 登 場 で あ る 。 「 中 世 神 話 」 は 、 江 戸 時 代 の 国 学 者 に 忌 み 嫌 わ れ る よ う に 、 『 日 本 書 記 』 の 純 粋 な 註 釈 書 と は 到 底 言 い 難 い 。 中 世 神 話 は 、 *3 中 世 期 の 神 と 仏 の 相 克 を 如 実 に 記 し た も の で も あ り 、 今 日 で も 『 日 本 書 紀 』 の 「 読 み 替 え 」 と 評 価 さ れ て い る の が 現 状 で あ る 。*4 中 世 の 神 話 や 神 道 に つ い て は 、 山 本 ひ ろ 子 氏 を 筆 頭 に 、 近 年 盛 ん に 研 究 さ れ て い る 。 二 〇 一 一 年 に 発 表 さ れ た 伊 藤 聡 氏 の 『 中 世 天 *5 照 大 神 信 仰 の 研 究 』 や 舩 田 淳 一 氏 の 『 神 仏 の 儀 礼 の 中 世 』 、 二 〇 一 二 年 原 克 昭 氏 の 『 中 世 日 本 紀 論 考 』 は 、 中 世 期 の 『 日 本 書 記 』 の *6 *7

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註 釈 の 有 り よ う や 、 両 部 神 道 や 山 王 神 道 ・ 吉 田 神 道 に 関 す る 神 話 や 教 説 に つ い て 論 じ ら れ て い る 。 ま た 、 原 氏 と 同 じ 二 〇 一 二 年 に は 、 *8 鈴 木 英 之 氏 が 『 中 世 学 僧 と 神 道 』 と 称 し て 、 浄 土 宗 の 神 祇 に つ い て の 考 察 を 行 っ て い る 。 こ の よ う に 、 中 世 神 話 は 、 限 ら れ た 世 界 で の 出 来 事 で は な く 、 宗 派 を 超 え て 生 成 さ れ た と 言 え る だ ろ う 。 そ こ で 、 本 論 文 で は 、 先 行 研 究 で ま だ 研 究 が 成 さ れ て い な い 真 宗 の 神 祇 が 、 中 世 神 話 世 界 の 中 で 如 何 に 位 置 付 け ら れ る の か と い う こ と を 考 え て み た い 。 真 宗 は 、 他 宗 派 と 違 い 、 神 祇 不 拝 を 推 奨 し て い る と い う 大 き な 特 色 を 持 つ 。 勿 論 、 浄 土 宗 も 同 様 で あ る が 、 真 宗 ヽ ヽ *9 の 場 合 は 、 中 世 神 話 独 特 の 難 解 な 註 釈 作 業 を 行 っ て い な い 。 浄 土 宗 は 、 鈴 木 氏 の 著 作 に よ る と 、 南 北 朝 期 か ら 室 町 時 代 の 浄 土 宗 第 七 祖 で あ る 聖 冏 が 、 『 日 本 書 記 』 や 『 麗 気 記 』 の 註 釈 の み な ら ず 、 鹿 嶋 明 神 の 縁 起 を 記 す 『 鹿 嶋 問 答 』 を 執 筆 し て い る 。 一 方 の 真 宗 で は 、 *10 『 日 本 書 記 』 の 註 釈 書 は 勿 論 の こ と 、 『 麗 気 記 』 の よ う な 両 部 神 道 の 註 釈 を 行 う こ と も 、 文 中 に 記 す こ と も な い 。 こ の こ と も 、 真 宗 の 神 祇 観 の 特 色 と 言 え る の で は な い だ ろ う か 。 こ れ ら 真 宗 が 持 つ 神 祇 観 の 特 色 は 、 広 く 中 世 期 の 神 話 世 界 を 考 え る 際 に 無 視 出 来 な い 事 象 で あ る 。

次 に 方 法 で あ る が 、 神 祇 不 拝 と 称 す る 真 宗 が 、 神 祇 を 採 り 入 れ た 背 景 や 過 程 を 明 ら か に す る こ と が 最 も 重 要 で あ り 、 中 世 神 話 世 界 で ヽ ヽ の 位 置 付 け を 考 え る 意 味 で も 、 両 部 神 道 等 と の 比 較 を 行 う 必 要 が あ る と 考 え る 。 そ れ は 、 元 々 、 神 祇 を 許 容 す る 他 宗 派 と 、 神 祇 不 拝 を ヽ ヽ 主 張 す る 真 宗 で は 、 神 祇 の 受 け 入 れ に 差 異 が 生 じ る と 考 え る か ら で あ る 。 今 回 、 両 部 神 道 を 比 較 対 象 と し た の は 、 他 神 道 に 比 べ て 、 比 較 的 研 究 が 進 ん で い る 分 野 で あ る こ と に よ る 。 真 宗 の 神 祇 観 は 先 ず 、 国 枝 正 雄 氏 「 真 宗 の 神 祇 観 に つ い て 」 に よ っ て 、 覚 如 ( 一 二 七 一 ― 一 三 五 一 ) が 著 し た 親 鸞 の 伝 記 で あ る *11 『 親 鸞 伝 絵 』 に つ い て 、 「 此 物 語 は 寧 ろ 覚 如 が 親 鸞 の 訓 示 の 語 に 寄 せ て 、 真 宗 の 神 祇 観 を 述 べ た も の で は な か ろ う か 」 と 位 置 付 け ら れ て い る 。 林 智 康 氏 も 「 真 宗 に お け る 神 祇 観 」 の 中 で 、 「 覚 如 の 神 祇 観 は 本 地 垂 迹 説 の 上 に 成 り 立 ち 、 安 易 な 神 祇 崇 敬 の 態 度 が 見 ら れ る 。

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こ れ は 厳 し く 神 祇 不 拝 に 徹 し 、 真 実 信 心 の 利 益 に よ る 神 祇 護 念 を 主 張 し た 親 鸞 の 神 祇 観 と の 乖 離 が 生 じ て い る 」 と 、 神 祇 不 拝 を 主 張 ヽ ヽ ヽ ヽ *12 す る 親 鸞 の 神 祇 観 か ら 乖 離 し て い る と 指 摘 し て い る 。 こ の よ う な 、 神 祇 不 拝 を 旨 と す る 真 宗 が 、 神 祇 を 採 り 入 れ た 背 景 に つ い て 黒 田 俊 ヽ ヽ 雄 氏 が 「 中 世 国 家 と 神 国 思 想 」 の 中 で 次 の よ う に 述 べ て い る 。*13 覚 如 、 存 覚 時 代 の 真 宗 の 著 作 が 、 な ぜ こ の よ う に 一 向 専 修 ( 専 念 ) の 論 理 を 骨 抜 き に し て ま で 神 国 思 想 を 採 用 し な け れ ば な ら な か っ た か 。 こ れ が 、 前 節 に の べ た 時 代 全 般 の 傾 向 と 無 関 係 で な い こ と だ け は 、 あ き ら か で あ る 。 さ き に も の べ た よ う に 、 当 時 の 記 録 に よ れ ば 、 専 修 念 仏 の 徒 の 神 祇 不 拝 に 対 す る 非 難 は つ ね に く り か え さ れ た し 、 客 観 的 に み て も 専 修 念 仏 の 発 生 基 盤 は 依 然 存 在 し た 。 し か し そ れ に も か か わ ら ず 、 弾 圧 を さ け る た め に は 、 ま し て 教 団 を 組 織 す る た め に は 、 権 力 者 の 思 想 に 屈 従 し な け れ ば な ら な か っ た し 、 神 祇 不 拝 の 激 発 を 防 止 す る た め に 、 上 述 の よ う な 論 理 が 必 要 で あ っ た の で あ る 。 黒 田 氏 は 、 弾 圧 を 避 け る た め の 手 段 と し て 神 祇 を 受 け 入 れ た と し て い る 。 黒 田 氏 の 論 中 に 覚 如 と 共 に 登 場 し て い る 存 覚 ( 一 二 九 〇 ― 一 三 七 三 ) は 、 二 度 、 父 で あ る 覚 如 に 義 絶 さ れ て お り 、 真 宗 初 の 神 祇 書 で あ る 『 諸 神 本 懐 集 』 を 著 し た 人 物 で も あ る 。 林 氏 は 、 こ の 存 覚 の 神 祇 記 述 と 貞 慶 の 『 興 福 寺 奏 状 』 の 類 似 を 指 摘 し て い る 。*14 真 宗 初 の 神 祇 書 で あ る 『 諸 神 本 懐 集 』 は 、 江 戸 時 代 の 了 祥 ・ 義 順 ・ 桑 梁 等 の 学 僧 に よ り 註 釈 作 業 が 行 わ れ る 。 こ の 頃 よ り 、 問 題 と な る の が 、 『 諸 神 本 懐 集 』 の 次 の 奥 書 を 廻 っ た 問 題 で あ る 。 元 亨 四 歳 甲 子 正 月 十 二 日 依 二 釈 了 源 詫 一 染 レ 筆 訖 。 此 書 雖 レ 有 二 日 来 流 布 ノ 之 本 一 、 文 言 似 レ 令 二 相 違 一 義 理 非 ル ノ レ 无 ニ 二 不 審 一 之 間 、 大 略 加 ヘ 二 添 削 ヲ 一 畢 ヌ 。 是 則 依 レ 為 二 願 主 ノ 命 一 也 。 定 テ 招 二 諸 人 ノ 之 嘲 ヲ 一 歟 。 永 亨 十 年 戊 午 十 月 十 五 日 書 写 之 畢 ( マ マ ) 大 谷 本 願 寺 住 持 存 如 こ の 奥 書 に を 廻 る 研 究 史 を 、 八 木 意 知 男 氏 が 「 『 諸 神 本 懐 集 』 と 『 三 社 託 宣 』 ( 承 前 ) 」 に て 次 の よ う に ま と め て い る 。*15 ○ 岩 橋 小 弥 太 「 浄 土 教 神 道 に つ い て 」 ( 『 国 史 学 』 第 二 〇 号 、 昭 和 九 年 十 一 月 ) 『 一 向 専 修 七 箇 条 問 答 』 と の 関 連 を 指 摘 。

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○ 浅 井 了 宗 「 浄 土 教 に 於 け る 神 仏 交 渉 発 達 論 ― 広 疑 瑞 決 集 と 諸 神 本 懐 集 に 就 い て ― 」 ( 『 宗 学 院 論 輯 』 第 三 六 輯 、 昭 和 十 七 年 十 月 ) 『 広 疑 瑞 決 集 』 が 成 る 一 書 を 介 在 さ せ て 『 諸 神 本 懐 集 』 と な っ た こ と を 指 摘 。 ○ 宮 崎 円 遵 「 諸 神 本 懐 集 の 底 本 の 問 題 」 ( 『 真 宗 書 誌 学 の 研 究 』 所 収 、 永 田 文 昌 堂 、 昭 和 二 十 四 年 ) 『 諸 神 本 懐 集 』 は 関 東 の 地 で 成 っ た 本 を 底 本 と す る 、 特 に 時 衆 近 辺 の 典 籍 を 源 と し て 成 立 し た こ と を 指 摘 。 ○ 北 西 弘 「 諸 神 本 懐 集 の 成 立 」 ( 『 宮 崎 博 士 還 暦 記 念 真 宗 史 研 究 』 所 収 、 永 田 文 昌 堂 、 一 九 六 六 年 ) 『 広 疑 瑞 決 集 』 と 『 諸 神 本 懐 集 』 の 間 に あ る も の と し て 応 永 二 十 年 ( 1 4 1 3 ) 紀 写 本 『 神 本 地 之 事 』 を 発 見 紹 介 。 「 神 武 天 皇 ヨ リ コ ノ カ タ 建 長 八 年 ( 一 二 五 六 ) ヒ ノ エ タ ツ ノ 年 ニ 王 ニ イ タ ル マ テ ハ 人 王 八 十 九 代 ナ リ 」 な る 年 紀 あ り 。 右 の 中 、 就 中 、 北 西 論 は 浅 井 論 を 承 け て 従 つ て 『 広 疑 瑞 決 集 』 の 巻 三 ・ 巻 四 の 所 論 を 引 用 せ る 今 「 一 本 」 が 存 在 し そ れ が 存 覚 の 『 諸 神 本 懐 集 』 の 底 本 と し た 所 謂 「 日 来 流 布 之 本 」 で あ つ た の で は あ る ま い か と 思 は れ る 。 と 言 い 、 「 今 一 本 」 を 、 『 神 本 地 之 事 』 に 求 め た の で あ る 。 そ し て 、 こ の 北 西 論 は 、 例 え ば 『 真 宗 史 料 集 成 第 一 巻 親 鸞 と 初 期 集 団 』 ( 石 田 充 之 ・ 千 葉 乗 隆 編 、 同 朋 舎 、 昭 和 四 十 九 年 ) の 解 題 に お い て 存 覚 が 添 刪 を 加 え た 一 本 と は 『 神 本 地 之 事 』 と み ら れ る 。 と 容 認 さ れ て い る の で あ る 。 な お 、 『 日 本 思 想 大 系 』 所 収 本 で は 解 説 ( 大 隅 和 雄 ) に 永 享 十 年 ( 一 四 三 八 ) に 本 願 寺 第 七 世 の 存 如 が 、 伝 写 本 の 義 理 不 明 の 部 分 に 添 刪 を 加 え た こ と が 知 ら れ る 。 と し て お り 、 奥 書 全 体 を 存 如 の も の と し て い る 。 こ の 立 場 か ら は 、 如 上 の 議 論 は 生 ま れ ず 、 研 究 の 流 れ か ら は 独 立 す る こ と に な る 。 現 在 で は 、 『 諸 神 本 懐 集 』 の 底 本 が 、 北 西 弘 氏 に よ り 発 見 さ れ た 『 神 本 地 之 事 』 で あ る と の 見 解 が 主 流 で あ る 。 こ の 発 見 は 、 『 諸 神

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本 懐 集 』 と 類 似 す る 事 柄 を 記 し て い る 書 が 存 在 す る と い う こ と を 示 し た 点 で 大 き な 意 義 が あ る 。 し か し 、 そ こ か ら 、 一 歩 踏 み 込 ん だ 、 詳 細 な 本 文 の 比 較 検 討 に つ い て は 、 『 神 本 地 之 事 』 の 発 見 以 降 、 全 く 進 ん で い な い の も 現 状 で あ る 。 そ こ で 、 本 論 文 で は 、 『 諸 神 本 懐 集 』 と 『 神 本 地 之 事 』 の 「 国 譲 り 神 話 」 を 比 較 検 討 す る こ と に よ り 、 双 方 の 本 文 の 影 響 関 係 を 考 察 す る 。 同 時 に 、 文 学 作 品 か ら 見 る 神 祇 観 を 主 題 と す る こ と か ら 、 真 宗 の 教 義 書 で は な く 、 法 然 ・ 親 鸞 ・ 覚 如 の 所 謂 、 祖 師 の 絵 伝 を 通 し て 見 ら れ る 真 宗 の 神 祇 観 の 考 察 も 行 う 。 更 に 、 『 諸 神 本 懐 集 』 と 同 時 代 期 に 成 立 を し て い る 、 両 部 神 道 書 で あ る 『 日 諱 貴 本 紀 』 の 「 国 譲 り 神 話 」 と の 比 較 検 討 も 行 う 。 こ の こ と に よ り 、 真 宗 独 自 の 神 祇 観 と 、 両 部 神 道 と の 間 で 共 通 す る 神 祇 観 が 浮 き 彫 り に 出 来 る と 考 え る 。 今 回 、 真 宗 の 神 祇 と 両 部 神 道 を 結 ぶ 手 が か り と し て 、 俊 乗 房 重 源 ( 一 一 二 一 ― 一 二 〇 六 ) と 東 大 寺 再 建 事 業 に 着 目 す る 。 重 源 は 、 南 都 炎 上 後 の 東 大 寺 を 再 建 し た 人 物 で あ る 。 杉 山 二 郎 氏 は 、 重 源 等 と 共 に 南 都 復 興 に 携 わ っ て い た 工 人 な ど が 、 復 興 事 業 の 修 了 と 同 時 *16 に 職 を 失 い 、 社 会 問 題 と な っ て お り 、 そ の 階 層 や 衆 庶 へ の 救 済 に 叡 尊 が 焦 点 を 当 て た と し 、 重 源 か ら 叡 尊 へ 繋 ぐ 鎌 倉 仏 教 の 一 面 は 、 阿 弥 陀 仏 号 の 踏 襲 に 見 ら れ る 南 都 旧 佛 教 の 庶 民 へ の 働 き か け で あ る と の 位 置 づ け を 行 っ て い る 。 つ ま り 、 重 源 が 東 大 寺 再 建 事 業 に 際 し て 重 宝 し て い た 工 人 達 を 重 源 亡 き 後 に 、 叡 尊 が 引 き 継 い だ と い う こ と で あ る 。 そ の 中 に は 、 重 源 に よ り 阿 弥 陀 仏 号 を 付 さ れ た 、 阿 弥 陀 仏 号 保 持 者 も い た の で あ る 。 こ の 阿 弥 陀 仏 号 保 持 者 は 、 叡 尊 周 辺 の み な ら ず 、 法 然 や 親 鸞 の 周 辺 で も 度 々 目 に す る こ と と な る 。 こ の こ と は 、 専 修 念 仏 教 団 も 、 少 な か ら ず 阿 弥 陀 仏 号 保 持 者 を 重 源 亡 き 後 引 き 継 い だ と も 考 え ら れ る 。 そ れ だ け で は な く 、 『 法 然 上 人 行 状 画 図 』 に は 、 重 源 の 伊 勢 神 宮 参 詣 記 事 が 記 さ れ て い る 。 即 ち 、 重 源 よ り 伊 勢 神 宮 参 詣 と 阿 弥 陀 仏 号 保 持 者 を 継 承 し た と 思 し き 、 叡 尊 を 中 心 と す る 両 部 神 道 と 、 専 修 念 仏 教 団 の 特 に 真 宗 の 神 祇 を 比 較 検 討 す る こ と を 本 論 の 主 眼 と す る 。

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本 論 文 の 構 成 と 各 章 の 課 題 を 簡 潔 に 述 べ て お く 。

第 一 章 で は 、 無 住 ( 一 二 二 七 ― 一 三 一 二 ) の 『 沙 石 集 』 巻 一 之 一 「 太 神 宮 之 御 事 」 の 次 の 一 文 に 着 目 す る 。*17 都 て は 大 日 の 印 文 よ り 興 り て 、 内 宮 ・ 外 宮 は 両 部 の 大 日 と こ そ 申 し 侍 れ 。 天 の 岩 戸 と 云 ふ は 都 率 天 り 。 た か ま の 原 と も 申 す 。 神 の 代 の 事 、 皆 よ し あ る に こ そ 。 真 言 の 意 に は 、 都 率 を ば 内 証 の 法 界 宮 ・ 密 厳 国 と こ そ 申 す な れ 。 か の 内 証 の 都 を 出 で て 、 日 域 に 跡 を 垂 れ ま し ま す 。 か か る が 故 に 、 内 宮 は 胎 蔵 界 の 大 日 、 四 重 の 曼 荼 羅 を か た ど り て 、 玉 垣 ・ 瑞 垣 ・ 荒 垣 な ど 度 々 に 、 か つ を 木 も 九 つ あ り 。 胎 蔵 の 九 尊 を か た ど る 。 外 宮 は 金 剛 界 の 大 日 、 或 い は 、 阿 弥 陀 と も 習 い 侍 る な り 。 さ れ ど も 金 剛 の 五 智 に か た ど る に や 、 月 輪 も 五 つ あ り 。 金 胎 両 部 と 陰 陽 に 主 る 時 、 陰 は 女 、 陽 は 男 な る 故 に 胎 に は 八 葉 を 形 ど り て 、 八 乙 女 と て 八 人 あ り 。 金 は 五 智 に 主 り て 、 五 人 の 神 楽 人 と 言 へ る は こ の 故 な り 。 右 記 に は 、 伊 勢 神 宮 の 「 両 宮 」 と 真 言 の 「 両 界 」 を 習 合 し た 記 述 が 見 受 け ら れ る 。 久 保 田 展 弘 氏 は 、 『 沙 石 集 』 の 記 事 が 伊 勢 神 宮 *18 の 内 宮 と 外 宮 を 真 言 の 金 剛 界 ・ 胎 蔵 界 に 当 て は め た 、 習 合 思 想 に つ い て 記 す 最 初 の 文 献 で あ る と 位 置 付 け て い る 。 『 沙 石 集 』 の こ の 記 事 が 、 習 合 思 想 を 記 す 最 初 の 記 事 で あ る な ら ば 、 無 住 は 、 如 何 に し て 、 こ の 思 想 を 知 る 事 が 出 来 た の で あ ろ う か 。 ま た 、 こ の よ う な 思 想 は 、 ど の よ う な 過 程 を 経 て 形 成 さ れ て い っ た も の で あ っ た の か と い う 疑 問 が 表 出 す る 。 文 学 研 究 は 、 文 学 作 品 の 読 み 解 き を 基 と し て い る 。 し か し な が ら 、 こ の 文 学 作 品 を 読 み 解 く 作 業 の 際 に 、 文 学 に 記 さ れ る に 至 る 前 段 階 と し て 存 在 し た 思 考 を 無 視 し て 、 文 学 作 品 の 読 み 解 き を 行 う こ と も 出 来 な い と 考 え る 。 そ こ で 、 本 論 文 で は 、 東 大 寺 大 仏 殿 に 造 ら れ た 「 両 界 堂 」 か ら 無 住 『 沙 石 集 』 の 記 述 に 至 る 思 想 の 過 程 の 考 察 を 行 う 。 第 二 章 で は 、 重 源 の 『 南 無 阿 弥 陀 仏 作 善 集 』 に 記 さ れ て い る 、 重 源 の 善 光 寺 で の 舎 利 感 得 話 と 、 光 明 皇 后 が 、 法 華 寺 の 修 善 に 際 し 、

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或 人 の 夢 中 で 御 礼 を 述 べ た と い う 二 点 の 夢 告 に 着 目 す る 。 そ れ は 、 数 あ る 夢 告 や 霊 験 に つ い て は 、 一 切 記 さ な い 『 南 無 阿 弥 陀 仏 作 善 集 』 が 、 他 の 資 料 で 確 認 出 来 な い 二 点 の 夢 告 を 記 す に は 、 そ れ 相 応 の 理 由 が 存 在 す る と 考 え た た め で あ る 。 こ の 二 点 の 夢 告 を 考 察 す る に 当 た り 、 東 大 寺 再 建 事 業 中 に 、 伊 賀 別 所 と し て 存 在 し 、 後 に 「 新 大 仏 寺 」 と 呼 ば れ る 場 所 に 手 が か り を 求 め る 。 第 三 章 で は 、 四 十 八 巻 本 『 法 然 上 人 行 状 画 図 』 に 記 さ れ る 四 点 の 重 源 の 記 事 に 着 目 す る 。 こ の 四 点 は 、 何 れ も 、 東 大 寺 や 重 源 側 の 資 料 で は 確 認 出 来 な い 、 『 法 然 上 人 行 状 画 図 』 独 自 の 記 述 で あ る 。 こ の 記 事 を 考 察 す る こ と に よ り 、 重 源 の 享 受 の 一 過 程 の み な ら ず 、 こ の よ う な 独 自 記 述 を 記 さ な け れ ば な ら な か っ た 専 修 念 仏 教 団 の 立 場 も 垣 間 見 え る と 考 え る 。 同 時 に 、 東 大 寺 再 建 事 業 が 、 専 修 念 仏 教 団 に 与 え た 影 響 な ど も 究 明 出 来 る の で は な い だ ろ う か 。

第 二 部 で は 、 一 部 で 重 源 よ り 東 大 寺 再 建 の 際 に 活 躍 し た 工 人 と 、 阿 弥 陀 仏 号 保 持 者 を 継 承 し た 叡 尊 の 神 祇 信 仰 を 中 心 に 考 察 を 行 う 。 そ の 手 掛 か り と し て 、 叡 尊 が 作 成 し た 「 伊 勢 神 宮 御 正 体 」 に 着 目 す る 。 「 伊 勢 神 宮 御 正 体 」 は 、 伊 勢 神 宮 の 両 宮 と 、 真 言 の 「 両 界 」 そ し て 、 仏 眼 仏 母 と 愛 染 明 王 を も 取 り 込 む 思 想 を 具 現 化 し た 厨 子 で あ る 。 通 常 、 仏 眼 仏 母 種 子 曼 荼 羅 と 対 を 成 す べ き な の は 一 字 金 輪 種 *19 子 曼 荼 羅 に も か か わ ら ず 、 「 伊 勢 神 宮 御 正 体 」 で は 、 愛 染 種 子 曼 荼 羅 が 掲 げ ら れ て い る 。 こ れ は 、 中 世 期 に 愛 染 明 王 が 、 ア マ テ ラ ス と 同 体 視 さ れ て い た 問 題 と 深 く 関 わ る 問 題 と 考 え る 。 こ の 愛 染 明 王 と ア マ テ ラ ス の 同 体 思 想 を 読 み 解 く た め に 、 第 一 章 で は 、 愛 染 明 王 の 唯 一 の 説 話 で あ る 『 愛 染 王 紹 隆 記 』 を 中 心 に 、 叡 尊 の 愛 染 明 王 信 仰 や 、 ア マ テ ラ ス や 八 幡 大 菩 薩 と の 同 体 に つ い て 考 察 を 行 う 。 こ の こ と に よ り 、 『 愛 染 王 紹 隆 記 』 の 作 者 周 辺 に も 近 づ く こ と が 出 来 る と 考 え る 。 第 二 章 で は 、 実 際 に 、 ア マ テ ラ ス と 愛 染 明 王 を 同 体 視 し て い る 中 世 神 話 の 内 、 『 日 諱 貴 本 紀 』 の 「 国 譲 り 神 話 」 部 分 を 考 察 し 、 文 学 に 現 さ れ た 習 合 思 想 を 読 み 解 い て い く 。 第 三 章 で は 、 第 二 章 と 同 じ く 、 ア マ テ ラ ス と 愛 染 明 王 の 同 体 を 記 す 『 塵 荊 抄 』 を 中 心 に 、 中 世 神 話 に 見 ら れ る ル ビ の 問 題 と ア マ テ ラ ス の 性 格 に つ い て 究 明 す る 。

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『 国 史 大 系 』 第 八 巻 。 *1 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 二 六 『 和 泉 式 部 日 記 ・ 紫 式 部 日 記 ・ 更 級 日 記 ・ 讃 岐 典 侍 日 記 』 ( 二 〇 八 頁 ) 。 *2 日 本 中 世 期 に 見 ら れ る 、 神 祇 信 仰 全 般 に つ い て 用 い て い る 。 *3 斉 藤 英 善 氏 『 読 み 替 え ら れ た 日 本 神 話 』 ( 講 談 社 ・ 二 〇 〇 六 年 ) 参 照 。 *4 山 本 ひ ろ 子 氏 『 変 成 譜 中 世 神 仏 習 合 の 世 界 』 ( 春 秋 社 ・ 一 九 九 三 ) 、 『 異 神 中 世 日 本 の 秘 教 的 世 界 』 ( 平 凡 社 ・ 一 九 九 八 ) 、 『 中 世 神 話 』 ( 岩 波 新 書 ・ 一 九 九 *5 八 年 ) 等 に 詳 し い 。 伊 藤 聡 氏 『 中 世 天 照 大 神 信 仰 の 研 究 』 ( 法 蔵 館 ・ 二 〇 一 一 年 ) 、 『 神 道 と は 何 か ― 神 と 仏 の 日 本 史 』 ( 中 央 公 論 社 ・ 二 〇 一 二 年 ) 、 舩 田 淳 一 氏 『 神 仏 の 儀 礼 の *6

第 三 部 で は 、 真 宗 の 神 祇 観 に つ い て 考 察 を 行 う 。 第 一 章 で は 、 存 覚 に よ る 『 諸 神 本 懐 集 』 と 『 神 本 地 之 事 』 に 共 通 し て 記 さ れ る 「 国 譲 り 神 話 」 部 分 の 比 較 検 討 を 行 う 。 こ の こ と に よ り 、 両 者 が 描 こ う と し た 、 ア マ テ ラ ス 像 が 垣 間 見 ら れ る と 考 え る 。 第 二 章 で は 、 覚 如 の 伝 記 で あ る 『 慕 帰 絵 』 に 記 さ れ た 覚 如 像 に つ い て 、 和 歌 と 神 祇 の 問 題 を 扱 う 。 そ し て 、 第 三 章 で は 、 親 鸞 の 伝 記 で あ る 佛 光 寺 本 『 善 信 聖 人 親 鸞 伝 絵 』 に 着 目 す る 。 佛 光 寺 本 は 、 他 本 に 見 ら れ な い 親 鸞 の 伊 勢 神 宮 参 詣 と 鹿 島 神 宮 参 詣 の 記 事 を 載 せ て い る 。 こ の 記 事 は 、 単 に 、 親 鸞 が 、 両 社 に 参 詣 し た と い う こ と の み を 記 し た 記 事 で あ る が 、 こ の 一 文 こ そ が 、 真 宗 の 神 祇 観 を 考 え る 際 に は 、 重 要 と 考 え 究 明 す る 。

一 部 よ り 派 生 し た 信 仰 で あ る 二 部 と 三 部 の 問 題 を 個 々 に 提 示 し 、 最 終 的 に 、 二 部 の 両 部 神 道 と 三 部 の 真 宗 の 神 祇 観 の 比 較 を 結 論 と し て ま と め る 。

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原 克 昭 氏 『 中 世 日 本 紀 論 考 ー 註 釈 の 研 究 』 ( 法 蔵 館 ・ 二 〇 一 二 年 ) 。 *7 両 部 神 道 と は 、 真 言 宗 の 立 場 で の 神 仏 習 合 。 山 王 神 道 と は 、 天 台 宗 の 立 場 で の 神 仏 習 合 。 吉 田 神 道 は 、 吉 田 神 社 を 中 心 と し た 神 仏 習 合 思 想 。 *8 本 論 文 で 使 用 す る 際 の 、 「 不 拝 」 は 、 拝 む な と い う 強 意 の 意 味 で は な く 、 取 り 立 て て 拝 す る 必 要 が な い と い う 認 識 で の 「 不 拝 」 で あ る 。 *9 聖 徳 太 子 に 仮 託 し た 両 部 神 道 書 。 *10 国 枝 正 雄 氏 「 真 宗 の 神 祇 観 に 就 い て 」 ( 『 国 史 学 』 第 二 〇 号 ・ 一 九 三 四 年 ) 。 *11 林 智 康 氏 「 真 宗 に お け る 神 祇 観 」 ( 『 真 宗 学 』 第 七 八 号 、 一 九 八 八 年 三 月 ) 。 *12 黒 田 俊 雄 氏 「 中 世 国 家 と 神 国 思 想 」 ( 『 日 本 中 世 の 国 家 と 宗 教 』 岩 波 書 店 ・ 一 九 七 五 年 、 ・ 二 七 七 頁 ~ 二 七 八 頁 ) 。 *13 前 掲 注 林 氏 論 文 に 同 じ 。 林 氏 と 同 じ く 、 高 田 未 明 氏 も 「 存 覚 の 神 祇 思 想 に つ い て 」 ( 『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』 第 五 十 五 号 一 号 ・ 二 〇 〇 六 年 ) の 中 で 、 非 難 す る 側 *14 12 の 思 考 を 採 り 入 れ る こ と に つ い て 「 既 成 仏 教 教 団 と 同 じ 立 場 に 位 置 し 、 教 団 の 同 等 性 を 主 張 す る こ と に あ っ た と み ら れ る 」 と 言 及 し て い る 。 八 木 意 知 雄 氏 「 『 諸 神 本 懐 集 』 と 『 三 社 託 宣 』 ( 承 前 ) 」 ( 『 皇 學 館 論 集 』 第 三 十 九 巻 第 六 号 ・ 二 〇 〇 六 年 一 十 二 月 ) 。 岩 橋 氏 と 同 じ く 、 『 一 向 専 修 七 箇 条 問 *15 答 』 と の 関 係 に つ い て は 、 中 根 和 浩 氏 も 「 初 期 真 宗 と 神 の 問 題 ― 『 諸 神 本 懐 集 』 を 通 し て ― 」 ( 下 出 積 與 博 士 還 暦 記 念 会 編 『 日 本 に お け る 国 家 と 宗 教 』 大 蔵 出 版 ・ 一 九 七 八 年 ) 、 権 社 と 霊 社 の 記 述 が 、 ほ ぼ 同 文 で あ る こ と を 指 摘 し て い る 。 杉 山 二 郎 氏 「 〈 特 別 公 演 〉 鎌 倉 新 仏 教 と 密 教 ・ 重 源 か ら 叡 尊 へ 」 〈 『 密 教 学 研 究 』 二 六 号 ・ 一 九 九 四 年 ) 。 *16 『 沙 石 集 』 ( 新 日 本 古 典 文 学 全 集 五 二 ・ 二 〇 〇 三 年 ・ 二 二 頁 ~ 二 三 頁 ) 。 *17 久 保 田 展 弘 氏 「 い ま 融 合 宗 教 が も つ 意 味 」 ( 前 掲 注 月 報 二 〇 〇 一 年 一 月 ) 。 *18 18 通 常 、 仏 眼 仏 母 は 、 一 字 金 輪 と 一 対 と し て 曼 荼 羅 に 掲 げ ら れ る 。 *19 中 』 ( 法 蔵 館 ・ 二 〇 一 一 年 ) 。

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第 一 部 で は 、 鎌 倉 期 の カ ミ の 享 受 と し て 、 東 大 寺 再 建 事 業 に よ り 派 生 し た カ ミ の 享 受 に つ い て 考 察 を 行 う 。 東 大 寺 は 興 福 寺 と 共 に 、 治 承 四 年 ( 一 一 八 〇 ) 二 月 、 平 清 盛 ( 一 一 八 ― 一 一 八 一 ) 五 男 で あ る 平 重 衡 ( 一 五 七 ― 一 一 八 八 ) に よ る 焼 き 討 ち に よ り 焼 亡 す る 。 俗 に 言 う 「 南 都 炎 上 」 で あ る 。 当 時 の 惨 状 に つ い て 、 九 条 兼 実 ( 一 一 四 九 ― 一 二 〇 七 ) は 『 玉 葉 』 十 二 月 二 十 九 日 条 で 、*1 当 時 之 悲 哀 、 甚 三 於 喪 二 父 母 一 、 ( 中 略 ) 於 レ 今 者 難 レ 期 二 其 時 歟 、 仰 レ 天 而 泣 、 伏 レ 地 而 哭 、 拭 二 藪 行 之 紅 涙 一 、 催 二 五 内 之 丹 心 一 、 言 而 有 レ 餘 、 記 而 無 レ 益 、 努 力 々 々 、 「 天 を 仰 い で 泣 き 、 地 に 伏 し て 大 声 で 泣 い た 」 と 、 氏 寺 で あ る 興 福 寺 の 炎 上 は 、 九 条 兼 実 に と っ て 言 語 を 絶 す る 程 の 絶 望 感 味 合 わ せ た こ と が 記 さ れ て い る 。 こ の 絶 望 感 は 、 何 も 藤 原 一 族 に 限 っ た こ と で は な い 。 『 平 家 物 語 』 「 南 都 炎 上 」 で は 、*2 聖 武 天 皇 ノ 書 置 セ 給 ケ ル 東 大 寺 ノ 碑 文 云 、 『 吾 寺 興 複 、 天 下 興 複 。 吾 寺 衰 微 、 天 下 衰 微 』 ト 云 々 。 今 灰 燼 ト ナ リ ス ル 上 ハ 、 国 土 之 『 滅 亡 無 疑 一 。 と 、 東 大 寺 を 創 建 し た 聖 武 天 皇 の 文 言 で あ る 「 吾 寺 興 複 、 天 下 興 複 。 吾 寺 衰 微 、 天 下 衰 微 」 を 引 用 し 、 東 大 寺 が 灰 燼 と 成 り 果 て た 今 、 国 家 が 滅 亡 す る こ と が 疑 い よ う も な い 旨 が 記 さ れ て い る 。 つ ま り 、 東 大 寺 ( 天 皇 家 ) 興 福 寺 ( 家 ) の 焼 亡 は 、 国 家 の 滅 亡 を 予 期 さ せ る 象 徴 的 な 出 来 事 で あ っ た の で あ る 。 こ の 両 寺 を 再 建 す る に 際 し 、 興 福 寺 は 藤 原 氏 の 氏 寺 で あ る た め に 、 迅 速 に 復 旧 作 業 が 遂 行 さ れ た が 、 東 大 寺 は 国 家 に 再 建 す る だ け の 経 済 的 な 余 裕 も 、 技 術 も な く 復 旧 が 遅 れ て い た 。 そ こ に 、 登 場 し た の が 、 俊 乗 房 重 源 ( 一 二 一 ― 一 二 〇 六 ) で あ る 。 重 源 は 、 三 節 で 扱 う 『 法 然 上 人 行 状 画 図 』 に て 、 「 支 度 第 一 俊 乗 房 」 と 呼 称 さ れ る よ う に 、 手 腕 が 高 く 評 価 さ れ て い る 。 ま た 、 奈 *3 良 国 立 博 物 館 が 「 時 代 を プ ロ デ ュ ― ス し た 老 僧 が い た 」 と 重 源 展 の キ ャ ッ チ コ ピ ー に し て い た こ と に も 示 さ れ る よ う に 、 重 源 と 東 大 *4

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寺 再 建 事 業 と は 、 南 都 炎 上 以 後 の 様 相 を 検 討 す る 際 の 要 で あ る と 考 え る 。 本 章 で 重 要 な の は 、 こ の 「 時 代 を プ ロ デ ュ ー ス 」 し た 重 源 が 、 公 式 に は 、 僧 侶 と し て 初 の 伊 勢 神 宮 参 詣 を 果 た し て い る こ と で あ る 。 ヽ ヽ *5 そ こ で 、 本 章 を 通 し て 東 大 寺 再 建 事 業 と い う 現 象 と 、 そ れ に 付 随 す る 神 祇 信 仰 に つ い て の 考 察 を 行 う 。 考 察 の 流 れ を 簡 単 に 説 明 し て お く と 、 第 一 章 で は 、 無 住 ( 一 二 二 七 ― 一 三 一 二 ) の 『 沙 石 集 』 巻 一 之 一 「 太 神 宮 之 御 事 」 の 次 の 一 文 に 着 目 す る 。*6 都 て は 大 日 の 印 文 よ り 興 り て 、 内 宮 ・ 外 宮 は 両 部 の 大 日 と こ そ 申 し 侍 れ 。 天 の 岩 戸 と 云 ふ は 都 率 天 り 。 た か ま の 原 と も 申 す 。 神 の 代 の 事 、 皆 よ し あ る に こ そ 。 真 言 の 意 に は 、 都 率 を ば 内 証 の 法 界 宮 ・ 密 厳 国 と こ そ 申 す な れ 。 か の 内 証 の 都 を 出 で て 、 日 域 に 跡 を 垂 れ ま し ま す 。 か か る が 故 に 、 内 宮 は 胎 蔵 界 の 大 日 、 四 重 の 曼 荼 羅 を か た ど り て 、 玉 垣 ・ 瑞 垣 ・ 荒 垣 な ど 度 々 に 、 か つ を 木 も 九 つ あ り 。 胎 蔵 の 九 尊 を か た ど る 。 外 宮 は 金 剛 界 の 大 日 、 或 い は 、 阿 弥 陀 と も 習 い 侍 る な り 。 さ れ ど も 金 剛 の 五 智 に か た ど る に や 、 月 輪 も 五 つ あ り 。 金 胎 両 部 と 陰 陽 に 主 る 時 、 陰 は 女 、 陽 は 男 な る 故 に 胎 に は 八 葉 を 形 ど り て 、 八 乙 女 と て 八 人 あ り 。 金 は 五 智 に 主 り て 、 五 人 の 神 楽 人 と 言 へ る は こ の 故 な り 右 記 に は 、 伊 勢 神 宮 の 「 両 宮 」 と 真 言 の 「 両 界 」 を 習 合 し た 記 述 が 見 受 け ら れ る 。 久 保 田 展 弘 氏 は 、 『 沙 石 集 』 の 記 事 が 伊 勢 神 宮 *7 の 内 宮 と 外 宮 を 真 言 の 金 剛 界 ・ 胎 蔵 界 に 当 て は め た 、 習 合 思 想 に つ い て 記 す 最 初 の 文 献 で あ る と 位 置 付 け て い る 。 『 沙 石 集 』 の こ の 記 事 が 、 習 合 思 想 を 記 す 最 初 の 記 事 で あ る な ら ば 、 無 住 は 、 如 何 に し て 、 こ れ ら の 思 想 を 知 る 事 が 出 来 た の で あ ろ う か 。 ま た 、 こ の よ う な 思 想 は 、 ど の よ う な 過 程 を 経 て 形 成 さ れ て い っ た も の で あ っ た の か と い う 疑 問 が 表 出 す る 。 こ の 疑 問 を 解 決 す る 手 掛 か り と な る の が 、 重 源 率 い る 東 大 寺 衆 徒 の 伊 勢 参 宮 で あ り 、 東 大 寺 大 仏 殿 に 造 ら れ た 「 両 界 堂 」 で は な い か と 考 え 、 重 源 の 「 両 界 堂 」 か ら 無 住 『 沙 石 集 』 の 記 述 に 至 る 過 程 の 考 察 を 行 う 。 第 二 章 で は 、 重 源 の 『 南 無 阿 弥 陀 仏 作 善 集 』 に 記 さ れ て い る 、 重 源 の 善 光 寺 で の 舎 利 感 得 話 と 、 光 明 皇 后 が 、 法 華 寺 の 修 善 に 際 し 、 或 人 の 夢 中 で 御 礼 を 述 べ た と い う 二 点 の 夢 告 に 着 目 す る 。 そ れ は 、 数 あ る 夢 告 や 霊 験 に つ い て は 、 一 切 記 さ な い 『 南 無 阿 弥 陀 仏 作 善 集 』 が 、 他 の 資 料 で 確 認 出 来 な い 二 点 の 夢 告 を 記 す に は 、 そ れ 相 応 の 理 由 が 存 在 す る と 考 え た た め で あ る 。 こ の 二 点 の 夢 告 を 考 察 す る

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に 当 た り 、 東 大 寺 再 建 事 業 中 に 、 伊 賀 別 所 と し て 存 在 し 、 後 に 「 新 大 仏 寺 」 と 呼 ば れ る 場 所 に 手 が か り を 求 め た 。 そ れ は 、 「 新 大 仏 寺 」 と い う 名 が 示 す よ う に 、 瓦 に 「 東 大 寺 」 と 刻 印 す る な ど 、 他 の 別 所 と は 、 一 線 を 画 す 存 在 で あ る と 考 え た か ら で あ る 。 第 三 章 で は 、 四 十 八 巻 本 『 法 然 上 人 行 状 画 図 』 に 記 さ れ る 四 点 の 重 源 の 記 事 に 着 目 す る 。 こ の 四 点 は 、 何 れ も 、 東 大 寺 や 重 源 側 の 資 料 で は 確 認 出 来 な い 、 『 法 然 上 人 行 状 画 図 』 独 自 の 記 述 で あ る 。 こ の 記 事 を 考 察 す る こ と に よ り 、 重 源 の 享 受 の 一 過 程 の み な ら ず 、 こ の よ う な 独 自 記 述 を 記 さ な け れ ば な ら な か っ た 専 修 念 仏 教 団 の 立 場 も 垣 間 見 え る と 考 え る 。 同 時 に 、 東 大 寺 再 建 事 業 が 、 専 修 念 仏 教 団 に 与 え た 影 響 な ど も 究 明 出 来 る も の と 考 え る 。

殿

本 節 で は 、 東 大 寺 再 建 と い う 偉 業 の 特 に 伊 勢 参 宮 と 東 大 寺 大 仏 殿 内 に 造 ら れ た 「 両 界 堂 」 の 関 係 に 注 目 す る 。 重 源 が 南 都 炎 上 の 翌 年 で あ る 養 和 元 年 ( 一 一 八 一 ) 八 月 に 記 し た 『 東 大 寺 勧 進 上 人 重 源 敬 白 』 が 、*8 東 大 寺 勧 進 上 人 重 源 敬 白 請 特 蒙 十 万 檀 那 助 成 任 糸 綸 旨 終 土 木 功 修 補 佛 像 造 営 作 堂 宇 状 右 当 伽 藍 者 、 軼 雲 雨 於 天 、 半 有 棟 甍 之 竦 擢 、 佛 法 恢 弘 之 精 舎 、 神 明 保 護 之 霊 地 也 、 原 夫 聖 武 天 皇 発 作 治 之 叡 願 、 行 基 菩 薩 表 知 識 之 懇 誠 、 加 之 、 天 照 太 神 出 両 国 之 黄 金 、 採 之 奉 塗 尊 像 、 菩 提 僧 正 渡 万 里 之 蒼 海 、 啒 之 令 開 佛 眼 、 彼 北 天 竺 八 十 弥 勒 菩 薩 現 光 明 於 毎 月 之 斉 日 、 此 東 大 寺 十 六 盧 遮 那 佛 施 利 益 於 数 代 之 聖 朝 、 以 彼 比 此 、 此 猶 卓 然 、 是 以 代 々 国 王 尊 崇 無 他 ( 以 降 省 略 )

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東 大 寺 の 大 仏 に 塗 ら れ た 黄 金 と ア マ テ ラ ス に つ い て 記 し 、 大 仏 と ア マ テ ラ ス の 関 係 を 示 唆 し て い る 記 事 で あ る 。 こ れ は 、 『 東 大 寺 要 録 』 が 、*9 大 神 宮 祢 宣 延 平 日 記 云 。 天 平 十 四 年 十 一 月 三 日 。 右 大 臣 正 二 位 橘 朝 臣 諸 兄 。 為 勅 使 参 入 伊 勢 大 神 宮 。 天 皇 御 願 寺 可 被 建 立 之 由 。 所 被 祈 也 。 爰 件 勅 使 帰 参 之 後 。 同 十 一 月 十 五 日 夜 。 示 現 給 布 帝 皇 御 前 玉 女 坐 。 而 放 金 光 底 宣 久 。 当 朝 神 国 。 尤 可 奉 欽 仰 神 明 給 也 。 而 日 輪 者 大 日 如 来 也 。 本 地 者 盧 舎 那 仏 也 。 衆 生 者 悟 解 此 理 。 当 帰 依 仏 法 也 止 云 布 。 御 夢 給 之 後 。 弥 堅 固 御 道 心 発 給 。 始 企 件 御 願 寺 給 也 。 謂 東 大 寺 是 也 。 巳 上 証 記 文 と 記 し て い る こ と に 依 る 。 こ の 記 事 は 、 東 大 寺 創 建 時 で あ る 天 平 十 四 年 ( 七 四 二 ) に 、 橘 諸 兄 ( 六 八 四 ― 七 五 七 ) が 、 東 大 寺 建 立 を 祈 願 す る た め に 、 伊 勢 神 宮 に 勅 使 と し て 参 宮 し た 記 事 で あ る 。 重 源 の 東 大 寺 再 建 時 に 、 こ の よ う な 大 仏 を ア マ テ ラ ス と 関 連 付 け る 思 想 が 存 在 し た の で あ れ ば 、 大 仏 殿 内 に 造 営 さ れ た 「 両 界 堂 」 も 伊 勢 神 宮 の 「 両 宮 」 を 意 識 し た 存 在 と 考 え る こ と も 可 能 で あ る 。 「 両 界 堂 」 と は 、 東 大 寺 が 創 建 さ れ た 時 に も 、 元 禄 時 代 に 再 建 さ れ た 時 に も 存 在 し な い 鎌 倉 再 建 独 自 の 御 堂 で あ る 。 し か し な が ら 、 「 両 界 堂 」 は 現 存 し て お ら ず 、 形 式 を 知 る に は 、 醍 醐 寺 収 蔵 の 図 1 の 「 東 大 寺 大 仏 殿 図 」 に 頼 る し か な い の で あ る 。 図 1 東 大 寺 大 仏 殿 図 『 東 大 寺 大 仏 殿 図 』 に よ る と 、 大 仏 の 右 側 ( 東 ) に 金 剛 界 堂 、 左 側 ( 西 ) に 胎 蔵 界 堂 が 配 さ れ て い る 。 こ の *10 図 は 、 弘 安 七 年 ( 一 二 八 五 ) に 東 大 寺 内 で 隆 済 な る 人 物 に よ っ て 記 さ れ 、 そ の 後 、 醍 醐 寺 に 収 蔵 さ れ た も の *11 で あ る 。 藤 井 恵 介 氏 は 、 隆 済 ( 生 没 年 未 詳 ) と 言 う 名 を 、 東 大 寺 ・ 醍 醐 寺 双 方 の 史 料 に 見 い だ す 事 が 出 来 ず *12 『 大 仏 殿 図 』 の 制 作 意 図 も 明 ら か で は な い 。 し か し 、 施 主 や 仏 師 に つ い て の 記 述 が 多 い こ と か ら そ れ ら を 記 録 す る た め に 作 成 さ れ た の で は な い か と 推 測 し 、 重 源 再 建 の 東 大 寺 大 仏 殿 に 関 す る 最 も 古 い 図 と し て 重 要 視 し て い る 。 こ の 「 両 界 堂 」 と は 、 金 剛 界 ・ 胎 蔵 界 と い う 名 が 示 す 通 り 両 界 曼 荼 羅 ( 金 剛 界 曼 荼 羅 ・ 胎 蔵 界 曼 荼 羅 ) を 安 置 す る た め の 御 堂 で あ る 。 し か し な が ら 重 源 の 『 南 無 阿 弥 陀 仏 作 善 集 』 に は 、 「 両 界 堂 二 宇 奉 安 置 勤 修 長 *13 八 代 祖 師 御 影 」 と 「 両 界 堂 」 に 八 代 祖 師 の 御 影 を 安 置 し て い た こ と の み が 記 さ れ 、 両 界 曼 荼 羅 に つ い て の 記 載 は 見 日 供 養

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受 け ら れ な い 。 こ の こ と に 関 し て 藤 井 氏 は 、*14 本 尊 の 西 面 と 東 面 を そ れ ぞ れ 曼 荼 羅 に 見 立 て て い る の で あ る 。 し た が っ て 、 そ れ ぞ れ の 堂 は 本 来 曼 荼 羅 が 掛 け ら れ る べ き 正 面 に 壁 が な く 、 そ こ か ら 直 接 本 尊 毘 盧 舎 那 仏 を 覗 き こ め る よ う に な っ て い た 。 即 ち 、 大 仏 自 身 が 金 剛 界 の 大 日 如 来 で あ り 、 胎 蔵 界 の 大 日 如 来 で あ る た め に 曼 荼 羅 は 安 置 し て い な か っ た と し て い る 。 し か し 、 本 *15 来 大 仏 は 、 真 言 教 主 で あ る 大 日 如 来 で は な く 、 華 厳 教 主 で あ る 盧 舎 那 仏 と し て 造 ら れ た も の で あ る 。 こ の 事 に 関 し て 横 内 裕 人 氏 は 、*16 「 創 建 時 の 華 厳 経 主 と し て の 盧 舎 那 仏 と は 、 か け 離 れ た 解 釈 が な さ れ て い た 」 と し 、 そ の 根 拠 と し て 願 文 を 挙 げ て い る 。 重 源 は 願 文 の 中 で 大 仏 を 「 大 毘 盧 舎 那 仏 」 と 称 し て お り 、 明 ら か に 真 言 密 教 の 〈 大 毘 盧 舎 那 仏 = 大 日 如 来 〉 を 意 識 し た 表 現 で あ る こ と を 指 摘 し て い る 。 『 東 大 寺 具 書 』 に 、 *17 倩 惟 一 十 六 丈 之 盧 舎 那 者 。 即 是 両 部 不 二 之 曼 荼 羅 也 。 彼 大 日 如 来 之 神 託 非 本 迹 理 智 之 冥 合 哉 。 故 不 安 余 本 尊 拝 一 佛 於 東 西 。 無 交 他 行 法 修 両 界 於 左 右 。 為 叶 本 願 叡 念 。 永 企 顕 密 佛 事 之 旨 。 勅 宣 已 指 掌 者 哉 。 蓋 皇 帝 建 立 之 密 意 。 専 寺 起 絶 之 奇 持 。 高 祖 法 流 之 口 決 。 勝 賢 僧 正 之 指 授 也 。 と い う 記 述 が あ る 。 こ の 記 述 は 、 大 仏 ( 大 日 如 来 ) が 両 部 ( 金 剛 界 ・ 胎 蔵 界 ) の 曼 荼 羅 で あ り 、 理 智 の 冥 合 で あ る と い う 文 言 よ り 始 ま り 、 そ の た め に 、 東 西 よ り 大 仏 を 拝 す る 旨 が 記 さ れ て い る 。 こ の 東 西 よ り 大 仏 を 拝 す る と い う 記 事 は 、 金 剛 界 堂 ・ 胎 蔵 界 堂 の 両 界 堂 の こ と で あ る 。 そ し て 傍 線 部 「 勝 賢 僧 正 之 指 授 也 」 と い う 一 文 に よ り 全 て は 、 重 源 の 独 断 で は な く 、 勝 賢 ( 一 一 三 八 ― 一 一 九 六 ) に よ り 指 導 さ れ た 事 柄 で あ る こ と も 確 認 出 来 る 。 勝 賢 は 、 信 西 ( 藤 原 通 憲 ・ 一 一 〇 六 ― 一 一 六 〇 ) の 息 子 で あ り 、 『 尊 卑 分 脈 』 に よ る と *18 一 族 は 興 福 寺 ・ 醍 醐 寺 ・ 東 大 寺 等 の 有 力 寺 院 に 縁 の あ る 者 が 多 く 、 勝 賢 自 身 も 、 醍 醐 寺 の 十 八 世 ・ 二 十 世 ・ 二 十 六 世 の 座 主 を 務 め て い る 。 『 東 南 院 務 次 第 』 に よ る と 勝 賢 は 、 *19 第 十 三 代 法 師 道 慶 ( 中 略 ) 文 治 五 年 七 月 十 五 日 夜 半 贈 下 可 レ 譲 二 於 院 醍 醐 勝 賢 僧 正 一 書 簡 于 俊 乗 上 人 上 、 只 持 二 衣 鉢 一 入 二 高 野 山 一 、 修 二 浄 業 一 而 終 、 文 治 五 年 ( 一 一 八 九 ) に 道 慶 か ら 東 南 院 座 主 を 譲 ら れ て い る 。 こ の 院 主 の 交 代 劇 を 藤 井 氏 は 不 自 然 で あ る と 述 べ 、 『 東 南 院 次 第 』 *20

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中 に も 俊 乗 上 人 と 名 が あ る こ と か ら も 、 背 後 に 重 源 の 姿 が 垣 間 見 ら れ る と し て い る 。 こ の よ う に 、 重 源 の 背 後 に は 勝 賢 が 、 勝 賢 の 背 *21 後 に は 重 源 の 影 が 見 え 隠 れ し て お り 、 重 源 の 東 大 寺 再 建 事 業 は 、 勝 賢 等 、 醍 醐 寺 縁 の 僧 の 影 響 が 無 視 出 来 な い と 考 え ら れ る 。

勝 賢 等 の 影 響 を 受 け た と 思 わ れ る 事 象 は 、 大 仏 を 大 日 如 来 に 見 立 て た こ と だ け で は な い 。 他 に 、 重 源 率 い る 東 大 寺 衆 徒 に よ る 伊 勢 神 宮 参 詣 が あ げ ら れ る 。 『 東 大 寺 衆 徒 伊 勢 大 神 宮 記 』 ( 以 降 『 大 神 宮 記 』 ) に よ る と 、 文 治 二 年 ( 一 一 八 六 ) ・ 建 久 四 年 ( 一 一 九 三 ) *22 ・ 建 久 六 年 ( 一 一 九 五 ) の 三 回 参 宮 し て い る 。 一 度 目 の 導 師 は 弁 暁 ( 一 一 三 七 ― 一 二 〇 〇 ) 、 二 度 目 は 勝 賢 、 三 度 目 は 外 宮 が 貞 慶 ( 一 一 五 五 ― 一 二 一 三 ) で 内 宮 が 明 遍 ( 一 一 四 二 ― 一 二 二 四 ) で あ っ た 。 し か し な が ら 、 貞 慶 の 法 楽 が 良 か っ た の で 、 急 遽 、 内 宮 も 貞 慶 が 行 う 事 と な る 。 『 大 神 宮 記 』 に は 、 貞 慶 の 法 楽 に つ い て 記 し た 後 に 、*23 貞 慶 、 重 被 勤 之 間 、 厳 重 不 思 議 非 一 。 雖 尓 、 不 注 之 。 説 法 最 中 、 光 明 赫 道 場 種 々 瑞 相 現 。 不 知 人 之 。 両 人 御 房 、 互 依 願 主 信 力 、 此 不 思 議 瑞 相 現 云 々 。 御 説 為 随 喜 喜 、 御 影 向 瑞 相 也 。 我 非 信 力 云 々 。 即 日 之 夕 、 聖 人 座 禅 眠 中 ニ 、 无 止 貴 女 来 、 聖 人 前 、 水 精 珠 二 果 授 与 □ 。 一 果 紅 薄 様 、 裹 之 。 一 果 白 薄 様 、 ② ① 〔 之 〕 裹 之 。 聖 人 、 問 云 。 是 、 誰 人 乎 。 答 云 。 吾 是 、 風 宮 也 云 々 。 夢 中 授 与 珠 、 覚 後 、 現 在 袖 上 。 捧 頂 上 、 帰 南 都 、 多 年 安 置 之 云 々 、 ② 件 珠 者 、 号 火 執 珠 ・ 水 取 珠 也 。 今 度 供 養 之 間 、 不 思 議 非 一 。 重 源 聖 人 、 申 貞 慶 聖 人 云 、 御 説 法 瑞 相 ハ 御 得 分 也 。 此 珠 ハ 私 得 分 也 。 と 貞 慶 の 法 楽 中 に 瑞 相 が 現 れ た こ と と 、 そ の 夜 に 、 重 源 が 夢 の 中 で 二 つ の 水 精 を 授 か っ た 話 を 記 し て い る 。 先 程 、 内 宮 ・ 外 宮 の 導 師 を 任 さ れ た 人 物 と し て 貞 慶 や 明 遍 の 名 を 挙 げ た が 、 導 師 に 選 出 さ れ て い る 人 物 は 、 醍 醐 寺 三 宝 院 に 縁 の あ る も の が 多 く 、 伊 藤 聡 氏 は 、 こ の 三 宝 院 流 は 宝 珠 に 関 す る 秘 説 を 多 く 担 う 流 派 で あ り 、 伊 勢 神 宮 に お け る 重 源 の 宝 珠 感 得 譚 も 、 そ の 背 景 に 三 宝 院 の 存 在 が あ っ た こ と を 『 土 公 抄 』 所 収 話 は 物 語 っ て い る と し て い る 。 『 土 公 抄 』 所 収 話 と は 、 次 の 「 定 範 法 印 取 持 玉 事 」 の こ と で あ る 。 『 大 神 宮 記 』 *24 *25 内 傍 線 部 ① の 重 源 が 感 得 し た の 二 果 の 水 精 に つ い て 『 土 公 抄 』 で は 、

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師 云 定 範 法 印 相 伝 ノ 玉 二 有 之 。 件 ノ 玉 大 佛 聖 人 俊 乗 房 所 持 玉 也 。 彼 聖 人 年 来 参 詣 大 神 宮 ニ 一 。 或 夜 於 二 宝 前 夢 見 之 様 有 人 。 玉 二 持 来 与 之 也 。 是 取 火 珠 取 水 珠 也 云 云 。 夢 醒 テ 見 之 実 也 。 一 果 ヲ 紅 薄 様 裹 レ 之 、 一 果 ヲ ハ 八 十 色 薄 様 ニ 畏 之 上 人 秘 蔵 年 来 令 持 之 。 而 故 覚 洞 院 与 二 聖 人 一 契 約 不 浅 上 人 早 世 之 時 必 可 レ 渡 二 僧 正 ニ 一 之 由 令 申 之 処 、 僧 正 先 立 他 界 之 刻 任 遺 言 渡 定 範 一 了 定 範 又 年 来 本 尊 弥 勒 御 ケ リ 。 此 両 ヶ 取 当 初 於 東 南 院 申 置 子 細 有 之 歟 間 自 仁 和 寺 御 室 道 深 定 範 頓 滅 之 時 故 僧 正 許 可 沙 汰 進 之 由 被 仰 之 間 被 進 了 云 々 。 伊 勢 に て 感 得 し た 宝 珠 を 、 重 源 は 死 後 、 勝 賢 に 譲 る は ず で あ っ た が 、 重 源 よ り も 勝 賢 の 方 が 先 に 他 界 し て し ま っ た た め に 、 定 範 の 手 に 渡 り 最 終 的 に 成 賢 の 許 に 落 ち 着 い た と 記 し て い る 。 傍 線 部 ② が 記 す よ う に 、 水 精 は 火 ・ 水 を 表 し 、 そ れ を 東 大 寺 に 安 置 す る 。 こ の *26 二 果 の 宝 珠 が 「 両 宮 」 を 表 し て い る の な ら ば 、 最 初 に も 記 し た よ う に 、 「 両 宮 」 と 「 両 界 堂 」 と を 結 び つ け て 考 え ら れ て い た と も 思 わ れ る 。 伊 勢 神 宮 と 水 と 火 に つ い て 『 仙 宮 院 秘 文 』 で は 、 *27 伊 勢 内 外 両 宮 ハ 、 則 チ 大 千 世 界 ノ 本 主 、 八 百 万 神 等 ノ 乃 最 貴 也 。 ( 中 略 ) 応 化 之 状 、 謂 天 照 坐 皇 太 神 、 則 胎 蔵 界 ノ 地 曼 荼 羅 。 御 形 ノ 文 図 、 五 行 ノ 中 ノ 火 輪 、 即 独 鈷 形 坐 也 。 豊 受 皇 太 神 、 則 金 剛 界 天 曼 荼 羅 。 御 形 文 ノ 図 、 五 行 中 ノ 水 輪 。 五 智 位 故 、 有 二 五 月 輪 一 也 。 の よ う に 、 両 宮 を そ れ ぞ れ 、 火 と 水 に 当 て は め る 思 想 を 記 し て い る 。 伊 藤 聡 氏 が 、*28 『 中 臣 祓 訓 解 』 以 下 の 仙 宮 院 関 連 の 諸 書 の 成 立 に は 、 重 源 及 び 東 大 寺 衆 徒 の 参 宮 が 関 係 し て い た が 、 重 源 の 周 辺 の 人 物 が 神 宮 周 辺 で 、 両 宮 即 胎 金 両 部 説 を 踏 ま え た と 思 し き 法 会 を 行 っ て い る 。 そ れ は 、 重 源 と 同 じ く 高 野 山 の 勧 進 聖 だ っ た 法 華 房 鑁 阿 ( ? ― 一 二 〇 七 ) で 、 狭 山 池 修 復 に お い て も 、 重 源 と と も に 名 を 連 ね て い る 人 物 で あ る 。 彼 は 、 寿 永 二 年 ( 一 一 八 三 ) 十 月 二 十 二 日 の 官 宣 旨 案 に よ る と 、 高 野 山 大 塔 再 建 の た め に 、 「 於 伊 勢 豊 受 度 会 二 宮 、 修 長 日 大 日 護 摩 二 壇 」 を 企 画 し て い る 。 断 定 は で き な い が 、 こ れ が 伊 勢 両 宮 を 胎 金 両 部 に 重 ね た 修 法 だ っ た 可 能 性 が あ る 。 と 、 『 中 臣 祓 訓 解 』 を 初 め と す る 『 仙 宮 院 秘 文 』 等 が 、 重 源 周 辺 で 成 立 し た 可 能 性 を 示 唆 し て い る よ う に 。 「 両 宮 」 を 表 す 水 と 火 *29 の 宝 珠 を 、 東 大 寺 に 安 置 す る と い う こ と は 、 伊 勢 神 宮 の 「 両 宮 」 と 「 両 界 」 を 習 合 し て 考 え る こ と も 可 能 で あ る 。

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本 節 で は 、 具 体 的 に 「 両 宮 」 と 「 両 界 」 の 関 係 を 明 確 に 表 現 し た 人 物 と し て 叡 尊 ( 一 二 〇 一 ― 一 二 九 〇 ) に 着 目 す る 。 叡 尊 は 、 『 西 大 勅 謚 興 正 菩 薩 行 実 年 譜 』 に よ る と 、 文 永 十 年 ( 一 二 七 三 ) ・ 文 永 十 二 年 ( 一 二 七 五 ) ・ 弘 安 三 年 ( 一 二 八 〇 ) の 三 度 、 伊 勢 に 参 宮 し て い る 。 何 れ も 、 元 を 退 け る た め の 院 宣 に よ る も の で あ る 。 注 目 す べ き は 、 三 度 目 の 参 宮 の 際 に 、 「 又 奉 二 神 勅 一 建 二 立 弘 正 寺 一 。 安 *30 二 置 金 胎 大 日 一 。 以 為 二 内 宮 両 宮 本 地 院 一 矣 」 と 、 弘 正 寺 を 建 立 し 、 金 剛 界 ・ 胎 蔵 界 の 大 日 如 来 を 内 外 両 宮 の 本 地 院 と し て 安 置 し た こ と で あ る 。 こ れ は 明 ら か に 「 両 界 」 と 「 両 宮 」 を 習 合 さ せ た 寺 院 で あ る 。 し か も 、 こ の 弘 正 寺 は 伊 勢 に 造 ら れ た の で あ る 。 ま た 、 三 度 目 の 参 宮 後 、 西 大 寺 蔵 の 「 伊 勢 神 宮 御 正 体 」 な る も の を 製 作 し て い る 図 2 【 黒 漆 大 神 宮 御 正 体 厨 子 】*31 図 2 ― ① 「 内 宮 ・ 白 銅 鏡 」 図 2 ― ② 「 仏 眼 種 子 曼 荼 羅 」 図 2 ― ③ 「 胎 蔵 界 曼 荼 羅 」 図 2 ― ④ 「 戸 帳 」 図 2 ― ⑦ 「 金 剛 界 曼 荼 羅 」 図 2 ― ⑧ 「 戸 帳 」 図 2 ― ⑤ 「 外 宮 ・ 白 銅 鏡 」 図 2 ― ⑥ 「 愛 染 種 子 曼 荼 羅 」

(23)

「 伊 勢 神 宮 御 正 体 」 に つ い て 簡 単 に 述 べ る と 、 胎 蔵 界 を 表 す 種 子 曼 荼 羅 の 奥 に は 内 宮 を 表 す 白 銅 鏡 が 、 金 剛 界 を 表 す 種 子 曼 荼 羅 の *32 奥 に は 外 宮 を 表 す 白 銅 鏡 が 安 置 さ れ 、 そ れ ぞ れ の 白 銅 鏡 の 奥 に は 、 仏 眼 種 子 曼 荼 羅 ( 内 宮 ) 、 愛 染 種 子 曼 荼 羅 ( 外 宮 ) が 配 さ れ て い る 。 何 故 、 伊 勢 神 宮 の 御 正 体 と 判 明 し た か は 、 厨 子 内 に 納 入 文 書 が あ っ た た め で あ る 。 納 入 文 書 は 八 通 あ り 、 ( ※ 題 名 の み 記 す ) *33 一 ( 奥 書 〕 文 永 五 年 三 月 廿 七 日 令 記 之 睿 尊 二 伊 勢 大 神 宮 参 詣 記 と 思 わ れ る も の 〔 奥 書 〕 文 永 十 年 酉 四 月 十 一 日 記 之 金 剛 佛 子 叡 尊 癸 三 伊 勢 大 神 宮 参 詣 記 ( 性 海 記 ) 〔 巻 首 〕 弘 安 三 年 庚 辰 三 月 十 七 日 未 刻 衆 僧 相 共 参 内 宮 歳 次 四 〔 表 題 〕 □ 伊 勢 □ 夢 想 記 端 書 「 行 基 菩 薩 御 参 宮 記 」 五 〔 表 題 〕 大 神 宮 啓 白 文 弘 法 大 師 自 高 野 送 遷 之 六 〔 巻 首 〕 興 正 菩 薩 之 事 □ □ □ 七 〔 巻 末 〕 天 平 勝 宝 此 大 炊 天 皇 之 代 暦 別 之 刻 奉 鋳 佛 像 令 安 東 大 寺 舎 那 如 来 也 八 全 く 不 明 こ の 中 の ( 三 ) は 、 文 永 十 年 に 叡 尊 と 共 に 伊 勢 神 宮 に 参 詣 し た 弟 子 の 性 海 ( 生 没 年 未 詳 ・ 鎌 倉 時 代 ) に よ り 書 か れ た も の で あ る が 、 他 の 文 書 同 様 に 、 損 傷 が 酷 く 文 書 の 内 容 は 読 解 出 来 な い 。 し か し な が ら 「 伊 勢 神 宮 御 正 体 」 な ど は 、 叡 尊 が 「 両 界 」 と 「 両 宮 」 を 習 合 し て い た こ と を 示 す 証 拠 と な る 理 由 と 考 え る 。 叡 尊 は 、 重 源 と 共 に 伊 勢 に 参 宮 し た 、 貞 慶 も 意 識 し て い た 節 が あ る 。 そ こ で 、 少 し 貞 慶 に つ い て 触 れ て お く 。 『 笠 置 寺 縁 起 』 に よ る と 、 *34 後 鳥 羽 院 勅 宣 解 脱 上 人 貞 慶 当 寺 上 人 号 依 為 勅 任 則 笠 置 上 人 申 也 般 若 台 院 六 角 堂 御 造 立 御 年 四 十 歳 建 久 五 年 甲 寅 八 月 三 日 辛 卯 上 棟 也 。 彼 堂 供 養 之

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前 日 、 伊 勢 太 神 宮 御 参 詣 之 処 、 親 於 内 宮 神 前 、 忝 御 神 御 姿 御 感 得 云 々 。 則 六 角 堂 内 陣 厨 子 御 奉 納 也 。 中 尊 者 釈 迦 牟 尼 如 来 春 日 大 明 神 御 本 地 。 彼 御 厨 子 六 面 大 般 若 経 各 自 巻 宛 紺 地 金 泥 十 二 本 と 記 さ れ て い る 。 貞 慶 の 参 宮 の 年 が 、 重 源 と の 参 宮 の 前 年 で あ る 建 久 五 年 ( 一 一 九 三 ) 八 月 三 日 の 堂 供 養 の 前 日 と あ り 、 そ の 時 に 得 た 、 大 神 宮 の 御 影 を 六 角 堂 内 に 祀 っ た と し て い る 。 こ の 六 角 堂 の 性 格 に つ い て 近 本 謙 介 氏 は 、 「 六 角 堂 は 貞 慶 の 信 仰 形 態 の 総 体 と も *35 い う べ き 体 の 成 し た 場 と 言 い 得 る 」 と し 、 同 時 に 、 「 天 照 大 神 勧 請 に よ る 勅 封 と い っ た 点 か ら も 、 決 し て 私 的 な 信 仰 の 場 と い う 範 疇 に 収 ま る も の で は な い 」 と 述 べ て い る 。 『 南 無 阿 弥 陀 仏 作 善 集 』 に も 笠 置 寺 に 関 す る 記 載 が あ る 。 『 南 無 阿 弥 陀 仏 作 善 集 』 に よ る と 、 *36 笠 置 寺 般 若 台 / 奉 施 入 唐 本 大 般 若 一 部 鐘 一 口 / 白 檀 釈 迦 像 一 体 聖 武 天 皇 御 本 尊 也 。 重 源 が 笠 置 寺 に 梵 鐘 と 般 若 経 を 奉 納 し て い る 。 こ の 奉 納 に つ い て も 、 近 本 氏 は 、 「 般 若 台 の 担 う 意 味 が 小 さ か ら ざ る も の と し て さ ら に 強 く 印 象 付 け ら れ る 」 と 述 べ て い る 。 そ れ は 、 聖 武 天 皇 の 本 尊 で あ る 白 檀 の 釈 迦 像 を 奉 納 し て い る 事 か ら も 読 み 取 れ る 。 近 藤 喜 博 *37 氏 は 、 伊 勢 神 宮 の 御 影 を 笠 置 寺 の 六 角 堂 内 に 安 置 し た と い う 事 が 叡 尊 の 伊 勢 神 宮 御 正 体 に 影 響 を 与 え た の で は な い か と 述 べ な が ら 、 *38 六 角 堂 に 厨 子 を 安 置 し た と い う 話 は 、 貞 慶 の 死 後 に 伝 え ら れ た も の と し て お り 信 憑 性 に や や 欠 け る と 言 及 し て い る 。 し か し 、 こ の よ う な 伝 承 が 、 叡 尊 の 頃 に は 事 実 と し て 信 じ ら れ て い た と 推 測 出 来 、 少 な く と も 貞 慶 に 伝 承 が 語 ら れ る だ け の 信 仰 が 存 在 し 、 笠 置 寺 六 角 堂 と い う 空 間 が 与 え た 影 響 の 大 き さ も 根 底 に 存 在 し て い た と 考 え る 。 先 程 、 叡 尊 が 貞 慶 を 崇 拝 し て い た 節 が あ る と 述 べ た が 、 そ れ は 、 叡 尊 が 、 貞 慶 の 弟 子 で あ る 戒 如 ( 生 没 年 未 詳 ・ 鎌 倉 時 代 ) に 弟 子 入 り し て い る こ と と 、 弘 安 三 年 ( 一 二 八 〇 ) 『 西 大 寺 有 恩 過 去 帳 』 内 で 貞 慶 を *39 当 寺 本 願 称 徳 天 皇 奉 始 神 武 天 皇 代 々 陛 下 聖 霊 □ □ □ 前 法 務 大 僧 正 律 法 興 行 本 願 貞 慶 上 人 と 記 し 、 『 関 東 往 還 記 』 の 裏 書 き 『 表 無 表 色 章 血 脉 相 承 次 第 』 に は 「 貞 慶 上 人 笠 置 ― 戒 如 上 人 知 足 房 ― 覚 盛 ― 叡 尊 」 と い う 系 譜 を *40 作 成 し て い る 事 か ら も 、 叡 尊 が 貞 慶 を 意 識 し て い た こ と は 明 ら か で あ る 。 ま た 、 『 金 剛 佛 子 叡 尊 感 身 学 正 記 』 建 長 二 年 ( 一 二 五 〇 ) の

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