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伊勢斎宮形成過程に関する一考察 -8世紀から9世紀の伊勢斎宮-

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(1)

2014年度修士論文

伊勢斎宮形成過程に関する一考察

8

世紀から

9

世紀の伊勢斎宮-

三重大学大学院人文社会科学研究科 地域文化論専攻 地域社会文化論専修

112M207

脇田 大輔

(2)

目次

はじめに

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

1

章 斎宮土器の編年と基準資料

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

1

節 研究史

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

2

節 斎王制度存続期における都城の土器変遷

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7

3

節 斎宮土器の私案編年と基準資料

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15

4

節 斎宮における土器の変化

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19

2

章 土師器供膳具の分布からみた斎宮

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23

1

節 斎宮の遺構変遷に関する研究史

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23

2

節 各時期の土師器の分布

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32

3

章 伊勢斎宮形成過程の考察

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47

1

節 方格地割造営前夜の斎宮

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47

2

節 斎王制度の変遷

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48

3

節 古道の廃絶をめぐる考察

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50

4

節 方格地割内の規格性をもつ建物遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53

5

節 史跡東部における斎宮の成立過程

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57

おわりに

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・66

参考文献

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・68

巻末資料

私案編年基準資料実測図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・71

私案編年の時期別土器出土遺構表

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90

(3)

図版・表目次

図版

1

土器の部分名称図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7

2

飛鳥Ⅳ~Ⅴ、平城宮Ⅰ~Ⅲの坏

A・皿A・椀A・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8

3

平城宮Ⅳ~Ⅴから長岡京期=平安京Ⅰ期中段階・新段階の坏

A・皿A・椀A・・・9~10

4

平安京Ⅱ期古・中・新段階の坏

A・皿A・椀A・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11

5

平安京Ⅲ期古・中・新段階の坏

A・皿A・椀A・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12

6

平安京Ⅳ期古・中・新段階の坏

A・皿A・椀A・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13

7

平安京Ⅴ期古・中・新段階の坏

A・皿A・椀A・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14

8

平安京Ⅵ期古・中段階の坏

A・皿A・椀A・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14

9

史跡斎宮跡調査地図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24

10

推定初期斎宮遺構図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25

11

鍛冶山西区画

2000

編年Ⅰ‐4 期(785~820 年)遺構図

・・・・・・・・・・・・・・・・27

12

内院区画遺構変遷案

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28

13

西加座南区画遺構図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29

14

西加座北区画遺構図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30

15

下園東区画遺構図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31

16

八脚門(上)と木葉山西区画遺構図(下)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31

17

出土土器時期別分布図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35~45

18

古道の調査地点

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51

19

西加座北区画の「寮庫」推定遺構配置図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54

20

下園東区画の「寮庫」推定遺構配置図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・55

21

西加座南区画の「神殿」推定遺構配置図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57

22

内院区画及び方格地割形成の変遷私案

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60

23

私案Ⅰ‐7 期以前方格地割・内院区画変遷私案図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・61

24

私案Ⅰ‐7 期方格地割・内院区画変遷私案図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・62

25

私案Ⅱ‐1‐1 期方格地割・内院区画変遷私案図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・63

26

私案Ⅱ‐1‐2 期方格地割・内院区画変遷私案図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・64

1

斎宮十二司と主な職務

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

2

中宮制度と主な職務

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

(4)

3

宮内省と主な職務

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

4

東宮坊と主な職務

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3

5 2014

編年

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6

6

私案編年・2000 編年対照表

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21

巻末資料・図版

巻末資料図

1

Ⅰ‐1 期基準資料

SB4743・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 71

巻末資料図

2

Ⅰ‐2 期基準資料

SB1615・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 72

巻末資料図

3

Ⅰ‐3 期基準資料

SB5632・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 73

巻末資料図

4

Ⅰ‐4 期基準資料

SK4749・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 74

巻末資料図

5

Ⅰ‐5 期基準資料

SK4497・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 74

巻末資料図

6

Ⅰ‐5 期基準資料

SK4498・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 75

巻末資料図

7

Ⅰ‐5 期基準資料

SK5102・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 76

巻末資料図

8

Ⅰ‐6 期基準資料

SK5072・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 77

巻末資料図

9

Ⅰ‐7 期基準資料

SK6225・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 78

巻末資料図

10

Ⅱ‐1‐1 期基準資料

SK6226・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 79

巻末資料図

11

Ⅱ‐1‐2 期~Ⅱ‐2‐1 期基準資料

SK6210・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 80

巻末資料図

12

Ⅱ‐2‐2 期基準資料離宮院出土土器

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 81

巻末資料図

13

Ⅱ‐2‐3 期基準資料

SK6030・SK1445・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 82

巻末資料図

14

Ⅱ‐2‐3 期基準資料

SK5200・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 83

巻末資料図

15

Ⅲ‐1 期古相・新相基準資料

SK1045・SK7430・・・・・・・・・・・・・・・・・84

巻末資料図

16

Ⅲ‐2 期基準資料

SK2650・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 85

巻末資料図

17

Ⅲ‐3 期基準資料

SX6666・SK7030・SK7040・・・・・・・・・・・・・・・・・・85

巻末資料図

18

Ⅳ‐1 期・Ⅳ‐2~3 期基準資料

SE4050

中層・SE4050 上層

・・・・・・・・・86

巻末資料図

19

Ⅴ‐1・2・3 期基準資料

SE2000・SK1730、SK1074

・SD3052

・・・・・・・・・87

巻末資料図

20

Ⅵ‐1~3 期基準資料

SD10118・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・88

巻末資料図

21

Ⅶ‐1~3 期基準資料

SK10114・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・89

巻末資料・表

巻末資料分布表

1

私案編年Ⅰ‐1 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90

巻末資料分布表

2

私案編年Ⅰ‐2 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90

巻末資料分布表

3

私案編年Ⅰ‐3 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 90

巻末資料分布表

4

私案編年Ⅰ‐4 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90

巻末資料分布表

5

私案編年Ⅰ‐5 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90~91

巻末資料分布表

6

私案編年Ⅰ‐6 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・91

巻末資料分布表

7

私案編年Ⅰ‐7 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・91~92

(5)

巻末資料分布表

8

私案編年Ⅱ‐1‐1 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・92

巻末資料分布表

9

私案編年Ⅱ‐1‐2 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・93

巻末資料分布表

10

私案編年Ⅱ‐2‐1 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・93

巻末資料分布表

11

私案編年Ⅱ‐2‐2 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・93~94

巻末資料分布表

12

私案編年Ⅱ‐2‐3 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・94~96

巻末資料分布表

13

私案編年Ⅲ‐1 期古相出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・96~97

巻末資料分布表

14

私案編年Ⅲ‐1 期新相出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・97~98

巻末資料分布表

15

私案編年Ⅲ‐2 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・98~99

巻末資料分布表

16

私案編年Ⅲ‐3 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100

巻末資料分布表

17

私案編年Ⅳ‐1 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100

巻末資料分布表

18

私案編年Ⅴ‐1 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・101

巻末資料分布表

19

私案編年Ⅴ‐2 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・101

巻末資料分布表

20

私案編年Ⅴ‐3 期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・101

巻末資料分布表

21

私案編年Ⅵ期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・101~103

巻末資料分布表

22

私案編年Ⅶ期出土遺構

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・103~104

(6)

はじめに

伊勢斎宮(以下、 「斎宮」 )とは、伊勢神宮に奉仕するために、都から派遣された未婚の皇 族女性である伊勢斎王(以下、 「斎王」 )の居住地であり、斎宮寮という役所であった。斎王 制度は、673 年の大来皇女から

1333

年の祥子内親王まで

660

年間存続し、基本的には天皇 一代に一人の斎王が選ばれた。

斎宮は、都城と比較すると様々な共通点がみられ、 「ミニ都城」とも言うべき特徴を備え ている。例えば、斎王の身の回りの世話や、斎宮の運営など実質的に斎王制度の運営を担っ ていた斎宮十二司は、

1

のように規定されている。名称及び想定される職務内容は、皇后 の内廷官司である中宮制度と近似している(表

2)。つまり斎王には、皇后に用意された中

宮と同等の役所が整備されたのである。また、中宮にみえる官司は、名称こそ異なるが、各々 が担う役割は天皇の内廷官司や、皇太子の内廷官司である東宮坊と近似する(表

3・4)

。以 上のことから、斎王には天皇・皇太子・皇后のための内廷官司に匹敵する役所が与えられて いたと言える。

次に施設面では、方格地割の存在が特徴的である。一区画約

120m四方の区画が造営され、

都城にみえる条坊と近似している【註

1】。

以上の点から、斎王・斎宮は、他の皇族と同等の役所を持ち、都城と近似する施設整備が なされていたことがわかる。また出土遺物に注目すると、土師器と須恵器の出土割合が都城 では約

7:3

であるのに対して、斎宮では約

9

割が土師器であり、土師器が卓越する点も共 通する。個々の土師器の特徴にも、都城と近似する要素が認められ、使用された土器に関し ても共通点を見出せるのである。

これまで斎宮では、紀年銘木簡などの文字資料の出土が皆無なため、遺物や遺構の実年代 を知ることが困難であったが、こういった土器の特徴から、斎宮の土器に実年代を与えるに は都城の土器との比較が有効であるという指摘もなされてきた(山中

2011)。また、現在、

報告書が提示する土器編年には、都城の土器型式の変遷から考えると従い難い点もあり、こ れまでも異論が唱えられている。

そこで本稿では、斎宮の土師器の中でも特に出土数が多い坏・皿・椀に注目し、都城の土 師器と比較することで、斎宮出土の一括資料に実年代を与え、拙稿(脇田

2012、以下「前稿 1」)で提示した私案編年の基準資料とすることで、編年案を完成させることを第一の目的と

する(以下、 「私案編年」) 。都城と斎宮に共通する要素や、土器の製作技法の共通点などか ら、筆者も斎宮と都城土器の比較が有効と考えるからである。

次に、斎宮成立期の

7

世紀後半から

9

世紀前半までの斎宮形成過程について再検討する ことを第二の目的とする。土器編年の再検討とは、発掘調査で確認された遺構の時期推定の 根拠を再検討することに他ならない。したがって、発掘成果から通説となっていることに関 しても再検討する必要がある。

これまでは、飛鳥時代及び奈良時代の土器は、史跡指定地の西部から出土することが多く、

1

(7)

当該期の斎宮の中心もその一帯にあったと言われてきた。そこで、私案編年を用いて、斎宮 跡における各時期の土器分布を確認する。私案編年は既存の土器編年よりも時期区分が細 分化されているため、より詳細な時期別の検討が可能になると考える。

また、文献史学による研究成果も援用しながら、考察を進めていきたい。

内侍司 後宮における天皇の日常生活に供奉 蔵司 天皇に常侍して神璽・関契を預かる 書司 図書や楽器の保管

薬司 診療を担当 兵司 兵器の保管

闈司 宮城諸門の鍵の保管と出納

殿司 殿舎及び行幸の際の諸施設の維持管理 掃司 宮中諸行事の設営を担当

水司 供御の水を扱う(飲料水)

膳司 食膳の調理担当 酒司 酒・酢の類を醸造 縫司 衣服の縫製

2

中宮制度と主な職務

大膳職 朝廷での会食の料理を担当 木工寮 土木建築を担当

大炊寮 諸国などの舂米を始め穀類を収納、現物のまま、又は炊飯して諸司に分給 主殿寮 殿舎及び行幸の際の諸施設の維持管理を担当

典薬寮 官人の医療を担当し医師らを養成

正親司 皇族の名簿を作製、季禄・時服の支給を担当 内膳司 天皇の食膳の調理を担当

造酒司 酒・酢の類を醸造

鍛冶司 金属器を鍛造。大同3年正月に木工寮に併合(三代格)

官奴司 官有の賤民を管理・使役。大同3年正月に主殿寮に併合(三代格)

園池司 宮内省直営の官田を除く皇室御料地や庭園を管理、供御の食品を生産 土工司 土工事一般

采女司 采女を管理。大同3年正月に中務省縫殿寮に併合(三代格)

主水司 供御の水を扱う 主油司 調の油脂を保管・分配

内掃部司 宮中諸行事の設営を担当。弘仁11年閏正月に大蔵省掃部司と統合

筥陶司 箱を調達する他、調の陶器類も監査。大同3年正月に大膳職に併合(三代格)

内染司 「供御の雑染」。大同3年正月に中務省縫殿寮に併合(官職秘抄)

3

宮内省と主な職務

舎人司 護衛・使節

蔵部司 財政管理 膳部司 調理 炊部司 米の分給 酒部司 酒の醸造 水部司 飲料水の確保 殿部司 雑事

薬部司 医療

掃部司 掃除・諸行事の設営 門部司 警備

馬部司 馬の管理 殿部司 雑事 薬部司 医療

掃部司 掃除・諸行事の設営 門部司 警備

馬部司 馬の管理

1

斎宮十二司と主な職務

2

(8)

【註】

1

) 『続日本紀』には

771

年(宝亀

2

年) 、

785

年(延暦

4

年)に斎宮を造らせたとみ られる記事がある。通説では、方格地割の造営は

785

年の紀作良によって行われたと される。

○庚子。遣鍛冶正従五位下気太王造斎宮於伊勢国。 (『続日本紀』宝亀

2

11

18

日 条)

○丁亥。従五位上紀朝臣作良為造斎宮長官。( 『続日本紀』延暦

2

4

23

日条)

舎人監 東宮舎人を監する 主膳監 皇太子の食膳を管する 主蔵監 皇太子の宝物や衣服を掌る 主殿署 皇太子の鋪設(設営)等を掌る

主書署 皇太子に書・薬等を供進することを掌る 主漿署 かゆ等を掌る

主工署 土木金属の工事を掌る 主兵署 兵器・儀仗を掌る 主馬署 馬・馬具を掌る

4

東宮坊と主な職務

3

(9)

第1章 斎宮土器の編年と基準資料

第1節 研究史

斎宮跡では、主に奈良時代から平安時代の土器が大量に出土しているにもかかわらず、そ の土器編年に関する研究は少ない。

最初に土器編年を提示したものとして、 『三重県斎宮跡調査事務所年報

1984

史跡斎宮 跡発掘調査概報』の「(付編)斎宮跡の土師器」が挙げられる。

1984

編年と呼ばれ、

2000

年 に改訂されるまで斎宮跡の土器及び遺構の実年代付与の基準とされた編年である。ここで は、土器の型式変化を捉える際、斎宮跡で出土する飛鳥時代から平安時代の土器の

90

%以 上が土師器であることから、その中でも出土量が特に多く、保存状態も比較的良好な坏・皿 類の形態・調整法・色調・胎土の変化に注目している。また、実年代については、木簡出土 が皆無であることと、墨書土器や文献上の記事から例証できるようなものが少ないことか ら、共伴する須恵器・灰釉陶器・緑釉陶器・山茶碗の年代観を参考とし、加えて平城京をは じめとした都城の研究成果との対比により設定したとする。その結果、奈良時代を前・中・

後期の

3

期に分類し、平安時代を初期・前Ⅰ・前Ⅱ・中・後Ⅰ・後Ⅱ・末期の

7

期に分類し た編年案を示した。

1984

編年が提示されて以来、発掘調査は史跡東部の方格地割内で多く実施されたことに より、奈良時代後期から平安時代の資料が増大した。さらに、土器の年代の参考とされた須 恵器・灰釉陶器・山茶碗等の生産地における実年代研究と、都城の土器の編年研究の進展な どを受けて、

2001

年に『斎宮跡発掘調査報告Ⅰ 内院地区の調査 本文編』 (以下『内院報 告書』)の中で

2000

編年を提示している。

2000

編年も、

「都城遺跡の土器変遷を核として須恵器・灰釉陶器・緑釉陶器等の生産地の動向も踏ま え、土師器の形態変遷を基軸にすえ、これまでの編年を補足・集成し、斎宮土器編年を 確立する」

としており、

1984

編年と同様の基準で作成されたことが分かる。

2000

編年は、現在も斎宮 跡の遺構・土器の実年代推定に用いられている【註

2

】。

このように、これまで斎宮の土器編年は、発掘調査を実施する斎宮発掘調査事務所及び斎 宮歴史博物館により示されてきた。しかし

2000

編年提示後、そこで想定された実年代を疑 問視する意見も挙がっており、記念シンポジウム「斎宮の土器・みやこの土器」では、都城 研究者の視点から斎宮の土器編年に検討が加えられている。

川越俊一氏は、藤原京と平城京出土土器の型式と実年代の関係を確認したうえで、斎宮出 土資料と比較した。斎宮は都城の土器型式でいう飛鳥Ⅳとの関連が想定されるとしながら

4

(10)

も、現在最古の基準資料として挙げられているSB

1615

基準資料に関しては、

7

世紀代の出土資料は極めて少なく、斎宮に先行するSB

1615

出土資料中に飛鳥Ⅳ ないし飛鳥Ⅴと推定される土師器がわずかに散見される程度である。 」

と述べ、

2000

編年においては大来皇女の時期まで遡る飛鳥Ⅳの資料に該当する土器群は現 状では確認できないと指摘している。また、SB

1615

出土品の主体が在地産の土師器であ ることと、その傾向が奈良時代まで続くこと、そして都城では平城Ⅳ以降省略される暗文が、

斎宮ではしばらく使用されていることから、斎宮ではもっぱら在地産の土師器が使用され たと述べる。しかし、奈良時代前半のSK

5102

では、法量による器種分化が認められるこ とから、

「斎宮での生活形態が平城京の影響から脱しえなかった、言い換えれば“みやこぶり”

の生活が営まれたことを物語るものであろう」

と述べた。以上のことから川越氏は、斎宮土器は「同一器形の法量による器種分化・規格化」

という“みやこ”の土器の影響下にありながらも、極めて独自性の強い展開をとげていると 結論づけた(川越

2000

)。

國下多美樹氏は、斎宮と長岡京の土器にみられる類似点として、➀土師器供膳具の占有率 が高いこと、②器種構成上、杯・皿・椀・高杯という基本的な供膳形態が存在すること、の

2

点を挙げる。②に関しては、個体ごとのフォームは異なるが、この組み合わせが成立して いる点に都城における型式変化と同様の歩みをしている可能性があるとする。相違点とし ては、➀煮沸具が伝統的な伊勢における諸形式を採用していること、②椀類を中心とした暗 文の多用、を挙げる。

2000

編年で長岡京期に相当する基準資料とされる斎宮Ⅱ‐

1

期(

785

820

年。

2000

編年の時期区分は「斎宮○-○期」と表記する)土器群と長岡京の土器を 比較した時、①特定の形式で併行関係を追える資料に須恵器壺Gがあること、②

c

手法【註

3

】が多用されていること、が共通するが、今後の課題として、斎宮編年にみえる

c

手法の 成立が都城例より遡る点は検討する必要があるとした(國下

2000

)。

小森俊寛氏は、平安京出土土器と斎宮出土土器の比較を試みたが、比較の前提となる

2000

編年における土師器食器類の型式編年での年代観に齟齬があると指摘している(小森

2000

)。

特に

8

世紀前半から

10

世紀初頭に位置づけられる各型式に対する推定年代は、都城や畿内 の土師器の型式編年を基準とした場合、斎宮側の年代観は数十年程度古く位置づけられて いるように見えるとする。ただし、土師器の個々の形態は斎宮の地域色を示すものが多数を 占めるので、単純に都城側の基準を準用すべきではないとしながらも、都城の土師器に類似 しているものが幾つか含まれるとしている。そして、類似する土師器を参考に、

2000

編年 の齟齬として、例えば斎宮Ⅰ‐

3

期(

730

775

年)は都城編年平安京Ⅰ期中段階(

780

810

年)と同型式とする。その根拠として斎宮Ⅰ‐

3

期基準資料に

c

手法の多様化が進んで いることを挙げている。これは都城側では長岡京期以降に主流となる手法であり、

2000

編 年のように奈良時代中頃に主流となるものではない。よって、都城より斎宮で技術が先行導 入されていない限り、有り得ない実年代である【註

4

】。

5

(11)

また、斎宮Ⅱ‐

1

期(

820

850

年)については、斎宮側ではそれまで見られなかった椀 Aが出土するとしているが、都城側の基準で見たとき、斎宮側の言う椀Aは坏の範疇に入る もので、形態的類品を求めるならば平安京Ⅰ期新段階以降に増加する黒色土器A類の無高 台杯が挙げられるとする。以上のような土師器の年代観で他の共伴土器をみると、須恵器な どの硬質で壊れにくい陶器や上級品は

1

2

世代程の期間にわたり使用されてきたとも考え られ、実際、平安京内でまとまって出土する緑釉陶器の中には古い時期のものも含まれる例 が多数を占めるという。このように、陶磁器類と土師器では搬入と廃棄のサイクルが基本的 なところで異なるので、注意が必要であると指摘している。

近年では山中章氏によって、

2000

編年の第Ⅰ期及びⅡ期の基準資料に付与される暦年代 を、都城の土器型式と比較しながら再検討がなされた(山中

2011

)。山中氏も再検討の結果、

2000

編年の各土器型式における暦年代は数十年単 位で古く設定されているとしている。そして、各基 準資料の暦年代を検討し、

「王権の中枢部における土器型式がほぼ古代 王権の代替わりごとに設定可能であるとす る研究成果がある以上、斎宮においても基本 的にこれを踏襲するべきと考える」

として、

2000

編年に代わる新たな時期区分とそ の根拠を述べている。この時期区分は、

2000

編年よりも細分化され、都城土器編年に近い形の ものとなっている。

以上のように、都城の研究者側の視点からは、

斎宮出土土器について、①在地産が主体であるが 都城の土器と類似するものがみられること、② 個々の形態的には在地色がみられるものが多い が、「法量の分化・規格化」といった点では都城 の流れを汲んでいる、といった点が見出されてい る。これによって都城の土器との比較から、斎宮 の土器に実年代を与えるのが有効であることが 明らかとなり、そのような視点で研究が始まった 状況にある。

その後、

2014

3

月に刊行された『斎宮跡発 掘調査報告Ⅱ 柳原区画の調査 遺構・遺構総括 編』 (以下『柳原報告書』 )の中で、

2000

編年の 編年区分と年代観を修正した新たな編年案と基 準資料が提示された(表

5

。以下、 「

2014

編年」 ) 。

5 2014

編年( 『柳原報告書』の 図面を参考に筆者が作成)

6

(12)

しかし、修正が加えられたのは、主に

2000

編年の第Ⅲ期の細分化と実年代の調整、第Ⅳ期 の追加などにとどまっている。つまり平安時代後期以降の編年を再検討しているに過ぎず、

2000

編年提示以降に都城研究者から齟齬を指摘された、平安時代前期以前の編年に関して は修正されていない。

以上、斎宮跡の土器編年に関する研究は、発掘調査に携わる斎宮歴史博物館を中心に編年 案と基準資料が提示され、その後は主に都城研究者によって様々な指摘がなされてきたと いう状況にある。けれども、そうした指摘に対して、一部の基準資料の実年代の再検討や編 年の時期区分の再設定などが行われることはあっても、すべての時期区分を再設定し、各区 分に基準資料を添えて提示した研究はこれまでなかった。

2000

編年は、その設定段階において都城の土器研究も参考にしたと明記されているが、

実年代設定においては共伴する須恵器・灰釉陶器・山茶碗の編年によっている点が大きいと 考えられる。

2014

編年に関しても、詳細が記載されていないものの、平安時代前期以前に 修正が加えられていないことから、同様の手法で実年代を与えていると考えられる。地域色 が強いと指摘されてはいるが、都城との対比が可能と分かった以上、都城の土師器供膳具と の対比によって実年代を付与することが、現状では文字資料等が不足している斎宮の土器 編年の再検討に最も有効な方法であると考える。そこで、次節では時期区分を再設定し、各 区分に基準資料を設定することで、新たな編年案を提示する。なお、時期区分は前稿

1

でか つて提示した編年案を用いることとする。

2

節 斎王制度存続期における都城の土器変遷

本節では、私案編年の基準資料を設定する際に指標とした、都城の土器の型式変化を確認 していく。ここで取り扱うのは、主に土師器供膳具である。斎王制度は、天武朝に大来皇女 を派遣した

673

年から、後醍醐朝の祥子内親王退下までの

1333

年を存続期とする。ただ し、

1272

年以降の斎王は、

卜定されても伊勢に下って いないので、

1270

年頃まで の土器型式を確認していく。

なお、比較に用いた都城土器 資料は『都城の土器集成』

Ⅰ~Ⅲ掲載の基準資料で ある。また、土器の部分名 称は

1

のように用いる。

飛鳥Ⅳ~Ⅴ、平城宮Ⅰ~Ⅲ(図

2

当該期は、西弘海氏が提唱した「律令的土器様式」の成立時期にあたる(西

1986

)。前段 図

1

土器の部分名称図

7

(13)

階の飛鳥Ⅲをその萌芽期とし、飛鳥Ⅳ頃に確立したとする。

古墳時代以来の伝統的器形が食器類から完全に消え、その他の器形においても古墳時代の 様相は見出し難い。主要器形は量産形となった坏A・皿A・坏Cであり、坏A・皿Aには金 属器写しの伝統を、内面の暗文と外面のヘラミガキに強く残している。また、規格性のある 多様な器種分化の進展と大小多様な法量の食器が展開している。

ただし平城宮Ⅱ~Ⅲ頃になると、暗文とヘラミガキには退化と省略傾向がみられるよう

2

飛鳥Ⅳ~Ⅴ、平城宮Ⅰ~Ⅲの坏

A

・皿

A

・椀

A

『都城の土器集成』より筆者が作成・トレース)

8

(14)

になる。平城宮Ⅱでは坏Aに施されていた

2

段の放射状暗文が

1

段となり、外面ヘラミガ キも粗くなってくる。平城宮Ⅲ頃には連弧状暗文が激減し、

1

段の放射状暗文のみ施される ものが中心となり、外面ヘラミガキがほぼ省略されてしまう。

平城宮Ⅳ~Ⅴから長岡京期=平安京Ⅰ期中段階・新段階(図

3

全体の時期を通して、外面ヘラミガキや内面の暗文が主要器形の坏A・皿Aなどから省略 されていき、最終的に完全に抜け落ちる。外面調整は、底部外面をヘラケズリする

b

手法か ら外面全体をヘラケズリする

c

手法へと変化していき、後に主流となる。また、坏A・皿A などの法量が縮小化することで、土器の小型化が進む。供膳具の基本セットは、当該期で主 要器形となる椀A

2

種類と坏A・皿A各

2

種類である。前段階で主要器形の一つであった坏 Cは徐々に衰退していく。

坏A・皿Aは、前段階の平城宮Ⅲですでにヘラミガキは激減していたが、平城宮Ⅳ~Ⅴに なると、ヘラミガキに加え、暗文を施すものも激減する。ただし、椀Aに関してはヘラミガ キ調整が主流である。平城宮Ⅳになると、坏A・皿Aに

c

手法で調整されたものが見られる ようになる。長岡京期には、坏・皿・椀Aの基本セットは

c

手法が中心となり、椀Aに施さ れていたヘラミガキも省略されるようになる。Ⅰ期新段階においても

c

手法中心は継続す るが、オサエ・ナデ調整のみを施した

e

手法の土器がみられるようになる。また、坏Aの形 状が椀Aに似た形状に変化し、主流となる。

9

(15)

平安京Ⅱ期(図

4

実年代を平安時代初頭の

840

年頃から中期前半代の

930

年頃までとし、古・中・新段階 に分類される。全体的な特徴として、土師器小型食器類は

e

手法による調整が中心となり、

法量の縮小化傾向がみられ、器壁も薄手化傾向にある。形状の特徴として、口縁部の外反が より強くなる傾向が挙げられる。坏と椀との器形区分が困難になってくる。

Ⅱ期古段階(

840

870

年頃)には、土師器小型食器類のほとんどが

e

手法で調整されて いる。ただし中には粗い

c

手法が残るものも見受けられる。坏Aは形状的には前代のものと 近似しており、体部外面にヘラケズリ調整をされなかったことが影響してか、凹凸が見られ

3

平城宮Ⅳ~Ⅴから長岡京期=平安京Ⅰ期中段階・新段階の坏

A

・皿

A

・椀

A

『都城の土器集成』より筆者が作成・トレース)

10

(16)

るようになる。椀Aは法量が縮小化傾向にあり、坏Aとの区別が若干困難になってくる。坏 Bからヘラミガキが省略傾向にあり、ヘラケズリ調整が主流となる。

Ⅱ期中段階(

870

900

年頃)には、土師器小型食器類のほぼすべてが

e

手法化する。ま たこの時期から器壁の薄手化が進行する。そして口縁部の外反が強くなっていく。坏Bは削 り残しがある粗い

c

手法がみられるものの、

e

手法化が進行する。

Ⅱ期新段階(

900

930

年頃)には、小型食器類の薄手化がさらに進み、口縁部の外反も より強くなる。また、坏Aと椀Aの形状が近似してくるため、区別が困難になってくる。当 該期には、皿L・坏L【註

5

】がまとまって出土するようになる。

平安京Ⅲ期(図

5

930

年頃から中期後半代の

1030

年頃までと推定され、古・中・新段階の

3

段階に区分さ れる。全体的にⅡ期の傾向をさらに推し進めたのがⅢ期の特徴である。器壁の薄手化は当該 期に最も進み、また口縁部は外反度がより強い形態となり、断面を上方へ小さく突起させる ように収める口縁端部もみられるようになる。また、口縁部を屈曲させるものが現れる。全 体的に、坏・皿・椀の区分が不明瞭になってくる。

Ⅲ期古段階(

930

960

年頃)は、前段階でかろうじて法量による分類が可能であった坏 Aと椀Aの分類が困難になる。坏Aと皿Aも口径が大差なく、器高の低さでかろうじて分類 可能な程度となる。坏Lの出土が増加し、坏Bはほぼみられなくなる。

Ⅲ期中段階(

960

980

年頃)は、各器形とも器壁が最も薄くなり、器高の低下による法 量の縮小化が進む。坏A・皿Aの区別はさらに困難になる。また、皿Aの中に、器高

1.0

4

平安京Ⅱ期古・中・新段階の坏

A

・皿

A

・椀

A

『都城の土器集成』より筆者が作成・トレース)

11

(17)

以下の円盤状土器が少量出土するようになる。これは次の平安京Ⅳ期に出土が増加するコ ースター形皿の初現的器形とみられる。Ⅲ期新段階(

980

1030

年頃)には、法量の縮小化 がさらに進み、コースター形皿の存在がより明確になってくる。口縁端部を外反した新しい 坏・皿が現れるが、これは体部上端から口縁部をヨコナデすることによる。このヨコナデに よって、体部の凹みが

1

段のものから

2

段のものが主流となってくる。

平安京Ⅳ期(図

6

平安時代中期後半代の

1010

年頃から

1080

年代までと推定され、古・中・新段階の

3

段 階に区分される。煮沸具の減少と小型食器類の主流化が特徴である。法量の縮小化と器壁の 厚手化が進み、Ⅲ期新段階で現れた、口縁端部を外反させる坏N・皿Nが定形化し、法量分 化も進むことで小型食器類の中心となる。屈曲した口縁をもち、比較的大きな法量をもつ坏 L・皿Lは、中段階頃に消失する。コースター形の皿A

c

は、底部外面周縁にナデの加わっ た段をもった円盤状に定形化する。

Ⅳ期古段階は、Ⅲ期より厚手化が進んでいる。皿N・坏Nが中心で、前代よりも縮小化と 法量分化が進むが、皿Aと比較すると法量は大きい。皿Aの特徴としては、口縁部が外方へ 屈曲し、端部を上方へ小さくつまみ上げたように突起させて収めている点が挙げられる。出

5

平安京Ⅲ期古・中・新段階の坏

A

・皿

A

・椀

A

『都城の土器集成』より筆者が作成・トレース)

12

(18)

土量も多い。当該期の器種構成は、坏N・皿N、皿A、皿A

c

が中心と考えられ、Ⅳ期はこ れが基本セットとなる。

Ⅳ期中段階には、法量の大きい器形には器壁の薄手感が残るが、全体としては厚手化がほ ぼ完成する。皿Nなどは

2

段の凹みが共通し、口縁端部の内面に外傾する端面をもつもの が増える。また皿Nの中に、皿Aと同じ口径のものが見られるようになる。

Ⅳ期新段階には、各器形で法量の縮小化が進む。皿Aの口縁端部の特徴が若干変化し、上 方へ突起させずに肥厚した状態のものが増えてくる。皿

Ac

の口縁部は、底部周縁部から直 接内上方へ折り込むものが多い。坏N・皿Nの体部外反は不明瞭になる。

平安京Ⅴ期(図

7

1080

年から

1180

年頃までと推定され、古・中・新段階の

3

段階に区分されている。ゆ るやかな法量の縮小化が進み、 大小二法量の皿Nが多量に出土する。 皿

Ac

の円盤化も進む。

A

は古段階で少量出土するが、中段階では消失する。

Ⅴ期古段階は、皿

N

が口縁部上半を上方へ立ち上げ、端部だけを外反気味に収めるもの が主流となる。皿

Ac

はほぼ円盤状となり、口縁端部の折り込みも前代より弱い。また前段 階まで器種構成の主流を占めていた皿

A

の出土量が激減する。

Ⅴ期中段階は、皿

A

が見られなくなる。中心は皿

N

で、ヨコナデによる浅い

2

段の凹み と、口縁端部外側に内傾する端面をもつ。皿

Ac

の中心は、浅い凹みがほとんどない円盤状

6

平安京Ⅳ期古・中・新段階の坏

A

・皿

A

・椀

A

『都城の土器集成』より筆者が作成・トレース)

13

(19)

の底面を呈したものである。

Ⅴ期新段階では、皿

N

の口縁端部における特徴は前段階を踏襲するが、

2

段凹みが不明 瞭となる。また、皿

Ac

は少し小型化する。当該期では、皿

N

などに同器形で白色胎土のも のが、ごく少量出土する。

平安京Ⅵ期(図

8

1180

年から

1270

年頃までと推定され、古・中・新段階の

3

段階に区分される。全体的 に法量の縮小化が進行する。皿

N

の浅い凹みが

1

段となる。また胎土の色調が白色系の皿

S

が明確化する。

Ⅵ期古段階は、前段階で皿

A

が消失したことで、皿

N

と皿

Ac

が基本セットとなる。皿

N

の体部の浅い凹みは

1

段となり、各器形とも法量が縮小化する。また、前段階の皿

N

や 皿

Ac

と同器形で、白色胎土のものの出土がわずかに増加する。

7

平安京Ⅴ期古・中・新段階の坏

A

・皿

A

・椀

A

『都城の土器集成』より筆者が作成・トレース)

8

平安京Ⅵ期古・中段階の坏

A

・皿

A

・椀

A

『都城の土器集成』より筆者が作成・トレース)

14

(20)

Ⅵ期中段階には、法量の縮小化がさらに進む。皿

N

のヨコナデ部分がやや外反するよう になる。白色系の胎土で体部に丸みを帯びる皿

S

は量的に少ないが、共伴例が増加する。

Ⅵ期新段階は、斎王の派遣が当該期でほぼ断絶しているため、ここでは割愛する。

3

節 斎宮土器の私案編年と基準資料

本節では、私案編年に沿って、各期の基準資料を提示していく。基準資料は、これまでの 発掘調査で見つかった土器の一括資料のうち、土師器供膳具が多数見つかっているものを 選定し、 『都城の土器集成』に掲載されている各期の基準資料及び前節で確認した土器特徴 を加味した上で比較検討した。そして、斎宮土器に推定年代を付与することで、時期区分の 中に組み込んだ。その結果、前稿

1

で検討したものに若干の修正を加え、

6

の私案編年を 作成するに至った。以下、各期の土器について詳細にみていこう。

第Ⅰ期第

1

段階

(673~697

年・飛鳥Ⅳ相当 巻末資料図

1)

SB4743

出土土器を基準資料とする。土師器は坏

C

が主体で、形状が飛鳥Ⅲ後半にあた

る藤原宮

SE2355

出土土器などと近似する。暗文は

1

段の放射暗文と

1

条の螺旋暗文の組

み合わせで、飛鳥Ⅳに相当する。飛鳥Ⅳの基準資料には、

682~684

年の紀年銘木簡が伴う ことから、

673~686

年まで在任した大来皇女時代の土器群と考える。ただし、螺旋暗文の 描かれ方が都城と異なる点や、本来共伴したであろう坏

A

がみられない分、時期設定の根 拠に乏しい点もある。

第Ⅰ期第

2

段階

(697~707

年・飛鳥Ⅴ=平城宮Ⅰ前半相当 巻末資料図

2)

SB1615

出土土器を基準資料とする。坏

A

の形状は、都城では飛鳥Ⅳで新出するもので

ある。また、坏

A

No.2

の口縁端部特徴は飛鳥Ⅴの

SE1105

出土土器と近似しており、以 上の点から

SB1615

を飛鳥Ⅴ相当の資料と位置づける。

第Ⅰ期第

3

段階

(707~715

年・平城宮Ⅰ後半相当 巻末資料図

3)

SB5632

出土土器を基準資料とする。坏

A

No.12

は深い坏

A

で古い様相を示すが、皿

A

は体部の立ち上がりが直線的で、平城宮Ⅰ以降の様相を示しており、坏

C

は口縁端部の 特徴が平城宮Ⅱ以降のものとは異なると考えた。よって、平城宮Ⅰ後半相当の資料と判断し た。

第Ⅰ期第

4

段階

(715~724

年・平城宮Ⅱ相当 巻末資料図

4)

SK4749

出土土器を基準資料とする。坏

A

No.42

44

は、体部が丸みを帯びるものと 中ほどで外反するタイプに分かれる。また、法量が都城で言うⅢとⅡに分類できる。これは 平城宮Ⅱにみえる組み合わせである。

No.44

の口縁端部をつまみあげる特徴は若干弱いが、

暗文は

1

条の螺旋暗文と

1

段の放射暗文という組み合わせで、概ね平城宮Ⅱに相当すると

15

(21)

考える。

第Ⅰ期第

5

段階

(724~749

年・平城宮Ⅲ相当 巻末資料図

5

7) SK4497

4498

5102

出土土器群を基準資料とする。

SK4497

では、坏

A

は形状から

No.30

32

33

34

2

つのグループに分類できる。

これは平城宮Ⅱの特徴にあたる。一方、暗文が施されているものはすべて

1

条の螺旋暗文 と

1

段の放射暗文という組み合わせで、この組み合わせがほとんどを占めるのは平城宮Ⅲ 頃の特徴である。ヘラミガキが若干残っており、上記の特徴とあわせて平城宮Ⅲの前半頃に 相当すると考えた。

SK4498

は、暗文の組み合わせが1段の螺旋暗文と1段の放射暗文という点は

SK4497

同様であるが、坏

A

の器高が4

cm

未満に収まっている点や

b

手法主体の調整手法であるこ と、そしてヘラミガキと暗文の減少傾向が見られる点から、平城宮Ⅲ後半に相当すると考え た。

SK5102

は、皿

A

に施された暗文が

1

条の螺旋暗文である点が、前述した二つの遺構出

土土器と異なるが、供膳具外面にはヘラミガキが施されるものが散見することから、同時期 の土器と判断した。

第Ⅰ期第

6

段階

(749~770

年・平城宮Ⅳ相当 巻末資料図

8)

SK5072

出土土器を基準資料とする。調整が

b

手法主体である点は前代と同様であるが、

ヘラミガキや暗文の省略が進み、体部が開き気味の坏が増加している点から、平城宮Ⅳ相当 の土器群と考えた。

第Ⅰ期第

7

段階

(770~784

年・平城宮Ⅴ相当 巻末資料図

9)

SK6225

を基準資料とする。主要器形からヘラミガキと暗文がほぼ抜け落ち、

b

手法調整

の中に

c

手法で調整されるものが増加してくる点から、平城宮Ⅴ頃に相当すると考えた。

第Ⅱ期第

1

段階第

1

小期~第Ⅱ期第

2

段階第

1

小期

(784~824

年・平城宮Ⅵ~平安京Ⅰ期中 段階相当 巻末資料図

10

11)

SK6226

及び

SK6210

を基準資料とする。前者は主要器形の約半数が

c

手法で調整され

ていることから、平城宮Ⅴ以降に相当すると考えた。また、後者は前者にも増して主要器形 の

c

手法化が進んでおり、加えて形状も長岡京期に近似するものが現れることから、長岡京 期以降の土器群に相当すると考えた。都城において

c

手法での調整が主流であった時期に あたる。

c

手法土器群の主流時期は長岡京期

(784~794

)

・平安京Ⅰ期中段階

(794~820

)

・ 平安京Ⅰ期新段階

(820~840

)

3

期である。当該期は長岡京期と平安京Ⅰ期中段階に相 当するが、これらに関しては細分が困難であることから、明確な時期設定を行えなかった。

第Ⅱ期第

2

段階第

2

小期

(824~839

年・平安京Ⅰ期新段階相当 巻末資料図

12)

伊勢斎宮の機能が離宮院に移転していた時期である。当該期は平安京Ⅰ期新段階にあた り、

c

手法の終末期である。前代の

c

手法土器とは形状が若干異なり、底径が小さいのが特

16

(22)

徴である。斎宮の土器が都城のそれを模しているのであれば、底径が小さい坏

A

c

手法 により調整された土器が中心となる土器群が存在するはずだが、現在、離宮院の発掘調査で はそうした例は確認できない。ただし、

c

手法と

e

手法で調整された土器の割合がほぼ同様 の土器群がみられることから、一応基準資料としておく。

第Ⅱ期第

2

段階第

3

小期

(839~850

年・平安京Ⅰ期新段階後半相当 巻末資料図

13

14) SK6030

1445

5200

出土土器を基準資料とする。これらの資料の特徴は、坏

A

と皿

A

にそれぞれ形状が異なるものが出現している点と、

e

手法で調整された土器群が中心である が、

b

c

手法といった旧来の調整手法の土器が混入している点である。坏

A

は形状によっ て

2

種類に分類でき、報告書では、従来の奈良時代的様相をもった

a

タイプと、当該期か ら主流となる底部が平坦で腰がやや張り、体部は直線的あるいは外反気味に開き、口縁部が 内弯気味に立ち上がる

b

タイプとに分類している。皿

A

は、坏

A

b

タイプと同様の口縁 部特徴をもつ

a

タイプ、丸く浅い底部に外へ大きく開く口縁部をもつ

b

タイプ、奈良時代 的様相をもった

c

タイプの

3

種類に分類されている。

2000

編年では

SK6030

1445

785

~820

年と設定するが、この時期は都城では

c

手 法が主体であり、

e

手法が中心となるのは

840

年前後と考えられるため、時期を新しく想定 すべきであろう。また、

SK5200

820~850

年と設定するが、土師器の坏・皿・椀

A

の特

徴が

SK6030

1445

と近似していることから、同一型式とみなした。

当該期の

e

手法土器群の中で新出の形状をもつ坏

A

b

タイプと皿

A

a

タイプを見る と、都城の土器とは異なる変化をしている。よって、遅くとも当該期には、斎宮の土器製作 において都城の模倣を行わなくなり、独自の変化を遂げ始めたと考えられる。

第Ⅲ期第

1

段階古相・新相

(850~880

年・平安京Ⅱ期古段階相当 巻末資料図

15)

SK1045

7430

を基準資料とする。当初は両者を一つの時期の型式の土器と考えたが、

坏・椀

A

の特徴に微妙な相違点がみられることから、二つの小時期に分けた。

両者の共通点は、坏

A

a

タイプが消失していることが挙げられる。皿

A

でも

c

タイプ が消失し、坏・皿から奈良時代的様相をもったものが消失したといえる。坏

A

の中には椀

A

と区別が難しいものが出現しており、このような特徴は平安京Ⅱ期古段階に認められる。

また、皿

A

b

タイプが量的に多く出土している。

2000

編年においては後述する

SK2650

と同型式とするが、後者の方が器壁の薄手化が進行していることと、坏と椀との区別がつき にくいものが増加していることから、異なる型式と判断した。

一方、相違点は、

SK1045

の坏

A

には底部の腰が張り出しているものが若干残ることに

対して、

SK7430

ではそうした型式がほとんど見られないことが挙げられる。また、

SK1045

の椀

A

には、前代同様、口径が

20cm

に及ぶ大型のものや、

10cm

程度の小型のものが含ま れており、法量が

3

種類ほどに分類でき、内面に暗文が施されるものも残っている。しか

し、

SK7430

の椀

A

にはそういったものがみられず、法量も一定である。

第Ⅲ期第

2

段階

(880~900

年・平安京Ⅱ期中段階相当 巻末資料図

16) 17

表 3  宮内省と主な職務 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2  表 4  東宮坊と主な職務 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3  表 5  2014 編年 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6  表 6  私案編年・2000 編年対照表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21  巻末資料・図版  巻末資料図 1  Ⅰ‐1
表 6 私案編年・ 2000 編年対照表(前稿 1 掲載私案編年表に加筆・修正)
図 9 史跡斎宮跡調査地図(筆者作成)
図 10 推定初期斎宮遺構図 (泉 2006 より転載)
+7

参照

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㻠㻢㻤㻜㻜㻠㻌 FUNDAMENTAL OF ACCOUNTING Ⅰ㻌 㻞㻌 ~㻞㻜㻝㻥㻌 㻠㻢㻤㻜㻡㻜㻌 㻲㼁㻺㻰㻭㻹㻱㻺㼀㻭㻸㻌㻻㻲㻌㻭㻯㻯㻻㼁㻺㼀㻵㻺㻳㻌㻝㻌 㻞㻌

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