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「 徳 冨 蘆 花 『 竹 崎 順 子 』

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Academic year: 2021

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(1)

[研 究 論 文]

「 徳 冨 蘆 花 『 竹 崎 順 子 』

― ― 明 治 の 一 女 性 の 生 き 方 ― ― 」

布 川 純 子

神 奈 川 工 科 大 学 非 常 勤 講 師

T O K U T O M I R O K A “ T A K E Z A K I J U N K O ”

― ― O n e l i f e o f t h e M e i j i w o m a n ― ―

J u n k o F U K A W A

Abstract

“ T a k e z a k i J u n k o ” w a s p u b l i s h e d i n 1 9 2 3 . T h i s b o o k i s a b i o g r a p h y w r i t t e n a b o u t T a k e z a k i J u n k o . T o k u t o m i R o k a w r o t e i t . J u n k o i s m y m o t h e r ' s s i s t e r . R o k a l o v e d t h e J u n k o a s a m o t h e r ' s h e a r t . J u n k o w a n t w r i t i n g t h e i r c u r r i c u l u m v i t a e o n t h e v e r g e o f d y i n g a n d p r a y e d . 1 8 y e a r s l a t e r , R o k a w a s f i n a l l y c o m p l e t e d .

I t h i n k I s h o u l d w r o t e i n t h e w o r l d w o r k e d a s t h e p r i n c i p a l o f a g i r l s ' s c h o o l i n o n e w o m a n ' s w a y o f l i f e , t h i s w o r k i s v e r y m u c h r e - e v a l u a t e a f t e r b e c o m i n g a w i d o w , M e i j i e r a , s e r v e h e r h u s b a n d a t K u m a m o t o .

K e y w o r d s;T O K U T O M I R O K A , T O K U T O M I K E N J I R O U , T A K E Z A K I J U N K O ,

T A K E Z A K I S A D O U , T A K E Z A K I R I T U J I R O U , Y A J I M A K A J I K O , M e i j i j i d a i

1 、 は じ め に

( 1 ) 『 新 春 』 以 後 の 蘆 花

『 竹 崎 順 子 』 ( 注 ① ) は 、 大 正 1 2 ( 1 9 2 3 ) 年 4 月 2 1 日 、 福 永 書 店 か ら 刊 行 さ れ た 伝 記 。 竹 崎 順 子 は 、 母 久 子 の す ぐ 上 の 姉 で あ り 、 蘆 花 に と り こ の 伯 母 は 「 心 の 母 」 だ っ た 。

蘆 花 は 大 正 7( 1 9 1 8 )年 4 月『 新 春 』を 発 表 後 ( 注 ② ) 、 翌 年 1 月 2 5 日 か ら 9 年 3 月 8 日 ま で の 約 1 年 2 か 月 、夫 妻 で 世 界 旅 行 に 出 た 。 当 時 世 界 は 大 正 7 年 1 1 月 1 日 に 第 一 次 大 戦 が 停 戦 し 平 穏 を 迎 え た ば か り だ っ た 。 そ の 旅 は 次 の よ う で あ っ た 。 横 浜 を 出 発 、 イ ン ド 洋 廻

り で 3 月 1 3 日 ポ ー ト サ イ ト に 上 陸 、 3 月 3 0 日 に エ ル サ レ ム に 入 り 、 6 月 1 6 日 ま で 聖 地 周 辺 を 来 訪 。 そ の 後 地 中 海 を 西 に 進 み 、 ア レ ク サ ン ド リ ア 、 ク レ タ に 寄 港 上 陸 。 7 月 1 2 日 に イ タ リ ア に 入 り 、 ナ ポ リ 、 ロ ー マ 、 ミ ラ ノ な ど に 滞 在 。 後 パ リ 、 ス イ ス と 廻 り 、 1 0 月 1 7 日 に ド イ ツ に 入 る 。 敗 戦 後 の ド イ ツ を 見 る こ と は 目 的 の 一 つ で あ っ た が 、 食 事 も 不 自 由 な 状 態 の た め 、 1 1 月 6 日 に ベ ル ギ ー か ら パ リ に 戻 り 、 イ ギ リ ス に 渡 る 。 こ こ で 新 年 を 迎 え 、 1 月 1 9 日 に ア メ リ カ に 向 か う 。1 月 2 8 日 に ニ ュ ー ヨ ー ク に 上 陸 。 南 回 り で 大 陸 を 横 断 し 、 2 月 2 0 日 に サ ン フ ラ ン シ ス コ を 出 港 し 、 3 月 8

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日 横 浜 着 。 同 日 粕 谷 ( 注 ③ ) に も ど っ た 。 こ の 旅 行 は 復 活 祭 前( 1 9 1 8 年 は 4 月 2 0 日 が 復 活 祭 当 日 ) に エ ル サ レ ム 入 り ( 注 ④ ) を す る こ と が 第 一 の 目 的 だ っ た 。 そ の 理 由 は 、 新 生 な っ た 自 分 た ち 夫 婦 の た め に ( 注 ⑤ ) 、 ぜ ひ 復 活 祭 を 聖 地 で 迎 え た か っ た か ら だ と 想 像 さ れ る 。 こ の 大 旅 行 の 旅 行 記 は 『 日 本 か ら 日 本 へ 』 と 題 し 、 大 正 1 0 ( 1 9 2 1 ) 年 3 月 8 日 、 金 尾 文 淵 堂 か ら 刊 行 さ れ た 。

そ の 後 、 大 き な 仕 事 は し ば ら く せ ず 、 夫 妻 で 国 内 を 旅 行 す る こ と が 多 か っ た 。 な か で も 大 正 1 1 年 1 月 か ら 3 月 の 旅 行 は 、妻 愛 子 の 兄 原 田 良 八 ( 注 ⑥ ) の 健 康 が 思 わ し く な い と い う の で 、 朝 鮮 郡 山 に 見 舞 い に 行 く こ と が 主 目 的 ( 注 ⑦ ) の 旅 だ っ た 。 見 舞 い 後 、 早 々 に 九 州 に た ち 戻 っ た 蘆 花 夫 妻 は 、 蘆 花 生 存 中 最 後 の 訪 問 と な っ た 故 郷 熊 本 で 、 数 回 の 公 開 講 演 を 行 っ て い る 。 そ の 一 つ が 、 伯 母 竹 崎 順 子 が 晩 年 大 き な 功 績 を 遺 し た 熊 本 女 学 校 ( 講 演 当 時 は 大 江 高 等 女 学 校 ( 注 ⑧ ) ) に お け る 講 演 ( 注 ⑨ ) で あ る 。 先 年 伯 母 順 子 に 託 さ れ て い た こ と が 、 そ の 思 い 出 の 地 を 訪 問 し た こ と で 、 促 さ れ た と 考 え て よ い だ ろ う 。

伯 母 に 託 さ れ て い た こ と と は 、 次 の こ と で あ る 。 明 治 3 8 ( 1 9 0 5 ) 年 3 月 、 伯 母 順 子 が 重 体 に 陥 っ た 頃 、 蘆 花 は 『 黒 潮 』 の 第 2 部 に 行 き 詰 ま り 止 む 無 く 中 絶 し 、 兄 蘇 峰 ( 猪 一 郎 ) に 「 告 別 の 辞 」 を つ き つ け 、 絶 縁 状 態 に 入 っ て い た 時 だ っ た ( 注 ⑩ ) 。 そ の 鬱 屈 し た 気 持 ち を 晴 ら す た め 、 蘆 花 は 一 人 で 九 州 桜 島 を 目 指 し て 旅 に 出 た 。 桜 島 に 滞 在 中 、 伯 母 順 子 の 危 篤 電 報 を 、 東 京 の 自 宅 で 留 守 を 守 る 妻 愛 子 よ り 受 け 取 っ た 。 直 ち に 伯 母 の も と に 赴 き 、 臨 終 間 際 の 伯 母 と 対 面 し 「 わ た し の 履 歴 は あ あ た 書 い て ― ― 」( 全 集 1 5 巻『 竹 崎 順 子 』5 3 9 頁 、 同 様 内 容 が 1 8 巻 『 冨 士 』 2 6 5 頁 ) と 言 わ れ た 。 そ の 後 、 小 康 状 態 が 続 い た の で 、 蘆 花 は 迎 え の 車 で 女 学 校 近 く の 姉 ( 注 ⑪ ) の 家 に 出 か け た 。 と こ ろ が そ の 束 の 間 に 、 伯 母 は 天 に 召 さ れ て し ま っ た 。 最 期 を 看 取 ら な か っ た こ と を 蘆 花 は お お い に 悔 い た 。 徹 夜 を し て ま

と め た 順 子 の 略 歴 を 、 蘆 花 自 身 が 熊 本 女 学 校 葬 で 読 み 上 げ た 。 そ の 後 も 「 伯 母 の 詳 伝 を 書 く 為 に 」( 同 『 冨 士 』 2 8 1 頁 ) 熊 本 に し ば ら く 滞 在 し 、 色 々 材 料 を 集 め た 。 し か し 、 そ れ か ら の 1 8 年 間 は 、蘆 花 自 身 精 神 的 に つ ら い 時 が 多 く 、 「 母 の 胎 内 か ら 十 字 架 を 負 ふ て 生 れ た 彼 は 、 順 子 の 遺 嘱 を 果 す 可 き 機 会 に 中 々 到 達 し な か つ た 」 ( 同 『 竹 崎 順 子 』 5 5 5 頁 ) た め 、 そ の ま ま に な っ て い た 。そ れ が 晩 年 の 旅 行 で 、 伯 母 が 心 血 を 注 い だ 女 学 校 を 再 び 訪 問 し た こ と を 契 機 に 、 積 年 の 思 い を 実 現 し よ う と し た の だ ろ う 。

さ て 、 後 述 す る 順 子 の 生 涯 は 、 江 戸 時 代 末 の 肥 後 に 生 ま れ 、 夫 の も と で 良 妻 賢 母 と し て 過 ご し た 半 生 と 、 未 亡 人 に な っ て か ら キ リ ス ト 教 徒 と な り 女 学 校 の 寮 母 ・ 校 長 と し て 才 能 を 発 揮 し た 半 生 だ っ た 。 そ し て こ の 無 名 の 女 性 の 生 涯 こ そ 、 蘆 花 の 理 想 と す る 「 無 欲 で 高 潔 」 な 生 き 方 に 価 す る も の で あ っ た と い え る だ ろ う ( 注 ⑫ ) 。 と こ ろ が 、 作 品 と し て の 評 価 は ま っ た く な さ れ て い な い 。 今 回 は こ れ ま で ほ と ん ど 顧 み ら れ て こ な か っ た 伝 記 『 竹 崎 順 子 』 に 、 蘆 花 が 『 新 春 』 で 表 明 し た 「 S c a p e G o a t と し て の 在 り 方 を 甘 受 し 、 世 の す べ て の 人 々 に 神 の 福 音 を 伝 え て い く よ う な 仕 事 を し て い こ う と し た 決 意 」 ( 注 ⑬ ) が 、 ど の よ う な 形 で 表 現 さ れ て い る か を 見 て い き た い 。

( 2 ) 『 竹 崎 順 子 』 の こ れ ま で の 評 価 中 野 好 夫 氏 は 『 蘆 花 徳 冨 健 次 郎 』 ( 注 ⑭ ) で 、 『 竹 崎 順 子 』 に つ い て 「 教 育 家 伝 で は な い 。 人 間 の 伝 記 」( 3 3 1 頁 ) で あ り 、「 あ く ま で も 正 攻 法 の 伝 記 」( 3 3 6 頁 ) で そ の 魅 力 は「 一 に 主 人 公 竹 崎 順 子 と 、 書 き 手 健 次 郎 と の 深 い 愛 情 の か か わ り に あ っ た よ う に 思 え る 」( 3 3 6 頁 ) と 記 し て い る 。し か し 蘆 花 の 作 品 の 中 で は

「 異 例 の 著 」( 3 3 6 頁 ) と い え る た め 、「 従 来 の 蘆 花 伝 、 蘆 花 論 に あ っ て 、 特 に こ の 作 を 採 り 上 げ た も の は 、ほ と ん ど な い 」( 3 3 6 頁 )と も 記 し て い る 。そ し て 前 田 河 広 一 郎 を 例 に と り 、

『 蘆 花 伝 』 ( 注 ⑮ ) は 2 頁 だ が 作 品 的 評 価 は 皆

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無 に 等 し く 、 『 蘆 花 の 芸 術 』 ( 注 ⑯ ) で は 1 行 で 片 づ け て い る と 指 摘 し て い る 。

し か し 中 野 氏 は こ う し た 評 価 も 一 理 あ る と し て い る 。 そ の 理 由 と し て 「 い わ ゆ る 出 来 栄 と い う よ り も 、 む し ろ こ の 著 に 注 い だ 健 次 郎 自 身 の 愛 情 に か か る も の が 、 は る か に 大 き い

」( 3 3 7 頁 )こ と を 挙 げ て い る 。さ ら に 蘆 花 が こ の 作 品 で 書 こ う と し た も の が 「 単 に 竹 崎 順 子 個 人 の 伝 記 だ け に 止 ま ら な か っ た 。 詳 説 す ぎ る と さ え 思 え る ほ ど 、 実 家 矢 島 家 、 婚 家 竹 崎 家 な ど の 家 系 を た ど る は も と よ り 、 幕 末 維 新 時 に か け て の 肥 後 学 党 の 由 来 ま で 丹 念 に 追 尋 し た 上 で 、 そ の 背 景 の 下 、 お の ず か ら に し て 竹 崎 順 子 な る 掬き くす べ き 女 性 、 八 十 一 年 の 生 涯 を 浮 か び 上 が ら せ て い る わ け で あ る 。 が 、 そ れ だ け に 、こ れ ら 両 家 や そ の 周 辺 に 関 し て 、 多 少 の 予 備 的 知 識 で も あ る 読 者 な ら し ら ず 、 い き な り 本 書 に と り つ く 平 均 読 者 に と っ て は 、 む し ろ 末 梢 的 と い っ て も 過 言 で な い ほ ど 、 煩 雑 な 小 事 実 の 羅 列 に 終 わ っ て い る 部 分 が 多 く 、 か え っ て 興 を 殺 が れ る お そ れ す ら あ る 。 」 ( 3 3 7 頁 )と 述 べ 、あ ま り に 枝 葉 末 節 の 部 分 に 対 す る 記 述 が 多 い こ と を 残 念 が っ て い る 。 だ が 中 野 氏 個 人 と し て は「 傑 作 」と は い わ な い が 、

「 き わ め て 好 感 の も て る 著 作 」( 3 3 7 頁 )で あ る と し 、「 健 次 郎 自 身 の 自 己 投 影 ― ― つ ま り 、 彼 が 懐 抱 し て い た 日 本 女 性 へ の 理 想 像 と で も い う か 、 そ れ を 彼 は こ の 伯 母 の 中 に 見 出 し て い た の で あ り 、 ( 中 略 ) め ず ら し く ヒ ガ ミ の な い 、 ま た 憎 し み も な い 、 全 篇 深 い 親 愛 で 貫 か れ て い る 」 ( 3 3 8 頁 ) と 評 価 し た 。

中 野 氏 の 評 す る よ う に 、 葬 儀 の た め に 略 歴 を ま と め て い る 時 「 伯 母 が 出 て 、 公 人 が 中 々 書 け ぬ 」( 同 『 富 士 』 2 7 2 頁 ) と 蘆 花 は 苦 心 し た 。 大 恩 人 で あ る こ の 伯 母 に は 格 別 、 深 い 敬 愛 の 念 を 蘆 花 は 抱 い て い た こ と が 、 裏 付 け ら れ る 。 特 に 『 黒 い 眼 と 茶 色 の 目 』 で 描 か れ た 蘆 花 自 身 と 山 本 久 栄 と の 恋 愛 騒 動 で 、 そ の 思 い が よ り 強 ま っ た の で あ る 。 当 時 、 若 い 二 人 の 恋 愛 は 周 囲 の 反 対 に あ い ( 注 ⑰ ) 破 局 、 傷 心 か ら 蘆 花 は 同 志 社 を 出 奔 し て 九 州 を 放 浪 し

て い た 。 自 棄 に な っ て い た 蘆 花 を 親 戚 の も の が み つ け 、 順 子 の も と に 伴 っ て き た 時 、 順 子 は 「 『 何 の 、 好 か 、 好 か 』 と 悄 気し ょ げ つ た 甥 を 慰 め 励 ま し た 」( 同 『 竹 崎 順 子 』 2 1 1 頁 ) 。 こ の よ う に 慈 愛 あ ふ れ る 順 子 の 庇 護 が あ っ た か ら こ そ 、そ の 後 の 蘆 花 の 活 躍 が あ る と い え る 。

こ う し た 慈 愛 あ ふ れ る 女 性 の 理 想 像 を ど の よ う に 表 し た の か 、 蘆 花 の 文 章 か ら そ の 生 涯 を 見 て い き た い 。

2 、 伝 記 『 竹 崎 順 子 』

( 以 下 引 用 文 と 頁 は 、 特 に 記 さ な い 限 り 全 集 版 1 5 巻 『 竹 崎 順 子 』 に よ る 。 な お 便 宜 上 、 『 竹 崎 順 子 』 書 中 の 章 表 記 は 、 論 者 が 漢 数 字 を 算 用 数 字 に 直 し て 表 記 し て い る 。 )

( 1 ) 構 成

伝 記 本 文 は 全 2 8 章 。

順 子 の 誕 生 前 か ら 8 1 歳 で 亡 く な る ま で を ほ ぼ 編 年 体 形 式 で 、以 下 の よ う に ま と め て い る 。

① 順 子 誕 生 前 ( 第 1 章 )

② 誕 生 か ら 結 婚 ま で ( 第 2 章 )

― 1 0 歳 ~ 1 6 歳

③ 結 婚 か ら 夫 の 死 ま で ( 第 3 ~ 1 1 章 )

― 1 6 歳 ~ 5 3 歳

④ 未 亡 人 か ら 熊 本 女 学 校 舎 監 ・ 校 長 へ

( 第 1 4 ~ 2 3 章 ) ― 5 3 歳 ~ 8 0 歳

⑤ 病 床 ~ 死 ま で ( 第 2 4 ~ 2 7 章 ) ― 8 1 歳

⑥ 順 子 没 後 『 竹 崎 順 子 』 完 成 ま で の 1 8 年 間 の こ と ( 第 2 8 章 )

本 文 の 構 成 分 量 か ら み て も 、 1 6 歳 で 竹 崎 律 次 郎 と 結 婚 し て か ら 8 0 歳 で 熊 本 女 学 校 校 長 を 引 退 す る ま で の こ と が 、 最 も 多 く 語 ら れ て い る の が わ か る 。

な お 、 本 文 中 に は 故 人 書 簡 や 日 記 、 周 辺 人 物 の 証 言 文 章 も 多 く 織 り 込 ま れ て い る 。 さ ら に 付 録 と し て 竹 崎 順 子 の 歌 1 3 5 首 を 収 録 。 巻 頭 口 絵 に 肥 後 略 図 、 竹 崎 茶 堂 ( 律 次 郎 ) 、 竹 崎 順 子 の そ れ ぞ れ の 写 真 、 短 冊 3 枚 を お く 。 挿 絵 と し て 、ゆ か り の 地 や 家 の 写 真 な ど 1 4 点

( 注 ⑱ ) も 挿 入 し て い る 。 ま た 、 中 野 氏 の 指

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摘 に あ る よ う に 、 順 子 の 生 涯 に 関 わ る 熊 本 の 諸 事 情 、 例 え ば 肥 後 藩 か ら 熊 本 県 近 代 化 、 横 井 小 楠 と そ の 門 下 に つ い て の 歴 史 的 事 象 な ど が 詳 細 に 書 か れ て い る 。

( 2 ) 伝 記 本 文 か ら 見 る 順 子 の 生 涯

① 順 子 誕 生 前 ( 第 1 章 ) 【 両 親 の こ と 】

矢 嶋 家 は 代 々 郷 士 の 家 柄 で 、 父 忠 左 衛 門 直 明 は 当 時 郡 代 の 下 で 地 方 役 人 を 務 め て い た 。 武 芸 に 秀 で 、 身 長 も 高 く 剛 健 な 男 性 で 「 正 直 な 、 常 識 の 豊 か な 、 而 し て 情 愛 の 細 か な 人 」

( 1 9 頁 ) で 、 早 く に 熊 本 に 遊 学 し 、 漢 文 を 学 び 、 和 歌 も 好 ん だ 。

母 鶴 子 は 、惣 庄 屋 三 村 和 兵 衛 の 長 女 と し て 、 読 み 書 き を 好 み 、 可 愛 が ら れ て 成 長 し た が 、 矢 嶋 家 に 嫁 い だ 後 は 、 「 忙 し い と き は 田 畑 に も 出 で 、蚕 を 飼 ひ 、機 を 織 り 、裁 縫 を し た り 、 麻 を 績 み 、 糸 を 紡 ぎ 、 ま め に 働 」 く 良 い 妻 、 良 い 嫁 と し て 評 判 だ っ た ( 1 6 頁 ) 。

② 誕 生 か ら 結 婚 ま で ( 第 2 章 ) 【 誕 生 】

順 子 は 、 父 矢 嶋 直 明 3 2 歳 、 母 鶴 子 2 8 歳 の 文 政 8( 1 8 2 5 ) 年 1 0 月 2 5 日 ( 注 ⑲ ) に 、 肥 後 上 益 城 郡 津 森 に 生 ま れ た 。 二 男 七 女 の 三 女 で あ る 。 兄 弟 姉 妹 は 次 の 通 り で あ る 。 順 子 の 6 歳 年 上 の 長 女 次 女 は 双 子 で 、 に ほ ( 子 ) 、 も と ( 子 ) と 名 付 け ら れ た 。 そ の 2 年 目 に 長 男 源 助 ( 後 、 直 方 ) が 生 ま れ た 。 そ の 翌 年 に 男 子 五 次 郎 が 誕 生 し た が 夭 折 。 翌 年 に 三 女 順 子 が 誕 生 し た 。4 年 後 四 女 久 子( 蘆 花 の 母 )、そ れ か ら 2 年 後 に 五 女 つ せ 子 、 そ の 3 年 後 に 六 女 か つ 子 ( 後 、 楫 子 ) 、 さ ら に 3 年 後 に 七 女 さ だ 子 が 誕 生 し た 。

【 幼 少 時 】

幼 少 時 、 父 直 明 が 多 忙 で 来 客 も 多 い 家 だ っ た た め 、 子 供 の 多 い 矢 嶋 家 で は 子 育 て は 倹 約 と 合 理 的 な 育 て 方 を よ し と し た 。 母 鶴 子 は 家 事 の 合 間 に 百 人 一 首 を 書 い て 子 供 た ち に 与 え 、 そ れ を 使 っ て 字 を 学 ば せ た 。 嫡 子 の 源 助 は 熊 本 に 遊 学 し た が 、 帰 省 中 は 妹 た ち に 論 語 や 孟

子 を 教 え た 。 衣 服 は す べ て 鶴 子 が 手 作 り し て 着 せ て い た 。

③ 結 婚 か ら 夫 の 死 ま で ( 第 3 章 ~ 1 1 章 )

【 結 婚 】

天 保 1 1 ( 1 8 4 0 ) 年 、 木 下 家 か ら 竹 崎 家 に 養 子 に 入 っ て い た 惣 庄 屋 竹 崎 律 次 郎 と 結 婚 。 順 子 は 1 6 歳 、 律 次 郎 は 2 8 歳 で 再 婚 で あ っ た 。 当 初 、 順 子 の 両 親 は こ の 結 婚 話 に 難 色 を 示 し た 。 婿 候 補 竹 崎 律 次 郎 は 、 家 柄 格 式 は 同 等 で あ り 、 母 鶴 子 の 兄 三 村 章 太 郎 と 親 し か っ た の で 本 人 に 問 題 は な か っ た 。 け れ ど も 順 子 の 両 親 か ら す れ ば 、順 子 が ま だ 若 い こ と 、そ の 上 、 母 鶴 子 は 幼 い 妹 た ち を よ く 面 倒 見 る 片 腕 的 存 在 と し 順 子 を 頼 り に し て い た こ と 、 父 親 は 気 に 入 り の 娘 を 手 放 し た く な い こ と な ど か ら 、 即 時 に 賛 成 は 出 来 な か っ た の で あ る 。し か し 、 先 方 は 熱 心 だ っ た 。 父 母 は よ う や く 娘 を 嫁 に 出 す 決 心 を し た 。 そ こ で 当 の 順 子 に 意 向 を 尋 ね て み た と こ ろ 、 順 子 は 見 合 い す ら せ ず 結 婚 を 承 諾 し た 。 両 親 か ら 嫁 に 行 け と 言 わ れ た 時

「 は い 」 と 即 答 し た と 、 晩 年 、 順 子 は 孫 娘 に 語 っ て い る 。 「 与 え ら れ た 材 料 に 苦 情 を 言 わ ぬ 名 匠 」 ( 3 8 頁 ) の よ う で あ り 、 「 全 く 順 子 の や う に す べ て に 順 ひ 、 す べ て を 愛 し 、 而 し て す べ て を 生 か す 女 」( 3 8 頁 )は い な か っ た 。

【 子 供 】

天 保 1 2 年( 1 8 4 1 )1 1 月 、順 子 が 1 7 歳 の 時 、 女 児 を 産 ん だ 。 「 波 仁 」 と 名 付 け た が 夭 折 。 弘 化 3 ( 1 8 4 6 ) 年 、 順 子 2 2 歳 の 時 、 女 児 節 子 を 産 ん だ 。

【 破 産 か ら 別 居 生 活 】

結 婚 後 、 順 子 は 夫 を 敬 愛 し 、 「 素 直 に 快 活 な 新 婦 」 ( 3 8 頁 ) は 竹 崎 家 の 人 々 す べ て に 愛 さ れ 、 幸 福 な 新 婚 生 活 を 送 る 。 し か し 、 姑 の 死 や 実 子 を 産 後 す ぐ に 亡 く し 夫 婦 2 人 と な っ た 時 、 夫 律 次 郎 が 「 富 を つ く る 」 ( 4 0 頁 ) こ と を 計 画 し た 。 そ し て 「 米 が 豊 富 な 田 舎 の 豪

家 が 多 く 」 ( 4 0 頁 ) す る 酒 造 事 業 を 始 め た 。 天 保 1 3 ( 1 8 4 2 ) 年 、 も と も と 派 手 好 き で 山

っ 気 の あ っ た 律 次 郎 は 、 米 相 場 に も 手 を 染 め た 。 だ が 、 ま も な く 米 が 暴 落 し て と う と う 「

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伊 倉 一 と 誇 つ て 居 た 名 家 竹 崎 家 の 大 屋 敷 、 一 丁 四 面 の 酒 倉 、 田 地 、 家 財 一 切 」 ( 4 1 頁 ) が 人 手 に 渡 っ て し ま っ た 。 1 8 歳 の 順 子 は 、 自 身 の 持 ち 物 、 婚 礼 衣 装 も す べ て 手 放 し た 。 「 二 三 枚 の 着 更 へ と 鏡 一 面 、 風 呂 敷 包 に し て 」 ( 同 ) 本 人 は 「 こ れ だ け が 私 の 荷 物 」 ( 同 ) と 涼 し い 顔 を し て い た が 、 さ す が に 「 債 権 者 も 気 の 毒 が つ た 」 ( 同 ) そ う だ 。

気 丈 な 妻 に 対 し 、 投 機 に 失 敗 し た 夫 は 行 方 不 明 に な る 。 途 方 に く れ た 順 子 は 姉 の 三 村 に ほ 子 ( 注 ⑳ ) に 相 談 す る 。 両 親 の も と に 帰 る こ と を 進 め る 姉 の 忠 告 に 逆 ら い 、 再 び 順 子 は 伊 倉 に 戻 り 「 夫 が 破 産 し 行 方 不 明 に な つ た か ら と て 、 お い そ れ と 生 家 に 帰 る 気 に は な れ ま せ ん 。 此 上 は 如 何 し て な り と も 夫 の 帰 り を 待 と う 」 ( 4 1 頁 ) と 決 め 、 「 何 時 と も 知 れ ぬ 夫 の 帰 り を 」 ( 同 ) 待 っ て い た 。 実 家 の 両 親 、 兄 妹 た ち が 順 子 夫 婦 を 心 配 し て い た と こ ろ 、 偶 然 兄 源 助 ( 後 、 直 方 ) が 「 在 方 検 分 に 歩 い て 居 」 ( 同 ) て 、 彷 徨 う 律 次 郎 と 遭 遇 し た 。 結 局 、 律 次 郎 は 阿 蘇 の 縁 者 の も と で 今 後 の 再 興 を 図 る こ と と し 、 順 子 は し ば ら く 中 山 の 竹 崎 の 実 家 で 預 か る こ と に な っ た 。 こ の 時 の 体 験 を 順 子 は 女 学 校 の 卒 業 生 で 実 業 家 に 嫁 ぐ 娘 に こ う 語 っ て い る 。 「 実 業 家 の 妻 は 、 夫 を 信 じ 、 ま さ か の 時 は 素 裸 に な る 覚 期 ば 、 か ね が ね し て 居 ら ね ば な り ま つ せ ん ば い 」 ( 同 ) 。

雌 伏 中 の 律 次 郎 は 、 「 無 念 で た ま ら ず 」 ( 4 7 頁 ) 、 大 阪 に 出 て 再 び 相 場 で 一 旗 挙 げ よ う と 考 え た こ と も あ っ た 。 し か し 、 相 談 に い っ た 惣 庄 屋 矢 野 甚 兵 衛 に 止 め ら れ 、 む し ろ 学 問 好 き な 甚 兵 衛 か ら 私 塾 を 開 く こ と を 勧 め ら れ た 。 も と も と 学 識 の あ っ た 律 次 郎 は そ の 勧 め に 乗 じ 、 阿 蘇 高 森 に 小 さ な 塾 を 開 い た 。 そ の 後 順 子 の 兄 直 方 ( 源 助 ) の 強 力 な 誘 い に よ っ て 、 律 次 郎 は 直 方 と 同 じ 横 井 小 楠 門 下 に 入 っ た 。 さ ら に 甚 兵 衛 は 自 身 が 布 田 に 転 任 す る に あ た り 、 律 次 郎 に も 布 田 に 移 住 し て 、 そ こ で 私 塾 を 開 く こ と を 勧 め た 。 布 田 は 、 俵 山 の 山 腹 に あ る 小 さ な 山 里 の 地 で 、 会 所 が 村 の 一 番 高 い 処 に あ っ た 。 律 次 郎 は さ ら に そ こ か ら 1

段 上 が っ た と こ ろ に 小 さ な 掘 立 小 屋 を 建 て た 。 天 保 1 5 ( 1 8 4 3 ) 年 、 2 0 歳 に な っ た 順 子 は 、 2 年 の 別 居 を 経 て 、再 び こ の 布 田 の 地 で 夫 婦 共 に 暮 ら す こ と と な っ た 。 こ の 2 年 は 、 早 く に 両 親 の も と を 離 れ た 順 子 に と っ て 姉 妹 た ち と の 親 し み も 増 し 、 む し ろ 「 天 恵 」 ( 5 1 頁 ) と な っ た 時 だ っ た 。

横 井 門 下 と な っ た 律 次 郎 は 熱 心 な 学 徒 で あ っ た 。そ れ を 陰 で さ さ え た の が 妻 順 子 で あ る 。 観 音 堂 の 隣 に 塾 を 開 き 、 子 供 た ち が 多 く 集 ま っ て き た 。 し か し 日 々 の 生 活 を 支 え る に は そ れ は 少 な す ぎ た 。 夫 妻 は 粟 飯 を 食 べ 、 畑 仕 事 を し 、 麩 や 蒟 蒻 、 豆 腐 を 作 り 売 っ た 。 こ の 時 の 生 活 を 「 わ た し は 、 い つ も 主 人 が た だ 世 間 一 般 の 営 利 商 人 で 終 る こ と を 恐 れ て 居 つ た が 、 突 然 あ ゝ い ふ 不 幸 な 境 遇 へ 陥 つ て 、 そ の 為 に 心 を 磨 き 、 又 世 の 中 の 為 に 盡 す 支 度 が 出 来 る か と 思 ふ と 、 只 嬉 し く て 、 身 体 の 苦 労 な ど は 覚 え も せ ず 、 毎 日 楽 し ん で 働 き ま し た 」 ( 5 8 頁 ) と 、 後 年 姪 に 語 っ て い る 。

弘 化 2( 1 8 4 5 )年 、竹 崎 家 先 代 の 子 供 で あ る 新 次 郎 も 、律 次 郎 の 勧 め で 横 井 門 下 に 入 門 し 、 律 次 郎 の 補 佐 と し て 、 塾 を 助 け る よ う に な っ た 。 律 次 郎 は 薬 用 広 東 人 参 の 栽 培 や 、 蝋 燭 の 原 料 と な る 櫨は ぜの 木 の 植 樹 な ど 、 新 し い こ と も 手 掛 け た 。 そ う し た 中 で 新 次 郎 の 母 寿 賀 子 が 順 子 夫 婦 と 同 居 す る 。 も と も と 養 母 と 不 仲 の 律 次 郎 と の 間 で 、 順 子 は 初 め て 嫁 姑 問 題 に 遭 遇 す る 。 し か し 順 子 は 「 誠 と 愛 を 以 て 尽 」 し

( 6 3 頁 )、姑 と も 次 第 に 親 し い 間 柄 と な っ た 。

【 両 親 の 死 】

嘉 永 6( 1 8 5 3 )年 5 月 、順 子 の 母 鶴 子 が 中 風 の た め 5 6 歳 で 永 眠 。 生 涯 は 「 充 実 」 し 「 9 人 の 子 女 を 生 み 、8 人 の 子 女 を 育 て 上 げ 、処 女 と し 妻 と し 母 と し て 賦 与 さ れ た 『 女 』 を 能 ふ 限 り 生 か し 」 た の だ っ た ( 8 4 頁 ) 。

安 政 2 ( 1 8 5 5 ) 年 6 月 、 妻 が 逝 っ て か ら 2 年 後 、父 忠 左 衛 門 も 6 2 歳 で 永 眠 。3 0 余 年 の 役 人 生 活 の 在 職 中 の 死 は 公 葬 と し て 営 ま れ た 。

【 横 嶋 新 地 時 代 】

万 延 元 ( 1 8 6 0 ) 年 夏 、 律 次 郎 は 実 兄 木 下 初

(6)

次 郎 の 依 頼 で 玉 名 郡 横 嶋 新 地 の 監 督 を す る こ と に な り 、 家 族 で 移 住 。 そ の た め 、 布 田 の 地 所 、 開 墾 、 家 屋 敷 、 家 塾 な ど を 、 弟 新 次 郎 夫 婦 に 譲 っ た 。 律 次 郎 の 失 敗 に よ り 、 竹 崎 家 の 家 督 を 一 切 無 く し た こ と を 心 苦 し く 思 っ て い た 順 子 に と っ て 、 こ の 時 の 「 身 代 譲 り 」 ( 9 8 頁 ) は 責 任 を 幾 分 か 果 た し た 思 い で あ っ た 。 文 久 元 ( 1 8 6 1 ) 年 、 横 嶋 に 移 住 し て か ら も 律 次 郎 は 持 前 の 「 機 転 と 胆 」( 1 0 0 頁 ) で 、 田 畑 を 安 く 買 い 4 0 町 ( 注 ) ほ ど に な っ た 。 大 勢 の 男 女 を 使 い 小 作 の 家 族 が 移 住 し 「 律 次 郎 順 子 を 中 心 と し て 、 横 嶋 の 新 植 民 地 王 国 」 が 誕 生 し た 。 そ の 中 で も 順 子 夫 婦 は 先 頭 に た っ て 働 い た 。 多 忙 な 毎 日 で あ っ た が 、 時 に は 順 子 が 三 味 線 を 弾 き 、 律 次 郎 が 琴 や 笛 を 吹 い て 楽 し む 時 を 持 っ た 。

文 久 3 ( 1 8 6 3 ) 年 、 長 女 節 子 が 1 9 歳 と な り 庄 屋 新 野 尾 家 の 嗣 子 熊 太 ( 後 、 吉 勝 ) 2 4 歳 と 結 婚 。熊 太 は 嫡 子 な が ら 竹 崎 家 の 養 子 と な る 。 慶 応 元 ( 1 8 6 5 ) 年 、 孫 元 彦 が 誕 生 。

慶 応 3( 1 8 6 7 )年 大 政 奉 還 。明 治 維 新 を 迎 え る 。 横 井 小 楠 も 維 新 政 府 の 参 与 と な っ た 。 し か し 、翌 明 治 2 ( 1 8 6 8 ) 年 1 月 5 日 、京 都 木 屋 町 の 自 宅 に 帰 る 途 中 で 、 横 井 小 楠 は 襲 わ れ 最 期 を 遂 げ た ( 享 年 6 1 歳 ) 。 残 さ れ た 小 楠 門 下 の 中 で 重 鎮 の 順 子 の 兄 矢 嶋 直 方 は 東 京 に 上 っ た が 、 肥 後 に 残 っ て い た 夫 竹 崎 律 次 郎 ( 当 時 5 9 歳 ) と 義 弟 徳 富 萬 熊 ( 後 、 一 敬 。 妹 久 子 の 夫 。 蘆 花 の 父 親 。 当 時 4 9 歳 ) は 、 明 治 3 ( 1 8 7 0 ) 年 5 月 、 熊 本 藩 知 事 細 川 護 久 の 下 、 熊 本 に 出 て 藩 政 改 革 の 先 頭 に た っ て 働 い た 。

明 治 3 ( 1 8 7 0 ) 年 1 0 月 、 蘭 法 病 院 を 開 設 。 翌 4 年 に オ ラ ン ダ 人 マ ン ス フ ェ ル を 招 聘 し 、 医 学 校 を 開 校 し た ( 注 ) 。 ま た 、 同 年 8 月 に は ア メ リ カ 人 ゼ エ ン ス 大 尉 を 招 聘 し 、 熊 本 洋 学 校 を 開 校 し た ( 注 ) 。 改 革 は 目 ま ぐ る し く 進 め ら れ た 。 し か し 次 第 に 竹 崎 と 徳 冨 が 対 立 し た 。 周 囲 の 心 配 を よ そ に 、 結 局 1 0 歳 年 長 の 竹 崎 が 健 康 上 の 理 由 で 官 職 を 辞 し た ( 注 ) 。

【 日 新 堂 塾 時 代 】

明 治 5( 1 8 7 2 )年 、律 次 郎 と 順 子 は 、郊 外 の 本 山 村 に 屋 敷 を 求 め 、 家 塾 日 新 堂 を 開 い た ( 注 ) 。 ま た 殖 産 興 業 の 一 環 と し て 、 茶 の 栽 培 製 茶 を 地 元 民 に や ら せ た 。 こ の 時 か ら 律 次 郎 は 号 を 白 川 か ら 茶 堂 と 名 の る よ う に な っ た 。

律 次 郎 は「 急 務 は 人 を 作 る と 云 ふ が 第 一 だ 。 人 が 出 来 ぬ と 、 大 義 を 四 海 に 布 く 事 も 何 も 得 な ら ぬ 。 自 分 が 志 は 正 に 此 に 在 り 。 」 ( 1 3 3 頁 ) と 生 徒 を 前 に 思 い を 語 っ た 。 ま た 律 次 郎 に 劣 ら ず 、 順 子 も 「 先 天 的 教 育 家 」 ( 1 3 5 頁 ) だ っ た 。 前 地 横 嶋 新 地 で も 「 忙 わ し き 農 業 の 傍 に さ へ 懇 ろ に 下 女 下 男 を 教 へ 、 鄭 寧 親 切 に 小 作 人 の 小マ マ供 等 を 教 育 」( 1 3 5 頁 )し て き た が 今 回 も 県 下 か ら 集 ま っ て き た 生 徒 た ち に 対 し 、

「 順 子 は 母 と な り 友 と な り 、 竹 崎 氏 を 補た すけ て 親 し く 之 を 薫 陶 」( 1 3 5 頁 )し 、常 に 生 徒 に 気 を 配 っ た 。特 に 内 塾 の 生 徒 に は「 綻 び 、洗 濯 、 さ て は 書 物 、 は き も の ま で 細 か に 注 意 し 、 貧 生 の た め に 人 知 れ ず 己 が 着 物 を ぬ ぎ て 袷あわせを 造 り 、 綿 入 れ を 調ととのへ 」 ( 1 3 6 頁 ) た こ と 、 ま た 食 事 に も 注 意 し 、 原 料 を 吟 味 し 、 滋 養 の あ る も の を 食 べ さ せ た 。そ れ は 、「 主 人 初 め 来 客 、 書 生 、 下 女 、 下 男 に 到 る ま で 」( 1 3 6 頁 ) す べ て に 対 し て で あ っ た 。 さ ら に 幼 年 生 の 食 事 の 際 に は 、 忙 し く と も 必 ず 食 堂 に 行 き 、 子 供 た ち の 食 欲 体 調 を 確 認 し た 。

明 治 7( 1 8 7 4 ) 年 2 月 、 順 子 夫 婦 は 門 下 生 4 名 を 連 れ て 東 京 へ 旅 行 に 行 っ た 。 東 京 が 初 め て の 律 次 郎 は 、「 教 育 と 勧 業 」( 1 3 8 頁 ) に 最 も 注 目 し 、 新 し い 教 材 や 農 業 用 具 な ど を 買 い 求 め た ( 注 ) 。 一 方 順 子 は 、 離 婚 後 心 機 一 転 教 職 を 学 び 、 小 学 校 に 奉 職 し て い た 妹 楫 子

( か つ 子 改 め )( 注 )と 再 会 し た 。帰 郷 後 、 日 新 堂 は 生 徒 が 2 0 0 名 に も 上 っ た 。 こ の 年 医 学 校 は 廃 止 と な る 。

明 治 8 ( 1 8 7 5 ) 年 熊 本 洋 学 校 、 第 1 回 卒 業 生 を 出 す 。 ゼ エ ン ス は 「 自 国 の 文 化 の す べ て を 日 本 に 伝 」( 1 4 5 頁 ) え る に は 、 そ の 「 根 底 と 信 ず る 耶 蘇 を 伝 」( 1 4 5 頁 ) え な い こ と は 、「

所 謂 櫃 を 与 え て 璧 を と ゞ む る 心 苦 し さ 」 ( 1 4 5 頁 ) を 感 じ 、ゼ エ ン ス 自 身 が 信 仰 す る キ リ ス ト

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教 を 熱 心 に 学 生 に 与 え た ( 注 ) 。

明 治 9 ( 1 8 6 7 ) 年 1 月 2 9 日 、 洋 学 校 で ゼ エ ン ス よ り 耶 蘇 信 仰 の 教 え を う け た 若 者 3 5 人(

蘆 花 の 兄 猪 一 郎 ( 蘇 峰 ) や 横 井 小 楠 嫡 子 時 雄 も 参 加 し て い た ) が 、 花 岡 山 で 誓 文 に 署 名 す る 事 件 が 起 き た ( 注 ) 。 7 月 洋 学 校 は 第 2 回 卒 業 生 を 出 し た が 、9 月 ゼ エ ン ス の 任 期 満 了 と 同 時 に 洋 学 校 が 廃 止 と な っ た 。 花 岡 山 事 件 は 順 子 夫 婦 に も 衝 撃 を 与 え た 。 特 に 病 気 が ち だ っ た 律 次 郎 は 、 将 来 を 期 待 し て い た 青 年 た ち の 謀 反 に 失 望 し た 。 さ ら に 官 公 立 の 教 育 機 関 が 開 校 し た こ と で 、 日 新 堂 も と う と う 閉 じ る こ と と を 決 意 し た 。 夫 妻 は 惜 し ま れ つ つ 、 高 野 辺 田 の 隠 宅 に 移 住 。1 0 月 2 4 日 、神 風 連 の 乱 ( 注 ) が 起 き る 。

【 未 亡 人 と な る 】

明 治 1 0( 1 8 7 7 )年 5 月 2 6 日 、竹 崎 茶 堂( 律 次 郎 ) が 6 6 歳 で 永 眠 。 5 3 歳 の 順 子 は 3 8 年 間 寄 り 添 っ た 夫 を 亡 く し 、 未 亡 人 と な る 。 寂 し さ の 中 に も 、「 私 は 仕 合 せ 者 で す た い 」 ( 1 6 9 頁 ) と そ れ ま で の 人 生 を 思 う の だ っ た 。

そ し て そ の 後 の 熊 本 女 学 校 の 「 二 十 八 年 の 大 成 は 」 は 「 娘 と し て の 十 六 年 、 妻 と 三 十 八 年 の 幸 福 な 愛 の 生 涯 を 根 と し 」 ( 1 6 9 頁 ) て 、 出 発 し た の で あ る 。

④ 熊 本 女 学 校 舎 監 か ら 校 長 時 代

( 第 1 4 章 ~ 2 3 章 ) 受 洗

明 治 2 0 年 1 月 妹 つ せ 子( 横 井 小 楠 の 後 妻 で 未 亡 人 ) が 中 風 に な る ( 注 ) 。 孫 土 平 が 友 人 の 時 計 を 無 断 で 質 に 入 れ た こ と で 、 中 学 校 を 退 学 さ せ ら れ た 。 こ の こ と で 苦 悩 し た 順 子 は 、 「 耶 蘇 教 の 薫 陶 を 施 す 外 は な い 」 ( 2 0 2 頁 ) と 当 時 健 次 郎 が 在 学 し て い た 同 志 社 に 土 平 を 入 学 さ せ た ( 注 ) 。 さ ら に 孫 の 元 彦 が ア メ リ カ で 肺 病 の た め 病 死 ( 享 年 2 3 歳 ) 。 あ い つ ぐ 不 幸 に 襲 わ れ た 順 子 は 、 「 神 に も 仏 に も 人 に も 諂へつらふ 事 を 賤 し 」 み ( 2 0 8 頁 ) 、 「 夫 茶 堂 に 対 す る 愛 は 、 わ が 全 を 挙 げ て の 愛 」 で あ っ て 、 「 耶 蘇 教 に 見 か へ る こ と は 、 取 り も 直 さ ず 二 夫 に 見 ゆ る 」 こ と で あ っ て 、 「 死 よ

り つ ら い 事 」 ( 同 ) と 思 っ て き た 。 だ が こ の 時 「 愕 然 と 覚 め 」( 2 0 9 頁 )「 神 の 前 に 平 伏 し

」 ( 同 ) 「 自 ら 正 し と し た 高 慢 の 罪 」 ( 同 ) を 神 に 詫 び た 。 そ し て 、 1 0 月 、 娘 節 子 と 共 に 海 老 名 弾 正 ら の 立 ち 会 い の も と 、 O . H . ギ ュ リ キ に よ っ て 洗 礼 を 受 け た ( 注 ) 。6 3 歳 だ っ た 。

こ う し て 、 新 し い 信 仰 を 得 た 順 子 は こ れ ま で 耶 蘇 教 を 強 く 拒 ん で き た こ と を 、 信 仰 の 先 達 ( ゼ エ ン ス 、 順 子 の 妹 た ち 等 ) ( 注 ) に 対 し 、 律 義 に 詫 び た 。 1 2 月 に は 、 失 恋 の 挙 句 に 同 志 社 を 出 奔 し 、 九 州 で 彷 徨 う 甥 健 次 郎 を

「 『 何 の 、 好 か 、 好 か 』 」 と 「 慰 め 励 ま し 」 た ( 2 1 1 頁 ) ( 本 稿 1 の ( 2 ) 参 照 ) 。

【 熊 本 女 学 会 】

明 治 2 0 ( 1 8 8 7 ) 年 9 月 、 一 時 下 火 と な っ て い た 熊 本 の 耶 蘇 教 も 、 洋 学 校 第 1 回 卒 業 の 海 老 名 弾 正 の 熊 本 来 住 に よ っ て 、 勢 い を と り も ど し た 。 海 老 名 は 、 花 岡 山 で キ リ ス ト 教 に 誓 い を た て 、後 に 熊 本 バ ン ド と 呼 ば れ た 一 人 で 、 同 志 社 で 学 ん だ ( 注 ) 。 同 年 蘆 花 の 従 兄 、 徳 永 規 矩も と の り( 注 ) ら が キ リ ス ト 教 主 義 の 学 校 と し て 創 設 し た 熊 本 英 語 学 会 は 、翌 2 1 年 9 月 に 熊 本 英 学 校 と 改 名 し 海 老 名 弾 正 が 初 代 校 長 に 就 任 し た 。 謹 慎 中 の 健 次 郎 も 「 教 授 や 事 務 を 助 け 」( 2 1 7 頁 ) 、 英 学 校 は 「 見 る 見 る 成 長

」 ( 同 ) し て い っ た 。

片 や 「 熊 本 に 是 非 女 学 校 を 興 し た い 、 耶 蘇 教 主 義 の 女 学 校 を 興 し た い 」( 2 1 4 頁 )と 熱 望 し て い た 順 子 の 妹 久 子 ( 蘆 花 の 母 親 ) の 願 い が か な い ( 注 ) 、 そ の 卵 と い え る 熊 本 女 学 会 が 明 治 2 0 ( 1 8 8 7 ) 年 5 月 2 3 日 、 誕 生 し た 。

し か し 、 教 場 は 点 々 と 移 動 し 、 教 師 役 も 定 着 し な か っ た 。 よ う や く 「 黒 板 一 、 テ エ ブ ル 二 、 腰 掛 二 」( 2 1 7 頁 ) の 簡 単 な 設 え で 、 生 徒 が 1 2 , 3 名 程 度 と な っ た 時 、女 生 徒 の 世 話 を す る 年 配 の 者 が み あ た ら ず 苦 慮 し て い た 。 そ こ に 登 場 し た の が 、 6 4 歳 の 順 子 で あ る 。

6 0 年 の 間 に は 「 母 と し 祖 母 と し 女 一 代 の 生 活 体 験 を 十 分 に 有」( 2 1 8 頁 ) ち 、「 さ ま ざ ま な 人 々 に 触 れ 、 青 少 年 学 生 の 世 話 」 ( 同 ) の 経 験 も あ り 、 「 正 し く 明 る く 愛 す る 天 資 を 、

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儒 教 道 徳 で 練 り 上 げ て 」( 同 )き た 順 子 ほ ど 、 こ の 任 に 適 し た 人 は い な か っ た 。

【 熊 本 女 学 校 舎 監 時 代 】

し だ い に 生 徒 も 増 え 、 英 学 校 の 教 師 や 卒 業 生 が 手 助 け す る よ う に な る 。 学 校 名 義 に し よ う と 運 動 を す る が 、 「 私 立 の 、 殊 に 耶 蘇 教 臭 味 の 学 校 」 ( 2 1 9 頁 ) は 疎 ま れ 認 可 が お り ず 、 結 局 熊 本 英 学 校 附 属 女 学 校 と な っ た 。 明 治 2 2

( 1 8 8 9 ) 年 5 月 、 熊 本 大 江 村 に 初 め て 女 学 校 校 舎 が 建 て ら れ た 。「 新 校 舎 は 、2 階 が 畳 敷 の 寄 宿 舎 で 、 下 が 板 敷 の 教 場 」( 2 2 4 頁 ) 、「 玄 関 の 突 当 の 八 畳 敷 の 一 室 が 応 接 間 で 、 且 つ 順 子 の 室 」 ( 同 ) と い う つ く り で 、 「 女 学 校 長 は 海 老 名 、 順 子 は 舎 監 」 ( 同 ) と な っ た 。 1 1 月 2 日 、 私 立 熊 本 女 学 校 の 正 式 認 可 が 下 り 、 看 板 も 新 た に 掲 げ ら れ た 。

明 治 2 3( 1 8 9 0 )年 1 月 2 3 日 、大 磯 で 新 島 襄 が 病 死 ( 享 年 4 8 歳 ) 。 2 月 猪 一 郎 ( 蘇 峰 ) が 東 京 で 「 国 民 新 聞 」 を 発 刊 す る 。 1 0 月 海 老 名 弾 正 が 組 合 教 会 伝 道 会 社 社 長 就 任 の た め 、 京 都 に 転 任 。 順 子 に と っ て は 痛 手 で あ っ た が 、 後 任 の 柏 木 義 円 ( 注 ) が 英 学 校 兼 任 校 長 と し て 就 任 し た 。 ま た 教 師 も 、 同 志 社 や 英 学 校 関 係 が そ の 任 に あ た っ て く れ た 。

明 治 2 5( 1 8 9 2 )年 1 月 2 8 日 、孫 の 土 平 が 肺 病 の た め 病 死 ( 享 年 2 4 歳 ) 。 6 月 女 学 校 第 1 回 卒 業 生 5 名 を 出 し た 。

明 治 2 6 ( 1 8 9 3 ) 年 7 月 女 学 校 第 2 回 卒 業 生 4 名 を 出 す 。儒 教 主 義 の 尚 絅しょうけい女 学 校 が 開 校 さ れ る が 、 熊 本 女 学 校 は 「 お と な し く 然 も 堅 実 な 生 長 」( 2 5 5 頁 )を 続 け た 。そ れ は 学 校 と い う よ り「 家 塾 、家 塾 よ り も 寧 ろ 家 庭 」( 同 )だ 。

「 夫 婦 の 大 倫 を 第 一 義 に 推 す 順 子 に と っ て 家 は 何 よ り 大 切 」 ( 同 ) な も の だ っ た 。

明 治 2 7( 1 8 9 5 )年 、順 子 7 0 歳 。神 戸 に 住 む 妹 つ せ 子 の 見 舞 い の た め 、 女 学 校 の 春 休 み を 利 用 し て 旅 に 出 た 。 そ れ を 聞 い た 東 京 の 妹 達

( 久 子 、 楫 子 ) か ら も 是 非 上 京 す る よ う に 促 し て き た の で 、 東 京 ま で 足 を 延 し 、 久 し ぶ り に 多 く の 親 族 と 再 会 し た 。5 月 姉 三 村 に ほ 子 が 永 眠 ( 享 年 7 5 歳 ) 。 7 月 女 学 校 第 3 回 卒 業 生

6 名 を 出 す 。日 清 戦 争 が 起 る 。「 正 真 正 銘 の 忠 君 愛 国 者 」( 2 6 2 頁 ) の 順 子 は 、「 ぢ つ と し て は 居 ら れ 」 ( 同 ) な か っ た 。 1 2 月 妹 横 井 つ せ 子 が 永 眠 ( 享 年 6 4 歳 ) 。

明 治 2 8( 1 8 9 5 )年 英 学 校 兼 任 校 長 の 蔵 原 惟こ れひ ろ

( 注 ) は 女 学 校 の 経 営 改 革 を す る た め に 、 7 1 歳 の 順 子 に 引 退 を 迫 っ た 。 「 老 の 命 を う ち 込 ん で の 女 学 校 」( 2 7 1 頁 )を 容 易 く 手 放 す つ も り も な く 「 生 来 の 素 直 に 年 の 功 と 、 新 信 仰 に 入 っ て 以 来 の 修 養 の 功 を 積 ん で 、 和 や か な も の に 包 ま れ て 居 」 た が 、 い ざ と な れ ば ド ツ し り と し た 大 地 其 も の ゝ よ う な 、 金 剛 不 動 」

( 2 7 2 頁 ) の 順 子 に 対 し 、 3 5 歳 の 蔵 原 は 怒 鳴 り 散 ら す ば か り 。 お と な し く 叱 ら れ て い る 順 子 も あ ま り の 無 礼 に は 「 あ ゝ た は 、 老 人 ば 何 て ち 思 う ち そ ん な 失 礼 な 言 ば 仰 有 る か ? 」 ( 2 7 3 頁 )と 逆 に 蔵 原 を 叱 っ た 。し か し 、順 子 は

「 争 う 可 き に 争 い 、 譲 る 時 は 譲 る を 知 る 人 」

( 同 ) だ っ た 。 そ こ で 、 女 学 校 を 出 て 高 野 辺 田 に 戻 っ た 。 だ が 、 こ の 後 、 女 学 校 は 順 子 に つ く 生 徒 も 多 く 、学 校 は 二 分 さ れ て し ま っ た 。 結 局 順 子 は 呼 び 戻 さ れ 、 蔵 原 は 女 学 校 か ら 手 を 引 き 、 代 わ り に 福 田 令 寿 ( 注 ) が 校 長 に 就 任 し た 。 孫 菊 子 が 病 死 ( 享 年 1 7 歳 ) 。

明 治 2 9 ( 1 8 9 6 ) 年 、 熊 本 英 学 校 の 後 を 継 い だ 九 州 私 学 校 が 閉 校 と な り 、 姉 妹 校 の 女 学 校 の 存 続 も 危 う く な っ た 、 し か し 「 女 学 校 は 死 な さ ぬ 」( 2 8 0 頁 )の 順 子 の 一 言 で 、継 続 の た め 周 囲 が 献 身 的 に 努 力 し た 。

【 校 長 時 代 】

明 治 3 0 ( 1 8 9 7 ) 年 1 月 、 熊 本 女 学 校 が よ う や く 独 立 認 可 さ れ 、 7 3 歳 の 順 子 が 校 長 に 就 任 し た 。

順 子 は 校 長 と な っ て も あ い か わ ら ず 学 校 の 応 接 間 で 生 活 を し 、 生 徒 と と も に 食 堂 で 同 じ も の を 食 し た 。 そ し て 、 生 徒 に は 「 女 と し て 生 活 す る 用 意 の 為 に 来 学 し て 居 る こ と 」( 2 8 4 頁 ) を 忘 れ な い よ う に 教 え た 。 そ の 一 例 と し て 、 順 子 の 日 課 の 一 つ に 「 女 生 徒 が 無 心 に 散 ら し 捨 て る 紙 屑 を 拾 う て あ る く 事 」が あ っ た 。

明 治 3 7( 1 9 0 4 )年 3 月 、第 1 3 回 卒 業 生 を 出

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す 。校 長 と し て 8 0 歳 の 順 子 の 最 後 の 卒 業 式 で あ っ た 。 日 露 戦 争 が 始 ま る 。

⑤ 病 床 に 臥 し 亡 く な る ま で ( 第 2 4 ~ 2 7 章 ) 順 子 は 、 昨 年 夏 に 喀 血 し て 以 来 一 進 一 退 を 繰 り 返 し て き た 。 明 治 3 8 ( 1 9 0 5 ) 年 3 月 順 子 の 病 床 に は 「 生 き 残 っ た 同 胞 や 数 多 い 甥 姪 の 大 方 は 見 舞 に 来 た り 、 告 別 に 来 た り 」 ( 5 3 5 頁 ) し た 。 し か し 、 在 京 の 妹 久 子 と は 1 0 年 前 に 別 れ た き り で あ っ た 。 再 会 を 望 む が 、 久 子 も 7 7 歳 の 高 齢 で 無 理 だ っ た 。 せ め て 息 子 の 健 次 郎

( 蘆 花 ) は や っ て こ な い か と 、 順 子 は ひ た す ら 祈 っ た 。 そ の 祈 り が 通 じ た の か 偶 然 桜 島 を 旅 行 中 の 蘆 花 に 、 伯 母 重 体 の 電 報 が 届 い た こ と は す で に 述 べ た ( 本 稿 1 の ( 1 ) 参 照 ) 。 3 月 7 日 、臨 終 の 際 、讃 美 歌 を 歌 い 泣 い て い る 者 た ち を 慰 め 、 呼 び か け に も 「 よ う よ う 眼 を 開 き て 『 は い 』 と 答 え ら れ 、 息 は 次 第 に 遠 く な り 、 眠 る よ う に 」( 5 4 1 頁 ) 、 午 後 3 時 半

「 安 ら か に 最 期 の 息 を 引 き 取 」 っ た ( 同 ) 。 3 月 9 日 、日 露 戦 争 の「 奉 天 、包 囲 の 中 に 落 つ 」と い う 号 外 が 熊 本 市 街 を 飛 び 交 っ て い た 。 ま さ に そ の 日 に 、 牧 師 、 生 花 、 校 友 会 か ら の

「 愛 は 永 久 に 堕 つ る こ と な し 」 「 謙 遜 を 着 よ

」 「 我 を 信 ず る 者 は 死 ぬ る と も 活 く べ し 」 「 汝 等 憂 う る 勿 れ 、 神 を 信 じ 、 ま た 我 を 信 ず べ し 」 ( 5 4 8 頁 ) と 記 さ れ た 旗 4 りゅうを 先 導 に 、 白 布 の 上 に さ ら に 黒 の 布 で 覆 わ れ た 御 柩 、 柩 の 傍 ら に 、 喪 主 、 近 親 、 教 え 子 、 職 員 、 そ の 他 の 送 り 人 の 行 列 が 、 校 門 か ら 順 子 の 自 宅 ま で 厳 か に 続 い た 。 こ の 行 列 を 見 た 市 中 の 人 々 は 、 「 何 将 軍 の 戦 死 か と 驚 い て 見 、 そ れ が 軍 人 な ら ぬ 一 婦 人 の 葬 式 で あ る の に 眼 を 見 は り

」 「 此 婦 人 が 如 何 な る 戦 を 戦 い 、 而 し て 如 何 な る 凱 旋 の 葬 式 で あ る か を 知 る 者 は 、 も と よ り 多 く は 」 ( 5 4 8 頁 ) な か っ た 。

⑥ 順 子 没 後 『 竹 崎 順 子 』 完 成 ま で の 1 8 年 間 の こ と ( 第 2 8 章 )

私 立 熊 本 女 学 校 は 、高 等 女 学 校 令 に よ っ て 、 大 正 1 0 ( 1 9 2 1 ) 年 、 大 江 高 等 女 学 校 と 改 称 。 順 子 の 命 日 3 月 7 日 が 女 学 校 の 記 念 日 と さ れ 、 順 子 の 追 悼 会 、 墓 参 が な さ れ て い る 。 順 子 の

墓 は 故 律 次 郎 の 墓 に 並 ん で 置 か れ た 。 健 次 郎 は 妻 愛 子 を 伴 い 、 大 正 2 ( 1 9 1 3 ) 年 秋 、 墓 参 。 そ の 折 、 以 前 に 愛 子 が 植 え た 木 犀 の 花 が 佳 い 香 を は な っ て い た ( 注 ) 。 こ の 後 1 8 年 間 か か っ て よ う や く 『 竹 崎 順 子 』 を 完 成 さ せ た こ と は 前 述 し た ( 本 稿 1 の ( 1 ) 参 照 ) 。

3 、 姉 妹 た ち の 人 生

『 竹 崎 順 子 』 で は 、 順 子 の 姉 妹 た ち に つ い て も 多 く の 叙 述 が あ る 。 順 子 を 理 想 の 女 性 と み る 蘆 花 は 、 実 母 や 伯 母 、 叔 母 の 生 き 方 を 順 子 の 生 き 方 と 比 べ て 、 著 し て い る 。

長 女 に ほ は 、 次 女 も と と の 双 子 で 、 早 く に 地 元 の 有 力 者 の 三 村 家( 母 親 の 生 家 )に 嫁 ぐ 。

次 女 も と 子 は 最 初 の 夫 と は 死 別 し 、 藤 島 又 八 と 再 婚 し 、 夫 よ り 先 に 亡 く な る 。

四 女 久 子 は 、 竹 崎 律 次 郎 と 同 様 横 井 門 下 の 先 鋭 の 徳 富 一 敬 の 妻 と な る 。 実 母 鶴 子 の 病 気 見 舞 い に 来 た 娘 久 子 に 対 し 、 母 は 「 お ま へ が 子 供 の 時 か ら 気 任 せ で 、 頭 が 高 く て 、 謹 慎つ つ し みが 足 ら ぬ の が 心 配 で 」 ( 7 2 頁 ) 観 音 様 に 祈 っ た と 言 っ た ほ ど 、 勝 気 な 娘 で あ っ た 。 徳 富 家 に 嫁 い で か ら 4 人 の 女 児 を 産 む が 、 嫡 子 と な る 男 子 が な か な か 授 か ら な か っ た 。 そ の 上 、 眼 病 か ら 失 明 の 危 機 が 迫 り 、 危 う く 離 婚 と な る と こ ろ だ っ た 。 し か し 長 男 猪 一 郎 ( 蘇 峰 ) が 誕 生 し た た め 、 そ の 地 位 は 以 後 安 泰 と な っ た 。 こ の 6 年 後 次 男 健 次 郎 ( 蘆 花 ) が 誕 生 す る 。

五 女 つ せ 子 は 2 6 歳 の 時 、横 井 小 楠( 当 時 4 8 歳 ) の 後 妻 に 入 る 。 部 屋 住 ま い が 長 か っ た 小 楠 に は 、 実 母 や 機 織 り の 娘 が そ の ま ま 妾 と な っ た 女 や 小 姑 が 居 て 、 嫁 つ せ 子 に と っ て 気 の 休 ま る 時 が な か っ た 。 し か し 、 つ せ 子 が 「 す べ て を 胸 一 つ に 蔵お さめ 」 ( 9 5 頁 ) た の で 波 風 が た た ず 、 小 楠 は 「 お つ せ は 君 子 」 ( 9 4 頁 ) と 称 嘆 、 女 た ち も 一 目 置 い た 。 実 際 は つ せ 子 に と っ て 、ひ た す ら 忍 従 の 生 涯 だ っ た と い え る 。

六 女 か つ 子 ( 後 、 楫 子 ) は 、 郷 士 林 七 郎 に 嫁 ぐ 。 兄 直 方 と 小 楠 の 見 立 て で は あ っ た が 、 林 は す で に 2 度 結 婚 し 離 婚 、 先 妻 の 子 供 が い た 。 そ の 上 、 大 酒 の み で か つ 子 に 暴 力 を ふ る

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っ た 。 夫 の 横 暴 に 耐 え か ね 、 結 局 離 婚 。 順 子 た ち の 私 塾 を 手 伝 っ た り し て い た が 、 東 京 在 住 で あ っ た 兄 直 方 の 看 病 を 理 由 に 上 京 。 こ の 時 、 「 楫 の よ う に 大 き な 船 を 動 か す こ と が 出 来 る か も し れ な い 」 と い う 思 い を 込 め 、 心 機 一 転 楫 子 と 改 名 し た 。 そ の 後 、 教 員 講 習 所 で 学 び 、 小 学 校 の 教 師 か ら 女 子 学 院 の 院 長 、 基 督 教 婦 人 矯 風 会 初 代 会 頭 に 就 任 と 目 覚 ま し い 活 躍 を 遂 げ て い っ た 。 そ の 活 躍 を 世 間 は 「 新 し い 女 の 先 駆 」 「 社 会 的 婦 人 の 第 一 人 者 」 と 評 し た 。 し か し 、 蘆 花 か ら 見 れ ば 、 「 世 間 で わ い わ い 囃は やす 『 強 い 女 』 に 止 ら ず 、 も つ と も つ と 謙 虚 な 、 た つ ぷ り し た 深 み の あ る 女 に な つ て も ら ひ た か つ た 。 畢 竟 女 に 、 母 に 、 な つ て も ら ひ た か つ た 。 」 ( 「 矢 島 叔 母 の 絶 筆 に つ い て 」 ( 注 ) ) と 記 し て い る 。

七 女 さ だ 子 は 、両 親 が 4 0 歳 を 過 ぎ て か ら 誕 生 し た 末 っ 子 で 姉 た ち よ り も 甘 や か さ れ て 育 っ た 。 小 楠 門 下 の 河 瀬 典 次 の も と に 嫁 ぐ 。

姉 妹 に つ い て 、 順 子 の 生 涯 と 関 わ ら せ て お り お り 紹 介 し て い る が 、 中 で も 順 子 と 同 じ よ う に 「 心 の 母 」 と 思 う 横 井 つ せ 子 に は 、 蘆 花 が 同 志 社 時 代 横 井 家 に 居 候 を し て い た こ と も あ っ て 、 大 変 恩 義 を 感 じ て い る 。 ま た 横 井 家 の 姑 ・ 小 姑 ら と の 生 活 の 苦 労 を 間 近 に 見 て い た の で 、 そ の 書 き 方 に は 、 愛 情 が 垣 間 見 ら れ る も の に な っ て い る 。

一 方 、 か つ 子 ( 楫 子 ) に は 、 夫 に 恵 ま れ な か っ た 不 幸 は あ る が 、 我 が 子 を 里 子 に し た こ と や そ の 事 実 を 隠 し て い る こ と が 、 そ の 後 子 供 た ち に 不 幸 な 結 婚 生 活 を 送 ら せ た と 、 叔 母 の 態 度 を 批 判 ( 「 二 つ の 秘 密 を 残 し て 死 ん だ 叔 母 の 霊 前 に 捧 ぐ 」 ( 注 ) し た 。 ま た 『 新 春 』 出 版 後 夫 妻 で か つ 子 の も と を 訪 ね 、 「 公 私 一 切 が 神 人 の 前 に 分 明 で 」 な け れ ば い け な い と 懺 悔 を 迫 っ た 事 実 ( 注 ) も あ る 。 自 ず と 厳 し い 目 で 書 い て い る 。

順 子 が 上 京 し 、楫 子 の「 女 子 学 院 」を 見 て 、

「 わ が 故 郷 に 残 し 置 い た 田 舎 女 学 を 順 子 は 恥 か し い も の に は 思 ひ 浮 か べ 」な い( 2 6 0 頁 )な ど の 記 載 は 、 順 子 が 本 当 に そ う 感 じ た か ど う

か 。 む し ろ こ れ な ど は 、 楫 子 に 対 す る 蘆 花 自 身 の 思 い が 、 順 子 の 口 を 通 し て 言 わ せ た と 想 像 さ れ る 。

4 、 理 想 の 女 性 像 と み る 順 子 の 生 き 方 蘆 花 が 順 子 を 理 想 の 母 、 女 性 と み る の は 、 ど の よ う な 点 が そ う い わ せ た の だ ろ う か 。

( 1 ) 従 順 ・ 貞 節

「 順 子 の や う に す べ て に 順 ひ 、 す べ て を 愛 し 、 而 し て す べ て を 生 か す 女 」 ( 3 8 頁 ) は 律 次 郎 だ け で な く 、 「 世 界 に 良 人 と な し 得 ぬ 男 子 は 一 人 も な か つ た で あ り ま せ う 」 ( 同 ) と 述 べ 、女 性 と し て 従 順 に 夫 に 従 う 貞 節 な 妻 が 、 い か に 素 晴 ら し い か を 力 説 し て い る 。

ま た 、 か つ 子 ( 楫 子 ) も 順 子 の 結 婚 生 活 を 見 て 、 こ れ ま で 自 分 の 人 生 の 中 で 一 番 感 心 し た 女 性 は 姉 順 子 で あ る と し 、「 失 敗 の 度 毎 に 、 夫 を 慰 め 励 ま し 、 倍 旧 の 努 力 を 奮 つ て 、 一 層 猛 進 さ せ た 所 は 、 確 か に 婦 人 の 亀 鑑 と す べ き

」 ( 5 5 頁 ) だ と 思 う と 述 懐 し て い る 。

( 2 ) 慈 愛

順 子 の も と で 働 く 使 用 人 た ち は 、 「 必 ず 何 か 人 知 ら ぬ 長 所 を 見 出 さ れ 、 不 思 議 な 程 有 益 な 働 き 人 と な つ て 、 心 か ら 喜 ん で 其 分 を 盡 し

」 ( 1 0 5 頁 ) た 。 そ し て 男 た ち に は 独 立 さ せ 、 女 に は 良 縁 を 探 し 、 「 当 人 は 固 よ り 、 其 の 土 地 の 幸 福 と な る こ と は 」 ( 同 ) す べ て し た 。 そ し て こ こ で 生 ま れ た 子 供 た ち 、 特 に 娘 た ち に は 順 子 は 、 家 事 を し な が ら 読 み 書 き 以 外 に 裁 縫 も 教 え た 。 ど の よ う な 子 供 に も 「 自 然 に 湧 き 出 づ る 慈 愛 」 ( 1 0 6 頁 ) の 心 で 接 し た 。

( 3 ) 清 潔

女 学 校 で の 屑 を 拾 う こ と を 日 課 と し た こ と は 、 「 気 丈 で 清 潔 で 、 心 清 ら か に 身 だ し な み も ち ゃ ん と し て 居 る が 好 き の 順 子 は 、 周 囲 を 汚 な く し て 措 く 忍 び 」( 2 8 4 頁 )な か っ た か ら で あ る 。

( 4 ) 謙 虚

信 仰 の 世 界 に 入 っ て か ら 、 そ れ ま で キ リ ス ト 教 を 否 定 し て 勧 め て く れ た 人 々 に 大 変 失 礼 を し た と 「 謝 罪 」 を 忘 れ な か っ た 。 ゼ エ ン ス

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に も 手 紙 で 先 非 を 悔 い 、 甥 や 姪 な ど に も 「 顔 さ へ 見 れ ば 鄭 重 に 昨 非 を 詫 び 」 ( 2 1 0 頁 ) た 。

5 、 蘆 花 の 描 き た か っ た こ と

蘆 花 は 、『 竹 崎 順 子 』出 版 の 際 の 広 告 文 に 、

「 永 劫 の 火 の 国 肥 後 」 で 選 ば れ た 「 女 」 の 家 が あ り 、 そ れ が 「 矢 島 家 」 で あ る 。 「 主 婦 鶴 子 は 百 年 前 の 新 し い 女 」。鶴 子 か ら 生 ま れ た 7 人 の 女 は 鶴 子 の 「 七 変 化 」 。 そ の 中 で 「 堅 実 な 父 と 溌 剌 と し た 母 」 を 調 和 さ せ た 体 現 が 順 子 で あ る と い い 、 「 日 本 が 識 ら ず 愛 せ ず わ が も の と せ ず 」 に 措 い て お く に は 、 「 あ ま り に 惜 し い 永 劫 の 女 」 だ 。 是 非 、 新 し い 日 本 の 新 し い 女 と し て 、 復 活 さ せ た い 」 と ( 全 集 第 1 9 巻 収 5 3 4 頁 )と 書 い た 。竹 崎 順 子 の 生 涯 を 是 非 と も 世 間 に 知 ら せ た い と い う 強 い 思 い が 感 じ ら れ る 。

順 子 は 結 婚 後 、 婚 家 の 没 落 、 夫 の 不 遇 な ど に も め げ ず 、 従 順 な 、 し か し 強 い 女 と し て 生 き た 。 夫 の 死 後 、 孫 の 死 や 不 正 、 女 学 校 の 苦 難 の 時 も 、神 を 信 じ 祈 る こ と を や め な か っ た 。

蘆 花 は 『 新 春 』 で 、 イ エ ス と 同 様 に 自 ら が

「 S c a p e G o a t 」 と な っ て 人 々 を 救 い 、 そ の こ と で 神 の 栄 光 ・ 福 音 を 人 々 に 伝 え る 役 目 を 果 た そ う と す る 決 意 を 語 っ た 。

「 夫 婦 の 大 倫 を 第 一 義 に 」 ( 5 0 8 頁 ) 「 家 」

( 同 ) を 大 切 に 「 周 囲 を 責 む る よ り も 先 づ わ れ を 推 し て 周 囲 に 及 ぼ 」 し ( 同 ) 「 一 年 又 一 年 と 尋 当 に 公 明 に 正 大 に 堅 固 に 生 涯 を 築 い 」 ( 同 ) た 竹 崎 順 子 。 世 に 逆 ら う こ と な く 従 順 に 自 分 の 生 涯 を 生 き 抜 い た 無 名 の 一 女 性 。 こ の 一 女 性 を 日 本 中 に 知 ら し め た い と い う 思 い が 、 強 か っ た 。 た と え 伯 母 の 願 い が な か っ た と し て も 、 伝 記 と し て ま と め た の で は な い か 。

そ こ ま で い え る の は 、 楫 子 の 存 在 で あ る 。 前 述 し た よ う に 、 蘆 花 夫 妻 が 懺 悔 を 強 い た 叔 母 楫 子 は 、 『 竹 崎 順 子 』 発 表 時 、 矢 嶋 姉 妹 の 中 で 唯 一 存 命 で あ っ た ( 注 ) 。 楫 子 は 、 女 子 学 院 院 長 、 基 督 教 矯 風 会 初 代 会 頭 の 地 位 に ま で 昇 り つ め 、 海 外 の 平 和 会 議 な ど に も 出 席 し て 「 日 本 の 女 の 力 」( 5 5 7 頁 ) を 示 し た 。 病

気 危 篤 の 際 に は 「 皇 后 陛 下 の 御 尋 ね 」 ( 同 ) が あ っ た そ う で 、 ま さ に 「 社 会 的 名 誉 の 絶 頂 に 立 」 ( 同 ) っ た 女 性 で あ る 。 だ が 、 こ の 叔 母 楫 子 は 「 自 我 」 の 強 さ が あ っ た か ら 、 成 功 し た と も い え る 。

そ れ に 対 し 、 順 子 は 、 与 え ら れ た こ と に 逆 ら う こ と な く 従 順 に 成 す 女 性 だ っ た 。し か し 、 従 順 で あ り な が ら 、 熊 本 女 学 校 校 長 と し て の 仕 事 を 成 し た 。 熊 本 の 近 代 女 性 で は 、 や は り 卓 越 し た 女 性 で あ っ た こ と は い う ま で も な い 。 こ の 生 涯 を 世 に 知 ら せ る こ と が 、 『 新 春 』 以 後 「 神 の 福 音 を 伝 え て い く よ う な 仕 事 」 の 一 つ に 値 し た と 考 え て い い だ ろ う 。

さ ら に い え ば 熊 本 の 近 代 史 、 女 性 史 の 観 点 か ら も 、こ の 作 品 の 価 値 は 大 き い と い え よ う 。

( 本 稿 は 、 平 成 2 3 年 8 月 2 3 日 解 釈 学 会 全 国 大 会 口 頭 発 表 と 、 平 成 2 4 年 9 月 1 8 日 熊 本 徳 富 記 念 園 で の 講 演 と を も と に し て い る 。

ま た 、 本 稿 の 引 用 に 際 し 、 旧 漢 字 は 新 字 に 改 め て い る 。 )

① 今 回 使 用 し て い る 蘆 花 作 品 の 引 用 は 、す べ て 昭 和 3 ~ 5 年 刊 行 の 新 潮 社 版 蘆 花 全 集 を 使 用 。

② 拙 稿 「 徳 冨 蘆 花 『 新 春 』 、 新 し い 出 発 」(

平 成 2 3 年 1 月 「 解 釈 」 解 釈 学 会 )

③ 順 礼 紀 行 か ら 帰 っ た 翌 年 の 明 治 4 0 年 2 月 か ら 亡 く な る ま で 住 む こ と に な っ た 世 田 谷 粕 谷 の 家 。 現 在 の 東 京 都 世 田 谷 区 粕 谷 1 丁 目 2 0 - 1 蘆 花 恒 春 園 。ト ル ス ト イ の 影 響 で 晴 耕 雨 読 の 生 活 の 実 践 。随 筆 集『 み み ず の た は こ と 』は 村 人 と の 交 流 を 描 く 。拙 稿

「 徳 冨 蘆 花 『 み み ず の た は こ と 』 ( 平 1 8

・ 3「 成 蹊 人 文 研 究 」第 1 4 号 成 蹊 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 」 )

④ 拙 稿 「 徳 冨 蘆 花 『 順 礼 紀 行 』 に つ い て 」(

平 1 5 ・ 3 「 成 蹊 人 文 研 究 」 第 1 1 号 成 蹊 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 )

⑤ 「 5 0 年 の 重 荷 を 卸 し て 、 唯 今 桃 の 中 か ら

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躍 り 出 た 桃 太 郎 に な り ま し た 。 否 、 ア ダ ム に な り ま し た 。 赤 裸 の 自 由 さ 、 快 活 さ 、 瑞 々 し さ に 唯 踊 り 踊 り た い 程 嬉 し く て 堪 ら ぬ

」 ( 全 1 0 『 新 春 』 3 6 8 頁 ) 。 蘆 花 夫 妻 が 鬱 屈 し た 思 い か ら 解 き 放 た れ 、 神 の 栄 光 を 伝 え る 役 目 を 果 た そ う と 決 意 し 、 表 明 し た 作 品 。

⑥ 妻 愛 子 と 同 母 で す ぐ 上 の 兄 。蘆 花 の 兄 猪 一 郎 と も 早 く か ら 親 し く 、蘆 花 と 愛 子 の 結 婚 の 際 、 両 方 の 兄 が 積 極 的 に 動 い た 。 明 治 3 6 年 頃 か ら 朝 鮮 郡 山 で 種 苗 供 給 の 農 園 を 経 営 し て い た 。 蘆 花 よ り 1 歳 年 下 。

⑦ 拙 稿 「 『 死 の 蔭 に 』 に つ い て 」 ( 平 2 1 ・ 6

・ 1 7 熊 本 日 日 新 聞 社 日 日 新 書『 至 宝 の 徳 冨 蘆 花 』 熊 本 県 立 大 学 編 所 収 。 1 0 9 ~ 1 5 8 頁 )

⑧ 学 校 名 変 遷 は 次 の 通 り 。 明 2 0 ・ 5 : 熊 本 女 学 会 ~ 明 2 1 ・ 9 : 熊 本 英 学 校 付 属 女 学 校 ~ 明 2 2 ・ 1 1: 熊 本 女 学 校 ~ 大 1 0 ・ 3: 大 江 高 等 女 学 校 ~ 昭 2 3 ・ 4 : 大 江 女 子 高 等 学 校 ~ 昭 2 8 ・ 4 大 江 高 等 学 校 ~ 昭 6 3 ・ 5 : フ ェ イ ス 女 学 院 高 等 学 校 ~ 平 1 7 ・ 4 : 熊 本 フ ェ イ ス 学 院 高 等 学 校 。平 1 9 創 立 1 2 0 周 年 を 迎 え た 。 し か し 平 2 1 開 新 学 園 と 合 併 し 、 平 2 3 ・ 3 月 廃 校 。 歴 史 を 閉 じ た 。

⑨ 大 1 1 ・ 2 ・ 7 「 大 江 高 等 女 学 校 に 於 け る 講 演 」 ( 全 1 9「 偶 感 偶 想 」 5 7 頁 ~ 7 5 頁 、 口 絵 に 講 演 を し て い る 蘆 花 と 聴 衆 の 写 真 を 掲 載 )

⑩ 拙 稿 「 徳 冨 蘆 花 『 黒 潮 』 」 ( 平 1 4 ・ 3「 成 蹊 人 文 研 究 」 第 1 0 号 成 蹊 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 )

⑪ 姉 山 川 常 子 が 大 江 の 河 田 光 子 の も と に き て い た の で 、 迎 え が き た ( 全 1 8 『 冨 士 』

( 2 6 6 頁 )

⑫ 拙 稿 「 『 自 然 と 人 生 』 の 『 風 景 画 家 コ ロ オ

』 に つ い て 」 ( 平 1 0 ・ 3 「 成 蹊 人 文 研 究 」 第 6 号 成 蹊 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 )

⑬ ② 同 じ

⑭ 中 野 好 夫 著『 蘆 花 徳 冨 健 次 郎 』第 3 部 筑 摩 書 房 昭 4 9 ・ 9 ・ 7 3 3 1 ~ 3 4 0 頁

⑮ 前 田 河 廣 一 郎 著 興 風 館 昭 2 2 ・ 1 1 ・ 2 0 節 は 「 伯 母 の 臨 終 」 ( 4 3 7 ~ 4 4 6 頁 ) 「 竹 崎 順 子 」 ( 6 1 9 ~ 6 2 6 頁 ) を た て 、 中 野 氏 の い う 2 頁 よ り 多 く 言 及 。

⑯ 前 田 河 廣 一 郎 著 興 風 館 昭 1 8 ・ 1 1 ・ 2 0 1 行 と は 5 6 1 頁 6 行 目 。

⑰ 拙 稿 「 徳 冨 蘆 花 『 黒 い 眼 と 茶 色 の 目 』の 成 立 と 内 在 的 意 味 」 ( 平 1 9 ・ 8「 解 釈 」 解 釈 学 会 )

⑱ 「 杉 堂 、矢 嶋 旧 宅 」「 短 冊 2 葉 … 順 子 の 父

・ 母 」 「 布 田 掘 立 小 屋 の 跡 」 「 横 嶋 全 景 、 竹 崎 屋 敷 跡 及 付 近 」「 独 鈷 山 と 白 木 原 、及 び 竹 崎 屋 敷 」「 矢 嶋 家 兄 姉 妹 の 写 真 」「 竹 崎 茶 道 筆 蹟 」「 熊 本 女 学 校 講 堂 、 校 門 、 校 舎 」 「 日 々 ひ か へ 〈 順 子 筆 蹟 〉 」「 記 念 館 及 其 内 部 」「 日 記 よ り ( 写 真 ) 」「 終 焉 室 と 其 家 」 「 葬 儀 」 「 茶 堂 墓 、 順 子 墓 」

⑲ 蘆 花 の 誕 生 日 も 同 じ 1 0 月 2 5 日( 中 野 好 夫 氏 『 蘆 花 徳 冨 健 次 郎 』 第 1 部 拾 遺 2「 蘆 花 の 生 年 月 日 」 に よ れ ば 諸 説 あ る よ う だ ) 。

⑳ 姉 に ほ こ は 双 子 の 長 女 。当 時 母 の 生 家 三 村 家 の 嗣 子 伝 之 助 ( 後 、 伝 ) の 妻 。

1 町 1 0 反 9 9 , 2 ㌃ 。1 ㌃ 1 0 0 ㎡ 、3 0 , 2 5 坪 。 「 肥 後 藩 が 、 緒 方 、 北 里 、 田 代 、 弘 田 、 浜

田 の 諸 医 博 士 を 出 し て 、 日 本 の 医 界 に 貢 献 し た 」 の も こ の 医 学 校 に よ る と 思 わ れ る 」 ( 『 竹 崎 順 子 』 1 2 5 頁 )

熊 本 県 立 大 学 編 著 『 ジ ェ ー ン ズ が 遺 し た も の 』 熊 本 日 日 新 聞 社 日 日 新 書 平 2 4 ・ 3

・ 1 4 )

ゼ エ ン ス は 英 語 教 師 以 外 に も 、 熊 本 の 地 に 殖 産 興 業 の 新 風 を 吹 き 込 ん だ 。 養 蚕 、 乳 業 、 落 花 生 や ト ウ モ ロ コ シ 栽 培 。 西 洋 鍬 を 使 用 さ せ 、果 樹 栽 培 に も 熱 心 だ っ た 。 ゼ エ ン ス の 妻 も 料 理 裁 縫 な ど の 家 庭 的 知 識 を 教 え た 。

「 師 小 楠 の 所 謂 「 器 用 過 ぎ る 」 竹 崎 と 「 綿 密 過 ぎ る 」 徳 富 と 、 性 格 の 相 違 は 意 見 の 齟 齬 、 感 情 の 岐 れ 目 」 ( 『 竹 崎 順 子 』 1 2 7 頁 )

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熊 本 出 身 の 木 下 順 二 の 戯 曲 「 風 浪 」 ( 昭 2 8・ 2 未 来 社 刊 )は 、こ の 頃 の 竹 崎 茶 堂 を モ デ ル に し て い る と い わ れ て い る 。 「 農 業 三 時 を 著 わ し た 其 頃 の ハ イ カ ラ 農

の 津 田 仙 ( 津 田 梅 子 の 父 ) と は 話 が よ く 合 い ま し た 」 ( 1 3 8 頁 )

楫 子 は 当 時 東 京 芝 の 桜 川 小 学 校 ( 現 在 の 港 区 御 成 門 小 学 校 ) に 奉 職 し て い た 。 ゼ エ ン ス の 父 は ゼ ン エ ス 同 様 軍 人 で 、 か

つ 熱 心 な キ リ ス ト 教 信 者 。 プ レ ス ビ テ リ ア ン 教 会 の 長 老 。

誓 約 を 交 わ し た 3 5 人 は 熊 本 バ ン ド と 呼 ば れ る 。 ほ と ん ど が 同 志 社 に 学 び 、 牧 師 、 教 職 、官 公 吏 、政 治 家 と な り 、活 躍 し た 。 明 治 政 府 に 対 し 士 族 に よ る 熊 本 市 内 で の

反 乱 。多 数 の 死 者 。敬 新 党 の 乱 と も い う 。 全 1 0 『 黒 い 眼 と 茶 色 の 目 』 で は 「 叔 母 さ

ん 」 と し て 登 場 。 実 名 や 仮 名 な し 。 中 風 に な る こ の 場 面 は 『 黒 い 眼 と 茶 色 の 目 』 7 0 ~ 7 6 頁 に 詳 し い 。 な お 、 叔 母 の 病 気 で 親 戚 が 寝 泊 ま り す る こ と が き っ か け に 、 蘆 花 と 山 本 久 栄 が 親 し く な っ た 。

同 『 黒 い 眼 と 茶 色 の 目 』 の 「 次 平 」 と し て 登 場 。 土 平 が 蘆 花 と 久 栄 の 間 を 動 き 回 り 二 人 の 恋 愛 を こ じ ら せ た 。 破 綻 の 原 因 の 一 つ と も い え る 。

順 子 が 4 4 歳 の 明 2 0 ( 1 8 7 7 )・1 0 、熊 本 の 女 学 校 の 教 室 で も あ っ た 草 葉 町 講 義 所 で 、 娘 節 子 と 共 に 受 洗 。

矢 嶋 姉 妹 の 受 洗 年 は 次 の 順 番 で あ っ た 。6 女 楫 子 が 1 4 年( 築 地 新 栄 教 会 で デ ビ ッ ド

・ タ ム ソ ン か ら ) 、 5 女 つ せ 子 が 1 5 年 ( 今 治 教 会 で 横 井 時 雄 か ら ) 、 4 女 久 子 が 1 7 年 ( 熊 本 下 記 蘆 花 と 同 じ ) 。 蘆 花 は 1 8 年 、 姉 ら と 熊 本 三 年 坂 の メ ソ ジ ス ト 講 義 所 で 飛 鳥 牧 師 か ら 洗 礼 を 受 け る 。

横 井 時 雄 の 妹 み や 子 と 結 婚 。明 4 0・ 4・ 1 4 本 郷 教 会 ( 現 弓 町 本 郷 教 会 ) 牧 師 と し て

蘆 花 の 父 一 敬 ( 8 6 歳 ) に 洗 礼 を 授 け た 。 一 敬 の 4 番 目 の 弟 、 徳 永 昌 龍 の 長 男 。 横

浜 で ア メ リ カ の 宣 教 師 バ ラ に 学 び 、受 洗 。

帰 郷 後 、 叔 父 一 敬 の 共 立 学 舎 、 従 弟 猪 一 郎 の 大 江 義 塾 な ど も 手 伝 う 。 熊 本 新 聞 社 主 筆 。 著 書 『 逆 境 の 恩 寵 』 。

久 子 は 、 母 鶴 子 が 「 新 し い 婦 人 と し て 当 時 の 不 満 と 将 来 の 希 望 を 抱 い て い た 」 こ と を 覚 え て い た 。 久 子 自 身 も 「 己 が 境 遇 と 閲 歴 か ら 婦 人 の 位 置 に つ い て 大 方 な ら ぬ 不 満 を 抱 き 、 婦 人 の 位 置 を 向 上 さ す 必 要 と 、 そ れ に は 女 子 教 育 の 必 要 を 早 く か ら 感 じ て 」 い た ( 2 1 3 頁 ) 。 し か し 、 久 子 一 家 は 女 学 会 が 動 き 出 す 前 に 、 東 京 に 移 住 す る こ と に な っ た の で 、 久 子 は 創 案 者 と し て の み 名 を 残 し た 。

日 本 組 合 基 督 教 会 牧 師 。 明 3 9 ・ 3 ・ 3 1 安 中 教 会 牧 師 と し て 、 蘆 花 の 妻 愛 子 に 洗 礼 を 授 け る 。

イ ギ リ ス に 留 学 中 、 熊 本 英 学 校 か ら 招 聘 を 受 け 帰 国 。 女 学 校 長 も 兼 務 。 英 学 校 に 着 任 時 、 迎 え た 奥 村 禎 次 郎 が キ リ ス ト 教 博 愛 主 義 の 演 説 を し 、 そ の 内 容 を 巡 っ て 解 雇 を 迫 る 県 の 弾 圧 を 受 け た 。 学 内 も 二 分 さ れ る 。こ の 奥 村 事 件 を 経 て 着 任 4 年 、 女 学 校 も 改 革 を し よ う と 考 え る 蔵 原 に と っ て 、 竹 崎 順 子 が 目 障 り だ っ た こ と が 背 景 に あ る 。

蘆 花 の 英 学 校 で の 教 え 子 。医 師 。教 育 者 。 ⑦ に 同 じ 。

全 1 9「 偶 感 偶 想 」 所 収 。 初 出 は 大 1 4「 婦 人 公 論 」 8 月 号 。

全 1 9「 偶 感 偶 想 」 所 収 。 初 出 は 大 1 4「 婦 人 公 論 」8 月 号 と あ る が 、こ の 掲 載 発 表 雑 誌 に つ い て 、 中 野 好 夫 『 蘆 花 徳 冨 健 次 郎

』 第 一 部 附 録 蘆 花 探 訪 拾 遺 1 「 矢 島 楫 子 の 告 白 に つ い て 」 で 、 「 婦 人 の 国 」 の 間 違 い で あ る と 指 摘 。

に 同 じ 。

大 1 4 ( 1 9 2 5 ) ・ 6 ・ 1 6 、 9 2 歳 没 。

参照