轟
調
杳
後志地方に於ける鯨漁業歩方経螢
■服部政一
序
北海道の産業申第三位を占める水産業の大宗は鯨漁業である︒鯨漁業の本道に於ける起原は遠く慶長年間
(約三百二十年前)松前氏時代にあつて︑當時は本道の第一位の産業として︑道史の第一頁を飾つた華やかな
歴史を有してゐる︒當時行はれてゐた練漁業制度は漁場請員制度であつたが︑明治二年開拓使の設置された後
は漁場持制度となつた︒此の制度も明治三十五年七月奮漁業法の實施に伴つて更らに冤許漁業制度と改めら
れ︑爾來練漁業は其の八割が冤許による定置漁業として螢まれ今日に及んでゐる︒過去に於ては刺網のみによ
つて漁獲されたのが︑今日では多くが一定の水面を限つて設置された角網による漁獲方法に改められたことは
後志地方に於ける鯖漁業歩方経響一四五
6 後志地上万に.於けろ櫨岬漁⁝業歩方鰯脳麟ロ一四山ハ
確かに技術上見るべき進歩ではあらうが︑然し漁業制度の攣革は必らすしも斯業維螢の内容を憂革さぜては居
ない︒其れの大きな原因は例へ冤許漁業制度が實施されて︑何人にも平等に漁業構の取得︑從つて漁場経螢の
機會が與へられたにもせよ︑實際の漁場経螢には斯業特異の経菅技術を必要とするが爲めに︑此の技術を有せ
ざる者は事實上経替を行ひ得す結極永年此れに從事した漁業家のみが世襲的に漁場の経螢をなした事情の存し
たによるのである︒此れが爲めに現在の漁業も過去のそれの如く︑一ケ統(註)を軍位とする小規模経螢にして
殆んど個人企業である︒経螢方法から見れば個人経螢と共同経螢‑多くは歩方経螢iとである︒個人と歩
方経螢との差異は要するに経螢の危瞼員捲が個人にあると然らざるとにあるのみで︑特に経螢内容に於ては著
しい攣化がない︒筆者は今かるが故に︑最近頓に其の数を増加しつ︑ある歩方経螢の特異性を明らかにし︑同
時に亦此れを通じて鯨漁業維螢の一般を窺はんとするのである︒而して其の場所的範園を少地域後志地方
ーに限つたのは︑後述するであらうが如く歩方経螢の最も盛んなる地方は後志地方であると︑棘漁業債値が
地方によつて異なり從つて歩方経螢の行はる﹂に至る事情を異にするが爲めに︑此等の地方を一律に論する事
は或る程度の論述の正確を期し得なくなるのを恐れた爲めとである︒然しながら後志地方に於ける経螢を詳細
に極める事は次の事情の存するがために︑此れによつて或程度までは北海道全道の漁鯨業経螢二一般を推察し得
ると思ふ︒其の事情とは︑経螢者と契約をなす勢務者ー漁夫ilは各漁場とも出身地を同じくするから略同
檬な條件の契約の締結をなすに至り︑從つて其の維菅内容をも相似たものとする事情是れである︒︑
筆者は今夏本道西海岸地方の錬漁業地を實地調査する機會を得て︑出來得るだけの資料蒐集に努めたのであ
つたが︑取り淺された原始産業の一つである錬漁業は他の産業に比して此の黙大きな困難を感ぜしむるのであ
● つて︑其の結果に於て意に滞たざる所無しとしない︒然しながら是に敢て紹介するのは︑本道産業開拓の上か
ら見るならば︑此の程度の調査も無きに優るであらう事を自ら秘かに信するが故である︒
(註)一ク統とに指定免許ぜられ六一定の海面に角綱i普瀬縦十間内外︑橿三十ー四十間1︼ケ統な設けうに要する一
際の漁構及製造設備︼組な意味し︑庇の設備に各漁揚共大髄一定して居て経螢の標準となるのである︒
騨︑歩方経管の登達と其の原因
練漁業の歩方維菅の起原は︑此れを詳かにし得ないが︑個人維螢と共に早くから一部に存在してゐたものの
如くである︒然し最近迄は所謂親方維螢‑個人経螢1が絶封多数を占めて居て︑歩方は極く少激に限られ
てゐた︒最近の歌態を統計に徴して︑昭和三年以降に於ける全道練漁業の個人経螢と歩方維菅の割合を推定す
ると契の如くである(註一)︒
昭和三年昭和四年昭和五年
歩方勤個入纒管の比三〇・○%二三・七%二六・七%
地方的に見るならば︑石狩︑後志地方に多く行はれ︑留萌︑宗谷地方は少ない︒
宗 留 後 石
昭和三年
狩亀方三五・二%
志蜘㎎方三二●山ハ%
繭蒐方圏九・五%
ハ曾地方二}.由ハ%
後憲地方に於ける錬漁業歩方経管
昭 一 一 三 三 和 六 七 〇 二
・ … 四
七 二 三 四
%%%%年
昭和五年
四三・○%
三三・四%
︼三・四%
輔=・五%
一四七
参 後志地方に於ける錬漁業歩方経管一四八
最近の統計は︑歩方経螢が漸家後志︑石狩︑宗谷地方に増加するにつれ︑全饅として増加の跡を辿りつ︑あ
る事を示してゐる︒即ち後志地方のみを見ても︑昭和五年と昭和六年の数字1より詳細には同地方各水産會
別の数字ーがこれを能く物語つてゐる(註二)︒
後志地方昭和五年昭和六年
個人経螢三入八ケ統二〇三ケ統
歩方経螢二七八ケ統三五七ケ統
後志地方各水産會別
昭和五年霧羅
昭契年轟鎌 歌棄・一 一一
ニゴ.〃
三 七 〇 三 統
磯谷
ケ続一六
二三
三
一二 岩⊥泊丁悪内
〃統〃統〃統三〇四九一並
一九6五
三冠四呂充
六六一三 積÷巌調
三 島 丑 一 〃 國 革 八 瓢 覧 統
古亭余
ケ鮫二四
二四
鳶鉱
六 市量小樽
塑壷議
翫 彊囚一莞
霊四天四込
三ゴ葺究
同地方に於て早くより歩方縄管の行ばれ︑個入経螢より多き地は︑歌棄︑岩内︑紳恵内︑泊の岩宇地方︑此れに次いで古挙
であろ︒
往時は小資本を有する漁業家が投機の目的を以て僅かに行つた歩方経螢は今日に於ては一般に廣く行はる玉
に至り︑特に本年の如きは︑後志地方に於ては大多敏の漁業家がこの方法による経馨を行ふに至つた事は前述
した所であるが︑歩方が斯くの如く増加した最大原因は経濟的事情で︑経螢者側の経螢資金欲乏是れである︒
元來鯨漁業家の多くは過去に於て一朝にして莫大な富を獲ち得た維験を有する爲めか︑所謂親方氣分が脱け切
れない︒親方氣分とは彼等の生活たる練漁業將來の畿展を企圖する事なくして︑漁期絡れば次の漁期迄一ヶ年
間を今期の牧釜によつて全く無爲に過すことだ差すのである︒時に此の生活費以上の牧釜あるとしても︑彼等
の多くは是れを固定設備に使用し︑次の漁期には再び︑蓮用資金は資本家に仰がねば着業不能に陥るを普通と
へもした︒故に斯業の経濟的な墜迫を受けることより深刻になつた今日に於て︑資金難を生するに至つたのは當然.の事である︒一例を學げれば過去に於ては大なる漁獲高は直ちに牧釜の増加を生ぜしめたのであるが︑現今で
は反樹に大なる漁獲高程経費の膨脹を來たし︑損失を大ならしめた事實さへある︒斯くて必然的に漁業家は
より小なる資金を以て経螢をなすべき事を絵儀なくされるのである︒是に於て蓮用資金の四〇i四五%(註三)
を占むる漁夫給料及食費に要する資金の着業前に於ける調蓮を節せんとし︑此の目的を達するべく漁夫との聞
に歩方契約を結び歩方維螢を行ふに至つたのである︒
第二に考へ得べき理由は小なる漁獲高によるのであつて︑例へば︑或る漁場の過去よりの亭均漁獲高が二百
石と假定せんか︑此の漁獲高を以てしては︑漁夫の標準給料及食費を支耕しては経螢者は探算が取れないとす
る︒此の場合には︑経螢者は漁夫を標準給料及食費以下で勢働させ︑これによつて彼等が牧釜を受ける様に其
の漁獲高を一定の割合を以つて分ける契約即ち漁夫と歩方契約を結んで経螢するに至るのである︒若し此の場
合其の年の漁獲高が過去よりの築均漁獲高以上に出でざる事を先験的に豫知し得らる玉ものならば︑漁夫は此
の契約には加はらないであらうが︑然し漁業に於ては必らすしもそうとは限らないで︑例年の不漁場所も時に
は豊漁をなしうる事もあるが故にか曳る事情の下に於ても歩方は成立するに至るのである︒
後志地方に於ける煉漁業歩方纒螢一四九
後志地方に於67ろ錬漁業歩方煙螢'一五〇
最後に畢げ得る原因は漁業設備の問題に關聯するのであつて︑例へば一人は漁業櫻及漁携用具を有し︑他の
一人は製造用具を有するが如き場合にしかも箭者が製造用具を標準賃借料を支佛つて賃借しては探算の取れな
く︑同様にして製造用具の所有者も漁獲された鯨を買入れ製造しては探算取れないと云ふ事情の時には︑南者
は互ひに歩方契約を結んで維螢するに至るのである︒
以上三つの原因が軍猫に叉は相互に相關聯して歩方経螢を成立せしめつ︑ある︒然しながら右の内最も有力
な︑一般的なものは第一の原因‑経螢者側の資金峡乏i即ち是れである︒此の事は昭和五年度に於て後志
地方が疎漁皆無と云ふ本道史上室前の歌態を生じ︑從つて同地方の漁業家の昭和六年度着業資金飲乏は共の極
に達した爲めに︑同地方の昭和六年度の歩方経螢敏が統計の示すが如く(前一四八頁謬照)激檜した事實にょつ
て明らかにし得らる﹂所である︒即ち今日見らるが如き個人経螢漁場の歩方経螢への縛化は實に維螢者の蓮用
資金訣乏と云ふ事實に基くものであると云ふも過言ではあるまい︒
(註一)從來錬漁業纒管方面に關づる統計に作成されて居ないのであろが︑北海道水産會調査に關る錬漁業勢務者調査にに
雇傭契約による漁夫と歩方契約による漁夫を別つてゐろ︒故に筆者は此の漁夫の鍛によつてー一ケ統に働らく漁
夫の殿は大髄一定してるから1其の脛螢の割合な大燈推定し表のである︒(北海之水産︑第二十五號︑五九ー六
二頁︑及び同第三十一號︑二八‑三一頁謬照)︒
(註二)これは筆者が主として後志地方の各水産會調査た基として作成せうものであろ︒術本年は道廃水産課で・︑れらの調奪査なまとめられた由であるo
(註三)庇の比傘は北海遣水産倉︑(昭和四年十二月刊)漁業糧濟調査書(縄管費)の練角綱漁業の部の繰費な亭均して算出
しtものであろ(︼1六一頁)︒