半農半漁村に於ける組合漁業の一分析
その他のタイトル Fisheries with Co‑operative Society : A Survey in Part‑fishing Village
著者 柏尾 昌哉
雑誌名 關西大學經済論集
巻 3
号 1
ページ 68‑88
発行年 1953‑07‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/15846
池質は一般に砂質壌土で第四紀の新暦に属し腐蝕質粘土質が多 本稿は昭和二十七年七月厚生省の委嘱により山岡教授指導のもとに行われた賀態調査突斜を中心としてまとめあげたものである︒対象は京都府奥謝郡本庄村字本庄濱で全戸聰瑕調査を行った︒紙面の都合で統計表を大巾に削減し又褐載せる統計に就いても主要なる点のみ説明し他は省略することとした︒ 一
︑ 自 然 的 条 件
本庄村字本庄浜
( 1
)
は︑京都市の北方約四十里︑与謝半島
の北端に位する半農半漁村である︒一般に山地で平野は乏し
く︑筒川が本庄上に奥田川を︑本庄字治に長延川を合流して朋
謂本庄田圃を貫流して日本海にそそぐ間に本庄浜主要の水田耕
作地がある︒耕池は全面積の約一︳割で大部分は山林地である︒ 註
( l )
本庄村は本庄上︑本庄字治︑長延︑野室︑蒲入及び本 農家で而もその兼業中半分は漁業が占め︑所謂半農半漁の性格が打出されている︒今若干歴史的沿革をたどつて見よう︒
庄濱の六大字から成つており︑本庄上及び字治︑野室は
平揚地帯︑長延は山村︑蒲入は漁村︑本庄演は農業を主 数え一戸平均では田畑約五反強に過ぎない︒従つて全部が兼業 <耕作には適しているが山林雌は摺せている0日本海特有の気
象状康は春から夏にかけては快睛の日が多く農耕条件に叶つて
いるが丹後名物﹁うらにし﹂時雨の来る秋かち冬にかけては朔
風時には雪霙を交えて吹き荒み晏耕に悪影響を与えることが少
くない︒十二月より二月に到る間は降雪が多く一米以上の積雪
咋 嗜 訂 組 合 漁 業 の
も限々で屋外作業は不可能に近い︒現在晏耕池は約三百五十反
︵田が二百反︑畑が百五十反︶筆数は耕池反当約二十筆︑戸数
六十九戸︑入口三百七十六入︵男百九十人︑女百八十六人︶を 柏
分 析
尾
*八
日自
哉
二
︑ 沿 革 と 歴 史
( A
)
本圧浜には上古の浦島子伝説が伝はつている︒﹁日本養
記﹂に﹁大泊瀬幼武天皇二十二年秋七月丹波国余社郡筒川入水
江浦島子乗舟而釣遂得大謳
. . . . . .
﹂また﹁風土記逸文﹂に﹁与謝
郡日置里此里有筒川村此人夫日下部首等先祖︑名云三河筒JIl嶼
子︑為人姿容秀美︑風流無類斯所謂水江浦嶼子者也
. .
.
. .
.
﹂等雪
はれているように浦島子の住所は網野か本庄浜か筒川か明瞭で
ないが︑本庄浜にある郷社字良神社の祭神が浦島子︵天長二年
に祭ると言うー典謝郡史︶であることを思えばかなり古い歴史
を有し且つ漁業に関係の深かったことは想像に難くない︒とも
角︑上古︑本庄笥川辺りを日置里と呼び後に日置郷
(2
)
と改
めこの区劃が平安朝頃迄続いたようである︒山地多く入口稀薄
であるところからかかる広大な地城を一郷としていたのであろ
5 0
今の本庄浜辺りが一応その中心となっていた︒
次いで足利腺氏が光明院を擁立して新に幕府を開いた時その
一族一覧が守酸に任ぜられている︒﹁御控家帳﹂によると︑ロー:□
[ ー ニ
1分
合 町 村 名 一 同 高 野 室 二 八
.
︱
︱
1 0 0
ー
牛幾牛漁村に於ける組合漁業の一分栃︵柏尾︶
村 村
とした牛農牛漁村型と大まかな匿別が出奈る︒
六九
上 草 高 延 高 改 定 改 定 草 高 一
l ̲ ̲
〗 [5
口町村名__―一五・五三八 が之に取ってかわる関ヶ原の戦功で細川氏が小倉城に移蛍さ0 政を布いたのは足利一ー百五十年の間で戦国時代に入ると細川氏 塩をつくつていたことが判明する︒一色氏が丹後を領有して軍 などとあり﹁ひおきしを浜﹂が今の本庄浜を中心とした所で昔れた後は京極家が移り与謡全国五郡一一百八十ニヶ村十二万︳︱‑千
百七ャ五石を水帳に登諏
L
ている︒併し京極家は寛文六倖所領を没牧され以後=一年間幕府代官所が支配している︒寛文九年に
永井氏が巽ぜられ後奥平氏︑青山氏と入り代ったが享保六年
青山氏の入国と共に橋北二万五千石は幕府直轄となり本庄浜も
それに属している︒
藩制時代の本庄村の沿革を概観するに︑本庄村は上︑字治︑
浜とも免定一本にて高七百七拾九石七斗七升であったが寛文九
年に上と浜に分れ延賓四年浜から更に宇治が分離した︒ ‑ひおきしを浜家百二十軒斗 不申候 ‑ひおきの郷一円里数あまたありちいさき村へは毎年音信
(表
I)
粥藩時代草 長 本延 庄
村 村 七 六 七
一 九
..
五 七 三 七
二
0
―‑・・ —一 本 本 庄 庄 濱 上 村 村 三七 〇四 九 三. . 石 七 〇
I O
七0
八一 九,―‑ニ〇
〇 四 〇 五
. . . .
ー
四 ー八 九ニ ::::::
六
= ‑ =
本 本 庄 庄 演 字
l
村 治1
三 一 六 七 七
0 0
‑ ‑ ‑ i
. . . 、 .
九 ー ニ 四 四 三 八 一 八 七 八 三
半農牛漁村に於ける諷合漁業の一分檸︵論尾︶
かくして維新前には本庄上︑本庄浜︑野室は久美浜代官の支
配に厩し︑本庄字治︑長延︑蒲入は本庄伯嗜守宗武の所領とな
つて
いた
︒
廃藩当時の版籍調害より幕末の数字を見ると︑戸数八十1戸
︵百姓五十充戸︑水呑二十五戸︶人口四百三十五人︵百姓四百
三十二人︑出家三人︶となっており略々現在の本庄浜に近い状
態になっている︒
漁莱面から本庄浜漁業を見るに歴史は相当古く農家副業と
L
て一本釣︑水視︑蛤壺等が行はれていたらしいが所謂漁業らし
い漁業が始められたのは寃永年間以後のことでそれ迄はむしろ
塩の生産の方がより知られている︒元禄頃になると既に浦方百
姓が一定の海面を享有して物質的経済的基礎として居り︑沿岸
網漁業が採用されている︒即ち元誅に鰭雌引網が使用され次い
で寛文には鯖刺網が用いられるに到つている︒猶︑地元の鯛綺 漁場使用に就いて蒲入と協定を結んでいるのもこの頃のことで網も鯛網︑永登網等種類が増加している︒安永年間には越中網を使用して見たが川から流れる土砂の為に失敗している︒その後沿岸漁業を中心に漁法は更に増加を続け幕末には︑饂刺網題漬漁︑譴纏等も行はれるに到ったが所謂沖合漁業は全く行はれていない︒狭少ではあるが筒川にうるほされる優秀な耕地を持つと言う地理的条件が農業に重点を置いて漁業を副次的なものとした為に外ならない︒従って比絞的広い領海を享有独占する浦方
11
立浦えの動きは極めて緩湊でむしろ逆に享有漁場を
他の漁村に侵略されている︒網元網子の関係もかかる農業中心
の本庄浜では網元は池主網子は小作と言う哉建的土地所有関係
を通じて強力に作用し︑地主の土地地先漁場の所有による強制
を支柱として成立している︒かくて農業を主に漁業をも通じて
雌主
11 網元の村えの君臨が現はれるのである︒
七 〇
兼栗面から見るに︑
( B )
明治四年の廃藩置県で旧藩と絶緑し明治二十二年の町村
制実施以後現在の大字本庄浜が誕生した︒その後戸数及び人口
はほとんど変つていない︒︵表
2 )
次に産業構成の面から見て見よう︒先づ本圧村について見る
に︑幕末と大正を比較するとき総生産高は増加する︒そして之
は昭和迄引きつがれる︒併し各種産業の比率は大正以来大きな
変動は見られない︒即ち明治大正年間で総生産の略々七割は米
麦作孜蚕を中心とする晨産物が占め次いで水産林産の各一制︑
他に蓄産
H
産が若干見られるのみであったが︑昭和以降︑農産︵養蚕が激減︶林産蓄産共に若千の減少を示し他方水産業ほ一
貫して増加している︒この傾向は兼業として漁業を行う本庄浜
では全く同じ形を以つて現はれている︒
︵ 表
3)
兼業農家は本庄村では大正より
太平洋戦争にかけて急増し特に戦後の昭和二十二年を頂点とし
て以後僅かに減少しているが︑それでも約六割を占めて全国平
均を上廻り且つ減少率も少ない︒これは日本漁村の畏業からの
半農牛漁村に於ける組合漁業の一分栃︵柏尾︶
して
いる
︒
呵芙老︑伊根︑朝妻︑本庄︑筒川︑日ヶ谷を以つて一郷と 註
( 2
元正天皇の朝に里を改め郷としたが︑今日里︑世屋野)
七
一方小作は大正以来一貫して減少している︒耕地面積では︑ 離脱の不完全性によるもので漁村特有の圧倒的兼業比率となって現はれて来るのであろう︒而も地理的条件により或限度迄達すると以後は漁業従事戸数が増加しないのは大正以来の数字により明かである︒
さて本庄兵であるが︑耕地の零細性から専業農家は大正以来
一軒もなく全部が兼業畏家である︒︵表
3 )
そして大部分は農
業を主とした兼業であり兼業中七割は漁業が占めている︒︵表
4)
而も現在では兼業中全部が漁業を主としている点を考える
と典型的半農半漁村と言うことが出来るであろう︒
見る
に︑
畏業面より土地関係を最初に本庄村に就いて検討しよ
5 °
耕
地面積は大して変動なく約一ー百町歩から二百五十町歩の間︵田
が六割︶を上下し︑その内二毛作田が約二割を占めている︒山
林は約三百五十町歩で公有が六割の多きに上る︒︵表
5 )
他町
村による本庄村内の土地所有関係は極めて少ないが本庄村民の
他町村に有する土地は更に一層少い︒0表
6 )
自小作別戸数を
︵ 表
7)
自作が昭和十年頃から戦時中にかけて潮減し
戦後は再び増加する︒自小作及び小自作は戦時中増加し戦後は
減少する︒
︵ 表
4)
(表
2)
世 帯 敷 及 び 人 口 移 動年 >
本 庄 村 本 庄 演
戸 敷 男 女 計 戸 数 男 女 計
■ lー・・9■' ' " ' .' '■ l 一,"■' '●’一•一
幕 末
3 6 5
.. . .
.. 1 , 9 6 9 81 . . . . . .
知明治
22
年3 5 1
... ...1 ,
汲迅74 . . .
.. .403
大正10¥
細1 , 0 3 1 , , , i I 2 . 0 2 , 7 1 . . .
: : : I
I 3 9 0
昭和1~
3 5 4 8 9 8 8 5 3 1 , 7 5 1 6 9 1 9 1
部9
昭和l W : 1 ! 5 0 9 0 8 8 8 5 1 , 7 9 3 6 9 1 7 0 2 5 1
昭和22年3 5 9 9 4 2
幽 II' 細6 9 1 8 1 1 9 6
缶7
昭和2
琺F 348 9 6 3 9 6 9 1 . 9 3 2 6 8 1 8 9 1 8 3 ' . r l Z
(表
3)
(表
4)
享漁
業 兼
業 業
従 別 農
事 家
\
年 度
\ 臼
j本 庄 村 本 庄 演
敷戸 業享 •.:F.兼"/J;~墾計ー
I t
非大 正
8
年7 1 0・・・・・ ・ 6 7 4
昭和11年6 9 0 4 9 1 6 6 5 4
昭和1
併F 6 9 0 4 8 1 6 6 4 5
昭和22年6 9 0 5 6 8
糾5
昭 和2 5
年6 8 0 . 5 7 5 6 2 6
昭和2
舷F 6 8 0 57 5 6 2 6
戸
薮
敷
年 \度
本 庄 村 本 庄 濱
糠 敷
戸 漁 業 陽 係 戸 数 漁 が 主 漁 が 従 計 雄
8
年7 1 . . . . . . 42
昭和11年
6 9 4 4 1 45
昭 和
1
峠こ6 9 5 43 48
昭 和22年
3 5 9 6 9 5 4 5 50
昭和郊年3 3 9 6 8 4 3 8 4 2
生攀漁村に於ける艇合漁業の一分栃︵柏尾︶
七
︵ 表
8)
小作池比率が桓めて低く農砥改革前で約一割一︱︱分︑以
後は約八分位となる︒土地所有規模の面から言えば︑︵表
9 )
五反以下の零細農家が逐次減少して五反乃至三町迄の農家が増
加し特に五反乃至一町に五割近く集中して来ている︒一賃して
殺浸な中晨化傾向が認められるがそれでも五反乃至一町暦の圧
倒的比率増加を考えるとき中農的な両極分解傾向ではなくむし
ろ全面的な零細化転落傾向として把握され得るであろう︒之は
経営規模別に見たときも充分認められることであり而も自作が
中心を占め小作ほ数の上で少ないばかりでなく薔の上でも大半
は一
=反
未演
の零
細晏
であ
る︒
再び本庄浜に帰つて土池関係から見て行こう︒︵表
1 0 )
︵ 表
1 1 )
約八割は五反以下の零細経営で残りの二割弱ほ五反乃至一
町の経営であり一町以上を経営している農家ほない︒而も自作
中心で小作関係は数歪共に少ない︒又峨︑王関係も頸著でなく完
全な寄生地主は見られない︒ほとんどが自作型地主であるが漁
業面で網元的性格を若千持つている点を考えると貸附田畑の多
少のみから柄単に旭`王的力関係が弱いとは言えない︒むしろ地
先漁場の専有に始まる漁業面支配が逆に士地所有に於ける支配
体制の進展を不必要ならしめたのかも知れない︒とあれ本庄浜
牛農牛漁村に於ける組合漁業の一分栃︵柏尾︶
七
農業は零細自作が多く従つて畏雌改革の影響もほとんど見るこ
とが出来ない︒
農産物中米麦がその中心であることに変りはないが他に本庄
浜で目立つのは蓑蚕及び桑葉生産の激滅である︒延喜式に丹後
丹波の両国に絹糸の朗貢が命ぜられていることより考えると養
蚕の歴史は極めて古い︒盛になったのは葱川中期以降である︒
明治十年頃には桑園栽培が行ほれたが容易に進捗せず且つ繭の
品質逗共極めて低位であった︒最盛期は大正昭和初期で昭和十
年頃から衰退し始め現在は四分の一に滅少している︒林産物は
用材木炭それに漁具用竹材であるが明治以来用材牧入は滅少し
逆に木炭牧入は増加する︒蓄産ほ和牛による僚生産で明治以来
租合が中心になって蓄牛の教良増産に努力しかなりの成果をあ
げて現在に到つている︒
さて本庄浜漁業は明治以降如何なる変革を遂げたであろう
か︒明治初年の沿岸漁業は従来の哉建的諸関係をそのまま受け
ついではいたが︑漁民の漁場緊縛と全余剰価値の牧奪はその比
重が軽くなり漁民層の分解ほその可能性が与えられた︒併し現
実には本庄浜は農主漁従であり総有的漁場に頼らざるを得ない
漁業の沿岸性は強い卦建的緊徳をともない分解は遅々たるもの
(表
5)
本庄村所有別土地面稜 (昭19 )
(箪位反)地;;‑‑‑‑巴! 田 畑 宅 地 山 林 計 i ' 民 個 人 有
1 , 1 7 1 8 0 2 8 6 8 4 7 3 , 0 0 8
共 一 部
3 1 4
有 部 落
I
有 社 寺 有
3 9 1 2 7 23 81
公 部 落 有2 0 4 3 7 4 38
市 町 村 有I 4 6 2 , 6 7 7 1 2 , 7 2 5
有 府 縣 有‑ 1
I國 有
御 科 地
線 計
1 . 2 3 4 864 97 3 , 5 5 4 98 , 5 , 8 5 6
手農宇漁村に於ける組合漁業の一分栃︵柏尾︶
(表
6)
本庄村民有土地所有の町村別隙係(昭1 9 )
(箪位反)町村名]五面~ピ[ 田 畑 宅 地 山林'1原野'そ他門
i 2
計, 糾7
本 庄 村 民 有
1 . 1 0 6 8 0 6 93 740 9 8 4
本庄村内他 町 村 民 有
l f l l 8 1 130
̲:
I̲I i 2 4 6
計
1 . 2 1 3 8 1 4 94 s , o , .
II
I •3 , 0 9 3
‑‑ — •
ヒI
12
ー, 8 1 6 5 2 —
他 咋 内 1本
.
庄 村 民 有1 2 3
1差引本庄村民有
1 , 1 1 8 8 0 9 93 740 9 8
(表
7)
本庄村自小作別戸敷~
自作 自小自作!]ヽ作大正
1 0
年210 6 8
昭和
1 1
年1 6 4 9 3
昭和1 9
年1 8 6 9 1
昭和2 2
年210 7 2 1 3
昭和2 5
年235 6 3 3
昭和2 6
年238 6 0 3
(表8)本庄村自小作別耕地面積(箪位反)
~I 穂面積 I 田
l
畑年
,
'度
I大正
1 0
年I 1 . 7 8 8 1 5 8 3 1
昭和1 9
年昭和
2 2
年 昭和2 5
年七四
(表9) 本 庄 村 土 地 所 有 規 模 別 戸 敷 半
農 半 漁 村 に 於ける組合漁業の一分栃(柏尾)
1 3 3
町 以 上1I
計 Il
2 8 61
大 正9
年1 2 6 80 2 1 1
昭 和
1 1
年1 1 0 93 1 5 2 8 2
昭 和1 9
年7 3 1 3 2 50 288
昭 和2 5
年7 6 1 4 0 59 3 0 1
I
(表
1 0 )
経 答 規模 別 農 家 敦(昭
1 9 )
~
度. 3
未 滞反3 414 5 5 6 I 6 818 1
町1
町 以 上 計本 庄 村
40 66 1 3 2 50 2 8 8
本 庄 濱20 14 I 1 s 3 I 4 I I
゜ 5 7
(表
1 1 )
範疇別経管規校別農家薮(昭1 9 )
(本庄濱):
\ 匿 別 3
反 未 滴3 4 4 5 5 6 6 8 8 1
町 計地 主 余 自 作
゜ ゜ 1 1
I1 ・ 4
自 作
17 6 7 1 1
゜ 3 2
自小作•小自作
1 6 7
゜ 2 ゜ 1 6
小 作
2 2
゜
I゜ ゜ 5
七 五
であった︒﹁沖は入会︑磯は根付﹂の
徳川卦建時代の原則は明治以後も排他
的地元部落総有制として受けつがれた
が部分的には個入占有の進出が見られ
る︒即ち明治三十二年に仕出された
( 3 )
﹁からち網﹂﹁手操網﹂は総有形態で
行ほれているに対し︑同年には個人共
(4
) U 5 )
同組織の地曳網及び翌年には打瀬網が
開始されている︒ところが明治一一︳十六
年には漁業協同租合が結成され部落総
有は組合有の形態に外面的変移を遂げ
る︒かくて組合は漁埠代に寄生する地
主的性格を持ちその組合は実質的には
地主︑船`王等に支醍される︒一方個人
経営は漁業
`
王自営の形態であるが組合との対抗関係にあるのではなくむしろ
密接に関連したもので租合はむしろ支
庶層の機関である︒かくて総有と言い
個人有と言っても
︑
漁湯自営取ほ同時而して昭和十年には高砂︑鯛崎の越中網︑落網が舞鶏︑伊根 牛農牛漁村に於ける組合潰業の一分栃︵拍尾︶
に租合の支配者たることによつて地主層の支配ほ貫徹されてい
ると見るべきであろう︒粗合漁菜として明治一ー一十九年には沿岸
定置漁業で饂︑鰊︑鱗落網︑越中網︑合網︵三つともほとんど
同じ︶が開始され︑同四十一年には鰤大敷網三統が仕出されて
いる︒この鰤大敷は必要資本が大で本庄浜組合のみでほ開始で
きず本庄上︑本庄字治の宮堡府が株を持ち浜の組合は主として
漁携労働を担当している︒併しこの鰤大敷は大正一ー一年漁夫が漁
携を終えて港え帰る途中湾口で風の為転覆して死亡者を出した
ことから緑起をかついで売却している︒
証つて昭和に入るが大資本の遠洋漁栗︑沖合漁業に対抗する
租合自営漁業の一般的進出にも拘らず本庄浜では組合員の増滅
で示されるように︑︵表
1 2 )
漁業組合としての漁業は余り進展
せずむしろ他からの中小資本の侵入を許している︒大正七八年
頃よりの漁船の機動化も哉建的関係によって強力に縛られた組
合では生産力の発達に対してむしろ阻止的作用をなし沖合漁業
は勿論沿岸憔莱に於ても全く立遅れてしまい維然として生産力
低位の農業を中心に地先専用漁場で零細漁業を行う段階に止ま
らざるを得なかった︒
(表12) 本庄夜漁業協同組合組合貝推移
年 度
組 合 員
90
一応この時期を以て本庄浜漁業権は全
部組合有となったが︑未だに紐合自営で
は全漁業権を使用出来ないで他に貸与し
ている︒かくの如く本庄浜は極めて中途
半端な性格を持ち漁業面での進出は立遅
れその支配ほ村内外の富農階雌主層の手
中にあった︒
註
( 3
巻網をめぐらした石︑竹等で魚を)
おどして漁獲する漁法
(4
この地曳網は三統仕出されたが明)
治l︱︱十七年に網道で争論を起しこれが
契機となって三統が統一されて組合事
業に移されている︒作業には網子とし
て一株一人︵村株を持つ家一戸に一株 る ︒ の資本家出資で饂瓢網に変えられている︒最初は外部七分村側一︳︳分の出資歩合
であったが漸次村側が買取り昭和二十二
年にほ始めて本庄浜組合事業となってい
七六
半農半漁村に於ける組合漁業の一分栃Q柏尾) で男女を問わず一人︶を出し︑漁獲の配分は全網子に平等割であったと言う︒
註
( 5
この打瀬細漁業は大正二年に中絶し以後組合事業として)
復活している︒
三
︑ 現 況 の 分 訴
( A )
農業面からの考察
( 1 )
歴史は古くかつて半農半漁且つ塩を産するところと
してかなりの人家が存在した︒その後区劃が変つているから正
確な比較は出来ないが戸数及び人口は藩制末期から現在迄ほと
んど移動は見られず︑唯傾向としては明治大正年間の戸数八十
代から昭和年間の七十代を経て現在の六十九戸人口四百十一人
と僅かながら減少傾向にあると言えよう︒半晨半漁の形態は漁
船の機動化による漁業生産の飛躍的一般的上昇時に於てすら農
業に主力があるため資本制漁業えの踏切りがつかず結桓漁業面
えの進出は不充分に終つてしまった︒現在も維然として中途半
端な状態を続けている︒例えば明治末期に開始した鰤大敷は失
敗して鋏損を土地売却で充岨しているが︑やがて挫歪及び蟹で
利益を得ればそれは漁業に入らないで再び土池買戻しに用いら
れている︒漁業と農業との間を絶えず往復して止ろ処がない︒
七七 この繰返
L
は現在も続けられている︒自労力な含漉栗ほもはや現在では脱落の道しか残されていない︒さりとて農栗のみでや
つて行く自信も条件もない浜では今こそ最大の転換期に直面し
ていると言はねばならない︒既に一部では漁業協同胆合の強化
資本進出による漁獲滅少に漸く下降を始めた裏日本沿岸及び沖
合漁業ほ流通面からの独占資本の搾取と共にその進路は極めて
困難なものとなっている︒
かくて本庄浜の中心は維然として零細畏業である︒以下統計
により農業面から見て行かう︒先づ経営規模別殺業別けをして
見よう︒︵表
1 3 )
専業農家は一戸もなく全部が兼業で︑内農業
を主とした兼業が五十七戸を占めその兼業に水産業を行ってい
るのが五十三戸にのぽることは半畏半漁の性格を良く物語って
いる︒他に林栗一︑商H業七︑俸給者八の兼業が見られる︒非
農家は七戸で︑学校の先生二︑大H︱‑僧侶て荷物運搬一
生活保護一︑である︒三反未演は二十二戸でうち二十一戸迄が
農莱を主と
L
た兼業農家で︑他の一戸は漁業中心の農家である°兼業は漁業が十・戸を占め残りは商工業︑俸給者等である︒
三反乃至四反層は全戸が農業の外に漁業を行って居り而も内三 による漁栗面えの進出の動きとなって現ほれてはいるが︑巨大
半農牛漁村に於ける恙合漁業の一分垢G
柏尾
︶
戸の漁業中心があることほこの暦から漁業紐合役員二名を出し
て居ることと共に注意すべきである°漁家婦人農業の適正規模
とも言ほれる三四反層が一応涼菜の前面に大きく出ているのは
当然であろう︒四反乃至五反層になると兼莱としての水産業は
やや減少し旋蛋藁仕事︑堕生産等の晏家内穀が増加する︒こ
の傾向は五反乃至六反層になると更に明瞭となる︒即ち六戸
の内漁業は滋か二戸が兼菜するのみで逆に檀生産が目立ち農業
専莱の色彩が強くなっている︒併し六反乃至八反層でほ全戸が
水産莱を兼業とし役場畏協の役員と共に現在の漁業組合理事長
を出している︒かくて漁業は四反未演の農家と六反以上の農家
が一応主体となっていると言えよう︒農家内鞍の藁仕事は約半
分の農家が従事し︑投蚕は三反乃至四反層に集中されて漁業生
産力の低位性を示し︑わかめ︑こんぶ採取と共に激しい婦人労
鋤の一部を形成している︒犠生産は九戸で七戸迄が五反以上暦
に占められている︒
( I )
経営規模別農家労働状態を見ると︵表
1 4 )
家族数は平均
六七人で三反未滴と六反以上が九人と言ふ数字を示し不在者も
又この両者が多いが︑三反未演の不在が職
H
︑女
H
等であるに対し六反以上のは学生︑洋裁師等で︑後者の場合送金はおろか 逆︸之金安をもらっていることが多い︒農業労働人口ほかなり豊宮で一戸平均約三人で一般漁村のそれのように婦人及び老人の労働が多い°男子育壮年が農業より利益の多い漁業に走った為であろう0日雇雇傭農家は一般に少く平均四割に滴たず延年間
平均十一人に過ぎないが五反以上層になると五制の農家が雇傭
L
延年間二十人に及ぶ︒反当経営日数を見るに経営規模の小さい程農業生産力は低く特に三反未演では百五十一日を要する︒
逆に五反以上になると農業生産力は格段の上昇を示す︒かくて
日瓶々傭関係反当経営日数で五反以上層の数字が目立つている
ことと一一︳反未溺層の数字が農業生産の低位性を示していること
が判明する︒猶全般に不在者は多い方で男子十一人女子二十五
人で男子は他村えの漁夫を筆頭に厳H︑店員等で︑女子は織女
工を筆頭に女中︑看護婦等である︒
︵国︶耕地所有の状態を経営規模別に見よう︒︵表
1 5 )
六十九
戸の内訳は︑非農家七戸︑一一︳反未演二十二戸︑三反乃至四反十
四戸︑四反乃至五反十六戸︑五反乃至六反六戸︑六反以上八反
迄が四戸︑となつて五反以下で八十五.^ーセソトを占めてい
る︒この比率は農地改革前と較べて著しい変動はなく唯小作が
僅かに減少したのと一町内外を所有した二戸︵
S
家 ︑
M
家の両 七八(表13) 本庄演職業別舘螢規模別農家薮(昭27.•
7 )
牛農 牛 漁 村に於ける組合漁業の一分栃(柏尾)
〈 鯉
t
撲 業 水 産 業 主 従その他 農 家 内 職 畠員漁 協日旦
7 0 0 0
゜
1
3
反未就: 2 1 0 3 16 1 6 1
゜
3 3 0 2 10 8 2
゜
4 0 1 0 13 6 1 1
5 0 0 I 4 3
゜
2
6 8
反 。0 1 3 1 1 3
計
4 8 7 3 6
345 7
(表
1 4 )
本庄濱舘管規模別農家努働( 2 7 . 7 )
網 い規 模
戸 請一 均 孟襲一 均 日 湿 雇 傭 隔 係
農努敷業働穂日面網反積螢 敷ー舘反螢嘗日
戸 戸
農家薮。¢ 延人員 一 平 敷 家 平 者 努ロ 平
‑ ‑ 巳 竺
3
反 未 満. . 2 2 120 , 1 6 43 3 6 25 39 7 1 5 1 3 14 97 7 8 49 4 5
茨7 2 14 1 3 6 4 1 6 1 0 1 6 8
483 5 30 65 13 1 1 7 5 6 27 5
゜ 1 1 2 3 50 23 18 71
6 8
反4
34, 4 1 3 3 3 7 5 64 21
88 計6 2 379 3 6 1 6 4 2 2 2 9 3
(表
1 5 )
本庄演舘螢規模別耕地所有(昭2 7 .7 )
畑 小作七九
\戸 田 反 小 作 地 貸 附 田
嗜模こ
□ 声戸 0 0 0
反 。 砂ないもの
1 1 1 o I o
3
反 未 滴223 7 . 8 3
4 5 6 8
反計
5 6 5 5 6 1
闊
6 1 2 7 . 0 4126.2
1 . 0 1 3 8 . 8 3 6 1 1 5 6 7 0
L o
1 3
1 . 0 1 1 0 . 6 3 I 2 . 0
0 ゜
0 9 2 2 7 2 6 0 0
4 2
7
自作
一
2
反一計1 . 0 1 2 9 . 9 0 . 4 , 42.9 0 . 2 4 1 . 6 11 0.8116,5 3 , 3 12.6
o I
1
o
I 2 . 1 0 . 8 1 3 0 , 7 0 [ 4 2 , 9 0 . 2 1 4 1 . s 0 1 6 ‑ 5
0112 . 6
田畑無螢反
A
ユ4 3
五言出
3 7 7 9
3 4
2
&
6 9 l 2 0 8 . 2
I8-7~16.9
I7
I ..
. I9
I ...1 1 4 6 . 2
I1 . 0 1 1 4 7 ‑ 2
1 ••• 1 •••半農半潰村に於ける競合漁業の一分栃
Q拍 尾
︶
家︶が共に六七反になった程度であらう︒五反以上には小作地
を経営する農家はなく貸附地を有する農家のみ存在する︒小作
地を経営する盤家はすべて五反未演暦であるが面積戸数共に最
大は四反乃至五反層で漁業生蜃に対する全面的不安から常に動
揺にさらされている階暦と言えようか°貸附池を有する農家が
三 反 乃 至 四 反 層 ︑ 四 反 乃 至 五 反 層 に 六 戸 も あ る が 面 積 で は 一 ︱ ︱ 畝
内外でほとんど問題にならない°畑はほとんど自作畑で
1反 の
小作畑を見るのみである︒田の経営規模と大体併行している︒
田は比較的良田で昭和十年頃より一部耕池墜理も行はれて居
り︑筆数も平均十四筆となっているが︑二毛作は余り行はれず
全体の二割五分程度に過ぎない︒かくて耕蝠所有状態より見
て︑五反以上は自作農家で内一︳戸は自作地主であり︑三反乃至
吾 反 層 は 自 小 作 農 及 び 桓 小 貸 附 地 を 持 つ 自 作 晨 で あ り ︑ ︱ ︱ ︱ 反 末
演層は一戸の
地︑王を除けばすべて飯米自作長であると区別す 1 8
る こ と が 出 来 る ︒
( I V )
山林所有では︵表
︶ 1 6
ー ︱
‑ 反
末 演
及 び
非 農
家 中
九 戸
が 所
有
L て い な い ︒ 特 に 一 ︱ ︱ 反 未 満 層 の 四 戸 は 商 工 業 者 二 ︑ 俸 給 者 一 を
含んで将来の農粟離脱を想像さをる︒一番多いのは一反乃至三
反の山林所有者で全体の半数以上即ち=干六戸に及んでいる︒
︵ 表
1 7 )
八0
山林一反未濱が十戸︑三反乃至吾反所有している農家が十二
戸あり田地経営規摸別にさしたる特徴はないが五反以上の山林
所有者二戸ほすべて五反以上層にある点は苗意すべきである︒
かくて山林所有ほ大体田地経営規模に比例する︒山林は戦時中
の無計劃蓋伐に殆んど昔日の観を失い木材としては見るべきも
のがない︒炭材薪用雑木︑竹材が僅かに採瑕されるのみで山
林の恢復は未だ前途甚だ遼遠の感なきを得ない︒
( V
)
農具︑車︑住宅︑農薬︑家蓄及び漁具の所有状態を経営
規模別に観察しよう︒
動力脱蒙機は約三分の一が所有し個人有︱‑+︑共有四である
が ︑ 六 反 以 上 は 全 戸 が ︑ 五 乃 至 六 反 層 は 一 一 一 分 の 二 が ︑ 五 反 以 下
ほ四分の一が所有している︒共有四がすべて三四反の漁民層に
あるのは印象的である°入力機中︑製編機︑脱蒙機は八割が所
有するが噴霧機は少なく僅か
1割強で而もほとんど五反以上層
の 所 有 と な っ て い る ︒ 車 で は ︑ 牛 馬 用 ︳ 一 ︑ 手 挽 車 一 ︳ 十 九 ︑ 自 転
寧ー干八合で特色はない°住宅坪粕て一骰に大きい方であるが
畳数となると平均二十四畳位で大して大きくはないが六反以上
は何れも段違いに大きい︒メークー制の家は二十八戸︑ラジオ
所有の家が一︳干七戸︑ミジンを持つ家が十六戸あるが必ずしも
牛農半漁村に於ける組合漁業の一分栃︵柏尾︶ ︵渭︶最後に現金牧支ではどうであろうか︒先づ支出で農業経 層に多いのは当然である︒ 五反以上層である︒糖生産では従事戸数十四戸中︑五反以上層が八割即ち八戸従事し次いでは一f一反乃至五反層の二割︑即ち六
戸従事が続き三反未演には見られない︒
最後に漁具所有では︑個人有動力船は究隻で何れも一屯内外
の小型船で内一一隻は六反以上層の所有に属している︒個人有無
動力船は二十六隻で略々平均して所有している︒個人有大網は
なく︑小型底曳網︑刺網蛸壷等の個人有が散見されるが小型
網では最も優秀な底曳網は六反層及び三四反層の所謂漁業担当
( n )
米麦牧穫及び金肥使用では︑
︵ 表
1 8 )
米反
当牧
穫平
均︱
︱
石四
斗で
内三
反未
演が
一一
石一
1一斗︑五乃至六反層が一一石四斗︑六
反以上が二石六斗となっている°米の自由販売は平均一割足ら
ずであるが六反以上では四割にも及んでいる︒麦では特記すべ
きものはない︒田の反当金肥はさして差違は認められない°然
るに牧穫力にかかる差違の存するのは第一には田の良否と第一︱
には婦人労働中心の三四反層と青壮年及び︳雇傭労働の加はる五
六反以上層との違いによるものであろう︒ 経営規模には比例していない︒
2 4 D
使用は八戸で而も半数は現金牧入の面から考察すると︑
八
︵ 表
1 9 )
大体に於いて経営規模に比例して増
加している°唯三四反眉がやや高い比率を示
L
ているのほ漁業労働に伴う農業労働不足を補う為の労力費支出と高い闇小作料
の存在によるものである︒漁粟以外の副業費では非農家を除い
て平
均一
ー一
万円
程度
であ
る︒
漁協
以外
の漁
業費
は六
反以
上層
と一
︱︱
四反層が圧倒的でこの両者により浜の零細小漁業が行はれてい
ることを示している︒
生計費では六反以上層が年間約十一ー一万を示し他は七︑八万で
ある︒現物交換や自給食糧が計算されていないので三反未演層
は大きい食糧費となって現はれている︒公租公課は大体経営規
模に比例し︑支出総計も略々この傾向にあるが五乃至六反の自
作型では現金支出は相対的には少ない︒
︵ 表
2 0 )
農産物牧入が農業生
蚕費をつぐなって尚余るようになるのは五反以上層である︒一
1 l
反乃至四反層から小さい層では農産物現金牧入はほとんど問題
にならず飯米確保すら危ない︒澗業牧入は一一一反未満暦を除いて
は略々平均し全牧の一割五分位である︒檀生産で五反以上が養
蚕藁仕事で三四反層がそれぞれ相当の現金牧入を得て居る︒
賃金牧入ほ非農家が断然多く︑利子小作料等の牧入も非農家と 営費から見よう︒
(表
1 6 )
本庄濱経螢規模別山林所有規模別農家敷(昭2 ? . 7 )
: 林
戸 所有農家
ないもの
1
反未濡1 3 3 5 5 8 8 15
一戸平均敷 反
ないもの
7 5 1 1 1 , 0
3
反未濡22 4 7 10 1 1 , 2
3 1 4 1 2 2 2 . 2
4 16 I 8 7 3 , 1
5 6 4 1 1 2 ‑ 9
6 8
反4 1 1 1 1 5 . 7
計
69 , 10 3 6 1 2 1 1 . . .
(表17) 本庄濱経螢規模別農具●家畜●農薬•住宅●漁具朕況(昭27.7)
ご
戸敷 個 共人差――—雙L 竪し墨し動力脱 穀 機計 製 脱 噴人 力 機星 翌 豊 _ _ 上 主 ニ 竺 _
牛 手 自車 住宅(坪●甍は坪 儀一戸平均)夕 牛メ ラ ミI
ジ ジI
使24 D
和I
漁 具ないもの
7 1 4 2 2 0 1 4 2
3
反未満2 2 2 2 1 1 1 6 1 9 10 5 3 19 3 7 2 5 3 14 4 4 8 1 1 1 1 2 1 7 5 89 24 10 10 4 3 2
I6 2 4 16 6 6 1 2 1 2 2 1 7 6 25 24 7 9 4 1 4
I5 5 6 4 4 6 5 2 3 3 8 2 24 3 4 3 2 4,1 8 1 6 8
反4 4 4 4 3 2 3 3 1 1 9 3 1 4 3 1 2 4 2 2 2
計69 20 4 24 44 47 9 2 29 28 . . . . . . 28 37 16 8 14 5 I 26
I5
I
(表
1 8 )
本庄濱経螢規模別農産物及び金肥使用朕況(昭2 7 ‑ 7 )
~
規 模'
面積 反 量 石 嘗 石 賣 石牧 反米 自由販牧封%獲すにる 面旱 年 嘗 石牧 萎反 販蓋自賣由石 金 肥田 反 嘗軍位100円
3
反未滸2 2 3 8 , 8 9 0 , 8 2 , 3 ・ 2 , 8 3 1 1 . s 15‑1 1.3
゜ 1 8 . 0
3 1 4 5 7 . 3 1 3 4 . 8 2 . 3 6.4 5 1 7 , 5 23‑0 1.3
゜ 1 9 ‑ 0
4 1 6 6 7 . 6 1 5 7 . 5 2 . 3 7 . 3 5 1 7 ‑ 8 2 5 . 5 1 ‑ 4
゜ 1 6 . 9
5 6 2 7 , 0 6 4 , 1 2 . 4 5.3 8 5.4 5 . 3 1 . 0
゜ 1 5 , 8
6 8
反4 2 p , 2 6 7
し2 . 6 1 1 , 6 44 5 . 5 i ; l . 7 1 . 6
゜ 1 9 . 4 ,
計・
6 2 i 2 1 6 , 9
I5 1 4 , 2 2 . 4 3 3 . 4 6 6 1 . 3 7 7 . 6 1 . 3
゜ 1 6 . 6
半農半漁村に於ける組合漁業の一分栃Q
柏 尾
︶
八
五反以上層が中心を占め︑此種合計では非農家がづば抜けて高
い数字を示している°漁業牧入で先づ自営零細漁業を見るに四
反以下の所謂飯米農家が高い数字を示し︑漁協よりの牧入では
三反乃至四反層と四反乃至五反層が大きく次いで六反以上層と
なる°かくて漁業総牧入は一1一乃至四反層が最大で四乃至五反層
及び六反以上層がこれに続いている°総現金牧入中非農家は賃
金牧入が八割を占め︑三反未演層でほ漁業牧入が八割を占める
が共に現金牧入ほ貧弱である°漁業の主動力である一1
一乃
至四
反
層の現金総牧入は六反以上層に次いで多く︑各層中最大の漁業
牧入で七割を占めている︒四乃至五反層ほ牧入中漁業がやや落
ちて六割となる︒
五乃至六反層になると漁業牧入の占める比率は僅かに一一割位
で重点が農家に移つて来る︒牧入の最大を占める六反以上層ほ
漁業
牧入
︑農
蚕物
牧入
共に
一ー
一割
であ
る︒
かくて現金牧支の面から見ると︑︵表
2 1 )
全般的に貧弱であ
り且つ赤字がかなり存在していることが判明する°併し等しく
赤字と言っても現金牧支の量の大きさにより内容も異るのほ言
う迄もないことである︒
︵渭︶以上各項目に従いて見て来たが現金牧支を綜合しつつ今
半農牛漁村に於ける組合漁業の一分栃︵柏尾︶
八
経営規模別にこれ等を一括して考察しよう︒
〇非農家層ーー脱農せる賃金労働者階級で農業労働に︑漁協の
漁夫に︑先生に︑或ほ商人になっている°但し村の先生は必ず
も被支配者ではないことは注意すべきである︒
0
三反未演層ー!約三分の1即き一十二戸がこれに属し農業生産の面ではすべてが貧弱で自已の飯米部分すら完全にほ得られ
ない︒二十戸は自作︑一戸が自小作︑1戸が自作兼池主である
が︑むしろこの層の中心は現金牧入中八割を占める漁業であ
る°併しその漁業も副業的零細自営漁業が主で漁協より牧入が
少なく資本家的組合漁業の利益に参与していない°農民層分解
による賃労働者化への一歩前で零細自営漁業にすがつて脱落を
まぬかれている階層と言えよう︒従って農業は勿論漁業でも生
産力は低位で被支配のもとにぢりぢり貧窮下降を続けている︒
0 1
︱一層乃至四反暦ーー漁業生産に最も積柩的で飯米を婦人労働によって獲得し主力を漁業にそそぐ︒従つて農業面では一1
一反
末
演暦よりは優秀であるが全体的にはやはり貧弱で農業経営費す
らまかなえない︒現金牧入ほ相当大きくラジオ︑ミジyも比較
的普及して居る︒牧入中漁業牧入が約七割を占め︑その中零細
自営漁業も多いが︑特に漁協牧入が圧倒的であることはこの層
︵ 表