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北駕文庫蔵﹃十六夜日記﹄︵注釈害︶の解説と翻刻

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全文

(1)

古来︑﹃十六夜日記﹂の注釈書として知られていたのは︑高田与清による

文政七年二八二四︶二月版の﹃残月抄﹂︵国文注釈全書所収︶である︒し

かし︑この注釈書の原本は正徳二年︵一七一二︶十二月筆写であり︑すで

に﹁残月抄﹂より百年以上前には成立しており︑その読みの深さにおいて

も︑﹁残月抄﹂を凌ぐところがある︒かつて同種の写本︑多和文庫蔵﹃十六

一I一夜日記﹂をとりあげて報告したことがあるが︑本書はその原本と見なされ︑

翻刻についても︑訂正したいところがあるので︑ここに簡単な解説を付し︑

翻刻紹介をしたい︒

この本は︑一冊本であり︑装訂は︑白色の糸︵後補︶で袋綴︑料紙は楮

紙︑縦二十二・七センチ︑横十六・二センチである︒標色の地に横刷毛目

の表紙の左に︑黄色地に白の水玉文様の題鑛︵鳥の子︑後補︶があり︑そ はじめに︻解説︼

北駕文庫蔵﹃十六夜日記﹄︵注釈害︶の解説と翻刻

れに︑﹁いさよひ日記﹂と外題を記す︒また︑表紙右上に白紙︵四・一×

二・二︶を貼付し︑その上にラベル︵三・一×一・七︶を貼付︑﹁小八八﹂

と朱書する︒さらに︑右下に︑赤枠のラベル︵二・九×二・二︶に青字で

﹁小︵弘︶八八﹂と記す︵表紙見返し右上にも︶︒

見返しは︑本文共紙で︑中央には︑杉園主人の次の識語が記される︒

こは父君のいとわかき時の

御筆なり其時代は奥の

識語にものし給ふを見て

あきらかなり杉園主人

第一丁表右端に︑﹁いさよひ日記﹂と内題を記し︑その下方に﹁杉園蔵﹂

三・八×一・二︑朱︶の蔵鱒印がある︒前後表紙を含め計四十七丁︒識婚は︑一面九

行で︑漢字仮名交じり文である︒注釈部分になると︑一面に九行程度書け

る大きさの本文に︑一字下げ︑小さい字二面二十三行程度書ける大きさ

の字︶で︑時には割注のかたちで︑適宜︑注釈が書き添えられている︒

奥書によれば︑この本は︑正徳二年十二月︑町尻三位︵藤原兼豊︶によっ

松原一義

(2)

て書写されたものを︑文化十五︵一八一八︶年二月︑﹁明真﹂が伝写したものである︒

先の識語によれば︑この写本は︑杉園主人︵小杉柵邨︶の父親︑五郎左

衞門明真の若い時の筆跡と見なされており︑蔵書印によれば︑その小杉棚

邨二八三四〜一九一○︶の所蔵であったと考えられる︒

また︑相当数の朱の書き入れがあるが︑それは和歌や作品名︑文章の句

切れに付されたものであり︑奥書の朱瞥との関連から︑おそらく明真によ

るものであろうと判断される︒

小杉家は代々阿波国蜂須賀家の陪臣︵家老︑西尾氏の臣︶であり︑明真

は和漢の学に通じ︑詠歌は地下の二条家と言われた有賀長基の高弟であっ

た︒樋邨はその父から詠歌︑物語︑草子などを学んだと言われ︑元服して

西尾志摩に仕え︑安政元年︵一八五四︶西尾氏が江戸詰となったのに随従

して約一年間江戸に在住している︒その時︑古学館に入門して︑黒川春村︑

︵2︶萩原廣道などとも交誼を結んでいる︒

この小杉柵邨旧蔵で︑その識語を有する多数の貴重瞥が北海学園大学北

︵3︶駕文庫に所蔵されていることは︑注目に値する︒

翻刻

凡例

一底本は︑北駕文庫蔵﹁いさよひ日記﹄︵小︵認︶錦︶によった︒

一翻字にあたっては︑本文部分を大きく︑注釈部分は小字で記し︑改行

については無視した︒ただし︑本文中の和歌については︑本来上の句と

下の句の二行に分かち書きにされているものが多いが︑一行で書かれて

いるものもある︒その冒頭と上下句の間を一字あきに統一して記した︒

各注釈に通し番号を付した︒

丁数および表裏の別を︑例えば︑次のようなかたちで示した︒

︿一オ﹀Ⅱ一丁表のこと

︿ニウ﹀Ⅱ二丁裏のこと

漢字は︑できるだけ原本どおりにしたが︑異体字についてはほぼ通行

体に改めた︒

判読不可能な本文は︑﹇川Uで示し︑仮読を記入した場合もある︒

誤りと思われる箇所には︑右傍に︵ママ︶と記した︒ただし︑﹁え﹂と

﹁へ﹂などの仮名づかいの乱れについては特に記さなかった︒

見せ消ちは︑ⅡⅡによって示した︒例:排廿

補入は︑︿﹀の中に入れて示した︒

上部が切断された頭注があったが︑切断部分の復元がむつかしいので

省略した︒

朱による瞥き入れのうち︑読点及び濁点は省記した︒

参考のために︑本文と注釈との間に︑﹃十六夜日記校本及び総索引﹂

︵江口正弘編︑笠間書院刊︶により︑︵︶の中に相当する掲載頁および

行を記した︒漢数字は頁数︑アラビア数字は行数を示す︒

なお︑阿仏仮名調調については︑弓阿仏仮名調調﹂校本稿﹂拙稿︑鳴

門教育大学研究紀要︵人文・社会科学編︶︑第巻︑二○○四年によった︒

(3)

hrん便

繩︑ 琴割

L1

lぞ

)、

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辱 め

&

8

》。

3乳

K

牌雷窪

I

蕊謹

I で土 … 1

(見返し)

年 I

6

篤︵縦f鰻 ︽河姻㈱雌疹粍沌窄み 今津霧ふか篭諦哩可鐸擢修忌網浩今領ぷ妙

為琶少鴬琴阜才豫流?之零段髪病滋ら

G今t〆匂忽ク萢咋桐︶h炉夢かみ侮貼へ恥了う必仏騨Ijr︑

△g●●

え些打一年︑

搾蜘蝿砿

声化r帥rIlor7I

急 鎌 │ 、

F雄もふけ似う 芝施僻彌〜量捕亨I

口g4

﹂flLF肌睦圏騨瞳阿

庫癌嶋恥溢唆魁

:{i b、苧I

(4)

いさよひ日記

︿表紙﹀

こは父君のいとわかき時の御筆なり其時代は奥の識語にものし給ふを見て

あきらかなり杉園主人

︿見返し﹀

いさよひ日記

此いさよひの記は大納言為家卿の室阿仏の作なり為家の卿は俊成卿の孫也

定家卿の子なり阿仏は前但馬守平繁廣か娘也安嘉門院の右衛門のすけとい

ひし女房也後には名を四條と改む阿仏は法名なり勅撰にも寄数おほく入た

る野人也髪に為家卿の惣領を大納言為氏卿と言りこれは阿ふつの為に他腹

たりといへ共為家卿の本妻の惣領ゆへに家督をつき給ひし也然に阿仏腹の

為相卿を世にたてん辿︿一ォ﹀北條時宗執権の頃親子ともかま倉へくたり

家督の訴詔せられしときの日記也とそく一ウ﹀

︻序文・旅の記︼

1昔壁の中より求め出たりけん文の名をは今の世の人の子は夢はかりも

︵ママ︶身のうへの事とはしらさりけりな︵一○一・1︶是迄此日記の序分の様

に香り扱壁の中よりと書出たるは昔もろこしの秦始皇と申みかと無道におはしま

して孔子の道をきらひて儒瞥をやき捨られし古事也されはこれをおしみてその世

の人かの書物を壁の中へぬり髄てかくし置たり五六十年已後漢高祖の時かへの中 ︻翻刻一

6 5 4 3 2 の上の事とはしらさりけりなといひしこと葉也 子夫婦兄弟朋友の五倫の道をあかしたる瞥なれは我身の時に逢い述懐にこめて身 に文の名をはと番るは論語をさしていへる也身のうへの事と瞥るは論語は君臣父 より孔子のの給ひし事を書たる論語といふ文を取出して今の世迄も傳はれる也愛

水茎の丘の葛はらかへすI〜も書おくあとたしかなれともかひなきも

のは親のいさめ也けり︿ニオ﹀︵一○一・4︶水茎岡近江國の名所也水く

きの岡といへる心は為家卿の書置給ひし筆の跡慥に有といふ心也筆をみつくきと

いふ故なりくすはらとは返すノーといはん控の枕詞也親のいさめとはおやの教訓

又賢王の人を捨給はいまつりことにももれ︵一○一・6︶けん王と

は一天四海をしるしめして民をめぐみ給ふをいふ也

忠臣の世を思ふなさけにも捨らる魁は数ならぬ身ひとつなりけりと思

ひしりなは又さしてもあらて猶此うれへこそやるかたなくかなしけれ

︵一○一・7︶君々たれは臣々たる道をもって賢王に仕へ奉りて世をは納る

事なれと其恵にももれたるを我身を述懐していへり前のろんこを髪にうけていへ

る詞也なをこのうれへに子の字をもたせていへり

さらに思ひつ魁くれは︵一○二・1︶今更に也

やまと奇の道はた国誠少く仇なるすさみはかりと思ふ人もやあらん

︵一○二・1︶此やまとを大和の国と口にていふよみ様によむへきにや古今

集のやまとうたは人の心を種としてといふやまとのよみ様家々の口傳様々有夫と

同しよみ様成へし︿ニウ﹀やまあとうたとよむ心もち也扱愛の心は今更阿仏の心

を恩ふに和寄の道は人心なれは皆誠より起る也然るに我家のかく衰ふるは野は

(5)

た︑仇なる慰一へんの様に人は思はんとなり和寄の道の誠に有物ならはかく我家

のおとろへはあるましきものをといふ心を只誠すぐなく和寄の道はあたなるすさ

ひはかりのやうなりといへり

7日の本の国に天の岩戸開けし時より四方の神たちの神楽のこと葉をは

しめて︵一○二・3︶是は日神岩戸に閉龍給ひ天か下常闇と成し時岩戸の

前にて諸神集り神楽をなして日神ふた圃ひ四海を照し給ふ事也

8世をおさめものを和くるなかたちとなりにけるとそこの道の聖たちは

しるしおかれたり︵一○二・5︶中たちとは寄道をさしていへり此道の聖

とは和寄通達の人をさしてこの道の聖といへり和寄は世を納め物を和らくる天下

国家を治る中たちとなる徳の深きものと昔よりいへりと也

9扱も集をえらふ人はためし多かれとふた蕊ひ勅を受て世々に聞へ上た

る家は類ひ猶ありかたくやありけん︵一○二・8︶集をえらふとは撰集

也為家卿は人王八十七代後嵯峨帝績後撰集又同御代績古今集両度の撰者也其後

打つ魁き代々の勅撰為氏卿より為世卿為兼卿為定卿為明卿みな此家の撰者也︿三

オ﹀

蛆そのあとにしもたつさはりてみたりのおのこ趣とも︵一○三・1︶

みたりは三人也阿仏の子為相卿為顕卿為守等也此三人は阿仏はらの子也

n百千の奇の古ほくともをいかなるえにかありけんあつかりもたる事あ

れと︵一○三・2︶百千とは野数多き事ほくは反古也もたるとは持たる也え

には縁也

皿道をたすけよ子をはく魁め後の世をとへとて深き契を結ひ置れし細川

の流も故なくせきとめられしかは︵一○三・4︶為家卿の世々の知行所 播磨国細川の庄也夫をま︑子の為氏卿に押領せられたるを故なくせき留らる︑といふ也深き契を結ふせきとめの詞細川といふえんの詞也

昭跡とふ法の燈も道をまもり家をたすけん親子の命もろ共にきへをあら

そふ年月をへてあやうく心細きなから何としてつれなくけふ迄はなから

ふるらん︵一○三・7︶前に後の世をとへと為家卿の遺言をうけて跡とふ

法といへる也次の詞のきへをあらそふもともし火にか︑りたる詞也あるかなきか

の心也おちふれたる身のなにを便になからへたるそと也︿三ウ﹀

uおしからぬ身ひとつはやすく思ひすつれとも︵一○四・1︶阿仏身

命也

鴫子を思ふ心の闇は忍ひかたく︵一○四・2︶ベ人の親の心はやみにあ

られとも子を思ふ道にまとひぬる哉

酪道をかへり見るうらみはやらんかたなく︵一○四・3︶為氏卿は本

腹の子にて家督なれ共阿仏のためには腹替り也俊成定家為家とつ衝きて為相卿は

うつもれは代々和寄の道筋をつかぬ事を道をかへりみるうらみといふ也

灯扱も猶あつまの亀の鏡にうつさは曇らぬ影もやはる砥と︵一○四・

4︶亀の鏡也あつまとは髪にては鎌倉をさす也くもらぬ影とはまつりことの

た国しきを鏡のくもらぬにかけていへり

昭せめて思ひのあまりて萬のは魁かりをわすれて︵一○四・5︶都に

ては諸卿の評判又鎌倉の執権なとをこめて萬の一字にみるへし

岨身をようなきものになし果て︵一○四・7︶用なき也

加ゆくりもなくいさよふ月にさそはれて出なんとそ思ひなりぬる︵一○

四・8︶ゆくりもなくは不意と瞥心ならすとよむ也計すの心也O源氏夕顔の巻

(6)

にくいさよひの月にゆくりなくあくかる魁とあり思ひの外の心也此詞よりいへる

か愛にいさよふ月にさそはれてとあれは十六日の月しろあかりていまた出やらぬ

イサヨヒ頃なるへし夜更て出る月をは不知夜月と書也愛にいふいさよひいさとさそはる︑

也家隆卿のうたに︿四オ﹀司人ならは都にみまし宮木野︑萩をいさよふ秋の夕暮

此いさよふはさそふ儀也髪のいさよふ月といふ詞と同しもの也又人丸のうた

︑もの蕊ふの八十うち河の網代木にいさよふ浪の行ゑしらすも此いさよふは休

らふ義也又へ君や來し我や行んのいさよひに槙の板戸もさ侭て寝にけり是も立

体らふて寝ぬ心也かやうに様々の心あり野心による此日記のいさよふはさそふ儀

にみるへし愛のこと葉よりいさよひの日記といふ也

別さりとては文屋康秀かさそふ水にもあらす二○四・9︶この詞に

てさきのいさよひはさそふ義分明也べ佗ぬれは身はうき草のねをたえてさそふ水

あらはいなんとそおもふ此うたにていへり是は康秀三河橡になりて国の仕置に

︵ママ﹀下る時小町を倶して行んといひし時小町かよめる寄也夫をこ酋引出られし也

配すむへき國もとむるにもあらす二○四・m︶阿仏の住んと思ふ国も

とめにも行すた︑此事をうたへんとて鎌倉におもむくと也

酩頃は三冬たつはしめの空なれはふりみふらすみ時雨もたへすあらしに

きほふ木の葉さへ涙と共にみたれちりつ国ことにふれて心ほそくかなし

けれと︵一○五・1︶冬三ヶ月のうちに十月は始の冬也然は三冬たつ始と

いへりふりみふらすみはふりふらす空定なき也ことにふれては物毎にふれて也景

気ありノーとして文章あはれ也︿四ウ﹀

別人やりならぬ道なれはいきうしとてもと︑まるへきにもあらて何とな

くいそきたちぬ︵一○五・5︶我と行道なれは人やりならぬ也︿古今源実 ︑人やりの道ならなくにおほかたはいきうしといひていさ帰りなん此寄にて

申されし也此本冴の心はいきうしとて帰らんと也人のやる道にてはなし我とゆく

ほとにと也然るに愛に心を取替て我心からわさと行程に今更と鼠まるやうもなし

といへり文章上手めきたり

弱目かれさりつるほとたにあれまさりつる庭もまかきもましてとみまわ

されて︵一○五・7︶目かる︑といふはみる事のうとき事也愛は常に阿仏

の見なれし庭もせなとはめかれねともおもひなしにやあれたる心ちすると也

・源氏巻柱にも此筆法ありさしも恩はい木草のもとさへ恋しからん事とめと職め

てといへり

邪したはしけなる人ノーの袖のしつくも慰めかねたる中にも侍従大夫な

とのあなかちにうちつくしたるさま二○五・9︶侍従は為相大夫は為

顕なるへし

いと心くるしけれは様j︑言しらへねや︿五オ﹀のうち見れは昔の枕の

さなからかはらいを見るも今更かなしくてかたはらにかきつく︵一○

六・2︶昔の枕とは為家卿の事也鎌倉へ下らんと恩ふも家を思ふか故也けれ

は今更なき人のおも影そひてかなしけれそのかたわらに野をかきつくると也

記へと︑め置古き枕の塵をたに我立さらは誰かはらはん全○六・

ニカセン6︶是は長恨寄に︒旧枕故衾誰与共此詞より出たり是は唐の玄宗皇帝楊貴

妃に分れて蜀の國より帰り二たひ内裏におわしまして楊貴妃ともろ共にゐ給ひし

ねやを見て歎き給ひし詞也寄の心あきらか也

羽代々に書置れたる野のさうしとものおくかきなとしてあたならぬかき

りをえりした魁めて︵一○六・8︶えりとはえらふ也俊成定家為家卿迄代々

(7)

︵ママ︶書おかれしそうしなるへし

鋤侍従の方へおくるとて書そへたるうたへ和冴浦に書と︑めたるもし

ソへほ草これを昔の形見ともみよ︵一○六・m︶是風寄也代々の人の瞥憧

れしものを和寄の浦にたとへていえりもしほ草は浦の藻とうけて草子ともの事也

寄の心ありのま猫也︿五ウ﹀

瓢あなかしこよこ波か︑る濱千鳥ひとかたならぬ跡を思は国︵一○

七・4︶心明らか也あなかしこはあなかた也いてノーといふ心也演千鳥は筆

の跡也愛にては侍従をさして演千鳥といふ也ひとかたならぬとは代々也是も風の

うた也

犯是を見て侍従の返り事いと︑くありべ終によもあたにはならしもし

ほ草形見をみよの跡に残さは︵一○七・6︶心明らか也形見を見るを

三代にかねて成へし三代相傳の沓を家に残し置たらは終によもあたにはならしと

なり五句よみはて︑二の句迄返して見るへき也

調へまよはましおしへさりせは濱千鳥ひとかたならぬ跡をそれとも

︵一○七・9︶此うたは二句より一の句へ返してみる也是も五句よみ果て二

の句へ返してをしへさりせはまよはましと也今母上のおしへにて三代の跡をもみ

へたる也

誕この返り事いとおとなしけれは心やすふ哀れなるにも昔の人にきかせ

たてまつりたくて又打しほれぬ︵一○八・1︶昔の人とは為家卿也

弱大夫のかたはらさらす馴きつるをふり捨られなん名残かちにおもひ知

て手ならひしたるを見れは︿六オ﹀はるj︑とゆくさきとふくしたはれて

いかにそなたの空をなかめむ︵一○八・3︶大夫為顕の寄也當坐の野 はかやうにすらノーとよむ是一躰也調とかきつけたるものよりことに哀にて同しかみに書そへつつくノー

と空ななかめそ恋しくはみちとをくともはや帰りこんとそなくさむ

る︵一○八・8︶前の野へつけてみる詞也伊せものかたりのとなんをひつ

きていひやりけるの詞におなし

諏山より侍従の兄の律師も出たちみんとておわしたり︵一○九・2︶

山とはひえの山也律師は名を慶融といふ也

銘それもいと心細しと思ひたるを此手習ともを見て又書そへたりあた

になく涙はかけしたひころもこ翻るのゆきて立かへるほと︿六ウ﹀︵一

○九・4︶野の心は聞へたるま樹也やかて立帰給はん程に涙はかけましきた

ひの門出にいまノーしき程にと也立かへるは衣のえん也

調とはこといみしなから涙のこほる︑を︵一○九・8︶とはとよみ切

てこといみしとよむ也こといみは言忌也涙はかけしといみなからなくと也

如あら通かにもの言まきらはすも様ノー︑哀なるをあさりの君は山ふしに

て此人ノg︑よりは兄なり︵一○九・8︶阿闇梨也名を源承といへり績拾

遺集の作者也

狸このたひの道のしるへにをくりたてまつらんとて出たるを此手ならひ

に又ましらはさらんやはとてかきつく二一○・1︶ましらはさらん

やは交らんといふ詞也やはのてにをは皆此心持にてみるへき也

偲立そふそ嬉しかりけるたひころもかたみにたのむおやのまもりは

二一○・5︶あさりの歌也前に旅衣立かへるとあるをうけて立そふそと也

此あさり阿仏の供して道の案内者に鎌倉迄送り給ふ故に立そふそうれしきと也か

(8)

J

たみは衣のえん也親のまもりは阿仏をいへり親は子をまもりめぐむゆへ也べか

ら国のむかしをきくも︿セオ﹀たらちねの親のまもりのあるよとそおもふといふ

古野あり

蝿女子はあまたもなした︑ひとりにて此頃近きほとの女院にさふらひ給

ふ院の姫宮ひと所生れ給ふことにて心つかひもまことしきさまにおとな

しくおはすれは二一○・7︶院とは後さかの院か亀山院なるへし阿仏と

同し時の両院也さふらひ給ふとは阿仏の息女の事也此はらに院の姫みやひと所御

たんしやうありと也

宮のおほんかた恋しさもかねて申おくつゐてに侍従大夫なとの事は

く︑みおはすへき由もこまかに書付ておくに二一一・1︶院の姫み

やへ阿仏のたのみまいらするよしを申て也

妬きみをこそあさ日とたのめふるさとに残るなてしこ霜にからすな

二一一・5︶心明也姫宮の御威光を朝日の出るやうに頼み奉ると也然間古

郷に残し置子共をなてしこにたとへて殊に三冬の立なれは霜にも枯ぬ様にたのみ

奉ると也哀ふかしなてしこはうたによむ時はおほかた子にもたせてよむ也︿セウ﹀

ときこへたれはおほん返事もこまやかにいと哀に書て寄のおほんかへ

しには二一・7︶息女のうた也

卿おもひをく心と髄めはふる郷の霜にもかれし大和なてしここ一

一・9︶舟の心は仰おかる︑心を仇に思はねは鰯には枯さしと也やまとなて

しことはか#なてしこといふよりいへり

蛤とそある︵二二・1︶まへのうたにつく詞也

棚五の子ともの野残りなく書付ぬるもかつはおこかましけれとおやの心 源承阿闇梨績拾過作者慶融律師也女子二人

已上男女七人四條阿仏服也前に女子はあまたもなくた鼠ひとりにてと有然とも系

図には二人とあり女子一人は早世なる欺

卵さのみ心よわくてもいか︑とてつれなくふり捨つあはたくちと言虚よ

りも車は返しつ程なく逢坂の関越る程にもさためなきいのちはしらぬ

たひなれは又あふさかとたのめてそゆく二一二・4︶阿仏も老た

い也殊に老少不定也然るに古郷を放れ親しき人ノ︑をおきてあつまにおもむけは

又逢さかとたのめおくと也哀ふかし只今の阿仏の心にはふた︑ひ逢事をたのみ給

ふより外の願ひこれにすくへからすありのま︑によみ給へる処是又作者のもの也

別野ちといふ虚はこしかたゆくさきの人もみへす︵二二・m︶野ち

は近江の名所也古野も多しこしかたは昔の事にあらすきしかた行さき也︿八ウ﹀

兜日は暮か職りていと物かなしと思ふに時雨さへうちそ︑く︵二三・

1︶時雨さへの字力ありそ︑くはぬる︑也

認うち時雨ふるさと思ふ袖ぬれてゆくさき遠き野路のしのはら︵二

三・3︶時雨降にふるさとをかねて也のちのしのはらの行先とをき心地する には哀に覚ゆるま魁に書あつめたり︵二二・1︶

系図

砿尭位大納衲正曵他人納箇

為家︲H削鵡舳唾IIに洲嘩為教之子火納汀

為家為相冷泉家為顕侍従法名明党為守侍従法名尭月 ︿八オ﹀

(9)

に時雨さへふりてあとに心のひかる曾故也此野玉葉集旅の部に入たり詞普に▲あ

つまへまかりけるに野路といふ所にて日蓉か蕊りて時雨さへうちそ︑きけれはと

別今宵は鏡といふ所に着へしと定めつれと暮果て行着す︵二三・5︶

か慰み近江の名所也古奇も多し

弱もり山といふ所にと詞まりぬ差にも楢時雨はしたひきにけるいと︑

猶袖ぬらせとややとりけんまなく時雨のもる山にしも︵二三・6︶

時雨そしたひの詞をうけていと魁猶袖ぬらせとてやとりたるかと也まなくはひ

まなく也守山を所の名にいふ時はもり山野によむ時は大かたもる山とあり貫之

べ白露も時雨もいたくもる山は下葉残らす色つきにけりもり山の野は︿九オ﹀

露か時雨に大かたよむ故もる山とよみならはせり

記けふは十六日の夜也けりいとくるしくて打ふしぬいまた月のひかりか

すかに残たる明ほのにもり山を出てゆく︵二四・1︶十六夜は有明

也月の光かすかに残る也

諏野洲の川わたる程さきたちてゆく旅人の駒のあしおとはかりさやかに

て霧はいとふかし旅人もみなもろともに朝たちて駒うちわたすやす

の川霧二一四・3︶心かくれなし朝立ては旅人と霧との縁也此野も玉葉

集旅の部に入たり

すぐ詔十七日はをの︑宿といふ所にと封まる︵二四・8︶かんなにては

すぐとよむ

弱月出て山のふもとに立つ国きたる松の木のまけちめみへていとおもし

るし二一四・9︶立待の月とて宵より出たる月也月にて木の間のわかちみ へたるをけちめと言りく九ウ﹀

㈹愛もよふかき霧のまよひにたとり出っ︵二四・m︶愛ものもの字

前の野洲の川霧にこたへてこ︑もといへり上手の文章也

田さめか井といふ水夏ならは打過ましやと思ふにかち人は猶たちよりて

くむなる︵二五・1︶同し近江名所さめか井とて名水あり夏ならは打過

ましや立寄て汲んにと也され共かちにてとふる人は名水故に立寄て汲と也打過ま

しや此やの字あたりてみるへし

囲むすふ手ににこる心をす国きなはうき世の夢やさめか井の水︵二

五・4︶きこへたる儘也但此憂世の夢といふ所此寄の眼也貫之古今のうたの

くむすふ手の雫ににこる山の井の吾の悌をとれりさてうき世の夢とは生死長夜の

夢也又金剛經にはO一切︿有﹀為ノ法ハ如夢幻泡影と解給へり皆うき世のゆめ也

侭とそおほゆる二一五・6︶すへの奇へつけてみるへし

十八日みの蕊國関の藤川わたる程に先思ひつ掛けける︿一○ォ﹀︵二

五・6︶関の藤川名所也摂関はいつれも藤氏なる故に関の藤川とよむ也為家

卿も藤原氏成は先といふ字力あるもの也

侭わか子ともきみに仕へんためならてわたらましやは関のふし川︵一

一五・8︶心あらは也子を世にたて︑君に仕へんと思はすはなにしにわたら

んと也為家卿も御堂関白道長公のなかれなれはかくいふ也

師ふはの関屋の板ひさしは今も替らさりけりひまおほきふはの関屋は

此ほとの時雨も月もいかにもるらむ︵二五・m︶古野にへ荒はて

しふはの関屋の板庇月もれ通やまはら成らん此を東野に取り

師関よりかきくらしつる雨時雨に過てふりくらせは道もいとあしくて心

(10)

より外にかさぬひの駅といふにと魁まる︿一○ウ﹀旅人はみのうちは

らふゆふくれのあめにやとかる笠ぬひの里︵二六・3︶蓑に笠と

たいしていへり雨にやとかるに笠縫の里おりに逢たるもの也

錦十九日又差を出て行夜もすから降つる雨にひら野とかやいふ程道いと

わるくて人かよふへくもあらねは水田のをもをそさなからゆく明るま塾

に雨は降すなりぬひるつかた過行道にめにたつ社あり人にとへはむすふ

の神とそきこゆるといへは︵二六・8︶みの︑国に有勅撰にみへたり

的まもれた麓契りむすふのかみならはとけぬうらみにわれまよはさて

こ一七・5︶心あらは也結をとけぬと受たりとけぬ恨とは此度の望を叶へ

て守り給へと也︿ニオ﹀

和すのまたとかやいふ川には舟をならへてまさ木のつなにや有んかけ

と慰めたる浮橋ありいとあやうけれ共わたる︵二七・7︶まさきの

つなとは杣人のまさきのかつらといふものをつなにして筏を流し又と︑むる処に

もこれにてつなく也

︑この川つ塾みのかたはいとふかくてかたノー〜は浅けれとかたふちの

深き心はありなから人めつ国みにさそせかるらん︵二七・m︶人

めつ魁み人のみるめをつ国むを川の堤にたとへたりへ思へ共人目つ慰みの高けれ

はかはとみなからえこそたのまね古今恋のうたの悌をとれり︑かりの世のゆ

き塗とみるもはかなしや身のうき舟をうきはしにしてうきたる身をはしにかけ

てかりの世のゆき魁とするはともにはかなしと也

泥と思ひつ慰けける二一八︑︑5︶前へっ︑けてみる也

淘又一の宮といふ社を過とて一のみや名さへなっかしふたつなくみ つなき法をまもるなるへし︿ニウ﹀︵二八・5︶ふたつもなくみつもなき一乗法華をたもつ阿仏成は夫を守り給ふ一の宮ならはなつかしきと也このなつかしきはたのもしきといふ心にみるか面白き也

泓廿日おはりの国おもと違いふむまやを出てゆくよきぬ道なれはあった

の宮へまいりて︵二八・9︶よきぬとは道筋にまします神なれはよきら

れぬ也

布硯取出てかきつけて奉りけるうたいっ︑いのるそよ我思ふ事なるみ

かたかたひくしほも波のまにJ︑︵二九・1︶なるみかたおわりの

名所也あったの海添也なるみかたかたひくもした心あるかまにノーとは神にまか

せ奉る程に神の御心ま︑にと也

祁なるみかたわかの浦風へたてすはおなし心に神もうぐらむ︵二

九・4︶身の上の和寄の道をそへていへり野は神代よりったはれは我思ふ祈

りを神もうけひき給はんと也︿一二オ﹀

万みつしほのさしてそきつるなるみかた神やあはれとみるめたつねて

二一九・6︶神や哀といふに我身のうへをいへり風の寄也

沼雨風も神のこ魁ろにまかすらんわかゆくさきにさはりあらすな︵一

一九・8︶雨風の難も皆神の御心ならん程に旅の道さはりなきやうにといの

る也

禰契りあれや昔もゆめにみしめなはた懲愛にしもめくりあひぬる︵ナ

シ︶此寄一首おほかたのほんにおちたり奇の心は昔三河の国宮路山迄阿仏の

父とともなひて下り給ひし時此あったをとふり給ふ故に久しき事なれは昔も夢に

見たると也今又ふた鼠ひ拝み奉るへき契りあれやと也みしめ縄心にかけてといひ

(11)

てむかしのちきりにめくり逢とは夢に對していへり

帥塩ひの程なれはさわりなくひかたを行おりしも濱千鳥いと多くさきた

ちて行もしるへかほなるこ猶ちして︿一二ウ﹀︵二九・m︶演衛の先

たちて行は旅の道しるへするやう也となり旅行のさまあわれ也

副演千鳥なきてそさそふよの中にあと獄はんとは思はさりしを︵一二

○・3︶鳥の跡と受たる詞也為家卿の事なるへし跡とはんとは為家におくれ

て跡とわんと也夫婦は偕老同穴のかたらひをなして死なはともにと契れ共老少不

定のならひなれは跡とわんとはかけてはおもはさりしをと也哀ふかし

躯すみた川の渡りにこそありと聞し都鳥といふ鳥の晴とあしとあかきは

此浦にもありけり︵一二○・5︶はしとあしとあかきはいせものかたりの

詞にていへり

錦こと蕊はんはしとあしとはあかさりしわかすむかたのみやこ鳥かと

︵一二○・8︶業平朝臣の名にしおは︑いさこと魁はんのうたにていへり詞

も心もさなから取たる寄也

拠ふたむら山をこへてゆくに山も野もいとどをくて日も暮はてぬ︵一二

○・m︶山も野もはふたむら山より行先の野山也︿一三オ﹀

錨はるj︑とふたむら山を行すきて猶すゑたとる野邊の夕やみ︵一二

一・2︶前書の体をすぐに述たる歌也旅行のていあわれ也ふたむら山は尾張

国の名所也

師やつはしにと箆まらんといふくらさにはしもみへすなりぬ︵一二一・

4︶此詞もまゑの日も暮はてぬといふ詞をうけて也

師さ︑かにのくもてあやうきやつ橋をゆふくれかけてわたりぬる哉 ︵一二一・6︶蜘の手八あれはやつはしといへり夕くれかけてもはしのえん也又伊せ物語に水行川の蜘手といふはたてよこに流れたるに柱をうち違へたるものを蜘手といふ也伊勢物語にも説ノ︑有此寄玉葉集旅の部に入たり夕くれかけてわたりかねぬると下の句を直して入たり詞書に︒三河国やつはしを通る辿と有寄の心はさ鑓かには蜘也蜘の巣はあやしきもの也それをやつはしのぐもてのかなたこなたへわたしたるにそへてあやしきに夕くれにさへわたると也

認廿一日八橋を出て行にいとよくはれたり山本遠き原野を行ひるつかた

になりて紅葉いと多き山にむかひてゆくかせにつ料なき所ノー︑くち葉に

そめかへてけり︿一三ウ了︵一二一・8︶とり残たるをつれなきといへり

鋤常磐木とも立交りて青地の錦を見るこ︑ちす人にとへは宮ちの山とい

ふ︵一二二・2︶青地の錦よきたとへ也さなから見るやうの詞也宮路山は三

河国の名所也古野多し

卯時雨けりそむるちしほのはては又もみちのにしき色かへるまて︵一

二二・5︶時雨にひたと染て千しほになりたる也夫を紅葉の錦とみたて又そ

の錦の色かへるほと色かこかる斑と也時雨けり五文字かん用也時雨けりノ︑なり

例待けりなむかしもこゑし宮路山おなし時雨のめくりあふ世を︵一二

二・8︶めくるは時雨のゑん也是も一句のうた也五句迄いひつめて待けりな

と五文字へかへる也此日記に此体のうたのみあまたよみ給へりし奇の心聞へたる

ま蕊也昔と今と恩ひやりし所也

蛇山のすそ野に竹のある所にかや屋のひとつみゆるいかにして何のたよ

りにかくてすむらんと見る︿一四オ﹀︵一二二・m︶心なき所に心付てい

へる哀ふかし算朴朴Ⅱ奇人はかくこそあるへけれ

(12)

ぬしやたれ山のすそ野に宿しめてあたりさひしき竹のひとむら︵一

二三・3︶ゆくてにみゆる所をさしつけてよむ寄也まことに見るてい也前書

をよくうけて此野をよくみれはなをかんあり手の付られぬ物也︿里竹為氏卿

玉葉︑たか里の家居なるらんかた山の麓にめくる竹の一むらこの風情也

叫日は入はて魯猶もの勘あやめもわかぬほとにわたうとかやいふ所に

と蚤まりぬ︵一二三・5︶もの︑あやめはあやもみへぬ也猶古今集恋の巻

頭へ子規なくやさ月のあやめ草の野の注にくわしわたうといふ所書写の誤か知

かたし勅撰名所にもみへす野によまぬ名所も道の記なれはかくもあるへし

妬廿二日暁夜ふかき有明の影に出て行いつよりも物かなし住わひて月

のみやこを出しかとうき身はなれぬ有明のかけ︵一二三・7︶月の

みやこは月宮殿也差の心は只都をさしていへり十六日に都を出給へれは月の都面

白き也︿一四ウ﹀住わひて都を出たれ共長旅なれはうき身はなれぬと也か魁るう

たへをなさんと思ふ故に住侘て都を出たると也

妬とそ思ひつ国くる︵一二四・1︶前へつけてみるへし

卯供なる人有明の月さへ笠きたりといふを聞て旅人のおなし道にや出

ぬらんかさうちきたる有明の月︵一二四・1︶旅する人は笠をきる故

に旅人にもあらぬ有明の月さへ笠きたりと也然は上の句旅人と同しやうに笠きた

る月かと也旅人の菅のをかさと古野にもあり

兜高しの山もこへつ︵一二四・5︶三河国の名所也

的海みゆる程いと面白し浦風あれて松のひ魁きすこく波いと高しわか

ためやなみもたかしの濱ならん袖のみなとのなみはやすまて︵一二

四・5︶袖の涙に舟のよる程なれは袖のみなと魁いふ也伊勢物語に袖の湊の さはく哉と讃し同し心也愛はかくうき旅にぬる酋袖は我ために波も高しの濱といふかと也此野に波も高し涙は休まてとふたつありかやうにをきたるは又一体なるへし上の句波は海の浪下︿一五オ﹀の句の波は袖の涙とみるへし

皿いと白き洲崎に黒き鳥のむれ居たるは鴉といふ鳥なりけりしらはま

にすみの色なる鴫つ鳥筆もをよは国ゑにかきてまし二二四・m︶

鴫つ鳥は鴉をいふ也白渡に鴉の黒くむらかる体を絵に書ても見たけれ共中々筆に

も及ふましきと也是も玉葉旅の部に入なり詞書にくあつまへまかりける道にて

はまにうの多くむれ居たるけしき面白くみへけれはと有

皿はまなのはしょりみわたせは︵一二五・4︶遠江名所也寄多し

皿鴎といふ鳥いと多く飛ちかひて水の底へも入岩の上にもいたりかも

めいるす崎のいはもよそならすなみのかけこす袖にみなれて︵一二

五・4︶心明らか也旅行の様也みるものことに身のうへをいへり野の心は我

袖の涙のみみなれて洲崎の岩もよそにはおもはすた蕊我袖のやう也なみのかけこ

すなと上手の風野也︿一五ウ﹀

肥こよひはひきまのすぐといふ虚にと魁まる此虚のおほかたの名は演ま

︵ママ︶つとそいひし︵一二五・9︶おほかたは十のとの七八といふ心也

皿住こし人の悌もおま/〜思ひ出られて︵一二六・1︶此演松に住し

阿仏の親類なるへしなく成て後とそ聞ゆ

蠅又めくりあひてみつる命の程も返すノー哀也︵一二六・3︶又めく

り逢てとは愛に住し人の子かまこなと成へし次の詞にそのよに見し人の子むまこ

なとよひ出してとあり

畑はま松のかはらぬ陰をたつねきてみし人なみにむかしをそとふ︵一

(13)

二六・5︶心あらは也松は千とせふれともかわらぬ故也見し人の昔を松にた

つぬると也なみとははまのえんにてみし人なきにと也

皿そのよにみし人の子むまこなと呼出してあひしらふ︵一二六・7︶

此あいしらふは愛の心也又あいさつの心にても聞へたり但愛する心かまざりたり

︿一六オ﹀

畑廿三日天龍のわたりといふ舟にのるに西行か昔も思ひ出られていと心

ほそし︵一二六・8︶西行鎌倉へ下りし事東鑑にもあり此川の舟に乗て武

士にうたれたる事みへたり

畑くみあわせたる舟た国ひとつにておほくの人のゆき筋にさしかへるひ

まもなし水の泡のうき世をわたるほとをみよはやせのを舟さほもや

すめす︵一二六・m︶うきよを夢幻泡影にたとへたりそのきへやすき水の

泡のうき世をわたる是人間の習ひ也品こそ替れ安くて過る人はなしと観念したる

冴也是此日記におゐておもしろき冴也三の句のほとをみよ餘情おもしろき也

加こよひはとほつあふみ見つけの里といふ鹿にと︑まる里あれてものおそるしかたはらに水の井あり誰かきてみつけの里ときくからにい

と塗たひねそ空おそるしきく一六ウ﹀︵一二七・4︶心明らか也寄に水の

井の心はなし文章の除情也いせ物語の廿四段にし水のある虚に臥にけりと香る筆

法也是もものかたりのよせい也

皿廿四日ひるになりてさやの中山こゆ︵一二七・9︶遠江の名所也詞

にいふ時はさやの中山といふにや野にはよるの心をよむ時おふかたさよの中山と

みゆよるの心なき時は東ちのさやの中山なかノーになと︑古今集にもありおほむ

ねは此おもむき也但野にもよるへきにや 胆ことのま︑とかやいふやしろのほと紅葉いとおもしろく山陰にてあらしもおよはぬなめり︵一二七・9︶やま陰故にあらしもさはらぬ也ふかく入ま圃にをちこちの峯つ園きこと山ににす心ほそく哀也︵一二

八・1︶さやの中山の殿氣四季ともかくのことし

皿こゑくらすふもとの里のゆふやみに松かせをくるさ夜の中山︵一二

八・4︶時のけいきありノーとしてすこく哀なる寄也かやうの奇は手をつけ

︵ママ︶ていか蕊也只その折ふしをかんかんする所和寄のうるはしき色也ひと通り面白き

うた也︿一七オ﹀

頤あかつきおきてみれは月も出にけり雲か固るさやの中山こへぬとは

みやこにつけよ有明の月︵一二八・6︶是又けいき身にしみて前の野の

ことしみやこに告よといふ此寄のかん也何ともいはすして唯この旅行の体を都に

告よとよせいあるもの也

岻川をといとすこし︵一二八・9︶菊川也暁おきてみれは月も出にけりと

いふことはをうけて也

皿わたらんと思ひやかけしあつま路にありとはかりはきく川の水︵一

二八・m︶是又心あらは也東路に菊川といふ所はありとは聞しかとわたらん

とは思ひかけさりしに思ひの外なる事によりてわたり行と也かくいひすて︑しか

も我身のうへの事を何とも断はせすして上品の姿也

畑廿五日きく川を出てけふは大井川といふ川をわたる水いとあせてき︑

しにはたかひてわつらひなし︿一七ウ﹀河原はいく里とかやいとはるか也

︵ママ︶水の出たらんおも影をしはかる詞︵一二九・2︶いく里は幾里也此河原

の間何里とかや有といふ心也又いく里とは石の名也詞はいく里といふて心は石を

(14)

1

J

岬おもひ出るみやこの事は大井川いく瀬のいしのかすもおよはし︵一 しとよめれはいく里に石の心もあるへし ふくむなるへし水の出たらんおも影なとともみるやうの詞也次の肝にいくせのい

二九・7︶ありのま︑に聞へたり何につけても古郷を恩ふこれ旅の習ひ也

卸うつの山こゆる程にしもあさりの見知たる山臥行逢たり二二九・

9︶あさりは阿仏の子也

皿夢にも人をなと昔をわさとまなひたらん心地して︵一二九・辺此

詞いせ物語の事也そこの詞に蔦かえてはしけりす︑ろなるめをみる事とおもふに

すきやう者にあひたりか︑る道はいかてかいまするといふをみれはみし人也けり

とあり

煙いとめつらかにおかしくも哀にもやさしくも覚ゆく一八オ﹀︵一三○・

1︶おかしくもとは昔の業平のことくにうつの山にて山臥に逢たるは誠に昔

に似たるを恩へは面白くも哀にも覚ゆると也昔と今と約束したるやうに山臥の知

たる人に逢はやさしきと也

醐いそぐ道也といへは又もあまたはえか菖すた餌やんかたなき所ひとつ

にそをとつれ聞ゆる︵一三○・3︶女院におはする息女のかたひと所にや

此息女は為家卿のむすめ八i菰代後堀川院の民部卿の典侍かこの人野人也

哩わか心うつ砥ともなしうつのやま夢路もとをきみやここふとて︵一

三○・6︶物語の野のうつの山邊のうつ魁にも夢にも人にといふ野より出た

る也寄の心はうつの山といへとうつ︑ともはるけき旅に出てみやこを恋しう思ひ

れに夢さへ遠く成行と也されは我心うっ職ともなしといへり

職つたかえて時雨ぬひまもうつの山なみたに袖の色そこかる︑︵一三 ○・8︶我涙にて袖の色のこかる︑故蔦楓に時雨ぬひまもうきをうっの山とかねたり是も物語に蔦楓は茂りもの心細くといふ詞を取て也前の野は業平の野を取この野には物語の詞を取てみやこへ上る人を持せて文をした︑めて筆のゆくに任せてか心れしなるへしかやうの孫にて作者の程をも知へき也常に心を和野にをかすは成かたき事成へし︿一八ウ﹀

職こよひは手こしといふ虚に留る何かしの僧正とかやのほりしとていと

人しけし︵一三○・m︶此何かしとはかくれなき人をもいふ又何とやらん

名といふ僧正とみてもよし源氏物語にては若紫巻に何かしの寺とあるはかくれ

なき寺といふ心也鞍馬をいふ也又夕顔の巻に何かしの院とあるは六條河原院をい

ふ也是も融大臣の住給ふ所なれは名高く隠れなき心にもちゆる也

唖やとりかねたりつれとさすかに人のなき宿もありけり︵二三・2︶

手越里に僧正泊りし故人つとひてさるへき宿もなかりしか又はしノー人のなき

所も有てとまりしとなり

唖廿六日はらしな川とかやわたりて興津の漬に打いつ︵二三・3︶

駿河のおきつ也今の清見寺なるへし

なくノー出し跡の月影なと先思ひ出らる︵二三・4︶都を十六日

の暁出給へる時の月影也

蜘ひる立入たる所にあやしきつけのを枕あり︵一三一・5︶柘植の小

枕也くしにもする物なれは柘植のをくしと野にもよむ也

皿いとくるしけれはうち臥たるに硯もみゆれは枕のしゃく一九オ﹀うしに

ふしなから書つけつなをさりに見るめはかりをかり枕むすひおきつ

と人にかたるな︵一三一・6︶なをさりとは心にもかけす假初に只みる斗

(15)

︵ママ︶にしたる枕なるほとに契を結ひたるとはし人にかたるなと也前に興津の濱とある

故に契り興津と也みるめはかりえんの詞也人のみるめにそへたり五句すらj︑滞

なく学ふとも人の及ふましきすかた也

哩暮か︑る程清見か関を過る岩こす波の白き衣を打きするやうにみゆる

いとおかし︵一三二・1︶清見関駿河にあり古野多しこの関といふは今思

ふに此岩に波か慰るを俗に親しらす子しらすといふ差に昔は関をすへたりと見へ

たり興津といふは今の消見寺の里をいへは関は親しらすの所をいふへし此所荒海

故常に波高く立て岩に衣をかけたるに似たり

詔きよみかたとしふるいわにこと蕊はむなみのぬれきいいくかされき

つ︵一三二・3︶ありノ︑と見るてい也手をつけていわんやうなし

蝿程なく暮てそのわたりのうみちかき里にと園まりぬく一九ウ﹀浦人のし

わさにやとなりよりくゆりか繭るけふりいとむつかしきにほひなれはよ

るの宿なまくさしといひける人のこと葉も思ひ出らる二三二・5︶

よるの宿なまくさしとは鴨長明かある家にやとりたれはあみ釣なといとなむ磯物

のすみかにやよるのやとりかことにしてと長明の海道の記に番りその事なるへし

唖夜もすから風いとあれて波た慰枕のうへに立さはくならはすよよそ

に聞こし清見潟あらいそ波のか麓る寝さめは︵一三二・9︶尤哀な

る様也寄の心しるす事なし是も一句の寄也か︑るね覚はならはすよ也すかたゆう

にして及ふましきもの也

駈富士の山をみれはけふりもた︑す︵二一三・3︶煙もた︑すの詞種々

の心あり不立の心にや古今の序にも今はふしの山のけふりもた鼬すなりとあり此

不立の詞に不立不断の両儀ありとなん古今集におゐて口傳ある事にや次の詞に富 士の煙の末も朝夕たしかにみへしものをいつの年より又此煙の事二條冷泉の︿二○オ﹀かはりありと諸抄にもしるされたり先二條家には不断の説をもちひ來れるにや冷泉家には不立の事にして用ひられしとかや冷泉為廠卿なとのうたに不立の心によみ給へる野もある也髪は夫にはよるへからす古今傳授の事なれは手をつけてもよしなくや先あらましをいへるもの也

獅昔父の朝臣にさそはれていかになるみの浦なれはなとよみし︵一三

三・3︶阿仏の昔よみ給へる二三の句成へし此いかになるみの野撰集に入か

重ねて考ふへし

蝿とふつあふみの国まてはみしかは富土煙の朝夕慥にみへし物をいつの

年よりか絶しととへは定かに答ふる人たになしたかかたになひき果て

かふしのねのけふりのすゑの見へすなるらん︵一三三・5︶富士煙

はかくや姫の古事より恋によせあれは其下心にてたか方に扉きたるそと也

蝿古今の序のことはまて思ひ出られて︵一三四・1︶︿古今の序に高き

山もふもとの塵ひちよりなりぬとあること葉也

皿いつの世のふもとのちりか富士のねを︿二○ウ﹀雪さへたかき山と

なしけん︵一三四・2︶歌の心とく事なし麓の塵といふ事は︿千里行始レ

ヨリ足下高山起於レ微塵といへり

皿くち果しなからのはしをつくらはやふしの煙もた︑すなりなは︵一

三四・4︶是も古今の序になからのはしもつくる也とある所也︿皇代記に書弘

治三年三月造長柄橋と有此儀にも子細有右三首の歌皆以古今の口傳也又家々の

意義もまちノ︑也尽ると造るとの両儀也富士のけふりも不立と不断のふたつ也

蛇こよひは浪の上といふ所に宿りてあれたる音さらにめもあはす︵一三

(16)

四・6︶波のうへ所の名也名所にはあらす今の由井かん原の過なるへし

蝿廿七日明はなれて後富士川を渡るあさ川いとさむしかそふれは十五瀬

をそ渡りぬるさえわひぬ雪よりおろす富士川の川かせこほる冬のこ

ろも手︿二一オ﹀︵一三四・7︶衣てとして冬の旅人の様みる体の歌也朝け

のけしきさも覚ぬへし

蝿けふは日いとうら蚤かにて田子の浦にうち出蜑共の漁するをみても

心からおりたつ田子のあまころもほさぬうらみと人にかたるな︵一三

五・2︶田子とは田夫也︿源氏にみやす所のうたにべ袖ぬる魁恋ちとかつは

知なからおりたつ田子のみつからそうき是を取て也寄の心は田子の蜜とは阿仏の

身をさして也尼を蜑によせてほさぬうらみと我心からするほとにと也

蠅とそいはまほしき伊豆の府といふ虚にと魁まるいまた夕日残る程に三

嶋の明神へ参る独よみて奉るあはれとやみしまの神の宮はしらた髄

愛にしもめくりきにけり︵一三五・6︶哀と神もみ給へと也愛にめくり

きたるを宮柱にそへていへり

蝿をのつからつたへし跡もあるものを︿二一ウ﹀神は知るらむ敷嶋の

みち︵一三六・1︶神は正直の頭に宿り給へは我家に代々僻りし敷鵡の道は

人は何共いへ神はしるしめさんと也二神の昔より此道ははしまりし程にと也

岬たつねきて我こへか塾るはこれちをやまのかひあるしるへとそ思ふ

︵一三六・3︶山の峡と心ふたつにかよはして也

蝿廿八日伊豆のかうを出て箱根ちにか︑るいまた夜ふかかりけれは玉

ぐしけ箱根の山をいそけともなを明かたきよこ雲のそら︵一三六・

5︶王櫛笥は箱といはん枕詞也明かたきも箱のえん也前書によふかかりけれ はとあり猶明かたき夜とうけて横雲にかねたり岬あしからの山は道遠しとて箱根路にか逮る也けりゆかしさにそなた

の雲をそはたて︑よそになしぬるあしからの山︿二二オ﹀︵一三六・

9︶足柄越辿古道也此山難所なれは中頃より今の箱根路を行と間へたり野は

聞へたるま︑也そはたててあしとつ︑けたり雲にへたて︑みへぬはゆかしきと也

蜘いとさかしき山を下る人の足も留りかたしゆさかといふなるからうし

て越はてたれは麓に早川といふ川有誠にはやし︵一三七・3︶ゅ坂は

今の湯本の坂をいふにや此坂のふもとに今も早川流たりからうしては辛労してこ

ゆる也こへ果たれと︑をさへて麓に早川といふ詞との字にて聞へかたきやう也然

共此詞はこへはてたれは今宵留る所あるやと思ふに麓に早川といふ川ありと也と

の字にて言のへたる詞也此との字は没前生後の詞とて前の詞をとの字にておさへ

て又言出す故にまへを没してしりへに生すといふ心也

皿木の多く流るうをいかにととへは蜑のもしほ木をうらへ出さんとてな

かす也といふ東路のゆさかをこへてみわたせは塩木なかる塗早川の

水イすゑ︵一三七・6︶さなからみやりたる体也異本に水とあり水といふ心より

すゑといふ心まされるにや上旬にみわたせはとあれは末といふ心か面白き歎

睡湯坂よりうらに出て日暮か︑るに猶とまるへき所とをし︿一三ウ﹀︵一

三八・1︶此猶といふ字に心を付へし前のからうしてこへはてたれとこのと

の字妥の猶といふ字にて弥よく聞へたりからうして漸越果てたるに又麓にはや川

うら迦あるを過て又洲に出ても猶とまるへき所遠しとみるへき也源氏後にかやふのた

くひ多し

唖伊豆の大嶋まて見わたさるうみつらをいつことかいふととへは知たる

(17)

人もなし蜑の家のみそある蜑のすむその浦の名もしら波のよするな

きさにやとやからましまりこ川といふ川をいとくらくてたとりわたる

今宵はさ川といふ所にと魁まるあすは鎌倉へ入へしといふ也廿九日さ

川を出て濱ちをはるノーと行明はなる獄うみつらをいとほそき月出たり

うら路ゆく心ほそさを波まよりいて国しらする有明の月︿二三ォ﹀

︵一三八・2︶心細さをといえる也けいきこもりて有明の月と言のはしたる

面白き也

秘渚に寄かへる波の上に霧立てあまたありつる釣舟見へすなりぬ︵一三

九・5︶うたならて面白きことは也

価蜑小ふれ漕行かたをみせしとやなみにたちそふうらの朝霧︵一三

九・7︶朝気の最気見るやうの冴也波に立そふてたにみへぬに霧さへ立ふた

かりて漕行かたのみへぬと也霧と波とにもたせて也

蠅都とをくへた通りぬるも猶ゆめの心地してたちはなれよもうき波は

かけもせしむかしの人のおなし世ならは︵一三九・9︶為家卿と同

し世ならは何しに立はなれ袖に波をはかけましきを恩ひの外也となり︿二三ウ﹀

あつまにて住所は月影のやつとそいふなるうら近き山もとにて風いと

あらし山寺のかたはらなれは長閑にすこくて浪の音松風たえす︵一四

○・2︶浦近き所成は風荒く浪の音たへす山寺のあたりなれは長閑に寂しく

て又浪の音松風もたへすしてすこきと也 ︻鎌倉滞在の記︼ 蠅都のをとつれはいつしか覚束なき程にしもうつの山にて行逢たりし山

伏のたよりによりことつけ申たりし人の御もとより︵一四○・5︶女

院にさふらひ給ふ息女なるへし

たしかなる便につけて有し御返事と覚しくて︵一四○・8︶有し御

返しとは字津山よりの歌の返寄也

卿旅衣なみたをそへてうつの山しくれぬひまもさそしくるらん︿二四

オ﹀︵一四一・1︶前にうつの山にて蔦楓しくれぬひまもうつの山とある野

の返し也心は旅はさなうてもうきものを涙をそへてうかるらんしぐれぬとてもさ

こそ也

皿ゆくりなくあくかれ出しいさよひの月やおくれぬかたみなるへき

︵一四一・3︶是も前にゆくりなくいさよふ月にさそはれてと有詞を取出て

月をかたみに見ると也

唾都を出し事は神な月十六日なりしかはいさよふ月をおほしめしわすれ

さりけるにやいとやさしく哀にてた蕊此返事斗をそ又きこゆめくりあ

ふ末をそたのむゆくりなくそらにうかれしいさよひの月︵一四一・

5︶をくれぬかたみとの給ふ程にめくり逢末を頼むと也めくり逢は月のえん

也へわするなよ程は雲ゐに成いとも空行月のめくりあふまて此寄の悌也かくは

よみ給へれと終に鎌倉にて死去也さる程に此末をそ頼むとあることに哀也あまた

の人ノ︑を都に置て鎌倉にてはて給へる死のえん誠にふかし

蝿前右兵衛督為教の御娘歌よむ人にて勅撰にも︿二四ウ﹀たひノー入給

へり大宮院権中納言ときこゆる人︵一四二・1︶為教は為家の子為氏卿

の弟也阿仏の為には別腹也権中納言は為教の息女大宮院は八十八代後深草院の

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