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学位論文審査の要旨主査

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Academic year: 2021

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学 位 論 文 題 名

博 士( 文 学)    張   捷

山鹿素行の士道論に関する研究

学位論文内容の要旨

  本論 文は 第一 部「 山 鹿素 行の 士道 論 」と 第二 部「 素行 に おけ る儒 学と 兵学 」 からなる。

第 一部 第一 章「 忠誠 論 」, では 、青年期の素 行が、武士の忠誠心は、君 臣が主として経済的 支 援で 結び 付く とい う 契約 的性 質を 帯 びて おり 、主 従関 係 にお いて 、君 主の 恩 情に報いる 真 心で ある とし 、武 士 が不 忠の 心を 生 ずる こと を私 欲に 結 ぴっ け、 武士 は仁 義 だけを追求 す べき であ ると 説い た 。中 年期 の素 行 は、 武士 は、 先天 的 な主 従関 係の 中で 、 武士という 身 分に 生ま れ、 君主 か ら俸 禄を 受け る とい う特 権を 持つ 一 方で 、そ れに 対応 す る奉公と社 会 的な 責任 を履 行す べ き存 在で ある と 説い た。 晩年 期の 素 行は 、武 士階 級は 天 皇・朝廷と の 問に 先天 的な 上下 関 係が あり 、絶 対 的な 精神 的崇 拝対 象 であ り神 秘的 宗教 的 な性質を帯 び てい る天 皇・ 朝廷 に 忠誠 を尽 くす べ きで ある 、と いう 勤 皇の 武士 道を 主張 し 、日本固有 の 天皇 制を 賛美 し、 万 世ー 系の 優越 感 を高 く唱 えた 。

  第二 章「 義利 論」 で は、 青年 期の素行が、 義を善、利を害とし、義を 重んじて利を軽じ、

両 者を 絶対 的に 対立 す るも のと 考え て 、君 子は 義を 専ら と すべ きで 、利 を争 っ てはいけな い 、と いう 「先 義後 利 」を 説い たこ と を確 認し た。 人欲 の 私よ り利 己心 が生 じ るとしてお り 、こ の時 期の 義利 論 は、 朱子 学の 「 義利 の辨 」と 一致 し てい る。 中年 期の 素 行は、私的 な 場面 では 、君 子の 基 本は 個人 的な 「 守義 」と 「養 義」 に ある が、 公的 な場 面 では、「天 下 の利 」. 「公 利」 . 「全 利」 を実 現 すべ きで ある と説 い た。 武士 は個 人節 操 と社会的職 能 の間 にお いて 、厳 密 に公 と私 を峻 別 し、 正し く選 択す る こと が必 要で ある と 説いた。晩 年 期の 素行 は、 利を 客 観的 な物 事と し て捉 えて 、利 と人 欲 とを 関係 付け て、 人 欲があるか ら こそ 人間 であ ると 述 べて 、利 心を 不 可欠 なも のと した 。 この 時期 の素 行は 義 に基づぃて

「 公利 」を 追求 する と いう 功利 的な 政 治的 主張 をな した 。

  第三 章「 王覇 論」 で は、 青年 期の 素 行が 、朱 子学 と同 様 に王 道と 覇道 を厳 密 に峻別し、

「 徳を 以て 人を 服す 」 べき であ ると 主 張し 、そ の方 が「 カ を以 て人 を弾 圧す る 」より優れ て いる とし 、「 王道 」 を重 んじ て「 覇 道」 を賎 しむ 儒教 の 伝統 的観 点を 支持 し ていること を 確認 した 。中 年期 の 素行 は、 覇道 を 否定 しは しな いが 、 王道 より 価値 的に 下 位に位置づ け た。 王道 ある いは 覇 道の 一方 のみを治国の 方法とするのは不十分であ る、と説く一方で、

王 道を 聖学 とし 、霸 道 を俗 学と し、 依 然と して 王道 を覇 道 と区 別し た。 晩年 期 の素行は、

王 道と 覇道 がと もに 統 治の 方法 であ り 、「 時宜 」に よっ て ニっ なが ら使 うべ き であるとい う 王覇 併用 を主 張し た 。素 行の 士道 論 に見 える 義利 論と 王 覇論 は、 とも に理 想 主義的な道 徳 至上 の朱 子学 的見 解 から 現実 主義 的 見解 へと 変化 して お り、 晩年 期に なる と 、義利論に つ い て は 義 利 併 用 、 王 覇 論 に つ い て は 王 覇 併 用 を 主 張 す る よ う に な っ た 。   第二 部第 四章 「朱 子 学批 判」 では 、 朱子 学の 理先 気後 説 、性 即理 説、 天理 人 欲論、居敬 窮 理説 に対 する 素行 の 批判 の実 態を 明 らか にし た。 素行 が 人間 の欲 望を 肯定 し たことによ り その 朱子 学的 思惟 が 崩れ 始め た。 素 行の 「理 」は 、具 体 的経 験的 で物 事の 中 の条理を意 味 して おり 、素 行の い う「 性」 は、 体 に備 わっ た感 覚と 認 知の 能カ を意 味し て いる。また

−28―

(2)

朱 子 の よ う に 「 性 」 を 「 天 命 之 性 」 と 「 気 質 之 性 」 と に 分 け る こ と を せ ず 、 た だ 血 気 の 人 間 性 で あ る と し た 。 修 養 方 法 に つ い て 、 素 行 は 日 常 生 活 に 韜 い て は 朱 子 学 の よ う に 敬 を 持 す る 必 要 は な い と し た 。 素 行 が 朱 子 学 を 批 判 し た 理 由 は 、 歴 史 的 背 景 だ け に よ る も の で は な く 、 素 行 自 身 の 「 欲 」 や 「 利 」 の 理 解 が 朱 子 学 と 相 違 し て い た た め で あ る 。   第 五 章 「 兵 学 論 」 で は 、 素 行 の 『 孫 子 』 研 究 書 と し て 『 孫 子 諺 義 』 を 取 り 上 げ た 。 素 行 が 利 用 し た 『 孫 子 』 の 版 本 は 、 『 魏 武 帝 注 孫 子 』 . 『 武 経 七 書 』 系 統 を 利 用 し た 可 能 性 が 高 い 。 素 行 は 、 字 句 ご と に 極 め て 詳 細 に 注 釈 を 施 し 、 他 学 者 の 見 解 も 列 挙 し 参 考 と し 、 一 定 の 融 通 性 を 示 し て お り 、 字 句 の 原 義 を 求 め る 原 典 復 古 主 義 を 唱 え て い る 。 素 行 は 「 詭 」 を 「 奇 」 、 「 権 」 、 「 変 」 と 解 釈 し 、 「 詭 道 」 に つ い て は 、 合 戦 す る 際 に 敵 が 予 想 で き な い 勝 利 を 制 す る 手 段 と し て い る 。 素 行 は 、 伝 統 的 な 奉 公 の 忠 誠 心 に 、 儒 教 の 人 倫 実 践 と 兵 学 の 管 理 の 方 策 を 加 え て 、 新 た な 職 分 論 を 提 出 し た 。 ま た 素 行 は 軍 事 と 政 治 と を 結 び 付 け て 、 戦 争 の 勝 利 は 民 心 に 関 わ り が あ る と 認 め て い た 。 素 行 が 『 孫 子 諺 義 』 を 完 成 し た 時 期 は 、 素 行 が 中 国 の 文 化 か ら 離 脱 し よ う と 主 張 し た 時 期 で あ る が 、 漠 文 化 の 影 響 が 色 濃 く 残 っ て い る の で 、 漢 文 化 か ら 完 全 に 離 脱 す る こ と は で き な か っ た 。

  第 六 章 「 素 行 に お け る 儒 学 と 兵 学 」 で は 、 朱 子 学 と 兵 学 の 対 立 に つ い て 論 じ た 。 朱 子 学 で は 「 義 」 と 「 利 」 と を 相 反 す る も の と し て 対 置 し 、 「 利 」 を 私 的 な も の と し 、 「 義 」 を 重 ん じ て 「 利 」 を 軽 視 す る が 、 兵 学 で は 「 利 」 と 「 害 」 と を 対 置 し て お り 、 「 利 」 を 追 求 す る 。 兵 学 の 「 利 」 は 国 全 体 の 利 益 を 図 る も の で あ り 、 求 め る 際 に 節 度 が 必 要 で あ る 。 素 行 は 円 熟 期 で は 、 公 私 の 視 点 か ら 「 利 」 を 解 釈 、 し 、 公 利 で あ る か ど う か が 「 利」 を 選 ぶ 基 準 で あ る と 考 え る よ う に な っ た 。 仁 義 と 権 謀 の 対 立 に つ い て は 、 朱 子 学 で は 仁 義 を 尊 ん で 権 謀 を 軽 視 す る が 、 兵 学 で は 権 謀 を 重 視 す る 。 素 行 は 円 熟 期 で は 、 聖 人 が 仁 義 と 権 謀 と も に 併 用 す る と 捉 え る よ う に な っ た 。 朱 子 学 で は 、 君 主 の 誠 意 正 心 と 言 行 が 政 治 の 良 し 悪 し を 決 定 す る の に 対 し て 、 素 行 の 兵 学 で は 、 厳 し い 法 令 と 分 限 に 基 づ い て 軍 隊 を 管 理 せ ね ば な ら な い と 説 い て い る 。 素 行 は 円 熟 期 で は 、 日 本 の 尚 武 の 伝 統 を 強 調 し 、 平 和 の 時 代 に お い て 幕 府 が 綱 紀 ・ 刑 政 ・ 賞 罰 に よ る 武 治 を 行 う べ き だ と 説 い て い る 。 徳 と 智 に つ い て は 、 朱 子 学 で は 、 徳 才 兼 備 の 人 材 が 理 想 的 で あ る が 、 道 徳 と 智 恵 を 比 べ る と 徳 の 方 が 一 層 重 視 さ れ る 。 兵 学 で は 結 果 を 重 視 す る の で 、 能 力 主 義 で あ る 。 素 行 は 円 熟 期 で は 、 徳 才 兼 備 の 武 将 を 理 想 と し た が 、 智 恵 ・ 才 能 を 一 層 重 視 す る よ う に な っ た 。 ま た 、 事 変 に 精 通 す る こ と に つ い て 、 朱 子 学 で は 、 「 権 」 を 普 段 使 わ な い 非 常 時 の 手 段 で あ る と 捉 え る が 、 兵 学 で は 、 常 時 用 い る の も で 、 戦 況 を み て 対 処 す る こ と を 、 武 将 の 能 カ と し て 重 視 し て い る 。 素 行 は 円 熟 期 に は 、 政 治 上 、 武 将 が 時 宜 を 計 っ て 常 に 風 俗 政 令 を 正 す こ と を 主 張 し た 。   以 上 の 三 章 で は 、 素 行 の 思 想 的 変 遷 に つ い て 検 証 を 行 い 、 素 行 の 見 解 が 、 朱 子 学 の 道 徳 至 上 の 観 点 か ら 、 結 果 重 視 へ と 変 化 し た 背 景 に は 、 兵 学 の 影 響 が 認 め ら れ る と 指 摘 し た 。 制 度 の 重 視 、 能 力 主 義 、 功 利 主 義 、 実 用 主 義 、 柔 軟 性 な ど が そ れ で あ る 。 素 行 は 、 朱 子 学 と 兵 学 と を 融 合 し 、 文 武 両 道 を 唱 え た 。 武 士 個 人 に つ い て は 朱 子 学 と 同 様 に 道 徳 修 養 を 重 視 し 、 政 治 上 で は 兵 学 の 統 治 法 が 重 要 で あ る と 考 え て い る 。 朱 子 学 の よ う な 内 在 的 道 徳 規 範 を 君 主 と 実 権 階 級 に 適 用 し 、 兵 学 に お け る 外 在 的 行 為 規 範 を 民 衆 に 施 す べ き で あ る と 主 張 し て お り 、 素 行 は 、 内 儒 外 兵 の 学 者 と 言 っ て よ か ろ う 。 素 行 の 欲 望 観 、 修 身 論 、 為 政 観 に 見 え る 矛 盾 は 、 実 利 を 重 ん じ る 兵 学 と 欲 心 を 否 定 す る 儒 学 の 間 に 存 在 す る 相 容 れ な ぃ 処 世 観 の 根 本 的 対 立 と 矛 盾 を 反 映 し て い る 。

一29―

(3)

学位論文審査の要旨 主査   教授   佐藤錬太郎 副査   准教授   近藤浩之 副 査    教 授    三 木    聰

学 位 論 文 題 名

山鹿素行の士道論に関する研究

、江戸時代初期の儒学者・兵学者である山鹿素行の士道論について、幼年か の 朱 子学 「 模 倣期 」 、『山 鹿語録』 『聖教 要録』を 執筆し た

36

歳から

46

の「 動揺期 」、そし て赤穂 に流罪と なって『謫居童問』を執筆した

47

歳か

「円熟期」、という三期に分けて論述内容を分析し、素行の思想と学説の変 づけて、その思想的背景について考察を加えている。

、山鹿素行の士道論について考察を加え、朱子学を模倣した青年期には君主 いていた素行が、中年期に独自の士道論を打ち出し、円熟した晩年期には勤 くようになったこと、義利論については、青年期には朱子学と同じく義利峻 を利に優先させていた素行が、中年期には、公利の追求を認めるようになり、

利併用を主張したこと、王覇論についても青年期には朱子学と同じく仁義に び権謀による覇道を軽視していた素行が、王道を重視しつっも覇道も認め、

道と覇道の併用を説くに至ったことなど、素行の士道論の変化について通時 検証することに成功している。素行の士道論に関する従来の研究は、『山鹿

「 士 道 」 . 巻

2 2‑‑‑32

「士 談 」 .巻

33

〜巻

42

「聖 学 」 を研 究 対 象と す

、素行の士道論を『山鹿素行全集』全巻を踏まえて全体的に論じた研究は少

先行研究であまり触れられていない忠誠論、修身論、義理論、王覇論などに 学を模倣した青年期、朱子学から兵学的実学(聖学)へ移行する過程で動揺 王覇併用、義利並行の実学的兵学およぴ勤王の士道を主張する晩年期という 分析し、素行の思想に通時的変化が認められることを実証し、三期に見られ 想上の変化はともに理想主義的朱子学的立場から現実主義的兵学的立場へと の変化であることを明らかにしている。っまり、素行の思想は、青年期から

、武士個人の道徳的修養を重んじる朱子学的見解から現実的実用的な兵学的 と変化し、晩年期には義利併用、王覇併用による勤王を主張するようになっ することに成功しており、この点は高く評価できる。

行の兵学書『孫子諺義』に関する研究も従来の研究の欠落を補うものとして 素行の中朝主義について、儒学と兵学のみならず、国学との関係や古学を主 ど、未考察の研究課題が残っているので、今後の研究の進展に期待したい。

−30―

(4)

  な お 、 本 論 文 の 第 一 章 は 、 「 山 鹿 素 行 の 忠 誠 論 に つ い て 」 と 題 し て 、 『 中 国 哲 学 』 第39 号 ( 北 海 道 中 国 哲 学 会 、2011) に 掲 載 さ れ て い る 。 ま た 、 第 二 章 と 第 三 章 は 、 「 山 鹿 素 行 の 王 覇 論 と 義 利 論 に つ い て 」 と 題 し て 、 『 中 国 哲 学 』 第38号 ( 北 海 道 中 国 哲 学 会 、2010)に 発 表 済 で あ る 。

  ま た 、 第 二 部 第 四 章 は 、 中 国 の ア モ イ 大 学 で2011年10月 に 開 催 さ れ た 「 朱 子 学 会 成 立 大 会 ・ 朱 子 学 与 現 代 跨 文 化 意 義 国 際 学 術 シ ン ポ ジ ウ ム 」 で 発 表 し た 報 告 論 文 の 日 本 語 版 で あ る 。 中 国 語 版 は 、 「 簡 論 山 鹿 素 行 的 朱 子 学 批 判 」 と 題 し て 、 『 展 望 未 来 的 朱 子 学 研 究 ― 朱 子 学 会 成 立 大 会 ・ 朱 子 学 与 現 代 跨 文 化 意 義 国 際 学 術 研 討 会 論 文 集 』 ( ア モ イ 大 学 出 版 社 、 2012)に 収 録 さ れ て い る 。 第 五 章 は 、 「 山 鹿 素 行 の 『 孫 子 諺 義 』 に つ い て 」 と 題 し て 、 『 研 究 論 集 』 第12号 ( 北 海 道 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 、2012年12月 ) に 掲 載 済 み で あ る 。 第 五 章 「 補 論 」 の 「 『 孫 子 参 同 』 と 『 孫 子 諺 義 』 の 比 較 研 究 」 は 、 中 国 河 南 省 信 陽 市 で201 2年9月 に 開 催 さ れ た 李 贄 生 誕435周 年 没 後410周 年 を 記 念 す る 国 際 学 術 シ ン ポ ジ ウ ム で 報 告 し た 論 文 の 日 本 語 版 で あ る 。 第 六 章 は 、 「 山 鹿 素 行 の 士 道 論 と 兵 学 思 想 に つ い て 」 と 題 し て 、 『 中 国 哲 学 』 第40号 ( 北 海 道 中 国 哲 学 会 、 印 刷 中 ) に 掲 載 予 定 で あ る 。 以 上 の よ う に 、 本 論 文 は 、 査 読 付 き の 学 術 雑 誌 に 掲 載 さ れ た 論 文 に よ っ て 各 章 を 構 成 し て お り 、 山 鹿 素 行 の 研 究 に 貢 献 す る 業 績 で あ る と 認 め ら れ る 。

  本 審 査 委 員 会 は 、 以 上 の 審 査 結 果 に 基 づ き 、 全 員 一 致 し て 本 論 文 が 博 士 ( 文 学 ) の 学 位 を 授 与 さ れ る に ふ さ わ し い も の で あ る と の 結 論 に 達 し た 。

‑ 31−

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