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(2) 芥川龍之介「酒虫」の時代的文脈を考えながら

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(1)九州大学学術情報リポジトリ Kyushu University Institutional Repository. 〈三つの答え〉が象徴するもの : 芥川龍之介「酒 虫」の時代的文脈を考えながら 陳丁, シヨウ 九州大学大学院地球社会統合科学府: 博士後期課程2年. https://doi.org/10.15017/4737368 出版情報:九大日文. 38, pp.2-14, 2021-10-01. 九州大学日本語文学会 バージョン: 権利関係:.

(2) 芥川龍之介「酒虫」の時代的文脈を考えながら. シヨウ S h i y o u. ―. 〈三つの答え〉が象徴するもの. ―. C H I N T E I. が 、「鼻」と「同じやうな材料を使つて創作」された「酒虫」. を 、「もう少しどうにか出来る」作品にしたい芥川の意欲と裏. 腹に 、「酒虫」の発表後、単なる面白い小話として読まれる傾. 向が強かったらしい。例えば加藤武雄は、次のごとく「酒虫」 を評している。. れ丈よく纏まつて、各篇皆それぞれの完成を有つている。. 陳 丁. (加藤武雄「芥川龍之介氏を論ず 」『新潮』大正六年一月。本文は関口. 略)第一材料が珍らしい (中略)而して君の作は小さい丈そ. 「酒虫」 「父 」 「仙人」等を (中略)私は皆面白く読んだ。(中. 「 酒 虫 」は 、 大正 五 年 六月 『 新思 潮 』四 号に掲 載さ れた 短編. 安 義 編 『 芥 川 龍之 介研 究 資 料 集 成. 一、はじめに. 小説である。大正六年五月の阿蘭陀書房版『羅生門』をはじめ、. 第一巻 』(日本図書センター、平成. 『鼻 』(春 陽堂 、 大正 七年 七 月 ) 『芋粥 』(春 陽 堂、 大正 十一 年二月 )な. 五年九月)による、五四~五五頁). このような評価は、 「機知的で皮相な問題の提示」 「一種伝. 加へる 。(芥川 )」と言及している。また 、 『 羅生門 』 『鼻』『芋. とは、例えば再録ごとの修正は、ほぼ句読点の添削や言い回し. 自身は「酒虫」をかなりの自信作と思っているらしく、そのこ. を消極的に捉えてきた諸家の態度を示している。しかし、芥川. は 人生観 は遂 に文壇 の高等 常識以 上に出ないかもしれ な. 成程「手巾」や「酒虫」や「忠義」に現はれた倫理観乃至. 2. どの単行本にも収録されている。この作品について、芥川は『新 思潮』四号と六号の「校正後に」で 、「□酒虫は材料を聊斎志 異からとつた。原の話と殆変つた所はない。(芥川 )」 「 □酒虫. .話 .に、注釈をつけた類」 というふうに、小説の価値 奇 的な お. 粥』所収の「酒虫」にもそれぞれ、句読点を含む細かい修正が. の変更だけだったといった事実から窺える。 江口渙の文芸評も、. この小説が「皮相な問題の提示」に留まらない可能性を垣間見. らない。勿論今のが大したものだとは思はないが。その中にも. せている。. う少しどうにか出来るだらう。 (芥川) 」と書いている。ところ. りでいる。あれを単なる歴史小説の仲間入をさせられてはたま. 僕はこれからも今月のと同じやうな材料を使つて創作するつも. 「鼻 」(『新思 潮』大 正五年 二月)の「編輯後に」に、芥川は「□. 確認されている。それらのことから考えれば、作者がこの小品. は「しゆちう」で「さかむし」ではない。気になるから、書き. (1). に相当な関心を寄せていたことがわかる。. (2).

(3) い 。( 中略 ) 「 酒 虫 」 は 人 に依 つ て は シ ン ボ ル と 見 る か も 知. 語ろうとしているのかということは、 自ずと問題になってくる。. てい る 。 そう す ると 、 「 酒虫 」 は「 皮相 」な 教訓 話以 外、 何を. 訓話として「酒虫」を書いたわけではないということを物語っ. 今までの研究では、 「酒虫」本文と原典との比較が主であり 、. (江口渙『東京日日新聞 』「芥川君の作品」大正六年六月二〇日~同七 第 一巻 』 によ. れない。然し私には単なるアレゴリーとしか受取れない。 月 一 日 。 本 文 は前 掲 関 口 編 『 芥 川 龍 之介 研 究 資 料 集 成 る、七〇~七二頁). 「 酒虫 」 がた だ の 教訓 話 では な い可 能性 に、 江口 は気 づい た. 小説の語ろうとするものを詳らかに掘り下げるものはまだ少な. いと言ってよい 。「酒虫は、たとひ如何なる不徳、如何なる汚. .来 .こ .そ .尊 .重 .す .べ .き .も .の . 穢であらうとも、生来のものである。生 .あ .る .」 と述べる稲垣達郎は、 で 「生来」の象徴として酒虫を読. よると、小説の結末部分にある次の文章に関係しているのでは. とする人もいることだけは間違いない。この読み方は、私見に. られる寓話的側面より、小説の寓話的でない側面を読み取ろう. 彼は詳しく述べていない。いずれにせよ、しばしば俎上に上げ. 訓譚になり得ていないことをも同時に示す」という「寓話の不. 譚としての形式を前提とした作品であることを示す一方で、教. の形骸化にまで深化させ、また清水康次 と小谷瑛輔は、 「教訓. った。石割透 と大塚繁樹 は、稲垣の論点を自我の消失と人間. むという示唆的な考察をしたものの、それ以上深入りはしなか. のだが 、「単なるアレゴリー」と「シンボル」の内容について. (3). ないかと思われる。. (6). 可 能 性」 を 暴 いた が 、い ず れ も稲 垣の 言う 「生 来」 の問 題が. (7). (5). れは 自分に もわ からな い。自 分は、唯、支 那の小説家の. これらの答の中で、どれが、最よく、当を得ているか、そ. 教訓譚の形を取った理由に関しては語っていない。本稿は、酒. 「 酒 虫 」の 物 語は 、 芥川 に よ ると 「原 の 話と殆 変つ た所 はな. 二、醜い存在としての酒虫. い。. 文脈の中に如何なる意味を帯びて来るのかについて考えてみた. かを検討し、また芥川が提出した〈三つの答え〉が、そうした. .来 . 虫という存在の表象から、例えば稲垣が看取したような「生 .そ .尊 .重 .す .べ .き .も .の .」として、どのような文脈で読まれていた こ. Didacticismに 倣 つて 、 か う 云 ふ 道 徳 的 な判 断 を 、 この 話 の最後に、列挙して見たまでゝある。(二〇二頁) 「道徳的な判断」を「唯 (中略)列挙して見たまでゝある」と いう作者の語り口は 、「 Didacticism 」(教訓主義。引用 者注 ) 「 道徳 的な判断」以上のものを読み取ってほしいことを暗示している ように思える。江口のと同じく曖昧な表現ではあるが、小説の 最後にこの一文を認めたこと自体は、すでに、作者が単なる教. 3. (4). (8).

(4) い」という。にもかかわらず、 「酒虫」が原典の『聊斎志異』 に忠実などころが、かなり多く加筆されたことは、広瀬朝光の 考察 に よっ て 明か と なっ て い る 。 無 論『 聊斎志 異 』のほ かに も、 「 酒 虫」 の プ レテ ク スト に あた る もの がいく つか 存在 して おり、中でも特に、日夏耿之介が「之れにより私も故芥川君も (近 事画 報 社 、 早く聊斎を知つた」 と回想を寄せた『支那奇談集』 明 治 三 十 九 年 二 月 )が 、 読み や すい 口 語 訳で 若 い芥 川 に多 大 な 影. 響を与えたと想像する。だが『支那奇談集』の『酒虫』にして も、原典の内容をほぼそのまま踏襲しているのであり、芥川「酒 原典と読み比べると、「酒虫」が拡大したのは、主に蛮僧と. 虫」の話と相当異なっていると言わなければならない。 出会う縁故、劉が治療を受けるシーン及び〈三つの答え〉の部 分だということがわかる。特に酒虫を吐き出す場面は、その描 写がいかにもグロテスクで印象深い。 肉の色が朱泥に似た、小さな山椒魚のやうなものが、酒の 中を泳いでゐる。長さは、三寸ばかりであらう。口もあれ ば、眼もある。どうやら、泳ぎながら、酒を飲んでゐるら し い。 劉は これ を見ると 、急に胸 が悪くなつ た。…… ( 二 〇 〇 頁). 「肉の色が朱泥に似た」 「酒の中を泳いでゐる。長さは、三寸 ばかりであらう。口もあれば、眼もある」は 、『聊斎志異』の. う。しかしそれ以外の描写にはすべて、加筆や削除を加えられ. ている。 「小さな山椒魚のやうなもの」 「どうやら、泳ぎながら、. 酒を飲んでゐるらしい。劉はこれを見ると、急に胸が悪くなつ. た 。 …… 」 の 部分 が 原典 に は なく 、 また 、 「 酬以 金, 不受 ,但. 乞其蟲。問:『將何用?』曰:『此酒之精:甕中貯水,入蟲攪之,. 即成佳釀。』劉使試之,果然。」 の箇所は全文削除されている。. 酒の精霊だった酒虫が、否が応でも気持ちの悪い「山椒魚」と. して読者の前に現れ、福である可能性もあるにもかかわらず、. 「或は蚯蚓のやうに、(中略)或は守宮のやう」(一九九頁)な「山. グロテスクな肉の塊にまで変身させられたのである。. 椒魚」の姿をする酒虫は、こうして、霊的な、利益をもたらす. 存在というイメージが捨象され 、「病」としての一面が強調し. 拡大 さ れて い く。 当 時の 衛 生 状況 を 考え ると、 酒虫 を回 虫/. 寄生虫として「病」と結び付けられることがむしろ一般的だっ. た のか も しれ な い が 、 「 劉は 即 酒虫 、 酒虫 は即 劉」 の結論 に至. るためには、精霊だった酒虫を、あえて醜いものとして書き換. える必要はなかったのではないかという疑問が残る。今では、. 「□酒虫は「しゆちう」で「さかむし」ではない。気になるか. ら、書き加へる。 (芥川) 」と書いた作者が、酒虫をどの読み方. で読まれてほしいかはもはや知るよしもない 。それでも、 「こ. また、 「劉はこれを見ると、急に胸が悪くなつた」の「これ」. る。. を 醜 い 存 在 と し て 見 せ よ う と す る 作 者 の姿 勢 が 投 影 さ れ てい. れを見ると、急に胸が悪くなつた」劉の反応には、確かに酒虫. (15). 4. (13). (10). 「赤肉長三寸許,蠕動如游魚,口眼悉備。 」 によるものであろ (12). (14). (11). (9).

(5) したこの一文について、勝倉壽一は「口眼を備えて、酒瓶の中. 酒を飲んでゐるらしい」という行動も指している。芥川が加筆. は、グロテスクな酒虫の外形だけでなく、酒虫が「泳ぎながら、. 今までの、心理や身体といった場において表出されてきた〈醜. ても似つかないようなエクリチュールの相違がある。それは、. 表現するというところに、 「羅生門」 「鼻」のエゴイズムとは似. い。ところが 、〈醜い自己〉を、酒虫という生き物で実在的に. 一種 の執念. い自己〉が、酒虫という動物として、描かれているからでもあ. エゴイズ ムの象徴と捉えてい いのかもしれな. を 泳 ぎ な が ら 酒 を 飲 む酒 虫 は 、 そ の ま ま 劉 の 生 活 的 現実 の 象. ―. 徴 」 と指 摘 し、 こ の一 文 を 「劉 は 即酒 虫、 酒虫 は即劉 」の 結 論を予言する象徴的な描写としている。そうすれば、泳ぎなが. ろう。. を覚えてしまうというふうに考えられる。昔の自分が如何に恵. 主 義の 「 動物 的 な 蠢き 」 を想 起 させ る 。この 自己 暴露 につ い. 露が、一種の「病」として社会から視られるようになった自然. とは、出歯亀事件 (明治四十一年)を経て、その赤裸々な自己暴. 酒虫=自己が、醜い動物として口の中から飛び出るというこ. ら酒を飲む酒虫に、劉はその姿の醜さと同等な、酒を飲むこと. まれ、 血色の好かった人であっても、 酒を飲んでいる醜い酒虫=. の「醜」を発見し、酒をがばがば飲んでいる酒虫=自分に反感. 自己が、赤裸々に劉の面前に置かれる時、彼は自己の醜さに気. の問題を前景化する「酒虫」の方向性は、諸先行論の注目の的. 前述した通り、原典の強い寓話性の代わりに 、〈醜い自己〉. 酒虫を見つめる劉の心理に肉薄するほど浮かび上がってくる。. いうものと結び付けられるようになったのかといった問題が、. ほかならない。なぜ精霊であったはずの酒虫が、自己の醜さと. つた」ということも、彼自身による〈自己〉への否定的判断に. 最終 的 にす べ て自 己 の醜 さ へ と置 換 し還 元さ れ 、 「胸が 悪く な. 付かずにいられなかった。 外見の醜さも酒を飲むことの醜さも 、. 裸々―獣性―醜」は一つの括弧で括られ、かつ「最も真に近づ. 「肉感的」 「卑近的」 「平凡的」 「自然物的 」と区別しながら、 「赤. 的」のほか 、 「赤裸々―獣性―醜」があると抱月はあげている。. 「現実」の一環として、 「肉感的」 「卑近 的 」 「平凡的」 「自然物. に近づく、最も痛切である」 と論じている。また、 「真」なる. する、赤裸々の人間、野性、醜、描いてこゝに至れば、最も真. 最も真に写さんとするには一切人工虚飾の分子を擺脱するを要. て、 島 村 抱月 は 「文 芸 上の 自 然 主義 」で 、 「現 実を 現実と して. (17). 〈自己〉と同義的に語られる醜い酒虫も、この延長上で見ると. イズムの問題と同じ水脈のものとして考えられることが多く、. の醜さ〉で代表されるごとく、 「羅生門」 「鼻」の包含するエゴ. の持つてゐる醜い物 」(井川恭宛大正四年三月九日付書簡)の〈人間. であった。この〈醜い自己〉が 、「僕の持つてゐる、そして人. た原始性、野獣性の者」であり 、「其の結果道徳感上の醜」と. 獣性―醜」は 、「人間を赤裸々にして全く文明の衣を剝ぎ去つ. か共通しているように見える。抱月の説明によると、 「赤裸々―. いことに、この「赤裸々―獣性―醜」は、酒虫の表象といくつ. く、最も痛切である」ものの表象として彼は考えている。面白. (18). 5. (16).

(6) ら、 「朝 か ら、 殆 、盃 を 離し た と 云ふ 事が ない 」と いう、 酒 だ. 虫は、肉の色が丸見え (「赤裸々」)な山椒魚=「獣」でありなが. 冒涜を感じる意味での「醜」であると言える。芥川の書いた酒. であれば、後者は前者の「醜」がもたらした行動に、道徳への. 為の醜さを指すものである。前者が人間が元々持っている「醜」. 蛮性そのものが持つ醜さと、それによってもたらされた背徳行. 「赤 裸 々 」 「 獣性 」 とい っ た言 葉 で表 され る、 人間 の本 能の 野. なるものである。つまり抱月の考えていた「現実」の「醜」は、. 的な と ころ が ある 」 よ うな 享 楽的 態 度を 振りか ざ す「遊 蕩文. の肯定は、人間の本能と快楽を強調し 、「未だ何処となく盲目. して認められているということになる。この「天与の福」とそ. の答」では、赤裸々で獣的な〈醜い自己〉は、「天与の福」と. この天与の福を失ふやうな事になつたのである」という「第一. つて、劉の病ではない 。偶、暗愚の蛮僧に遇つた為に、好んで 、. 自己〉と考えることができるとすれば 、「酒虫は、劉の福であ. 虫、酒虫は即劉」というものである。酒虫を自然主義的〈醜い. らず、酒虫が泳ぎながら酒を飲む行為も、劉にとって「急に胸. にして獣性的な存在と言える。また、そうした外形の醜のみな. けが人生のすべてだった劉自身=「人間」であるから、人間的. 得 なか つ た」 「 遊 蕩文 学 」に 対 する 文 壇の態 度は 、赤 木桁 平. 的存在であつて、それ自体に自然主義に代るべきモラルをもち. 学」の特徴と似ているところがある。自然主義の「いはば庶子. (19). 緒 」 と「 遊 蕩文 学 」 を蔑 む 赤 木で も 、 「 文壇の 一 角に蟠 居し て. て掲載 )に尽きるため贅言しない。注意すべきは 、 「低劣なる情. 有 力な る 地歩 」 を 占 めて い ただ け でな く 、 「 到底 他の諸 作家 が. の「『遊蕩文学』の撲滅」(『読売新聞』大正五年八月六日・八日に分け. うと、芥川が酒虫の醜さを描出する時、抱月が論じたような自. 企 て及 ば ない 」 と 認め ざ るを 得 ない ほ ど 、 「 遊蕩文 学」 が当 時. が悪くなつた」ものであり、背徳行為の「醜」と似ているよう. 然主義的現実の「醜」を、一種の前提として想定していた可能. なものとして受け止められたのである。それらの類似点から言. 性があるのではないだろうか。. の文壇で強い勢力を有していたということである。のち安成貞. 雄が「『遊蕩文学』撲滅不可能論 」(『新潮』大正五年九月)でも反. 論したように、社会・時代からの需要があったからこそ、この. 人々に快楽を与え得る限り歓迎されるであろう。この時、人性. 言う「放縦淫逸なる暗黒面」も、人性の本能的要求と合致し、. 「天与の福 」、寄生虫的生活、そし. 小説の収束部では、作者が〈三つの答え〉を出している 。 「第. における暗黒面がむしろ〈人間的〉という意味で肯定され、 「天. ―. 三、 第 一と 第 二の 答 え. 一の 答 」 は、 酒 虫は 劉 の福 で あ って 病で はな い 。 「第二 の答 」. 与の福」として享受される 。「天与の福」の消失を嘆く「第一. て大正五年の文壇. は、 酒 虫は 劉 の病 で あっ て 福 では な い 。 「第三 の答 」は芥 川 の. ような惑溺境への嗜好が生まれ、好まれたわけであり、赤木の. オリジナリティであり、酒虫が病でも福でもなく、「劉は即酒. 6. (20).

(7) 「第一の答」の次に来る「第二の答」は、 「天与の福」を無く. いかとも考えられる。. 高踏的に発信する時代的文脈をなぞらえる意図があるのではな. の答」には、「遊蕩文学」が文壇で人気を博し、享楽的人生を. て、侘しいその日その日を送つてゐる 」(二〇〇頁)というよう. なっている。それのみか、彼の生活は「馴れない手に鋤を執つ. に、残つてゐる」人間に変貌し、あたかも貧苦な農民のように. 険しい顔の骨を包んで、霜に侵された双髩が、纔に、顳顬の上. 血色の好かった劉は、 「色光沢の悪い皮膚が、脂じみたまま、. 酒を飲んで死んだ人に関する挿話 を除けば、 「第二の答」の. に、自ら働かざるを得えなくなったほどである。. し 「 明確 な 自我 の 覚 醒と 展 望を 持 たな い劉 の愚 物性 」 を露 わ にした「第一の答」と同じく「代表的な」意見でありながら、. となどとうてい不可能であり、 そもそも素封家という生まれも、. もしない劉の昔の生活ぶりがわかる。酒を手にしながら働くこ. す 」(一九二頁)といった箇所から、酒を飲むこと以外、殆ど何. 殆、盃を離したと云ふ事がない 」「独酌する毎に輒、一甕を尽. ていた人である。 「この男の道楽は、酒を飲む一方で、朝から、. されるやうな惧は、万々ない」(一九二頁 )恵まれた生活を送っ. た以 前 の劉 は 長山 屈 指の 素 封 家で あ り 、 「飲の 為に 家産 が累 は. 代わりに、働いて自らを養う人間としての劉が強調されている. つてゐる」という表現に変更され、生きていけなくなった劉の. 給」は、「馴れない手に鋤を執つて、侘しいその日その日を送. な い か と 思 わ れ る 。 な ぜ か と い う と 、 原 典 の 「 後 飮 食至 不 能. 間生活のあるべき姿だというニュアンスが含まれているのでは. 作者の加筆である。この加筆に、民衆として働くことこそ、人. 寧劉にとつては、幸福と云ふべきである 」(二〇一頁 )の部分は. 版 )の「但評」とほぼ一致しているが 、 「貧病、迭に至るのも、. 内容は、但明 倫新評・呂湛 恩注『聊斎 志異新評 』(一 八四 二年 初. 劉の零落とわびしい生活を「幸福」と説いている。酒虫を吐い. 働く必要から劉を解放しており、何もせずとも楽々と生きて行. は、醜い自我の化身たる酒虫=「病」と対立する「福」として、. からである。そして、素封家から貧農へと辿っていく劉の道程. けるような人間にしていた。 それが酒虫を吐いてからとなると、 次のようになる。. 肥つてゐた俤は、何処にもない。色光沢の悪い皮膚が、脂. 周知の通り、武者小路の「新しき村」構想は、半農生活を送る. すぐに「新しき村」の計画者である武者小路実篤が想起される。. 富裕層の人間が働くこと、特に農事耕作への志向というと、. 「第二の答」で肯定されているのである。. じみたまま、険しい顔の骨を包んで、霜に侵された双髩が、. 今年で、酒虫を吐いてから、三年になるが、往年の丸丸と. 纔に、顳顬の上に、残つてゐるばかり、一年の中に、何度、. 叔父の勘解由小路資承と過ごした若き頃から既に彼の中に存在. した。叔父や三浦半島の農村によって媒介され、吸収されたト. 床につくか、わからない位ださうである 。(二〇〇頁). 7. (22). (21).

(8) ルストイの思想 が、 「素封家」のような貴族的生活を生きなが. の態度は、前述した飲酒行為への「醜」の感覚に基づいたもの. であるのは言うまでもなく、飲酒という寄生虫的生活を否定的. に考える傾向があるから、それを改造する労働生活を「福」と. ら、 労 働 者に 対 する 一 種の 劣 等 感 を 武者 小路 に与 えた よう で ある。彼は「我々が労働者になれないということは我々の弱み. 感じていたことを綴っている。寄生虫的生活に対する武者小路. 自分の「食客的生活」「寄生的生活」に疚しさ、恥ずかしさを. 書簡 か ら知 ら れ る。 も とよ り 武者 小 路に 関心を 寄 せてい たこ. 和 』『アンナカレーニナ』を読み終わったことは、恒藤恭宛の. ることはできないが、大正四年頃に、トルストイの『戦争と平. けでなく、 『或る男』(『改造』大正十年七月~同十二年十一月)でも、. (25). のこの否定的態度は、紅野敏郎によると、加藤直士訳のトルス. 芥川が加藤直士訳の『我懺悔』を読んだかどうか具体的に知. する「第二の答」が生まれたのだと言える。. (29). で あ る。 僕 は その 点 、労 働 者 に頭 が 上が らない 」 と 述べ ただ. (24). (23). からず」 といった言葉から感銘を受けたものだという 。この. せば、余は先づ彼の寄生虫ならざる、真正の生涯を送らざる可. トイ原著『我懺悔』の、「余若し人生と其意義とを悟らんと欲. を知っていたはずである。また 、武者小路時代の到来を示す『新. が、農民や彼らの生活への傾倒を小説に綴るトルストイの偏向. と に 加え て 、後 年 ま で『 戦 争 と平 和 』に 強い感 銘を 受け た 彼. (30). なければならなくなるが、その新生活が「侘しい」からこそ、. ることで、劉の寄生虫的生活が終わりを迎え、畑仕事に専心し. として解釈できないだろうか。酒虫という「寄生虫」を除去す. て、侘しいその日その日を送つてゐる」劉の「福」と同じもの. 「寄生虫ならざる、真正の生涯」は 、「馴れない手に鋤を執つ. 苦しい事を、探してあるいてゐた」という一文からも推測され. たとえば「仙人」(『新思潮』大正五年八月) の中の、 「 わざ わ ざ 、. 働生活観に意識的だったことは十分あり得る。 彼のその意識は、. クを呈した大正五年という時代を考えると、芥川がそうした労. 刊 (大正五年九月)により、武者小路・トルストイブームがピー. 潮. 武者小路のような劣等感とまでは行かなくとも、寄生虫的素封 家より「人間としての誇りある務め」 「人間を人間らしくする」 ものとして肯定される。 「貧病、迭に至る」のような暮らしも、 それで「幸福と云ふべきであ」り、苦しいものがかえって「福」. 文 壇新 機 運号 』( 大 正 五 年 十 月 )や 『ト ル スト イ研 究』 の創. 「貴族の生涯を捨て 」「凡て人生の快楽を捨て、労働し、謙譲. る。. (31). し、 忍 耐」 す るも の だ から こそ 、 「幸福 」「真正の生涯」を獲. (27). となって現れて来るわけである。肉体の苦痛を幸福と考えるそ. 受けた武者小路の影が潜んでいるのであろう。. から「真正の生涯」を見出したトルストイと、その影響を強く. ればならないということが説かれており、その中に、労働生活. 寄生虫と見なし、たとえ肉体的苦痛が伴うとしても改造しなけ. 要するに、「第二の答」では、生まれつきの〈醜い自己〉を. (32). 8. (26). 得し得たのである。欲望を抑制し、肉体を苦しめる労働生活が、. (28).

(9) ―. 四、 「 劉は 即 酒虫 、 酒虫 は 即 劉」 の 態度. 既 存 文学へ の超 克. 第一と第二の答えは、人間本来の醜を認めた上で打開策を試 みる前者と、道徳観上の醜を認めた上で治療法を求めようとす. リアで表出するような体裁を取っているとも読み取れる。しか. し、小説はここで終わるのではなく、第一と第二の答えをとも. に否定し、酒虫が福でも病でもないという「第三の答」が提示. 立的な図式を開示している。この図式の裏に、これまでの論述. 〈〈醜い自己〉を寄生虫的なものとして退ける〉という二項対. いう結論を下し、 〈〈醜い自己〉を良いものとして受け入れる〉/. 〈酒虫=〈醜い自己〉は福〉/〈酒虫=〈醜い自己〉は病〉と. ら、劉は劉にして、劉ではない。劉自身が既になくなつて. 殺したのも同前である。つまり、酒が飲めなくなつた日か. 虫は即劉である。だから、劉が酒虫を去つたのは自ら己を. ば、後には、何も残らない。して見ると、劉は即酒虫、酒. 劉は、昔から酒ばかり飲んでいた。劉の一生から酒を除け. 第三の答。酒虫は、劉の病でもなければ、劉の福でもない。. される。. でわかったように、自然主義文学の後継者問題の渦中にある当. る後者とまとめることができる。この二つの答えは、それぞれ. 時 の文 壇 に現 れ た 、 「 遊蕩 文 学」 と 武者 小路文 学と いう 二つ の. 〈醜い自己〉は、良いものとして発展させていくべきもので. のも、至極、当然な話であらう 。(二〇一頁). いたとしたら、昔日の劉の健康なり家産なりが、失はれた. 自然主義文学が行き詰まった原因として吉田精一は、①人生. も、悪いものとして吐き捨てるべきものでもない、と作者が言. 四年 頃 に なる と 、文 体 ・形 式 に おい ては 「遊 蕩文 学 」 、内 容に. 文学」の理念にも武者小路の主張にも偏らないという姿勢であ. っているわけである。それは言い換えると、作者芥川が「遊蕩. 「『遊蕩文学』の撲滅」が文壇を騒がせたこと、 『新潮』武者小. こ の 二 大 勢 力 に と っ て の 代 表 的 事 件 、 つ ま り 前 述 の 赤木 桁 平. している。. 四、五年前の「自分」たちの文学談義について次のように回顧. り 、「 あの 頃の自 分の事 」(『中 央 公 論』 大 正 八 年 一月 )の 中でも 、. 武者小路文学の主張を意識しながら、〈福か病か〉というアポ. 虫」の物語は、自然主義の後に続いて登場する「遊蕩文学」と. りに性急な憾があつた。 形式と内容との不即不離な関係は、. 作家としての武者小路氏は、作品の完成を期する上に、余. 五年であったのはかなり象徴的である。 この年に発表された「酒. 路特集号や『トルストイ研究』が世に出たことが、ともに大正. (34). 9. 傾向が控えていることが想像できる。. っていったこと、②芸術論上の理由、すなわち平板単調な描写. 観上の理由、すなわち人生の目的意識の喪失が次第に顕著にな 法 、と 大 別し て い る 。 こ の行 き 詰ま り に対す る反 動が 、大 正 おいては武者小路文学の二大勢力となって現出した 。そして 、. (33).

(10) 微妙な関係を等閑に附して顧みなかつた 。(一二八頁). よりも興奮に依頼した氏は、屢実際の創作の上では、この. 屡氏自身が「雑感」の中で書いてゐるのにも関らず、忍耐. 言えるが、この時点では 、「醜い物」との交渉はまだ心境の段. 虫は即劉」へと至る心境はすでに芥川の中に準備されていると. 「真」でもあることが発見し祝福される時 、「劉は即酒虫、酒. 本喜誉司宛のこの書簡には 、「美に対し善に対し真に対しひと. 階にとどまっていると見るべきであろう。ただし、例えば、山 しかし谷崎氏の耽美主義には、この動きのとれない息苦し. しく惝悦の心があるにしても畢竟個人」であるというような認. は、四年後、芥川が当時の新進作家を語る時、彼らが各々の個. 識も、すでに存在していることを認めなければならない。これ. さの代りに、余りに享楽的な余裕があり過ぎた。(一三六頁) 「余りに享楽的」な谷崎と、 「余りに性急」な武者小路という. 年度の文芸界」大阪毎日新聞社・東京日日新聞社編纂『毎日年鑑(大正九年. 性に 従いながら「真 」 「善」「美」を調和しようとする (「大正八. 版 )』 大 正 八 年 十 二 月 )と 評 し た の を 連 想 さ せ 、 「醜い 物」 との交. 評価は、官能に溺れていた「遊蕩文学」の弊と、 「おめでたさ」 た善悪の判断を下す代わりに、芥川は「劉は即酒虫、酒虫は即. 渉で獲得した種々の認識は、こうして、後まで長く彼の中に存. が目立つ武者小路文学の弱みを射抜いた発言と言える。そうし 劉」という見方を出している。これまでの論述から考えれば、. 在し、 彼の文芸観を形作ったものと言っていいのかもしれない。. 僕はその醜いものを祝福する 」(大正四年三月十二日付. 〈醜い自我〉への意識が 、「その新しい国には醜い物ばかり. 失 った の であ る 。 彼ら の 出 発点 が 同じ く 、 「 酒虫を 吐い たと 云. れ か に偏 っ てし ま い 、 「 劉 は即 酒 虫、 酒虫 は即 劉」 の本 質を 見. け拘っている。その結果、酒虫と劉との関係が、福か病のいず. っており、また酒虫を病と見做す人々は、酒虫の内側の醜にだ. そうした〈醜い自我〉の存在は、「鼻」で文壇デビューした. 「劉は即酒虫、酒虫は即劉」は〈人間本然の醜=人間〉という. 井 川恭宛 書簡 )という有名な書簡で吐露された苦悩とともに、吉. であつ た. ふ事と、劉のその後の零落」の因果関係の究明にあったものの、. ふうに図式化できるが、この図式がどのような経緯で出来て、. 田 弥 生 と の 恋 愛 事 件 を 背 景 と し て い る の は 周 知の と お り で あ. 「天与の福 」「寄生虫」と善悪の判断を下していくうちに、い. 後、既存文学との交渉の中で改めて意識されたのではないかと. る。この事件から芥川が手に入れたのは、例えば大正四年四月. つの間にか〈酒虫は一体どういうものなのか〉の根本的問題か. 思われる。酒虫を福と見做す人々は、酒虫の外側の醜にだけ拘. 二十三日 (推定)山本喜誉司宛書簡の中で書かれたような、 「如. ら遠ざかって行ってしまう。それと同じように 、「遊蕩文学」. また如何にして「遊蕩文学」と武者小路文学に対抗できるよう. 何にイゴイズムを離れた愛が存在しないか」「如何に「真」を. なものとなったのだろうか。. 見る事の苦しいか」といった認識である。「醜い物」が同時に. 10.

(11) 分 の事 」)文学 になって、 それぞれ極 端に陥ってしまう。彼らの. 妹」以後一作毎に、徐々として氏に謀叛を始めた」(「あの頃の自. 「氏 (武者小路。引用者注)が従来冷眼に見てゐた形式は 、 「その. 月九日推定 秦豊吉宛書簡)種々の弊を持つ勢力になり、もう片方が. は、片方が「作家の態度にあつて取材にあらざる 」(大正五年八. にもかかわらず、醜い「赤裸々の人間」の問題に直面する両派. ある醜い「赤裸々の人間」を踏まえる立場にあったはずである 。. のとする以前に、両者が同じく、自然主義文学の重要な表象で. にせよ武者小路文学にせよ、〈醜い自我〉をいいものか悪いも. 意味付ける作家ではない」 芥川を見出すことは無論できるが、. な判断を留保している。そこから 、「小説の結論を一定方向へ. までゝある」と書いて 、〈どの答えが正解か〉に対して最終的. わからない。自分は、唯、支那の小説家の に 倣つ Didacticism て、かう云ふ道徳的な判断を、この話の最後に、列挙して見た. 答の中で、どれが、最よく、当を得ているか、それは自分にも. ると言っても過言ではない。小説の最後に、芥川は「これらの. 小路たちとバトンタッチする新思潮派の立ち位置を表明してい. 品 と見 做 し得 る な ら 、 「 第三 の 答」 と 作品 の結末 部 分は、 武者. である」 というものをすくい上げた上で、そのような「汚穢」. 通の前提、いわゆる「如何なる汚穢であらうとも、生来のもの. るかどうかはさて置き、作者芥川は第一と第二の答えが持つ共. 答」を通して明瞭に語られている。抱月の文芸論自体に賛同す. 係 に、 問 題を 還 元 して 考 えよ う とす る 作者の 態 度が 、 「 第三の. 抱える問題を解決する手立てとして、〈醜い自己〉と己れの関. まいか。. 「道徳的判断」への回避は、重みを持つようになるのではある. もかかわらず、否、強かったからこそ、問題の本質への帰還と. 「寄生虫」といった、一定方向への意味づけ傾向が強かったに. こと〉にこそ、意味を見るべきだと思われる 。「天与の福」や. 大正五年の文壇という背景における〈一定方向へ意味づけない. ことの背後に 、「酒虫」執筆当時の文壇状況が深く関わってい. 自我を醜い動物と見做した上で、それを福か病かと判断する. 五、おわりに. 〈個人〉と結び付けられてはじめて意義を持つという考え方で. ると考えられる。醜い人間の本能の濫觴と全否定の両極端を呈. 残骸の上に立っていることを目聡く見つけ出し、彼らの引きず. ある。この「真」を追及する姿勢は、ほかでもなく、前述の「美. っ て いる 残 骸こ そ 酒 虫問 題 の本 質 であ り 、 「 劉は 即酒虫 、 酒虫. する時代を敏感に受け止めた芥川は、両者がともに自然主義の. 大正 五年二 月の 「鼻 」を もっ て 、 「氏 (武者小路。引用者注)の. に対し善に対し真に対しひとしく惝悦の心があるにしても畢竟. 踵に接して来た我々の時代 」(「あの頃の自分の事」)を予言する作. 11. (36). 個人」であるという認識と一致している。. 者の関係をただの一義的な善/悪と見るのではなく、劉という. はないだろうか。つまり 、「醜い物」を「真」と見て、この両. を、自分の経験した「醜い物」と連繋して考えようとしたので. (35).

(12) は即劉」にほかならないことを明かしている。さらに、三つの. 研究』筑摩書房、昭和三十三年六月、一六一頁。傍点原文. )、 昭 和 三 十 七 年 一 月 )、 広 瀬 朝 光 「 芥 川 「 酒. ―. 聊斎志異 との関係 」(古典と近 代作家の会. ―. 年 )・「酒虫」を中心に 1916. ―. 」 (『関西大学中国文学会紀要』. に同じ、一六一~一六三頁。傍点原文. 、令和一年三月)を参照 前 掲注. 小谷 瑛輔 『小 説とは 何か?. ―. 芥川 龍之介を読 む. 』(ひつじ 書房、. 清 水康 次『芥 川文学の方 法と世界 』( 和泉書院、平成 六年四月) を参照. )を参照. れてゐるやうな気がする. を参照. 前掲注. いやうな人間が」(大正四年六月二十九日推定井川恭宛書簡)と書いた. 平成二十九年十二月)を参照. 大塚の前掲論文(注. ように、この待たれている誰かが、 「劉は即酒虫、酒虫は即劉」. 』有精堂、昭和六十年 二. )を参照. 」 『日本 論叢』. ―. 「椒. 、平 成七年十二. 6. 『 支那奇 談集 』の 『酒虫 』で は、こ の文は 「赤 肉長 さ三寸 許り 。金魚 の. 柴田天馬『聊斎志異研究』創元社、昭和二十八年十一月、一一二頁. 広瀬の前掲論文(注. 月、二六頁). 図 志異 」と「 虱」の 両作 品を視野に. ―. 明倫新 評・ 呂湛 恩注『 聊斎志異新評 』(一八四二年初 版)である可 能性が. 「酒 虫」原 典の 版本に つい ては諸 説あ るが、 彭春 陽の考 察に よる と、但. ことだけは間違いないように思える。. ― 初期作品 の展 開. 3. 集』 (平成七年十一月)による。. 【注記】. ―. 石割透『 芥川 龍之介. 月、一〇八頁. ―. 古典と 近代作 家第一 集』笠間 書院、昭和五十四年 三. 川 龍之介 と中国 文学 (一). 「自然主義以後の浮薄な羅曼主義のカッツェンヤムマアももう. 「仙人」 (. 月 )、滕斐窈「芥川龍之介の「聊斎志異 」翻案作品における語彙的特徴. 編『 谷崎潤 一郎. ―. 虫 」の文芸性 」 (『愛知大学国文学 』一六、昭和五十一年三月)、矢作武「芥. (. 大 塚 繁 樹 「 中 国 の 色 情 小 説 及 び 怪 奇 小 説 と 芥 川 龍 之 介 」(『愛媛 大 学 紀. とで、彼はある特定の方向に固執する文壇の傾向に反抗的な姿. 要 第一 部人文 科学』. 稲垣 達郎「 歴史小 説家と して の芥川龍 之介 」吉田 精一編『芥川龍之 介. 答えを「この話の最後に、列挙して見たまでゝある」と断るこ 勢を示している。こうして、教訓的だった中国の古い物語は、 大正五年の文壇状況と連繋され、異なった文壇勢力がそれぞれ 一つの答えによって象徴的に仕上げられるような小説に一変す る。 こ の よう な 古典 と 現在 と の 連繋 は 、 「酒虫 」の 物語 に、 単 なる教訓話を超越する可能性を与えたのである。 「 酒 虫 」が 仄 めか し た 「我 々 の時 代 」の ヴィジ ョン を、 芥川. 誰か待た. がどの程度まで意識していたかははっきりしない。だが、彼が. 1. を通して、来るべき時代のヴィジョンを描き出そうとしている. 何か出さうな気がする. 7 3. 最も高いという。 (彭春陽「芥川龍之介と『聊斎志異 』との関わり. 靴の紐をとく資格もな. 2. *本稿における芥川龍之介作品の引用は、すべて岩波書房版『芥川龍之介全. 武者小路が. 1. 40 6. そろ〳〵さめていい時分だ. 4 7 12 11 10. 12. 2. 3 5 8 9. 1.

(13) 九年四月)による、二九頁。. 下巻』東 京堂、昭和三十三 年一月、五一. に同じ、六四~六五頁. 会校 会注会評本』中華書 局、昭. ) 、. 紅野 敏郎「ト ルストイと「白樺」 派」吉田精一編『 日本近代文学の比. 和三十八年七月、六〇七~六〇八頁). 也 , 非 福 也 。」( 張 友 鶴 校 輯 『 聊 斎 志 異. 無底之 壑矣。 擬以此 進之而 不果,其人亦 不久而死矣。可知 劉之蟲,其病. 不甚 佳,而 嗜飮無 度;其 繼也,日飮 石餘,而不見其醉;試 再投之,竟成. と がわか るであ ろう 」 (拙訳 ) 。原文は以 下の通りで ある 。「嘗見有酒 力初. っ たので ある。 これ で、劉の体 にいた酒虫は病で あって、福ではない こ. た 。忠 告しよ うとし たが結 局聞いてもらえず 、その人もすぐ死ん でしま. 更に酒 を飲 ませ ると 、 (胃が)底なし 穴のようで満 たすことも できなかっ. 飲んだくれになって 、日に一石の酒を飲んでも全く酔わなかったらしい 。. う 人を見た こと がある 。はじめ の頃はあまり飲めなか ったが、のちのち. 「 但 評 」 に は 次 の よ う な 話 が 書 き 込 ま れ て い る 。「 私 は か つ て 、 こ う い. 前掲注. 吉田 精一『自 然主義の研究. 如く酒の中を泳いで居る。口もあれば眼もある」と訳出されている。. 一頁. 『支那奇談集』の『酒虫 』では 、この一文は次のように訳出されている 。. 「金を 以て 之に謝せ んとし たが受け取ら ない。但其虫を与 へられんこと を 請う た。異 しんて 其理由 を訊くと、此即ち 酒の精であるから、 甕の中 に 水を容 れ、此 の虫 を入れて撹 きまはせば佳醸を 得と。之を試みると 果 して其の言の如くであつた。 」 例え ば、寄生虫に よる当時の主要死因 の一つであった下 痢腸炎は、訂. 正死亡 率が 明治四十 一年か ら上がる一方 で、大正九年にピ ークに達した と い う 。( 平 沢 英 子 「 戦 前 に お け る 下 痢 腸 炎 死 亡 率 の 趨 勢 」『 産業 医 学 』 ) 、昭和三十八年三月、一九一頁). 単 行 本 『 羅 生 門 』『 鼻 』『 芋 粥 』 の 「 酒 虫 」 に は 、 す べ て 「 し ゆ ち う 」. (. とル ビが振 られて あるか ら、酒虫を ただの回虫として読ま れたくない芥 川の意 図が あっ たのか もしれない。 ただし 、〈酒虫〉という言 葉に二義性 を 与え るため のトリ ック、 という考えに基づ いてのルビ振りであ る可能. 勝倉 壽一『芥 川龍之介の歴史小説 』教育出版センタ ー、昭和五十八年. 解釈と教材の研究 』 (. 較文学的研究』光明社、昭和四十六年四月、三一二頁. 渋川驍「白樺派と対社会意識 」 『国文学. 六月、六五頁. 昭和四十年二月、三四頁. 福田恆 存「 近代文学文学 の系譜 」 『福田恆存評論集 』麗澤大学出 版會、. 平成二十一年十一月、三五頁。原文旧字. 第 四巻 』(小学館、 平成十年六月 )による、. 武者 小路 実篤 「新しき村に就 ての対話 」 『白樺 』大正七年六 月。本文の 引用 は『 武者小 路実 篤全集. 「 文 芸 上 の 自 然 主 義 」『 早 稲 田 文 学 』 明 治 四 十 一 年 一 月 。 本 文 の 引 用 は. 用者による。. 加藤直士 『我懺悔』警醒 社、明治三十五年 十月、一五五頁。傍 線は引. 五頁。. 『抱 月全集 』複 製版( 日本図書セン ター、昭和五十四 年九月)による、 七八頁。. 第三巻 』( 河出 書房、昭和二 十. 近松秋江 『文壇無駄話』 光華書房、明治四 十三年四月。本文の 引用は. 3. 性もある。. 16. 23 24. 青 野季 吉・ 中野好 夫編『現 代文学論大 系. 10. 3. 25 26. 13. 20. 5. 22 21. 13 14 15 16 17 18 19.

(14) 前掲注. に同じ、三一三~三一四頁. 前掲 注 に同じ、四~五頁. に同じ、一六九~一七〇頁. ―. 篠崎 美生子 『弱い 「内面 」の陥穽. ―. 、平成 十. 芥川龍之 介から見た日本近代文. 』翰林書房、平成二十九年五月、二六五頁. 前掲注 に同じ、一六二~一六三頁. 水 野亜 紀子「 芥川龍之介 『酒虫』論 」『阪 大近代文学研 究』. ―. 上げます。. ―. (九州大学地球社会統合科学府博士後期課程二年). のである。論文審査の際に、貴重な御意見を下さった先生方に深く御礼申し. 」の内容に基づいて、大幅な修正・加筆を行ったも. その時代が語るもの. そ の 精 神 的 触 れ 合 い 」(『ト ル ス. 【付記 】本稿は 、九州大学令和二年修士学位論文「芥川龍之介「酒虫」論. に同じ、四九七頁 20. ただし、作品末尾の日付は大正四年七月二十三日となっている。. トイと日本』早稲田大学出版部、平成十年九月)を参照. 柳 富子「 芥川にお けるトルストイ. ―. の兄 弟にし ても罪 と罰に しても乃至 アンナカレニナにして も僕はその一. 学. 九年三月、一五頁. 2. つでも日本にあつたらまゐりさうな気がする」. 悲 観しない でゐ られる だらうか 、戦争と平和ばかりで はないカラマゾフ. 大 正四 年十二 月四日付恒 藤恭宛書簡。 原文の以下の 通りである 。 「 ロシ. 前掲 注. ヤ の作家 なぞは 戦争 と平和のや うな作物が前にあ るといふことによつ て. 34 36 35. 前掲 注. 14. 5. 25 26 23. 30 29 28 27 31 33 32.

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