芥川龍之介論
教科・領域教育専攻 言語系(国語)コース 大西永昭
1.研究の目的
現在、再ひ堺川
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文学が脚光を浴びている白 芥川龍之介は大正から昭和とし、う過渡期の社 会を生きた文学者である。その芥川の生きた社 会と現夜の私達を取り巻く社会とは、丁度日新4と から自寺代へと移り変わろうとする過渡期とし、ぅ 点で共通項が見出せる。そうした過渡期社会に おける芥川文学の意義について考察する。2.論文の構成と概要
本論文では、全体を大きく三つに分け、 Iを
「歴史j、Eを「社会j、Eを「思想jとの関わ りにおいて芥川文学を考察しでいる。
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江戸の中の芥川芥)1 1
の中の江戸ここでは、初
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と江戸との関係iこっして論じ る。芥)IU士、西洋知に{諒頁を置き、自らの文学 にも積極的に西洋文学の方法を取り入れること によって、自然主義全盛の文壇に新風を吹かせ た。しかし、それとは反対に自らのルーツで、あ る江戸について否定的な態度をとり続けた。そ うした芥川の江戸否定の裏にある、自己抑圧の 意味を芥)11文学における江戸性を追いながら検5
正していく。1 消去される歴史
芥川は古典や歴史に題材を採った小説を多く
指 導 教 員 松 原 一 義
残した作家であり、そうした創作方法は一見歴 史性に根差しているように目されがちである。
しかし、実際には芥
) 1 1
文学に窺える歴史性は全 て(仮構〉であり、芥川は意識的に自身の中の 歴史性を消去しようとしていたことを論じる。2 武士道とキリスト教
明治から大正にかけての日本人の思潮や倫理 規範として大きく影響していたのは、江戸から の武士道と近代知としてのキリスト教であった。
それ等二つの思潮がどのように芥川文学の中へ 反映されているかを考察する。
3 江戸文学としての芥川文学
西洋小説の方法を積極的に採り入れようとし た芥川文学は、しかし、作者である芥川の江戸 戯作に通じる江戸的認識によって、その在り方 を規定されていた。それにも関らず自身は江戸 を否定するとし、う芥)
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の自己矛盾について論じ る。E 売文と芸術の聞
これは、芸術至上主義者としての芥川像を検 証し産そうとする試みによって論じられたもの である。一般に「蛸試変jの作者として知られ る芥川には、あらゆるものを犠牲にしても自身 の「芸術」を全うしようとした芸術至上主義者 のイメージが付き纏うが、実際には資本主義社 会における出版ビジネスの制度下で、様々な制
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約がその作品には科されていた。その様態を明 らかにすることで、「芸術Jと「生活jの間に哨 ぎ、煩闘し続けた、生活者芥)11の姿を浮かび上 がらせる。
1 売文業者という認識
芥)11は、芸術家であることを強く望みながら
「生活jのために作品を書くという債カを 行わざるを得なかった。自らをそうした健文 業者〉と見倣す認識が、芥川文学に与えた影響 について考察する。
2 消費される物語
最晩年の芥川は谷崎潤一郎との論争の中で
「話の筋Jの非芸術性を主張したが、これはそ れまでの〈売文〉生活の中で、「話の筋jを殆ど 消費財のように使用してきた芥川の自己反省か ら起きた反応だったのではないか、ということ について考察する。
3 敗北の彼方に
自らを芸術家ではなく一(売文業者〉としてし まった芥川は、人生に対する敗北を強く意識し た。芥)11が敗北とどう向き合い、人生の最期を
どのように迎えたのかを論じる。
E 芥)1[という思想
ここでは、芥川文学の思想性を論じる。これ は、これまで人類の知として蓄えられてきた、
様々な哲学や思想、倫理が拡散し、解体され、
無効を言い渡される I~ðl\無き現代に、思想無き 文学者芥)11の思想性を問うことによって、過渡 期社会の生き方を模索する試みである。
1 象徴「母
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一母の抑圧「母jは芥川を論じる上で、重要なテーマとさ れているが、実母を殆ど知らない芥
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11の中で形 成された「母jとし1う観念は、人生の中で培わ れた女性観や、セクシュアリティを抑圧しようとする儒教的規範意識、また、創作のための告 白材料としての狂気などを包括的に取り入れる ことによってつくられたものであるということ を論じる。
2 死への眼差し一一味期の目
自殺した作家である芥)JIの文学にとって「死」
もまた重い意味を持ったテーマで、ある。 芥)11が 自裁に至るまでの過程で、し、かに「死J とし、う 観念を採り入れ、自分のものにしていったかと いうことを明らかにし 自らの死に際してどの ような芸術の境地に達していたかを論じる。
3 芥川とし、う思想
一一エクリチューノレの中国 思想性の無さが手酎高される芥川文学の中に在 る界川の思想的認識や発想、について論じる。ま ず、芥川文学の中に頻繁にみられる芥)1[の発想、
が二項対立的であることを指摘し、その発想に よっ
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導かれた、佐藤春夫の( r
しゃべるやうに 書くJ説J
に対する芥:)11のエクリチュール至上 の意見が、芥:)11の漢文の素養に裏打ちされた漢 文脈の延長にあることを明らかにする。近代以 降の日本人は、欧米に同化していくことを目指 して意識の上から、中国・韓国といったアジア の国々を消去してしまっていた。そうした風潮 の中で、芥川は文学的興味から中国に接近して いき、当時にあっては数少ない中国を意識する日本人で、あったことを
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旨摘する。結び
三つの観長から芥川文学をみることによって 浮かび上がってきたキーワード「抑圧jとし、う ことから、現代に生きる私達にとって芥川とそ の文学がしゅヰこ痛切な意味を持つものであるか
ということについて述べる。
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