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芥 川 龍 之 介

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(1)

芥 川 龍 之 介

﹁ 疑 惑 ﹂

(

)

芥川龍之介の﹁疑惑﹂は一九一九年(大正八年)七月︑雑誌﹁中央公論﹂に掲

載されたもので︑いわゆる芥出龍之介中期の作品に当たる︒芥川龍之介の作品の

中では︑現在まで︑轄に詫話されて来た作品ではない︒友人による好意的な同時

代評︿性

l

﹀はともかく︑書留精一︑渡部芳紀らの見解があるが(注

2 )

︑いずれ

も芥川の停滞としてとらえるもので︑全体として否定的なものである︒本論文で

は︑この仲品をこの前後のものと併せ︑後述するような一つの問題意識の

F

えることじよって︑このテクスの新たな読みを獲得することを日指す︒

‑疑惑﹂は︑ある﹁実践檎理学﹂の教授

(

1私﹂﹀が︑峡阜県大桜町で経験した

ある人物との出会いを十年後に思想するという体裁を取っている︒この人物日中

村玄道が︑﹁自分は妻を(少なくとも結果的には﹀殺したことになるのではな今︑

か︒﹂という疑需を握き︑実践偉理学の泰斗たる﹁私﹂に︑その当否を尋ねると︑

うのが︑この小説の表面ト一のスリーであるcこれだけを見れば︑先行研究の

見るように一片の小味な短篇というべく︑しかも明らかにそれほど上手くないし︑

?としてもありきたりだということになってしまう︒この種の殺人にかかわ

マは︑近弐文学に広く分布するものであろうが︑芥川川に対する影轡力から

考えた場合︑直ち

ι

怨起されるのは撤石の﹁こころい(出

3

( 詮

4﹀である︒あるいは︑鏡花の﹁外科室﹂︿掠5﹀などもこれに加えてよいの

かもしれない︒すなわちこれら三人の作家は︑等しく芥川が尊敬し︑長接の教え

を議い︑島るいは私淑したものたちである︒あるいは︑H犯罪uに関する考察とい

う点でほ︑+志賀直哉﹁箔の犯罪﹂(注6

てほぼ同時︽の谷時務

(

守{﹀主どが参看されるべきであろう︒しかしこれら諸作品に比較して︑﹁疑惑﹂は

量的にもやや実弱な印象を与えるうえに︑プロッとしてみるといかにも詑弱で

島り︿控

g

﹀︑完成度の低いものと見られがちである

そのような印象はその限りでは正しいというべきであろう︒すなわち︑当時一

般の通常の小説としてこれを見た場合︑幾つかの明らかな欠点が発見されるから

である︒特に大きなものは︑中村玄道が諮ることについて︑﹁実践檎煙学の泰斗﹂

たる﹁私いがシンパシーを持って聞き取り︑かつ考えるという動機が作品内にな

いことである︒﹁私いは︑十年前の事件について︑設場人物として行為のレベルで

鰐の鵠係も持っておらず︑本来︑京巡り括合間く義理さえない︒物語の初めの部

分で﹁息﹂が大混町と以前に搬点を持っていないことは明記されており︑この

4d

述自体・を疑わないか︑ぎり︑︿疑えば︑例えば広道と持らかの関係を持つ

﹁怠﹂が︑過去に犯罪を犯したなどとする障された行為が考えられてくる︒後

J物語の当初から﹁私﹂と玄道等との絡み合うストは排除されているの

(2)

で為る︒ニの結巣︑物語が単h

H

CMのレベルを越えないことが原理的

に明らか民なってしまっている︒玄道の話はいわば﹁夜話﹂として聞き捨てられ

るべきものである︒現に︑﹁私んは開き捨てたであろう︒

しかし︑そういう観点は︑この﹁疑感﹂の積一硬な一側耐を閑却していると考え

られるのである︒つまり︑そもそも︑﹁疑惑﹂の描写じは︑以上のような単純化し

た読みを解体する契機が含まれていると考えられる︒それは︑この小説の各所広

ちりばめられている︑nHの描叩?と︑最終的にはそれを支える占める特加

な語り/文体によって与えられている

3 0

今︑まず第一にこの小説の

i的に見た時のHHについて考えて行

m語を使うのであればまさしく謎としかいえないような︑

弘前学院紀要

奇妙な記述内容になっているのだ︒ここで︑顕序は記述の順とは逆だがまず中村

五道の︑過去のH犯罪Hに窮する供述の真偽の判定について考えてみる︒それは

H玄道は︑地震とその後の火災現場における自らの﹁妻殺し﹂につい

Hということなのであるが︑読者の側から見れば

これはしばらく黙くしかない︒小説内応玄道以外のA

うもないことである︒扶述内部に論理的にし人きな手間があれば別だが︑後述して

行くように不懇合はあるとはいえ︑内容的に明らかに信懲性を傷つけるほど大き

なものはあるまい︒であれば︑この広道の発誌の﹁内桝﹂に注目する必繋はない

とにもなる︒とすると︑どんな読者でも気付く第一の一見シンプルな謎は

付広道の指が欠けているのはなぜかHということになる︒

唯︑戦粧の較にも私の神経を刺戟したのは︑彼の犯の予の憎が⁝本紙けてい

︿ ところがこれに対する作品の答えは見事なまでに与えられない︒末尾に至るまで︑この指にまつわる話法出て来ないのである︒いや︑それどころか︑答えが与えられないこと宏一アクスト自捧が明示するという撒底ぶりなのである︒

私は揚椀鋭者を後むした催︑相ずの指の一本ないのさへ間ひ質して見る気力

もなく︑黙然と能ってゐるより外はなかった︒(吋令集

b P 1 9 4 )

小さなことを言うようであるが︑この辺りについては︑一体欠けているのはど

の指なのだろうかという疑問もあるのである︒そもそも︑﹁指が一本紙けている﹂

という言い方も奇妙なのであって︑これほど分析的・記述的に諮る諮り手︿それ

は大正黙としてもやや全焼な︑漢文の知'識を窺わせる︑いささか澗介な支でに分

析的な語り手Jなのである︒﹀が︑どの指が欠損しているかを語らないのは面妖と

第二の疑問は︑なぜ︑玄道がわざわざこんな話をす'るのかということである︒

そもそも︑この在更けに詰関するのも奇妙であれば︑脱立たしく思いながらも一

を取次がないのも不審だった︒﹂完全集﹄

P179

﹀とあるとおり︑車道は案内も

議わずに︑なぜ﹁私﹂の岩室主でやって来ることができたのか︒彼はこの地域で︑

いわば超越的な立場にいるということだろうか

これに関わってより本糞的な疑詩としては︑既に二十年の背のことであると法

いえ︑ほとんど語識のない人物で占のるつ私﹂にH殺人Hの話をする玄道の動機に

ついてのものが島る︒この点についてはテクストが︑くどいほどの念を入れて玄

道の語る勤磯︿モチ

突は私一身のふり方に就きψ仇して︑善態とも先生の御意見を議りたいのでご

ざい設す︒︿中略﹀先生のやうな倫堕学会の大家の御説を何ひましたら︑自然

分別もつかうとおじまして︑︿以下略﹀︿叫令集

h n

k U

1 8

0

(3)

時丸めてその間の汗しみだけでも先生のやうな五の御耳に入れて︑多少はもせ

よ私山川身の心やりに致したいと忠ふのでございます︒日全集﹄同前)

御聞きになってさへ下されば︑それでもう私には本望すぎる位でございます︒

︿

P 1 8 1 )

し無論︑説得主は余りない︒なぜこの日でなければいけないのか︑なぜい

きなり副議しなければいけないのか︿例えば︑心丙耐ではいけないのか﹀全然説鴇

されていないのだから吋然である︒だからといって︑読鋭利において広道を候ちに

狂人と決めつけるやぶにはいくまし作中︿末尾近く﹀では友道は自身が狂人とし

て抜われていることを地べているが︑それを弱から信じる登場人物も読者もいな

芥)!I龍よイト;疑惑l

いであろう︒絞り一一一日然違:しはち居振る舞いが狂人を訪沸とさせないということ

もああが︑判上り詰め一れ人(作れ﹀あるいは虹人扱いされる正常人というのはむ

しろ近代丈干のれ要人物とぶつてもいい牧のものであって︑我々は文化的に慣ら

されてしまっているからである︒︿この点について︑多少︑芥別龍之介の以前の昨

ぺ〉

手紙﹂(佐川﹀がその好例に挙げられる︒この作品

はいろいろな立味で﹁疑惑﹂に関部する問題作である︒なお︑後の﹁河童い︿住

日)にまで連なる芥川龍之介の基本的モチフの一つでもあるが︑この点につ

てはここでは述べない事

ι

する

:

つの疑問を︑作中に記載されている事項︑または当然記

惟むされる事項のみを能って︑すべてあるいはせめて一部だけでも解決するよう

な合理的な推定をし以てることは︑通常の論理ではかなりできにくいであろう︒つ

は︑この中村本道にかかわる物語は︑特に中村本選の語るその行為に関わっ

て︑不合間州に︑少なくとも納得しがたい形でできあがっているといわなければな

︑ ノ ︽ 久 ︑

主ず刊し

今度はこの小説の具体的表現の︑奇妙な点について見て行く︒それは︑何より

もまず第一に︑日の感覚︿視覚)によらず︑ヰの感覚と︑皮書の感覚と︑鼻の惑

党とによって撞出されて行く︑幸一内の賂写である︒

このうす暗い八患の問は蘇関として人気がなかった︒(中略﹀木蓮が︑時々自

い花を落すのでさで関に賠き取れるやうな静かきだった︒叫んぷ集﹄

P17

必性きもしない線香がどこかで匂ってゐるやうな心もちがした︒︿関前﹀

突然次の間との境の撲が無気味な料静に明いた︒(司令集

bP178

3‑

ランプの拾を吸ひ上げる寄がした︒それから貌の上に載

せた私の捕問中時一討が︑総かく時を刻むい弘行がした︒と忠ふとまたその中で︑床

の間の楊樹観音が身動きをしたかと患ふ程︑かすかな吐息をつく者がした︒

完全集

b p

・ ‑ u

85

) 

視覚は︑中村雄二郎︑ト府知浩らの所説(佐川凶)に従えば︑主題的に荷かを鴇示

する額向の強い感覚の掛聞きで︑H主語的Hと呼ばれる︒それに対し︑聴覚︑触覚︑

嘆党などはむしろ述語的統合であると百われる︒諸感覚の牲震につしてこの高山川

らの考えを緩用することにすると︑総ムけして︑﹁疑感﹂は極めて珍しいほどに述一時間

的統んけによった小説であると言えようの恐らくこれは︑一面では﹁疑惑﹂の鵠奇

小説としての性震を証明するものであろう︒ほは舟小説一般についても同様のこと

は突は47一口えるのであるが︑ここでは特殊芥川龍之介の事だけ述べれば︑初期の

﹁羅中門い(注目)などの説覚的要素の強い窪奇現裁から︑後期の﹁河議﹂(住

(4)

日﹀﹁蔀車﹂(注日)にみられるような︑述語的統合による樫奇の播写へと移り行

く接点に当たっていると考えられるのである

さでしかし︑それはそうであるとしても先に掲げたような疑問点とこの特別な

%

H惜奇小説

Hという観点からは説明できない︒納

得できないは︑なぜにわざわ︑ざ﹁十年余り前のこといてこのものがたり合

設定しなければならなかったかということである︒また︑ここで先の疑問からさ

M九一歩を進めて︑作品全体を小説の作り方という点から見てみると︑玄道の河川

の開き予としての﹁私﹂は︑H喪殺しとしてこの物語をとらえるならば︑物語の

進行上特に勢立って必繋なものでもないのである︒試みに︑小説内から玄道の一語

りの部分だけ︿設時)を車り出してみればそれは明らかである︒それだけで一篇

の小説ができてしまうではないか︒では何故に先に述べたような非・硯覚的措写

第30

が﹁弘﹂の語る・言葉において執念深く繰り返されているのか︒

またさらにJえば︑段︑ぜ物語内にわざわざ次に掲げるような︑﹁物語外いを想定

弘前学院紀要

させるa汗述がなければならなかったのか

これは乱を繕話しなければ︑ちと御会仰向がおらないかもい仔じませんが︑喪は

不容にも搾格的拡散時のある女でございました︒

︿

hR190

八十二行省略)

︿

4行者略)ヰ々の記述は︑当然︑性に関する記述が省略されてい

ることになるのであろうから検閲︑自己規制など︑小説の外傑にある︑きな臭い事

象を想起させる︒少々紐らわしいが︑これは療縞からあると見られるのであって

︿

)

‑出版段階で検閲ないしそれに類する事があって能強がなされた

訳ではないようである︒これを作者の単なる悪ふざけと見るこれに関わる日

本近代文学の竪史は少し議すぎる︑だろうし︑何よりこの記述は小説内で目立ち通

ぎている︒ここで段明らかに悲閥的なものが働いていると設えよう︒

総じて︑これら多くの識は︑それぞれ別々に謎としてあり︑普通に考えると弼 底︑統一的な解決を与えることはできそうにない︒現記︑小説内でも表面上解決は与えられていない︒それらは取に︑小説の不備︑あるいは小説家の本熱を示しているよう拡晃える︒しかし本当にそうだろうか︒

前節︑までに述べたことを考える鍵が作品内にある︒ここでこの玄道の語り

非常に奇妙なHHについて考えてみるのである︒それはH殺人υであるかどう

かの判定に本来最も重要で島り︑かつ︑守十午の刊に主近において何度一も怨起き

れてきたに違いない

についての語りが作品内の時間的棋序に従わず︑

H動磯μ

いわばげ追記H翠に一括られているということである

しかもその路弘の記椴へ鮮に住き返って米たものは︑可時の訟がいおの小夜を

内心構んでゐたと悶ぷふ︑忌はしい事実でございまず︒︿万七集

bY190

このことを友道が忠い出したのは本局の山先で﹁風俗再報﹂を子に患ったとき

である︒このとき前述のような嘆党による述語的な記穫の再生がまずあって︑

﹁私は妻を殺したの段︑始から殺したい心があって殺したのではなかったらう

c

(

P

8 9 )

とおもいあたり︑その次に上記のような兵部的/ギ説的

記壇が再生して来る事が一品られ出すわけである︒さらに続けて︑

になって﹂場かった﹁構濯の女房﹂の話が一品られる

ι

及んでつい

ア哉の血

i

︿

hY198

﹀もふさがれて︑トヤ山中刈はぺ怨ろしい疑感の塊で一ぱいにな

︿

ILU

i

トし﹀己主主

bP191

﹀し波うのである

Md

川 刈

lト年前の一見全く継詩的な販を踏んでいるようでもあるが

事件を他殺に語る言葉としではないowl時の自分が安を憎んでいた

というのならば︑そのことを.ト年後のよ道はi分反射して知っているのだから︑

﹁ 私

tにこの問題を提ぷするときには共持論期的にまとめた形で話せばよいので

(5)

ある︒語り手としての本道は初手から開き予を欺いていたことになる︒このよう

な玄道の一諮りは︑すなわち近代文学的なプロットの意識託費かれているのであっ

て︑このブロト法それ自体で玄道の語りが︑H物語H︿作り物語)であることを

i

またさらに議えば︑このように次から次へと︑いわば﹁これでもか﹂式にH

事実

H q

しかも﹂﹁所が或

H

﹂など論理性の希薄な諾勾によって)を龍恨み議ねて行

く追記潜一の語り口は︑それ自体で既に信用性を失っていると号一口わなければならな

いだろう︒このようK継起的に語らなければならない場合はひとつしかない︒そ

れは聞き手の泉山泌を見ながら︑物語内容︿ここでは主選の追い詰められた所以﹀

に対する聞き手の批判の可能性を封じるために物語が生起し続けている場合であ

る︒すなわち︑あまりに整然と願を追って状況が悪化する知き一諮りはそれ自体で

芥川飽之介「提惑j

既に︑一語りの不誠実を表すコlドであると与えることができよう︒︿注沼)

以上のように読んでみれば︑ここで︑先に挙げた内容的な不合理も含めて︑

つの解決を見いだすことができると考える︒つまりこれら奇妙な訴りは︑まず離

山中麗としての広道の語りに対する信頼を蝿失させ︑次にそのことと物諸内に残さ

れているなぞはよって︑先述したようけ仏語り手﹁怠﹂の渦去の悪行の可能性と現

ム粧の彼の諮りの不実を期間一一小しているととらえるのである︒すなわち上述して来た

ような表現はすべて︑一時間り予の存在を誇示し︑かっそれを相対化するところのも

のであると習うことができよう︒このため︑調人ではなくH諮りヂ群Hが要請さ

れたのであり︑そのためにこそ﹁私﹂が十年誌に開いた被話として二重の語りを

設定しなければならなかったのである︒また︑先に述べた述語的統合による非・

撹覚的表現は︑﹁私﹂の諮りにも玄道のそれにも共通しており︑文体のレベルでは

語り手の一体化を推進する︒当時の近︽文学的論理では決して癒着してほならな

ぃ⁝一つのものを述語的感受性が統合して行くとき︑物語は一挙に神話的属性を帯

がる︒そこではささいな論理的不整合は問題とされず︑常に本繋だけが︑すなわ

ち語る一言葉の権威と一諮り続けているというまさにそのことだけが問題となる︒こ

こにおいて﹁競惑﹂は︑内容に関係なく︑H語り手についての物語Hとしてとらえ られる可能性を帯びるのである︒

ところで前節で論じたように読めばさらに︑全一く新しい読みも梼かれてくる事

に気付かされる︒それは︑主に以下のような表現の解釈にかかわって揺こって米

が︑やがて特の筒を台にした密猟なランプに火が鰹ると︑人間らしい気怠の

通ふ役界は︑窓其かすかな光りに照される私の務関だけに縮まってしまった︒

︿

P177

ここで夜の檎と共に縮小した空間が皮書感覚として﹁私﹂のまわりにまとわり

つくとき︑世界は極めて肉体に程近い所に局隈されている︒

5‑

つまりこれ以後の

N出来事Hはすべて﹁私﹂の身体(の鰐り)に接触している弔問内での︑いわば

組像力の流出/蕗話であったと考えられるのである︒無論そのように物理的身体

に近接した空間は︑身体の延長ないし身捧そのもの︿あるいは︑市川浩のいう

︿身﹀)として考えられよう︒とすれば︑この物語はすべて語り手である﹁私﹂の

の中において進行していることになるので島る︒ここでは広道の存在など

は︑突はどうでもよいところまで渇いてしまう︒作中には︑次に掲げる引用のよ

うに京遂を﹁劉霊じみたいとしている所が占める

又実際その男は︑それだけのショックに鎖すべく︑Jぼんやりしたランプの党

を務びて︑妙に幽霊じみた裂を共へてゐた︒︿刊金集加

R 1 7 8 )

まさにここでは玄道を︑﹁本﹂の内部に仮構された想像

β

が議体化した掛霊と

呼ぶこともできよう︒(注目﹀

(6)

しかしながら︑性急にこのような統みを提示してみても︑それを明示する指標

が作品内にない以上︑それだけでは他の読みと持等の意味しかもたない一つの可

能性に過ぎない︒それはそれでもよいわけではあるが︑ここで敢えて佑滞在を追っ

て︑しばらく同時期の仲介川龍之介の諸仲品におけるこの種の語り手の開題を見て

(

)

(

その時の事を考えると︑

il

いや︑その時辻又その時の事だ︒おれが今いく

ら心配した所で︑どう民もなる訳のものではないまあこの憾でベンを識か

う︒左諜なら︒お殺さん︒(注詑)

それから幾千年かを語てた後︑この魂法無数の流転・を関して︑又生を人間比

30号

託さ・なければならなくなった︒それがかうえふ私に宿ってゐる魂なのである︒

︿ 践

ω )

弘前学続紀婆

これらの簡所は︑それぞれの作品・宏︑全く先述したような諮り手の物語として

読み得る英機となるものであるが︑ところで︑このような問題意識でこの時期の

作品群を読み直した場合気付かれるのは︑

必ずしも一晃そのよう比は見えない

﹁秋﹂などでもそれを読み取り得るということである︒鍔えばこの場合︑作品全

体が登場人物︿信子﹀の小説(﹁秋﹂の中では議かれないことになっていた小説)

の引用であると見れば︑そういう引用を今期切にしている語り手の存在に気付くこ

(

この時期の作品が以上のような観点で統一的拡捉えられるとすれば︑︹簸惑﹂

について先述したような読み方を重く考えることは許されよう︒

︿

芥山川龍之介は書簡などで織り返し自作﹁疑惑﹂に触れている

疑惑は悪詐だが必しも悪作で始轄すべき作品ぢゃな

筆を入れふ︑ばものになると一以ふ自倍がある(注お)

中市穴公論の﹁疑惑﹂所々で人に褒められ候も小生の見によれば同じく愚作に

てこれ又袈められる丈不快千万に侯︿住加﹀︿注訂)

これらは︑相手を考えながらある機織験な言葉遣いで禽かれたもので︑単純に

受け敢ることはできないしかし︑自作に対する自負と懐疑と︑二つの閉で浮遊

する心情ぐらいは少なくとも読めるだろう︒とはいえ︑いずれにしても︑ここか

ら真に読み敦られるべきなの段︑壊されつつある小説の方法を前にして︑それゆ

えに完成度にこだわらずある種つまらない作品を書か︑ざるを得ない︑方法的な詐

家の捺であると考えられるのである︒﹁指﹂はどうなったのか︑なぜ岐阜県大脇町

だったのか︑﹁玄道﹂という︑妙に気取ったようにも思える名前には向か出来があ

るのか︑意味ありげに何度も一諮られる﹁楊柳観者﹂にどんな秘密があるのか︑そ

れらはすべて一諮られず︑小説は幕を爵じてしまう︒保えば︑較阜県大一陣一時でなけ

ればならなかったの培︑﹁濃患の大地譲﹂︿控沼)を経験した小都市としてぜひこ

シ況ンが必要だったのかもしれ︑ず︑玄道の掃は婚礼の霜におけるH

H後の騒ぎで失われたのかもしれない︒そのように考えることはできる︒しか

しそうでないように考えることも無論できるとすれば︑そしてそのような可能性

を上述して来たようにテクスト自体が緩めて謡呈的に示しているとすれば︑そこ

には︑こ︑ちんまりとまとまった作品という今までの評価とは全く違う︑強力な方

法意識に支えられた小説としての︹疑惑﹂が発見されなければならな¥︒

(7)

芥川!臨之介「疑惑;論

( 調

占間純一門芥川龍之介﹄昭和

J

渡部芳紀﹁疑惑{(﹁芥川龍之介磯山内い明治書院︑昭和六十年ト︐月﹀︒

3 大正ベ年間月二十円

1

i

4大正五年一月土中央公論︒

5λ6大正也年ト月﹁自陣勺 7大正九年⁝丹﹁改造一︒

g

ここで一万うプロットについては号訴むための理論い(石原︑小森龍︑一九九﹀診照︒

9科技者同刊﹃芥川議よ介全集い第二巻(一九七七年ト持﹀

P1

78

0 本論文における作 品本文の引用は印門書によるα

ただし︑出字体は新字体に改める︒なお︑以下の引用で同

書による場合はで々件記せず︑引用末尾に吋ふれ集いと略記し︑ページ数常一小す︒

在日昭和二年一つ月﹁改造﹂︒計以内仏小村縦一⁝邸主共通感覚論い⁝九七九年五丹︑山荘波欝縮︑市川浩吋︿身﹀の構造い一九八

四年十一月︑脊土社︒

注目大正四年十一丹︒

d年六月﹁ト人調和﹂︑同卜月﹁文法泰私しの

注日立中川集いp

18

1L

Pi

p

35

P1

85

1P

19

30

注げ隙識はわ氷見︒

佐川畑このことをメイントリックとした小説を挙げておく︒アイザック・アシモフ﹁明白な 委如来h﹁黒後家総妹の会

11

池夫歌訳︑剣一応機膿文録︒

注山山引用部分の践的にある﹁迷詰的な獄怖いとは︑したがってこの場合︑れらの加速する

想像力に対する恐怖でなければならないの

汁江加大正九年一丹︑﹁新小説川︒

ι集

P3

53

0

ιh

一 ‑ 一

P

・ し3

69

0 性国この点について論者には扇犠の用意があるので︑詳細はそちらに綴る︒

注お大正八年七丹十七日付南部修太郎施︒

21

P6

86

0 柱部大正八年七月一:十日付薄閃涼介抱

02

1

Li

R5

30

0

μ

付佐々木英索宛︑同

H付術部修太郎宛書簡などがあるの

住部いわゆる﹁濃発地譲えは明治二十四年十汀二十八日で︑作中の記述と一致する︒

‑7‑

f主 性

2 1  付記一本一線は︑第二十四国弘前学院大学閥語鍋文学会夏季大会三九九三年七月三日)にお

ける発表ぷ蹴惑の語り

l l

芥川龍之介吋腕感知一議

ii

i

参照

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