殿村篠斎作の戯文『阿嬌物語』

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殿村篠斎作の戯文『阿嬌物語』

服部, 仁

http://hdl.handle.net/2324/4742081

出版情報:雅俗. 18, pp.88-97, 2019-07-16. 雅俗の会 バージョン:

権利関係:

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◉研究ノート 一  はじめに

殿村篠斎は、資産の多寡の波もあるが、紀州藩飛び地松坂の御為替組に入ったこともある松坂商人を代表する豪商の一人である。一般的には国学者であり歌人として知られており、一方で曲亭馬琴と親交があった。安永八年(一七七九)に生まれ、弘化四年(一八四七)に没している。本居宣長の『授業門人姓名録』(『本居宣長と鈴屋社中』〔岡中正行・鈴木淳・中村一基氏著、昭和五十九年刊〕所収)によれば、「寛政六年甲寅(服部注:一七九四)三月入門  殿村五兵衛  安守」とある。即ち本居宣長晩年の門人であり、名を安守という。号篠斎、三枝園等。通称佐五平等。文政六年(一八二三)十一月三日、平田篤胤が夢中で宣長に入門したと称して松坂を訪れた。篤胤を接待したのが、安守と同年の異母弟殿村常久、殿村家と姻戚関係にあり宣長の息春庭の弟子小津久足(号桂窓)、本居大平と春庭に学んだ富樫広蔭の三人であった。差配したのは殿村安守、その人であった。だが、安守は篤胤と面談はしておらず、そのあたりがしたたかである。篤胤の松坂来訪は、宣長門内に亀裂を生じさせたが、この四人、引いては春庭も篤胤に好意的であったようだ。後年、久足と広蔭は、春庭の長子有郷 の後見をしている。殿村安守は、国学者としての著作は歌書など目立たないものが多いが、宣長門においては間違いなく大立者であった。また安守と年こそ離れているが、小津久足、桂窓も豪家である。片や馬琴との係わりは、『滝沢家訪問往来人名簿』(柴田光彦氏編『曲亭馬琴日記  別巻』平成二十二年刊、所収)に数カ所「殿村佐五平」の名が見えるが、二十オに、「一  勢州松坂の人  殿村佐五平殿」とあり、その右に「丁卯四月廿一日来訪」、左に「旅宿  大伝馬町とのむら」とある記述が、直に面談した最初だと思われる。「旅宿  大伝馬町とのむら」は、殿村家の江戸店に違いない。以後、馬琴との親密な交流は、多数遺された篠斎宛馬琴書簡、殊に数多の長簡に明らかである。桂窓と馬琴が知己となるのも、篠斎の引きであること、確かである。桂窓の蔵書を西荘文庫と称する。篠斎の蔵書もかなりのものであったようだが、篠斎没後、篠斎の蒐書癖を苦々しく思っていた遺族の意図で、瞬時に散佚したようだ。篠斎・桂窓共に、和書・漢籍についての造詣は並々ならぬものがある。

殿村篠斎作の戯文『

たか

物語』 服部  

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二  本書の存在意義 その殿村篠斎が自作した戯文『阿嬌物語』の存在は、夙に知られていたようである。たとえば、当該書うしろ表紙見返しに貼付された識語には(句読点、濁点は私に付した)、本書、篠斎殿村安守、若きころの戯作文で/安守の自茟稿本である。その友、小津桂窓/に示せるものにして、其侭西荘文庫に置か/れしならん。このたび文庫整理に依り、世に/出づ。もと仮綴たりしが、いま装演して/包紙にありし名を外題とす。

    

昭和廿八年四月記とある。吉田悦之本居宣長記念館館長の御教示によれば、「桜井祐吉氏の字であろう」とのことであった。桜井祐吉氏は、『松坂文藝史』(昭和四十九年、夕刊三重新聞復刊)の著者であり、森壺仙(文政十一年〔一八二八〕十二月十五日没、享年八十七、松坂の豪商、旧家)著『松阪宝暦ばなし(原内題「寶曆咄し」)』(三重県郷土資料叢書第

なり詳しく記しておられる。それゆえ、本書の紹介だけなら、あえて三月)を執筆したことがある。ひょっとすると、この戯文も足立巻一 巻付録第六号)という一文に、この『阿嬌物語』の内容について、か村篠斎の天保改革諷刺の戯文」(『同朋文學』第三十二号、平成十六年  鳶魚編一氏が「篠斎の戯文」(昭和五十二年三月、『未刊随筆百種』第六革諷刺の戯文」(『同朋文學』第三十一号、平成十五年三月)・「補訂殿三田村 その後、『やちまた』(昭和四十九年刊)の著者として有名な足立巻なお筆者は以前にも吉田館長の御教示により、「殿村篠斎の天保改 見たわけである。れたものは皆無だからである。 の桜井氏の言によれば、昭和二十八年四月の時点で、本書は日の目をいては、足立巻一氏がかなり詳しく述べておられるが、書誌事項に触 行会刊)の校註者で、松阪の郷土史家として代表的な人物である。そより、本書を紹介してみたく思う。しかも、今までに本書の内容につ

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号、昭和四十八年、三重県郷土資料刊があると考える。すなわち殿村篠斎が本作を書いているという一点に 斎が、かくのごとき低俗な書物を記している、ということ自体に意義 豪商で宣長門の歌人、かつ漢籍にも蘊蓄深く馬琴とも親交があった篠 わけではない。しかし珍籍であること、つまり、前記のごとく松坂の とぐらいで、構想が緻密で新鮮味があるとか発想が奇抜であるという 驚嘆された。本書の価値という点については、文章が流暢で達者なこ 吉田館長にお見せしたところ、「えっ、この本、あったんですか!」と た後、しばらく本書の所在は不明となる。そのため、先年、当該書を 後述の「本書の伝来」の条で少し触れるが、足立巻一氏が紹介され られない。 『阿嬌物語』の書名のみを出しておられるが、内容については触れてお   「篠斎の道楽」(『季刊歴史と文学』昭和五十三年春)という一文に、 ならぬ。」として、話柄を転換しておられる。そのほか、足立巻一氏は も残っている。しかし、このくだりをこれ以上紹介するのは憚らねば が戯文の眼目で、作者の苦心のほども見え、閲読者の卑猥な書き入れ る。足立巻一氏も本書の原文、梗概を途中まで記し、「この強姦の場面 筆を執る要はないのであるが、何分内容が「読みワ」(春本)なのであ

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氏が「篠斎の戯文」の中で書いておられる「篠斎の小説類三編」のうちの一編なのかもしれない。ただし、「天保改革諷刺の戯文」の篠斎のオリジナル性については、「補訂」に記したとおりである。とは言え、諷刺・春本といった俗の極みのようなものに、篠斎が強く惹かれていたことは確信できる。

三  本書の伝来

桜井祐吉氏の識語にあるように、篠斎生存中に、戯れに年の離れた友人であり、松坂の富裕商人仲間でもあり、共に鈴屋社中(安守〔篠斎〕は宣長門、小津久足〔桂窓〕は宣長の子春庭門)でもあった小津桂窓に、この『阿嬌物語』を見せたのであろう。そしてそのまま、小津桂窓の西荘文庫に保管されていたようだ。桜井祐吉氏が「世に出づ」としておられることから、昭和二十八年四月の時点で、本書は小津家から出たようにもとれるが、恐らくは、それまでは知られていなかったものが日の目を見た、という意味であろう。その後、通称土手新(松坂には小津姓が多く、例えば本居宣長の旧姓も小津であるし、映画の小津安二郎も松阪の人である。そこで区別するために、物資輸送の要、阪内川の堤防脇に屋敷があったゆえ、「土手の新蔵(小津桂窓)」さんと呼んだ)の西荘文庫が解体していき、本書は伊賀上野の沖森書店(沖森直三郎氏)を経て(これは筆者の憶測)、大阪の中尾松泉堂書店へ渡り(この間が、該書の存在の空白期間であろう)、平成二十二年六月十二日の大阪古典会に、『金剛談・鳥おどし』・『後は昔物語』と共に一山で出品され、服部が入手した。『金剛談・鳥おどし』には「桂窓」 「ひさ/たり」(久足、桂窓の和号)の朱方印が捺印され、『後は昔物語』には「桂/窓」の朱円印が押され「ゆ三百八十四」の朱書きの整理票が貼付されている。焦げ茶色の紙帙が三部とも同一であるので、すべて西荘文庫のものと考えて間違いあるまい。『金剛談・鳥おどし』については、すでに「馬琴旧蔵(西荘文庫旧蔵)『金剛談・鳥おどし』」(『同朋大学大学院文学研究科紀要  閲蔵』第七号、平成二十三年十二月)として翻刻、紹介した。

四  本書の書誌事項

本書『阿嬌物語』の書誌事項を記す。

外題  :「阿 たか物語」。内題  :なし。表紙  :丁子色地に金茶色の唐花散らし。装丁  :袋綴。巻冊数:全一巻一冊。料紙等:楮紙二枚重ね。全十一丁。遊紙前一丁。寸法  :縦二六・二×横一七・六糎(大本)。序跋  :なし。作者  :殿村篠斎(安守)。書入  :

別筆カ(足立巻一氏は「閲読者」としておられる)。ぞんざいな書き方をしているが、後述のように、篠斎は貼紙をして訂正したりもしているので、篠斎本人の字かもしれない。墨、

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漢字・カタカナ。識語  :

うしろ表紙見返しに貼付された紙に、桜井祐吉氏が所記しておられる。「一  はじめに」冒頭に掲出したとおり。その他:・

紙を貼って訂正した箇所が、二十箇所余ある。

     ・

焦げ茶の紙帙あり。

     ・

蔵書印なし。

     ・

識語から、改装本と判明する。

なお、四十年ほど以前に「篠斎の道楽」(前掲)を貸して下さった故足立巻一氏、十年くらい前に桜井祐吉氏校註の『松阪宝暦ばなし』(前掲)を下さった井口洋氏、そして小稿を草するにあたっていろいろとお教え下さった本居宣長記念館館長吉田悦之氏に、深甚の謝意を表します。

(ウラ表紙) (オモテ表紙)

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